 日本語 にほんご にっぽんご は 主に日本国内や日本人同士の間で使用されている言語 日本は法令によって公用語を規定していないが 法令その他の公用文は全て日本語で記述され 各種法令において日本語を用いることが規定され 学校教育においては 国語 の教科として学習を行う等 事実上 日本国内において唯一の公用語となっている 使用人口について正確な統計はないが 日本国内の人口 及び日本国外に住む日本人や日系人 日本がかつて統治した地域の一部住民など 約億千万人以上と考えられている 統計によって前後する場合もあるが この数は世界の母語話者数で上位位以内に入る人数である 日本で生まれ育ったほとんどの人は 日本語を母語とする 日本語の文法体系や音韻体系を反映する手話として日本語対応手話がある 日本語の音韻は っ ん を除いて母音で終わる開音節言語の性格が強く また標準語 共通語 を含め多くの方言がモーラを持つ アクセントは高低アクセントである なお元来の古い大和言葉では 原則として などの特徴があった 系統 および 音韻 の節参照 文は 主語 修飾語 述語 の語順で構成される 修飾語は被修飾語の前に位置する また 名詞の格を示すためには 語順や語尾を変化させるのでなく 文法的な機能を示す機能語 助詞 を後ろに付け加える 膠着させる これらのことから 言語類型論上は 語順の点では型の言語に 形態の点では膠着語に分類される 文法 の節参照 語彙は 古来の大和言葉 和語 のほか 漢語 字音語 外来語 および それらの混ざった混種語に分けられる 字音語 漢字の音読みに由来する語の意 一般に 漢語 と称する は 漢文を通して古代 中世の中国から渡来した語またはそれらから派生した語彙であり 現代の語彙の過半数を占めている また 紙 かみ 絵 画 ゑ など もともと音であるが和語と認識されているものもある さらに近代以降には西洋由来の語を中心とする外来語が増大している 語種 の節参照 待遇表現の面では 文法的 語彙的に発達した敬語体系があり 叙述される人物どうしの微妙な関係を表現する 待遇表現 の節参照 日本語は地方ごとに多様な方言があり とりわけ琉球諸島で方言差が著しい 方言 の節参照 近世中期までは京都方言が中央語の地位にあったが 近世後期には江戸方言が地位を高め 明治以降の現代日本語では東京山の手の中流階級以上の方言 山の手言葉 を基盤に標準語 共通語 が形成された 標準語 参照 表記体系はほかの諸言語と比べて複雑である 漢字 国字を含む 音読みおよび訓読みで用いられる と平仮名 片仮名が日本語の主要な文字であり 常にこの種類の文字を組み合わせて表記する 字種 の節参照 ほかに ラテン文字 ローマ字 やギリシャ文字 医学 科学用語に多用 などもしばしば用いられる また 縦書きと横書きがいずれも用いられる 表記体系の詳細については 日本語の表記体系 参照 音韻は 子音 母音 音節を基本とし 母音は種類しかないなど 分かりやすい構造を持つ一方 直音と拗音の対立 音節モーラ の存在 無声化母音 語の組み立てに伴って移動する高さアクセントなどの特徴がある 音韻 の節参照 日本語は 主に日本国内で使用される 話者人口についての調査は国内 国外を問わずいまだないが 日本の人口に基づいて考えられることが一般的である なお 田野村忠温が年から年までに刊行された点 版の相違を含めると点 の資料を調査した結果 それぞれに記載された日本語の話者人口は最少で 億人 最多で 億人以上だった 日本国内に 法令上 日本語を公用語ないし国語と定める直接の規定はない しかし 法令は日本語で記されており 裁判所法においては 裁判所では 日本語を用いる 同法条 とされ 文字 活字文化振興法においては 国語 と 日本語 が同一視されており 同法条 条 その他多くの法令において 日本語が唯一の公用語ないし国語であることが当然の前提とされている また 法文だけでなく公用文はすべて日本語のみが用いられ 学校教育では日本語が 国語 として教えられている 日本では テレビやラジオ 映画などの放送 小説や漫画 新聞などの出版の分野でも 日本語が使われることがほとんどである 国外のドラマや映画が放送される場合でも 基本的には日本語に訳し 字幕を付けたり声を当てたりしてから放送されるなど 受け手が日本語のみを理解することを当然の前提として作成される 原語のまま放送 出版されるものも存在するが それらは外国向けに発表される前提の論文 もしくは日本在住の外国人 あるいは原語の学習者など限られた人を対象としており 大多数の日本人に向けたものではない 日本国外では 主として 中南米 ペルー ブラジル ボリビア ドミニカ共和国 パラグアイなど やハワイなどの日本人移民の間に日本語の使用がみられるが 世 世と世代が下るにしたがって非日本語話者が多くなっているのが実情である また 太平洋戦争の終結以前に日本領ないし日本の勢力下にあった朝鮮総督府の朝鮮半島 台湾総督府の台湾 旧満州国で現在中華人民共和国の一部 樺太庁の樺太 サハリン 旧南洋庁の南洋諸島 現在の北マリアナ諸島 パラオ マーシャル諸島 ミクロネシア連邦 などの地域では 日本語教育を受けた人の中に 現在でも日本語を記憶して話す人がいる 台湾では先住民の異なる部族同士の会話に日本語が用いられることがあるだけでなく 宜蘭クレオールなど日本語とタイヤル語のクレオール言語も存在している また パラオのアンガウル州では歴史的経緯から日本語を公用語の一つとして採用しているが 現在州内には日本語を日常会話に用いる住民は存在せず 象徴的なものに留まっている 日本国外の日本語学習者は年調査で万人にのぼり 中華人民共和国の約万人 インドネシアの約万人 大韓民国の約万人 オーストラリアの約万人 台湾の約万人が上位となっている 地域別では 東アジア 東南アジアで全体の学習者の約割を占めている 日本語教育が行われている地域は か国 地域に及んでいる また 日本国内の日本語学習者は アジア地域の約万人を中心として約万人に上っている 日本語 の範囲を本土方言のみとした場合 琉球語が日本語と同系統の言語になり両者は日本語族を形成する いっぽう琉球語 琉球方言 も含めて日本語とする場合は 日本語は孤立した言語となる 日本語 族 の系統は明らかでなく 解明される目途も立っていない 言語学 音韻論などの総合的な結論は 孤立した言語 である いくつかの理論仮説があるが いまだ総意を得るに至っていない アルタイ諸語に属するとする説は 明治時代末から特に注目されてきた その根拠として 古代の日本語 大和言葉 において語頭に音 流音 が立たないこと 一種の母音調和が見られることなどが挙げられる ただし アルタイ諸語に属するとされるそれぞれの言語自体 互いの親族関係が証明されているわけではなく したがって 古代日本語に上記の特徴が見られることは 日本語が類型として アルタイ型 の言語であるという以上の意味をもたない 南方系のオーストロネシア語族とは 音韻体系や語彙に関する類似も指摘されているが 語例は十分ではなく 推定 不確定の例を多く含む ドラヴィダ語族との関係を主張する説もあるが これを認める研究者は少ない 大野晋は日本語が語彙 文法などの点でタミル語と共通点を持つとの説を唱えるが 比較言語学の方法上の問題から批判が多い 大野晋 アイヌ語は 語順 語順 において日本語と似るものの 文法 形態は類型論的に異なる抱合語に属し 音韻構造も有声 無声の区別がなく閉音節が多いなどの相違がある 基礎語彙の類似に関する指摘もあるが 例は不充分である 一般に似ているとされる語の中には 日本語からアイヌ語への借用語が多く含まれるとみられる 目下のところは系統的関連性を示す材料は乏しい 朝鮮語は 文法構造に類似点が多いものの 基礎語彙が大きく相違する 音韻の面では 固有語において語頭に流音が立たないこと 一種の母音調和が見られることなど 上述のアルタイ諸語と共通の類似点がある一方で 閉音節や子音連結が存在する 有声 無声の区別が無いなど 大きな相違もある 朝鮮半島の死語である高句麗語とは 数詞など似る語彙もあるといわれるが 高句麗語の実態はほとんど分かっておらず 現時点では系統論上の判断材料にはなりがたい また レプチャ語 ヘブライ語などとの同系論も過去に存在したが ほとんど偽言語比較論の範疇に収まる 琉球列島 旧琉球王国領域 の言葉は 日本語の一方言 琉球方言 とする場合と 日本語と系統を同じくする別言語 琉球語ないしは琉球諸語 とし 日本語とまとめて日本語族とする意見があるが 研究者や機関によって見解が分かれる 各項目参照 日本語話者は普通 いっぽん 一本 という語を い っ ぽ ん の単位と捉えている 音節ごとにまとめるならば のように単位となるところであるが 音韻的な捉え方はこれと異なる 音声学上の単位である音節とは区別して 音韻論では い っ ぽ ん のような単位のことをモーラ 拍 と称している 日本語のモーラは 大体は仮名に即して体系化することができる いっぽん と まったく は 音声学上は であって共通する単音がないが 日本語話者は っ という共通のモーラを見出す また ん は 音声学上は後続の音によって などと変化するが 日本語の話者自らは同一音と認識しているので 音韻論上は種類のモーラとなる 日本語では ほとんどのモーラが母音で終わっている それゆえに日本語は開音節言語の性格が強いということができる もっとも 特殊モーラの っ ん には母音が含まれない モーラの種類は 以下に示すように程度存在する ただし 研究者により数え方が少しずつ異なる が行 の音は 語中語尾では鼻音 いわゆる鼻濁音 の 音となる場合があるが が行 と との違いは何ら弁別の機能を提供せず 単なる異音どうしに過ぎない そこで を除外して数える場合 モーラの数は程度となる これ以外に 外来語の表記 第表にもある シェ チェ ツァ ツェ ツォ ティ ファ フィ フェ フォ その他の外来音を含める場合は さらにまた数が変わってくる このほか 外来語の表記において用いられる ヴァ ヴィ ヴ ヴェ ヴォ については バ行として発音されることが多いものの 独立した音韻として発音されることもあり これらを含めるとさらに増えることとなる なお 五十音図は 音韻体系の説明に使われることがしばしばあるが 上記の日本語モーラ表と比べてみると 少なからず異なる部分がある 五十音図の成立は平安時代にさかのぼるものであり 現代語の音韻体系を反映するものではないことに注意が必要である 日本語研究史 の節の 江戸時代以前 を参照 母音は あ い う え お の文字で表される 音韻論上は 日本語の母音はこの文字で表される個であり 音素記号では以下のように記される 一方 音声学上は 基本の母音は それぞれ に近い発音と捉えられる は中舌寄り は後寄り は弱めの円唇 は強めの円唇 は下寄り は上寄りを示す補助記号である 日本語の あ は 国際音声記号 では前舌母音 と後舌母音 の中間音 に当たる い は少し後寄りであり が近い え は半狭母音 と半広母音 の中間音であり お は半狭母音 と半広母音 の中間音である 日本語の う は 東京方言では 英語などの のような円唇後舌母音より 少し中舌よりで それに伴い円唇性が弱まり 中舌母音のような張唇でも円唇でもないニュートラルな唇か それよりほんの僅かに前に突き出した唇で発音される 半後舌微円唇狭母音である これは舌と唇の動きの連関で 前舌母音は張唇 中舌母音は平唇 ニュートラル ただしニュートラルは 現行の表記では非円唇として 張唇と同じカテゴリーに入れられている 後舌母音は円唇となるのが自然であるという法則に適っている しかし う は母音融合などで見られるように 音韻上は未だに円唇後舌狭母音として機能する また という表記も行われる 円唇性の弱さを強調するために を使うこともあるが これは本来朝鮮語に見られる のような完全な張唇でありながら のように後舌の狭母音を表す記号であり 円唇性が減衰しつつも残存し かつ後舌よりやや前よりである日本語の母音 う の音声とは違いを有する またこの種の母音は 唇と舌の連関から外れるため 母音数以上の言語でない限り 発生するのは稀である う は唇音の後ではより完全な円唇母音に近づく 発音の詳細はそれぞれの文字の項目を参照 一方 西日本方言では う は東京方言よりも奥舌で 唇も丸めて発音し に近い 音韻論上 コーヒー ひいひい など ー や あ行 の仮名で表す長音という単位が存在する 音素記号では これは 直前の母音をモーラ分引く という方法で発音される独立した特殊モーラである 鳥 トリ と 通り トーリ のように 長音の有無により意味を弁別することも多い ただし 音声としては 長音 という特定の音があるわけではなく 長母音 の後半部分に相当するものである えい おう と書かれる文字は 発音上は ええ おお と同じく長母音 として発音されることが一般的である けい こう など 頭子音が付いた場合も同様 すなわち 衛星 応答 政党 は エーセー オートー セートー のように発音される ただし 九州や四国南部 西部 紀伊半島南部などでは えい を と発音する 思う 問う などの単語は必ず二重母音となり また軟骨魚のエイなど 語彙によって二重母音になる場合もあるが これには個人差がある 文字文字丁寧に発話する場合には えい を と発音する話者も多い 単語末や無声子音の間に挟まれた位置において イ や ウ などの狭母音はしばしば無声化する たとえば です ます は のように発音されるし 菊 力 深い 放つ 秋 などはそれぞれ と発音されることがある ただしアクセント核がある拍は無声化しにくい 個人差もあり 発話の環境や速さ 丁寧さによっても異なる また方言差も大きく たとえば近畿方言ではほとんど母音の無声化が起こらない ん の前の母音は鼻音化する傾向がある また 母音の前の ん は前後の母音に近似の鼻母音になる 子音は 音韻論上区別されているものとしては 現在の主流学説によれば か さ た な は ま や ら わ行 の子音 濁音 が ざ だ ば行 の子音 半濁音 ぱ行 の子音である 音素記号では以下のように記される ワ行とヤ行の語頭子音は 音素 と音素 の音節内の位置に応じた変音であるとする解釈もある 特殊モーラの ん と っ は 音韻上独立の音素であるという説と ん はナ行語頭子音 の音節内の位置に応じた変音 っ は単なる二重子音化であるとして音韻上独立の音素ではないという説の両方がある 一方 音声学上は 子音体系はいっそう複雑な様相を呈する 主に用いられる子音を以下に示す 後述する口蓋化音は省略 基本的に か行 は さ行 は を用いる地方 話者もある た行 は な行 は は行 は ま行 は や行 は だ行 は ば行 は ぱ行 は を用いる ら行 の子音は 語頭では ん の後のら行は英語の に近い音を用いる話者もある 一方 あらっ というときのように 語中語尾に現れる場合は 舌をはじく もしくは となる 標準日本語およびそれの母体である首都圏方言 共通語 において わ行 の子音は 上で挙げた同言語の う と基本的な性質を共有し もう少し空気の通り道の狭い接近音である このため に対応する接近音 と に対応する接近音 の中間 もしくは微円唇という点で僅かに に近いと言え 軟口蓋 後舌母音の舌の位置 の少し前よりの部分を主な調音点とし 両唇も僅かに使って調音する二重調音の接近音といえる このため 五十音図の配列では ワ行は唇音に入れられている 日本語 の項目では 特別の必要のない場合は で表現する 外来音 ウィ ウェ ウォ にも同じ音が用いられるが ウイ ウエ ウオ とモーラで発音する話者も多い が行 の子音は 語頭では破裂音の を用いるが 語中では鼻音の が行 鼻音 いわゆる鼻濁音 を用いることが一般的だった 現在では この を用いる話者は減少しつつあり 代わりに語頭と同じく破裂音を用いるか 摩擦音の を用いる話者が増えている ざ行 の子音は 語頭や ん の後では破擦音 破裂音と摩擦音を合わせた などの音 を用いるが 語中では摩擦音 など を用いる場合が多い いつでも破擦音を用いる話者もあるが 手術 しゅじゅつ などの語では発音が難しいため摩擦音にするケースが多い なお だ行 の ぢ づ は 一部方言を除いて ざ行 の じ ず と同音に帰しており 発音方法は同じである 母音 い が後続する子音は 独特の音色を呈する いくつかの子音では 前舌面を硬口蓋に近づける口蓋化が起こる たとえば か行 の子音は一般に を用いるが き だけは を用いるといった具合である 口蓋化した子音の後ろに母音 あ う お が来るときは 表記上は い段 の仮名の後ろに ゃ ゅ ょ の仮名を用いて きゃ きゅ きょ みゃ みゅ みょ のように記す 後ろに母音 え が来るときは ぇ の仮名を用いて きぇ のように記すが 外来語などにしか使われない さ行 ざ行 た行 は行 の い段 音の子音も独特の音色であるが これは単なる口蓋化でなく 調音点が硬口蓋に移動した音である し ち の子音は を用いる 外来音 スィ ティ の子音は口蓋化した を用いる じ ぢ の子音は 語頭および ん の後ろでは 語中では を用いる 外来音 ディ ズィ の子音は口蓋化した および を用いる ひ の子音は ではなく硬口蓋音 である また に の子音は多くは口蓋化した で発音されるが 硬口蓋鼻音 を用いる話者もある 同様に り に硬口蓋はじき音を用いる話者や ち に無声硬口蓋破裂音 を用いる話者もある そのほか は行 では ふ の子音のみ無声両唇摩擦音 を用いるが これは は行 子音が と変化してきた名残りである 五十音図では 奈良時代に音韻 音声で 平安時代にであった名残で 両唇音のカテゴリーに入っている 外来語には を用いる話者もある これに関して 現代日本語で っ の後ろや 漢語で ん の後ろにハ行が来たとき パ行 の音が現れ 連濁でもバ行 に変わり 有音声門摩擦音ではないことから 現代日本語でも語種を和語や前近代の漢語等の借用語に限れば ハ行に由来しないパ行は近代以降のもの ハ行の音素はでなくであり 摩擦音化規則で上に挙げた場合以外はに変わるのだという解釈もある 現代日本語母語話者の直感には反するが ハ行の連濁や っ ん の後ろでのハ行の音の変化をより体系的 合理的に表しうる また た行 では つ の子音のみ を用いる これらの子音に母音 あ い え お が続くのは主として外来語の場合であり 仮名では ァ ィ ェ ォ を添えて ファ ツァ のように記す ツァ は おとっつぁん ごっつぁん などでも用いる フィ ツィ は子音に口蓋化が起こる また ツィ は多く チ などに言い換えられる トゥ ドゥ は 外来語で用いることがある 促音 っ 音素記号では および撥音 ん と呼ばれる音は 音韻論上の概念であって 前節で述べた長音と併せて特殊モーラと扱う 実際の音声としては っ は などの子音連続となる ただし あっ のように 単独で出現することもあり そのときは声門閉鎖音となる また ん は 後続の音によって などの子音となる ただし 母音の前では鼻母音となる 文末などでは を用いる話者が多い 日本語は 一部の方言を除いて 音 ピッチ の上下による高低アクセントを持っている アクセントは語ごとに決まっており モーラ 拍 単位で高低が定まる 同音語をアクセントによって区別できる場合も少なくない たとえば東京方言の場合 雨 飴 はそれぞれ ア メ 頭高型 ア メ 平板型 と異なったアクセントで発音される を音の上昇 を音の下降とする が に を などの助詞は固有のアクセントがなく 直前に来る名詞によって助詞の高低が決まる たとえば 箸 橋 端 は 単独ではそれぞれ ハ シ ハ シ ハ シ となるが 後ろに が に を などの助詞が付く場合 それぞれ ハ シガ ハ シ ガ ハ シガ となる 共通語のアクセントでは 単語の中で音の下がる場所があるか あるならば何モーラ目の直後に下がるかを弁別する 音が下がるところを下がり目またはアクセントの滝といい 音が下がる直前のモーラをアクセント核または下げ核という たとえば 箸 は第拍 橋 は第拍にアクセント核があり 端 にはアクセント核がない アクセント核はつの単語には箇所もないか箇所だけあるかのいずれかであり 一度下がった場合は単語内で再び上がることはない アクセント核を で表すと 拍語には 核なし の種類 拍語には の種類のアクセントがあり 拍数が増えるにつれてアクセントの型の種類も増える アクセント核が存在しないものを平板型といい 第拍にアクセント核があるものを頭高型 最後の拍にあるものを尾高型 第拍と最後の拍の間にあるものを中高型という 頭高型 中高型 尾高型をまとめて起伏式または有核型と呼び 平板型を平板式または無核型と呼んで区別することもある また共通語のアクセントでは 単語や文節のみの形で発音した場合 し るしが た ま ごが のように拍目から拍目にかけて音の上昇がある 頭高型を除く しかしこの上昇は単語に固有のものではなく 文中では あ かいしるしが こ のたま ごが のように 区切らずに発音したひとまとまり 句 と呼ぶ の始めに上昇が現れる この上昇を句音調と言い 句と句の切れ目を分かりやすくする機能を担っている 一方 アクセント核は単語に固定されており たまご の ま の後の下がり目はなくなることがない 共通語の音調は 句の拍目から上昇し 句の最初の単語が頭高型の場合は拍目から上昇する アクセント核まで平らに進み 核の後で下がる 従って 句頭で 低低高高 や 高高高高 のような音調は現れない アクセント辞典などでは アクセントを し たごが のように表記する場合があるが これは文節をつの句として発音するときのもので 句音調とアクセント核の両方を同時に表記したものである 日本語では 私は本を読む という語順で文を作る 英語で という語順を型 主語 動詞 目的語 と称する説明にならっていえば 日本語の文は型ということになる もっとも 厳密にいえば 英語の文に動詞が必須であるのに対して 日本語文は動詞で終わることもあれば 形容詞や名詞 助動詞で終わることもある そこで 日本語文の基本的な構造は 主語 動詞 というよりは 主語 述語 という 主述構造 と考えるほうが より適当である 上記の文は いずれも 構造 すなわち主述構造をなす同一の文型である 英語などでは それぞれ の文型になるところであるから それにならって を名詞文 を動詞文 を形容詞文と分けることもある しかし 日本語ではこれらの文型に本質的な違いはない そのため 英語の初学者などは と同じ調子で と誤った作文をすることがある また 日本語文では 主述構造とは別に 題目 述部 からなる 題述構造 を採ることがきわめて多い 題目とは 話のテーマ 主題 を明示するものである 三上章は と説明する よく主語と混同されるが 別概念である 主語は多く が によって表され 動作や作用の主体を表すものであるが 題目は多く は によって表され その文が これから何について述べるのか を明らかにするものである 主語に は が付いているように見える文も多いが それはその文が動作や作用の主体について述べる文 すなわち題目が同時に主語でもある文だからである そのような文では 題目に は が付くことにより結果的に主語に は が付く 一方 動作や作用の客体について述べる文 すなわち題目が同時に目的語でもある文では 題目に は が付くことにより結果的に目的語に は が付く たとえば などの文では 象は はいずれも題目を示している の 象は は 象が に言い換えられるもので 事実上は文の主語を兼ねる しかし 以下は 象が には言い換えられない は 象を のことであり は 象に のことである さらに の 象は は何とも言い換えられないものである 象の に言い換えられるともいう これらの 象は という題目は が に を などの特定の格を表すものではなく 私は象について述べる ということだけをまず明示する役目を持つものである これらの文では 題目 象は に続く部分全体が 述部 である 大野晋は が と は はそれぞれ未知と既知を表すと主張した たとえば においては 前者は 佐藤はどの人物かと言えば それまで未知であった 私が佐藤です を意味し 後者は すでに既知である 私は誰かと言えば 田中ではなく 佐藤です となる したがって 何 どこ いつ などの疑問詞は常に未知を意味するから 何が どこが いつが となり 何は どこは いつは とは言えない 日本語と同様に題述構造の文を持つ言語 主題優勢言語 は 東アジアなどに分布する たとえば 中国語 朝鮮語 ベトナム語 マレー語 タガログ語にもこの構造の文が見られる 上述の 象は鼻が長い のように 主語 述語 の代わりに 題目 述部 と捉えるべき文が非常に多いことを考えると 日本語の文にはそもそも主語は必須でないという見方も成り立つ 三上章は ここから 主語廃止論 主語という文法用語をやめる提案 を唱えた 三上によれば という文において 甲ガ 乙ニ 丙ヲ はいずれも 紹介シ という行為を説明するために必要な要素であり 優劣はない 重要なのは それらをまとめる述語 紹介シタ の部分である 甲ガ 乙ニ 丙ヲ はすべて述語を補足する語 補語 となる いっぽう 英語などでの文で主語は 述語と人称などの点で呼応しており 特別の存在である この考え方に従えば 英語式の観点からは 主語が省略されている としかいいようがない文をうまく説明することができる たとえば などは いわゆる主語のない文である しかし 日本語の文では述語に中心があり 補語を必要に応じて付け足すと考えれば 上記のいずれも 省略のない完全な文と見なして差し支えない 今日の文法学説では 主語という用語 概念は 作業仮説として有用な面もあるため なお一般に用いられている 一般的には格助詞 ガ を伴う文法項を主語と見なす ただし 三上の説に対する形で日本語の文に主語が必須であると主張する学説は 生成文法や鈴木重幸らの言語学研究会グループなど 主語に統語上の重要な役割を認める学派を除いて 少数派である 森重敏は 日本語の文においても主述関係が骨子であるとの立場を採るが この場合の主語 述語も 一般に言われるものとはかなり様相を異にしている 現在一般的に行われている学校教育における文法 学校文法 では 主語 述語を基本とした伝統的な文法用語を用いるのが普通だが 教科書によっては主語を特別扱いしないものもある 文を主語 述語から成り立つと捉える立場でも この要素だけでは文の構造を十分に説明できない 主語 述語には さらに修飾語などの要素が付け加わって より複雑な文が形成される 文を成り立たせるこれらの要素を 文の成分 と称する 学校文法 中学校の国語教科書 では 文の成分として 主語 述語 修飾語 連用修飾語 連体修飾語 接続語 独立語 のつを挙げている 並立語 並立の関係にある文節 連文節どうし や 補助語 被補助語 補助の関係にある文節 連文節どうし は文の成分 あるいはそれを示す用語 ではなく 文節 連文節どうしの関係を表した概念であって 常に連文節となって上記五つの成分になるという立場に学校文法は立っている したがって 並立の関係 補助の関係 という用語 概念 を教科書では採用しており 並立語 補助語 という用語 概念 については載せていない教科書が主流である なお 連体修飾語 も厳密にいえばそれだけでは成分にはなり得ず 常に被修飾語と連文節を構成して文の成分になる 学校図書を除く四社の教科書では 単文節でできているものを 主語 のように 語 と呼び 連文節でできているものを 主部 のように 部 と呼んでいる それに対し学校図書だけは 文節 連文節どうしの関係概念を 語 と呼び いわゆる成分 文を構成する個の最大要素 を 部 と呼んでいる 以下 学校文法の区分に従いつつ それぞれの文の成分の種類と役割とについて述べる 文を成り立たせる基本的な成分である ことに述語は 文をまとめる重要な役割を果たす 雨が降る 本が多い 私は学生だ などは いずれも主語 述語から成り立っている 教科書によっては 述語を文のまとめ役として最も重視する一方 主語については修飾語と併せて説明するものもある 前節 主語廃止論 参照 用言に係る修飾語である 用言については 自立語 の節を参照 兄が弟に算数を教える という文で 弟に 算数を など格を表す部分は 述語の動詞 教える にかかる連用修飾語ということになる また 算数をみっちり教える 算数を熱心に教える という文の みっちり 熱心に なども 教える にかかる連用修飾語である ただし 弟に 算数を などの成分を欠くと 基本的な事実関係が伝わらないのに対し みっちり 熱心に などの成分は 欠いてもそれほど事実の伝達に支障がない ここから 前者は文の根幹をなすとして補充成分と称し 後者に限って修飾成分と称する説もある 国語教科書でもこの者を区別して説明するものがある 体言に係る修飾語である 体言については 自立語 の節を参照 私の本 動く歩道 赤い髪飾り 大きな瞳 の 私の 動く 赤い 大きな は連体修飾語である 鈴木重幸 鈴木康之 高橋太郎 鈴木泰らは ものを表す文の成分に特徴を付与し そのものがどんなものであるかを規定 限定 する文の成分であるとして 連体修飾語を 規定語 または 連体規定語 と呼んでいる 疲れたので 動けない 買いたいが 金がない の 疲れたので 買いたいが のように あとの部分との論理関係を示すものである また 今日は晴れた だから ピクニックに行こう 君は若い なのに なぜ絶望するのか における だから なのに のように 前の文とその文とをつなぐ成分も接続語である 品詞分類では 常に接続語となる品詞を接続詞とする はい 分かりました 姉さん どこへ行くの 新鮮 それが命です の はい 姉さん 新鮮 のように 他の部分に係ったり 他の部分を受けたりすることがないものである 係り受けの観点から定義すると 結果的に 独立語には感動 呼びかけ 応答 提示などを表す語が該当することになる 品詞分類では 独立語としてのみ用いられる品詞は感動詞とされる 名詞や形容動詞語幹なども独立語として用いられる ミカンとリンゴを買う 琵琶湖の冬は冷たく厳しい の ミカンとリンゴを や 冷たく厳しい のように並立関係でまとまっている成分である 全体としての働きは ミカンとリンゴを の場合は連用修飾部に相当し 冷たく厳しい は述部に相当する 現行の学校文法では 英語にあるような 目的語 補語 などの成分はないとする 英語文法では の は文型の一部をなす目的語であり また の は前置詞とともに付け加えられた修飾語と考えられる 一方 日本語では のように 本を 図書館へ はどちらも 名詞 格助詞 で表現されるのであって その限りでは区別がない これらは 文の成分としてはいずれも 連用修飾語 とされる ここから 学校文法に従えば 私は本を読む は 主語 目的語 動詞 文型というよりは 主語 修飾語 述語 文型であると解釈される 鈴木重幸 鈴木康之らは 連用修飾語 のうち 目的語 に当たる語は 述語の表す動きや状態の成立に加わる対象を表す 対象語 であるとし 文の基本成分として認めている 高橋太郎 鈴木泰 工藤真由美らは 対象語 と同じ文の成分を 主語 述語が表す事柄の組み立てを明示するために その成り立ちに参加する物を補うという文中における機能の観点から 補語 と呼んでいる 明日 学校で運動会がある の 明日 学校で など 出来事や有様の成り立つ状況を述べるために時や場所 原因や目的 雨だから 体力向上のために など を示す文の成分のことを 状況語 とも言う 鈴木重幸 日本語文法 形態論 高橋太郎他 日本語の文法 他 学校文法では 連用修飾語 に含んでいるが 連用 修飾語が 述語の表す内的な属性を表すのに対して 状況語は外的状況を表す とりまき ないしは 額縁 の役目を果たしている 状況語は 出来事や有様を表す部分の前に置かれるのが普通であり 主語の前に置かれることもある なお 状況語 という用語はロシア語 スペイン語 中国語 中国語では 状語 と言う などにもあるが 日本語の 状況語 と必ずしも概念が一致しているわけではなく 修飾語を含んだ概念である 日本語では 修飾語はつねに被修飾語の前に位置する ぐんぐん進む 白い雲 の ぐんぐん 白い はそれぞれ 進む 雲 の修飾語である 修飾語が長大になっても位置関係は同じで たとえば という短歌は 冒頭から ひとひらの までが 雲 に係る長い修飾語である 法律文や翻訳文などでも 長い修飾語を主語 述語の間に挟み 文意を取りにくくしていることがしばしばある たとえば 日本国憲法前文の一節に とあるが 主語 題目 の われら 述語の 信ずる の間に いづれの国家も であると という長い修飾語が介在している この種の文を読み慣れた人でなければ分かりにくい 英訳で われらは信ずる と主語 述語が隣り合うのとは対照的である もっとも 修飾語が後置される英語でも 修飾関係の分かりにくい文が現れることがある 次のような文は 袋小路文 と呼ばれる この場合 日本語の文では 馬 に係る連体修飾語 納屋のそばを走らされた が前に来ているために文構造がわかりやすいが 英語では を修飾する があとに来ているために 構造が把握しづらくなっている 具体的には この英文の途中 までしか読んでいない状況では 文の成分としての動詞 主語は は であるように感じられるが まで行き着くと 文の成分としての動詞は 文法上 これまで唯一の候補だった に加え が出てくることになり それぞれの候補ごとに 習慣的に または一般法則に従って 崩れる納屋 のそばを馬が素早く走り抜けた なのか 納屋のそばを走らされた馬が倒れた なのかを検討しなければならなくなる 名詞や動詞 形容詞といった 品詞 の概念は 上述した 文の成分 の概念とは分けて考える必要がある 名詞 犬 は 文の成分としては主語にもなれば修飾語にもなり 犬だ のように助動詞 だ を付けて述語にもなる 動詞 形容詞 形容動詞も 修飾語にもなれば述語にもなる もっとも 副詞は多く連用修飾語として用いられ また 連体詞は連体修飾語に 接続詞は接続語に 感動詞は独立語にもっぱら用いられるが 必ずしも 特定の品詞が特定の文の成分に対で対応しているわけではない では それぞれの品詞の特徴を形作るものは何かということが問題になるが これについては さまざまな説明があり 一定しない 俗に 事物を表す単語が名詞 動きを表す単語が動詞 様子を表す単語が形容詞などといわれることがあるが 例外がいくらでも挙がり 定義としては成立しない 橋本進吉は 品詞を分類するにあたり 単語の表す意味 動きを表すか様子を表すかなど には踏み込まず 主として形式的特徴によって品詞分類を行っている 橋本の考え方は初学者にも分かりやすいため 学校文法もその考え方に基づいている 学校文法では 語のうち 太陽 輝く 赤い ぎらぎら など それだけで文節を作り得るものを自立語 詞 とし ようだ です が を など 単独で文節を作り得ず 自立語に付属して用いられるものを付属語 辞 とする なお 日本語では 自立語の後に接辞や付属語を次につけ足して文法的な役割などを示すため 言語類型論上は膠着語に分類される 自立語は 活用のないものと 活用のあるものとに分けられる 自立語で活用のないもののうち 主語になるものを名詞とする 名詞のうち 代名詞 数詞を独立させる考え方もある 一方 主語にならず 単独で連用修飾語になるものを副詞 連体修飾語になるものを連体詞 副体詞 接続語になるものを接続詞 独立語としてのみ用いられるものを感動詞とする 副詞 連体詞については それぞれ一品詞とすべきかどうかについて議論があり さらに細分化する考え方や 他の品詞に吸収させる考え方などがある 自立語で活用のあるもののうち 命令形のあるものを動詞 命令形がなく終止 連体形が い で終わるものを形容詞 日本語教育では イ形容詞 連体形が な で終わるものを形容動詞 日本語教育では ナ形容詞 とする 形容動詞を一品詞として認めることについては 時枝誠記や鈴木重幸など 否定的な見方をする研究者もいる なお 名詞 および 体言 という用語は しばしば混同される 古来 ことばを分類するにあたり 活用のない語を 体言 体 活用のある語を 用言 用 そのほか 助詞 助動詞の類を てにをは と大ざっぱに称することが多かった 現在の学校文法では 用言 は活用のある自立語の意味で用いられ 動詞 形容詞 形容動詞を指す 体言 は活用のない自立語の中でも名詞 および代名詞 数詞 を指すようになった つまり 現在では 体言 と 名詞 とは同一物と見ても差し支えはないが 活用しない語という点に着目していう場合は 体言 文の成分のうち主語になりうるという点に着目していう場合は 名詞 と称する 付属語も 活用のないものと 活用のあるものとに分けられる 付属語で活用のないものを助詞と称する 春が来た 買ってくる やるしかない 分かったか などの太字部分はすべて助詞である 助詞は 名詞について述語との関係 格関係 を表す格助詞 名詞の格 の節参照 活用する語について後続部分との接続関係を表す接続助詞 種の語について 程度や限定などの意味を添えつつ後続の用言などを修飾する副助詞 文の終わりに来て疑問や詠嘆 感動 禁止といった気分や意図を表す終助詞に分けられる 鈴木重幸 高橋太郎他 鈴木康之らは助詞を単語とは認めず 付属辞 くっつき として 単語の一部とする 格助詞 並立助詞 係助詞 副助詞 終助詞の全部および接続助詞のうち し が けれども から ので のに について または語尾 接続助詞のうち て で 条件の形の ば 並べ立てるときの たり だり について 付属語で活用のあるものを助動詞と称する 気を引かれる 私は泣かない 花が笑った さあ 出かけよう 今日は来ないそうだ もうすぐ春です などの太字部分はすべて助動詞である 助動詞の最も主要な役割は 動詞 および助動詞 に付属して以下のような情報を加えることである すなわち 動詞の態 特に受け身 使役 可能など ヴォイス 極性 肯定 否定の決定 ポラリティ 時制 テンス 相 アスペクト 法 推量 断定 意志など ムード などを示す役割を持つ 山田孝雄は 助動詞を認めず 動詞から分出される語尾 複語尾 と見なしている また時枝誠記は れる られる せる させる を助動詞とせず 動詞の接尾語としている 鈴木重幸 鈴木康之 高橋太郎らは大部分の助動詞を単語とは認めない た だ う よう は 動詞の語尾であるとし ない よう ます れる られる せる させる たい そうだ ようだ は 接尾辞であるとして 単語の一部とする ようだ らしい そうだ に関しては むすび または コピュラ 繋辞 であるとする 名詞および動詞 形容詞 形容動詞は それが文中でどのような成分を担っているかを特別の形式によって表示する 名詞の場合 が を に などの格助詞を後置することで動詞との関係 格 を示す 語順によって格を示す言語ではないため 日本語は語順が比較的自由である すなわち などは 強調される語は異なるが いずれも同一の内容を表す文で しかも正しい文である 主な格助詞とその典型的な機能は次の通りである このように 格助詞は 述語を連用修飾する名詞が述語とどのような関係にあるかを示す ただし の だけは連体修飾に使われ 名詞同士の関係を示す なお 上記はあくまでも典型的な機能であり 主体を表さない が 例 水が飲みたい 対象を表さない を 例 日本を発った 到達点を表さない に 例 受動動作の主体 先生にほめられた 地位の所在 今上天皇にあらせられる 主体を表す の 例 私は彼の急いで走っているのを見た など 上記に収まらない機能を担う場合も多い 格助詞のうち が を に は 話し言葉においては脱落することが多い その場合 文脈の助けがなければ 最初に来る部分は が 格に相当すると見なされる くじらをお父さんが食べてしまった を くじら お父さん食べちゃった と助詞を抜かして言った場合は くじら が が 格相当ととらえられるため 誤解の元になる チョコレートを私が食べてしまった を チョコレート 私食べちゃった と言った場合は 文脈の助けによって誤解は避けられる なお へ と から より で などの格助詞は 話し言葉においても脱落しない 題述構造の文 文の構造 の節参照 では 特定の格助詞が は に置き換わる たとえば 空が 青い という文は 空 を題目化すると 空は 青い となる 題目化の際の は の付き方は 以下のようにそれぞれの格助詞によって異なる 格助詞は 下に来る動詞が何であるかに応じて 必要とされる種類と数が変わってくる たとえば 走る という動詞で終わる文に必要なのは が 格であり 馬が走る とすれば完全な文になる ところが 教える の場合は が 格を加えて 兄が教えています としただけでは不完全な文である さらに で 格を加え 兄が小学校で教えています 教壇に立っています とすれば完全になる つまり 教える は が で 格が必要である ところが 兄が部屋で教えています という文の場合 が で 格があるにもかかわらず なお完全な文という感じがしない 兄が部屋で弟に算数を教えています のように が に を 格が必要である むしろ で 格はなくとも文は不完全な印象はない すなわち 同じ 教える でも 教壇に立つ という意味の 教える は が で 格が必要であり 説明して分かるようにさせる という意味の 教える では が に を 格が必要である このように それぞれの文を成り立たせるのに必要な格を 必須格 という 名詞が格助詞を伴ってさまざまな格を示すのに対し 用言 動詞 形容詞 形容動詞 および助動詞は 語尾を変化させることによって 文中のどの成分を担っているかを示したり 時制 相などの情報や文の切れ続きの別などを示したりする この語尾変化を 活用 といい 活用する語を総称して 活用語 という 学校文法では 口語の活用語について つの活用形を認めている 以下 動詞 形容詞 形容動詞の活用形を例に挙げる 太字部分 一般に 終止形は述語に用いられる 選手が球を 打つ この子は 強い 消防士は 勇敢だ など 連用形は 文字通り連用修飾語にも用いられる 強く 生きる 勇敢に 突入する など ただし 選手が球を打ちました の 打ち は連用形であるが 連用修飾語ではなく この場合は述語の一部である このように 活用形と文中での役割は 対で対応しているわけではない 仮定形は 文語では已然形と称する 口語の 打てば は仮定を表すが 文語の 打てば は 已 すで に打ったので の意味を表すからである また 形容詞 形容動詞は 口語では命令形がないが 文語では 稽古は強かれ 風姿花伝 のごとく命令形が存在する 動詞の活用は種類が分かれている 口語の場合は 五段活用 上一段活用 下一段活用 カ行変格活用 カ変 サ行変格活用 サ変 の種類である ある言語の語彙体系を見渡して 特定の分野の語彙が豊富であるとか 別の分野の語彙が貧弱であるとかを決めつけることは 一概にはできない 日本語でも たとえば 自然を表す語彙が多いというのが定評 といわれるが これは人の直感から来る評判という意味以上のものではない 実際に 旧版 分類語彙表 によって分野ごとの語彙量の多寡を比べた結果によれば 名詞 体の類 のうち 人間活動 精神および行為 に属するものが 抽象的関係 が 自然物および自然現象 が などとなっていて この限りでは 自然 よりも 精神 や 行為 などを表す語彙のほうが多いことになる ただし これも 他の言語と比較して多いということではなく この結果がただちに日本語の語彙の特徴を示すことにはならない 日本語の人称はあまり固定化していない 現代語 標準語の範疇としては 一人称は わたくし わたし あたし ぼく おれ うち 自分 我 など 二人称は あなた あんた おまえ おめえ きみ などが用いられる 方言 近代語 古語まで含めるとこの限りではなく 文献上では他にも あたくし あたい わし わい わて 我が輩 おれ様 おいら われ わー わん 朕 わっし こちとら てまえ 小生 それがし 拙者 おら などの一人称 おまえさん てめえ 貴様 おのれ われ お宅 なんじ おぬし その方 貴君 貴兄 貴下 足下 貴公 貴女 貴殿 貴方 きほう などの二人称が見つかる 上の事実は 現代英語の一人称 二人称代名詞がほぼ と のみであり フランス語の一人称代名詞が 二人称代名詞が のみ またドイツ語の一人称代名詞が 二人称代名詞が のみであることと比較すれば 特徴的ということができる もっとも 日本語においても 本来の人称代名詞は 一人称に ワ レ ア レ 二人称に ナ レ があるのみである 但し ナ はもと一人称とも見られ 後述のこととも関係があるか 今日 一 二人称同様に用いられる語は その大部分が一般名詞からの転用である 一人称を示す ぼく や三人称を示す 彼女 などを ぼく 何歳 彼女 どこ行くの のように二人称に転用することが可能であるのも 日本語の人称語彙が一般名詞的であることの現れである なお 敬意表現の観点から 目上に対しては二人称代名詞の使用が避けられる傾向がある たとえば あなたは何時に出かけますか とは言わず 何時にいらっしゃいますか のように言うことが普通である 親族語彙の体系 の節も参照 また 音象徴語 いわゆるオノマトペの語彙量も日本語には豊富である オノマトペの定義は一定しないが ここでは 擬声語 擬音語のように耳に聞こえるものを写した語と 擬態語のように耳に聞こえない状態 様子などを写した語の総称として用いる 擬声語は 人や動物が立てる声を写したものである 例 おぎゃあ がおう げらげら にゃあにゃあ 擬音語は 物音を写したものである 例 がたがた がんがん ちんちん どんどん 擬態語は ものごとの様子や心理の動きなどを表したものである 例 きょろきょろ すいすい いらいら わくわく 擬態語の中で 心理を表す語を特に擬情語と称することもある オノマトペ自体は多くの言語に存在する たとえば猫の鳴き声は 英語で ドイツ語で フランス語で ロシア語で 中国語で 朝鮮語で などである しかしながら その語彙量は言語によって異なる 日本語のオノマトペは欧米語や中国語の倍から倍存在するといわれ とりわけ擬態語が多く使われるとされる 新たなオノマトペが作られることもある 心臓が ばくばく がっつり 食べる などは 近年に作られた 広まった オノマトペの例である 漫画などの媒体では とりわけ自由にオノマトペが作られる 漫画家の手塚治虫は 漫画を英訳してもらったところ ドギューン シーン などの語に翻訳者が お手あげになってしまった と記している また 漫画出版社社長の堀淵清治も アメリカで日本漫画を売るに当たり 独特の擬音を訳すのにスタッフが悩んだことを述べている 日本語の語彙を品詞ごとにみると 圧倒的に多いものは名詞である その残りのうちで比較的多いものは動詞である 新選国語辞典 の収録語の場合 名詞が 動詞が 副詞が 形容動詞が 形容詞が となっている このうち とりわけ目を引くのは形容詞の少なさである かつて柳田國男はこの点を指摘して 形容詞饑饉 と称した 英語の場合 オックスフォード英語辞典 第版では 半分以上が名詞 約分のが形容詞 約分のが動詞ということであり 英語との比較の上からは 日本語の形容詞が僅少であることは特徴的といえる ただし これは日本語で物事を形容することが難しいことを意味するものではない 品詞分類上の形容詞 すなわち 赤い 楽しい など い の形式を採る語が少ないということであって 他の形式による形容表現が多く存在する 真っ赤だ きれいだ など だ の形式を採る形容動詞 的だ を含む 初歩 の 酸性 の など 名詞 の の形式 目立つ 色 とがった 針 はやっている 店 など動詞を基にした形式 つまらない にえきらない など否定助動詞 ない を伴う形式などが形容表現に用いられる もともと少ない形容詞を補う主要な形式は形容動詞である 漢語 外来語の輸入によって 正確だ スマートだ のような 漢語 外来語 だ の形式の形容動詞が増大した 上掲の 新選国語辞典 で名詞扱いになっている漢語 外来語のうちにも 形容動詞の用法を含むものが多数存在する 現代の二字漢語 世界 研究 豊富 など 約万千語を調査した結果によれば 全体の が事物類 名詞に相当 が動態類 動詞に相当 が様態類 形容動詞に相当 が副用類 副詞に相当 であり 二字漢語の 程度が形容動詞として用いられていることが分かる 語彙の増加と品詞 の節も参照 それぞれの語は ばらばらに存在しているのではなく 意味 用法などの点で互いに関連をもったグループを形成している これを語彙体系と称する 日本語の語彙自体 一つの大きな語彙体系といえるが その中にはさらに無数の語彙体系が含まれている 以下 体系をなす語彙の典型的な例として 指示語 色彩語彙 親族語彙を取り上げて論じる 日本語では ものを指示するために用いる語彙は 一般に こそあど と呼ばれる系列をなしている これらの指示語 指示詞 は 主として名詞 これ ここ こなた こっち など であるため 概説書の類では名詞 代名詞 の説明のなかで扱われている場合も多い しかし 実際には副詞 こう など 連体詞 この など 形容動詞 こんなだ など にまたがるため ここでは語彙体系の問題として論じる こそあど の体系は 伝統的には 近称 中称 遠称 不定 ふじょう ふてい 称 の名で呼ばれた 明治時代に 大槻文彦は以下のような表を示している ここで 近称 は最も近いもの 中称 はやや離れたもの 遠称 は遠いものを指すとされた ところが そこ などを やや離れたもの を指すと考えると 遠くにいる人に向かって そこで待っていてくれ と言うような場合を説明しがたい また 自分の腕のように近くにあるものを指して 人に そこをさすってください と言うことも説明しがたいなどの欠点がある 佐久間鼎 かなえ は この点を改め こ は わ 自分 のなわばり に属するもの そ は な あなた のなわばり に属するもの あ はそれ以外の範囲に属するものを指すとした すなわち 体系は下記のようにまとめられた このように整理すれば 上述の そこで待っていてくれ そこをさすってください のような言い方はうまく説明される 相手側に属するものは 遠近を問わず そ で表されることになる この説明方法は 現在の学校教育の国語でも取り入れられている とはいえ すべての場合を佐久間説で割り切れるわけでもない たとえば 道で どちらに行かれますか と問われて ちょっとそこまで と答えたとき これは それほど遠くないところまで行く という意味であるから 大槻文彦のいう 中称 の説明のほうがふさわしい ものを無くしたとき ちょっとそのへんを探してみるよ と言うときも同様である また 目の前にあるものを直接指示する場合 現場指示 と 文章の中で前に出た語句を指示する場合 文脈指示 とでも 事情が変わってくる 生か死か それが問題だ の それ は 中称 やや離れたもの とも 相手所属のもの とも解釈しがたい 直前の内容を それ で示すものである このように 指示語の意味体系は 詳細に見れば なお研究の余地が多く残されている なお 指示の体系は言語によって異なる 不定称を除いた場合 系列をなす言語は日本語 こ そ あ や朝鮮語 などがある 一方 英語 や中国語 などは系列をなす 日本人の英語学習者が これ それ あれ に を当てはめて考えることがあるが は文脈指示の代名詞で系列が異なるため 混用することはできない 日本語で色彩を表す語彙 色彩語彙 は 古来 アカ シロ アヲ クロ の語が基礎となっている アカ は明るい色 明しの語源か シロ は顕 あき らかな色 白しの語源か アヲ は漠然とした色 淡しの語源か クロ は暗い色 暗しの語源か を総称した 今日でもこの体系は基本的に変わっていない 葉の色 空の色 顔色などをいずれも アオ と表現するのはここに理由がある 文化人類学者のバーリンとケイの研究によれば 種の言語で最も広範に用いられている基礎的な色彩語彙は 白 と 黒 であり 以下 赤 緑 が順次加わるという 日本語の色彩語彙もほぼこの法則に合っているといってよい このことは 日本語を話す人が色しか識別しないということではない 特別の色を表す場合には 黄色 語源は 木 かという 紫色 茶色 蘇芳色 浅葱色 など 植物その他の一般名称を必要に応じて転用する ただし これらは基礎的な色彩語彙ではない 日本語の親族語彙は 比較的単純な体系をなしている 英語の基礎語彙で 同じ親から生まれた者を の語のみで区別するのに比べれば 日本語では 男女 長幼によって アニ アネ オトウト イモウト の語を区別し より詳しい体系であるといえる 古代には 年上のみ アニ アネ と区別し 年下は オト と一括した しかしながら たとえば中国語の親族語彙と比較すれば はるかに単純である 中国語では 父親の父母を 母親の父母を と呼び分けるが 日本語では ジジ ババ の区別しかない 中国語では父の兄弟を 父の姉妹を 母の兄弟を 母の姉妹を などというが 日本語では オジ オバ のみである オジ オバ の子はいずれも イトコ の名で呼ばれる 日本語でも 伯父 はくふ 叔父 しゅくふ 従兄 じゅうけい 従姉 じゅうし などの語を文章語として用いることもあるが これらは中国語からの借用語である 親族語彙を他人に転用する虚構的用法が多くの言語に存在する 例えば 朝鮮語 お父様 モンゴル語 父 では尊敬する年配男性に用いる 英語でも議会などの長老やカトリック教会の神父を 父 寮母を 母 男の親友や同一宗派の男性を 兄弟 女の親友や修道女や見知らぬ女性を 姉妹 と呼ぶ 中国語では見知らぬ若い男性 女性に お兄さん お姉さん と呼びかける そして年長者では男性 女性に 旦那さん 伯母さん と呼びかける 日本語にもこの用法があり 赤の他人を お父さん お母さん と呼ぶことがある たとえば 店員が中年の男性客に お父さん さあ買ってください のように言う フランス語 イタリア語 デンマーク語 チェコ語などのヨーロッパの言語で他人である男性をこのように呼ぶことは普通ではなく 日本語で赤の他人を お父さん と呼ぶのが失礼になりうるのと同じく 失礼にさえなるという 一族内で一番若い世代から見た名称で自分や他者を呼ぶことがあるのも各国語に見られる用法である 例えば 父親が自分自身を指して お父さん と言ったり お父さんがやってあげよう 自分の母を子から見た名称で おばあちゃん と呼んだりする用法である この用法は 中国語 朝鮮語 モンゴル語 英語 フランス語 イタリア語 デンマーク語 チェコ語などを含め諸言語にある 日本語の語彙を出自から分類すれば 大きく 和語 漢語 外来語 およびそれらが混ざった混種語に分けられる このように 出自によって分けた言葉の種類を 語種 という 和語は日本古来の大和言葉 漢語は中国渡来の漢字の音を用いた言葉 外来語は中国以外の他言語から取り入れた言葉である もっとも 和語とされる ウメ 梅 ウマ 馬 カミ 紙 簡 ヱ 絵 画 などが元来中国語からの借用語であった可能性があるなど 語種の境界はときに曖昧である 語彙史 の節参照 和語は日本語の語彙の中核部分を占める これ それ きょう あす わたし あなた 行く 来る 良い 悪い などのいわゆる基礎語彙はほとんど和語である また て に を は などの助詞や 助動詞の大部分など 文を組み立てるために必要な付属語も和語である 一方 抽象的な概念や 社会の発展に伴って新たに発生した概念を表すためには 漢語や外来語が多く用いられる 和語の名称がすでにある事物を漢語や外来語で言い換えることもある めし を 御飯 ライス やどや を 旅館 ホテル などと称するのはその例である このような語種の異なる同義語には 微妙な意味 ニュアンスの差異が生まれ とりわけ和語には易しい または卑俗な印象 漢語には公的で重しい印象 外来語には新しい印象が含まれることが多い 一般に 和語の意味は広く 漢語の意味は狭いといわれる たとえば しづむ しずめる という語の和語に 沈 鎮 静 など複数の漢語の造語成分が相当する しづむ の含む多様な意味は 沈む 鎮む 静む などと漢字を用いて書き分けるようになり その結果 これらの しづむ が別の語と意識されるまでになった 字以上の漢字が組み合わさった漢語の表す意味はとりわけ分析的である たとえば 弱 という造語成分は 脆 貧 軟 薄 などの成分と結合することにより 脆弱 貧弱 軟弱 薄弱 のように分析的 説明的な単語を作る 語彙史 の節の 漢語の勢力拡大 および 語彙の増加と品詞 を参照 漢語は 学問 世界 博士 などのように 古く中国から入ってきた語彙が大部分を占めるのは無論であるが 日本人が作った漢語 和製漢語 も古来多い 現代語としても 国立 改札 着席 挙式 即答 熱演 など多くの和製漢語が用いられている 漢語は音読みで読まれることから 字音語と呼ばれる場合もある 外来語は もとの言語の意味のままで用いられるもの以外に 日本語に入ってから独自の意味変化を遂げるものが少なくない 英語の は 当然の権利として要求する の意であるが 日本語の クレーム は 文句 の意である 英語の は昼食の意であるが 日本の食堂で ランチ といえば料理の種類を指す 外来語を組み合わせて アイスキャンデー サイドミラー テーブルスピーチ のように日本語独自の語が作られることがある また 当該の語形が外国語にない パネラー パネリストの意 プレゼンテーター プレゼンテーションをする人 プレゼンター などの語形が作られることもある これらを総称して 和製洋語 英語系の語を特に 和製英語 と言う 日本語の語彙は 語構成の面からは単純語と複合語に分けることができる 単純語は あたま かお うえ した いぬ ねこ のように それ以上分けられないと意識される語である 複合語は あたまかず かおなじみ うわくちびる いぬずき のように いくつかの単純語が合わさってできていると意識される語である なお 熟語と総称される漢語は 本来漢字の字音を複合させたものであるが えんぴつ 鉛筆 せかい 世界 など 日本語において単純語と認識される語も多い 語種 の節で触れた混種語 すなわち プロ野球 草野球 日本シリーズ のように複数の語種が合わさった語は 語構成の面からはすべて複合語ということになる 日本語では 限りなく長い複合語を作ることが可能である 平成十六年新潟県中越地震非常災害対策本部 服部四郎先生定年退官記念論文集編集委員会 といった類も ひとつの長い複合語である 国際協定の関税及び貿易に関する一般協定は 英語では 関税と貿易に関する一般協定 であり ひとつの句であるが 日本の新聞では 関税貿易一般協定 と複合語で表現することがある これは漢字の結合力によるところが大きく 中国語 朝鮮語などでも同様の長い複合語を作る なお ヨーロッパ語を見ると ロシア語では 人間嫌い ドイツ語では 天然色写真 などの長い語の例を比較的多く有し 英語でも 国教廃止条例反対論 英首相グラッドストンの造語という などの語例がまれにある 接辞は 複合語を作るために威力を発揮する たとえば 感 は 音感 語感 距離感 不安感 など漢字字 字からなる複合語のみならず 透け感 懐かし感 しゃきっと感 きちんと感 など動詞 形容詞 副詞との複合語を作り さらには 昔の名前で出ています 感 昔の名前で出ているという感じ のように文であったものに下接して長い複合語を作ることもある 日本語の複合語は 難しい語でも 表記を見れば意味が分かる場合が多い たとえば 英語の は生物学者にしか分からないのに対し 日本語の 蜂食性 は 蜂を食べる性質 であると推測できる これは表記に漢字を用いる言語の特徴である 現代の日本語は 漢字 平仮名 片仮名を用いて 常用漢字 現代仮名遣いに基づいて表記されることが一般的である アラビア数字やローマ字 ラテン文字 なども必要に応じて併用される 正書法の必要性を説く主張や その反論がしばしば交わされてきた 平仮名 片仮名は 年月現在では以下の字ずつが使われる このうち 濁音符 および 半濁音符 を付けて濁音 半濁音を表す仮名もある 音韻 の節参照 拗音は小書きの ゃ ゅ ょ を添えて表し 促音は小書きの っ で表す つぁ ファ のように 小書きの ぁ ぃ ぅ ぇ ぉ を添えて表す音もあり 補助符号として長音を表す ー がある 歴史的仮名遣いでは上記のほか 表音は同じでも表記の違う 平仮名 ゐ ゑ および片仮名 ヰ ヱ の字が存在し その他にも変体仮名がある 漢字は 日常生活において必要とされる字の常用漢字と 子の名づけに用いられる字の人名用漢字が 法で定められている 実際にはこれら以外にも一般に通用する漢字の数は多いとされ 日本産業規格 は 通称漢字 として約字を電算処理可能な漢字として挙げている なお 漢字の本家である中国においても同様の基準は存在し 現代漢語常用字表により 常用字 として字 次常用字 として字が定められている これに加え 現代漢語通用字表ではさらに字が追加されている 一般的な文章では 上記の漢字 平仮名 片仮名を交えて記すほか アラビア数字 ローマ字なども必要に応じて併用する 基本的には 漢語には漢字を 和語のうち概念を表す部分 名詞や用言語幹など には漢字を 形式的要素 助詞 助動詞など や副詞 接続詞の一部には平仮名を 外来語 漢語以外 には片仮名を用いる場合が多い 公的な文書では特に表記法を規定している場合もあり 民間でもこれに倣うことがある ただし 厳密な正書法はなく 表記のゆれは広く許容されている 文章の種類や目的によって などの表記がありうる 多様な文字体系を交えて記す利点として 単語のまとまりが把握しやすく 速読性に優れるなどの点が指摘される 日本語の単純な音節構造に由来する同音異義語が漢字によって区別され かつ字数も節約されるという利点もある 計算機科学者の村島定行は 日本語では 表意文字と表音文字の二重の文章表現ができるため 記憶したり 想起したりするのに手がかりが多く 言語としての機能が高いと指摘している 一方で中国文学者の高島俊男は 漢字の表意性に過度に依存した日本語の文章は 他の自然言語に類を見ないほどの同音異義語を用いざるを得なくなり しばしば実用の上で支障を来たすことから 言語として 顚倒している と評している 歴史上 漢字を廃止して 仮名またはローマ字を国字化しようという主張もあったが 広く実行されることはなかった 国語国字問題 参照 今日では漢字 平仮名 片仮名の交ぜ書きが標準的表記の地位をえている 日本語の表記体系は中央語を書き表すために発達したものであり 方言の音韻を表記するためには必ずしも適していない たとえば 東北地方では 柿 を 鍵 を のように発音するが この両語を通常の仮名では書き分けられない アクセント辞典などで用いる表記によって近似的に記せば カギ と のようになる もっとも 方言は書き言葉として用いられることが少ないため 実際上に不便を来すことは少ない 岩手県気仙方言 ケセン語 について 山浦玄嗣により 文法形式を踏まえた正書法が試みられているというような例もある ただし これは実用のためのものというよりは 学術的な試みのひとつである 琉球語 系統 参照 の表記体系もそれを準用している たとえば 琉歌 てんさごの花 てぃんさぐぬ花 は 伝統的な表記法では次のように記す この表記法では たとえば ぐ ご がどちらも と発音されるように かな表記と発音が一対一で対応しない場合が多ある 表音的に記せば のようになるところである 漢字表記の面では 地域文字というべきものが各地に存在する たとえば 名古屋市の地名 杁中 いりなか などに使われる 杁 は 名古屋と関係ある地域の 地域文字 である また 垰 は たお たわ などと読まれる国字で 中国地方ほかで定着しているという 文は 目的や場面などに応じて さまざまな異なった様式を採る この様式のことを 書き言葉 文章 では 文体 と称し 話し言葉 談話 では 話体 と称する 日本語では とりわけ文末の助動詞 助詞などに文体差が顕著に現れる このことは ですます体 でございます体 だ体 である体 ありんす言葉 江戸 新吉原の遊女の言葉 てよだわ言葉 明治中期から流行した若い女性の言葉 などの名称に典型的に表れている それぞれの文体 話体の差は大きいが 日本語話者は 複数の文体 話体を常に切り替えながら使用している なお 文体 の用語は 書かれた文章だけではなく談話についても適用されるため 以下では 文体 に 話体 も含めて述べる また 文語文 口語文などについては 文体史 の節に譲る 日本語の文体は 大きく普通体 常体 および丁寧体 敬体 の種類に分かれる 日本語話者は日常生活で両文体を適宜使い分ける 日本語学習者は 初めに丁寧体を 次に普通体を順次学習することが一般的である 普通体は相手を意識しないかのような文体であるため独語体と称し 丁寧体は相手を意識する文体であるため対話体と称することもある 普通体と丁寧体の違いは次のように現れる 普通体では 文末に名詞 形容動詞 副詞などが来る場合には だ または である を付けた形で結ぶ 前者を特に だ体 後者を特に である体 と呼ぶこともある 丁寧体では 文末に名詞 形容動詞 副詞などが来る場合には 助動詞 です を付けた形で結ぶ 動詞が来る場合には ます を付けた形で結ぶ ここから 丁寧体を ですます体 と呼ぶこともある 丁寧の度合いをより強め です の代わりに でございます を用いた文体を 特に でございます体 と呼ぶこともある 丁寧体は 敬語の面からいえば丁寧語を用いた文体のことである なお 文末に形容詞が来る場合にも です で結ぶことはできるが 花が美しく咲いています 花が美しゅうございます などと言い です を避けることがある 談話の文体 話体 は 話し手の性別 年齢 職業 場面など 位相の違いによって左右される部分が大きい ごはんを食べてきました という丁寧体は 話し手の属性によって たとえば 次のような変容がある このように異なる言葉遣いのそれぞれを位相語と言い それぞれの差を位相差という 物語作品やメディアにおいて 位相が極端にステレオタイプ化されて現実と乖離したり あるいは書き手などが仮想的 バーチャル な位相を意図的に作り出したりする場合がある このような言葉遣いを 役割語 と称することがある 例えば以下の文体は 実際の性別 博士 令嬢 地方出身者などの一般的な位相を反映したものではないものの 小説 漫画 アニメ ドラマなどで 仮想的にそれらしい感じを与える文体として広く観察される これは現代に始まったものではなく 近世や近代の文献にも役割語の例が認められる 仮名垣魯文 西洋道中膝栗毛 に現れる外国人らしい言葉遣いなど 日本語では 待遇表現が文法的 語彙的な体系を形作っている とりわけ 相手に敬意を示す言葉 敬語 において顕著である 敬語は日本にしかない と言われることがあるが 日本と同様に敬語が文法的 語彙的体系を形作っている言語としては 朝鮮語 ジャワ語 ベトナム語 チベット語 ベンガル語 タミル語などがあり 尊敬 謙譲 丁寧の区別もある 朝鮮語ではたとえば動詞 ネダ 出す は 敬語形 ネシダ 出される ネムニダ 出します の形を持つ 敬語体系は無くとも 敬意を示す表現自体は さまざまな言語に広く観察される 相手を敬い 物を丁寧に言うことは 発達した社会ならばどこでも必要とされる そうした言い方を習得することは どの言語でも容易でない 金田一京助などによれば 現代日本語の敬語に特徴的なのは次の点である 朝鮮語など他の言語の敬語では たとえば自分の父親はいかなる状況でも敬意表現の対象であり 他人に彼のことを話す場合も 私のお父様は という絶対的敬語を用いるが 日本語では自分の身内に対する敬意を他人に表現することは憚られ 私の父は のように表現しなければならない ただし皇室では絶対敬語が存在し 皇太子は自分の父親のことを 天皇陛下は と表現する どんな言語も敬意を表す表現を持っているが 日本語や朝鮮語などはそれが文法体系となっているため 表現 言語行動のあらゆる部分に 高度に組織立った体系が出来上がっている そのため 敬意の種類や度合いに応じた表現の選択肢が予め用意されており 常にそれらの中から適切な表現を選ばなくてはならない 以下 日本語の敬語体系および敬意表現について述べる 日本語の敬語体系は 一般に 大きく尊敬語 謙譲語 丁寧語に分類される 文化審議会国語分科会は 年月に 敬語の指針 を答申し これに丁重語および美化語を含めた分類を示している 尊敬語は 動作の主体を高めることで 主体への敬意を表す言い方である 動詞に お ご になる を付けた形 また 助動詞 ら れる を付けた形などが用いられる たとえば 動詞 取る の尊敬形として 先生が お取りになる 先生が 取られる などが用いられる 語によっては 特定の尊敬語が対応するものもある たとえば 言う の尊敬語は おっしゃる 食べる の尊敬語は 召し上がる 行く 来る いる の尊敬語は いらっしゃる である 謙譲語は 古代から基本的に動作の客体への敬意を表す言い方であり 現代では 動作の主体を低める と解釈するほうがよい場合がある 動詞に お する お いたします 謙譲語 丁寧語 をつけた形などが用いられる たとえば 取る の謙譲形として お取りする などが用いられる 語によっては 特定の謙譲語が対応するものもある たとえば 言う の謙譲語は 申し上げる 食べる の謙譲語は いただく 相手の所に 行く の謙譲語は 伺う 参上する まいる である なお 夜も更けてまいりました の まいり など 謙譲表現のようでありながら 誰かを低めているわけではない表現がある これは 夜も更けてきた という話題を丁重に表現することによって 聞き手への敬意を表すものである 宮地裕は この表現に使われる語を 特に 丁重語 と称している 丁重語にはほかに いたし マス 申し マス 存じ マス 小生 小社 弊社 などがある 文化審議会の 敬語の指針 でも 明日から海外へまいります の まいり のように 相手とは関りのない自分側の動作を表現する言い方を丁重語としている 丁寧語は 文末を丁寧にすることで 聞き手への敬意を表すものである 動詞 形容詞の終止形で終わる常体に対して 名詞 形容動詞語幹などに です を付けた形 学生です きれいです や 動詞に ます をつけた形 行きます 分かりました 等の丁寧語を用いた文体を敬体という 一般に 目上の人には丁寧語を用い 同等 目下の人には丁寧語を用いないといわれる しかし 実際の言語生活に照らして考えれば これは事実ではない 母が子を叱るとき お母さんはもう知りませんよ と丁寧語を用いる場合もある 丁寧語が用いられる多くの場合は 敬意や謝意の表現とされるが 稀に一歩引いた心理的な距離をとろうとする場合もある お弁当 ご飯 などの お ご も 広い意味では丁寧語に含まれるが 宮地裕は特に 美化語 と称して区別する 相手への丁寧の意を示すというよりは 話し手が自分の言葉遣いに配慮した表現である したがって お弁当食べようよ のように 丁寧体でない文でも美化語を用いることがある 文化審議会の 敬語の指針 でも 美化語 を設けている 日本語で敬意を表現するためには 文法 語彙の敬語要素を知っているだけではなお不十分であり 時や場合など種の要素に配慮した適切な表現が必要である これを敬意表現 敬語表現 ということがある たとえば 課長もコーヒーをお飲みになりたいですか は 尊敬表現 お飲みになる を用いているが 敬意表現としては適切でない 日本語では相手の意向を直接的に聞くことは失礼に当たるからである コーヒーはいかがですか のように言うのが適切である 第期国語審議会 年 は このような敬意表現の重要性を踏まえて 現代社会における敬意表現 を答申した 婉曲表現の一部は 敬意表現としても用いられる たとえば 相手に窓を開けてほしい場合は 命令表現によらずに 窓を開けてくれる などと問いかけ表現を用いる あるいは 今日は暑いねえ とだけ言って 窓を開けてほしい気持ちを含意することもある 日本人が商取引で 考えさせてもらいます という場合は拒絶の意味であると言われる 英語でも 誘ってくれてありがとう とは誘いを断る表現である また 京都では 京都弁で帰りがけの客にその気がないのに ぶぶづけ お茶漬け でもあがっておいきやす と愛想を言うとされる 出典は落語 京のぶぶづけ 京の茶漬け よるという これらは 相手の気分を害さないように工夫した表現という意味では 広義の敬意表現と呼ぶべきものであるが その呼吸が分からない人との間に誤解を招くおそれもある 日本語には多様な方言がみられ それらはいくつかの方言圏にまとめることができる どのような方言圏を想定するかは 区画するために用いる指標によって少なからず異なる 東条操は 全国で話されている言葉を大きく東部方言 西部方言 九州方言および琉球方言に分けている またそれらは 北海道 東北 関東 八丈島 東海東山 北陸 近畿 中国 雲伯 出雲 伯耆 四国 豊日 豊前 豊後 日向 肥筑 筑紫 肥前 肥後 薩隅 薩摩 大隅 奄美群島 沖縄諸島 先島諸島に区画された これらの分類は 今日でもなお一般的に用いられる なお このうち奄美 沖縄 先島の言葉は 日本語の一方言 琉球方言 とする立場と 独立言語として琉球語とする立場とがある また 金田一春彦は 近畿 四国を主とする内輪方言 関東 中部 中国 九州北部の一部を主とする中輪方言 北海道 東北 九州の大部分を主とする外輪方言 沖縄地方を主とする南島方言に分類した この分類は アクセントや音韻 文法の特徴が畿内を中心に輪を描くことに着目したものである このほか 幾人かの研究者により方言区画案が示されている 一つの方言区画の内部も変化に富んでいる たとえば 奈良県は近畿方言の地域に属するが 十津川村や下北山村周辺ではその地域だけ東京式アクセントが使われ さらに下北山村池原にはまた別体系のアクセントがあって東京式の地域に取り囲まれている 香川県観音寺市伊吹町 伊吹島 では 平安時代のアクセント体系が残存しているといわれる 異説もある これらは特に顕著な特徴を示す例であるが どのような狭い地域にも その土地としての言葉の体系がある したがって どの地点のことばも 等しく記録に価する ものである 一般に 方言差が話題になるときには 文法の東西の差異が取り上げられることが多い 東部方言と西部方言との間には およそ次のような違いがある 否定辞に東で ナイ 西で ン を用いる 完了形には 東で テル を 西で トル を用いる 断定には 東で ダ を 西で ジャ または ヤ を用いる アワ行五段活用の動詞連用形は 東では カッタ 買 と促音便に 西では コータ とウ音便になる 形容詞連用形は 東では ハヤク ナル のように非音便形を用いるが 西では ハヨー ナル のようにウ音便形を用いるなどである 方言の東西対立の境界は 画然と引けるものではなく どの特徴を取り上げるかによって少なからず変わってくる しかし おおむね 日本海側は新潟県西端の糸魚川市 太平洋側は静岡県浜名湖が境界線 糸魚川 浜名湖線 とされることが多い 糸魚川西方には難所親不知があり その南には日本アルプスが連なって東西の交通を妨げていたことが 東西方言を形成した一因とみられる 日本語のアクセントは 方言ごとの違いが大きい 日本語のアクセント体系はいくつかの種類に分けられるが 特に広範囲で話され話者数も多いのは東京式アクセントと京阪式アクセントのつである 東京式アクセントは下がり目の位置のみを弁別するが 京阪式アクセントは下がり目の位置に加えて第拍の高低を弁別する 一般にはアクセントの違いは日本語の東西の違いとして語られることが多いが 実際の分布は単純な東西対立ではなく 東京式アクセントは概ね北海道 東北地方北部 関東地方西部 甲信越地方 東海地方の大部分 中国地方 四国地方南西部 九州北東部に分布しており 京阪式アクセントは近畿地方 四国地方のそれぞれ大部分と北陸地方の一部に分布している すなわち 近畿地方を中心とした地域に京阪式アクセント地帯が広がり その東西を東京式アクセント地域が挟む形になっている 日本語の標準語 共通語のアクセントは 東京の山の手言葉のものを基盤にしているため東京式アクセントである 九州西南部や沖縄の一部には型の種類が種類になっている二型アクセントが分布し 宮崎県都城市などには型の種類が種類になっている一型アクセントが分布する また 岩手県雫石町や山梨県早川町奈良田などのアクセントは 音の下がり目ではなく上がり目を弁別する これら有アクセントの方言に対し 東北地方南部から関東地方北東部にかけての地域や 九州の東京式アクセント地帯と二型アクセント地帯に挟まれた地域などには 話者にアクセントの知覚がなく どこを高くするという決まりがない無アクセント 崩壊アクセント の地域がある これらのアクセント大区分の中にも様な変種があり さらにそれぞれの体系の中間型や別派なども存在する 花が が東京で 低高低 京都で 高低低 と発音されるように 単語のアクセントは地方によって異なる ただし それぞれの地方のアクセント体系は互いにまったく無関係に成り立っているのではない 多くの場合において規則的な対応が見られる たとえば 花が 山が 池が を東京ではいずれも 低高低 と発音するが 京都ではいずれも 高低低 と発音し 水が 鳥が 風が は東京ではいずれも 低高高 と発音するのに対して京都ではいずれも 高高高 と発音する また 松が 空が 海が は東京ではいずれも 高低低 と発音されるのに対し 京都ではいずれも 低低高 と発音される このように ある地方で同じアクセントの型にまとめられる語群 類と呼ぶ は 他の地方でも同じ型に属することが一般的に観察される この事実は 日本の方言アクセントが 過去の同一のアクセント体系から分かれ出たことを意味する 服部四郎はこれを原始日本語のアクセントと称し これが分岐し互いに反対の方向に変化して 東京式と京阪式を生じたと考えた 現在有力な説は 院政期の京阪式アクセント 名義抄式アクセント が日本語アクセントの祖体系で 現在の諸方言アクセントのほとんどはこれが順次変化を起こした結果生じたとするものである 金田一春彦や奥村三雄 一方で 地方の無アクセントと中央の京阪式アクセントの接触で諸方言のアクセントが生じたとする説 山口幸洋 もある 発音の特徴によって本土方言を大きく区分すると 表日本方言 裏日本方言 薩隅 鹿児島 式方言に分けることができる 表日本方言は共通語に近い音韻体系を持つ 裏日本式の音韻体系は 東北地方を中心に 北海道沿岸部や新潟県越後北部 関東北東部 茨城県 栃木県 と とんで島根県出雲地方を中心とした地域に分布する その特徴は イ段とウ段の母音に中舌母音を用いることと エが狭くイに近いことである 関東のうち千葉県や埼玉県東部などと 越後中部 佐渡 富山県 石川県能登の方言は裏日本式と表日本式の中間である また薩隅式方言は 大量の母音脱落により閉音節を多く持っている点で他方言と対立している 薩隅方言以外の九州の方言は 薩隅式と表日本式の中間である 音韻の面では 母音の う を 東日本 北陸 出雲付近では中舌寄りで非円唇母音 唇を丸めない の または で 西日本一般では奥舌で円唇母音の で発音する また 母音は 東日本や北陸 出雲付近 九州で無声化しやすく 東海 近畿 中国 四国では無声化しにくい またこれとは別に 近畿 四国 北陸 とそれ以外での対立がある 前者は京阪式アクセントの地域であるが この地域ではアクセント以外にも 木 を きい 目 を めえ のように一音節語を伸ばして二拍に発音し また 赤い あけー のような連母音の融合が起こらないという共通点がある また 西日本 九州 山陰 北陸除く は母音を強く子音を弱く発音し 東日本や九州は子音を強く母音を弱く発音する傾向がある 母音の数は 奈良時代およびそれ以前には現在よりも多かったと考えられる 橋本進吉は 江戸時代の上代特殊仮名遣いの研究を再評価し 記紀や 万葉集 などの万葉仮名において き ひ み け へ め こ そ と の も よ ろ の表記に種類の仮名が存在することを指摘した 甲類 乙類と称する も は 古事記 のみで区別される 橋本は これらの仮名の区別は音韻上の区別に基づくもので 特に母音の差によるものと考えた 橋本の説は 後続の研究者らによって 母音の数がアイウエオ五つでなく 合計八を数えるもの という母音説と受け取られ 定説化した 異説として 服部四郎の母音説などがある 母音の区別は平安時代にはなくなり 現在のように母音になったとみられる なお 上代日本語の語彙では 母音の出現の仕方がウラル語族やアルタイ語族の母音調和の法則に類似しているとされる は行 の子音は 奈良時代以前には であったとみられる すなわち はな 花 は パナ のように発音された可能性がある は遅くとも平安時代初期には無声両唇摩擦音 に変化していた すなわち はな は ファナ となっていた 中世末期に ローマ字で当時の日本語を記述したキリシタン資料が多く残されているが そこでは は行 の文字が で転写されており 当時の は行 は ファ フィ フ フェ フォ に近い発音であったことが分かる 中世末期から江戸時代にかけて は行 の子音は から へ移行した ただし ふ は のままに ひ は になった 現代でも引き続きこのように発音されている このように は行 子音はおおむね と唇音が衰退する方向で推移した 唇音の衰退する例は ハ行転呼の現象 は行 わ行 すなわち の変化 にも見られる また 関西で う を唇を丸めて発音する 円唇母音 のに対し 関東では唇を丸めずに発音するが これも唇音退化の例ととらえることができる や行 の え の音が古代に存在したことは あ行 の え の仮名と別の文字で書き分けられていたことから明らかである 平安時代初期に成立したと見られる 天地の詞 には え がつ含まれており あ行 と や行 の区別を示すものと考えられる この区別は世紀の頃にはなくなっていたとみられ 年成立の 口遊 に収録される 大為爾の歌 では あ行 の え しかない この頃には あ行 と や行 の え の発音はともに になっていた 次節参照 が行 の子音は 語中 語尾ではいわゆる鼻濁音 ガ行鼻音 の であった 鼻濁音は 近代に入って急速に勢力を失い 語頭と同じ破裂音の または摩擦音の に取って代わられつつある 今日 鼻濁音を表記する時は か行 の文字に半濁点を付して のように書くこともある じ ぢ ず づ の四つ仮名は 室町時代前期の京都ではそれぞれ と発音されていたが 世紀初め頃に ち ぢ が口蓋化し つ づ が破擦音化した結果 ぢ づ の発音がそれぞれ となり じ ず の音に近づいた 世紀末のキリシタン資料ではそれぞれ など異なるローマ字で表されており 当時はまだ発音の区別があったことが分かるが 当時既に混同が始まっていたことも記録されている 世紀末頃には発音の区別は京都ではほぼ消滅したと考えられている 今も区別している方言もある せ ぜ は で表記されており 現在の シェ ジェ に当たる であったことも分かっている 関東では室町時代末にすでに の発音であったが これはやがて西日本にも広がり 世紀中頃には京都でも一般化した 現在は東北や九州などの一部に が残っている 平安時代以降 語中 語尾の は行 音が わ行 音に変化するハ行転呼が起こった たとえば かは 川 かひ 貝 かふ 買 かへ 替 かほ 顔 は それまで であったものが になった はは 母 も キリシタン資料では ハワ と記された例があるなど 他の語と同様にハ行転呼が起こっていたことが知られる 平安時代末頃には が同一に帰した が同音になったのは世紀末頃 とが同音になったのは世紀末頃と考えられている 藤原定家の 下官集 世紀 では お を い ゐ ひ え ゑ へ の仮名の書き分けが問題になっている 当時の発音は は現在の イ は イェ は ウォ のようであった 平安時代から 発音を簡便にするために単語の音を変える音便現象が少しずつ見られるようになった 次 つ ぎて を 次いで とするなどのイ音便 詳 くは しくす を 詳しうす とするなどのウ音便 発 た ちて を 発って とするなどの促音便 飛びて を 飛んで とするなどの撥音便が現れた 源氏物語 にも いみじく を いみじう とするなどのウ音便が多く また 少数ながら 苦しき を 苦しい とするなどのイ音便の例も見出される 鎌倉時代以降になると 音便は口語では盛んに用いられるようになった 中世には 差して を 差いて 挟みて を 挟うで 及びて を 及うで などのように 今の共通語にはない音便形も見られた これらの形は 今日でも各地に残っている 鎌倉時代 室町時代には連声 れんじょう の傾向が盛んになった 撥音または促音の次に来た母音 半母音が な行 音 ま行 音 た行 音に変わる現象で たとえば 銀杏は ギン アン で ギンナン 雪隠は セッ イン で セッチン となる 助詞 は ワ と前の部分とが連声を起こすと 人間は ニンゲンナ 今日は コンニッタ となった また この時代には 中央 の 央 など アウ の音が合して長母音 になり 応対 の 応 など オウ の音が になった カウ コウ など頭子音が付いた場合も同様 口をやや開ける前者を開音 口をすぼめる後者を合音と呼ぶ また イウ エウ などの二重母音は という拗長音に変化した 開合 の区別は次第に乱れ 江戸時代には合一して今日の オー になった 京都では 一般の話し言葉では世紀に開合の区別は失われた しかし方言によっては今も開合の区別が残っているものもある 漢語が日本で用いられるようになると 古来の日本に無かった合拗音 クヮ グヮ クヰ グヰ クヱ グヱ の音が発音されるようになった これらは などという発音であり キクヮイ 奇怪 ホングヮン 本願 ヘングヱ 変化 のように用いられた 当初は外来音の意識が強かったが 平安時代以降は普段の日本語に用いられるようになったとみられる ただし クヰ グヰ クヱ グヱ の寿命は短く 世紀には キ ギ ケ ゲ に統合された クヮ グヮ は中世を通じて使われていたが 室町時代にはすでに カ ガ との間で混同が始まっていた 江戸時代には混同が進んでいき 江戸では世紀中頃には直音の カ ガ が一般化した ただし一部の方言には今も残っている 漢語は平安時代頃までは原語である中国語に近く発音され 日本語の音韻体系とは別個のものと意識されていた 入声韻尾の 鼻音韻尾の なども原音にかなり忠実に発音されていたと見られる 鎌倉時代には漢字音の日本語化が進行し はウに統合され 韻尾の と の混同も世紀に一般化し 撥音の に統合された 入声韻尾の は開音節化してキ クと発音されるようになり も フ を経てウで発音されるようになった は開音節化したチ ツの形も現れたが 子音終わりの の形も世紀末まで並存して使われていた 室町時代末期のキリシタン資料には 仏滅 罰 などの語形が記録されている 江戸時代に入ると開音節の形が完全に一般化した 近代以降には 外国語 特に英語 の音の影響で新しい音が使われ始めた 比較的一般化した シェ チェ ツァ ツェ ツォ ティ ファ フィ フェ フォ ジェ ディ デュ などの音に加え 場合によっては イェ ウィ ウェ ウォ クァ クィ クェ クォ ツィ トゥ グァ ドゥ テュ フュ などの音も使われる これらは 子音 母音のそれぞれを取ってみれば 従来の日本語にあったものである ヴァ ヴィ ヴ ヴェ ヴォ ヴュ のように これまで無かった音は 書き言葉では書き分けても 実際に発音されることは少ない 動詞の活用種類は 平安時代には種類であった すなわち 四段 上一段 上二段 下一段 下二段 カ変 サ変 ナ変 ラ変に分かれていた これが時代とともに統合され 江戸時代には種類に減った 上二段は上一段に 下二段は下一段にそれぞれ統合され ナ変 死ぬ など ラ変 有り など は四段に統合された これらの変化は 古代から中世にかけて個別的に起こった例もあるが 顕著になったのは江戸時代に入ってからのことである ただし ナ変は近代に入ってもなお使用されることがあった このうち 最も規模の大きな変化は二段活用の一段化である 二段 一段の統合は 室町時代末期の京阪地方では まだまれであった 関東では比較的早く完了した それでも 江戸時代前期には京阪でも見られるようになり 後期には一般化した すなわち 今日の 起きる は 平安時代には き き く くる くれ きよ のように き く の段に活用したが 江戸時代には き き きる きる きれ きよ きろ のように き の段だけで活用するようになった また 今日の 明ける は 平安時代には け く の段に活用したが 江戸時代には け の段だけで活用するようになった しかも この変化の過程では 終止 連体形の合一が起こっているため 鎌倉 室町時代頃には 前後の時代とは異なった活用の仕方になっている 次に時代ごとの活用を対照した表を掲げる 形容詞は 平安時代には く く し き けれ から かり かる かれ のように活用したク活用と しく しく し しき しけれ しから しかり しかる しかれ のシク活用が存在した この区別は 終止 連体形の合一とともに消滅し 形容詞の活用種類は一つになった 今日では 文法用語の上で 四段活用が五段活用 実質的には同じ と称され 已然形が仮定形と称されるようになったものの 活用の種類および活用形は基本的に江戸時代と同様である かつての日本語には 係り結びと称される文法規則があった 文中の特定の語を ぞ なむ や か こそ などの係助詞で受け かつまた 文末を連体形 ぞ なむ や か の場合 または已然形 こそ の場合 で結ぶものである 奈良時代には こそ も連体形で結んだ 係り結びをどう用いるかによって 文全体の意味に明確な違いが出た たとえば 山里は 冬 寂しさ増さりけり という文において 冬 という語を ぞ で受けると 山里は冬ぞ寂しさ増さりける 古今集 という形になり 山里で寂しさが増すのは ほかでもない冬だ と告知する文になる また仮に 山里 を ぞ で受けると 山里ぞ冬は寂しさ増さりける という形になり 冬に寂しさが増すのは ほかでもない山里だ と告知する文になる ところが 中世には ぞ こそ などの係助詞は次第に形式化の度合いを強め 単に上の語を強調する意味しか持たなくなった そうなると 係助詞を使っても 文末を連体形または已然形で結ばない例も見られるようになる また 逆に 係助詞を使わないのに 文末が連体形で結ばれる例も多くなってくる こうして 係り結びは次第に崩壊していった 今日の口語文には 規則的な係り結びは存在しない ただし 貧乏でこそあれ 彼は辛抱強い 進む道こそ違え 考え方は同じ のような形で化石的に残っている 活用語のうち 四段活用以外の動詞 形容詞 形容動詞および多くの助動詞は 平安時代には 終止形と連体形とが異なる形態を採っていた たとえば 動詞は 対面す 終止形 と 対面する とき 連体形 のようであった ところが 係り結びの形式化とともに 上に係助詞がないのに文末を連体形止め 対面する にする例が多く見られるようになった たとえば 源氏物語 には などの言い方があるが 本来ならば 見おろさる の形で終止すべきものである このような例は 中世には一般化した その結果 動詞 形容詞および助動詞は 形態上 連体形と終止形との区別がなくなった 形容動詞は 終止形 連体形活用語尾がともに なる になり さらに語形変化を起こして な となった たとえば 辛労なり は 終止形 連体形とも 辛労な となった もっとも 終止形には むしろ にてある から来た ぢや が用いられることが普通であった したがって 終止形は 辛労ぢや 連体形は 辛労な のようになった ぢや は主として上方で用いられ 東国では だ が用いられた 今日の共通語も東国語の系統を引いており 終止形語尾は だ 連体形語尾は な となっている このことは 用言の活用に連体形 終止形の両形を区別すべき根拠の一つとなっている 文語の終止形が化石的に残っている場合もある 文語の助動詞 たり なり の終止形は 今日でも並立助詞として残り 行ったり来たり 大なり小なり といった形で使われている 今日 漢字が書ける 酒が飲める などと用いる いわゆる可能動詞は 室町時代には発生していた この時期には 読む から 読むる 読むことができる が 持つ から 持つる 持つことができる が作られるなど 四段活用の動詞を元にして 可能を表す下二段活用の動詞が作られ始めた これらの動詞は やがて一段化して 読める 持てる のような語形で用いられるようになった これらの可能動詞は 江戸時代前期の上方でも用いられ 後期の江戸では普通に使われるようになった 従来の日本語にも 刀を 抜く時 に対して 刀が自然に 抜くる時 抜ける時 のように 四段動詞の 抜く と下二段動詞の 抜く 抜ける とが対応する例は多く存在した この場合 後者は 自然にそうなる という自然生起 自発 を表した そこから類推した結果 文字を読む に対して 文字が読むる 読める などの可能動詞が出来上がったものと考えられる 近代以降 とりわけ大正時代以降には この語法を四段動詞のみならず一段動詞にも及ぼす いわゆる ら抜き言葉 が広がり始めた 見られる を 見れる 食べられる を 食べれる 来られる を 来れる 居 い られる を 居 い れる という類である この語法は 地方によっては早く一般化し 第二次世界大戦後には全国的に顕著になっている 受け身の表現において 人物以外が主語になる例は 近代以前には乏しい もともと 日本語の受け身表現は 自分の意志ではどうにもならない 自然生起 の用法の一種であった したがって 物が受け身表現の主語になることはほとんどなかった 枕草子 の にくきもの に とある例などは 受け身表現と解することもできるが むしろ自然の状態を観察して述べたものというべきものである 一方 この橋は多くの人によって造られた 源氏物語は紫式部によって書かれた のような言い方は 古くは存在しなかったと見られる これらの受け身は 状態を表すものではなく 事物が人から働き掛けを受けたことを表すものである この橋は多くの人によって造られた 式の受け身は 英語などの欧文脈を取り入れる中で広く用いられるようになったと見られる 明治時代には のような欧文風の受け身が用いられている 漢語 中国語の語彙 が日本語の中に入り始めたのはかなり古く 文献以前の時代にさかのぼると考えられる 今日和語と扱われる ウメ 梅 ウマ 馬 なども 元は漢語からの借用語であった可能性がある 当初 漢語は一部の識字層に用いられ それ以外の大多数の日本人は和語 大和言葉 を使うという状況であったと推測される しかし 中国の文物 思想の流入や仏教の普及などにつれて 漢語は徐に一般の日本語に取り入れられていった 鎌倉時代最末期の 徒然草 では 漢語及び混種語 漢語と和語の混交 は 異なり語数で全体の を占めるに至っている ただし 延べ語数では に過ぎず 語彙の大多数は和語が占める 幕末の和英辞典 和英語林集成 の見出し語でも 漢語はなお ほどに止まっている 漢語が再び勢力を伸張したのは幕末から明治時代にかけてである 電信 鉄道 政党 主義 哲学 その他 西洋の文物を漢語により翻訳した 新漢語 古典中国語にない語を特に和製漢語という 幕末の 都鄙新聞 の記事によれば 京都祇園の芸者も漢語を好み 霖雨ニ盆池ノ金魚ガ脱走シ 火鉢ガ因循シテヰル 長雨で池があふれて金魚がどこかへ行った 火鉢の火がなかなかつかない などと言っていたという 二葉亭四迷の 浮雲 の中では お勢という女学生が と 漢語の理解できない下女を見下す様子が描かれている 漢語の勢力は今日まで拡大を続けている 雑誌調査では 延べ語数 異なり語数ともに和語を上回り 全体の半数近くに及ぶまでになっている 語種 参照 漢語を除き 他言語の語彙を借用することは 古代にはそれほど多くなかった このうち 梵語の語彙は 多く漢語に取り入れられた後に 仏教と共に日本に伝えられた 娑婆 檀那 曼荼羅 などがその例である また 今日では和語と扱われる ほとけ 仏 かわら 瓦 なども梵語由来であるとされる 西洋語が輸入され始めたのは 中世にキリシタン宣教師が来日した時期以降である 室町時代には ポルトガル語から カステラ コンペイトウ サラサ ジュバン タバコ バテレン ビロード などの語が取り入れられた メリヤス など一部スペイン語も用いられた 江戸時代にも カッパ 合羽 カルタ チョッキ パン ボタン などのポルトガル語 エニシダ などのスペイン語が用いられるようになった また 江戸時代には 蘭学などの興隆とともに アルコール エレキ ガラス コーヒー ソーダ ドンタク などのオランダ語が伝えられた 幕末から明治時代以後には 英語を中心とする外来語が急増した ステンション 駅 テレガラフ 電信 など 今日では普通使われない語で 当時一般に使われていたものもあった 坪内逍遥 当世書生気質 には書生のせりふの中に 我輩の時計 ウオツチ ではまだ十分 テンミニツ 位あるから 急いて行きよつたら 大丈夫ぢゃらう 想ふに又貸とは遁辞 プレテキスト で 七 セブン 質屋 へ典 ポウン した歟 か 売 セル したに相違ない などという英語が多く出てくる このような語のうち 日本語として定着した語も多い 第二次世界大戦が激しくなるにつれて 外来語を禁止または自粛する風潮も起こったが 戦後はアメリカ発の外来語が爆発的に多くなった 現在では 報道 交通機関 通信技術の発達により 新しい外来語が瞬時に広まる状況が生まれている 雑誌調査では 異なり語数で外来語が を超えるという結果が出ており 現代語彙の中で欠くことのできない存在となっている 語種 参照 漢語が日本語に取り入れられた結果 名詞 サ変動詞 形容動詞の語彙が特に増大することになった 漢語は活用しない語であり 本質的には体言 名詞 として取り入れられたが す をつければサ変動詞 例 祈念す なり をつければ形容動詞 例 神妙なり として用いることができた 漢語により 厳密な概念を簡潔に表現することが可能になった 一般に 和語は一語が広い意味で使われる たとえば とる という動詞は 資格をとる 栄養をとる 血液をとる 新人をとる 映画をとる のように用いられる ところが 漢語を用いて 取得する 取得す 摂取する 採取する 採用する 撮影する などと さまざまなサ変動詞で区別して表現することができるようになった また 日本語の きよい きよし という形容詞は意味が広いが 漢語を用いて 清潔だ 清潔なり 清浄だ 清澄だ 清冽だ 清純だ などの形容動詞によって厳密に表現することができるようになった 外来語は 漢語ほど高い造語力を持たないものの 漢語と同様に 特に名詞 サ変動詞 形容動詞の部分で日本語の語彙を豊富にした インキ バケツ テーブル など名詞として用いられるほか する を付けて スケッチする サービスする などのサ変動詞として また だ をつけて ロマンチックだ センチメンタルだ などの形容動詞として用いられるようになった 漢語 外来語の増加によって 形容詞と形容動詞の勢力が逆転した 元来 和語には形容詞 形容動詞ともに少なかったが 数の上では 形容詞が形容表現の中心であり 形容動詞がそれを補う形であった 万葉集 では名詞 動詞 形容詞 形容動詞 であり 源氏物語 でも名詞 動詞 形容詞 形容動詞 であった いずれも異なり語数 ところが 漢語 外来語を語幹とした形容動詞が漸増したため 現代語では形容動詞が形容詞を上回るに至っている 品詞ごとの語彙量 の節参照 ただし 一方で漢語 外来語に由来する名詞 サ変動詞なども増えているため 語彙全体から見ればなお形容詞 形容動詞の割合は少ない 形容詞の造語力は今日ではほとんど失われており 近代以降のみ確例のある新しい形容詞は 甘酸っぱい 黄色い 四角い 粘っこい などわずかにすぎない 一方 形容動詞は今日に至るまで高い造語力を保っている 特に 科学的だ 人間的だ など接尾語 的 を付けた語の大多数や エレガントだ クリーンだ など外来語に由来するものは近代以降の新語である しかも 新しい形容動詞の多くは漢語 外来語を語幹とするものである 現代雑誌の調査によれば 形容動詞で語種のはっきりしているもののうち 和語は割ほどであり 漢語は割強 外来語は割強という状況である 元来 日本に文字と呼べるものはなく 言葉を表記するためには中国渡来の漢字を用いた いわゆる神代文字は後世の偽作とされている 漢字の記された遺物の例としては 世紀のものとされる福岡市出土の 漢委奴国王印 などもあるが 本格的に使用されたのはより後年とみられる 古事記 によれば 応神天皇の時代に百済の学者王仁が 論語十巻 千字文一巻 を携えて来日したとある 稲荷山古墳出土の鉄剣銘 世紀 には 雄略天皇と目される人名を含む漢字が刻まれている 隅田八幡神社鏡銘 世紀 は純漢文で記されている このような史料から 大和政権の勢力伸長とともに漢字使用域も拡大されたことが推測される 世紀 世紀になると儒教 仏教 道教などについて漢文を読む必要が出てきたため識字層が広がった 漢字で和歌などの大和言葉を記す際 波都波流能 はつはるの のように日本語の音音を漢字の音 または訓 を借りて写すことがあった この表記方式を用いた資料の代表が 万葉集 世紀 であるため この表記のことを 万葉仮名 という すでに世紀中頃の木簡に例が見られる 僧侶や学者らが漢文を訓読する際には 漢字の隅に点を打ち その位置によって て に を は などの助詞その他を表すことがあった ヲコト点 しかし 次第に万葉仮名を添えて助詞などを示すことが一般化した やがて それらは 字画の省かれた簡略な片仮名になった 平仮名も 片仮名も 発生当初から つの音価に対して複数の文字が使われていた たとえば 当時の発音は に当たる平仮名としては 波 者 八 などを字源とするものがあった 年 明治年 に 小学校令施行規則 が出され 小学校で教える仮名は字音に整理された これ以降使われなくなった仮名を 今日では変体仮名と呼んでいる 変体仮名は 現在でも料理屋の名などに使われることがある 平安時代までは 発音と仮名はほぼ一致していた その後 発音の変化に伴って 発音と仮名とが対の対応をしなくなった たとえば はな 花 の は と かは 川 の は の発音は 平安時代初期にはいずれも ファ であったとみられるが 平安時代に起こったハ行転呼により かは 川 など語中語尾の は は ワ と発音するようになった ところが ワ と読む文字には別に わ もあるため カワ という発音を表記するとき かわ かは のいずれにすべきか 判断の基準が不明になってしまった ここに 仮名をどう使うかという仮名遣いの問題が発生した その時の知識人は 仮名遣いについての規範を示すこともあったが 藤原定家 下官集 など 必ずしも古い仮名遣いに忠実なものばかりではなかった 日本語研究史 の節参照 また 従う者も 歌人 国学者など ある種のグループに限られていた 万人に用いられる仮名遣い規範は 明治に学校教育が始まるまで待たなければならなかった 漢字の字数 字体および仮名遣いについては 近代以降 たびたび改定が議論され また実施に移されてきた 仮名遣いについては 早く小学校令施行規則 年 において にんぎやう 人形 を にんぎょー とするなど 漢字音を発音通りにする いわゆる 棒引き仮名遣い が採用されたことがあった 年から使用の 尋常小学読本 第期 はこの棒引き仮名遣いに従った しかし これは評判が悪く 規則の改正とともに 次期年の教科書から元の仮名遣いに戻った 第二次世界大戦後の年には 当用漢字表 現代かなづかい が内閣告示された これに伴い 一部の漢字の字体に略字体が採用され それまでの歴史的仮名遣いによる学校教育は廃止された 平安時代までは 朝廷で用いる公の書き言葉は漢文であった これはベトナム 朝鮮半島などと同様である 当初漢文は中国語音で読まれたとみられるが 日本語と中国語の音韻体系は相違が大きいため この方法はやがて廃れ 日本語の文法 語彙を当てはめて訓読されるようになった いわば 漢文を日本語に直訳しながら読むものであった 漢文訓読の習慣に伴い 漢文に日本語特有の 賜 たまふ や 坐 ます のような語句を混ぜたり 一部を日本語の語順で記したりした 和化漢文 というべきものが生じた 世紀の法隆寺薬師仏光背銘などに見られる さらには 王等臣等乃中尓 続日本紀 のように 乃 の 尓 に といった助詞などを小書きにして添える文体が現れた この文体は祝詞 のりと 宣命 せんみょう などに見られるため 宣命書き と呼ばれる 漢文の読み添えには片仮名が用いられるようになり やがてこれが本文中に進出して 漢文訓読体を元にした 漢字片仮名交じり文 を形成した 最古の例は 東大寺諷誦文稿 世紀 とされる 漢字片仮名交じり文では 漢語が多用されるばかりでなく 言い回しも 甚 はなは ダ広クシテ 何 なん ゾ言ハザル のように 漢文訓読に用いられるものが多いことが特徴である 一方 平安時代の宮廷文学の文体 和文 は 基本的に和語を用いるものであって 漢語は少ない また 漢文訓読に使う言い回しもあまりない たとえば 漢文訓読ふうの 甚ダ広クシテ 何ゾ言ハザル は 和文では いと広う などかのたまはぬ となる 和文は 表記法から見れば 平仮名にところどころ漢字の交じる 平仮名漢字交じり文 である 春はあけぼの やうやうしろく成行山ぎはすこしあかりて で始まる 枕草子 の文体は典型例の一つである 両者の文体は やがて合わさり 平家物語 に見られるような和漢混淆文が完成した ここでは 強呉 荊棘 といった漢語 すでに といった漢文訓読の言い回しがある一方 かくやとおぼえて哀れなり といった和文の語彙 言い回しも使われている 今日 最も普通に用いられる文章は 和語と漢語を適度に交えた一種の和漢混淆文である 先日 友人と同道して郊外を散策した というような漢語の多い文章と この間 友だちと連れだって町はずれをぶらぶら歩いた というような和語の多い文章とを 適宜混ぜ合わせ あるいは使い分けながら文章を綴っている 話し言葉は 時代と共にきわめて大きな変化を遂げるが それに比べて 書き言葉は変化の度合いが少ない そのため 何百年という間には 話し言葉と書き言葉の差が生まれる 日本語の書き言葉がひとまず成熟したのは平安時代中期であり その頃は書き言葉 話し言葉の差は大きくなかったと考えられる しかしながら 中世のキリシタン資料のうち 語り口調で書かれているものを見ると 書き言葉と話し言葉とにはすでに大きな開きが生まれていたことが窺える 江戸時代の洒落本 滑稽本の類では 会話部分は当時の話し言葉が強く反映され 地の部分の書き言葉では古来の文法に従おうとした文体が用いられている 両者の違いは明らかである 明治時代の書き言葉は 依然として古典文法に従おうとしていたが 単語には日常語を用いた文章も現れた こうした書き言葉は 一般に 普通文 と称された 普通文は 以下のように小学校の読本でも用いられた 普通文は 厳密には 古典文法そのままではなく 新しい言い方も多く混じっていた たとえば 解釈せらる というべきところを 解釈さる 就学せしむる義務 を 就学せしむるの義務 などと言うことがあった そこで 文部省は新しい語法のうち一部慣用の久しいものを認め 文法上許容スベキ事項 年 明治年 条を告示した 一方 明治年代頃から 二葉亭四迷 山田美妙ら文学者を中心に 書き言葉を話し言葉に近づけようとする努力が重ねられた 言文一致運動 二葉亭は だ 体 美妙は です 体 尾崎紅葉は である 体といわれる文章をそれぞれ試みた このような試みが広まる中で 新聞 雑誌の記事なども話し言葉に近い文体が多くなっていく 古来の伝統的文法に従った文章を文語文 話し言葉を反映した文章を口語文という 第二次世界大戦後は 法律文などの公文書ももっぱら口語文で書かれるようになり 文語文は日常生活の場から遠のいた 日本語は 文献時代に入ったときにはすでに方言差があった 万葉集 の巻 東歌 や巻 防人歌 には当時の東国方言による歌が記録されている 年頃成立の 東大寺諷誦文稿 には 此当国方言 毛人方言 飛騨方言 東国方言 という記述が見え これが国内文献で用いられた 方言 という語の最古例とされる 平安初期の中央の人の方言観が窺える貴重な記録である 平安時代から鎌倉時代にかけては 中央の文化的影響力が圧倒的であったため 方言に関する記述は断片的なものにとどまったが 室町時代 とりわけ戦国時代には中央の支配力が弱まり地方の力が強まった結果 地方文献に方言を反映したものがしばしば現われるようになった 洞門抄物と呼ばれる東国系の文献が有名であるが 古文書類にもしばしば方言が登場するようになる 安土桃山時代から江戸時代極初期にかけては ポルトガル人の宣教師が数多くのキリシタン資料を残しているが その中に各地の方言を記録したものがある 京都のことばを中心に据えながらも九州方言を多数採録した 日葡辞書 年 年 や 筑前や備前など各地の方言の言語的特徴を記した ロドリゲス日本大文典 年 年 はその代表である この時期には琉球方言 琉球語 の資料も登場する 最古期に属するものとしては 中国資料の 琉球館訳語 世紀前半成立 があり 琉球の言葉を音訳表記によって多数記録している また 年の島津侵攻事件で琉球王国を支配下に置いた薩摩藩も 記録類に琉球の言葉を断片的に記録しているが 語史の資料として見た場合 琉球諸島に伝わる古代歌謡 ウムイを集めた おもろさうし 年 年 が 質 量ともに他を圧倒している 奈良時代以来 江戸幕府が成立するまで 近畿方言が中央語の地位にあった 朝廷から徳川家へ征夷大将軍の宣下がなされて以降 江戸文化が開花するとともに 江戸語の地位が高まり 明治時代には東京語が日本語の標準語と見なされるようになった 明治政府の成立後は 政治的 社会的に全国的な統一を図るため また 近代国家として外国に対するため 言葉の統一 標準化が求められるようになった 学校教育では 東京の中流社会 の言葉が採用され 放送でも同様の言葉が 共通用語 共通語 とされた こうして標準語の規範意識が確立していくにつれ 方言を矯正しようとする動きが広がった 教育家の伊沢修二は 教員向けに書物を著して東北方言の矯正法を説いた 地方の学校では方言を話した者に首から 方言札 を下げさせるなどの罰則も行われた 軍隊では命令伝達に支障を来さないよう 初等教育の段階で共通語の使用が指導された 一方 戦後になると各地の方言が失われつつあることが危惧されるようになった 放送文化研究所は 昭和年代の時点で 各地の純粋な方言は歳以上の老人の間でのみ使われているにすぎないとして 年から年計画で全国の方言の録音を行った この録音調査には 柳田邦夫 東条操 岩淵悦太郎 金田一春彦など言語学者らが指導にあたった また 経済成長とともに地方から都市への人口流入が始まると 標準語と方言の軋轢が顕在化した 年代後半から 地方出身者が自分の言葉を笑われたことによる自殺 事件が相次いだ このような情勢を受けて 方言の矯正教育もなお続けられた 鎌倉市立腰越小学校では 年代に ネサヨ運動 と称して 語尾に ね さ よ など関東方言特有の語尾をつけないようにしようとする運動が始められた 同趣の運動は全国に広がった 高度成長後になると 方言に対する意識に変化が見られるようになった 年代初めのアンケート調査では 方言を残しておきたい と回答する者が 以上に達する結果が出ている 方言の共通語化が進むとともに いわゆる 方言コンプレックス が解消に向かい 方言を大切にしようという気運が盛り上がった 方言学の世界では かつては 標準語の確立に資するための研究が盛んであったが 今日の方言研究は 必ずしもそのような視点のみによって行われてはいない 中央語の古形が方言に残ることは多く 方言研究が中央語の史的研究に資することはいうまでもない しかし それにとどまらず 個の方言の研究は それ自体 独立した学問と捉えることができる 山浦玄嗣の ケセン語 研究に見られるように 研究者が自らの方言に誇りを持ち 日本語とは別個の言語として研究するという立場も生まれている 日本人自身が日本語に関心を寄せてきた歴史は長く 古事記 万葉集 の記述にも語源 用字法 助字などについての関心が垣間見られる 古来 さまざまな分野の人によって日本語研究が行われてきたが とりわけ 江戸時代に入ってからは 秘伝にこだわらない自由な学風が起こり 客観的 実証的な研究が深められた 近代に西洋の言語学が輸入される以前に 日本語の基本的な性質はほぼ明らかになっていたといっても過言ではない 以下では 江戸時代以前 以後に分けて概説し さらに近代について付説する 江戸時代以前の日本語研究の流れは 大きく分けて分野あった 中国語 漢語 学者による研究 悉曇 しったん 学者による研究 歌学者による研究である 中国語との接触 すなわち漢字の音節構造について学習することにより 日本語の相対的な特徴が意識されるようになった 古事記 には 淤能碁呂嶋自淤以下四字以音 オノゴロ嶋 淤より以下の四字は音を以ゐよ のような音注がしばしば付けられているが これは漢字を借字として用い 中国語で表せない日本語の固有語を音節ずつ漢字で表記したものである こうした表記法を通じて 日本語の音節構造が自覚されるようになったと考えられる また漢文の訓読により 中国語にない助詞 助動詞の要素が意識されるようになり 漢文を読み下す際に必要な て に を は などの要素は 当初は点を漢字に添えることで表現していたのが ヲコト点 後に借字 さらに片仮名が用いられるようになった これらの要素は てにをは の名で一括され 後に一つの研究分野となった 日本語の音音を借字で記すようになった当初は 音韻組織全体に対する意識はまだ弱かったが 後にあらゆる仮名を回ずつ集めて誦文にしたものが成立している 平安時代初期に 天地の詞 が 平安時代中期には いろは歌 が現れた これらはほんらい漢字音のアクセント習得のために使われたとみられるが のちにいろは歌は文脈があって内容を覚えやすいことから 色葉字類抄 世紀 など物の順番を示す いろは順 として用いられ また仮名の手本としても人の間に一般化している 一方 悉曇学の研究により 梵語 サンスクリット に整然とした音韻組織が存在することが知られるようになった 平安時代末期に成立したと見られる 五十音図 は あ か さ た な の行の並び方が梵語の悉曇章 字母表 の順に酷似しており 悉曇学を通じて日本語の音韻組織の研究が進んだことをうかがわせる もっとも 五十音図作成の目的は 一方では 中国音韻学の反切を理解するためでもあった 当初 その配列はかなり自由であった ほぼ現在に近い配列が定着したのは室町時代以後 最古の五十音図は 平安時代末期の悉曇学者明覚の 反音作法 に見られる 明覚はまた 悉曇要訣 において 梵語の発音を説明するために日本語の例を多く引用し 日本語の音韻組織への関心を見せている 歌学は平安時代以降 大いに興隆した 和歌の実作および批評のための学問であったが 正当な語彙 語法を使用することへの要求から 日本語の古語に関する研究や てにをは の研究 さらに仮名遣いへの研究に繋がった このうち 古語の研究では 語と語の関係を音韻論的に説明することが試みられた たとえば 顕昭の 袖中抄 では 七夕つ女 たなばたつめ の語源は たなばたつま だとして これ自体は誤り ま と め とは同じ五音 五十音の同じ行 なる故也 と説明している このように 五音相通 五十音の同じ行で音が相通ずること や 同韻相通 五十音の同じ段で音が相通ずること などの説明が多用されるようになった てにをは の本格的研究は 鎌倉時代末期から室町時代初期に成立した 手爾葉大概抄 てにはたいがいしょう という短い文章によって端緒が付けられた この文章では 名詞 動詞などの自立語 詞 が寺社であるとすれば てにをは はその荘厳さに相当するものだ と規定した上で 係助詞 ぞ こそ とその結びの関係を論じるなど てにをは についてごく概略的に述べている また 室町時代には 姉小路式 あねがこうじしき が著され 係助詞 ぞ こそ や か のほか終助詞 かな などの てにをは の用法をより詳細に論じている 仮名遣いについては 鎌倉時代の初め頃に藤原定家がこれを問題とし 定家はその著作 下官集 において 仮名遣いの基準を前代の平安時代末期の草子類の仮名表記に求め 規範を示そうとした ところが お と を の区別については 平安時代末期にはすでにいずれもの音となり発音上の区別が無くなっていたことにより 相当な表記の揺れがあり 格助詞の を を除き前例による基準を見出すことができなかった そこで 下官集 ではアクセントが高い言葉を を で アクセントが低い言葉を お で記しているが このアクセントの高低により を と お の使い分けをすることは すでに 色葉字類抄 にも見られる 南北朝時代には行阿がこれを増補して 仮名文字遣 を著した これがのちに 定家仮名遣 と呼ばれる 行阿の姿勢も基準を古書に求めるというもので お と を の区別についても定家仮名遣の原則を踏襲している しかし行阿が 仮名文字遣 を著した頃 日本語にアクセントの一大変化があり の音を含む語彙に関しても定家の時代とはアクセントの高低が異なってしまった その結果 お と を の仮名遣いについては 定家が示したものとは齟齬を生じている なお お と を の発音上の区別が無くなっていたことで 五十音図においても鎌倉時代以来 お と を とは位置が逆転した誤った図が用いられていた すなわち あいうえを わゐうゑお となっていた これが正されるのは 江戸時代に本居宣長が登場してからのことである 外国人による日本語研究も 中世末期から近世前期にかけて多く行われた イエズス会では日本語とポルトガル語の辞書 日葡辞書 年 が編纂され また 同会のロドリゲスにより文法書 日本大文典 年 および 日本小文典 年 が表された ロドリゲスの著書は ラテン語の文法書の伝統に基づいて日本語を分析し 価値が高い 一方 中国では 日本館訳語 年頃 李氏朝鮮では 捷解新語 年 といった日本語学習書が編纂された 日本語の研究が高い客観性 実証性を備えるようになったのは 江戸時代の契沖の研究以来のことである 契沖は 万葉集 の注釈を通じて仮名遣いについて詳細に観察を行い 和字正濫抄 年 を著した この書により 古代は語ごとに仮名遣いが決まっていたことが明らかにされた 契沖自身もその仮名遣いを実行した すなわち 後世 歴史的仮名遣いと称される仮名遣いである 契沖の掲出した見出し語は 後に楫取魚彦編の仮名遣い辞書 古言梯 こげんてい 年 で増補され 村田春海 仮字拾要 かなしゅうよう で補完された 古語の研究では 松永貞徳の 和句解 わくげ 年 貝原益軒の 日本釈名 にほんしゃくみょう 年 が出た後 新井白石により大著 東雅 年 がまとめられた 白石は 東雅 の中で語源説を述べるに当たり 終始穏健な姿勢を貫き 曖昧なものは 義未詳 として曲解を排した また 賀茂真淵は 語意考 年 を著し 約 延 略 通 の考え方を示した すなわち 語形の変化は 縮める 約 か 延ばすか 略するか 音通 母音または子音の交替 かによって生じる というものである この原則は それ自体は正当であるが 後にこれを濫用し 非合理な語源説を提唱する者も現れた 語源研究では ほかに 鈴木朖 すずきあきら が 雅語音声考 がごおんじょうこう 年 を著し ほととぎす うぐいす からす などの ほととぎ うぐい から の部分は鳴き声であることを示すなど 興味深い考え方を示している 本居宣長は 仮名遣いの研究および文法の研究で非常な功績があった まず 仮名遣いの分野では 字音仮字用格 じおんかなづかい 年 を著し 漢字音を仮名で書き表すときにどのような仮名遣いを用いればよいかを論じた その中で宣長は 鎌倉時代以来 五十音図で お と を の位置が誤って記されている 前節参照 という事実を指摘し 実に年ぶりに 本来の正しい あいうえお わゐうゑを の形に戻した この事実は 後に東条義門が 於乎軽重義 おをきょうちょうぎ 年 で検証した また 宣長は 文法の研究 とりわけ 係り結びの研究で成果を上げた 係り結びの一覧表である ひも鏡 年 をまとめ 詞の玉緒 年 で詳説した 文中に ぞ の や 何 が来た場合には文末が連体形 こそ が来た場合は已然形で結ばれることを示したのみならず は も および 徒 ただ 主格などに助詞がつかない場合 の場合は文末が終止形になることを示した 主格などに は も などが付いた場合に文末が終止形になるのは当然のようであるが 必ずしもそうでない 主格を示す が の が来た場合は 君が思ほせりける 万葉集 にほひの袖にとまれる 古今集 のように文末が連体形で結ばれるのであるから あえて は も 徒 の下が終止形で結ばれることを示したことは重要である 品詞研究で成果を上げたのは富士谷成章 ふじたになりあきら であった 富士谷は 品詞を 名 名詞 装 よそい 動詞 形容詞など 挿頭 かざし 副詞など 脚結 あゆい 助詞 助動詞など の類に分類した 挿頭抄 かざししょう 年 では今日で言う副詞の類を中心に論じた 特に注目すべき著作は 脚結抄 あゆいしょう 年 で 助詞 助動詞を系統立てて分類し その活用の仕方および意味 用法を詳細に論じた 内容は創見に満ち 今日の品詞研究でも盛んに引き合いに出される 脚結抄 の冒頭に記された 装図 よそいず は 動詞 形容詞の活用を整理した表で 後の研究に資するところが大きかった 活用の研究は その後 鈴木朖の 活語断続譜 年頃 本居春庭の 詞八衢 ことばのやちまた 年 に引き継がれた 盲目であった春庭の苦心は 一般には足立巻一の小説 やちまた で知られる 幕末には義門が 活語指南 年 を著し これで日本語の活用は 全貌がほぼ明らかになった このほか 江戸時代で注目すべき研究としては 石塚龍麿の 仮字用格奥山路 かなづかいおくのやまみち がある 万葉集の仮名に種の書き分けが存在することを示したものであったが 長らく正当な扱いを受けなかった 後に橋本進吉が上代特殊仮名遣いの先駆的研究として再評価した 江戸時代後期から明治時代にかけて 西洋の言語学が紹介され 日本語研究は新たな段階を迎えた もっとも 西洋の言語に当てはまる理論を無批判に日本語に応用することで かえってこれまでの蓄積を損なうような研究も少なくなかった こうした中で 古来の日本語研究と西洋言語学とを吟味して文法をまとめたのが大槻文彦であった 大槻は 日本語辞書 言海 の中で文法論 語法指南 を記し 年 後にこれを独立 増補して 広日本文典 年 とした その後 高等教育の普及とともに 日本語研究者の数は増大した 東京帝国大学には国語研究室が置かれ 年 ドイツ帰りの上田万年が初代主任教授として指導的役割を果たした 以下 第二次世界大戦後に至るまで 重要な役割を果たした主な日本語学者を挙げる 近代以降 台湾や朝鮮半島などを併合 統治した日本は 現地民の台湾人 朝鮮民族への皇民化政策を推進するため 学校教育で日本語を国語として採用した 満州国 現在の中国東北部 にも日本人が数多く移住した結果 日本語が広く使用され また 日本語は中国語とともに公用語とされた 日本語を解さない主に漢民族や満州族には簡易的な日本語である協和語が用いられていたこともあった 現在の台湾 中華民国 や朝鮮半島 北朝鮮 韓国 などでは 現在でも高齢者の中に日本語を解する人もいる 一方 明治 大正から昭和戦前期にかけて 日本人がアメリカ カナダ メキシコ ブラジル ペルーなどに多数移民し 日系人社会が築かれた これらの地域コミュニティでは日本語が使用されたが 世代が若年になるにしたがって 日本語を解さない人が増えている とりわけ 年代以降 クールジャパン といわれるように日本国外でアニメーションやゲーム 映画 テレビドラマ 邦楽 に代表される音楽 漫画などに代表させる日本の現代サブカルチャーを カッコいい と感じる若者が増え その結果 彼らの日本語に触れる機会が増えつつあるという 日本人が訪問することの多い日本国外の観光地などでは 現地の広告や商業施設店舗の従業員との会話に日本語が使用されることもある このような場で目に触れる日本語のうち 新奇で注意を引く例は 雑誌 書籍などで紹介されることも多い 日本語が時と共に変化することはしばしば批判の対象となる この種の批判は 古典文学の中にも見られる 枕草子 では文末の んとす が んず といわれることを いとわろし と評している ふと心おとりとかするものは また 徒然草 では古くは 車もたげよ 火かかげよ と言われたのが 今の人は もてあげよ かきあげよ と言うようになったと記し 今の言葉は 無下にいやしく なっていくようだと記している 第段 これにとどまらず 言語変化について注意する記述は 歴史上 仮名遣い書や 俊頼髄脳 などの歌論書 音曲玉淵集 などの音曲指南書をはじめ 諸種の資料に見られる なかでも 江戸時代の俳人安原貞室が なまった言葉の批正を目的に編んだ 片言 かたこと 年 は にわたる項目を取り上げており 当時の言語実態を示す資料として価値が高い 近代以降も 芥川龍之介が 澄江堂雑記 で とても は従来否定を伴っていたとして とても安い など肯定形になることに疑問を呈するなど 言語変化についての指摘が散見する 研究者の立場から同時代の気になる言葉を収集した例としては 浅野信 巷間の言語省察 年 などがある 第二次世界大戦後は 年に雑誌 言語生活 当初は国立国語研究所が監修 が創刊されるなど 日本語への関心が高まった そのような風潮の中で あらゆる立場の人により 言語変化に対する批判やその擁護論が活発に交わされるようになった 典型的な議論の例としては 金田一春彦 日本語は乱れていない および宇野義方の反論が挙げられる いわゆる 日本語の乱れ 論議において 毎度のように話題にされる言葉も多い 年の国立国語研究所の有識者調査の項目には ニッポン ニホン 日本 ジッセン ジュッセン 十銭 見られなかった 見れなかった 御研究されました 御研究になりました など 今日でもしばしば取り上げられる語形 語法が多く含まれている とりわけ 見られる を 見れる とする語法は 年の放送文化研究所 現代人の言語環境調査 で可否の意見が二分するなど 人の言語習慣の違いを如実に示す典型例となっている この語法は年代には ら抜き言葉 と称され 盛んに取り上げられるようになった 言葉の乱れ を指摘する声は 新聞 雑誌の投書にも多い 文化庁の 国語に関する世論調査 では 言葉遣いが乱れている と考える人が年に割近くになり 年月から月の調査では割となっている 人のこのような認識は いわゆる日本語ブームを支える要素の一つとなっている 日本語の変化に対する批判の矛先は 往にして若い世代に向かう 若者は 旧世代の用いなかった言語および言語習慣を盛んに創出し 時として上の世代に違和感を与えることになる いわゆる 若者言葉 は種の意味で用いられ 必ずしも定義は一定していない 井上史雄の分類に即して述べると 若者言葉と称されるものは以下のように分類される 上記は いずれも批判にさらされうるという点では同様であるが の順で 次第に言葉の定着率は高くなるため それだけ 言葉の乱れ の例として意識されやすくなる 上記の分類のうち 一時的流行語 ないし 若者世代語 に相当する言葉の発生要因に関し 米川明彦は心理 社会 歴史の面に分けて指摘している その指摘は およそ以下のように総合できる すなわち 成長期にある若者は 自己や他者への興味が強まるだけでなく 従来の言葉の規範からの自由を求める 日本経済の成熟とともに まじめ という価値観が崩壊し 若者が ノリ によって会話するようになった とりわけ 年代以降は ノリ を楽しむ世代が低年齢化し 消費 娯楽社会の産物として若者言葉が生産されているというものである また 年頃からマスメディアが 場の空気 の文化を取り上げるようになってきてから 言葉で伝えるより 察し合って心を通わせることを重んじる者が増えた これに対し 文化庁は 空気読めない と言われることを恐れ 場の空気に合わせようとする風潮の現れではないかと指摘している 若者の日本語は 表記の面でも独自性を持つ 年代によりさまざまな日本語の表記が行われている 携帯メールやインターネットの普及に伴い ギャルと呼ばれる少女たちを中心に デジタル文字の表記に独特の文字や記号を用いるようになった さようなら を ぅょら と書く類で ギャル文字 としてマスコミにも取り上げられた このギャル文字を練習するための本も現れた コンピュータの普及と コンピュータを使用したパソコン通信などの始まりにより 日本語の約物に似た扱いとして顔文字が用いられるようになった これは コンピュータの文字としてコミュニケーションを行うときに 文章の後や単独で記号などを組み合わせた のような顔文字を入れることにより感情などを表現する手法である 年代後半に使用が開始された顔文字は 若者へのコンピュータの普及により広く使用されるようになった 携帯電話に絵文字が実装されたことにより 絵文字文化と呼ばれるさまざまな絵文字を利用したコミュニケーションが行われるようになった 漢字や仮名と同じように日本語の文字として扱われ 約物のような利用方法にとどまらず 単語や文章の置き換えとしても用いられるようになった すでに普及した顔文字や絵文字に加え 年頃には 小文字 と称される独特の表記法が登場した ゎたしゎ きょぅゎ部活がなぃの のように特定文字を小字で表記するもので マスコミでも紹介されるようになった 人の日本語に寄せる関心は 第二次世界大戦後に特に顕著になったといえる 年月からラジオで ことばの研究室 が始まり 年には雑誌 言語生活 が創刊された 日本語関係書籍の出版点数も増大した 敬語をテーマとした本の場合 年代以前は解説書点 実用書点であったものが 年代から年の年間に解説書約点 実用書約点が出たという 戦後 最初の日本語ブームが起こったのは年のことで 金田一春彦 日本語 岩波新書 旧版 が万部 大野晋 日本語の起源 岩波新書 旧版 が万部出版された 年には丸谷才一 日本語のために 新潮社 が万部 大野晋 日本語をさかのぼる 岩波新書 が万部出版された その後 年の大野晋 日本語練習帳 岩波新書 は万部を超えるベストセラーとなった 年時点 さらに 年に齋藤孝 声に出して読みたい日本語 草思社 が万部出版された頃から 出版界では空前の日本語ブームという状況になり おびただしい種類と数の一般向けの日本語関係書籍が出た 日本語が特殊であるとする論は 近代以降しばしば提起されている 極端な例ではあるが 戦後 志賀直哉が 日本の国語程 不完全で不便なものはないと思ふ として フランス語を国語に採用することを主張した 国語外国語化論 また 年には 国立国語研究所所長 野元菊雄が 外国人への日本語教育のため 文法を単純化した 簡約日本語 の必要性を説き 論議を呼んだ このように 日本語を劣等もしくは難解 非合理的とする考え方の背景として 近代化の過程で広まった欧米中心主義があると指摘される 戦後は 消極的な見方ばかりでなく 日本語は個性的である と積極的に評価する見方も多くなった その変化の時期はおよそ年代であるという いずれにしても 日本語は特殊であるとの前提に立っている点で両者の見方は共通する 日本語特殊論は日本国外でも論じられる 外交官養成教育を行うアメリカ国務省の下部組織である は 日本語を中国語 アラビア語などとともに レベル 習得に時間の掛かる 最も難解な言語群 に分類している ただしこれは英語話者から見ての指摘であって あくまでも相対的な見方を示すものである ライシャワーによれば 日本語の知識が乏しいまま 日本語は明晰でも論理的でもないと不満を漏らす外国人は多いという ライシャワー自身はこれに反論し あらゆる言語には曖昧 不明晰になる余地があり 日本語も同様だが 簡潔 明晰 論理的に述べることを阻む要素は日本語にないという 共通点の少なさゆえに印欧系言語話者には習得が難しいとされ 学習に関わる様なジョークが存在するバスク語について フランスのバイヨンヌにあるバスク博物館では かつて悪魔サタンは日本にいた それがバスクの土地にやってきたのである と挿絵入りの歴史が描かれているものが飾られている これは同じく印欧系言語話者からみて習得の難しいバスク語と日本語を重ね合わせているとされる 今日の言語学において 日本語が特殊であるという見方自体が否定的である たとえば 日本語に母音しかないことが特殊だと言われることがあるが クラザーズの研究によれば の言語のうち 日本語のように母音を持つ言語はあり 類型として最も多いという また語順に関しては 日本語のように 構造を採る言語が約 であって最も多いのに対して 英語のように構造を採る言語は 強である ウルタン スティール グリーンバーグらの調査結果より この点から 日本語はごく普通の言語であるという結論が導かれるとされる また言語学者の角田太作は語順を含めの特徴についての言語を比較し 日本語は特殊な言語ではない しかし 英語は特殊な言語だ と結論している これらは統計の基準を言語数としたものであり 代わりに話者数を基準とすれば異なった順位付けが得られるが その場合でも母音体系には話者数位のスペイン語が 構造には話者数位のヒンディー語がある等 特殊であるという結論には達しがたい かつてジャーナリスト森恭三は 日本語の語順では 思想を表現するのに一番大切な動詞は 文章の最後にくる ため 文末の動詞の部分に行くまでに疲れて もはや動詞 部分で の議論などはできない と記している このように 動詞が最後に来ることを理由に日本語を曖昧 不合理と断ずる議論は多い しかし 文の中では 誰が 何を どこで など 述語以外の部分のほうが情報として重要な場合も多く これらの部分を述語の前に置く妥当性もまた無視しえない また 計算機科学者の村島定行の主張によれば 古くから日本人が文字文化に親しみ 庶民階級の識字率も比較的高水準であったのは 日本語には表意文字 漢字 と表音文字 仮名 のつの文字体系を使用していたからだという もちろん 表意 表音文字の二重使用は 日本語で唯一無比というわけではなく 韓文漢字や女真文字など 漢字文化圏なら日本語以外においてでも認められる現象である 漢字文化圏以外でも マヤ文字やヒエログリフなどにおいては 表意文字と表音文字の使い分けが存在していたという さらに もっぱら表音文字のみを使用する言語でも 音声よりもむしろその綴字に重きを置かれるヘブライ語のような言語では 表意 表音の並列処理という点で日本語と共通の特徴をもつという指摘もある ただ 漢字と仮名を巧みに組み合わせることは 日本語における特徴的な利点であると 村島と同様の主張をする者は多い 一方で カナモジカイのように 数種類の文字体系を使い分けることの不便さを主張する者も存在し 両者の間で論争は絶えない 日本語における語順や音韻論 もしくは表記体系などを取り上げて それらを日本人の文化や思想的背景と関連付け 日本語の特殊性を論じる例もある しかし 大体においてそれらの説は 手近な英語や中国語などの言語との差異を牧歌的に列挙するにとどまり 言語学的根拠に乏しいものが多い サピア ウォーフの仮説も参照 近年では日本文化の特殊性を論する文脈であっても 出来るだけ多くの文化圏を俯瞰し 総合的な視点に立った主張が多く見られるという 村山七郎は 外国語を知ることが少ないほど日本語の特色が多くなる という 反比例法則 を主張したという 日本人自らが日本語を特殊と考える原因としては 身近な他言語がほぼ英語のみであることが与って大きい もっとも 日本語が印欧語との相違点を多く持つことは事実である そのため 対照言語学の上では 印欧語とのよい比較対象となる 日本語成立由来という観点からの諸研究については 日本語の起源 を参照のこと 日本では古く漢籍を読むための辞書が多く編纂された 国内における辞書編纂の記録としては 天武年 年 の 新字 巻が最古であるが 日本書紀 伝本はおろか逸文すらも存在しないため 書名から漢字字書の類であろうと推測される以外は いかなる内容の辞書であったかも不明である 奈良時代には 楊氏漢語抄 や 弁色立成 べんしきりゅうじょう という辞書が編纂された それぞれ逸文として残るのみであるが 和訓を有する漢和辞書であったらしい 現存する最古の辞書は空海編と伝えられる 篆隷万象名義 世紀 であるが 中国の 玉篇 を模した部首配列の漢字字書であり 和訓は一切ない 世紀初頭に編纂された 新撰字鏡 は伝本が存する最古の漢和辞書であり 漢字を部首配列した上で 和訓を万葉仮名で記している 平安時代中期に編纂された 和名類聚抄 は 意味で分類した漢語におおむね和訳を万葉仮名で付したもので 漢和辞書ではあるが百科辞書的色彩が強い 院政期には過去の漢和辞書の集大成とも言える 類聚名義抄 が編纂された 同書の和訓に付された豊富な声点により院政期のアクセント体系はほぼ解明されている 鎌倉時代には百科辞書 二中歴 や詩作のための実用的韻書 平他字類抄 語源辞書ともいうべき 塵袋 や 名語記 みょうごき なども編まれるようになった 室町時代には 読み書きが広い階層へ普及し始めたことを背景に 漢詩を作るための韻書 聚分韻略 漢和辞書 倭玉篇 わごくへん 和訳に通俗語も含めた国語辞書 下学集 日常語の単語をいろは順に並べた通俗的百科辞書 節用集 などの辞書が編まれた 安土桃山時代最末期には イエズス会のキリスト教宣教師によって 日本語とポルトガル語の辞書 日葡辞書 が作成された 江戸時代には 室町期の 節用集 を元にして多数の辞書が編集 刊行された 易林本 節用集 書言字考節用集 などが主なものである そのほか 俳諧用語辞書を含む 世話尽 語源辞書 日本釈名 俗語辞書 志布可起 しぶがき 枕詞辞書 冠辞考 なども編纂された 明治時代に入り 年から大槻文彦編の小型辞書 言海 が刊行された これは 古典語 日常語を網羅し 五十音順に見出しを並べて 品詞 漢字表記 語釈を付した初の近代的な日本語辞書であった 言海 は 後の辞書の模範的存在となり 後に増補版の 大言海 も刊行された その後 広く使われた小型の日本語辞書としては 金沢庄三郎編 辞林 新村出編 辞苑 などがある 第二次世界大戦中から戦後にかけては金田一京助編 見坊豪紀執筆 明解国語辞典 がよく用いられ 今日の 三省堂国語辞典 新明解国語辞典 に引き継がれている 中型辞書としては 第二次世界大戦前は 大言海 のほか松井簡治 上田万年編 大日本国語辞典 などが 戦後は新村出編 広辞苑 などが広く受け入れられている 現在では林大編 言泉 松村明編 大辞林 をはじめ 数種の中型辞書が加わっている他 唯一にして最大の大型辞書 日本国語大辞典 約万語 がある パリ 巴里 は フランスの首都 イル ド フランス地域圏の首府 県にしてコミューンでもある フランス最大の都市であり 同国の政治 経済 文化などの中心地 ロンドンと共に欧州を代表する世界都市 ルーヴル美術館を含む区を中心として時計回りにの行政区が並び エスカルゴと形容される 市域はティエールの城壁跡に造られた環状高速道路の内側の市街地 面積は 参考 東京都 山手線の内側は ニューヨーク市 マンハッタンは および その外側西部のブローニュの森と外側東部のヴァンセンヌの森を併せた形となっており 面積は ケスタ地形を呈するパリ盆地のほぼ中央に位置し 市内をセーヌ川が貫く この川の中州であるシテ島を中心に発達した 市内の地形は比較的平坦であるが 標高は最低でセーヌ川沿いのメートル 最高でモンマルトルの丘のメートルである 北緯度とやや高緯度に位置するが 温かい北大西洋海流と偏西風によって年を通して比較的温暖となっており 西岸海洋性気候の代表的な都市である を代表する大都市として君臨し アメリカのシンクタンクが年に発表した総合的な世界都市ランキングにおいて ロンドン ニューヨークに次ぐ世界位の都市と評価された 日本の民間シンクタンクによる年発表の 世界の都市総合力ランキング では ロンドン ニューヨーク 東京に次ぐ世界位の都市と評価された 世界大企業の本社数では ニューヨークやロンドンを凌ぎ 西洋の都市では最多である 年のイギリスのシンクタンクの調査によると 世界位の金融センターと評価されており 圏内ではフランクフルトに次ぐ位である パリは世界屈指の観光都市である 歴史的な建物を観ることができ ルーヴル美術館 ポンピドゥーセンターなどをはじめとした一流の美術館で膨大な数の一流の美術品を観賞できる また世界最古のバレエ団や 世界でもっとも古くから存在している劇団などの公演を楽しむこともできる パリ出身者 居住者は男性がパリジャン パリズィヤン 女性がパリジェンヌ パリズィエンヌ と呼ばれる 年代以降 旧植民地であったアフリカ中部 北部やインドシナ半島 さらに近年は中近東や東欧 中国などからの移民も増え パリジャン パリジェンヌも多民族 多人種化している 市域人口は年代の約万人を絶頂に減少し続けたが ここ数年は微増傾向に転じており 年現在で約万人である による 年の近郊を含む都市的地域の人口では 万人を超えており 最大の都市部を形成している パリ市の標語は たゆたえども沈まず ラテン語 フランス語 であり これはパリの紋章の下部に書かれている もともと水運の中心地だったパリで 水上商人組合の船乗りの言葉だったが やがて戦乱 革命など歴史の荒波を生き抜いてきたパリ市民の象徴となっていった この標語は特に年のパリ同時多発テロ事件の直後 パリの街角に多数掲げられた 語源は パリシイ パリースィイとも 複数形 単数形は 田舎者 乱暴者 で ローマ人が入ってくる以前からの先住民であるケルト系部族の ローマ側からの呼称である 欧州の言語の中で古い時代の痕跡をとどめているギリシャ語では パリーズィ イタリア語で パリージ と発音される フィンランド語で パリースィ と発音されるのはこれに由来しているという説がある ルーテティア パリースィオールム パリシイ族の 水の中の居住地 シテ島のこと とも呼ばれていた パリ盆地を流れるセーヌ川の中洲シテ島は古くから同川の渡河点であり 紀元前世紀ごろからパリシイ族の集落ルテティアがあった 紀元前世紀 ガリア戦争の結果ルテティアはローマ支配下に入った ローマ時代のルテティアはシテ島からセーヌ左岸にかけて広がっており 円形劇場 闘技場 や公衆浴場などが築かれた 現在でも区に円形劇場 闘技場の遺跡 アレーヌ ド リュテス や浴場跡が残っている しかし ローマが衰退すると左岸の市街地は放棄され シテ島のみを範囲とする城塞都市になった このころからルテティアに代わり パリ と呼ばれるようになった 西フランク王国が断絶すると 年にパリ伯ユーグ カペーがフランス王に推挙されたことから パリはフランス王国の首都となった 王権の強化にしたがって首都も発達し 王宮としてシテ宮が建築された フィリップ世の時代にはパリを囲む城壁 フィリップ オーギュストの城壁 も築かれ その西に要塞 のちにルーヴル宮殿に発展する が設けられた このころのパリは初期スコラ学の中心のひとつでもあり 世紀ごろからパリ大司教座聖堂付の学校が発達し 年には王にも承認され のちのパリ大学につながっていった パリ大学は特に神学の研究で著名であった 右岸に中央市場 レ アル が作られたもこのころである こうして 左岸は大学の街 右岸は商人の街という現在まで続く町の原型が定まった この後もフランス王はパリには住まず ブロワ城やアンボワーズ城などのロワール渓谷の城を好んだ 特にフランソワ世は ロワールにシャンボール城を築いたほか パリ近郊にフォンテーヌブロー宮殿を発展させた もっともフランソワ世は 公式的には年にパリを居城と定めた パリでは学術が発展し コレージュ ド フランスにおいて 大学教育課程 理論とリベラルアーツ が近代教育課程に加えられ 王が望んだ人文主義や正確な科学が研究されるようになった その後 カトリック派からの反発を招いたアンリ世が暗殺され ヴァロワ朝は断絶した ルイ世の治世下にパリは大きく変化した その母のマリー ド メディシスによるテュイルリー宮殿やリュクサンブール宮殿 リシュリューによるパレ ロワイヤルが建設され ソルボンヌ大学の改築も行われた 太陽王ルイ世の即位後まもなくフロンドの乱が起こり 反動的に貴族勢力が打倒された結果 絶対王政の確立が促された ルイ世は 年に居城をヴェルサイユに移した 財務総監のジャン バティスト コルベールはパリでの豪華な建設事業を行い 太陽王にふさわしい 新たなローマ を作り上げようとした 廃兵院などはこのころの建築である しかし王自身はパリを好まず パリ郊外の広大なヴェルサイユ宮殿にて執政を行うことを好んだ このときまでにパリは中世の市域を大きく越えて成長し 世紀半ばには人口約万人 建物約万 棟に達していた 以降 政治の中心地は ルイ世の治世末期までヴェルサイユに移ることとなる ルイ世は年に居城をいったんパリに戻したが 年にはヴェルサイユに居城を再度移してしまう 年にはエコール ミリテールが創設され 年にはサント ジュヌヴィエーヴの丘に教会 現在のパンテオン が建設された ルイ世 フランス王 治世下の年から年にかけて 新たな城壁であるフェルミエー ジェネローの城壁が建設される 混乱を経た年当時の人口は 万 人であった ナポレオン世は パリを新しいローマとすべく 帝都と定め カルーゼル凱旋門やエトワール凱旋門を建て ウルク運河 を開削するなどした 第一帝政後の世紀のパリは 復古王政期および年革命 二月革命 を経て 第二共和政 第二帝政さらに第三共和政へと 王政ないし帝政と共和政が交錯し 政治的には安定しなかったものの 産業革命の到来により経済的 文化的には繁栄した 文化面では ヴィクトル ユーゴー オノレ ド バルザック エミール ゾラ スタンダールといった文豪に加え 世紀後半にはエドゥアール マネやモネ ドガ ルノワール セザンヌ ピサロ モリゾ ギヨマン シスレーといった印象派の画家が活躍し始めた スーラ ゴッホ ポール ゴーギャンなどのポスト印象派 新印象派へと続くものとなった 第二帝政下ではセーヌ県知事ジョルジュ オスマンによってパリ改造が行われた 中世以来の狭い路地を壊して道路網を一新したほか 上下水道の設置など都心部の再開発や社会基盤の整備が行われた 水道の水はジェネラル デゾーが供給するようになった これらによりパリは近代都市として生まれ変わった 現在のパリ市中心部の姿はほぼこのときの状態をとどめている 年 ティエールの城壁内のコミューンがパリに併合された 併合後である年当時の人口は万 人だった 普仏戦争でナポレオン世の主力軍が敗北すると パリは年月からプロイセン軍に包囲された 翌年月に第三共和政の政府は降伏したが パリの労働者らはこれを認めず蜂起した 月には史上初の労働者階級の政権パリ コミューンが発足したが ヴェルサイユ政府軍の攻撃によりわずかか月で崩壊した コミューンの最後はパリ市内での市街戦となり 大きな被害を出した クレディ リヨネのパリ支店支配人がリヨン本店支配人に書き送ったところによると 普仏戦争以後に企てられた全事業でロスチャイルドとその庇護下のオートバンクが独占的役割を果たした パリ市はロスチャイルドらより億フランを借り受け ドイツへ占領税を支払った 億フランのパリ市公債もロスチャイルドらが引き受けた 第一次世界大戦の緒戦ではドイツ軍がパリの目前にまで迫り 政府が一時ボルドーに避難するほどであったが マルヌ会戦の勝利により辛くも陥落を免れた 大戦後半にはパリ砲による砲撃を受けた 戦間期にはパリは芸術の都としての地位を回復し アメリカやヨーロッパなどから多くのボヘミアンたちを惹きつけた しかし第二次世界大戦が勃発すると ナチス ドイツのフランス侵攻開始からか月で政府はパリを放棄せざるを得なくなり 年月日にはドイツ軍がパリをほぼ無血で占領した 月日にはアドルフ ヒトラーがパリに入った 占領下のパリではレジスタンス運動に身を投じる者がいる一方で 積極的にドイツ軍に協力する市民もいた 後者はのちに対独協力者として糾弾されることになる ノルマンディー上陸作戦からか月半後の年月日 パリは連合国軍と自由フランス軍によって解放された このときドイツ軍のパリ駐留部隊を指揮していたディートリヒ フォン コルティッツ将軍は ヒトラーからパリを破壊するよう命令されていたが これを拒んで部隊を無抵抗で退却させ 自身は降伏した この英断によりフォン コルティッツは戦後 フランスから名誉パリ市民号を贈られている 人民戦線の頃以降のフランス共産党の党勢拡大などを背景として 年月日 セーヌ県が廃止され パリは特別市となった このような政治的や文化的状況下で 五月革命が起こった 戦後のパリでは おもに郊外 バンリュー で人口が急増した 環状高速道路ペリフェリックをはじめとする高速道路網や 郊外と都心を直結する鉄道などが整備され ラ デファンス地区がオフィス街として開発された 一方で豊かな都心と貧しい郊外という構図が生まれ 失業や治安の悪化が社会問題となった 年にはパリ郊外暴動事件が発生した フランス革命後の地方自治制度では パリ市はセーヌ県 当初の名称はパリ県 に属する一コミューンであり 同県の県庁所在地であった 当時の市域は現在より狭く フェルミエー ジェネローの城壁 現在は ほぼその跡に沿ってメトロ号線 号線が走っている の内側のみであった 当初は の地区に細分化されていたが 各地区を統合する形での行政区が設けられるに至った 市内の区 は パリ市街地の区から 右回りの渦巻状に番号がつけられている 区は右岸に 区は左岸に位置する この街の行政的地位は何度も変更されている 年月日から月日まで パリには 蜂起勢力である代表制普通選挙による議会をともなうパリ コミューンによる政府が置かれた 年に成立した第三共和政は この出来事への恐怖心を持つ保守主義者たちによって運営されていた 彼らは パリの行政権をセーヌ県知事 に パリの警察権を警視総監 にそれぞれ与えることを内容とする年月日法を制定した 他方 市町村選挙で議員が選出されるパリの議会は 毎年 主として代表者としての機能を有する 議長 を選出していた すなわち パリには市長がいなかった また街の予算は 国の同意を得る必要があった パリ リヨン マルセイユおよびコミューン間の協力による公共機関に関する年月日法が パリには年の市町村選挙の際に施行され 人の議員を選出することになったほか 特に予算に関する議会の権限が拡大し 委員会を廃して区議会が創設された パリの議会の活動は パリ県 コミューンが資本を保有する会社の仲介人やパリの混合経済会社 によっても実現される ほかの主要都市とは異なり パリとその郊外のコミューンとの間 大パリ 内には 固有の予算をともなうコミューン間の連携が存在しない もっとも パリとその郊外の県との間では 下水道組合 の再編を行った また イル ド フランス交通組合 は イル ド フランス地域圏の公共機関であり パリとその郊外の総合的な交通網整備を行う組織である ほかの国際的な大都市と異なり おおよそ環状のペリフェリックで区切られる中心市街のみを範囲とするパリの街については その実際的な範囲を明確にする必要がある 上述各城壁の変遷で見るように歴史的かつ政治的な配慮が障害となって 大パリ を管理する行政機関が存在しないことは パリ都市圏の現在の主要な問題のひとつである 現在のパリの領域は 上述概要の項で指摘されているように日本の山手線内よりやや広い程度である その市域の境界線は歴史的で時代錯誤な経緯の産物 あるいは現在はパリ都市圏に取り込まれ 消えてしまった地形に適合していたにすぎないものであるにもかかわらず 市域の内外を問わず パリ都市圏の人には共通の行政的需要ならびに経済的 社会的関心がある ところが 各コミューンは行政的 税制的に独立しており コミューンや県の枠を超えて存在する集団的需要 交通や住宅など に関する組織については 都市圏規模のまとめ役となる機構が存在しない イル ド フランス地域圏となると 地域の約パーセントに農村部が残っており パリ都市圏のための枠としては大き過ぎ 大パリ たるパリ都市圏内の適切な連携に適っていない現状がある 初代市長はジャン シルヴァン バイイ 在任 年月日 年月日 パリ大審裁判所がシテ島のパレ ド ジュスティス パリ に置かれている この裁判所は フランスの大部分の訴訟事件を取り扱う巨大司法機関である 各区には小審裁判所が置かれている パリ商事裁判所は やはりシテ島 コルス河岸 に置かれている パリ違警罪裁判所は区 パリ労働審判所は区 にそれぞれ置かれている パリのみを管轄する裁判所以外に 複数の県を管轄するパリ控訴院もパレ ド ジュスティスに置かれている その管轄は セーヌ エ マルヌ県 エソンヌ県 セーヌ サン ドニ県 ヴァル ド マルヌ県 ヨンヌ県である パリ控訴院の管轄区域には フランス全人口の パーセントが暮らしている なお ほかのイル ド フランス地域圏内の各県およびウール エ ロワール県は ヴェルサイユ控訴院の管轄となる パリは 区所在のパリ地方行政裁判所の管轄に属する 控訴は パリ行政控訴院に対して行うことになる ほかに マタ ウトゥ ムラン ヌーヴェル カレドニー フランス領ポリネシアの各地方行政裁判所からの控訴を受ける パリ 区 には 司法と行政それぞれの最高裁判所である破毀院と国務院 コンセイユ デタ に加え 憲法評議会 憲法院 も置かれている セーヌ サン ドニ県 オー ド セーヌ県 ヴァル ド マルヌ県と同様にパリ警視庁の管轄下にある イル ド フランス地域圏で犯される重罪および軽罪は フランス全土での分のを占める パリ市内 その外側の 小さな王冠 セーヌ サン ドニ県 オー ド セーヌ県 ヴァル ド マルヌ県 さらにその外側の 大きな王冠 は それぞれイル ド フランス地域圏内の全認知件犯罪のおおむね分のずつが発生している パリでみられる犯罪類型としては窃盗が大部分で 全重罪および軽罪の分のを占める 年には 万 件が認知され 犯罪発生率としては人口 人あたり 件であった これは 全国平均 の約倍であるが 大都市のみに限ってみれば平均的な数値である リヨン 件 リール 件 ニース 件 マルセイユ 件 女性被告人の割合はパーセントを下回り 全国平均をわずかに下回る程度 未成年の割合は パーセント 全国平均 パーセントをポイント下回る である 他方 外国人 有効な滞在許可証を所持しフランスに住居を有する者 の割合は 全国平均を上回る パーセントである パリでは 年の強姦事件数 件で発生率が とフランス国内で番目の高率であった の実施により 観光地や首都の戦略的要衝地の近くに武装した警察 憲兵および兵士が警備しているのを目にすることになる パリのいくつかの刑務所は今日でも有名である 右岸のグラン シャトレは 王の刑務所を内部に置き その別館 左岸のプティ ポンにあるプティ シャトレ とともに 世紀から破壊される年まで投獄所および拘置場所とされていた コンシェルジュリー バスティーユ牢獄 ヴァンセンヌ城のつの刑務所は 歴史的なシンボルとなっている コンシェルジュリーはパリの裁判所固有の刑務所であったが フランス革命の間にマリー アントワネットやほかのギロチン犠牲者を迎えたあとも 年まで拘置所として機能し続けた バスティーユ牢獄は年から構築され リシュリューが権力を振るっていたころに国の刑務所となった ヴァンセンヌ牢獄は やはり年まで国会の刑務所であったが その名の通りの投獄の場というよりもむしろ軟禁場所であり 第二帝政下までしばしばそのように使われていた 西岸海洋性気候に属し 暖流である北大西洋海流の影響で高緯度の割には温暖である 夏 月 月 は気温が度から度までの範囲で 冷涼で乾燥しており過ごしやすいが 年間数日程度は度を超える暑さとなる しかし 年夏には度以上の気温が数週間も続き 度近い気温が観測され万人以上の死者を出した 春 月 月 と秋 月 月 は天候は不安定で 暖かい時期と寒い時期が同居し 月でも真冬並みの寒さとなることもある 冬 月 は もともと高緯度で昼間の時間が短いうえ 曇りや雨の日が多いため日照時間が少ないが 降雪 積雪はあまり見られない 年間数日程度は気温が氷点下度以下まで下がる しかしながら近年の冬は寒さが厳しく 年 年の冬にはパリ郊外では気温が 度から 度前後まで下がっているなど 寒気の影響を受けやすくなっている 年間降水量はミリほどであり それほど多くはない 今までの最高気温は 年月日 最低気温は 年月日 である パリの気象観測は中心部から離れた区にあるで行われている パリの郊外にはヴェルサイユなど有名な観光地がいくつかあり そのほとんどはパリから日帰りで往復できる パリより電車で各分ほど離れた郊外にはいくつかの衛星都市があり 近代建築によって町の機能が整えられている 中でもラ デファンス地区には 新凱旋門グランダルシュ をはじめ高層ビル群が集中しており 多数の企業の支店を抱える新都心となっている 公園はパルク 庭園はジャルダン と呼ばれ区別されている パリには東西つの大きな森があり パリ市民の憩いの地となっている 現在はこの森もパリ市の敷地に含まれる パリは東西南北につの主要な墓地があり 多くの著名人が眠っている この他 パリ中心部に位置するパンテオンにもルソーやヴォルテール ヴィクトル ユーゴー デカルトといった偉人たちが埋葬されている パリは世界屈指の観光都市である 芸術の都 などのイメージを前面に出す戦略をとっている おもな集客装置は 歴史的な建造物の数 世界遺産 パリのセーヌ河岸 に入っている建物など 数の美術館に収められた著名な美術品 有名料理店で提供されるフランス料理 高級銘柄を扱う店舗などである 建造物は 中世以前のものも残るが 第三共和政期のパリ改造やベル エポックの建造物 あるいはフランス革命周年期のグラン プロジェの建造物など 各時代の世界の最先端のものが多い 美術館には フランスで活躍した著名な芸術家の美術品の他 戦利品や購買によって収集された世界一級の収蔵物が並ぶ 芸術の都 という異名が言い表すように パリは美術 音楽 演劇 バレエ 食文化 ファッションなど さまざまな芸術の世界的な中心地として名を馳せている 年には欧州文化首都に選ばれた ルーヴル美術館やオルセー美術館 ポンピドゥーセンター 国立近代美術館 などの美術館に世界一級の美術品が多数収蔵され ざっくりと時代ごとに美術館が割り振られている 古代から世紀半ばまでの美術品はルーブル美術館で観ることができ モナ リザ サモトラケのニケ ミロのヴィーナスなど世界中の誰もが知っている名作をはじめとして ナポレオンがエジプト遠征時に集めた古代エジプトの考古学品なども含めて常設展示数はおよそ万 点で 展示しきれない総所蔵作品数は万点以上 ざっと観ても数日かかり 全部じっくり観るとか月ほどかかるとも言われる ルーヴルは建物自体もかつての王宮であり 入場者数は年間万人以上である 世紀以降の絵画 つまり印象派 象徴主義 アール ヌーボーの絵画などはオルセー美術館に展示されている パリ市が運営する公共の美術館 博物館は市内にあり パリ ミュゼ という市の組織が管轄している これらパリ市所蔵の美術コレクションは国のコレクションに次ぐ規模を誇る 年月 パリ ミュゼはパリ市立美術館 博物館が所蔵する約万点の作品の無料ダウンロードを許可すると発表した パリ ミュゼは この他に下水道博物館 野外彫刻美術館 パビリオン デザール 展示会場 も管轄している 世界で一番歴史の長い劇団 年創設のコメディ フランセーズがあり 同名の劇場でその舞台を観ることができる パリには年に王立舞踏アカデミーとして創設された世界最古のバレエ団 パリ国立オペラ があり 旧オペラ座のガルニエ宮や新しいオペラ バスティーユでその公演を観ることができる パリは音楽都市のひとつである シャンソンを聞かせるライブハウスがいくつもある パリには管弦楽団が多数あり コンサートが頻繁に行われている 一時期は世界一流のレベルだったが近年はいくらか厳しい評価も聞かれる 毎年夏至の日月日には 音楽祭 がフランス全土で開かれ パリでもさまざまな場所でさまざまなジャンル ジャズやブルースなども含めてさまざまなジャンル の音楽の演奏が行われる コンセルヴァトワール ドゥ パリ パリ国立高等音楽 舞踊学校 があり 世界から才能のある若者が一流のバレエや音楽を学びにやってきている パリはガストロノミー 食によるおもてなし 食文化 一流の料理作り の中心地でもあり 有名なレストランがいくつもあり ギッド ミシュランでは三ツ星が例年店前後 世界で最高レベルのシェフの料理を堪能することができる つ星の店も多数 またフランス料理を習得しようとしている若い料理人 の卵 たちがそれら有名店で修行に励んでいる場所でもある 料理競技会も開催されている フランスにおける経済の中心地であり 世界屈指の経済都市でもある 年のパリ都市圏の総生産は 億ドルであり 東京都市圏 ニューヨーク都市圏 ロサンゼルス都市圏 ソウル都市圏 ロンドン都市圏に次ぐ世界位の経済規模を有する 多国籍企業の本社数や資本市場の規模などビジネス分野を総合評価した都市ランキングでは ロンドンとともにヨーロッパでトップクラスである パリバ トタル アクサなど世界有数の大企業の本社が所在しており 世界大企業の本社数では ニューヨークやロンドンを凌ぎ 西洋の都市では最多である 工芸品や贅沢品や服飾品などの ビジネスの集積地でもある アンシャン レジームの時代では 貴族は服をたった着手に入れるにも まずは布地を扱う商人のところへ行って気にいる布地を苦労して見つけ 次にその布を裁断する職人のところへそれを持っていって 次にそれを縫いあげる職人 と何軒もの店 職人をかけずりまわらなければならず おまけに訪ねる店は 現代からは想像もつかないような まるで倉庫のようなありさまで 価格の表示もなく 客は顔色をうかがわれてとんでもない高値を吹っかけられ 支払いも高利の掛け売りというありさまで 皆 服を手に入れることにうんざりしていた だがアンシャン レジーム末期のパリに 新しい経営方法を導入した服飾品の小売業者やモード商人が登場した それまで注文を受ける側であった商人が 主導権を握って王妃などに着る服を提案することを始めたのであり 王族を宣伝塔として巧みに利用し流行を意図的 恣意的に作りだし 貴族たちを煽って金儲けをするようになった 世紀にはさらにオートクチュール オーダーメイド服 への道を開き ファッションショーなどを開催し メディアも活用し巧みにイメージを作りだし 新興の富裕層 ブルジョワジー の欲望を掻きたて金儲けを行った しかしオートクチュールのビジネスは世紀後半には衰退し 現在では主としてプレタポルテを扱うようになった ショーの華やかな見た目に惑わされている一般人には見えないが ファッションウィーク期間中のパリというのは デザイナー側とバイヤー側が直接に会してビジネス上の冷徹でしたたかな交渉が行われる商業 ビジネス の空間でもある 若い女性の中には 商人によって金儲けのためにビジネスのツールとして作りだされ 雑誌などの各種メディアで流されている虚像を本当の像だと信じ その像に近づこうとパリにフワフワとやってきてしまう女性もいる 日本の若い女性でも パリに来て長期間その実態を自分の目で見るうちに 自分が虚像を信じていたにすぎないことに気づかされ やがて鬱状態になったり責められているように感じ苦しんで帰国していく事例も指摘されている パリ症候群を参照のこと 各節とも日本語での五十音順 パリ近郊に本社を置く企業も含める パリ市の人口は年現在 約万人で 近年は微増傾向にある 特に 再開発が進む南部や移民流入の著しい東部での人口増加が目立っている この間 郊外 市域外 の人口は増加している 世紀以降 かつて城壁に囲まれていた市域外にも市街地が大きく拡大し続け 現在 イル ド フランス地域圏 パリ地域圏 全体の人口は 万人にのぼる パリ市域内もおおむね商業 業務 住宅地としての活気と威信を維持しており アメリカの大都市などで見られる都心部の荒廃や郊外への人口流出 インターシティー問題 はさほど見られない むしろ 移民の多い一部の郊外での治安の悪化が顕著である バンリュー参照 パリはほかの大都市同様 学生 若者 老人が多い一方 子供を有するカップルの割合は低い 年 パリ市の世帯数のパーセント 人口数の パーセントは人以上の子供を有するカップルであったが 単身世帯数の割合はパーセント カップルのみの世帯数の割合はパーセントであった パリ市ではパーセント フランス全体の平均はパーセント の人が独身で パーセント 同パーセント以上 が結婚している また片親世帯の割合がパーセント 同パーセント と高い 離婚率ももっとも高く 婚姻件のうち件は離婚に至っており パリ市民の パーセントを占めている 出生率は 人中 人であり 国平均の パーセントより高い 一方 子どもの数は世帯あたり 人で 国平均の 人より少ない 半分の世帯において子どもは人である パリ市では住居が狭く高額であることが その主因である ファイル パリの地区毎の年間平均所得の分布 高所得者層はおもに西部に 低所得者層や移民はおもに北東部に居住している パリ市の平均世帯所得はフランス全体の平均より高く 隣接する郊外のオー ド セーヌ県 イヴリーヌ県 エソンヌ県 ヴァル ド マルヌ県の地域の平均所得も国内で最高水準であり イル ド フランス地域圏に高所得者層が集中している しかしパリ市内の社会的格差の状況は さらに複雑である 伝統的には豊かなパリ市西部と 貧しいパリ市東部という構図がみられる 実際 区の平均世帯所得 年 は万 ユーロにのぼり 区の万 ユーロの倍以上となっている イル ド フランス地域圏において パリ区 区 区 区はもっとも高所得の地域 区 区 区 区はもっとも低所得の地域に分類される さらに 市内の区の状況はそのまま所得が低い北東部郊外のセーヌ サン ドニ県に連なる一方 区の外縁は西部の豊かな郊外に続く パリへの大量の移民の第一波は年代 ドイツの農民が 農業危機とナポレオン ボナパルトの侵攻にともなって移住してきたことによる その後 今日に至るまで 何度か移民の波が続いている 世紀はイタリア人と中央ヨーロッパのユダヤ人 年のロシア革命後はロシア人 第次世界大戦中は植民地の国から 大戦間期はポーランド人 年代から年代はスペイン人 イタリア人 ポルトガル人 北アメリカ人 またアフリカ アジア地域の独立後はユダヤ人が移民してきた 移民の居住区域は それぞれ出身地ごとに異なっている 中等教育については 区にそれぞれ所在するリセ ルイ ル グランやリセ アンリ キャトルが全国的かつ国際的にも有名である パリ市内は 現在も大学の中心地であり続けている パリ第からパリ第までの各大学は再編されて左岸のつの区 区 区 区 に存在している カルチエ ラタンには パリ ソルボンヌ パリ第 大学 高等師範学校 コレージュ ド フランスといった歴史的施設が残り 重要な地位を今も保ち続けている また ほかの高等教育機関もこの地区に存在する パリ政治学院 パリ第大学 パリ第大学 ジュシュー キャンパス パリ第大学とパリ地球物理研究所による複合研究施設 パリ第大学 社会科学高等研究院 古文書学校 美術学校 パリ市立工業物理化学高等専門大学 応用美術研究所 パリ国立高等鉱業学校 パリ高等化学学校 生活工業 環境科学研究所 パリ高等電子工学研究所 パリ企業経営学院 などである なお パリ第大学 エコール ポリテクニーク エセック経済商科大学院大学などは いずれも郊外に移転している 大学街は東部に広がり かつて区にあったパリ第大学は フランス国立図書館が移転した区において 複数の大学施設を一般公開している 国立高等工芸学校が年からイタリア広場近くに迎え入れられている パリ市は つの高等専門学校を有している つは応用芸術に関するもので エコール ブール 家具修理 エコール エティエンヌ グラフィック 特に装丁 が有名である つは科学技術に関するもので パリ市立技術学校 パリ市立工業物理化学高等専門大学である エコール デュ ブルーユは園芸に関するものである 数多くの病院がパリに設置されている そのうちいくつかは特に古く 医療の伝統は中世にまでさかのぼる 年にパリ司教だった聖ランドリーによって設立されたシテ島のオテル デューは パリでもっとも古い医療施設である 慈愛ともてなしの象徴であり 世紀まではパリで唯一の病院であった 大部分の医療施設は 年月日法によって創設された公的医療施設である 公的支援 パリ病院連合 に名を連ね パリ市の後方支援をしている 地域圏およびパリの医療センターの役割も果たし 多くの医師や公務員を含む万人以上が業務に従事している 区にあるミラミオン館は かつて病院の施設として使用されていたが 現在は の博物館となっており パリの医療の歴史を想起させている のパリ市内主要病院としては ネッケル小児病院 コシャン病院 サルペトリエール病院 サン タントワーヌ病院 サン ルイ病院 ビシャ クロード ベルナール病院 ジョルジュ ポンピドゥー欧州病院を挙げることができる 他方 アンヴァリッド 軍病院は に属していないが 保健大臣の監督のもと国防大臣に権限が委任されており 退役軍人などの治療を行っている 同様に 国立アンヴァリッド研究所 では 現役および退役軍人 その家族などの被保険者を含む などが医療看護や外科的治療を受けられる パリの近郊 小さな王冠 では パリ東 クレテイユ ヴァル ド マルヌ大学 パリ第大学 附属アンリ モンドール大学病院センター クレテイユ パリ南大学附属クレムラン ビセートル大学病院センター ル クレムラン ビセートル ル ランシー モンフェルメイユ コミューン連携医療センター ボジョン病院 クリシー が有名な医療機関である 大きな王冠 においても に属してはいないが いくつかのコミューン連携の総合病院が存在する たとえば アルジャントゥイユのビクトル デュプイ病院やヴェルサイユ医療センターを挙げることができる また 医療研究機関としては 年にルイ世によってパリの視覚障害者救済を目的として設立されたキャンズ ヴァン病院 いずれも軍の衛生部に属するヴァル ド グラース軍研究病院 ペルシー軍研究病院 ベガン軍研究病院を挙げることができる さらに ヌイイ シュル セーヌには 年に設立された社会保障非受益者のための非営利 認可私立病院であるパリ アメリカン ホスピタルも特筆される パリは フランス全土でも医師の密度がもっとも高い街のひとつである たとえば 年現在 パリの一般医は 人を下らないが セーヌ サン ドニ県とヴァル ドワーズ県には両県を合わせても 人の一般医しかいない パリでは 公衆衛生を保証 保持するため 特に貧困層向けに の市立入浴施設がつの区に分散設置されている これらの入浴施設は個室を有するが 洗面具は利用者が用意することになっている 主要ターミナル駅 市内にはメトロ 地下鉄 と 高速地下鉄 がくまなく走っている メトロは号線まであり 運営は パリ市営交通 が行っている 年にパリ市最南端でトラム 路面電車 が開通した このほか郊外を結ぶトラムがある パリ市内では道路混雑を避けるため自動車交通の抑制が目指されており バス 自転車専用レーンが多く設置され 一方通行路も多くルートが複雑であるため 不慣れであると運転が難しい また主要交差点の多くは ラウンドアバウト ロータリー 方式となっている 地元民の多くは 狭い市内で駐車場所を確保するために前後間隔を密着させて道路脇に縦列駐車を行っており 路上駐車が非常に多い パリ市域の外縁を環状高速道路ペリフェリックが取り巻いており その内側の市域には立体交差式の自動車専用道はあるものの 高速道路は存在しない 最も一般的な道 この他 歩行者用の通路のパッサージュ アーケードの商店街が多い や 行き止まり道を示すアンパッスなどがある ローマのみがパリにふさわしく パリのみがローマにふさわしい ヨーロッパ的な街並みに対し のパリ と異名がつけられている 特に移民や植民地などでフランス色が強い都市に多い 上述までの既出のリンクを除く スポーツ 施設 美術 音楽教育機関 テレビ局 ラジオ局 催事 出来事 化学 舞台とした作品 生物学 せいぶつがく とは 生命現象を研究する 自然科学の一分野である 広義には医学や農学など応用科学 総合科学も含み 狭義には基礎科学 理学 の部分を指す 一般的には後者の意味で用いられることが多い 類義語として生命科学や生物科学がある 後述の 生物学とは 生命現象を研究する分野である 日本の 生化学辞典 によると 生物学は生物やその存在様式を研究対象としている ということになっており の定義では 生物学の研究対象には構造 機能 成長 発生 進化 分布 分類を含むということになっている 扱う対象の大きさは 一分子生物学における 細胞内の一分子の挙動 から 生態学における 生物圏レベルの現象 まで幅広い 現代の生物学が成立したのは比較的最近だが 関連し含まれていた科学は古代から存在した 自然哲学はメソポタミア 古代エジプト 古代インド 古代中国で研究されていた しかし 現在に繋がる生物学や自然研究の萌芽は古代ギリシアに見られる 一般に 諸研究に先駆しているという意味で 古代ギリシャのアリストテレスをもって生物学史の始めとする アリストテレスは実証的観察を創始した 全時代を通じて最も観察力の鋭い博物学者の一人 などとされ 生物の分類法を提示するなどし 後世に至るまで多大なる影響を及ぼしたのである アリストテレスの動物学上の著作として残っているものとしては 動物誌 動物発生論 動物部分論 心について 霊魂論 とも がある 動物誌 では を越える種の動物 約種の魚類や約種の昆虫を含む を扱っており 随所で優れた観察眼を発揮している 植物に関する研究も行い著作もあったとされるが 失われ現在では残っていないとされる アリストテレスの生物に関する研究の中でも動物に関する研究は秀でており 特に動物学の始原とされる 分類 生殖 発生 その他の分野において先駆的な研究を行い その生命論や発生論は世紀や世紀の学者にまで影響を与えた ただし アリストテレスの生物学は 今日の視点から見れば生気論 目的論的であり その意味では哲学的といえる は有生物と無生物を区別する原理として プシュケー という用語を用いて説明していたが アリストテレスはこのプシュケーを 可能態において生命を持つ自然的物体の形相 エイドス と定義し プシュケーは生命の本質をなしており 自己目的機能であり起動因だ と記述した 中世には イスラム世界でジャーヒズ 年 年 や 年 年 らが植物学の著作を残した 現代生物学は アントニ ファン レーウェンフックが発明した顕微鏡の普及とともに発展した 科学者らによる精子 バクテリア 滴虫類 そして生命が持つ驚くべき奇妙さと多様性が次と明らかにされた ヤン スワンメルダムの調査は昆虫学に対する関心を新たにし 顕微鏡を用いた解剖や標本用染色の技術を向上させた 英語の はギリシア語の 生命 に接尾語 の学問 である これは ブルダッハ 年 ゴットフリート ラインホルト トレフィラヌス 年 ジャン バティスト ラマルク 年 らによって それぞれ独立に用いられはじめ 広まることになった 現代の生物学者は 基本的に唯物論或いは機械論の立場を取り 生物は有機化合物などの物質から構成された複雑な機械であると見なす 一つ一つの要素を解明していく還元主義が有効である場面は依然存在するが 還元主義だけで複雑な生命現象を理解する試みには限界があることが理解され始めたため 生物を複雑系として扱う考えかたも発展してきている 生物学では 一般的にヒトを特別な生物種としては扱わない しかし 我自身がヒトであり その研究は医療や産業などと関連しているため 生物学の中でヒト研究は重要であり関心も高い 生物学研究の成果は医療や農業における基礎を提供し 応用面で人類に大きな利益をもたらしている 生物学に関連する産業はバイオ産業と呼ばれ 産業と並び発展性のある大きな市場を形成し 経済的にも重要な位置にあるとされる 生物学の知見や技術は生命の根幹に大きく関わるようになり 倫理的 社会的な影響も注目されている 生物学では 他の自然科学分野と同様に 記載 実験 理論といった科学的方法によって研究が行われる ここでの 理論 は方法論としての理論を指す これらは独立したものではなく それぞれが関連し合って一連の研究を形作る 記載とは 詳細な観察に基づいて基礎となる事象を明らかにすることであり 研究において最も始めに行われる 生物種を同定するための形態学的観察をはじめとして 実験操作を加えない状態での発生現象や細胞構造の観察 生理条件下での生理活性物質の測定 ひいてはゲノムの解読も記載と言える また 個の事例の記載を基礎とし それらを比較することからより一般的な知見を得ることは 特に生物学では重視されてきた これは一つにはその構造や現象が複雑で 研究史の初期において実験系を作りにくかったこと 他方で生物が多様であり その背後に進化があることからそれを比較によってあぶり出すことに大きな意味があったからである たとえば比較解剖学や比較発生学はそれぞれの分野の発展の中では大きな意味を持ち それらは直接に進化論の発展に結びついた 実験は人為的に操作を加えることにより通常と異なる条件を作り出し その後の変化を観察 観測することで 生物に備わっている機構を解明しようとする実証主義的な試みである 突然変異の誘発や 遺伝子導入 移植実験などさまざまな手法を使う 現代生物学は実験生物学の性質が強くなっている 実験操作は科学的方法に基づき 対照実験や再現性の確認などにより 実験者の主観が除かれる必要がある 一方 進化や生物圏レベルの生態学研究のように実験による証明が困難である場合は 様な観測データや古生物の化石などを用い 比較や構造化など理論による説明を試みる またバイオインフォマティクスのように膨大なデータを統合して理解しようとする場合も 理論によるアプローチに重点が置かれる 実験を行う前に仮説を立て結果を予想したり 実験結果を解釈して抽象化や普遍化させて法則や規則性を見いだしたりすることも理論の一部である このような理論面に重点を置いた分野を理論生物学 数理モデルを用いる分野を数理生物学とよぶ これらの分野は高度に抽象化するため 対象の生物学的階層には捕われない性質がある 新たな方法論として 蓄積したデータに基づいてコンピュータ上に仮想システムを構築することで構造を理解したり そのパラメータを変化させるシミュレーションにより実験の代わりとするシステム生物学も登場している 生物学のパラダイムを大きく変えたものには細胞の発見 進化の提唱 遺伝子の示唆 の構造決定 セントラルドグマの否定 ゲノムプロジェクトの実現などがある 細胞の発見やゲノムプロジェクトは主に技術の進歩によってもたらされ 進化や遺伝子の発見は個人の深い洞察によるところが大きい 進化はチャールズ ダーウィンをはじめとする数人の博物学者によって世紀に提唱された概念である それまでは経験的にも宗教的にも 生物種は固定したものとされていたが 現在では 同じ種の中でも形質に多様性があり 生物の形質は変化するものとされ 種の区別が困難なものもあるという指摘がされている 単純な生物から多様化することで現在のような多様な生物が存在すると考えることが可能になり 生命の起源を研究可能なテーマとすることができるようになった 進化論は社会や思想にも大きな影響を与え 近代で最も大きなパラダイムシフトのつであった 遺伝自体は古くから経験的に知られていた現象である しかし 世紀後半 メンデルは交雑実験から遺伝の法則を発見し 世代を経た後にも分離可能な因子 すなわち遺伝子が存在することを証明した さらに染色体が発見され 世紀前半の遺伝学 細胞学による研究から 染色体が遺伝子の担体であることが確証づけられた この過程において古典的な遺伝学が発展し その後の分子生物学の誕生にもつながった からへの転写 からタンパク質への翻訳 遺伝暗号などの解明により セントラルドグマと呼ばれる タンパク質 といった一方向の情報伝達がまるで教義のように思われた時期もあったが これを裏切るかのように逆転写酵素やリボザイムといった発見も世紀後半に相次いだ ゲノムという概念は ある生物種における遺伝情報の総和として提唱された ゲノム という語は遺伝子 と 総体を表す接尾語 の合成語である 技術発展によりゲノムプロジェクトが可能になり ゲノム研究は 生物学における還元論と全体論 普遍性と多様性を結びつける役割をもつようになった 生物種間でのゲノムの比較により普遍性と多様性理解への糸口を与え 還元的な研究に因子の有限性を与えることで 個の研究を全体論の中で語ることを可能にした 他にも様な総体に対する研究が始まっている が年に主張したところところによると の生物学においては 特に重要な題材は 以下に挙げるつの原則で それらは 基本公理とも言える と言う 生物学が自然史学の一部だった時代には 記載生物学が主体だった 現代生物学は 実験が主体になっている さらに将来は ゲノムやプロテオーム研究などで蓄積された膨大なデータをコンピュータで処理し そこから生命の原理に迫る生物情報学が主体になるかもしれない 急激なコンピュータの高速化と並行して 実験や観察技術 新たな分析手法の発見など技術発展も進むだろう 純粋生物学に残された大きなテーマには生命の起源 ヒトの精神あるいは心理過程 地球外生命体などがある すでに起きてしまった生命の起源や進化は 実験で再現できない ただし 生物物理学的 生化学的に生命 細胞 の誕生を再現する試みはある 心理学はヒトやほかの動物の行動や心理過程を研究しているが 生物学と心理学とは 従来よりおもに神経メカニズムという観点から関係をもってきた しかし とくにヒトの高次心理過程は いまだ現在の生物学の知見を超える部分が大きい 今後 そういった高次心理過程も 心理学における行動 認知レベルの研究に加えて 生物学における分子レベルの 細胞レベルの 皮質のグローバルなレベルでの研究を進めることにより 両分野のあいだで統合的に説明できるようになるかもしれない 地球以外に生命は存在するかという問題は まだ生物学のテーマではないと 現在の多くの生物学者は考えている しかし 火星やその他の惑星 衛星の探索が進み 生命やその痕跡が発見されれば 重要なテーマの一つとなり 現在の生物学に大きな改変が迫られる可能性がある また 医学や農学 薬学や化学工学などへの重要性は増し 応用は今後もますます増加していく 生物学の諸分野は 各論 方法論 理論の視点から分類できる 各論は研究対象によって 方法論は手法によって 理論は普遍化された学説によって分野名がつけられる ただしいずれの分野も 程度の差はあれつすべての性質をあわせもっているため 分類は便宜的なものになる 例えば 細胞生物学 微生物学 生物物理学 生化学 生物学を大きくふたつに分ける場合 個体の内部の生命現象を解析する方向 広義の生理学 と 個体間 種間 個体と環境など関係を個体の外に求めてゆく方向 広義の生態学 がある また 生物学の各論には 生物の系統分類と生物学的階層性という大きなつの軸があるとされる 前者によって分類する場合 代表的な分野は 動物学 植物学 微生物学のつである それぞれは系統分類にしたがってさらに細分化できる 動物学の下位には原生動物学 昆虫学や魚類学 脊椎動物学などがある 同様に 植物学の下には顕花植物学や樹木学など 微生物学の下にはウイルス学や細菌学などがある これらの分野では 生物の特異性 多様性を重視する流れがある 一方 対象の大きさ つまり生物学的階層性 すなわち現象 を軸にすると 代表的な分野は 分子生物学 生化学 細胞生物学 発生生物学 動物行動学 生態学などがある 図 生態学は生物群の大きさによって個体群生態学 群集生態学などに分けられる他 対象とする場所を重視する場合は森林生態学や海洋生態学 極地生態学などの名称も用いられる 生物学的階層性は生物の分類に対して横断的であり 生物の普遍性が注目される この軸では個体レベルを境として大きくつに分けることができる この視点から諸分野を見ると 個体レベル以下を扱う分野は分子生物学の影響が強く還元主義的な傾向があり 個体レベル以上を扱う分野は全体論的な傾向がある 動物発生学や植物細胞学などの分野は このつの軸を考えるとその領域が把握しやすい 方法論は各論分野に必要に応じて導入され 実際の研究を発展させるために必須なものである 理論は抽象化により総合的 普遍的な視点を各論に提供する 最も古くからある方法論の一つは 生物の分類を扱う分類学である 分類は生物学の基礎であり 進化研究の手がかりにもなる 伝統的には形態に注目して分類されていたが 近年では分子生物学の手法を取り入れた分子系統分類がさかんである 生化学は化学的手法 分子生物学は 操作を使う方法論でもある 分子遺伝学や逆遺伝学から発展したゲノムプロジェクトやバイオインフォマティクスは 新たな方法論として脚光を浴びている 生物学の理論としては 遺伝学や進化学が代表的である 遺伝学は 遺伝子の機能を間接的に観察するという方法論でもある 遺伝や進化の理論は 具体的なレベルでは未だ議論があるが 総論としては生物学に必要不可欠な基盤となっている 生物学の分類として 記載生物学 比較生物学 実験生物学といった類型化もある 記載 比較 実験は上記のように生物学の基本的な手法なので このような区分は成立しないことが多いが むしろ歴史的な展開の中での各部分に対してこの名が使われることがある それも個の分野名にこの名を被せる例が多い 記載生物学は 生物の形や構造を把握し 図や文で記載することを行うのを主目的とする 比較生物学はそれによって知られるようになったものを他の生物のそれと比較することから何かをえようとする 実験生物学は記載や比較では得られない知識を 生物を操作することで得ようとする 従って 生物学はこの順番で発展する ただし記載はあまりにも最低限基本的な操作なので これを冠する例はない 記載をしなければそれは科学以前である たとえば近世から近代の生物学発展の初期 比較解剖学は極めて重要な分野として独立していた これは発生学に結びついて比較発生学の流れをつくり 両者融合して比較形態学と呼ばれた しかしこの分野は内部造反的に実験的手法に頼る実験発生学を生み出す 生物学は さまざまな形で他の学問分野と関係している 概念 理論 研究手法などの面で生物学に影響を与えた自然科学の分野としては 先に発展していた物理学と化学が挙げられる 特に分子生物学以降は物理学の影響が強い 生化学や生物物理学などはこれらの境界領域の分野と言える 応用科学では医学における生化学や生理学 解剖学は 動物学や発生学と関連し 農学における育種学は遺伝学の誕生に寄与し その過程で近代的な推測統計学を醸成した また 数学は自然科学の基礎として生物学に影響を与えているほか 特に数理生物学や集団遺伝学などでは高度に数学的な概念 分析手法が用いられる 近年では ゲノムやプロテオームの解析から得られる膨大なデータを処理する必要があるため バイオインフォマティクス 生物情報学 と呼ばれる分野では情報学の方法論が取り入れられ ゲノミクスやプロテオミクスで用いられている また 生命現象をシステムとして理解することを目的とするシステム生物学が発展しつつある 生物学と相互に影響しあっている分野も数多い 生態学は理論面で経済学と強い関連があり 地球科学と観測技術を共有している これらの影響は 一方通行ではなく相互的である 人文科学系の分野の中では 自然哲学の一分野である生物哲学 方法論としては科学哲学 倫理面を研究する生命倫理学などが生物学と対象を共有している 科学史の一分野である生物学史は 生物学の歴史が研究対象である 生物学から多くの影響を受けた分野に 理論社会学や社会思想がある ダーウィンと同時代に生き 適者生存などの語の発案者でもあるハーバート スペンサーや エミール デュルケームは 社会の変化 特に分業の発達と構成要素の多様化を生物進化になぞらえて考察する理論を打ちたてた 彼らの学問は社会学の中でも多く知られているが スペンサーを除けば 生物学から影響を受ける量が多く 生物学への影響は限られている また 生物をメタファーとして社会を説明する理論にはほかに マーシャル マクルーハンによるメディア論や梅棹忠夫による情報産業論など 広く知られたものが多くある システム理論やサイバネティックスは 生物学による生命体の理解を手がかりに 秩序や変化についての一般理論を構築している これは社会学にも社会システム論として影響を与えている 生物学の知見と技術を応用に用いる分野は バイオテクノロジーまたは生物工学と呼ばれる 遺伝子操作に重点が置かれる場合は遺伝子工学 発生過程に重点が置かれる場合は発生工学ともいう 生物学の成果を実業に活用する産業はバイオ産業と呼ばれ とならんで勢いのある市場であり ベンチャー企業が次と誕生している アメリカでは大学の研究者が起業することも多い 遺伝子治療 幹細胞を用いた再生医学 一塩基多型 を用いたオーダメイド医療やゲノム創薬などが注目されている 農業や畜産関連でもバイオテクノロジーが生かされており これらを支える基礎研究は重要である 政府や企業は多大な資金を提供し その発展を促している 応用分野に輝かしい貢献をすると同時に 現代生物学はさまざまな倫理的問題を抱えている それらはゲノム情報 遺伝子操作 クローン技術など 生命の根幹に関わる技術や情報によりもたらされた これらは 臨床医療においては恩恵をもたらす一方で 差別や生命の軽視など深刻な社会問題を引き起こしつつある このような課題は生命倫理学によって扱われる また 遺伝子操作によって作られた遺伝子組み換え作物 作物 の環境への影響 遺伝子汚染 という問題提起がなされており 議論が行われている 近代から現代にかけて 人間の活動によって環境破壊が起こり 生物多様性が急速に失われている 生物学は観測を行い 科学的裏付けのあるデータに基づいた提唱をしたり 生態系や生物多様性について正しい情報を発信するなどの取り組みも必要である 現代生物学およびそれに携わる人は 純粋な科学的研究成果のみならず このような倫理的側面に対しても熟考し議論を深め 社会的責任を果たすことが求められている という語は 生命 を意味するギリシャ語の と 言葉 論 を意味する から造られた ブルダッハ 年 トレヴィラヌス 年 ジャン バティスト ラマルク 年 らによって独立に用いられた 生物学が様な生物を分類記載する博物学から発展したことからもわかるように 生物学には生物の多様性を理解しようとする伝統がある 一方 生命科学 や生物科学 という語は 分子生物学が誕生してから新しく作られたものである 全ての生物に共通する 言葉 であるを分子生物学が提供したことで 分野ごとに断片化していた生物学が統合されつつある そこで新たに生命科学という言葉が用いられるようになった ただし 生物学も生命科学も広義に解釈すると範囲は広く重なり 実際の生物研究をどちらかにわけることは難しいことがある また 生物学 の意味も時代とともに変化しており しばしば 生物科学 や 生命科学 と同じ意味に使われる プログラミング言語 プログラミングげんご とは コンピュータプログラムを記述するための形式言語である なお コンピュータ以外にもプログラマブルなものがあることを考慮するならば この記事で扱っている内容については コンピュータプログラミング言語 に限定されている 日本産業規格の シリーズの規格名称では 全て プログラム言語 になっている 例 プログラム言語 プログラム言語 ため それに合わせてプログラム言語とされることもあるが 英語では であるため それに合わせればプログラミング言語となる 個のプログラミング言語の名称は など単にその名前だけで呼ばれることもあるが のように文字などの場合 たいていの文脈ではわかりにくいといった理由から 言語 の部分だけを接尾辞として用いた 言語 などとすることも多い 自然言語と同様 構文規則 言語学で言う統語論の規則 と意味規則 同じく意味論の規則 で定義される 形式的ないし非形式的 自然言語による な仕様が 構文規則は形式的で 意味規則はそうでない というものが多い 実装とは独立した文書で示される言語もあれば 実装のみの言語もある プログラミング言語は 情報を組織し処理するタスクについての理解を容易にし アルゴリズムを正確に表現することができる 特に チューリング完全である事が特徴である また プログラミングへの応用も想定して設計されたロジバンのように 人間の言語とプログラミング言語の中間に位置するものがある プログラミング言語は人間同士の会話と比較して 正確性と完全性の要求性が非常に高いという特徴がある 自然言語で人間同士が対話する場合 スペルミスや文法的なエラーがあっても相手は状況から適当に補正し 正確な内容を把握する しかしコンピュータは指示が曖昧では動作せず プログラマがコードに込めた意図を理解させることはできない 言語仕様とプログラムとその入力データの組合せで そのプログラムを実行したときの結果 外部から観測される振る舞い が完全に指定できなければならない 多くの言語は 新たなニーズを満たすべく設計され 他の言語と組み合わされ 最終的に使われなくなる あらゆる用途に使える万能言語を設計しようという試みはいくつかあったが そういう意味で成功した言語は存在しない 多様な言語が生まれる背景には 言語が使われる状況の多様性がある プログラミング言語開発における共通の傾向として より高いレベルの抽象化によって より高い問題解決能力を得ようとしている 初期のプログラミング言語は コンピュータのハードウェアのレベルと極めて近かった 新たなプログラミング言語が開発される度に機能が追加され プログラマはハードウェアの命令からより遠い形でアイデアを表現できるようになっていった プログラミングをハードウェアから分離することで プログラマの生産性は向上する プログラミングにおけるプログラミング言語の必要性を排除する方法として 自然言語処理が提案されてきたという面もある しかし その方向性は実用化には達しておらず 議論が続いている エドガー ダイクストラは形式言語の使用によって意味のない命令を防ぐという立場で 自然言語によるプログラミングを批判していた アラン パリスも同様の立場であった このあたりの歴史的に錯綜した議論は 結局のところ コンピュータを活用するにはプログラミングが必要であり プログラミングはプログラミング言語で行われる というある種のドグマが 次のつの事象に分解されることで無意味な議論になった すなわち コンピュータをほどほどに活用する程度のことならば 各種アプリケーションソフトウェアや自然言語認識や自然言語処理技術の活用など スマートスピーカーなど により 利用者が自分でプログラミングすることは必ずしも必要ではなくなった ということと コンピュータのより徹底した活用 具体的にはそういった自然言語認識や自然言語処理のシステムそのものを作るには プログラミングが必要ということは全く相変わらずであり プログラミング言語の重要性は増えこそすれ 減りはしない ということである プログラミング言語は 人間がコンピュータに命令を指示するために作られており コンピュータが曖昧さなく解析できるように設計されている 多くの場合構文上の間違いは許されず 人間はプログラミング言語の文法に厳密にしたがった文を入力しなければならない これに対して 一般に自然言語の文法規則はプログラミング言語にくらべてはるかに複雑であり 例外も多い ただしこれは規則が一般にいいかげんであったり 曖昧であるということではない 一般に自然言語の規則は奥が深く 驚くほどの非合理性に裏打ちされていることもあれば 驚くほどの合理性に裏打ちされていることもある 驚くほどの非合理性でも合理性でもないものに裏打ちされていることもあれば 驚くほどの裏打ちの無さがあることもある また 自然言語の意味は その文脈 コンテキスト によって定まる部分も多い これに対して プログラミング言語は コンピュータによって扱いやすいように 文脈によって意味が変わることができるだけないように設計されているが その文脈によって定まる部分がある場合も無くはない たいていの言語にいくつかはある 自然言語は 誤用や流行などにより長い時間をかけ たくさんの人間の利用により 意図せざる形で変化していく しかし プログラミング言語の規則は 言語設計者の意図と作業によってのみ 変更される 実際には言語設計者が たくさんの人間 である場合もあり 仕様が簡単な言語であれば多くの実装者がいることも多く そういう場合は個の実装ごとのその仕様があるとも言える 長い時間をかけ 自然言語と全く同様にたくさんの人間の利用により変化してきたプログラミング言語もある など また プログラミング言語にも同様に流行があり もともとの言語仕様では規定が無かったような一種の 誤用 に 後から仕様が定められる といったことも必ずしも珍しくはない 人間がふだん使っている日本語などの自然言語を使ってコンピュータに指示することができるのが理想ではある と空想する者もいる しかし 自然言語はあまりにも複雑で曖昧で変則的なので それを機械語にコンパイルできるようなプログラムを作成することはとても難しい コンパイルできるできないの問題ではなく そもそもその意味が 複雑で曖昧で変則的 であること自体が問題なのだが それを理解できない者が冒頭のように空想するのである そのような研究も進められているが 未だに汎用で実用になるプログラムは作成されたことがない そこで 自然言語よりも制限が強く 単純で厳密で規則的な人工言語を作って代用する これがプログラミング言語である プログラミング言語は自然言語よりもいくらか人間には扱いづらいが 機械語よりは遥かに親しみやすく 人間の指示の手間を軽減している ちなみにコンピュータ向けの形式性と人間向けの柔軟性を兼ね備えるロジバンなど 本来の開発目的が違えど潜在的に一つのプログラミング言語として機能しうるものもある 大部分のプログラミング言語は 基本的には概ね文脈自由文法に沿っているが プログラミング言語における文法的な制限は必ずしも全て文脈自由文法で表現できるとは限らず 文脈自由文法より制限されていることもあれば文脈自由文法より拡張されていることもあり 多くの場合は文脈自由文法には完全には沿っていない プログラミング言語の見た目は その構文 統語論 で決定される 図形などを使うグラフィカルなプログラミング言語もあるが たいていのプログラミング言語のソースコードは文字列である ファイル形式ではプレーンテキストすなわちテキストファイルが用いられる また たいていのプログラミング言語では まず 英語では などと呼ぶ ソースの文字列から空白類を取り除き最小の意味のあるカタマリを取り出した 字句 トークン があり 構文は字句の並びである という扱いのことが多い 字句を切り出して分類する処理を字句解析 その並びを調べる処理を構文解析という 字句解析のために 字句規則を示すのには正規表現が そして 構文解析のために 構文規則を示すのにはバッカス ナウア記法が使われることが多い 下記はの構文のごく小さなサブセットである これは 次のような規則である これに従った例として などがある 構文上正しいプログラムが全て意味的に整合しているとは限らない という設計の言語も多い また 意味的に整合していても それを書いた人が 自分の意図を正しく反映できていない場合もある 以下の言語のコード断片は構文上は正しいが 意味的には問題がある はヌルポインタなので と を評価しようとすることは 未定義 であり この場合はおそらくセグメンテーション違反をひきおこす 自然言語の言語学に構文論 統語論 と意味論があるように そのプログラムが表現しているものは何か というのが プログラミング言語の 意味 である たとえば という式の値は の値との値を加算した値である といったような規則の集まりであり プログラム意味論という分野で形式的な意味論 形式意味論 も研究されているが 言語の標準規格など 自然言語で意味を与えている言語や 形式的でない擬似言語のようなもので与えている言語もある 型システムは プログラミング言語において式の値となるデータ型について 型理論にもとづいて分類しどう扱うかを示すものである また 内部的には ディジタルコンピュータでは全てのデータはバイナリ 二進法 で保持される 型のある言語は 型システムによって それぞれの値のデータ型に応じて 定義されていない操作が実行されないよう 多かれ少なかれ チェックされる機構を持つ 例えば は文字列型の値である ふつう 数を文字列で割る操作には意味がない そのため そのようなプログラムは拒絶する 言語によっては コンパイル時に検出し 静的型検査 コンパイルを失敗とする 言語によっては 実行時に検出し 動的型検査 例外とするものもあればなんらかのコアーション 型の強制 を行うものもある 理論的には 静的なシステムのみを指して 型システム とすることもある 型のある言語の特殊例として 単一型言語がある といったスクリプト言語やといったマークアップ言語は 単一のデータ型しか扱わない 多くの場合 そのときのデータ型は文字列型である アセンブリ言語などの型のない言語は 任意のデータに任意の操作を実行可能であり データは単にある長さのビット列として扱われる ある程度高い機能を持ちつつも型が無い あるいは単一型の プログラミング言語の例としては やなどがある 型という概念自体が無いわけではない 例えば 浮動小数点に対する加算 という演算子といったものは存在する ただしその演算子により オペランドが何であれそのワードのビットパターンが浮動小数点数を表現しているものとみなされて加算される といったようなことになる 多かれ少なかれ と書いたように 強い 型システムの言語は少なく 多くの言語はそれなりの型システムを採用している 多くの実用的な言語には 型システムを迂回または打倒するような手段が用意されている 静的型付け 静的型付き言語 では 全ての式の型はそのプログラムを実行する前 一般にコンパイル時 に決定される 例えば とか という式は整数型であり 文字列を期待している関数には渡せず 日付 型 を格納するよう定義された変数には代入できない 静的型付けでは 型を明記する場合と型推論を行う場合がある 前者ではプログラマは適切な位置に型を明記しなければならない 後者では コンパイラが式の型を文脈から推論する やなどの主な静的型付き言語では 型を明記する 完全な型推論は主流でない言語に使われている や ただし 型を明記する言語でも部分的な型推論をサポートしていることが多い たとえば や 動的型付け 動的型付き言語 では 型の安全性は実行時に検査される 言い換えれば 型はソース上の式ではなく 実行時の値に対して付与される 型推論言語と同様 動的型付き言語でも式や変数の型を明記する必要はない また あるつの変数がプログラム実行中に異なる型の値を格納することも可能である しかし コードを実際に実行してみるまで型の間違いを自動的に検出することができず デバッグがやや難しい 動的型付き言語としては などがある データを入力されれば コンピュータはそのデータに対して何らかの処理を実行する 実行意味論 とは プログラミング言語の構成要素がどの時点でどのようにして そのプログラムの振る舞いを生成するのかを定義するものである 例えば 式の評価戦略 先行評価 部分評価 遅延評価 短絡評価など は実行意味論の一部である また 制御構造における条件付実行の作法も実行意味論の一部である ライブラリ は プログラムを書いたり使用する上での 補助的なルーチン群である 多くのプログラミング言語には 言語仕様の一部 あるいは言語本体の仕様とは独立していることもあるが 標準ライブラリの仕様もほぼ必ず存在し その言語の実装には標準ライブラリの実装もほぼ必ず付属する 標準ライブラリには 典型的なアルゴリズム データ構造 入出力機構などが含まれることが多い ユーザーから見れば 標準ライブラリも言語の一部だが 設計者から見れば別の実体である 言語仕様には必ず実装しなければならない部分が定義されており 標準化された言語の場合 それには標準ライブラリも含まれる 言語とその標準ライブラリの境界は 言語によって様である 実際 言語によっては一部の言語機能が標準ライブラリなしでは使えないこともある たとえば累乗の演算子がある言語があるが それのコンパイル結果はその言語の多くの処理系で関数呼出であろう それが 言語仕様として標準ライブラリの該当する関数を呼び出すよう決められているような場合は 一部の言語機能が標準ライブラリなしでは使えない ということになる マクロもライブラリに含まれることも多い たとえば言語の標準には いくつかの名前が関数ではなくマクロで提供されるかもしれない といったような規定などがある また系の言語では いわゆる特殊形式の多くが言語組込ではなくマクロでも実装可能であり とのようにどちらか片方は必要だが 片方があればもう片方はマクロにできる といったようなものもある の標準規格は どれを言語組込とし どれをマクロとするか ほとんどを処理系実装者の自由に任せている コンピュータ プログラミング言語の設計は 言語仕様 として示され 実装は 言語処理系 と呼ばれる 以下はそれらについての概観である 前述のようにプログラミング言語は構文と意味から成るから 仕様についても 構文仕様と意味仕様がある 構文仕様は一般にバッカス ナウア記法などによって形式的に示される 意味論の仕様は 自然言語などで記述されることが多いが 形式的に与えられている言語もある 形式意味論 プログラム意味論の記事も参照 で意味論を記述した例として や がある 他に 以下のようなスタイルで仕様が与えられている言語もある プログラミング言語の実装は プログラミング言語処理系と呼ばれる コンパイラは ソースコードなどの入力を中間表現などの より解釈実行しやすい表現に変換する処理系である また インタプリタは 入力されたプログラムを解釈実行する処理系である ハードウェアのプロセッサは 機械語を解釈実行するインタプリタである と見ることができる コンパイラとインタプリタの関係は 理論的には二村射影により美しく定式化されている なお 大きく分けてつの方法がある コンパイラとインタプリタである 一般にある言語をコンパイラとインタプリタの両方で実装することが可能である などといったように 従来書かれた通俗的解説書などには大変多いが 理解していると など近年の多くの言語処理系のスタイルが全くわからない ということになる 機械語にまで変換するもののみを指してコンパイラと呼びたがる向きが一部にあり その立場にもある程度は理もあるのだが そうするとの一般的な実装を指す用語が無くなる コンパイラの出力したものをインタプリタで実行する方式は コンパイラとインタプリタの区別が曖昧な場合もある などという変な説明をする者もいるが 前述したように そもそも間違った分法で考えているから そのような変な考え方になるのである 一般に 機械語に変換したもの 実行ファイル を直接ハードウェアで実行する方が インタプリタで実行するよりもずっと高速である インタプリタでの実行を改善する技法として 実行時コンパイラなどの動的コンパイル手法がある コンピュータ プログラミング言語は おもに英語の単語と記号を組み合わせた 英語である必然性はひと欠片も無いが 特殊な文法 正確には 構文 誰にとって特殊かは不明だが で記述される その意義は 人とコンピュータの意思疎通を容易にするため 数字の羅列に代えて人間に扱いやすい言語形式を提供することにある プログラミング言語があれば 人は扱いやすく理解できる言葉でコンピュータへの指示を書くことができる プログラミング言語で書かれたコードは アセンブラ コンパイラ インタプリタなど プログラミング言語処理系 と呼ばれるプログラムによって処理 機械語あるいは中間表現に変換されたり 解釈実行されたり される プログラミング言語は コンピュータ企業や技術者により目的に応じて開発され 様なプログラミング言語が 毎年のように生み出されている 年月時点で コンピュータ言語辞典 には種のプログラミング言語が記載されていた 計算を記述するのではない言語 のようなマークアップ言語など はプログラミング言語ではない しばしば誤解されているが なお やのように 何らかの形でそういった言語に埋め込まれるプログラミング言語 といったようなものは存在する コンピュータ という語 の定義次第ではあるが それを コンピュータ プログラムによって駆動される機械 とするならば コンピュータ プログラムはコンピュータとともに生まれ 育ったということになり そのプログラムの記法としてプログラミング言語があった ということになる チャールズ バベッジが階差機関に続いて計画した解析機関は パンチカードの先祖と言えるような穴の開いた厚紙の列によって制御されるという機構を持っていたため その特徴から 世紀のコンピュータ 蒸気動力のコンピュータ などと呼ばれることがある これらの言語のアイデアは様な言語に引き継がれており 現在の言語の多くは これらのいずれかの系統に属する どのプログラミング言語が最もよく使われているかを判断することは難しい また 利用という意味も文脈によって異なる プログラマの工数 コードの行数 時間などが尺度として考えられる ある言語は特定分野のアプリケーションだけでよく使われているということもある 例えばは企業のデータセンター メインフレームであることが多い では今でも使われているし は科学技術計算でよく使われ 言語は組み込みシステムやオペレーティングシステムで使われている 以下のように言語利用状況の尺度は様であり どれを選択しても一種のバイアスがかかっていると考えた方がよい プログラミング言語の完全な分類法は存在しない 前述の は事務計算用途向け が科学技術計算用途向けといったような ある程度の方向性はあるが あるプログラミング言語には大抵複数の起源 影響を与えた言語 がある 言語は一般に複数の既存言語の要素と新たなアイデアを組み合わせて生み出される ある言語を起源とするアイデアはその系統の言語群に広まっていき あるときギャップを飛び越えて全く別の系統の言語で使われるようになる さらに事を複雑にするのは 言語は様な観点から分類可能という点である 例えば はオブジェクト指向言語であると同時に 並行性言語でもある 言語仕様としてスレッドを複数並行して生成可能であるため はオブジェクト指向言語であると同時に スクリプト言語でもある プログラミング言語の大まかな分類として プログラミングパラダイムによる分類と想定している利用分野や用途による分類がある パラダイムには 手続き型プログラミング オブジェクト指向プログラミング 関数型プログラミング 論理プログラミングなどがある 言語によってはつのパラダイムの性格を併せ持つこともあるし マルチパラダイムの場合もある アセンブリ言語は マシンのアーキテクチャを直接モデル化したものであるため パラダイムとは言わない 用途による分類では 汎用 システムプログラミング言語 スクリプト言語 ドメイン固有言語 並行 分散言語 あるいはこれらの混合 などがある 汎用言語の一部は教育目的で設計されている プログラミングパラダイムとは無関係なパラメータで分類されることもある 例えば 多くのプログラミング言語は英語のキーワードを使っているが ごく一部の言語はそうではない また 難解かそうでないかという分類もある 機械語やアセンブラ言語は よりハードウェアに近い言語であり このようなプログラミング言語を低水準言語という また それ以外の言語は 機械語と一対一で対応せず より人間に近い言語であり 高水準言語という オーストリア共和国 オーストリアきょうわこく バイエルン語 通称オーストリアは ヨーロッパに位置する連邦共和制国家 首都はウィーン ドイツの南方 中部ヨーロッパの内陸に位置し 西側はリヒテンシュタイン スイスと 南はイタリアとスロベニア 東はハンガリーとスロバキア 北はドイツとチェコと隣接する 基本的には中欧とされるが 歴史的には西欧や東欧に分類されたことがある 中欧に年間ハプスブルク家の帝国として君臨し 第一次世界大戦まではイギリス ドイツ フランス ロシアと並ぶ欧州五大国 列強 の一角を占めていた 年 第一次世界大戦の敗戦と革命により年より続いたオーストリア ハンガリー帝国が解体し 共和制 第一共和国 となった この時点で多民族国家だった旧帝国のうち かつての支配民族のドイツ人が多数を占める地域におおむね版図が絞られた 年には同じ民族の国家であるナチス ドイツに併合されたが ドイツ敗戦後の年から年には連合国軍による分割占領の時代を経て 年の独立回復と永世中立国化により現在に続く体制となった 音楽を中心に文化大国としての歴史も有する 加盟以降は 同言語 同民族の国家同士でありながら複雑な国際関係が続いてきたドイツとの距離が再び縮まりつつあり 国内でも右派政党の伸張などドイツ民族主義の位置づけが問われている 本項ではおもに年以降のオーストリア共和国に関して記述する それ以前についてはオーストリアの歴史 ハプスブルク君主国 オーストリア公国 オーストリア大公国 オーストリア帝国 オーストリア ハンガリー帝国 第一共和国 オーストリア アンシュルス 連合軍軍政期 オーストリア を参照 正式名称は 通称 は正確には日本語の エ ではなく 丸めた オ の口をしながら エ を発音する音だが 日本語では エ ー で表記する慣習があるほか 日本人には ウ ー のように聴こえることもある 公式の英語表記は 通称 形容詞は オーストリアン 日本語の表記はオーストリア共和国 通称オーストリア 漢字表記では墺太利または澳地利 略表記 墺 と記される ドイツ語の表記や発音 および下記オーストラリアとの混同回避 を考慮した日本語表記はエースタ ー ライヒ エスタ ー ライヒ または舞台ドイツ語的表記によるエステ ル ライヒであり 専門書や各種サイトなどで使用されている 国名のは ドイツ語で 東の国 という意味である フランク王国のころにオストマルク 東方辺境領 が設置されたことに由来する とは で 東方の守り を意味する デンマーク の マーク と同じ ドイツ語を含む各言語の呼称はそれが転訛したものである 狭義のオーストリアはかつてのオーストリア大公領であり 現在のオーストリアの領土のうちザルツブルク大司教領やケルンテン地方 シュタイアーマルク地方 チロル地方は含まれない オーストリア大公を名乗り同大公領を世襲してきたハプスブルク家 ハプスブルク ロートリンゲン家を オーストリア家 と呼ぶようになり 時代が下るにつれ 同家が統治する領地を漠然と オーストリア と呼ぶようになった 年のオーストリア帝国の成立に際しても オーストリア の地理的範囲 は具体的に定義されなかった 年にオーストリア ハンガリー帝国が解体され ウィーンを首都にドイツ人が多数を占める地域で 国民国家オーストリア が建設されるが これは一地方の名前 あるいはオーストリア家というかつての王家の通称 を国名に使用したことになる 現在のオーストリアの行政区画では かつてのオーストリア大公領は上オーストリア州 下オーストリア州に分割継承されている ドイツ語のエスターライヒの ライヒ はしばしば 帝国 と日本語訳されるが フランスのドイツ語名が現在でも フランクライヒ であるように 厳密には 帝国 という意味ではない には語源的に王国 または政治体制を問わず単に国 特定の 世界 領域 動植物の 界という意味が含まれている なお隣国のチェコ語では と呼ぶが これは国境の一角の地名に由来している オーストリアを統治してきたハプスブルク家およびハプスブルク ロートリンゲン家は オーストリア家 とも呼ばれ 同家の成員はハプスブルク ハプスブルク ロートリンゲンの家名の代わりに オーストリアの を表す各国の言語で呼ばれる マリー アントワネット ドートリシュ オーストリア家 にはスペイン ハプスブルク家も含まれることがあり たとえば フランスのルイ世の王妃マリー テレーズ ドートリッシュ スペイン語 マリア テレサ デ アウストリア はフランス語 スペイン語でそれぞれ オーストリアの とあって スペイン ハプスブルク家の王女である 日本語版では ハプスブルク家がドイツ系の家系であることから 記事名にはドイツ語の フォン エスターライヒ カール ルートヴィヒ フォン エスターライヒ を使用している オーストリア はしばしばオーストラリア と間違われるが オーストラリアはラテン語で 南の地 に由来し オーストリアとは語源的にも無関係である しかし 綴りや発音が似ているため 多くの国でオーストリアとオーストラリアが混同されることがある 日本では オーストリア大使館とオーストラリア大使館を間違える人もおり 東京都港区元麻布のオーストリア大使館には 同じく港区三田の オーストラリア大使館 への地図が掲げられている 両国名の混同は日本だけではなく英語圏の国にも広く見られ 聞き取りにくい場合は ヨーロッパのオーストリア が付け加えられる場合がある しばしばジョークなどに登場し オーストリアの土産物屋などでは 黄色い菱形にカンガルーのシルエットを黒く描いた カンガルーに注意 を意味するオーストラリアの道路標識に オーストリアにカンガルーはいない と書き加えたデザインのシャツなどが売られている なお フランス語圏においてはオーストラリアを オストラリ オーストリアを オトリシュ と表すためこのような問題はない 発表は大使館の一部局である商務部によるものだったが 署名はペーター モーザー大使 当時 とエルンスト ラーシャン商務参事官 商務部の長 の連名 肩書きはすでに 駐日オーストリー大使 駐日オーストリー大使館商務参事官 だった で 大使館および商務部で現在変更中だとされ 全面的な変更を思わせるものだった しかし年月 大使は 国名表記を決定する裁量は日本国にあり 日本国外務省への国名変更要請はしていないため 公式な日本語表記はオーストリアのままであると発表した ただし オーストリーという表記が広まることにより オーストラリアと混同されることが少なくなることを願っているとされた その後 大使館商務部以外では 大使館 日本の官公庁 マスメディアなどに オーストリー を使う動きは見られない たとえば 年月日の 朝日新聞 の記事では 同国を オーストリア と表記している 大使館商務部の公式サイトは しばらくは一貫して オーストリー を使っていた しかし 年のサイト移転 リニューアルと前後して 正確な時期は不明 大使館商務部のサイトでも基本的に オーストリア を使うようになった オーストリー については わが国の日本語名はオーストリア共和国であると断ったうえで などと述べるにとどまっている 日本では雑誌 軍事研究 がオーストリーの表記を一部で用いている ローマ帝国以前の時代 現在オーストリアのある中央ヨーロッパの地域にはさまざまなケルト人が住んでいた やがて ケルト人のノリクム王国はローマ帝国に併合され属州となった ローマ帝国の衰退後 この地域はバヴァリア人 スラブ人 アヴァールの侵略を受けた スラブ系カランタニア族はアルプス山脈へ移住し オーストリアの東部と中部を占める 年 年 を建国した 年にシャルルマーニュがこの地域を征服し 植民を奨励してキリスト教を広めた 東フランク王国の一部だった現在のオーストリア一帯の中心地域は年にバーベンベルク家のリウトポルトに与えられ オーストリア辺境伯領 となった オーストリアの名称が初めて現れるのは年で 東の国 と記され バーベンベルク辺境伯領を表した ザルツブルクは 年 年 となり ザルツブルク大司教が領主となった 年 アルブレヒト世がエンス渓谷の所有権と諸権利をめぐってザルツブルク大司教と争い ルドルフ世の調停によって自身に有利な条約が結ばれた 翌年月にルドルフが死んで アルブレヒト包囲網が編成された 教皇ニコラウス世の了解を得て ハンガリー王 ボヘミア王 ニーダーバイエルン公 サヴォイア公 ザルツブルク アクイレイア コンスタンツの聖界諸侯 旧ロンバルディア同盟の諸都市 およびスイス誓約同盟も加わった諸国が大同盟を結成した 選帝侯を味方につけられないアルブレヒトは大同盟から大打撃を受け フランスを範にとり財政改革を行うことになった 裕福なウィーン市民をフープマイスターなる管財人へ任命し 人手に渡っていた所領をたちまちに回収した しかしアルブレヒトが年に暗殺されてオーストリアは弱くなった レオポルト世はモルガルテンの戦いに敗れてフランスに接近した フリードリヒ世の死後一世紀あまりの間 ハプスブルク家はローマ王位から遠ざかった しかし この間にも政争は絶えなかった 年 ゲルツ伯家のハインリヒ世が没し 唯一の女子マルガレーテ マウルタッシュが伯位を継承したが チロル女伯 領土の相続をめぐってルクセンブルク家 ヴィッテルスバッハ家 ハプスブルク家が介入した 銀山のあるチロルは位置もイタリア政策の拠点となりうる垂涎の的であった ハプスブルク家は世襲領をはるかに離れた地域にも領地を獲得し始める 年 フリードリヒ世の唯一の子であるマクシミリアン大公は跡取りのいないブルゴーニュ公国のマリーと結婚してネーデルラントの大半を獲得した 彼の子のフィリップ美公はカスティーリャとアラゴンの王女フアナと結婚した フアナがのちに王位継承者となったためスペインを得て さらにその領土のイタリア アフリカ 新世界をハプスブルク家のものとした レオポルト世 年 年 の長期の治世では 年のウィーン包囲戦の勝利 指揮をしたのはポーランド王ヤン世 に続く一連の戦役 大トルコ戦争 年 年 の結果締結された年のカルロヴィッツ条約により オーストリアはオスマン帝国領ハンガリー全土 トランシルヴァニア公国 スラヴォニアを獲得した カール世 年 年 は家系の断絶を恐れるあまりに先年に獲得した広大な領土の多くを手放してしまう 王領ハンガリー カール世は国事詔書を出して家領不分割とマリア テレジアにハプスブルク家を相続させる あまり価値のない 同意を諸国から得る見返りに 領土と権威を明け渡してしまった カール世の死後 諸国はマリア テレジアの相続に異議を唱え オーストリア継承戦争 年 年 が起き アーヘンの和約で終結 プロイセン領となったシュレージエンをめぐって再び七年戦争 年 年 が勃発 オーストリアに勝利したプロイセンの勃興により オーストリア プロシア二元主義が始まる オーストリアはプロイセン ロシアとともに第回および第回のポーランド分割 年と年 に加わった フランス革命が起こるとオーストリアはフランスと戦争になったが 幾多の会戦でナポレオンに敗退し 形骸化していた神聖ローマ帝国は年に消滅した この年前の年 オーストリア帝国が宣言されている 年 オーストリアは他の諸国とともにフランスへ侵攻してナポレオン戦争を終わらせた 年にウィーン会議が開催され オーストリアはヨーロッパ大陸におけるつの列強国のひとつと認められた ウィーン体制 同年 オーストリアを盟主とするドイツ連邦が作られる 未解決の社会的 政治的 そして国家的紛争のためにドイツは統一国家を目指した年革命に揺れ動かされた 結局のところ ドイツ統一は大ドイツか 大オーストリアか オーストリアを除いたドイツ連邦のいずれかに絞られる オーストリアにはドイツ語圏の領土を手放す意思はなく そのため年にフランクフルト国民議会がプロイセン王フリードリヒ ヴィルヘルム世へドイツ皇帝の称号を贈ったものの拒否されてしまった 年 オーストリアとプロイセンは連合してデンマークと戦い シュレースヴィヒ公国とホルシュタイン公国をデンマークから分離させた 第二次シュレースヴィヒ ホルシュタイン戦争 しかしオーストリアとドイツは両公国の管理問題で対立し 年に普墺戦争を開戦する ケーニヒグレーツの戦いで敗れたオーストリアはドイツ連邦から脱退し 以後 ドイツ本土の政治に関与することはなくなった この結果 民族主義運動の出現した時代においてオーストリア ハンガリーの統治は次第に困難になりつつあった それにもかかわらず オーストリア政府はいくつかの部分で融通を利かすべく最善を尽くそうとした たとえばチスライタニア オーストリア ハンガリー帝国におけるオーストリア部分の呼称 における法律と布告 は言語で発行され すべての民族は各自の言語の学校で学ぶことができ 役所でも各の母語を使用していた ハンガリー政府は反対にほかの民族のマジャール化を進めている このため二重帝国の両方の部分に居住している諸民族の願望はほとんど解決させることができなかった 第一次世界大戦の降伏直後にオーストリア革命が起こり 皇帝カール世は 国事不関与 を宣言して共和制 ドイツ オーストリア共和国 に移行し 年以上にわたったハプスブルク家の統治は終焉を迎えた 戦後 オーストリアは激しいインフレーションに苦しめられた 年に経済立て直しのために国際連盟の管理の下での借款が行われ 年から年には経済はやや上向いてきたがそこへ世界恐慌が起き 年にクレディタンシュタルトが倒産した 内戦に勝利したドルフースは社会民主党を非合法化し 翌年月には憲法を改正して権力を固めたが 月にのクーデターが起こり暗殺された 後継者のクルト シュシュニックはナチスドイツから独立を守ろうとするが 年月日 ドイツ軍が侵入して全土を占領し オーストリア ナチスが政権を掌握した 月日にアンシュルス 合邦 が宣言され オーストリア出身のアドルフ ヒトラーが母国をドイツと統一させた オーストリアは第三帝国に編入されて独立は失われた ナチスはオーストリアをオストマルク州とし 年にアルペン ドナウ帝国大管区と改称している 第三帝国崩壊直前の年月日 ソ連軍によるウィーン攻勢によってウィーンは陥落した カール レンナーがソ連軍の承認を受けて速やかにウィーンに臨時政府を樹立し 月日に独立宣言を行い第三帝国からの分離を宣言した 年から年の死者は万人 ホロコーストによるユダヤ人の犠牲者は万 人に上っている ドイツと同様にオーストリアもイギリス フランス ソ連 アメリカによって分割占領され オーストリア連合国委員会によって管理された 連合軍軍政期 年のモスクワ宣言のときから予測されていたが 連合国の間ではオーストリアの扱いについて見解の相違があり ドイツ同様に分断されるおそれがあった 結局 ソ連占領区のウィーンに置かれた社会民主主義者と共産主義者による政権は レンナーがスターリンの傀儡ではないかとの疑いがあったものの 西側連合国から承認された これによって西部に別の政権が立てられ国家が分断されることは避けられ オーストリアはドイツに侵略され連合国によって解放された国として扱われた 冷戦の影響を受けて数年かかった交渉の末 年月日 占領か国とのオーストリア国家条約が締結されて完全な独立を取り戻した 年月日 オーストリアは永世中立を宣言した 年に欧州連合へ加盟し 間接的な憲法改正は加えられている 第二共和国の政治システムは年に再導入された年および年の憲法に基づいている オーストリアの政治体制はプロポルツ 比例配分主義 に特徴づけられる これは政治的に重要なポストは社会党と国民党の党員に平等に分配されるというものである 義務的な党員資格を持つ利益団体の 会議 労働者 事業者 農民 の重要性が増し 立法過程に関与するという特徴がある 年以降 単独政権は年 年 国民党 と年 年 社会党 のみで ほかの期間は大連立 国民党と社会党 もしくは小連立 二大政党のいずれかと小党 のいずれかになっている このような社会党政権のときに国連事務総長をつとめてきたクルト ヴァルトハイムが 年に大統領となった 政体は連邦共和制 議会は年毎に国民から選挙で選ばれる議席の国民議会 と各州議会から送られる議席の連邦議会 から成る二院制の議会制民主主義国家 国民に選挙で選ばれる国民議会の議決は連邦議会のそれに優先する 連邦議会は州に関連する法案にしか絶対拒否権を行使できない 国家元首の連邦大統領 は国民の直接選挙で選ばれる 任期は年 大統領就任宣誓式は連邦会議 で行われる 連邦会議は非常設の連邦機関で 国民議会ならびに連邦議会の議員を構成員とし 大統領宣誓式のほかには 任期満了前の大統領の罷免の国民投票の実施 大統領への刑事訴追の承認 宣戦布告の決定 大統領を憲法裁判所へ告発する承認の権限がある 連邦政府の首班は連邦首相 連邦政府 は国民議会における内閣不信任案の可決か 大統領による罷免でしか交代することはない 政党には 中道右派のオーストリア国民党 中道左派のオーストリア社会民主党 旧オーストリア社会党 極右のオーストリア自由党 同党から分かれて成立したオーストリア未来同盟 自由党の主要議員はこちらに移動した 環境保護を掲げる緑の党がある オーストリア共和国は第二次世界大戦後の連合国による占領を経て 年に永世中立を条件に独立を認められ 以来東西冷戦中もその立場を堅持してきた 欧州経済共同体に対抗するために結成された欧州自由貿易連合には 年の結成時からメンバー国だったが 年の欧州連合加盟に伴い脱退した 加盟した欧州連合においては軍事面についても統合が進められており 永世中立国は形骸化したとの指摘がある 国民の間には永世中立国堅持支持も多いが 非永世中立国化への方針が年月の閣議決定による国家安全保障ドクトリンにおいて公式に記述されたことにより 国内で議論が起こっている 歴史的 地理的に中欧 東欧や西バルカンの国と関係が深く クロアチアなどの欧州連合加盟に向けた働きかけを積極的に行っている トルコの欧州連合加盟には消極的な立場をとっている 日本とは年に日墺修好通商航海条約を締結して以来友好な関係で 特に音楽方面での交流が盛んである 第一次世界大戦では敵対したが 年の永世中立宣言に対しては日本が最初の承認を行った 国軍として陸軍および空軍が編制されている 徴兵制を有し 歳に達した男子はか月の兵役に服する 名目上の最高指揮官は連邦大統領であるが 実質上は国防大臣が指揮をとる 北大西洋条約機構には加盟していないが 欧州連合に加盟しており それを通じた安全保障政策が行われている 国土面積は日本の北海道とほぼ同じ大きさである オーストリアの地形は大きくアルプス山脈 同山麓 カルパチア盆地 パンノニア低地 ウィーン盆地 北部山地 ボヘミア高地 に分けられる アルプスが国土の を占め 海抜メートル以下は全土の に過ぎない 最高地点はグロースグロックナー山 標高 メートル である アルプスの水を集め ドイツから首都ウィーンを通過して最終的に黒海に達する国際河川がドナウ川である 年にライン川やマイン川を結ぶ運河が完成し北海との交通が可能となった 気候は大きくつに大別される 東部は大陸的なパンノニア低地気候 アルプス地方は降水量が多く 夏が短く冬が長いアルプス型気候 その他の地域は中部ヨーロッパの過渡的な気候である 年の人当たりは世界第位に位置し 経済的に豊かな国である 主要産業としては シュタイアーマルク州の自動車産業 オーバーエスターライヒ州の鉄鋼業などがある 大企業はないものの ドイツ企業の下請け的な役割の中小企業がオーストリア経済の中心を担っている ウィーンやザルツブルク チロルを中心に観光産業も盛んである 失業率はほかの欧州諸国と比較して低い 欧州の地理的中心にあることから近年日本企業の欧州拠点 工場なども増加しつつある オーストリアにとって日本はアジア有数の貿易相手国である ヨーロッパを代表する音響機器メーカーとして歴史を持つは クラシック愛好者を中心に日本でも有名である 金融では オーストリア銀行 エルステ銀行 ライフアイゼンバンク フォルクスバンクが主要銀行である その他の企業についてはオーストリアの企業一覧も参照のこと オーストリア国鉄 が主要幹線を網羅しており 山岳部では登山列車なども運行している ウィーンでは地下鉄やバーン 路面電車なども運行され インスブルックやリンツなどの主要都市にも路面電車がある ウィーン インスブルック ザルツブルク グラーツ クラーゲンフルトの各都市に国際空港がある ウィーン国際空港では ドイツ語の案内放送のあと 英語で案内放送がある 領地はたくさんある 人口もたくさんある しかしオーストリア民族はいない 国家はない とはオーストリアのジャーナリスト ヘルムート アンディクス がオーストリア帝国を評したものであるが 実際に今のオーストリアの領土はかつての ドイツ人の神聖ローマ帝国 を構成する 上オーストリア 下オーストリア ケルンテン ザルツブルク司教領 チロル などから構成されており その統治者であったハプスブルク家は ドイツ人の神聖ローマ皇帝 を世襲してきた そのためオーストリア民族という概念はなく オーストリア人という概念はきわめて新しい ドイツ語を母語とするオーストリア人は全人口の を占める この割合はドイツ リヒテンシュタインとほぼ同じである 血統的にはゲルマン系にスラヴ系 ラテン系 ハンガリー系 トルコ系などが入り混じっているものの ゲルマン系言語であるドイツ語を母語とするため オーストリア人は通常ゲルマン民族とみなされる オーストリア人はドイツ人に含まれるのか という問題は戦後意識的に避けられてきたが 近年急速にクローズアップされている もともとオーストリアはプロイセン バイエルンなどと同じくドイツを構成する分邦のひとつであり 古くはバイエルンの一部であり ドイツ人を支族別に分けるとオーストリア人はバイエルン族である しかも 世紀の間 オーストリア大公家であるハプスブルク家がドイツ帝国 神聖ローマ帝国 の帝位やドイツ連邦議長国の座を独占していた 形骸化していたとはいえ 神聖ローマ帝国が長年ドイツ諸邦の盟主だった歴史は無視できない オーストリア ハンガリー二重帝国の崩壊によって オーストリアの国土が民族ドイツ人居住地域に限定されると 左右を問わずにドイツへの合併を求める声が高まり 第一次大戦敗戦直後は ドイツ オーストリア共和国 という国名を名乗っており 国歌の歌詞には ドイツ人の国 という言葉が年代まで残っていた 年のブリタニカ百科事典には オーストリアをドイツから除外した小ドイツ主義のビスマルク体制の方が歴史的例外であり ヒトラーの独墺合併は元の自然な形に戻したにすぎないという記述があり 連合国側にすら戦後の統一ドイツ維持を支持する見方があったことを伺わせる しかし この民族自決論を逆手に取ったオーストリア人ヒトラーの行為に対する反省から 戦後は ドイツ人と異なるオーストリア人 という国民意識が誕生し 浸透した ドイツ側はさらにソヴィエト占領地区の分離が余儀なくされていた こうしてつの国家 オーストリア 東ドイツ 西ドイツ つの国民 つの民族と呼ばれる時代が始まる オーストリア側ではドイツ人と別個の国民であるの意識が育ち さらにはエスニシティにおいてもドイツ民族とは異なるオーストリア民族であると自己規定する人も現れた しかしながら ドイツ統一 欧州連合加盟以降 ドイツ民族主義が再び急伸した 年から年にかけて ドイツ民族主義者系の極右政党が連立与党に加わり 国際的に波紋を呼んだのもそうした風潮と関連している ドイツ人 という言葉には 国家 国民以前に ドイツ語を話す人 というニュアンスが強い ゲルマン民族が西進しフランク王国を立てたのち 西部や南部でラテン語との同化を選択した勢力 フランス人 イタリア人 スペイン人の一部の先祖となる には加わらず もともとのゲルマン語を守り続けてきた東フランク人が ドイッチュ 古来は民衆を意味した 当初ラテン語が支配階層のみで使われたため の名でドイツ人の先祖となったためである その後 ドイツ語は英語やフランス語と違い ほとんど他民族では母語化しなかったため 言語と民族概念とが不可分となっている オーストリアでは ドイッチェ で始まる市町村名が 東南部をはじめ数多く見られるが これらの名称も今日となってはドイツ人の街と解釈するのかドイツ語の街と解釈するのかは微妙である いずれにせよ ドイツ連邦共和国よりもオーストリアの方にこの地名が多く見られるのは ドイツ圏全体からは東南に偏して他民族地域との境界に接し ドイツ を強調する必要があった地域特性を示している また オーストリアを多民族国家として論じる場合 現在の版図では割を占める最多数派の民族を ドイツ人 と呼ばざるをえないという事情もある ゲルマン人では曖昧すぎ オーストリア人と呼んでしまうと 少数民族はオーストリア人ではないのかということになってしまう これは 移民の歴史が古く 民族名とは異なる国号を採用した同国ならではのジレンマである 年代におけるブルゲンラント州 ケルンテン州でのハンガリー系 スラブ系住民の比率調査では もう一方の選択肢は ドイツ人 だった 近年の民族主義的傾向には こうした言語民族文化の再確認という側面が見られる反面 拡大における一等市民 ドイツ人として差別主義的に結束しようとする傾向も否めない 今日ウィーン市内では ドイツ国歌を高唱する右派の学生集会なども見られる ただし 元をただせば現在のドイツ国歌は ハイドンが神聖ローマ帝国最後の皇帝フランツ世を讃えるために作曲した 神よ 皇帝フランツを守り給え の歌詞を替えたものであり 世紀後半にはオーストリア帝国の国歌となっていた ナポレオン戦争における神聖ローマ帝国の勝利と帝国の権威維持を祈願して当曲が作られた当時はオーストリア国家は存在せず アウステルリッツの戦いに敗戦してローマ帝位を辞するまでフランツ世は形式的には直轄地オーストリア地域をふくめる全ドイツ人の皇帝だったため 両国共通のルーツを持つ歌ともいえる ちなみに先代のハプスブルク家当主は年まで欧州議会議員をドイツ選出でつとめた しかし 外国人観光客が右翼学生たちを奇異な目で見るのは 国歌のメロディではなく 政治的には外国であるドイツを わが祖国 と連呼する歌詞をそのまま歌っている点である ブルゲンラント州は年まではハンガリー王国側だったため 今日でもハンガリー系 クロアチア系が多い ケルンテン州にはスロベニア系も居住している 両州の少数民族は年代の調査によれば であるが 自己申告制であるため 実際にはドイツ人と申告した中にもかなりの外国系住民が含まれると思われる そのため 標識や学校授業に第言語を取り入れている地域もある 外国人や移民は人口の を占め ヨーロッパ有数の移民受入国である その多くがトルコ人と旧ユーゴスラビア諸国出身者である ドイツ語が公用語であり ほとんどの住民が日常使っている言語でもある ただし 日常の口語で使われているのは標準ドイツ語ではなく ドイツ南部などと同じ上部ドイツ語 系の方言 オーストリアドイツ語 である この方言は フォアアールベルク州で話されているもの スイスドイツ語に近い を除き バイエルンと同じ区画に属するバイエルン オーストリア語である オーストリアでは テレビ ラジオの放送などでは標準ドイツ語が使われているが 独特の発音や言い回しが残っているため ドイツで使われている標準ドイツ語とは異なる 標準ドイツ語では有声で発音されるの音はオーストリアにおいては無声で発音されることが多い またオーストリア内でも多くの違いがあり ウィーンやグラーツなどで話されている東オーストリアの方言と西オーストリアのチロル州の方言は随分異なる 東オーストリアの方言では となる 南部のケルンテン州にはスロベニア人も居住し ドイツ語とスロベニア語の混声語 と呼ばれる方言も話されている 首都ウィーンの方言は ヴィーナリッシュ ウィーン訛り として知られ かつてのオーストリア ハンガリー帝国の領土だったハンガリー チェコ イタリアなどの諸国の言語の影響が残っていると言われている また 単語レベルでみた場合 ドイツと異なる語彙も数多く存在するほか ドイツとオーストリアで意味が異なる単語もあるため注意が必要である 宗教は 万人 がローマ カトリックに属している 年 プロテスタントのうち 約万人 がルター派のオーストリア福音主義教会アウクスブルク信仰告白派に 万 人 が改革派のオーストリア福音主義教会スイス信仰告白派に属している 万 人 がイスラム教に属している 年 さらに ユダヤ教もいる 婚姻の際 年までは 原則として 夫または妻の氏 その決定がない場合は夫の氏 を称する 同氏 自己の氏を後置することもできる とされていた しかし年月以降 婚前に特に手続きしない限り 原則として婚前の氏を保持する 夫婦別姓が原則 と変更された これまで通りの選択も可能であるが その場合婚前に手続きが必要となる また 別姓での結婚において夫婦が子の姓について合意できない場合は母の姓となる規定がある これには母子家庭以外でも子が母の姓を名乗るケースを認めることで 親子関係と姓で婚外子だと分からないようにするという 婚外子差別をなくす意味合いがある 年月日より同性結婚が可能になった これらの伝統を引き継ぎ 演奏活動の面では現在もウィーンはクラシック音楽の重要な拠点となっている ユネスコの世界遺産リストに登録された文化遺産が件存在する さらにハンガリーにまたがって件の文化遺産が登録されている 詳細はオーストリアの世界遺産を参照 冬季オリンピックで数多くのメダルを獲得することから分かるように オーストリアでもその寒冷な気候と山がちな地形を利用したウィンタースポーツが盛んに行われている 中でもアルペンスキーは絶大な人気を誇り 冬季オリンピックで計個のメダルを獲得しているヘルマン マイヤーは国民的スターでもある 年シーズンでは男女計種目のうち実に種目をオーストリア人選手が制覇している ライフル射撃競技とクロスカントリースキーを組み合わせたバイアスロンの強豪国でもあり 国際スキー連盟とは独立している国際バイアスロン連合は その本部をオーストリアのザルツブルクに置いている またノルディックスキーも人気が高く ノルウェー フィンランド ドイツなどとともに強豪国として名高い アンドレアス ゴルトベルガー ジャンプ年 年 年 杯総合優勝 フェリックス ゴットヴァルト ノルディック複合年 杯総合優勝 トーマス モルゲンシュテルン ジャンプ年 杯総合優勝 といった有名選手を輩出している 近年では年トリノオリンピックのジャンプ競技で金メダルを獲得している モータースポーツは オーストリアで番目に人気のあるスポーツである スキーとサッカーに次ぐ 数人のオーストリアのドライバーがで成功を収めている 度の世界チャンピオンであるニキ ラウダはウィーン出身であり ニュルブルクリンクの大事故で瀕死の重症を負いながらも度の世界チャンピオン 年 年 年 を得 歳で世界チャンピオンシップを奪取した番目のドライバーである また ヨッヘン リントはモンツァ サーキットのレースで事故死後 故人として年の世界チャンピオンになった 彼はまた 年のルマン時間レースでも優勝した ゲルハルト ベルガーは年と年にチャンピオンシップ位にランクされ 回の勝利と回の表彰台を獲得した オーストリアグランプリは 年 年 年から年 年から年 そして年から開催されており 近年は年から年にかけての製造者部門 コンストラクター で連覇を果たしたレッドブル レーシングのホームグランプリとして盛況を博している モータースポーツの上位つの会場は エステルライヒリンクとザルツブルクリンクである 前者はオーストリアグランプリ オーストリアモーターサイクルグランプリ そしてのツェルトベク耐久スポーツカーレースを主催した 後者はまた オーストリアのオートバイグランプリ スーパーバイク世界選手権 ヨーロッパのフォーミュラ選手権 そしてドイツツーリングカー選手権やスーパーツーリングカー選手権などのドイツのトップシリーズを開催した 伝統的にサッカーの人気が高く イギリスを除くヨーロッパ大陸ではもっとも古い歴史を誇るプロリーグであるオーストリア ブンデスリーガ 部 を筆頭にサッカーリーグは部まである 部のレッドブル ザルツブルクには 日本の奥川雅也が在籍している 年現在 オーストリアの最高峰リーグであるオーストリア ブンデスリーガをステップアップとしてサッカーのブランドネーションに移籍する選手が多く 毎年のようにドイツ ブンデスリーガやイタリア セリエに移籍する選手が数多く輩出されている 自転車ロードレースでは がツール ド フランスやジロ デ イタリアといった世界最高峰のレースで活躍した 現在はベルンハルト アイゼルなどが知られている オーストリア最大のステージレース 複数の日数にわたって行われるレース エースターライヒ ルントファールト はプロシリーズという上から二番目のカテゴリーに分類されており ツール ド フランスと同時期の月に開催されるが その年のツール ド フランスに出場しない大物選手が数多く出場している 積雪の多い気候ゆえ 卓球やハンドボール アイスホッケー 柔道などの室内スポーツの競技人口も多い ウィーンでは オーストリア ハンガリー各地の出身者が活躍した 参照 オーストリア ハンガリー帝国 ハンガリー チェコ スロバキア ポーランド ガリツィア スロベニア クロアチア ルーマニア ブコビナ イタリア 南チロル 文脈自由文法 ぶんみゃくじゆうぶんぽう は 形式言語の理論 特に 生成文法 において全生成規則が以下のようである形式文法である ここで は非終端記号であり は終端記号と非終端記号の 個を含む 任意個の並びである 文脈自由 という用語は前後関係に依存せずに非終端記号 を に置換できる という所から来ている 文脈無用 という訳の提案もある 文脈自由文法によって生成される形式言語を文脈自由言語という 文脈自由文法はノーム チョムスキーによる句構造文法の研究の中から 形式言語の類別 形式言語の階層やチョムスキー階層の記事を参照 のひとつとして見出されたものである 文脈自由文法の形式性は 言語学が伝統的に自然言語の文法を形式的に記述してきた既存の方法 例えばパーニニ に倣っている たとえば 入れ子 を自然に捉えていることや 形式的であることから形式的な手法が使えるという利点がある 一方で問題もあり たとえば自然言語の文法の重要な機能である一致や参照といった属性は綺麗に表すことができない 自然言語に限らず プログラミング言語でもしばしば文脈自由文法から はみ出している 仕様がある 文脈自由文法は チョムスキーらによって言語学で 提唱されてすぐに 形式言語と密接な関係にあるオートマトン理論のような理論計算機科学の分野にとどまらず プログラミング言語 の仕様策定において 構文の仕様を示すバッカス ナウア記法という形でとり入れられ その後コンピュータ科学一般に あるいはもっと広く実務にも応用されている 文脈自由文法はほとんどのプログラミング言語の文法を記述できるほど強力であり 実際 多くのプログラミング言語は文脈自由文法で構文仕様を定義している といった言説がしばしば見られるが たとえば日本語版ウィキペディアのこの部分にはずっとそう書かれていた 誤りである 本当に実際の所は で定義されていても 純粋に構文では定義しきれない部分をあれこれと意味規則で補っているのが普通である 文脈自由文法は効率的な構文解析アルゴリズムを適用できる程度に単純である つまり ある文字列が特定の文法による言語に属しているかどうかを判断することができる 例えばアーリー法 初期の構文解析手法である法や法は文脈自由文法のサブセットを扱うものであった 全ての形式言語が文脈自由であるわけではない 文脈自由でない例として がある この言語は では生成できる は文脈自由文法と扱える範囲の文法が異なり文脈自由文法を全て扱えるわけではないがプログラミング言語に適した新たな定式化のひとつである 文脈自由文法 は次の タプル で表される ここで のメンバーを文法の規則と呼ぶ 任意の について となるような生成写像 が存在する 順序対 を のプロダクション 生成規則 と呼び 一般に のように表記する 任意の について が を生成することを で表す ただし かつ で が成り立たねばならない 任意の について あるいは であるとは となるような が成り立つ場合である 文法 の言語は次の集合で表される 言語 は となるような文脈自由文法 が存在するとき 文脈自由言語 であるという 最初の例を示す ここで は 選択 を意味し は空の文字列を意味する この文法によって生成される言語は以下のようになる これは正規言語ではない例でもある また 選択 は文脈自由文法の表現に必ずしも必須ではない 次のつの規則でも 上の例と同様の言語を定義している 次は三種類の変数 を使った文法的に正しい四則演算の数式を生成する文脈自由文法である ここで演算子は中置としている この文法に従うと 例えば といった式が生成可能である この文法は 構造が異なる構文木から同じ文字列が生成されうるという意味で曖昧である 文字セット について 異なる個数の と から構成される全ての文字列を生成する文脈自由文法は以下のようになる ここで に関する生成規則は と が同数の文字列を生成するが は の方が必ず多くなる文字列を生成し は の方が必ず多くなる文字列を生成する 次の例は である これは正規言語ではなく文脈自由言語である 以下の生成規則で生成される この生成規則は文脈自由文法にしたがっている 文脈自由文法は数学的な 形式的 言語だけで利用されるわけではない 例えば タミル語の詩である は文脈自由文法で定式化できることが指摘されている ある文法において 開始記号からある文字列が導出される過程を記述する方法は二種類存在する 単純な方法は導出過程の途中の文字列を全て書き出していく方法である つまり開始記号から始めて 生成規則を一回適用する度に文字列を書き出して 最後に目的の文字列になるまで列挙するのである 例えば 左端に最も近い非終端記号を最初に書き換える という規則を適用したとすれば 文脈自由文法では適用する生成規則を列挙するだけで十分である これを文字列の 左端導出 と呼ぶ 例えば 以下の文法があるとする 文字列 を導出する過程は というリストになる 同様に 右端導出 も定義できる この例の場合 右端導出での導出過程は というリストになる 左端導出と右端導出のリストが異なるのは重要なポイントである 構文解析では 文法規則毎にそれを入力文字列に適用する小さなプログラムが存在する したがって 構文解析が左端導出を行うのか右端導出を行うのかによってそれらのプログラムを適用する順番が変わってくるのである 導出過程は導出される文字列上にある種の階層構造を描くことでも表される 例として左端導出による に対する階層構造を見てみよう 導出過程は以下のようになる ここで は から導出された部分文字列を意味している これに対応する階層構造は以下のような木構造になる この木構造をその文字列の 具象構文木 と呼ぶ 抽象構文木も参照されたい この場合 上述の左端導出も右端導出も同じ構文木になるが 左端導出には以下のような別の導出過程が存在する これによって定義される構文木は以下のようになる この文法のように ある文字列を導出する構文木が複数考えられる文法を 曖昧な文法 と呼ぶ このような文法の構文解析は 生成規則の適用順序を毎回決定しなければならないため難しい 空の文字列を生成しない文脈自由文法は等価なチョムスキー標準形かグライバッハ標準形に変換できる ここでいう 等価 とは同じ言語を生成するという意味である チョムスキー標準形文法は生成規則が単純なので この標準形は理論的にも実用上も密接な関係がある 例えば ある文脈自由文法についてチョムスキー標準形を使うことで多項式時間のアルゴリズムで入力された文字列がその文法で生成されるものか否かを判定できる アルゴリズム 文脈自由文法は能力が制限されているため その操作の一部は決定可能であるが 同時に決定不能な問題もある 最も単純で分かり易い決定不能問題のつとして が言語の全文字列を受容するかどうかという問題がある 還元によって この問題がチューリングマシンの停止問題と同じであることが示される その還元には チューリングマシンのあらゆる計算過程を示す 計算履歴 と呼ばれる概念を用いる あるチューリングマシンがある入力を与えられたとき それを受容しない計算履歴の文字列を生成するを構築でき そうすると そのはマシンが入力を受容しないときだけ文字列を受容 認識 する これを応用すると つのが同じ言語を記述しているかどうかも判定不能である なぜなら 言語の全文字列を受理する自明なとの等価性を判定できないためである また 文脈依存文法が文脈自由言語を表しているかどうかも決定不能な問題である 文脈自由文法の形式性の拡張として 非終端記号に引数を持たせ 規則内で値を渡すということが考えられる これにより 自然言語の一致や参照といった機能を表現可能となり プログラミング言語での識別子の定義や正しい用法を自然な形で表現可能となる 例えば 英語の文で 主語と動詞が数において合致しなければならないということを容易に表現できる 計算機科学では このようなアプローチの例として接辞文法 属性文法 の などがある 同様の拡張は言語学にもある 別の拡張として 規則の左辺に追加の記号を書けるようにする手法がある これは文脈依存文法に他ならない ノーム チョムスキー自身は 生成文法を追加することで文脈自由文法の制限を克服したいと考えていた そのような規則も言語学によく見られる 例えば 英語における受動態化である しかし それらは強力すぎるため チューリング完全 変換の適用は制限される必要がある 生成文法の大部分は 句構造文法と変換規則の記述機構を改善し 自然言語が表現できることを正確に表せるようにすることを目的としている 彼は自然言語が文脈自由でないと考えていたが 彼がでは不十分であることを示す証拠として挙げた事例は 後に間違いであることが証明された と は 一部に文脈自由的でない構造があるものの 自然言語の大部分は文脈自由であると指摘している 文脈自由でない部分とは 例えば スイスドイツ語の や バンバラ語の畳語である スペイン語 スペインご 西 は インド ヨーロッパ語族イタリック語派に属する言語 略して西語とも書く スペイン語は アメリカ州のうちイスパノアメリカ スペイン その他の旧スペイン植民地などの地域における主要言語で スペイン語を第一言語とするものが約億万人さらに第二言語として日常使用しているものを含め約億万人の話者がいると推定されている スペイン語を公用語としている国と地域の数は以上あり 世界で英語 約の国 地域 フランス語 約の国 地域 アラビア語 約の国 地域 に次ぐ番目に多くの国で使用されている言語である 国際連合においては 英語 フランス語 ロシア語 中国語 アラビア語と並ぶ つの公用語のつである インターネットにおいては 利用者全体の約 がスペイン語使用であり 英語 約 と中国語 約 に次ぐ第三の言語である インターネットにおける言語の使用参照 日本では 一般的にスペイン語と呼ばれることが多いが イスパニア語 カスティージャ語 カスティーリャ語などと呼ばれることもある 日本におけるスペイン語の漢字表記は 西班牙語 漢字表記を略して西語と表記されることもある スペイン語において スペイン語 を意味する名詞は カステリャーノ もしくはカステジャーノ または エスパニョール エスパニョールはスペイン の言葉という意味 カステリャーノはカスティーリャ地方の言語という意味 南米ではカステジャーノということが多く メキシコなど中米諸国とカリブ海諸国ではエスパニョールしか使われない カステリャーノという名称は スペイン国内で地方言語を使う地域においては 自分たちの言葉ではない他所者の言葉 という意味で使われる 南米では逆に 本場カスティーリャから受け継いだ正しいスペイン語 という意味で用いられる スペイン語はポルトガル語と似ており かなりの水準で相互意思疎通が可能である 詳細はポルトガル語 スペイン語は ローマ帝国の公用語であったラテン語の口語である俗ラテン語を元に ケルト語 ドイツ語 アラビア語 ギリシャ語 およびその他の言語の影響力を受けた言語である 世紀に北アフリカからイスラム教徒がイベリア半島に侵入し その後 キリスト教徒によるレコンキスタ 再征服運動 が起こるが この時期に俗ラテン語がロマンス諸語に変化した このロマンス諸語が後に ポルトガル語 スペイン語 イタリア語 フランス語 ルーマニア語などに分かれていく やがてレコンキスタの過程でカスティーリャ王国はその中心的勢力となり スペイン王国の誕生後は事実上統一スペイン国家の国家語となった このため 現在でもスペイン語のことをカステリャーノ と呼ぶ人は多く存在する なお 同じイベリア半島で話されている言語であるバスク語はローマ帝国やケルト人の進出以前から半島で使われていた言語と思われ スペイン語とは大きく異なる しかし スペイン語はバスク語の影響も受けている スペイン語は国連のつの公用語 他は英語 フランス語 ロシア語 中国語 アラビア語 の一つであり スペインを始め ブラジルを除く中南米か国 北米か国 アフリカか国 計か国における公用語である スペイン語が公用語である国 地域は以下の通り なお スペインではカタルーニャ州 バレンシア州 バレアレス諸島州ではカタルーニャ語 バレンシア州ではヴァレンシア語 が バスク州とナバーラ州の一部ではバスク語が ガリシア州ではガリシア語が スペイン語同様に地方公用語として認められている 南北アメリカ大陸では メキシコ以南のの国 地域のうちか国がスペイン語を公用語としており 先住民族を含め 人口の大半がスペイン語を話す 加えて 英語を唯一の公用語とするベリーズにおいても最も話されている言語はスペイン語である カリブ海地域 西インド諸島 でスペイン語を公用語としているのはキューバ ドミニカ共和国 プエルトリコだが 人口では過半数を占める これら メキシコ以南のスペイン語圏と ポルトガル語を公用語とするブラジル 場合によってはハイチなどのフランス語圏の国 地域を総称してラテンアメリカと呼ぶ また 米国ではかつて南西部一帯がメキシコ領であった関係でスペイン語の地名が各地に残っており ニューメキシコ州ではスペイン語が事実上の公用語となっている 中南米のスペイン語圏諸国をルーツに持つ米国人は ヒスパニック もしくは ラティーノ ラテン系米国人 と呼ばれ メキシコ領時代から存在していたものの 近年急速にヒスパニック移民が増加した その結果 米国では事実上の公用語の英語に加え ヒスパニックの割合の高いカリフォルニア州やフロリダ州 テキサス州などではスペイン語が第二言語となりつつある この状況を受けて 英語が母語の米国人の中でもスペイン語を学ぶ人が急増している フィリピンは年までスペイン領であった関係もあり 特に上流階級の間でスペイン語が使われていたが 年に公用語から外された とはいえ 現在でも主にカトリック文化などの関係でスペイン語の単語が多数フィリピン人の日常生活で使われているだけでなく タガログ語などでスペイン語からの借用語が多くみられるほか チャバカノ語のようにスペイン語を基にしたクレオール言語も見られる マリアナ諸島のチャモロ語は スペインによる征服時に言語的にもスペイン語に圧倒された スペイン語から非常に多くの借用語を取り入れたのみならず 固有の数詞も放棄し スペイン語由来の数詞を用いている 旧スペイン植民地の西サハラやスペインに近いモロッコでも話されている セルバンテス文化センターの年の報告書 によると 年のスペイン語を母語 第一言語 とする人口は約億万人で その他に約億人が第言語としてスペイン語を習得しており それらの限られた能力のものを含めると約億万人のスペイン語話者がいる 最大の話者人口を抱えているのがメキシコであり 総話者の人に人約億千万人がメキシコに在住している 続くコロンビア アルゼンチン 米国 スペインがそれぞれ総話者人口の約割の約千万人の話者がいる 米国に関しては 同じセルバンテス文化センターが年の報告で万人の話者という推定を出しておりこれはメキシコに次ぐ人口である また米国のヒスパニック人口の分のがメキシコ系であり それらを含めると総話者に占めるメキシコ系話者の比率は人に人となる かつてはアラゴン地方 アラゴン語 カタルーニャ地方 カタルーニャ語 バレアレス諸島 カタルーニャ語 バレンシア地方 バレンシア語 アストゥリアス地方 アストゥリアス語 レオン地方 レオン語 ガリシア地方 ガリシア語 の言語がスペイン語 カスティーリャ語 の方言とされた時期もあったが 現在では カタルーニャ語 バレンシア語 ガリシア語はいずれも独立した言語であると考えられており それぞれの地方において公用語とされている アラゴン語 アストゥリアス語 レオン語もカスティーリャ語から派生した言語ではなく その他のロマンス語同様 俗ラテン語が変化して今日に至っている言語であり 言語学的には別の言語であるが カスティーリャ語の方言の扱いを受けることが多いのが現状である 語頭にあった の多くは になり その後発音上は消滅 強勢のある の多くは に二重母音化 の多くは に変化 はフランス語の イタリア語の に対応する の多くは に変化 現在の音素 は古くは であり 別音素だった 語頭の 閉鎖音は前に が付加 され となった 母音間の は消滅していることが多い 語頭にあるあとに母音が続く と母音にはさまれた強勢のない は に変化した は本来半母音だったが 摩擦音で発音されるのが一般的になった 二重母音における の音は英語のそれと同じように語頭や語中では 語末では とつづる 他のロマンス系言語の多くは は外来語以外に用いない は古くは と発音したが と同じ に変化し その後 借用語において原語の のつづりを に置き換える傾向がある 一方 は に置き換えられることがある スペインで話されているスペイン語とラテンアメリカのスペイン語では 発音 アクセントが若干異なる それ以外にも 地方により発音などに差異が出ることがある 母音は のつで 日本語とほぼ同じである ただし は標準日本語の う よりも口をすぼめて発音する 長音 促音は無いが アクセントのある母音はやや長めに発音されることが多いので日本語話者には長音に聞こえることがある 母音のうち を強母音 語末の を含む を弱母音とする 強母音 弱母音 弱母音 強母音 弱母音 弱母音の連続は二重母音 弱母音 強母音 弱母音の連続は三重母音となり いずれも一音節で発音する その場合の弱母音は スペイン語学では音節主音の前の位置にある場合は半子音 音節主音の後ろの場合は半母音 と呼んで区別する 国際音声記号 では半子音の は 有声両唇軟口蓋接近音 ヨッド は 有声両唇軟口蓋接近音 ワウ また半母音はそれぞれ で表記する 弱母音 弱母音の場合 音節主音は後の母音である 強母音 強母音の連続は母音接続で 二重母音とはならず のように同じ強母音字が連続する場合を含め 別の音節として発音する また 弱母音字でもアセント がある場合 は強母音として扱う 後述するように の は黙字であり 二重母音の一部ではない のようにさらに母音字が続く場合は 黙字の を無視したうえで 上記の規則に従う ディエレシス 分音記号 クレマ がある の は二重母音である スペイン語のアクセントは強勢アクセントである 子音字 はローマ字の日本語読みとほぼ同様の感覚で単語を読むことができる 一方 はローマ字読みとかならずしも一致しない 子音の発音には地域差があり ここで示したのは比較的広く用いられているものである 以下の子音の連続は二重子音となる 分節上 単子音と同様に扱う は二重子音であるが は二重子音ではない 外来語はその発音やつづりの特徴から以下のパターンが挙げられる 外来語の発音については 地域や世代 個人によって多少差がある は古い外来語でよく見られるほか 固有名詞 商品名を含む でよく見られ 例えば コルゲート は コルガーテ と発音する メキシコでは商品名のスペイン語化に関する法律もある 特に人名や地名を原音に近い発音をする場合 原音の確認を要する場合が多いので スペイン語風に発音しても間違いではない 例 マイアミをスペイン語読みでミアミと発音 また 隣接するポルトガル語はスペイン語とよく似ている一方 つづりの発音の違いやアクセントの規則の違い 独特の音韻変化などがあるため しばしばアクセント記号が付加され スペイン語式に読み換えられる 例えばリオデジャネイロ ブラジルポルトガル語の発音は ヒウ ヂ ジャネイル に近い は 川の意 が対応するスペイン語に置き換えられ と表記し リオ デ ハネイロ と発音する また サンパウロ については 対応するスペイン語形のサン パブロ で呼ばれるのが普通である 語頭の 子音 は の前に を付加して発音することが多い 付加しない人もいる 例えば は または と発音する 助動詞の活用形は 過去分詞とあわせて完了時制をつくる 下記の表では が動詞の過去分詞形 インドネシア共和国 インドネシアきょうわこく 通称インドネシアは 東南アジア南部に位置する共和制国家 首都はジャワ島に位置するジャカルタ首都特別州 島嶼国家であるため その広大な領域に対して陸上の国境線で面しているのは ティモール島における東ティモール カリマンタン島 ボルネオ島 におけるマレーシア ニューギニア島におけるパプアニューギニアの国だけである 海を隔てて近接している国家は パラオ インド アンダマン ニコバル諸島 フィリピン シンガポール オーストラリアなど 南シナ海南部にあるインドネシア領ナトゥナ諸島はインドシナ半島や領有権主張が競合するスプラトリー諸島と向かい合う 東南アジア諸国連合 の盟主とされ 本部が首都ジャカルタにある そのため 年以降 アメリカ 中国などか国あまりの大使がジャカルタに常駐しており 日本も年月日にジャカルタに日本政府代表部を開設し 大使を常駐させている 東南アジアから唯一 に参加している 正式名称は インドネシア語 レプブリク インドネシア 略称は インドネシア語 エール イー 公式の英語表記は 略称は または 日本語表記はインドネシア共和国 略称はインドネシア 漢字表記は印度尼西亜 略称は尼 国名インドネシア のネシア は諸島を意味する接尾辞 ギリシャ語で島を意味するネソス の複数形ネシオイ に由来する オランダ領東インド時代の年代に定着した インドネシアの国旗は上部に赤 下部に白の色で構成された長方形で 縦と横の比率が である モナコ公国の国旗と類似しているが こちらは縦横比が と異なる ポーランド国旗とも似ているが 赤と白の配置が上下逆である 国章は ガルーダ パンチャシラ と呼ばれる ガルーダはインド神話に登場する伝説上の鳥で ヴィシュヌ神の乗り物と言われる 鷹のような図柄である 尾の付け根の羽毛は枚 首の羽毛は枚で 尾の羽毛は枚 翼の羽毛は左右それぞれに枚ずつあり 独立宣言をした年月日の数字を表している 先史時代は 様な出土品から石器時代と金属器時代のつに大きく分けることができる 人類が使用する色の道具を石器で作っていた時代である なお当時は 石器のみではなく 竹や木からの利器や器具 道具が作られていた この石器時代をさらに旧石器時代 中石器時代 新石器時代 巨大石器時代のつに分けることができる 後にインドネシアとなる地域に住んでいたマレー系の人は 紀元前世紀頃から来航するインド商人の影響を受けてヒンドゥー教文化を取り入れ 世紀頃から王国を建国していった 諸王国はインドと中国をつなぐ中継貿易の拠点として栄え シュリーヴィジャヤ王国 シャイレーンドラ朝 古マタラム王国 クディリ王国 シンガサリ王国 マジャパヒト王国などの大国が興亡した 世紀以降はムスリム商人がもたらしたイスラム教が広まり 人のイスラム化が進んだ 大航海時代の世紀になると 香辛料貿易の利を求めてヨーロッパのポルトガル イギリス 英国 オランダが相次いで来航 世紀にはバタヴィア ジャカルタ を本拠地としたオランダ東インド会社による覇権が確立された 東インド会社により搾取され続けていたインドネシアであったが オランダはインドネシアの民衆が結束しないよう 種以上あった種族語をまとめた共通語を作ることを禁じた また 一切の集会や路上で人以上が立ち話することも禁止され その禁止を破ると 反乱罪 で処罰された オランダは一部の現地人をキリスト教に改宗させ優遇することで彼らに間接統治させたり 搾取をする経済の流通は華僑に担わせたりしていた オランダ人は世紀のマタラム王国の分割支配によりジャワ島 世紀のアチェ戦争によりスマトラ島のほとんどを支配するようになる この結果 年にオランダ東インド会社が解散され 年にはポルトガル領東ティモールを除く東インド諸島の全てがオランダ領東インドとなり ほぼ現在のインドネシアの領域全体がオランダ本国政府の直接統治下に入った ただし オランダ ネーデルラント連邦共和国 は年にフランス革命戦争でフランス軍に占領されて滅亡 バタヴィア共和国 年 年 ホラント王国 年 年 と政体を変遷した インドネシアは 年から年のネーデルラント連合王国建国まで英国領であった 日本は南進論の影響もあり 年には田邊宗英らの発起の三ツ引商事などがスラバヤへ進出した オランダによる過酷な植民地支配下で 世紀初頭には東インド諸島の住民による民族意識が芽生えた ジャワ島では 年月日にブディ ウトモが結成され 植民地政府と協調しつつ 原住民の地位向上を図る活動に取り組んだ 設立日である月日は 民族覚醒の日 と定められている インドネシア国民党の運動は民族の独立 ムルデカ を掲げ 青年の誓い では唯一の祖国 インドネシア 唯一の民族 インドネシア民族 唯一の言語 インドネシア語が高らかに宣言された しかし インドネシア共産党は年末から年にかけて反乱を起こしたことで政府により弾圧され スカルノやハッタが主導する民族主義運動も オランダの植民地政府によって非合法化された スカルノらの民族主義運動家はオランダにより逮捕され 拷問を受けた末に長く流刑生活を送ることになり 以後の民族主義運動は冬の時代を迎えることになった 日本時間の年月日午前時分 真珠湾攻撃の約時間前 日本軍は英領マレー半島のコタバルに上陸し マレー作戦 太平洋戦争が開戦した 緒戦の南方作戦は日本軍の圧勝であり 翌年月日には今村均陸軍中将を司令官とする 日本陸軍第軍の隷下部隊がタラカン島へ上陸し 蘭印作戦 作戦 を開始 続く月日にはスマトラ島パレンバンに日本陸軍空挺部隊が降下して同地の油田地帯 製油所と飛行場を制圧 上述の 重要国防資源 たる南方大油田を掌握し 太平洋戦争の開戦目的を達成した 月日にはジャワ島に上陸 同月 日には蘭印の中枢であるバタビア 現 ジャカルタ を占領し作戦は終了した オランダ側を降伏させ上陸した日本軍をジャワ島の人はジュンポール 万歳 一番よい と最大限の歓迎で迎えた インドネシアにおける日本の軍政については ジャワ島をつに分ける省制度を廃止したほかは基本的にオランダ時代の統治機構を踏襲した 州長官に日本人を配置し オランダ時代の王侯領には自治を認め ジャカルタは特別市として州なみの扱いとした 軍政の実務は日本人の行政官が担い 州以下のレベルには地方行政はインドネシア人が担当した 同時に日本海軍はボルネオの油田を 日本陸軍はスマトラの油田を保有した そして日本の統治は オランダ植民地政府により軟禁され 流刑地にあったスカルノを救出して日本に協力させ この国民的指導者を前面に立て実施された スカルノは日本に対して懐疑心を抱いていなかったわけではなかったが 開戦前に受けたインドネシア独立に対するオランダの強硬な態度に鑑み オランダの善意に期待できない以上 日本に賭けて見ようと考えたのであった 教育制度に関して日本は オランダが長年行ってきた愚民化政策を取りやめ 現地の人に高等教育を施し 官吏養成学校 師範学校 農林学校 商業学校 工業学校 医科大学 商船学校などを次開設して 短期間に万人以上の現地人エリートを養成した インパール作戦の失敗によって ビルマ方面の戦況が悪化すると 日本は年月日には将来の独立を認容する 小磯声明 を発表 さらに年月に東インドに独立準備調査会を発足させ スカルノやハッタらに独立後の憲法を審議させた 同年月日スカルノを主席とする独立準備委員会が設立され その第回会議が日に開催されるはずであったが 月日に日本が降伏したことによって この軍政当局の主導による独立準備は中止されることとなった しかし 年月日に日本がオランダを含む連合国軍に降伏し 念願の独立が反故になることを恐れたスカルノら民族主義者は同日 ジャカルタのプガンサアン ティムール通り番地でインドネシア独立宣言を発表した 独立宣言文の日付は皇紀を用いている しかし これを認めず再植民地化に乗り出したオランダと独立戦争を戦うことを余儀なくされた インドネシア人の側は 外交交渉を通じて独立を獲得しようとする外交派と オランダとの武力闘争によって独立を勝ち取ろうとする闘争派との主導権争いにより 必ずしも足並みは揃っていなかったが 戦前の峻烈な搾取を排除し独立を目指す人の戦意は高かった 独立宣言後に発足した正規軍だけでなく 各地でインドネシア人の各勢力が独自の非正規の軍事組織を結成し 日本の連合国軍への降伏後に多数の経験豊かな日本の有志将校がインドネシアの独立戦争に参加して武装化した 彼らは連合国軍に対する降伏を潔しとしない日本軍人の一部で インドネシア側に武器や弾薬を提供した これらの銃器の他にも 刀剣 竹槍 棍棒 毒矢などを調達し 農村まで撤退してのゲリラ戦や 都市部での治安を悪化させるなど様な抵抗戦によって反撃した この独立戦争には スカルノやハッタら民族独立主義者の理念に共感し 軍籍を離脱した一部の日本人 人 軍人と軍属 も加わって最前列に立ってオランダと戦い 残留日本兵 他方で政府は第三国 イギリスやオーストラリア アメリカ合衆国 などに外交使節団を派遣して独立を国際的にアピールし また 発足したばかりの国際連合にも仲介団の派遣を依頼して 外交的な勝利に向けても尽力した 結果として 年月日に国際連合安全保障理事会で停戦および平和的手段による紛争解決が提示された 独立戦争は年間続き オランダに対する国際的な非難は高まっていった 最終的に 共産化を警戒するアメリカの圧力によって オランダは独立を認めざるを得なくなった こうした武力闘争と外交努力の結果 年月の 通称 ハーグ円卓会議 で オランダから無条件で独立承認を得ることに成功し オランダ統治時代の資産を継承した これによって国際法上 正式に独立が承認された しかし この資産には億ギルダーという膨大な対外債務 うちオランダ向け債務億ギルダーについては オランダが債務免除に同意した も含まれており 財政的な苦境に立たされることとなる その解決のために円卓会議の取り決めを一方的に破棄 外国資産の強制収容を行うなど強攻策をとり さらには国連から脱退するなどスカルノ政権崩壊まで国際的な孤立を深めていくこととなる 現在でも月日を独立記念日としており ジャカルタを中心に街中に国旗を掲揚して様なイベントを開催し 祝賀ムードに包まれることが恒例となっている オランダからの独立後 憲法 年憲法 を制定し 議会制民主主義の導入を試みた 年に初の議会総選挙を実施 年月日 第次アリ サストロアミジョヨ内閣が成立した 国民党 マシュミ の政党連立内閣であって インドネシア社会党 インドネシア共産党は入閣していない この内閣はカ年計画を立てた その長期計画は 西イリアン帰属闘争 地方自治体設置 地方国民議会議員選挙実施 労働者に対する労働環境改善 国家予算の収支バランスの調整 植民地経済から国民の利益に基づく国民経済への移行により 国家財政の健全化を図ることなどである しかし 民族的にも宗教的にもイデオロギー的にも多様で 各派の利害を調整することは難しく 議会制は機能しなかった また 年代後半に地方で中央政府に公然と反旗を翻す大規模な反乱が発生し セカルマジ マリジャン カルトスウィルヨの反乱 の反乱 国家の分裂の危機に直面した この時期 年憲法の下で権限を制約されていたスカルノ大統領は 国家の危機を克服するため 年月日 大統領布告によって年憲法を停止し 大統領に大きな権限を与えた年憲法に復帰することを宣言した ほぼ同時期に国会を解散して 以後の議員を任命制とし 政党の活動も大きく制限した スカルノによる 指導される民主主義 体制の発足である この構想は激しい抵抗を受け 中部 北 南スマトラ 南カリマンタン 北スラウェシのように国内は分裂した ついに スカルノは全土に対し 戒厳令を出した スカルノは 政治勢力として台頭しつつあった国軍を牽制するためにインドネシア共産党に接近し 国軍との反目を利用しながら 国政における自身の主導権を維持しようとした この時期 盛んにスカルノが喧伝した ナサコム は ナショナリズム 宗教 共産主義 の各勢力が一致団結して国難に対処しようというスローガンだった 年月 オランダ植民地のイリアンジャヤに 西イリアン解放作戦 を決行して占領 年月にインドネシアに併合されると 反政府勢力 自由パプア運動や によるパプア紛争 年 現在 が勃発した スカルノの 指導される民主主義 は 年の月日事件によって終わりを告げた インドネシア国軍と共産党の権力闘争が引き金となって発生したこの事件は スカルノからスハルトへの権力委譲と インドネシア共産党の崩壊という帰結を招いた これ以後 インドネシアでは今日に至るまで 共産党は非合法化されている その間の強引な開発政策は開発独裁と批判されつつも インフラストラクチャーの充実や工業化などにより一定の経済発展を達成することに成功した その一方で 東ティモール独立運動 アチェ独立運動 イリアンジャヤ独立運動などに対して厳しい弾圧を加えた スハルト政権末期の副大統領だったユスフ ハビビが大統領に就任し 民主化を要求する急進派の機先を制する形で 民主化 分権化の諸案を実行した スハルト時代に政権を支えたゴルカル スハルト体制下で存続を許されたつの野党 インドネシア民主党 以外の政党の結成も自由化され 年月 総選挙が実施され 民主化の時代を迎えた その結果 同年月 最大のイスラーム系団体ナフダトゥル ウラマーの元議長 アブドゥルラフマン ワヒド 国民覚醒党 が新大統領 第代 に就任した メガワティ スカルノプトリは副大統領に選ばれた しかし 年月 ワヒド政権は議会の信任を失って解任された 代わって 闘争民主党のメガワティ政権が発足した その後年月に同国初の直接選挙で選ばれた第代スシロ バンバン ユドヨノが年に の得票を得て再選され 年までの大統領の任にあった 歴代の大統領については インドネシアの大統領一覧 を参照 多民族国家であり 種族 言語 宗教は多様性に満ちている そのことを端的に示すのは 多様性の中の統一 というスローガンである この多民族国家に国家的統一をもたらすためのイデオロギーは 世紀初頭から始まった民族主義運動の歴史の中で 様な民族主義者たちによって鍛え上げられてきた そうしたものの一つが 日本軍政末期にスカルノが発表したパンチャシラである 年月日の演説でスカルノが発表したパンチャシラ サンスクリット語で つの徳の実践 を意味する は今日のそれと順序と語句が異なっているが スハルト体制期以降も重要な国是となり 学校教育や職場研修などでの主要教科とされてきた また スハルト退陣後の国内主要政党の多くが 今もなお このパンチャシラを党是として掲げている 現在のパンチャシラは以下の順序で数えられる 元首たる大統領は行政府の長である その下に副大統領が置かれる 首相職はなく 各閣僚は大統領が指名する 特徴的なのが 調整大臣府 と呼ばれる組織で 大統領と各省の間で複数の省庁を管掌しており 年発足のジョコ ウィドド政権では が置かれている 第五代までの大統領と副大統領は 国民協議会 後述 の決議により選出されていたが 第六代大統領からは国民からの直接選挙で選ばれている 任期は年で再選は度のみ 最大年 憲法改正によって大統領の法律制定権は廃止された 各種人事権については 議会との協議を必要とするなど 単独での権限行使は大幅に制限された また議会議員の任命権も廃止され 議員は直接選挙によって選出されることになった 立法府たる議会は 国民議会 定数 地方代表議会 定数 そして この二院からなる国民協議会 がある まず の国民協議会は 年 年の憲法改正以前は 一院制の国民議会の所属議員と 各州議会から選出される代表議員人によって構成されていた 国民協議会は 国民議会とは別の会議体とされ 国家意思の最高決定機関と位置づけられていた 国民協議会に与えられた権限は 年ごとに大統領と副大統領を選出し 大統領が提示する国の施策方針を承認すること 一年に一度 憲法と重要な法律の改正を検討すること そして場合により大統領を罷免すること であった このような強大な権限を国民協議会に与えていることが憲政の危機をもたらしたとして その位置づけを見直す契機となったのは 国民協議会によるワヒド大統領罷免であった これらの措置により 国民協議会は国民議会と地方代表議会の合同機関としての位置づけが与えられ また 国民議会と地方代表議会のいずれも民選議員によってのみ構成されているため 国民協議会の議員も全て 直接選挙で選ばれる民選議員となった の国民議会は 年の第次憲法改正によって 立法 予算審議 行政府の監督のつの機能が与えられることになった 具体的には立法権に加えて 質問権 国政調査権 意見表明権が国民議会に与えられ また 議員には法案上程権 質問提出権 提案権 意見表明権 免責特権が与えられることが明記された 比例代表制により選出される の地方代表議会は 年から年にかけて行われた第次 第次憲法改正によって新たに設置が決まった代議機関であり 地方自治や地方財政に関する立法権が与えられている 先述の通り 総選挙で各州から選出された議員によって構成されている スハルト政権期には政府 司法省が分有していた司法権が廃止され 各級裁判所は 司法府の最上位にある最高裁判所によって統括されることになり 司法権の独立が確保された 最高裁判所は法律よりも下位の規範 政令等 が法律に違反しているか否かを審査する権限を有する 他に憲法に明記される司法機関としては司法委員会と憲法裁判所がある 司法委員会は最高裁判所判事候補者を審査し国会に提示する権限及び裁判官の非行を調査し最高裁判所に罷免を勧告する権限を有する 憲法裁判所は法律が憲法に違反しているか否かを審査する権限を有する 憲法改正以前には大統領に属していた政党に対する監督権 解散権が憲法裁判所に移された これにより 大統領 政府による政党への介入が排除されることになった 以下 主なもの インドネシア共和国国軍 略称 の兵力は 年に万 人 陸軍万人 海軍万人 空軍万人 であり 志願兵制度である その他に予備役が万人 軍事予算は年に兆 億ルピアで 国家予算に占める割合は パーセントである スハルト政権以来 米国を中心とした西側との協調により 近代的な兵器を積極的に導入してきたものの 東ティモール紛争の悪化により米国と軋轢が生じ 年まで米国からの武器輸出を禁じられた この間にロシア連邦や中華人民共和国と接近し これらの国の兵器も多数保有している 旧宗主国オランダとの武力闘争によって独立を勝ち取り 独立当初から外交方針の基本を非同盟主義に置いた こうした外交方針は 自主積極 外交と呼ばれている 独立達成後の 外交にも様な変化がみられるものの いずれの国とも軍事同盟を締結せず 外国軍の駐留も認めていないなどの 自主積極 外交の方針はほぼ一貫しているといってよい 今日に至るまで日本をはじめとする西側諸国とは協力関係を維持しているが スハルト体制期においても一貫して ベトナムなど近隣の社会主義国や非同盟諸国とは良好な外交関係を保った 中国とは南シナ海にあるスプラトリー諸島 南沙諸島 の領有権を巡る係争はないが 中国が海洋権益を主張する九段線がインドネシア領ナトゥナ諸島北方海域にかかっている このため 同海域の 北ナトゥナ海 への改称やナトゥナ諸島への軍配備などで対応している 詳細は ナトゥナ諸島 を参照 年月にはナトゥナ諸島近海で中国漁船が操業したことに抗議 中国大使を召還した 日本とインドネシアの関係は良好であり 社を超える日本企業がインドネシアで事業を展開している 特に近年 日本文化がブームとなっており 日本企業の投資や 日本語を学ぶ人が増えている 大相撲やアニメなど 日本文化のイベントも開催されている ミクタ は メキシコ インドネシア 大韓民国 トルコ オーストラリア のヶ国によるパートナーシップである 詳細は該当ページへ 第レベル地方政府 便宜上区域に分ける は年時点で以下のとおり ジャカルタ首都特別州との特別州 の州が設置されている 下記リストで名称右に 付きが 首都ジャカルタと特別州 第レベルの地方政府は 年時点で県 市が置かれている 県と市には行政機能上の差異はなく 都市部に置かれるのが市で それ以外の田園地域等に置かれるのが県である なお 県 市には 行政区としての郡 とその下には区 が置かれる なお 都市以外の地域には村 が置かれているが これは区の担う行政機能に代わり 地縁的 慣習的なコミュニティであり 行政区ではない スハルト政権の崩壊後 世界で最も地方分権化が進んだ国の一つに数えられている しかし 逆に言えば中央政府の力が弱く 地方政府が環境破壊を進める政策を実施していても 中央政府には これを止める力がない 世界で最も多くの島を持つ国であり その数は万にのぼる 島の数は人工衛星の調査により算出されたもので かつては万 とも言われていたが 再調査の結果 年に現在の個数が明らかになった 当地を含む周辺では ユーラシアプレートやオーストラリアプレート 太平洋プレート フィリピン海プレートなどがせめぎあっており 環太平洋火山帯 環太平洋造山帯 の一部を構成している そのため国内に火山が多く 活火山がある スマトラ島北部にあるカルデラ湖のトバ湖を形成したトバ火山は 有史前に破局噴火を引き起こしたほか クラカタウ大噴火に代表されるように古くから住民を脅かすと共に土壌の肥沃化に役立ってきた 火山噴火によって過去年間に万人の死者を出しており この数は世界最多とされる スマトラ島のクリンチ火山が最高峰 である スメル山はジャワ島の最高峰 で 世界で最も活動している火山の一つである また 地震も多く 年のスマトラ島沖地震 及び年のジャワ島中部地震は甚大な被害を与えた スマトラ島とジャワ島は 約 年前は陸続きであったが 年前の大噴火があり スンダ海峡ができて両島は分離した これらの島の全てが北回帰線と南回帰線の間に位置しており 熱帯気候である 国土を 林業地区 国有林 と その他の地区 に区分している 大気中の二酸化炭素を吸収する役割を担う森林は 適切な利用 管理により地球温暖化防止に役立つ によると 年のは兆億ドルであり 世界第位である 一方 一人当たりのは ドルであり 世界平均の約 である 世界銀行が公表した資料によると 年に日 ドル未満 年基準の米ドル購買力平価ベース で暮らす貧困層は全人口の約 都市部 約 農村部 約 であり 約万人いる また ドル未満の場合は約 都市部 約 農村部 約 であり ドル未満の場合は約 都市部 約 農村部 約 であった 基本的に農業国である 年代に稲作の生産力増強に力が入れられ 植民地期からの品種改良事業も強化された 改良品種のような高収量品種は他にもつくられ 農村に普及し栽培された このような 緑の改革 の結果 年にはコメの自給が達成された しかし 年代後半には 緑の改革 熱も冷めてゆき 同年代の末にはコメの輸入が増加するに至った 農林業ではカカオ キャッサバ キャベツ ココナッツ 米 コーヒー豆 サツマイモ 大豆 タバコ 茶 天然ゴム トウモロコシ パイナップル バナナ 落花生の生産量が多い 特にココナッツの生産量は年時点で世界一である オイルパーム アブラヤシ から精製されるパームオイル パーム油 ヤシ油 は 植物油の原料の一つで 年代後半日本国内では菜種油 大豆油に次いで第位で 食用 洗剤 シャンプー 化粧品の原料として需要の増大が見込まれている インドネシアにおけるパームオイルの生産量は年代以降急激に増加しており 年にマレーシアを抜き生産量首位に 年時点でマレーシアの二倍弱の 万トンを生産している アブラヤシの栽培面積は年にはココヤシと並び 年には万ヘクタールとなっている インドネシア中央統計庁 による この年代以降のエステート作物面積の急激な拡大によって 森林破壊や泥炭湿地の埋立及びこれに伴う火災の発生などの環境破壊が進んでいることが指摘されている 海に囲まれた群島国家であるため水産資源も豊富だが 漁業や水産加工の技術向上 物流整備が課題となっている プリカナン ヌサンタラ という国営水産会社が存在する 鉱業資源にも恵まれ 金 スズ 石油 石炭 天然ガス 銅 ニッケルの採掘量が多い 年 年 日本からの政府開発援助 でスマトラ島北部のトバ湖から流れ出るアサハン川の水でアサハン ダム 最大出力 万キロワット とマラッカ海峡に面したクアラタンジュンにアサハン アルミ精錬工場が建設された ニッケル鉱山は 南東スラウェシ州コラカ沖のパダマラン島のポマラと南スラウェシ州ソロアコ サロアコ にある 生産の が日本に輸出されている ニッケルはカナダの多国籍企業インコ社が支配している 多国籍企業の進出はスハルト体制発足後の年外資法制定以降であり 採掘 伐採権を確保している また 日本企業社が出資している 鉱山採掘に伴い森林伐採で付近住民と土地問題で争いが起こる 国内産業を育成するため 未加工ニッケル鉱石の輸出を年に禁止したが 年に規制を緩和している 日本は 液化天然ガス をインドネシアから輸入している 年以降は原油の輸入量が輸出量を上回る状態であるため 石油輸出国機構 を年月に脱退した 工業では軽工業 食品工業 織物 石油精製が盛ん コプラパーム油のほか 化学繊維 パルプ 窒素肥料などの工業が確立している パナソニック オムロン ブリヂストンをはじめとした日系企業が現地に子会社あるいは合弁などの形態で 多数進出している 独立後 政府は主要産業を国有化し 保護政策の下で工業を発展させてきた 年には 戦略的対応が必要な産業として製鉄 航空機製造 銃器製造などを指定し 戦略産業を手掛ける行政組織として戦略産業管理庁 を発足させている かつてはに 華人系企業との癒着や スハルト大統領ら政府高官の親族によるファミリービジネス等が社会問題化し 年には国民車 ティモール の販売を巡って世界貿易機関 を舞台とする国際問題にまで発展した しかし 年のアジア通貨危機の発生により 経済は混乱状態に陥り スハルト大統領は退陣に至った その後 政府はとの合意によって国営企業の民営化など一連の経済改革を実施したが 失業者の増大や貧富の差の拡大が社会問題となっている 小売業の最大チャネルは 各地に約万ある ワルン と呼ばれる零細小売店である インターネット通販は小売市場の 程度と推測され 地元企業のトコペディアやブカラパック シンガポール企業のラザダやショッピーが参入しており ワルンへの商品供給を担う企業もある 労働者の生活水準を向上させるため 月額式の最低賃金制度が施行されており 年からはインフレ率と経済成長率に基づく計算式が導入され 年 程度上がり タイ王国を超える水準となっている これに対して 労働組合側は賃上げが不十分 日系を含む企業側は人件費の上昇が国際競争力を低下させると主張し 労使双方に不満がある なお イスラム教徒が多数を占める国であるため 従業員からメッカ巡礼の希望が出た場合 企業はメッカ巡礼休暇として 最長カ月の休暇を出すことが法で規定されている ただ 改革と好調な個人消費により 成長率は 年から年まで 前後で推移した 年には 欧米の経済危機による輸出の伸び悩みや国際的な金融危機の影響等があったものの を維持 さらに年は 政府の金融安定化策 景気刺激策や堅調な国内消費から 世界的にも比較的安定した成長を維持し の成長を達成 名目 国内総生産 は年の約 億ドルから 年には 倍の約億ドルまで急拡大した 今ではの一角をなすまでになっており 同じ諸国のベトナムとフィリピンと同様にの一角を占め 更にベトナムと共にの一角を担うなど経済の期待は非常に大きい ただし 年より経常収支が赤字となる状況が続いており 従来から続く財政赤字とともに双子の赤字の状態にある このような中 日系企業の進出は拡大しているが 投資環境の面で抱える問題は少なくない 世界銀行の でも ビジネス環境は国中位に順位づけられており これはの中でもとくに悪いランキングである また 投資環境整備に直結する支援としては 知的財産権総局を対象とした知的財産に関する法整備支援も継続されている 技能実習制度などで 日本へ渡航して働くインドネシア人も多いが 人権保護や賃金支払いなどでトラブルも起きている 大多数がマレー系で 彼らが直系の祖先であり 原マレー人と新マレー人の種類に分けられる 原マレー人は 紀元前年頃に渡来した 原マレー人は先住民よりも高度な文化を持っていた 原マレー人は後から来た新マレー人によって追われていくが ダヤク人 トラジャ人 バタック人として子孫が生存している 新マレー人は マレー人 ブギス人 ミナンカバウ人の祖先であり 紀元前年頃に渡来した 渡来時には青銅器製作の技術を獲得しており 数百年後には鉄器を使用し始める 彼らの使用した鉄器がベトナム北部のドンソン地方で大量に発見されていることから ドンソン文化 と呼ばれる ほかに約の民族がおり 住民の内 ジャワ人が スンダ人が マドゥラ人が 沿岸マレー人が その他が 中国系が約 となっている 父系 母系を共に親族とみなす 双系社会 であり 姓がない人もいる スカルノ スハルトなど なお 法務省の統計では 年末では 人超 年では 人超のインドネシア人が日本に在住している 公用語はインドネシア語であり 国語となっている 会話言語ではそれぞれの地域で語彙も文法規則も異なる以上の言葉が日常生活で使われている インドネシア語が国語と言っても 日常で話す人は多くて 万人程度である 国の人口比にすると意外と少ないが 国語になっているため第言語として話せる人の数はかなり多い また 首都ジャカルタへ出稼ぎに向かう人も多い為 地方の人でもインドネシア語は必須であり 話せないと出稼ぎにも影響が出てくる インドネシア語 ジャワ語 バリ語などを含むオーストロネシア語族の他に パプア諸語が使用される地域もある 憲法条で信教の自由を保障している パンチャシラでは唯一神への信仰を第一原則としているものの これはイスラム教を国教として保護しているという意味ではない 多民族国家であるため 言語と同様 宗教にも地理的な分布が存在する バリ島ではヒンドゥー教が スラウェシ島北部ではキリスト教 カトリック が 東部諸島およびニューギニア島西部ではキリスト教 プロテスタント その他 が優位にある アチェ州では がイスラム教徒で シャリーア イスラム法 が法律として適用されている イスラム教徒の人口は 億万人を超え 世界最大のイスラム教徒 ムスリム 人口を抱える国家となっている インドネシアは政府としては世俗主義を標榜しており シャリーアによる統治を受け入れるイスラム国家ではない また イスラム教はジャワ島やスマトラ島など人口集中地域に信者が多いため 国全体でのイスラム教徒比率は高いが 非イスラム教徒の民族や地域も実際には多い カリマンタン島やスラウェシ島ではちょうど イスラム教徒と非イスラム教徒の割合が半ほど 東ヌサトゥンガラから東のマルク諸島 ニューギニア島などではイスラム教徒比率は一割程度である またイスラム教徒多数派地域であっても 都市部や スンダ人 アチェ人地域のように比較的 厳格な信仰を持つものもあれば ジャワ人地域のように 基層にヒンドゥー文化を強く残しているものもある また書面上はイスラム教徒となっていても 実際にはシャーマニズムを信仰している民族も有る 魔術師 呪術医と 精霊を含めた超自然的な力を信じる人や お化け の存在を肯定するインドネシア人は多い なお 信仰の自由はあるといっても完全なものではなく 特に無神論は違法であり 公言をすると逮捕される可能性もある 以下の項目も参照 夫婦別姓が基本 ただし通称として夫の姓を名乗ることも多い 男性側が改姓することも可能である 教育体系は 教育文化省が管轄する一般の学校 スコラ と 宗教省が管轄するイスラーム系のマドラサ の二本立てとなっている いずれの場合も小学校 中学校 高校の 制であり このうち小中学校の年間については 年 義務教育にすると宣言された スコラでもマドラサでも 一般科目と宗教科目を履修するが 力点の置き方は異なる 大学をはじめとする高等教育機関も一般校とイスラーム専門校に分かれており 前者については年に各州に国立大学を設置することが決定された 以下は代表的な大学のリストである 米国による年の推計によれば 歳以上の国民の識字率は 男性 女性 である 年の教育支出はの だった 民族 宗教などの多様性や 過去のオランダやポルトガル イギリスなどの分割統治の影響でいくつかの独立運動を抱えている 紛争に発展したアチェ独立運動などもあった 東ティモールは独立運動の末 国連の暫定統治を経て年に独立したが パプア州 旧イリアン ジャヤ州 において独立運動が展開されており カリマンタン島では民族対立が マルク諸島ではキリスト教徒とイスラム教徒の宗教対立が存在する アチェ独立運動は年のスマトラ島沖地震の後 年月日に終結した 宗教 文化は島ごとに特色を持ち 日本ではバリ島のガムランなどのインドネシアの音楽や舞踊が知られる またワヤン クリと呼ばれる影絵芝居や バティックと呼ばれるろうけつ染めも有名である 高温多湿な気候と丹念に洗濯する国民性のため 洗濯機は全自動式ではなく洗濯板が付いた二槽式が主流とされる 多彩な香辛料や蜂蜜などを調合した ジャムウ と呼ばれる伝統薬が広く生産 販売されている インドネシア文学をインドネシア語 またはその前身であるムラユ語で インドネシア人によって書かれた文学作品のことであると限定するならば それは民族主義運動期に生まれたと言える 年 オランダ領東インド政府内に設立された出版局 バライ プスタカ は インドネシア人作家の作品を出版し アブドゥル ムイスの 西洋かぶれ 年 など インドネシアで最初の近代小説といわれる作品群を出版した また インドネシア人によるインドネシア語の定期刊行物としては 年にバンドンでティルトアディスルヨが刊行した メダン プリヤイ が最初のもので その後 インドネシア語での日刊紙 週刊誌 月刊誌の刊行は 年には点 年には点を超えていた 以下 代表的な作家 詩人 文学者を挙げる サッカーは最も人気のあるスポーツである また バドミントンが盛んでありオリンピックで獲得したメダルの半分以上がバドミントンによるものである ボクシングでは世界スーパー王者クリス ジョンを生んだことで知られる ユネスコの世界遺産リストに登録された文化遺産が件 自然遺産が件存在する イラク共和国 イラクきょうわこく 通称イラクは 中東の連邦共和制国家である 首都はバグダードで サウジアラビア クウェート シリア トルコ イラン ヨルダンと隣接する 古代メソポタミア文明を受け継ぐ土地にあり 世界で番目の原油埋蔵国である チグリス川とユーフラテス川流域を中心とする世界最古の文明メソポタミア文明 シュメール文明 を擁した地である 世紀のアッバース朝は首都をイラクのバグダートに置き 貿易やイスラム教の中心地として栄えた アッバース朝衰退後の世紀からは異民族支配を受け 世紀からはオスマン帝国の属州となった 第一次世界大戦でイギリス軍に占領され 戦後イギリス委任統治領メソポタミアとなった 年に独立王国となり 年の軍部クーデターで共和制になった その後もクーデターが相次ぎ 年からサダム フセインの独裁体制となった クルド人自治問題 イラン イラク戦争や湾岸戦争の敗北 経済制裁などの難問に強権で対処したが 年に米英軍の攻撃を受け 政権は崩壊 年月に国民投票によって新憲法が承認され 以降民主選挙による政府が樹立された しばらく治安対策や復興支援のために米軍駐留が続いたが 年に米軍が撤収した 民主化以降の政治体制は議院内閣制であり 議会は一院制で 州ごとの比例代表制および少数派を優先した全国区の比例代表制で選出される 任期は年 元首である大統領は議会で選出され 大統領の任期も連動して年である 大統領が任命する首相が行政権を握る 経済面では北部と北東部および南部で採掘される石油が豊富 世界位 で 石油輸出が財政に占める割合が割以上である 特に近年は原油生産量が急速に上昇している 同時に政府は石油依存体質からの脱却を目指している 人口は年のの調査によれば約万人で 民族はアラブ人 シーア派約割 スンニ派約割 クルド人 約割 多くはスンニ派 トルクメン人 アッシリア人などから構成される 言語はアラビア語とクルド語が公用語である 地理としては国土の中心をなすのはチグリス川とユーフラテス川が潤すメソポタミア平原であり 肥沃な三日月地帯 の東部を占めている 北はトルコ 東はイラン 西はシリアとヨルダン 南はサウジアラビアとクウェートに接し 南部の一部はペルシア湾 アラビア湾 に臨んでいる 正式名称はアラビア語で ラテン文字転写は 読みは アル ジュムフーリーヤ アル イラーキーヤ 通称は アル イラーク 公式の英語表記は リパブリック オブ イラーク 通称 日本語の表記は イラク共和国 通称 イラク イラークという地名は伝統的にメソポタミア地方を指す アラブ人のイラーク と ザグロス山脈周辺を指す ペルシア人のイラーク からなるが 現在イラク共和国の一部となっているのは アラブ人のイラーク のみで ペルシア人のイラーク はイランの一部である 現イラクの国土は 歴史上のメソポタミア文明が栄えた地とほとんど同一である メソポタミア平野はティグリス川とユーフラテス川により形成された沖積平野で 両河の雪解け水による増水を利用することができるため 古くから農業を営む定住民があらわれ 西のシリア地方およびエジプトのナイル川流域とあわせて 肥沃な三日月地帯 として知られている 紀元前年ごろからシュメールやアッカド アッシリア そしてバビロニアなど 数の王国や王朝がこのメソポタミア地方を支配してきた メソポタミア文明は技術的にも世界の他地域に先行していた 例えばガラスである メソポタミア以前にもガラス玉のように偶発的に生じたガラスが遺物として残っている しかし ガラス容器作成では まずメソポタミアが ついでエジプトが先行した 遺跡 現イラクニーナワー県のテル アル リマー からは紀元前世紀のガラス容器 それも色のジグザグ模様をなすモザイクガラスの容器が出土している 高温に耐える粘土で型を作成し 塊状の色ガラスを並べたあと 熱を加えながら何らかの圧力下で互いに溶け合わせて接合したと考えられている 紀元前世紀になると ウルの王墓とアッシュールからは西洋なし型の瓶が 遺跡からはゴブレットの破片が見つかっている 西暦年 ハーリド イブン アル ワリードの指揮のもと約 人のアラブ人ムスリム イスラム教徒 からなる兵士がユーフラテス川河口地帯に到達する 当時ここを支配していたペルシア帝国軍は その兵士数においても技術力においても圧倒的に優位に立っていたが 東ローマ帝国との絶え間ない抗争と帝位をめぐる内紛のために疲弊していた サーサーン朝の部隊は兵力増強のないまま無駄に戦闘をくりかえして敗れ メソポタミアはムスリムによって征服された これ以来 イスラム帝国の支配下でアラビア半島からアラブ人の部族ぐるみの移住が相次ぎ アラブによってイラク イラーク と呼ばれるようになっていたこの地域は急速にアラブ化 イスラム化した 年 年 年にサファヴィー朝のアッバース世とイギリス東インド会社の間で貿易協定が結ばれ イギリス人ロバート シャーリーの指導のもとでサファヴィー朝の武器が近代化された 年 イングランド ペルシア連合軍はホルムズ占領に成功し イングランド王国はペルシャ湾の制海権をポルトガル スペインから奪取した 年にはサファヴィー朝のアッバース世がバグダードを奪還した しかし 年にアッバース世が亡くなると急速に弱体化した 一方 オスマン帝国のバスラ州に所属してはいたが サバーハ家のムバーラク大首長のもとで自治を行っていたペルシア湾岸のクウェートは 年に寝返ってイギリスの保護国となった 第一次世界大戦では クートの戦い 年月日 年月日 でクート エル アマラが陥落すると イギリス軍はヶ月間攻勢に出ることが出来なかったが この間の年月日にイギリスとフランスは 交戦するオスマン帝国領の中東地域を分割支配するというサイクス ピコ協定を結んだ で 年 年 を一時的に樹立 ハーシム王家はイギリスの支援のもとで中央集権化を進め スンナ派を中心とする国家運営を始め 年にはイラク王国として独立を達成した 一方 とメロン財閥傘下のガルフ石油とが共同出資して年にを設立 年 クウェート石油はブルガン油田を発見した 第一次クルド イラク戦争後の和平交渉が決裂し バルザーニーが再び蜂起して 年 年 が勃発 ペシュメルガ等を含め双方合わせて万人超が死傷 その後 この戦いでイラク国軍を率いたサッダーム フセインが実権を掌握した イラク武装解除問題 年 年 による情報 年月 イラク戦争に敗れてサッダームも死亡し バアス党政権体制は崩壊した 戦後 イラクの石油不正輸出に国連の 石油食料交換プログラム が関与していた国連汚職問題が発覚した 旧イラク共和国の滅亡後は アメリカ イギリスを中心とする連合国暫定当局 によって統治されることとなり 年月日 年月日 正式な併合 編入こそ行われなかったものの実質的にアメリカ合衆国の海外領土に組み込まれた イラク戦争終結後もスンニー トライアングルで暫定当局に対する激しい抵抗があったが 年月日のではサッダーム フセインがダウルで拘束された 年月 ファルージャの戦闘で側が圧勝する 暫定政権は国連安全保障理事会が採択した イラク再建復興プロセスに基づいて 年月日にイラクで初めての暫定議会選挙を実施し 月日に初の暫定国民議会が召集された 月日にジャラル タラバニが初のクルド人大統領に就任 移行政府が月日に発足し 月日に憲法草案は国民投票で賛成多数で可決承認された 世俗派の政党連合 を構成するは年月日に第回総選挙をボイコットすると表明した これは イラク合意戦線の選挙立候補者にサッダーム旧政権の支配政党であるバアス党の元党員や旧政権の情報機関 民兵組織のメンバーが含まれているとして選挙参加を禁止されたためであるが 後に合意戦線は ボイコットを撤回した 年月日に第回議会選挙が行われた アッラーウィーの世俗会派イラク国民運動が第党 議席 となり マーリキー首相の法治国家連合は第党となった 議席 しかし マーリキーは 選挙に不正があったとしてこの結果を認めなかった その後司法判断が下され 選挙結果は正当 となった 国家元首の役割を果たすのは共和国大統領および人の副大統領で構成される大統領評議会である それぞれ イラク国民の大勢力である スンナ派 スンニ派 シーア派 クルド人から各名ずつが立法府によって選ばれる 大統領は 国民統合の象徴として 儀礼的職務を行う 大統領宮殿位置はに位置している 行政府の長である首相は 議員の中から議会によって選出される 副首相が名 その他の閣僚は 大統領評議会に首相 副首相が加わって選任される 現政権の閣僚は名 首相 副首相を除く 一院制で国民議会がある 任期年で 定数は 年現在 第回総選挙が年月日に行われた 第回総選挙は年月日に行われた また 反政府デモ活動により 早期選挙が求められている クルド地方県 エルビル県 スレイマニヤ県及びドホーク県 南部県 ムサンナー県 ズィーカール県 ナジャフ県 ミーサーン県 バスラ県 及び中部カルバラ県の計県で 治安権限が多国籍軍からイラク側に移譲されている 北部のクルド県では クルド人政府が独自の軍事組織をもって治安維持に当たっている 南部ではシーア派系武装組織が治安部隊と断続的に戦闘を行っている スンニ派地域では米軍の支援を受けた覚醒評議会 スンニ派 が治安維持に貢献しているとされる イランとは イラク戦争でバアス党政権が崩壊して以降 電気 水道 道路などのインフラの復興支援を受けた また 同じシーア派ということもあり アメリカが敵視するイランとの関係を強化し 親イラン傾向が強まっている エジプトとは イスラエルとの国交回復の前後の年に国交を断絶した イラン イラク戦争での援助により両国の絆が深まった時期もあったが 湾岸戦争後はエジプトがアラブ合同軍などに参加し 疎遠な関係となった 湾岸戦争後は エジプトはイラクの石油と食糧の交換計画の最大の取り引き先であり 両国の関係は改善に向かった シリアとはアラブ諸国内での勢力争いや互いの国への内政干渉問題 ユーフラテス川の水域問題 石油輸送費 イスラエル問題への態度などをめぐって対立 レバノン内戦においてはへの支援を行ない 年代後半には反シリアのキリスト教徒のアウン派への軍事支援も行なった これに対してシリアはイラクのクウェート侵攻に際して国交を断絶し 多国籍軍に機甲部隊と特殊部隊を派遣し レバノンからも親イラクのアウン派を放逐した 年代は冷めた関係が続いた 年になってバッシャール アル アサドが大統領になると石油の密輸をめぐる絆が強くなったが 外交面では依然として距離をおいた関係になっている ヨルダンは イラン イラク戦争および湾岸戦争でイラクを支持したため 両国の関係は強まった 年にアブドゥッラー世が即位して以降も依然として良好である イスラエルは 年 年 年の中東戦争に参戦し 強硬な態度を取った イラン イラク戦争中は イスラエル問題についての態度を軟化させ この時期 イラクはアメリカの支援を受けていた 年のアメリカによる平和交渉に反対せず 同年月のアラブ首脳会談によって採択されたフェス憲章 にも支持を表明した ただし 湾岸戦争では クウェートからの撤退の条件としてイスラエルのパレスチナからの撤退を要求し イスラエルの民間施設をスカッド ミサイルで攻撃した イラクの地理について 国土の範囲 地形 地質構造 陸水 気候の順に説明する イラクの国土は東西 南北 に及ぶ 国土の西端はシリア砂漠にあり シリア ヨルダンとの国境 である 北端はトルコとの国境 で クルディスタン山脈に位置する 東端はペルシャ湾沿いの河口 南端はネフド砂漠中にあり クウェート サウジアラビアとの国境 の一部である イラクの地形はつに大別できる 国土を特徴付ける地形は対になって北西から南東方向に流れる 本の大河 南側のユーフラテス川と北側のティグリス川である ユーフラテス川の南側は シリア砂漠とネフド砂漠が切れ目なく続いており 不毛の土地となっている 砂漠側は高度 に達するシリア アラビア台地を形成しており 緩やかな傾斜をなしてユーフラテス川に至る 本の大河周辺はメソポタミア平原が広がる 農耕に適した土壌と豊かな河川水によって 人口のほとんどが集中する メソポタミア平原自体も地形により二つに区分される 北部の都市サマッラより下流の沖積平野と 上流のアルジャジーラ平原である 本の大河はクルナの南で合流し シャットゥルアラブ川となる クルナからは直線距離にして約 川の長さにして 流れ下り ペルシャ湾に達する ティグリス川の東は高度が上がり イランのザグロス山脈に至る バグダードと同緯度では から 程度である イラクとイランの国境はイラク北部で北東方向に張り出している 国境線がなめらかでないのはザグロス山脈の尾根が国境線となっているからである イラク最高峰の もザグロス山中 国境線沿いにそびえている 同山の周囲 四方にイラクで最も高い山が見られる アラビアプレートがユーラシアプレートに潜り込むように移動して地形を圧縮し ペルシャ湾北岸まで延びるザグロス山脈を形成した トルコ国境に伸びるクルディスタン山脈も褶曲山脈であり に達する峰が存在する ティグリス ユーフラテスという大河川が形成された原因も ヒマラヤ山脈の南側にインダス ガンジスという大河川が形成されたのと同様 プレートテクトニクスで説明されている ティグリス ユーフラテス合流地点から上流に向かって かつては最大 にも伸びるが存在した 周囲の湿地と一体となり 約万平方にも及ぶ大湿原地帯を形成していた 湿原地帯には 沼沢地アラブ と呼ばれる少数民族が暮らしており アシと水牛を特徴とした生活を送っていた しかしながら 世紀後半から計画的な灌漑 排水計画が進められたため 世紀に至ると ハンマール湖は 程度まで縮小している イラクの陸水はティグリス ユーフラテス 及びそれに付随する湖沼が際立つが 別の水系によるものも存在する カルバラの西に広がるである ネフド砂漠から連なるアルガダーフ ワジ など複数のワジと地下水によって形成されている ミル湖に流れ込む最も長いアルウィバード ワジは本流の長さだけでも を上回り 本の支流が接続する なお イラク国内で最長のワジはハウラーン ワジ であり に達する イラクの気候は ほぼ全土にわたり砂漠気候に分類される ティグリス川の北岸から北はステップ気候 さらに地中海性気候に至る したがって 夏期に乾燥し 月から月の間は全国に渡って降雨を見ない 南西季節風の影響もあって 熱赤道が国土の南側を通過するため 月と月のカ月は最高気温が 度を超える ただし 地面の熱容量が小さく 放射冷却を妨げる条件がないため 最低気温が 度を上回ることは珍しい 一方 北部山岳地帯の冬は寒く しばしば多量の降雪があり 甚大な洪水を引き起こす 砂漠気候を中心とする乾燥した気候 年を超える文明の影響により 野生の大型ほ乳類はほとんど分布していない イラクで最も大きな野生動物はレイヨウ 次いでガゼルである 肉食獣としては ジャッカル ハイエナ キツネが見られる 小型ほ乳類では ウサギ コウモリ トビネズミ モグラ ヤマアラシが分布する 鳥類はティグリス ユーフラテスを生息地とする水鳥と捕食者が中心である ウズラ 水鳥でも捕食者でもない カモ ガン タカ フクロウ ワシ ワタリガラスが代表 ステップに分布する植物のうち 古くから利用されてきたのが地中海岸からイランにかけて分布するマメ科の低木トラガカントゴムノキ である 樹皮から分布される樹脂をアラビアガムとして利用するほか 香料として利用されている 聖書の創世記にはトラガラントゴムノキと考えられる植物が登場する 北東に移動し 降水量が上昇していくにつれ 淡紅色の花を咲かせるオランダフウロ 大輪の花が目立つハンニチバナ科の草 ヨーロッパ原産のムシトリナデシコが見られる ティグリス ユーフラテスの上流から中流にかけてはカンゾウが密生しており やはり樹液が取引されている 両河川の下流域は湿地帯が広がり クコ ハス パピルス ヨシが密生する 土手にはハンノキ ポプラ ヤナギも見られる ザグロス山中に分け入るとバロニアガシ が有用 樹皮を採取し なめし革に用いる やはり創世記に記述がある 自然の植生ではないが イラクにおいてもっとも重要な植物はナツメヤシである 戦争や塩害で激減するまではイラクの人口よりもナツメヤシの本数の方が多いとも言われた の統計によると 年のは 億ドルである 一人当たりのは ドルで これは世界平均の を超え隣国のヨルダンを上回る水準であるが 産油国が多い中東ではやや低い数値である 通貨はイラク戦争後のイラク暫定統治機構 統治下の年月日から導入されたイラク新ディナール 紙幣は の種類 アメリカの評論誌 によれば 年調査時点で世界で最も価値の低い通貨トップの一つ 為替レートは米ドル 新ディナール 新ディナール 約 円 イラクは長らく ティグリス ユーフラテス川の恵みによる農業が国の根幹をなしていた ところが 年にキルクークで発見された石油がこの国の運命を変えた 世紀末に発明された自動車のガソリンエンジンが大量生産されるようになり 燃料としての石油の重要性が高まる一方だったからだ 第二次世界大戦を経た年 石油の需要が大幅に伸びはじめた際 ようやく石油による収入の がイラク政府の歳入に加わることが取り決められた イラクはその後ソ連に接近 南部最大のルメイラ油田がソ連に開発され ソ連と友好協力条約を結んだ年 イラク政府は油田の国有化を決定 補償金と引き換えに油田はイラクのものとなった 石油危機による原油高の追い風で年から年まで年率 という二桁の経済成長で当時のイラクの一人当たりは中東で最も高くなり サウジアラビアに次ぐ世界第位の石油輸出国になった イラクの原油生産量 単位 万トン イラク経済のほとんどは原油の輸出によって賄われている 年間にわたるイラン イラク戦争による支出で年代には金融危機が発生し イランの攻撃によって原油生産施設が破壊されたことから イラク政府は支出を抑え 多額の借金をし 後には返済を遅らせるなどの措置をとった イラクはこの戦争で少なくとも億ドルの経済的損害を被ったとされる 年に戦闘が終結すると新しいパイプラインの建設や破壊された施設の復旧などにより原油の輸出は徐に回復した 医療と健康保険が安定した改善をみせたのにともない 一人あたりの食料輸入量も飛躍的に増大した しかし一人あたりの生活支出は未だにイラン イラク戦争前よりも低い 世界食糧計画 の統計 年 によると イラクの農地は国土の を占める 天水では農業を継続できないが ティグリス ユーフラテス川と灌漑網によって 農地を維持している という数値はアジア平均を下回るものの世界平均 ヨーロッパ平均を上回る数値である 農業従事者の割合は低く 全国民の にあたる 万人に過ぎない 農業従事者が少ないため 一人当たり というイラクの耕地面積は アジアではモンゴル サウジアラビア カザフスタンに次いで広い 同年の統計によると 主要穀物では小麦 万トン 次いで大麦 万トン の栽培に集中している 麦類は乾燥した気候に強いからである 逆に 米の生産量は 万トンと少ない 野菜 果実ではトマト 万トン ぶどう 万トン が顕著である 商品作物としてはナツメヤシ 万トン が際立つ エジプト サウジアラビア イランに次いで世界第位の生産数量であり 世界シェアの を占める 畜産業では ヤギ 万頭 ウシ 万頭 が主力である ナツメヤシはペルシャ湾 メソポタミアの砂漠地帯の原産である 少なくとも 年に渡って栽培されており イラク地方の農業 経済 食文化と強く結びついている とくにバスラとバグダードのナツメヤシが有力 バスラには 万本ものナツメヤシが植わっているとされ 第二次世界大戦後はアメリカ合衆国を中心に輸出されてきた イラン イラク戦争 湾岸戦争ではヤシの木に被害が多く 輸出額に占めるナツメヤシの比率が半減するほどであった バグダードのナツメヤシは国内でもっとも品質がよいことで知られる イラクで栽培されているナツメヤシは カラセー種 ハラウィ種 カドラウィ種 ザヒディ種 である 最も生産数量が多いのはハラウィ種だ カドラウィ種がこれに次ぐ カラセー種は品質が最も高く 実が軟らかい ザヒディ種はバグダードを中心に栽培されており もっとも早く実がなる 実が乾燥して引き締まっており デーツとして輸出にも向く イラクの工業は自給的であり 食品工業 化学工業を中心とする 食品工業は デーツを原料とする植物油精製のほか 製粉業 精肉業 皮革製造などが中心である 繊維産業も確立している 化学工業は自給に要する原油の精製 及び肥料の生産である 重油の精製量は世界生産の から に達する 年時点で 一方 建築材料として用いる日干しレンガ レンガはいまだに手工業の段階にも達しておらず 組織化されていない個人による生産に依存している 製鉄 薬品 電機などの製造拠点も存在するが 国内需要を満たしていない 農機具 工作機械 車両などと併せ輸入に頼る 原油確認埋蔵量は 億バレルで サウジアラビア イランに次ぐ 米国エネルギー省は埋蔵量の が未開発で 掘られた石油井戸はまだ 本に過ぎないと推定 イラクの送配電網は年にドイツによって建設が始まった 世紀 イギリスとドイツは現在のイラクがあるメソポタミアへの覇権を競っていた 鉄道と電力網の建設はドイツが ティグリス ユーフラテス川における蒸気船の運航はイギリスによって始まった イラクは鉄道が発達しており 国内の主要都市すべてが鉄道で結ばれている 年時点の総延長距離は 旅客輸送量は億人 貨物輸送量は億トンに及ぶ イラクの鉄道網はシリア トルコと連結しており ヨーロッパ諸国とは鉄道で結ばれている バグダードとアナトリア半島中央南部のコンヤを結ぶイラク初の鉄道路線 バグダード鉄道 はドイツによって建設された バグダード鉄道の一部である首都バグダードと第二の都市バスラを結ぶ重要路線には年時点で時速の老朽化したつの車両しかなかったが 年に中華人民共和国から時速でエアコンなどを完備した近代的な青島四方機車車輛製の高速車両が導入された バグダード バスラ高速鉄道路線 一方 自動車は普及が進んでおらず 自動車保有台数は万台 うち万台が乗用車 に留まる 舗装道路の総延長距離も に留まる イラクの貿易構造を一言で表すと 原油と石油精製物を輸出し 工業製品を輸入するというものである 年時点の輸出額に占める石油関連の比率は 同じく輸入額に占める工業製品の割合は であるからだ 同年における貿易収支は輸出 輸入とも億ドルであり 均衡がとれている 輸出品目別では 原油 石油 原料 食品 石油化学製品 である 食品に分類されている品目はほとんどがデーツである 輸入品目別では 機械 基礎的な工業製品 食品 化学工業製品 貿易相手国は 輸出がアメリカ合衆国 ロシアと諸国 トルコ ブラジル フランス 輸入がアメリカ合衆国 日本 ドイツ イギリス フランスとなっている イラン イラク戦争中の年時点における貿易構造は 年時点とあまり変わっていない ただし 相違点もある 輸出においては 総輸出額に占める原油の割合が と高かったにもかかわらず 採掘から輸送までのインフラが破壊されたことにより 原油の輸出が落ち込んでいた 結果として 億ドルの貿易赤字を計上していた 製鉄業が未発達であったため 輸入に占める鉄鋼の割合が と高かったことも異なる 貿易相手国の顔ぶれは大きく違う 年時点では輸出入ともアメリカ合衆国が第一だが 年の上位カ国にアメリカ合衆国は登場しない 輸出相手国はブラジル 日本 スペイン トルコ ユーゴスラビアであり 輸入相手国は日本 トルコ イギリス 西ドイツ イタリアであった 国連の統計によれば 住民はアラブ人が クルド人 アッシリア人 トルコマン人 テュルク系 である ユダヤ人も存在していたが イスラエル建国に伴うアラブ民族主義の高まりと反ユダヤ主義の気運により迫害や虐殺を受けて 国外に追放され 大半がイスラエルに亡命した ただしクルド人については難民が多く ポイント程度の誤差があるとされている 各民族は互いに混住することなくある程度まとまりをもって居住しており クルド人は国土の北部に アッシリア人はトルコ国境に近い山岳地帯に トゥルクマーンは北部のアラブ人とクルド人の境界付近に集まっている それ以外の地域にはアラブ人が分布する 気候区と関連付けると砂漠気候にある土地はアラブ人が ステップ気候や地中海性気候にある土地にはその他の民族が暮らしていることになる かつては スーダンからの出稼ぎ労働者やパレスチナ難民も暮らしていたが イラク戦争後のテロや宗派対立によりほとんどが 国外に出国するか国内難民となっている また イラン革命を逃れたイラン人がイラク中部のと呼ばれる町に定住している イラク南部ティグリス ユーフラテス川合流部は 中東で最も水の豊かな地域である イラク人は合流部付近を沼に因んでマーシュと呼ぶ 年代以降水利が完備される以前は ティグリス川の東に数から 離れ 川の流れに並行した湖沼群とユーフラテス川のアン ナスリーヤ下流に広がるハンマール湖が一体となり 合流部のすぐ南に広がるサナフ湖とも連結していた マーシュが途切れるのはようやくバスラに至った地点である アシで囲った家に住み 農業と漁労を生業としたマーシュ アラブと呼ばれる民族が年代には万人を数えたと言う マーシュ アラブはさらに種類に分類されている まず マアッダンと呼ばれるスイギュウを労役に用いる農民である 夏期には米を栽培し 冬期は麦を育てる スイギュウ以外にヒツジも扱っていた 各部族ごとにイッサダと呼ばれるムハンマドを祖先とうたう聖者を擁することが特徴だ マアッダンはアシに完全に依存した生活を送っていた まず 大量のアシを使って水面に 島 を作り その島の上にアシの家を建てる スイギュウの餌もアシである 南部のベニ イサドはアラビアから移動してきた歴史をもつ コムギを育て マーシュ外のアラビア人に類似した生活を送っている マアッダンを文化的に遅れた民族として扱っていたが スイギュウ飼育がマアッダンだけの仕事となる結果となり 結果的にマアッダンの生活様式が安定することにつながっていた また アフリカ大陸にルーツを持つアフリカ系住民も非常に少数ながら生活している そのほとんどが アラブの奴隷商人によってイラクに連れてこられた黒人の子孫とみられる アラビア語 クルド語が公用語である 年のイラク憲法改正以来クルド語がアラビア語と共に正式な公用語に追加された その他アルメニア語 アゼリー語や現代アラム語 アッシリア語 なども少数ながら使われている 書き言葉としてのアラビア語 フスハー は アラブ世界で統一されている これはコーランが基準となっているからである しかし 話し言葉としてのアラビア語 アーンミーヤ は地域によって異なる エジプト方言は映画やテレビ放送の言葉として広く流通しているが この他にマグレブ方言 シリア方言 湾岸方言 アラビア半島方言などが認められている イラクで話されているのはイラク方言である ただし イラク国内で共通語となっているバグダードの言葉と山岳部 湾岸部にもさらに方言が分かれている イラクにおける教育制度は 伝統的なコーランを学ぶ学校に始まる イギリス委任統治領時代から西欧型の初等教育が始まり 独立前の年から女性に対する中等教育も開始された 現在の教育制度は年に改訂され 義務教育が年制となった 教育制度は充実しており 初等教育から高等教育に至るまで無料である 国立以外の学校は存在しない 年時点の統計によると 小学校は校である 年制の中学校への進学は試験によって判断され 人に人が中学校に進む 大学へ進学を望むものは中学校卒業後 年間の予備課程を修了する必要がある 首都バグダードを中心に大学は校 大学終了後は の科学技術研究所に進むこともできる 通常は婚姻時に改姓することはない 夫婦別姓 が 西欧風に夫の姓に改姓する女性もいる イスラム教が国民の を占め 次いでキリスト教 ヒンドゥー教 その他 以下 である イスラム教徒の内訳はシーア派 スンナ派 である キリスト教 カトリック 東方正教会 アッシリア東方教会等 はアッシリア人と少数民族に限られている 年の時点では万人 全体の のキリスト教徒が暮らしていたが年代と さらに年のフセイン政権崩壊以降とで多くが国を離れた 年の時点での人口比は と報告されている 全世界のイスラム教徒に占めるシーア派の割合は高くはないが イラク国内では過半数を占める イラク国内では被支配層にシーア派が多い シーア派は預言者の後継者 最高指導者 イマーム が誰であるかという論争によってスンナ派と分裂した シーア派は預言者の従弟であるアリーを初代イマームとして選んだが アリーの次のイマームが誰なのかによって さらに主要なイスマーイール派 ザイド派 十二イマーム派 ハワーリジュ派などに分裂している イラクで優勢なのはイランと同じ イマームの再臨を信じる十二イマーム派である シーア派法学の中心地はつの聖地と一致する すなわち カルバラー ナジャフおよび隣国イランのクムとマシュハドである スンナ派ではシャーフィイー学派 ハナフィー学派 ハンバル学派 マーリク学派の法学派が正当派とされている イラク出身のスンナ派イスラム法学者としては 以下の人が著名である バスラの 年 年 は 合理主義を標榜したムウタズィラ学派に属していたが 後に離れる ムウタズィラ派がよくしていたカラーム 弁証 をもちいて論争し 影響力を低下させた 同時に伝統的な信条をもつアシュアリー派を創設した ガザーリー 年 年 は ペルシア人であったがバグダードのニザーミーヤ学院で教え イスラーム哲学を発展させた イスラム史上最も偉大な思想家の一人 と呼ばれる アシュアリー学派 シャーフィイー学派の教えを学び シーア派のイスマーイール派などを強く批判した 後に アリストテレスの論理学を受け入れ イスラーム哲学自体に批判を下していく イスラム神秘主義者としてはメディナ生まれの 年 年 が著名である バスラに住み 禁欲主義を説いた 神の意志と自らの意志を一致させるための精神修行法を作り上げ ムウタズィラ派を開く ムウタズィラ派は合理的ではあったが 彼の精神修行法は神秘主義 スーフィズム につながっていった ヤジーディー派はイラク北部のヤジーディー民族だけに信じられており シーア派に加えキリスト教ネストリウス派 ゾロアスター教 呪術信仰が混交している 聖典はコーラン 旧約聖書 新約聖書 自らがマラク ターウースと呼ぶ堕落天使サタンを神と和解する存在と捉え サタンをなだめる儀式を行うことから悪魔崇拝者と誤解されることもある サービア教はコーランに登場し ユダヤ教やキリスト教とともに啓典の民として扱われる歴史のある宗教である マンダ教はそのサービア教と同一視されてきた バプテスマのヨハネに付き従い 洗礼を非常に重視するため 水辺を居住地として選ぶ ティグリス ユーフラテス両河川のバグダード下流から ハンマール湖に到る大湿地帯に多い 古代において西洋 東洋に広く伝播したグノーシス主義が原型と考えられている ユダヤ教徒はバビロニア時代から現在のイラク地方に根を下ろし 世紀に到るまでユダヤ教学者を多数擁した イスラエル建国以前は万人を超える信者を居住していたが 移民のため 年時点で ユダヤ教徒は数百人しか残っていない イラク国民の嗜好品としてもっとも大量に消費されているのが 茶である 国連の統計によると 年から年の年間の平均値として国民一人当たり の茶を消費していた これはカタール アイルランド イギリスについで世界第位である 国が豊かになるにつれて茶の消費量は増えていき 年から年では 一人当たり を消費し 世界第一位となった 日本茶業中央会の統計によると 年から年では戦争の影響を被り消費量が と低下しているが これでも世界第位である イランやトルコなど生産地が近く イラク国内では茶を安価に入手できる 細密画 アラビア書道 モスク建築 カルバラーやナジャフなどのシーア派聖地 伝統的な楽器としてリュートに類似するウード ヴァイオリンに類似するレバーブ その他ツィターに似たカーヌーン 葦の笛ナーイ 酒杯型の片面太鼓ダラブッカなどが知られている ウードは西洋なしを縦に半分に割ったような形をした弦楽器である 現在の研究では世紀から栄えたササン朝ペルシア時代の弦楽器バルバトが起源ではないかとされるが アル ファーラービーによれば ウードは旧約聖書創世記に登場するレメクによって作られたのだと言う 最古のウード状の楽器の記録は紀元前年ごろのメソポタミア南部 イラク にまで遡る ウードはフレットを使わないため ビブラート奏法や微分音を使用するアラブの音階 旋法 マカームの演奏に向く 弦の数はかつては四弦で これは現在においてもマグリブ地方において古形を見出す事が出来るが 伝承では世紀にキンディー あるいはズィリヤーブとも云う によって一本追加され 五弦になったとされる 現在では五弦ないし六弦の楽器であることが多い 正確には複弦の楽器なので五コースないし六コースの十弦 十一弦 五コースの場合 十弦で 六コースの場合 十一弦 六コース目の最低音弦は単弦となる イラクのウード奏者としては イラク音楽研究所のジャミール バシール バグダード音楽大学のナシル シャンマ 国際的な演奏活動で知られるアハメド ムクタール が著名である スターとしてウード奏者のムニール バシール も有名 カーヌーンは台形の共鳴箱の上に平行に多数の弦を張り渡した弦楽器で 手前が高音の弦となる 指で弦をつまんで演奏する撥弦楽器であり 弦の本数は様だが 百本に達するもの等もある また現在 東アラブ古典音楽における核の一つとしてイラクのバグダードはエジプトのカイロと並び重要な地である それだけでは無くイスラームの音楽文化の歴史にとってもバグダードは大変に重要な地で アッバース朝時代のバグダードではカリフの熱心な文芸擁護によりモウスィリー ザルザル ズィリヤーブ等のウードの名手 キンディー ファーラービー サフィー アッ ディーン等の精緻な理論体系を追求した音楽理論家が綺羅星のごとく活躍をした その様子は千夜一夜物語にも一部描写されている 時代は変遷し イスラームの音楽文化の主流はイラク国外の地域に移ったのかも知れないが 現在でもかつての栄華を偲ばせる豊かな音楽伝統を持つ バグダードにはイラーキー マカーム マカーム アル イラーキー と呼ばれる小編成で都会的な匂いのする室内楽の伝統がある 民謡には カスィーダと呼ばれるアラブの伝統詩を謡い上げるもの イラク独自の詩形を持つマッワール パスタなどが知られる 伝統的な結婚式では他アラブ圏でも同様だが ズルナと呼ばれるチャルメラ状の楽器とタブルと呼ばれる太鼓がしばしば登場する またクルド人は独特の音楽を持つ 現代のイラク人は西洋のロック ヒップホップ およびポップスなどをラジオ放送局などで楽しんでおり ヨルダン経由でエジプトのポップスなども輸入されている イラクは アメリカ合衆国 エジプトに次ぎ 年月日に世界遺産条約を受託している 年にバグダードの北西 に位置する平原の都市遺跡ハトラ ニーナワー県 が文化遺産に 年にはハトラの東南東 にあるティグリス川に面した都市遺跡アッシュール サラーフッディーン県 がやはり文化遺産に認定されている アレクサンドロス大王の東征によって生まれた大帝国が分裂後に生まれたセレウコス朝シリアは紀元前世紀 ハトラを建設した セレウコス朝が衰弱すると パルティア帝国の通商都市 宗教の中心地として栄えた 世紀にはローマの東方への拡大によって パルティア帝国側の西方最前線の防衛拠点となる ローマ帝国の攻撃には耐えたがパルティア帝国は衰亡し パルティア帝国に服していたペルシス王国が東から版図を拡大する中 年に破壊された 年にはパルティア自体が滅び ペルシス王国はサーサーン朝ペルシアを名乗る アッシュールは紀元前年ごろ メソポタミア文明最初期のシュメールの都市としてすでに成立していた その後 シュメールの南方に接していたアッカド帝国の都市となり ウル第三王朝を通じて繁栄 紀元前年の王朝崩壊後も商業の中心地として継続した アッシリアが成立すると その版図となり 古アッシリア時代のシャムシ アダド世 前年 前年在位 は 王国の首都をアッシュールに定め 廃れていたエンリル神殿を再建している 年の繁栄の後 新アッシリア王国のアッシュールナツィルパル世はニムルドを建設し 遷都したため アッシュールの性格は宗教都市へと変化した 紀元前年に成立し アッシリアを侵略した新バビロニア王国によって同年に征服 破壊される アッシリア自体も同年に滅びている その後 パルティア帝国が都市を再建したが 短期間の後 サーサーン朝ペルシャによって再び破壊され その後再建されることはなかった アッシュールはドイツ人のアッシリア学者フリードリヒ デーリチによって発掘調査が進められたため 遺物の多くはベルリンのペルガモン博物館に展示 収蔵されている フセイン政権下の祝祭日を示した イラクではフセイン政権時代前はバスケットボールイラク代表やサッカーイラク代表などが国際試合を行っており 特にサッカーはアジア最強とも言われていたが フセイン政権になり 特にウダイ サッダーム フセインがイラクオリンピック委員長に就任して以降 ウダイによる拷問により多数のスポーツ選手が殺害され イラク国内においてスポーツ界に暗い影を落とした また スタジアムなどのスポーツ関連施設もフセイン政権下では公開処刑場と化していた 年代におけるスポーツ界でイラクが起こした著名な出来事と言えば ワールドカップアジア最終予選 対日本戦において試合終了直前に引き分けに持ち込み 日本のワールドカップ初出場の夢を打ち砕いた ドーハの悲劇 が挙げられる やがてアメリカによりフセイン政権が崩壊すると 徐にスポーツ界も復興し始め サッカーイラク代表もアジアカップで初めてとなるアジアの頂点を制し アジア列強として再び力を取り戻しつつある イラン イスラム共和国 イラン イスラムきょうわこく 通称イランは 西アジア 中東に位置するイスラム共和制国家 ペルシア ペルシャともいう 前世紀のアケメネス朝時代から繁栄し ササン朝時代にはゾロアスター教が国教だったが 年にアラブ人に滅ぼされ イスラム教が進出 世紀初めに成立したサファビー朝がシーア派十二イマーム派を国教とし イラン人の国民意識を形成した 世紀のカージャール朝を経て 年からパフラヴィー朝になったが 年のルーホッラー ホメイニー師によるイラン革命により王政は廃され 宗教上の最高指導者が国の最高権力を持つイスラム共和制が樹立された 政治体制は 年に制定されたイラン イスラーム共和国憲法によって規定されており 国の元首である最高指導者の地位は 宗教法学者に賦与され 自由は イスラムの原則に反しない限り でしか認められない 憲法では三権分立が規定され 立法権は一院制の国民議会 行政権は大統領にあるが 大統領の地位は最高指導者に劣る イラン革命とシーア派に忠実であることが資格として要求される ヒューマン ライツ ウォッチは政府が抗議者に対して恣意的な逮捕を行い 治安当局や諜報当局による深刻な虐待が行われていることを報告している エコノミスト誌傘下の研究所エコノミスト インテリジェンス ユニットによる民主主義指数は 世界位と後順位で 独裁政治体制 に分類されている 年度 国境なき記者団による世界報道自由度ランキングも位と後順位で最も深刻な国の一つに分類されている 年度 外交面ではパフラヴィー朝時代にはアメリカ合衆国の強い影響下にあったが 革命によりアメリカとの関係が悪化 特にアメリカ大使館人質事件以降 公然たる敵対関係に入った アメリカからはテロ支援国家に指定されている 他方でイラン革命指導者は反共主義者が多いため ソビエト連邦とも友好的ではなく 革命後の外交は排外主義的な非同盟中立路線を基本とする 近年は核兵器開発を行っている疑惑から経済制裁を受けている 年にオバマ政権下のアメリカと核合意を締結して制裁解除を取り付けたが トランプ政権が破棄し制裁が再開されたため 段階的に核合意履行停止を進めている 経済面ではパフラヴィー朝時代にアメリカからの経済援助を元手に経済各分野の近代化を進め 高度経済成長を成し遂げた イラン革命の混乱とイラン イラク戦争で経済は停滞したが その後立て直しが図られた 世界有数の石油の産出地であり それが国の主要財源である しかし近年は長引くアメリカの制裁と新型コロナウイルスのパンデミックにより経済状態が深刻化している 軍事面では王政時代からの伝統を持つ正規軍と別に 革命後に創設された革命防衛隊という最高指導者直轄の親衛隊的軍事組織が存在するのが特徴である 革命防衛隊はイラン国外の対外工作にも深くかかわり アメリカのトランプ政権から テロ組織 に指定された 男性に年の兵役を課す徴兵制を採用しており 兵力は万人ほどである 年時 地理としては 総面積は 平方キロメートル で 中東で番目に大きく 世界では位である 北部を東西にアルボルズ山脈が 北西部から南東部にザーグロス山脈が走り その間にイラン高原が広がる 国土のほとんどがイラン高原上にある 北西にアルメニアとアゼルバイジャン 北にカスピ海 北東にトルクメニスタン 東にアフガニスタンとパキスタン 南にペルシア湾とオマーン湾 西にトルコ イラク クルディスタン と境を接する また ペルシア湾を挟んでクウェート サウジアラビア バーレーン カタール アラブ首長国連邦に面する 同国はユーラシアと西アジアの中心に位置し ホルムズ海峡に面するため 地政学的に重要な場所にある 首都であるテヘランは同国の最も大きな都市であり 経済と文化の中心地でもある イランには文化的な遺産が多く存在し ユネスコの世界遺産には個登録されている これはアジアでは番目 世界では番目に多い イラン人自身は古くから国の名を アーリア人の国 を意味する イラン と呼んできたが 西洋では古代よりファールス州の古名 パールス にちなみ ペルシア として知られていた 年月日 レザー シャーは諸外国に対して公式文書に本来の イラン という語を用いるよう要請し 正式に イラン に改められたものの混乱が見られた 年 研究者らの主張によりモハンマド レザー シャーがイランとペルシアは代替可能な名称と定めた その後年のイラン イスラーム革命によってイスラーム共和制が樹立されると 国制の名としてイスラーム共和国の名を用いる一方 国名はイランと定められた 現在の正式名称はペルシア語で ジョムフーリーイェ エスラーミーイェ イーラーン 通称 公式の英語表記は 通称 日本語の表記は イラン イスラム共和国 または イラン回教共和国 これは イスラーム法学者の解釈するイスラームが絶対的なものであることを前提とし 現実にイスラーム法が実施されているかを監督 指揮する権限を イスラーム法学者が持つことを保障する制度である この制度は シーア派イスラームならではの制度といってよい イランはシーア派のなかでも 十二イマーム派 に属するが 一般にシーア派の教義では イマーム こそが預言者の後継者として イスラームの外面的 内面的要素を教徒に教え広める宗教的統率者 としての役割を担うとされている シーア派はイジュティハードの権限を持つイスラーム法学者を一般大衆とは区別し この解釈権を持つイスラーム法学者 モジュタヒド に確固とした政治的 宗教的地位を与えている モジュタヒドの最高位にあるのが マルジャエ タグリード 模倣の源泉 大アーヤトッラー である マルジャエ タグリードはシーア派世界の最高権威であるが ローマ教皇のように必ず人と決まっているわけではなく 複数人のマルジャエ タグリードが並立することがある 年から年のイラン イスラーム革命によって マルジャエ タグリードの人であったホメイニーがイランの最高指導者となり 宗教的のみならず 政治的にも最高の地位に就くこととなった イランでは立候補者の数が多い 年月に行われた第回国会選挙では 名の定員に対し 人近くが立候補し 年の第回大統領選挙では 名が立候補した 特に国会選挙では 投票の際 投票者が一名を選択するのではなく その選挙区の定員数まで何人でも選定することができる 従ってテヘランのように名もの定員がある選挙区では 人しか選ばない者もいれば 人まで列記して投票する者もいる つまりどのような投票結果になるか予想しにくい制度であるばかりか 死票や票の偏りがおこりやすい テヘランのような大都会では 投票が有名人に集中し 候補者は規定票を獲得できず 第ラウンドへ持ち込まれるケースも多い 国会選挙の場合 投票総数の三分の一を獲得しなければ たとえ定員数内の上位でも当選にはならない そして 第ラウンドの選挙になる しかし こうしたやり方では選挙費用がかさむ上 第 第ラウンドとなれば選挙結果が決まるまで時間がかかりすぎ国会の空白期間が生じる そのため 年月上旬選挙法の改正が行われ 第一ラウンドの当選をこれまでの投票総数の分のからパーセント以上獲得すれば当選とし 第ラウンドでは 従来通り投票総数のパーセント獲得すれば当選というように改正された 護憲評議会は 選挙の際に 立候補者の資格審査 選挙資格を満たしているか否か を行なっている 法学者の統治 の概念はイランの政治体制を構成する上で重要な概念となっている 憲法の規定によると 最高指導者は イラン イスラーム共和国の全般的政策 方針の決定と監督について責任を負う とされる 単独の最高指導者が不在の場合は複数の宗教指導者によって構成される合議体が最高指導者の職責を担う 最高指導者は行政 司法 立法の三権の上に立ち 最高指導者は軍の最高司令官であり イスラーム共和国の諜報機関および治安機関を統轄する 宣戦布告の権限は最高指導者のみに与えられる ほかに最高司法権長 国営ラジオ テレビ局総裁 イスラーム革命防衛隊 イスラム革命防衛隊 総司令官の任免権をもち 監督者評議会を構成する人の議員のうち人を指名する権限がある 最高指導者 または最高指導会議 は その法学上の資格と社会から受ける尊敬の念の度合いによって 専門家会議が選出する 終身制で任期はない 現在の最高指導者はアリー ハーメネイー 大統領は最高指導者の専権事項以外で 執行機関たる行政府の長として憲法に従って政策を執行する 法令により大統領選立候補者は選挙運動以前に監督者評議会による審査と承認が必要で 国民による直接普通選挙の結果 絶対多数票を集めた者が大統領に選出される 任期は年 再選は可能だが連続選は禁止されている 大統領は就任後閣僚を指名し 閣議を主宰し行政を監督 政策を調整して議会に法案を提出する 大統領および人の副大統領と人の閣僚で閣僚評議会 閣議 が形成される 副大統領 大臣は就任に当たって議会の承認が必要である 首相職は年の憲法改正により廃止された またイランの場合 行政府は軍を統括しない 議会は マジレセ ショウラーイェ エスラーミー イスラーム議会 といい 一院制である 立法府としての権能を持ち 立法のほか 条約の批准 国家予算の認可を行う 議員は任期年で人からなり 国民の直接選挙によって選出される 議会への立候補にあたっては監督者評議会による審査が行われ 承認がなければ立候補リストに掲載されない この審査は 改革派 に特に厳しく 例えば年月の選挙においては 人が立候補を届け出たが 事前審査で約 人が失格となった その多くがハータミー元大統領に近い改革派であったことから 議会が本当に民意を反映しているのか疑問視する声もある イラン革命前では欧米風の装束が男女ともに着用されていたが 現在では見られない 同性愛者に対しては 共和国憲法で正式に ソドミー罪 を設けており 発覚した場合は死刑である 刑罰においても シャリーアに基づくハッド刑の中には人体切断や石打ちなど残虐な刑罰が含まれており また未成年者への死刑も行われている イランにおけるこれらの状況は 世界の多数の国の議会 政府 国際機関 や 隣国イラク国民からも人権侵害を指摘され 人権侵害の解消を求められている 国軍として 陸軍 海軍 空軍などから構成されるイラン イスラム共和国軍を保有している イランは核拡散防止条約 に加盟しているが 国際社会からイランの核開発問題が問題視されている また 国軍とは別に パースダーラーン省に所属するつの準軍事組織保有している 年にイスラム革命の指導者ホメイニー師の命で設立された 志願民兵によって構成されている準軍事組織 バスィージ 人民後備軍 が存在している 設立時には 万人の若者 男女別 で編成された この数字は国民の 超である シリアは他のアラブ諸国と異なり非スンナ派政権である事に加え イラン イラク戦争ではシリア バース党とイラク バース党との対立も絡み シーア派が国民の大多数を占めるイランを支持した イランとは現在でも事実上の盟邦関係を継続中で 反米 反イスラエル 反スンニ派イスラム主義 国際的孤立化にあるなど利害が一致する点が多い 近年ではシリア内戦でイランがアサド政権を支援するなど 政治面の他 経済 軍事面でも一体化を強めつつある 近年ではイラク戦争やアラブの春の混乱で イラク シリア エジプトなどの中東の有力国が国力を落とす中 相対的に中東におけるイランとサウジアラビアの影響力が拡大した それぞれシーア派とスンナ派の盟主として シリアやイエメンの内戦では異なる勢力を支援し事実上の代理戦争の様相を呈している他 両国の外交官の追放など対立が表面化している 日本の新聞でもアメリカ政府がイランの体制の根幹にゆさぶりをかける という内容の記事が掲載されたことがあり 米 誌年月日号でもアメリカ政府関係者がこの頃のデモに関して イランへの内政干渉を完全に肯定し 西欧化を押し付けようとする覇権主義的な発言をしている 年月の革命周年の際には 数千万人の体制派の国民が行進に参加したとされ イランの国営プレステレビでもこのことが伝えられた 長年に渡る外国の干渉 内政干渉と国際的な干渉 に今年も我は勝利し 革命を守りぬいたと最高指導者ハーメネイ師が述べている イラン政府はイスラム革命時から年にホメイニー師が死去するまではアメリカに対して強硬な姿勢だったが その後は アリー ハーメネイー師 ハーシェミー ラフサンジャーニー大統領 モハンマド ハータミー大統領 マフムード アフマディーネジャード大統領などが アメリカがイランに対する敵視政策を止め アメリカもイランも互いに相手国を理解し 相手国の立場を尊重し 平等互恵の関係を追求する政策に転換するなら イランはいつでもアメリカとの関係を修復すると表明している ラフサンジャーニー大統領は年のアトランタオリンピックに選手を派遣した ハータミー大統領は文明の対話を提唱し 年月日のアメリカに対する武力行使を非難し 被害を受けた人に哀悼を表明した アフマディーネジャード大統領はイラク国民が選挙で選出した議会と政府の樹立後の イラクの治安の回復に協力すると表明している イラン政府は自国のこの事柄について 核エネルギーの生産を目指すもので 核兵器開発ではないと今までに一貫して表明してきており アフマディネジャド大統領は 核爆弾は持ってはならないものだ とアメリカのメディアに対して明言している 誌年月日号 欧米のイランの核エネルギー開発は認められない という論理は決して世界共通のものではない 新興国のトルコやブラジル また ベネズエラ キューバ エジプト その他の非同盟諸国は 核エネルギーの開発はイランの権利である というイランの立場に理解を示し 当然であるとして支持している 年月日のアフマディーネジャード大統領との会談の中で トルコのエルドアン首相はイランの核 エネルギー 保有の権利があると強調し 地球上で非核の呼びかけを行う者はまず最初に自分の国から始めるべきだ と述べた また ブラジルのルイス イナシオ ルーラ ダ シルヴァ大統領は 誌年月日号でイランのウラン濃縮の権利を支持していることが報じられており ベネズエラのウゴ チャベス大統領は年月のアフリカ連合 首脳会議に招かれた際 イランの核開発について 平和利用のための核技術を発展させる権利がイランにないというのか 明らかにある と断言している 非同盟諸国は年月の首脳会議でイランによる平和利用目的の核開発の権利を確認する宣言等を採択し 会議の議長国キューバやエジプトもこれを支持している 聖地イェルサレムでも同時期に似たような反イスラーム的行為が行われた このような事件に対して最高指導者アリー ハーメネイーはメッセージのなかで イスラーム教徒とキリスト教徒を対立させることが この事件の真の首謀者の望みであるとし キリスト教会やキリスト教とは関係がなく 数名の雇われた人間の行動を キリスト教徒全体のものと考えるべきではない 我イスラーム教徒が 他の宗教の神聖に対して同じような行動に出ることはない クルアーンが我に教える事柄は その対極にある と表明した そして この事件の真の計画 指示者について アフガニスタン イラク パレスチナ レバノン パキスタンで 犯罪行為を伴ってきた 一連の流れを分析すれば アメリカの政府と軍事 治安機構 イギリス政府 その他一部のヨーロッパ政府に最大の影響力を持つ シオニストの頭脳集団 であることに疑いの余地は残らない 今回の事件は この国の警察に守られる中で行われたものであり 何年も前から 欧米での イスラム恐怖症やイスラム排斥といった政策に取り組んできた シオニスト頭脳集団 組織による計画的な行動であった と述べ 今回のクルアーン焼却事件とそれ以前の欧米でのイスラーム恐怖症やイスラーム排斥の政策を主謀したのはこのシオニスト集団だとした また このようなイスラムへの一連の敵対は 西側におけるイスラムの影響力が いつにも増して高まっていることに起因する とした さらに同メッセージでアメリカ政府に対し この陰謀に関与していないとする自らの主張を証明するために この大きな犯罪の真の実行者をふさわしい形で処罰すべきだ と強調した この事件に対し インド領カシミール アフガニスタンでも抗議デモが行われ イランでは抗議のために多くの都市のバザールが月日を休業とした 元ムスリム イスラーム教徒 のサルマン ラシュディが書いた年出版の 悪魔の詩 はイスラームの預言者ムハンマドについて扱っているが その内容と この人物が元ムスリムであったことから発表の後 各国のムスリムの大きな非難と反発を招いた 年月に起きた日本の茨城県つくば市内で筑波大学助教授が何者かによって殺された事件 未解決 は これを訳して出版したことが原因ではないかと考えられている 詳細は悪魔の詩を参照 イランは北西にアゼルバイジャン 国境線の長さは 以下同様 アルメニア と国境を接する 北にはカスピ海に臨み 北東にはトルクメニスタン がある 東にはパキスタン とアフガニスタン 西にはトルコ とイラク と接し 南にはペルシア湾とオマーン湾が広がる 面積は で うち陸地面積が 水面積が であり ほぼアラスカの面積に相当する イランの景観では無骨な山が卓越し これらの山が盆地や台地を互いに切り離している イラン西半部はイランでも人口稠密であるが この地域は特に山がちでザーグロス山脈やイランの最高峰ダマーヴァンド山 標高 を含むアルボルズ山脈がある 一方 イランの東半は塩分を含むキャビール砂漠 ルート砂漠のような無人に近い砂漠地帯が広がり 塩湖が点在する 平野部はごくわずかで 大きなものはカスピ海沿岸平野とアルヴァンド川 シャットゥルアラブ川 河口部にあたるペルシア湾北端の平野だけである その他小規模な平野部はペルシア湾 ホルムズ海峡 オマーン湾の沿岸部に点在する イランは いわゆる 人類揺籃の地 を構成するか国のうちのつと考えられている 全般的には大陸性気候で標高が高いため寒暖の差が激しい 特に冬季はペルシャ湾沿岸部やオマーン湾沿岸部を除くとほぼ全域で寒さが厳しい 国土の大部分が砂漠気候あるいはステップ気候であるが ラシュトに代表されるイラン北端部 カスピ海沿岸平野 は温暖湿潤気候に属し 冬季の気温は 前後まで下がるが 年間を通じて湿潤な気候であり 夏も を上回ることは稀である 年間降水量は同平野東部で 西部で以上となる テヘランなどの内陸高地はステップ気候から砂漠気候に属し 冬季は寒く 最低気温は氷点下度前後まで下がることもあり降雪もある 一方 夏季は乾燥していて暑く日中の気温は度近くになる ハマダーン アルダビールやタブリーズなどのあるイラン西部の高地は ステップ気候から亜寒帯に属し 冬は非常に寒さが厳しく 山岳地帯では豪雪となり厳しい季節となる 特に標高 に位置するハマダーンでは最低気温が 度に達することもある イラン東部の中央盆地は乾燥しており 年間降水量はに満たず 砂漠が広がる砂漠気候となる 特にパキスタンに近い南東部砂漠地帯の夏の平均気温は にも達する酷暑地帯となる ペルシア湾 オマーン湾沿岸のイラン南部では 冬は穏やかで 夏には温度 湿度ともに非常に高くなり平均気温は 前後と酷暑となる 年間降水量はからほどである イランはの州 オスターン からなっている イランの人口上位都市は以下の通り 都市圏の人口ではない の統計によると 年のは 億ドルであり 大阪府とほぼ同じ経済規模である 同年の一人当たりのは ドルである イランの経済は中央統制の国営イラン石油会社や国有大企業と 農村部の農業および小規模な商業 ベンチャーによるサービス業などの私有企業からなる混合経済である 政府は以前から引き続いて市場化改革を行い 石油に依存するイラン経済の多角化を図っており 収益を自動車産業 航空宇宙産業 家電製造業 石油化学工業 核技術など他の部門に振り分け投資している チャーバハール自由貿易地域 キーシュ島自由貿易地域の設定などを通して投資環境の整備に努め 数億ドル単位での外国からの投資を呼び込むことを目指している 現代イランの中産階級の層は厚く堅実で経済は成長を続けているが 一方で高インフレ 高失業率が問題である インフレ率は年度の平均で 年月 イラン暦 には にまで達している イラン イスラム革命は富の再分配も理念の一つとしていたが 実際には貧富の格差は大きい 縁故主義により経済的に成功したり 海外への留学を楽しんだりする高位聖職者や政府 軍高官の一族は アガザデ 高貴な生まれ と呼ばれている 財政赤字は慢性的問題で これは食品 ガソリンなどを中心とする年総計約億万ドルにものぼる莫大な政府補助金が原因の一つとなっている これに対してアフマディーネジャード政権は 年からガソリンや食料品などに対する補助金の段階的削減に踏み切り 低所得層に対しては現金給付に切り替えている イランは第位の石油生産国で 年時点の生産量は万バレル 日である 確認されている世界石油埋蔵量の を占める また天然ガス埋蔵量でもロシアに続き世界第位である 原油の輸出は貴重な外貨獲得手段であるとともに年の非常に堅調な原油価格は イランの財政赤字を補完し 債務元利未払金の償還に充てられた 農業については国家投資 生産自由化による活発化が目指され 外国に対する売り込み マーケティングなどで輸出市場を開発し 全般的に改善された ナツメヤシ ピスタチオ 花卉など輸出用農業生産物の拡大 大規模灌漑計画により年代のイラン農業は 経済諸部門の中でも最も早い成長のあった分野である 一連の旱魃による踏み足局面もあるが 農業はいまだにイランで最大の雇用を持つ部門である イランはバイオテクノロジーと医薬品製造などにも力を入れている 主要貿易国はフランス ドイツ 日本 イタリア スペイン ロシア 韓国 中国などである 年代後半からはシリア インド キューバ ベネズエラ 南アフリカなど発展途上国との経済協力も進めている また域内でもトルコとパキスタンとの通商を拡大させており 西アジア 中央アジアの市場統合のビジョンを共有している イラン人とは 狭義にはイラン イスラーム共和国の国民の呼称 歴史的には 中央アジアを含むペルシア語文化圏に居住し イラン人とみなされている人 年にイランが正式な国名であると宣言されるまでは ギリシア語に由来するペルシア人の名称でよばれていた イラン国民を構成するのは 多様な言語的 民族的 宗教的アイデンティティを持つ人である イラン系言語集団には 中央高原部に住み ペルシア語あるいはその方言を母語とし シーア派信徒である中核的イラン人 通常イラン人という時のイラン人 クルド人 ロル族ならびにバフティヤーリー族 バルーチ人などである テュルク系言語集団には 大集団のアゼリー アゼルバイジャン人 一般には自他称ともトルコ人 トルキャマーン トルクメン人 遊牧民のカシュカーイー シャーサヴァン アフシャールなど 南部のイラク国境にはアラビア語の話者集団がいる 宗教面では 国教の十二イマーム派の他に スンナ派にはクルド人 シーア派信徒もいる バルーチ人 トルクメン人など キリスト教徒 アルメニア人 東アラム語を母語とするアッシリア人など ユダヤ教徒 ゾロアスター教徒が存在する ホラズム生まれのビールーニー ブハラ生まれのブハーリー その近郊生まれのイブン スィーナー また トゥース生まれのアブー ハーミド ガザーリーは もっぱらアラビア語で著述しているが 中央アジアを含むペルシア語文化圏生まれであるために 狭義のイラン人からは イラン人であるとみなされている その他 イラン イスラーム革命後増大したイラン系アメリカ人 カリフォルニア州に約半数が集中し ロサンゼルスは テヘランゼルス と俗称されることもある 二重国籍を所有する者も多い バーレーンやドバイに数世代連続して居住する ペルシア語方言を母語とするファールス州南部出身者などもここに含めることができる イランの人口は世紀後半に劇的に増加し 年には万人に達した しかし多くの研究では世紀への世紀転換点には 人口増加率の抑制に成功し ほぼ人口補充水準に到達した後 年頃に約億人で安定するまで人口増加率は徐に低下してゆくものと考えられている 人口密度は平方キロメートルにつき約人である イランは年時点 約万人の外国難民 主にアフガニスタン難民 ついでイラク難民 を受け入れており 世界で最も難民が多い国の一つである 政府の政策的および社会的要因により イランは難民たちの本国帰還を目指している 逆にイラン イスラーム革命後に海外に移住した人 が北アメリカ イラン系アメリカ人 やイラン系カナダ人 西ヨーロッパ 在イギリスイラン人 南アメリカ 日本 在日イラン人 などに約万から万人程度存在すると見積もられる イランの民族はその使用言語と密接な関係にあり 次いで宗教が重要である すなわちエスニック グループの分類は何語を話す何教徒か に依存する部分が大きい イランの公用語はインド ヨーロッパ語族イラン語群のペルシア語で人口の約半数はこれを母語とするが チュルク系のアゼルバイジャン語を母語とする人も非常に多く人口の四分の一にのぼり さらにペルシア語以外のイラン語群の諸語やその他の言語を話す人びともいる 先述のように それぞれの民族の定義や範囲 あるいはその人口や全体に占める割合に関してはさまざまな議論があるが イランに住むエスニック グループは主に次のようなものである ペルシア人 ペルシア語を語る人びと アゼルバイジャン人 アゼルバイジャン語を語る人 および ギーラキー語 マーザンダラーニー語を語る人びと クルド人 アラブ人 バローチ ロル トルクメン ガシュガーイー アルメニア人 グルジア人 ユダヤ人 アッシリア人 タリシュ人 その他 である しかし以上の数字は一つの見積もりであって 公式の民族の人口 割合に関する統計は存在しない 国際連合の統計によると イランにおける識字率は であり 女性の非識字率は に達する 主要な言語は ペルシア語 アゼルバイジャン語 南アゼルバイジャン語 クルド語 ソラニー クルマンジー 南部クルド語 ラーク語 ロル語 北ロル語 バフティヤーリー語 南ロル語 ギラキ語 マーザンダラーン語 バローチー語 アラビア語 アラビア語イラク方言 アラビア語湾岸方言 トルクメン語 ドマーリー語 または ドマリ語 ガシュガーイー語 タリシュ語である イランにおけるイラン系言語の分布状況は以下の通り 西方にギラキ語 ペルシア語でギーラキー 東方にマーザンダラーン語の二大方言がある トルコ国境からイラク国境一帯にかけての コルデスターン ペルシア語で クルド 人 の地 地方を中心に居住する クルド人の母語 クルド人の居住域は イラン イラク トルコ シリアの国に分断されている クルド語全体の話者人口は 統計のとり方によって数百万から千百万の間を上下する ギャブリー語 あるいはヤズド語 ケルマーン語 と呼ばれ ヤズドからケルマーン周辺地域に在住するゾロアスター教徒が使用する言語を含む ギャブリーは 異教徒の 言語 という意味で イスラーム教徒から区別する他称である 話者は自分たちの言語をダリー語と呼んでいる キャヴィール方言で話される方言の総称である フール語など カーゼルーン周辺やシーラーズの北西地域など ファールス地方で使用される方言の総称 ファールス州からフーゼスターン州 エスファハーンの西方の広大な地域で話される ロル系遊牧民の言語 バフティヤーリー語はこの下位方言に属している シーラーズの北方スィーヴァンドで話される言語 南西イランに位置しながら 言語学的には北西言語に属し 言語島を成している パキスタン アフガニスタン南西部 イランに及ぶ広範囲で使用される 音韻面では最も保守的な言語の一つである 大部分のイラン人はムスリムであり その がシーア派十二イマーム派 国教 がスンナ派 多くがトルクメン人 クルド人とアラブ人 である 詳細はイランのイスラームを参照 ほかに非ムスリムの宗教的マイノリティがおり 主なものにバハーイー教 ゾロアスター教 サーサーン朝時代の国教 ユダヤ教 キリスト教諸派などがある このうちバハーイーを除く宗教は建前としては公認されており 憲法第条に従い議会に宗教少数派議席を確保され 公式に 保護 されているなどかつての ズィンミー に相当する これら三宗教の信者は極端な迫害を受けることはないが ヘイトスピーチや様な社会的差別などを受けることもある また これら公認された宗教であれ イスラム教徒として生まれた者がそれらの宗教に改宗することは出来ず 発覚した場合死刑となる 一方 バハーイー教 イラン最大の宗教的マイノリティー は 非公認で迫害の歴史がある バハーイー教は世紀半ば十二イマーム派シャイヒー派を背景に出現したバーブ教の系譜を継ぐもので 年の革命後には処刑や高等教育を受ける権利を否定されるなど厳しく迫害されている これについてはバハーイー教の迫害およびイランの宗教的マイノリティー イランにおける宗教的迫害を参照 ホメイニー自身もたびたび バハーイー教を 邪教 と断じて禁教令を擁護していた 歴史的にはマニによるマニ教もイラン起源とも言える またマズダク教は弾圧されて姿を消した 主な高等教育機関としては テヘラン大学 アミール キャビール工科大学 アルザフラー大学 イスラーム自由大学 シャリーフ工科大学などの名が挙げられる イランの教育制度は次の四段階に分けられる 学年暦の始め メフル月一日に満歳になっていれば入学できる 年間の義務教育である 昔は小学児童の数が多すぎて 二部制 時には三部制の授業が行われたこともある 遊牧民のいる地域では 時普通の黒テントではなく 白い丸型のテントが目につく これは季節によって移動するテント学校である ペルシア語の名称が指すように 進路指導期間である 歳よりの年間である この年間の学習の結果に基づき 次への進学段階で 理論教育と工学 技術 職業のどちらかのコースに分けられる 全国共通試験 を受けて 進学先 専攻が決まる 年に一度しか試験がないので ある意味で 日本以上のきつい受験戦争がある このため予備校が繁盛している 受からなければ 男子は兵役に就く イラン イラク戦争の殉教者が家族にいる場合は 優先的に入学が許可されている ちなみに 私学 イスラーム自由大学と次に述べるパヤーメ ヌールを除き 授業料は無料である それ以外の教育機関 そのほかに幼稚園 障がい児と英才のための特別教育制度 中等教育を終えた人が年間学ぶ教員養成講座 成人のための識字教育制度などがある イランというより 中東教育全域の教育の特徴は 大学教育も含めて暗記教育である 学ぶ 勉強する は 要するに 声を出して教科書を読む ことである 教科書に書いてあることをそのまま丸暗記する これは大学生にも当てはまる 先生の講義を筆記し それをそのまま一字一句暗記するのである 森田は このようなイランの学校教育を 声の文化 が現れているとし 以下の三つの場面を根拠に挙げている 現在のイランの公立小学校で行われている授業方法は 三つの段階に分かれている 一つの段階は 教える で 二つ目の段階は 読む であり 三つ目の段階は 問う である まず 教える 段階では 教師は児童を指名し教科書を声に出して読ませる 読んでいる途中で 難しい言葉の解説を行ったり 分かりにくい表現について内容をわかりやすく説明したりする とにかく この段階では教科書に何が書かれているのかについて理解する段階である その段階が終わると 次は 読む 段階である これは 授業中にすることではなく 帰宅後に児童たちがそれぞれ行わなければならないことである 家に帰った児童は それぞれ教科書を暗記するときに 家族の誰か 特に母親に手伝ってもらうケースが多い というのも イランの場合 教科書の暗記というのは 教科書の内容を文字で書けることを意味していない あくまでも教科書を口頭でいえるようになることが重要なのである 日本の宿題は文字を書くことが多いため 家族がそれを手伝う必要はほとんどない しかし イランの場合 宿題をする時に教科書を見ながらこどもがきちんとその内容を一字一句間違えずにいえるかどうかをチェックする人が必要になる 第三段階の 問う 段階では 教科書の内容を暗記できているのかとか 教師がチェックするための問いである 教師は児童を指名し 教科書の内容について質問する この質問の答えは 口頭で行われる また 答える時 一つの単語を答えさせるようなことはない 教科書の 行から成る一部分全体を口頭で一字一句そのままに答える必要がある イランでは このような 口頭で教科書の内容を素早く言えること それが小学校で育成される能力となっている 研究発表を行うにあたって 発表内容を全て暗記し 一人一人の訪問者に対して口頭で説明を行うという方法がとられていた もし このような発表会が日本であった場合に第一に考えられる方法は発表内容を全て大きな紙に書き壁に貼ることであっただろう イランにおいて 研究内容を紙に書いて壁に貼るという習慣がないわけではない しかし そういった研究発表はあくまで個人的に行われるものであり 学校全体やグループを形成して行われるものではない 研究発表はあくまでも口頭で行われるのが普通である そこでは 文字教育よりも音声教育が優先していることがわかる 一年生の教科書の最初の数ページには 文字ではなく 絵だけが描かれている 最初の授業において教師はいきなりアルファベットの学習を始めることはない 授業の最初に教師は絵を見ながらペルシア語で絵に合わせた物語を語り 正しいペルシア語の発音の仕方などを教える イランは文化 すなわち美術 音楽 建築 詩 哲学 思想 伝承などの長い歴史がある イラン文明が数千年の歴史の波乱を乗り越えて今日まで連綿として続いてきたことは まさしくイラン文化の賜物であった と多くのイラン人が考えている イランのイスラーム化以降は イスラームの信仰や戒律が文化全般に影響を及ぼしている イスラームのシーア派を国教とするイラン革命後の現体制下では特にそれが強まり 法的な規制を伴っている 例えば書籍を販売するには イスラムの価値観に合っているかが審査される 米料理が多く食べられる また カスピ海やペルシャ湾から獲れる魚料理に 鳥 羊 牛などの他 ラクダ 駱駝等も用いる肉料理 野菜料理などは種類豊富 最もポピュラーなのは魚 肉などを串焼きにするキャバーブである 野菜料理は煮込むものが多い ペルシア料理研究家のナジュミーイェ バートマーングリージー は 自著 で イラン料理はペルシア絨緞同様に 色彩豊かでかつ複雑である 他の中東料理と共通する部分は多いが もっとも洗練され 創意に富むといわれる と述べている イラン革命以前は飲酒が盛んであり 現在でも密かに飲まれている ペルシア文学は高く評価される ペルシア語は年にわたって用いられ 文学史上に明瞭な足跡を残している イランにおいては詩作が古代から現在まで盛んであり続け 中世の ライラとマジュヌーン のニザーミー ハーフェズ詩集 のハーフィズ ルバイヤート のウマル ハイヤーム シャー ナーメ のフィルダウスィー 精神的マスナヴィー のジャラール ウッディーン ルーミーらのように イラン詩人らの詩美は世界的に注目を浴びた 小説においても世紀には生前評価を得ることはできなかったものの 生き埋め 年 盲目の梟 年 などの傑作を残したサーデグ ヘダーヤトが現れた イスラーム化以後 イラン世界ではイスラーム哲学が発達した 世紀には中世哲学に強い影響を及ぼしたイブン スィーナー ラテン語ではアウィケンナ や哲学者にしてスーフィーでもあったガザーリーが 世紀には超越論的神智学を創始したモッラー サドラーが活動した クラシック音楽においては新ロマン主義音楽作曲家として ペルセポリス交響曲 などイラン文化を題材とした作品を書いたアンドレ オッセンや 指揮者であり ペルシャ国際フィルハーモニー管弦楽団を創設したアレクサンダー ラハバリらの名が特筆される ポピュラー音楽に於いてはイラン ポップと総称されるジャンルが存在する ロックは禁止されているが テヘランのロック バンド のアルバムはアメリカやヨーロッパでも発売されている その他には などのバンドや らのミュージシャンも国内外で広く活動をしている イラン映画は過去年間に国際的にの賞を受賞し 全世界的に評価されている イランにおいて初の映画館が創設されたのは年と早く イラン人によって初めて製作されたトーキー映画はアルダシール イーラーニーによる ロルの娘 年 だった イラン革命以前のモハンマド レザー パフラヴィーの治世下ではハリウッド映画やインド映画が流入した一方で ジュヌーベ シャフル 年 で白色革命下の矛盾を描いたファッルーフ ガッファリーや 牛 年 でヴェネツィア国際映画祭作品賞を受賞したダールユーシュ メフルジューイーのような社会派の映画人が活動した 現代の著名な映画監督としては 友だちのうちはどこ 年 ホームワーク 年 のアッバース キヤーロスタミー アッバス キアロスタミ や サイレンス 年 のモフセン マフマルバーフ 駆ける少年 のアミール ナーデリー 風の絨毯 のキャマール タブリーズィー ハーフェズ ペルシャの詩 年 のアボルファズル ジャリリなどの名が挙げられる アスガル ファルハーディー監督の映画 別離 年 は ベルリン国際映画祭の金熊賞とアカデミー賞の外国語作品賞を受賞した イラン暦の元日にあたる春分の日に祝われる新年 ノウルーズ の祝祭は年にユネスコの無形文化遺産に登録されている 通常 婚姻時に改姓することはない 夫婦別姓 が 夫の姓を後ろに加える女性もいる イランの国技はレスリングであり 強豪国として知られる 年のロンドンオリンピックでは金メダル個を含む計個のメダルを獲得した イランではサッカーが盛んであり イラン サッカー協会は年に創設された サッカーイラン代表はアジアの強豪として知られ 現在までに初出場となった年のアルゼンチン大会と 年のフランス大会 年のドイツ大会 年のブラジル大会 年のロシア大会と 度のワールドカップに出場している イランの観光 イランで最初に出た新聞は を編集長とする 紙である これは年に創刊された 年には官報として 臨時報という意味 が出ていることから イランの新聞の歴史は古いことがわかる 年に憲法が発布され 民間新聞紙の発行もようやく多くなったが そのなかで有力なものは などでイラン社会の改革に大きく寄与した だが言論の自由はなお強く抑圧されていたため 多くの新聞は海外で発行されていた 例えば エジプト ロンドン カルカッタ エジプト チフリス バクー などである 第二次世界大戦中の年に連合国軍隊がイランに進駐 新聞の自由が大いに強調されたが モサッデグ首相が失脚した年から 再び新聞への統制が強化された 年に成立した新聞法によれば 新聞雑誌の発行には内務省の許可を得なければならない 発行者は歳以上のイラン人で 少なくともヶ月以上続刊できるだけの資力を持っていなければならない 官公吏は芸術 文芸に関するもののほか 新聞雑誌を刊行することはできない 許可期間はヶ月で 各新聞はヶ月ごとに許可を更新する必要がある 反乱 放火 殺人を先導したり 軍事機密をもらしたりした場合のほか 反イスラーム的な記事を載せたり 王室を侮辱する記事を掲載した場合は それぞれヶ月以上年以下の禁固刑に処せられる また 宗教 民族の少数者を差別した記事を載せた場合の罰則もある さらに厚生省が医薬の広告を厳重に監視している点も イランの特色である 通信社は年に外務省が設立したパールス通信があり 現在も政府管轄下にある 新聞には朝刊紙と夕刊紙が存在し 朝刊紙で発行部数が多いのは ハムシャフリー であり イーラーン ジャーメ ジャム アフバール などが続き 夕刊紙で有力なのは ケイハーン エッテラーアート などである イランではメジャーな新聞 刊行されている新聞のなかで最も歴史が古い 年創刊 エッテラーアートとは ニュースの意味である このエッテラーアートの英語版としてみなされているのが 年に創刊の である ケイハーンは大空または世界の意で 世界報ということろである 年に創刊された エッテラーアートよりは野党よりの傾向がある その他にもテヘラン市役所で出版されているハムシャフリー テヘランに本拠を置く英字新聞 テヘラン タイムズ 等がある イランにおけるラジオの導入は年に設立されたテヘラン ラジオに遡り テレビの導入は年に始まった イラン革命後 現在の放送メディアは国営放送のイラン イスラム共和国放送 に一元化されている イランでは全メディアが当局による直接 間接の支配を受けており 文化イスラーム指導省の承認が必要である インターネットも例外ではないが 若年層のあいだで情報へのアクセス 自己表現の手段として爆発的な人気を呼び イランは年現在 世界第位のブロガー人口を持つ また海外メディアの国内取材も制限されており 年にイギリスの自動車番組トップ ギアのスペシャル企画で 出演者とスタッフが入国しようとした際は ニュース番組ではないにもかかわらずという理由で拒否されたシーンが放送されている チュニジア共和国 チュニジアきょうわこく 通称チュニジアは 北アフリカのマグリブに位置する共和制をとっている国家 西にアルジェリア 南東にリビアと国境を接し 北と東は地中海に面する 地中海対岸の北東にはイタリアが存在する 首都はチュニス アフリカ世界と地中海世界とアラブ世界の一員であり アフリカ連合とアラブ連盟と地中海連合とアラブ マグレブ連合に加盟している 最も早く アフリカ と呼ばれ アフリカ大陸の名前の由来になった地域である 正式名称は ラテン文字転写 日本語の表記は チュニジア共和国 通称 チュニジア テュニジアと表記されることもある 漢字表記は 突尼斯 アラビア語名の は 首都チュニスのアラビア語名と同じで 正式名称は チュニスを都とする共和国 といったような意味合いである トゥーニスやチュニスの語源は紀元前世紀にチュニスの地に存在した古代都市トゥネス で 英語名など欧米諸言語や日本語の国名チュニジアは トゥネスが転訛した 地名語尾の を付してつくられ オスマン帝国による呼称に倣ったものである 古代にはフェニキア人が交易拠点としてこの地に移住し 紀元前年頃にはカルタゴ 前年 前年 が建国され 地中海貿易で繁栄した しかしイタリアからの新興勢力ローマとシチリア島の覇権を巡って紀元前年から第一次ポエニ戦争を戦った後 第二次ポエニ戦争ではローマを滅亡寸前にまで追いやったハンニバル バルカ将軍の活躍もありながらスキピオ アフリカヌスによって本国が攻略され 第三次ポエニ戦争で完全敗北し 紀元前年に滅亡した 現在のチュニジアとリビアはローマ支配下のアフリカ属州 前年 年 となった ローマ支配下では優良な属州としてローマ化が進みキリスト教も伝来した ローマ帝国の東西分裂以後は 西ローマ帝国の管区 年 年 になるが ゲルマン系ヴァンダル人が年に侵入 カルタゴにヴァンダル王国 年 年 が建国された ヴァンダル王国は海運で繁栄したものの 年には東ローマ帝国に滅ぼされ 東ローマ帝国に組み入れられた 年 年 世紀にはイスラム教のもとに糾合したアラブ人が東方から侵入し 土着のベルベル人の女王と東ローマ帝国の連合軍を破り アフリカをイスラム世界に編入した ウマイヤ朝イフリキーヤ 年 年 イフリキーヤ 年 年 ハワーリジュイフリキーヤ 年 年 アッバース朝イフリキーヤ 年 年 と属領に位置づけられていたチュニジアに アッバース朝のカリフに臣従する形でカイラワーンのアグラブ朝 年 年 が成立し アグラブ朝の衰退後は反アッバース朝を掲げたイスマーイール派のファーティマ朝 年 年 がこの地で興り アグラブ朝を滅ぼした ファーティマ朝の衰退後 カイラワーンにはズィール朝 年 年 が栄えた その後モロッコ方面から勢力を伸ばしたムワッヒド朝 年 年 の支配に置かれた後に 年にチュニスにハフス朝 年 年 が成立した ハフス朝は西はアルジェから東はトリポリにまで至る領土を統治し 歴史序説 を著したイブン ハルドゥーンなどが活躍した しかし ハフス朝は徐に衰退し 世紀初頭にオスマン帝国の支配から逃れるためにスペインの属国になった フサイン朝はフランス支配を挟んで年間にわたり統治を行った 年に即位した時代に始められた西欧よりの政策と富国強兵策によって チュニジアは近代化 西欧化政策を採った などの活躍により年には憲法 が制定され はイスラーム世界およびアフリカ世界初の立憲君主となった しかし 保守派の抵抗によって年に憲法は停止され 近代化 西欧化政策は挫折した 年には西欧化政策の負担によって財政は破綻した 現在では イスラーム諸国のなかでは比較的穏健なソフトイスラムに属する国であり 中東と西洋のパイプ役を果たしている 観光地としても発達し アフリカの国の中では良好な経済状態である 一方で若者の失業率は 前後と未だに高い チュニジアの政体は共和制 大統領制を採用する立憲国家である 現行憲法は年月日に公布 年月日および年月日改正 されたもの 国家元首である大統領は 国民の直接選挙により選出される 任期は年 再選制限は無い 憲法により大統領は行政の最高責任者とされ 首相 閣僚 各県の知事の任免権 軍の最高指揮権 非常事態宣言の発令権など強大な権力を与えられている 首相および閣僚評議会 内閣に相当 は大統領の補佐機関に過ぎない 立法府は両院制で 年の憲法改正により新設された上院と 従来立法府として存在してきた代議院 下院に相当 で構成される 上院の定数は議席で うち議席は地方議会による間接選挙により選出され 議席は大統領による任命制である 代議院は定数議席で 全議席が国民の直接選挙により選出される 議員の任期は上院が年 代議院が年である チュニジアでは年の憲法改正で複数政党制が認められたが 年の政権崩壊まで与党立憲民主連合 が事実上 チュニジア政治を担っていた は年まで社会主義憲政党 という名称で一党支配を行っており 複数政党制承認後にと改称した後もチュニジアの支配政党であり続け 年まで一度も政権交代は成されていなかった 政権崩壊後の選挙でアンナハダが与党になった 野党で比較的有力なものには民主社会運動 と人民統一党 がある 他に非合法化されたチュニジア共産党の流れを組むエッタジディード 変革 運動があったが 同党は他勢力と統合し 社会民主の道運動 アル マサール になっている 過去にもイスラーム主義政党も存在したが 共産党と同様に結党が禁じられていた 司法権は最高裁判所が担っている チュニジア軍は陸軍 海軍 空軍の三軍から構成され 総人員は約 人である 三軍の他にも内務省指揮下の国家警備隊と沿岸警備隊が存在する 成人男子には選抜徴兵制が敷かれている 兵器体系はかつて中国から購入した哨戒艇などを除いて殆ど西側に準じている 独立直後から暫くはフランス軍のビゼルト基地問題や アルジェリア戦争への対応を巡ってフランスと対決する姿勢で接したが 年代以降は親フランス 親西側政策が続いている 年代に入るとアラブ連盟の本部がカイロからチュニスになり 事務局長にチュニジア人が選ばれ 年代のエジプトの連盟復帰までアラブ諸国の盟主にもなった 初代大統領ブルギーバはセネガルの初代大統領サンゴールらと共にフランコフォニー国際組織の設立に尽力した パレスチナ問題を巡っては チュニジアは僅かながら第三次中東戦争と第四次中東戦争にアラブ側で派兵した 年にパレスチナ解放機構 の本部がチュニスに移転したが オスロ合意後の年にパレスチナに再移転した チュニジアにはパレスチナ人難民はごく僅かしか流入しなかった チュニジアはイスラエルを承認しているが 関係は決して良好とは言えず ガザ紛争 年 年 においてはイスラエルを非難している 在留日本人数 名 年月 在留邦人統計 在日チュニジア人数 名 年月 在留外国人統計 チュニジアにはのウィラーヤ 県 アラブ語表記 に分かれている 各県の県知事は大統領による任命制 国土は 北端から南端までが約キロメートル 東の沿岸から西方の国境まで約キロメートルと細長く 南北に伸び 南端は先の細いとがった形である 東はリビア 西はアルジェリアに隣接する 北岸 東岸は地中海に面する 国土は北部のテル地域と中部のステップ地域 南部のテル地域のつに大きく分けられる 北部地中海沿岸にはテル山地があり その谷間を北東にメジェルダ川が流れている メジェルダ川流域のメジェルダ平野は国内で最も肥沃な穀倉地帯になっている 東側の地中海に面した海岸線は約キロメートルにわたる 北からチュニス湾 ハマメット湾 ガベス湾の並び 良港も多い この沿岸部に古くから定住民が集住した その南には アルジェリアから続くアトラス山脈中の国内最高峰であるシャンビ山 以東がドルサル山地となっている ドルサル山地は地中海からの湿気を遮るため ドルサル山地より南はガベス湾までステップ気候になっていて 西部の標高 の地域をステップ高原 東部の標高以下の地をステップ平原と呼ぶ ステップ高原の南には平方のジェリド湖 塩湖 がある この塩湖の北にある町メトラーウィやその西のルダイフでは世紀の末からリン鉱石の採掘が開始され 現在ではその産出量は世界第位で チュニジアの主要な輸出品ともなっている ガベス湾の沖にはジェルバ島が存在する 南半分はサハラ砂漠になっており マトマタから南東にダール丘陵がリビアまで続く ダール丘陵から東には標高以下のジェファラ平野が広がる この砂漠は風によって絶えず景色が変化する砂砂漠 エルグ ごつごつした石や砂利と乾燥に強い植物がわずかにみられる礫砂漠 または植生のない岩肌がむき出しになっている岩石砂漠が広がっており 砂砂漠は一部であり 大部分は礫砂漠と岩石砂漠で占められている ケッペンの気候区分によると 北部の地中海沿岸部は地中海性気候となり 地中海沿岸を南に行くとスファックス付近からステップ気候になる さらに南のサハラ砂漠は砂漠気候となる 春から夏にかけてサハラ砂漠から北にシロッコと呼ばれる熱風が吹き出す 北部では冬に雪が降ることがある チュニスの年間降水量は前後だが 北部のビゼルトでは を越える チュニジアは年には 世界経済フォーラムによってアフリカにおいてもっとも競争力のある経済と位置づけられた 全世界でも位であった チュニジアはエアバスやヒューレットパッカードなどの多くの国際企業の誘致に成功した 観光は年にはの と万人分の雇用を占めていた 変わらずヨーロッパ連合がチュニジアの最大の貿易パートナーであり 現在チュニジアの輸入の チュニジアの輸出の を占めている チュニジアは地中海沿岸でヨーロッパ連合のもっとも確固とした貿易パートナーのつであり の番目に大きい貿易パートナーに位置づけている チュニジアは年月に ヨーロッパ連合とを締結した最初の地中海の国である ただし 効力が生じる日の前に チュニジアは両地域間の貿易で関税を撤廃し始めた チュニジアは年に工業製品への関税撤廃を完了し そのためとの自由貿易圏に入った最初の地中海の国になった はチュニスで建設されている完全なスポーツ都市である 集合住宅に加え多くのスポーツ施設からなるこの都市は億ドル 約億円 かけてのグループによって建設される チュニス ファイナンシャル ハーバーは億ドル 約億円 の開発利益を見込むプロジェクトにおいてチュニス湾にある北アフリカで初めてのオフショア金融センターになる チュニス テレコム シティはチュニスにおけるハブを作成する億ドル 約億円 規模のプロジェクトである チュニジア経済には小麦とオリーブを中核とする歴史のある農業 原油とリン鉱石に基づく鉱業 農産物と鉱物の加工によって成り立つ工業という三つの柱がある そのため他のアフリカ諸国より工業基盤は発達しており 人当たりのは約ドルでありモロッコやアルジェリアと共にアジアの新興国とほぼ同じレベルである 急速な成長を見せているのは欧州諸国の被服製造の下請け産業である 貿易依存度は輸出 輸入 と高く 狭い国内市場ではなく フランス イタリアを中心とした諸国との貿易の占める比率が高い 年時点の輸出額億ドル 輸入額億ドルの差額を埋めるのが 億ドルという観光収入である 国際的には中所得国であり アフリカ開発銀行 の本部が置かれている フランスやリビアに出稼ぎしているチュニジア人労働者からの送金も大きな外貨収入源となっている アトラス山脈の東端となる国の北側を除けば国土の大半はサハラ砂漠が占めるものの 農地の占める割合が国土の に達している ヨーロッパに比べて早い収穫期を生かした小麦の栽培と輸出 乾燥気候にあったオリーブと野菜栽培が農業の要である 食糧自給率は を超えている 北部は小麦栽培と畜産が盛ん ヒツジを主要な家畜とする畜産業は北部に集中するが 農業に占める比率は中部 南部の方が高い 年時点の生産高を見ると 世界第位のオリーブ 万トン 世界シェア 世界第位のグレープフルーツ 万トン が目を引く ナツメヤシ 万トン らくだ万頭 といった乾燥気候を生かした産物 家畜も見られる 主要穀物では小麦 万トン が北部で 大麦 万トン は主に南部で生産されている 生産量ではトマト 万トン も目立つ チュニジア鉱業の中核は 世界第位のリン鉱石 リン酸カルシウム 万トン 主な鉱山は国土の中央部 ガフサ近郊にある 油田は年にイタリア資本によって発見され 南部のボルマ近郊の油田開発が進んでいる 一方 リビア国境に近いガベス湾の油田はあまり進んでいない 年時点の採掘量は 原油万トン 天然ガス千兆ジュールである エネルギー自給率も を超えている このほか 亜鉛 銀 鉄 鉛を採掘している これはプレート移動によって形成された褶曲山脈であるアトラス山脈に由来する 全体的な鉱業の様相はアトラス山脈西端に位置する国モロッコとよく似ている チュニジア工業は農業生産物の加工に基づく食品工業 鉱物採取と連動した化学工業 加工貿易を支える機械工業と繊維業からなる 食品工業は 万本にも及ぶオリーブから採取したオリーブ油と 加工野菜 缶詰 が中心である オリーブ油の生産高は世界第位 万トン だ 化学工業は主として肥料生産とその派生品からなる 世界第位のリン酸 万トン 同第位の硫酸 万トン 同第位のリン酸肥料 万トン である 主な工業都市は首都チュニス 輸出に占める工業製品の比率が 輸入に占める工業製品の比率が であるため 加工貿易が盛んに見える これは 繊維産業と機械産業によるものだ 輸出を品目別に見ると 衣料 電気機械 原油 化学肥料 織物 である 一方 輸入は 繊維 電気機械 機械類 自動車 衣料 である 食料品が輸出に占める割合は 輸入では 主な貿易相手国は諸国 特に旧宗主国であったフランスと支配を受けたイタリアである 輸出入ともこの国が約割の比率を占める 金額別では輸出相手国が フランス イタリア ドイツ 隣国リビア ベルギー 輸入相手国がフランス イタリア ドイツ スペイン ベルギーである 首都チュニスにはチュニス カルタゴ国際空港があるほか ヨーロッパではリゾート地として知られるにはエンフィダ ハンマメット国際空港が ジェルバ島にはジェルバ ザルジス国際空港があり いずれの空港も主として周辺国やヨーロッパの都市と結ばれている 北部を中心に チュニジア鉄道が敷設されている のつが主要路線となっている また 一部区間はの一部分となっている イスラーム国だが世俗的な国家であり 独立と同年の年 ブルギーバ初代大統領の 国家フェミニズム の下で制定された家族法によって トルコと同様に一夫多妻制や公共の場でのスカーフやヴェールの着用は禁止されている 続くベン アリー大統領もフェミニズム政策を踏襲し 年には婚姻後の夫婦共有財産も個別財産として選択可能となった 家族法制定から現在まで女性の社会進出が著しく アラブ世界で最も女性の地位が高い国となっている イスラム世界では珍しく チュニジアは中絶が法律で認められている国である 年の独立時から年までの人口増加が約 倍である 住民はアラブ人が である チュニジアの先住民はベルベル人やフェニキア人だったが 世紀のアラブによる征服以降 住民の混血とアラブ化が進んだため 民族的にはほとんど分けることが出来ない 残りはヨーロッパ人が ベルベル語を話すベルベル人 ユダヤ人 黒人などその他が である アラビア語が公用語であるが 独立前はフランスの保護下にあったことからフランス語も広く普及しており 教育 政府 メディア ビジネスなどで使われるなど準公用語的な地位となっている 教授言語はフランス語とアラビア語の両方となっており 大多数の国民がフランス語を話すことが可能である アラビア語チュニジア方言はマルタ語に近い また ごく少数ながらベルベル語の一つであるシェルハも話されている イスラームが国教であり 国民の はスンナ派で 僅かながらイバード派の信徒も存在する その他 ユダヤ教 キリスト教 主にカトリック ギリシャ正教 プロテスタント イスラームも比較的戒律は緩やかで 女性もヴェールをかぶらず西洋的なファッションが多く見られる 年代にイスラーム主義の興隆と共にヴェールの着用も復古したが 年代に隣国アルジェリアでイスラーム主義者と軍部の間で内戦が勃発すると イスラーム主義は急速に衰退し ヴェールの着用も衰退した チュニジア南部のジェルバ島はユダヤ人居住区の飛び地となっており 島のエル グリーバ シナゴーグは世界で最も古いシナゴーグの内の一つである 主な高等教育機関としては ザイトゥーナ大学 チュニス大学 カルタゴ大学 エル マナール大学 などが挙げられる 名門リセ 高校 としてはサディーキ校 も挙げられる 代表的なチュニジア料理としてはクスクス 粒状のパスタ ブリック ラブレビなどが挙げられる チュニジアはイスラーム国であるが ワインの生産国でもある チュニジア ワインにはフランスの影響によりロゼワインも多い マツの実入りのミントティーがあり オレンジ ゼラニウムなどの花の蒸留水フラワーウォーターはコーヒー 菓子に入れる 大多数のチュニジア人の母語はアラビア語である 現代の代表的なチュニジア出身の作家としては アルベール メンミ アブデルワハブ メデブ ムスタファ トゥリリなどが挙げられる 中世において イスラーム世界最大の学者 と呼ばれるチュニス出身のイブン ハルドゥーンは 歴史序説 を著わした ハルドゥーンは 歴史序説 にてアサビーヤ 集団における人間の連帯意識 を軸に文明の発達や没落を体系化し 独自の歴史法則理論を打ち立てた ハルドゥーンは労働が富を生産するとの概念を 世紀に労働価値説を唱えたアダム スミスに先んじて説くなど天才的な学者であった チュニジアは映画製作の盛んな国ではないが チュニジア出身の映像作家としては チュニジアの少年 のフェリッド ブーゲディールや ある歌い女の思い出 のムフィーダ トゥラートリなどの名が挙げられる チュニジア国内には ユネスコの世界遺産リストに登録された文化遺産が件 自然遺産が件存在する 国技はサッカーであり 年現在サッカーチュニジア代表は初出場となった年のアルゼンチン大会以降 年のフランス大会 年日韓共同大会 年のドイツ大会まで期連続でワールドカップに出場した 主なプロクラブとしてはエスペランス チュニス クラブ アフリカーン エトワール サヘル スファクシアンなどの名が挙げられる バレーボールも盛んであり バレーボールチュニジア男子代表はアフリカ諸国の強豪に挙げられる 陸上競技ではモハメド ガムーディがメキシコシティオリンピック男子で金メダルなどメダル個 競泳でウサマ メルーリが年の北京オリンピック男子自由形で金メダルを獲得している トルコ共和国 トルコきょうわこく 通称トルコは 西アジアに位置するアナトリア半島 小アジア と東ヨーロッパに位置するバルカン半島東南端の東トラキア地方を領有する共和制国家 首都はアナトリア中央部のアンカラ アジアとヨーロッパのつの大州にまたがる 北は黒海とマルマラ海 西と南は地中海 西はエーゲ海 に面する 陸上国境は 西でブルガリア ギリシャと 東でジョージア グルジア アルメニア アゼルバイジャン イラン イラク シリアと接する トルコ語による正式国名は 通称 テュルキイェ である 公式の英語表記は 通称 ターキー 日本語名のトルコは ポルトガル語で トルコ人 男性単数 もしくは トルコの 形容詞 を意味するに由来する 英語など諸外国語では トルコ共和国の前身であるオスマン帝国の時代から など トルコ人の国 を意味する名でこの国家を呼んできたが 元来多民族国家であったオスマン帝国の側では オスマン国家 などの名称が国名として用いられており 自己をトルコ人の国家と認識することはなかった テュルク は アナトリアへの移住以前 中央アジアで暮らしていたトルコ人が モンゴル高原を中心とする遊牧帝国 突厥を築いた世紀頃には既に使われていた民族名だが 語源には諸説ある 現在のトルコ共和国では一般に 突厥の建国をもって トルコの建国 と考えられている アナトリアには旧石器時代 万年から万年前 からの遺跡が存在する 紀元前年末頃から鉄を作る技術が中近東世界に広がった この地域が鉄器時代に入ったと考えられる 国土の大半を占めるアジア側のアナトリア半島 小アジア と最大の都市であるヨーロッパ側のイスタンブールは 古代からヒッタイト フリュギア リディア 東ローマ帝国 ビザンツ帝国 など様な民族 文明が栄えた地である 一方 北アジアではトルコ テュルク 系民族として突厥が年にモンゴル系民族の支配から独立した 現在のトルコ共和国ではこれをもって最初の建国とみなしている その後 東西に分裂し 中央アジアのアラル海東岸に割拠した西突厥の部族の一つから部族長トゥグリル ベグが出て西進を始め ボハラ地方を部族で占領しセルジューク朝を成立させた さらに西進して年バグダッドに入城 アッバース朝のカリフよりスルタンに指名された 事実上アッバース朝に変わってセルジューク朝がメソポタミアの支配者となる しかし 東アジアで覇権争いに敗れた契丹系の西遼が中央アジアに移動し 父祖の土地を占領すると これと争い大敗して急激に衰退 のちにモンゴル帝国のフラグによる侵攻を受けて滅亡する また中央アジアのトルコ系部族集団は さらにウイグル系民族に圧迫されてイラン ペルシャ 北部 カスピ海東岸の隅地に逃亡して歴史の記録から消える 第二次世界大戦では中立を維持したが 末期の年になり連合国の勝利が確定的になると その圧力により月日に対日独宣戦布告した 第二次世界大戦後は ソ連に南接するため 反共の防波堤として西側世界に迎えられ 年には北大西洋条約機構 に また年には経済協力開発機構 に加盟した と加盟の間は西側陣営内で経済戦争が起こっていた セカンダリー バンキング 年頃 ユーロバンクの資金調達先となったため外貨準備を著しく減らした これを輸出で補うため単位作付面積あたりの綿花収穫量を急速に伸ばしたが ソ連が既に年から輸出量を世界で最も急ピッチに増産していた 年に暴落した価格で南米諸国とも競争するも 機関化する年代まで外貨準備を十分に確保することができなかった 国父アタテュルク以来 イスラムの復活を望む人などの国内の反体制的な勢力を強権的に政治から排除しつつ 西洋化に邁進してきた ヨーロッパ評議会への加盟 死刑制度の廃止 経済市場の開放と機関化 その最終目標である欧州連合 への加盟にはクルド問題やキプロス問題 ヨーロッパ諸国の反トルコ イスラム感情などが障害となっている また アルメニアとは アルメニア人虐殺への存否を含む見解の相違や アララト山の領有権問題を抱え 緊張した関係が続いている アルメニアの民族派は東南部を西アルメニアだと主張して返還を求めている その後 により大統領は国民投票により選出されることとなり また任期も年から年へと短縮された を経たのち では大統領権限が強化され 議院内閣制を廃止することが定められている 政治は多党制の政党政治を基本としているが 政党の離合集散が激しく 議会の選挙は小党乱立を防ぐため 以上の得票率を獲得できなかった政党には議席がまったく配分されない独特の方式をとっている この制度のため 年の総選挙では 選挙前に中道右派 イスラム派が結集して結党された公正発展党 と 野党で中道左派系 世俗主義派の共和人民党 の党が地すべり的な勝利を収め 議席のほとんどを占めている 年月日に実施された総選挙では 公正発展党が前回をポイントを上回る総得票率 を獲得して圧勝した 共和人民党が議席を減らし 議席を獲得 極右の民族主義者行動党 が得票率 と最低得票率 以上の票を獲得し議席を獲得 結果的に公正発展党は議席となり 前回より議席を減らすこととなった 独立候補は最低得票率の制限がなく クルド系候補など議席を獲得した ムスタファ ケマル アタテュルク以来強行的に西欧化を押し進めてきたが その歴史においてケマルをはじめ 政治家を数多く輩出した軍が政治における重要なファクターとなることがあり 政治や経済の混乱に対してしばしば圧力をかけている 年に軍は最初のクーデターを起こしたが その後 参謀総長と陸海空の三軍および内務省ジャンダルマ 憲兵隊 の司令官をメンバーに含む国家安全保障会議 が設置され 国政上の問題に対して内閣に圧力をかける実質上の政府の上位機関と化しているが このような軍部の政治介入は 国民の軍に対する高い信頼に支えられていると言われる 年の二度目のクーデター以降 特にイスラム派政党の勢力伸張に対して 軍は ケマリズム あるいは アタテュルク主義 と呼ばれるアタテュルクの敷いた西欧化路線の護持を望む世俗主義派の擁護者としての性格を前面に打ち出している 軍は年にイスラム派の福祉党主導の連立政権を崩壊に追い込み 年には公正発展党による同党副党首の大統領選擁立に対して懸念を表明したが この政治介入により国際的な非難を浴びた 月日には 議会での回の投票を経てアブドゥラー ギュル外相が初のイスラム系大統領として選出された この結果 もはや以前のように軍が安易に政治に介入できる環境ではなくなり 世俗派と宗教的保守派の対立はもっと社会の内部に籠ったものとなってきている エルゲネコン捜査 その後 年に大統領権限の強化と首相職の廃止を盛り込んだ憲法改正案が可決され 年月日に首相職は廃止された 軍事組織として 陸軍 海軍 空軍で組織されるトルコ軍 と内務省に所属するジャンダルマ 憲兵隊 沿岸警備隊 が置かれている 兵役は男子に対してのみ課せられている 兵役期間は高卒以下の学歴の場合はか月であり 大卒以上の学歴の場合は将校としてか月か二等兵としてか月を選択できるようになっている なお 国外に連続して年以上居住している場合 週間の軍事訓練と約 ユーロの支払いで兵役免除になり なお兵役期間終了後は歳まで予備役となる 年末には金銭を納めることで兵役を免除可能とすることで事実上良心的兵役拒否を合法化した 兵員定数はないが 三軍あわせておおむね約万人程度の兵員数である また ジャンダルマと沿岸警備隊は戦時にはそれぞれ陸軍 海軍の指揮下に入ることとされている ただし ジャンダルマについては 平時から陸軍と共同で治安作戦などを行っている 指揮権は平時には大統領に 戦時には参謀総長 に属すると憲法に明示されており 戦時においては文民統制は存在しない また 首相および国防大臣には軍に対する指揮権 監督権は存在しない ただし 軍は歴史的にも また現在においても極めて政治的な行動をとる軍隊であり また 国防予算の 程度が議会のコントロール下にない軍基金 国防産業基金などからの歳入であるなど 平時においても軍に対する文民統制には疑問も多い この結果 軍はいわば 第四権 といった性格を持ち 世俗主義や内政の安定を支える大きな政治的 社会的影響力を発揮してきた 軍事同盟としては年以降は北大西洋条約機構 に加盟し 年以降は西欧同盟 に準加盟している また 年それ自体が崩壊するまで中央条約機構 加盟国でもあった 国間同盟としては年 イスラエルと軍事協力協定および軍事産業協力協定を締結しており 年からは実際にアメリカ合衆国 イスラエルとともに国で共同軍事演習 が行われた 加盟国としては唯一 非欧米国家グループである上海協力機構の対話パートナーにもなっており 年にはエルドアン大統領によって正規加盟が要請された 軍事装備は西側のものだけではなく 中華人民共和国の協力で弾道ミサイルのや多連装ロケットシステムのを導入しており のミサイル防衛を揺るがす や のような地対空ミサイルも中国やロシア連邦から購入する動きも見せた 年にはアメリカやイスラエルと行ってきた アナトリアの鷲 演習を中国と実施し 中国と初めて合同軍事演習を行った加盟国となった 南東部においてはクルディスタン労働者党 との戦闘状態が長年続いている 南隣にあるイラクとシリアに対しても 国境をまたいで活動するやイスラム国など反トルコ勢力への攻撃と 親トルコ派勢力の支援を目的に 派兵や越境空爆をしばしば行っている 有力な軍需産業を有している 一例を挙げれば 政府系企業の航空宇宙産業 や民営のバイカル防衛が軍用無人航空機を開発 製造しており シリア内戦やリビア内戦に投入されたほか 複数の国が輸入している 外交面では北大西洋条約機構 加盟国である また 加盟国としては唯一 非欧米軍事同盟である上海協力機構の対話パートナーであり 中露との軍事協力も行うなど もはや西側一辺倒の外交路線ではなくなっている 政府の公式見解では自国をヨーロッパの国としており 現代では経済的 政治的にヨーロッパの一員として参加しつつあり ヘルシンキ宣言に署名している 年に政権についた公正発展党は イスラム系を中心とする政党ながら軍との距離を慎重に保って人権問題を改善する改革を進めてきた 年には一連の改革が一応の評価を受け 条件つきではあるものの欧州委員会によって年月からの欧州連合への加盟交渉の開始が勧告された 現在 国内世論と戦いながら加盟申請中である なお 加盟基準であるコペンハーゲン基準については現在議論が行われている 国土の がアジアのアナトリア半島にあり 人口でもアジア側が割弱を占める 日本には多くのトルコ友好協会があり 交流が積極的に行われている トルコ政府系団体 トルコ政府連携協会 隣国のギリシャとは緊張関係が続いている 古くはギリシャ人国家であった東ローマ帝国が現在のトルコにあたる地域を支配していたが やがてオスマン帝国がそれを滅ぼし支配下に置いた その後 世紀初頭に列強の後押しでギリシャが独立し 大ギリシャ主義 を掲げて衰退の進むオスマン帝国からの領土奪回を目論んだ バルカン戦争 第一次世界大戦後に領土をめぐる希土戦争が起こり ギリシャとトルコの住民交換で解決された しかし 当時イギリスの植民地だったキプロス島の帰属は決められなかったため キプロス独立後にキプロスと トルコのみが国家の承認をしている北キプロスに分裂した 隣国のアルメニア共和国とは緊張関係が続いている アルメニアの民族派がヴァン県など東南部をアルメニア人の奪われた土地だと主張している 一部のアルメニア人の反トルコ主義や西アルメニアの返還の主張にはトルコの保守層の警戒感を招いている 元 アルメニア王国との国境は時代により大きく変化しており 国民国家の概念が成立する前から対立が続いていた またトルコはイスラーム信者が多く キリスト教を国教にしているアルメニアとは宗教対立の側面もある ナゴルノ カラバフ問題に対しては同じくアルメニアと対立するイスラーム国家のアゼルバイジャンの立場に立つ ミクタ は メキシコ インドネシア 大韓民国 トルコ オーストラリア のか国によるパートナーシップである 詳細は該当ページへ 国土はヨーロッパ州とアジア州にまたがり 北の黒海と南のエーゲ海 地中海をつなぐボスポラス海峡 マルマラ海 ダーダネルス海峡によって隔てられる 面積は日本の倍で 北緯度から度 東経度から度に位置し 東西 キロメートル 南北キロメートルに及ぶ アナトリア半島は中央に広大な高原と海沿いの狭小な平地からなり 高原の東部はチグリス川 ユーフラテス川の源流である 東部イラン国境近くにはヴァン湖とアララト山 国内最高峰で休火山 標高 メートル がある 国内に多くの断層を持つ地震国であり 近年では 年のイズミット地震でマルマラ海沿岸の人口密集地が大規模な被害を受けた なお 他の地震国の多くと同様 国内に数多くの温泉が存在し 中にはヒエラポリス パムッカレなど世界遺産の中に存在するものもある 中近東という位置や地中海やエーゲ海からくる印象から 一般に温暖な印象であるが 沿岸地域を除くと冬は寒冷な国である エーゲ海や地中海の沿岸地方は温暖で ケッペンの気候区分では地中海性気候に属し 夏は乾燥していて暑く 冬は温暖な気候で保養地となっている イスタンブールのあるマルマラ海周辺やヨーロッパトルコ地域は地中海性気候と温暖湿潤気候の中間に属し 夏は他地域よりは涼しく 冬は比較的寒くなり雪も降る 黒海沿岸地方は温暖湿潤気候に属し 年間を通じトルコ降水量が最多である 深い緑に覆われている 国土の大半を占める内陸部は大陸性気候で寒暖の差が激しく乾燥しており アンカラなどの中部アナトリア地方はステップ気候や高地地中海性気候に属する 夏は乾燥していて非常に暑くなるが 冬季は積雪も多く 気温が 以下になることも珍しくない 東部アナトリア地方は亜寒帯に属し 冬は非常に寒さが厳しく 東部の標高 を超えるような高原地帯では月の平均気温は を下回る 標高 にあるエルズルムでは気温がしばしば を下回り に達することもある酷寒地である ヴァン県のチャルディラーン では 年月日に国内最低となる を記録している 高温記録としては年月日にシリア国境に近いマルディン県のコジャテプ で を記録している 地方行政制度はオスマン帝国の州県制をベースとしてフランスに範をとり 全土を県 と呼ばれる地方行政区画に区分している 年以降の県の総数はである 各県には中央政府の代理者として知事 が置かれ 県の行政機関 を統括する 県行政の最高権限は年任期で民選される県議会が担い 県知事は県議会の決定に従って職務を遂行する 県の下には民選の首長を有する行政機関 をもった市 があり 郡の下には自治体行政機関のある市 町 と 人口人未満で自治体権限の弱い村 がある イスタンブール アンカラなどの大都市行政区 は 市の中に特別区に相当する自治体とその行政機関 を複数持ち 都市全体を市自治体 が統括する 都市人口率は年時点で 約 であり 世界平均 約 年 より約ポイント高く 都市への人口集中が進んでいるといえる 三大都市圏として大陸にまたがるイスタンブール 人口 万 人 年 首都アンカラ 万 人 港湾都市イズミル 万 人 が挙げられる そのほか 人口が万人を超える都市 日本でいえば 横浜市と大阪市の間 としては ブルサ 万 人 がある また同万人 日本でいえば 札幌市とほぼ同じ を超える都市は アンタルヤ 万 人 アダナ 万 人 コンヤ 万 人 シャンルウルファ 万 ガズィアンテプ 万 人 がある 更に 同万人 日本でいえば 神戸市とほぼ同じ を超える都市は コジャエリ 万 メルシン 万人 ディヤルバクル 万 人 ハタイ 万 人 である このうち アナトリア高原など山岳部に位置する都市は アンカラ ガズィアンテプ コンヤ ディヤルバクルである 国の東部には小規模な都市が目立ち 特に東北部 または黒海沿岸には都市への人口の集中があまり見られない その背景には 南東部などの後進地域の若年層が雇用機会を求めて イスタンブール アンカラ イズミル ブルサ アンタルヤといった西部大都市へ移動していることがあり 地域格差の拡大につながる社会問題となっている によると 年の国内総生産 は約 億ドル 約兆円 で 世界第位である 人あたりのは ドル 年 で 世界平均 万 ドル 年 の約 程であり カザフスタンとほぼ同じである 産業は近代化が進められた工業 商業と 伝統的な農業からなり 農業人口が国全体の労働者のおよそ 年 を占める 漁業は沿岸部では比較的盛んであるが エーゲ海ではギリシャ領の島が本土のすぐ近くに点在しているため 領海 排他的経済水域や公海上の漁獲量をめぐる国際問題が起きることもある 工業は軽工業が中心で 繊維 衣類分野の輸出大国である 近年では 世界の大手自動車メーカーと国内の大手財閥との合弁事業が大きな柱となっており ヨーロッパ向け自動車輸出が有力な外貨獲得源になっている 具体的には 国内最大の財閥であるサバンジュ財閥と日本のトヨタ自動車 国内位の財閥であるコチ財閥とイタリアのフィアット 国内位の財閥であるオヤック財閥とフランスのルノーが挙げられる また コチ財閥のアルチェリッキ ベコ ゾルル財閥のヴェステルなど 家電 エレクトロニクス部門の成長も期待されている 工業化が進んでいるのは北西部のマルマラ海沿岸地域が中心である ヨーロッパ 中東 アフリカの結節点という輸出における地理的優位さもあり 製造業の生産能力や技術力は向上している 上記以外にもアパレルの 軍事関連のアセルサンといった有力メーカーが育っている 新型コロナウイルス感染症が世界に広がった年 トルコは約カ国にマスク 人工呼吸器 防護服といった衛生 医療物資を送った 経常収支が赤字であるため ロシア連邦を含むヨーロッパ諸国などから訪れる観光客は 貴重な外貨収入源となっている 外国人観光客数は年のピークで 万人 その後 シリア内戦に誘発された相次ぐテロ事件やロシア軍爆撃機撃墜事件 年 年トルコクーデター未遂事件が起きたため 年は約 万人に減ったものの 年以降は回復している 空路のほか クルーズ客船も利用されている エーゲ海沿岸地域やイスタンブール 内陸のカッパドキアなどが観光地として人気が高い 地中海に面する西部と首都アンカラ周辺地域以外では農業の比重が大きい 特に東部では 地主制がよく温存されているなど経済近代化の立ち遅れが目立ち 農村部の貧困や地域間の経済格差が大きな問題となっている 国土は鉱物資源に恵まれている 有機鉱物資源では石炭の埋蔵量が多い 年の時点では亜炭 褐炭の採掘量が 万トンに達した これは世界シェアの であり 世界第位に位置する しかしながら高品位な石炭の生産量はこの分の過ぎない 原油 万トン と天然ガス 千兆ジュール も採掘されている 金属鉱物資源では 世界第位の産出量の 万トン 世界シェア マグネシウムをはじめ アンチモン 金 鉄 銅 鉛 ボーキサイトなどの鉱物を産出する しかしながら 石炭は発電など燃料として国内で消費し マグネシウムの国際価格が低迷していることから 同国の輸出に占める鉱物資源の割合は低く 程度 年時点 に過ぎない 石油 天然ガスについては黒海で開発を進め 年の段階から生産を始めていたが 近年石油は億バレル ガスは兆千億立方メートルと莫大な埋蔵量であることが分かった これにより年から年間にわたって 国内消費分を賄うことができるようになるとの見通しである 近年の成長率は年 年 年 となっている 貿易は慢性的に赤字が続いている 年時点では輸出億ドルに対し 輸入億ドルであった ただし サービス収支 たとえば観光による収入 億ドル 年 所得収支 たとえば海外の出稼ぎからの送金などが多額に上るため 経常収支はほぼバランスが取れている 輸出 輸入とも過半数を工業製品が占める 世界第位の生産量を占める毛織物のほか 毛糸 綿糸 綿織物 化学繊維などの生産量がいずれも世界の上位位に含まれる 厚みのある繊維産業が輸出に貢献している 衣料品を輸出し 機械類を輸入するという構造である 輸出品目では工業製品が を占め ついで食料品 原材料 燃料 である 工業製品では衣類 繊維 織物 自動車 電気機械 が主力であり 鉄鋼も輸出している 輸出相手国はヨーロッパ圏が主力であり ドイツ アメリカ合衆国 イギリス イタリア フランス の順である 日本に対する最大の輸出品目はマグロ ついで衣料品である 輸入品目でも工業製品が に達する ついで原材料 燃料 食料品 である 品目別では機械類 電気機械 自動車 原油 繊維 織物 である 輸入相手国も欧州が中心で ドイツ イタリア ロシア フランス イギリス の順である 日本からの最大の輸入品目は乗用車 ついで自動車用部品である 交通の中心となっているのは 旅客 貨物ともに陸上の道路交通である 鉄道は国鉄 が存在し 万キロメートルの路線を保有 運営しているが きわめて便が少なく不便である また 駅舎 路線 その他設備は整備が不十分で老朽化が進んでいる 年には国鉄は最高時速キロメートルの新型車両を導入したが 月にその新型車両が脱線事故を起こし名の死者を出した これは 路線整備が不十分なまま新型車両を見切り発車的に導入したことが原因といわれている この事故は国鉄の信頼性を一層低下させ 鉄道乗客数は激減している その後 路線の新設や改良に巨額の投資をし始め 年月日 エスキシェヒール アンカラ間にて初のトルコ高速鉄道 最高時速キロメートル が開通した その後も アンカラ コンヤ間でも完成するなど 各地で高速鉄道建設が進められ近代化が図られている 政府は道路整備を重視しており 国内の道路網は年時点で万 キロメートルにおよんでいる また イスタンブールとアンカラを結ぶ高速道路 も完成間近となった 貨物輸送はもちろん 短距離 長距離を問わず旅客輸送の中心もバスによる陸上輸送が中心で 大都市 地方都市を問わず都市には必ず オトガル と呼ばれる長距離バスターミナル が存在し 非常に多くのバス会社が多数の路線を運行している また 世俗主義国家であるとはいえイスラム教国であるため これらのバスでは親子や夫婦などを除き男女の相席をさせることはまずない いまだ雇用所得が低いことや 高額の自動車特別消費税 未満 以上 以上 非常に高価なガソリン価格 年時点でリットル当たり 約円 程度 のために 自家用車の普及はあまり進んでいない また 農村部においては現在でも人的移動や農作物の運搬のためにトラクターや馬を用いることはごく普通である 農村部や地方都市において露天バザールが開催される日には アンカラやイスタンブールとはかけ離れたこれらの光景をよく目にすることができる 国土の位置するバルカン半島やアナトリア半島は 古来より多くの民族が頻繁に往来した要衝の地であり 複雑で重層的な混血と混住の歴史を繰り返してきた 現在のトルコ共和国が成立する過程にも これらの地域事情が色濃く反映されている 前身である多言語 多宗教国家のオスマン帝国では このような地域事情を汲み取って ゆるやかな統治 を目指して統治を行い 信仰の自由を大幅に認めていたため 住民にオスマン帝国民という意識はほとんどなかった 各自の信奉するイスラム教や東方教会のキリスト教 ギリシア正教 アルメニア正教 シリア正教 といった宗教に分かれ さらに言語ごとに細かいグループに分かれて宗教 言語のエスニック グループの集団が存在し イスラム教徒ではトルコ語 クルド語 アルバニア系といった母語グループに分かれていた この集団が 長らく人のアイデンティティ形成と維持に主導的な役割を果たしてきたといえる このため 国民国家としての現共和国成立に伴い 国内における民族意識 ナショナリズム の醸成が急務となっていたが 国内最大多数派であるトルコ人ですら 何をもってトルコ人と定義するのかを画一的に判断することが非常に困難であった このことは 年のギリシャ独立以降 隣国ギリシャとの間でバルカン半島とアナトリア半島をめぐり領土紛争の勃発する要因となり 年に紛争の抜本的解決を目的に締結されたローザンヌ条約と住民交換協定では 国内に住む正教会信者のトルコ語話者は ギリシャ人 逆にギリシャ国内に住むイスラム教徒のギリシャ語話者は トルコ人 と規定され それぞれの宗教が多数派を形成する国への出国を余儀なくされている こうした経緯もあり 長年国内の民族構成に関する正確な調査が実施されず 政府は 国内に居住するトルコ国民を一体として取り扱い 国民はすべてトルコ語を母語とする均質な トルコ人 であるという建前を取っていた これが新生トルコを国際的に認知したローザンヌ条約におけるトルコ人の定義であると同時に トルコにおける少数民族とは非イスラム教のギリシャ人 アルメニア人 ユダヤ人の三民族であることを定義した しかしながら 実際には共和国成立以前から東部を中心にクルド人をはじめ多くの少数民族が居住する現状を否定することができず 現在では 民族的にトルコ人ではない あるいはトルコ語を母語としない国民も国内に一定割合存在することを認めてはいるものの それらが少数民族とは認知していない 少数派の民族としては クルド人 アラブ人 ラズ人 ギリシャ人 アルメニア人 ヘムシン人 ザザ人 ガガウズ人などが共和国成立以前から東部を中心に居住している 特に クルド人はトルコ人に次ぐ多数派を構成しており その数は 万から 万人といわれている かつて政府は国内にクルド人は存在しないとの立場から クルド語での放送 出版を禁止する一方 山岳トルコ人 なる呼称を用いるなど 差別的に扱っていた しかしながら 現在では少数民族の存在を認める政府の立場から 山岳トルコ人という呼称は用いられることがない 実際問題として長年の同化政策の結果 今や言語がほぼ唯一の民族性のシンボルとなっている 年にはクルド語での放送 出版も公に解禁され 旧民主党 共和人民党から分離した民主党 とは別組織 レイラ ザーナ党首の釈放と同日に 国営放送であるの第チャンネル においてクルド語放送が行われた 年末には時間クルド語放送を行うために第チャンネルが開設され 年月から本放送を開始した なお クルド人はいわゆる北部南東アナトリア地域 南東アナトリア地域 にのみ偏在しているわけではなく 地域により格差はあるものの 国内の県全域にある程度のまとまりを持った社会集団として分布している 実際 クルド系政党民主国民党 は全域で政治活動を展開し 総選挙において一定の影響力を保持している 年以降 全国的な農村部から都市への移住が増加したことに伴いクルド人も都市部への移住が進み 現在はクルド人の都市居住者と農村部居住者との割合が大幅に変化しているとみられる ある推計によると 年以降最も多数のクルド人が存在するのは 南東アナトリア県のいずれでもなく イスタンブール県であるとの結果も存在する 各都市のクルド人は その多くが所得水準の低い宗教的にも敬虔なイスラム教徒であるといわれており 昨今の都市部における大衆政党として草の根活動を行ってきたイスラム系政党躍進の一因と結びつける見方も存在する 宗教構成は 宗教の帰属が身分証明書の記載事項でもあることからかなり正確な調査結果が存在する それによると 人口の 以上がムスリム イスラム教徒 である 一方 各宗派に関しては 身分証明書にその記載事項がないことから 宗教のように詳細な宗派区分の把握ができておらず不明な点も多い その結果 一般的にはムスリムを信奉する国民の大半はスンナ派に属するといわれているが 一方で同じイスラム教の中でマイノリティであるアレヴィー派の信奉者が国内にも相当数存在しているとの主張もあり 一説には を超えるとも言われている そのほかの宗教には東方正教会 アルメニア使徒教会 ユダヤ教 カトリック プロテスタントなどが挙げられるが オスマン帝国末期から現共和国成立までに至る少数民族排除の歴史的経緯から いずれもごく少数にとどまる 一方で 東方正教会の精神的指導者かつ第一人者であるコンスタンディヌーポリ総主教はイスタンブールに居住しており 正教徒がごく少数しか存在しないトルコに東方正教会の中心地がある状況が生み出されている 国内にある東方正教会の神品を養成するための ハルキ神学校 は年から政府命令によって閉鎖されており 東方正教会への政府からの圧迫の一つとなっている 公用語のトルコ語のほか クルド語 クルマンジー ザザキ語 ディムリ語 キルマンジュキ語 カバルド語 アディゲ語 アゼルバイジャン語 南アゼルバイジャン語 アラビア語 アラビア語イラク方言 バルカン ガガウズ トルコ語 ブルガリア語 ギリシア語 ギリシア語ポントス方言 アルメニア語 カルトヴェリ語派 グルジア語 ラズ語 などが話されている 義務教育機関として 年制の初等教育学校 が置かれ そのほか年制 年月入学以降 それ以前は年制 の高等学校 大学 などが置かれている ほかに就学前教育機関として幼稚園 なども存在する 初等教育学校を含めてほぼ全ての学校が国立だが 私立学校も存在する ただし 私立学校のか月間の学費は 給食費 施設費などを含めて一般労働者の月収とほぼ同等で 極めて高価である 公立高校 公立大学への入学にはそれぞれ の受験を必要とし 成績順で入学校を決定する 受験競争は存在し 高校入試 大学入試のために塾 に通うことも珍しくない 教員数 教室数はともに十分な数には達しておらず 初等教育学校は午前 午後の二部制である また学校設備も不十分で 体育館 プールなどは公立学校にはまず存在しない 特に大都市の学校では運動場は狭くコンクリート張りで バスケットボールやフットサルが精一杯である 地方においては芝生のサッカー場などを持つ学校も多い また 図書館も存在しないか あっても不十分である 学校設備の問題に関しては国も認識し 世界銀行からの融資を受けるなどして改善を図っているが 厳しい財政事情もあって改善が進んでいない イスラム教の教えに基づいた創造論が学校などで公然と教育されており 進化論への検閲行為などの問題が生じている また クルド語を教育することはおろか 教育機関などでの 公的な場 で使用することさえ法律で禁止されており これに違反した場合は国家反逆罪などで起訴される 実際に投獄された一般のクルド人も多い 国土は ヒッタイト 古代ギリシア ローマ帝国 イスラームなど様な文明が栄えた地であり 諸文化の混交が文化の基層となっている これらの人が残した数多くの文化遺産 遺跡 歴史的建築が残っており 世界遺産に登録されたものも件に及ぶ 詳しくは トルコの世界遺産 を参照 伝統的な文化はこのような基層文化にトルコ人が中央アジアからもたらした要素を加えて 東ヨーロッパから西アジアの諸国と相互に影響を受け合いながら発展してきた 近現代のオスマン帝国 トルコは ちょうど日本の文明開化と同じように 西洋文明を積極的に取り入れてきたが それとともにトルコ文学 演劇 音楽などの近代芸術は 言文一致運動や言語の純化運動 社会運動などと結びついて独自の歴史を歩んできた こうした近代化の一方で 歴史遺産の保全に関しては立ち遅れも見られる 無形文化財ではオスマン古典音楽の演奏者は著しく減少し また剣術 弓術などいくつかの伝統的な技芸は既に失われた 有形の遺跡もオスマン帝国時代以来のイスラム以前の建築物に対する無関心は現在も少なからず残っており 多くの遺跡が長らく管理者すら置かれず事実上 放置されてきた 近年は いくつかの有名な古代ギリシャやローマ帝国時代の遺跡やイスラム時代の建築が観光化されて管理が行き届くようになったが 依然として多くの遺跡は風化の危機にさらされている このような状況に対する懸念も表明されているが その保全対策は財政事情もありほとんど全く手つかずの状態である トルコ料理は伝統的に世界三大料理の一つとされ ギリシャ料理やシリア地方の料理 レバノン料理など とよく似通っている またイスラム教国ではあるが飲酒は自由に行われており ブドウから作られアニスで香りがつけられたラクが有名である ワインやビールの国産銘柄も多数ある コーヒー粉末と砂糖を入れた小さな容器を火にかけて煮出すトルココーヒーはユネスコの無形文化遺産に登録された 伝統的なトルコ音楽の一つ オスマン古典音楽はアラブ音楽との関係が深く 現代のアラブ古典音楽で演奏される楽曲の多くはオスマン帝国の帝都イスタンブールに暮らした作曲家が残したものである オスマン帝国とトルコ共和国で行われてきた伝統的な軍楽メフテルは多くの国に脅威と衝撃を与え 音楽家は着想を得ていくつものトルコ行進曲を製作した 建築は イランとギリシャ双方の影響を受け 独自の壮麗なモスクやメドレセなどの建築文化が花開いた その最盛期を担ったのがミマール スィナンであり スレイマン ジャミィなどに当時の文化を垣間見ることができる 俗に トルコ風呂 などと呼ばれている公衆浴場文化 本国においては性風俗店の意味はなく 伝統的浴場の意である は 中東地域に広く見られるハンマーム ハマム の伝統に連なる 逆に 中東やアラブの後宮として理解されているハレムとは実はトルコ語の語彙であり 多くの宮女を抱えたオスマン帝国の宮廷のイメージが オリエンタリズム的な幻想に乗って伝えられたものであった 国内には ユネスコの世界遺産リストに登録された文化遺産が件 複合遺産が件存在する 政治的な理由でネット検閲が行われている 年には裁判所の命令がなくてもウェブサイトを遮断したり インターネットを通じて個人の閲覧記録を収集したりすることを首相に認める法律 インターネット法に関する改正法 が可決されている そのため など関連を含む約 の外部サイトへのアクセスは政府によってブロックされており 反政府運動の抑え込みや言論統制を理由にやなどソーシャル ネットワーキング サービス も度ブロックされている 年月日 政府は国内からのウィキペディアへの通信を遮断したと発表 はウィキペディアに政府がテロ組織と連携しているような記事が書かれていることを非難し トルコに対して中傷作戦を展開する情報源の一部になっている と主張している 当局はウィキペディアに対して削除を要請したが ウィキペディア側は拒否したという ウィキペディア側が要請に応じた場合 遮断解除を行うとしている 国民的なスポーツとしては まずサッカー トルコ語で 発音フトボル が挙げられる 国内には のプロクラブが参加するスュペル リグ を頂点に部リーグ 部リーグ さらにその下部の地域リーグが置かれ プロ アマ合わせれば膨大な数のクラブが存在する また サッカークラブの多くは総合スポーツクラブの一部であり バスケットボール バレーボールなど 他種目のスポーツチームを同じクラブが抱えることも多い 加盟国であるため スュペル リグ上位クラブはチャンピオンズリーグやヨーロッパリーグに参加可能である その中でもイスタンブールのフェネルバフチェ ガラタサライ ベシクタシュ とトラブゾンのトラブゾンスポル は大クラブと呼ばれ テレビ 新聞などでの報道量もほかに比べ抜群に多い これらのクラブは実力的にも上位にあるため 主催のリーグに参加することも多い 主催のリーグに参加するクラブは 半ばトルコ代表として扱われることもあり これらの強豪は地域にかかわらず全国的に人気がある また イスタンブールのフェネルバフチェ ガラタサライ ベシクタシュのクラブはイスタンブール証券取引所に上場する上場企業でもある シーズンのチャンピオンズリーグの決勝はイスタンブールのアタテュルク オリンピヤット スタドゥで行われ イスタンブールの奇跡が起こった サッカートルコ代表は ワールドカップで位に入るなど健闘した この大会では開催国の日本と韓国に勝利しており 同一大会でつの開催国に勝つという珍しい記録を達成した また優勝したブラジルには回敗北している ほかにプロスポーツとしてはバスケットボールとバレーボールのプロリーグが存在する 特にバスケットボールはでのトルコ人選手の活躍や年に世界選手権が開催されたこともあり 近年人気が上昇している また年から年まではトルコが開催されており のラリー オブ ターキーとあわせてモータースポーツにおける発展も期待される 競馬や競走馬の生産も行われており 日本産馬ではディヴァインライトがトルコで種牡馬として供用されている ロシア連邦 ロシアれんぽう 通称 ロシア は ユーラシア大陸北部に位置する連邦共和制国家 首都はモスクワ市 ロシアの歴史は 世紀から世紀までの間にヨーロッパで認識され始めた東スラヴ人の歴史に始まる 世紀 ヴァリャーグの戦士の精鋭およびその子孫により設立 統治され キエフ大公国の中世国家が誕生した 年 東ローマ帝国から正教会を導入し 次の千年紀のを特徴づける東ローマ帝国およびスラブ人の文化の統合が始まった キエフ大公国は最終的には多くの国に分裂し キエフ大公国の領土の大部分はモンゴルに制圧され 遊牧国家ジョチ ウルスの属国になった モスクワ大公国は次第に周辺のロシアの公国を再統合し ジョチ ウルスからの独立を獲得し キエフ大公国の文化的 政治的な遺産を支配するようになった 世紀までにモスクワ大公国は 王朝による征服 併合 シェレホフ提督によるを通じ 史上であるロシア帝国となり 版図がポーランドから北米のアラスカまで広がった 新たにロシア連邦を国名とし ロシアも同等の国名とされた 年憲法改正 国旗は革命前の白青赤の三色旗に戻り 国連における地位などは基本的に旧ソ連を引き継いでいる 政治体制は ソビエト時代の共産党一党独裁制が放棄されて政党選挙が行われるようになったが 年以降は事実上ウラジーミル プーチン大統領率いる与党統一ロシアの一党優位政党制になっている 複数政党制や選挙は一応存在するが 選挙から反体制派候補を排除するなどプーチン体制に有利な政治システムが構築されており 政治的意思を表明する機会に乏しい 法の独裁 による統治をめざす強権的体質が内外から批判されており エコノミスト誌傘下の研究所エコノミスト インテリジェンス ユニットによる民主主義指数は 世界位と後順位で 独裁政治体制 に分類されている 年度 また国境なき記者団による世界報道自由度ランキングも位と後順位である 年度 経済面は 年時点で ロシアの経済は名目で世界第位かつ購買力平価で世界第位であった 鉱物およびエネルギー資源は世界最大の埋蔵量であり およびのひとつである しかし資源依存の経済体質であるため 近年は原油安で経済が停滞している 加えて年にクリミア併合を強行したことにより欧米から経済制裁を受けて更なる打撃を受けている 外交軍事面ではロシアは核保有を認められた大国のひとつであり がある ロシアは列強および国際連合安全保障理事会常任理事国であり 独立国家共同体の指導国であるだけでなく 欧州評議会 アジア太平洋経済協力 上海協力機構 ユーラシア経済共同体 欧州安全保障協力機構 世界貿易機関加盟国である かつて加盟国でもあったが 年にクリミア併合を強行したことでの参加資格を停止された 地理としてはは 北西から南東へ ノルウェー フィンランド エストニア ラトビア ともにカリーニングラード州と隣接するリトアニアおよびポーランド ベラルーシ ウクライナ ジョージア アゼルバイジャン カザフスタン 中華人民共和国 モンゴル国 朝鮮民主主義人民共和国と接する としては 日本とはオホーツク海 宗谷海峡 根室海峡 珸瑤瑁水道 アメリカ合衆国アラスカ州とはベーリング海峡で接する ロシアの面積は 万 で世界最大であり 地球上の居住地域の分のを占める 年時点で ロシアの人口は億 万人で世界第位である 国土が北アジア全体および東ヨーロッパの大部分に広がることに伴い ロシアはの標準時を有し ロシア連邦 ラテン文字転写 など 発音 ラッスィーイスカヤ フィディラーツィヤ ロシア語では略号の も使われる 英語表記は ロシア連邦憲法第条第項でロシア連邦とロシア ラッスィーヤ は同じ意味としており ロシア語においてもロシア連邦の意味でロシアが使われることがある ロシアの国名は 現代のロシア北西部とウクライナ ベラルーシにあたるルーシという国家のギリシア語名から派生した 現代ギリシャ語では この名は ルーシの北東の辺境地に起こったモスクワ大公国がルーシ北東地域を統合し ルーシの遺産の争い をめぐってリトアニア大公国と対立していた世紀のイヴァン世 雷帝 のころに使われ始め 自称に留まったロシア ツァーリ国を経て 世紀初頭のピョートル世 大帝 がロシア皇帝 インペラートル と称したことにより対外的にも正式の国名となった ルーシのギリシャ語風名称としてのロシア 正確には ローシア という語はかつてのルーシの諸地域を指し ルーシ北西部を 大ロシア 現在の西ウクライナあるいは中 南部ウクライナを 小ロシア と呼んだ ベラルーシも 白ロシア という意味である しかし 小国の乱立したルーシ地域では早くからウクライナやベラルーシの人とロシアの人との間には異なった民族意識が醸成されていった 結果 これらの国はロシア帝国の崩壊後に別の国家を樹立し 再統合されたソ連邦下でも別の共和国とされ ソ連邦の解体に際しては別に独立することとなった 別の観点から言うと ロシアはキエフ ルーシ時代 その大公権に属するモスクワ公国という小さな一部分に過ぎなかったが ジョチ ウルスの時代に征服者モンゴルとうまく協調したこと 税金を進んでモンゴルに納めたことなど や 隣国を破って旧キエフ ルーシの東側領土の大半を影響下に収めたこと 帝政時代の極東への進出と拡張により大国となった その権力の正統性を説明するため モスクワは東ローマ帝国からローマの威信も受け継いだという学説も考案された こうしたことから モスクワ大公国は 偉大なルーシ の権力を継ぐ国家であると自称するようになり なおかつヨーロッパ国家の一員であるという考えから公式にギリシャ風の ロシア を国号として用いるようになった 前はよりロシア語名に近いロシヤと書かれることが少なくなかったが 年代ごろからギリシャ語風の つまりほかのヨーロッパ諸国の名称に合わせた ロシアという表記が完全に主流となった 現代日本語の漢字表記は露西亜で 略称は露 江戸時代にはオロシャ をろしやとも呼ばれた これは 中国語の 俄羅斯 およびモンゴル語の オロス に近い呼び名である 日本の江戸時代から戦前にかけては魯西亜 魯西亞 という表記が主流で 年に江戸幕府とロシア帝国の間の最初の条約は 日本国魯西亜国通好条約 という名称になった この漢字表記について年 明治年 にロシア領事館から 魯は魯鈍 愚かなこと 様子 を連想させる との抗議を受けた当時の日本政府は ロシア側の希望を受け入れ表記を露西亜 露西亞 とした 今日のロシア人はさまざまな民族の混血によって成立しているためその起源をひとつに絞ることはできないが 国家や文化 言語の変遷において ロシア民族 の祖となる人は 北東ルーシと呼ばれる地域に古くから居住していた その地に暮らした東スラヴ系の諸部族はフィン系の民族と隣接しており 言語や文化 習慣において大きな影響を受けた やがてその多くは同化し ほかの地域の東スラヴ人とは異なる文化を築いていった ロシア人には モンゴロイドに由来するフィン ウゴル系遺伝子 染色体ハプログループ系統 もある程度見られる 北東ルーシには ノルマン人ではないかと推測されている 民族系統不明の人 ヴァリャーグ が進出しており 交易や略奪 やがては入植を行った 年にはヴァリャーグの長リューリクが大ノヴゴロドの公となり 町は東ローマ帝国との貿易拠点として発展した 後代に書かれた原初年代記には リューリクの一族が東スラヴ人の居住地域に支配を広げていったと記録される 世紀後半にヴァリャーグはドニエプル地方に拠点を移した そのため それから世紀にかけてのルーシの中心は 現在はウクライナの首都となっているキエフであり 現在のロシアの中心である北東ルーシはむしろ辺境化し モスクワの街もまだ歴史には登場していなかった ヴァリャーグの支配者層を含めてスラヴ化したキエフ大公国は 世紀に東ローマ帝国から東西教会分裂以後に正教会となる東方のキリスト教とギリシャ文化を受容し 独特の文化を育んだが 世紀初頭にモンゴルによって征服され キプチャク ハン国の支配下に入った その混乱の中で それまでキエフにあった府主教座はウラジーミル ザレースキイへ移された 数多くいるルーシ諸公の人に過ぎなかったモスクワ公は モンゴル支配下でルーシ諸公がハンに納める貢納を取りまとめる役を請け負うことで次第に実力をつけ 世紀にキプチャク ハン国の支配を実質的に脱してルーシの統一を押し進めた 府主教座もモスクワへ遷座した 国家は独立性の高い大公国となった のち モスクワ大公はイヴァン世のときツァーリ 皇帝 の称号を名乗り その支配領域はロシア ツァーリ国と自称するようになった 世紀にイヴァン世 雷帝 が近代化と皇帝集権化 シベリア進出などの領土拡大を進めたが 彼の死後はその専制政治を嫌っていた大貴族の抗争で国内が大混乱 動乱時代 に陥った モスクワ大公国の主要貴族 ボヤーレ たちはツァーリの宮廷の権威を認めず 士族民主主義の確立していたポーランド リトアニア共和国を慕った この民主派のボヤーレたちはポーランド リトアニア共和国とモスクワ大公国との連邦構想さえ打ち立て ツァーリ専制を嫌っていた農民や商人をまとめ上げ さらには共和国軍をモスクワ領内に招き入れてツァーリ派と戦い 共和国軍とともにモスクワを占領した 一方 ツァーリ派の貴族や商人たちは政商ストロガノフ家の援助でニジニ ノヴゴロドにおいて義勇軍を組織した 義勇軍側は モスクワ政策を巡ってローマ カトリック主義のポーランド国王兼リトアニア大公が信教自由主義のポーランド リトアニア共和国議会と激しく対立していたことを絶好の機会とし 反ローマ カトリック闘争 の形で急速に数を増した そして年 ドミートリー ポジャールスキーとクジマ ミーニンの指揮の下 モスクワ市内のクレムリンに駐屯していた共和国軍の治安部隊を包囲攻撃 月日して撃破 モスクワを解放した この 民主派に対するツァーリ派 およびローマ カトリックに対するロシア正教会の勝利は 世紀現在でも国民の祝日となっている 月日 ここで中世ロシアは終わり ロマノフ朝の成立とともに近代ロシアが始まることになる アレクサンドル世の治世において年に勃発したナポレオン戦争に参戦し 年にはナポレオン ボナパルト指揮のフランス帝国軍に侵攻されたが 大損害を負いながらもこれを撃退し 戦後はポーランド立憲王国やフィンランド大公国を支配して 神聖同盟の一員としてウィーン体制を維持する欧州の大国となった 国内でのデカブリストの乱やポーランド反乱などの自由主義 分離主義運動は厳しく弾圧された ソビエト体制でのロシア連邦共和国はほかの連邦加盟共和国と同格とされたが 面積 人口ともほかの共和国を圧倒していたロシアでは 事実上連邦政府と一体となった統治が行われた ソ連共産党内に ロシア共産党 は連邦崩壊直前の年まで創設されず 第二次世界大戦後の国際連合でもウクライナや白ロシア 現在のベラルーシ と異なり単独での加盟が認められなかった 日本はサンフランシスコ講和条約で一部領土を放棄したものの 千島列島南部の北方領土の返還を要求 それ以外の千島列島および南樺太はロシア領土ではなく帰属未定地であると主張している ロシア 当時はソ連 はサンフランシスコ講和条約に調印していない なお 日本はユジノサハリンスクに在ユジノサハリンスク日本国総領事館を設置している 日本外務省によれば 当総領事館が位置しているユジノサハリンスク市 旧豊原市 をはじめとした南樺太は サンフランシスコ平和条約によりそのすべての権利 権原及び請求権を放棄したため 以降 ソビエト連邦及びこれを承継したロシアが継続的に現実の支配を及ぼしており これに対してロシア以外のいかなる国家の政府も領有権の主張を行っていないこと等を踏まえ 千島列島及び南樺太を含む地域を管轄地域とする在ユジノサハリンスク日本国総領事館を設置したものであるとしている 戦後 ソ連は強大なソ連軍の軍事力を背景に年の北大西洋条約機構 結成に対抗して年にワルシャワ条約機構 を結成し 東ドイツ ポーランド チェコスロバキア ハンガリー ルーマニア ブルガリアなどの東欧諸国を衛星国として東側諸国の盟主となり 自国と同様の人民民主主義体制を強要して世界の大超大国のひとつとしてアメリカ合衆国を盟主とする西側諸国と冷戦を繰り広げた しかし すでに年にはバルカン半島にてチトー主義下のユーゴスラビア社会主義連邦共和国がソ連から離反しており 年のフルシチョフ第一書記によるスターリン批判後は自由主義陣営との平和共存路線を進めたが このスターリン批判により衛星国であったハンガリー人民共和国でハンガリー動乱が発生し さらに自由主義国との妥協を批判する毛沢東が率いていた中華人民共和国や毛沢東思想に共鳴するアルバニア人民共和国の離反を招くなど 新スターリン主義によるソ連の指導性は揺らいだ 中ソ対立 年にブレジネフ書記長が主導権を握ったあと ベトナム戦争にてアメリカ合衆国と戦うホー チ ミン率いる北ベトナムを支援したが ブレジネフ在任中の年には衛星国であったチェコスロバキア社会主義共和国で プラハの春 が始まり 翌年にはかねてから対立していた中華人民共和国と珍宝島 ダマンスキー島を巡って中ソ国境紛争を戦うなど 共産圏におけるソ連の指導性はさらに揺らぎ 年代に入ると計画経済の破綻などから次第にソ連型社会主義の矛盾が露呈していった 年から年にかけてアフガニスタンを侵略した この際ソ連軍がアフガニスタンの大統領官邸を急襲し 最高指導者ハフィーズッラー アミーンと警護隊を殺害するというテロ行為 嵐号作戦 を行っている 年にソ連の指導者となったミハイル ゴルバチョフは冷戦を終結させる一方 ソ連を延命させるためペレストロイカとグラスノスチを掲げて改革に取り組んだものの かえって各地で民族主義が噴出し 共産党内の対立が激化した 党内抗争に敗れた改革派のボリス エリツィンはソ連体制内で機能が形骸化していたロシア ソビエト連邦社会主義共和国を自らの権力基盤として活用し 年に議長となると 同年月日にロシア共和国と改称して主権宣言を行い 翌年にはロシア共和国大統領に就任した 年月のクーデターではエリツィンが鎮圧に活躍し 連邦を構成していた共和国はそろって連邦を脱退していった 同年月日にはソ連大統領ミハイル ゴルバチョフが辞任し ソビエト連邦は崩壊した ロシア連邦は ソ連構成国の連合体である独立国家共同体 加盟国のひとつとなった ロシア連邦は ソビエト連邦が有していた国際的な権利 国連安保理の常任理事国など や国際法上の関係を基本的に継承し 大国としての影響力を保持している 国名は年月 ロシア連邦条約により 国名が現在のロシア連邦と最終確定した ロシア連邦への国名変更は ゴルバチョフ ソ連大統領辞任の当日である年月日 当時のロシア最高会議決議による エリツィン政権下では市場経済の導入が進められたが 急激な移行によってロシア経済は混乱し 長期的な低迷を招いた その一方で この時期には オリガルヒ と呼ばれる新興財閥が台頭し 政治的にも大きな影響力を持つようになった ソ連政府は国民にあまねく賃貸住宅を配分していたが それらを建設するだけで巨額の財政負担となっており 財政再建中のロシア連邦がリフォームすることなどかなわず 無償で住民が物件を取得できるようになり急激な私有化を進めた 私有化されていないものは地方自治体への譲渡が進み 人口減少社会となるなか 若者向けに低家賃で貸し出されている 政権初期にチェチェン共和国への軍事作戦を再開するとともに周辺各共和国への締めつけも図った チェチェン独立派を支持するサウジアラビアなどの親米湾岸諸国のスンニ派諸国との関係悪化を招いた これらの過程において報道管制を強化し 反政府的な報道機関やジャーナリストは強い圧力をかけられた 対外的には 上海協力機構を通じて中華人民共和国やイランとの関係を強化し また中央アジア各国とはエネルギー開発の面での協力を強めた ウクライナで親西欧政権ができると ガス供給停止措置をとることで圧力をかけ 間接的にドイツやフランスへの自国の影響力を誇示した また プーチン大統領就任当初はアメリカ同時多発テロ事件以降の対テロ戦争という目的から蜜月と言われた米国との関係も イラク戦争 イラン核疑惑といった諸問題を扱う中で悪化 また米国が主導する旧ソ連各地のカラー革命などロシアの裏庭地域への米国による露骨な政治介入 マケイン上院議員に代表される米国の反露ネオコン勢力が中心となって行った東欧のミサイル防衛構想 ソ連崩壊時には東方へ拡大しないとしたゴルバチョフ書記長とブッシュ米大統領の取り決めが破られ 実際にはの東方拡大が進んだなどの理由により 関係は冷却化した 一方で 首脳同士の懇談は頻繁であり かつての冷戦とは違った様相である プーチンが行った事業はいずれも西側諸国から強圧的であるとの批判が多いものの 結果的にはロシアの国際的地位を向上させた これにはプーチン政権発足後から続くエネルギー価格の急騰により 対外債務に苦しんでいたロシアが一転して巨額の外貨準備国となり 世界経済での影響力を急速に回復したことも寄与している 年には年の冬季オリンピックを南部のソチで開催するソチオリンピックの招致に成功した プーチン大統領による外交は 米国のオバマ大統領を差し置いて世界的な影響力を持ち クリミア半島併合以降はとりわけ国民の支持も手厚くなっている 一方 年以降に原油価格の暴落が続いたことで 天然資源に依存した脆弱な経済体制が浮き彫りとなり 深刻な経済的困窮を招いている 現在 一部の欧米諸国は ロシアへの経済制裁の解除および緩和をし始めているが アメリカを中心とする西側の欧米主要国はいまだにそういった様相を見せておらず 原油価格の上昇も当分は見込めないことから ロシアは経済的に長い停滞期間が続いている 西側諸国から孤立しつつある一方 上海協力機構を中心に非欧米諸国との結びつきを強めることで国際社会での存在感を見せつけている 国政では連邦制 共和制 半大統領制をとっている 国家元首である大統領 ロシア連邦大統領 がおり 三権である は分立している ロシア連邦大統領は国家元首で 国民の直接選挙で選ばれる ソビエト連邦 からの独立 独立国家共同体 への加盟構成以降 大統領の任期は年であったが 年の法改正によって年となった 国家元首である大統領は行政には含まれないが 行政に対して強大な指導力を発揮する 大統領は議会 ロシア連邦議会 上院に相当する連邦院および下院に相当する国家院 の信任を要する首相 ロシアの首相 を含む政府 ロシア連邦政府 の要職の指名権 任命権と 議会の同意なしに政令 大統領令 を発布する権限を保持し 軍隊 ロシア連邦軍 と国家安全保障会議 ロシア連邦安全保障会議 の長を兼ねる 第次ウラジーミル プーチン政権が発足してから プーチンなきロシア を叫ぶ市民のデモが開催されたり 反プーチンの運動が活発化している そのためこれらの運動の封じ込めの一環として 宗教信者の感情を害した者に禁錮刑と罰金を科す法案 未成年者への同性愛の宣伝行為に罰金を科すことを定めた法案 に年に 好ましからざる外国組織のロシアでの活動を禁じる法律 が年にそれぞれ成立し 政府の統制が強化されている 一方 ロシアは反体制派への統制を強化してはいるものの そもそも旧西側の欧米諸国が支援するロシアの反プーチンリベラル勢力は大多数のロシア国民の間では至って不人気となっており 与党の統一ロシアは高い支持率を保っている これは 初代大統領のボリス エリツィン政権時代の親欧米派オリガルヒ ロシアの新興財閥 によるロシアの富の私物化や市場経済化による国民生活の混乱に起因し 急激な貧富の格差拡大の受け入れを強いられているロシア国民の大半は安定を求めているからである ロシア連邦議会 は二院制で 各連邦構成主体の行政府と立法府の代表人ずつからなり 上院に相当する連邦院 連邦会議 定員名 と 下院に相当する国家院 国家会議 定員名 からなる 下院議員は任期年で 小選挙区制と比例代表制により半数ずつ選出される仕組みであったが 年月日完全比例代表制に移行する選挙制度改正が下院を通過した また パーセント条項がパーセント条項へと議席を獲得するためのハードルが上げられ ウラジーミル プーチン政権 シロヴィキおよび与党統一ロシアに有利な選挙戦が展開された また 大統領と同様に年に任期が年に延長された ロシアの司法には 最高位に がある その下に 地域裁判所がある 裁判は大陸法型である 行政府からの訴追は司法省が担当する 年に陪審制を連邦各地に順次導入することを決定 年までにすべての地域で導入された 以前から死刑の執行を停止していたが 年月日に 憲法裁判所は死刑の廃止を規定している欧州人権条約を批准するまでは死刑の執行を停止するという命令を出した この憲法裁判所の命令で ロシアの死刑制度は事実上廃止された 年月日 ロシア下院は 欧州人権条約第追加議定書を賛成多数で批准し 名目上も死刑が廃止された ロシアは欧州評議会の加盟国か国中 同議定書の最後の批准国となった ロシア連邦政府は年代まで続いたソビエト連邦の正式な後継政権で 国際連合では安全保障理事会の常任理事国か国のひとつでもあり その他国際組織でソ連の持ち分を引き継いでいる 国際関係は多面的であり 世界のか国と関係を持ち 大使館をか所置いている 国際関係の方針は大統領が決め 具体的には外務省が執行する かつての 超大国 を引き継いではいるが 現在の多極体制へ移行した世界の中でその立場は専門家の間でさまざまに議論されており 列強ではあるが 潜在的な超大国 扱いである ロシアは 中東カルテット のひとつで 北朝鮮問題では 六者会合 に参加している 欧州評議会 欧州安全保障協力機構 アジア太平洋経済協力 の一員である 年には 人権と基本的自由の保護のための条約 を批准している ロシア連邦の発足当初は米国とも北大西洋条約機構 とも友好的であったが 現在はさまざまな分野で対立が顕著である 上海協力機構やとの関係も深めており 中華人民共和国とは年に中露善隣友好協力条約を結び 東シベリア 太平洋石油パイプラインの支線も大慶油田へ引いている インドとは大幅な防衛 戦略上の関係 を結んでおり インドはロシア連邦兵器の最大の顧客である ロシアが欧米から批判されている問題に ロシアの人権問題 自由でないメディア 禁止問題などがある 両国の間では経済的な交流がいくつかあるが 過去のシベリア抑留や北方領土問題とそれに起因する漁民銃撃 拿捕事件 資源問題 サハリンを参照 なども生じており その関係はあまりよくない その上で ロシア人の日本に対する信頼は 米国や英国に対する信頼よりも高いという調査結果がある ロシア連邦軍にはロシア陸軍 海軍 空軍があり これとは別に戦略ミサイル部隊 航空宇宙防衛軍 空挺軍もある 年には約万人が軍に属しており これはである これに加えてソビエト時代の招集を考えると 約万人の予備役 在郷軍人 がおり その総数は約 万に上るともいわれている 才から才の国民男子は すべて年間の兵役義務がある ロシアは世界で最大の核兵器 を所有し 世界で番目のミサイル潜水艦 部隊を持ち 米国以外で唯一の戦略爆撃機隊がある ロシアの戦車部隊は世界最強で 海軍の海上部隊 空軍は世界でも最大級である ロシアでは軍需産業が盛んである 軍事関係の世界的な供給者としては 年には世界のパーセントを占め か国へ輸出しており 世界でも上位にあった ストックホルム国際平和研究所の調査では 年には世界第位の輸出国で 年に比してパーセントの増加を示した ロシアはか国および東部ウクライナの反乱部隊へ武器を供給した ロシア連邦は の連邦構成主体と呼ばれる地方行政体からなる連邦国家である 連邦構成主体としては の 州 の 地方 の 市 連邦市 の 共和国 の 自治州 の 自治管区 がある ただし このうちのクリミア共和国とセヴァストポリ連邦市はウクライナと帰属係争中である ウラジーミル プーチン政権は 連邦政府の地方への影響力拡大を図り の連邦構成主体とは別に 年月日に全土をつに分けた連邦管区を設置した 年現在はウクライナと係争中のクリミア連邦管区を含め つになっている 連邦管区には連邦大統領の代理人としての大統領全権代表が派遣され 連邦構成主体を監督している さらに 年月に地方自治体の首長を選挙制で選ぶ方式から 大統領が指名し地方議会が承認するという方式に転換した 事実上の官選化となるこの措置に対し 欧米諸国ではプーチン政権による強権支配が民主主義を脅かすという批判が生じた ロシアには人口万人を超える都市が 年時点 ある 最大の都市は首都モスクワ 万人 年 である 続くサンクトペテルブルク 万人 年 との都市が規模としては飛び抜けて大きく 独立したロシア連邦の構成主体 連邦市 としてほかの州や連邦内の共和国と同格となる ウラル山脈東山麓のエカテリンブルク チェリャビンスク シベリアのオムスク ノヴォシビルスクを除く都市はすべてウラル山脈よりも西側 すなわちヨーロッパ ロシアに位置する 一方 厳しい気候条件のために長らく人口希薄地域だった極東部や北極海沿岸地域でも世紀以降に鉄道 港湾整備や鉱業開発などに伴う都市建設が進み ハバロフスクやウラジオストクは万人を超える人口を持つ 世界最大の面積を持つロシアは ユーラシア大陸の北部にバルト海沿岸から太平洋まで東西に伸びる広大な国土を持つ その面積は日本の約倍 アメリカの約 倍にも達し 南米大陸全体の大きさに匹敵する 正確には南米大陸の方が約万 日本の本州の約倍程度 大きい 国土の北辺は北極圏に入り人口も希薄だが 南辺に近づくと地理的に多様となり人口も多くなる ヨーロッパ部 ヨーロッパ ロシア とアジア部 シベリア の大部分は広大な平原で 南部のステップから北は広大な針葉林の森であるタイガがその大部分を占めている さらに高緯度になると 樹木が生育しないツンドラ地帯となる 黒海とカスピ海の間の南の国境にはヨーロッパ最高峰 カフカス地方をヨーロッパに含めた場合 のエリブルース山を含むカフカース山脈があり ヨーロッパとアジアの境界にはウラル山脈がある 面積を見るとヨーロッパ部よりアジア部の方が広大であるが 国土の西端に当たるヨーロッパ部に人口や大都市 工業地帯 農業地帯が集中していること さらにスラブ文化のつながりから ロシアをヨーロッパに帰属させる分類が一般的である 国土を囲む海域には北極海の一部であるバレンツ海 白海 カラ海 ラプテフ海 東シベリア海と 太平洋の一部であるベーリング海 オホーツク海 日本海 そして西のバルト海と西南の黒海があり 海岸線は万 に及ぶ これらの海に浮かぶロシア領の主要な島には ゼムリャフランツァヨシファ ノヴァヤゼムリャ 米国を越える史上最大規模の核実験が行われた セヴェルナヤ ゼムリャ諸島 ノヴォシビルスク諸島 ウランゲル島 サハリン 樺太 そして日本との領土問題を抱えるクリル諸島 千島列島 がある 特に北極海に面した地域をはじめ 冬季は北極寒波の影響が強いため厳寒であり 氷点下を下回る日が長く続く ロシア領内の主要な川にはヨーロッパ部のドン川 大型で良質のチョウザメが多数生息するヴォルガ川 カマ川 オカ川 アジア部のオビ川 エニセイ川 レナ川 サケ類の漁獲で有名なアムール川などの大河があげられる これらの下流域は日本で大河とされる最上川 北上川や四万十川よりも川幅が広く いずれもセントローレンス川下流域に近い川幅がある また アジア部の大河はアムール川を除いて南から北へ流れ 北極海へ注ぐ ブリヤート共和国のバイカル湖は世界一古く水深の深い湖として有名な構造湖である このほか ソ連時代の水力ダム建設によって生まれた大規模な人造湖が存在する ロシアには基本的に大陸性気候が卓越する すなわち気温の年較差が大きい ケッペンの気候区分に従うと 亜寒帯 冷帯 に分類される地域が大半を占める 西部は大西洋の影響を受けるものの 東に進むにしたがって大陸性気候の特徴がはっきりしてくる 冬はシベリア付近で放射冷却のために気温が著しく下がり 優勢なシベリア高気圧が形成される 北半球でもっとも寒い地域で 寒極と呼ばれる たとえば オイミャコン ベルホヤンスク しかしながら夏季には最高気温が を超える 典型的な植生は北極海沿岸がツンドラ 南に下るにしたがって針葉樹林のタイガ 混交林 プレーリー ステップに移行していく 右図はロシアを中心とした地域にケッペンの気候区分を適用したものである 以下 気候区分にしたがって特徴と地域区分を示す ロシアはブラジル 中国 インドとともに と呼ばれる新興経済国群のひとつに挙げられているが この中でロシアは人あたりのがもっとも先進国に近い によると 年のロシアのは兆億ドルであり 世界第位である 一方 人あたりのは万 ドルで首都モスクワと地方の格差もあり ロシア全体では先進国より低い水準である 中村逸郎は の約パーセントを国民のパーセントである富裕層が持っているとしている ソビエト連邦解体後 ボリス エリツィン大統領の主導のもと市場経済化が進められたが このためにかえって急速なインフレーションを招き 年代半ばには経済的に落ち込んだ その後 成長に転じつつあったが年のアジア通貨危機の影響を受けて年に財政危機を招き 再び落ち込んだ 農産物の自給自足にも力を入れており ロシアは世界における 最大の小麦輸出国 ならびに 米の栽培の北限地 として知られている 米国農務省は 年度 年度 年月 年月 の同国の小麦輸出量の推定量を万トン引き上げ 記録的な 万トンとしている なお 年度 年度に米国 万トン とカナダ 万トン を抜いて世界の主要輸出国となっている 年 同国での米生産量は万 トン うちパーセントがクラスノダール地方での栽培 で生産量は記録的に高いものとなっている 加えて 米の栽培効率はヘクタールあたり キロで ヨーロッパにおいて米を生産する国で知られるスペイン イタリアに比較しても多いものとなっているうえ アジア諸国より多い 同国の米はウズベキスタン タジキスタン トルクメニスタン トルコにも輸出されている ロシアはもっとも鉱物資源が豊富な国のひとつである 産出量が世界シェア位以内となる資源だけで種類に及ぶ 以下の統計数値は 鉱業便覧 平成年版 経済産業調査会 による年時点のものである 有機鉱物資源では 天然ガス 千兆ジュール パーセント 位 原油 億トン パーセント 位 燃料に用いられる亜炭 万トン パーセント 位 石炭 億トン パーセント 位 の採掘量が多い 原油と天然ガスの産出量は位の国 サウジアラビア アメリカ合衆国 との差が小さく いずれもポイント未満の差にとどまる このため 統計年度によっては位となることもある これらの有機鉱物資源のうち 国内で消費される比率が高いのが石炭と亜炭 パーセント と天然ガス パーセント である 一方 原油の国内消費比率はパーセントと低く おもに輸出されている ロシアの原油輸出量は世界第位 億 万トン 年 である ロシアは世界有数の観光地国として知られている 同国は観光スポットと呼べる場所が他方に渡って存在しており 海外から多くの観光客が訪れている その中で最も代表的なものとして知られているのは 世界遺産に登録されているサンクトペテルブルク歴史地区と関連建造物群や赤の広場である ロシア経済に占める貿易の割合は急拡大している 年時点では 国民総生産 億ドルに対し 輸出が億ドル 輸入が億ドルであった 年には 国民総生産 億ドルに対し輸出は 億ドル 輸入億ドルに増加しており 輸出の伸びが著しい これは原油および 石油関連の生産 輸出拡大によるものである ロシアの貿易構造は年から年までの約年間で大きく変化してきた 年時点ではソ連を構成していた諸国に対する貿易が 輸出で割 輸入で割を占め経済ブロックを形成していた 品目では機械と原油 化学工業製品を輸出し 建設機械と軽工業品 食料を輸入していた ところが 年時点では輸出入とも相手国が分散する 原油 石油製品を輸出し 機械 自動車を輸入している つまり 機械工業の落ち込みと原油輸出の大幅な伸びが特徴と言える 日本との貿易は順調に拡大している 日本からの輸入額は億ドルから億ドルへ 輸出額は億ドルから億ドルに伸びている 品目は輸入を中心に変化した 日本への輸出の変化を見ると 年時点は魚介類 木材の品目で割弱を占め アルミニウム アルミニウム合金を含む 石炭 白金が続いた これが年になるとアルミニウム アルミニウム合金を含む 魚介類 石炭 木材 原油となった 輸入は 機械類 鉄鋼 電気機械 自動車 プラスチックであったものが 乗用車 建設機械 映像機器 通信機器 バスに変わった 品目が自動車に集中したことになる ロシアにとって軍需産業はソ連時代から重要な地位を占めており 今後も積極的に輸出拡大を続けるとしている 輸出額は年は億ドルを超え 年には億ドルを超えるとされ順調に推移している 民間転用も積極的に行っており 宇宙 航空 情報通信産業など多岐にわたる しかし 政治的な理由で輸出ができなくなるなど不安定な要素も含んでいる しかし ロシアを含め世界の軍事費は今後も増え続けるとされ 軍需産業は今後も拡大を続けるとされている ロシアにはの民族が存在している多民族国家である 年の統計によると約パーセントは東スラブ系民族となっており ロシア人 民族 が全人口の パーセントを占める 同じ東スラブ人のウクライナ人の割合も パーセントと全体の位となっており ベラルーシ人やポーランド人を含めたスラブ系全体では パーセントを占める チュルク系のタタール人はロシア人に次いで多い民族集団となっており全体の パーセントを占め バシキール人やチュヴァシ人 トゥヴァ人 アルタイ人 カザフ人 ウズベク人 アゼルバイジャン人 サハ人などのチュルク系民族はロシア全体の パーセントを占める コーカサス系でもっとも多いのがチェチェン人で全体では位のパーセントを占め イングーシ人 オセット人 アヴァール人 アルメニア人 グルジア人などを合わせるとコーカサス系民族はチュルク系に次いで多い パーセントを占めている ウラル系はマリ人 モルドヴィン人 カレリア人 ウドムルト人 ネネツ人などで構成され 全体の パーセントを占めている そのほか モンゴル系民族のカルムィク人 ブリヤート人 ツングース系民族のエヴェンキ人 エスキモー系のユピク人 さらに ユダヤ人やゲルマン系のドイツ人など多くの非スラヴ系民族がいるが 公用語であるロシア語が民族共和国を含め全域でほぼ完全に通用する ロシア語が公用語である ロシアの各共和国の公用語として以下の言語がある 法律上結婚可能な年齢は成人となる年齢と同じ歳である ただし尊重すべき理由があるときはそれ以下の年齢でも認められる場合がある 条 年月日改定を閲覧 結婚後の姓は夫婦どちらかの姓に合わせる 同姓 結婚前のまま 別姓 姓を結合する 二重姓 の通りあり 家族法典条 同姓の場合は妻が夫の姓に合わせることが多い なおロシア連邦民法典条により個人の姓 名前 父称の変更は一定の手続きにより可能である 婚姻登録の申請は特別な事情がある場合を除き 結婚するか月前までに行う 家族法典条 宗教やほかの形式での結婚式が行われることもあるが 家族関係や出生 死亡を扱う市民登記機関であるザックス ザークスなどとも表記 にある結婚式場で婚姻の署名などを式典形式で行う結婚式がよく行われる これはソビエト連邦時代からのものである ロシア人を含めた多くの民族が正教会の信徒であるが カトリック プロテスタントやイスラム教 ユダヤ教 仏教などの信徒も少なくない ロシア憲法においては 全市民へ無料のユニバーサルヘルスケアが保障されている しかし無料で医療が受けられる範囲は 法定の範囲に限定されている ロシアの人口人あたりの医師数 病院数 医療従事者数は世界の中でもっとも多く 一時はソ連崩壊によって社会 経済 生活様式の変化を受けて悪化したが しかし年代半ばからは回復しており 平均余命は年と比べて男性で 年 女性で 年ほど長くなった 年金の支給は男性が歳から 女性が歳となっているが年に引き上げが決定し 年までに引き上げが行われる 現状 この節は日本語版記事があるものが列挙されているだけであり 主要なものを紹介しているとはいえない状態である ロシアにおける言論の自由についての批判はを参照 新聞 出版社 公的機関も含め やの利用も盛んである ロシア国内には ユネスコの世界遺産リストに登録された文化遺産が件 自然遺産が件存在する 年の第回世界遺産委員会終了時点 そこには モンゴルと共有する自然遺産が件 リトアニアとだけ共有する文化遺産が件 ウクライナ エストニア スウェーデン ノルウェー フィンランド ベラルーシ モルドバ ラトビア リトアニアと共有する文化遺産件が含まれる クリスマスが月日なのは キリスト教の宗教行事はロシア正教が公認しているユリウス暦に基づいて行われていることによる 正教会ではほかにエルサレム総主教庁 グルジア正教会 セルビア正教会 アトス山などがユリウス暦を採用している 現在の暦であるグレゴリオ暦は 歴史的にはカトリック側が作った暦であるためである すなわちグレゴリオ暦 新暦 月日がユリウス暦の月日に相当する 年月日まではグレゴリオ暦とユリウス暦のずれは日である 旧正月 も同様の理由から月日に祝う ソ連時代は年にロシア革命でソヴィエト政権が成立した月日が革命記念日として最大の祝日になっていたが プーチン政権は年にこれを廃止し 帝政時代に モスクワ解放記念日 となっていた月日を 国民団結の日 として復活させた ソ連時代からオリンピックで毎回優れた成績を残しており メダル獲得数では上位にランクされることが多い ロシアは年のモスクワオリンピックをはじめ 国際スポーツ競技大会の開催も数多い 年には黒海沿岸のソチで冬季オリンピック ソチオリンピック を 年にはワールドカップ ワールドカップ を開催している 国内リーグにはロシアサッカー プレミアリーグ アイスホッケーのコンチネンタルホッケーリーグ などがある また ソ連崩壊の前後から多くのロシア人指導者が国外に移住し 陸上競技 フェンシング 体操競技 新体操 アーティスティックスイミング フィギュアスケートなどの種目で世界各国の選手を指導している ロシア 旧ソ連発祥のスポーツとしては 日本の柔道と西洋のレスリングなどをベースに編み出されたサンボが挙げられる 他方で ドーピング問題で国家的な関与があったとして国際的な非難がされている 年平昌冬季オリンピックでは国家としての参加が認められず ロシアの選手は オリンピック アスリート フロム ロシア という呼称で個人での参加となった このオリンピックでは 公式記録上はとしての記録である また 優勝しても国旗の掲揚 国歌の演奏はされず 代わりにオリンピック旗が掲揚され オリンピック賛歌が演奏された この平昌大会から正式競技となったカーリング混合ダブルスで 当初は銅メダルを獲得したロシアのペアのドーピングが発覚しメダルを返還するなど アンチドーピング対策が大きな課題となっている また ワールドカップがモスクワを中心に行われた 哲学 てつがく フィロソフィー とは 原義的には 愛知 を意味する学問分野 または活動である 現代英語のフィロソフィー は 哲学 哲学専攻コース 人生 処世 哲学 人生 世界 観 などを意味し 愛知 などの意味は無い 哲学に従事する人物は哲学者 フィロソファー と呼ばれる 現代では以下のように 文脈によって様な意味をもつ多義語である 哲学 は英語で フィロソフィー といい 語源は古典ギリシア語の フィロソフィア に由来する 直訳すれば 知を愛する 愛知の学 という意味である 哲学 という日本語は 明治時代の学者西周がフィロソフィーに対してあてた訳語である したがって フィロソフィー というのは単に 愛知の学 という意味であり それだけではまだ何を研究する学問であるかは示されていない この語では内容が規定されていないのである 哲学以外の大抵の学問は 分野名を聞いただけでおおよその内容が察せる 例えば 経済学 なら経済 生物学 なら生物などのように ところが 哲学の場合は名前を聞いただけでは何を研究する学問なのか分からない これは哲学という学問の対象が決して一定していないことを示しており 哲学はまさにその字義のとおり 知を愛する学 とでもいうほかに仕方ないような特徴を備えている このように対象によってこの学を規定することができないと 対象を扱うに共通点があり それによって規定できるのはないか との期待が生まれることがあるが そのような期待も裏切られ 哲学に一定の方法が存在しうるわけではない 日本語辞典の広辞苑では 次のように説明している 観念論的な形而上学に対して 唯物論的な形而上学もある 諸科学が分化独立した現在では 哲学は学問とされることが多いが 科学とされる場合もある 科学と学問以外に 哲学の分野の包括的な用語としては 学 があり 広辞苑は次のように説明している 近現代哲学において代表的な哲学者の言説を以下に記述する 啓蒙思想時代の哲学者であり またドイツ観念論哲学の祖でもあり そして近現代哲学に大きな影響力を持ち続けている哲学者 イマヌエル カントは 哲学について次のように説明している 現代思想において 特に分析哲学に多大な影響を及ぼした哲学者 ルートヴィヒ ウィトゲンシュタインは 哲学について次のように説明している 現代思想において 特に大陸哲学に多大な影響を及ぼした哲学者 マルティン ハイデッガーは 哲学について次のように説明している 古典ギリシア語の フィロソフィア ピロソピアー フィロソフィア という語は 愛 を意味する名詞 フィロス の動詞形 フィレイン と 知 を意味する ソフィア が結び合わさったものであり その合成語である フィロソフィア は 知を愛する 智を愛する という意味が込められている この語はヘラクレイトスやヘロドトスによって形容詞や動詞の形でいくらか使われていたが 名称として確立したのはソクラテスまたはその弟子プラトンが 自らを同時代のソフィストと区別するために用いてからとされている 古典ギリシア語の フィロソフィア は 古代ローマのラテン語にも受け継がれ 中世以降のヨーロッパにも伝わった 世紀の神学者ジャン ルクレール によれば 古代ギリシアのフィロソフィアは理論や方法ではなくむしろ知恵 理性に従う生き方を指して使われ 中世ヨーロッパの修道院でもこの用法が存続したとされる 一方 中世初期のセビリャのイシドールスはその百科事典的な著作 語源誌 において 哲学とは よく生きようとする努力と結合した人間的 神的事柄に関する認識である と述べている 英語をはじめとした多くの言語で をそのまま翻字した語が採用されている 例えば などである 日本で現在用いられている 哲学 という訳語は 詳細な経緯は諸説あるが 大抵の場合 明治初期の知識人西周によって作られた造語 和製漢語 であると説明される 少なくとも 西周の 百一新論 年 明治年 に 哲学 という語が見出される そこに至る経緯としては 北宋の儒学者周敦頤の著書 通書 に 士希賢 士は賢をこいねがう という一節があり この一節は儒学の概説書 近思録 にも収録されていて有名だった この一節をもとに 中国の西学 日本の洋学にあたる が 賢 を 哲 に改めて 希哲学 という語を作り それをフィロソフィアの訳語として転用した それを西周が借用して さらにここから 希 を省略して 哲学 を作ったとされる 西周は明治政府における有力者でもあったため 哲学 という訳語は文部省に採用され 年 明治年 には東京大学の学科名にも用いられ 以降一般に浸透した なお 西周は 哲学 以外にも様な哲学用語の訳語を考案している 漢語の本場である中国では 西周が作った 哲学 という訳語が いわば逆輸入されて現在も使われている 経緯としては 清末民初 年代前後 の 主に変法運動期の知識人たちが 同じ漢字文化圏に属する日本の訳語 和製漢語を受容したことに由来する 哲 という漢字の意味 および同義字 は 賢人 知者 賢 事理に明らか 明 さとし 敏 などがある 字源としては 会意文字で 口 折 音符 から 折 は一刀両断すること 哲学 という訳語が採用される以前 日本や中国では様な訳案が出されてきた とりわけ 儒学用語の 理 あるいは 格物窮理 にちなんで 理学 と訳されることが多かった 日本の場合 幕末から明治初期にかけて 洋学 西洋流の学問一般 とりわけ物理学 つまり後述の自然哲学 が 窮理学 と呼称されていた 例えば福沢諭吉の 窮理図解 は物理学的内容である のちに文明開化が進んで西洋の諸学が正式に輸入されると 様な訳案が出されたが なかでも中江兆民はフィロソフィアを 理学 と訳した 具体的には 兆民の訳書 理学沿革史 フイエ の訳 や 著書の 理学鉤玄 哲学概論 をはじめとして 主著の 三酔人経綸問答 でも 理学 が用いられている ただし いずれも文部省が 哲学 を採用した後のことだった なお 兆民は晩年の著書 一年有半 で わが日本古より今に至る迄哲学無し 総ての病根此に在り と述べたことでも知られる 上述の中国の変法運動期の知識人の間でも 哲学 ではなく 理学 と訳したほうが適切ではないか という見解が出されることもあった 理学 が最終的に採用されず 哲学 に敗れてしまった理由については諸説ある 上述のように 理 は既に物理学に使われていたため あるいは 理学 という言葉が儒学の一派 朱子学 宋明理学 の同義語でもあり混同されるため あるいはフィロソフィアは儒学のような東洋思想とは別物だとも考えられたため などとされる この件に関して 明治哲学界の中心人物の一人 三宅雪嶺は 晩年に回顧して曰く もしも旧幕時代に明清の学問 宋明理学と考証学 がもっと入り込んでいたならば 哲学ではなく理学と訳すことになっていただろう 中国哲学 インド哲学という分野を作るくらいなら理学で良かった 理学ではなく哲学を採用したのは日本の漢学者の未熟さに由来する 漢学は盛んだったがそれでもまだ力不足だった という旨を述べている 紀元前の古代ギリシアから現代に至るまでの西洋の哲学を眺めてみるだけでも そこには一定の対象というものは存在しない 他の地域 時代の哲学まで眺めるとなおさらである 西洋の哲学を眺めるだけでも それぞれの時代の哲学は それぞれ異なった対象を選択し 研究していた ソクラテス以前の初期ギリシア哲学では 対象は 現在の意味とは異なっている自然ではあるが 自然 であった 紀元前世紀頃のソクラテスは の自覚を強調した その弟子のプラトンや孫弟子のアリストテレスになると 人間的な事象と自然を対象とし 壮大な体系を樹立した ヘレニズム ローマ時代の哲学では ストア派やエピクロス学派など 自己の安心立命を求める方法 という身近で実践的な問題が中心となった ヘレニズム哲学は哲学の範囲を倫理学に限定しようとしたとしばしば誤解されるが ストア派やエピクロス派でも自然学や論理学 認識論といった様な分野が研究された 平俗な言葉で倫理的主題を扱った印象の強い後期ストア派でも セネカが 自然研究 を著している ヨーロッパ中世では 哲学の対象は自然でも人間でもなく 神 であったと謂われることが多い しかし カッシオドルスのように専ら医学 自然学を哲学とみなした例もあるし ヒッポのアウグスティヌスからオッカムのウィリアムに至る中世哲学者の多くは言語を対象とした哲学的考察に熱心に取り組んだ また 中世の中頃以降は大学のカリキュラムとの関係で 哲学 が自由七科を指す言葉となり 神学はこの意味での 哲学 を基盤として学ばれるものであった さらに時代が下り近代になると 人間が中心的になり 自己に自信を持った時代であったので 人間による認識 人間は何をどの範囲において認識できるのか ということの探求が最重要視された 人間は理性的認識により真理を把握しうる とする合理論者と 人間は経験を超えた事柄については認識できない とする経験論者が対立した カントはこれら合理論と経験論を総合統一しようとした このように哲学には決して一定の対象というものは存在しなく 対象によって規定できる学問ではなく 冒頭で述べたように ただ 愛知の学 とでも呼ぶしかないとされている 学問としての哲学で扱われる主題には 真理 本質 同一性 普遍性 数学的命題 論理 言語 知識 観念 行為 経験 世界 空間 時間 歴史 現象 人間一般 理性 存在 自由 因果性 世界の起源のような根源的な原因 正義 善 美 意識 精神 自我 他我 神 霊魂 色彩などがある 一般に 哲学の主題は抽象度が高い概念であることが多い これらの主題について論じられる事柄としては 定義 性質 複数の立場 見解の間の整理などがある これをひとくくりに 存在論 とよぶことがある 地球や人間 物質などが ある ということについて考える分野である また 高貴な生き方とは存在するのか また あるとしたらそれはどのようなものなのか 善とは永遠と関連があるものなのか といった問いの答えを模索する営みとして 旧来の神学や科学的な知識 実験では論理的な解答を得られない問題を扱うものであるとも言える またこのようなテーマは法哲学の現場に即しておらず 真偽が検証不可能であり 実証主義の観点からナンセンスな問いであると考える立場もある 例えば論理実証主義 こちらは ひとくくりに 価値論 とよぶことがある よい ということはどういうことなのか 何がよりよいのかを考える分野である このような意味での哲学はより具体的にはとりわけ古代ギリシアのギリシア哲学 中世のスコラ哲学 ヨーロッパの諸哲学 イギリス経験論 ドイツ観念論など などをひとつの流れとみてそこに含まれる主題 著作 哲学者などを特に研究の対象とする学問とされることも多い 哲学一般から区別する場合にはこれを特に西洋哲学と呼ぶことがある また 諸学問の扱う主題について特にこうした思考を用いて研究する分野は哲学の名を付して呼ぶことが多い 例えば 歴史についてその定義や性質を論じるものは 歴史哲学 と呼ばれ 言語の定義や性質について論じるものは 言語哲学 と呼ばれる これらは哲学の一分野であると同時にそれら諸学の一部門でもあると考えられることが多い 哲学ではしばしば多くの 学派 が語られる これは 通常 特定の哲学者の集団 師弟関係であったり 交流があったりする場合も少なくない に特徴的な哲学上の立場である 古代ギリシア哲学 自然哲学 形而上学 実念論 唯名論 大陸合理主義 イギリス経験論 ドイツ観念論 超越論的哲学 思弁哲学 生の哲学 現象学 実存主義 解釈学 新カント派 論理実証主義 構造主義 プラグマティズム 大陸哲学 特定の学者や学者群に限定されない 立場 についても 多くの概念が存在している 言及される主要なものに 存在論 実在論 観念論 決定論 宿命論 機械論 相対主義 二元論 一元論 独我論 懐疑主義などがある 哲学は様な形で細分化される 以下に挙げるのはそのなかでも特に広く用いられている分類 専門分野の名称である 地域による区分 主題による区分 分野 貫成人が次の三つの種類に哲学を分類している 即ち 絶対的存在の想定 型 主観と客観の対峙 型 全体的なシステムの想定 型の三つである 第一のタイプは自然 イデア 神といったすべての存在を説明する絶対的原理の存在を前提するものであり 古代や中世の哲学が含まれる 第二のタイプは認識の主体に焦点を当てて主観と客観の対立図式に関する考察を行うもので 近世や近代の哲学は主にこのタイプとされる 第三のタイプは人間を含む全ての存在を生成するシステムをについて考えるもので クロード レヴィ ストロースの構造やルートヴィヒ ウィトゲンシュタインの言語ゲームがこれに該当する 第一のタイプの絶対的存在が自身は常に同一にとどまりつつ他の物体に影響を与えるのに対し 第三のタイプの全体的なシステムは可変的であるという 古代ギリシャ哲学はイスラム世界に受け継がれ イスラム世界において アッバース朝のカリフ マームーン 年 年 は国家的事業として ギリシャ語文献を翻訳させた 翻訳センター 研究所 天文台である 知恵の館 が設けられた 翻訳の大半は ヤコブ派 ネストリオス派などの東方キリスト教徒が シリア語を介して行った ギリシャ哲学のアラビア語への翻訳で中心を占めたのは アリストテレスとその注釈者の著作であった ネオプラトニズムについては プロティノスやプロクロスの原典からの直接の翻訳が行われず ネオプラトニズムの著作がアリストテレスの著作だとして伝わることになった キンディーはイスラーム最初の哲学者と言われる イブン ザカリーヤー ラージーは アリストテレスの哲学ではなく 原子論やプラトン主義の影響を受けた珍しい哲学を展開した ファーラービーは 神からの知性 ヌース が段階的に流出 放射 すること そして第の知性が月下界を司っている能動知性で そこから人間の知性が流出している という理論を打ち立てた 政治哲学の分野でも アリストテレスを採用せず ネオプラトニスムでは忘れられていた プラトン的政治論を採用した イブン シーナー アヴィセンナ はイスラーム哲学を完成させたと言われている イスラームのイベリア半島 スペイン においては イブン ルシュドが アリストテレス研究を究め アリストテレスのほぼ全著作についての注釈書を著した そしてイブン シーナーのネオプラトニスムを廃し 純粋なアリストテレス主義に回帰しようとした ヨーロッパ哲学の大きな特徴として ロゴス 言葉 理性 の運動を極限まで押し進めるという徹底性 があり 古代 近代 現代といった節目を設けて根底的な相違を見出すようなことが比較的容易であると言える 古代 近代 現代といった枠組みの中でも大きく研究姿勢が異なる学者 学派が存在する場合も珍しくない 上述のようにフィロソフィア フィロソフィ 古希 という語そのものは西洋で生まれ 時代が下ってから東洋に伝わったものであるが タイトルに東洋哲学と冠した書籍 白取春彦監修 図解 西洋哲学 と 東洋哲学 図で考えると面白い人生のヒント 青春出版社 年月日 井筒俊彦 東洋哲学覚書 意識の形而上学 大乗起信論 の哲学 中公文庫 年月 井筒俊彦 東洋哲学 井筒俊彦著作集 中央公論社 年月 井筒俊彦 コスモスとアンチコスモス 東洋哲学のために 岩波文庫 年月日 井筒俊彦 意味の深みへ 東洋哲学の水位 岩波文庫 年月 小林三剛 東洋哲学講座 第巻 緑書房 年月 纐纈暢彦 老子 荘子の奥義 西洋哲学と東洋哲学の統一 文芸社 年月 アダムズ ベック 東洋哲学夜話 陶山務訳 第一書房 年 アダムズ ベック 東洋哲学物語 中国篇 永野芳夫訳 村山書店 年 オリヴァー リーマン 東洋哲学キーワード事典 青土社 年月 小川 真里子 ステント共著 と悟り 科学の形而上学と東洋哲学 朝日出版社 年月 御厨良一 東洋哲学が好きになる本 エール出版社 年月 佐木良一 明治三十年代 東洋哲学 収載短歌集覧 本文と索引 年月 宮島真一 東洋哲学史綱要 文進堂 年 宮瀬睦夫 東洋哲学の根本思想 目黒書店 年 秋沢修二 東洋哲学史 白揚社 年月 書名に 中国哲学 が含まれる書籍 哲学研究編輯部 編 中国哲学史問題討論専輯 科学出版社 年 徐水生 近代日本の知識人と中国哲学 日本の近代化における中国哲学の影響 阿川 修三 佐藤 一樹 共訳 東方書店 年月 書名に インド哲学 が含まれる書籍 立川武蔵 はじめてのインド哲学 講談社現代新書 年月日 村山泰弘 天の摂理 地の祈り インド哲学で読み解く 原発の過ち 再生への道 東洋出版 年月日 書名に 日本哲学 もしくは 日本の哲学 を含む書籍 田中健一 聖徳太子 日本哲学事始め 都市出版 年月 日本哲学史フォーラム編 日本の哲学 第号 特集 構想力 想像力 昭和堂 年月 日本哲学史フォーラム編 日本の哲学 第号 特集 生命 昭和堂 年月 嶺秀樹 ハイデッガーと日本の哲学 和辻哲郎 九鬼周造 田辺元 世紀ライブラリー ミネルヴァ書房 年月 遠山敦 丸山眞男 理念への信 再発見日本の哲学 講談社 年月日 麻生義輝 近世日本哲学史 幕末から明治維新の啓蒙思想 書肆心水 年月 田中晃 日本哲学序説 閑山房 年月復刻新版 三枝博音 清水幾太郎 編 日本哲学思想全書 第巻 道徳 儒教篇 道徳論一般篇 平凡社 年 東洋の哲学者や学派個の名称に哲学とつけて 哲学 と称する例 テンジン ギャツォ ダライ ラマの仏教哲学講義 苦しみから菩提へ 福田洋一訳 大東出版社 年月 仏教哲学大辞典編纂委員会編 仏教哲学大辞典 創価学会 年月 哲学研究編輯部 荘子哲学討論集 新華書店北京発行所 年 菊地章太 老子神化 道教の哲学 シリーズ道教の世界 春秋社 年月 鈴木利定 儒教哲学の研究 明治書院 年月修訂版 井上哲次郎 日本朱子学派之哲学 冨山房 年 大浜晧 朱子の哲学 東京大学出版会 年月 市川安司 朱子哲学論考 汲古書院 年月 竹村牧男 禅の哲学 自己の真実を尋ねる 沖積舎 年月 大浜 晧 老子の哲学 勁草書房 年月新装版 ウェイン ダイアー 老子が教える実践道の哲学 研究所 年月日 小島祐馬 宇野哲人 共著 中国の古代哲学 孟子 老子 荘子 韓非子 講談社学術文庫 年月 が存在する また 東洋哲学研究所 といった団体が存在するほか いくつもの大学で東洋哲学を研究する過程が設置されている 以上のように 東洋の思想を哲学と呼称する例はしばしばみられる 哲学の中でもインドを中心に発達した哲学で 特に古代インドを起源にするものをいう インドでは宗教と哲学の境目がほとんどなく インド哲学の元になる書物は宗教聖典でもある インドの宗教にも哲学的でない範囲も広くあるので インドの宗教が全てインド哲学であるわけではない 中国では 春秋戦国時代に諸子百家が現れた 中でも老子や荘子の道家 孔子や孟子 荀子らの儒家がよく取り上げられる 時代が下ると 南宋では形而上学的思索を含む朱子学が生まれ 明代には朱子学を批判して陽明学が登場した 東洋にも哲学はありインドと中国は大きな影響を持っている 日本哲学は伝統的には中国の影響を受けて来たが 現代ではヨーロッパの影響も無視出来ないものがある これと同時に 日本におけるヨーロッパ哲学の研究は 全く異なる生活現場でヨーロッパ同様にヨーロッパ哲学を扱うことは奇妙であり 伝統を汲まない 必然性を欠いたものであるといった指摘もある 日本のヨーロッパ哲学の研究者が 徹底的な議論をすることなく むしろ議論の場を作らせず ヨーロッパの哲学とはほど遠い 哲学とはほど遠い現状がある 西田幾多郎 は フッサール現象学などの西洋哲学および仏教などの東洋哲学の理解の上に 善の研究 を発表 知情意が合一で主客未分である純粋経験の概念を提起した またその後 場所の論理あるいは無の論理の立場を採用した 彼の哲学は 西田哲学 と呼ばれるようになった 井筒俊彦 は イスラーム思想を研究し では イスラームと老荘の神秘思想を分析し それらがともに持つ一元的世界観を指摘し 世界的にも高い評価を得た そして晩年には 意識と本質 などを著し 東アジア インド イスラーム ユダヤの神秘主義を元に ひとつの東洋哲学として構造化することを試みた 哲学と宗教は共に神の存在に関連している分野である そのため厳密な区分は難しい 宗教と神学と哲学の境界は必ずしもはっきりしない ただ 合理的な追求を試みる態度によって異なっている とする人もいる 西洋哲学の萌芽ともいえるソクラテス以前の哲学の中には それまでの迷信を排したものがある 例えばホメロスの詩は それまでの民衆の狂信的要素を極力退けているものになっていると言われる この点古代ギリシア人及びその哲学には二つの傾向が見られた 一つは合理的で冷静 もう一つは迷信的で熱狂的であるというものであり 彼らはその合理性によって多くの迷信を克服したが 恐怖や苦難に見舞われた際に以前の迷信が再び頭をもたげた オルフェウスは 清めの儀式 や天上 地獄の教義について述べていて 後のプラトンやキリスト教に影響を与えた 日本の仏教でも 例えば極楽浄土と地獄に関する教え等を説いている プラトンは永遠で恒久なる存在について考えたが 彼の場合は少なからず認識といった知的なアプローチを説いた 後世においてライプニッツは 時間の絶対性の観点からして時間の始源より以前に時間を遡ることが論理的に不可能であるとし その始源に神の座を据えたと言われる 現代では宇宙のビッグバン説や 時間の相対性といった発想が反論として挙げられるだろう 宗教や神の存在に関する知的な理解を求めた人は しばしば哲学的な追究をし 逆に信仰生活 実践 に重点を置いた人は 哲学的に手のこんだ解釈やへ理屈めいた議論を敬遠したといえるだろう 同じ宗教にたずさわりながら 知的に優れ業績を残した人もいれば 実践を重んじ困っている人を助けることを日実行する人もいれば 迷信的なものにとらわれた人もいた 信仰心のあつい人は しばしば 哲学をする人の中に 詭弁で他人を議論の袋小路に追い込む酷薄な人を見てとり 哲学者を不信の目で眺めた ただし 知的なだけでなく 人格的にも傑出した哲学者に限れば 人の尊敬を広く集めた また哲学と宗教との差異として なにがしか 疑ってみる 態度の有無が挙げられることがある 宗教ごとに性質はことなるのでひとくくりに語ることは難しいが 例えばアブラハムの宗教など には信仰の遵守を求めるドグマ性がある 時として疑問抜きの盲信を要求しがちな面があるとして 比較されることはある 一方 古代から 否定的確証にも肯定的確証にも欠けるとして科学 宗教いずれの見解も留保する不可知論的立場もあり これは現代でも支持者がいる 中世哲学研究者の八木雄二は 神について学問的分析をすることを 神学 と呼び 自然的な事柄全般についての学問的分析を 哲学 と呼 ぶのが一般的風潮であると提言したうえで それを翻して 哲学とは理性が吟味を全体的に行うことと理解すれば キリスト教信仰を前提にしたあらゆる理性的吟味は キリスト教哲学ということもできるし神学と呼ぶこともできる と自説を主張している つまり 哲学を理性的な吟味を行うことと定義し その定義より神学は哲学に含まれると述べているのである は著書 宗教から哲学へ ヨーロッパ的思惟の起源の研究 で 哲学は 神話 宗教を母体とし これを理性化することによって生まれてきた といった哲学史観を示している これは今日一般的な哲学観であり 中世哲学史家のエティエンヌ ジルソン 科学哲学者のカール ポパーもこれと同じ哲学観を持っている 哲学と思想 文学や宗教の関係について 相愛大学人文学部教授の釈徹宗は 哲学や思想や文学と 宗教や霊性論との線引きも不明瞭になってきています と述べている 哲学者 倫理学者である内田樹は 本物の哲学者はみんな死者と幽霊と異界の話をしている と述べている 哲学 と 思想 を峻別するという哲学上の立場がある 永井均は 哲学は学問として よい思考 をもたらす方法を考えるのに対し 思想はさまざまな物事が かくあれかし とする主張である とする ソクラテス以来の西欧哲学の流れによれば 知を愛するという議論は 知を構築する方法を論じるという契機を含んでおり 思考をより望ましいものにするための方法の追及こそが哲学である という主張である ところが実際には よい思考の方法 を見出したとしても 現実に適用するにあたっては それを用いるべき と主張の形で表出することになるため 哲学は思想としてしか表現されないことになる このために思想と哲学の混用は避けられない 哲学と思想を区分することのメリットは具体的な使用事例で発見することができ たとえば思想史と哲学史は明らかに異なる 通常は思想家とされない人物でも その行動や事業を通して社会に影響を与えた場合には思想史の対象となる これに対して哲学史の対象は哲学者の範囲にとどまり 哲学を最大限に解釈したとしても 政治家や経営者が哲学史で論じられることはない しかし思想史においては 実務を担当し世界の構造を変えようとした人は思想史の対象として研究対象になる とする 一方で小坂修平は別の立場をとり 哲学と思想の間に明確な区別はない 思想は 一般にある程度まとまった世界なり人間の生についての考え方を指すのにたいし 哲学はそのなかでも共通の伝統や術語をもったより厳密な思考といった程度の違い であるとする 小阪はこの区別に基づき 世紀後半から世紀前半にかけて生まれてきた思想は分析哲学や現象学を除けば哲学の枠組みには収まらず 現代思想になるとする 一部の哲学は 理知的な学問以外の領域とも深く関わっている点に特徴がある 古代ギリシア哲学が詩と分かちがたく結びついていたこと スコラ哲学や仏教哲学のように 信仰 世界観 生活の具体的な指針と結びついて離れない例があることなどが指摘できる 理性によって物事を問いながらも 言葉を用いつつ 人の心に響く考えやアイディアを探すという点では文学などの言語芸術や一部の宗教と通じる部分が多い 哲学者の名言が多いのはそのためでもある 例えば日本では大学の主に文学部の中の 哲学科 で哲学を学ぶが欧米には 哲学部 という学部が存在する 八木雄二は 前節で述べたように哲学を理性的な吟味を行うことと定義した上で 人文科学は 哲学によってその事実内容が真であるかどうかの批判的吟味を受けることによって学問性を明らかにする と述べている 自然科学は数学的方法を適用することで 数学的方法を適用できない人文科学は哲学によって それらが理性的であるかが確認でき そういった数学的方法や哲学的吟味を受容してこそそれらは学問として認められるのだと彼は主張している 生物学のようにどちらの側面も持っていて 数学的方法に還元できない部分では哲学的吟味を受けるような学問もあるという 哲学を学ぶということについて イマヌエル カントは 人はあらゆる理性学 ア プリオリな の内で ただ数学をのみまなぶことができるが しかし哲学 をば それが歴史記述的でない限り 決して学ぶことはできない 理性に関しては せいぜいただ哲学すること を学ぶことができるだけである という その上でカントは 理性の学的な理論的使用は哲学か もしくは数学のどちらかに属する と主張している 後世の著作物の中に太古の思想との類似性が見つけられる場合 それが先哲の思索を継承したのか 独自の着想によるものかは即断できないが 明らかに以前には無い発想が述べられている場合 しばしばそれが重要な哲学的な独創性 頂点の発見 を意味していることがある 一方で思索は極めて属人的な営みであり 思索家の死や沈黙 著作物の散逸などにより容易に否定され失われてしまうが 弟子達の著作によりその思想が後世にまで残り 多大な影響力を及ぼしているものがある 思索の継承と橋頭堡を打ち立てた先哲に対し敬意を払い続ける態度もまた哲学の顕著な特徴である 一方で 異なる学派間の対立は民衆の懐疑と嘲笑的態度 独断の蔓延とそれによる思想の貧困化につなり 戦乱が続いた時代は思想が停滞 後退した ヨーロッパにおいて教会の権力が頂点に達した頃には 哲学はしばしば神学的な問題に用いられ 近代には先哲の批判的継承のうえに独自の哲学を打ち立てた近代哲学者たちが現れた 逆に 哲学者自身が及ぼした影響の痕跡が後世に見られることもある 哲学が専ら同時代の観察と分析に徹しているという意見もある一方で 旺盛な活動によって世に知られた哲学者もいる 他の学問と哲学を区別する特徴となるような独自の方法論が哲学にあるかどうかというのはなかなか難しい問題である 少なくとも近代哲学においてはデカルト以来 疑いうるものを懐疑する態度 できるだけ明晰に思考する態度 事物の本質に迫ろうとする態度が哲学を特徴づけてきたといえるだろう ただ これだけであれば学問の多くに共通する特徴でもあるし 逆に 理性や常識を信頼するタイプの哲学が哲学でないことになってしまう 分析哲学においては概念分析という道具を手にすることで 自然科学とは異なる独自の思考形態が成立したが これも哲学すべてを特徴づける思考形態であるとは言いがたい 三森定史によれば 科学と哲学は区別されるべきであり 科学が外観学 意識外で観察されるものを収集することで法則を立てる学問 であるのに対して哲学は内観学 意識内での観照から一般法則を導き出す学問 であるとする また三森は大学でおこなわれているいわゆる 哲学 哲学 学 への批判を込めて 大学での哲学研究は外観学に含まれる としている 哲学はその黎明期において 科学において大切でかつ難しいといわれる仮説の発明を 重要な形で成してきた ソクラテス以前の哲学者と呼ばれるタレス アナクシマンドロスといった自然学者はいずれも自然現象の説明を目論んだ 世紀までは科学 自然科学 という言葉は現代的な意味で用いられておらず それらに相当する分野を指す言葉としては 自然哲学 ないしは 自然学 という言葉が使われており 例えばニュートンの プリンキピア の正式名称は 自然哲学の数学的諸原理 である 今日的な意味での 哲学的 な自然の探求と 自然科学的 な自然の探求とは伝統的には切れ目のないひとまとまりの領域として扱われてきたが その中においても今から振り返って 自然科学的 な部分と 哲学的 な部分を区別することができる そうした 自然科学的 部分は伝統的に人間の作為を含まない対象 自然 を観察 分類することを主眼としてきた また近代に至っては実験という形で積極的に自然に介入することを重視する実験科学が登場しさらに世紀以降には目に見えるものからその背後の秩序を推測してモデル化するという営みが科学の中心となってきた 例えば 時間について考察する哲学者は同じ問題を扱う物理学者とは違い観察や実験の積み重ねによらず結論を導くことがある また 哲学者は物理学の成果を参照しそれを手がかりに哲学的思索を行うことはあるが 現代において物理学者が 自然 哲学の成果を積極的に参照することは少ないようである こうした分離や性格の差が生じた理由はいくつか考えられるが 知識の取得法 方法論 データのとり方 理論の当てはめ方 論争の決着のさせ方など が確立した分野が順次哲学から分離していった結果 哲学はデータのとれないことについて考える領域なのだという了解が後から成立してきたという事情はおそらくあるだろう そうしたものの見方から捉えると 先の時間の例について言うなら われわれの主観的経験や世界を捉えるためのもっとも基本的な形而上学としての時間は未だに物理学はもちろん心理学でもうまくとらえきることのできない対象でありそのために哲学的な時間論の対象となるわけである 客観的データになじまないもうひとつの領域が規範の領域 つまり 実際にどうであるか ではなく どうあるべきか を論じる文脈であるが これは自然科学というよりは むしろ倫理学の領域であろう 哲学も決して自然科学的知見を無視するわけではないので自然科学によってもたらされる新たな発見はしばしば旧来の哲学に重大な脅威を与えてきた またそもそも古代の哲学者が成した科学的発見が自身の手による実験によって証明されていることがある 自然科学が自然哲学から分化して以降 とくに近代の哲学者は自然科学者の成果を重視し両者の親和性を失わないよう不断の努力を行ってきたし また近代においては観察や経験を重要視する哲学者たちが生まれた また一方で 科学者たち自身が扱わないような非常に基礎的な問題 科学方法論の原理論や科学的実在論といった問題 についてはむしろ哲学者が率先して考察を行ってきた 科学哲学の項参照 あるいは科学が他の姿をとりうる論理的 現実的可能性を論じることで一度は忘れられた仮説を再発掘する原動力となったり新しい科学理論の形を呈示したりする場合もある 歴史的に有名な事例としては全ての力が引力と斥力の二つに集約されるというドイツ観念論のテーゼが電力と磁力の統合というエルステッドの発見に結びついたといった例がある なお 近年の英米哲学では認識論の自然化を提唱したクワインのように自然主義という名の下に哲学を自然科学の一部とする動きがある 伝統的に論理学は哲学の一分野として研究されてきた 論理学は伝統的にわれわれの推論のパターンを抽出することを目的としてきた 特に伝統的な論理学においては 前提が正しければ確実に正しい結論を導くことができる手法としての三段論法が主な研究の対象であった 推論の厳密さを重視する哲学においては論理学は主要な研究の対象であり政治や弁論術 宗教 数学や科学の諸分野において論理学は重要な研究の対象であり続けた 古代の哲学者たちはしばしば現代でいう論理学者や数学者を兼ねていた 論理学の直接の関心は推論の妥当性や無矛盾性にあり かならずしも人間や社会や自然の諸事象が考察の焦点にならない この点で論理学は哲学の他の分野とは性格が異なる もし疑いようのない前提から三段論法を用いて人間や社会や自然の諸事象についての結論を導き出すことができるならそれは非常に強力な結論となりうる 哲学者たちが論理学を重視してきたことは当然といえるだろう しかし逆にいえば 三段論法の結論の厳密さはあくまで前提の正しさに依拠するものであり前提がとんでもないものであれば結論もとんでもないものが出てしまう たとえば すべてのカラスは黒い この鳥は黒くない したがってこの鳥はカラスではない といった推論では最初の前提が間違いで本当は白いカラスもいるような場合 結局あやまった結論にたどりついてしまう 参照 ヘンペルのカラス この問題は重要で たとえばジョン スチュアート ミルは三段論法が内包するこの危うさについて結論を知っていないならば 大前提の全称判断は得られないのだから 三段論法は一種の循環論証であると批判した 一方彼は帰納法の四大規則をこしらえたが それらは因果律が仮定される限り有効に用いられるものであり まったく単純枚挙による機能にもとづいてのみ 容認しうるものであることを白状せねばならなかった 哲学的論理学においてはしばしば推論規則そのものの哲学的な正当性が問題となってきた 古典論理については排中律の是非が問題となってきたし 帰納論理についてはそもそも帰納論理なるものが成立するのかどうか自体が問題となった こうした検討は認識論や科学哲学といった他の分野にも大きな影響を与えてきた 世紀の初頭までには古典論理による推論の限界が明らかにされる一方でその公理系そのものを懐疑する視点から様相論理学 直観論理や矛盾許容論理などの展開も提示されている 欧米に比べ 日本では女性の哲学者はまだ圧倒的に少ない 著名な女性の哲学者 思想家 としては ヒルデガルト フォン ビンゲン ローザ ルクセンブルク ハンナ アーレント シモーヌ ヴェイユ シモーヌ ド ボーヴォワール エリザベス アンスコム ジュリア クリステヴァ ジュディス バトラー カトリーヌ マラブーなどが挙げられる 広義の哲学は思索を経て何かの意見や理解に辿り着く営みであり そのような営みの結果形成されたり選ばれたりした思想 立場 信条を指すこともある 例えば 子育ての哲学 会社経営の哲学 などと言う場合 このような意味での哲学を指していることが多い また 哲学は個人が意識的な思索の果てに形成 獲得するものに限定されず 生活習慣 伝統 信仰 神話 伝統芸能や慣用表現 その他の文化的諸要素などと結びついて存在している感受性 価値観 世界観などを指す場合もある つまり 物事の認識 把握の仕方 概念 あるいは発想の仕方のことである こうしたものは思想と呼ばれることも多い このような感受性や世界観は必ずしも理論体系として言語によって表現されているわけではないが 体系性を備え ひとつの立場になっていると考えられることがしばしばある 貫成人は モノづくりの哲学 や 料理の哲学 などといった俗な用例に着目し 哲学とはすべての物事を説明する普遍的原理を追求するものであるが それにもかかわらずそういった哲学に違いが生まれるのは 時代 場所が異なり 哲学する人がどこまでを すべて に含めるかが異なることによるためだとする 心 や 意識 という問題を解明してきた脳科学 計算機科学 コンピュータサイエンス 人工知能研究開発等に関連して 神経科学者 分子生物学者のフランシス クリックは と批判している こうした観点において 哲学は 二流どころか三流 の学問 科学に過ぎない と評価されている 脳科学者の澤口俊之はクリックに賛同し 次のように述べている 実際 哲学は暇 スコレー から始まったとアリストテレスが伝えており 上記のような否定的発言も的外れではないと 科学哲学者の野家啓一は言う また うつ病の有無を血液 血中濃度 で計測する検査法を開発し 臨床現場でも用いている心療内科医の川村則行院長は 等と述べている 他方で 藤本隆志は ウィトゲンシュタイン全集 哲学探究 の 編纂者の覚え書き で 訳出した際の多忙さについて述べている 数学者 論理学者である田中一之は と述べている 計算機科学者 コンピュータ科学者 論理学者 電子工学者 哲学博士 であるは 哲学者たちによる数学的な言及の多くが と批判している 田中によると ゲーデルの不完全性定理について哲学者が書いた本が フランセーンの本と同じ頃に書店販売されていたが 哲学者の本は専門誌によって酷評された その本は全体として読みやすく一般読者からの評判は高かったが ゲーデルの証明の核 不動点定理 について 根本的な勘違いをしたまま説明していた 同様の間違いは他の入門書などにも見られる フランセーンによれば 不完全性定理のインパクトと重要性について しばしば大げさな主張が繰り返されてきた たとえば という言があるが これらは乱暴な誇張とされる 不完全性定理が一番大きな衝撃を与えたと思われる数学においてさえ 革命 らしきものは何も起きていない 年にゲーデルが示した 不完全性定理 とは 特定の形式体系において決定不能な命題の存在 であり 一般的な意味での 不完全性 についての定理ではない 哲学者の野矢茂樹は ゲーデルについての論評にも触れ どんな公理系も 証明できない真理 を有し 必ずそこからはみでるものがある ので 真理とさえ分からない とした上で ゲーデルの問題系は言わば氷山の一角であり 特定の研究者の活動は 論理という広大な全体を少しずつ照らしていく 活動の一部に過ぎないとしている 哲学者は 科学とは違う日常的言語で 宇宙 や 存在 を語ろうとしてきた しかし 量子論を創設した一員である理論物理学者ディラックは 哲学者をことさら信用していなかった ディラックが居た頃のケンブリッジ大学で 一番の論客として鳴らしていたのは哲学者ルートヴィヒ ウィトゲンシュタインだったが 彼を含め哲学者たちは 量子波動関数や不確定性原理について的外れなことばかりを発言し記述しており ディラックの不信は嫌悪に変わった ディラックが見たところ 哲学者たちは量子力学どころか パスカル以降の 確率 の概念さえ理解していない ディラックの考えでは 非科学的な日常的言語をいくら使っても 正確な意思疎通を行うことはできない 量子力学を説明してくれと言う家族や友人に対してディラックは 無理です と言って黙り込むのが常だった どうしても説明してほしいと迫る友人に ディラックは それは目隠しした人に触覚だけで雪の結晶がなにかを教えるようなもので 触ったとたん溶けてしまうのだ と返した 宇宙の背後にある 語り得ぬもの または 無 について ウィトゲンシュタインは もちろん言い表せないものが存在する それは自らを示す それは神秘である と述べたが こういった哲学的考えは 理論物理学者から疑問視されている 何故なら 語り得ぬ はずの 無 について 科学的に言語化する手がかりが既に見つかっているからである 例えばペンローズの ツイスター理論 アシュテカーの ループ重力理論 ロルとアンビョルンの 因果的動的三角分割理論 等の研究が進められている 利己的な遺伝子 の序文で 進化生物学者リチャード ドーキンスは と述べている 前掲書の第一章ではこう述べる また進化生物学者 社会生物学者のロバート トリヴァースは 前掲書へ以下の序文を寄稿した 同時にトリヴァースは 定量的データ による実証を強調しており 利己的な遺伝子 を邦訳した一員 動物行動学者の日髙敏隆は この本に書かれた内容を完全に理解するためには 数学の言葉が必要である としている 哲学や人文学からの批判は 生物学へ そして生物学について解説したドーキンスへ向かった その批判は例えば 遺伝子の理論を極端に単純化して捉えつつ 遺伝子との関連が薄い事物を同列に置いていた 遺伝子は利己的でも非利己的でもありえない 原子がやきもち焼きだったり ゾウが抽象的だったり ビスケットが目的論的だったりすることがありえない以上に 等 批判に対しドーキンスは 前掲書の中で 利己的 等の生物学用語を挙げつつ このような言い回しは それを理解する十分な資格を備えていない あるいはそれを誤解する十分な資格を備えたというべきか 人間の手にたまたま落ちるということさえなければ 無害な簡便語法である と反論した 彼は次のようにも記している また前掲書中でドーキンスは 文化的自己複製子 ミーム の理論に関して と述べている 彼によると 破壊的で危険なミームの典型例は宗教であり 信仰は精神疾患の一つとしての基準を満たしているように見える なお 利己的な遺伝子 の邦訳者の一員である進化生態学者 岸由二は 周年記念版 年刊行 の後書きでこの本を 名著 と呼び 次のように評価している 科学を語るとはどういうことか の中で宇宙物理学者の須藤靖は 科学についての哲学的考察 科学哲学 が 実際には科学と関係が無いことを指摘している 須藤は 哲学的に論じられている 原因 という言葉を取り上げて 原因という言葉を具体的に定義しない限りそれ以上の議論は不可能です と述べており 哲学者が興味を持っている因果の定義が物理学者とは違うことは確かでしょう としている 科学哲学者 倫理学者の伊勢田哲治は 思った以上に物理学者と哲学者のものの見え方の違いというのは大きいのかもしれません と述べている 須藤によると 学問の扱う問題が整理され分化したことで 科学と哲学もそれぞれ異なる問題を研究するようになった これは 研究分野の細分化そのもの であり 立派な進歩 だと須藤は言う 一方で伊勢田は 様な要素を含んだ 大きな 問題を哲学的 統一的に扱う かつての天文学について言及した その後の天文学ではその 哲学的 問題を扱わなくなりましたし 今の物理学でもそういう問題を扱わない と述べた伊勢田に対し 須藤は その通りですが それ自体に何か問題があるのでしょうか と返した 対談で須藤は これまでけっこう長時間議論を行ってきました おかげで 意見の違いは明らかになったとは思いますが 果たして何か決着がつくのでしょうか と発言し 伊勢田は 決着はつかないでしょうね と答えている 学問分野として全面的な否定や揶揄の対象にされることが多い点も哲学ならではの特徴といえる ちなみにこの批判の中には哲学者とされる者によって展開されるものも含まれそのような批判が一つの哲学的立場になっている場合もある 抽象的な概念を巡る定義や論争などは 証拠によって決着を着けたり 万人が合意するような立場に辿りつけたりする可能性が低く あるいはそのような可能性が皆無で 結論が出ないままに延と議論だけが続く 特に実証主義的な観点から 非生産的な学問であるとの見方もある 現に論理実証主義はそのような真偽の検証ができない命題や議論をナンセンスとして斥け 従来の哲学に対して否定的な立場を取った 神の存在証明を巡る中世のスコラ哲学 実存哲学などは その典型であったといえよう もっとも 前者は証明方法の洗練によって 論理学の発展にはかなり貢献した また 大学の哲学教員など現代の職業哲学者の従事する学問としての哲学は理性と言語による思考に特化しており必ずしも詩や宗教などと密接に結びついているわけではない これに関して理性や言語による思考には限界や欠陥があり 人間の豊かな感性 感情を見落としがちであり哲学は学問分野としてそのような本質的限界 欠陥を抱え込んだ分野であると批判されることもある また 理性や言語を重んじる価値観は近代以降の西洋の諸文化に特徴的なものであると見做して攻撃する立場もある 既存の哲学が 西洋哲学 中心であることや 習慣などに埋め込まれて存在していて言語化されたり 理性的な吟味の対象にならない思想を哲学の一種として扱わない傾向にあったりすることなどを そのような価値観の表れと考え 問題視する立場もある 森岡正博は 日本の大学や哲学教室 倫理学教室 学会や懸賞論文は制度化されており 本来答えるべき哲学的課題に向き合えていないと批判している 学会は文献学 特定個人の思想 著名哲学者の思想に偏重しており 直面した根本問題を検討することを 次の機会 に先延ばしすることに特徴があるとしている 哲学のの凄みと快楽は理解するものの それは本当に向かい合うべき問いから巧妙に逃げているのではないか と問題提起する 古代ギリシャの時代の時代から フィロソフィアが役に立たないと思う人がいた アリストテレスはその著 政治学 において次のような逸話を提示することで そうではないと示した コロサイの信徒への手紙の中でパウロは以下のように哲学を むなしいだましごと と称している箇所がある 薬学 やくがく とは 薬物を専門とする学問である 医療をサポートする学問領域の医療薬学と薬の発見と製造に関する領域の医薬品化学に大別される 日本では 大学で年制の薬学科を修了すると薬剤師国家試験の受験資格が与えられる したがって薬剤師は必ず学士 薬学 以上の学位を有する しかし 薬学者には博士 理学 博士 工学 博士 医学 博士 歯学 や博士 農学 などの博士 薬学 以外の学位を持つ場合も見受けられる 薬学の基礎領域科学には次に挙げるものが知られている 有機化学 物理化学 分析化学 放射化学 医薬品化学 天然物化学 生物有機化学 生薬学 栄養学 農薬学 火薬学 創薬学 工業薬学 解剖学 組織学 生理学 細胞生物学 微生物学 寄生虫学 分子生物学 免疫学 生化学 薬学の応用としての医学との学際的分野であるが 大きく二つに分けると次のようになる 医薬の使用をテーマとした医療サポートに関連が深い薬剤学 臨床薬学に関する学問分野として次に挙げるものが知られている 薬理学 物理薬剤学 化学薬剤学 生物薬剤学 薬物動態学 調剤学 製剤学 医療薬剤学 病理学 内科学 外科学 看護学 予防医学 病態生理学 薬物治療学 医薬品情報学 日本薬局方 薬物学 生薬学 漢方薬学 歯科薬理学 家畜薬理学 臨床化学 神経化学 粉体工学 薬局薬学 病院薬学 衛生上の知識に関連する学問分野として次に挙げるものが知られている 衛生化学 栄養化学 環境科学 疫学 公衆衛生学 口腔衛生学 家畜衛生学 病態生化学 毒性学 生態学 社会薬学は薬がもつ社会的使命や価値に関する学問分野として次に挙げるものが知られている 尚 これらは自然科学のみならず 人文科学 社会科学の区分とに融合する要素があるため 社会学の一部と考えることができる 薬と社会 薬をめぐる行動とその関係および相互作用 薬害の社会学 社会薬学 薬剤経済学 薬史学 レギュラトリーサイエンス 薬物乱用 ファーマシューティカルコミュニケーション 日本薬局方収載医薬品は治療薬一覧に詳しい ピアノは 弦をハンマーで叩くことで発音する鍵盤楽器の一種である 鍵を押すと 鍵に連動したハンマーが対応する弦を叩き 音が出る また 内部機構の面からは打楽器と弦楽器の特徴も併せ持った打弦楽器に分類される 一般に据え付けて用いる大型の楽器で 現代の標準的なピアノは鍵を備え 音域が非常に広く オーケストラの全音域よりも広い 汎用性の高い楽器であることから 演奏目的として使われるのはもちろんのこと 音楽教育 作品研究 作曲などにも広く用いられている そのためピアニストに限らず 他楽器奏者 声楽家 作曲家 指揮者 音楽教育者などにも 演奏技術の習得を求められることが多い 保育士試験 小学校教員採用試験などでも必要とされている ピアノ の名は 世紀の楽器製作家バルトロメオ クリストフォリが製作したピアノの原型であるクラヴィチェンバロ コル ピアノ エ フォルテ 強弱をもつチェンバロ に由来し これが短縮されたものとされる 歴史的には ピアノフォルテ や フォルテピアノ と呼ばれ 現代でも略称としては という表記が用いられている 現代では イタリア語 英語 フランス語では と呼ばれる 伊 英では も使用 ドイツ語では ハンマークラヴィーア がピアノを意味し より一般的には 鍵盤の意味 と呼ばれるほか もともと鳥の翼の意で グランド ピアノを指す も用いられる ロシア語の正式名称は であるが 一般にはグランドピアノを意味する フランス語の から や アップライトピアノを意味する が用いられることが多い その他ハンガリー語では と呼ぶ 日本では 戦前の文献では ピヤノ と書かれたものが見受けられる 一例として尋常小学校の国語の教科書に 月光の曲 と題されたベートーヴェンの逸話が読み物として掲載されていたことがあるが このときの文章は ピヤノ 表記であった モダンピアノは主につのタイプに分かれる すなわち グランドピアノとアップライトピアノである モダンピアノはフォルテピアノと同様にアコースティック楽器だが それ以外にエレクトリックピアノ 電気ピアノ やエレクトロニックピアノ アナログ電子ピアノ デジタルピアノなども存在する グランドピアノは地面と水平にフレームと弦を配し 弦は奏者の正面方向に張られる そのため グランド ピアノはきわめて大型の楽器となり 充分に共鳴の得られる 天井の高い広い部屋に設置することが理想的である グランド ピアノは大きさによっていくつかに分類される 製造者やモデルによって違いはあるが 大まかに言って コンサート グランド 全長がおおよそ から パーラー グランド おおよそ から これらよりも小さい ベビー グランド ものによっては幅よりも全長が短い に分けられる ベビー グランドはゾーマー社が年に特許を取得している 他の条件がすべて同じであれば 長い弦を張った長いピアノの方が響きがよく 弦のインハーモニシティ 非調和性 が小さい インハーモニシティとは 倍音の周波数の 基本周波数の整数倍からの遠さである 短いピアノは 弦が短く 太く 固いため 弦の両端が振動しにくい この影響は高い倍音に顕著であるため 第倍音は理論値よりも若干高くなり 第倍音はもっと高くなる このようにして 短いピアノではインハーモニシティが大きい 短いピアノではダンパーペダルを踏んだときに共鳴する弦が少ないので 音色が貧弱である 一方 コンサート グランドでは弦長があるため短いピアノよりも自由に振動でき 倍音が理想に近くなる 一般的にはフルサイズのコンサート グランドは大型なだけでなく高価でもあるため 専用ホールなどでの演奏会で用いられ より小型のグランドピアノは学校の体育館 講堂や教室 音楽室 ホテルなどのロビー 小規模なホール 設置場所を取れる一部の家庭 ピアノ教室を開いているようなところ などで用いられる アップライトピアノは フレームや弦 響板を鉛直方向に配し 上下に延びるように作られている グランドピアノよりも場所を取らないため グランドピアノを設置するスペースの取れない家庭や 学校の教室 小規模の演奏会場などに広く設置されている グランドピアノでは ハンマーが反動と重力によって自然な動きで下に落ちるのに対し アップライトで一般的な前後に動くハンマーでは 反応のよいピアノ アクションを製造することは難しい これはハンマーの戻りをばねに依存せざるをえず 経年劣化するためである またレペティションレバーという ジャックをハンマーの下に引き戻す機構が ほとんどのアップライトピアノには備わっていないため 連打性能に関しては決定的に劣る 音色が独特であるため アコースティックピアノの代用品として使用されるケースは稀であり しばしば同じ楽曲作品内でアコースティックピアノとエレクトリックピアノの両方を使用し共存する楽曲も多い 発音原理はアコースティックピアノと同じく ハンマーで音源部を叩くことで音を得ているが 音響増幅をボディ部分の反響から得ているアコースティックピアノと異なり 音源部で鳴らした音を磁気やピエゾピックアップなどで拾い アンプで電気的に増幅してスピーカーから出力している アコースティックピアノとエレクトリックピアノは物理的な発音構造が基本的には同じであるので 他の楽器で例えるならアコースティック ギターとエレクトリック ギターの関係に近い 合成音ではなく実際に物理的な音源部を振動で鳴らしているため 電源を入れずとも演奏すれば小音量ながら生音は聞こえる 音源部の素材や反響 共鳴方法はメーカーや機種によってまちまちであり 最もよく知られるエレクトリックピアノの一つであるローズ ピアノは 各鍵盤ごとの音程を発音する金属片を弦の代わりに叩くことで原音を鳴らし またその振動を別の金属板で共鳴させている ヤマハの製品のように アコースティックピアノと同じく弦を使用するものもある 当然ながら音源部が同じため 弦以外の音源を使用する機種よりもアコースティックピアノに音は近く この構造を持つ や などはエレクトリック グランドピアノとも呼ばれる また アコースティックピアノにピックアップを搭載したエレクトリックアコースティックピアノとも呼べるハイブリッドモデルも存在するが 後述の電子ピアノにおけるハイブリッド機とは構造が異なり消音機能がある訳ではない 構造としては同じ音を電気的に出力するかしないかだけであるため 仮に消音処理を行なえばエレクトリックピアノとしての音も発音されなくなる 電源を通した場合も当然アコースティックピアノとしての生鳴りは残り 住宅事情や夜間演奏の対策になるものではない エレクトリックピアノは発声原理がアコースティックピアノと基本的には同じか もしくは似通っているため 電子回路で音を生成 合成するエレクトロニックピアノ アナログ電子ピアノ や デジタルピアノといった電子ピアノ類とは明確に区別される 物理的な音源を用いずに 電子回路によって音を生成及び合成しているものは電子ピアノと呼ばれる 上位モデルではペダルや 実際のピアノの感触を再現した鍵盤 多様な音色 および端子を備えている とりわけ コンサートなどで用いられることを想定した脚部分のない本体部分だけのものはステージピアノとも呼ばれる 電子ピアノの音色生成や合成方法はアナログ デジタルなど様であるが 古くは年代にアナログシンセサイザーの技術を転用してピアノの音色再現を試みたエレクトロニックピアノが 年代にはデジタルシンセサイザーの技術を用いた音源による合成やサンプリング技術を利用して打鍵にあわせて音を再生するデジタルピアノが登場した 音源式はローズピアノなどの音色の再現がしやすく サンプリング式は本物のエレクトリックピアノの音色をそのまま録音して収録できるため メンテナンスや搬入に難の多い本物のエレクトリックピアノが駆逐される原因ともなった 特に年代以降アコースティックピアノやエレクトリックピアノの代用として用いられているものはサンプリングタイプが多く 一般に単にデジタルピアノや電子ピアノと呼ぶ場合はこのタイプを指す 近年では通常のピアノを切り替えによって電子ピアノとしても使用できるサイレントピアノも登場している サイレントピアノ類は 前述のアコースティックピアノとエレクトリックピアノのハイブリッド機とはまったく異なり 電子ピアノとして使用する場合は生音が消音され デジタル音源によるサンプリング音が出力される 電子ピアノは内部構造や発音原理がシンセサイザー類と同じであるため ピアノの音色や打鍵感覚に重きを置いたシンセサイザーと見ることもできる エレクトロニックピアノはアナログシンセサイザー デジタルピアノはデジタルシンセサイザーとそれぞれ相同である 実際のところ 電子ピアノ と銘打っていてもデジタルピアノには一般的なシンセサイザーのようにピアノ以外の多彩な音色を備えている機種が多く そういった機種ではピアノ的な打鍵の重さや細かいコントローラ類が省かれているのを気にしないのであれば シンセサイザーとしても使用可能である 多くのデジタルピアノでアップライトやグランドなどのアコースティックピアノ音色の他に エレクトリックピアノの音色や 古い時代のシンセサイザーに搭載されていたピアノ音色うち 人気の高いものなども搭載されている しかし 現在の技術水準ではアコースティックピアノの要である打弦されていない弦の共鳴による響きを完全に再現することは困難であり 物理モデル音源技術などを用いた開発が続けられている 上に分類されないピアノの形態としては かつて長方形をしたスクエア ピアノがあったが 世紀中頃から次第に姿を消し 現在は製造されていない トイピアノは世紀に製造が始まった 元来は玩具用のピアノである 年 アンリ フルノーがピアノ ロールを用いて自動演奏する自動ピアノを開発した 自動ピアノでは紙製のパンチ ロールを使って演奏を記録し 気圧装置を使ってこれを再生する 現代の自動ピアノとしてはヤマハのディスクラヴィーアがあり これはソレノイドとを使用したものである アーヴィング バーリンは 年にエドワード ライリーが開発した移調ピアノという特殊なピアノを使用した これは鍵盤の下に備えられたレバーによって 望みの調に移調できるというものであった バーリン所蔵ピアノのうちの台はスミソニアン博物館に収められている 以下では基本的にモダンピアノの構造を解説する モダンピアノの基本的な構造は 鍵盤 アクション ハンマーとダンパー 弦 上図 響板 ブリッジ フレーム ケース 蓋 ペダル などからなる 打鍵に連動してダンパーがあがると共にハンマーが弦を叩いて振動させ この振動は弦振動の端の一つであるブリッジ 駒 から響板に伝わり拡大される またペダルによって全てのダンパーがあげられていると 打弦されていない他の弦も共鳴し ピアノ独特の響きを作り出す 鍵から手を離すとダンパーがおり 振動が止められる フレームおよびそれを支える木製の胴体 足 弦 アクション機構などによりピアノの重量はパイプオルガンを除くほかの楽器に比べて桁違いに重く アップライト ピアノで グランド ピアノでは 以上 コンサート グランドでは を超えることも珍しくない このため ごく少数のこだわりを持つ演奏家を除いてコンサートに自分のピアノを持参することはなく 会場にある楽器を使う 標準的モダンピアノは黒鍵 白鍵の計鍵を備える からに及ぶオクターヴと短度 この音域のものは世紀後半頃から作られ始め 第一次世界大戦後に標準となったものである 鍵が標準的になったのは この音域が楽音として人間が認識できる限度であるためだといわれている 鍵そのものは ほとんどの場合木でできており 表面にかつては白鍵は象牙を 黒鍵は黒檀を貼っていることが多かったが 現在では合成樹脂製つき板を使ったものが多い また 近年では 象牙や黒檀の質感を人工的に再現した新素材 人工象牙 人工黒檀 などが採用されたものもある 古いピアノには鍵 からのオクターヴ のものも多く また鍵を越える楽器も存在する ベーゼンドルファーの一部のモデルは低音部をまで拡張しており 鍵 まで拡大してオクターヴ 鍵 の音域を持つモデル モデル インペリアル も存在する このような拡張部分は 不要時には小さな蓋で覆えるようになっているものや 拡張部分は白鍵の上面を黒く塗って 奏者の混乱を防ぐ措置がとられているものがある これよりも最近に オーストラリアのメーカースチュアート アンド サンズ社でも鍵 鍵 更には鍵 に及ぶオクターヴ の楽器を作っており この鍵のピアノは年月に初めて作られたもので 年現在世界一広い音域を持つピアノとなっている また鍵 の楽器はフランスのステファン ポレロ社でも作られている これらのスチュアート アンド サンズ社やステファン ポレロ社などのモデルでは 拡張音域の鍵盤の見た目は他と変わらない 拡張音域は 主により豊かな共鳴を得るために追加されたもので これらの音を使うように作曲されている楽曲は僅かである 逆に 流しのピアニストたちが使う 鍵の小さなスタジオ アップライトもある ギグ ピアノと呼ばれるこのタイプのピアノは 相対的に重量が軽く 人で持ち運び可能であるが 響板部分はスピネット ピアノやコンソール ピアノよりも大きく 力強い低音部の響きを有する 鍵を押し下げるとハンマーが連動して弦を叩く仕組みをアクションという アクション機構は伝統的に木材で作られてきたが 近年はごく一部のメーカーで炭素繊維を含ませた樹脂なども使われる 鍵を押し下げた時に ハンマーが弦の手前 ミリメートルの位置にくると ハンマーが鍵の動きから解放される この動きを レット オフ といい このような機構をエスケープメントと呼ぶ 打撃による発音では発音体との接触時間を短くすることが重要な要素であるが これを鍵盤の動きにかかわらず一定の条件で行うための仕組みであり このエスケープメント アクションを発明したことが今日のピアノの地位を築く出発点であった 弦とハンマーの間の距離は ミリの範囲内のいずれでも良いわけではなく 全鍵において可能な限り揃えられる必要があり これをレット オフ調整という 一部のメーカでは最高音部のレット オフを ミリまで近づける方が充分な音色を得られることがある この機構のため 鍵を押し下げるときに指に感じられる重さは 押し下げきる直前で軽くなる 鍵が軽くなってから鍵が深く沈むと 鍵が重く感じられる アクションで次に重要な課題となったのは エスケープした部品 ジャック を如何に素早くハンマーの下に戻して次の打弦に備えるかであり 様な方式のアクションが発明 改良されることになった 歴史的には大きく分けてウィーン式アクションとイギリス式アクションが存在した モダンピアノのアクションは基本的にイギリス式アクションの系列である モダンピアノでは アップライト ピアノはジャックのみがエスケープするシングル エスケープメント アクションを用いているが グランド ピアノはジャックとレペティションレバーがエスケープするダブル エスケープメント アクション 原型はエラールが開発 を用いている ダブル エスケープメント アクションにはレペティションレバーという部品があり これによって素早い連打を可能としている これは 打弦後 鍵を押し下げる力をわずかに緩めた瞬間に レット オフの時にジャックとともに外れて エスケープして いたレペティションレバーがハンマーを持ち上げて維持し ジャックの戻りをたやすくする機構である これにより鍵の深さの半分まで戻すことで次の打弦が可能になる 一方 ハンマーが弦を横から叩くアップライト ピアノでは シングル エスケープメント アクションのために鍵が完全に戻らなければ次の打鍵はできない ハンマーが戻るのを助けるバットスプリングと呼ばれるスプリングが付いているために この力によってハンマーが戻りやすくなっているようにとらえられがちであるが スプリングを外しても連打の性能には大きな変化はない 正しくアクション調整が行われたグランド ピアノのアクションでは 毎秒回程度の アップライト ピアノでは回程度の連打が可能である レペティションレバーの有無という構造の違いが グランド ピアノとアップライト ピアノのタッチ 表現力の差に大きく影響を及ぼしている グランド ピアノのダブル エスケープメント アクションは シュワンダー式アクションが主流だったが 年代以降スタインウェイ式アクションを採用するメーカが多くなった アクションにおいてハンマーとともに重要なのが ダンパーと呼ばれる消音装置である 打鍵時以外はこれが弦に密着し その振動を常に抑えている 鍵を叩くと ハンマーがハンマーと弦の間 打弦距離 の ないし 進んだときにこのダンパーが弦から離れ始めるように調整される これにより弦の自由な振動を可能とする 鍵を抑えている間中ダンパーは離れているが 鍵を離すと同時にダンパーが弦に戻り 弦の振動を止め 音が消える ただし ピアノの最高音部は 弦の鳴る時間が短いため ダンパーを備えない 弦に直接触れるハンマーヘッドは 一時樹脂製のものが用いられたこともあったが 今ではほぼ例外なく羊毛のフェルトでできている ハンマーヘッドは長時間演奏されれば変形するが 音色に大きく影響するものなので 音程の調律ほど頻繁ではないが定期的に調整することが必要となる 具体的には 調律師など専門の技術者が ファイラー と呼ばれる表面にサンドペーパー 紙または布製 技術が進歩した近年では 電気ピアノのように同じような発音原理を持ちながら電気的に増幅するものや 電子的に発音するピアノに類する楽器も登場している ピアノは鍵盤と同じ数 前述の通り現在の標準的ピアノでは の音高を持つが 音あたりの弦の数は音高により異なり 最低音域では本 低音域では本 中音域以上では本張られ その境界は機種によりまちまち 弦の総数は本を超える 各音の弦は複数弦でも単一のハンマーで同時に叩かれるが グランド ピアノの弱音ペダルを踏むとハンマーを含めた鍵盤の機構すべてが物理的に横方向にずれ 中音域以上では叩かれる弦の数が本から本に減り 低音域では本の場合はそのうち片方の弦のみが 本の場合もその弦の端の方のみがハンマーで叩かれるので音量が低下する 弦はミュージックワイヤーと呼ばれる特殊な鋼線 ピアノ線の中でも 特に高品質なもの で 低音域では質量を増すために銅線を巻きつけてある 音域ごとの弦の仕様に関しては 具体的には次のようなものがある 弦長は 一般に長いほうが豊かな音色になる その分張力を増さねばならない といわれ 限られた寸法の中で最長の弦長を確保するために 弦をつのグループに分け 各グループ内の弦は同一平面上に張られるが 段差を持った枚の平面が角度を持って交差するようになっていることが多い オーバー ストリンギング 弦はフレームに植えられたチューニングピンで張られるが 本あたりの張力は 重程度で 全弦の張力の合計はトン重にも及ぶ ピアノが現在の音量を出せるようになったのは この張力に耐える鋼製のミュージックワイヤーと鉄製のフレーム 現在は一体の鋳物 が使われるようになってからである 現在のピアノではオーバー ストリンギングのために 音が濁るという欠点が存在する ドイツのは この問題を解決するために年に を発表した このピアノは弦を平行に配置するために高さは 名前の由来となっている 総重量トン以上にも上る巨大なもので 共鳴板はグランドピアノの二倍以上あり 階段の上にアップライト型の鍵盤が配置されている は年現在も世界最大のピアノである ちなみにこの楽器はオルガン同様据え付けとなっているためコンサートなどには使用できず ほとんど映画などの音源収録のみに使われている 年には から から収録した 用のソフト音源 が発売されている 響板 響棒は弦の下に位置し ブリッジを通じて伝えられた弦の振動を空気に効率良く伝える 響板は柾目に木取りされておりその方向はブリッジの長さ方向に一致させるのが一般的である 響棒は響板のブリッジに対して反対面に位置し やはり柾目に木取りされている 響棒は響板木目方向に対して つまりブリッジの長さ方向に対しても交差する方向に配置される 響板を支える骨組みの役目を果たすが 響板 響棒材を伝わる音は木目方向と木目横断方向ではおよそ となるために 響板の柾目横断方向への振動の伝播を助け 響板全体に振動が均質に伝わるように工夫されてもいる グランドピアノでは弦を覆う上蓋 大屋根 がついており これを持ち上げることによってより豊かな音量を出すことが出来る これは支え棒によって斜め約度に固定される これにより音が指向性を帯びる 演奏者から見て右側が開くため 演奏会場では客席に向かって音を発するように 客席から向かって左側に鍵盤が置かれる 大屋根を半開にすることもでき 伴奏ではこの状態が好まれる アップライトピアノも上部の蓋を開けることができ これによって若干の音量調節は可能になるものの グランドピアノほど効果的ではない むしろほこりが入るので開ける事はあまり好まれない 第のペダルは いちばん右の長音ペダルであり ダンパーペダルと呼ばれる このペダルを踏むと すべてのダンパーが離れ 打鍵した音が延びる また演奏した弦だけでなくそれらの部分音成分に近い振動数を持つ弦が共鳴することで ペダルを踏まずに鍵を押下したまま音を延ばした場合よりも音が豊かに聴こえる ペダルを放すとダンパーが戻り 延びていた音は止まる またペダルの踏み込み具合を半分などに調節することで 音の延び具合を調節することも出来 これをハーフペダルと呼ぶ さらに熟練した奏者は このハーフペダルと完全に踏み込んだ状態とを往復する操作によって 延び具合を周期的に変化させ ヴィブラートに似た演奏効果を得ることも可能である 武満徹の 雨の樹素描 では楽譜上にこれらの踏み込み具合の指定がある このペダルを踏み込んでいるときの弦は周囲の音にも共鳴し得るので 合唱曲の伴奏などでは歌唱にピアノが共鳴している現象も聞き取れることがある ピアノで一切発音せず ペダルの踏み込み具合や鍵を無音で押し込むことによって他の楽器に共鳴させる奏法もある 例えばルチアーノ ベリオの セクエンツァ トランペットと共鳴ピアノのための ではトランペット奏者がピアノの内部に向かってトランペットを吹き その共鳴を聞き取る場面がある 第のペダルは いちばん左の弱音ペダルであり ソフトペダル もしくはシフトペダルと呼ばれる グランド ピアノでは このペダルを踏むと鍵盤全体がフレームに対して少し右にずれ 中高音域ではハンマーが叩く弦の本数 低音域では弦に当たるハンマーの部位が中央から端に変わり 音量が減少する ウナ コルダ アップライト ピアノでは ハンマーの待機位置が弦に近づく 打弦距離が短くなる ことで打弦速度が下がり 音量が小さくなる ハンマーは弦の手前 で鍵盤からの動きを遮断 レット オフ され自由運動で打弦するが きわめて弱い音を速いテンポで繰り返す場合には ハンマーが弦を打たないミス タッチとなる そこでソフトペダルを使用して打弦距離を幾らか短くすることで 弱く弾いた場合でもミス タッチを起こしにくくする効果がある つまりアップライト ピアノのソフトペダルは 他のペダルのようにペダルを踏むことによって何かしらの効果を得るものではなく 演奏の補助的な役割を果たすペダルといえる 第のペダルは 中央のペダルである かつてはエラールなど多くのメーカーによって省略されていた グランド ピアノでは ソステヌートペダルと呼ばれ このペダルを踏んだ時点で押していた鍵のダンパーが 鍵から手を放してもペダルを踏んでいる間は弦に降りないようになっている 主に低音の弦を延ばしたまま高音部を両手でスタッカートで弾いたり あるいは高音部のみダンパーペダルを複数回踏み変える奏法に際して用いられる 前者はシェーンベルクの つのピアノ曲 作曲者自身はこの指定をしていないが ピアニストによってこの奏法を採るものが多い サミュエル バーバーの ピアノソナタ 終楽章のフーガなど 後者はドビュッシーのピアノ曲集 映像 第曲 ラモーを讃えて や 武満徹の 閉じた眼 雨の樹素描 などの作品で効果的に使われる また低音の鍵を無音で押さえたままソステヌートペダルを踏んで 鍵を押しっぱなし と同じ状態にし 高音部の鍵をダンパーペダルなしで 多くの場合スタッカートで 弾く事により 低音で押された音の部分音の振動数に対応する音が部分音の共鳴によって若干の残響を伴って聞こえる 多くの現代音楽で使われている奏法である アップライトピアノの中央のペダルは マフラーペダルとも呼ばれ 夜間練習などのために 弦とハンマーの間にフェルトを挟んで 音を弱くする 踏み込んだペダルを左右いずれかにずらすことでロックされ 踏みっぱなしにしておくことができる もともとのこのペダル効果はハンマークラヴィーアなどでハンマーと弦の間に薄い皮や羊皮紙などを挟み 音色の変化を愉しんだことによる 歴史的楽器ではつないしつのペダルを持つものもあり このうちのいくつかはシンバルや太鼓といった打楽器に連動されていた シューベルトの一部の作品では これらの打楽器に連動するペダル構造を用いた曲もある 現代でもファツィオリ社のグランドピアノでは第のペダルを備えるものがある このペダルを踏むことにより 鍵盤の前面が下がり 鍵盤の沈む深さが浅くなる 現代のピアノが沈む深さは平均して約であるが モーツァルトが活躍した時代の鍵盤が沈む深さは約であり 操作は現代よりも遥かに軽やかであった この時代のような鍵盤の軽やかさを現代のピアノに持たせるために第のペダルが備えられたものである 現在第ペダルと呼べる ハーモニックペダル は どのメーカーのグランドピアノにも接続することができる すでに新製品に組み込んだメーカーも出現している 近年はアップライトピアノであっても グランドピアノと同等のペダル能力を持つピアノが出現している またオルガンと同様に足鍵盤を備えた楽器 ペダルピアノ も存在した シューマン シャルル ヴァランタン アルカンらにペダルピアノのための作品がいくつかある ロベルト プロッセダが現代テクノロジーを用いて復刻された楽器を用いているほか メーカーが市販した例がある 各弦の張力を調整する調律は 今日のほとんどのピアノが十二平均律で調律される 他の弦楽器に比べて張力が大きく またピンの保持力も高いため音程の精度はかなり高く誤差はセント 十二平均律の半音の分の 単位まで求められる 例外的に平均律以外に調律されることもあり例えば テリー ライリーには 通常のピアノの調律である平均律ではなく 純正律に調律されたピアノを用いる作品がある など また ジェラール グリゼーの後期作品 時の渦 は ピアノの特定の数音を四分音下げて調律することが要求される 調律の狂ったような音に聴こえるが これは合成された倍音に基づく調律である 特に激しい跳躍のある第部のカデンツァにおいて効果的に響く いずれの場合もコンサートに用いる際はピアノ調律師の特殊な技能が要求され また日本のコンサートホールではこのような特殊調律を断られる場合があるので それでもあえて演奏する場合にはピアノのレンタルが必要になる クラスター奏法とは ヘンリー カウエルらによって提唱されたもので 鍵盤を手 腕 ひじを使って打楽器のように演奏する トーン クラスターも参照のこと 内部奏法とは ピアノを鍵盤によってではなく 内部の弦をギターのプレクトラム ピック などで直接はじいたり 弦の縁や真ん中を指で押さえながら対応する鍵盤を弾いたり 松脂を塗ったガラス繊維あるいは弦楽器の弓の毛を ピアノ内部の特定の弦に通して擦弦したりすることにより 本来のピアノにはない音色を得るための奏法 ピアノの作音楽器に劣後する特性を何とか克服しようとするものである 現代音楽では当たり前のように多用されるが 日本の多くのコンサートホールは新しい楽器台しか用意してないことが多く 楽器が傷むという理由からこの内部奏法を非常に嫌悪し禁止している それに対して外国とくにヨーロッパでは古い楽器や破壊用の楽器も万遍無く用意してあることが多いのでこのような規制はほとんど見受けられない とはいえ 楽器に傷をつけやすい金属製器具での演奏は控えたり 指の汗が弦につくことを考慮し演奏後にはサビ防止のためにきちんと布でふき取るなどの配慮は必要である ピアノは人だけでなく 人以上が一台の楽器を同時に演奏することも可能である これを連弾という カミーユ サン サーンスの 交響曲第番 オルガン付き では 第楽章においてオーケストラ内のピアノが連弾で用いられる しかし主役はオルガンであり そちらの方がずっと目立つ また一般的な人で演奏して高音部と低音部を弾き分ける手連弾のほかに 人で演奏する手連弾もラフマニノフなどの楽曲に作例が見られる ピアノを台並べて演奏する方法 連弾よりも音量において勝り また奏者が人とも音域に制限されずに演奏できる利点がある その反面 音が混ざり易く 雑多に聞こえ易いという短所もある 台のピアノは台ずつそれぞれに調律するのだが インハーモニシティはそれぞれのピアノに固有のものなので 調律は他のピアノとは完全には一致しない そのため 微妙なずれによって賑やかな音になる 多くの場合は台のピアノを向かい合わせに置くため 双方のピアノは反響板が互いに反対方向に開いてしまう このため大抵の場合は 聴衆とは逆に開くピアノ側の反響板を取り外して演奏する ダリウス ミヨーとスティーヴ ライヒの作品には それぞれ台のピアノを同時演奏するものがある また年から毎年開催されているヴェルビエ音楽祭で 年の周年記念として行われたガラコンサートでは 著名なピアニスト名 エフゲニー キーシン ラン ランなど が スタインウェイのピアノ台を 八 の字に並べ同時演奏した 弦を叩くことで発音する鍵盤楽器を作ろうという試みは早くより存在しており 中でも鍵盤付きのダルシマー系の楽器をピアノの先祖とみる向きもあるが 一般的には 現在のピアノはトスカーナ大公子フェルディナンド デ メディチの楽器管理人であったイタリア パドヴァ出身のバルトロメオ クリストフォリが発明したとみなされている クリストフォリがいつ最初にピアノを製作したのかは明らかでないが メディチ家の目録から 年にはピアノがすでに存在していたことが知られる 現存する台のクリストフォリ製作のピアノは いずれも年代に製作されたものである 多くの発明がそうであるように ピアノもそれまでにあった技術の上に成立している ピアノに先行する弦を張った鍵盤楽器としてはクラヴィコードとチェンバロが特に普及していた クラヴィコードは弦をタンジェントと呼ばれる金属片で突き上げるもので 鍵盤で音の強弱のニュアンスを細かくコントロールできる当時唯一の鍵盤楽器であったが 音量が得られず 狭い室内での演奏を除き ある程度以上の広さの空間で演奏するには耐えなかった 一方のチェンバロは弦を羽軸製のプレクトラムで弾くものであり 十分な音量が得られたものの ストップ レジスター の切り替えで何段階かの強弱を出せる他は自由に強弱をつけて演奏することは困難であった これらの鍵盤楽器は数世紀にわたる歴史を通じて ケース 響板 ブリッジ 鍵盤のもっとも効果的な設計が追求されていた クリストフォリ自身 すぐれたチェンバロ製作家であったため この技術体系に熟練していた クリストフォリの重要な功績は ハンマーが弦を叩くが その後弦と接触し続けない というピアノの基本機構を独自に開発した点にある クラヴィコードでは鍵を押している限りタンジェントが弦に触り続けるが ハンマーが弦に触れ続ければ響きを止めてしまう 更に ハンマーは激しく弾むことなく元の位置に戻らなければならず 同音の連打にも堪えなければならない クリストフォリのピアノアクションは 後代のさまざまな方式のアクションの原型となった クリストフォリのピアノは細い弦を用いており モダンピアノより音量はずっと小さいが クラヴィコードと比較するとその音量は相当に大きく 響きの持続性も高かった クリストフォリの新しい楽器は 年にイタリアの文筆家 シピオーネ マッフェイ がピアノを称賛する記事をヴェネツィアの新聞に掲載するまでは あまり広く知られていなかった この記事には構造の図解も掲載されており 広く流通して 次世代のピアノ製作家たちにピアノ製作のきっかけを与えることとなった オルガン製作家としてよく知られるゴットフリート ジルバーマンもその一人である ジルバーマンのピアノは 点の追加を除いては ほぼクリストフォリ ピアノの直接のコピーであった ジルバーマンが開発したのは 全ての弦のダンパーを一度に取り外す 現代のダンパー ペダルの原型であった ジルバーマンは彼の初期製作楽器の台を年代にヨハン ゼバスティアン バッハに見せているが バッハはダイナミックレンジを充分に得るためには高音部が弱すぎると指摘した その後 ジルバーマンの楽器は改良を加え 年月日にフリードリヒ大王の宮廷を訪ねた際にジルバーマンの新しい楽器に触れた際にはバッハもこれを評価し ジルバーマン ピアノの売り込みにも協力したという ピアノ製作は世紀後半にウィーンを中心に盛んとなり ドイツ アウクスブルクのヨハン アンドレアス シュタイン その娘でウィーンのナネッテ シュトライヒャー 同じくウィーンのアントン ワルターなどが活躍した ウィーン式のピアノは 木のフレームに音弦の弦を張り 革で覆ったハンマーをもつ また現代のピアノとは黒鍵と白鍵の色が逆のものもある ヴォルフガング アマデウス モーツァルトがそのピアノ協奏曲やピアノソナタを作曲したのは こういった楽器によってであった バッハの末子 ヨハン クリスティアン バッハはロンドンに在住中 演奏旅行で訪ねて来た少年時代のモーツァルトを膝の上に乗せて ピアノを連弾したという モーツァルトの時代のピアノは イギリス式のピアノや 現代の一般的なピアノよりも軽快な響きを持ち 減衰が早かった 世紀後半より当時の楽器の復元がなされ 世紀初頭以前の初期ピアノはフォルテピアノとしてモダンピアノと区別することも多い 初期の技術革新の多くは イギリスのブロードウッド社の工房でなされた ブロードウッド社は 華やかで力強い響きのチェンバロですでに有名であったが 開発を重ねて次第に大型で 音量が大きく より頑丈な楽器を製作し 初めてオクターヴを越える音域のピアノを製作した 年代にはオクターヴと度 年にはオクターヴの楽器を作っている フランツ ヨーゼフ ハイドンとルートヴィヒ ヴァン ベートーヴェンにも楽器を送っており ベートーヴェンはその後期の作品で 拡大した音域を利用して作曲している ウィーンスクールの製作家たちもこの音域拡大の流れを追ったが イギリスとウィーンではアクションの構造が違っていた ブロードウッドのものはより頑丈で ウィーンのものはより打鍵への反応がよかった 日本にフィリップ フランツ フォン シーボルトによって初めてピアノがもたらされたのもこの時期である 山口県萩市の熊谷美術館には年にシーボルトより贈られた日本最古のピアノ スクエア ピアノ が現存する モダンピアノの響きを作り出した大きな技術革新の一つに 頑丈な鉄製フレームの導入があげられる 鉄製フレームは プレート とも呼ばれ 響板の上に設置し 弦の張力を支える フレームが次第に一体化した構造を獲得するのにあわせて より太く 張力が高い弦を張ることが可能になり また張る弦の本数を増やすことも可能となった 現代のモダンピアノでは弦の張力の総計はトンにも上りうる 単一部品の鋳物フレームは 年にボストンにてオルフェウス バブコックによって特許が取得されている これは 金属製ヒッチピン プレート 年 ブロードウッド社がサミュエル ハーヴェに代わって特許請求 と 耐張用支柱 年 ソムとアレンによって請求 ただしブロードウッドとエラールも請求 を組み合わせたものであった バブコックは後にチッカリング アンド マッカイ社で働き チッカリング社は年にグランドピアノ用のフル アイロン フレームを初めて特許取得した ヨーロッパの工房はその後も組合わせフレームを好むことが多く アメリカ式の単一フレームが標準となるのは世紀初頭である その他の代表的発明として 革の代わりにフェルトをハンマー ヘッドに用いることがあげられる フェルト ハンマーは 年にジャン アンリ パップによって初めて導入された 素材がより均質である上に ハンマーが重くなり 弦の張力が増すとともに より大きなダイナミックレンジを得ることを可能とした 音色の幅を広げるソステヌート ペダルは 年にジャン ルイ ボワスローによって発明され 年にスタインウェイ社によって改良された この時代の重要な技術的発明としてはほかに 弦の張り方もあげられる 低音部を除いて 音弦ではなく弦が張られ オーバー ストリンギング や クロス ストリンギング と呼ばれる つの高さのブリッジを用い 張る向きの変えて弦の並びを重ねる張り方が導入された このことにより ケースを長くすることなく より大きな弦を張ることが可能になった オーバー ストリンギングは年代にジャン アンリ パップによって発明され アメリカ合衆国におけるグランドピアノでの使用の特許は年にヘンリー スタインウェイによって取得された テオドール スタインウェイが年に特許を取得した デュープレックス スケール もしくはアリコット スケール は 張られた弦の共鳴長に続く部分を 共鳴長とオクターヴの関係に調律することで 弦の各部分の振動を制御する技術である 類似のシステム アリコート張弦 は 同じく年にブリュートナー社で開発されたほか コラード社は よりはっきりとした振動を使って響きを調える技術を年に開発している 初期のピアノの中には 一般に見慣れない外形や設計を用いているものもある スクエア ピアノは地面と水平に弦を張ったケースが長方形の楽器で ハンマーの上に対角線状に弦を張り ケースの長辺側に鍵盤が設置されている スクエア ピアノの設計の原型はさまざまにジルバーマンおよびクリスチャン エルンスト フレデリチに帰されており ギュイヨーム レブレヒト ペツォルトとオルフェウス バブコックによって改良された 世紀後半にはツンペによりイギリスで人気を博し 年代には アメリカ合衆国にてスタインウェイの鋳物フレーム オーバー ストリンギング スクエア ピアノが大量生産され 人気を博した スタインウェイのスクエアは 木製フレームのツンペの楽器に較べて 倍以上大きかった スクエア ピアノは 製作コストが低く 安価なために大人気であったが 簡単な構造のアクションと 弦の間隔が狭いために 演奏のしやすさや響きの点からは難があった アップライト ピアノは弦を垂直方向に張った楽器で 響板とブリッジを鍵盤に対して垂直に設置する 開発初期のアップライト ピアノでは 響板や弦は鍵盤よりも上に設置し 弦が床に届かないようにしている この原理を応用し 鍵盤の上方に斜めに弦を張るジラフ ピアノ キリン ピアノ やピラミッド ピアノ リラ ピアノは 造形的に目を引くケースを用いていた 非常に背の高いキャビネット ピアノは サウスウェルによって年に開発され 年代まで生産されていた 鍵盤の後にブリッジと連続的なフレームが設置され 弦はその上に垂直に張られ 床近くまで延び 巨大な スティッカー アクション を用いていた 同じく垂直に弦を張る 背の低いコテージ アップライト ピアニーノとも は ロバート ワーナムが年頃に開発したとされ 世紀に入っても生産されていた このタイプの楽器は すぐれたダンパー機構を持ち 俗に 鳥カゴピアノ と呼ばれていた 斜めに弦を張るアップライト ピアノは ローラー エ ブランシェ社によって年代後半にフランスで人気を得た 小型のスピネット アップライトは年代半ばより製作されている このタイプの楽器では ハンマーの位置が低いために ドロップ アクション を用いて必要な鍵盤の高さを確保している ゲーム は 勝負 または勝敗を決めること 守るべきルールがあり 環境または他人との相互作用を元に行なわれる活動である 日本語へ取り入れられた際にプレイ と混同され 国内では和製英語として 遊び や 遊戯 の意味で使用されることもある そのため本項では 遊び にも重点を置いた解説をする 以下はよく使われるゲームの定義である 哲学者のウィトゲンシュタインは 著書 哲学探究 のなかで カテゴリ化に関する議論のなかでゲームの定義を議論した おそらくゲームを定義づけようとした最初の議論と考えられている ゲームと呼ばれているものは ルールや競争を共通の要素として持っている しかし 彼は どのようにゲームを定義づけようとしても 必ずその定義から外れてしまうような ゲーム とみなされる活動 があると述べ しかしそれでもなお ゲームと呼ばれるものには一定の類似点 家族的類似性 によってゆるやかにまとまっていると主張した フランス人社会学者のロジェ カイヨワは 著書 遊びと人間 のなかで 以下のようにゲームを定義した すなわち 楽しみのために行なわれること 時間と場所が区切られていること 勝敗が不確定であること 何かを生産するものではないこと ルールに支配されること 現実の活動から意識的に切り離されていることをゲームの参加者が知っていることである また彼は に対応するパイディア 娯楽 の類型に対するものとして ルール的制約をもちに対応するルドゥス 闘技 を提案した ゲームデザイナーのグレッグ コスティキャンは雑誌 の記事 において 例えば シムシティ の作者ウィル ライトが自分の作品を ゲーム ではなく おもちゃ であるとしている言葉などを引きつつ ゲームとは 充分な情報の下に行われた意思決定 をもって プレイヤーが与えられた資源を管理 しつつ自ら参加し 立ちはだかる障害物を乗り越えて目標 達成を目指す ものであるとした ゲームデザイナーのクリス クロフォードは二分法の一連を使ってゲームという用語を定義することを試みた したがって クロフォードの定義は次のようにされるかもしれない 遊ぶアクティブなエージェントとの 互いに干渉できるインタラクティブでゴール指向の活動 エニックス元社員のは著書 人生ドラクエ化マニュアル ワニブックス 年 の中で ゲームとは目的を達成する為のルールに基づいた敵との楽しい闘い と定義した さらに この定義に基づき 目的 ルール 敵 をゲームの三大要素だとした そして あるものに このゲームの三大要素 目的 ルール 敵 を導入することにより そのあるものをゲーム化できる というゲーム化理論を考案した ゲームのルールあるいはゲームのプレイに必要な情報は プレイヤーの間でよく知られたものと仮定される 完備情報の仮定 ゲーム理論そのものは そのような名前ではあるが ここで扱っている ゲーム を研究することは主な目的ではないが ちなみに そちらはゲーム研究という ゲーム理論において状況の分析などに使う分類はゲーム研究でも有用なため しばしば流用される まず前述のように 一般にここで扱っているようなゲームでは 完備情報ゲーム 不完備情報ゲーム という分類では 完備である 一般によく使われる表現に 人数 非 ゼロ和 無 有 限 不 確定 不 完全情報 という要素を並べたものがある 例えばチェスなど多くの伝統的ボードゲームの分類である 二人零和有限確定完全情報ゲーム などである 以下の節のうちのいくつかは この分類法中に含まれるような話題を扱っている ゲームはしばしば 必要とされるコンポーネントによって分類される ミニチュアゲーム 球技 カードゲーム ボードゲーム コンピュータゲームなど よく皮革が使用される場所で ボールは歴史を通じてポピュラーな試合の部品であり 結果としてラグビー バスケットボール フットボール クリケット テニス バレーボールなどの球技は世界的に人気になった 他のツールは一定の地域に特有である たとえば ヨーロッパの多くの国ではユニークなトランプの標準的なデッキを持っている チェスなどのほかのゲームは主にそのゲームのピースの開発と発展を通じて追跡されるかもしれない 多くのゲームのツールはトークンであり 他のものを表すことを意図される トークンはボード プレイマネー または得点などの無形のアイテムの質入であることがある かくれんぼまたは鬼ごっこなどのゲームはどのような明白なツールも使用しない むしろ それらのインタラクティブ性は環境によって定義される 環境が変更されるならば 同じ または同様な規則を持つゲームは違うゲームプレイを持つかもしれない たとえば学校の建物でのかくれんぼは公園の同じゲームと異なる オートレーシングは同じ車によってもレーストラックまたはストリートレースのコースに依存して根本的に違うことがある ランダム性 乱数的な要素 の有無という視点である 確定ゲーム と不確定ゲーム 確率的ゲーム といった用語がある の例として 各種トランプゲーム まわり双六 バックギャモンなどがある トランプゲームにおいてはカードをシャフルする かき混ぜる 事がランダムさの源で まわり双六やバックギャモンにおいてはサイコロの目に従うことがランダムさの源である の例としては囲碁 将棋 チェス チェッカー ダイヤモンドゲームなどがある これらのゲームでは偶然の要素はない コンピュータの登場とそのコンピュータネットワークの発達によって ゲームに多彩なルールと環境と対戦相手をもたらし プリンタによる紙出力やディスプレイと呼ばれる表示装置にグラフィックや画像と呼ばれる絵を映し出すことで表現される世界や オンラインというコンピュータなど介したネットワークで接続された環境も用意することができるようになった こういったコンピュータを使用する形をとるコンピュータゲーム 電子ゲーム テレビゲーム に日本が家庭向けパッケージ製品の世界シェアを多くもつことにもなったおかげで 日本で ゲーム と言えばコンピュータを使ったゲーム機 ゲームソフトを指す呼称にもなっている ゲームがもし 勝ち負けを競うもの だとしても 競う相手は一人からでも楽しむ事のできるゲームも数多く存在する 一人で楽しむ事のできるゲームはソリテール ソリティア もしくはペーシェンスと呼ばれる ソリテールの多くは 事前目標に到達できたことを 勝ち そうでないことを 負け とも考えられる ソリテールにはボード カードなどを使うものも昔から多様な種類が存在することも知られている 一人で遊ぶ事を主眼としたコンピュータゲームなどはソリテールに分類する事もできる ソリテール以外のゲームに 参加する人数が固定しているもの 例えばの話だが囲碁 将棋 コントラクトブリッジなどと そうでないもの 例えばの話だがポーカー 並べ ババ抜きなどがある 固定しなくても 上下限があるものも数多く存在している ほとんどのゲームは複数のプレイヤーを必要とする しかし シングルプレイヤーゲームは プレイヤーが直面している挑戦のタイプとしてユニークである ゲームのゴールに到着するために互いに張り合っているマルチプレイヤーゲームと違って シングルプレイヤーゲームは環境 人工的な相手 の要素に対する 自分のスキルに対する 時間に対する またはチャンスに対するのみの戦いである ヨーヨーで遊び 壁を背景としてテニスをすることは 一般的に 手ごわい相手の欠如のため試合と認められない コンピュータが相手を提供する場合 コンピュータゲームをシングルプレイヤービデオゲームと評することは有効ではない コンピュータが記録するのみであるならば ゲームは正当にシングルプレイヤーとされることがある シングルプレイヤー と評された多くのゲームは実際にはパズルまたはレクリエーションと名づけられるかもしれない 囲碁 将棋 オセロなどは 現在の相手の手がすべて分かるという意味で 隠された情報がないゲームである 完全情報ゲーム これに対し ポーカー 麻雀などは 相手の手など プレイヤーから隠された情報を推測するという要素の加わるゲームといえる 不完全情報ゲーム ゲームの必勝法探索問題それ自身の困難性は 今のところ定義されておらず ゲームのクラスに対する必勝法探索問題の困難性が定義されている ハミルトンゲームは完全問題である 先手後手あわせて 手で終了するゲームの必勝法を探索する問題は に属する 一般化された しりとりは完全問題である 尚 二人零和有限確定完全情報ゲームには必勝法があることが知られている ゲームがしばしばそれらのツールによって特徴付けられ また規則によって定義される 規則がハウスルールに左右され 規則の十分な変化は結果として通常 新しい ゲームを生じさせる たとえば 野球は本当の野球によって またはウィッフルボールによって行われる しかし プレーヤーが つだけのベースによって遊ぶと決めるならば 彼らは間違いなく違うゲームをしている いくつかのゲームが意図的に自身の規則の変更に関係していることを例外として そのときでさえしばしば不変のメタ規則が存在する ルールは一般にターンオーバーと プレイヤーおよび各プレイヤーのゴールの権利と責任を決定する プレイヤーの権利は 資源を使用することやトークンを動かすことを含む よくある勝利条件は 最初にポイントまたはトークンの一定の割合を貯蔵すること カタンの開拓者たちなど ゲームの終わりにより多くのトークンを持つこと モノポリーなど ゲームのトークンを特定の条件に置くこと チェスの詰みなど である ゲームのツールと規則は結果としてスキル 戦略 運またはそれらの組み合わせの必要性を生み出すであろうし それに応じて分類される スキルのゲームはレスリング 綱引き 石蹴り ライフル射撃 スケートなどの物質的なスキルのゲームとイングリッシュドラフトとチェスなどのメンタルスキルのゲームを含む 戦略ゲームはイングリッシュドラフト チェス 囲碁 アリマア 三目並べを含み しばしば特別な道具を必要とする 運のゲームはギャンブルゲーム ブラックジャック 麻雀 ルーレットなど および蛇と梯子やじゃんけんを含む 多くはカードやサイコロなどの機器を必要とする しかし ほとんどのゲームはこれらのうちつまたはつの要素を含む たとえば アメリカンフットボールや野球は物質的なスキルと戦略の両方に関係し ティドリーウィンク ポーカー モノポリーは戦略と運を結合する 多くのカードゲームとボードゲームはつすべてを結合する ほとんどのトリックテイキングゲームやリスク カタンの開拓者たち カルカソンヌなどの多くの戦略的なボードゲームは メンタルスキル 戦略 および運の要素に関係している 多くのスポーツは特別な装備と専門の運動場を必要としており プレイヤーのグループよりずっと大きいコミュニティの関与を引き起こす 都市や街はスポーツのリーグの組織のためにそのような資源を保持することがある 人気のあるスポーツはゲームを見ることのみによって楽しむ 見るスポーツを行うものを持つことがある コミュニティはしばしば おそらくそれを象徴するであろうローカルなスポーツチームと チームまたはほとんどのプレイヤーが加わったばかりであっても 提携する 彼らはしばしば相手に対して自身を位置合わせするか 伝統的なライバル関係を持っている ファンの概念はスポーツのファンを起源とする スタンリー フィッシュは社会建築 試合のツール上の規則の操作 のクリアな例として野球のボールとストライクを挙げた ストライクゾーンの目標がゲームの規則によって制御される間 人がそれらを本当であるとみなすことに合意したことのみもって それは存在しているもののカテゴリーを典型的に示している 問題についての判断が現在の試合の中で問題にされることがないような適切な権限である審判員によってラベルを付けて分類されるまで どの投球もボールまたはストライクではない 競争相手が相互作用しないので 競走や体操などの一定の協議は 近代オリンピックにおける多くの含有にもかかわらずクロフォードなどの定義によるゲームではない 彼らは間接的な方法で互いに挑むのみである また ゲーマーによるコンピュータゲームを競技とするスポーツも行われている ローンゲームは 一般に フィールド またはピッチより小さい 刈り取られた草 または等級付けられた交互の土 のエリアにある芝の上で行えるアウトドアのゲームである ピッチの上で伝統的に行われる多くのゲームのバリエーションは家庭の前庭や後庭での使用のために ローンゲーム としてマーケティングされる メジャーなローンゲームはホースシュー ショルフ クロッケー ボッチェ ローンボウルズ およびスケートを含む 卓上ゲームは一般に 遊びの要素が小さい領域に制限され 通常ゲームのピースを置き 回復し 動かすことのみで構成され 激しい運動を必要としないゲームを指す したがって これらのゲームんほとんどは プレイヤーが座り ゲームの要素が存在するテーブルで行われる さまざまな主要なゲームの型は一般に卓上ゲームのうちに入る このカテゴリー 特にパーティーゲームに分類される多くのゲームが 遊びにおいてもっと自由な形式で たとえ 基本的な前提が ゲームが広い領域 大量の力やスタミナ 箱に入らない専門的な機器を必要としていないことであっても パントマイムなどの身体活動に関係することを行うことが可能であることには注目する価値がある 時 鉛筆と紙のようなものが必要になる ゲームのこの分類は 関係しているスキルの要素が手先の器用さまたは手と目の統合と関連しており コンピュータゲームを除くあらゆるゲームを含む ジャックス ペーパーフットボール ジェンガなどのゲームは 非常にポータブルな または即席で作られた機器のみを必要とし あらゆる平面で行われる一方 ピンボール ビリヤード エアホッケー テーブル フットボール テーブルホッケーは専門的なテーブルまたは試合用のその他の内蔵モジュールを必要とする テーブルホッケー ビリヤード ピンボール テーブル フットボールは私的および公的なゲームルームで人気のある備え付け品であり続けるが ホームビデオゲームシステムの出現は主としてテーブルホッケーなどのこれらのいくつかを取り替えた これらのゲームは 反射とコーディネーションを必要としているので 一般に酔った人によってより不十分に実行されるが 結果として怪我を受けることがありそうにない このようなゲームはドリンキングゲームとして人気がある さらに クォーターズなどの専門のドリンキングゲームもまた身体的な調整力に関係し 同様な理由のために人気がある ボードゲームは プレイヤーのステータス 資源 進歩が 物質的なトークンを使用して追跡されるボードを中心的なツールとして使用する 多くはサイコロやカードを使用する 戦略的な戦闘をシミュレーションするために多くのコンピュータゲームが作成されたが 戦争のシミュレーションをするほとんどのゲームはボードゲームであり ボードはプレイヤーのトークンが移動するマップであることである 事実上全てのボードゲームは ターンベースの 遊びに属する 人のプレイヤーが考え 移動し そして次のプレイヤーが同じことをし プレイヤーは順番に作用できるのみである いくつかのカードゲーム ほとんどのスポーツ ほとんどのコンピュータゲームのような リアルタイムの 遊びに反する チェス 囲碁 将棋 オセロなどのいくつかのゲームは完全な決定論であり 興味は戦略要素のみである 一方では子どものゲームは非常に幸運ベースである傾向がある たとえばキャンディランドは作成される決定の要素を事実上全く持っていない 他のボードゲームは戦略と幸運の要素を結合する バックギャモンはつのサイコロのロールに基づいた最もよい戦略的な動きを決定することをプレイヤーに要求する トリビアゲームは 人が得る問題に基づいたたくさんの無作為性を持っている ユーロゲームは 多くのボードゲームより幸運のファクターがやや少ないことがしばしば存在することについて有名である ボードゲームのグループは 上で述べられているトリヴィアゲーム ユーロスタイルボードゲームのほかにレースゲーム ロール アンド ムーブ ボードゲーム アブストラクトゲーム 言葉遊び ウォー シミュレーションゲームを含む いくつかのボードゲームは複数のグループに属し 他のジャンルの要素を含んでいる たとえば クラニアムはひとつの人気のある例であり プレイヤーはつの主要なスキルのそれぞれに成功しなければならない 芸術性 ライブパフォーマンス トリヴィア 語学力 カードゲームは中心的なツールとしてカード一組を使用する これらのカードは 標準的な枚の英米式トランプデッキ コントラクトブリッジ ポーカー ジン ラミーなどを行う 違うスート記号による 枚の地域的なデッキ ドイツのスカートなど 枚のタロットカードのゲームのデッキ ヨーロッパでトリックテイキングゲームを行うために使用される あるいは個のゲームに特有のデッキ セットやブランクホワイトカードなど であることがある とロークは元来標準のデッキとされたが その後カスタマイズされたデッキが商品化された例である などのいくつかのトレーディングカードゲームは大きな入手可能なセットから個に収集されるか購入されるカードの小さなセットによって行われる いくつかのボードゲームはゲームプレイの要素として 通常ランダム化のために またはゲームへの注意を継続させるためにカード一組を含む 逆に スコアを維持するために クリベッジなどのいくつかのカードゲームはムーバーとボードを使用する そのような場合のつのジャンルの間の区別は ゲームのどの要素が真っ先に作動しているかに依存する ランダムな行動のためにカードを使用しているボードゲームは通常ランダム化のほかの方法を使用でき 一方クリヘッジはちょうど同じぐらい容易に紙に得点を記述することができる 使用されるこれらの要素は 単に目的を達成する伝統的でもっとも容易な方法である ダイスゲームは中心的な要素として多くのサイコロを用いる ボードゲームはしばしばランダム化要素のためにサイコロを用い サイコロの各ロールはゲームの結果への深い影響を持っているが サイコロがゲームのほかの要素の成功か失敗かを判断しないので区別される 代わりにこれらがゲームをする人の中心的な指示者である 有名なものにはヤッツィー ファルクレ ブンコ ブラフ デュド ポーカーダイスなど サイコロが ごく自然に 見たところ乱数の生成を行うようにデザインされるので これらのゲームは通常運の占める程度が高い プレイの戦略的な要素を通じて そして確率論の教義を通じてある程度プレイヤーが指示することができる このゲームはギャンブルゲームとして人気がある ブラフやポーカーダイスは本来ギャンブルゲームとして考えられたが 現在おそらくもっとも有名な例はクラップスである ドミノゲームは多くの点でカードゲームと同様であるが 代わりの一般的な機器は つの終わりを持ち それぞれにいくつかの数のドット あるいは 目 が置かれ 上で現れるつの可能な終端の値がセットの中にユニークであるような ドミノと呼ばれるタイルのセットである ドミノゲームは 主にマッチしている他のドミノの終端にプレイヤーの 手 からドミノをプレイしている中心に置くことによってプレイされる このとき全体のオブジェクトは すべてのオープンな終端を与えられた数に達せさせるため あるいは単にボードの上に人の手からすべてのドミノをプレイするために 常にプレイを作ることができるかもしれない セットは一つの終端の可能なドットの数の中で およびピースの組み合わせの数によってさまざまである 歴史的に最も一般的なセットはダブル シックスであるが 最近はダブル ナインのようなより 拡張 されたセットが導入されている これはゲームにおいてより大きな手と多くのプレイヤーの参加を許す マギンズ メキシカントレイン チキンフットは非常に人気のあるドミノゲームである はトリックテイキングカードゲームに非常に類似しているドミノゲームである 伝統的なドミノのバリエーションは以下の通りである トリオミノは理論において同様であるが 三角であり つのタイルあたりつの値を持っている 同様に クアッドオミノスとして知られているゲームは角形のタイルを使用する いくつかの他のゲームはカードの代わりにタイルを使用する ラミーキューブはアングロ アメリカン式トランプに非常に類似している 色の間でランクを上げていくことを数えるタイルを使用する カードゲームラミーの同種である 麻雀はカード風の値と絵によるタイルのセットを使うラミーに非常に類似している別のゲームである 最初に プレイするゲームのほかの要素の上で ボードのレイアウトを形成するために いくつかのゲームはグラフィカルなタイルを使用する カタンの開拓者たちとカルカソンヌがその例である それぞれの中で ボード は一連のタイルからなる カタンの開拓者たちの中で 最初のレイアウトはランダムであるが静的であり カルカソンヌではゲームはタイルごとのボードである 建物 によってプレイされる ボードを全く持っていないが ピースを動かすためにタイルを使用する抽象的な戦略ゲームハイブはチェスに類似しているメカニカルで戦略的な要素を持っている ピース自身がレイアウトを形成し また動くことができる この種類のゲームは文房具以外の専門的な機器をほとんどまたは全く必要としない ただし ボードゲームとして商品化される たとえば スクラブルはクロスワードパズルのアイディアに基づき ボックス型のグリッドとピースによる三目ならべセットは商業的に入手可能である これらのゲームは多様であり ピクショナリーのような描かれたデザインに注目しているゲームや スプロウツのような点と点を結ぶゲーム ボッグルやスカッテルゴリエスなどの文字と言葉のゲーム 数独やクロスワードパズルなどのソリテールとロジックのパズルゲームがある 推理ゲームは 人のプレイヤーが知っている情報をコアとして所持し オブジェクトは テキストまたは話された言葉の中で事実上それを漏らさない情報の断片を推理することを他人に強いることである ジェスチャーはおそらくこのタイプのもっとも有名なゲームであり キャッチフェイズ タブー ピクショナリーなどの 通信のタイプの異なる規則に関係しているたくさんの商業用のバリエーションを生み出した このジャンルはまたウィン ルーズ オア ドロー パスワード およびドルのピラミッドなどの多くのゲームショーを含む コンピュータゲームはコンピュータをゲームルールの情報処理に深く利用している コンピュータは カードまたはサイコロなどの 人あるいは人工知能との間でのゲームで使用されるバーチャルなツールを作成することができるか ゲームプレーをとおじて処理できる現世の もしくはファンタスティックなものよりずっと精巧な世界をシミュレーションすることができる ビデオゲームではつ以上の入力デバイスを使用する アーケードゲームでは一般的に押しボタンとジョイスティックの組み合わせである パーソナルコンピュータ用ゲームではキーボード マウス トラックボールである ゲーム機ではゲームコントローラまたはモーションセンシティブツールである パドルコントローラなどのより難解な機器も入力のために用いられる コンピュータゲームにおいて 単純なキーボードからマウス ジョイスティック ジョイパッドにいたるまでのユーザーインタフェイスの発展はゲームの開発の性質を大きく変更した 多くのジャンルのビデオゲームが存在する 最初の商業用ビデオゲームポンは卓球の簡単なシミュレーションであった 処理パワーの増大に伴い アドベンチャーやアクションゲームなどの新しいジャンルが開発された これが障害の一連を通じて第三者の眺望からキャラクターを誘導しているプレイヤーに関係した この リアルタイム 要素は 一般に ターンベースの 戦略に制限されるボードゲームによって容易に再現されない この有利さは ビデオゲームがより現実的に戦闘などの状況をシミュレーションすることを可能にする さらに コンピュータゲームの遊びは実世界の表現と同じ物質的なスキル 力 危険を必要とせず 空想的な自然 物質的な暴力を伴っているゲーム またはスポーツのシミュレーションの要素を許し 非常にリアルだが 誇張されるか不可能な物理学を提供できる 最後に シングルプレイヤーのよってプレイすることができるシミュレーションを引き起こし コンピュータは成功のさまざまな程度によって チェスなどの伝統的なテーブルゲームにおいて人以上の人の相手をシミュレーションすることができる サンドボックススタイルゲームとして知られるより無制限のコンピュータシミュレーションにおいて ゲームは プレイヤーが自由にこの宇宙の限界の中で好きな何かをすることができるかもしれないバーチャルな環境を提供する 時 ゴールの不足または欠如があり これは これらが ゲーム または おもちゃ のどちらと考えられるべきであるかについてのいくらの討論を起こした クロフォードは特におもちゃの例としてウィル ライトのシムシティに言及する ネットワーク化された時分割方式のコンピュータの最初期から オンラインゲームは文化の一部であった などの初期の商用システムは厳密に教育的な分野と少なくとも同じくらいゲームによって有名であった 年 は訪問者の日を支配し ブルックヘブン国立研究所のオシロスコープに注意を引きつけた 年代 パロアルト研究所は主にメイズウォーによって知られていた それは訪問者に実地のデモとして提供された パソコンで遊べるゲームはフラッシュゲームなどもある 現在のオンラインゲームはインターネット接続を使用して行われる いくつかがクライアントプログラムを献呈した一方 ブラウザゲームはウェブブラウザのみを必要とする いくつかのより簡単なブラウザゲームは ビデオゲームをほとんどしない人口統計のグループ 特に女性と中年 にアピールする コンピュータゲームは出現したニューメディアのランドスケープの全てのセクタでよく設立される メディアは つだけの方法を循環する伝統的な方法からインタラクティブな方法へ変換する これはビデオゲームの世界中で広がっている現象である これは オンラインとオフラインの空間が別れずに 合併される と考えられることができる方法の明白な例である 社会的変化と開発の結果としてメディアの客の特徴が変化する 彼らはアクティブになり これまでよりもっと対話する この現象において ゲームのプレイヤーは私たちの社会の中での構成に似ている 彼らは両方とも自動調節であり 彼ら自身の社会規範を作成していて ゲームのコードを通して そして時 それを実行する人によるゲームの取締りを通じて 規則と強制に縛られる 取り締まられる価値はゲームによって変わる ゲーム文化の中にエンコードされた価値の多くはオフラインで文化的な価値を反映するが ゲームはまたチャンスを強調の選択肢に提供したり ファンタジーと遊びの名において価値を鎮圧する 新しい世紀のゲームのプレイヤーは現在見たところゲームを通じて深い自身を表現している 彼らが匿名のステータスによって遊ぶことができるときに 急ぎ また一度も外出したことがないポジションから外に進むことを発見できる それらはコンピュータ技術のインタラクティブで浸水の可能性に基づいた新しい体験と楽しみを提供する としばしば省略されて呼ばれるロールプレイングゲームは 通常 参加者が虚構の設定上で活動するキャラクターの役割を受け持つタイプのゲームである 本来のロールプレイングゲームという用語が指す テーブルトークロールプレイングゲーム とも呼ばれるこれらのゲームは通常 テーブルに向かい合った複数人の参加者によってプレイされ 筆記具と紙を用いたフィクションの展開に終始傾注する プレイヤーたちは協力して 彼らのキャラクターに関連した設定を作り その設定を発展させ 探求し また他人になりきって日常生活の枠を飛び越えた冒険を経験することになる 今日のテーブルトークロールプレイングゲームは 伝統的なジャンルの境界を越えて 様な作品が作られており 戦闘重視なものから よりストーリー重視なものまで 数百種類のゲームが存在している ロールプレイングゲームという用語は 今日ではコンピュータを指すためにも使われる 日本ではより一般的でもある あらかじめプログラムされた状況とストーリーを単独のプレイヤーが遊ぶゲームであることが多いが インターネットの発達により と呼称される小規模 大規模の複数プレイヤーが参加するコンピュータも存在する また 一人で コンピュータを用いずにプレイできるテーブルトークロールプレイングゲームとして ゲームブックなども存在する ビジネスゲームはインタラクティブなボードゲームから 違う支柱 ボール ロープ 輪など と活動のさまざまな種類に関係しているインタラクティブゲームまでのさまざまな形式を取ることができる これらのゲームの目的は組織的な性能のいくつかの面にリンクし ビジネスの発展についての議論を生成することである 多くのビジネスゲームは組織的な行動に注目する これらのいくつかがコンピュータシミュレーションである一方 他方はプレイと情報の聞き出しによるシンプルなデザインである チームビルディングはそのような活動の共通のフォーカスである 用語 ゲーム はさまざまな活動のシミュレーションまたは再現を含み 訓練 分析 予測などのさまざまな目的のために 実生活 で使うことができる 有名な例は軍事演習と役割演技である この意味の根は 先史時代に端を発するかもしれないことが 原始文明を観察することから人類学によって推論された それにおいて 子どものゲームは重要なほどに狩猟 戦争 看護 などの大人の活動を真似する これらの種類のゲームは現代に保存される デザインゲーム とは まちづくりにおけるシミュレーションの一種で 具体的な空間計画等を行う際に 空間イメージをシミュレーションし 目標のイメージを関係者で共有するための手法 ワークショップのような集会において 参加者が意見やアイデアをだし合い 実際に設計やデザインに参加する ワークショップ形式での新しい公園やまちを計画する際など住民参加型の計画に用いられる 種類として 将来の町の姿をシミュレーションする ライフデザインゲーム や 町の更新をシミュレートする 建替えデザインゲーム など各種ある タンゴ とは タンゴのうちでとくに名高く重要なのはアルゼンチン タンゴ すなわちブエノス アイレスに起こりそこを本場として発達したタンゴである タンゴが生まれた経緯は不明だが 世紀の後半に と記された手稿譜が見つかっており 盛んにイベリア半島で踊られていた その後 スペイン帝国による植民地政策の結果としてラプラタ川の河口地域の人にこのダンスパターンが伝わり 年にはすでに出版譜が見つかっており 年以降にバンドネオン フルートなどの混合されたアンサンブルを伴ったダンススポットが強烈に流行した ポピュラー音楽およびダンスの一形態で カンドンベ ミロンガ ハバネラなど複数の音楽が混ざり合って世紀半ばにブエノスアイレス モンテビデオ近辺のラ プラタ川流域で生まれた アルゼンチン タンゴは今から約年前に アルゼンチンの首都ブエノスアイレスの港町ラ ボカ地区から始まった ともされる ただ その前から アフリカ系アルゼンチン人のコミュニティーで タンゴ と称する音楽がはやっていた アルゼンチンタンゴ ダンスはスペインやイタリアからの貧しい移民のフラストレーションのはけ口として ボカ地区の酒場で生まれた踊りといわれる 日頃の不満を歌にし 最初は単身赴任の男性達が酒場で荒しく男性同士で踊った とも 娼婦を相手に踊られるようになった ともいわれる しかし 実際には記録はほとんど残っていないため 正しいことはわかっていない ただ リズムに関してはキューバのハバネラ ヨーロッパ伝来のワルツ アメリカ伝来のフォックストロット アフリカ起源で南米のいくつもの国に広がったカンドンベ アルゼンチンのパンパで生まれたミロンガなどが 初期のタンゴに影響を与えた 日本では 本場アルゼンチンのタンゴを アルゼンチン タンゴ と呼び ヨーロッパに渡って変化したタンゴを 日本の某レコード会社が和製英語を作りだし それをジャケットなどに印字して日本人をミスリードした結果 コンチネンタル タンゴ という和製英語で呼ぶことが行われるようになり あるいは ヨーロッパ タンゴ と呼び 日本でのタンゴの普及は 昭和初期から戦前までにアルゼンチンから一部移入がされたものの その後戦後にかけて移入したのは むしろヨーロッパからムード音楽の一環としてのそれであり いわゆる コンチネンタル タンゴ の類であった すなわち 競技ダンス 社交ダンスで用いられるジャンルのタンゴのための舞踊音楽であった よって 長らくタンゴと言えばマランド アルフレッド ハウゼといったイメージで 多くの場合理解されていた しかし年代からはオスヴァルド プグリエーセ フランシスコ カナロなどの大御所たちもこぞって来日を果たしており 一部の聴衆から熱狂的な支持を生んだ ただ 楽器の習得や様式の完成に非常に時間がかかり 専門的な教育機関も存在しない日本で学習するのは非常に困難なジャンルという認識もあった いったん上記の競技ダンスや社交ダンスが一般的には下火になっていた年代後半 米国で成功した タンゴ アルヘンティーノ 公演が日本にも移入し これ以降 アルゼンチン タンゴが普及するようになった 現在は鬼怒無月のように調性を廃したタンゴ アヴァンギャルド エレクトロニクスをフル活用したタンゴ エレクトロニコなどの新たな可能性が日探られている インターネット ラジオも アルゼンチンではない国からアルゼンチン タンゴが時間流れ続ける例が存在するなど 新しい聴取者層を獲得している 近年は日本のみならず韓国や台湾などもタンゴの音楽家が続と増えており 技術的に本場とほぼ変わらないレヴェルのテイクも珍しくない 弦楽器の騒音的奏法 ヴァイオリン群による集団グリッサンド バンドネオン本体への打撃 コントラバスのコルレーニョバトゥット ピアノとバンドネオンのトーンクラスターが典型例だがピアノの内部奏法はタンゴ アヴァンギャルドを除いて行われることがない バンドネオンが用いられることが特徴である また 非常に鋭いスタカートでリズムを刻むにも関わらず打楽器を欠く オルケスタティピカに始まりキンテートを通過し 現在はこの枠ではくくれない編成も多い またバンドネオンなしのピアノと弦のみの演奏もある ギターの伴奏と歌によるタンゴも カルロス ガルデルらが録音を残し高く評価されている アストル ピアソラの作品のように クラシック音楽の演奏家によりクラシック音楽のスタイルで演奏されるものもある 特に 年代後半頃からアコースティックギターなども使われるようになってきた 少しでも伝統を外すと タンゴのイメージに合わない アルゼンチン タンゴを騙っているだけ という苦情が寄せられることも多く ウルグアイとアルゼンチンですら激しい対立があることで有名だが 多種多様な実験が多くの聴衆に受け入れられてきたことも事実なのである 楽器編成は通常のポピュラー音楽での管弦楽編成に近い ムード音楽的演奏から マランドのように歯切れの良いリズムを重視したアルゼンチンスタイルに近い演奏までさまざまである 一般的にはアコーディオンが用いられるため バンドネオンの鋭いスタッカートではなく オーケストラの分厚いくぐもったスタッカートが多い ヨーロッパのタンゴは日本では コンチネンタル タンゴ という和製英語で呼ばれているが 正しい英語では ヨーロピアン タンゴ と言い ヨーロッパで大雑把にひとくくりにしたがる人がいても 実際には国ごとにそれなりに傾向は異なり ジャーマン タンゴ ロシアン タンゴ フィニッシュ タンゴ フレンチ タンゴ チロリアン タンゴ ダッチ タンゴ デニッシュ タンゴなど各国ごとのタンゴに細分化することも可能である 北欧フィンランドのタンゴ フィニッシュ タンゴ はどうかと言うと フィンランドでは年代からタンゴ演奏が始まったため 日本より伝統が長い アコーディオンが使われる 短調にこだわり哀調を帯びさせる ことが必須になっており 朗らかさは無く その点で南欧のタンゴとは異なっている 現在はアストル ピアソラ国際演奏コンクールの優勝者も輩出するなど 演奏の質の高さには定評がある 毎年必ず行われるが有名 小編成が圧倒的に多い アルゼンチン タンゴの中になかった楽器も積極的に取り入れられており なおかつコンチネンタル タンゴのような妥協を行わない点が特徴 かつてはオルケスタ ティピカ 東京 坂本政一とオルケスタ ティピカ ポルテニヤのようなオルケスタ ティピカを組織するのが一般的であったが 年代の低迷期に入ってからは小編成が有力となった アルフレッド ハウゼ楽団のようなコンチネンタル タンゴの人気も日本ではかなりある 年代は日本でもアストル ピアソラが人気を博したこともあり ピアソラ スタイルを表面的に模倣した楽団も見られた 年から毎年必ず行われる民音タンゴ シリーズが有名で 同シリーズは年時点で回を重ねている かつてのジャパニーズ タンゴとは 法被を着てバンドネオンを弾き 着物を着て歌を歌い ジャケットには富士山が描かれる といったステレオタイプなものを指していた 年代は このようなスタイルを日本人がとることは最早ない 日本は年代に戦争の影響で音楽活動が制限されたために 年代こそアルゼンチン タンゴの全盛期であった とする現地民と意見が食い違うタンゴ ファンは今もなお 年代生まれの日本人に多い 日本人にとってのタンゴの黄金期は年代末期を完璧に演じきったオルケスタ ティピカ ヴィクトルで知られる年前後 日本のタンゴ楽団の活動と活発な放送による啓蒙で知られる年前後 そしてインターネットによる新たなファン獲得に成功した年代を印象に残る日本にとっての黄金期と捉える人物が多い タンゴでは 作曲者の作ったメロディーは大切にされるものの 演奏する楽団の編曲により 新たな旋律や副旋律がつけられたり 変奏 がつけられたりすることが当然のようになっている たとえば ラ クンパルシータ は ヘラルド マトス ロドリゲスの作曲したメロディーの他に ロベルト フィルポが付け加えた中間部が好評を呼び 著名度が高いタンゴとなった タンゴについては やはり演奏する楽団の編曲の良し悪しが 聴いている聴衆の満足度につながるものとされる これはバッハのコラール編曲と事情が似ており コラール原曲より付された対旋律のほうが有名 といった古事を継承している なお 楽譜からはずれる即興演奏は 避けられる方向であったが アストル ピアソラのように即興演奏を好むタンゴ演奏家もいる ピアソラは徹底的に 書き譜 を売ることで顰蹙を買ったが タンゴ楽団の譜面には自分たちの芸風を示したメモは一切書かないのが本当は主流で 伝統的にはすべて演奏様式は口承である アストル ピアソラやそれ以降の楽団のモダンタンゴの解釈については 古くからのタンゴ愛好家で違和感を覚えるような声が多くあった これは ジャズやジプシー楽団から引き抜かれた人物が独自の癖を披露したからである その一方で そのモダンタンゴに感銘を覚えるタイプのタンゴ愛好家も増えてきている 世紀に入ると 古典またはアルカイックタンゴ専門の楽団も出現している タンゴの曲の多くには スペイン語 リオプラテンセ スペイン語 の歌詞がついているが 最後の酔い の 酔い のようにブエノスアイレス地方の俗語である ルンファルド がよく用いられる 日本の西和辞典で引きづらいこともしばしばである また あんた に相当する およびそれに相当するという南米の言い回しボセオ が出てくることもある ボセオについては 日本の西和辞典では 具体的な活用形ですらも取り上げられているとはいえない状態である 英語の や その他のサイトで調べるしかない ラ クンパルシータ のように ひとつのタンゴの曲に 違った複数の歌詞が付けられることがある よく知られた例 ラ クンパルシータ エル チョクロ フェリシア タンゴの歌詞について カミニート の ガビノ コリア ペニャロサ や スール の オメロ マンシ のように 作者に敬意が表される場合も少なくない 歌詞が文学的なタンゴは歌がつけられた演奏になる傾向にある 地名 招聘した人物への敬意が示されていることもある 輝ける東京 またラ ファン ダリエンソやコロール タンゴのような先人の発明を継承した 後継楽団 が多いのもタンゴの特徴で メンバー紹介には誰から後継を行ったのかが丁寧に書かれていることがある 歌詞なしで演奏されることも ごく普通である フェリシア や パリのカナロ のように 歌詞なし演奏がほとんどの曲もある また レスポンソ や とろ火で のように歌詞がつけられていない場合もある 原曲にスペイン語の歌詞がつけられているタンゴに 別の言語の歌詞がつけられる場合もある エル チョクロ は英語の歌詞がつけられ キッス オブ ファイア としてアメリカで歌われヒットした 日本では 菅原洋一が第回紅白歌合戦で ラ クンパルシータ を日本語の歌詞で歌った 冴木杏奈が着物姿で カミニート を歌っている映像が で アップロードされている 淡谷のり子も日本語の歌詞で ラ クンパルシータ や ジーラ ジーラ を歌っていた 原語がスペイン語でない歌が タンゴとして演奏される場合もある たとえばシャンソンの 小雨降る径 や 恋心 がタンゴとして演奏される場合もある ファン ダリエンソ楽団はサービスと称してスペイン語で原曲を歌わせ そのまま日本語の訳詞で歌わせる ということも行わせた ファンサービスとしてファン ダリエンソ楽団は スペイン語の歌詞の音楽は日本語でも歌えます と主張して 強引に 翻訳された歌詞を専属歌手に歌わせ その録音が残っている 複数の作品のサビを数曲ほど接合させる例 トロイロ もある これは先人への敬意が込められる このような形態では歌手は歌わない ラテン音楽は原則的にスリーコード つまりトニック サブドミナント ドミナント のみで進む鉄則があるため これを破ろうとする者は 前衛 異端 と呼ばれていた 四声和声法では 主旋律がアルペジオのような動きをするのはやめましょう というのが鉄則だが 古典タンゴの代表作 フェリシア のように 最初からメロディーがアルペジョで動くことも普通に行われる さらに アルフレド デ アンジェリス楽団はベースや中声部のバンドネオンがアルペジョで動くこともある珍しい集団である モダンタンゴの時代に入ると近代和声の影響を徐に受けて減ったが それでもバンドネオンセクションは依然として平行進行が好まれる またファン ダリエンソ楽団の に至ってはメロディーとベースがサビで有名な連続度を行うなど 西洋楽器を使いつつ西洋音楽の規則では説明のつかないことが頻発する なお和声法や対位法の規則を守らない という現象は バッハやベートーヴェンのようなクラシック音楽の名作においてすら 頻繁に発生している 楽曲を編曲しなおす楽団も数多く オスバルド プグリエーセ楽団やエドゥアルド ロビーラはバンドネオンの左手や弦楽セクションを用いて対位法的な趣味を前面に打ち出しており 近代和声や対位法の規則を 途中から それなりに 意識したようである タンゴ黎明期から黄金期にかけての作品が和声法と対位法を守っていないわけだが 一体どこまでがミスでどこからが意図的なのかについては明らかにされていない タンゴは 器楽では楽に演奏できても声楽では歌唱が厳しいメロディーラインが多く 歌手は アルペジョにはいると加速または減速がはいる 独特の修練を必要とする タンゴは 始めはフォルクローレから出発した 初期のタンゴでは ギター ヴァイオリン フルートのアンサンブルで演奏されて バンドネオンは定着せず ミロンガ カンドンベと同種のラプラタ諸国の民俗音楽であった バンドネオンの導入により タンゴは 他のフォルクローレと 差別化がなされるようになった ミロンガについては タンゴとして演奏されることもある カルロス ガルデルは フォルクローレ歌手として活動を始めて その後タンゴを歌いだした ガルデルの歌にギター伴奏のタンゴに タンゴ愛好家の人気があり 今でも頻繁に聴くことができる また タンゴ楽団によるヴァルス バルスとも呼ばれる すなわちアルゼンチン当地のワルツの演奏も よく聴かれ フランシスコ カナロ楽団の 黄金の心 が有名である ブエノスアイレスのタンゴ生演奏の店タンゲリア では フォルクローレの演奏も行っているところもある 東京の六本木にありタンゴバプとして有名だった店 六本木カンデラリア 閉店 の店主の高野太郎は フォルクローレ歌手である タンゴもフォルクローレも どちらもレパートリーとしている歌手も 目立つ エドガルド ドナートがクラシック系統の音楽学校であるフランツリスト音楽院の優等生だったように アルゼンチンでも日本もふくめ他地域でもクラシック音楽を専門的に学んだ人がタンゴ界で活躍することは めずらしくない タンゴも最初期の エル エントレリアーノ から 半音階をとりいれたりしている また カデンツァなど クラシック音楽の用法が タンゴに応用されている スペインのクラシック音楽の作曲家イサーク アルベニスも 有名な タンゴ ニ長調 アルベニスのタンゴ を作曲している ビクトリア ホテル の作曲者のフェリシアーノ ラタサはクラシック音楽の作曲家と伝えられている クラシック音楽に対抗意識をもちつつ対話していたタンゴの権威にアストル ピアソラがいて アルゼンチンに来たアルトゥール ルービンシュタインに自作の曲を見てもらったり ナディア ブーランジェから作曲を学んでいたというエピソードがある また クラシック音楽家でも 演奏にタンゴをあえて選ぶ人も出てきている チェロ奏者のヨーヨー マが ピアソラ作曲の リベルタンゴ を演奏曲目に選んでいる エドガルド ドナートは ウルグアイのジャズのカルロス ウォーレン楽団に所属していたこともある フランシスコ ロムートは ジャズピアニストとしても活躍していたこともあった アストル ピアソラは少年期はタンゴよりもジャズを好んでいたといわれている タンゴも時代が下りモダンタンゴに近づくと ジャズの影響が見られる曲も増えてくる ちなみに ピアソラは ジャズ タンゴを提唱しているし ジャズの演奏家としている表現もみかける タンゴもジャズも ピアノとコントラバスとギターという楽器を使用するということでは 共通している アティリオ スタンポーネ楽団やネストル マルコーニ楽団は ジャズのリズムやピアノソロを全面に押し出すなど タンゴ アヴァンギャルドではジャズのイディオムも解禁されている ただ ジャズの曲をタンゴとして演奏されたりすることは なかなかありえない エル チョクロ を キッス オブ ファイア として ジャズで演奏されて注目されたことがある アディオス ムチャーチョス についてアメリカのジャズの権威のルイ アームストロングの歌の録音もある アメリカのルロイ アンダーソンの ブルー タンゴ が ジャズ楽団でも演奏されている それ以外の例で モダンタンゴ以外のタンゴがジャズとして演奏されることはあまりない 小雨降る径 と 恋心 については タンゴとして演奏される場合がある なお 逆にタンゴの曲がシャンソンとして歌われる例はあまり見当たらない 日本ではタンゴ歌手として出発した菅原洋一がシャンソンを歌った シャンソン歌手の高英男が第回紅白歌合戦で 同じくシャンソン歌手の芦野宏が第回紅白歌合戦で カミニート を歌った シャンソン生演奏の店シャンソニエで 月何回か タンゴの生演奏を行うところもある スペインの歌手のフリオ イグレシアスや メキシコのトリオ ロス パンチョスのように タンゴ歌手でないスペイン語圏の歌い手も タンゴのレコード録音がヒットすることもある このように多くのタンゴ楽団に接した者ほど アストル ピアソラを避ける傾向にある ラウル オウテーダも同様である 年頃 カーペンターズ は アメリカ カリフォルニア州ロサンゼルス出身の兄妹ポップ ミュージック デュオ 楽器を兄のリチャードが受け持ち ヴォーカルを妹カレンが担当 ロック全盛の年代において独自の音楽スタイルを貫き 大きな成功を収めた 年のカレンの死により活動を終えた 代表曲に 遥かなる影 雨の日と月曜日は スーパースター イエスタデイ ワンス モア トップ オブ ザ ワールド プリーズ ミスター ポストマン 等がある オリコンチャートブックの集計では年から年 いわゆるレコード時代 の日本での海外アーティスト別アルバム売上枚数はビートルズに次いで第位である シングル売上枚数は第位 時代に入った後も 年発売のベスト盤 青春の輝き ベスト オブ カーペンターズ が万枚越えるセールスを記録する等 日本においても時代を超越して愛され続けているグループである カレンが 神経性無食欲症 いわゆる拒食症 の合併症による心停止のために死去してから 摂食障害の危険性の認識が深まったといわれている 家族の歴史とまでの道のり カーペンター兄弟は二人ともコネチカット州ニューヘーブンにある 現在の にて 年月日 年月日没 と 旧姓 年 月日 年月日没 の夫婦のもとにに生まれた の父 兄弟の祖父 はイギリス人で中国ので宣教師をしていたため中国で生まれた その後 一家は年にイギリスにもどり年にアメリカにわたり技術者として身を立てた父方の祖母のネリーは美しくとてもきれいな大きな歌声をしていた 兄弟の母である はバルチモアー出身で小売店を営む家庭の人姉妹として生まれた の父は姉妹たちに一生懸命働くことの重要さと勤労道徳をしっかり教え込んだ はとても意志が強く ウエディングドレスも自作し 子供を守り家事をきっちりこなす母親であった 夫婦は年月日に結婚し 第二次世界大戦が終わりアメリカ庶民が手頃の価格の自分の家を求めるブームの頃 カーペンター夫婦は年ニューヘーブンの郊外に家を購入した ハロルドは でカラープレス工として働いた アグネスとハロルドは週末は車の洗車をして家庭が豊かになるように努めた 兄であるは年月日生まれで ハロルドの兄弟の名をとりと名付けられた 年後の年月日 妹が誕生した はおとなしい子供で ほとんどの時間をピアノを弾いたり音楽を聞いたりして家で過ごしていた 歳になることまでにはが興味を持ったのは地下室でレコードプレーヤの前で何時間も音楽を聴くことであった 父は地下室の天井から吊るしたブランコを作り そこでとはブランコに揺られながら音楽を聴いて育った 二人はいつも一緒でそれは終生そうであった は屋内で遊ぶのが好きであったがはかなりのオテンバで よくソフトボールをして遊んでいた は歳の時にピアノを始め 歳の時に近くの大学でピアノのレッスンを受けたがミュージシャンとしての将来を目指していることは この頃までには近所の皆が思っていた 他の子供がローラースケートして外で遊んでいるころのピアノ練習の音色が窓から聞こえたそうである 母はこの頃までには がクラシックでなく その先にある音楽の何かで身をたてると予感していたようで 毎日 彼が練習するのを聞いていたそうだ とはの音楽才能の目が出たを感じて彼のために音楽活動にとって将来性のある のある南カリフォルニアに引っ越すこと決断し 友に別れを告げ 年月 車に引っ越しの荷物を詰めカリフォルニアを目指したのである の中心に住むのではなく少し離れたに移り住んだ はと同じように郊外でミドルクラスといわれる家庭が住むのに適していた 彼がら最初に住んだアパートは今もあり そこに一年以上いたといわれている 一方カレンは親しみやすく外向的でスポーツを好んだが 兄と一緒に音楽を聴くことも多かった 翌年度からリチャードはカリフォルニア州立大学ロングビーチ校へ通い 将来の作曲パートナーとなるジョン ベティスと出会った ベティスの協力のもとに リチャードはやがて トップ オブ ザ ワールド 愛にさよならを オンリー イエスタデイ といったヒット曲を生み出していく またリチャード カーペンター トリオでベースやチューバを演奏することになるウェズリー ジェイコブズや 年にクリスマス ソングのスタンダード メリー クリスマス ダーリン を共作するフランク プーラーらと知り合ったのもこの学校でのことである カレンは 年にダウニー高校へ入学し ドラム演奏の才能を見せはじめた カレンは 運動は好きだが体育の授業は嫌いだったと述べている カレンは体育から逃れるため カリフォルニア州立大学学生であったリチャードに やはり同様に体育からマーチング バンドを選択できるように 教師を紹介してもらい 結果 ダウニー高校マーチング バンドの一員となることを認められた 年 リチャードを教えていた教師のブルース ギフォードは カレンにグロッケンシュピールを担当させたが カレンは気に入らなかった あるインタビューでカレンは 演奏に不便で運びにくく バンドの演奏よりも常に分の音高い音を出すことなどに苛立っていた と述べている その後間もなくカレンは 友人でありバンド仲間のフランキー チャベスからドラムの演奏を勧められ チャベスのセットを借りてドラムを教わった 基礎から始めて人で何時間も練習したのだろう とリチャードは語っている 年に両親からラディックのドラムセットを買って貰ったころには カレンの腕前はプロ並みに上達しており リチャードが後年のドキュメンタリー リメンバー ザ カーペンターズ で語っているところによれば エキゾティックな拍子記号の列を叩き出せるほどになっていた という 当時はジミ ヘンドリックスやビートルズ ジャニス ジョプリン ローリング ストーンズなどロックグループが主流だった しかし リチャードとカレンは自分たちの路線を貫き 二人は友人たちの手を借りながらさまざまなレコード レーベルにデモ テープを送り続けた それがレコードの共同所有者でありトランペット奏者 ヴォーカリストでもあるハーブ アルパートの関心を惹いた このアルパートがリチャードとカレンを世に送り出すことになる レコードとの契約において リチャードとカレンはスタジオ内での自由を与えられた オファリング と題されて年にリリースされた彼らの最初のアルバムには リチャードがスペクトラム時代に作曲ないし共作した楽曲もいくつか収録されている このアルバムにおける人気曲は ビートルズのヒット曲をバラード風にアレンジした 涙の乗車券 で ビルボード ホットで最高位 アダルト コンテンポラリー チャートでトップ位入りするなど まずまずのヒットとなった この曲の成功を受けて オファリング は年に 涙の乗車券 へと題名を変えて再発された アルバム 涙の乗車券 のチャート アクションは今一つ振るわなかったが リチャードとカレンはバート バカラック ハル デヴィッド作の でついに成功を手にする このシングルは年にリリースされて初登場位となり 年月日にはチャート位に昇りつめ 週にわたって首位の座を守った また年ビルボード誌年間ランキングでは第位となっている ベストセラーとなったアルバム の収録曲からはこの曲と 愛のプレリュード がによってゴールドディスクに認定され 同アルバムは ローリング ストーン 誌による 偉大なアルバム選 の位にも選ばれている その年の最優秀新人部門をはじめとするつのグラミー賞も受賞した が位となった直後に カーペンターズがカヴァーした 愛のプレリュード ポール ウィリアムス ロジャー ニコルス作 がビルボード ホットで第位となり アダルト コンテンポラリーチャートでは首位を週間保持した リチャード自身もこの曲はグループの 代表曲 だと認めている この曲はもともとウィリアムズとニコルズがクロッカー ナショナル銀行のテレビ曲として前年に作曲したものだが リチャードはテレビで聴いたときにその曲のヒット性にいち早く気づいたのである 愛のプレリュード はウィリアムズとニコルズにとって初のヒット シングルとなった 一連のヒット シングルやアルバムによって カーペンターズは年代を通じてヒット チャートの常連となった 年のヒット曲 ふたりの誓い は 元はサイ ハワード監督による年の映画 ふたりの誓い の結婚シーンのためにレコーディングされたものである 映画館でこの曲を聴いて気に入ったリチャードは その後間もない年秋にこの曲を録音し カーペンターズにとって枚目のゴールド シングルとなった 続いて送り出された 雨の日と月曜日は はビルボード ホットの第位を記録し ポール ウィリアムズとロジャー ニコルスにとって曲目のヒット シングルとなった カーペンターズの評伝を著した作家コールマンは 雨の日と月曜日は をおそらく最もポピュラーなカーペンターズの楽曲であろうと評している さらにこの曲はカーペンターズ第のゴールド シングルとなったが 位獲得を阻んだのはキャロル キングの イッツ トゥー レイト だった レオン ラッセル ボニー ブラムレット作曲のシングル スーパースター はカーペンターズの次の代表曲となり ここで聴かれる痛切で心に残るカレンの歌声は高い評価を受けている この曲もビルボード ホットで第位となった 年には彼ら自身の名をタイトルとしたアルバム カーペンターズ 日本盤タイトルは ふたりの誓い スーパースター カーペンターズ と改題された がリリースされた この作品は彼らにとって最も売れたアルバムのつであり のプラチナムを度にわたって獲得 売上万枚以上 している この作品でカーペンターズはグラミー賞 を受賞し 部門でノミネートされた カーペンターズにとって初となるベスト アルバムは と題され アメリカとイギリスでアルバムチャートのトップに立っている 特にイギリスにおいては 年月日にエルトン ジョンの カリブ にトップを奪われるまでトータル週も首位に立ち 年代に最も売れたアルバムのひとつとなっている また このアルバムはアメリカでも年までに万枚以上を売り上げ 倍のマルチ プラチナ ディスクを授与されている このベスト アルバム用に新たに作り直され アルバムの先行シングルとしてリリースされたのが トップ オブ ザ ワールド である 年リリースのアルバム ア ソング フォー ユー に収められていたこの曲のアルバム ヴァージョンを聴いたカントリー シンガーのリン アンダーソンがこの曲をカヴァーして年にリリースすると リチャードとカレンも自分たちもシングルとしてリリースするべきかどうかについて議論した の仕事仲間であったギル フリーセンは アルバム ア ソング フォー ユー からはすでに枚ものシングル ハーティング イーチ アザー 愛にさよならを 小さな愛の願い 愛は夢の中に をカットしていることを理由に反対したが それにもかかわらず 一般からの需要は高いという判断により トップ オブ ザ ワールド を年月にシングルカットされ 同年月にビルボードにおいて週連続で位となり カーペンターズにとって枚目の全米位シングルとなった カーペンターズは年には新しいアルバムを発表しなかった リチャードはこれについて 単に時間がなかったから アルバムを作る気分にもなれなかったし と語っている その代わりに 人はポール ウィリアムズ ロジャー ニコルズ作曲のシングル 愛は夢の中に をリリースしている これはもともと年のアルバム ア ソング フォー ユー に収録されていたものだが カーペンターズはそのをリリースした年後になって この曲をシングル カットすることを決定した このシングルはまた カレンとリチャードにとっての番目のアメリカでのミリオンセラーにもなった 日本ではこのシングルが最高の売上枚数を記録している プリーズ ミスター ポストマン に続き 春にはリチャードとジョン ベティスの共作 オンリー イエスタデイ がビルボードで位まで上昇し これは彼らにとって最後のアメリカでのトップヒットとなった リチャードとベティスはこの曲がヒット シングルになるとは思っていなかったので ロジャー ヤングとの賭けでトップ入りしない方に賭けており 人はヤングにドル支払うはめになったという 彼らの功績のつとして数えられることは少ないが カーペンターズはアメリカでは最も早く自分たちのレコードの宣伝のためにミュージック ビデオを制作したグループのつである 年の初めに 彼らはディズニーランドで プリーズ ミスター ポストマン の演奏を撮影しているほか オンリー イエスタデイ をハンティントン ガーデンで収録しているが ここでのカレンは健康で調子良さそうに見える しかし 年後に撮影した 見つめあう恋 のビデオに出演した時には目に見えて違いが現れるようになっていた リチャードは パッセージ 収録曲の 想い出にさよなら は きっとヒットすると感じていたため にシングルでのリリースを決断させた この曲はアン マレーのシングルとして発売され 年のアダルト コンテンポラリーおよびカントリー チャートの両方で位を獲得し リチャードの感性の正しさを証明した カーペンターズによる ふたりのラヴ ソング と 星空に愛を のミュージック ビデオが で観ることができる 国内チャートでの成績はやや振るわなくなってきたとはいえ カーペンターズはまだ十分な人気を維持していた 年の初めには アップテンポでフィドルを加味した スウィート スマイル がカントリー チャートで意外にもトップ入りを果たした ビルボード ポップ チャートではトップに若干及ばなかったが アダルト コンテンポラリーで位 カントリー チャートで位を獲得した この曲は後年カントリーやポップのスターとなるジュース ニュートンが作曲したものである イギリスでは作目のベスト アルバム が発売された 一方アメリカではカーペンターズ初のクリスマス アルバム クリスマス ポートレイト が発売されてその季節の人気作品となり 勢いの衰えはじめたこの時期にあっては意外な売れ行きを見せ カレンとリチャードに再びプラチナムをもたらした カーペンターズは年に と題されたテレビの特番に出演し エラ フィッツジェラルドやジョン デヴィッドソンをはじめとする著名なゲストと共演した これはカレンがトム バリスと結婚したのと同じ年に撮影されたもので この時期のカレンは比較的健康な体重を取り戻していた カレンのトーマス ジェイムズ バリスとの結婚や 彼女が患っていた拒食症などの個人的な問題は グループの復帰に暗い影を落とした 瞬く間に恋に落ちたあと カレンは不動産業者のバリスとの結婚式をビバリーヒルズ ホテルのクリスタル ルームで盛大に行った 年の月日に挙げられたこのセレモニーの中で カレンは翌年に タッチ ミー のカップリングとしてリリースされる リチャードとベティスが書き下ろした楽曲 ウエディング ソング を披露している だが 結婚してから年ほどの間に 彼女の容姿は変わり果てていった メイド イン アメリカ の販売促進用に制作されたビデオで窺えるその姿は もはや彼女が重病人であったことを裏付けるのに十分な証拠といえるものであった カレンとバリスの結婚生活は惨憺たるものであり 彼らは年の終わりには別居する 年 カレンは障害の診療を受けるためニューヨークの著名な心理セラピスト スティーブン レベンクロンを訪ね この年の月には仕事に復帰して離婚手続きを完了するためにカリフォルニアへ戻った カレンの甲状腺は通常のものであったが 新陳代謝を加速するために甲状腺の薬を通常の倍服用していることが分かった これに加えて大量の下剤 日に錠から錠 を服用していたことが 彼女の心臓を弱める原因となった ニューヨークの病院でのか月以上にわたる治療を経て カレンはポンド キログラム 以上も体重を戻したが 急激な体重の増加は 長年の無理なダイエットですでに弱っていた彼女の心臓に さらなる負担をかけてしまった 年の月日の朝 カレンはダウニーの両親の家で心肺停止状態に陥ってダウニー コミュニティ病院に運ばれるが それから分後に死亡が確認された 彼女はその日 離婚届へ署名するつもりであったという 検死によると カレンの死因は神経性無食欲症に起因するエメチンの心毒性であった 解剖学的な結論としては 心臓麻痺が第の原因で 拒食症は第の原因であった 第に挙げられるのが悪液質で これは負担や衰弱としては非常に軽いもので 慢性的な疾患と関連した一般的な体の衰えというべきものであった エメチンの心毒性が死因であったことは カレンが当時は簡単に入手できた薬である吐剤 誤って毒物を摂取してしまった人が即座に嘔吐できるようにするためのもの を悪用していた可能性を示唆したが 明確な証拠はない 彼女の告別式は年月日火曜日にダウニーの統一メソジスト教会で執り行われた カレンは白い開いた棺にピンクのドレスを着せて横たえられ およそ 人の会葬者が最後の別れを告げた 会葬者の中には ドロシー ハミル オリビア ニュートン ジョン ペトゥラ クラーク クリスティナ フェラー ディオンヌ ワーウィックといった彼女の友人たちがいた 別居中であったカレンの夫も葬儀に出席し 結婚指輪を外して棺の中に入れた カレンの死は拒食症だけでなく過食症に対してもメディアの注目を呼び寄せた カレンの死によって有名人たちも自らの摂食障害を公表するようになったが その中にはトレイシー ゴールドやダイアナ妃といった人がいた 医療センターや病院はこうした障害に悩む人からの相談を受けることが多くなった カレンの死が大きく報道されるまでは 一般大衆の間では拒食症や過食症についてあまり知られていなかったため 症状を正確に認識して対処することは困難だったのである 年月 カレンと両親の遺骨がカリフォルニア州サイプレスのフォレスト ローン記念公園から掘り起こされ カリフォルニア州ウェストレイク ビレッジのピアース ブラザーズ ヴァリー オークス記念公園に改めて埋葬された カレンの死後も リチャードは未発表音源集やコンピレーション アルバムなどデュオの作品のプロデュースを続けた メイド イン アメリカ やそれ以前のアルバムでお蔵入りになっていた完成曲を収録したアルバム ヴォイス オブ ザ ハート は年の終りにリリースされ チャート位に達してゴールド認定を受けた このアルバムからは枚のシングルがカットされた 遠い初恋 はカレンのソロ アルバム用に録音された曲のつ目のヴァージョンである 年にボビー ヴィントンによりマイナー ヒットとなっていた このシングルはアダルト コンテンポラリー チャートで第位となったが ポップ チャートでは位にとどまった 次のシングル ユア ベイビー はチャート位となったが バブル アンダー はチャート入りしなかった リチャード カーペンターは年月日にメアリ ルドルフと結婚した 年月日には長女クリスティが 年月日には次女トレイシィが 年月日には三女ミンディ カレン 叔母の名を継いだ が生まれ その後もコリンとテイラーが生まれた カーペンターズのイメージを守りレコードの版権管理をしていこうと務めるリチャードに対しては批判が集中した 彼らを題材として扱うドキュメンタリーやドラマが制作されることになると リチャードがそれらすべてに対して実質的な監督権を主張したためである 年には トッド ヘインズの自主制作短編映画 カレンが衰えて早すぎる死を迎えるまでを 実際の女優ではなくバービー人形を用いて描いている の配給に介入した この映画のカレンに対する描写は同情的なものだったが カレンの不幸を浮き立たせるために家族に対しては悪印象を与えるような表現がとられており リチャードはカーペンターズの曲が無許可で使用されていることを根拠に訴訟を起こし 映画の配給を差し止めさせた 年のテレビ映画 カーペンターズ ストーリー シンシア ギブ主演 はリチャードの協力下に制作され 好意的な評価と高い視聴率を獲得した この映画の放映後数週間はレコード屋からカーペンターズの在庫がなくなったほどである カレンのソロ アルバム 遠い初恋 は年月にリリースされた にはが年にこのアルバムをお蔵入りにした経緯などを説明した リチャードによるライナーノーツが付いている ここに収録された楽曲は ロック ピーター セテラをゲスト ヴォーカルに迎えた メイキング ラヴ イン ジ アフターヌーン からブルース ラスト ワン シンギン ザ ブルース まで 幅広いジャンルの音楽をカヴァーしている なお このアルバムのプロデューサーであるフィル ラモーンはセテラがかつて所属していたバンド シカゴの楽曲も数多く手がけている カレンが年から年にかけて録音した未発表のソロ曲は他にも曲ある リチャード カーペンターは 妻のメアリ ルドルフ カーペンターおよび人の娘と人の息子らとともにカリフォルニア州サウザンド オークスに住んでおり 夫妻は芸術家の後援活動をしている 年にリチャードと妻はカレンを記念したサウザンド オークス市民芸術プラザ基金 に対し 万ドルの寄付を行うことを公約した これを受けて年月日には初年度となる リチャード カーペンター奨学金コンクール ショー が開催された ショーの後にはリチャードと娘のトレイシーやミンディも演奏した リチャードはカリフォルニア州立大学ロングビーチ校の リチャードカレン カーペンター パフォーミング アーツ センター とも提携している 彼はカーペンター センターの資金繰りを目的とすることも含めて コンサート活動を継続している カーペンターズの音楽を特徴的なものにした要素のつは カレンの用いた低い音域の声である ジャズやカントリー ミュージックの分野には見られたが 当時のポピュラー音楽の世界にアルト歌手はほとんど存在しなかった しかし カレンはおよそオクターヴにわたる広い声域をもっていたのである リチャードの声もカレンの歌声と非常に相補的なものだと評価されていた カレンは高い音域の声も出すことはできたが 低音 カレンは自分の と呼んでいた ほど特質のあるものではなかった リチャードはカーペンターズのオフィシャル サイトのファンからの質問のページで カレンと自分は彼女の 胸声 に魔法のようなものを感じており 音の豊かさという点では比較にならなかったため 彼女の高音を強調するつもりはまったくなかったと述べている カレンの 魔法 が低音域にあったため リチャードはカヴァー曲はもちろん自作曲もカレンにふさわしいキーで編曲しなおした カーペンターズの曲の多くは ユー 見つめあう恋 イエスタデイ ワンス モア 恋よさようなら リーズン トゥ ビリーヴ ふたりの誓い ユール ラヴ ミー などのキーを用いている カレンはこれらからまで 場合によっては も用いているが こうした芸当のできる歌手は多くないことから カレンの声域の広さはよく知られている 歌手であると同時にドラマーでもあったカレンは 年まではしばしばドラムも演奏していた リチャードによれば カレンは自分を 歌えるドラマー だと考えていた フィートインチ センチメートル しかなかったカレンは ライヴでドラムを演奏するとキットの陰に隠れてよく見えなかった やむをえず人は バラードの時にはカレンが立ち上がって歌い それ以外のあまり有名でない曲の時には座るという妥協案を見出した 年が経つにつれ カレンがドラムを演奏している時にも彼女のヴォーカルを求める声が高まるようになり カレンがドラムの前に座る時間は徐に減っていった 年のアルバム 見つめあう恋 のころには カレンはまったくドラムを叩かなくなっていた カーペンターズの音楽は そのアレンジの見事さによって高く評価されている アレンジは大抵リチャードが担当し その手腕は広く賞賛された アレンジの大半はクラシックのスタイルで 多くの弦楽器や ときには金管楽器や木管楽器も用いた 星空に愛を コーリング オキュパンツ では 人以上の歌手と演奏家を迎えている 著名な音楽評論家のダニエル レビティンは 誌において リチャード カーペンターこそ ポップ ミュージック界で最も才能あるアレンジャーの人である と述べている カーペンターズはコンサート ツアーやテレビ出演などの過密なスケジュールをこなしていった 彼らが出演したテレビ番組には エド サリヴァン ショー やジョニー カーソン司会の ザ トゥナイト ショー キャロル バーネット ショー 年および年 マイク ダグラス ショー 年 などがあり ジョニー キャッシュ ショー 同じく年 では ふたりの誓い と 雨の日と月曜日は を演奏した のテレビ特番 では生演奏を披露している 彼らはまた夏の間だけのシリーズ番組 で主演を務め アメリカでは毎週火曜日の午後時にで放送された 年のラジオでのインタビューでカレンとリチャードのいずれもが 年代初めのテレビとの関わりにおいて自分たちはつけ込まれ利用されていたこと その後の作品を制作してゆく上での支配権を握られそうになっていたことなどを述べている カーペンターズは年から年にかけて数多くのコンサートを行っている 以下の表はリチャードが保存していた旅行記録に基づいたものである カーペンターズとして行った日本公演は 年 年 年の回である 年の日本公演では 武道館ではひばり児童合唱団と 京都では地元の合唱団 リチャードが と紹介していた と シング を日本語で歌った カーペンターズ主演のテレビ特番も非常に好評で 彼らは年代を通じてお茶の間にその姿を見せていた 彼らは計本のテレビ特番をもち いずれも年から年にかけて放映された 年月日放送の はヒット番組となり アメリカの視聴率調査会社ニールセンのランキングでも第位となった 彼らのテレビ特番には大抵 演出上の見せ場として お決まりのギャグなどを演じる滑稽な場面 があり リチャードはこれをたいへん嫌っていたが カレンは気に入っていたようで その個性をカメラの前で花開かせることとなった カーペンターズ最後のテレビ特番 は年月に放送された この番組には もなく 最初から最後まで音楽だけで構成されていた テレビ司会者のジョン デヴィッドソンや有名なスタンダード歌手のエラ フィッツジェラルドらがゲスト出演し さまざまな歌を披露した この番組で演奏された曲の多くは年にアルバム レインボウ コネクション アズ タイム ゴーズ バイ 収録曲としてでリリースされた カーペンターズのオフィシャルサイトで このアルバムに収められた曲のうち曲が から取られたものであると明記されている しかし は純粋に音楽だけで番組を作るというカーペンターズの決定に不満を覚えていた ドキュメンタリー リメンバー ザ カーペンターズ で リチャードはのスタッフがこぼした 一体あいつらはこれを何だと思っているんだ の番組か という言葉を引用している は教養番組を主とするアメリカの公共放送局で 日本では教育にあたる 皮肉にも このドキュメンタリーは翌年にホーム ビデオ社からとして発売される前にで放映された カーペンターズの絶大な人気は 音楽評論家たちの批判をはねのける勢いをもっていた バラードやミドルテンポのポップスを中心とした人の音楽性は 批評家たちから退屈で甘ったるいと斬り捨てられていたのである しかし レコード業界は人にいくつもの賞を授与した カーペンターズはそのキャリアにおいて度のグラミー賞を受賞している 年に最優秀新人賞および で最優秀ボーカル グループ賞 年に スーパースター で最優秀ボーカル グループ賞 また 年には 投票によって第回アメリカン ミュージック アワードの最優秀ポップ ロック デュオにも選ばれた 多くの批評家たちから ミルクを飲んで アップル パイを食べて シャワーを浴びる といった印象だと批判されたことに対して リチャードはインタビューにおいてたびたび 自分はミルクなど好きではないし ワインも飲む マリファナ合法化のために投票さえした とまで言いながら そうした評価を払拭しようと努めている レイ コールマンの著書 カレン カーペンター 栄光と悲劇の物語 においてもリチャードは カーペンターズのイメージをひたすら 清廉潔白 にしておこうと務めるの経営陣や 彼らの音楽よりも彼らのイメージばかりを批評する評論家に対して 自分がいかに嫌悪感を抱いていたかを強調している カーペンターズの本格的な再評価は 年代から年代にかけて各国で制作された アメリカ や 日本 イギリス などさまざまなドキュメンタリーによってもたらされた 作品の技術的な質の高さや歌に奥底に秘められた悲しみ カレンの歌声やその人生に刻まれた苦悩が多くのファンを惹きつけた 彼女の特徴的なヴォーカルが その後のポップ ミュージックにアン マレーやリタ クーリッジ メリサ マンチェスターといったアルト歌手を登場させる契機になったといわれている カーペンターズの曲の多くは もはやポップ スタンダードとなっている 特に などはカラオケで歌われることも多い この曲は バックマン家の人 で挿入歌として使用され ザ シンプソンズ のつのエピソードや ザ シンプソンズ でも使われている 代表曲の一つ 愛のプレリュード は結婚式や披露宴の定番であり 映画 スタスキーハッチ や 号室 でも印象的に用いられている スーパースター はルーサー ヴァンドロスやルーベン スタッダードからベット ミドラー ソニック ユースに至るまで 数多くのアーティストによってカヴァーされた クレイ エイケンはテレビ番組 アメリカン アイドル でこの曲を歌い 若い世代にもこの曲を知らしめた 愛のプレリュード と は その良質さと歴史的重要性からグラミーの殿堂入りを果している 自分に大きな影響を与えた人物としてカレン カーペンターの名を挙げている現代のアーティストには クリスティーナ アギレラ グウェン ステファニー シャナイア トゥエイン アナスタシア メアリー ブライジ アリシア キーズ リアン ライムス ケリー ジョーンズ ステレオフォニックス ジョニー ボーレル レイザーライト ジョー オメアラ マドンナなどがいる クイーンはプロフィールにカーペンターズを 嫌いなアーティスト として挙げていた リチャードと妻メアリ ルドルフ カーペンターは 年にベンチュラ郡のフィランソロピスト 社会奉仕家 オブ ザ イヤー賞を授与された アメリカ合衆国のバンドカーペンターズのディスコグラフィは 枚のスタジオ アルバム 枚のライブ アルバム 枚のコンピレーション アルバム 作の音楽ビデオ 枚のトリビュート アルバム 枚のシングル 枚のサウンドトラックにより構成される その経歴を通じて カーペンターズは解散までにリード アーティストとして枚のシングルをリリースした この枚のうち枚がによってゴールドディスクに認定され 枚がアダルト コンテンポラリー チャートのトップに到達した またカーペンターズは年から年までに枚のアルバムを発表した そのうち枚のアルバム カーペンターズ ア ソング フォー ユー ナウ アンド ゼン 緑の地平線 ホライゾン 見つめあう恋 がビルボード ホットのトップ入りした曲を収録している の付いている公演日は 日回公演 日本でも現在に至るまでその人気は確かなもので 広告 ドラマの主題歌などさまざまなメディアで耳にする機会は少なくない また 彼ら自身が年代に森永製菓のハイクラウンチョコレートや サントリーのソフトドリンク ポップのに起用されていたことがある スローテンポで聴きやすいスタンダードポップス 音楽的にも優れた楽曲 覚えやすく歌いやすいメロディー カレンの正確な発音 正しい英文法 基本的な単語で構成された歌詞 スラングがないこと ヒット曲が多いこと などから ビートルズなどと共に 英語教材 としても一般的に広く薦められている カスケーディング スタイル シート カスケード スタイル シート は や の要素をどのように修飾 表示 するかを指示する仕様の一つで がとりまとめ勧告する 文書の構造と体裁を分離させるという理念を実現するために提唱されたスタイルシートの具体的な仕様の一つ はで表現可能と考えられるデザインの大部分を実現できる要素を取り入れつつ 新たなデザイン機能を備える 以下の点を特徴とする は 年に生誕の地であるに勤務するホーコン ウィウム リーにより提唱された スタイルの情報は読み込む内容 作成者スタイルシート やユーザーエージェントの設定 ユーザースタイルシート のか所に記載できる ユーザーエージェントも独自のスタイル デフォルトスタイルシート を持っている 作成者スタイルシートはマークアップ文書の中に直接記述するか 別文書として読み込ませる形で利用される の利便性を最大限発揮するために 別文書として読み込ませる事が推奨されている ここでは について説明する の文法は異なるレベル間でも後方互換性を持つように設計されており 例えば で書かれたスタイルシートを として扱うことも可能である ただし一部に解釈の相違などに伴う非互換部分も存在する では要素にスタイルを与えるため 次のような仕様が定められている 以下の断片を例にとる 上例の 断片を適用すると宣言している文書のうち セレクタが指定しているものと一致する部位 文書においては要素 要素の親子関係 特定のクラス など に 宣言ブロック内の宣言が適用される 宣言は プロパティ 値 か 空 何も記述しない のどちらかで構成され プロパティ 値の前後には空白文字 スペース タブ 改行など を自由に入れられ また で区切ることにより宣言を並べて書くことができる 上例は 文書に適用する場合 という を持った 要素の文字色を赤 緑 青にせよ という指定を意味する このような宣言があったとき 後者二つはやを付したために不正である なぜなら やで囲ったものは文字列として扱われ プロパティが取りうる色の値 は と等価である は前者のように宣言をセレクタに一つずつ書いてあるのを ひとつのセレクタのブロックで記述するときに宣言を分けるのに使う そのため 必ずしも宣言に をつけるのを強制するものではない セレクタは 実装レベルの高いブラウザならばどの属性であってもを適用することが可能であり この場合に関する属性セレクタであるので そのほかタグに対する適用 文書構造からみた子 兄妹構造へ適用するセレクタ 更にはリンクや動的な表現 言語に関する疑似クラス などがある は必ずしも一つのところで一意に指定できず そのため指定内容の衝突を避けるために優先順位がユーザーエージェントによって計算される その結果は 以下のような条件により算出される 記載可能な方法の詳細は次の通りで 一般的に優先される順位で並べ替えている で最重要指定の優先順位の仕様が変更されている 勧告章 作成者スタイルシートの記述方法による優先順位は以下の通り の仕様にはレベルという段階があり 年月段階で から までの仕様が公開されている ボックスモデルの参考図 マージン ボーダー パディング 内容 パディング ボーダー マージン ボックスに属性を設定したとき のボックスのモデルでは内容の横幅であると解釈される そしてパディングとボーダー分の横幅は要素の横幅に追加される 他方マイクロソフトのボックスのモデルでは 属性は内容の横幅とパディングとボーダー分を足したもの すなわち要素全ての横幅になる そのため 以下と 以上および 以外のブラウザでの表示を近づけるためには パディングとボーダーをにする もしくはハックを使う必要がある では が正確ならば標準準拠モードに移行できる ただやの場合 宣言を仕様通り書くと過去互換モードでレンダリングされるバグがある は の上位互換 幾つかの概念の追加 拡大 改訂が行われた 具体的には表示媒体 モニターや 紙媒体など によって自動的にスタイルシートを変更できるようにし それに附随して音声ブラウザへの対応 印刷媒体への対応が行われ フォントなどの表示機能の拡張や ボックスの概念の修正などが行われた ただし年頃以降に発表された対応で これを仕様と見なしているものは存在せず 実質的に に仕様としての役割を委ねた形になっている 勧告の仕様書にアクセスすると は管理されておらず 仕様の参照や実装は を基にせよと奨励する注意書きがある の改訂版 仕様書の定義が不明瞭であったことから各ユーザーエージェントの実装に非互換が生じたことから 曖昧な記述を明確にするといった改訂が行われた また プロパティのように で策定されていながら長い間実装が行われなかったもの プロパティの 値のように 複数のユーザーエージェントで相互運用性を確保できなかった機能は削除されている それらは以降のレベルで定義され直すことになる の実装に際してベンダは 年頃から を基本仕様と見なしている 以降では を中核とし 新たな機能の追加や改良をモジュールとすることで実現するものとする ユーザーエージェントは各モジュールへ対応するか否かを自由に選択できるようになる他 縦方向の書字や 以外の規格にまで関与した内容となっている 年月現在で勧告されているモジュールは以下の通り はモジュール化されたため 単一の統合された仕様は存在せず モジュールの総称となる モジュールで追加される機能は モジュールで未定義だった新しい機能のほか 草案に一度含まれながら 相互運用性を十分に確保出来ず仕様から省かれた機能からなる 未だに勧告候補に至っていない モジュールが存在する中 既に モジュールの公開草案がいくつか公開されている ナイトライダー は アメリカの特撮テレビドラマ 私立探偵機関の調査員 マイケル ナイト デビッド ハッセルホフ が 人間の言葉を話し特殊装備を搭載したドリーム カー ナイト ウィリアム ダニエルズ とともにさまざまな事件を解決するカーアクションドラマ 又 ナイトライダー とは主人公の マイケル ナイト 自身の通称でもある アメリカでは年月日から年月日までで全話 シーズン毎に話 シーズン 全話 が放送されたが日本ではテレビ朝日系列で全話中 本が放映され米国放送でシーズンにあたるほとんどのエピソードは 新ナイトライダー のタイトルで放映された 永らく未放映になっていたエピソードは年にクラシック 名作ドラマチャンネルで日本語吹き替え版が日本初放送され その翌年の年には プレミアムでもシーズンの未放映エピソード シーズンの第話にあたるエピソードは未放送 が同じく放送された 本項目ではテレビドラマに関連する作品もあわせて解説する ナイトライダー 陰謀と破壊と犯罪の渦巻く現代に蘇る正義の騎士 中略登場人物紹介がある 巨大な悪に立ち向かう現代の騎士 ナイトライダー 今日 彼を待ち受ける者は 果たして 誰か というナレーションで始まる 原語版では ウィルトン ナイト役のリチャード ベイスハートによる というナレーションである ナイトライダー誕生は 一発の銃声に始まる 若き敏腕刑事マイケル ロングは ある産業スパイ一味を追跡中一味に同僚を殺され 自らもまた凶弾に倒れた だがマイケルは ナイト財団の総帥ウィルトン ナイトにより辛くも命を救われ その身分もウィルトン ナイトの養子として 新たにマイケル ナイトとなる 重病で死の床についた養父ウィルトンは マイケルの手を取り 一人の男が世界を変えられる と説いてこの世を去る ウィルトンの遺志を受け継いだマイケルは 密かに財団が開発していたドリーム カー ナイト のドライバーとなる ナイトは 人工知能 キット を搭載しており 自分で考えて言葉を話し さらに自らの意思で走行する事もできるスーパーカーで マイケルはキットと共に世の中の不正や巨悪と戦っていく 同作品中において人以上の別名義で演じた俳優の一覧 役名の後のカッコ内は吹替え声優 備考は外観上の相違点など 以下は主要級 以下は敵側による脅威級能力を持つメカ マシン 以下はその他 話限りのゲスト等 のメカ マシン ナイト財団は マイクロエレクトロニクス事業で巨万の富を築いた実業家 ウィルトン ナイトがその収益を投じて設立した組織で 正式名称は 法と政府のためのウィルトン ナイト記念財団 ウィルトン ナイトの名前を省略して頭文字をとり と称されることもある 様な団体 個人にとって表沙汰にしたくない事件の調査を請け負っている いわば私立探偵 興信所だが その実績は政府の公的機関や大企業からも依頼を受けるほどの評価を得ている 財団の総帥であるウィルトン ナイトは かねてより犯罪を撲滅するためには積極的な抑止力の必要性を痛感しており そのためにドリーム カー ナイト が製作されることとなった 劇中で マイケルが 民間の調査機関でナイト財団 と名乗っているように ナイト財団の調査部門そのものに強制権 捜査権は一切ない そのため 捜査の際には警察や軍との連携を図る場合もある 一方で マイケルが不法侵入やハッキング等の違法行為を行うシーンがしばしば見られ キットがマイケルを諌めながらも結局はそれに渋協力する というやり取りは半ば恒例となっている マイケルが所属する組織は 日本語吹き替え版では単に ナイト財団 と呼ばれているが オリジナルではナイト財団の一部門である となっている アメリカで放送された順番に記載 また日本 テレビ朝日 版での放映順話数も併記する は時間スペシャル回で 各シーズンの第話がそれぞれの対象となっているが シーズンのみ他話が時間スペシャル回 シーズンのみの括りだと計話 となっている 日本版での放映順話数の はテレビ朝日版での未放映エピソードで邦題タイトルは版より なおこれらテレビ朝日未放映エピソードは版では全て原語音声と翻訳字幕のみだったが 年月日にリリースされたコンプリートブルーレイで全話日本語吹替版が出揃う事となった またシーズン以降の各話の括弧内は通算話数を表記 シーズン エピソードリスト シーズン エピソードリスト シーズン エピソードリスト シーズン エピソードリスト へ移行する際のアイキャッチもシーズン毎に異なっている 新ナイトライダー 原題 が年に製作された 製作当時から見て近未来である西暦年 警官は銃規制が進んだことで実弾銃使用が撤廃され 代わりに超音波銃の携行が義務付けられており 犯罪者の服役は冷凍睡眠となっているシアトル市を舞台にした物語 捜査中に仲間に裏切られて頭部に銃撃を受け その影響による記憶の欠落を補うため かつて に使用されていたメモリーチップを頭に組み込まれた元警官の女性 ショーン マコーミック が主人公である ナイト財団では 年前 年 にマイケル ナイトが退職しており 残ったデボンと元弁護士のラッセル マドック主任 カーメン アルジェンツィアノ の下 バーチャル リアリティを搭載したナイトの発展型 ナイトの製作が進められていた 人はハロルド市長を相手にナイトのプレゼンテーションを行い 犯罪撲滅のための必要性を訴えるが 同席していたダニエルズ警察長官に 犯罪捜査は警察だけで十分 と突っぱねられ 必要性を証明したいのなら日以内に完成させるよう要求される 折りしも銃使用撤廃派市会議員の暗殺事件が発生しており 助けが必要だと感じたデボンは 引退して釣りのガイドや車いじりをして過ごす 第三の人生 を送っているマイケルの元を訪ね 協力を要請する デボンの熱意に打たれたマイケルは を相棒にすることを条件に ナイトが完成するまでの日間だけ財団に復帰するが 肝心の とナイトはマドックによって解体されてしまっていた マイケルは売却された のパーツを買い戻させて再生し 自らの愛車である年型シボレー ベルエアに搭載して捜査を開始するが 安物のチップを使って再生された は 手配中の犯罪者と一般人を間違えるなどかつてのような性能を発揮できないでいた 一方 銃撃された時の記憶を失くしたショーンは ダニエルズから警官の職務に就くのは不適格であると言われ 警察を辞職してナイト財団に新たな職を求める のチップがショーンに移植されていると知ったマイケルは ショーンとともに捜査を開始する 当初は マイケルと を見下した態度を取っていたショーンであったが 銃撃の真相を の協力で思い出し 次第に連携が取れるようになっていく やがて 遂にナイトが完成し デボンとマドックはテスト走行を行う デボンは 性能はナイトを遥かに凌ぐと評価しながらも マドックの声で話し 道路に飛び出してきた鹿を はねても実害はない と言い放って避けようともしないナイトに のような人間性が感じられないと不満を抱く テスト走行を終えナイトを降りたデボンは 犯人一味に襲われて拉致されてしまう 犯人一味は意識不明となったデボンの記憶を抽出し ナイト財団がまだ手掛かりを何も掴んでいない事を確認すると そのまま薬剤を投与しデボンを殺害してしまう 死の間際デボンが最後に見た夢は ウィルトン ナイトの遺志を継ぎナイト財団総帥として悪と戦う決意をしたマイケルと 二人の友情と一人の男の夢 に乾杯する場面 オリジナルパイロット版のラストシーン であった 捜査を進める中 マイケル達は犯人一味に追われ の提案で車ごと海に飛び込み追跡をかわすものの は機能を停止してしまう デボンの死にショックを受けたマイケルは 自分が手を貸したせいでデボンを死なせてしまった と自責の念にかられふさぎ込んでいたが ショーンの叱咤で再び気力を取り戻す 財団に戻ったマイケルは を自分の愛車からナイトに移植する マイケルとショーンは 新たなボディを得た ナイト とともに事件の真相に迫ろうとする この作品はパイロット版のみの製作にとどまったが ビクター株式会社からビデオソフトがリリースされた他 ナイトライダー シーズン 及び コンプリートブルーレイ に特典として収録されている また テレビ朝日系を中心とした各地方局で深夜映画として放映された 日本語吹替え版は製作されていない 新主人公 ショーンの 脳にメモリーチップを埋め込まれた元警官 という設定は 旧ナイトライダー初期原案における 脳に埋め込んだメモリーチップにより と意思疎通が可能 というマイケル ナイトの没設定をなぞったものであると言える 当作品でナイトのモデルとなったのは ダッジ ステルスをベースに新たに制作された車両で当時のコンセプトカーであるポンティアック バンシーに類似したデザインで制作されたオリジナルカー 以後も ナイトライダー の続編 新作とされる作品がいくつか製作されている 近未来のメキシコ アメリカとの国境付近の ゾーン と呼ばれる区域で 不法移民を助ける運び屋で生計を立てる一匹狼の青年 ジェイク マックィーン と 臓器の不法密売を行っている大企業のボス ジェード ブライオン ジェームズ の戦いを軸にし ジェードの部下に襲われ死に瀕した養父 黒人であり 白人のジェイクを引き取って育てた から受け継いだ正義の心と高性能エンジン 父の形見のエンジンを搭載して製作した高性能な改造車 マスタングをベースとし 防弾効果のあるシートを車体に貼り付け 銃火器を搭載している その車に ジェードに殺されたジェイクの恋人 ハンナ ハドソン レイク の意思を宿したクリスタルを搭載し 彼女の意思で自由に会話や情報収集 自動走行などができる など 元祖ナイトライダーのコンセプトを骨子として部分的に織り込んでストーリーが紡がれていく なお年月日にリリースされた コンプリートブルーレイ に特典として初収録されている マイケル ナイトの情報は 内でも最高機密とされていたが 終盤になって突然マイケルを名乗る人物が登場する 更に メンバーの一人 ジェニーがマイケルの実子ではないかという疑惑 その正体はガース ナイトと思しき敵 メビウス の存在 ヨーロッパ支部からやってきた ドイツ語を話しアメリカ人を嫌う車両 の人工知能の正体が かつてナイトに搭載されていた であった など 様な謎が登場する しかし 番組自体がシーズンのみで終わってしまったため それらの謎は掘り下げられることはなかった 詳細については以下の英語版の各項目を参照 日本では年月日から月日まで フジテレビの深夜枠 登龍門 で ナイトライダー の邦題で日本語吹替え版が全話 本国では時間番組だったパイロット版が 序章 前後編の話に分割して放映されたため 放映された また日本語版制作スタッフも旧作である初代シリーズを手掛けたプロデューサーが全面指揮をしている 先述通り本作の日本放映はフジテレビ系列で前作 テレビ朝日 とは違う系列 なお 序章 を除き 邦題タイトルには全て ナイト ナイト といったように ナイト という文字が必ず入っており 原題にも の文字が必ず入っている 日本でも放映された人気ホームコメディ アーノルド坊やは人気者 の第シーズン第 話 ハリウッド大事件 前 後篇 にナイト役のハッセルホフと がゲスト出演した このエピソードの中での は ひがみっぽくて性格が悪く ナイトによりかかったアーノルド坊やを 触るな 私はスターだ と怒鳴りつけた 日本の音楽番組 ミュージックステーション の年月日放送分でナイト がゲスト出演し マイケルに代わり藤井フミヤが乗って野外から中継された オムニバスドラマ 世にも不思議なアメージング ストーリー においてシドニー ラシック主演の リモコン親父の逆襲 でテレビから飛び出すキャラクターの中でナイト がゲスト登場 主人公の自宅のキッチンに突っ込んでくる 日本ではパイロット版のみがビデオソフト及びレーザーディスクにて発売されている アメリカのアクションドラマ 驚異のスーパー バイク ストリートホーク の第話後半で ナイト財団 のトレーラーの後ろ姿が写っている これまでに数回にわたって シーズン までの各シーズンごとのセットが発売されている また それとは別に全巻の傑作選も発売された 放映当時に日本語吹き替えがあった話は原則 全て吹き替えが収録されているが 日本での放送時にカットされていたシーンは吹き替えが行われていない また 日本未放映話は英語 日本語字幕対応 のみである ただし後述のブルーレイ版はそれら全てに日本語吹き替えが追加新録されている 加えて日本初放映時にテレビ朝日独自に編集を行った場面付近の吹替えも収録されておらず テレビ放映時のオリジナルタイトル字幕 配役 出演者字幕 次回予告及び日本語版エンディングも未収録 日本未放映話を収録するにあたっては 日本で放送された当時の邦題を彷彿とさせるセンスで新規に邦題が付けられている また収録エピソードの順番はパイロット版である 電子頭脳スーパーカー誕生 原題 を除き 原則的に 米国で放映された順番 となっている シーズン では字幕切替に 日本語 英語 スペイン語 ポルトガル語 字幕と種類の設定が可能あったが シーズン ではそれらは廃止され 日本語 字幕のみとなっている またシーズン ではオープニング前のティーザーが収録されておらず シーズン ではティーザーが収録されている シーズンの前発売の パイロット版 及びシーズンでの オープニング の日本語吹き替えは収録されていない 各シーズンのには第話に相当するエピソードとして シーズンは パイロット 版である 電子頭脳スーパーカー誕生 原題 シーズンは ナイトライダー 無敵ゴライアスナイト 原題 シーズンは ナイトライダー 強敵 赤い殺人カー 原題 シーズンは 無敵装甲車ジャガーノート 大激突 破壊編 大勝負 再生編 原題 が収録されている これはシーズンはこの話が 全ての始まり となるエピソードであるためであり またシーズン以降の話はナイトが一度破壊され仕様変更が行われる話であるため これらを各シーズンの第話に持ってこないとそれ以降のエピソードとの辻褄が合わなくなってしまうためである ただし廉価版の では 電子頭脳スーパーカー誕生 がシーズンの 話目に収録されている シーズン第話 無敵装甲車ジャガーノート 大激突 破壊編 大勝負 再生編 原題 の折り返しとなる前半部分終盤でナイトがジャガーノートに破壊された直後にボニーが駆け付けるシーンが丸カットされている さらにこの直後のトレーラー内でデボンが偽者であることをマイケルが確信し ボニーにデボンが偽者だと言う場面の日本語吹き替えが収録されていない なお後述のブルーレイ版ではこのシーンは収録されている 同様にブルーレイ版での日本語吹替も放映当時と同じく収録されているが一部録り直しになっている 今回ブルーレイ化されるにあたり オリジナル フィルムから化を行い 片面層枚組に各シーズンを収録した 未放送のため今まで字幕版でしか存在していなかったエピソード シーズンの話 シーズンの話 計話 を ささきいさお 野島昭生を始めとする当時のオリジナルキャスト マイケル ささきいさお 野島昭生 デボン 中村正 ボニー 小山茉美 エイプリル 潘恵子 水島裕 で吹き替え版を新規収録し さらに版では吹替がなかった時間分にも及ぶシーンも追加収録した 追加収録では声優陣のみならずスタッフの方も 演出に壺井正 翻訳に平田勝茂と 当時のスタッフが再結集している ゲスト側は基本的に追加吹替用にキャスティングされた数名の役者が持ち回りで代役を行っており 有川博 大久保正信 内海賢二 石田太郎 小林勝彦 北村弘一 小林修 富山敬 仁内建之など すでに故人となっているキャスト及び 藤田淑子 この頃には療養中で活動休止状態であり 年月に逝去 家弓家正 発売同年の年月に逝去 飯塚昭三 納谷六朗 発売同年の年月に逝去 大塚周夫 発売翌年の年月に逝去 柴田秀勝 平野文 大塚明夫 若本規夫 千葉繁などは当該シーンのみ代役となっている その一方で上田みゆき 弥永和子 発売同年の年月に逝去 といった往年のキャストが当時と同じ役で追加収録に参加している 全エピソードを詳細に網羅したページの完全版ブックレットや 版シーズンに収録されていた 新ナイトライダー と今回初となる ナイトライダー が特典としてそれぞれ各枚ずつに収録されたものが同梱されている ただし 字幕表示は 日本語 字幕のみで またオープニング前のティーザーは今回全てカットされている さらに初回生産分では限定特典として 年月日にテレビ朝日 日曜洋画劇場 で日本初放送された ナイトライダー 電子頭脳スーパーカー誕生 の吹替台本の復刻版が同梱されている この他 ナイトライダー の全話を収録した 枚組 およびブルーレイ 枚組 が年月日にリリースされた こちらも放映当時にカットされていたシーンにも新規に吹き替えが行われており 完全ノーカット版となっている ペンシルベニアドイツ語 標準ドイツ語 アレマン語 英語 は 北アメリカのカナダおよびアメリカ中西部でおよそ万から万人の人びとに話されているドイツ語の系統である 高地ドイツ語のうち上部ドイツ語の一派アレマン語の一方言である ペンシルベニアアレマン語 とも呼ばれる この言語を主に使用するのは アメリカ合衆国のペンシルベニア州東部から発生し 中西部 モンタナ州 アイダホ州 ワイオミング州 ワシントン州 オレゴン州 それにカナダのオンタリオ州に住んでいる大部分のゲルマン ドイツ系アメリカ人である 話し手の多くはアーミッシュかオールド オーダー メノナイト派である ただし 数世代前は全く違う状態にあった これについては以下の ペンシルベニア ダッチ とも呼ばれるが いわゆるオランダ語と直接の関係はない 英語のダッチ は現代ではオランダ語やオランダ人の意味で使われるが 古くはドイツ語およびドイツ人を指す言葉であった この語とは同語源である 元来オランダはドイツ文化圏の一部とみなされていたが 後に意味が狭義化した この紛らわしい呼び名は その古い語義を保つ形になっている 同時にアシュケナジム ユダヤ系 が使用するイディッシュ語とも系統が異なるグループの言語である ペンシルベニアドイツ語は ドイツ中西部のプファルツ地域の言語である中部ドイツ語に属するフランケン諸語 中部フランケン方言 に最もよく似ている しかし アメリカやカナダに見出されるペンシルベニアドイツ語の話し手は 中欧南西部のドイツ語圏 アレマン諸語 のさまざまな地域からの移民から構成される これはアルザス スイス を含む南西部のバーデン バイエルン シュヴァーベン を含む南中部のシュヴァーベン フランケン地方南西部を含む中南部のヴュルテンベルク など 移民がやって来てから最初の数世代の間に各種の方言が融合し 現在のようなものになったという ペンシルベニアドイツ語は 大衆文化のなかではアーミッシュと結び付けられることが多い ペンシルベニア ジャーマン訛りの英語を話す人は と の発音をすり替えてしまうことなどが典型的である たとえば ワンダフルなヴァイオリン と言うべきところを ヴォンダフルなウィオリン と言ってしまう などとされる ただし 現実のペンシルベニアドイツ語の話し手が英語を話す際には 非常にわずかな訛りしかない 上のようなイメージは観光のために誇張されているものという色合いが濃い 現在 ペンシルベニアドイツ語には つの競合する表記の方法が存在している 例えば 主の祈り は 次のように通りに表記され得る 参考までに 現代の標準的ドイツ語による表記は 次のようになる ペンシルベニアドイツ語は 少なくともつの意味で絶滅の危機に直面している ひとつには この言語はペンシルベニア州南東部でかつて日常的に話されていたのだが 今日ではそのような使われ方はされていない 今日でも高年齢層のなかにはペンシルベニアドイツ語を話す人が多い だが 彼らの孫の世代は英語のみしか知らないのが普通である もうひとつ 今日でもペンシルベニアドイツ語を日常的に使っているアーミッシュについては そこに多くの英単語が混ざるようになったことが指摘できる 一部の関係者は この変化が進展するとやがてペンシルベニアドイツ語は消え去ってしまうのではないか と危惧している また この変化が加速しつつあることも指摘されている これは多くのアーミッシュの大規模な共同体にとって土地が稀少になりつつあり それに伴って農業以外の職業に就く必要性が出てきているためである 工場などで働く場合 英語との接触がかなり増えることになるケースがある また アーミッシュとオールド オーダー メノナイト派は かつてはペンシルベニアドイツ語の話し手のごく少数を占めるに過ぎなかったが 現在ではかれらだけが世代間の言語の継承をおこなっているため 話し手の大多数を占めるようになった ジョンズホプキンズ大学の社会学者でペンシルベニア ダッチ人のジョン ホステトラー によれば 当初これらつの集団は話し手全体の人口の 以下であったという しかしながら この集団がペンシルベニアドイツ語の使用をやめる兆候はない かれらの文化では 言語は従順さ 謙譲の証として扱われ 外部の世界に対するバリアーとして機能している また アーミッシュは一般に多産であるため 短期的には若い世代の話し手がいなくなる可能性は低い カナダでは 次のつの集団がペンシルベニアドイツ語を話す 一般に カナダ国内のペンシルベニアドイツ語の話し手はアメリカ国内の話し手の数と比べて非常に少ない だが 少なくともカナダのメノナイト派の内の集団は ペンシルベニアドイツ語の使用を中止する率がアメリカの同様の集団と比べて低いことがわかっている 具体的には自動車 オールド オーダー メノナイト派がそうである アメリカでは自動車を利用するオールド オーダー メノナイト派の人は 英語に切り替えてしまうけれども カナダではこうした人びとは家庭内で依然としてペンシルベニアドイツ語を使い続けている アメリカ国内では 次の各集団がペンシルベニアドイツ語を話す これらの内 最後の一連の諸集団が かつてペンシルベニアドイツ語の使い手の主流派をなしていた また 今日では夜間学校で言語を教える試みなどもおこなわれている しかしながら これらの集団内での話し手の数は年減少する傾向にある ほかに こうした人を主な対象とした週に一度のラジオ番組があり ルター派と改革派教会の内 以前ドイツ語を使っていた支部の多くは ペンシルベニアドイツ語による毎年一回のミサをおこなっている また ペンシルベニアドイツ語の母語話者と商取引を頻繁に行う人のなかには この言語を話すようになる人もいる 今日の話し手の人口は 万 非常に慎重な見積り から万の間であると思われる 但し 学術出版物も含め これよりもさらに低い数字を提供する者もいる これは上に挙げたさまざまな集団の存在に気づかないために起こる誤認による 全人口の内 アーミッシュは万から万人を占める オールド オーダー メノナイトは数万人 その他のメノナイト派の話し手が数千人 アーミッシュでもメノナイト派でもない話し手が数千人いる たとえば ペンシルベニア南東部にあるペンシルベニアドイツ語の話し手のための組織である の会員数は 千人にのぼるとされる これらの内 アーミッシュの人口は見積りがやや困難である アーミッシュの人口として統計上報告されるものは しばしば洗礼を受けた人の数である ここには代なかばと それ以下の人口を含まない 教区の数と教区ひとつ当たりの平均人口に基づいた推計の方がより正確である さらに ペンシルベニア州 オハイオ州 インディアナ州の各州には大きな話し手の集団がいることがわかっているが これら以外の地域の話し手は 英語の話し手の間に散在しているために把握が困難である アーミッシュの人口の公式な統計は 現在のところ存在しない また ペンシルベニアドイツ語を話す人びとは カナダやアメリカの国勢調査ではドイツ語を話す者としてカウントされる これは回答用紙にある選択肢のなかでドイツ語が一番近いためである 石川県 いしかわけん は 日本の中部地方に位置する県 県庁所在地及び最大の都市は金沢市 本州の中央部 日本海側の北陸地方に位置する 県域は令制国の加賀国と能登国に当たる 石川県の名称は加賀地方にあった石川郡に由来し さらに石川郡との命名は本県最大の河川手取川の古名である 石川 に由来する 年 明治年 金沢県庁が石川郡美川町 現 白山市 に移転した際 その郡名により石川県と改名された 翌年 県庁が再び金沢に移転した後も県名はそのままで現在に至っている なお 金沢も市制施行前である当時は石川郡に属していたため 県庁所在地と県名に不整合はなかったといえる 形状は 東西約 南北約と南北に細長い 県南部の加賀地方は西側に日本海の直線的な海岸線が続き 東側に両白山地の山が連なる 南東部には県内で最高峰の白山 がそびえる 県北部の能登地方は日本海に向かって北東方向に突き出た半島 能登半島 となっている このため県全体の海岸線の総延長は約に及ぶ これは東海道本線の東京駅 神戸駅間 に相当する距離である 気候は日本海側気候型である 西寄りの風が日本海を流れる対馬暖流の上で水蒸気を蓄えて雷雲となり 両白山地に当たって降水をもたらすことが多い 都道府県別の年間降水量は番目に多い 特に冬は北西からの季節風が続くため降水量が多く 山間部は豪雪地帯となっている 降雪時に雷鳴を伴うことが多く この現象は鰤 ブリ が獲れる時期と重なることからブリ起こしと呼ばれている 県民人口は約万人である 都市別では金沢市が最多の約万人と約 を占める 次いで多いのは白山市と小松市のそれぞれ約万人であり 金沢市を中心に県南部の加賀地方に人口が偏在している 金沢市の人口は 北陸地方では新潟市に次いで番目 北陸県に限れば 番目 であり 北陸経済の中心地の一つとなっている 江戸時代に加賀国 能登国 越中国を領地としていた加賀藩は学問や文芸を奨励したことから 城下町の金沢を中心にして伝統文化が興隆し 今に受け継がれている 金沢市では能楽の加賀宝生 織物の染色技法である加賀友禅 蒔絵を施した金沢漆器 茶道具に用いられる大樋焼などが伝わる その他 輪島市の輪島塗 加賀地方の九谷焼など芸術性の高い伝統技術が継承されている 人口当たりで見た日展 日本美術展覧会 や日本伝統工芸展の入選者数は全国位となっている 石川県を訪れる観光客は年 平成年 で約 万人と見られ このうち約万人が金沢市周辺 約万人が能登地方 約万人が 金沢市周辺を除く 加賀地方を訪れたとされる 主要観光地で利用者数が多いのは 金沢市では兼六園 金沢城公園 金沢世紀美術館 ひがし茶屋街 能登地方では輪島市の輪島朝市 七尾市の和倉温泉 能登食祭市場 羽咋市の気多大社 同市と宝達志水町に跨る千里浜 加賀地方では加賀市の山代温泉 山中温泉 片山津温泉 小松市の粟津温泉 木場潟公園 白山市の白山比咩神社などである 全国都道府県で唯一 太平洋戦争で空襲を受けていない 日本の本州中央部の日本海側にある 全国地方区分では中部地方に当たり 日本海側の北陸地方に位置している 県域は 東西 南北 面積 を有し 海岸線の総延長は に及ぶ 南北に細長く 中央部がくびれた砂時計や アルファベットののような形状をしている 西側 北側 北東側は日本海に面しており 南西側は福井県に 東側は富山県に 南東側は岐阜県に隣接している なお 日本の領海を確定するために設定されている基線は輪島市舳倉島北東端から 富山県を経ず 新潟県佐渡市ネイ島西端まで直線基線が引かれている 石川県の地形は 県北部の能登地方と県南部の加賀地方とで対照的な特徴を有している 能登地方は日本海に向かって北東方向に突き出た半島 能登半島 である 第三紀に形成された火山岩や堆積岩からなる丘陵状の山地が広がっている 一級河川はなく 町野川 大海川などの二級河川が水系指定されている 半島沖の海底は舳倉島付近まで大陸棚が続いており その先も白山瀬や大和堆などの中深度海域が見られる 半島北部は 概ね標高以下の低山地と丘陵地帯が連なる準平原で 全体として富山湾側に下降する背斜構造をしている このため北西側の外浦 そとうら は急峻な海食崖が形成され 海岸段丘が発達しているのに対して 南東側の内浦 うちうら は沈降性の入り組んだ海岸線をしている また 内浦の最深部に能登島があり 七尾湾が島を取り囲んでいる 半島中央部には 眉丈山南麓の断層が落ち込んで形成された帯状の低地帯 邑知潟地溝帯 が半島を横切っている 半島南部は宝達山を中心とする低い山地 宝達丘陵 が南北に連なり 西側の海岸線は長い砂浜海岸 千里浜 となっている 加賀地方は南東部に白山 を最高峰とする山地帯 両白山地 が発達し 北西に流れる河川によって形成された沖積平野 加賀平野 金沢平野 が南北に広がっている 白山は中国山地を経て九州北部に延びる白山火山帯に属しており 一帯には火山岩や凝灰岩が分布している 加賀地方の中央部を流れる手取川は白山を水源に日本海に注ぐ 長さ 流域面積の一級河川で 石川県最大の川である 流域の が山地であり 平均勾配が約分のという日本有数の急流河川である 上流部は川の浸食作用で渓谷となり 中流部には河岸段丘が発達している 下流域は白山市鶴来地区 旧 鶴来町 を扇頂とし 中心角度 半径 の扇状地 手取川扇状地 を形成している 梯川は加賀地方南西部の白山山系大日山連峰の鈴ヶ岳を源流とする一級河川で 長さ 流域面積は である 加賀地方北部に当たる金沢市内を流れる犀川と浅野川はいずれも二級河川である 流域には河岸段丘が発達している 加賀地方の海岸部は単調な砂浜海岸であり 北部には内灘砂丘がある また 海沿いの平野部に木場潟 柴山潟 河北潟などの潟湖が点在している クロユリ 石川県の 郷土の花 である 国立公園がか所 白山国立公園 国定公園がか所 能登半島国定公園 越前加賀海岸国定公園 県立自然公園がか所 山中 大日山県立自然公園 獅子吼 手取県立自然公園 碁石ケ峰県立自然公園 白山一里野県立自然公園 医王山県立自然公園 存在する 白山国立公園は白山を中心とした両白山地の主要な山を指定区域とする国立公園である 石川県 富山県 福井県 岐阜県の県にまたがる 原生地域が区域の 以上を占め 特にブナの原生林を広域に保有している また 森林限界を越える高山帯としては日本最西端に当たるため 西限 南限とする貴重な動植物がみられる 能登半島国定公園は能登半島の海岸一帯を主体とする国定公園である 石川県と富山県に跨る 能登金剛や禄剛崎など外浦の勇壮な海食景観と七尾湾や能登島など内浦の柔和な沈水景観の対比が特徴とされる 越前加賀海岸国定公園は加賀市から福井県敦賀市まで続く海岸一帯の国定公園である 石川県内では柴山潟や雁 鴨の飛来地 である片野鴨池が含まれている 片野鴨池はラムサール条約の登録湿地となっている 石川県の気候は比較的日照時間の短い日本海側気候型である その特徴は冬に顕著で 北西からの季節風によって気温が低く雪の降る日が多くなる 地元でブリ起こしと呼ばれる冬の雷 の発生数は日本で一番多い 降雪と雷が同時に起こることは世界的にも珍しく ノルウェー西海岸やアメリカ合衆国の五大湖から東海岸にかけて見られる程度であるとされる 発達した低気圧が日本海を通過するときに南東からの強い風が両白山地を越えてフェーン現象を起こすことがある また 同じ中部地方でも太平洋側の東海地方に比べて梅雨が顕著ではないという特徴がある 能登地方中部から加賀地方にかけての平野部の気候は比較的温和だが 能登地方北部では年平均気温がやや低く 加賀地方山間部は気温が低く多雨豪雪であるといった地域差が見られる 能登地方は日本海に大きく突き出しているため寒暖の季節風の影響を受けやすい 北陸地方の他の都市に比べ 夏はやや涼しく 冬は雪も少なめである 年平均気温は だが 能登地方北部はやや低めである 年降水量は 年日照時間は 時間 最深積雪の平均は である 加賀地方の平野部は比較的温和で年平均気温は である 年降水量は 年日照時間は 時間 最深積雪の平均は である 金沢市で年間を超える降雪を観測した年は 年代 回 年代 回 年代 回 年代 回 年代 回となっており 年代以降減少が顕著である 冬の日照時間が極端に少ないのが特徴で 夏は月平均約時間に対し 冬は月平均約時間である 加賀地方の山間部 標高以上 は最深積雪の平均がと平野部の倍以上になる豪雪地帯である 白山市白峰地区 旧 白峰村 では最深積雪の記録がある この地域が大雪となるのはシベリアからの乾いた冷たい季節風が日本海を流れる対馬暖流の上を通る時に水蒸気を蓄え雲となり 両白山地にぶつかって斜面を上昇すると断熱膨張によって冷やされ雪となるためである 県北部を能登地方 県南部を加賀地方という それぞれ令制国の能登国 加賀国の範囲に相当する 加賀地方は かほく市以南を 能登地方は宝達志水町以北をさすことが多い 石川県庁の出先機関では地域または地域に区分されることがある たとえば 保健福祉センターは 能登北部 能登中部 石川中央 南加賀 の区分である 県営の看護士求人では 能登北部 能登中部 石川中央北部 石川中央南部 南加賀 の区分である 県の都市計画では 奥能登 中能登 県央 南加賀 の区分である 農林総合事務所や土木総合事務所では 奥能登 中能登 県央 石川 南加賀 の区分である 気象庁の天気予報では県域を北から南へ 能登北部 能登南部 加賀北部 加賀南部 と区分される 市町別では市 郡 町となっている 石川県では 町は まち と読む が 鳳珠郡能登町および羽咋郡宝達志水町は ちょう と読む 石川県内の市町では 一部の小字地番にイロハや甲乙丙などを組み合わせたものが使用されている 白山市松任地区および野市市を除く これは明治時代に行われた土地区画整理事業の名残で 石川県の多くの地域では年現在も使用されている このため住居表示制度の導入割合は隣県の富山県や福井県より低い 域内推計人口 人 全県比 石川県庁の出先機関の圏域名である県央は金沢市 かほく市 河北郡の区域 石川は白山市 野市市の区域 石川中央は左記域を足し合わせた区域 南加賀は小松市 加賀市 能美市 能美郡の区域を指す 加賀地方には平成の大合併前に市郡町村あったが 年 平成年 月日に河北郡町 高松町 七塚町 宇ノ気町 がかほく市に 年 平成年 月日に松任市と石川郡町村 美川町 鶴来町 河内村 吉野谷村 鳥越村 尾口村 白峰村 が白山市に 同日能美郡町 根上町 寺井町 辰口町 が能美市に 同年月日旧加賀市と江沼郡町 山中町 が加賀市 これにより江沼郡は消滅 となり また年 平成年 月日に野市町が単独市制で野市市に移行 これにより石川県の県名の由来となる石川郡が消滅 した このほか 市町間で行政サービスを共同で行うため次の一部事務組合が設立されている 域内推計人口 人 全県比 石川県庁の出先機関の圏域名である能登中部 中能登は七尾市 羽咋市 羽咋郡 鹿島郡の圏域 能登北部 奥能登は輪島市 珠洲市 鳳珠郡の圏域を指す 能登地方には平成の大合併前に市郡町村あったが 年 平成年 月日に旧七尾市と鹿島郡町 田鶴浜町 中島町 能登島町 が七尾市に 年 平成年 月日に羽咋郡町 志雄町 押水町 が宝達志水町に 同日鹿島郡町 鳥屋町 鹿島町 鹿西町 が中能登町に 同日鳳至郡町村 能都町 柳田村 と珠洲郡町 内浦町 が鳳珠郡能登町 これにより鳳至郡と珠洲郡は消滅 に 同年月日に羽咋郡町 志賀町 富来町 が志賀町 年 平成年 月日に旧輪島市と鳳珠郡町 門前町 が輪島市となった このほか 市町間で行政サービスを共同で行うため次の一部事務組合が設立されている 県内で発見された旧石器時代の遺跡は能美市の灯台笹遺跡など極めて少ない 縄文時代の遺跡では草創 早期の遺跡は少なく 中期と晩期にピークがある 能登町の真脇遺跡は縄文時代の前期から晩期まで約 年続く長期定住遺跡である 縄文時代後期から晩期の遺跡としては金沢市のチカモリ遺跡 野市市の御経塚遺跡がある 環状木柱列はその後真脇遺跡でも発見されている 環状木柱列の用途 機能は 儀礼の場 や 特殊な建物 など様な考えがあり不明である 羽咋市の吉崎 次場遺跡は北陸地方でも規模が大きい弥生時代の遺跡で近畿 東北 山陰などとの交流が認められる も参詣した気多大社 羽咋市 能美市には数基の古墳が点在する能美古墳群がある その中心に位置する和田山 末寺山古墳群からは武器 武具など大量の副葬品が出土している また 同じ能美古墳群の一角にある秋常山号墳は全長約の前方後円墳である 中能登町の雨の宮古墳群には北陸最大級の前方後方墳である雨の宮号墳がある また 七尾市の能登島にある須曽蝦夷穴古墳はドーム型の墓室を持ち朝鮮半島の古墳にも通じるものとされる 県域は飛鳥時代には越国あるいは三越分割後の越前国に含まれていた 奈良時代に入り 年に羽咋 能登 鳳至 珠洲の郡を割いて能登国が立てられた 能登国は年越中国に併合され この頃大伴家持が越中国の国司として赴任している 年には越中国から分離し 再び能登国が立てられた 平安時代初期の年になって越前国から加賀 江沼郡を割いて加賀国が立てられた これは令制上最後の立国である 七尾市にある能登国分寺跡は 能登地方を支配した能登臣 のとのおみ 一族が白鳳時代に建てた寺院を年に国分寺としたものである 法起寺式伽藍配置を持ち 約年にわたり能登の仏教の場として栄えたとされる 奈良時代から平安時代には 能登半島には渤海の使節がたびたび到着し交易が行われていた 志賀町の福浦港では渤海使が船の修理や宿泊をしたと伝えられており 平安時代初めに渤海使接待のため能登国に建てられた能登客院はこの地にあったと考えられている 野市市の末松廃寺跡は加賀地方北部に本拠を置く有力氏族道君 みちのきみ が世紀後半に創ったとされる寺院である 法起寺式伽藍配置をしており 屋根瓦の一部は能美市辰口地区 旧 辰口町 で焼かれたものであることが分かっている 奈良 平安時代 北陸地方には東大寺 西大寺などの荘園が多くあった 白山市から金沢市に跨る東大寺領横江荘もそうした荘園の一つである 平安時代に修験道が活発になると白山を山岳信仰の対象とする白山信仰が広まり 山頂への登山道 禅定道 の起点の一つとなった白山比咩神社は信仰の拠点となった 平安時代末期の治承 寿永の乱 源平合戦 では 源義仲 木曾義仲 が倶利伽羅峠の戦い 津幡町 で数で圧倒する平家の義仲追討軍を破り さらに篠原の戦い 加賀市 で逃げる平家を追撃し 京都に進んだとされる 鎌倉時代 新たに設けられた守護は加賀国 能登国とも比企氏 北条氏 室町時代に入ると加賀国は斯波氏 冨樫氏 能登国は吉見氏 畠山氏であった 加賀国では 応仁の乱のころ浄土真宗が広まり やがて農民らによる加賀一向一揆が守護の富樫政親を破り 武士の支配を脱却した統治が約年にわたって行われた これが 加賀地方が 百姓の持ちたる国 と呼ばれた 所以である 本願寺は金沢の台地上に尾山御坊 金沢御坊 を作り ここを拠点にして支配した 本願寺と敵対する織田信長は 柴田勝家らを派遣してここを平定し 能登国を前田利家に 加賀国を佐久間盛政に与えた 織田信長の死後 豊臣秀吉が実権を握ると 前田利家は加賀国も領して 尾山御坊跡の尾山城 金沢城 に入り城下町の建設を始めた 能登国では 正長年間 年 年 頃に初代当主畠山満慶が七尾城を築城し 畠山氏の領国支配の拠点となる 代目当主畠山義総の時代に最盛期を迎えるが 義総の死後は畠山七人衆が実権を握り 大名権力を傀儡化する 年 永禄年 代当主畠山義綱が実権を取り戻すが 年 永禄年 に永禄九年の政変で能登国から追放される 年 天正年 上杉謙信が能登国へ侵攻し七尾城の戦いが起こり 畠山氏は滅亡する 前田利家の長男前田利長は関ヶ原の戦いでは徳川家康の東軍につき 戦後越中国を与えられた 利長は江戸幕府の幕藩体制のもと加賀国 能登国 越中国の国を治める加賀藩の藩主となった 加賀藩前田家は外様大名でありながら大名の中で最大石高である約万石を領した 第 代藩主前田利常は 江戸幕府 代将軍徳川秀忠の娘 珠姫を娶った徳川の大名として大坂の陣を戦い 戦後の大坂城改修の普請では通常の大名の負担分より多い負担を敢えてするなど 外様大名として取り潰しを避けることに意を用いたとされる 利常は年に家督を長男前田光高に譲り 次男の前田利次に富山藩を 三男の前田利治に大聖寺藩を分封した しかし 年に光高が急死し 第 代代藩主となった光高の長男前田綱紀がまだ幼かったため 利常が後見人として藩政を補佐した 利常が綱紀を後見した時代には 貧農の救済 年貢納入の徹底などを目的とした改作法と呼ばれる農政改革が実施された これは 農民の借金を帳消しにした上で 農具 種籾の購入資金や当座の食料を貸し付けて農業生産性を高めるとともに 各地の有力豪農などから選任した十村 とむら に農民の監督や徴税を委ねるものである 改作法は所期した成果を挙げ 藩政の安定に寄与した この頃から加賀藩は蔵米を日本海から関門海峡 瀬戸内海を通り大坂まで運ぶ船輸送を始め 後の西廻海運の基となった なお 年に白山が噴火 最も新しい噴火 年と年には手取川の洪水で多数の死者が出ている 加賀藩は 産業の振興に力を入れ 学問や文芸を奨励したことから 城下町の金沢を中心として今に続く伝統文化が興隆した 金沢城内に設けた御細工所は初め武器 武具の修理等を行う組織であったが 利常は茶の湯道具や掛幅など美術工芸品の製作 修理をさせ 綱紀は塗物 蒔絵細工 象嵌細工などを越える職種を扱わせた 綱紀は学問の奨励のため木下順庵 室鳩巣 稲生若水といった学者の招聘につとめた 綱紀が収集した古今東西の図書は尊経閣文庫として受け継がれている 能楽も盛んで 利家は金春流を好み その後の藩主達にも受け継がれたが 綱紀が宝生流を取り入れ加賀宝生を成立させると 後者が主流となり栄えた 兼六園は綱紀による蓮池庭と御殿の建設が始まりとされ 現在の姿が完成するのは江戸時代後期である 輪島塗は江戸時代に輪島で下地塗りの漆に混ぜる珪藻土が見つかったことで堅牢な漆器となり 日用食器として盛んに生産されるようになった 北前船が寄港する輪島港の海運の利を活かして全国に販路を広げた また江戸時代後期には沈金や蒔絵の技法が加わり美術工芸品としても発展した 大聖寺藩では江戸時代初めに殖産興業の一環として鉱山開発に取り組み九谷村 現 加賀市 で磁鉱が発見されたことから窯を築き色絵磁器 九谷焼 の製造が始まった 一旦廃窯されるが九谷焼は加賀藩により再興され 明治期には海外への輸出品となった 江戸時代後期 加賀藩は年に藩校の文学校明倫堂と武学校経武館を文武ごとに別けて設立した 明倫堂では儒学のほか易学 医学 本草学 暦学 算学などを 経武館では馬術 剣術などを教えた また幕末には洋式兵学校の壮猶館や航海 測量の実習のための軍艦所を作り ヨーロッパから洋式艦船を購入するなど海防に力を注いだ しかし 年 明治年 に紀尾井坂の変が発生したのを切っ掛けに 大石川県は政府から 大県および不平士族の多い故の難治県 と警戒されるようになり 政府は大石川県の力を弱めるためおよび政府が軍備補完のために設立した 共同運輸会社 に伏木港の海運業者 藤井能三が有力出資者であることに考慮し 大石川県の分県を承認 年 明治年 に福井県が 年 明治年 に富山県がそれぞれ分離して現在の県域となる 特に富山県については 加賀側と能登側が 越中は藩政期に加賀藩の庇護を受け さんざん迷惑をかけやっかいになり続けたのに今更分県などけしからん と強く反発し阻止に暗躍していたが 最終的に越中側の熱意により独立する結果となった 鉄道は 年 明治年 月 北陸線が福井駅から小松駅まで延伸 翌年 明治年 月に金沢駅まで 同年月に高岡駅まで延伸された また同年月には七尾鉄道が津幡仮停車場 現 本津幡駅付近 から矢田新駅 後の七尾港駅 まで開通し 年 明治年 国有化された 年 大正年 和倉駅まで延伸し 年 昭和年 までに輪島駅まで開業した 金沢製糸場の施工にあたった津田吉之助の子津田米次郎は織機の機械化に取り組み 年 明治年 日本初の力織機を発明した 当時 羽二重生産で出遅れていた金沢はこの力織機による工場制大量生産で大正期にかけて生産量を伸ばした 同年 金沢では電気の送電が開始され 翌年 明治年 に市内電話が開通 年 明治年 にはガスの供給が始まっている 石川県は戦争中空襲などによって焦土となることを免れたため 全国で唯一 太平洋戦争での空襲が無かった県である 戦後も様な社会資本を引き続き使用することができた 年 昭和年 の第回国民体育大会が石川県を中心として開催されたのは一つの例である これは各都道府県持ち回りとなる最初の大会となった 戦後 アメリカ軍が内灘村 現 内灘町 で接収した砲弾試射場に対する反対運動 内灘闘争 が起こり 年 昭和年 から翌年にかけて激しさを増した その後年 昭和年 に撤収されたため事態は次第に収束していった 旧海軍の小松飛行場は戦後アメリカ軍に接収されていたが 年 昭和年 に不定期の大阪便が就航した 年 昭和年 にアメリカ軍の接収が解除されると航空自衛隊が駐屯 年 昭和年 に航空自衛隊小松基地が開庁し 正式に自衛隊と民間航空との共用飛行場となった 昭和末期以降 能登地方の交通体系は鉄道中心から道路 空港に大きく変わった 年 昭和年 能登線が廃止され 第三セクター鉄道ののと鉄道に引き継がれた のと鉄道能登線 年 平成年 には七尾線津幡駅 和倉温泉駅間が電化される一方 和倉温泉駅 輪島駅間がのと鉄道に経営移管された のと鉄道七尾線 年 平成年 のと鉄道七尾線穴水駅 輪島駅間 が 年 平成年 のと鉄道能登線が廃止された 石川県の人口は 年 平成年 月日現在で 人となっている このうち能登地方が 人 加賀地方が 人と が加賀地方に集中している 市町別では 金沢市が 人と最も多く 県人口の を占めている 次いで 白山市 人 小松市 人 加賀市 人 七尾市 人 野市町 現 野市市 人などとなっている 平均寿命は年 平成年 で男性 歳 女性 歳となっており それぞれ全国 男性 歳 女性 歳 よりも長い 合計特殊出生率は年 平成年 で 人と 全国の 人を上回っている 農業産出額は年 平成年 で億円 であり 年 昭和年 の 億円の に相当する水準まで減少している 作付面積では年 平成年 で水稲 野菜 豆類 果樹 となっており 稲作が中心である 米の品種別ではコシヒカリが 強を占めている 野菜では販売額の を占めるスイカが最も多く 次いでダイコンの となっている 果樹ではナシが販売額の を占め ブドウの が次に多い 乳牛 肉牛 豚 採卵鶏の飼育頭数は減少傾向にあるが 農家戸当たりでみると乳牛は全国番目 豚は全国番目に多い 地域の特徴を活かした農産物のブランド化が図られている 加賀野菜は金沢地区で戦前から栽培されていると認められた野菜である 金時草 加賀太きゅうり 加賀れんこん 源助だいこん 打木赤皮甘栗かぼちゃなど品目が認定されている 能登野菜は能登地方の風土を活かして生産された伝統野菜 特産野菜のことで中島菜 沢野ごぼう 金糸瓜など品目が認定されている 果樹では 石川県農業総合研究センターが開発した新種のブドウがルビーロマンと命名され 高級ブドウとして販売されている 県内で飼育された黒毛和種の肉牛のうち品質の高いものは能登牛と認定する制度が設けられている このほか コメの新品種ひゃくまん穀 フリージアの新品種エアリーフローラ 梨の新品種加賀しずくがいずれも石川県によって開発され 新たな特産品となっている 林業産出額は年 平成年 で 億円となっており 年 昭和年 の 億円の まで減少している このうち木材生産は 億円 特用林産物は 億円である 一方で木材供給量に占める県産材の割合は年 昭和年 の から 年 平成年 の に上昇している 樹種別原木の生産量では 年 平成年 でスギが全生産量の を占め 次いで能登ヒバ マツ となっている なお能登ヒバは能登地方で産出されるアテ ヒノキアスナロの地方名 のブランド名である 年 平成年 の特用林産物の生産量は生シイタケがトンと最も多く 次いでエノキタケトン ナメコトンなどとなっている 年 昭和年 に約 トンを生産した木炭はトンにまで減少している 海面漁業 養殖業の生産は 年 平成年 で トン 億円である これは本州日本海側の府県では生産量で番目 生産金額で番目に多い 年 平成年 の魚種別の漁獲量ではカタクチイワシが最も多く 次いでスルメイカ ブリ マアジ ハタハタ カレイ ズワイガニ ベニズワイガニを含む サワラ マダラなどが多い 年 平成年 のブリの漁獲量は都道府県別で最多である 海面養殖業の生産量は年 平成年 で トンとなっており 七尾湾でのカキ養殖がほとんどを占めている 内水面漁業では アユが主だが 渓流でヤマメ イワナ カジカ 湖沼でコイ フナが生産されている また 水産加工品の生産量は 年 平成年 でかまぼこ類が トン 生鮮冷凍水産物が トン 水産物つくだ煮類が トンなどとなっている 水産物のブランド化に向けた取組も見られる 毎年月から月にかけて能登半島沿岸域の定置網で水揚げされる以上のブリは天然能登寒ブリとして出荷される また 石川県で水揚げされる雄のズワイガニのうち品質が良いものは加能ガニとされ 専用のタグが取り付けられる なお 石川県ではメスのズワイガニは香箱ガニと呼ばれている 石川県漁業協同組合が定める 石川の四季のさかな は 春はカレイ サヨリ 夏はイカ 秋はアマエビ 冬はブリ ズワイガニ 香箱ガニである 輪島市は 日本で最もふぐの漁獲量が多いことから 同市が能登ふぐとブランド化し 知名度向上などに力を注いでいる 石川県の製造品出荷額等は年 平成年 で兆 億円となっている 同年以前年間で最高だった年 平成年 の兆 億円に比べると 減少している 産業別では電子部品が 億円と を占めて一番多い 次いで生産用機械が 億円 情報通信機器 億円 繊維 億円 食料品 億円 などとなっている 市町別にみると 小松市が 億円で最も多く 白山市 億円 金沢市 億円 能美市 億円 川北町 億円など加賀地方に集中している 建設機械では小松市を創業地とするコマツがある 建設機械の国内シェアで位 世界シェアではキャタピラーに次いで位を誇る 市内にはコマツの工場やその関連企業も多く 企業城下町を形成している 電気機器分野では白山市の はコンピュータ用ディスプレイ 金沢市のアイ オー データ機器はコンピュータの周辺機器の生産を行っている かほく市に本社を置く は富士通の完全子会社であり イメージスキャナの生産では世界トップシェアである また 金沢村田製作所など村田製作所の関連企業も多く 電子部品の生産が盛んである 石川県の企業はニッチ市場で活躍する製造業が多いのが特色である 金沢市内に本社を置く津田駒工業は織機で世界シェア位 澁谷工業は飲料の瓶詰め装置で国内シェア位 石野製作所も回転寿司 伝統工芸が盛んであることも特徴である 金沢市で生産されている金沢箔は金箔の国内シェアの 以上を占めている 銀箔の国内シェアは 地域ブランドとして知名度の高い輪島市の輪島塗は 国が伝統工芸品として指定する漆器の中で生産量が最大である この他にも 加賀地方で作られる九谷焼 加賀市の山中塗 金沢市の金沢漆器 金沢仏壇 加賀友禅 白山市の牛首紬 美川仏壇 七尾市の七尾仏壇 輪島市の能州紬 珠洲市の珠洲焼などが生産されている 商業年間商品販売額は年 平成年 で兆 億円である このうち卸売業が兆 億円 小売業が兆 億円となっている 卸売業では飲食料品卸売業 億円 機械器具卸売業 億円 が多い 小売業では各種食料品小売業 億円 百貨店 総合スーパー 億円 などの生活関連のほか 自動車小売業 億円 燃料小売業 億円 といった自動車関連が多くなっている 市町別では金沢市が 兆 億円 を占めている 次いで野市町 現 野市市 以下同 億円 白山市 億円 小松市 億円 となっており 金沢市を中心に加賀地方に偏在している 能登地方で最も多い地域は七尾市 億円 である 商業集積地別では香林坊商店街 億円 武蔵商店街 億円 近江町市場商店街 億円 など金沢市中心部への集積が顕著であるが 車社会を反映して近郊の国道沿いに位置する金沢市の諸江地区商店街 億円 杜の里商店会 億円 野市町の御経塚サティ 現 イオン御経塚 周辺商店街 億円 白山市のフェアモール松任周辺商店街 億円 などの販売額が多い点も特徴の一つである また 年 平成年 に金沢駅前に開業した金沢フォーラス周辺商店街の販売額が億円となっており 既存の金沢百番街 億円 ポルテ金沢周辺商店街 億円 などと合わせ 金沢駅前が新たな商業集積地となっている その反面 能登地方を中心に 商店街の空き店舗などが目立ち 商店街の衰退などが問題視されている 石川県を訪れた観光客は年 平成年 で 万人 観光消費額は 億円と見込まれている 県内を金沢地域 白山地域 加賀地域 能登地域に区分した場合 それぞれ金沢地域は万人億円 白山地域は万人億円 加賀地域は万人億円 能登地域は万人 億円となっている 金沢地域は県内客の割合 や日帰り客の割合 が比較的高いことが特徴である また関東からの県外客が多くなっている 能登地域は が県外客で関東 近畿 中京から同程度の入り込みがある 加賀地域は県外客の割合 や宿泊客の割合 が高い 特に関西からの入り込みが多いという特徴が見られる 宿泊地別で多いところは 金沢市内の宿泊施設万人 加賀地域では山代温泉万人 山中温泉万人 片山津温泉万人 粟津温泉万人 能登地域では和倉温泉万人などである また 観光客の利用が多い施設は 金沢地域では兼六園万人 金沢世紀美術館万人 金沢城公園万人 白山地域では白山比咩神社万人 加賀地域では木場潟公園万人 いしかわ動物園万人 能登地域では能登食祭市場万人 気多大社万人 輪島朝市万人 千里浜万人 のとじま臨海公園水族館万人などである 石川県の交通は 空港と港湾が加賀地方と能登地方にそれぞれ整備され 鉄道と道路が県庁所在地の金沢市を中心として加賀地方を東西に また能登地方に向けて北方に延びている 石川県は 北陸県の中で唯一系列局を除く系列の民放テレビ局がある そのためか 石川県のケーブルテレビ局は県で一番少ない また 県内のケーブルテレビ局は全局デジタル放送の区域外再放送を行っていない アナログ放送は区域外再放送を行っているケーブルテレビ局もあった ただし 富山県 新潟県の県境となる北部の一部は除く と 福井県の嶺北では 系列局が少ないため デジタル化された今日も北陸朝日放送 福井県は北陸放送も含む の県外配信が行われている局もある 石川県内の方言は北陸方言に分類され 富山県の方言と共通点が多い 加賀方言と能登方言に二分され 県都金沢市で話される金沢弁は加賀方言に含まれる また白山麓の方言には独特の表現が多く 言語島の例に挙げられる 白峰弁 石川県名誉県民の称号は 年 平成年 月日に制定された石川県名誉県民条例 石川県条例第号 に基づき 社会の発展 学術文化の振興に卓絶した功績があり 県民が誇りとしてひとしく敬愛する者 へ贈られる 条例第条 対象者は 石川県知事が石川県議会の同意を得て選定することが定められ 条例第条 諮問機関として石川県名誉県民選考委員会が選定のつど組織される 名誉県民に選定された者には 石川県名誉県民称号記や石川県名誉県民章のほか 記念品も贈られるほか 条例第条 知事が定める礼遇や特典を受けられる 条例第条 愛媛県 えひめけん は 日本の四国地方に位置する県 県庁所在地及び最大の都市は松山市 令制国の伊予国に当たる によると愛媛県の東西南北それぞれの端は以下の位置で 東西の長さは 南北の長さは である また 国土地理院の全国都道府県市区町村別面積調によると 愛媛県の面積は平方キロメートルである などほか多数 瀬戸内海側 中予 東予 と宇和海に面した地域 南予 とで大きく異なる 瀬戸内海側は温暖少雨であり 大きな河川や湖がないため渇水に見舞われやすい 松山などでは給水制限が設けられることが多い なお 内陸部の久万高原では冷涼であり 高原野菜等が栽培されている 宇和海側は 黒潮の影響を受けて総じて温暖ながら台風の関係もあり 暖候期の降水量は概して多い 南国ではあるが 冬季には降雪も年に 回ある 特に関門海峡上空を通過した北西の湿潤な季節風が伊予灘をわたり 陸地に当たる地域である佐田岬半島から宇和島市にかけての南予は平野部でも近い大雪に見舞われることもある 以上のように冬型の気圧配置下では瀬戸内側よりも宇和海側のほうが雪が多いのが特徴である いっぽう南岸低気圧での積雪は南側に山があり寒気を溜め込みやすい東予中心となる また 久万高原町など内陸部は冬場は寒くスキー場もある 台風の直撃は高知県などに比べると少ない ただ 台風が中国地方や日本海を抜けたりする場合 つまり台風の東半分に入った場合 強風で被害が生じやすい 過去 何度か 強風による柑橘類の落果被害や塩害などが発生している また 県の東部四国中央市や新居浜市ではやまじ風などの現象も観察される 北西の季節風の影響で 冬季の降水日数が太平洋岸気候に属する地域に比べると多いが 日本海側ほどではない 冬でも暖かい日が続くが 小雨や小雪の降る日もあり 冬から春に掛けては快晴日数は少ない 太平洋高気圧に覆われる夏季には瀬戸内海沿岸特有の 凪 が発生し 日中の気温は度を超える猛暑 酷暑となり熱帯夜になることも多い 県域を三分し 東予 中予 南予と呼ぶことが多い この場合 東予とは 今治市 西条市以東の地域を指す 南予とは 大洲市 内子町以西を指す 中予はこれ以外の地域である ちなみに 明治期には喜多郡 現在の大洲市 内子町 も中予に含まれていたとの説もある 県民の間では区分がなじまれており 市町村で表示することが多くなった現在も 放送局によっては天気予報も区分で表示される 行政区分では 愛媛県の地方局 東から西条 今治 松山 八幡浜 宇和島の箇所 の管轄区分も用いられるが 使用者は行政関係者にほぼ限られる 年 平成年 月には 東予 西条 中予 松山 南予 宇和島 の局体制に再編され 今治 八幡浜は支局となっている 県庁によって 以下のつの圏域が設定されている 人口は年 平成年 月日現在の推計人口 県下には以下の市郡町がある 町はすべて ちょう と読む 村は年 平成年 月日の合併をもって消滅している 地方区分は 上記の県庁による区分とは異なる えひめ の地名は 古くは古事記上巻のイザナギとイザナミによる国生みの段に 伊豫國謂愛比賣 伊予国は愛比売と謂ひ と見える のちに 愛比売 が 愛媛 へと転化した 全国で唯一の神名をつけた県である 県内では万年以上も前から人が生活していた 年 平成年 伊予市の旧双海町の東峰遺跡 高見遺跡で火山灰 姶良 胆沢火山灰 の下から石器が出土している 現在の愛媛県は令制国での伊予国に当たる 松山市の久米地域は 久米国造の支配地域であり その中心地でもあった 久米地域の堀越川と小野川にはさまれた来住 きし 台地とその周辺に 世紀代の諸官衙遺構が集中して分布しており 発掘調査が進められている 台地北辺に政庁 中央に 回廊北方官衙 南南東部に 回廊状遺構 その南東外部に来住廃寺塔基壇 西に 久米郡衙正倉院 がある 来住廃寺は 世紀の終わりに回廊状遺構が壊された後 東半分に重なるように建てられた寺である 伊予八藩 すなわち 松山藩 紀州藩の支藩の西条藩 小松藩 今治藩 大洲藩と支藩の新谷藩 宇和島藩と支藩の吉田藩 ごく短期間 川之江藩が存在した 愛媛では 第二次世界大戦が終わると人口が急増し 年に約万人でピークを迎えた 高度経済成長期 年代後半 年代前半 には 大規模な人口流出 社会減 が起こり 減少傾向に入った 年代後半から年代前半までは人口流出が少なく 再び回復基調になる 年の約万人を境に再び減少傾向に入る 年齢別にみると 年の 万人をピークに年少人口 歳未満 が減少している 少子化 その後 第次ベビーブーム 団塊ジュニア世代の誕生 により人口が維持された時期はあったが 長期減少傾向は続いている 生産年齢人口 歳 も年の 万人をピークに減少に転じている 老年人口 歳以上 は 生産年齢人口が老年期に入っていることと 平均寿命の延長による増加 高齢化 が続いており 年時点で となっている 人口の流出先としては 東京圏 関西 大阪 神戸方面 広島県 岡山県が多い また 県内では東予 南予から中予へ人口が移動する傾向がある 県の出先機関として市 西条 今治 松山 宇和島 八幡浜 に地方局が設置されていたが 近年の財政難や市町村合併により 東予 中予 南予の県域ごとに再編され東予地方局が西条 中予地方局が松山 南予地方局が宇和島に設置され 今治には東予地方局の支局 八幡浜には南予地方局の支局が設置されている 出先機関は バブル景気時の大型観光施設整備やバブル不況期の景気対策で 県債の発行残高が増加し 県の財政が悪化 三位一体改革による補助金減少でさらに悪化している そのため県は大型公共事業の凍結 見直し 先送り 県職員の給料カット 知事公舎等の売却 行政機関の再編などで財政再建を進めている 地方債残高 長く自由民主党が選挙区を独占していたが 第回衆議院議員総選挙では愛媛区で民主党公認の白石洋一が当選した 第回衆議院議員総選挙では再び小選挙区で自由民主党が選挙区を独占した 比例四国ブロック区の西岡新 区の桜内文城 両氏とも日本維新の会公認 が復活当選した 第回衆議院議員総選挙では 白石洋一が議席を取り戻した 衆議院と同様に自由民主党が独占していたが 第回参議院議員選挙では現職の自由民主党候補を破り民主党 社会民主党等が推薦する無所属の友近聡朗が その後民主党を経て国民の生活が第一に入党 が当選した 年の第回参議院選挙では自由民主党新人で元四国中央市長の井原巧が他の新人候補を破って当選し 再び自民党が議席を独占することとなった 陸上自衛隊が松山駐屯地に駐屯する 治安出動および防衛出動が下令された場合 愛媛県内の発電所 変電所 空港 重要港湾 重要橋梁 石油関連施設 重要生産工場等に展開する 敵対勢力から急迫不正の攻撃が予測される場合には 対象目標を迅速に撃破する また 山林火災や渇水 洪水時などの災害派遣も担当する 愛媛県は経済規模としては 全国のおよそ を占め 経済と呼ばれる 愛媛県は地理的に東予 中予 南予に三分されるが 産業においてもこれら地域によって大きく様相が異なる 県下各地で 柑橘類が生産され みかん いよかんが有名 キウイフルーツ 栗なども有名である そのうちみかんは年 平成年度 まで 僅差ではあるが日本一の座を守ってきた しかし年 平成年度 には年ぶりに和歌山県に日本一の座を明け渡し 年 平成年度 まで位 年 平成年度 には静岡県に抜かれ位となった 林業産出額は億千万円 年 となっており 木材生産が億円と全産出額の を占めている 全国の林業産出額の割合では木材生産の割合は で全国と比べ愛媛県では木材生産の割合が高くなっている 品目別の木材生産では檜が億千万円と最も多く 次いで杉が億千万円である 燧灘 伊予灘 宇和海という性質の異なるつの海域に面し それぞれ独自の漁業が営まれている 製造品出荷額等 年 は 兆 億円であり 非鉄金属が 億円 全体の と最も高く 次いでパルプが 億円 輸送用機械が 億円 化学が 億円 石油 石炭が 億円 などとなっている 事業所数 年 は全体では 事業所で 産業別に見ると食料が事業所 と最も高く 次いで繊維が事業所で パルプが事業所 などとなっている 従業員数 年 では全体が 人で食料が 人 と最も高く 次いでパルプが 人 繊維 が 人 などとなっている 市町村別の製造業出荷額等では 今治市が 億円が最も多く 西条市が 億円 新居浜市が 億円 四国中央市が 億円 松山市が 億円などとなっている 上位位は東予地方の市が占めており 上島町を含めると愛媛県全体の製造業出荷額等の割以上 を東予地方の市町が占めている 電子部品工場や自動車部品工場などが撤退し地元では雇用の減少に頭を悩ませている ただ水産業が盛んであるため飼料などの工場は複数立地している かつては 新居浜市 旧別子山村 の別子銅山などの鉱山があったが次と閉山し 現在は今治市の大島で大島石を採掘するぐらいになっている バブル崩壊後は景気対策の一環として次と公共事業が行われ建設業は栄えたが 後に県財政の悪化や三位一体改革で公共事業が減少し現在 県内の建設会社が倒産したり 会社分割など再建を図る企業も出てきている 建設業の不振で工場や事業所の撤退が相次ぐ南予地方は大きなダメージを受けている 百貨店では 松山市に伊予鉄髙島屋 松山三越がある 閉店した店舗としては主に大丸 今治市 新居浜市 髙島屋 今治市 がある なお 今治大丸は 年 平成年 月に閉店した 総合スーパーマーケットは 以下のような店舗がある かつてはニチイ 松山 今治 新居浜など ダイエー 松山 新居浜 西条など イズミ 松山 なども進出していたが年月現在それらの店舗はない また近年では 岡山勢で時間オープンのスーパーである大黒天物産 ラ ムー ディオ 年以降 やハローズ 年以降 による出店攻勢もある 年月日現在 大黒天 ハローズ 県内の電力は四国電力によって供給されているが 今治市の一部島嶼部 上島町では中国電力 新居浜市の別子山地区では住友共同電力によって供給されている 主な発電所は 他 県内にはいくつかの水力 風力発電所がある 県内には四国唯一の原子力発電所である伊方原子力発電所がある 四国電力の原子力本部は本店のある高松市に設置されていたが 年 平成年 月末に原子力燃料部など一部部門を除き松山市に移転する予定である 都市ガスは四国ガスによって松山市 今治市 宇和島市など一部の地域のみに整備されている そのためほとんどの地域はプロパンガスによってガスが供給されている 愛媛県では コールセンター誘致に補助金を交付していて 南予地方や松山市へのコールセンター誘致に成功している また松山市には コールセンター以外にも大手保険会社の集中事務センターが設置されたり サイボウズの開発拠点設置が計画されるなど多くの新規雇用が生まれている 愛媛県の観光客数は延べ万千人 年 で 観光客消費総額は億円 年 となっている 地域別では 松山圏域 中予地方 が最も多く延べ万千人 今治圏域 今治市 上島町 が延べ万千人 八幡浜 大洲圏域 八幡浜市 大洲市 西予市 内子町 伊方町 が延べ万千人 年 東予東部圏域 四国中央市 新居浜市 西条市 が延べ万千人 宇和島圏域 宇和島市 松野町 鬼北町 愛南町 が延べ万千人となっている 県外観光客は尾道市と今治市を結ぶしまなみ海道が開通し 開通した年には県外観光客延べ数は万人を超え しまなみブーム と呼ばれる程 観光客が大幅に増加した 年にはブームの収束で県外観光客は減少したが その後は万人から万人で推移している 年の県外観光客数は延べ 千人で観光客消費総額は億円である ミシュランガイド日本編でつ星にそれぞれ選定された 年の歴史を有する道後温泉や四国最大の平山城である松山城 また 東 中 南予地方特有の自然や文化施設などの観光資源があり 毎年 県内各地で数多くのイベントが行われている 愛媛県警察本部の管轄にある 以下警察署が置かれている 第六管区海上保安本部の管轄にある 現在 愛媛県内にある空港は松山空港のみである 国内便では 東京 成田 大阪 関西 中部 福岡 鹿児島 那覇 国際便では上海 ソウルへの定期便が就航している 年から年までは新居浜市の黒島地区に海上空港があり 大阪 大分へ定期便が就航していた 線に関しては 予讃線の川之江駅から伊予市駅の区間が電化されており 日中の普通列車の本数は県内全域に亘り毎時本以下である 県内の一部 特に南予地方の公立中学校において 生徒への部活強制加入制度 所謂部活強制の問題が残存している 国公立 私立 独立行政法人国立高等専門学校機構 県立 私立 独立行政法人海技教育機構立 県立 愛媛県ではテレビ東京系列を除く大キー局 が視聴できる ただし 平成新局であるあいテレビと愛媛朝日テレビは先発局と比べて中継局の数が少ないため 一部視聴できない地域が存在するが これらは 周辺中継局に向けて高利得アンテナを建てるか での再放送 に加入する ないしは周辺県の系列 を利用して補完受信をする このいずれかの対応が求められる 松山市 ファイル 南海放送 松山市 ファイル テレビ愛媛 松山市 ファイル あいテレビ 松山市 ファイル 愛媛朝日テレビ 松山市 愛媛県では年 昭和年 月日に松山放送局が 翌年 昭和年 月日に南海放送がそれぞれ波によるテレビ放送を開始した 年後の年 昭和年 月日には松山がそれまでの総合テレビに加えて教育テレビ テレ の放送を開始し 結果的にはこれが愛媛県における最後の局となる そして全国的に局が開局していった年 昭和年 月日 愛媛県にとって初の局である愛媛放送 現 テレビ愛媛 が開局した 以降 平成に入るまではテレビ事情に変化は無く 年間は 日テレ系 フジ系の局波時代が続いていた ところが平成に入ると年 平成年 月日にあいテレビが 年 平成年 月日に愛媛朝日テレビが開局し 民放の数が一気にそれまでの倍になったことでテレビ環境が著しく変化 向上した その後年 平成年 月日 全局一斉に地上デジタルテレビ放送 通称 地デジ を開始 年間のアナ デジ共存期間を経て年 平成年 月日にそれまでのアナログ放送を終了し現在に至る 日本アマチュア無線連盟 を免許人とするアマチュア無線用中継局が県内各所に設置されており 運営 管理は直轄局である を除き愛媛県支部と密接な関係にある愛媛レピータ研究会がボランティアで行っている 愛媛県の地形は西日本最高峰の石鎚山を有するなど急峻な山が多く かつ 南予のリアス式海岸など都市 集落間の通信を妨げる要因が多彩に存在するため それらをカバーするように設置されているところに特色がある 江戸時代に 伊予八藩と呼ばれるように 多くの藩が分立したため 地域ごとに微妙に異なる文化が息づいている この点 同じ四国内でも一藩であった高知県 土佐 土佐藩 や徳島県 阿波 徳島藩 二藩 高松藩 丸亀藩 であった香川県 讃岐 と状況を異にしている 明治時代以降の地理的区分である 東予 中予 南予という三区分も文化的背景を語るには欠かせない要素となっている 愛媛の人の気質は 端的にいえば保守的である 古くから山の幸 海の幸が豊富であったため 郷土料理といえるものが少なくない 住民の気質も 今日ではかなり薄まったといわれるが 東予 中予 南予で若干異なる たとえ話で 万円あったら 東予の人はそれを元手に商売を始め 倍倍に増やそうとする 中予の人はそれを預けて金利を趣味に充て 温泉三昧の生活を夢見る 南予の人は一晩で使い切るような大散財をする 特に酒宴 と評される 同様の話は 四国四県にもあり 高知県の喩えは南予に似ている 愛媛県内の方言は伊予弁と呼ばれるが 地域によって違いがある 夏目漱石の小説 坊っちゃん などの影響で ぞなもし が有名だが これは松山市の方言であり しかも現在の松山市では一部の年配者が使う ぞな にかろうじて形跡を感じられる程度で 一般には使われない 伊予弁はアクセントの地域差が大きく 東予 中予では京阪式アクセント 南予では東京式アクセント 大洲では崩壊アクセントである 道後温泉郷に代表されるように古くから天然温泉が親しまれている 毎年月 日 総勢台の太鼓台が町を練り歩く祭り 明治時代に町の発展と共に大きく豪華になり 市外の太鼓台にも影響を与えている 市内つの地区ごとに集まりかきくらべが行われ 毎年数十万人という観光客が訪れるほど人気を誇っていたが 現在は万人程度に落ちている 隔年の日午前に川西地区の新居浜港で行われる船御幸は一宮神社の神輿の船渡御に合わせて 太鼓台を台船に乗せてお供をする行事 近年では川東地区の新居浜東港においても川西地区の翌年に船御幸が行われるようになった 阿波踊り よさこいに並ぶ 四国三大祭 のつである 毎年月 日 開催日は神社によって異なり 嘉母神社では毎年月体育の日の前日 前日 石岡神社では毎年月 日 伊曽乃神社では毎年月 日となっている 山車は京都の祇園祭に通ずるところがあり だんじりや太鼓台や神輿などによる練り廻しや担き比べが見所 毎年月 日 牛鬼パレードがある 岡山県 おかやまけん は 日本の中国地方に位置する県 県庁所在地および最大の都市は岡山市 中国地方南東部に位置し 瀬戸内海に面する 瀬戸内の気候と地勢を背景に古代より独自の文化圏としての歴史を有し 現代でも中国 四国地方の交通網の要衝として発展を続けている 県庁所在地の岡山市は年 平成年 月日 全国で番目の政令指定都市に移行した 山陽本線 山陽新幹線 年 昭和年 に開通した瀬戸大橋 中国自動車道 年 平成年 全線開通した山陽自動車道をはじめとして西日本の交通の大動脈が県を縦断している 古代 沿岸域から内陸地域にかけては 吉備国 として 現在の広島県東部に位置する備後地方や香川県島嶼部などと併せて大和朝廷に並ぶほどの勢力を持っていた 江戸時代初期には岡山に池田氏 津山に森氏が外様大名として入封し 城下町を形成した 特に池田綱政は日本三名園の後楽園を造成し 閑谷学校を開くなど 文化 教育面に多大な功績を残した 笠岡 井原は徳川家康の従兄弟で有力譜代大名の水野勝成氏の領地となり広大な新田開発が行われた他灌漑事業 産業育成により地勢が大きく変貌した 倉敷には寛永年 年 に代官所が置かれ 江戸幕府直轄の物資集積地として船舶輸送中継も担う天領として発展した 県内を南北に流れるつの一級河川 高梁川 旭川 吉井川 による潤沢な水源 温暖で長い日照時間 江戸時代から昭和戦後期にかけて瀬戸内海の大規模な干拓で広い農地 県庁所在地における快晴日数の多さや降水量ミリ未満の日数が全国最多であることから 年 平成元年 から 晴れの国 おかやま を県のキャッチフレーズとしている 県北部には 三本の一級河川 旭川 高梁川 吉井川 の県内源流ともなっている中国山地の山岳地帯がそびえている 標高 メートルの中央部には鍾乳洞などのカルスト地形が見られる吉備高原の高地が連続的に広がり 南部には三大河川によって形成された裾野の広い岡山平野が広がっている 岡山平野にはかつて瀬戸内海に浮かんでいた小さな島が丘陵地として残り 干拓で江戸時代につながった児島半島が県の南端部にある 県南西部には国営笠岡湾干拓事業としてと全国有数の規模の大干拓地域が造成された おもな山地としては蒜山 標高 メートル や後山 標高 メートル などがあり おもな湖沼としては 奥津湖 恩原湖 湯原湖 児島湾奥の締切堤防化によって人工的に造られた児島湖などがある 兵庫県とは山地および備前市の取揚島で 鳥取県とは山地で 広島県とは山地および市街地で 香川県とは海上および玉野市の井島 石島 で隣接している によると岡山県の東西南北それぞれの端は以下の位置で 東西の長さは キロ 南北の長さは キロである 中国山地と瀬戸内海に挟まれた南部の平野地帯は典型的な瀬戸内海式気候を示し温暖少雨であり積雪は極稀である 一方 北部の中国山地沿いは日本海側気候に属し 豪雪地帯に指定されている 真庭市蒜山では冬季にメートルを超える積雪となるほか 以下まで下がることもある 県北部山間域にはか所のスキー場がある 中国山地と瀬戸内海の中間に位置する吉備高原は両者を折衷した気候を呈し 南部より多少冷涼で雨量も多く 冬季の寒さは厳しい 日本列島に来襲する台風やその影響による風雨は中国山地 四国山地によって弱められることが多く それに加えて夏には瀬戸内海で発生する 凪 や山地越えのフェーン現象の影響もあって 都市部や内陸の盆地を中心に猛暑日になる日も少なくない 県庁所在地の岡山市は 吉備高原に属する旧建部町 御津町地域を除いて日照時間が年間約 時間と長く 年間降水量は ミリ程度であり 日本有数の降水の少ない土地である 降水量ミリ以上の日数が日本で最少であることが岡山県のキャッチフレーズでもある 晴れの国おかやま の根拠となっている 県庁所在地の岡山市は年 平成年 月に政令指定都市に移行し 北区 中区 東区 南区の各行政区が設置された 岡山県の広域行政圏は旧地方振興局単位で分けられる 都道府県知事が関係市町村との協議を経たうえ およそ万人以上の人口を有し 一定の要件を具備する日常生活圏を形成すると認められる地域について設定する圏域である 岡山市など大都市周辺地域については 年からこれとは別に大都市周辺地域広域行政圏が設定されている 経済的に笠岡市 井原市は広島県福山市を中心とした福山都市圏に含まれる 香川県 瀬戸内海を挟んで対岸に位置する 瀬戸大橋で結ばれ快速マリンライナーが約分で頻発し相互に通勤通学圏となっており 地上波放送が相互乗り入れるなど結びつきが大きい 広島県 特に井笠地方 井原市 笠岡市 は広島県東部の結びつきが強く福山都市圏を構成し 井笠地方は広島県福山市のベッドタウンとなっている また井原市 笠岡市は広島県と市街地が連続している部分がある 鳥取県 隣接するものの間には中国山地があり 交通や物流の障壁となっている 東に隣接している兵庫県との県境にかけては山陽本線の便数は非常に少ないことからみるように 地域間の交流は少ない 県内には山陽自動車道 山陽新幹線 山陽本線 国道号など中国地方の交通の大動脈が東西に貫通し 人や物の往来は多い 県名は県庁所在地の岡山市に由来する 岡山 とは もともと現在の岡山城のある場所に存在した小高い丘のことを指して呼んだものであったが 戦国時代に宇喜多秀家が 岡山 に城を築き その後形成された城下町を含めて岡山と呼ぶようになったことに由来する なお 秀家の書状から 岡山 が城下町の地名として呼ばれ始めたのは文禄年 年 ごろからであると推測される 現在の岡山県の地域には 鷲羽山遺跡 倉敷市 などの原始からの遺跡が存在しており 旧石器時代から人が居住していたことがうかがえる 県の最北端上斎原村 現 鏡野町 に旧石器時代の恩原遺跡がある その遺跡の下層 約万年前の土層 からナイフ形石器が出土しており その上層から約万年前の細石刃も出土している 恩原遺跡では基の炉跡が検出されている うち基は個ほどの小石を半円形に並べており 焚き口幅センチ 奥行センチの小規模な炉で 石組みの中に木炭塊があり 炉の周辺に灰土が広がっていて 万年前の旧石器時代人の生活痕跡を示す珍しい遺構である 地球の温暖化による海面上昇で瀬戸内海が出現した そのことを示すのが瀬戸内市牛窓町の黄島貝塚である その後は 人は狩猟 採集 漁労の自然からの贈りもので生活し 豊かになっていった 縄文時代も後期になり 津雲貝塚で体以上の人骨が発掘されている 晩期には岡山市北区の津島江道遺跡では水田遺構そのものが検出されている 縄文時代の終わりごろには 狩猟 採集活動をしながら水稲耕作も行われた また 彦崎貝塚 岡山市南区 では縄文時代前期の土層からイネのプラント オパールが大量に出土し 朝寝鼻遺跡 岡山市北区 でも同様の発見があり 縄文時代前期には畑作によるイネの栽培が始まっていたとみられる 古代には吉備国といわれ 畿内地域や北九州地域 出雲地域などとともに 日本列島の中心地のひとつとして栄えていた地域である 吉備国は畿内勢力と同盟関係を築いて日本列島の統一期 世紀中葉 に影響を与えた 優れた鉄製技術を持ち その支配地域は現在の岡山県 広島県中東部 香川県島嶼部 兵庫県播磨地方に及び 加古川を境界とし さらには四国や芸予諸島にも至っていたと推定されている また 大きさが全国の古墳の中で第位 一般人でも立ち入れる古墳としては全国第位の規模を持つ造山古墳 岡山市北区 や全国第位の作山古墳 総社市 両宮山古墳 赤磐市 などの大型古墳が岡山県内に残されている 旧吉備国からは奈良時代に中央政権で権勢を振るった吉備真備や道鏡の天皇位簒奪を阻んだ和気清麻呂らの優れた人材を輩出した 平安時代には備前 備中は受領にとって実入りの多い 上国 のひとつとされており 農業生産力が高かった またこの時代に各地に荘園が拓かれた 特に鹿田荘は藤原氏の氏の長者が受け継ぐつの荘園 殿下渡領 のひとつであった その他に大安寺荘 岡山市北区 など 平安時代末期には平氏の勢力圏に置かれ 寿永年 年 には県の南東部 倉敷市玉島地区で 翌年には藤戸地区で源平合戦が繰り広げられた 水島の戦い 藤戸の戦い 鎌倉時代に入ると元来東国を拠点としていた那須氏 松田氏 三村氏 庄氏 赤木氏などの有力御家人が地頭職などを得て移住 土着した 東国から西国に移った鎌倉幕府御家人という意味で西遷御家人と呼ばれる 南北朝時代 後醍醐天皇が隠岐に流される際の通り道になったことで 児島高徳など宮方に与同する武士が現れ 隠岐脱出後は最初に拠点を構えた伯耆船上山が近隣であったため多くの武士が宮方として活動した 観応の擾乱で室町幕府が分裂すると山陰に勢力を持つ山名氏が侵攻し 北部美作を中心に山名氏の勢力下に置かれる しかし 山名氏は明徳の乱で衰退した 室町時代には鎌倉幕府倒幕に活躍した播磨の豪族 赤松則村 円心 が播磨 備前 美作国の守護職に任ぜられ 以後赤松氏が代三国の守護職を受け継ぎ この三国はほぼ連動した歴史を展開する 赤松満祐が嘉吉の乱で時の将軍足利義教を討ったため 赤松氏は一時衰亡し その後は赤松氏と地域の覇権を争っていた山名氏が三国を領有した 紆余曲折の末 復活した赤松氏は応仁の乱で東軍に組みし 管領細川勝元より三国守護職を約束され 赤松政則が西軍の山名氏の勢力を追い払うことで再び三国守護職に返り咲く しかし 戦国時代に守護代であった三石城城主 浦上村宗によって政則の子が殺され赤松氏は衰退の一途を辿る 赤松氏に取って代わり備前を中心に勢力を伸ばした浦上氏であったが 宗景の代に家臣であった宇喜多直家の下剋上によって滅ぼされ 備前と美作では宇喜多氏が勢力を伸ばした 備中では室町期は守護細川氏が 戦国時代は出雲から侵攻した尼子氏が庄氏ら有力国人を従えていた その後 毛利氏の支援を得た三村家親が備中の大部分を統一し 美作 備前の一部も勢力下に治め三国を制する勢いであったが 永禄年 年 三村家親が籾村の佛頂山興善寺に在陣中宇喜多直家の手の者により暗殺され さらに後を継いだ三村元親が翌年宇喜多氏との明善寺合戦に敗退した その後 織田氏の誘いを受けて毛利氏と争うに至り 三村氏は滅亡した 備中兵乱 一方で 備中の南西笠岡などは村上水軍 能島村上氏 の支配地となり村上隆重により笠岡城が築かれた このように現在の岡山県域では多数の戦国武将が群雄割拠の様相を呈し 戦国期を通じ 現在の岡山県域を統一する一大勢力はついに出なかった これは 岡山県が戦国前期には尼子氏 大内氏らの草刈場と化し 後期においては羽柴秀吉の水攻めで有名な備中高松城の戦いに代表されるように東の織田氏と西の毛利氏の衝突地点となったためである 備前の宇喜多氏や備中の三村氏などを除き 戦国期の在地国人勢力に顕著な活躍は見られなかった しかし その宇喜多氏 三村氏にしても東西勢力の代理戦争を演じていた面がないわけではない 秀吉との縁を得て後述のように戦国末期 近世初期 まで家を保持 成長させた宇喜多氏は在地勢力の例外といえる 現在の岡山の地は 岡山 石山 天神山 天満山 と呼ばれていたつの小高い丘のある備前国西部の農村地帯の一角に過ぎなかったが 岡山の地の利に目をつけた直家は 石山 に小規模な城を築いていた金光氏の当主 金光宗高を謀略により切腹させて開城ののち 岡山の地に入封した 直家の子宇喜多秀家は備前 備中 美作国守護の座に就き 秀吉の許しを得て 岡山 に築城し 商人を備前福岡から呼び寄せるなど 城下町が形成されていった 秀家はその後 慶長年 年 関ヶ原の戦いで西軍が敗れ 豊臣家五大老のひとつの地位を占めていた宇喜多氏は所領没収のうえに八丈島に流された 戦勝側である小早川秀秋が国万石を領有したが年で後継ぎなく死去 断絶となり 慶長年 年 西国将軍と称された姫路藩藩主 池田輝政の次男 池田忠継が分家として備前万石に入った 忠継 忠雄のあとに池田本家の鳥取藩から領地の交換で岡山に万 石で入封した池田光政 輝政の孫 が備前岡山藩の基礎を築き 以後 明治維新を迎えるまで光政の家系が藩政を担った また 領内には池田家の家老の陣屋が各地に所在し 伊木家万 石の虫明陣屋を筆頭に 池田家万 石の天城陣屋 池田家万 石の周匝 すさい 陣屋 日置 へき 家万 石の金川陣屋 池田家万 石の建部陣屋 土倉家万 石の佐伯陣屋があった 城下町 岡山は発展を続け 第代池田綱政の治世の宝永年 年 には町方人口が万人 武家 寺社方を含めた総人口は推定万人から万人 に達し 国内でも十指に入る経済力を持つ城下町となった 現在では日本三名園のひとつに数えられる御後園 後楽園 が造成されたのもこの時期である 世紀に入り岡山藩の財政状況が悪化すると藩は被差別部落への差別を強化した その結果 安政年 年 に備前一国を巻き込む強訴 渋染一揆 が発生した 備中には小早川氏改易のあと 一国を管轄する藩が置かれず幕領と大名領 旗本領が錯綜した 備中松山藩を筆頭に 足守藩 庭瀬藩 新見藩 岡田藩 浅尾藩 岡山藩の支藩である岡山新田藩 鴨方藩 および岡山新田藩 生坂藩 が成立した 現井笠地域の大部分は備後福山藩領であり備後と一体的に扱われ 福山藩主導の新田開発により干拓が進められる また 交代寄合の山崎家の成羽陣屋 幕末に成羽藩となる 交代寄合の戸川家の撫川陣屋が置かれ 戸川家は旗本としても早島 帯江 妹尾 中島 中庄 にそれぞれ陣屋を構えた 倉敷は天領 幕府の直轄 となり 備中のみならず伊予 讃岐など周辺諸国の幕領を管轄統治する幕府陣屋が置かれ その繁栄は岡山以上とも言われた 美作には森家が万 石で入封 代で断絶ののち 越前松平家の宗家筋の津山藩万石 三浦家の勝山藩万 石が成立した 幕末期になり薩摩藩や長州藩による倒幕の動きが広がると 外様であった岡山藩は勤皇派に 親藩 譜代であった津山藩 備中松山藩は佐幕派に分かれ 明治元年 年 に勃発した戊辰戦争の際には当時の藩主である板倉勝静が老中職にあった備中松山藩を朝敵として岡山藩などが攻撃を加えた 明治年月日 年月日 明治新政府による廃藩置県により岡山藩を受け継いで 岡山県が備前国を範囲として設けられた 当初 現在の岡山県域には県が設置されたが 同年月には岡山県 深津県 北条県の県に再編された その後 年 明治年 月日に備中国と備後国にあたる小田県 旧深津県 を編入し 年 明治年 月日には 備後国郡を広島県に移管 美作国にあたる北条県を併せた 岡山県の境域はこれ以後年 明治年 に吉野郡石井村を兵庫県佐用郡へ編入 同郡讃甘村大字中山を兵庫県佐用郡江川村へ編入 戦後には年 昭和年 和気郡日生町 現 備前市 東部の福浦地区 寺山を除く を兵庫県赤穂市へ編入 後に笠岡市で広島県側への編入の動きも出るが阻止されその後現在まで特に大きな変更はない 県の政庁は岡山市に置かれ 鉄道網の整備や旧制第六高等学校 旧制岡山医科大学 岡山藩医学館を文部省が引き継ぐ などの教育機関の設立なども相まって山陽地方の拠点として発展を見せた また 政財界に優れた人材を輩出し 特に自由民権運動では片山潜やのちに首相となる犬養毅や平沼騏一郎をはじめとして多くの運動家 政治家を 経済界では第一生命創業者の矢野恒太らを世に送り出した 戦前の産業は農業が主であり 南部では児島湾干拓によって稲作面積を拡大して生産性を向上させ イグサ 綿花栽培や丘陵地での果樹栽培が行われる一方 北部では養蚕が盛んに行われた 瀬戸内海に面した児島地区 倉敷市 では塩田開発が江戸末期から明治にかけて盛んになり 地元の名家である野崎家が財をなした 第一次大戦後には重化学工業が発達し 柵原では鉱山が開かれ 玉野では造船業が活況を呈するようになった 経済の発展で中間市民層が厚みを増したことから その求めにより中等教育 高等教育の充実が図られた 特に公立 私立の女学校が次に設立され 全国的に見ても女子の中等教育の盛んな県となった こうした地勢より 社会福祉分野においても先見性が高い人材を数多く輩出しており 社会福祉学上において近代福祉事業発祥の地とされることもある 特に年 大正年 に自県にて発足した済世顧問制度は大阪府の方面委員制度と並んでのちの民生委員制度につながるものとされ 先述の片山潜も貧困層のために日本最初の隣保館を設立している 他にも救世軍において廃娼運動を繰り広げ 女性の権利と生活の向上に足跡を残した山室軍平や 児童自立支援施設の先駆けとなった家庭学校を設立した留岡幸助 岡山博愛会病院を設立し地域医療に寄与したアリス ペティ アダムス 日本最初の孤児院 児童養護施設 を作り上げた石井十次などが岡山県にてその活動の発起を行った そのため山室 留岡 アダムス 石井の名は社会福祉の歴史上に多大なる功績を遺したことにより 岡山四聖人 と称される しかしながら第二次世界大戦が勃発し 戦争末期の年 昭和年 月には航空機工場のあった倉敷市水島地区と岡山市がアメリカ軍による大規模な空襲を受けた 岡山市では空襲により中心部がほとんど壊滅し 人以上の市民が犠牲となった 戦後は児島湾 笠岡湾など大規模の干拓事業が引き続いて行われ 臨海部に巨大な農業地 工業地が出現する また三木知事時代の年代 全国総合開発計画に合わせて水島地区に大型船が入港可能な港湾と石油コンビナートを造成して製鉄 石油化学および自動車などの工場を誘致された また同時期に笠岡市は備後工業整備特別地域に指定され 日本鋼管福山製鉄所をはじめとした製鉄関連産業が進出する このように県南部の臨海地帯を中心に重工業化が進み 農業中心の県から工業中心の県へと変貌を遂げた 他方では 年代には大気汚染 瀬戸内海への石油流出事故 赤潮 児島湖の水質悪化などに悩まされた 岡山県の人口は 戦後の万人から一貫して増加を続け年 平成年 には約万人に達した 広島市に次いで中国地方第の都市である岡山市 約万人 や第位の倉敷市 約万人 を擁する南部は岡山都市圏を中心に人口増加が堅調である 吉備高原や中国山地の山に囲まれた地域では高齢化が進行し 人口の減少が顕著になってきている そのため 県全体では年 平成年 ごろから人口はほぼ横ばいであったが 年の東日本大震災以降から移住者の増加で転入超過に転じた 法人ふるさと回帰センターが毎年発表している 田舎暮らし希望地域ランキング にて岡山県は 年度に位 年度に位にランクインしている 婚姻関係では 男女の初婚年齢が香川県とともに全国屈指の早さとなっている 公選知事を特に列記する 岡山県の行政機関の本庁として 岡山県庁が同市北区内山下に所在している 岡山県内に備前 美作 備中の各県民局が置かれ その下部組織として各地域事務所が設置されている かつては地方振興局が設置されていたが統合 再編されて現在に至る 地方債残高 都市化が進み工業の発展する県南部の大部分の市町村は井原市 笠岡市 里庄町を除き岡山市を中心とする岡山都市圏に属する 県北部は山地が広がり人口は比較的まばらである 県南西部の井笠地方 ただし矢掛町と浅口市は含まれず 岡山都市圏に属する は広島県福山市を中心とする福山都市圏である 農業生産額の割合では 鶏 鶏卵 ブロイラー が全生産額の で最も多く 米が 果実が 野菜が と成っている 岡山県南部に広がる児島湾干拓地を中心とした岡山平野や北部の津山盆地などでは 古来よりコメの栽培が盛んで 現在に至るまで農産物の中心をコメが占めており コシヒカリや朝日米 ヒノヒカリなどの品種が栽培されている また 南部では岡山市灘崎地区のナスや倉敷市連島地区のレンコンをはじめ大都市向けに出荷される花卉 全国的にも珍しい黄ニラなどが 北部や吉備高原ではシイタケやマツタケなどが盛んに生産されている 国内産のマスカットの約割は岡山県で生産されており 明治時代以降は岡山市津高地域 栢谷地区などの丘陵地においてブドウやモモの温室栽培が行われるようになった 全都道府県における出荷量で見れば ブドウは位 西日本位 モモは位 和歌山県に次ぐ西日本位 で全体シェアのパーセントにも満たないものの 一部の品種に限れば ブドウのマスカット オブ アレキサンドリア ニューピオーネや黒大豆の作州黒の生産量は全国トップクラスであり 現在では岡山県の主要な名産品となっている 県内では他にも岡山市東区でお歳暮シーズンの愛宕梨 あたご梨 や鴨梨 ヤーリー などの果物が全国シェアトップで栽培されており 高い生産技術と穏やかな気候に恵まれ 高品質な商品を生産している 近年 これらの農産物を中国や台湾など海外に輸出し 販売する試みがなされている 畜産においては中国山地沿いを中心に行われ 特に新見市千屋地区で肉牛の 千屋牛 などの和牛が飼育されている 酪農においては蒜山高原 真庭市 でジャージー牛の放牧が行われ 脂肪分を多く含んだ濃厚な乳を用いた牛乳やチーズなどの製品が生産されている かつてはイグサやコンニャク タバコの生産も盛んであったが 戦後の産業構造の転換により次第に生産量を減らしている 北部を中心とする中山間地域では若者の都市部への流出や高齢化による過疎化が進行しており 農業の担い手不足が課題となっている 瀬戸内海に面する岡山県では児島湾などで 浅瀬を利用した沿岸漁業が行われており かつてはサワラやタイの中型魚がおもに獲れていたが 明治から昭和にかけての干拓事業による漁場の縮小と都市化の影響による瀬戸内海の水質汚濁が発生し 以前ほどの豊かな漁場は失われてしまった しかしながら 現在でも倉敷市下津井港をはじめとしてメバルやイイダコ カレイなどの好漁場となっており 瀬戸内市邑久町 牛窓町などでは複雑に入り組んだ海岸を利用した海苔やカキの養殖が盛んに行われている カキの生産量は全国第位である 瀬戸内海で獲れる海の幸を用いた郷土料理として ばら寿司 まつり寿司として駅弁販売 や たこめし ママカリ サッパ の酢漬けなどがある また 備前市日生町などでは蛎をお好み焼きに入れた カキオコ を新たな名物として岡山県内や他県にしており 水産資源を町おこしの契機につなげる新しい取り組みも見られる 第二次大戦以前 農業県で大規模な港湾がなかった岡山県の第二次産業は製糸 紡績業などの軽工業がその中心であったが 戦後は県によって それまで中国 四国地方の他県に後れを取っていた工業化に重点を置いた政策がとられ 水島コンビナート 倉敷市 の埋め立て造成と石油精製所 大手製鉄所 自動車工場などの誘致が行われ 工業的に急速な発展を遂げた 県内にはスチールの倉敷地区 福山地区 笠岡市域を含むため 二つの銑鋼一貫製鉄所が立地する 総社市などの内陸部にも工業団地が次と立地し 自動車の関連部品の製造や電子機器の工場が誕生した そのほか 岡山市では食品や印刷など市場指向型 軽工業系の工場が岡南地区や西大寺地区などに所在し 倉敷市では児島地区にジーンズや学生服など縫製業が立地している 学生服の出荷額は岡山県が全国第位となっている 県西部の笠岡市へは広島県のスチール西日本製鉄所福山製鉄所の関連企業など広島県からの企業の進出が多く見られる スチール福山製鉄所の敷地自体も笠岡市域にまたがっている こうした県主導の工業化のためのハード面での積極的な整備によって工業県への変貌に成功したものの 反面 これらの事業によって増大した借金が昨今 県の財政を圧迫している 近年の岡山県の第三次産業は バイオテクノロジーを活用した医薬品や 情報通信などの産業などの特色を持つ 独自の精密加工生産を支える技術企業や 食品 健康 医療 環境 福祉やバイオ関連の企業 研究機関などが産学官連携で新たな雇用産業づくりに取り組み続けている 平成年度には全国に先駆け 高速大容量の基幹光ファィバ網を県内全域をの字型に結び 全国ギガビットネットワークとも接続された岡山情報ハイウェイが整備された サービス業や小売業 金融業等は本社や事業所をおもに岡山市を中心とした県南部に構えている 岡山市では 江戸時代の城下町に由来する表町地区と 年 昭和年 の山陽新幹線開業後に発展した岡山駅周辺地区が大商業地区となっている 岡山県南都市圏は現在人口万人を擁し 地方都市としては数少ない 成長が見込まれる都市圏のひとつである 岡山市の政令指定都市移行を契機として 今後も再開発などの活性化が期待されている 県南西部の井原市 笠岡市は江戸時代に備後福山藩領であったなど歴史的にも広島県東部との商業的な一体感が大きく 相対的に県内他市町村 岡山市など とのつながりが小さい これらの地域は現在でも完全に福山都市圏に属し 多くの住民が日常的な買い物などを福山市に依存している 一方で その他の地域では人口の流出 現象を伴った過疎化によって商業施設の撤退 閉鎖 大型商業施設の郊外出店によるスポンジ化現象が見られ 地域活性化が大きな課題となっている 岡山県警察本部の管轄にあり 以下の警察署が置かれている ここ数年の市町村合併にともない 年 平成年 月日に警察署管轄地域の見直しが行われた また 年 平成年 月日からは 岡山市の政令指定都市移行にともない岡山東警察署が岡山中央警察署に 西大寺警察署が岡山東警察署にそれぞれ名称変更された 鉄道は年 明治年 に山陽鉄道 現在の山陽本線 が三石駅から岡山駅まで開通したのを皮切りに 中国鉄道 西大寺鉄道 片上鉄道 下津井電鉄などが次と開通した 一方で戦後にはモータリゼーションの進行や利用者の減少により多くの私鉄路線が廃止された 年 昭和年 には国鉄山陽新幹線新大阪 岡山間が 年後には岡山 博多間が開業し 年 昭和年 には瀬戸大橋開通にともない瀬戸大橋線が開業 以来 岡山駅は本州と九州 および山陰と四国を結ぶ一大ターミナルとなっている 現在 以下の路線が存在しており 岡山市では全国的に数少なくなった路面電車も運行されている 山陰地方と四国の中間に位置し 古くから主要街道の山陽道が通っていた岡山県は道路網が充実しており 特に年度の高速道路延長 面積 当たり延長 はキロと全国第位になっている 岡山県は隣接する広島県とともにバス事業者の多い県である 岡山市内では多数の会社が乗り入れ 一時期は事業者間での激しい競合が発生する問題も起きていたが 調整が進むなど改善している 高速バスは京阪神 山陰 広島 東京 福岡 四国各県などに伸びる 都市圏が県境を跨ぐ県西部では井笠バスカンパニー 北振バスが地方部では非常に稀な路線バスが県境を越える越境路線を運行している 県内の主要空港は岡山空港である 岡山市北区日応寺に所在し 県が管理する第三種空港 準国際空港である 国内線では東京 札幌 那覇の都市へ 国際線ではソウル 上海がデイリー運行 北京 大連へ定期便が就航する もとより東京行きの便が距離的 料金的に航空機と新幹線との間で競争が激しい地区であり また 空港内の駐車場が無料 一部は有料 であることから 同じ中国地方で第二種空港の広島空港には大きく水を空けられているものの 近年利用者が増大しており 他の地方第三種空港が経営に苦しんでいる中で高い収益を上げている 広島空港は広島県の中央に立地しているため 県西部の井笠地方は広島空港と岡山空港のほぼ中間にある 年 昭和年 の岡山空港開港まで主要空港であった岡南飛行場 岡山市南区 は 現在セスナ機などの小型機の飛行場として運営されている 笠岡ふれあい空港は全国初の農道空港として開港したが 利用が振るわず旅客便が就航したことはなく 現在では定期便の運航はない 昭和期までは長距離航路を含む多くの旅客船が寄港していたが 新幹線 高速道路など陸上交通の整備により全廃された 宇野港は高松港へ向かう宇高連絡船が発着し 四国地方への玄関口として機能していたが 年に宇高連絡船は廃止された 現在は瀬戸内海の島嶼を結ぶ航路のみが運航されている 藩政時代末期の年 明治年 西洋医学を推進する目的で藩の御典医らにより岡山藩医学館が設立され 同館が発展して後の岡山大学医学部となった 岡山県内のおもな医療機関としては 岡山大学病院 岡山東部脳神経外科 川崎医科大学付属病院 倉敷中央病院 心臓病センター榊原病院などがある 一方で 県内の主要医療機関は岡山市 倉敷市に偏在しており県北部 西部との医療格差が問題となっている 医師不足の深刻な笠岡市では救急患者が常態的に広島県福山市内の医療機関へ搬送されるために負担に耐えかねた福山市側から搬送先情報の提供拒否が行われたことがある 災害拠点病院は 岡山県災害拠点病院 を 保育所は 岡山県保育所一覧 を参照 岡山県では県域放送のおよび電波相互乗り入れによるつの民放テレビ局が視聴可能となっている 民放局のうち局は岡山県に 局は香川県に本社を置いており 年代から相互乗り入れを実施している 岡山県では年 平成年 月日より地上デジタル放送が本格的に開始された 岡山 玉野市境の金甲山送信所を親局とし 県内にか所の中継局が整備されている リモコン番号はリモコンキーの記事の岡山県部分を参照 独立局がないことを除けば関東広域圏と同じとなっている 岡山県では県紙で年 明治年 創刊の山陽新聞を中心に購読されている また 全国紙では各紙が大阪本社の管轄下にあり 県内に支局を設置している 読売 毎日 日経 産経の各紙は県内に印刷工場を設け 朝日新聞は香川県内の印刷工場から輸送する体制をとっている 夕刊紙の岡山日日新聞も存在したが 年 平成年 月日をもって廃刊した 江戸時代に備前国を治めた岡山藩は 池田光政の代である年 寛文年 に全国初の藩校である花畠教場を 続いて世界最古の庶民学校である閑谷学校を開くなど 教育の面では古くから先進的な取り組みがなされてきた 特に閑谷学校は領民だけでなく他藩の藩士にも門戸開放し さらには藩主の転封や改易などの不測の事態でも学校を存続できるように学校領を設けて藩財政から独立させた 岡山藩が教育を重視していたことがうかがえる また 幕府の薦める朱子学ではなく儒学 陽明学 を学ばせ 頼山陽ら著名人も来訪したことで知られている 江戸時代の岡山県内の寺子屋数は長野県 山口県に次ぐ第位 校 で 私塾数は第位 か所 であった 明治時代になると年 明治年 に岡山藩医学館が設置され 年 明治年 には第六高等学校が 年 大正年 には岡山藩医学館を継承した官立岡山医科大学が開校するなど高等教育が活発に行われ 当時の就学率は全国トップクラスであった ただし 女子教育については明治の初めまで ほとんどの地域において初等教育 いわゆる市井の寺子屋や女紅場 裁縫所 以上の教育はなされなかった 上記の各学校においても中等教育以上は男子教育の場でしかなかった そのため岡山における女子の中等教育は日本全国の他地域と同様 明治以降にキリスト教系の信徒 思想者によって 分野開拓が行われている 岡山県内において その嚆矢となったのが年 明治年 に高梁向町 現在の高梁市向町 において福西志計子が開いた順正女学校 現 岡山県立高梁高等学校 とされる さらに その源流として福西の幼少期の師であり私塾の牛麓舎にて 男女の別を問わず漢学を授けた山田方谷の存在を指摘する声もある 順正女学校の設立を皮切りに 翌年 明治年 には岡山市内で山陽英和女学校 現在の山陽学園大学 および岡山女学校 現在のノートルダム清心女子大学 などの女学校が開校した 現在 岡山県にはつの国公立大学 の私立大学が設置されている 年 平成年 現在 人口万人当たりの大学 短大設置数は全国第位となっている 国公立 私立 公立 私立 国立 島嶼を多く抱える岡山県では公営の通学船 スクールボート の運航が見られる 岡山市を中心とする備前地域 旧備前岡山藩 は池田光政の儒教尊重が家風となり 近代以後も教育熱心な地域と言われる 古今和歌集において 真金吹く 吉備の中山 帯にせる 細谷川の音のさやけさ と謳われ 吉備を表す枕詞が 真金吹く であるように 古くから岡山 旧国名は吉備 は古代吉備から連綿と受け継いできた優れた鉄製技術を持っていた そのため平安時代の古備前派に端を発し 福岡千軒 現在の瀬戸内市長船町 では福岡一文字や備前長船 そして吉岡一文字 国宗派 また備中国の青江貞次らの青江派などといった有力な刀匠の一派が数生まれて栄えた さらに 備前 美濃 相模 山城 大和のか国の作刀方式を 五箇伝 と呼び その五箇伝のうち備前伝と美濃伝の刀が傑出して大量に生産されるに至った また質の面では備前刀があらゆる流派の中でもっとも多く 国宝に指定されている 現在でも備前では刀匠によって刀が生産されている 一方で陶器の備前焼は日本六古窯のひとつであり 古墳時代の須恵器から発展したもので釉薬をまったくつけずに焼かれる また何も塗られることもない素朴さと力強さ 炎と火の粉 薪の灰から生じる窯変の味わい そのわびさびを体現した風貌から千利休や古田織部などといった茶人に愛された 度の高温で約週間焼き締めるため 投げても割れない と言われ 茶人や公家 武家以外の一般庶民にも広く流通した 鎌倉時代初期までの作品は 古備前 と呼ばれ特に珍重される 金重陶陽といった人間国宝などの活躍もあり また戦後にも再び脚光を浴びて一躍全国的に有名となった 津山市を中心とする美作地域では 江戸後期から幕末にかけて宇田川家 箕作家などの洋学の人材を輩出した 主に東京式アクセントの岡山弁が用いられるが 旧国ごとに 備前弁 備中弁 美作弁 作州弁 津山弁 の種に分類されることもある 笠岡市 井原市などは 旧備中国であるが備後福山藩領であったなど歴史的な背景から倉敷市などの備中弁とは語彙など多くの差異があり 福山弁との共通点が多い 笠岡市の真鍋島などでは特有のアクセントが用いられる 古代以来の農業の盛んな地域で 農産物 水産物は豊富である 主要なものは以下の通り など など など 岡山県は プロ野球とリーグの球団の両方が本拠を構えている兵庫県と広島県に挟まれ 地元に拠点を置くスポーツに対する関心が低い 年 平成年 には倉敷市を本拠としていた川崎製鉄サッカー部 現 ヴィッセル神戸 がリーグ誘致を目指していた神戸市に本拠を移すなど 長年にわたって本県に本拠を置くプロスポーツチームができず プロスポーツ不毛の地 と揶揄されることもあった しかし 年 平成年 月に女子バレーボール リーグに所属するシーガルズが岡山市に本拠を移転 美作町 現 美作市 に女子サッカークラブ 岡山湯郷が設立された その後 年 平成年 には晴れの国おかやま国体が開催され 県全体でスポーツに対する関心が高まった 国体開催の機運に乗じてリーグを目指すサッカークラブとしてファジアーノ岡山が設立され 好成績を収め続けたファジアーノは岡山県リーグから中国リーグ と次と昇格し 年 平成年 シーズンからはに昇格した こうした市民クラブに対するスポンサーやボランティアなどの支援の輪が広がっており プロスポーツが県民にとって身近な存在になりつつある その他 女子マラソンに関しては岡山市に本店がある天満屋の女子陸上競技部から年 平成年 シドニーオリンピックに山口衛里が 年 平成年 アテネオリンピックに坂本直子 さらに年 平成年 の北京オリンピックでも中村友梨香が出場している さらに 年 平成年 のバルセロナオリンピック 年 平成年 のアトランタオリンピックの大会でメダルを獲得した有森裕子は岡山県出身であり オリンピックに大会連続で岡山県の関係者が出場している 高校野球においては年 昭和年 の選抜高等学校野球大会で優勝し 平松政次や八木裕らを輩出した岡山東商業高校 星野仙一らを輩出した倉敷商業高校や倉敷工業高校をはじめとした古豪がある 近年では年 平成年 の全国高等学校野球選手権大会で準優勝した岡山理科大学附属高校 関西高校などの私立校が台頭している 岡山県名誉県民の称号は 年 昭和年 月日に制定された岡山県名誉県民条例 岡山県条例第号 に基づき 岡山県の発展に功績があり 県民の誇りとしてひとしく敬愛を受ける者 へ贈られる 条例第条 対象者は 本県に居住し 又は居住していた者で 社会福祉の向上 経済の発展又は学術文化の振興に卓絶した功績があり もつて県民福祉の増進に貢献し 又は本県の名声を著しく高め 県民が郷土の誇りとしてひとしく敬愛するもの であり 条例第条 岡山県知事が岡山県議会の同意を得て選定することが定められる 条例第条第項 名誉県民に選定された者には 顕彰状や徽章 記念品も併せて贈られるほか 条例第条 知事が定める礼遇や特典を受けられる 条例第条 沖縄県 おきなわけん は 日本の九州地方 九州 沖縄地方 に位置する県 県庁所在地及び最大の都市は那覇市 日本で最も西にあり 沖縄本島 宮古島 石垣島など多くの島から構成される 鹿児島県の薩南諸島を除く南西諸島の島 沖縄諸島 先島諸島 大東諸島 から構成されており 東シナ海と太平洋に挟まれている 面積は 平方キロメートルで 日本の都道府県では小さい順に香川県 大阪府 東京都に次いで第位であり 人の居住する日本最南端の地域を含む県でもある また 八重山郡与那国町は日本の最西端にある地方自治体であり 与那国島の北北西端にあるトゥイシが日本最西端の地点である 県民人口の約割が沖縄本島に集中しており さらに本島中南部に県人口の割が集中している 那覇市中心部は三大都市圏に匹敵する人口密度がある ほぼ全域が亜熱帯気候であり 一部は熱帯に属する 年間を通して温暖な気候であり 最高気温と最低気温の差も小さく標高の高い山も存在しないため 最低気温が摂氏度以下になる事が珍しく 雪も滅多に降らず 氷点下になることもない 海上輸送路 シーレーン および軍事的要地 第一列島線 として重要な場所に位置し 多数の在日米軍基地が存在する 主な米軍施設として 嘉手納飛行場 普天間飛行場 キャンプ バトラー等が存在する 歴史的経緯 後述 から 宗教 文化ならびに風習 人名や方言 料理や食文化および産業 人口構成ならびに所得格差に至るまで日本列島主要四島との差異が大きい 俗に沖縄 県外 のことを 内地 ナイチ 沖縄県外の日本人を 内地人 ナイチャー と呼び分ける場合がある 日本では数少ない南の島であるため 日本屈指のリゾート地となり 日本人の夏の観光先としては定番化した 特に年のテレビドラマ ちゅらさん の放送以後は 県外でも沖縄文化がブームを超えて身近なものとして定着し 県外からの観光客や移住者も大幅に増加した 沖縄県としても文化体験 沖縄料理 レジャー マリンスポーツや戦争遺跡などを強みに観光分野に特に力を入れている 沖縄県内の産業割合を見ると観光業を含む第三次産業が を占めている一方で第一次産業は 第二次産業は と低調である 沖縄は太平洋高気圧の南側に位置し 熱帯低気圧が発生する海域に近いため 台風発生シーズンの月上旬から月上旬までは沖縄の天候が荒れやすく 沖縄発着の旅客機が欠航しやすい しかし 月は気温が高いにも関わらずオフシーズンとなるため 夏と殆ど同じ条件で安価に旅行する事が可能となる 格闘技界においては空手の発祥の地 琉球唐手 として世界的に有名であり 多数の外国人門下生が県内の空手道場に入門し稽古している ボクシングにおいては石垣市出身の具志堅用高を始めとして数多くの世界王者 名選手を輩出している 沖縄 おきなわ という地名の由来は 沖あいの漁場 を意味する おき 沖 な 魚 は 場 を由来とする説 伊波普猷 と 沖にある場所 遠い場所 を意味する おき 沖 遠い なは 場所 を由来とする説 東恩納寛惇 がある 淡海三船が著した鑑真の伝記 唐大和上東征伝 とうだいわじょうとうせいでん 年成立 では 天平勝宝年月日 年月日 遣唐使一行が阿児奈波島 おきなわじま あじなわじま あこなはじま に到着したと記されており この島は沖縄本島のことを指していたという のちに中国側からの呼称による 流求 琉球 と呼ばれるようになった 琉球処分の際 明治政府内では 琉球県 の名称も検討された これは年 明治年 琉球藩を廃して沖縄県が設置される際に俎上に上っていたものである 内務卿の伊藤博文から太政大臣の三条実美に提出した同年月日付の琉球処分に関する文章には 琉球藩ヲ廃シ 更ニ琉球県ヲ被置候 此旨布告候事但県庁ハ首里ニ被置候事 とあり 琉球県の名称が使われていたが採用には至らなかった この間の経緯は不明であるが 中国語由来の琉球に対し 沖縄のほうがより日本帰属の意思が明確になるため選ばれたと推察できる また 旧信濃国が長野県 旧上野国が群馬県となったように 旧国名などの広範な地域名は都道府県の名前として使用しないという原則があったのも理由の一つだと考えられる 用語としての 沖縄 は元は沖縄本島を指す言葉であったが 沖縄県設置により奄美群島が正式に日本に編入 さらに沖縄諸島 先島諸島全域が 沖縄 と呼ばれるようになり より広義に解釈されるようにもなった 国土交通省による日本の地域区分のつである沖縄は 沖縄県県のみから成る なお 九州地方 の一部または 九州 沖縄地方 と呼ぶ場合もある 九州 国土地理院 海上保安庁によると 沖縄県はの島から成っている の有人島と多数の無人島から成り 以上の面積を有する島は島存在する 最東端から最西端までは約 最北端から最南端までは約と 広大な県域を持つ 南西諸島は鹿児島県から台湾近くまで長く延びており 地理的分布では北のトカラ列島までと 奄美群島と沖縄諸島および先島諸島のつに大きく分けられる 沖縄本島と宮古島の間は宮古海峡と呼ばれ最狭区間でも約海里 約 の距離があり そのうち約海里 約 が領海と接続水域になっており 残りの約海里 約 が排他的経済水域になっている 与那国島と台湾の間は約海里 約 である 離島が多いものの 離島の医療は人材的あるいは経済的理由から不足気味であり 病院がなく診療所のみという島も多い そのため 離島で治療できない急患患者の沖縄本島への空輸を陸上自衛隊や海上保安庁が行っている なお 宮古島 石垣島には県立の総合病院が設置されているため それらの島の周辺離島での急患は沖縄本島ではなく宮古島や石垣島に搬送される場合もある 県庁所在地である那覇市の半径 圏内には九州島全域や下関市 上海 福州や台湾島全域が含まれ 圏内には大阪 南京 ソウル 平壌 マニラ 香港などが位置する 圏内には東京 仙台 北京 瀋陽 海南省海口市 長春 ウラジオストク等が存在し 圏内には稚内 成都 重慶 ハノイ グアム 北マリアナ諸島 パラオが収まるなど まさに東アジア 東南アジアと日本との接点とも言える位置にある 沖縄本島の中南部は那覇市や沖縄市を中心として都市化や人口集中が進んでおり 全面積の約分のに万人以上が居住している 沖縄本島 琉球諸島は太平洋側の琉球海溝と東シナ海側の沖縄トラフに挟まれる 琉球海溝はフィリピン海プレートがユーラシアプレートに潜り込むことによりできたもので これは南海トラフと同様の成因である また背海盆沖縄トラフはユーラシアプレートが新しい時代に引き裂かれて陥没した の窪みであり熱水鉱床などがみられる 地質的には琉球列島 諸島 のうち沖縄島と奄美大島はケラマ海裂とトカラ海峡とに挟まれた中琉球と呼ばれ 島は海洋地殻の上に海洋地殻の付加体 海洋地殻の陸側斜面となるユーラシア プレートの下にフィリピン海プレートが沈み込むときに 海溝の陸側斜面ユーラシアプレートの端に押し付けられて隆起した海洋地殻の上の堆積物 で構成され さらに億 万年前の古い付加堆積物で作られる沖縄島北側と 万年前に作られた現地性堆積物により構成される沖縄島南側に大きく分けられる 日本国内における気候区分では南日本気候に属する 宮古島 多良間島 石垣島 西表島 与那国島 波照間島および沖大東島は熱帯性気候でケッペンの気候区分では熱帯雨林気候 に それ以外の地域は亜熱帯性で温暖湿潤気候 に属する 沖縄県各地方ともに高温多湿で年間降水量は 以上で 年間平均気温は約 となっている しかし 最高気温が を超える猛暑日になることはほとんど無い これは 沖縄は陸地面積が狭く周りを海に囲まれていること 海洋性気候 から フェーン現象や晴天弱風と都市化がもたらす大規模なヒートアイランド現象のような要因がないためである 但し都市部での小規模なヒートアイランド現象の研究報告はある また沖縄は台風銀座と呼ばれており 毎年多くの台風が接近する 月別で注目すると 降水量は梅雨入りの平均期間である月と台風が多く接近する月に多い また 日照時間は月に長く 冬期の月 月では短い 冬季は北からの季節風の影響で雨や曇りの日が多い 梅雨明け頃には 夏至南風 沖縄本島ではカーチーベー 宮古 八重山周辺ではカーチーバイ と呼ばれる秒速以上の南寄りの強い風が吹き 夏の到来を告げる季節風として知られている 冬期に降雪があることはごくまれであるが 年 昭和年 月日に久米島で 年 平成年 月日に久米島と名護市でそれぞれみぞれ 気象記録上は雪と同じ扱い が観測された 気象庁が公式に発表した沖縄県での降雪記録はこの例のみで 久米島での降雪は日本における降雪の南限記録である 観測開始以前においては 琉球王国の正史とされる 球陽 によると 年 年 年 年 年にそれぞれ現在の沖縄県の領域で降雪があったことを記録している なお 昭和年月豪雪では県内各地で霜 あられ ひょうなどが観測されており農作物への被害も発生している 南西諸島の位置 本県の河川の特徴としては 急勾配でかつ 河川延長が短く 流域面積が小さいことが挙げられる その為 河川流量の変動が顕著で 大雨による増水 少雨による水不足に陥りやすい またマングローブ林など県外と異なる亜熱帯特有の自然環境を形成している 現在 沖縄本島北部では赤土の流出 中南部では畜舎からの排水等の影響による河川汚染が問題となっている 本県には国内で唯一 一級河川が存在しない 二級河川の開発は知事の要請に基づき沖縄振興特別措置法により 日本政府の直轄事業として改良 修繕工事を行っている 現代 年 において沖縄県の地域は北部地域 中部地域 南部地域 南部離島地域 宮古 八重山地域に大分されるはこれら離島地域には含まれない この年沖縄県区制施行当時の郡区分を特に 旧郡制 と言う事があり この境界をもって地域 地区 に分ける慣例が制度上も残っている この歴史的経緯により 旧郡制当初から現代まで 伊平屋村 伊是名村は島尻郡に属しているがその一方で現代行政区分としては北部地域に組み入れられている ほか 沖縄本島と伊江島を除く沖縄諸島と 大東諸島の島の市町村も同様に島尻郡に属しており 必ずしも南部とは言えない南部地域 南部離島地域 に組み入れられている 行政による地域区分は上記のほか 沖縄本島 周辺離島を含む における広域行政圏として北部広域市町村圏 中部広域市町村圏 南部広域市町村圏を持つ これら広域行政圏は 沖縄都市圏や那覇都市圏の影響を受けており 行政機能的 商業的にもより実態に即した圏域を構成している そのため 中部地域に属する浦添市は南部広域市町村圏に組み入れられている 西原町は公式にも中部広域市町村圏だが より実態に即して南部扱いされる場合も一部にある 古代 続日本紀 には 文武天皇年 年 に朝廷の命により 務広弐文忌寸博士が南島 なんとう 南西諸島 に派遣されたとある このときの文忌寸博士の任務は屋久島 種子島 奄美大島の朝貢関係を確認することにあり 文武天皇年 年 に多褹 掖玖 菴美 度感から朝廷に来貢があり位階を授けたと記載がある これ以降 朝廷は種子島に国司を派遣するとともに 久米島や石垣島にも服属を求める使者を派遣している 和銅年 年 には南島の奄美 夜久 度感 信覚 球美の島民が来朝し貢上したという記載があり 蝦夷の人とともに南島の人に位階を授けたとある 他にも養老年 年 に南島人人に位を授け また神亀年 年 に南島人人に位階を授けた などの記載がある 琉球王国時代に編纂された 中山世鑑 によると 保元の乱で敗れ伊豆に流された源為朝が追手から逃れるため沖縄本島 運天港 に渡り その子が初代琉球国王舜天になったとされており 正史として扱われている 世紀後半には三山王国 北山 中山 南山 が勃興し 中国 明 に朝貢し冊封を受け琉球貿易を行っていた 年に中山王尚巴志が南山と北山を滅ぼし琉球を統一 琉球王国を建国した 第一尚氏 年に尚徳王の家臣であった金丸が王位を簒奪し 自らを尚円王と号し即位した 第二尚氏 周辺の先島諸島や奄美群島にも版図を拡げるが 年 慶長年 に薩摩藩の侵攻を受け尚寧王は降伏 当時王国の支配下にあった奄美群島は薩摩藩に割譲 王国は薩摩藩の支配下におかれた 琉球侵攻 薩摩による侵攻以降も王国は中国の冊封を受け続け 日本の薩摩藩と清国に 両属 する体制となっていたが鎖国体制下の両国の中継貿易地としての役割を担い 交易を通じて独自の文化と自治を保っていた この当時の日本本土と沖縄の関わりが 現代まで続く日本の南洋幻想の発端となった 近代に入り日本本土で明治維新がおこり開国したことを受け 年 明治年 月に日清修好条規が締結され清との間に外交関係が樹立された しかし その約ヶ月後となる同年月に宮古島島民遭難事件が発生 明治政府は外交対処のために中央集権国家の確立を急ぎ 年 明治年 琉球藩が設置され 琉球国王の尚泰を 琉球藩王 に封じて東京に藩邸を置いた 福島外務卿による清との交渉後 年 明治年 に台湾出兵となり 日本の航客に危害を加えないなどの統括権などがイギリス大使の調停による事後処理条約で確認され 清との外交事件が帰着した 年月日 明治年 明治政府は琉球藩を廃して沖縄県を設置 尚泰は東京の藩邸に居を移し華族となる グスク時代の城跡遺跡は 琉球王国のグスク及び関連遺産群 としてユネスコの世界遺産に登録されている 沖縄戦後 の 指令により南西諸島は米軍軍政下となり 日本の施政権は停止 行政実体 内務省知事下 としての沖縄県は一旦消滅した アメリカ合衆国による沖縄統治 米軍統治下で基地建設のため集落や農地を大規模に接収し 右側通行の道路を整備し 通貨として円 後に米ドルを使用させ 日本本土への渡航にパスポートが必要になるなど 米国流のやり方で戦後復興が進められていった 年 昭和年 にの占領下にあった日本が主権回復した後も沖縄は引き続き米軍の統治下におかれた 同年 米軍政が終了 米国主導で新たに琉球政府を設置 本格的な琉球統治と復興に乗り出す なお人口統計には含まれない在沖米軍人と軍属およびその家族数は年度現在 人にのぼる また県外から赴任した自衛官や国の出先機関の出向公務員も多数存在するために これらを含めると見かけ上の人口は統計よりも 万人も多い 沖縄県議会議員選挙は統一地方選挙では実施されない数少ない都道府県議会議員選挙のつである 他は東京都 茨城県 岩手県 宮城県 福島県 これは 日本復帰後の選挙が年 昭和年 月日に行われたことによるためで 東京と茨城は議会の解散 岩手 宮城と福島は東日本大地震による延期のためであり 事情が異なる 沖縄県は日本屈指の観光立県でありサービス業が発達していて県経済の中心になっている は 在日米軍基地が生み出す経済 軍雇用者所得 軍用賃借料 米兵向け商店 飲食店など に依存している側面があり 経済依存度は 年の から低下したものの 現在でも を占めている 米軍基地内には オフィスや病院 ショッピングセンターなどの施設があり 約 人前後の県民が基地施設に勤務していて 沖縄県庁に次ぐ大口の就職先になっている 沖縄県の産業構造は 全国に比べて第次産業のウエイトが低く 第次産業のウエイトが高いことが特徴であるが この傾向は 復帰以降全く変わっていない 平成年度の県内総生産に占める第次産業及び第次産業の割合は それぞれ 及び となっており 全国の 及び と比べその差異は明らかである 特に 製造業の割合は 全国が に対し沖縄県は とその差異は極めて大きい また 政府サービス生産者 公的な電気 ガス 水道業や公務等の経済活動 の割合が沖縄県 平成年度 では と高い この高い割合は 復帰以降続いているものである 県外の日本国内で生産または供給される商品に関しては 輸送距離の関係から時間 費用が嵩み 輸送費の分だけ県外に比べ割高となってしまう そのため 県内生産品を除き 県外の地方と比べて 平均小売価格は特段低くはない 食品や携帯電話サービスでは全国的なブランドの商品生産 提供を沖縄独自の法人 沖縄ビバレッジ 沖縄セルラー電話 が一括して担っていたり オキコやオリオンやブルーシールなど 沖縄独自のブランドが特定ジャンルのシェアを占めている場合もある 農業では日本有数の亜熱帯性気候を生かし マンゴー アセロラ パイン ドラゴンフルーツ等のトロピカルフルーツや サトウキビ タバコ ゴーヤー ニガウリ といった農作物が生産されている 漁業ではマグロ イカ ブリ タカサゴ アジ アカハタなどの他クルマエビ モズクの養殖も盛んである 畜産業では 養豚が古くから盛んに行われ沖縄固有品種アグーが有名 またヤギやウシも生産されている 製糖業 飲食料品製造業や セメント製造を中心とした窯業 土石製品製造業があるがいずれも小規模である 沖縄本島の本部半島には良質な石灰岩が存在し セメントの原料や砕石 砕砂の原料として採掘されている 沖大東島や北大東島にはかつて燐鉱山が経営されていたが 北大東島は良鉱石が枯渇しており 沖大東島は戦後 米軍射爆撃場に指定されたたままである 沖縄本島沖の海底には国内最大規模の熱水鉱床が広がっており 銅 亜鉛などのほか ガリウムやビスマスなどレアメタルを含むため 次世代の海洋資源として試掘調査が活発化している 東シナ海の海底には推定埋蔵量約億バレルに上る天然ガスや石油が眠っており 日中中間線周辺では中国との領有権争い 東シナ海ガス田問題を参照のこと が生じている 植物資源を燃料に充てられるバイオエタノールが脚光を浴び 県産サトウキビが原料として注目され試験操業も行われたが 結局採算が取れず撤退した 本県の主な産業として 伝統 歴史 自然 食文化や国際色を生かした観光業が挙げられる ただし これらの観光業は景気に左右されやすい 沖縄本島のリゾートホテル付設や公営の海水浴場の多くは ワイキキビーチと同様に人工海浜であり 観光資源ではあるが 沖縄の自然 ではない 年観光客数は国内外合わせて 人 国内 人 海外 人 である 年の訪れる外国人観光客数は 人に達し 台湾 韓国 中国 香港 米国 という比率になっている 米国からの観光客は 米軍基地関係者が多く含まれる 経済振興のため 数の特例 が設定されている 県内では 本州等で展開している企業の地域会社が多数存在する 島嶼県であるという事情から 県外への移動や県内離島間の移動は空路が主に利用されている 県内には 以下の表の空港と伊是名場外離着陸場があるほか 在日米軍が基地として利用する嘉手納飛行場 普天間飛行場などがある 太平洋戦争前には沖縄本島に沖縄県営鉄道 沖縄電気 路面電車 沖縄軌道 糸満馬車軌道が存在したが 沖縄電気の路面電車と糸満馬車軌道はバスの台頭により廃止され 残った沖縄県営鉄道と沖縄軌道も沖縄戦で破壊され消滅した 戦後は長らく鉄道路線が存在しなかったが 年 平成年 に沖縄都市モノレール線 ゆいレール 那覇空港 首里間 その後浦添市のてだこ浦西まで延長 が開業した 全都道府県の中で唯一 各社の路線が敷設されていない これは国鉄時代から同様であるが 鉄道小荷物については琉球海運などとの連絡運輸により取り扱いが行われていた なお かつては那覇市に九州旅客鉄道 九州 沖縄支店が設置されていたが 年月日をもって閉店したため の営業拠点が全く存在しなくなった このほか 鉄道事業法に準拠する索道としては年月日に宮古島のシギラリゾート内にリフトが設置されている 沖縄本島では那覇市 浦添市内の沖縄都市モノレール ゆいレール 以外に鉄道がないため 都市内および都市間を結ぶ交通機関として 島内各地にバス路線網が展開されている また 石垣島や宮古島でも島内の交通機関としてバス路線網がある ほかに 島の港 空港 中心集落や観光地を結ぶ交通手段として 小規模な路線バスの運行が行われている島も多い また 沖縄県は 日本で唯一 国鉄バスと後身のバスの定期旅客営業路線が歴史上において存在したことのない都道府県である 航空機を使うまでもない近接離島間の移動には 船舶が広く利用されている となったが 年度の調査では沖縄県は小学年生算数で全国位となった 国立 公立 私立 国立 以下の一覧記事を参照されたい 西日本新聞も沖縄県の官公庁や図書館 および九州に本社を置く企業 法人の出先機関 沖縄支店など に向けた事実上の 業務用 として新聞を発行していたが 年 平成年 に発行を停止した 同新聞は年 昭和年 年 昭和年 と年 平成年 年 平成年 に那覇支局を設けていた 読売新聞 毎日新聞 朝日新聞 日本経済新聞 産経新聞の各社が県に総局 支局を設置している 年 平成年 月日より日経が琉球新報社への委託による現地印刷を開始し 全国紙では唯一 朝夕刊 年月からは朝刊のみで 夕刊は廃止した とも地元紙と同時に配達を行っている なお 読売 毎日 朝日は東京本社版および西部本社版を 産経は大阪本社版がそれぞれ販売されている これらの一般紙はいずれも発行地より空輸されるため 配達は当日の午後にずれ込む 前日の夕刊と同時配達 また先島諸島や大東諸島については 全国紙だけでなく地方県域新聞紙も印刷後空輸や船便で配送されるため 本島などから比べて朝刊の配達が遅れてしまう スポーツ新聞は 日刊スポーツとスポーツニッポン 新報スポニチ が県で現地印刷を行っているが 両紙とも本州などで発行される新聞とは異なり ページで発行されている 沖縄県には公営競技の施設がないため公営競技面は掲載されていないほか 番組表も非掲載 なお 那覇空港内や那覇市内の一部のコンビニでは 東京本社版の各紙が発行日当日に空輸され販売されているが 価格は定価より円上乗せした円となっている 聖教新聞が県内で現地印刷を行っている またしんぶん赤旗は福岡県の印刷所で印刷されたものが空輸で送られ 全国紙と同様 昼過ぎからの配達となる他 大韓民国の宗教団体が運営する世界日報も 一般全国紙 スポーツ紙と同じく 東京で発行された新聞を空輸して午後に主要航空ターミナル コンビニでの即売と 一部の一般紙 全国紙 地方紙問わず への委託宅配という形をとっている このため番組表も首都圏のものに加え 沖縄県の先発局 の当日昼 翌日朝の番組表を収録している 受信料支払率は 平成年度末の初公表において全国最低の であった アメリカ合衆国の施政権下では を用いていたが 本土復帰 年 昭和年 以降は を用いている 琉球王国成立以前から日本本土の影響を受けつつ 中国大陸や東アジアの文化も受け入れ 混ざり合う文化を築き上げてきた また太平洋戦争後から沖縄返還に至るまで 長期間米軍に統治されていたため アメリカ合衆国の文化も多岐にわたって浸透している アニミズムを基本としており 日本本土の神道の原形 古神道 に近いと言われる 琉球神道とも言われ 県外の神社に当たるものとして御嶽がある また 祖先崇拝の風も強く残る 仏教は 王族や一部の上層階級が信仰するのみで 一般の農民にはほとんど浸透しておらず 葬式の儀礼の一部に用いられるにとどまった 現在でも仏教信徒 檀家 の数は 県外に比べると極端に少ない 近年葬儀は一応仏式で行われるようになったが 県外のように宗派別の僧侶ではなく 無宗派の僧によって執り行われる場合が多い また 僧とは別にユタを呼ぶ事例もある 墓は 自然のほら穴等を使った岩陰墓や崖を掘り込んだ掘込墓から 中国の影響を受けた亀甲墓へと変わり 現在では破風墓が一般的である また 遺骨の処理方法も風葬や洗骨をする独特の風習があったが 近年では保健所等の指導や婦人運動の結果 多くの地域で火葬が実施されるようになった 沖縄県で使われている言葉は大まかに以下の三つに分けることができるが 団塊の世代より後に生まれた世代の県民では共通語化が著しく 平成以降に生まれた世代の県民になると 琉球語だけでなく沖縄弁 ウチナーヤマトグチ でさえも衰退が著しいが 特に強い保護政策等はとられていない 沖縄の地に先祖を持つ人は 地理的 歴史的および文化的な経緯から 琉球民族 であるとする立場がある 人種的には先史時代から世紀にかけて北方的形質 九州など が移入したとされ 分子生物学の研究でも日本列島人種 大和人 と遺伝的に近いことが確かめられている 日本政府は琉球民族を沖縄の 先住民族 とは認定していないが 年月に国連人種差別撤廃委員会は 国連教育科学文化機関が琉球 沖縄について特有の民族性 歴史 文化 伝統を認めている と言う理由付けで 先住民族 であるとし これと対立している 日本政府や自民党系議員からは 民族分断工作 であるとの反発が高まっている 沖縄の名字の多くは 地名に由来する 琉球王国時代では 王族 士族らは現在の名字に相当する家名を名乗り 領地が変わるたびにそれも変化した 薩摩藩による侵攻以降 薩摩藩の政策と琉球王府の施策により 日本風の二字姓家名からいわゆる沖縄風の三文字姓に改名した家系が多い 琉球処分後 一般庶民にも姓を名乗ることが許され また明治以降は琉球語読みの名字の多くは日本語読みに改まった 沖縄県の伝統的な建築技術は 主に琉球王国時代後期 近世 に発展した 多くの建造物は 建築様式や素材 技術などの面で周辺地域の建築様式 主に日本建築 中国建築 との類似点が多く見られるが 資源の状況や風土等が異なるため沖縄独自の発展が見られる 王朝時代において 琉球士族などを中心に瓦葺きの木造建築である貫木屋 ヌチジャー 庶民は主に穴屋 アナヤー と呼ばれる掘立小屋に住居を構えていた また住居以外には 城壁や橋梁等の石造建築物に琉球石灰岩が多く使用されたが 沖縄戦により失われた建築物も多い 戦争により多くの木造住宅だけでなく山林が消失し 大量の職人と資材が失われ 復興をアメリカ軍が主導するかたちでツーバイフォー構造の建物が多く建てられた 現在では 台風やシロアリに強い鉄筋コンクリート構造に給水タンク 大きな河川がなく幾度と水不足を経験したため を設置した住宅が一般的になっている 在日米軍の軍人軍属およびその家族が居住する目的で基地外に建築された外人住宅も多数存在しており 県外の基地縮小とは裏腹に復帰後も戸数は拡大していった 増加する米軍人員を収容するための住宅需要が高まり 民間投資によるアメリカ人向けの大規模な土地造成と住宅地建築が行われた 現在も宜野湾市 北中城村 沖縄市 うるま市 北谷町などに 外人住宅街 が存在し 独特の街並みを形成している エイサーは浄土宗の念仏が基となり形成された伝統芸能であり 近年では宗教色のない創作エイサーへも発展している アメリカ統治時代に コザ市 現沖縄市 では 朝鮮戦争やベトナム戦争に明け暮れた米軍人向けにクラブやライブハウスが流行し 多数のハードロックミュージシャン達が活躍した 戦争の終結 米ドルの相対価値の下落 サインバーの閉鎖等 環境の変化に伴い衰えたものの 現在でも全国に進出して活動しているミュージシャンは多い 現代では沖縄県出身の芸能人も盛んに活躍し 沖縄アクターズスクールの卒業生を筆頭に数多くの歌手 アイドル タレントの輩出している 伝統的衣装である琉装のほか 近年ではアロハシャツに似たかりゆしウェアも見られる 戦後は収容所で生活していた住民らに米軍から放出された衣類が支給された 収容所が解体された後も耐久性や利便性から米軍放出品の衣類が利用され 現在に至るまで販売されている 以前から存在していた沖縄固有の武術 手 ティー と 琉球王国時代に伝来した中国武術により融合して誕生したのが 唐手 からて トゥーディー であり 後の空手道に発展した 戦後 空手を習得したアメリカ軍人や 日本から海外へ渡った空手家により 次第に世界へと普及した 広義の琉球古武術は 徒手空拳術 空手 と武器術から成る 一般的に古武術は後者を指すが 空手と武器術は互いに密接な関係にある 棒術 トンファー術など様だが 中でもヌンチャクを用いた武器術は世界的にも有名である 速さではなく 美しさを競う古式競馬 琉球競馬 ンマハラシー は 年ほど前から行われ 明治以降は全県民的な催事となり太平洋戦争中までは琉球競馬が盛んに行われていた 日本本土においては世紀以降 稲作を神聖視する一方で 肉食は穢れとみなされ 表向き禁忌とされた しかし沖縄はこの思想がなく 早くから肉料理が発達した 中国の影響からか特に豚肉料理が伝統的に発達している 牛 馬 猪 鳥の肉を食べるが 祝いの席などで山羊の刺身 山羊汁 チーイリチーをふるまうことが多い 山羊の肉と血液を調理するチーイリチャーは 沖縄ならではのものといえる 海洋交易立国の伝統から 琉球料理には 遠い北海道産の昆布も古くから使われる 国内有数の長寿地域である理由に健康的な伝統的食文化があるのでは無いかと考えられている 他方 米軍統治時代に発展したファーストフードやアメリカ料理も根付いており 食の欧米化も進んでいる また アメリカ占領時の食文化も今日に受け継がれている 琉球王国時代 中山王府 琉球王国王府 の管轄下にあったニンブチャー 念仏者 チョンダラー 京太郎 以外には被差別民がいなかったため 大和の部落差別にあたるものはないものの 王族や士族と庶民 農奴 の格差が甚だしく大きい身分制度社会であった また都市部以外ではシマ社会の旧習が今も色濃く残っており 男尊女卑や 部外者排斥の傾向が見られる シマ とは 島嶼 のほかに 村落 や 分領 をも意味する 日本本土の村社会に似た構図がある 日本本土ではかつて 沖縄出身者が異質な存在として差別的に扱われることが多かった 年には展覧会で沖縄出身の遊女をアイヌや台湾原住民などとともに異民族として 展示 し 沖縄県民の反発を招く事件が起こった 詳細は人類館事件を参照 大正から昭和初期にかけて沖縄から県外への出稼ぎが増加した際には 県外の言語や慣習 例えば標準語や時間感覚などに不慣れな者が多かったことなどを背景に 求人告知や商店の入口で 琉球人お断り と但し書きされる事例があった 戦後のアメリカ統治時代に 米軍は銃剣とブルドーザーによって強権的に土地を接収し 米軍兵による強盗 強姦や殺人等の事件が相次ぎ 沖縄人の間に反米感情が高まった 特にポール キャラウェイ琉球列島高等弁務官時代には非常に強権的な態度で沖縄人を抑圧した キャラウェイ旋風 年月には 米軍人による交通事故を発端にコザ暴動にまで発展した 地理的 文化的に近い奄美群島は 琉球王国の侵略を受け世紀から世紀初頭にかけて服属していたが その琉球王国が薩摩藩の間接支配を受け幕藩体制下に入り 明治維新から琉球処分を経て併合された後もなお 沖縄との人的交流が盛んな地域であった しかし 太平洋戦争後のアメリカ占領軍の施政下から奄美群島が先に祖国復帰を果たすと 日本国民 に戻った奄美出身者の公職追放 参政権剥奪 財産権の制限など基本的人権を大幅に制限する施策が 沖縄本島住民の陳情により次と導入された また 民間に差別感情が広まった 沖縄マスコミもこれらを煽る報道を行った 琉球王国時代に服属した先島諸島に対して中山王府 琉球王国王府 は過酷な人頭税を導入し圧政を強いた 薩摩藩 および王府に加え 先島諸島の現地支配層による農民の二重搾取 強制賦役 弾圧や迫害の歴史は琉球王国の滅亡まで連綿と続き さらに明治維新を経て琉球処分後も旧慣温存政策に基づいた現地支配層による強制的な搾取構造は世紀まで連綿と続いた 薩摩や王府の権威による圧政に 王府や支配層による農民の強制移住 干魃や暴風雨による不作 さらに大津波などの自然災害 疫病の流行や飢饉の発生が追い打ちをかけ人口の大減少をもたらした 詳細は 八重山地震 参照 先島諸島の人頭税は年から制度化され 重税であり収穫が少ない年でも徴収され島民を苦しめたと言われる 人頭税は琉球処分後も旧琉球王国の既得権益層への懐柔のために執られた旧慣温存策により存続した 年 明治年 に中村十作 城間正安 平良真牛 西里蒲ら人により 沖縄本島の官憲や士族らの妨害を乗り越えて 国会請願書が当時内務大臣であった井上馨に届けられた 中村の同郷 新潟県 の読売新聞記者である増田義一の記事で国民に周知されるところとなり 世論の後押しも受け第回帝国議会において年 明治年 廃止され 日本本土と同様の地租に切り替えられた アメリカ人とアジア人 特にアジア地域へ来たアメリカ軍人と現地の女性との間にできた子どもはアメラジアンと呼ばれる 沖縄には今日でもアメリカ軍の軍人や軍属が多く居住し 多くのアメラジアンが生まれ続けているが 差別も根深い 米軍基地とテレビで目にすることが 沖縄で育ったアメラジアンが知っているアメリカ文化の全てということが多い にもかかわらず外見でアメリカ人と決めつけられ 商店からつまみ出される 公共のプールに入れさせてもらえない といった差別を受けている 慰霊の日の前後に公立校では反米的な学習が展開されるため ヤンキー ゴー ホーム と迫害されるいじめを浴びる さらに アメラジアン自身だけではなくその母親にまで 反米意識に基づく差別 偏見のまなざしが向けられている また アメラジアンの多くが集まっていたオキナワ クリスチャン スクール インターナショナルの新校舎建設地が産廃の投棄跡であったため生徒に吐き気や皮膚炎症いった健康被害が多発した時には 沖縄県はダイオキシンやの検査をせずに 安全宣言 を出して済ませてしまい 結局約名が退学する事態となった 沖縄県はハンセン病が多く発生してきた地域であり 世紀末には日本人の新規発症者の割から割を沖縄県出身者が占めている が 沖縄社会のハンセン病に対する差別や迫害は厳しいものであった シマではハンセン病者 クンチャー と呼ばれ これは乞食を意味する琉球方言である をガマ 崖地 ゴミ捨て場などに隔離し シマに戻ることを禁じる文化があった 亡くなっても一族の墓には入れず 逆さまにして埋め 二度と生まれてこないよう呪いをかけた 昭和年代に火葬場が増えてから沖縄にも県外式の葬儀が広まった が その下でも遺骨に炒り豆を置く呪い これが芽吹いたら生き返ってこい という意味だが 炒ってあるので絶対に芽は出ない が行われている 近代医学的なハンセン病医療の場を作る動きに 沖縄県民は激しく抵抗した 国立ハンセン病療養所設置を阻止するための暴動 嵐山事件 が起きたり 療養所設置を求めた青木恵哉ら ハンセン病患者が焼き討ちにあったりもしている その青木らにより ようやく開園にこぎつけた沖縄県立国頭愛楽園 現在の国立療養所沖縄愛楽園 は 地域社会との交流が他の療養所以上に乏しかった 感染性への誤解も根強く 琉球新報は投薬治療中の教員から児童へ感染が広がっているという誤った考え方を主張し 後に他紙記者により 沖縄戦後ジャーナリズム最大の汚点 と指弾される またらい予防法廃止 年 の前に行われた世論調査では住民の がハンセン病患者の全員隔離に賛成という結果が出ている 復帰前の調査では 沖縄は精神障害の有病率が県外の倍との結果が得られ 近年でも精神的疾病 性暴力 家族内暴力 学校内暴力 自殺などが全国トップレベルである その沖縄で特徴的なのは 西洋医学とは整合しない土着の信仰や旧習に基づく障害観である 精神障害者を家族が座敷牢に閉じこめる私宅監置は 県外では年に禁止されたが 沖縄では復帰後もなお障害者の座敷牢状態が続き また家族は地域社会から疎外され見捨てられる有様であった 精神障害は悪霊 マジムン によって起こされているという理解もあり これを迷信として否定するよう呼びかける精神科医がいる一方で ユタ信仰の影響を受け土着化したキリスト教である沖縄キリスト教福音はその主張自体が悪霊に言わされているものだと批判し 統合失調症やてんかんには悪霊払いを行っている 医者半分 ユタ半分 ということわざがあり 精神科医が精神病の患者にユタを勧める例もある 一方 ユタは精神障害者に近いというとらえ方から 精神障害者が社会の役に立っているという認識をしている人も多い 精神異常を来した者のうち 神や先祖とのコンタクトや憑依体験に至った者はカミダーリと呼ばれ 社会に受けいれられる 肯定的な狂気 として存在できる 職業差別として 自衛官に対する差別がある 本土復帰に伴い自衛隊が沖縄に配置されると 自衛官たちは人殺し呼ばわりされ 自衛隊員の子供は半年以上も学校に通うことが出来なかったほどである また様な行事から閉めだされた上に 参加が許可されても自衛隊を名乗ることを許されなかった 自治体は自衛官やその家族の住民登録を拒否し ゴミの処理を受け付けなかった事例もあった 那覇ハーリーで自衛隊を名乗って参加することが許されたのは年のことであった プロ野球の春季キャンプ地が沖縄県に集中しており 年 平成年 は 球団中球団 軍のみ が県内でキャンプを行った 以下に主な運動公園および野球場を挙げた 沖縄県名誉県民の称号は 年 平成年 月日に制定された沖縄県名誉県民条例 平成年月日沖縄県条例第号 に基づき 社会の発展に卓越した功績があり 県民が誇りとしてひとしく敬愛する者 へ贈られる 条例第条 対象者は 沖縄県の出身者 沖縄県に居住したことがある者又は沖縄県にゆかりのある者で 社会福祉の向上 学術文化若しくはスポーツ又は産業経済の振興その他の社会の発展に貢献したもの であり 沖縄県知事が沖縄県議会の同意を得て選定することが定められている 条例第条 名誉県民に選定された者には 沖縄県名誉県民称号記と沖縄県名誉県民章および記念品が贈呈される 条例第条 沖縄県県民栄誉賞は 年 平成年 月日に制定された沖縄県県民栄誉賞表彰規則 平成年月日沖縄県規則第号 に基づき 広く県民に敬愛され 県民に明るい希望と活力を与える顕著な功績があったもの へ 沖縄県知事から贈られる 規則第条 第条 香川県 かがわけん は 日本の四国地方に位置する県 県庁所在地及び最大の都市は高松市 令制国の讃岐国に当たる 県名は旧讃岐国のほぼ中央に存在し かつて高松が属していた古代以来の郡である香川郡から採られた 面積が全国で一番小さい県で 災害が少ない 都市の利便性と豊かな自然が調和した生活環境を持つ 香川県は 日本の全都道府県で最も面積が狭い かつては大阪府の面積を上回り位であったが年月日に国土地理院が算定法を見直し 岡山県の玉野市との間に境界未定部分がある香川郡直島町の面積 を県全体の面積に算入しないことになったため面積が減少し 大阪府と逆転した その後 大阪府では関西国際空港の開港や大阪市西部の開発などで埋め立てが進められたため 現在では直島町を含めた参考値よりも大阪府のほうが面積が大きくなっている また 県全体の面積は日本一面積の大きい市町村である岐阜県の高山市よりも狭い しかし人口は高山市の約倍 人口密度は約倍である また 平野が県土のほぼ半分を占めている 香川県の総面積は全国位 人口密度は全国位 可住地面積比率全国位 居住室畳数全国位 誘導居住面積水準以上世帯割合全国位 自然災害の少ない方から全国位である 年統計 古来より雨量 河川の流水量ともに少なく旱魃に備えて県内各地に を超える数のため池が造られ点在している また香川県は 平野が多いことから県全体の人口密度が高い 北部に広がる瀬戸内海には 小豆島など多くの島が点在している 本州の岡山県とは島を伝う形で架けられた瀬戸大橋により 道路 鉄路で結ばれている 瀬戸内海を越えた岡山県との結びつきは強く 民間テレビ放送局が同一のエリアになる程である 麺のコシがしっかりとした讃岐うどんや こんぴらさんの愛称で親しまれる金刀比羅宮 空海の生誕地としても知られる善通寺 四国八十八箇所の一つ 寛永通宝の銭形砂絵で知られる観音寺 対岸の倉敷市児島から坂出市にかけて海上に架けられた瀬戸大橋が有名である 正月には 餡餅の入った白味噌仕立の雑煮 餡餅雑煮 を食べる風習が一部にある 江戸時代 讃岐の国では塩 砂糖 木綿が特産で 讃岐三白 と呼ばれていた このうち砂糖は幕府への献上品として多くが用いられ 庶民の口には滅多に入らなかったことから せめて正月ぐらいは砂糖を使った餡の入った甘い餅を食べたい という思いから餡餅雑煮が誕生したと言われている ただ 食べる県民と食べない県民の比率は半であり 好みが分かれる 香川県庁舎の設計者は丹下健三で この他にも丹下は香川県立体育館や県営一宮団地も設計している 救急病院数は全国位 救急車搬送所要時間は全国位 介護老人保健施設普及率は全国位 看護師数は全国位 医師数は全国位である また 年度と年度の有効求人倍数はそれぞれ全国位 位である 県内を供給区域とする電力会社は四国電力であるが 岡山県に隣接した島嶼部である香川郡直島町および小豆郡の全域は海底地形の理由から 四国電力ではなく中国電力の供給区域となっている 香川県は四国の北東部に位置し 北部には瀬戸内海に面して讃岐平野が広がる 南部は山がちで 讃岐山脈が連なる 最高峰は竜王山で あるが 丘陵部は で各地峠越えに行き来が行われた 多島海である瀬戸内海には小豆島をはじめ 塩飽諸島や直島諸島など約余りの島が存在する 川が少なく またどれも ぐらいで短いため 昔から渇水対策に手を焼いてきた このため 道守朝臣 みちのかみあそん が造り 空海が修築したことで知られる満濃池をはじめとするため池が県内に 余あり 国内有数の数である によると香川県の東西南北それぞれの端は以下の位置で 東西の長さは 南北の長さは である 気候は 瀬戸内海式気候で晴天の日が多く雨量が少ないのが特徴である 日照時間が長いことが塩の生産 発展に役立ち 塩田王国香川 と言われた 積雪も一冬に 回程度は起こるが 大雪は少ない また夏は瀬戸内海の 凪 や四国山地越えのフェーン現象などの影響で 猛暑日や熱帯夜になる日も少なくない 地域区分は広義 狭義とも県民生活の基盤にもなっており この区分によって気候 風土 方言 讃岐弁参照 なども異なっている 香川県は江戸時代 歴史的な背景から東は高松藩が治める東讃 西は丸亀藩が治める西讃に二分されていた しかし 地方行政や住民の生活感覚等から自然的に実際はつに大別するものと考えられる 東西に長い香川県を分けて考える場合 最も多く用いられるのが五色台を境に東部を 東讃 とうさん 西部を 西讃 せいさん とする概念である この名称は香川県が旧讃岐国の範囲と合致しているため 旧国名である 讃岐 に東 西を冠した言い方である このスケールは県民の会話上でも西讃のことを 西の方 や単に 西 東讃のことを 東の方 や単に 東 と呼ぶことで通用するほど定着した概念である この方式に沿った言い方に 中讃 ちゅうさん があるが こちらはより狭い範囲を表すものであり このスケールでは同じ 西讃 といった場合でも指し示す範囲が異なる 同じように 東讃 も高松地域 小豆地域を除いた範囲を指す狭義が存在する 小豆地域は狭義の東讃にも含むとする概念もあるが 小豆島は航路で結ばれているのがすべて高松であるため 直接の結びつきがない香川県東部とは分けて小豆地域 あるいは単に小豆島とする場合が多い その他にも 東讃に高松市を含んだ上で残りの西部を中讃 西讃の計つで分ける概念もあるが この場合では県都の位置する地域が中讃であると捉えられる場合があるため あえて県都の高松市を別格として 高松地域 とする場合がほとんどである 行政区分や天気予報 県立高校の学区などでも用いられるこの区分は自治体ごとに区切られているため 市町村合併により所属地域が変化する例が多く見られた 特に平成の大合併では高松市へ合併した綾歌郡国分寺町の所属地域が西讃から東讃へ変わったほか 木田郡庵治町と牟礼町が同じく高松市への合併により 狭義の東讃から高松地域へ所属地域が変わった 約万年前の旧石器時代人が永く住み着いた国分台遺跡群が知られている 同遺跡群は 高松市と坂出市の境に南北にのびる標高メートルの台地上および斜面上に立地し 高松市 旧綾歌郡国分寺町 に所在する そこからは サヌカイト製のナイフ形石器 尖頭器 楕円形石器 舟底形石器 錐などの生活必需石器が大量に出土した 縄文時代晩期後半の林防城遺跡 高松市 で 当時の土器と木製諸手狭鍬が出土しているなどから 県下にも稲作が伝播し 水田耕作が行われたと推定されが 他に水稲耕作に直接かかわる道具や同時に伝播するはずの文化要素が見当たっていない また 水稲耕作に従事したムラの形跡がない 日本書紀 などには讃岐国は洪水や旱魃 地震などの自然災害が多い土地であると記されており 讃岐ではため池の開発や雨乞い儀式などが行われていた 大宝年間から工事が開始され 弘法大師空海が修築工事を指導したとされる満濃池のほか多くのため池が開発され それより耕地は灌漑された 菅原道真も 一時は讃岐国国司となっている 平安時代には関東地方での平将門の乱に乗じて藤原純友が伊予国で蜂起し 純友は讃岐国の国府を陥落させた 朝廷が追捕使として小野好古を派遣すると讃岐国の武士も乱の平定のために戦う 保元の乱で敗れた崇徳上皇は讃岐国に流刑され 讃岐国で死んだ 平安時代後期には源平合戦のつである屋島の戦いが行われる 一ノ谷の戦いで源義経に敗れた平氏は屋島の戦いにおいても義経軍の背後からの急襲で敗北し 以後平氏は瀬戸内海における制海権を失った 鎌倉新仏教派の法然も流刑されたことで有名 足利尊氏らの活躍で鎌倉幕府が滅亡して 後醍醐天皇の建武の新政が始まると 讃岐国には足利氏の一門である細川定禅が入った 以後 南北朝時代を経て室町時代を通じて 細川氏が守護大名として讃岐国を支配した 室町幕府内での政争に敗れて南朝に与した細川清氏は 従弟の細川頼之と戦い 敗れた 白峰合戦 現宇多津町 坂出市 讃岐国では 管領を務めた細川京兆家が室町期を通じて守護職を執った このため阿波国人と同様に讃岐国人も中央へ出る機会が多く 香西氏 香川氏 安富氏 奈良氏の四氏は細川四天王と称されたという 南海通紀 戦国時代初期には讃岐国人と思われる香西氏が山城国守護代を務めるなど重職にも就いた 戦国時代には讃岐国の分郡守護代である安富氏と香川氏が東西で大きな勢力を擁し 両者中間の香西氏 阿野氏 鵜足郡に長尾氏 奈良氏 羽床氏など中小豪族が乱立していた しかし安富氏は細川 三好氏の援助を受けた三木郡の十河氏に臣従し 若干の抵抗があったが讃岐国は三好氏の支配下に入った 三好氏は三好長慶の弟である十河一存に讃岐国を任せた 真偽は不明だが この時期に毛利氏が讃岐に攻め入った元吉合戦があったとされる 土佐国を統一した長宗我部氏が三好 織田氏の内乱に乗じて讃岐へ侵攻する これにより織田信長による四国攻めを招くことになった 豊臣秀吉が四国平定に取りかかると讃岐へは宇喜多秀家を総大将とする豊臣軍が侵攻し 長宗我部元親が秀吉に屈服すると讃岐は仙石秀久に与えられ その後は尾藤知宣 生駒氏が相次いで封ぜられる 当初は宇多津聖通寺城に拠点が置かれたが 手狭のため高松に新城が築かれ拠点とされた 生駒氏が生駒騒動によって出羽国へ移されると 水戸徳川家の嫡流である松平頼重が高松に入って東讃高松藩万石を 京極氏が丸亀に入って西讃丸亀藩万千石を領する 途中 京極丸亀藩は支藩として多度津藩万石を分立させたため 江戸時代の讃岐国にはつの藩が並立することになった 高松藩からは平賀源内が出ている この頃には 讃岐国の小農家と阿波国北部の山間農家の間で借耕牛の交流が始まっていた なお 吉備国から古代に分立された備前国より 直島諸島と小豆島が讃岐国に移されたのは江戸年間のことと思われる 幕末には高杉晋作を匿った日柳燕石が出ている 災害としては 宝永年 年 月に西日本を襲った宝永地震 東海 東南海 南海連動型地震 の被害は讃岐国にも及び 牟礼 庵治の五剣山の一角が崩れ落ち 各地の家や堤防も崩れたところに メートルの高さの津波が押し寄せた 徳川時代の讃岐国には 高松藩 丸亀藩 多度津藩の藩と 徳川幕府の直轄地である天領 津山藩の飛地が分立していた その直後に 倉敷県の管轄地が丸亀県へと移された後に 同年に高松県と丸亀県が合併されて香川県 年月日以前 が設置され 年 明治年 に小豆島西部を編入して 現在の香川県 年月日以後 と同じ管轄範囲 行政区画は年月日に分割 となる しかし 年月日には名東県 後の徳島県 に編入されるも 年後の年月日に香川県 年月日 年月日 として分離されたが 翌年年月日には愛媛県に編入された 度重なる編入の度に 地理的要因や地域文化や住民意識などで食い違いが発生し 香川県として単独の県の設置を望む声が再び高まり 年後の年月日に香川県が復活して 現在に至る なお 年の香川県の分離独立を最後に 東京府と東京市の合併 年月日 や 第二次世界大戦後にアメリカの統治下に置かれた沖縄県の日本再編入 年月日 などの特殊な事例を除いて 新しい県の設置はなく この年月日に現在の都道府県体制がほぼ確立したことになる 香川県 の名称は 高松市が所属していた香川郡から取ったもので いわば郡名を県名にしたものである 明治から大正にかけて香川県で鉄道敷設競争が起こり 讃岐鉄道 のちの国鉄 琴平参宮電鉄 琴平電鉄 後の高松琴平電気鉄道 琴平急行電鉄の社が高松 丸亀 琴平間で競って鉄道を敷設した 情報公開度ランキングでは東京都と共に閲覧手数料を取るために失格 香川県は年連続 となっていたが 審査方法の変更により 現在は順位付けされている 年は位 点 年は位 点 また年からは各市も発表になり 坂出市 善通寺市 観音寺市 三豊市の市も県に倣って手数料を取り失格となっていたが 坂出市は無料化し 三豊市も無料化したため 閲覧手数料 条件付き含む を取っているのは 善通寺市 観音寺市の市 直近で世間の話題となった 香川県ネット ゲーム依存症対策条例 条例案では歳未満のコンピューターゲームの使用は日分 休日は分 まで 中学生以下は午後時 高校生などは午後時以降のスマートフォン使用を控えると言った 目安 だ 当初は 基準 と記載されていたが表現の緩和からか 目安 と変更された さらに 学習や家族との連絡のためのスマートフォンなどの使用は対象とならないと明記するなど素案に修正が加えられた 県民から条例に関するパブリックコメントを募集し 期間内に合計人の県民から意見を得た 意見を寄せた県民のおよそ割にあたる人から同条例に関する賛成票を 人からは反対票だった その一方で 意見を寄せた県内外のの団体と事業者のうち 賛成は団体にとどまり 反対は団体 事業者になった 条例案にゲーム開発企業など事業者に対し 課金システムなどゲーム依存症を進行させる恐れのある事業への自主的な規制を求めた事が団体 事業者から反対票を得ることとなってしまった この条例に関しては パブリックコメントの募集期間が極端に短かったこと 通常は公表されるパブリックコメントの内容が 今条例では公表されない事などから様な憶測が広がっている 情報開示に後ろ向きな姿勢を見せる香川県に対して批判が集まっており 今後の香川県の対応が注目される この条例は日本国憲法条の定める幸福追求権を侵害するという意見も存在し 公権力が市民の生活にどのくらい介入できるかといった事にも繋がってくる 地方債残高 中選挙区時代は区体制だったが小選挙区になってからは区体制となる かつては自民党と社会党と半だったが 年代以降は区すべてで自民党公認または推薦の候補が当選していた 年 平成年 の総選挙で区 区を民主党が制し オール自民党体制は幕を下ろした また 年 平成年 の総選挙では民主党が区を制したが これは中国 四国 九州地方で唯一民主党が議席を獲得した小選挙区となった 米を始めとしてレタスやみかんなどの栽培が多く さぬきの夢やオリーブ 讃岐三畜 讃岐牛 讃岐夢豚 讃岐コーチン など瀬戸内海式気候の香川県特有の農産物も多く存在する 香川県は山岳地帯が少なく全域にわたって平地が多くを占めているため 県内全域に稲作を中心とした農地が広がっている また それらはほぼすべてが古来より続く小規模農地であり 農業目的の干拓地のような計画的な大規模農業はほとんど行われていない 米の作付面積はヒノヒカリが全体の と最も多く 次いでコシヒカリ となっており この品種で全体の割以上を占めている これら主食用うるち米の割は県内で消費され 残り割は大阪府 割は兵庫県に向けて出荷されている 麦の作付面積はさぬきの夢が イチバンボシが でこの品種でほぼすべてを構成している 野菜の生産量で最も多いのはレタスで 次いでたまねぎ ブロッコリー きゅうり ねぎ いちごの順となっている イワシやシラス タコやイカナゴなどの海面漁業のほかハマチやノリ マダイなどの養殖漁業も盛んである 特にハマチの養殖は香川県が全国で初めて成功し 年 平成年 の県の漁業全体の生産額でも を占める主要産業になっている 香川県の形状は讃岐山脈のある南側を弦に見立てた弓なりになっているため 北 西 東すべてが瀬戸内海に面し そのほか瀬戸内海には漁業が主要産業となっているような離島も多く抱えているため県として水産業は重要な産業の一つでもある そのような主要産業であるが瀬戸内海特有の赤潮の発生は香川県の水産業に大打撃を与えるため 県によって赤潮研究所が置かれているほどである 坂出市には瀬戸内工業地域の一翼を担う番の州臨海工業団地があり 造船 石油などの企業が立地している また 四国地方に対する物資の集散地となっている高松市には運輸 卸売を主とした企業が朝日町 福岡町 木太町北部 郷東町 香西地区などの沿岸部に集積し 食品や印刷など市場指向型 軽工業系の工場もその周辺に位置している 工業の製造品出荷額等は番の州を擁する坂出市が県内で突出して多く億円 次いで高松市の億円 三菱マテリアル製錬所がある直島町の億円と続いている 建設業では穴吹工務店といった大企業の本社があるものの 産業全体に占める従事者数の率は中国 四国地方各県では広島県に次いで番目に低く 土建屋が産業構造に幅を利かせるといった地方に特有の性格は薄い 逆に製造業従事者が占める率は四国最大であるほか 中四国でも広島県 岡山県に次いで番目に多い 面積の大部分が平地で占められている香川県は全域に人口が分布しているため その需要に対応して最寄品を取り扱う大型商業施設などのロードサイド店が県内の広い範囲に分布している 特に高松市は四国最大規模の高松都市圏の中心都市であり 周辺からの圧倒的な集客力を有している そのため情報通信業や金融保険業は大部分が高松市に集中しており 日用買回品を販売する小売業も多くが高松市に本社あるいは事業所を置いている 高松市では日本一長いアーケードを有する高松中央商店街周辺が一大商業地区となっているほか それに準じてゆめタウン高松も県内外に対して大きな集客吸引力を持っている 大型小売店舗数は全国第位 飲食店数は全国第位と全国一小さい県にしては数多い 第三次産業が香川県の産業に占める割合は大きく 情報通信業 卸売 小売業 サービス業それぞれの従事者数の割合は四国各県で最高であるほか 中国四国地方でも広島県に次いで番目に高くなっている 県庁所在地の高松市には四国地方つの県警察を監督する四国管区警察局が置かれている そのうち香川県内を管轄するのは香川県警察本部以下の警察署である 地域別に見ると高松地域が 件 東讃 小豆島地域が 件 中讃地域が 件 西讃地域が 件となっている 警察署別に見ると数値の高かったのは高松北署 件 丸亀署 件 坂出署 件の順であった 数値の低かったのは小豆署 件 観音寺署 件 高松西署 件の順であった 香川県警は丸亀署と善通寺署を統合して新署を設置するにあたって 現在高松市に置かれている交通機動隊を分散させて 中讃分駐隊を同新署に新設し 治安の回復を図ろうとしている 香川県内の唯一の空港は高松空港である 高松市香南町由佐に所在する国管理空港で 国内線では東京 成田 那覇の都市へ 国際線ではソウル 上海 台北 香港の都市へ定期便が運行している 上海便は格安航空会社によって年 平成年 月末に就航する予定であったが 東日本大震災や福島第一原発の事故の影響 主に風評被害 で就航が延期され 同年月日から週回で運航が開始された 成田 台北への路線は年 平成年 に運航が開始されたものである 利用客は香川県のほか一部徳島県にも及び 徳島県を放送エリアとする四国放送では高松空港発着のツアーが流されることがある 香川県は四国の鉄道の集中点であり 予讃線と高徳線は高松駅から 土讃線は多度津駅から四国各県へ鉄道路線を延ばしている 四国で唯一 四国全県の県庁所在地と優等列車で直結されている県であり その全列車が発着している列車運用上の集中点である高松駅は 一大ターミナル駅として四国で最大の利用客数を有する また 県内のの路線は神奈川県 大阪府 滋賀県と同じくすべて幹線で 地方交通線は存在しない 超広域連絡に供する鉄道としては四国新幹線の計画があるが 実現の見通しは全く立っていない このため年月の北海道新幹線開業により 四国は日本の主要島で唯一高速鉄道の存在しない島となった 香川県で最初の鉄道は年 明治年 月日に讃岐鉄道によって開通した丸亀 多度津 現駅とは別の場所 琴平 現 予讃線 土讃線 間であり 県庁所在地の高松ではなかった その高松には年後の年 明治年 月日に丸亀から順延する形で開通した その後 讃岐鉄道は山陽鉄道に買収されるものの 直後に国有化される 国鉄はその後順次路線を拡大していき 年 大正年 月日には高徳線を開業させるに至った 一方 私鉄は年 明治年 月日には東讃電気軌道 現 ことでん志度線 年 明治年 月日には高松電気軌道 現 ことでん長尾線 年 大正年 月日には琴平電鉄 現 ことでん琴平線 が相次いで開業している 他にも大正から昭和にかけて 琴平参宮電鉄 琴平急行電鉄 塩江温泉鉄道などの私鉄が開業したが いずれも経営不振や太平洋戦争への資材供出などにより廃止されている また 年 大正年 月日には高松市内を走る路面電車 市内線 が開通し 市民の足として盛況していたが 年 昭和年 月日の高松空襲による戦災で復興されずに廃止されている 戦後は県内の鉄道に関して大きな変化は無かったが 年 昭和年 月日に瀬戸大橋が開通すると本四備讃線 瀬戸大橋線 が開業し 本州の鉄道と直結されることによって県内はもとより四国各県の鉄道事情は大きく変化 向上した 香川県に事業拠点を置く路線バス事業者 東西に長い香川県を高松自動車道が貫通し 対岸の本州とは瀬戸大橋 瀬戸中央自動車道 で結ばれている 一般国道は高松道と平行する国道号が県内の最重要動脈になっており 南の讃岐山脈を越える幹線道路も多数存在する 平地の多い香川県は国内でも特に道路事情が良く すべての主要国道は車線以上のバイパスが完備されているほか 幹線道路として機能する県道や市町道もほぼすべてが車線以上の規格の高い道路で構成されている この道路事情は数値にも表れており 国道 県道において道路改良率は 歩道設置率は であるほか 道路舗装率は で国内位となっている また それ以下の市町村道においても改良率 舗装率 歩道設置率 と水準が極めて高い 以下の国道は国土交通省四国地方整備局管理 以下の国道は香川県管理 将来は国土交通省四国地方整備局管理になる予定 香川県は瀬戸内海に特に多くの離島を抱えていたり 四国自体が本州に対しての島であることから海上交通は非常に重要な交通手段の一つである その中には坂出港や丸亀港など臨海工業地帯に重要な役割を果たしている港や 土庄港など旅客輸送に特化した港 その両方の性格を有する高松港などさまざまな性格を持つ港が存在する 香川県内における公的病院はいずれも隣県の岡山大学と徳島大学の医局が大きな影響力を占めており 県内唯一の大学病院である香川大学医学部はこの二大学閥に及んでいない 主な病院としては香川県立中央病院 香川労災病院 三豊総合病院が岡山大学 高松市民病院 四国こどもとおとなの医療センターが徳島大学であり 坂出市立病院は例外的に香川大学の医局が占める公的病院であるが ここも経営再建以前は岡山大学の影響下にあった そもそも香川大学医学部 旧香川医科大学 も開学時から教授の出身が岡山大学に偏っているほか 関連病院の少なさもあって卒業生が県内に定着しないといった風潮も特徴的である 香川県内では公立小学校 中学校の通学区域を指す通称を 東日本を中心とした広い範囲で用いられる 学区 ではなく 校区 と呼ぶ 学区は主に県立高校の通学区域を指す場合にのみ用いられるため 県内で単に 学区 といった場合にはより広域的な意味合いを持つ ただし 学区 は県内の小中学校のそれを指す通称としては通用しないが 対岸の岡山県南部では小中学校の通学区域を指して広く使われており また香川県と岡山県は同一の放送エリアであるためテレビのローカルニュースなどでは 学区 を耳にすることがある 香川県内の小中学校を指すときは通常通り 校区 と呼称する 国立の香川大学教育学部附属小学校が校 高松 坂出 あり 私立の小学校は校もない 国立の香川大学教育学部附属中学校が校 高松 坂出 あり 県立中学としては高松北中学校 高松北高校に併設 がある また 私立の中高一貫校は校 県立高校の学区は東と西でつに別れており 東では高松高校 西では丸亀高校を頂点として 各学区内にて受験生の間で序列化されている 私立は一部の進学校を除いて主に滑り止め扱いであり 公立の人気が根強い 年 平成年 頃に高松高校が定員割れしたり 新設校である三木高校 高松桜井高校などの人気が上昇したり 新しい動きも出ているものの 学区内トップ校である高松高校 丸亀高校の人気の高さは変わっていない 二学区を一学区にすることも検討されたが とりわけ高松市の高校に対して県下全域から人気が集中する可能性があり 高松市内に居住する者が競争率の影響で学力に関係無く近隣の高校に進学しにくくなるなどの弊害が指摘されたため 各方面からの強い反発を受けて見送られた 公立 私立はなく 国立のみ校だけ存在する 年 平成年 月日に高松工業高等専門学校と詫間電波工業高等専門学校が統合されて香川高等専門学校となった 高松市 ファイル 西日本放送 高松市 ファイル 瀬戸内海放送 高松市 ファイル 山陽放送 四国支社 高松市 ファイル 岡山放送 四国支社 高松市 ファイル テレビせとうち 四国支社 高松市 日本アマチュア無線連盟 を免許人とするアマチュア無線用中継局が県内箇所に設置されている ビデオゲームは一日時間のみのプレイが可能 香川県のほぼ全域で讃岐弁が話されている 讃岐弁は東讃地域の東讃弁と西讃地域の西讃弁に細かく分かれ 中讃地域ではその中間あたりの方言が使われる 瀬戸内海の島では独特の方言や岡山弁に近い方言が使われている うどんの生産量が日本一であり オリーブ 金時人参 マーガレット レタス ニンニク等の生産も盛んである 中でも オリーブの日本での栽培は 小豆島で年 明治年 に初めて成功したとされる キャラクターはうどん健 声は中村悠一 である 高知県 こうちけん は 日本の四国地方に位置する県 県庁所在地及び最大の都市は高知市 全国では鳥取県 島根県に次いで番目に人口が少なく 四国地方で最も少ない県でもある 令制国では土佐国に当たり 県庁所在地の高知市の大半は土佐国の土佐郡に属していた 日本最後の清流といわれる四万十川 しまんとがわ のほか 水辺利用率全国一の仁淀川 物部川 安田川など四国山地に源を発する清流が多く流れる 室戸岬 足摺岬 龍河洞 四国カルストなど多くの天然の観光資源を有する 近年は 輸入野菜や徳島県や宮崎県などに押されがちであるが ピーマンやなすやトマトをはじめとする野菜類の促成栽培でも有名で 県中央部の沿岸部 土佐市 芸西村付近 は ビニールハウスが多く並んでいる 高知県は東西に長い四国の南部 太平洋から四国山地の尾根までの範囲で 海の国 としてのイメージが強いが 高知市から香南市 香美市土佐山田町南部に至る香長平野と南西部の四万十市周辺がやや広い平野となっているほかは そのほとんどが海の近くまで山が迫る典型的な山国である 山地率は にも及び 全国平均の と比べてもその険しさがよく分かる 最高峰は三嶺で 山頂が高知県単独の場合は手箱山 地質的には四万十帯と呼ばれる堆積岩が多い地域でもあり 土砂災害がきわめて多い その一方で県西部を流れる四万十川 石鎚山から土佐湾に南下する仁淀川 県北部から徳島県へと流れる吉野川など水量豊富な河川が多くあり 近年はカヌーでの川下りをする人が増えてきている 水不足に悩まされることはほとんどないが 治水は古くからの課題となっており江戸時代初期の土佐藩奉行野中兼山による大規模な河川改修は県下主要河川のほとんどで実施されている 高知県沖の太平洋を黒潮が流れており 冬の朝などは海面から湯気が立っているのが見える 気候は黒潮の影響を受けて冬でも温暖であり 台風の襲来も多く 年 昭和年 以降の台風上陸数は鹿児島県に次いで番目に多い県である 特に 室戸台風 では 室戸岬上陸時の中心気圧が であり 日本本土に上陸した台風のなかで観測史上最も上陸時の中心気圧が低い台風だった 台風の正式な統計は年 昭和年 から開始されたため この記録は参考記録扱いとされているが これは同緯度の台風における中心気圧の最低記録として いまだに破られていない 太平洋に突き出た足摺岬 室戸岬は強風でも知られる 県南西部の山間は大きく開発されることが無く 豊かな山林とダムの無い大きな川が残されている 四万十川は最後の清流として有名である 高知県の東西南北それぞれの端 及び重心は以下の位置である 北端はちち山 南端は沖の島 高知県 東端は甲浦港沖に浮かぶ葛島 西端は鵜来島にある また統計局の平成年国勢調査によると 人口重心は土佐市新居付近にある 高知県の年間日照時間は時間を越え 全国 位が定位置となっている一方 年間降水量も平野部で前後 山間部ではを超え 東部山間部の魚梁瀬は程度と日本有数である 夏は蒸し暑く 熱帯夜が連日のように続くが 昼は猛暑になりにくい その反面 西部側の地域は北西風が四国山地を超えてフェーンを起こし 本州内陸部にも匹敵する暑さとなることがある 四万十市江川崎では 年月日に日本の歴代最高気温記録 当時 である を観測している 平野部での積雪はまれであるが 山間部や豊後水道側に開けた県西部の幡多地域平野部では大雪に見舞われることもあり 剣山系 石鎚山系の高い山では厳冬期に根雪が見られる地域も存在する 冬は晴れ間が多く 放射冷却によって朝などは高知市でも氷点下になることも多いが 日中は暖かい その反面 室戸岬や足摺岬などの半島部や沿岸部では無霜地帯が存在する その温暖な気候を求め スポーツチームが多数キャンプを設置する 春は宇和島と並び ソメイヨシノの開花前線が全国でも早く訪れることで知られるが 夏から秋は頻繁に台風の直撃を受けることがあるほか 台風本体が東シナ海から日本海側を通過する際も南からの温かい湿った風が 四国山地に遮られて大雨になることもある 室戸岬と足摺岬は 台風銀座 と呼ばれている 以下の市郡町村がある 町はすべて ちょう 村は むら と読む 以下 つの広域市町村圏ごとに記述する 西部 中部 東部 現在の高知県の行政機構の最も古い時代の記録は 国造本紀の記録があり 幡多 県西部 後の幡多郡か 都佐 県中東部 の二つの国造がおかれた それぞれの初代の任命者は 幡多国造が崇神朝 紀元前世紀頃 の天韓襲命 都佐国造が成務朝 世紀後半頃 の小立足尼であり 幡多のほうが先であったことから 古来は幡多地方がはやくから大和朝廷の勢力と交渉があったものと思われる この時期の高知県域の詳細な文献記録は乏しいが 天韓襲命 小立足尼はいずれも三島溝杭 賀茂氏 の後裔を称しており 摂津国三嶋県 大阪府北部 を根拠とした賀茂氏の一族が阿波国を経て都佐 幡多に降り 土着した可能性がある また 土佐神社 のちの土佐国一宮 の主祭神であるアヂスキタカヒコネは 賀茂氏の氏神とされる 高知県域に国司が置かれた初見は 天武天皇年 年 の白鳳地震に際して 日本書紀に土佐国内での被害状況が 土左国司 からの報告として引用されたものが挙げられる 遅くともこの時期には高知県域にも国司が置かれ土佐国が成立 完全に律令体制下に組み込まれたことがわかる 個人名の分かる国司の初例は 天平年 年 任命の引田虫麻呂である 律令制下での土佐の国制については 以下の通り 土佐国司として任命されたのは 治承 寿永の乱 源平合戦 の頃までの五世紀弱の間に名に及んでいるが 時代が下るにつれて 他の国の国司の例に漏れず 遥任の発生など 利権に与って蓄財に走る事例が定着した 延暦年 年 には 調の納入が遅れ しかも届いた品が粗悪品であったため 守から目 さかん に至るまで 国司税人が解任されている 歴代の国司の中では 紀貫之 延長年 年 任命 が特に善政を行った事例として全国的に著名であり また任期を終えての復命中の道中記 土佐日記 には 当時の土佐の風俗なども記されている また 土佐国は畿内から特に遠く離れた遠国とされたため 重罪人の配流が多かった 土佐へ配流されたものは 天武天皇年 年 の屋垣王を初例として 鎌倉時代までに約人に及んだ その後 建久年 年 には佐木経高 建仁元年 年 には豊島朝経 建仁年 年 には三浦義村が守護となり 宝治元年 年 の三浦氏滅亡 宝治合戦 まで三浦氏が守護を務めた 時代が下ると執権北条氏の一族が守護を務め 大須賀氏や安藤氏が守護代として現地での任に当たった また 地頭には香宗我部氏 長曾我部氏 津野氏 安芸氏 大黒氏らが補任された 鎌倉幕府滅亡後の建武年 年 足利尊氏は豊島河原合戦に敗れ 九州に退いて体勢を立て直す途中 四国に細川氏の一族を配置して武士たちを統制させた 土佐国は細川顕氏が配され 以降の南北朝時代において 土佐の勢力争いは興国年 暦応年 年 の時点で北朝優位が確立した 室町時代の間 四国一帯は 南北朝時代に細川頼之の地域平定の功により細川氏の両国となり 土佐国は一門の細川頼益の子孫 遠州家 が守護代として下向 統治にあたった 遠州家の土佐統治は代にわたって続いたが 代勝益の代になると 豪族の反乱の討伐に手間取るなど 領内の統制がままならなくなった 応仁元年 年 応仁の乱が勃発すると 勝益は乱の当事者となった細川勝元の命を受けて 豪族を引き連れて上洛 国元を長期間不在にすることにより 影響力を徐に減退させる 応仁の乱終結後も遠州家の土佐統治は 本家の細川政元の影響力のもと 曲がりなりにも継続していた しかし 栄正年 年 政元の暗殺 永正の錯乱 が引き金となり 国人の抑えが効かなくなり 代政益は土佐を脱出する この後 土佐国内は守護の勢力が及ばない動乱状態に陥り 土佐七雄 本山氏 吉良氏 安芸氏 津野氏 香宗我部氏 大平氏 長曾我部氏 に国司であるところの土佐一条氏の八勢力を中心にしのぎを削り 国内の城は最盛時にはを超えた 土佐国は天正年 年 長曾我部元親の手によって統一される 元親は次いで四国平定に乗り出したが 天正年 年 豊臣秀吉の四国進出に敗れ 土佐一国の領主に収まった その後 元親の後を継いだ盛親は 慶長年 年 関ヶ原の戦いに西軍として参陣 これに敗れて 領地を改易された 土佐一国は 東軍に属した遠州掛川城主山内一豊に与えられた 土佐国は山内一豊の入府以降 一度も転封を経ることなく 山内氏が代にわたって 廃藩置県に至るまでこれを統治した 山内氏の土佐入府にあたり 長曾我部遺臣の一領具足たちは頑強な抵抗を見せた 浦戸一揆 最終的には 一揆中の裏切りによって 多くの旧臣が打ち取られる形でことは決着した 一豊が入府したのちも 滝山一揆など 数年間は散発的な反乱が続いた 一豊は入府後 元親の居城を引き継いだ浦戸城にかわり 広域な城下町形成を企図して高知平野の大高坂山に新城を築城 慶長年 年 にここへ移った 新城は慶長年 年 に高知城と名付けられ 以降山内家代の土佐経営の中心地となった 同時に城下町も碁盤目状に整備され 家臣や商人 職人などが定住した 土佐藩の統治機構は以下の通りである まず 家柄等をもととする身分の区別として 上士 家老 中老 馬廻 小姓組 留守居組 と下士 郷士 徒士 組外 足軽 奉公人 があり 大まかに分けて遠州時代からの山内家臣が上士 長曾我部旧臣が下士とされた のちに 上士と下士の間で 白札 しろふだ という特別の身分が出来た 家臣のうち 領国統治に直接関わる部署は外官と称された 外官職のトップは奉行職 執政とも と呼ばれ 家老のうちから任命された 実際に実務を指揮するのは仕置役 参政とも であり 中老や馬廻から任命された 仕置役の下に各部署が設置されて職務を分担し 奉行がこれを統率した 裁判や警察に関する職務は大目付が担当し 奉行職に直属した 藩主の家政に関わる部署は内官と称された 内官職のトップは近習家老と呼ばれ 山内家の私的な家政の管理のほか 江戸 京都 大坂の藩邸を通じて幕府や他大名との渉外なども統括した 慶長年 年 一豊の甥 山内忠義が代藩主に就任する この頃 山内家は幕府から土木建築の助役 江戸城 名古屋城など や大坂の陣への参陣などの要求により出費がかさみ さらに忠義本人の浪費癖もあいまって 借金は最も多い時期では歳入米 年分にまで膨れ上がり 幕府から借財整理を勧告されるほどであった 勧告を受けて元和年 年 仕置役 福岡丹波が中心となり 藩政改革が行われた 具体的には 領内の山林の伐採に農民を動員し 料木役 伐採した檜などを大坂へ送って売却し 借財の返却に充てた ほかに 緊縮政策による経費節約 家臣からの上米 借上 俸禄カット 米の販売統制などをあわせて実施し 寛永年 年 に借財の返済は完了した 同時に 安定した年貢収入を得るべく 改めて検地を行うとともに 農民による土地の所有関係を明確化した 国内の田畑については 山間部を中心に 一領具足が同時に本百姓 名主 として土地を支配し 下層農民が被官としてこれに隷属していたのであるが 長曾我部氏の失脚によって一領具足 さらにその被官の地位が不安定化すると 被官たちが土地を捨てて逃げ出す事例 走り者 が多発した 藩当局は走り者の罪を赦して農地への復帰を進めるとともに 土地を公平に分けて耕作させる田地割替制度を始めたり さらに年貢徴収の制度を定免法に改めることにより 年貢収入の安定化を図った 寛永年 年 山内家の近親である野中兼山が奉行職に就任し 以降年間にわたり 藩政改革をリードした 兼山は藩収入の根幹である年貢米の収入を増加させるべく 新田開発 それに伴う灌漑開発や用水路の建設 そして港湾整備などの土木事業を主導した 同時に いまだに不平分子として燻っていた一領具足を救済すべく 新田開発や原野の開墾に功績のあったものを郷士として取り立てて知行を与え 才覚のあるものは奉行に取り立てるなど 国内の融和に努めた しかし これらの兼山の施策は 農民の労働力の徴発を伴うものであったため農民の不満を招き さらに百姓に対する生活指導や国産品の専売による経済統制 さらには飲酒に対する罰金制度まで出されたため 国内の反感を招いた さらに 郷士を取り立てる方針が譜代の上士たちの不平を招いた 寛文年 年 家臣より代藩主忠豊に対して 兼山の弾劾状が出され 兼山は失脚する 兼山は程なく死去 一族は永く幽閉され 野中家は絶えた 兼山失脚の後 藩政の方針は兼山時代から逆方向へ舵を切った 専売制をはじめとする経済統制を廃し 民衆の生活への介入なども留めたため 藩内は旧来の活気が戻った これらの施策を 寛文の改替 という 一方で 藩の基礎収入が年貢だよりであることには変わりなかったため 藩としては 民力の回復を待って 年貢収入を増加させることを想定していた そのため 新田開発を引き続き奨励し 新田の年貢の負担を軽くするなどの措置をとった しかし 経済統制が解除されたことによって 商業経済がさらに発展し 相対的に武士の暮らし向きは悪くなった さらに 新田開発によって本田の荒廃や移動を招き 山林開発も衰退するなど 藩財政は悪化した 藩はこの状態を改めるべく 留物条例 を出して 牛馬 毛皮 漆など一部商品の移出を禁止するなど 新興の商業資本の発展に制限を加えた 同時に有力商人に運上銀を上納させるなどして 藩財政の安定を図った 更に 年貢収入の不安定性を取り除くべく 貢租額を 年の額を平均した値を定める平等免 ならしめん に定め さらに藩士の年貢収入を地方知行から蔵米知行に改めるなど 租税体系の整備が進んだ しかし一方で 農民に対する生活統制が新たに定められるなど 兼山時代の生活統制の一部が復活したのもこの時期である これ以降も 収入安定のため商業 生活への介入を行う藩庁と それに対して抵抗する百姓との間の緊張的な対立関係は続いた 代藩主豊敷時代の宝暦年 年 藩庁は国産方役所を設置した これは藩内の生産商品を藩庁が指定した問屋が買い上げる制度で 藩庁は指定問屋から運上金を得ることで利益を得ていた この時 一部の指定問屋の購入価格が安価であり 不当な利益を収奪しているとして 津野山の義民 中平善之丞を指導者に 一揆が起こった 津野山騒動 結局 問屋制度は廃止された その後 明和年 年 に再び問屋制度が定められたが 天明年 年 凶作に困窮した製糸業者らが伊予まで逃亡するという事件が起こった 池川紙一揆 さらに同年 高知城下で米騒動が起こったのをはじめ 藩内各所で騒動が起こった これらの騒動を受けて 問屋制度は再び廃止された 天保年 年 代藩主豊熈は進んで人材登用を行い 登用されたものはおこぜ組と呼ばれた しかしこの流れは旧門閥らの反発を招き 年足らずで頓挫することとなった 幕末 土佐藩は代藩主豊信 容堂 のもとで 土佐一国の大藩として深く関与する 幕末維新の政局における土佐藩の態度については 変遷や対立はありつつも 容堂ら藩上層部は一貫して公武合体論の立場を堅持する 容堂は幕府大老井伊直弼と対立 安政の大獄で隠居に追い込まれるが 井伊大老が桜田門外の変で暗殺されると程なく復権し 参預会議 四侯会議 王政復古の大号令などで雄藩の一員としていずれもメンバーに含まれた 容堂の藩政を支えたのが馬廻格の吉田東洋で 藩論の策定や幕府への意見書の起草 軍備増強を行うにあたっての資金の用立てなどを推し進める 一方で 藩内にあって 幕府と距離を置くことを主張する尊王攘夷派は 安政の大獄を機に顕在化し 文久元年 年 武市瑞山を盟主に土佐勤皇党を結成 次第に藩上層部との間の階級対立の様相を呈し 翌文久年 年 東洋は勤皇党員によって暗殺された 勤皇党は他藩の同志らと連携して広範に活動を行い 脱藩して京都や長州に赴く者も後を絶たなかった 人斬り以蔵 と恐れられた岡田以蔵 天誅組の変を起こした吉村虎太郎などがいる しかし 文久年 年 八月十八日の政変をきっかけに尊王攘夷派の動きは頭打ちになり 土佐勤皇党も瑞山が投獄 切腹するなど 壊滅的な打撃を受けた その後 薩長同盟が成立 第二次長州征伐で幕府軍が敗北するにつれ 藩内でも板垣退助らが積極的な討幕を訴え 幕府の大政奉還による安定的な政権交代を模索する後藤象二郎らと対立した 王政復古の大号令後 小御所会議においても容堂は幕府を擁護していたが 慶応年 年 戊辰戦争が勃発 板垣が容堂の制止を無視して幕府軍に砲撃を加えたことで 土佐藩はなし崩し的に討幕の立場をとることになった 戊辰戦争では 土佐藩は四国内の親藩である高松藩 水戸徳川家一門 松山藩 久松松平家 の征討を命じられるが 両藩ともに戦わずして開城したため 高松へ出征した板垣が軍を率いてそのまま京都で編成中の東征軍に合流する 土佐藩兵余は征討軍参謀となった板垣とともに東国へ転戦し 最終的に会津若松城の攻城戦にまで従った 一連の戦闘で 土佐藩兵の戦死者は 負傷者はであった 明治新政府成立後 土佐藩は板垣 後藤らを筆頭に多くの人材を送り込み 薩長土肥 と通称されるように 新政府の一角を占めるにいたった しかし この頃の土佐藩の負債は金万両 銀貫目におよび 封建制を維持することは不可能になっていた 明治年 年 版籍奉還 代藩主豊範が新たに藩知事に就任 大参事の板垣の下で藩政改革が試みられたものの 根本的な改革は困難であった 明治年 年 廃藩置県により藩は正式に配され 行政機構としての高知県が誕生した なお 明治年 年 に名東県 旧阿波国 が高知県に編入されたが 明治年 年 徳島県として再度分離している 明治維新におもなって急速な国内改革が推し進められることにより 県内各所では混乱が起こった 特に 生活の糧を失った士族は 官吏や軍人として登用されたもののほかは 自力で生計を立てねばならなかった 少なくない者はいわゆる士族の商法に手を出したが 多くは程なく行き詰まることとなった 旧藩主山内家も物流業界に手を出して山一商会を創業したが うまくゆかなかった また 農民層にも動揺を巻き起こした 年貢米の減免や手放した田地の回復を求めて一揆が起こったほか 外国由来の風習 徴兵制など に対する誤解に基づく反対運動も行われた 明治年 年 明治六年政変にともない 板垣 後藤らは政府を離れた 板垣らは高知へ帰り 片岡健吉 林有造らとともに立志社を設立する 士族授産による没落士族の救済 学校設立などによる民生の安定を標榜 さらに 民選議院の設立を求めていた 一方で これらに対抗する団体として 静倹社 原茂胤社長 嶺南社 猶興社などが設立された 立志社の方針は政府と対立し 明治年 年 林 片岡らが拘束される 板垣や植木枝盛らはこれに対抗して独自の議会 土佐国州会 を設立 選挙を行い 政府の地方自治の方針を質すなどした 明治年 年 明治十四年の政変により 一旦政府に戻っていた板垣は再び下野すると 自由党を結成 高知県人は党役員の多くを占めるなど 自由党の活動を指導する立場を占めた 幕末から明治初期にかけて 土佐藩は藩の産物を独占販売する 土佐商会 を運営しており 利益を上げようとしていた しかし 明治年 年 政府は府県藩による商会所の経営を禁止した そこで 解散した土佐商会の事実上の後継組織として 九十九商会 が設立され 社長には土佐商会の経営に携わっていた藩の地下浪人出身の岩崎弥太郎が就任した 岩崎は東京 大阪 神戸と高知を回漕する運輸業を経営することにより藩財政の立て直しに寄与したあと 藩債のうち万両の肩代わりと引き換えに旧藩船隻を譲り受け 後に三菱財閥へと至る民間経営者としてのあゆみを始めた また 立志社が目指した士族授産についても 政府からの貸付金をもとに民立会社が続と創業され 士族の雇用創出に貢献した 農業については 明治以降は年貢米の納入が金納に改まったこともあり 米の品質が一時的に落ちた これに対して 篤農家の吉川類次と式地亀七の研究によって 古来から行われていた二期作に適した品種衣笠早稲 相川が開発 明治末期から二期作の作付面積が増加した 交通インフラについては まず明治年 年 田辺良顕知事の主導で県内の主要な道路の整備が開始された 明治年 年 には土佐電気鉄道が創業する 国鉄は 大正年 年 に土讃線が県内 高知 須崎間 で開業し 昭和年 年 に至ってようやく高松まで全通 県外と直接の連絡が成立した アジア 太平洋戦争 大東亜戦争 下では 昭和年 年 月日 高知市は米軍の空襲を受け 市街地が全焼した さらに翌昭和年 年 昭和南海地震によって沿岸部を中心に被災した 昭和年 年 県下人口は史上最高の万人に達したが この時をピークとして以降は減少を続けている 地方債残高 衆議院の小選挙区がだが 年 平成年 第回衆議院議員総選挙以前はだった 参議院では高知県選挙区として全県で区を構成していたが 年 平成年 の第回参議院議員通常選挙より徳島県選挙区と合区され 徳島県とともに区を構成する合同選挙区として徳島県 高知県選挙区が創設された 平成年度 年度 の県内総生産額は兆億円 全国第位 人当たり県民所得は約 万円で 全国最下位である 全国第位 経済規模の小さな自治体であり 財政力指数も全国最下位である 温暖な気候を利用した早場米の産地で 大半の田が月には刈り入れを終わる 特に早期なのはとさぴか 南国そだちなどの品種で月日ごろには収穫できる ビニールハウスによる野菜や花木の栽培も盛んで 園芸王国 と称されることもある 昭和後期に栽培され始めた花きの グロリオサ は世界最大の花き品評会で金賞に輝くなど 園芸業界におけるブランドの価値が高まっている 近年では土佐赤牛や土佐ジローなどのブランドで知られる畜産も見られる 古くから愛玩鶏の産地として知られ 長尾鶏 東天紅鶏 土佐矮鶏などが挙げられる カツオの一本釣りが行われている そうだがつお類の漁獲量は日本国内で位である カツオの他に びんながまぐろやかじき類の漁獲量も上位を占めている 日本三大美林の一つ魚梁瀬杉が有名で 森林率 は日本国内位であるが林業従事者の減少により山地の荒廃が進んでいる そのため 法定外目的税として森林環境税を導入し保全政策を行っているほか 企業との協働による環境先進企業との協働の森づくり事業を展開し県内外の社と森づくりに取り組んでいる 高知県は全般的に集積度が低いのが特徴であり 大規模な工業地帯等は皆無である 高知県は 陸の孤島 と称されるほど長年にわたり陸路交通が不便な土地であり 高速道路の整備が年代にまで遅れたことからその商業は県域で循環する性格が強い傾向にあった 高知自動車道高知インターチェンジの開通後は 年 平成年 のイオン高知ショッピングセンター 現 イオンモール高知 の出店やコンビニエンスストア それまで県内にはスパーなどのコンビニエンスストアしかなかったが 年にサンクス コンビニエンスストア 年にローソン 年にサークルが進出 の急激な増加が見られるようになり 年 平成年 頃からは帯屋町をはじめとする中心市街地の衰退傾向が明らかとなりつつある なお ダイエーショッパーズ高知店の跡地は長らく有料駐車場となっていたが年月に跡地東端に装飾雑貨の ほにや 及び サークル帯屋町丁目店 がオープン 翌年の年月日には複合施設 帯屋町チェントロ が完成した 日中の普通列車の本数は高知市近郊区間を除いて毎時本以下である とさでん交通は全線電化されている 残りの鉄道路線は非電化 県内に本社 営業所を置く主な事業者 高知港からは 最近まで大阪高知特急フェリー 大阪南港行き やマリンエキスプレス 川崎 宮崎 などの運航があった 原油価格の高騰に加えて 明石海峡大橋や高知自動車道などの開通の影響に伴う乗船者数の減少により 相次いで廃止 年月には唯一運航していた宿毛フェリーが休止したため 現在県内に発着するフェリーは存在しない 日本アマチュア無線連盟 を免許人とするアマチュア無線用中継局が県内各所に設置されている 高知県のレピータは山地率が高く また 太平洋に向かって県土が開けている地形から 標高の高い箇所や海沿いの都市 集落間の通信確保のため設置されているところに特徴がある 高知県では日本最後の清流として知られる四万十川や龍河洞 ホエールウォッチングなど自然を売り物にしたものが多く 近年はエコツーリズムにも力を入れつつある 一方で大型の集客施設に乏しく 観光客数も年間約万人 県外客のみ とやや低位であるが重要文化財 高知城や古社寺の名所旧跡 室戸岬や足摺岬といった自然景勝地をはじめ 高知県立牧野植物園や高知県立坂本龍馬記念館などの充実した博物館群 黒潮本陣 中土佐町 やオーベルジュ土佐山 高知市 など小規模の特徴を生かした宿泊施設が多いのも特徴である なお 全国へと波及したよさこい祭りは毎年万人余りの踊り子が高知市内各地を乱舞する一大イベントとなっている 高知県名誉県民は 年 平成年 月日に制定された高知県名誉県民顕彰要綱に基づき 学芸 芸術 文化 スポーツ等の分野において輝かしい活躍をし 県民の誇りとふるさと意識を高め 県民に夢と希望 勇気 感動のすべてを与えた 個人や団体を顕彰する制度である 要綱第条 名誉県民に選定された者には 表彰状と高知県名誉県民章 副賞 が贈呈される 名誉高知県人は 高知県名誉県民顕彰要綱が制定される前に運用されていた名誉称号で 高知県を日本全国に紹介する功績を挙げた者に対して高知県知事が贈呈していた 行政 観光 自然保護 佐賀県 さがけん は 日本の九州地方に位置する県 県庁所在地及び最大の都市は佐賀市 唐津 伊万里 有田などは古くから陶磁器の産地として有名で 玄界灘と有明海のつの海に接する 令制国の肥前国東部に相当する 明治の府県制成立の際 同国は佐賀県と長崎県の県として分立した 九州地方の中では最も経済規模が小さい県でもある 佐賀県は 日本の中では西部 西日本 あるいは南部 南日本 に位置しており 九州地方の中では北部 北部九州 または西部 西九州 に位置している 人口 面積共に九州県の中では最も少なく また人口 面積ともに全都道府県中番目である しかし人口密度は全都道府県中番目と中位にあり 九州でも番目に高い 県内の地域区分は佐賀藩と唐津藩に二分されていた歴史的経緯から 唐津市を中心とした北部 北西部 と佐賀市を中心とした南部 南東部 に分ける区分が最もよく用いられる より細かく分ける場合は 北部 東部 西部の区分や三神 佐城 杵藤 唐松 伊西の区分が用いられる 県名の認知度調査においては年 平成年 の調査結果では 小学校年生 小学年生対象 第位 年 平成年 の調査結果では 中学生対象 で第位となっている 佐賀県の形は 凹凸のある逆三角形に近い 北西部はリアス式海岸と砂浜の玄界灘 南東部は干潟と干拓地の有明海という 海岸の様子が全く異なるつの海に接している 有明海沿岸から筑後川沿いには県の面積の割を占める佐賀平野が広がり 玄界灘から佐賀平野西部までは杵島丘陵などの丘陵地帯である 北東部に脊振山地 南西部に多良岳山系といういずれも 級の山地があって丘陵地帯を挟んでいる 人口が多いのは佐賀市 約万人 唐津市 約万人 鳥栖市 約万人 などであるが 小規模な都市が多く点在し経済的 人口的に求心力の強い都市が無いという特徴がある 県面積の分のを占める南東部の佐賀平野に県人口の半数である万人が暮らしている 玄界灘沿岸や杵島丘陵の盆地にも人口集積があって平地に偏っていることを除けば人口分布に大きな偏りはない 年の国勢調査によれば 総人口に占める 人口集中地区 人口の比率が と島根県に次いで都道府県中番目に低い 人口が都市に偏らず比較的分散している傾向にある 土地利用の特徴として耕地が県面積の に上り国内平均の倍と高い割合である一方 森林 荒地は同 と国内平均の割に留まっている 相対的に平野の割合が高いという地形の影響が現れている 県北東部を東西に連なる脊振山地は唐津市浜玉町から鳥栖市までその稜線が福岡県との県境になっている 鳥栖市で山脈は途切れるが その延長線には福岡県の耳納山地が延びている 鳥栖市 基山町は隣接する久留米市とともに山地の合間にあり 北の福岡平野と南の筑紫平野を結ぶ道路網 鉄道網の分岐点となっている 交通の要所かつ工業地域で福岡都市圏のベッドタウンでもあるため 住宅開発が進んでおり人口減少が続く県内では例外的に人口増加率が高い 山地は南方に広がっていて 県中央部に位置する天山まで連なっている 脊振山地の南麓は緩やかな洪積台地からなる細長い丘陵地帯で それより南側には幅の広い平坦な沖積平野である佐賀平野が東西に広がっていて県の東部から中央部を占める 佐賀平野は筑紫平野の西半分を指す別名で 古くより穀類の生産が多い穀倉地帯である 筑紫平野の中央を縦断する筑後川が福岡県筑後地方 筑後平野 との境である 平坦な低地が内陸まで広がり大小多数の河川が流れるため世紀半ばまで洪水被害が頻発していたが 治水が進んだことにより現在は被害が大きく抑えられている 佐賀平野の南には有明海があり 遠浅の広い干潟が広がり干潟独特の生物相がみられる 沿岸には江戸時代以降の干拓により造成された地域が分布している 県内の干拓面積は江戸時代から累計前後に達しており 佐賀平野の割 県面積の 程度に達する 北西部は日本海と東シナ海の接続水域である玄界灘に面する 海に突き出た東松浦半島 上場台地 や北松浦半島は玄武岩で構成された溶岩台地であり 温暖で部分的に照葉樹林も分布する リアス式海岸で半島や離島が点在 唐津湾や伊万里湾には砂浜が分布する この一帯の海岸沿いは玄海国定公園に指定され 唐津城や呼子などの観光地がある 玄界灘沿岸の河口低地より南側 県南西部には杵島丘陵が広がり 長崎県との県境をなす多良岳山系へと続く 杵島丘陵には芳ノ谷層 始新世 や佐世保層群 漸新世後期 の石炭を含む層 挟炭層 があり かつて炭鉱として栄えたが閉山により急速な地域衰退と人口減少を経験した また 有田泉山で陶石が採れたことをきっかけに創始された伊万里焼 有田焼 は 県を代表するブランドである 武雄温泉や嬉野温泉などの温泉街も点在する 多良岳が活動していない火山であるほかは 県内に火山はない 地震の被害を受けることは少ないが 梅雨などの大雨による洪水 台風の被害は多い また 森林面積の割強を占める自然林 二次林のほとんどが常緑広葉樹林で 玄界灘沿岸部には照葉樹林も見られる 残りの割弱はスギとヒノキを中心とする人工林で 森林面積に占める人工林率 年 は日本の都道府県の中で最も高い 佐賀県は日本の中では比較的気候が温暖であるが 冬の寒さは緯度の割りには厳しく東京よりも寒い 年月日には県内全観測地点で真冬日を観測した 日本を広域的に見た場合 県内全域が太平洋側気候に入るが 北部の玄界灘沿岸部は曇が多いが 降水量の面で日本海側気候とは明確に異なる 台風の通過 被害が多いが 九州のほかの県と比べると少ない方である 県内の気候は大きくつに分かれる 現在佐賀県内には市郡町 併せて市町がある 年 平成年 月時点では市郡町村の計市町村だったが 市町村合併により 最後の合併が行われた年 平成年 月日に現在の数となって市町村数は半分以下に減少した 合併ですでになくなった市町村については 佐賀県の廃止市町村一覧を参照のこと なお 年 平成年 月日に脊振村が神埼市になったのを最後に 佐賀県内の村は全て消滅した 佐賀県では 江北町が まち としている他は 町 はすべて ちょう と読む 都道府県別の面積順位が位と小さな県であり県全体を一つの地域とすることも多いが 大きく分ければ佐賀平野を中心とした南部と東松浦半島を中心にした北部に分けられる また さらに細かい区分では佐城 佐賀市 小城市 多久市 三神 鳥栖市 神埼市 三養基郡 神埼郡 杵藤 武雄市 鹿島市 嬉野市 杵島郡 藤津郡 唐松 唐津市 東松浦郡 伊西 伊万里市 西松浦郡 の地区に分けることが多い 県内の都市を中心市とする都市雇用圏 通勤圏 の変遷 県名である 佐賀 は 年 明治年 の廃藩置県の際県庁所在地となった佐賀郡から採られた 古来は 佐嘉 と 佐賀 両方の表記が見られたが 年 明治年 に 佐賀 に統一された 古い 佐嘉 の表記は佐嘉神社などに残されている 佐賀郡の由来は諸説あり 肥前国風土記 における楠樹にまつわる 栄の国 伝説や同じく風土記の賢女 さかしめ 伝説によるものがしばしば挙げられる クスノキは 県内各地に名木が所在し 県の木 に指定されるなど縁が深い また 傾斜地を指す 坂 さか 潮汐作用などで水が逆流する 逆 さか 砂丘地を指す 洲処 すが の転訛説などもある 旧石器時代の遺構がいくつか発見されている 多久市の三年山遺跡や茶園原遺跡などでは 近くの鬼ノ鼻山産のサヌカイトを用いた狩猟に特化した尖頭型の石器が出土している 伊万里市の腰岳遺跡群は黒曜石の産地で ここから旧石器時代後期 縄文時代に産出された黒曜石が本州 沖縄 朝鮮半島南部にまで広がっていることが確認されている また佐賀市の東名遺跡では縄文時代前期にあたる 年前の網籠 木製装身具 貝塚等の生活遺構がまとまって出土している 県北西部の玄界灘に面した地域は福岡県北西部と並んで 大陸方面から伝来した稲作の日本における発祥地域とされ 宇木汲田遺跡では縄文時代晩期の炭化籾 菜畑遺跡では縄文時代晩期の炭化米や水田跡が見つかっている 魏志倭人伝 に見える 末廬国 まつらのくに が現在の唐津地方にあったとされ 大陸由来の青銅器や銅器が多数出土する遺跡が点在する また 吉野ヶ里町 神埼市の丘陵地帯には弥生時代の大規模環濠集落である吉野ヶ里遺跡があり その近辺にも九州北部に特徴的な甕棺墓が多く見つかっている また 古墳時代初期の建造の前方後円墳である唐津市の久里双水古墳をはじめ 東松浦地区や佐賀平野北部には幅広い年代の古墳が分布している 年には基山町と福岡県筑紫野市の境に古代山城の一つである基肄城が築かれ 防人を招集して大宰府防衛線の一角を担った また同じ頃 武雄市のおつぼ山神籠石や帯隈山神籠石などの山城と考えられる遺構も成立している この頃 世紀末まで までには令制国として 今の長崎県本土と佐賀県全域を領域とする肥前国が成立した 平安時代後期には神埼荘 長島荘などの荘園が形成されるようになる 鎌倉時代から室町時代にかけて 百以上の氏族が地頭として配置されていたと考えられている その中でも規模が大きかったのが 九州千葉氏 高木氏 綾部氏 松浦氏 少弐氏 波多氏 後藤氏などであった また 玄界灘沿岸は松浦党の影響力も強かった この頃の代表的遺構としては 南北朝時代に建造された大きな環濠を特徴とする平城である 神埼市の姉川城がある 戦国時代に入ると龍造寺氏が一気に勢力を伸ばし 肥前 肥後北部 筑後 筑前南部まで領地を広げた しかし 戦国末期には島津氏の攻勢が強まり 沖田畷の戦いによって龍造寺隆信が没するとその勢いを失い領地を少しずつ狭めていく ただ 豊臣政権による年 天正年 の九州国分によって 現在の佐賀県内のほとんどが龍造寺氏の領下に入り版図が決まる 江戸時代には 佐賀藩 その支藩である蓮池藩 鹿島藩 小城藩の藩 および 唐津藩が置かれていた そのほか 現在の鳥栖市 基山町付近に対馬府中藩の田代領 唐津市浜玉町付近に同藩浜崎領があり それぞれ対馬府中藩の飛地となっていた また 現在の唐津市浜玉町海岸部や唐津市南東部などが幕府直轄領となっていた 佐賀藩およびその支藩は鍋島氏とその庶流家 龍造寺氏の分家などによる支配が続き 政治的には比較的安定していた しかし 長崎の警備費用がかさむなどして財政は当初から厳しく 享保の大飢饉や年 文政年 のシーボルト台風による甚大な被害はそれに拍車を掛けた ただ 広大な有明海の干拓によって農地を拡大できるという地の利を生かして江戸時代初期から盛んに干拓を行ったことで 年代には約万石と 年前の倍近くにまで石高を伸ばすことに成功している また 世紀中頃に入って鍋島直正は財政の建て直しに努め 役人の削減 伊万里焼や茶 石炭といった特産品の保護育成に努めた また 地理的に長崎に近いことや長崎警備を担当していた関係などから海外の情報の入手が比較的容易であったため 反射炉や蒸気機関車模型といった先進的な科学技術の実験 研究も進んでいた 一方の唐津藩は寺沢氏が島原の乱の影響を受けて改易され その後も領主が大久保氏 大給松平氏 土井氏 水野氏 小笠原氏と目まぐるしく変わり 政治はあまり安定していなかった 寺沢広高は松浦川の改修を行うなどしたが その後水野忠任の代の年 明和年 には虹の松原一揆が起こるなどした 佐賀藩は戊辰戦争以降 明治維新に尽力する人物を多く輩出した 明治維新期に活躍した大隈重信 副島種臣 大木喬任 江藤新平 佐野常民 島義勇の人に 彼らを育てつつ幕末期に活躍した鍋島直正を加えて 佐賀の七賢人 と称することがある 幕末時に薩長土の志士たちが中心であった明治新政府は 戊辰戦争半ばから肥前有志を仲間入りさせ 薩長土肥 体制としたため肥前出身者も明治政府の主要官職を占め続けていたが 藩閥打倒を叫ぶ民権派の影響などもあり大正以降は薩長土同様に藩閥的な勢力ではなくなった 明治時代には殖産興業の一環として杵島や唐津一帯の炭鉱では機械の導入による増産が進められ 鉄道の建設がそれを後押しした 年 明治年 月日に現在の鹿児島本線にあたり県内区間を含む博多 千歳川 現在は廃止 間が開業 年 明治年 月日には鳥栖 佐賀間 年 明治年 月日には武雄まで 年 明治年 月日に長崎県佐世保市早岐までそれぞれ延伸して現在の長崎本線 佐世保線に当たるルートができた また年 明治年 月日に九州鉄道西九州線有田 伊万里間に当たるルートが開業 年月日から年 明治年 月日にかけて順次現在の唐津線に当たるルートが開業した 年 大正年 には佐賀市に佐賀紡績 後の大和紡績佐賀工場 が設立 年には従業員 の工場へと拡大するなど 近代化により製造業が発展した 一方では 各地で労働環境の問題なども生じるようになった 農村では近代化は顕著ではなかったが 年の電気灌漑導入をきっかけとして品種改良や肥料導入が急速に普及したことで米は大幅な増産となり 年 昭和年 年 昭和年 には反 当たり収量日本一を記録 佐賀段階 と呼ばれ 主産業であった農業の発展とともに人口も増加した 県内の都市は工業集積が進んでおらず米軍の攻撃の優先順位が低かった上に 太平洋戦争末期の空襲の被害は県内最大の攻撃目標である県都佐賀市への誤爆も重なり近県に比べて少なかったが 戦災を免れた故に都市基盤が旧態依然で戦後の発展も著しいものではなかった 商業の発展があったものの 従事者や生産額ともに依然として第一次産業の比率が比較的高い農業県であった この頃災害復旧費などの財政支出増加から県財政が悪化し年度から財政再建団体に転落 財政再建策としての大規模な教職員削減を背景に佐教組事件が発生するなどしている 年代には 治水 灌漑の進展と集落協働による農法改善を原動力とした 新佐賀段階 が起こり 年に当り収量 全国平均 を記録するなど 農業は発展を見た しかし 年代後半より減反が進んだことで米中心の農業は打撃を受け 加えて炭鉱の閉鎖が加速し 多久 杵島 東松浦などの旧炭鉱地域を中心として 高度経済成長期に急速な過疎化が進んだ これに対して年代以降 農業は米だけではない野菜や果実などへの多品目化に移行し また佐賀平野では二毛作による麦の生産が浸透して農業の維持を図った 工業では 高速道路の整備以降は高速周辺での工場誘致が各地で起こった これによって 鳥栖市を中心とした県北東部では集積した製造業が基幹産業へと成長した 年代からは半導体や自動車部品産業が割合を高めている 佐賀県の人口は年月現在 約万千人で全都道府県中位 番目に少ない 九州 沖縄地方の中で最も少ない 合計特殊出生率 年 は同番目に高く 年少人口 歳 も 年 と同番目に高い また人口ピラミッドを見ると歳までの人口割合が比較的高く 歳前後での進学 就職による転出が多いことが特徴である これに合わせる形で生産年齢人口 歳 は 年 同番目と割合が少ない 高齢者人口 歳以上 は 年 同番目と中位にある 平均寿命は男女間で差があって 男性は 歳 同番目で国内平均の 歳よりも短く 女性は 歳 同番目で国内平均 歳よりも長い 平成年 年 都道府県別生命表 県人口 後述 は戦前の万人台から 第一次ベビーブームを経て年 昭和年 頃に万 人とピークを迎えたが 高度経済成長の進展とともに急速に減少して年 昭和年 には万 人と底を打った その後緩やかに回復して万人台の半ばを推移し 年代後半以降は減少し続けている また年の推計によると 年に 万人 年に 万人に減少すると予想されている 人口減少と少子高齢化が進行しているものの 出生率が高いため少子化は比較的緩やかである 山口祥義 やまぐち よしのり 衆議院の小選挙区は第回衆議院議員総選挙からつ減らされ県全体でに 参議院では 全県で区を構成 産業別就業者数では 他の都道府県に比べて第一次産業の割合が多いことから 農業県と言われることも多い 佐賀平野を中心に穀類を中心とした農業が 入り江の多い玄界灘に面する北西部では果樹農業や畜産 沿岸漁業が盛んである 有明海に面した県南地域では海苔の養殖が盛んである 佐賀県は 県の面積に対する耕地の割合 耕地率 が 後述する二毛作の影響で耕地面積に対する作付面積の割合 耕地利用率 が 年 昭和年 から年以上連続で全国位 と ともに日本全国の中でも高く 農業が盛んな県である 主要農産物の米は古くより 特に力が入れられている 年代には 耕地整理と電気による機械灌漑の導入によって反当たりの収量 反収 が日本一となり その原動力となった効率的な農業手法の改良は 佐賀段階 と呼ばれた 年 昭和年 の大水害等を受けて治水と平行して利水が展開されたことで年代に大規模灌漑施設が整備され さらに佐賀平野で古くから根付いていた集落共同を生かして農法の改良や統一を行ったことで 年代にも反収日本一となった 年代頃まで米が県の農業生産額の半分以上を占めていたが 減反の流れなどから米を取り巻く環境は一変した 県などによる大規模な耕地整理により効率化が図られたものの 転作と多品目化が進み 年代には 程度に減少した 一方で 野菜 果実 畜産物の占める割合は約割に上昇した また 米の生産額の割合は減っているが 依然佐賀県の耕地の分のは水田であり 米作りは盛んである 品種別ではヒノヒカリ コシヒカリ 夢しずくなどが多い 近年は高温登熟障害による減収が頻発しているため 高温に強い さがびより の生産が拡大されている また ヒヨクモチを中心としたもち米の生産は非常に多く 生産量では全国位 年 平成年 となっている 佐賀平野は米だけではなく大豆や大麦など 農産品に占める穀類の比率が高い穀倉地帯である 佐賀平野では 夏の表作として稲を栽培する一方 温暖なため冬でも早い生育が見込め 冬の適度な乾燥があることから 冬の裏作として小麦や大麦を栽培する二毛作を行っている ビールや焼酎の原料などになる二条大麦の年間収穫量は トン 年 平成年 で全国最多 近郊や西日本を中心とした大都市向けの野菜類の生産も多い 野菜では タマネギ レンコン アスパラガスの生産が多い 塩害に強いため干拓地で多く栽培されるたまねぎの年間収穫量は トン 年 平成年 で全国位 脊振山地 筑紫山地 では 標高が高いため降水量が多く冷涼な気候を生かして小規模ながら高原野菜の栽培も行われている 果実では イチゴ 主要品種は さがほのか とよのかなど ミカン ナシなどの生産が多い ミカンの収穫量は年減少傾向にあるが 温室栽培で出荷期間が長いハウスみかんの年間収穫量は多い 畜産では 九州の他県と同じように 鶏 肉牛 豚の飼育頭数は多い 肉牛に関しては 伊万里市を中心に生産される 佐賀牛 伊万里牛 ブランドが近年広くされている また 嬉野市など県内各地で 茶の生産も多い 嬉野茶ブランドで販売されている 国内の農産物消費の頭打ちなどを考慮し 米や果実 牛肉などを 佐賀ブランド で輸出する試みも行われている 北西部の玄界灘 日本海 と南部の有明海とで 特徴が大きく異なる 有明海では 海苔の生産が特に多く 貝類の漁獲量も多い 板のりの生産も多く 特に贈答品として特化しており 最高級品を 佐賀海苔 有明海一番 として販売している ガザミのうち太良町近海で獲れるものは 竹崎カニ と呼ばれている また 筑後川の下流域では初夏にエツ漁が行われ 本県南東部は福岡県筑後地方と並ぶ産地として知られる 近年有明海は多くの海産物で収獲量変動が激しくなっており 就業者の減少も加わり 水産業の衰退が深刻化している また年代以降 海苔の不作や魚介類の不漁が増加しており 諫早湾干拓事業の影響が指摘されていることから漁業者が反対運動を起こしている 玄界灘では アジ サバなどの魚類やイカ タコ エビなどの漁獲量が多く 以上でこの海域の漁獲量の割以上を占めている 呼子漁港 仮屋漁港 唐津港などで水揚げ量が多い 県内では明治時代から本格的な石炭の採掘が始まった 杵島炭鉱や古賀山炭鉱 唐津炭田の諸炭鉱など 炭鉱は県中部や北西部に集中しており 最盛期には賑わいを見せた しかし年代以降 埋蔵量 採掘量の減少やエネルギー政策の転換により規模は縮小し 年代までにすべての炭鉱は閉山した また 有田町の泉山では磁器の原料として 李参平が発見した陶石の採掘が行われていた しかし 明治中期から使用が始まった天草産の陶石に押され需要が低迷したため 年 平成年 で採掘は終了し 現在は一部で在庫が使用されているのみになっている 佐賀県では 日本全体の傾向と同様に重化学工業の比率も高いが 特に食品の出荷額が多い また 窯業の出荷額が占める割合が大きい 下の項目参照 地域的には九州の交通の要衝である鳥栖市や 県庁所在地の佐賀市周辺で工業が盛ん 鳥栖市 基山町などには 特に多くの企業の工場が進出している また 伊万里湾では 造船 半導体を軸として水産加工 食品 木材などの工場が並ぶ臨海工業地域が形成されている 自動車部品 機械 半導体部品などの製造は比較的盛んであり シリコンウェハーについては大規模工場が立地する関係で年間生産額が全国最多の 億円 年 平成年 となっている 雇用創出や税収増加 人口流出の抑制を狙って 年代頃から工場団地への工場誘致が盛んになった 現在も市町村や県が中心となって工場誘致を行っている 有田町など佐賀県西部では 陶磁器関係の産業が特に盛んで 有田焼 伊万里焼 唐津焼などのブランドも多い 有田では 世紀に朝鮮から渡来した陶工の李参平が泉山で良質な陶石を発見したことで有田焼 近世には伊万里焼と呼ばれた を創始し 古くは輸出もされたブランド品が生産され 近年は日用品も含めて様なジャンルの陶磁器が生産されている 有田町は 陶磁器の生産量で県の割を占め 年間出荷額でも億円 億円を数える このほか 伊万里市などでも盛んである 江戸時代に長崎街道を伝って砂糖が豊富に流通したため製菓業が盛ん 小城市の羊羹 佐賀市の丸ぼうろ 唐津市の松露饅頭など 各地に伝統的な菓子が残っているほか 江崎グリコの創業者江崎利一 森永製菓の創業者森永太一郎は共に佐賀県出身であるなど人材も輩出している 全国でも有数の米どころであることもあり清酒の醸造が盛んで 鎌倉時代には 肥前酒 として幕府に献上していた 製造 消費共に清酒より焼酎が多い傾向が強い九州においては異色となっている 佐賀県の商業は 人口規模や県民所得からして特に盛んという訳ではない 年代初頭から 郊外型の大規模ショッピングセンターの建設が相次ぐ一方で 市街地の商店街の衰退が各地で進んでいる また他方では 交通の便がよく県内よりも大規模な福岡市の商業街へも客は流出していたが この傾向は現在もある サービス業人口は多いが 他県と比べて大きな特徴は見られない 観光業については 観光資源に乏しいとされることがあるが その活用やがうまく進んでいないだけとも言われている 年 平成年 からは知事が という考え方を提唱し 親 子 孫の三世代旅行を誘致する施策を展開している 福岡や長崎といった運輸 貿易の集中地帯の中継地としての役割もあり 鳥栖ジャンクションを中心として高速道路沿いや幹線道路沿いに 運輸業や倉庫業の事業所が多い なお サガテレビが県内唯一の地上波民間テレビ放送局であり 地域 特に県西部の伊万里市 武雄市 嬉野市など によっては同局と 総合 教育 テレ だけしか受信できない それゆえ ケーブルテレビを使う世帯が圧倒的に多い 県東端部は国道 高速道路 鉄道が集まる九州の交通の分岐点であり その利便性のため東部には物流や製造業の拠点が多い 県内道路は福岡県と長崎県を結ぶ北東 南西方向の幹線上にあって佐賀市や唐津市を基点としつつ網状に広がっている 九州の道路交通の大動脈である国道号が県東端部の基山町 鳥栖市東側を南北に通っている そのさらに東側を福岡県との県境に並行して九州自動車道が南北に通っている 県南部の平野部を北東から南西へ斜めに横断する国道号は鳥栖市から佐賀市 神埼市 武雄市 嬉野市などを経由し長崎市に至る幹線で概して交通量が多い これと並行して長崎自動車道が走っている 鳥栖市で国道号と国道号が接続 また長崎自動車道と九州自動車道 大分自動車道が鳥栖ジャンクションで接続している 武雄市から佐世保市へ至る国道号 福岡市方面から唐津市や伊万里市を経由して佐世保市へ至る国道号 佐賀市と唐津市を結ぶ国道号 佐賀市から佐賀平野 筑後平野を南東に進み大牟田市を経由して熊本市へ至る国道号も主要幹線である 山地を越えて佐賀市と福岡市を結ぶ主要路線として川上峡や三瀬峠 三瀬トンネルを経由する国道号があり また国道号は神埼市を経由して柳川市と福岡市を結ぶ国道で 国道号などと併せて佐賀市と福岡市を結ぶルートを構成しており 山地を越えるが 年に東脊振トンネルが開通し利便性が向上した 有料道路では 福岡市から国道号と平行し平戸方面へ迂回して佐世保を経由し武雄ジャンクションへ繋がる西九州自動車道が整備中で 武雄方面と唐津市東部の一部が開通している 国道号のバイパスとして佐賀唐津道路が計画されており一部が厳木多久道路や厳木バイパスとして使用されている また地域高規格道路として 大牟田から国道号と平行して佐賀市を経由し 有明海沿岸を周回して鹿島へ至る有明海沿岸道路が整備 計画中で 県内の一部の区間が開通している 県内の主なバスターミナルは佐賀駅バスセンター 唐津大手口バスセンター 鹿島バスセンター 嬉野温泉駅など 佐賀市営 昭和 西鉄でをはじめとする交通系カードが利用できる 佐賀平野と有明海沿岸の鳥栖 佐賀 鹿島の各都市を通る長崎本線 武雄や有田を経由し西部を横断する佐世保線は 特急かもめ みどり ハウステンボスが運行し 幹線として利用されている また短い距離であるが東端部を九州の大動脈である鹿児島本線と九州新幹線が南北に走る そのほか 佐賀と唐津を結ぶ唐津線 福岡市方面から唐津を経由し伊万里へ至る筑肥線 有田から伊万里を経由し松浦方面へ至る松浦鉄道西九州線 基山と朝倉市甘木を結ぶ甘木鉄道甘木線がある 県内の主要な駅は佐賀駅 鳥栖駅 基山駅 唐津駅 神埼駅 武雄温泉駅 けやき台駅 有田駅 肥前鹿島駅 伊万里駅 肥前山口駅 吉野ヶ里公園駅 中原駅などである 年開業の新鳥栖駅はつばめとさくら全数が停車する乗換駅で 将来的には九州新幹線 西九州ルート の分岐駅となる予定 大型港湾は玄界灘沿岸に集中している 唐津港と伊万里港が重要港湾である 唐津港はセメント 砂利 砂 石油などの原材料系の受け入れ量が高い特徴がある 伊万里港は大連 青島航路 中国 民生輪船有限公司 上海航路 日本 神原汽船株式会社 華南ラウンド航路 韓国 興亜海運株式会社 など複数の海外航路がありコンテナ貨物の割合が高く 大型船に対応した水深の新岸壁 ガントリークレーンを備えた国際コンテナターミナルとして重点的に整備が進められている 地方港湾は 玄界灘側の呼子港 避難港 仮屋港 星賀港 有明海側の住ノ江港 諸富港 鹿島港 大浦港の計港である また 玄界灘では離島と本土を結ぶ定期旅客航路が運航している 唐津東 印通寺港便 九州郵船 は唐津と壱岐と結ぶ 唐津港からは高島便 唐津市漁業協同組合高島支所 湊港からは神集島便 唐津市漁業協同組合神集島支所 ユージングボート宇野 呼子港からは小川島便 川口汽船 加唐島便 加唐島汽船 松島便 新栄 馬渡島便 郵正丸 の計航路 星賀港からは向島便 向島丸 浦ノ崎港からは福島港便 金子廻漕店 がある 有明海では定期航路はない 佐賀県のテレビジョン放送受信は 現時点で県内向けの放送を行っている報道機関は以下の局のみ 民放に至っては局しか存在しない しかし 県境付近では 隣接する福岡 熊本 の県の県域テレビ局の放送エリアのめやすとなっている 直接受信が困難な地帯 向けにも各地で整備されており 県内大半の地域では 福岡県の民放を視聴できるようになった フジ系以外では福岡県の民放が佐賀県分の報道取材等を行っている 地上デジタル放送の開始も遅れ 全国最後発となる年 平成年 月日開始であった 県が音頭を取って事業者を組織し 佐賀デジタルネットワーク社を設立 デジタル放送の県内事業者向け配信を一手に担うとともに インターネット接続プロバイダ業務も行うこととなった ただ 県外民放の再配信は福岡県分に限られ 熊本放送については各事業者が個別に許可を得る方式とした 県内でサービスを提供している 許可施設を有する ケーブルテレビ事業者は年月末時点で社である 主な放送局はを参照のこと 世帯普及率は年月末時点で 放送対象地域外のラジオラジオ の放送エリアになる 外国語放送のラブエフエム国際放送 が佐賀市のみ放送対象地域に その他県内のほとんどの地域が放送エリアに 放送対象地域外のエフエム福岡 エフエム熊本 エフエム長崎 が県内の一部の地域で放送エリアとなる また 県域局であるラジオ佐賀及びエフエム佐賀の何れもが長らくでの配信を実施しておらず また佐賀市を正式な放送対象地域としている も県内での基本サービス配信を行っていないため 県内での実施局はラジオと全国放送のラジオ及び放送大学のみという状態が続いていたが 年月日にエフエム佐賀がの配信を開始したため 現在は解消している 佐賀県は地域区分局に当たる郵便局が県内に存在しない唯一の都道府県である 県内全域を指す郵便番号 上桁 の地域区分局は 福岡県の久留米東郵便局となっている 震度以上の記録が残っている地震の回数は 年間でわずか回と日本一地震が少ない県である 一般的に佐賀の県民性として いひゅうもん 異風者 あるいは ふうけもん 風変者 という言葉が代表的に使われることが多い 両者とも変わり者 頑固 融通が利かないといったニュアンスがある ただし 現代の佐賀弁では ふうけもん は馬鹿者といった否定的な意味が強いので あまりそぐわない また 特に男性に関してしばしば葉隠の武士道精神とも結び付けられ 上下関係やしきたりを重んじる 几帳面 まじめとされる場合がある また 佐賀んもんの通ったあとにはぺんぺん草も生えん 佐賀の人が通った後にはぺんぺん草も生えない などと揶揄 自嘲される場合があるが 佐賀藩時代の厳しい財政下で大名家 鍋島家 自らの倹約から受け継がれた主に藩士の倹約家気質がさまざまな形で受け止められ 当時の言い回しが現代まで残ったものである 佐賀藩に当たる県東部 南部では佐賀弁が話され 同じ藩域だった長崎県諫早地方では似た言い回しが多い 唐津藩に当たる県北西部では唐津弁 対馬藩飛び地に当たる鳥栖市東部 基山町では田代弁が話される 唐津市 東松浦郡は 虹の松原 七つ釜の海食洞 リアス式海岸 クジラのように急峻にせり出す形状の島など 玄界灘 唐津湾に面した海沿いの自然景勝地として知られ 海水浴やサーフィン ダイビングといったマリンスポーツなどが盛んである また鏡山や丘陵地帯 海岸部の棚田などの自然景勝がみられるほか 丘の上に建つ唐津城 名護屋城跡 博物館 などの文化財が観光地となっている 月上旬には日本三大くんちの一つである唐津くんち 唐津市 月上旬には呼子大綱引 唐津市呼子町 が行われるほか 呼子の朝市も有名である 伊万里湾も同様に 湾口部のいろは島やリアス式海岸が特徴的な景観で 海水浴地でもある 月下旬には伊万里トンテントン祭りが行われる また 伊万里市 有田町 武雄市の黒髪山周辺は奇岩のなす地形や豊富な植物 各種伝説などで知られる また 有田町を中心とした地域には有田焼 伊万里焼 唐津市 伊万里市 武雄市を中心とした地域に唐津焼の それぞれ古い窯跡や現存する窯元が数多く分布していて陶磁器にまつわる名所が多い 九州陶磁文化館 有田陶磁美術館 有田ポーセリンパークなどの文化施設もあるほか ゴールデンウィークには有田陶器市が開かれ多数の客で賑わう 日本三大美肌の湯である嬉野温泉 嬉野市 温泉は湯豆腐や嬉野茶でも有名で 武雄温泉 武雄市 は楼門と武雄温泉新館が国の重要文化財に指定されており それぞれ趣の異なった温泉街として賑わう 一方 県庁所在地佐賀市は平坦な田園地帯の中にあり 城下町時代の名残のある込み入った街路や水路網などの景観が特徴的である 江戸 明治期の建物が残る佐賀市歴史民俗館 佐賀城跡と佐賀城本丸歴史館 佐嘉神社 反射炉跡などの歴史遺産が点在する 月下旬から月上旬には佐賀インターナショナルバルーンフェスタが開かれ 熱気球が舞う光景が広がるほか 月には佐賀城下栄の国まつりが開催される 県南部一帯には泥質干潟の有明海が広がり 玄界灘や伊万里湾とは大きく異なった景観となる ムツゴロウ シオマネキなどの希少生物や 紅葉のように変化するシチメンソウなどが見られる また月頃には鹿島ガタリンピック 鹿島市 が開催される 県北部の北山ダム 佐賀市三瀬村 は避暑地となっており どんぐり村などが観光地として整備されている 嘉瀬川を下って行くと古湯温泉や熊の川温泉 ともに佐賀市富士町 川上峡などのスポットが点在する 吉野ヶ里遺跡 吉野ヶ里町 神埼市 は 一部で発掘を継続しながら国営吉野ヶ里歴史公園として復元整備されている 長野県 ながのけん は 日本の中部地方に位置する県 県庁所在地および最大の都市は長野市 令制国名の信濃国にちなみ 信州 とも呼ばれている 海に面していない内陸県であり 大規模な山岳地があるため可住地面積率は低い キャッチフレーズはしあわせ信州 長野市は善光寺の門前町として発展し 第回冬季オリンピックの開催地でもある 現在の長野県の県域は 令制国の信濃国にほぼ相当する ただし 旧神坂村 旧山口村が岐阜県中津川市に越境編入されたように 僅かながら差異もあるため 信州 しんしゅう と呼ばれることも多く 特に観光ガイドでは 信州 と呼ぶ 古代は 科野 しなの と書いた 世界的に見て長寿国とされる日本の都道府県においてですら長寿を誇り 年現在 都道府県別平均寿命では男性が位 女性が位であった 長野県は本州の中部に位置しており 周囲県に隣接し 東西約キロメートル 南北約キロメートルと 東西に短く南北に長い県域である 県内の南半分は太平洋側に近く 南信州地域の多くは東京よりも南であり 県の最北端は那須塩原市やいわき市とほぼ同緯度である 長野県の面積は 平方キロメートルであり これは南関東都県の面積の合計に近く 日本の都道府県では 北海道 岩手県 福島県に次ぐ面積を持っている 長野県は群馬県 埼玉県 山梨県 静岡県 愛知県 岐阜県 富山県 新潟県とつの県と接し 日本で最も多くの都道府県と隣接する県でもある ただし これらの県とは陸続きでありながら その間の交通は必ずしも簡単ではない 例えば 埼玉県と県境が接している長さはキロメートル程度しかなく 中津川林道のみでしか直接的な行き来ができない また 富山県とは陸続きで接しているものの メートル級の北アルプスが立ちふさがっており 地形的に険しく また非常に山奥であるため空路か関電トンネル電気バスでしか往来ができず 一般人は自家用車両による往来は不可能である これ以外に車両が往来できない県境として群馬と福島との県境が挙げられるものの こちらは徒歩であれば越境可能である また 地形的な問題などで飯田市と静岡県静岡市 松本市と下諏訪町 王滝村と大桑村 岐阜県中津川市 同下呂市など陸続きでありながら往来できない市町村が多数ある 県境を越える事が地形的に難しい理由として 長野県は中央部を高地が占める山地型の地形ではなく むしろ北西の県境の飛騨山脈 南東の県境の赤石山脈の標高が高く 間の幾つかの盆地 伊那谷 松本盆地 佐久盆地 長野盆地など を中心とした地域である点が挙げられる 県境付近の山は 日本の屋根 とも呼ばれ 標高 メートルから メートル級の高山が連なっている ただ 長野県の中央部も平坦というわけではなく 内部にも山岳が多数見られる 急峻で複雑な地形である これは日本列島が新期造山帯であること以外に 長野県付近が 北アメリカプレートとユーラシアプレートとのプレート境界に近い事と無関係ではない なお 本州を縦断する糸魚川静岡構造線 糸静線 が県下を南北に走り 糸静線の東側は第三紀層が分布している 糸静線沿線の諏訪湖からは中央構造線が南に走っている このようなこともあり 善光寺地震を始め 多数の地震を経験してきた また 長野県内には活火山も複数存在する 自然地理学の分野では 長野県付近は中部地方の中央高地として分類される 内陸県で本州の中では降水量の少ない地域もあるものの 本州が日本海と太平洋とに挟まれており さらに 長野県の急峻な地形と相まって河川を維持するのに充分な降水はあり 県内には数多の水源を擁する 県内には大小多数の河川が見られ それぞれの河川が山を侵食した地形も多数見られる 長野県に流域を持つ一級河川としては 信濃川水系 天竜川水系 木曽川水系 姫川水系 矢作川水系 富士川水系 関川水系 利根川水系がある なお 県内には太平洋と日本海の分水嶺が存在している 例えば 天竜川 南信 諏訪湖を水源とし伊那谷を通る 木曽川 中信 は南下して太平洋へ注ぐ また例えば 千曲川 東信 北信 犀川 中信 は長野市で合流して北上し 県境を越えて信濃川と名称を変えて日本海へ注ぐ 姫川 中信 も日本海へと流れている なお 県下の最大人口を誇る都市は長野市の万人であり 最大面積の自治体は松本市の 平方キロメートル 最大人口密度の自治体は岡谷市の 人 平方キロメートル 最大昼間人口比は軽井沢町の であった 土地利用としては 長野市 須坂市および上高井郡小布施町 松本市 塩尻市の都市計画区域で区域区分による市街化調整区域が設定されている 盆地 谷 山地 山 峠 川 湖沼 長野県は内陸に位置するため おおむね内陸性気候で 標高の高い地域もあるため中央高地式気候と言われる ただし 北信地方の大半と 中信地方 東信地方の一部は日本海側気候の特色を併せ持つ 逆に 中信地方の一部と南信地方は太平洋側気候の特色を併せ持つ また 長野県の各都市は標高が異なり さらに山脈や盆地の形状などの影響で 気候に修飾を受けるため 気候に違いが見られる ただ 全体的に冬の冷え込みは日本の同緯度付近の内陸県と比べると厳しい 中でも 軽井沢 信濃町 志賀高原 菅平高原 八ヶ岳山麓 開田高原 野辺山高原 上高地などの標高が高い地域は ケッペンの気候区分では亜寒帯湿潤気候 であり 通年で北海道並みの気候である また特に標高の高い場所では北極圏並みの寒さの地域もある 夏は 長野市や松本市などの盆地部においては日中の気温は東京とほとんど変わらず 時には猛暑日も観測されるものの 朝晩は涼しく 熱帯夜が観測される日は皆無に等しい 降水量も地域差が大きく 東信地方から北信地方にかけては年間ミリメートル前後と少ないが 中信地方から南信地方にかけては年間 ミリメートルに達する 降雪に関しては 北信地方 中信地方 東信地方の一部地域は 豪雪地帯または特別豪雪地帯である 県の南北で降雪条件が異なる 長野県には 上雪 かみゆき 下雪 しもゆき と言われる雪の降り方がある 上雪 かみゆき は 普段ならば雨の降るはずが 南岸低気圧が通過することによって 気温が低下して雪となる現象で 低気圧に近い中 南信や東信で降雪量が多くなる 下雪 しもゆき は冬の強い季節風の吹き出しによって降る雪のことで 長野県の北部の雪の降り方で 西高東低の日本付近における冬型の気圧配置の場合に降雪し易い いわゆる日本海型の降雪である なお 南信地方の伊那谷は 飯田市の旧南信濃村地域を除き雪は少ないものの 寒暖の差が激しい 地方気象台による警報 注意報は 原則として各市町村ごとに発表される ただし 松本市は 松本 および 乗鞍上高地 塩尻市は 塩尻 および 楢川 に別けて発表される 長野県は 日本のほぼ中央に位置しているが 東西の分類では中部電力など一部の企業や団体で西日本に分類されることもあり 文化的 歴史的 人口の比率 面積の比率からして東日本に分類されることもある 地方の分類では中部地方 甲信地方 信越地方 甲信越地方 北信越地方などがある 県による区分では地方事務所の管轄に準じて地域に細分化される 人口は現在 都市雇用圏 通勤圏 中心都市が万人以上 の変遷 平成の市町村大合併は 他県ほど実施されず 中小自治体が櫛比する ただし 広域連合制度が県内全市町村で活用されており 一部事務組合による広域行政も活発である 年 平成年 には長野県から岐阜県へ越県合併の事例もあった 北信 北信地域 長野地域 東信 佐久地域 上田地域 中信 松本地域 木曽地域 北アルプス地域 南信 上伊那地域 南信州地域 諏訪地域 の地域は 自然地理や歴史や交通などの各面で 特徴がまったく異なっている これは 信濃の国 県歌 における 松本 伊那 佐久 善光寺 の区分にも象徴されている 大まかに分けると 北信 東信 中信 南信は それぞれ長野県の北部 東部 西部 南部の地域となっており 北信と南信を除いて地域は互いに接している 北陸新幹線 信越本線 飯山線 小海線や国道号 上信越自動車道の沿線である北信と東信は 千曲川流域でおもに中山道と北国街道沿線にあたる 北信は 新潟県 群馬県に接しており 戦国時代には村上氏 武田氏 織田氏 上杉氏の支配圏に置かれてきた 善光寺街道沿いであった経緯や北陸新幹線 上信越自動車道で接続していることから 新潟県 群馬県 東京とのつながりが深い 近年では 首都圏からの観光客も多く訪れている また 中信とは長野自動車道 篠ノ井線により接続している 北信は長野盆地を中心とした地域であり 新潟県に近いことから 海水浴で日本海へ行く者も多い 一方の東信は 群馬県 埼玉県 山梨県に接しており 戦国時代には武田氏 織田氏 徳川氏 北条氏 真田氏の支配権に置かれてきた 中山道と北国街道の合流点であった歴史的経緯や北信と同様に北陸新幹線 上信越自動車道で接続していることから 浅間山や碓氷峠を越えた群馬県 東京との交流も深い また 野辺山高原を経由する国道号 小海線によりつながる山梨県との交流も深い 山梨県との間には現在 中部横断自動車道が整備中である 三国峠 長野県 埼玉県 を経由して 埼玉県とも接しているが 道路事情が悪いため物流はほとんどない 道路で雁坂峠の国道号が開通する前には 碓氷峠 東信 山梨県 静岡県大井川以東のルートが 国道号圏内を経由せずに関東地方内を迂回する最短ルートとなっていたために 関東志向がもっとも強い地域になっている これらに対して 中央本線 飯田線 大糸線や中央自動車道 長野自動車道の沿線である中信と南信は 中山道 甲州街道 千国 ちくに 街道 糸魚川街道 松本街道 北国西街道 三州街道沿線にあたる 中信は 新潟県 富山県 岐阜県に接しており 戦国時代には小笠原氏 仁科氏 木曾氏を経て 武田氏 織田氏の支配権に置かれてきた 中山道 甲州街道 千国街道 糸魚川街道 松本街道 三州街道の沿線であったことから 新潟県 岐阜県 山梨県 愛知県 東京都との交流が深い 北国西街道沿線には長野自動車道が整備されており 長野地域と接続している 中信地域の北部に位置する北アルプス地域は 飛騨山脈のすぐ東側に位置しており 登山 スキーなどの観光が盛んで 日本最大規模の八方尾根スキー場や 栂池高原スキー場があり 長野オリンピックの会場にもなった 観光の面では 関東地方からだけでなく関西地方からの観光客も多い また 国道号 国道号を経由してつながる新潟県との交流もあり 山岳観光ルートの立山黒部アルペンルートにより富山県とも接している また 中信地域の中部に位置する松本地域 中信 は 諏訪地域 南信 とともに中山道と甲州街道の沿線として発展した地域で 山梨県 東京都 岐阜県 東濃 飛騨 との交流が深い 中信地域の南部に位置する木曽地域 中信 は 広域の名古屋圏 中京圏 であり 歴史的に中世以前は美濃国に属し江戸時代には尾張藩領であったことや 国道号 中山道 を通して 岐阜県 愛知県と接続しているため 経済や文化の面でつながりが深い 一方 南信は 山梨県 静岡県 愛知県に接しており 戦国時代には諏訪氏 武田氏 織田氏 徳川氏の支配圏に置かれてきた 中山道 甲州街道 三州街道の沿線であったことから 山梨県 東京都 静岡県 愛知県との交流が深い 諏訪地域は 松本地域 中信 とともに中山道と甲州街道の沿線として発展した地域で 山梨県 東京都 岐阜県 東濃 との交流が深い また 南信州地域 南信 は 広域の名古屋圏 中京圏 であり 中央自動車道 国道号 三州街道 足助街道 を通して 岐阜県東濃地方 愛知県尾張 西三河地方と接続しているため 経済や文化の面でつながりが深い さらに 南信州地域では 静岡県 愛知県東三河地方とも隣接しているが 道路事情が悪いため 物流が発達していない 現在 三遠南信自動車道 飯田市 浜松市 を建設中であるが 全通するかは未定である また 飯田線 国道号線で 新城市 豊川市を経て豊橋市に出られる 水系は 北信 中信 松本地域 北アルプス地域 東信 一部を除く が日本海側水系に属するのに対して 南信 中信 木曽地域 東信 佐久市 立科町 南牧村の一部 は太平洋側水系に属している 一般に 南信州地域 木曽地域は名古屋志向が強く その他の地域は東京志向が強い 近世以前は中山道沿いという面で信濃国全体でまとまりがあったが 明治時代に東京が首都になり交通が整備されると という地域に区分できるようになった ただし長野新幹線開通により北アルプス地域の住民の多くはバスで長野駅まで行き新幹線利用に代わってきている 長野県域でも旧石器時代の遺跡がいくつか発掘されている その中の野尻湖遺跡 立ヶ鼻遺跡 から人類が活躍していたことを示す槍状木器 骨器 剥片石器などの遺物が発見されている この遺跡はナウマンゾウやオオツノシカなどの大型哺乳動物を解体したキルサイトと推定されている 時期は約万年前から万年前のものである 全国で発見されている斧形石器の約分のにあたる点を出土し 刃の部分を砥石で研磨したものが多く 世界でももっとも古い磨製石器と言われている そのほか この時代の遺跡としては仲町 信濃町 日向林 信濃町 石子原 飯田市 遺跡が発見されている 有史以前 県内には縄文時代の遺跡が多数分布し この時代の中心地のひとつであった 茅野市で発掘された土偶は体が国宝とされている また小県郡長和町の和田峠は日本における黒曜石の代表的な産地であり 諏訪郡原村の阿久遺跡は最古級の環状集石とされている 続く弥生文化は まず東海地方から長野県南西部へと伝わり その後 日本海側の北陸地方から北部へと伝わったと考えられている このルートでの波及が原因かは不明であるが 中野市の柳沢遺跡からは 東日本では唯一となる一緒に埋納された銅鐸と銅戈が出土している 銅鐸と銅戈が一緒に出土したのは日本全国でも数例しかなく また大阪湾型と九州型の銅戈が混在していることもきわめて稀なケース 筑摩県が分割され旧高山県は岐阜県に編入 信濃国部分 中信 南信 北アルプス地域 が長野県に編入され現在の長野県が発足した 法令による廃止はないが 置き換わる長野県の発足により実質的に令制国である信濃国が廃止された 年 明治年 月日 などの計団体に県が出資または出捐している 年 平成年 月現在 田中県政については独善 独裁的という見方もある一方で それまでの長野県政の悪弊 たとえば 県議会の多数を占める自民党が 少数会派の意見を無視して乱開発などを進めていく手法 を打破したという点では評価する向きもあり 賛否は分かれる 村井県政は田中県政と比較して 閉ざされた県政 県政の後戻り などと批判される一方で 議会や県職員との対立を避ける姿勢 全国のほとんどの都道府県知事がこうしている いわゆる オール与党 体制 を評価する向きもあり 田中県政同様に賛否は分かれている 本社を置く企業についてはを参照 第次産業 第次産業 第次産業 現在 の消防本部がある 全域が中部電力パワーグリッドの供給区域である 中部電力をはじめ 東京電力リニューアブルパワー 東北電力 関西電力 電源開発などの水力発電所がある ヘルツの電源周波数の区域が大半を占めるものの 小諸市高峰高原 大町市の一部 小谷村の一部 松本市奈川 松本市安曇の一部 安曇野市穂高の中房温泉 飯山市の一部 栄村の一部などではヘルツとの混在区域がある 県企業局による発電事業としての発電所があり 伊那市に南信発電管理事務所 長野市に北信発電管理事務所が設置されている 長野県内の都市ガス事業はこれまで長野県営によるものと 東京ガスによるものが規模の大きなものとされてきたが 年 平成年 に長野県営のガス事業 長野県企業局 が民営化され 新たに設立された長野都市ガスに事業が移管された その後 年 平成年 月日をもって 東京ガスが長野県内で行っていた事業 同社長野支社の業務も含む がすべて長野都市ガスに統合された 長野都市ガスは東京ガスグループに属している 上記も含め 長野県内の主な都市ガス供給業者は下記の通り それ以外の水道事業は各市町村の当該部課や 水道局 地方公営企業 および水道企業団 一部事務組合 などが供給している 長野県は古くから 中山道 北国街道 甲州街道など 国内を東西南北を結ぶ交通の交差点に位置し その流れから現在においても主要幹線交通が交わる また 広く山国の長野県において 県内各地を結ぶ交通網は重要な機能を担っている 関東地方や近畿地方からの距離があり 広大な面積を持つ県であるため 本州社すべての管轄路線が存在している 特に伊那谷と木曽郡は 首都圏 東京 鎌倉 と畿内 大阪 京都 奈良 から等距離に位置している 諏訪ナンバーは 地元での支持率が低かった 導入に関する全戸アンケートの回収率はパーセント前後 にもかかわらず広域行政主体で導入したためか 全国ののご当地ナンバーの中で 普及率は位 交付台数は位 行政としては 車両入れ替えによる 自然切替での普及を期待している この他 伊那谷に 伊那 ナンバーあるいは 南信州 ナンバーの導入を 東信地方に 軽井沢 ナンバーあるいは 佐久 ナンバーの導入を 国土交通省に求める動きがある なお 上田市 松川町 喬木村は 市町村内において独自のデザインナンバープレートを採用している 長野県は 旧国鉄の線路が本州社に分割された唯一の都道府県である おもに東日本旅客鉄道 東日本 が北信 東信 中信 木曽地域と北アルプス地域北部を除く 地方および諏訪地域を 東海旅客鉄道 東海 が南信 諏訪地域を除く 木曽地方を管轄している また 西日本旅客鉄道 西日本 は南小谷駅以北の大糸線非電化区間を管轄している 普通列車の本数は長野 松本両市のごくごく近郊の区間および東信地域を除いて毎時本以下である 内陸県で唯一 空港を有する 長野県は以前は教育に熱心で 教育県 と呼ばれていたが 日本の教育システムが偏差値重視教育へシフトするにつれ 次第に長野県の 教育県 イメージは薄れていった 長期休みに関しては 長野県の気候の関係による 寒中休み も一部の学校で実施されているが 冬休みや夏休みなどの長期休業が短いため ほかの都道府県よりも年間休日数が少なく その分登校日が多くなっている 長野県の県立高校の正式名称は 高等学校設置条例 昭和年月日長野県条例第号 第条により 長野県 高等学校 となっており 長野県立 高等学校 といった 県立 の名称は用いない これは北海道 宮城県と同様である 長野県の場合 学制改革当時は組合立や町村立の高校であっても県立と区別せず 長野県 高等学校 を名乗っていた例があった 四年制大学進学者のうち 県内大学への進学率は年には 全国ワースト であったが 年代以降 四年制大学の開学が相次ぎ 年には 全国ワースト まで改善している 国立大学 公立大学 私立大学 日本新聞協会によれば 年上半期の購読部数は信濃毎日新聞 約万 読売新聞 約 万 朝日新聞 約 万 中日新聞 約 万 日本経済新聞 約 万 の順であった 長野県で民放テレビの局目が開局したのは年である 民放テレビ局目が開局したのは長野県が最後だった それ以降もテレビ東京 系列局は存在しないが ケーブルテレビによる区域外再放送で在京キー局のテレビ東京 木曽地域 下伊那地域では在名基幹局のテレビ愛知 が視聴可能である なお 長野県内のすべての民放局で終夜放送は災害 特番を除いて一切行われていない 長野県内のケーブルテレビ局の数は 日本の都道府県の平均よりも多く 加入者も県内全世帯の半数を超え 局数も局以上存在する これは県内に山地が多く 難視聴地域も多数存在していたために発達したと考えられる しかし ケーブルテレビが発達して間もない時期は 局数が少なかった そのために 難視聴地域解消という目的以外にも 県内外の情報格差是正を目的に県内主要ケーブルテレビ各局は 長野県域民放局の再送信に加え 在京民放キー局 下伊那地域の一部では在名民放基幹局 の再送信 いわゆる区域外再放送 を実施した この区域外再放送は 県内に民放が局開局して情報格差が是正されてからも長く続いたが 年の地上デジタル放送完全移行により 基本的にデジタル放送では 区域外再放送を中止する方針が出されたことを受け テレビ東京分を除き年月日を以って廃止された 長野県は沖縄県と同様に 公営競技場および投票券場外発売場がつもない県である そのため テレビなどではローカルで レースガイド が放送されることは滅多にない しかし において みんなの うまズキッ の競馬番組はネットしている また隣県の競馬 競輪 競艇場などのローカルが民放各局で流れる 信州人は一般的に自負心が強いが 悪く言えば排他的で 偏屈質を多分に持ち合わせている また真面目で誠実 独創性に富んだ人が多く 理屈好きであるとされる 信州は南北に長く広大であるため 北に行くほど根性があるなど 地域によって気質に差がみられる 誠実で忍耐強いが 社交下手で引っ込み思案が多く 自己顕示欲が少ない また 理屈で相手を屈伏させるようなことも少ない 内向的で 閉鎖性のため心底を見せることはないが 責任感は非常に強い 県下でもっとも理屈っぽく 筋を通すまでは絶対論争をやめない 喜怒哀楽を面に出す熱血漢が多く おおむね社交下手で 人を傷つけることはしない 信州では唯一団結できる気質を持っている 荒っぽくて妥協心が薄く 短気で喧嘩っ早い 感情家で 理屈は筋を通すことを徹底している 排他的で 他人を傷つけることもお構いなしな部分があるが 感受性が強く ものに対する粘りに欠ける 誠実で 人を疑うことを知らず 互いに傷つけ合うこともない 忍耐力が強く 古い伝習をよく守っている おおむね穏健で 進歩的である 対人感情にはムラがあり 一度や二度で信頼感情を示すことは少なく 安易な妥協は許さない また 心の琴線にそぐわないことには まるでそっぽを向いてしまうことが多い 理性的 科学的な面が強く 合理的である また責任感が強い 一度決めたら あえて険しい道でも我が道を行く 人がよく非常に暖かいが 物事を徹底的にやりきるという厳しさに欠ける 県の各地域からは おっとりしている といった印象を持たれている 長野県県民栄誉賞は 年 平成年 に創設された賞で 県表彰規則では 個人又は団体で 広く県民に敬愛され 県の名を高めるとともに 県民に明るい希望を与えることに特に顕著な功績があったもの を対象にしている 山口県 やまぐちけん は 日本の中国地方 本州最西端に位置する県 県庁所在地は山口市 最大の都市は下関市 本州最西端に位置しており 三方を海に囲まれている 山口県土の大半は山陽地方に含まれ 北浦地区 萩市 長門市など が山陰地方の西端に当たるとされる 県庁所在地は県央部の山口市だが 山口県内最大の都市は県西端に位置する下関市である また 県西部 下関市など は福岡県との繋がりが密接であり 県東部 岩国市など は広島県との繋がりが密接である 詳細は後述 令制国の長門国と周防国に相当するので 防長 ぼうちょう という別名を持つ 周防国と長門国は後に毛利氏により統治され 江戸時代には 併せて長州藩と称していたことから 長州 ちょうしゅう と呼ばれる 山口県魚に指定されているふぐは南風泊市場 下関市 が日本一の市場取扱量を占めている 地元や周辺地域では 主に取扱業者やマスコミが 縁起を担いでフグとは呼ばず ふく と呼ぶ ふぐが 不遇 に繋がり ふくが 福 に繋がるためとされている 呼び方を定着させようとしている 下関とふく参照 ふぐの他にも海産物の資源が豊富である 山口県はインテルサットのインド洋経由の欧州向け 太平洋経由の米国向けの両方向への通信が可能な位置にあり 山口衛星通信センターが山口市にある 当センターではインテルサット インマルサットのサービスをしているが その他 スカパーが の地上局 山口ネットワーク管制センター 自治体衛星通信機構の地上局 山口管制局 も立地している 後者については 全国瞬時警報システムなど最重要ミッションを運用している 南側を瀬戸内海 広島湾 伊予灘 周防灘 西側と北側を日本海 響灘 と 三方を海に囲まれ その中央部を中国山地が横断している 中国山地に水源を発する河川として 一級水系の佐波川および小瀬川 二級水系の錦川 椹野川 厚東川 木屋川 阿武川等がある 平野部が小さく 瀬戸内側の一部 主要河川の河口部並びに周南地区 を除けば山に囲まれた谷底平野が多く存在する 外海と内海の両方に面し 中央部に山地が横たわるという地理的条件上 同じ県内でも気候には大きな違いが見られる 気候の特徴的に 瀬戸内海沿岸地域 内陸山間地域 日本海沿岸地域 に大きく分けられるが 年平均気温が 度 年平均降水量が と比較的温暖であり 風水害や地震も比較的少ない ただし 梅雨期は広島県と同様に梅雨前線と暖湿流の影響で大雨となりやすい上 急傾斜地崩壊危険箇所等の数も広島県に次いで全都道府県で位 であり 表層に堆積した真砂土による土砂災害が発生しやすく 近年でも平成年月中国 九州北部豪雨や平成年月日の島根県と山口県の大雨で被害を受けている地域がある このように 同じ県内でも地域ごとの気象傾向に差があることもあり 天気予報を発表する際の一次細分区域は 西部 中部 東部 北部 のつに設定されている 元は 東部 西部 北部 の区分だったが 旧東部から中部が分割された 年 平成年 月日には気象に関する注警報 警報発表区域の細分化 二次細分区域の設定 が行われ 県内が区域 西部 豊田 下関 宇部 中部 山口 防府 周南 北玖珂 東部 北部 長門 萩 美祢 に細分化された 年 平成年 月日には市町村合併を反映する形で二次細分区域が再編され 二次細分区域が区域に再設定されている 長らく県内の有人観測点は山口測候所 下関地方気象台の箇所であったが 山口測候所は年月日を持って廃止され 現在は下関地方気象台のみとなっている なお 下関地方気象台は福岡管区気象台の管轄であり 山口県は気象庁の予報区分では 九州北部地方 山口県含む として九州北部と同一の区域として扱われる 八地方区分では山口県は中国地方に区分されるが 関門海峡 周防灘を挟み近接する九州とともに 九州 山口地方 と称される場合もあり 山口県知事は九州地方知事会と中国地方知事会の両方に参加している 公的機関では 衆議院比例区 中国ブロック 財務省 中国財務局 農林水産省 中国四国農政局 などが山口県を中国地方に区分している 民間では ゆうちょ銀行 中国エリア ドコモ エヌ ティ ティ ドコモ中国 全国高等学校総合体育大会 インターハイ 中国大会 選抜高等学校野球大会 中国 四国ブロック などがある 公的機関では 気象庁 福岡管区気象台 気象区分 九州北部 に山口県を含む 税関 門司税関 水産庁 九州漁業調整事務所 などが山口県を九州地方と共通の区分に含む 民間では 読売新聞 朝日新聞 毎日新聞 日本経済新聞 産経新聞の全国紙各社およびグループ会社が 西部本社 支社 本部 などの地域組織において九州地方とともに山口県を管轄区域としている 公的機関では 以下の部局が山口県域を九州地方側と中国地方側に分割して区分している 民間経済団体である九州経済連合会はかつて 九州 山口経済連合会 と称し 改称後も下関市や宇部市を中心に山口県に本社を置く企業や大学など法人が加盟している 中国経済連合会と重複会員もおり 山口銀行は九州経済連合会と中国経済連合会の両方で副会長を務めている 日本小型船舶検査機構は岩国市 柳井市 田布施町 平生町 上関町 和木町 周防大島町を広島支部が管轄し それら以外の地域を福岡県北九州市 京築地域とともに下関支部が管轄している 地形は 県中央部が山地で沿岸 山あいに小規模な平野や盆地が分散している 海岸線は臨海工業が立地して それぞれの工場地区ごとに労働力を引き寄せた また 幹線交通網である国道号や山陽本線 山陽自動車道も海岸線沿いに走っているため 物流 内陸工業の面でも労働力を引き寄せた このような産業構造と分布をしているため 瀬戸内海側の都市への人口 物流 資本 情報の集中が発生している 県庁所在地である山口市の県内他地域に対する求心力が低いこともあって 同市など県央地域よりも県外の地域との交流が深い自治体もある 県西部の下関市は福岡県北九州市とともに関門都市圏の核都市となっており 宇部市 山陽小野田市 美祢市などが同都市圏に含まれるほか 県東部の岩国市 和木町などは広島県広島市を核都市とする広島都市圏に含まれる 地域圏にはいくつかの区分方法が考えられるが 一例として山口県による がある 下関広域都市圏と長門広域都市圏は 広域都市圏内で合併が進み 圏内市となった 以下に記載する人口は 現在 なお 山口県の総人口は人 基礎自治体は 以下の市 郡 町がある 自治体コード順 山口県では 町はすべて ちょう と読む 村は年 平成年 月日の本郷村の合併に伴って消滅している 廃藩置県の際 県庁が置かれた山口町 現 山口市 の町名がそのまま県名に採用された 山口 という地名は 阿武郡にある 山の入り口 に由来する 国立社会保障 人口問題研究所が年に推計した人口は 年の県人口が万千人 年をとすると になると予測されている となっている 市町村別では 下関市 人 同 山口市 人 同 宇部市 同 周南市 人 同 防府市 人 同 岩国市 人 同 下松市 人 同 山陽小野田市 人 同 光市 人 同 萩市 人 同 柳井市 人 同 長門市 人 同 美祢市 人 同 田布施町 人 同 平生町 人 同 周防大島町 人 同 和木町 人 同 阿武町 人 同 上関町 同 となっている 衆議院の小選挙区が 参議院では 全県で区を構成する 山陽地方に当たる瀬戸内海側は 重化学コンビナートを中心とした工業と 高速道路網などを生かした流通業などが発展しており 瀬戸内工業地域の一角を成す 一方で 山陰地方に当たる日本海側は 農業 漁業などの第一次産業と観光業などのサービス産業が中心である かつては宇部 美祢で鉱業が盛んであり 宇部炭鉱 宇部市 や大嶺炭鉱 美祢市 で無煙炭を中心とした石炭が採掘されていた いずれも現在は閉山しているが 県西部 宇部市 山陽小野田市など の重化学工業地域は元この炭鉱を背景としている 現在美祢地区では石炭に代わって石灰石の採掘が行われており セメントの製造企業が集中している 一方 周南 岩国などの東部では太平洋戦争当時の海軍燃料廠などに由来する石油精製コンビナートを展開 ソーダなど化学系の製品製造を主とする工業地域を形成している 農業生産額の割合では 米が全生産額の で最も多く 野菜が 鶏 鶏卵 ブロイラー が 果実が と成っている 内閣府経済社会総合研究所が行った 平成年度県民経済計算 によると 年度 平成年度 の一人あたりの県民所得は 千円で全国位 県内総生産 生産側 名目 は兆億万円で全国位 また 経済産業省が実施した工業統計調査によると 事業所当たり製造品出荷額は年頃から全国首位が続いており 年 速報値 は億万円 化学 輸送 石油 鉄鋼の業種だけで全体の を占め 大規模事業所が多いことから事業所当たりの出荷額を押し上げていると分析されている 経済圏は県内各地域に分散しており 経済産業省は都市雇用圏の考え方に基づいた経済圏を以下の地域に設定し その産業特性を以下のように分析している 山口県が行った 平成年度市町民経済計算 によると 地域別市町内総生産額は周南地区が 百万円で全県の を占め ついで山口 防府地区 宇部 小野田地区と続く 一方で 地域別市町民所得額は山口市が 百万円で全県の を占め 僅差で周南地区が続く 百万円 就業者人当たり市町内総生産額は第二次産業に特化した和木町が飛び抜けて高く 以下光市 山陽小野田市 周南市 防府市 上関町 下松市 岩国市 山口市 宇部市 美祢市 柳井市 田布施町 下関市 平生町 長門市 萩市 阿武町 周防大島町の順となっている ファイル 宇部興産 宇部地区 宇部市 年に採炭会社として設立 炭鉱閉鎖後 日本では初の一般炭輸入を開始し 同地区に日本最大規模の貯炭場を保有する ファイル 三井化学 岩国大竹工場 岩国市 和木町 年に操業開始 日本で最初の総合石油化学工場 このほか かつての財閥の一つである日産コンツェルンの創業者たち 鮎川義介 久原房之助ら は山口県出身であり 日産コンツェルンの流れをくむ複数の企業の生産拠点が山口県に残っている また 東芝の創業者の一人である藤岡市助も山口県出身である 愛媛県松山市 三津浜港 かつては下関市の彦島荒田港と北九州市小倉北区の日明港を関門海峡フェリーが結んでいた 岩国 柳井 周南 山口 防府 萩 宇部 小野田 長門 下関のつの二次医療圏が設定されている 山口県内における三次救急指定医療機関としては 以下のつがある なお 萩医療圏と長門医療圏の全域では これら機関への自動車での移動が時間を越えるため 医療体制や交通網の整備が課題となっている 読売 朝日 毎日の各新聞は西部本社 読売は福岡市 朝日 毎日は北九州市に立地 日経は西部支社 福岡市に立地 産経は西部本部 福岡市に立地 の管轄となっている 産経新聞は年 平成年 頃から発売を休止していたが 産経新聞社九州 山口本部 現 産経新聞西部本部 発足に伴い年 平成年 月日付より山口県での発行を再開した 印刷は佐賀県鳥栖市の毎日新聞社工場に委託している なお広島県 島根県に境を接する東部のごく一部では大阪本社発行のものと西部本社 支社 本部 発行のものを並行発売する店舗もある 山口県で販売している全国紙は以下の通り 山口県全域を発行エリアとする地方紙は 山口新聞 下関市 日刊 みなと山口合同新聞社発行 がある 中国新聞 広島市 は周南市に防長本社を置き 山口県内でも中国新聞 山口として販売している かつては西日本新聞 福岡市 も県西部地域で販売していたが 年 平成年 月日をもって山口県での販売を停止し 山口市と下関市にあった支局も撤退した 他に長周新聞 下関市 週回刊 長周新聞社発刊 がある 県内特定地域を発行エリアとする主な地方紙は以下の通り デイリースポーツ 大阪 神戸本社管轄の広島支社のエリア を除き 西部本社の販売エリアである なお 日刊スポーツは元は下関市のみなと山口合同新聞社の工場に委託印刷した 西部日刊スポーツ新聞社制作の新聞を発行していたが 西部 大阪 名古屋の地域発行本社を合併した日刊スポーツ新聞西日本が発足した年後の年 平成年 月に防府市以東では 広島県廿日市市の中国新聞社の工場に委託印刷 発行した同大阪本部発行の新聞 山口西部を除く中四国地方向けと同じ に変更された そのこともあって 県内で販売されるスポーツ新聞は福岡ソフトバンクホークスやアビスパ福岡などの福岡県に本拠地を置く話題が多い デイリー 及び日刊の山口東部向けに関しては阪神タイガースあるいは広島東洋カープまたはサンフレッチェ広島などの広島を本拠地とするもの 前述通り産経新聞は発行を再開したもののサンケイスポーツは発売されていない また かつては西日本スポーツも発売されていたが 西日本新聞の山口県撤退と同時に山口県内での発売から撤退した フジとゲンダイは大阪本社版の早刷りのものをごく一部の駅売りスタンドで発売するのみ なお 九州スポーツは東京スポーツ系列の新聞であるが 朝刊で扱われているため夕刊紙ではない 山口県には 系及び系列局が存在しない 同県における両系列局の受信は隣県域局の直接受信またはケーブルテレビによって行われる 系列局による同県の報道取材は主にテレビ西日本 が担当するが 岩国市ではテレビ新広島 が担当し 萩市では山陰中央テレビジョン放送 が担当する場合がある 週刊ガイド ザテレビジョン等のテレビ専門誌では 県東部で 広島 島根 鳥取 山口東版 山口県域局と広島県域局 鳥取県 島根県の番組表を収録 を 県西部で 福岡 佐賀 山口西版 山口県域局と福岡県域局 佐賀県域局の番組表を収録 をそれぞれ発行 発売しており 同じ雑誌でありながら同一県内で種類の冊子を発行 購入ができる カッコ後ろの は から は からの番組配信あり 無印は自社製作中心 ケーブルテレビの普及率が比較的高く 特に県央部および宇部 美祢地域をエリアに持つ山口ケーブルビジョンではエリア内の加入率を 以上と公表している 県域の方言は 山口弁 に区分されるが 地域ごとに大きな差異が見られる 経済産業大臣指定伝統的工芸品は以下の通り サッカーチームはレノファ山口 バレイン下関 宇部ヤーマン等がある かつては永大産業サッカー部が熊毛郡平生町に本拠地を置いていた 野球チームは広島東洋カープ軍が岩国市の広島東洋カープ由宇練習場を本拠地としている また 横浜ベイスターズ 旧大洋ホエールズ は球団発足当時 下関市の下関市営球場に本拠地を置いていた バスケットボールチームは山口ペイトリオッツが シーズンからの 参入を目指して活動している ラグビーチームはながとブルーエンジェルスがあり 太陽生命ウィメンズセブンズシリーズで総合優勝 陸上競技では 全日本実業団ハーフマラソン 山口市 毎年月 下関海響マラソン 下関市 毎年月 防府読売マラソン 防府市 毎年月 等のマラソン大会が開催されているほか 全国持ち回り開催の全国中学校駅伝大会が山口市で開催されたことがある かつてはカネボウ陸上競技部が防府市に本拠地を置いていた 公営競技は 防府競輪場 防府市 徳山競艇場 ボートレース徳山 周南市 下関競艇場 ボートレース下関 下関市 山陽オートレース場 山陽小野田市 がある 山口県の各市町村の年間観光客数は 山口県の統計による年の数値 によれば 県全体で過去最高の 万人が訪れ 市町村別では 下関市が最も多く 万人 次いで山口市の万人 岩国市の万人 萩市の万人 防府市の万人と続く 年連続観光客数が万人を突破し 外国人観光客は 増加し 万人となった 年の外国人観光客数は 人だった 温泉は 湯田温泉 川棚温泉 湯本温泉 俵山温泉など 泉ある そのうち 泉は放射能泉系 泉は単純温泉系 泉は塩化物泉系 残り泉はその他の泉質である 有形文化財建造物としては 萩市の松下村塾 萩反射炉 萩城下町 大板山たたら製鉄遺跡 恵美須ヶ鼻造船所跡が世界遺産に登録 明治日本の産業革命遺産 製鉄 製鋼 造船 石炭産業 の構成資産として 下関市の功山寺仏殿と住吉神社本殿 山口市の瑠璃光寺五重塔が国宝に指定 赤間神宮の水天門と回廊等が重要無形文化財に 萩市の堀内地区 平安古地区 浜崎地区 佐並市地区 柳井市の古市金屋地区が重要伝統的建造物群保存地区として選定されている 山梨県 やまなしけん は 日本の中部地方に位置する県 県庁所在地及び最大の都市は甲府市 令制国の甲斐国に相当する 南に富士山 西に赤石山脈 南アルプス 北に八ヶ岳 東に奥秩父山地など 標高 を超す山に囲まれる 島国の日本において 海に全く面しない数少ない内陸県である 山梨県の面積は全国位であるが その割を山岳地が占めるため可住地面積は全国位である 周辺地域とは 往来が比較的容易で交通路も整備されている東京都 島嶼部を除く 神奈川県津久井地区 長野県中 南信地方 静岡県大井川以東の三方との交流が 古くから盛んである 又 埼玉県秩父地方との境は奥秩父山塊に隔てられているが 年 平成年 の国道号雁坂トンネル開通により 山岳部の踏破だけでなく自動車やバスでの直接往来が可能となった 山梨 の県名は律令制下の甲斐四郡の一つである 山梨郡 に由来し 県名は年 明治年 月の廃藩置県に際して旧甲斐国一国が甲府県を経て 山梨県 に改称された 山梨郡は県庁所在である甲府が属している郡域であるが県名の改称理由は不明で 明治新政府による幕藩時代との断絶が意図されていた可能性が考えられている 山梨郡 は本来は甲斐一国を意味する呼称ではないため 明治時代初期には新県名が浸透せず 政治団体やその機関誌等では県域を指す地域呼称として 峡中 が用いられた 現在では 山梨 が県域全体を指す呼称として定着している 国土地理院の全国都道府県市区町村別面積調によると 山梨県の面積は平方キロメートルである によると 山梨県の東西南北それぞれの端は以下の位置である 加えて および県境未確定地域に仮の境界線を入れて求めた重心も併記する また統計局の によると 人口重心は笛吹市石和町小石和付近にある 山梨県は急峻な地形であり 花崗岩が風化したもろい真砂土の堆積地も多いために 水をどのように治めるかが政治指導者の課題であった 県内各地に信玄堤と呼ばれる治水遺構が多くあるのはこの歴史的特性による 中央高地式気候を呈しているが 山地によって隔てられる地域差も大きいまた 盆地部は夏の暑さが顕著であるが 冬は緯度や標高を考慮すると比較的温暖で朝晩の冷え込みが厳しいものの晴天が多いために日中の気温は上がりやすい これは 周囲の標高の高い山脈によって北や西からの寒気を遮ることが多くなるためであり 関東平野と同じく寒気の流入が遅れやすい 特に 年間を通して最高気温が高くなる傾向にあり 南部町では月を除いてすべて夏日 度以上 の記録がある 冬の季節風 八ヶ岳おろし が強いが 降雪は豪雪地帯の南アルプス市 旧芦安村 と早川町を除いてわずか また 夏は標高の割に最低気温が高くなり 月の最低気温の月平年値は熊谷や東京など標高の低い平野部とほぼ変わらなくなる 年降水量が少なく日照時間が長いが 台風の通過経路でもあり しばしば集中豪雨に見まわれる その為 沼地の多い中巨摩地域では 舟を所有していた家も多かった 山麓地域では盆地部より気温が冷涼かつ日の気温差が大きく 降水量も多い このため 盆地周縁では冷涼な気候に向いた葡萄の栽培が盛んである 植物相は盆地部で落葉広葉樹林 山岳部では亜高山 高山帯の植生 また 富士川下流域の河内地方は温暖多雨であり太平洋側気候にかなり近く 潜在自然植生で常緑広葉樹林 富士山の山頂は最暖月平均気温が でケッペンの気候区分ではツンドラ気候となっている また 清里のある八ヶ岳山麓 青木ヶ原樹海や富士五湖周辺の富士山北麓などの標高 を超える高原地域は亜寒帯湿潤気候 に属し 冬の寒さは非常に厳しく厳寒期には 度を下回るが 夏は冷涼で避暑地となるなど北海道に似た気候である 日本全体の地理上では 箱根峠より西の内陸に位置する為 東日本に分類される 県全体が中央高地の東寄りにあるため 地理的には 明治以来の日本を八つの地方に分ける全国八地方区分では中部地方に位置付けられる 一方で行政や経済 県民生活などでは関東地方ないし広域関東圏の一部という面が強い 中部圏知事会のメンバーではなく 関東地方知事会に参加しており 首都圏整備法の対象地域でもある 政府機関でも以下のように 山梨県はおおむね関東の出先機関管轄とされている また 衆議院比例代表ブロックでは神奈川県 千葉県とともに南関東ブロックとされている他 防衛分野においては神奈川県 静岡県とともに南関東防衛局の管轄とされるなど 神奈川県等と共に南関東として扱われることも多い 司法分野では 東京高等検察庁が甲府地方検察庁を所管しているほか 甲府地方裁判所の上位裁判所は東京高等裁判所である 文化 スポーツ面では 国民体育大会で山梨県が関東ブロックに属しているほか 学生陸上競技の地方大会である箱根駅伝に山梨県所在の大学が参加するなど 関東地方の一部として扱われる例が多い 公益企業を含む民間ビジネスなどの分野でも 県内を通る線のうち中央本線が東日本旅客鉄道 東日本 の八王子支社の管轄であったり 神奈川県と共に日本郵便南関東支社の管轄であったりするなど 関東地域の営業部署の管轄エリアであることが多い 山梨県は 同じように中部地方東側で 関東圏と関りが深い他県とまとめた地方として扱われることがある 山梨県と静岡県 東側が旧駿河国 を併称する場合は山静 さんせい やましず や甲駿 こうすん と言う 長野県 旧信濃国 とまとめて甲信地方という呼び方もある これに新潟県 旧越後国 を加えると甲信越地方 東海地方を加えると東海甲信地方となる 東京都 神奈川県 埼玉県 静岡県 長野県 山梨県南都留郡山中湖村と静岡県駿東郡小山町の籠坂峠付近と山梨県南都留郡鳴沢村及び富士吉田市と静岡県富士宮市及び駿東郡小山町の富士山山頂付近 県境 にはヶ所未定区間がある 御殿場市は 小山町の間に境界未定部分が有るため 富士吉田市及び鳴沢村と接する可能性もある 自治体は 以下の市郡町村がある 町の読み方は富士河口湖町だけが まち で 他は全て ちょう 村は全て むら である 県域は 中西部の甲府盆地を中心とする国中 くになか と 東部の相模川と多摩川の上流域および富士山北麓からなる郡内 ぐんない に大別される 両者は方言 郡内は関東地方との結び付きが国中よりも高いため 西関東方言に分類 など 自然や文化においても大きく異なっている 国中地方はさらに 甲斐を意味する 峡 きょう の後に方角を示す語をつけて 峡中 峡北 峡東 峡南 峡西 に分けられる 国中 郡内 は 戦国時代以来の呼称 中西部 東部富士五湖 は気象情報で用いられている 郡名は古来用いられてきたもの 峡 は 県の出先機関である地域振興局の区分となっている この四つの他 東部 富士北麓地域振興局がある 国中地方は東海地方の文化圏であるのに対し 郡内地方は関東地方の文化圏となっている 方言も国中弁と郡内弁で異なる 甲府盆地では釜無川 笛吹川の氾濫原が広がっている 郡内地方では富士山の火山活動による影響も受け 定住が困難な時代が続いていた 旧石器時代の遺跡は長野県との八ヶ岳山麓や静岡県の愛鷹山 箱根山など隣接する文化圏に属する地域や桂川流域を中心に分布する 最古の一杯窪遺跡 都留市 や立石遺跡 甲府市 をはじめ 八ヶ岳山麓の丘の公園内遺跡群 北杜市 や神津島産の黒曜石が出土した横針前久保遺跡 北杜市 長野県産の黒曜石が発見された天神堂遺跡などが代表的で 周辺地域に比べ密度は低いものの 周辺地域との人的移動を示す資料が発掘されている 縄文時代草創期から前期には引き続き湧水が利用できる山麓部や富士北麓などに遺跡が分布し 後期旧石器時代から縄文草創期への移行期にあたる神取遺跡 北杜市 や関東文化圏の影響が見られる池之元遺跡 富士吉田市 が出現する 中期には盆地にも進出し 大規模な集落遺跡である釈迦堂遺跡群 笛吹市 甲州市 や重要文化財に指定されている精巧な土器の出土した一の沢遺跡 豊富な生活遺物が出土している花鳥山遺跡などが出現し 縄文農耕論にも一石を投じた有孔鍔付土器など考古学史上注目されている遺物も出土している また 盆地西部の西郡地域は釜無川の氾濫原であり考古遺跡は乏しいが 近年では精巧な土器や土偶が出土した鋳物師屋遺跡が発掘され 注目されている 後晩期には地球的な寒冷化の影響を受けて遺跡数が減少するものの 石組や配石遺構など祭祀施設であると考えられている八ヶ岳南麓の金生遺跡 北杜市 や牛石遺跡 都留市 などが出現する また 郡内地方の桂川流域では関東地方との交流が見られる遺物が出土している 弥生時代には身洗沢遺跡や金の尾遺跡などの集落遺跡があり 宮の前遺跡 韮崎市 では水田が確認されている 盆地南西部の曽根丘陵では東海地方経由で弥生文化が流入し 方形周溝墓が見られる上の平遺跡など古墳時代に至る遺跡がある 古墳時代の世紀後半には畿内で確立したヤマト王権と政治的接触を持っていたと考えられている 曽根丘陵では世紀前半の前方後方墳である小平沢古墳をはじめ 世紀後半には最大規模の甲斐銚子塚古墳や岡銚子塚古墳などの有力首長クラスの前方後円墳が出現し 三角縁神獣鏡などの副葬品も出土している 世紀には中道勢力が衰退し 古墳の造営は盆地各地へ拡散する 国造本紀 などによると景行天皇の時代に狭穂彦王の四世孫の塩海足尼が甲斐国造に任命されたと伝わる 古代には律令制下において甲斐国が成立する 日本後紀 延暦年条によれば甲斐東部の都留郡の帰属をめぐって隣接する相模国との間で争論があったという 甲斐国は五畿七道では東海道に属し 山梨 八代 巨摩 都留の甲斐四郡が成立 郡郷は 和名類聚抄 に郷が記載されている 山梨 八代両郡は古代甲斐国の政治的中心地で 国府は山梨郡笛吹市春日居町に前期国府が存在し 八代郡の笛吹市御坂町に移転されたと考えられている 官道は東海道横走宿から分岐して都留郡を経て 甲府盆地に入り甲斐国府に至る甲斐路が存在していた 四郡のうち甲斐西部の巨摩郡は渡来人の入植により成立した郡であると考えられている 一方 古事記 日本書紀 記紀 に記される日本神話においてはヤマトタケル 倭建命 日本武尊 の東征において足柄山から甲斐へ入り 酒折宮 甲府市酒折 において老人と歌を交わす説話が残されている 記紀に載る日本神話には両書が成立した奈良時代の歴史認識が反映されているものと考えられているが 考古学的にも甲斐においては古墳後期の世紀後半代から畿内の影響下にあったとみられ 酒折宮伝承にもヤマト王権と甲斐の在地豪族との関係が反映されているものと考えられている 足柄山から甲斐国へ至ったヤマトタケルの遠征ルートは古代の交通体系を明らかにする上でも注目されている また 続日本紀 においては甲斐国司の田辺史広足が黒毛の駿馬を朝廷に献上したという 甲斐の黒駒 に関する説話が記されている 延喜式 によれば東国では甲斐をはじめ信濃 上野 武蔵の四国に御牧が設置され馬産が行われていたことが記されている 駿河国正税帳や長屋王家木簡などの出土文字資料からも朝廷への貢馬が確認されている 延喜式 によれば甲斐には穂坂牧 真衣野牧柏前牧の三御牧が設置されていたという 平安時代には市河荘や八代荘などの荘園が成立し 国府所在地である甲府盆地東部では在庁官人である三枝氏が八代荘を勢力基盤とした 長寛勘文 によれば応保年 年 には三枝氏に打撃を与えた八代荘停廃事件が発生している 平安時代後期には常陸国から源義清 源清光が市河荘に配流された 義清 清光の子孫は甲府盆地の各地へ土着し 後に甲斐源氏となる 平安時代後期の治承年 年 以仁王の令旨が諸国の源氏に下されると甲斐源氏の一族も平氏政権に対して挙兵する 甲斐源氏の一族は伊豆国の源頼朝の挙兵と協調し 富士川の戦いなど治承 寿永の乱において活躍する 乱後 甲斐源氏の棟梁となった武田氏は甲斐国の守護となるが 甲斐源氏の一族は源頼朝の粛清を受け 衰退する 武田氏は中世には必ずしも甲斐守護を歴任していない 鎌倉幕府滅亡後に北条時行ら北条氏の残党が起こした中先代の乱までは北条方に属し 南北朝時代には建武政権から離反した足利尊氏に従った 室町時代には 室町幕府と鎌倉府の対立や 鎌倉府における鎌倉公方と関東管領の対立など関東地方の騒乱の影響を受ける 応永年 年 鎌倉公方の足利持氏に対し 前関東管領の上杉禅秀が挙兵した上杉禅秀の乱では 甲斐守護 武田信満が禅秀方に加担し 滅亡する これにより甲斐は守護不在状態となり 足利持氏は甲斐国人の逸見有直を支持して室町幕府に対抗した 一方 室町幕府は武田信元 続いて武田信重を甲斐守護に任じ 守護代として跡部氏を派遣した 以後 甲斐では守護武田氏と有力国人や跡部氏との抗争が続く 守護 武田信昌は寛正年 年 には跡部氏を排斥する 信昌は嫡男の信縄に家督を譲り いったん隠居した 後に次男の油川信恵に家督を譲る意向を示し 信縄と信恵間の内訌が生じる 信縄の子 武田信虎は永正年 年 に信恵方を滅ぼし 国中地方の有力国人や都留郡 郡内地方 の国衆 小山田氏など従属させる さらに信虎は駿河国の今川氏や信濃諏訪氏 扇谷上杉家 山内上杉家と同盟を結び 相模の後北条氏と敵対しつつ 信濃侵攻を開始した 佐久攻め を参照 また 信虎は従来の川田館 甲府市川田町 から甲府の躑躅ヶ崎館 甲府市古府中町 に守護館を移転し 新たに城下町を整備し家臣団を集住させる 都留郡では小山田氏が武田氏に臣従しつつも 中津森館 後に谷村館を本拠とした独自の領域支配を行った 河内領では穴山氏が同様に武田家臣となりつつ 下山館を本拠とした領域支配を行った 信虎の子 武田晴信 信玄 は天文年 年 に信虎を駿河へ追放することで家督を継承する 晴信は信虎の外交方針を転換し 信濃諏訪氏を滅ぼして諏訪郡を領国化する さらに相模国の後北条氏と和睦を結ぶと 今川 北条間の河東の乱を調停し 三者の間で甲相駿三国同盟を成立させる 一方 信濃侵攻により山内上杉氏とは敵対する関係となり 信濃村上氏ら信濃国衆や越後国の長尾景虎 上杉謙信 と川中島の戦いを繰り広げる 信濃をほぼ統一した後は西上野や今川領国への侵攻を行い 三河北部や遠江東部 北部 美濃恵那郡も出兵して 織田信長や徳川家康と対抗した また 信玄期に確立した大名権力により独自の領国支配が展開された 年貢収入を調査する検地の実施や棟別諸役の整備や信玄堤の築造するなど治水政策が百姓への農業政策となった 躑躅ヶ崎館を中心とする甲府の城下町の整備が行われて 黒川金山や湯之奥金山など近世まで稼働した甲州金山の開発など商業活性化する領国経営事業が行われている 信玄死去により家督を継いだ武田勝頼は長篠の戦いに敗れて領国の動揺を招き 天正年 年 月 織田信長 徳川家康連合軍による甲州征伐で戦国大名としての武田氏は滅亡した また 勝頼から離反した郡内領主の小山田信茂は織田氏に出仕するが処刑され 郡内領主としての小山田氏も滅亡する 武田氏滅亡後 甲斐一国と信濃諏訪郡は織田家臣の河尻秀隆が支配するが 同年月の本能寺の変により発生した一揆で秀隆は横死 武田遺領を巡る天正壬午の乱では徳川家康と相模国の北条氏直が甲斐へ侵攻して八ヶ岳南麓 七里岩地域において対峙するも 同年月の徳川 北条同盟の成立により後北条氏は撤兵 甲斐は徳川氏が領した その後 家康は豊臣秀吉に帰服 後北条氏滅亡後の天正年 年 に関東へ移封され 甲斐国には浅野長政ら豊臣大名が入った 豊臣政権下で甲斐は東国の家康に対する拠点として重視され 新たに甲府城が築城されて新城下町が整備され 甲斐国内の検地も行われた 慶長年 年 の関ヶ原の戦い後には 勝利した徳川家康が主導して大名の全国的な再配置が行われた 甲斐では浅野氏が和歌山へ移封され 再び徳川氏による直轄支配が行われた 甲斐国は関東防衛の要所として重視され 江戸時代初期 国中には将軍直系 甲府藩 郡内には譜代大名 谷村藩 が配置された 甲府藩には甲府徳川家が入封し 藩政機構が整えられた 宝永元年 年 に綱豊 徳川家宣 が将軍後継になると 川越藩主柳沢吉保が受封し 吉保の子吉里は甲府藩主で初めて国元へ入っている ほか 甲斐には旗本領も存在していた 享保の改革においては江戸幕府直轄領の整備が行われ 享保年 年 に吉里が大和郡山藩に転封されると甲斐は幕府直轄領化され 谷村藩も秋元氏の転封後は直轄領化された 甲府町方は甲府勤番 在方は甲府代官所をはじめとする三分代官による支配となり 郡内は石和代官所の出張陣屋である谷村代官所が設置された 延享年 年 には御三卿の賄領がおかれ うち田安家領のみは幕末まで存続した 近世甲斐は甲府城下町 谷村城下町の城下町のほか在郷町や身延山久遠寺の門前町や富士北麓の吉田 川口の御師町など都市や町場が発達 甲州街道や駿州往還 佐久往還 青梅往還をはじめとする諸街道が整備された 江戸初期には角倉了以による富士川の開削工事が行われて富士川舟運や中馬による陸上輸送が発展し 江戸後期には甲斐 信濃の年貢米の廻米輸送が行われた 近世には領主権力の確立により治水や用水路の開削が行われ 釜無川 御勅使川の治水や徳島堰の開削 郡内での谷村大堰や新倉掘抜の開削などが行われ 甲府城下でも甲府上水が整備される 治水の進捗に伴い在方では新田開発が進み 養蚕や織物など産業が発達した 甲府盆地では一般に米麦栽培に商品作物の栽培 農閑期の行商や大工などの農間余業を組み合わせた生業形態が一般的であった 山地が多い甲斐の山村では 林業や狩猟 製炭や漆採取 鉱山経営などの山の生業が発達し 特に郡内では平坦地が少ないため織物の生産や街道沿いでの駄賃稼ぎの占める割合が高い こうした生業的特徴から甲斐では水利を巡る水論や山の用益を巡る山論が多発している また 甲斐では金納税制である大小切税法や甲州金 甲州枡の甲州三方が独自の国制として存在し 領主側の廃止や改正に対して領民は存置を求め抵抗している また 領主側との衝突や災害 凶作などに伴う百姓一揆も発生し 米倉騒動や太枡騒動 江戸後期には郡内に発する百姓一揆から無宿 悪党を巻き込み一国規模の騒動となった天保騒動など大規模な百姓一揆も発生した 文化面では甲府城下町の発達により遊芸文化が興隆し 甲府藩時代には大名文化 江戸後期には町人文化が発達する 甲府勤番 勤番士は学問的関心を持ち 甲斐国の総合地誌である 甲斐国志 の編纂や勤番士による 裏見寒話 など地誌の編纂が行われ 勤番士の学問所である徽典館も開かれた 甲府では町人亀屋与兵衛が芝居小屋である亀屋座を開業し 歌舞伎や相撲 人形浄瑠璃などの諸芸興行を行い 年 天保年 には甲府町人が江戸の人気浮世絵師である歌川広重を招き 城下の大通りを広重ら人気浮世絵師の幕絵で飾る甲府道祖神祭礼を創始した ほか 俳諧や和算なども発達する また 武田信玄は近世から甲斐領民の尊崇を集め 武田氏館跡や墓所 武田氏に関係する寺社などが古跡として成立した 近世には軍学書である 甲陽軍鑑 が成立し 関係書を含めて武家 庶民の間でも広く読まれ影響力を及ぼし 武田家に関する文学や浮世絵なども製作された 江戸後期は東国に特徴的な農村の荒廃から無宿 博徒が増加し 竹居安五郎や黒駒勝蔵など甲州博徒が台頭した 幕末の開国 慶応年 明治元年 年 月 甲府城へ入った新政府の板垣退助率いる甲州街道軍と 近藤勇率いる旧幕府軍の甲陽鎮撫隊 新選組 が勝沼 甲州市の一部 大善寺で激突した 甲州勝沼の戦い 旧幕府軍は駆逐され 甲州鎮撫府が設置された 同年月日 旧暦月日 甲斐国内に府中県 県庁所在地は山梨郡甲府 市川県 石和県が設置され 月日 旧暦月日 にこれら県を統合して甲斐府が設置された 明治年 年 月日 旧暦月日 府 の呼称が京都府 東京府 大阪府に限定されたことから 甲斐府は甲府県と改称した 明治年 年 月に田安領を併合し 明治年 年 月日 旧暦月日 の廃藩置県後も甲府県は存続したが 同年月末 旧暦 に始まる第次府県統合により 旧韮山代官所を引き継いだ韮山県の甲斐国内管轄区域などを統合して 月日 旧暦月日 に甲斐国全域を管轄区域とする山梨県が発足した 県庁所在地は引き続き山梨郡甲府 初代県令には土肥実匡が任ぜられた 年 明治年 に着任した藤村紫朗の殖産興業政策により 製糸業の勧業や道路 金融機関の整備が行われた 特に青梅街道の改築など道路整備を推し進めたことから 藤村は 道路県令 とも呼ばれている また 明治時代には 年 年 年 年と大水害に見舞われ 大きな被害を受けた これには 地形的理由だけでなく 林野の強権的官有化による里山の荒廃や急激な開発という人為的理由も一因した 年の地租改正後 林野の官民有区分が行なわれ 県下の入会林野の 以上が年に官有とされ 年には皇室財産となった これにより地元民は草木採取に際し面倒な手続きを強いられることとなり 盗伐や山火事が頻発して里山の荒廃に繋がった さらに 明治期日本の主要産品である絹織物生産のために蚕の餌となる桑畑の開墾や 薪炭材調達を目的として山林が徹底的に伐採された こうしたことが大災害に繋がったとして 年に御料林は県に無償返還されて恩賜県有林となり 入会権などは官有前に戻された 終戦後 年 昭和年 月にはアメリカ陸軍第軍の部隊が甲府へ進駐 年末には戦闘部隊は引き上げ 少数の山梨県軍政部が県庁周辺の洋風建築を接収して県内の監視を行う 県内人口は復員兵や疎開者の帰還で増加し 戦時期の山林荒廃から災害被害もあり食糧事情は悪化 当局により 新潟 県からの移入米の配給や米軍の食糧放出など対策を講じるが食糧難はしばらく続き ヤミ米が流通した 連合国軍最高司令官総司令部 による改革を受け 県内でも政党活動や新聞の発行などが再開される 年 昭和年 には内務省官僚による地方支配に代わり公選知事が導入され 年 昭和年 の第一回県知事選では保守派合同の推薦で吉江勝保が当選し 初代公選知事となる 吉江は年 昭和年 月に食料増産や山林復旧など大政策を掲げたものの 財政難などの制約もあり産業基盤の復興もままならず 社会福祉制度も構想のみに留まった 田辺県政は日本経済の好景気化も受け期目を目指したが 中央政界で前天野知事を支持した自民党政治家金丸信が影響力を強めると県議会においても金丸派が最大派閥となり これに社会党県連が選阻止のため提携し 副知事の望月幸明を擁立 年 昭和年 の県知事選では田辺知事を破り 望月が当選した 望月県政は金丸信の後見を受けて県議会でのオール与党体制を確立し 北富士演習場問題の小康やバブル景気の後押しを受け 年 昭和年 のかいじ国体の開催や県有林の高度活用 リゾート施設の造成 リニア実験線の誘致などを勧めた バブル景気が崩壊すると県内の景気も一気に低下 甲府中心地の地価が年連続下落し また清里などのリゾート地も衰退する 一方で郊外のベッドタウンではイトーヨーカドーやアピタといったショッピングセンターが次と開業し 甲府西武やダイエー湯村が撤退して停滞する甲府中心街に対して発展を遂げている 望月知事が選を断念し 年 平成年 に望月県政を批判して金丸派候補を破り当選した天野建知事 父は上記の天野久 は財政難の中公共工事の見直しを行いつつ環境行政を重視する 幸住県やまなし 事業を実施 山梨県立博物館の建設推進や排水路整備の推進をおこない 年 平成年 には長年県民を苦しめてきた日本住血吸虫 地方病 の終息宣言を行う 天野知事の後 年 平成年 からは前甲府市長山本栄彦が知事に就任 バブル崩壊後手付かずだった甲府駅北口の整備や中部横断自動車道の増穂以南の着工を推進 しかし県政の混乱が発生し 年 平成年 の選挙で横内正明に敗れ 山本県政は期で終焉した 横内県政では 甲府市中心部の再開発や トップセールス として山梨県の特産物の海外展開を行なう この間 世界金融危機や東日本大震災が発生し 特に山梨の景況感は冷え込み全国最下位が続いていた 期続いた横内から年 平成年 に県政を引き継いだ後藤斎は人口減対策などの政策を打ち出したが 政策の修正や見直しを迫られるなどし 年 平成年 の選挙で長崎幸太郎に敗れている 平成末期の年 平成年 基準での都道府県別ランキングでは健康寿命が全国位 男性位 女性位 であるほか 東洋経済 による幸福度ランキングでも上位につけている しかし法人 ふるさと回帰支援センター による移住希望地ランキングでは総合位で代以上が全国位 代から代は全国位と高い評価の一方で代は位外となっており ダイヤモンド社による 地元愛が強い都道府県ランキング では最下位となるなど 高齢者の評価が高いのに対し若者や県外へ転出した者の評価が低い傾向にある 山梨県内 市別人口ランキング 衆議院の小選挙区は年の区割り改正で からに減少 参議院では 全県で区を構成 山梨県は中央高地式気候のため寒暖の差が大きく 農業に適した地域は甲府盆地を中心に水捌けの良い平坦地である 江戸時代には治水 用水路開発のにより新田開発が行われ農業生産力は向上したが 養蚕や果樹などの商品作物栽培を複合させた形態の農業を発達していた 養蚕は明治初期の殖産興業において特に力を入れられ日本有数の養蚕県であったが 化学繊維の台頭などにより昭和年代をピークに養蚕の減少と 果樹栽培の増加に転じている 桑畑から果樹園への転換による景観的変化や 年中行事など生活 文化面の変化をもたらしている 戦後の高度経済成長期において日本経済は農業の比重を低下させているが 工業の立ち後れていた山梨経済においても農業の役割は低下し 農家数や耕地面積は減少している 一方で経済成長により生じた国民生活の変化に対応して農業の形態を変化させており 国民の食生活が変化したことにより葡萄や桃 サクランボなどの果樹栽培の需要が高まった 山梨県産葡萄から醸造する 甲州ワイン は 近代国産ワインの先駆けである 年月日には山梨 ワイン県 宣言を行った また 首都圏や中京圏から近い地理的条件を活かして観光農園として観光客を集めているところも多い また ミネラルウォーターの生産量は万キロリットル 年 平成年 であり 日本の総生産量の を占める 山がちな地形であることから帯水層の露出が多く 都市化が進んでいないため清澄な湧水が多く採取できる上 主要な消費地の東京圏に近く輸送コストが小さいため 大手メーカーの多くが採取地に山梨県を選んでいる 主な産地は南アルプス山麓と富士山および三ツ峠山麓である 江戸時代後期から近代 昭和戦後期まで養蚕 製糸業が盛んであったが 戦後は斜陽化し 現在は衰退している また海や大河がなく大量の水を使うことが難しく また戦後しばらくまでは交通機関が未整備であったため鉄鋼 金属などの重工業が発展しにくい土地である その一方で四方を山地に囲まれ水質が良好であることから 戦後の中央自動車道の全線開通以降 長野県の諏訪地域とともに精密機械産業が発達している その他には石英 水晶 の採掘地であったことから 研磨宝飾を中心とした宝石加工産業が発達している 年時点でも 宝飾品や貴金属の加工 流通に携わる企業が社近くある 甲府盆地および富士山麓地域を中心にほぼ全地域に工業団地が点在しているが 可住地面積の少なさが災いしてか大規模な工業団地が形成しにくい そのため近年では県外の工業団地に移転する企業が相次いでいる 富士川など高低差のある河川を利用して戦前より水力発電所が建てられ 戦後は山梨県を管轄する東京電力だけでなく山梨県企業局による水力発電所も建てられた 企業局で発電された電気は東京電力ホールディングスに売却され これが山梨県の財政の助けになっている また 日照時間の長さを利用した太陽光発電も建てられ 米倉山太陽光発電所ややまなしメガソーラーなどクラスの発電所が稼働している 山梨にある発電所は水力と太陽光が大半を占めており 火力発電所や原子力発電所は皆無である 甲府は近世の甲府城下町が商業的拠点として発達し 明治後に中央本線が開通すると甲府駅が開業し 山梨県庁舎をはじめ岡島百貨店や甲府松菱 後の山交百貨店となるも年閉店 などが駅前に軒を連ね 戦後復興期までは甲府駅を中心に発展していった しかし高度経済成長を迎えると県内でもモータリゼーションが進行し 並行して公共交通機関が衰退した 旧城下町である甲府は道幅が狭く 渋滞が顕著になった甲府駅前を避ける傾向が強まった 代わりに高速道路やバイパス道路が整備された郊外に大型商業施設が次と進出したため 年代よりドーナツ化現象が進行している また中央本線の高速化や高速バスの発展により県外へのストロー効果が起こり 山梨県の商業そのものに影響を与えている 総務省が発表した 経済センサス 基礎調査 によると百貨店 総合スーパーの人口万人当たり店舗数は 軒と 全国ワーストとなっている 外食産業の店舗数が多いことが特徴で 人口当たりで寿司屋 ガスト バーミヤン モスバーガーの店舗数は全国位である 特に海が隣接していないのにもかかわらず寿司屋が多く 甲府市の中心部ではあたり 店舗が並ぶところがある 山梨に寿司屋が多い理由として昔からの 海に対するあこがれ や 元祝いの席で必ず食べるものがなく その代わりとして寿司が祝いの席の食べ物として出されるようになったことなどが挙げられている また 富士川町の鰍沢河岸跡からは明治期のマグロをはじめとする大型魚骨が出土しており 江戸時代から富士山麓の駿州往還や中道往還を利用した駿河方面からの海産物移入が行われていたと考えられている 温泉 宿泊施設として古くから湯村温泉や下部温泉があり 戦後は石和温泉が沸出するなど旅館系施設が発展したが バブル崩壊後はこれらの温泉街は衰退している 代わりに世紀になると甲府中心部に県外資本のホテルが進出し 年代になるとインバウンド消費の増大と富士山周辺の世界遺産登録により富士五湖周辺の宿泊施設が増えている 山梨県内に空港は存在せず 隣接都県で旅客扱いを行う空港としては 信州まつもと空港 長野県 や羽田空港 東京都 富士山静岡空港 静岡県 がある 羽田空港や成田空港 千葉県 へは甲府駅および富士山駅 河口湖駅から 富士山静岡空港へは河口湖駅から空港連絡バスが運行しており 直接空港へ向かう公共交通機関が存在する 一方で信州まつもと空港へ直接アクセスできる交通機関はなく 松本駅で乗り継ぐ必要がある なお 富士山静岡空港については中部横断自動車道の進捗次第で甲府駅からも空港連絡バスを運行する計画がある 小海線を除いて 電化されている 国道 戦前には 山梨日日新聞 以下は山日と表記 山梨毎日新聞 はじめ紙が発行されていたが 第二次世界大戦中の新聞統制によって県内の諸紙は山日に統合される 戦後には数紙が創刊され 昭和年代まで富士急行が大株主である 山梨時事新報 山時 が山日と部数を競った 年 昭和年 に富士急行が所有株式を売却すると山時は山日に吸収され 現在は 全国紙を除いて日刊紙は山日のみの状態となっている 全国紙は東京版が販売されており 県内ニュースを載せるページ 地方版 県版 を設けている新聞が多い のテレビ放送は年 昭和年 に開始された 地理的条件のため 当初は受信契約数は少なく 甲府放送局が年 昭和年 に中継送信所を設置して以降から普及した 民間放送ではラジオ山梨が年 昭和年 月に送信所を設置してテレビ局を開設し 山梨放送 系列 が開局 年 昭和年 に 極超短波放送 電波が割り当てられると 免許申請は一本化されて 山梨中央テレビ として取得し 翌年 昭和年 月には株式会社テレビ山梨 系列 が発足 山梨県は首都圏に属してながら との局しか民間放送がない状態が長く続いている そのため 福井県 徳島県 佐賀県 宮崎県と並んで ビデオリサーチによる視聴率調査が行われていない都道府県のつとなっている ケーブルテレビに加入して 系列のと系列のに加えて テレビ朝日 テレビ東京 フジテレビの番組を視聴する世帯が多い 年時点で約 世帯 山梨県の有料ケーブルテレビ 自主放送 の世帯普及率は 年 平成年 月時点で と 全国第位である 共同アンテナ受信なども含めると を数える ただし山梨県のケーブルテレビ局は 他の都道府県と用途が異なり 不足するテレ朝系 テレ東系 フジテレビ系の補完放送が第一であるため 標準契約で視聴できる放送は地上波のみである 地上波の構成は 甲府 地元民放局と テレビ朝日 テレビ東京 フジテレビ 独立局が基本である かつてはアナログ放送も視聴できた や放送は 別途オプション契約となる 山梨県と米国アイオワ州は 年 昭和年 の台風号と伊勢湾台風のつの台風による災害に対して アイオワ州から見舞いとして農畜産物を贈られたことから姉妹締結した ここでは 物語の主要舞台が山梨県 核心部分の舞台が山梨県 主要舞台が山梨県を参考にしている 作品のみを記載する その他 東京に比較的近く交通至便のため 上記の作品以外においても 特に低予算のピンク映画やオリジナルビデオなどで ロケ地として用いられる事が多い 映画同様東京に比較的近いという理由からロケ地撮影されるドラマが多い まんが日本昔ばなし にて山梨県が題材となった話 山梨県名誉県民の称号は 年 平成年 月日に制定された山梨県名誉県民条例 平成年月日山梨県条例第号 に基づき 社会の発展に卓絶した功績があり 県民が誇りとしてひとしく敬愛する者 へ贈られる 条例第条 対象者は 社会福祉の向上 文化の振興その他の社会の発展に広く貢献した者で 県内に居住し 又は居住していたもの であり 山梨県知事が山梨県議会の同意を得て選定することが定められている 条例第条 名誉県民に選定された者には 山梨県名誉県民称号記及び山梨県名誉県民章が贈呈される 条例第条 山梨県出身者でノーベル生理学 医学賞を受賞した大村智を顕彰するために急遽制度が創設されたものである 山梨県県民栄誉賞は 年 昭和年 月日に制定された山梨県県民栄誉賞表彰規則 昭和年月日山梨県規則第号 に基づき 広く県民に敬愛され 社会に明るい希望を与え 山梨県の名を高めたもの へ 山梨県知事から贈られる 規則第条 第条 ウェブブラウザ インターネットブラウザ とは パソコンやスマートフォン等を利用してサーバに接続するためのソフトウェアであり ウェブページを表示したり ハイパーリンクをたどったりするなどの機能がある 単にブラウザ ブラウザー とも呼ばれる 主なウェブブラウザとして などのサポートが終了している可能性がある 等がある 大まかに言うと ウェブブラウザにはつの機能がある 取得した は ウェブブラウザのレイアウトエンジンに渡され マークアップからインタラクティブな文書に変換される アプリケーションや アプレットに対応するプラグインが用意されている場合は それらを表示 実行することができる 未対応の種類のファイルに遭遇した場合は ダウンロードして保存するか 他のプログラムを起動して開こうとする には 他のコンテンツへのハイパーリンクを記載することができる リンクには が含まれており リンクをクリックすると ウェブブラウザはその で示されるコンテンツを取得する 例えば ブラウザのロケーションバーに と入力したとする のプレフィックスであるスキームによって をどう解釈するかは決まっている 古典的な は定義名 で始まり を使用してサーバに接続する 多くのウェブブラウザは様な定義名に対応しており 用の 用の 内部ファイル用の などがある ウェブブラウザが直接扱えない定義名は 他のアプリケーションにそのまま渡されることが多い 例えば で始まる は既定の電子メールクライアントに渡され で始まる は既定のニュースグループリーダに渡される ウェブブラウザの機能は 最小限の文字を用いた から 多様なファイル形式やプロトコルに対応する高機能なものまで幅広い 電子メール ネットニュース 等に対応するコンポーネントを含むウェブブラウザは インターネットスイート と呼ばれることもある 主要なウェブブラウザは同時に複数の情報リソースを扱うことができ 別窓で表示したり タブを使って同じウィンドウ内に表示したりする タブブラウザ また 表示したくないポップアップ広告を自動的にブロックする機能もある ユーザがブックマークしたウェブページの一覧を表示する機能があり 素早くそれらのウェブページに戻ることができる ブックマークは では お気に入り と呼ぶ さらに フィードリーダが組み込まれているウェブブラウザも多い ではフィードは という形式で扱われ フィードにおける最近の項目と対応するブックマークのフォルダのように機能する ではフィードの内容を格納し表示する従来型のフィードリーダを採用している 多くの主要ウェブブラウザの には 以下のような共通の要素がある 主要なウェブブラウザはウェブページ内のインクリメンタル検索機能も持っている 多くのタブブラウザには以下のような共通の要素がある 初期のウェブブラウザが対応していた は非常に単純なものだった ウェブブラウザの発展により の標準でない方言が生まれ 互換性問題が大きくなっていった 最近のウェブブラウザは標準および事実上標準の と それらに高度な表現や機能を付加する などに対応している 表示したときの見た目はどのブラウザでも同じであるべきだが そうでない場合もある 多くのウェブブラウザにはプラグインが用意されており ダウンロードして組み込むことで機能を拡張できる 主要なものには などがある およびその互換ブラウザではという独自の規格が用いられる それ以外のブラウザでは で用いられ事実上の標準となったや それを拡張したという規格が用いられる コンピュータリソースの消費やセキュリティのリスクが上昇すること ウェブ標準である等でプラグインを用いなくてもウェブの表現力 機能性が多彩になったことなどから プラグインは淘汰される傾向にある ウェブブラウザが標準では持たない機能を追加するアドオン 多くのウェブブラウザは に対応しており ウェブキャッシュや や閲覧履歴を素早く簡単に消去する機能もある しかしそれだけでは対処できないセキュリティのリスクに晒され マルウェアに悪用されたり 現在は死語になったが ブラウザクラッシャーなどでブラウザのみならずオペレーティングシステムをフリーズさせられる場合がある 各ブラウザや などのプラグインはセキュリティホールの修正などで頻繁にアップデートを繰り返している ブラウザ自体にもブラックリストで悪質なサイトへのアクセスを防止する 自動アップデートなどのセキュリティ向上機能が追加されているが アンチウイルスソフトウェアなどで 全体を保護するのが望ましい コンピュータセキュリティ ネットワーク セキュリティも参照 ウェブブラウザの歴史は年代末に遡り それから様な技術の基礎を築きあげた最初のウェブブラウザ がティム バーナーズ リーによって年に公開された このブラウザは既存および新たなソフトウェアとハードウェアの色な技術とともに寄せ集められていた なお は後に へと改称されている テッド ネルソンとダグラス エンゲルバートはバーナーズ リーのずっと前にハイパーテキストの概念を開発していた この核となる部分は に合うのではないか というエンゲルバートの提案にバーナーズ リーは賛同した これにマイクロソフトが反応し 年に から のライセンスを引き継ぎ を開発した このことが最初のブラウザ戦争の引き金にもなった マイクロソフトは を に同梱させることで 市場の優位性をウェブブラウザ市場にも引き継がせ にも力を持たせることができた これによって年には の利用率はピーク時で を超えた 年月現在では によると利用率が 程度とされており のシェア減少が示されている アップルの は年月に初めてのベータ版が提供された アップルの製品での占有率は独占的で 年月現在の利用率は となっており 緩やかな上昇傾向を見せている 採用しているレンダリングエンジンは と呼ばれアップルの の の 年 ヒューレット パッカードにより買収 の などいくつかの携帯電話のプラットフォームでは標準的なものとなっている 上述のように ブラウザのシェア年代後半以降のの普及に伴い の占有が続いていたが 年月に が を基にして開発した が年代に入って著しくシェアを伸ばし 年月時点で の利用率に成長した この増加傾向は や の減少傾向と同期している そして年月 は を越えて最も広く使われているウェブブラウザとなった ただし の全バージョンを合計すると が今でも最も広く使われているウェブブラウザである なお 成長著しいスマートフォンや非 のタブレットの分野では 付属のブラウザが利用されることがほとんどであり の標準ブラウザと の が の占有率にほぼ比例して普及している 一方 はこの分野においても複数のに対応しブラウザとの各種データ同期も可能なアプリをリリースしている など独自のブラウザをスマートフォン タブレット対応アプリとしてリリースする動きもある 本来ウェブサイトは様な 環境 ウェブブラウザで見られるようにウェブ標準などに則し アクセシビリティ等を考慮した形で作成される必要がある しかしウェブサイトによっては種の都合からサイトの閲覧に必要な環境として特定の推奨ブラウザを明記していることがあり 閲覧者は技術上の理由から推奨ブラウザに合わせたウェブブラウザの選択が必要となることもある また 推奨ブラウザの記述内容によってはユーザが安全上の不利益を被る場合もある オペレーティングシステム 略称 オーエス とは コンピュータのオペレーション 操作 運用 運転 を司るシステムソフトウェアである は通常 ユーザーやアプリケーションプログラムとハードウェアの中間に位置し ユーザーやアプリケーションプログラムに対して標準的なインタフェースを提供すると同時に ハードウェアなどの各リソースに対して効率的な管理を行う 現代のの主な機能は ファイルシステムなどの補助記憶装置管理 仮想記憶などのメモリ管理 マルチタスクなどのプロセス管理 更にはなどのユーザインタフェース などのネットワーク などがある は パーソナルコンピュータからスーパーコンピュータまでの各種のコンピュータや 更にはスマートフォンやゲーム機などを含む各種の組み込みシステムで 内部的に使用されている 商品として ないし製品として のには デスクトップ環境やウィンドウシステムなど あるいはデータベース管理システム などのミドルウェア ファイル管理ソフトウェアやエディタや各種設定ツールなどのユーティリティ ウェブブラウザや時計などのアクセサリが マーケティング上の理由などから一緒に含められていることもある 現代の主なには 旧 旧 などがある の主な目的は ハードウェアの抽象化 リソースの管理 そしてコンピュータ利用効率の向上である はアプリケーションソフトウェアを動作させるのが第一の目的である このためのインタフェースがアプリケーションプログラミングインタフェース とアプリケーションバイナリインタフェース である カーネルはシステムコールによってアプリケーションにサービスを提供する さらに基本ライブラリも含めた形でアプリケーションに対して を提供する アプリケーションによっては上のミドルウェアやアプリケーションフレームワークなどをとして使用する場合もある はプログラミングのためのインタフェースであり プログラムを作成する際の規則を構成する 例えば 言語での関数や などのライブラリ呼び出しの仕様といったものがそれにあたる 一方 はコンパイルされたソフトウェアがの機能を呼び出す際のインタフェースであり プロセスが動作する際の規則を構成する 例えば 系のはがほとんど共通だが はによって異なる したがって 同じを使ったシステムであっても が異なれば実行ファイルが異なる には 呼出規約 システムコールの方法などが含まれる なお の垣根を越えたもいくつか存在する 例えば という系チップを使用した機によるバイナリ共通インタフェースが日本電気やソニー 住友電気工業 日本タンデムコンピューターズなどにより定義され その定義に沿った が複数販売された ファームウェアとデバイスドライバの助けを借り カーネルはコンピュータの全ハードウェアデバイスの基本的制御を提供する 上のプログラムのメモリアクセスを管理し どのプログラムがどのハードウェア資源へのアクセスを得るかを決定し 常に運用が最適化されるようの状態を設定し ファイルシステムと共にディスク 磁気テープ フラッシュメモリといった長期的不揮発性記憶装置でのデータの編成を行う はアプリケーションプログラムとコンピュータハードウェアの間のインタフェースを提供し に組み込まれた規則や手続きに従うことによってアプリケーションプログラムはハードウェアとやりとりできる はまた アプリケーションプログラムの開発と実行を簡素化するサービス群も提供する アプリケーションプログラムの実行にあたって のカーネルがプロセスを生成する プロセスの生成には メモリ空間などの資源の割り当て マルチタスクシステムでのプロセスへの優先度の割り当て プログラムのバイナリコードのメモリへのロード アプリケーションプログラムの実行開始といった仕事が含まれる そうして初めてユーザーやハードウェアデバイスとやりとりを開始できる 割り込みはの要であり が周囲の環境と相互作用し反応するための効率的手段となっている 非常に小さなスタック バイトやバイト しか持たない古いシステムでは が対応しなければならないイベントの発生源を 監視 するポーリング方式を採用していたが 現代の大きなスタックを持つシステムでは一般的ではない 現代の多くのは 割り込みをベースとしたプログラミングを直接サポートしている 割り込みが発生すると その時点のレジスタコンテキストを退避し そのイベントに対応した特定のコードを実行する 非常に基本的なコンピュータにもハードウェア割り込み機能があり プログラマは特定の割り込みが発生したときに実行すべきコードを設定することができる 割り込みを受信すると コンピュータのハードウェアは実行中のプログラムを自動的に一時停止させ 状態を退避させ その割り込みに事前に割り当てられているコードを実行する これは例えば読書中に電話が鳴ったとき 本にしおりを挟み 電話に出るのに似ている 現代的なでは 割り込みはのカーネルが扱う 割り込みはコンピュータのハードウェアが発生させる場合もあるし 実行中のプログラムが発生させる場合もある ハードウェアから割り込みが発生した場合 のカーネルがそのイベントにどう対応するかを一般に何らかの処理コードを実行して決定する 割り込みには優先順位があり それに従って実行するコードが決定される 再び人間にたとえれば 電話が鳴ると同時に火災を知らせる火災報知器の非常ベルも鳴ったら 電話には出ずに避難するだろう ハードウェア割り込みの処理は通常 デバイスドライバと呼ばれるソフトウェアに委任される デバイスドライバはのカーネルの一部という場合もあるし 別のプログラムという場合もあるし 混在する場合もある デバイスドライバは割り込みによって得た情報を各種手段を通じて動作中のプログラムに中継する 実行中のプログラムがに対して割り込みを発生させる場合もある 例えば あるプログラムがハードウェアにアクセスしたい場合 のカーネルに対して割り込みを発生させ 結果として制御をカーネルに移す するとカーネルは必要な処理を行う また プログラムがメモリなどの資源を追加で要求する場合 割り込みを発生させてカーネルに知らせる ただし それらは一般にシステムコールと呼ばれ ハードウェア割り込みとは実装が異なることもある 現代的には複数の運用モードがある その場合 少なくともユーザーモードとスーパーバイザモードのつが存在する スーパーバイザモードはのカーネルが使用するモードで ハードウェアに無制限にアクセスでき メモリの読み書きの方法を制御したり グラフィックスカードなどのデバイスとやりとりしたりできる 一方ユーザーモードはカーネル以外のほぼ全てが使用する アプリケーションはユーザーモードで動作し ハードウェアとのやりとりはカーネルを通す必要がある はつ以上のモードを持つこともあり 古いプロセッサをエミュレートするのに使ったりする コンピュータが起動した際は 自動的にスーパーバイザモードで動作する や ブートローダー のカーネルといったごく一部のプログラムがスーパーバイザモードで動作する このようになっているのは ユーザーモードの環境の初期化はその外側にあるプログラムでないと行えないためである しかし が他のプログラムに制御を渡す際には をユーザーモードに設定できる ユーザーモードでは プログラムが使用できるの命令セットが制限されている ユーザープログラムでユーザーモードを抜け出すには 割り込みを発生させ カーネルに制御を戻す そのようにしてハードウェアやメモリへのアクセスといったことへの独占的制御をが保持している パーキンソンの法則によると メモリを拡張するとプログラムはそれに伴って拡大する という プログラマーは無限の容量と無限の速度のメモリを理想としている コンピュータのメモリは階層構造になっていて 最も高速なレジスタから キャッシュメモリ 最も低速なディスク装置がある 内のメモリ管理部はこのようなメモリを管理するもので 利用可能な部分 割り当てと解放 主記憶と二次記憶との間でのスワップなどを制御する マルチプログラミングのカーネルはプログラムが使用中の全システムメモリの管理責任を負っている それによってあるプログラムが既に別のプログラムが使用しているメモリを誤って使用しないようにしている プログラム群は時分割で動作するので それぞれのプログラムの独立したメモリアクセスが可能となっている 協調的メモリ管理は初期のでよく使われた方式で 全プログラムが自発的にカーネルのメモリ管理機構を使い 割り当てられたメモリをはみ出さないように動作することを前提としている プログラムにはバグがつきもので そのために割り当てられたメモリからはみ出すこともあるため このようなメモリ管理は今では見られない プログラムが異常動作すると 他のプログラムが使用中のメモリを書き換えることもあった 悪意あるプログラムやウイルスが意図的に他のプログラムのメモリを書き換えたり 自体の動作を妨げたりすることも可能である 協調的メモリ管理では たったつのプログラムがおかしな動作をするだけでシステム全体がクラッシュする カーネルによるメモリ保護により プロセスのメモリへのアクセスが制限される メモリ保護には様な技法があり セグメント方式とページング方式が代表的である どの技法でも何らかのハードウェアサポートが必要であり 例えば のなど あらゆるコンピュータがそのようなハードウェア機構を備えているわけではない セグメント方式でもページング方式でも 内のユーザーがアクセスできないレジスタ群でユーザープログラムがアクセス可能なメモリアドレスの範囲を設定している その範囲外のアドレスにアクセスしようとすると割り込みが発生してがスーパーバイザモードに遷移し カーネルがその状況に対処する これをセグメンテーション違反と呼ぶ セグメンテーション違反は一般にプログラムの間違いから発生するので 実行を継続するような対処は困難であり カーネルは問題のプログラムを強制終了させ エラーを報告するのが一般的である から までは何らかのメモリ保護機構を備えていたものの それを回避するのも容易だった そのためセグメンテーション違反の発生を知らせるが考案されたが それでもシステムがクラッシュすることが多かった ページングやセグメントによる仮想記憶を使用することで カーネルは任意の時点で各プログラムが使用するメモリを選択でき 同じメモリ位置を複数タスクで使用させることも可能となる あるプログラムが使用可能な現在のメモリ範囲だが物理メモリが割り当てられていない位置にアクセスしようとしたとき セグメンテーション違反のように割り込みによってカーネルに遷移する このような割り込みを系ではページフォールトと呼ぶ カーネルがページフォールトを受け付けると そのプログラムに割り当てられた仮想メモリ空間の調整を行い 要求されたメモリアクセスが可能になるよう物理メモリを割り当てる これにより カーネルはそれぞれのアプリケーションへのメモリ割り当てを自由に決定でき さらには実際には割り当てないでおくことも可能となる 現代的では 相対的にアクセス頻度が低いメモリを一時的にディスクなどの二次記憶装置に退避させ 主記憶を他のプログラムのために空けることができる これをスワッピングと呼び 限られたメモリを複数のプログラムで使用可能にし メモリの内容を必要に応じて退避させたり復帰させたりできる 仮想記憶により 実際に搭載しているよりも多くのを使用しているかのような感覚でコンピュータを使用することができる コンピュータ上の各動作はバックグラウンドであっても一般のアプリケーションであっても 内部的にはプロセスとして動作する のような機能の限定されたは一度につのプロセスしか実行できない 近代的なは一度に複数のプロセスを動作させることができる マルチタスク プロセス管理は複数のプロセスを実行するためにが行う処理である プロセッサをつだけ持つ一般的なコンピュータでは マルチタスクは高速にプロセスからプロセスへ切り替えを行うことで実現される ユーザーがより多くのプロセスを実行すれば 個のプロセスに割り当てられる時間は少なくなっていく 多くのシステムでは これが音声の途切れやマウスカーソルの奇妙な動作などを引き起こす 一般的なプロセス管理は プロセスごとに優先度を与え それによって配分される時間を決めている のカーネルにはスケジューラと呼ばれるソフトウェアが含まれており プロセッサが実行すべきプロセスの順序と一度に実行する期間を決定している スケジューラが選択したプロセスにカーネルが制御を渡し それによってそのプログラムがとメモリにアクセス可能になる その後何らかの機構で制御がカーネルに戻され スケジューラが再び新たなプロセスを選択する このようなカーネルとアプリケーション間の制御の切り替えをコンテキストスイッチと呼ぶ プログラム群への時間の割当方法の初期のモデルとして協調的マルチタスクがある このモデルでは カーネルがあるプログラムに制御を渡すと そのプログラムは時間を制限されることなく処理を行え カーネルには自発的に制御を戻すことになっている したがって 悪意あるプログラムやバグのあるプログラムがあると他のプログラムに時間が割り当てられなくなり 無限ループに陥っている場合はシステム全体がハングアップする プリエンプティブ マルチタスクでは 動作中のプロセスから任意の時点で制御を奪うことができ 全プログラムに所定の時間を割り当てることが可能である これを実現するためはタイマ割り込みを使用し 所定の時間が経過したら割り込みを発生させてスーパーバイザモードに制御を戻させ カーネルがスケジューラを呼び出す 現代的では プリエンプションの考え方をユーザーモード アプリケーション だけでなくデバイスドライバやカーネルコードに対しても適用し リアルタイム性を向上させている ホームコンピュータなどのシングルユーザーでは 少数のよく評価されたプログラムしか使わないことが多く 協調的マルチタスクで全く問題ない 例外として は初期のバージョンからプリエンプティブ マルチタスクを実現していた で初めてプリエンプティブ マルチタスクを実装したのは だが それが一般家庭向けに発売されるのは からだった ディスクに格納したデータへのアクセスは あらゆるの中心的機能である コンピュータはファイルという形でディスクにデータを格納する ディスクの内容は高速アクセス 高信頼性 ディスク領域の利用効率などを考慮して編成される このファイルをディスクに格納する方式をファイルシステムと呼び それによってファイルに名前と属性が付与される また ディレクトリあるいはフォルダと呼ばれる構造を使い ファイル群を階層構造 木構造 内に格納できる 初期のは一種類のディスク装置しかサポートしておらず ファイルシステムも一種類ということが多かった 初期のファイルシステムは容量や性能が低く ファイル名やディレクトリ構造の面で制約が多かった そういった制約は自体の設計上の制約を反映していることが多く 複数のファイルシステムをサポートするのもの制約の観点から非常に困難だった より単純なではストレージへのアクセス手段が限られているが やなどのでは仮想ファイルシステム という機構をサポートしている などのは様なストレージデバイスをサポートしており それらの仕様やファイルシステムとは独立した共通のアプリケーションプログラミングインタフェース でアクセスできるようにしている そのためプログラムはアクセスしようとしているデバイスに関する知識を持つ必要がない 機構により プログラムはデバイスドライバとファイルシステムドライバを経由してシステム上のあらゆるデバイスと様なファイルシステムにアクセス可能となる ハードディスクドライブなどの補助記憶装置には デバイスドライバを通してアクセスする デバイスドライバは担当するデバイスのインタフェースをよく理解しており それをが全ディスクドライブに共通で用意しているインタフェースに変換する では それがブロックデバイスのインタフェースである を元プラットフォームとして開発されたものには などがある また 他のプラットフォームから ファイルシステムなどが移植され も不十分ながら読み書きが可能である ではまず最初に が実装されたが ディレクトリ機能を備えていなかったためファイルブラウザでフォルダをエミュレーションしていた その後 でディレクトリ機能を実装し 現在は改良を加えた が採用されている 現在で読み書きが可能なものは となる なおの使用は一般でなく への対応は他プラットフォームとのデータ交換に用いられる は読み込みのみが可能であり 書き込みについては によるネットワークを介したものに限られる が標準で扱えるファイルシステムは である 系のでは までは 標準のにアクセス可能だった 現在上ではが最も信頼性と効率が高いものとして一般的に利用される は から採用される古いファイルシステムであるが パーティションやファイルサイズに制限があり 大容量化したハードディスクではあまり用いられない このためファイルサイズの制限をなくしたが新たに開発された なお はやでは標準で使えるが でを使うためには専用のプログラムを新たにインストールする必要がある はその仕様の制限から大容量のハードディスクには向かないが その一方構造が単純でデジタルカメラや携帯電話などの組み込みシステム向けを含むさまざまなで読み書き可能なことから 各種メモリカードやメモリなどプラットフォームを跨ぐ用途においては主流である なお それらフラッシュディスクの大容量化に対応するため マイクロソフトはを拡張したというファイルシステムを発表している から等へファイルを転送すると 転送先の側に本体とは別のファイルが出現することがある これはや のみがサポートするリソースフォークと呼ばれるデータ構造によるもので ではそれらを一元的に管理を行うため一つの書類に見える このように幾つものフォークを一つのデータに格納することをマルチフォークと呼び もとのデータを改変することなく独自の管理情報を容易に付与できる機能だが 実質的にでしか利用できない ファイルシステムには 急な電源切断などによる障害へ対応する機構を持つものがある ジャーナルファイルシステムが最もよく採用される機構であり その他にものように書き込み操作をトランザクションとして扱うものもある これらを用いることで 障害復旧時のチェックを大幅に短縮する または完全に不要にする 一方これらの機構を持たないファイルシステムでは ファイルシステムの整合性を保つためストレージ全体を検査する必要がある デバイスドライバはハードウェアとのやり取りをするためのソフトウェアである 一般にハードウェアとの通信を行うインタフェースを持ち ハードウェアの接続される何らかの通信サブシステムやバスを経由して通信を行う コマンドをハードウェアに送り データの送受信を行う また 一方でやアプリケーションに対するインタフェースも提供する ハードウェアに強く依存するプログラムであり にも依存している これによって やアプリケーションがハードウェアを使って動作することが容易になっている ハードウェアの非同期的な割り込みの処理もデバイスドライバの役割である デバイスドライバの主たる設計目標は抽象化である ハードウェアは用途が同種のものであっても 機種によって動作や性能などがそれぞれ異なる 新たな機能や性能を提供するハードウェアが登場したとき それらは従来とは異なった制御方式を採用していることが多い を将来にわたってあらゆるハードウェアを制御できるように設計するのは困難である 従って 個別のハードウェアの制御をから切り離す必要がある デバイスドライバはとのインタフェース 関数呼び出し をデバイス固有の処理に変換することが主たる機能となる 理論的には 新たな制御方法の新しいハードウェアが登場しても そのハードウェア用のドライバが古いに対応していれば 古いでもドライバだけ置き換えればハードウェアを制御可能となる 以前のやバージョン より以前のカーネルでは ドライバ実行は協調的だった すなわち あるドライバが無限ループに陥ると システム全体がフリーズした その後のバージョンではプリエンプションが可能となり カーネルがドライバを中断させることができるようになった 多くのは プロトコルをサポートしている 歴史的に見れば 初期のコンピュータネットワークはモデムを使って電話回線で行われていた 手順など その後 パケット通信が使われるようになり のなどの各社独自のネットワークアーキテクチャが登場した 現在では を中心とした通信が主流となっている 通信プロトコルは トランスポート層まではカーネル内モジュールとして実装し プレゼンテーション層より上はシステムプロセスとして実装されるのが一般的である セッション層の実装はシステムによって異なる このようなネットワーク機能により 異なる間でネットワークを形成し 計算能力 ファイル プリンター スキャナーなどのリソースを共有できる ネットワークにより あるコンピュータのが遠隔のコンピュータにあるリソースをあたかも自身に直接接続されているかのように透過的に利用できる 単純な通信に始まり 分散ファイルシステム グラフィックスやサウンドといった機能の共有まで様な応用がある 透過的アクセスの例としては によるコマンドラインの直接使用などもある が関係するセキュリティ機能は ユーザーがリソースへの何らかのアクセスを行う際に前もって認証し そのユーザーのアクセスレベルを決定し 管理者の方針に基づいてアクセスを制限することである は 処理を許可すべき要求と処理すべきでない要求を識別できなければならない 一部のシステムは単にユーザー名などで要求者を識別し それによって特権の有無を判断する 要求者を識別する過程を 認証 と呼ぶ ユーザー名を示さなければならないことが多く ユーザー名に続いてパスワードも必要な場合がある 別の認証方法として 磁気カードや生体データを使った 認証 を行うこともある ネットワーク経由に接続などの場合 認証を全く行わずにリソースにアクセスさせることもある ネットワーク上で共有されたファイルを読む場合など さらに高度なセキュリティを備えたシステムでは 監査証跡 オプションも提供している これは リソースへのアクセス要求を監視し記録するものである このファイルは誰が読もうとしたか など プログラムが何らかのリソースを要求すれば割り込みによってカーネルに制御が渡るので そこでセキュリティの確認が可能である プログラムがハードウェアやリソースに直接アクセスできる場合 セキュリティは確保されない 何者かがコンソールやネットワーク接続経由でログインしようとする際にもセキュリティの確保が必要である このような要求は一般にデバイスドライバ経由でカーネルに渡され それから必要ならアプリケーションに渡される ログインにまつわるセキュリティは 企業や軍などで機密情報を保持しているコンピュータでは長年の課題だった アメリカ国防総省 はセキュリティ評価に関する基本要件を定めた標準 を策定した はセキュリティを要求されるシステムの調達条件とされるようになったため メーカーはこれを重視するようになった 個人が使用するコンピュータにはユーザインタフェースが必要とされる ユーザインタフェースは必ずしもの一部とは限らない 通常はシェルなどのプログラムが実装しているが 人間とのやりとりが必要なプログラムは基本的にユーザインタフェースを備えている ユーザインタフェースは キーボードやマウスやクレジットカード読み取り機といった入力デバイスからのデータを取得するのにを介する必要があり モニターやプリンターといった出力機器にプロンプトやメッセージを出力するのにもを介する必要がある 主なユーザインタフェースは 古くからあるキャラクタユーザインタフェース コマンドラインインタフェース と視覚的なグラフィカルユーザインタフェースに大別される 最近のは一般にを持っている 多くのプロプライエタリなシステム や はカーネルとが密接に関係している 他のではユーザインタフェースはモジュール化されていて 任意のをインストールしたり 新たなを作成したりできる では新たなバージョンが登場するたびにを変更してきた 初期のから までを比べてみると その変化は大きいし のは年の の登場で劇的に変化した では初期から までが白黒ので 以降もカラー化されたのみで でプラチナアピアランスが採用されても までは基本要素はほぼ変わらなかった しかし になって完全に刷新され ベースのになった 以降ではメタルアピアランスが導入され その後もバージョンアップのたびに少しずつ手が加えられている また とは別にも用意されている の前身のは様な独創的な要素で知られ 他のやデスクトップ環境に大きな影響を与えた グレースケールのシステムだったころよりアルファチャンネルを備えていたのは特筆すべき点である では を提供するデスクトップ環境がいくつか存在する で使えるとして有名なものは とがある 当時は パンチカード等から入力されたプログラムを磁気テープに一旦保存し その磁気テープを大型コンピュータに接続後 プログラムをロードして実行していた そのため 入出力装置のドライバに当たるものが作成されていた また アセンブラやコンパイラが登場し始めた時代なので まずコンパイラをロードしてからプログラム ソースコード をロードし コンパイル結果として出力されたアセンブリ言語をアセンブルするために さらにアセンブラをロードするといった手続きが必要だった こうした作業を自動化するバッチ処理がの機能として実現されていた また プロセスの状態を監視するモニタも実装されていた この頃のもうつの重要な進歩としてタイムシェアリングシステムの本格的な実用化がある コンピュータの資源を複数のユーザーが並行的に使えるようにすることで システムを有効利用するものである タイムシェアリングは 各ユーザーに高価なマシンを独占しているかのような幻想を抱かせた 年ののタイムシェアリングシステムは特に有名である 更に年には 用に 商用初の仮想化 仮想機械 である と が登場し 台のコンピュータで同時に複数のを稼働できるようになったが これもタイムシェアリングの応用である また仮想記憶は年のバロース が商用初とされ 年の シリーズ用の で広く普及した コンピュータの利用形態としてオンライントランザクション処理やデータベース処理が普及したのもこの頃である また年代には低価格なマイクロプロセッサが登場したが 初期のマイクロコンピュータは メインフレームやミニコンピュータのような大規模なを搭載する容量もなかったため ディスク管理程度の必要最低限の機能しか持たないが開発された 初期の特筆すべきとして があり ビットのマイクロコンピュータで良く使われた その大雑把なクローン 複製 としてビットの 用に が生まれ その版である が普及した これらはの提供する機能が少なく 画面制御など多くの機能は アプリケーションが直接ハードウェアを操作する必要があったため 同じを使用していても ハードウェア 機種 が異なると互換性も失われた この と後継の によって マイクロソフトは世界有数のソフトウェア企業となった なお 年代の別の特筆すべき流れとして を標準装備したアップルコンピュータのがある の は 当時の性能的制約から 多くの部分がファームウェアの状態でハードウェアに組み込まれてはいたが 現在でいうウィジェット ツールキットを含むと呼ばれる群を持ち アプリケーションにおけるのデザイン開発をある程度まで標準化した マイクロプロセッサの高性能化と低価格化が進むと 業務用途のシステムでは 高機能な端末を大量に用意することが可能になり をベースとしたクライアントサーバモデルが普及した クライアント機であるワークステーションのとして などの系が用いられた この時期には肥大化したの再設計の機運が高まり マイクロカーネルという新しい設計手法が生まれ 成果としてなどのカーネルが作られた しかし の権利を持つがライセンスに厳しい条件をつけるようになり を自由に改変したり 改変した機能を外部に公開することができなくなった このため オープンシステムとしてののオープンな文化は一時衰退に追い込まれた さらにの標準規格を巡って戦争が勃発し 市場は大きなダメージを受けた 互換 系の流れでは の権利を持つ 年からはノベル がソースコードの自由な改変を禁じていたことから オープンソースの互換が開発されはじめる 年にの開発が開始され 年に がフリーソフトウェアとして公開された マイクロカーネルなどの新しい設計手法を採用し トレンドに合わせたびたび設計が変更されたの開発が停滞する一方 は保守的な設計とバザール方式という不特定多数の担い手による開発手法を採用し 迅速な開発が進められ のデファクトスタンダードとなった ただしはの心臓部であるカーネルのみのため カーネル以外のを構成するソフトウェアを揃えて自ら環境を整える必要があり 初期段階においては技術者などのごく一部の人たちにのみ使われていた を皮切りにフリーの系も登場したが の権利者だったノベルとを開発したカリフォルニア大学バークレー校との訴訟に巻き込まれ 開発中止を余儀なくされた 年からとの開発が再開される また アップルも同年 を発展させた を新たにリリース 従来の の後継となった このころには低価格なパーソナルコンピュータでも これらのの負荷を問題としないほどに高性能化しており オープンで低価格な分散コンピューティングを広めた ダウンサイジング オープンソースの流れでは 従来よりが向けのツール群を開発していたが これらをカーネルと組み合わせた システムが 年頃より系の主流となった また系も系のシェアの大きな部分を占めている 一方 組み込みシステムにもより複雑な機能が求められるようになり など汎用をベースとしリアルタイム性能を持たせた組み込みオペレーティングシステムが幅広い用途に使われている 中でもオープンソースののを含む系 が 年現在 組み込みの のシェアを持っている これらはカメラ 加速度センサー ジャイロスコープ 無線 狭い画面に最適化されたタッチパネルなどのインタフェースを組み込み 携帯機器の低消費電力の要求に応えた などのモバイルプラットフォームを採用している 鉄道 てつどう とは レールを敷いて その上に列車を走らせ 人や貨物を運ぶ陸上交通機関である 鉄道とは平行に本のレールを敷き その上で列車などを走らせ 人や貨物を運ぶ交通機関 交通システムである 線路 旅客や貨物を載せて走る列車 停車場 駅などの施設 運行管理や信号保安まで様な要素で構成される一連の体系である 鉄道 は狭義には その交通システム全体ではなく レールを敷いた道 線路 鉄路 だけを指すことがある 鉄道は歴史的に見てまずイギリスやヨーロッパで発展した フランス語では シュマントゥフェール シュマン ドゥ フェール と言い これは直訳すると 鉄の道 である 日本語でも 鉄道 中国語でも 鉄路 と言う なお鉄製のレールだけでなく たとえばコンクリート製の案内軌道などを用いるものもある また 鋼索 鋼でできた太いロープ で車両を支持し運転するもの 索道 ロープウェイ も鉄道の一種としている 広い意味では 懸垂式 跨座式のモノレール 案内軌条式の 新交通システム 浮上式鉄道を含む なお 日本大百科全書 は定義文の冒頭部 専用の用地にレールを敷設した線路上を動力を用いた車両を運転し としている 専用の用地でなく道路に敷設された路面電車は 日本の法制上は 軌道 とよんで 鉄道 とは区別している つまり 用地のありかたにも着目して線引きしている 次にレールの素材に着目して線引きができるかについて検討してみると 英語では アメリカ または イギリス と呼び これは単に レールの道 という意味で 語自体には レールの材質 に関する意味が含まれていない語で造語して呼ぶようになったわけである だがイギリス同様に鉄道が早期から発展した欧州の大陸側のフランスでは 鉄の道 ドイツでも 鉄の道 と呼び 日本語でも 鉄道 中国語でも 鉄路 等 数多くの言語で 鉄の道 路 という表現をする 鉄道はもともと鉄製レールの案内路を有するシステムであったので レールの素材 材質 に焦点を当てて造語したわけである なお 素材ばかりに着目しても 先に説明したようにコンクリートのレール 案内路 を用いたシステム 素材以外は駅や列車などシステム全体が同じようなシステム を含められなくなってしまうので レールの素材にこだわりすぎて線引きするのにも無理がある このように交通システムはさまざまな変則的なものを開発することができる という面もあり また各国で法制度が異なっており さらにトロリーバスまで含めるのか含めないのかなど どこまでを法制上 鉄道 に含めて扱うかについても国ごとにかなりの差異があり 鉄道 と 鉄道でないもの の線引きのしかたはさまざまあり 世界的に見てかなり曖昧である よって本項では 焦点がぼけてしまわぬよう 周辺あたりの曖昧な領域は避け できるだけ この記事の意味の中心部 つまり専用の用地に敷いた鉄製レールを有するものについて解説することにし 鉄道に含めてよいかどうか曖昧な形態のものについては脚注などで軽く触れるにとどめる 技術 経済 法制などの観点から分類可能である 鉄道は 技術的には 軌道 車両の構造 軌道の敷設面 軌間 車両の動力源などに基づいて分類できる 経営形態による分類がある たとえば私企業による経営や 国による所有 国有 国による経営 国営 などである 世界の鉄道は 初期の段階においては 規模がまだ限られていたので 株式会社の形態が多かったが やがて全国的な鉄道網の形成に伴い国有 国営の形態をとるものが多くなっていった その後多くが 分割されたり 一部を分離独立させたり 民営化するなど多様な道を進むことになった 欧州を見てみると イギリスの鉄道は年の法律によって国有化され その後 年から公共企業体として運営されていたが 年に分割 民営化された フランスの鉄道は 年の 公私混合株式会社 の発足以来 国有化の道を歩み始め 年からは全額政府出資の事業体として運営されていたが 年月フランス国鉄 は 鉄道線路の建設と維持管理とを行うフランス鉄道線路事業公社 を分離独立させ フランス国鉄 自体は鉄道輸送に専念する事業体となった ドイツの鉄道は 年のドイツ国有鉄道の設立により国有化されたが 第二次世界大戦後の年の東西ドイツの分裂により 西ドイツは ドイツ連邦鉄道 東ドイツは 東ドイツ国鉄 として国有国営の事業体となった 年の東西ドイツ統一以降 年に東西両国鉄が 連邦鉄道財産機構 として統合され その後業務別に三つの組織に分割されていった アメリカの鉄道は 第一次世界大戦中に一時期 国の管理下に置かれたことがあるが 基本的には民間の運営であった しかし 自動車や航空機に比べ鉄道による旅客 貨物輸送の需要は伸びず 年には国が管理 運営する鉄道として都市間の旅客輸送を行うアムトラック 正式名 全米鉄道旅客輸送公社 その通称である の略称が が 年には連邦政府の援助 監督下に経営される株式会社形態の貨物輸送鉄道コンレール 統合鉄道会社 の略称 が設立された その後 アメリカでは 年代に規制緩和政策が推進されるとともに鉄道会社の統廃合が進み コンレールも ノーフォーク サザン鉄道 と 鉄道 に分割 買収される形で年に姿を消した 日本の鉄道は 年 明治年 に 特定地方限定の地方鉄道を除いて 国有化され 第二次世界大戦後 年 昭和年 に公社 公共企業体 日本国有鉄道 として新たに発足したが 年 昭和年 月分割 民営化が行われ 国鉄 は となり つの旅客鉄道会社 北海道 東日本 東海 西日本 四国 九州 とつの貨物鉄道会社 貨物 の合計つの会社として再出発した 日本の鉄道体系は 株式会社形態をとる私鉄 民鉄 の役割が比較的大きいことが 世界的に見て特徴となっている 特に旅客に関しては大きな割合を分担し 年 昭和年 時点での年間輸送量は 国鉄億人 私鉄億人で 私鉄が国鉄を上回っていた その後国鉄もとなりすべて国有ではなくなったわけだが 年 平成年 の年間輸送量は 旅客会社億万人 私鉄億万人で やはり旅客では私鉄の役割が大きい なお貨物に関しては さほどではなく 年の貨物輸送量が貨物が万トン 私鉄万トンであった 業務を行う地域によって 全国鉄道 地域鉄道 地方鉄道 に分ける方法がある 軌道に関しては 世紀ごろにドイツのハルツ鉱山で板の上にレール状の木材を取り付けて その上に石炭運搬の車両を通したのが始まり ともされる 木製のレールは激しく摩耗するのでその後に鉄製にかえられた ここで 鉄道 になったわけである 初期の鉄製レールは字型で 底辺 水平面 が外側になるように敷設し 外側の底辺の上を車輪が転がるようになっていた その後 車輪外周の内側につば状の輪縁 フランジ をつけることでレールのほうの字型は止め レールの頭部の内側を走る 現在と同様の方式となった この段階で 車両の動力源は人力や馬の力 馬力 であったが 世紀の後半にワットが改良した蒸気機関をさらに改良利用する方法が多くの人によって研究され 年にイギリスのリチャード トレビシック が 初めてレールの上を走る蒸気機関車を製作し 馬にかわって 石炭の運搬車を引かせることに一応は成功した 線路の上を列車が走行し 定められた駅に停車するというものである 線路は地上に敷設されていることが多いが 都市部や地形に制約のある場所 また高速走行を行うための路線では地下や高架に路線を敷設している 特に地下に敷設される路線は地下鉄と呼ぶ 軌道は本のレールを枕木の上に平行に敷設したものであり システムによっては本以上のレールを用いる レールと枕木はバラストと呼ばれる砂利やコンクリート製の道床によって支えられる 特に 道床に砂利を用いたものをバラスト軌道と呼ぶ コンクリート製のものでは 道床と枕木の機能が一体化したスラブ軌道や コンクリート製の基礎にレールを直結し枕木を省略した形態も存在する 鉄道の車両を動力源によって分類した場合 蒸気機関を動力として用いる蒸気機関車 その他の内燃機関を動力とする気動車 ディーゼル機関車 電気モーターを動力とする電車 電気機関車がある 鉄道車両は両でも用いることができるが 多数の車両を連結でき その利点を活用して旅客や貨物を一編成 ひとつらなりの形 で大量に輸送することが可能である 鉄道車両は 異なる軌間の区間に乗り入れることが困難である 軌間を切り替える手法としては まず境界駅で台車を交換する方法がある この方法は 広軌の旧ソ連圏と これに接する標準軌の中国や東ヨーロッパを直通する列車などで採用されている しかし この方法では 電車や機関車など モーターを持つ台車の取替はできず また作業のため 国境駅で時間以上待たなくてはいけないなどの問題がある また スペインの タルゴ で特殊な設備を用いて乗客を乗せたまま自国の と周辺他国の を切り替える方法が実用化されている また 日本では 乗客を乗せたまま軌間切り替え可能なフリーゲージトレインの実用化試験が行われている 他にも 異なる路線の鉄道車両の乗り入れが困難である場合が存在する 建築限界や車両限界が路線によって異なる場合も 乗り入れの障害となる 例としては車両限界の大きい新幹線と 車両限界の小さい在来線を改軌した区間を直通するミニ新幹線のように 在来線の車両サイズで作らざるを得なくなる 直流 交流といった電気方式が区間によって異なる場合には 直通するためには製作コストの高い双方の電気方式に対応した車両を使用するか 機関車を付け替えるなどの必要が生じるが 電気方式が同じでも 電圧が区間によって異なる場合は 複電圧方式の車両が必要となる 鉄道駅は 列車が止まり 人が列車に乗り降りしたり 貨物を積み降ろしする場所である 基本的には線路とプラットホームから構成され 中程度以上であれば駅舎やさまざまな関連施設がある 貨物駅であればさらに貨物ターミナルから構成される さまざまな分類法がある 鉄道と道路が平面的に交差する場所には踏切が設置される 日本では 踏切の通行は鉄道に優先権があり 道路交通を遮断することとなる 列車運行本数が多い場合は遮断時間が長くなり 交通渋滞の原因となり 甚だしい場合には 開かずの踏切 が生まれる 踏切を解消するため連続立体交差事業が進められている 鉄道の中には 単に線路と列車と駅により構成されているだけに留まらず 変電所 や指令所 などを備えるものがある 電車は電力で走ることから 線路と平行して電線路が敷設され それに伴い 鉄道変電所や電源の管理する施設が備えられている また 複雑化した鉄道ネットワークにおいては 過密なダイヤや突発的な事故に対応するため 一箇所で集中的に列車の管理を行うこともある 鉄道の運営を行う鉄道事業者は 民間企業によるものと 国や特殊法人 地方公共団体が行うものなどがある なお 日本においては日本国有鉄道の分割民営化と 帝都高速度交通営団 営団地下鉄 の特殊会社化に伴い いわゆる 国営の鉄道事業者 は現存しない ただし 日本国有鉄道の事業を継承したグループのうち 北海道旅客鉄道 北海道 四国旅客鉄道 四国 日本貨物鉄道 貨物 および帝都高速度交通営団の事業を継承した東京地下鉄 東京メトロ については 国や独立行政法人鉄道建設 運輸施設整備支援機構が一部または全部の株式を保有している したがって 現在の日本国政府が 鉄道事業の経営にまったく関与していないわけではない 鉄道は 線路 駅などのインフラストラクチャーに対する投資コストが大きく 固定費率が大きいことから損益分岐点が高く 黒字となるには一定以上の輸送量 利用客数が必要となる このため また 相当な利益を上げないと既存路線の高速化や自動列車保安装置設置 駅のバリアフリー化やホームドア設置 パークアンドライド用駐車場設置などの鉄道サービスや安全性向上も困難である 減少の背景には 日本の人口構成が関わっている 鉄道利用者の中心は通学利用者と 通勤利用者であるが 人口構成上 学生は卒業する年代の人口よりも入学する年代の人口が少なく 社会人も退職する年代の人口よりも新規に就職する世代の人口が少ない状況にあるため 両者は今後長期間にわたり減少する仕組みになっている 減少の要因として他には 鉄道事業者の経営努力不足 や 変わったところでは 上述した内容は日本全体の話であるが ローカル線の利用者数を巡る環境は特に厳しい 採算が取れない場合 路線や駅の存続問題が発生する 対応策として 赤字が続く鉄道を廃止したり 第三セクター鉄道に転換することがある 鉄道の乗車には切符などの乗車券 または乗車カードを必要とする 運賃を支払うことでこれらを入手することができ 乗車権を得られるが 車内で精算する仕組みを取っている鉄道もある 鉄道車両や鉄道施設に関しての学問として 鉄道工学がある 新たな技術として デュアル モード ビークル などがある 鉄道は専用の軌道を有しているため 定時性に優れる 路面電車のように道路上を走行する併用軌道を除けば 基本的に専用の走行路を使用するので 定時運行を確保しやすい 定められた時刻通りに列車を運行することは鉄道事業の出発点である 特に 自動車や飛行機などの代替輸送機関が発達した先進国地域では 遅れのひどい鉄道からは利用者が去っていってしまう ちなみに年度 平成年度 の東日本の数字によれば 新幹線の と 在来線の が定刻 遅延分未満 に発着している ただし 故障や災害等で事故が発生すると 事故現場の回避や追い越しができないため 長時間に渡って不通になる場合がある 台風 地震など 自然災害により不通になると その影響が広範囲に渡るなど 脆弱な面もある 自動車が事故車線や現場を回避できたり 途中経路の天候が悪くても離陸 着陸地点の天候に問題がなければ航行が可能な飛行機とは対照的である また 踏切事故や人身事故 強風などの影響で長時間運行が停止することも多い 鉄道は安全性が高い交通手段であるといえる 鉄道事故の発生する確率は他の交通機関よりも低い ある統計によれば 鉄道事故による利用客の死亡率は自動車の分の 航空機の分のであるという 鉄道が自動車より安全であることの理由として 次のようなことが挙げられる 鉄道事故の多くは道路交通と平面交差する踏切や 利用客と鉄道との接点である駅のホーム 急カーブ 単線で発生している これらの事故に対して 踏切では立体交差化 駅のプラットホームではホームドアの設置 カーブではカントの設置及びカント量の上限を超えない範囲内での引き上げや脱線防止ガード設置 鉄道路線全般では自動列車保安装置の装備といった防止措置がとられる 鉄道は 飛行機 船と同様 一度に大量の人員を輸送できる故に 一度事故になると大惨事になり得る 自動車交通や航空交通などと比較して 鉄道は 排出される二酸化炭素が少ない 東京 大阪の旅客輸送について 鉄道と自動車一人あたりの二酸化炭素排出量を試算すると 鉄道は自動車の分のであると報告されている 蒸気機関車の煤煙がかつては大きな問題であったが すでにほとんど淘汰されている 年頃からは自動車用エンジンの技術を用いた低公害型エンジンを搭載した気動車も登場するようになってきている また 電化鉄道では一次エネルギーを問わないため 新エネルギー クリーンエネルギー の切り替えも可能である 非電化鉄道であっても 汚染されうる空間が軌道の周辺域に抑制されるため 対策は比較的容易である 鉄道は 自然環境への負荷が比較的少なく 大量輸送に向き 定時性や安全性に優れるという特徴を有する また専用の鉄軌道上で案内されて運転される特性上 多数の車両を連結して一括運転できる このため 一度に大量の旅客や貨物を運送できる 軌道や車輪に鉄を使用しているため 走行時に鉄同士が触れ合うことになるが この際の走行抵抗は きわめて小さい 鉄製の車輪は 自動車に用いられるゴムタイヤと比べると変形量が小さいためである また 一般的な自動車と比べ細長く体積の割りに前面投影面積が小さいため 空気抵抗も小さい 車列が長いほど体積当たりの空気抵抗は少なくなる 結果 必要な動力も重さの割には小さくできる 例えば国鉄系電車両編成の質量はトン 出力は で トンあたり となる 自動車と比較すると 乗用車のカローラの質量は 出力は で トンあたり となる 以上の計算から 国鉄系電車がトンあたりで要する出力はカローラの分の以下である そのため 鉄道は船と並んで エネルギー効率のよい大量輸送システムといえる 鉄道は その走行抵抗の少なさなどのため 単位輸送量当たりのエネルギー消費は自動車や航空機よりはるかに少ない によれば 一定の距離で 一定の人数を輸送するために要するエネルギーの量は 日本の国鉄の鉄道を基準にすると バスはその 倍 乗用車は 倍 航空機は 倍であった また 貨物の場合 船は 倍 トラックは 倍であった さらに 電車や電気機関車の場合 発電機や電動機のエネルギー変換効率が内燃機関よりはるかに高いので したがって 地球温暖化の原因となる二酸化炭素の単位輸送量当たりの排出量が少ない 交通機関であると言える 鉄車輪と鉄軌道との摩擦力が小さいという理由により 自動車ほど急勾配を上り下りすることができない 自動車の勾配は立体駐車場などの 水平に 進むと 高くなる が最急だと言われているが 鉄道では 程度が常用の限度とされている より急な線区も存在する 例えば箱根登山鉄道には 勾配が存在する が その場合建設や運転に不利になる そのため 山岳などの障害物を迂回したり トンネル掘削による障害物回避 あるいはループ線やスイッチバックを設置するなどを行う必要がある また これらの対策でもどうにもならない急勾配は ラックレール等を用いることで対処する場合もある ただし最近では など 一部の高性能車両は連続 勾配路線を にて走行可能であり 高性能車両を用いることで トンネル掘削などの投資を抑えることが可能となりつつあるが 一般的ではない また摩擦力 粘着力によって加速度を得ることが 自動車に比べて難しく 急加速 急減速が困難である そして速度自体も 前後が限界だと考えられ 実用速度はさらに低く 前後である この限界を突破するために浮上走行が考案されたが その一つがリニアモーターカーである 急減速が利かない欠点に対しては線路を一定区間に区切り つの区間に同時に本以上の列車を入れない閉塞という概念 設備を導入して列車同士の衝突事故を防いでいる ブレーキの改良も進められている また 鉄道は曲線にも弱い 曲線では遠心力が働くが 遠心力による横からの力に対して鉄道は自動車より弱い よって 鉄道と自動車が同じ大きさの曲線を通過する際には 鉄道の通過速度を自動車よりずっと小さくする必要が生じる この欠点を小さくしようとすれば曲線を緩くする以外に方法はない 自由自在に走行できる道路交通とは違い レールの上しか走行できないという制約があるため わずかな障害によって広範囲で正常運転ができなくなることが多い 人身事故が発生すると 多くの列車に影響が出る また土砂災害や地震など 自然災害を受けると復旧までにかなりの時間を要し 迂回路がない場合 バスなどの代替輸送に頼らざるを得ない 強風にも弱く 強風のため長時間運行が停止されることもしばしば発生する 逆に積雪の際に自動車よりも安全に運行できる鉄道は 地域によっては冬場に市民の貴重な足となる ただし積雪に慣れていない地域ではこの限りではない 鉄道は建設と維持に莫大な費用を必要とし 特に地方では採算性が低くなりやすい それでも鉄道の維持を選択する場合は 公的資金の投入が必要となることがある 一例を挙げると 年 平成年 月の豪雨災害で不通となった東日本只見線会津川口 只見間は 線路などを地元自治体が所有する 上下分離方式 を採用して復旧することが決定した 復旧に際し沿線市町村と福島県は復旧費を約億円負担し 復旧後は沿線市町村と福島県が年間運営費として約億万円負担することになると見積もられている 日本では鉄道事業法の許可 または 軌道法の特許を得て敷設される トロリーバス 無軌条電車 は 架線が張られたルートを集電装置 トロリー により集電した電気を動力として走行するバスであるが 鉄道事業法に基づく 鉄道 または 軌道法上の 軌道に準ずる 軌道として扱われる ロープウェイも鉄道事業法 または 軌道法の対象であるが 索道という扱いとなる 英語でのやに対応する日本語の訳語として 鉄道 を作ったのは福沢諭吉だとされている ただし 軌条という意味での 鉄道 は福沢以前に江木鰐水や横井小楠による使用例がある 著者 編者の五十音順 スペースシャトル は かつてアメリカ航空宇宙局 が年から年にかけて回打ち上げていた 再使用をコンセプトに含んだ有人宇宙船である もともと 再使用 というコンセプトが強調されていた しかし 結果として出来上がったシステムでは オービタ部分は繰り返し使用されたものの 打ち上げられる各部分の全てが再利用できていたわけではなく 外部燃料タンクなどは基本的には使い捨てである 初飛行は年 回目の飛行は年で 年月の回目の飛行を最後に退役した スペースシャトルは宇宙輸送システム あるいはスペースシャトル計画の一環としてもちいられた の開発とシャトルの飛行は 基本的にアメリカの資金によって行われた 主な使用目的は のおかれた様な政治的状況や起こしてしまったシャトルの事故も影響して およそ年ごとに大きく変遷してきたが 数の人工衛星や宇宙探査機の打ち上げ 宇宙空間における科学実験 国際宇宙ステーション の建設などである なおシャトルはによってだけでなく 米国国防総省 また欧州宇宙機関 ドイツ等の軌道上実験にも使用された シャトルは再使用型宇宙往還機であり 軌道船 外部燃料タンク 固体燃料補助ロケット の三つの部分によって構成されている とは上昇中に切り離され 軌道船 のみが地球周回軌道に到達する 発射時には機体は通常のロケットと同じように垂直に打ち上げられるが 軌道船は水平に滑空して帰還 着陸し 再使用のために整備された はパラシュートで海に降下し 回収船で回収されて整備した後 推進剤を再充填して再利用された まずシャトルの構造および打ち上げ 着陸の概略を説明する 通常は名から名の飛行士が搭乗した なお 最も初期の頃に行われた から の回の試験飛行のように 機長と操縦士の名だけでも飛行できた 発射時のシャトルの構成は おおまかに のつの部分から構成されていた なお 上記に加えて のために開発された とと呼ばれる人工衛星打上げ用の種類の固体ロケットを用いれば 搭載物をさらに高い軌道に運ぶこともできた なお シャトルには全体でおよそ万個もの部品が使われており 人間がこれまでに製造した中で最も複雑な機械であると言われている シャトルは通常のロケットと同じように 発射台からは垂直に離陸する その際の推力を生むのは本のおよび 軌道船の後部に装着している 基のメイン エンジン であり の推進剤 液体水素と液体酸素 は外部燃料タンクから供給される 上昇の手順はおおまかに のふたつに分かれていて 打上げからおよそ分後に第二段階に移り は切り離され落下 パラシュートで海に着水し再使用のため船で回収される 機体 軌道船および はその後も上昇を続け 軌道に到達するとが燃焼を停止し も役目を終えて切り離される 切り離され自由落下を始めた 巨大なオレンジ色のタンク は通常は大気圏に再突入して空気抵抗と熱によって消滅する ただし 様な用途に使用することは 構想としてはあった 軌道船はその後さらに軌道操縦システム を噴射することでミッションの目標としている軌道へと向かう 軌道上での姿勢は 姿勢制御システム を噴射することで制御する シャトルが従来の宇宙船とは際だって異なった特徴の一つに 軌道船の胴体部分のほとんどを占めるほどの大きさの貨物搭載室を備えていることと そこに大きな観音開きのドアがついていることである これによって 飛行士や宇宙ステーションの建設資材などを 地球周回低軌道や大気圏上層部 さらには熱圏などに運ぶことができた 例えば ハッブル宇宙望遠鏡のような大きなものを搭載し軌道に投入することや 故障した衛星などがあれば その軌道へ向かい 貨物室に回収して地球に持ち帰ったりすることもできた 任務が終了すると 軌道船はを逆噴射して速度を落とし大気圏に再突入した 降下している間 シャトルは大気の様な層を通過し 主に空気抵抗を用いて機体の速度を極超音速状態から減速させる 大気圏下層部に到達し着陸態勢に入るとグライダーのように滑空飛行し フライ バイ ワイヤ方式の操縦系統で油圧によって動翼を制御した 着陸の際には 長い滑走路が必要とされた シャトルの形態は 帰還時に極超音速飛行および旅客機のような低速飛行の双方をしなければならない という二律背反する要求を満たすために作られた妥協の産物であり その結果として軌道船は着陸寸前には 普通の航空機には見られないような急激な降下 高い降下率 を経験することになる 当初は通常のロケットより一回あたりの飛行コストを安くできるという見込みでこの計画がスタートし製造されたが 実際の運用で発生した事故に対する安全対策により 当初の予想より保守費用が大きくなっていき 結果的に使い捨てロケットよりもコストが高くなった スペースシャトル という言葉は 一般には軌道船 オービタ の単体を指していることもある シャトル 往復を繰り返すもの という表現に合致しているのは基本的にオービタ部分であるし 形状という点でも シャトル という用語の源となっている織物のシャトルと形が類似し連想させるのはオービタ単体であるからである ただし技術的な観点 つまり宇宙飛行システム 飛行に必要な技術的な要素 という意味では 軌道船以外にも外部燃料タンク 固体燃料補助ロケットが結合されて はじめてシャトルは完成状態となり飛行可能となるので のエンジニアなどはつが合体した状態を スペースシャトル と呼ぶ そして 紛らわしさを避けるために オービタ などの呼称を用いて呼び分けている 完成状態にする作業はスペースシャトル組立棟で行われる なお この建物は元はシャトルのものではなく アポロ計画のサターン型ロケットを組み立てるために作られたものである また スペースシャトル という用語で スペースシャトルをコアとした計画全体 スペースシャトル計画 を指して用いられていることもある シャトルの設計と製造は年代初頭に始まったが その概念はそれより年も前 年代のアポロ計画よりも早い段階に存在していた 宇宙から宇宙船を水平に着陸させるという構想は年に国立航空諮問委員会 が描いていたもので それは後に 航空工学実験調査機として実現することになった に対してこの提案を行ったのは ヴァルター ドルンベルガーである は実現されなかったが 同様のコンセプトを持つ 実験機は数年後に開発され 年月にの元へと届けられた とは 水平着陸 の意味である スペースシャトルは 再使用することを目的に設計された宇宙船としては初めてのものである シャトルは様な搭載物を低軌道に運び 国際宇宙ステーション の人員を交代させることができ また軌道船は地球を周回する人工衛星その他の物体を回収し地上に持ち帰ることもできるように設計された 各軌道船は 回の飛行もしくは年間の使用に耐えられるように との考えで設計されたが 後にその期間は延長された 宇宙輸送システム の設計責任者は マーキュリー計画 ジェミニ計画 アポロ計画などでも宇宙船の設計を担当したである 軌道船の大きさや形状を決定する際の最も重要な要素となったのは 当時計画されていた商業衛星や秘密衛星の最大のサイズのものを搭載できるようにすることと 極軌道から一周回で離脱するという空軍の秘密計画に対応できるような飛行範囲を持っていることである また衛星を宇宙空間に配置するための高い搭載能力が欲しいという国防総省の要求 および再使用できる機器を持つ宇宙船を開発することによって宇宙開発予算を削減したいというニクソン政権の要求の双方に応えるため 固体燃料補助ロケットと使い捨て型の燃料タンクの併用という方式が選択された シャトル開発でひとつの大きな壁になったのが 大気圏に再突入時の熱からオービタを守り 繰り返し使用可能な熱シールドの開発である オービタは機体を軽量にするために 基本的に航空機と同様のアルミニウムで出来ているが アルミニウムという素材はわずか度程度の温度で柔らかくなってしまい 大気圏再突入時に発生する度以上の熱に耐える事は出来ない そこで 断熱材として素材にシリカガラス繊維を用いた耐熱タイルが開発された シリカは熱を伝える速度が非常に遅いので それを用いた耐熱タイルを用いれば機体のアルミを護ることができる だが まだ問題があった 機体のアルミは熱で膨張するのに対し 耐熱タイルのほうはほとんど膨張しない為 そのまま接着しては温度上昇とともに耐熱タイルは剥がれて脱落してしまう 試行錯誤が繰り返された結果 機体と耐熱タイルの間にフェルトをはさむ事で機体とタイルの膨張率の違いを受け止める方法が浮上した これは特殊なフェルトではなく カウボーイハットなどに用いられるごく普通のフェルトである また 機体とフェルトと耐熱タイルの接着についても アメリカの家庭にありふれた浴槽の防水コーキング用のゴムが接着剤として用いられた 耐熱タイルは万千枚製造され オービタの曲面を覆うため 部分ごとに形状の異なるものがジグソーパズルのように機体に貼り付けられた 素材選択や接着方法の開発が難航した耐熱タイルは やはりスペースシャトルの弱点のひとつとなり 繰り返される飛行で何度も脱落を起こし 大事故の原因にもなった 安全確保のため 帰還後の点検で毎回毎回タイルひとつひとつの状況や履歴を記録しつつ手作業で検査 修復しなければならず シャトルの不安要因のひとつ 大きな重荷のひとつとしてつきまとうことになった 飛行可能な機体は機製造された 初号機エンタープライズは宇宙に行けるようには作られてはおらず もっぱら滑空試験のためのみに使用された 実用化されたのは コロンビア チャレンジャー ディスカバリー アトランティス エンデバーの機である 当初はエンタープライズも進入着陸試験が終了した後に実用機として改造される予定だったが 構造試験のために製造された をチャレンジャー に改造したほうが安上がりだと判断された チャレンジャーは年 発射から秒後に爆発事故を起こして機体が失われたため 機体構造の予備品として残っていたものを集めて新たにエンデバーが製作された コロンビアは年に空中分解事故を起こして消滅した スペースシャトル計画の始まりの段階で の関係者には 一回の飛行あたり万ドルほどのコストで飛ばすことができる などと主張する者もいて そうした甘い見込みのもとに計画は進んでしまった シャトルを繰り返し安全に飛ばすため 再使用する機体の部品は飛行のたびに徹底的な検査が行われたが シャトルを構成する膨大な数の部品の検査にかかる費用は巨額のものとなった エンデバーの製作にかかった費用は約 億ドルで シャトルの一回の飛行にかかる費用は年の時点では約億 万ドルだった だが コロンビアの事故以降は安全対策のコストが上昇し 年には回の飛行につき約億ドルを要するようになった また コロンビア号の事故においても 発射時の映像を確認した職員によって上昇中に剥離した断熱材がオービタに衝突した可能性が指摘されたものの 幹部は提供された情報を軽視したという経緯がある 政治学者のロジャー ピールケ は 年度初頭までにシャトル計画にかかった費用は総額で 億ドル 年度換算 ほどと算定した これによれば打ち上げ一回あたりのコストは億ドルということになる 最終的には スペースシャトルの計回の打ち上げで億ドルもの費用がかかっていた 軌道船は多くの航空機と似たような形状をしており 主翼は内側が 外側が の後退角を持った二重デルタ翼で 垂直尾翼の後退角は である 主翼の後端には枚の動翼が取りつけられている また垂直尾翼後端には空力ブレーキも兼ねた方向舵が設置されていて 降下と着陸の際に高揚力装置 フラップ とともに作動して機体を制御する 胴体部分のほとんどは直径 長さの貨物搭載室が占めていて 観音開きの保護ドアによって覆われている 搭載物は通常は機体が水平の状態にあるときに格納され その後機体とともに発射台上に垂直に設置される 無重力の宇宙空間では 搭載物は飛行士が操縦するロボットアームや船外活動によって放出される また搭載物自体が持っているロケットによって さらに高い軌道へと投入されることもある 機体の後端には メイン エンジンが三角状に配置されている エンジンのノズルは上下方向に 左右方向に 傾けることが可能で 上昇中に推力の向きを変えて機体の進行方向を制御する 軌道船の機体構造は主にアルミニウム合金によって作られているが エンジン部分の支持構造にはチタニウム合金が使用されている 軌道船は飛行目的に応じて 軌道実験室 スペースラブ スペースハブ 搭載物をより高い軌道に投入するためのロケット 慣性上段ロケット ペイロード アシスト モジュール 軌道滞在期間延長機器 キット カナダ アームなど様な追加機器を搭載することができる 製造された機体の中で実際に宇宙に行くことができたのは チャレンジャー号 コロンビア号 ディスカバリー号 アトランティス号 エンデバー号の機である オービタに加えられた主な機器の画像 外部燃料タンク の主な機能は 軌道船のメイン エンジンに燃料の液体水素と酸化剤の液体酸素を供給すると同時に 本のと軌道船を接続し 全体を支える骨組みとなることである はシャトルの中では唯一再使用されない部分で 飛行のたびに投棄されているが 軌道に投入して 宇宙ステーションに接続するなどして 利用することは構想としては検討されていた 固体燃料補助ロケット は基合計で発射時に必要とされる推力の 約 万ニュートン トン を発生し 打上げから分後 高度約万フィート に達したところで切り離され パラシュートで海に着水して回収される 外殻は厚さの鋼鉄でできている は何度も再使用されるもので 一例を挙げれば年に試験発射されたアレス ロケットは 過去回のシャトルの飛行で使用されたの部品を寄せ集めて作られたものであり その中には年の初飛行 で使われたものも含まれていた シャトルはコンピュータ制御されたフライ バイ ワイヤ方式のデジタル飛行制御システムを採用した 初期のころの機種の一つである これは飛行士が操作する操縦桿やペダルと 機体の操縦翼面や姿勢制御システムの間に機械的なリンクや油圧系統などが一切存在しないということを意味する 飛行士が入力した操作は電気信号に変換され 電線 ワイヤ を介して操縦装置に伝えられる フライ バイ ワイヤ方式の最大の懸念は信頼性の問題であり シャトルのコンピューターシステムについては多くの研究開発が行われた シャトルは 製の台の と呼ばれる それぞれ独立して冗長性を持ち 組み込みシステムを構成するビット汎用コンピューターを使用している このうち台は主飛行電子ソフトウェアシステム という特製のソフトウェアで稼働し 残りの台はこれとは別の バックアップ飛行システム というソフトを使用している またこれらを総称して データ処理システム と呼ぶ シャトル用設計の到達目標は フェイルセーフを達成して信頼性を向上させることだった は もし台のコンピューターのうち台が故障してもミッションを継続することができ また台が故障しても安全に着陸できるように設計されている バックアップ飛行システム は台のコンピューターの中で独立して開発されたソフトで 台のメインシステムが故障した時にのみ稼働する が開発されたのは メインシステムはハードウェア的には冗長性を持たせているものの全く同じソフトで稼働しているため もし何らかのエラーが発生した時には台すべてが故障してしまう可能性があるからである 埋め込み式アビオニクスソフトは 一般の商用ソフトとは全く違う環境のもとで開発されている コードラインの数は商用ソフトに比べればごく限られたもので 変更がなされることは滅多になく 広範な試験が行われ ほんのわずかなコンピューターコードのために開発要員や試験要員も含めて多くの人員が関わっている しかし どんなに万全を尽くしても故障というのは常に起こりうるものであり そのような不測の事態に備えては用意された シャトルが退役するまでの間 実際にが操縦を引き継ぐような事態が発生することは一度もなかった シャトルのコンピューターのソフトウェアは に似た と呼ばれる高級プログラミング言語で書かれている これはリアルタイム組み込みシステム環境のために 特別に設計されたものである 製 コンピューターは もともと台あたり約の磁気コアメモリを持ち は毎秒万回の計算を行うことができた ハードディスクはなく ソフトは磁気テープカートリッジからロードした 操縦室の窓と貨物搭載室ドアの間の機体側面には 軌道船の名称が書かれている また搭載室ドア後部の下側には の表象と の文字および星条旗が描かれている 国旗は右側主翼にももう一つある 文字に使用されている書体はヘルベチカである シャトルは年代に開発された宇宙船であるため その当時から安全面における性能や信頼性を向上させるべく多くの改良や改造が施されてきた 内部構造のほとんどは初期に設計されたものとそれほど変わってはいないが アビオニクス 飛行用電子機器 は大きく変貌した たとえばコンピューターのアップグレード 性能向上 に関して言えば 初期の頃のアナログ式のメーター類は廃止され 最新型のエアバスやボーイングに使われているような グラスコックピットと呼ばれるフルカラーの液晶表示板に改められた のようなプログラム入力可能な電卓も 依然として使われている 国際宇宙ステーション の登場により に補給物資を届ける飛行でより多くの貨物をミッドデッキに搭載できるよう 内部エアロックは外部エアロックに置き換えられた 外部エアロックの上部には とのドッキングに使うロシアのアンドロジナスドッキング機構が使われた メイン エンジン もまた 信頼性と出力を向上させるべく何度も改良を施されてきた 発射時に エンジンの出力を に上げる という言い回しが存在することはその名残である これは安全上の限界を超えてエンジンを噴射するという意味ではなく 初期のエンジン出力と比較しての値を指す 長い開発期間のうちに製造元のロケットダイン社は 安全出力を当初の設計値の にまで向上させることができたのだが これまでに作成した膨大な量の文書やソフトを書き直す必要を避けるため という言い回しが残ることとなった の進歩の歴史は フェーズ ブロック ブロック ブロック ブロック のような ブロック番号 となって残されている これらの改良によってエンジンの信頼性 メンテナンス性 性能は大きく向上し 年にはブロックエンジンを の推力にまで到達させることができた ただし通常使用される最大推力は までで または が実現されるのは緊急事態が発生して飛行が中止される時だけである 最初の二回の飛行 と では 外部燃料タンクが太陽光を吸収して内部の温度が上昇するのを防ぐため全体が白色に塗られた しかし地上での試験で必要ないことが分かったので次回からは廃止され その塗料の分だけ軌道に投入できる搭載量が増えることとなった 他のところでは 液体水素タンク内部の桁のいくつかも不要なことが判明したため 軽量化のために取り除かれた 改良を施された軽量タンクはほとんどの飛行で使用されてきたが からは超軽量タンク に置きかえられた 改良型の超軽量タンクにはアルミニウム リチウム合金が使用されていて 最終型の軽量タンクに比べ トンの減量に成功した シャトルは無人では飛行できない設計になっているため これらは実際の飛行で試してみる以外に手段がなかった 固体燃料補助ロケット もまた 何度も改良されてきた 代表的なところではチャレンジャー号爆発事故の後 本体接合部分の密閉性を確保するリングが三重に強化された には他にも性能や安全性を高めるためのいくつかの改良が試みられたが 実現されることはなかった その中の一つに より簡略かつ低コストで 安全面や性能にも格段の向上を果たしたと考えられる発展型 があった は年代半ばに宇宙ステーション計画支援のため製造が開始されたが 開発費が億ドルにまではね上がったため中止が決定された この代替案として 搭載能力を向上させるために超軽量タンクが開発されたが 安全性は向上しなかった また空軍は独自に 分割式ではない一体成形型の軽量を開発していたが こちらもまたキャンセルされた 人間が搭乗せず 搭載物だけを宇宙に送る無人の発射計画も年代以来何度も提案されてきたが そのたびに却下された と呼ばれるこれらの計画は シャトルで蓄積されてきた技術を応用し 再使用という特性を放棄することとひきかえに 大幅なコストの削減が期待できるはずだった 最初の回の飛行では 飛行士は離陸時と帰還時には完全密閉型のヘルメットを着用し 空軍の高度用与圧服を改良した宇宙服を着た 回目の飛行からはこの与圧服は廃止され 青いワンピースのフライトスーツと部分与圧ヘルメットを着用するようになったが チャレンジャー号事故による年間の中断の後に再開された年の飛行からは 打上げ 帰還時にはあまりかさばらないように改良されたヘルメットつきのオレンジ色の部分与圧服 を着用するようになった 年からは 完全与圧式の改良型与圧服 に置き換えられた また軌道船がとドッキングして宇宙に滞在できる期間を延長するために ステーション シャトル電力供給システム が導入された はが発生した電力を使用して軌道船の消耗品の消費を抑えるもので から実用化された 軌道船諸元 エンデバー号 外部燃料タンク諸元 超軽量タンク 固体燃料補助ロケット諸元 完成型詳細 シャトルの発射は すべてケネディ宇宙センターで行われる 発射時に適用される天候基準は以下のとおりである ただし これだけに限定されるものではない 特に落雷が起きる可能性がある場合には シャトルは絶対に発射されない 航空機はしばしば雷の直撃を受けることがあるが 構造が伝導体であることや 電気的に接地されていないために電流が空気中に放電されることなどにより 機体が悪影響を受けることはない これに対してシャトルは 機体構造は通常のジェット旅客機と同じように伝導性のアルミニウムで作られているので内部機器が電流の影響を受けることはないが 発射時に噴射される噴煙が機体と地面をつなぐ電線の役目を果たしてしまう このための基準では 周辺海里以内に積乱雲が発生している場合には発射を行ってはならないことになっている 当日は気象担当官が発射台周辺のみならず 大西洋を越えた緊急着陸地点や 固体燃料補助ロケット の回収点の天候なども監視し 最終的に発射を行うかどうかを判断する シャトルは雷に対してはまず安全だとは思われるが アポロ号が発射された時には実際に落雷で船内が一時停電する事故が発生したため はこの件については特に慎重になっている 長い間 シャトルは月日と月日をまたがっては飛行できなかった 年代に開発されたシャトル用のソフトウェアは年越しができるようには設計されておらず もし飛行中にそれを強行するとコンピューターをリセットしなければならなくなり 予測できないようなエラーが発生する可能性が生じるからである の技術者がこの問題を解決したのは年のことで これによってようやくシャトルは年を越えて飛行できるようになった 発射当日はマイナス分前の最後のホールド 待機 が解除された後 いよいよ最終的な準備段階に入り 管制センターに設置された地上の打上げ管制装置 が秒読み作業を引き継ぐが もしシャトルに搭載された機器に重大な問題が発生した場合には秒読みは自動的に停止される 発射秒前には オート シークエンス スタート と呼ばれる作業工程によって秒読み作業がからシャトルのメイン コンピューターに引き継がれる 発射秒前 マイナス 騒音抑制装置が作動し 猛烈な音響で機体が損傷を負わないようにするために移動式発射台やの火炎偏向板 フレームトレンチ に の水が放出されはじめる 発射秒前 マイナス メイン エンジン のノズル内に停滞している水素ガスを燃焼させて除去するために ノズルの下で電気火花が飛ばされはじめる エンジン周辺にこれらのガスが残っていると 点火する過程で搭載した検知機が異常を感知して 異常な加圧を招いたり爆発したりする可能性がある またこの時 のターボ ポンプが作動して燃焼室内に液体酸素や液体水素を供給しはじめる この間 軌道船の台のコンピューターは相互に指令を交わし 点火に必要なすべての動作を制御する 発射 秒前 マイナス の点火が始まる 点火指令は軌道船の 汎用コンピューター を経由して 番エンジン 右側 番エンジン 左側 番エンジン 中央 の順にミリ秒の間隔を置いて送られる またはの推力を にまで到達させると同時に ノズルの向きを所定の位置に固定する エンジンに点火されると 騒音抑制装置の水が蒸発して大量の水蒸気となり 南側に向かって噴出される 基のの推力はそれから秒以内に に達しなければならず もしそれが実現しなかった場合はがエンジンを緊急停止させる 逆に正常に推力が発生されていることが確認されれば を発射台に固定している本の爆発ボルトが吹き飛ばされ に点火される この時間こそが マイナス と規定されている発射の瞬間であり この直後に機体は上昇を開始する そしては いったん点火されたら燃料をすべて消費するまで燃焼を停止することはできない の排気ガスは北側に向かって掘られた火炎坑に沿って音速に近い速度で噴出され しばしば衝撃波を発生させる原因となる は 台の汎用コンピューターに設定された 発射手順制御装置 と呼ばれるプログラムを介して点火の手順を実行する 上昇中に様な異常事態が発生したときの緊急対応手順 中止方法 は 広範囲なものが用意されている その大部分を占めるのは最も複雑で大きな負荷がかかるに関するもので が原因でチャレンジャー号爆発事故が発生した後には 緊急対応手順はより拡充されたものになった に点火されが発射台から解放されるまでの間 機体はエンジンの推力によって機首下げの方向にわずかに 操縦席付近で約 傾く この運動は の隠語で うなずき あるいは はじき などと呼ばれている その後機体は約秒かけてまた元の位置に揺れ戻ってきて 完全に垂直になった瞬間にに点火されて上昇を開始する 発射整備塔を離れた直後 シャトルは予定軌道に対応するためロール運動とピッチ運動を開始し とが上になった裏返しの姿勢になる 機体はゆるやかな弧を描きながら上昇し 燃料はどんどん消費されて重量が軽くなっていくため 加速度は徐に増加していく 発射直後の加速度は で が切り離される直前は に増大し 切り離し直後はいったん に落ち その後が燃焼を停止する直前にはにまで達する 地球周回軌道に乗るためには垂直方向よりもむしろ水平方向への加速がより多く必要とされるが 機体が視界から消える前はほぼ垂直に上昇していくため 水平方向への運動はほとんど確認することはできない が周回している高度付近での周回速度は秒速 時速 で 地表付近ではマッハに相当する は赤道に対して の傾斜角をもって地球を周回しているので シャトルがランデブーをするためにはその角度に合わせる必要がある マックス付近では 機体の 特に主翼などの弱い部分にかかる空気力学的圧力を抑えるため一時的にの推力が にまで絞られる またその前後では 空気の急激な圧縮と断熱膨張によりベイパーコーン の発生や プラントル グロワートの特異点が起こる 発射秒後 をにつなぎとめていたボルトが爆薬で切断される はブースター分離モーターを噴射して機体の後方へと押しのけられ 残った推力を偏向し度のターンを行い燃焼を完全に終了し 真下を向いて落下する はパラシュートで海に着水して再使用のため回収されるが シャトルはの推力でなおも上昇を続ける この時点では 機体はがなくなったことで推力と重量の比はを下回っているため の力だけでは地球の重力を振り切ることはできなくなる しかし燃焼を続けるうちに燃料が消費されて徐に機体が軽くなり やがて推力 重量比は再びを超え 最終的に軌道に到達するまで二度とを下回ることなく加速を続ける 機体はその後も機首をやや上に向けた姿勢で徐に軌道を水平に近づけ の力で加速する 発射から約分秒後 地上との直接通信が終了し 背面が宇宙空間に向いた姿勢になるよう機体を反転させる 地上との交信は その後は追跡およびデータ中継衛星 を介して行われる 最後の秒間には機体は相当に軽くなっているため 飛行士に負担をかけないよう加速度が以下になるように推力が絞られる メイン エンジンは空転すると機器を傷める可能性があるので 燃料が完全に空になる前に停止される また液体酸素は液体水素よりも前に供給が停止される 液体酸素はより過激に反応する傾向があり また停止直後の加熱した金属部分に触れると爆発するかもしれないからである はエンジン停止後に爆発ボルトで切り離され 大部分は大気圏内で消滅してわずかな部品がインド洋または太平洋に落下するが どこに落ちるかは打上げプロファイルによって変わる タンク内の配管はすべて密閉されており また圧力を解放するような装置は設けられていないため は大気圏下層部で内圧によって破裂する また大気圏再突入時に表面の断熱材が焼失すると 内部に残っていた液体酸素や液体水素を熱から保護する手段がなくなるため 急膨張して爆発の大きな要因になる このような手段によって 地上に大きな破片が落下するのを防いでいる 分離直後は 軌道の近地点はまだ大気圏を離れてはいないので そのままではまた大気圏に再突入することになる そのため軌道船は軌道操縦システム を噴射し 近地点をより高い高度に設定してと衝突するのを防止する 一部の飛行 すなわちミッションなど では 打上げ能力を確保するためにが メイン エンジンの燃焼後期に並行して使用された 投入時の軌道をこのように設定しているのは を宇宙空間に放出せず大気圏内で廃棄するためと もしが点火しなかったり 何らかの理由で搭載室のドアが開かなくなるような事態が発生しても このような軌道にしておけば自動的に地球に帰還できるから という安全上の理由もある 軌道に乗ると シャトルは様な しばしば相互に関連した任務をこなす 年代から年代にかけては とヨーロッパ宇宙機関が共同開発した宇宙実験室 などを含む宇宙科学計画や 多種多様な衛星や科学探査機の軌道投入に使用されてきた 年代から年代にかけては衛星打上げの任務は減少し 計画の焦点はもっぱら宇宙ステーションの建設に移った ほとんどの飛行は数日から週間程度で終了するが 軌道滞在期間延長機器 を搭載したり国際宇宙ステーションにドッキングすれば 滞在期間をさらに延長することもできる シャトルの大気圏再突入の過程では 降着装置をおろすのと 対気速度計に使うピトー管 を展開する作業以外はすべてコンピューターが自動で行うが もし何か緊急事態が発生した場合は手動で再突入することも可能である 滑走路への進入と着陸も自動操縦装置に任せることはできるが 通常は手動で行われる 再突入の作業は まず軌道船の飛行方向を反転させ 機体後部を進行方向に向けることから始まる その姿勢でロケットを進行方向に約分間噴射し 逆噴射 軌道周回速度を ほど減速する これにより 軌道の近地点を下げて大気圏上層部に入るようにする 逆噴射の間にかかる加速度は約 である その後軌道船は反転して機首を下げ 地球から見ればひっくり返した姿勢になっていたので機首を上げる方向 ピッチ軸を時計回り に度回転 機首を進行方向に向ける 逆噴射は 着陸地点のケネディ宇宙センターから見てほぼ地球の裏側の インド洋上空の赤道付近で行われる 高度約の熱圏下層部にさしかかる頃 機体にかかる空気抵抗が顕著になりはじめる この時の速度はマッハ 時速 秒速 ほどである シャトルは ほどの迎角をとりつつ姿勢制御システムと動翼を併用して機体を制御し 長い航跡を引いて速度だけでなく熱も減少させながら次第に降下していく 空気抵抗が増加するにつれ シャトルは宇宙船から次第に航空機としての性格を現すようになる 直進している間は 機体には機首を下げるかもしくは よりも高い迎角をとらせようとする力が働く 軌道船は途中で回 以上の深いバンク角をとった字飛行をする この間迎角は を保ったままで 各ターンは数分間行われる この操作を行うことで 機体の運動エネルギーを上下方向ではなく左右方向に分散して減速する またこの字飛行が始まるのは熱負荷が最も強烈になる時間帯で この間熱保護シールドは灼熱化し 加速度は最大となる 最後のターンが終わる頃には軌道船は完全に航空機 グライダー となっており 機首を下げて機体を水平にし 着陸施設への進入作業が開始される 軌道船の最大滑空比 揚抗比は速度によって相当に変化し 極超音速域では 超音速域では で 滑走路への進入と着陸を行う亜音速域では にまで低下する エドワーズ空軍基地についても シャトルの大陸横断に掛かる多額のコストのため近年はできるだけ利用しない方針が採られており 日本人最後の乗務となった の着陸時にも一時は使用が決定していたが スペースシャトル公文書記録 シャトル退役による宇宙開発計画の間隙を埋めるべく 飛行士や搭載物をに運ぶだけでなく 地球を離れて月や火星まで到達できるような宇宙船が現在開発中である 当初 有人開発船 と呼ばれていた計画概念は その後オリオン宇宙船やコンステレーション計画へと発展した しかし年にオバマ政権はコンステレーション計画の予算を打ち切り 今後は低軌道への衛星発射の事業は民間企業に委託することを提案した 次世代の宇宙船が登場するまでは 飛行士がに到達しまた帰還するためにはロシア連邦のソユーズ宇宙船か または開発中のアメリカの民間商用宇宙船に頼る以外に手段がなくなる オバマ大統領の提案はアメリカ合衆国議会によって承認されたが 次の宇宙船が開発されるまでの年間にシャトルを延長して使用する可能性を含む対抗案も年に議会で検討された しかし結局 シャトルの退役計画は覆されなかった 退役後は ディスカバリーはスミソニアン博物館の国立航空宇宙博物館別館 アトランティスはケネディ宇宙センターの見学者用施設 エンデバーはロサンゼルスのカリフォルニア科学センターにそれぞれ展示される また 国立航空宇宙博物館別館に展示中のエンタープライズは 同館にディスカバリーが展示されることに伴い ニューヨークのイントレピッド海上航空宇宙博物館に移されることになっている 年月 タイム紙は 年に最も影響を与えなかった人 のリストの中にスペースシャトルを挙げ その理由を シャトルは従来のロケットのように格好良くないから とした は次いでへの有人飛行も民間に委ねるべく商業乗員輸送開発 計画を開始し 年にスペースのドラゴン宇宙船とボーイングの 宇宙船を選定した しかし 有人宇宙船の開発はたびたび遅延を繰り返し 民間によるへの有人飛行が実現したのは スペースシャトル退役から年後の年月の事であった はシャトルの着陸訓練に使用されたアメリカ航空宇宙局の練習機である グラマン ガルフストリーム をベースに機が改造された 操縦特性が着陸進入時のオービタの挙動と合致するようになっており模擬的に着陸訓練を行うことが出来た 外観は飛行訓練中の高い空気力学的荷重に耐えられるように改造されていた 操縦室の左席がオービタの制御と視界を忠実に再現していた 通常の飛行は右席のみで可能となっており 訓練空域までの移動などはこちらで操縦する 機体後部には数名分の座席が設置されており が使用できない 人数が多い場合 は名 に はジョンソン宇宙センターとケネディ宇宙センター間の乗員輸送に使用された シャトル派生型打ち上げ機 または単純にシャトル派生機 はスペースシャトル計画で開発された技術を基にしたロケットで幅広い機種がこれまで提案されてきた しかし年現在 どれも実用化には至っていない は既にで複数回 提案されては廃案になるという事を繰り返してきた 年代末から年代初頭には公式に貨物専用のシャトル を研究してきた の概念はシャトル自体が飛行を開始した当時から提案された の概念には以下を含む これらの案に共通するのは既存のスペースシャトルの構成要素を流用する事で開発費を抑え より廉価に新型の重量物を軌道に投入する能力を持つ打ち上げシステムを開発しようという意図である しかし 実際には個の構成要素は新しい目的別には最適化されておらず 従来の構造体を流用する事によって補強が必要になるなど構造重量の増加の一因ともなり 最適化の障害となっている また 有人飛行用としての高度な安全性を備え 再利用を前提としたシステムを使い捨てとして使用しようとした場合 過剰な安全装置等が貨物打ち上げには不要である場合も多い その為 結局 新技術を盛り込んで最適化された構造の完全新規開発の機体と比較して無駄が多い事は否めず 生産 運用の過程で高くつく可能性が指摘されている シャトルはアメリカ航空宇宙局が提案したスペースシャトルの構成要素を流用した無人貨物打ち上げロケットである 外部燃料タンク と固体燃料補助ロケット とメイン エンジンを備えた貨物用モジュールを組み合わせて使用される予定だった 複数のシャトルの概念が年から年にかけて提案された シャトルの概念は理論的にはシャトル計画で開発された再利用技術によって重量物打ち上げロケットの開発費を減らす事が期待された 提案は複数回行われ いずれも既存のシャトルの構造体や使用回数限度の迫ったメイン エンジンや航法コンピュータを流用するというものだった 中にはコロンビア号やエンタープライズ号を回限りの貨物打ち上げ機として使用する案もあった チャレンジャー号の事故の前には年間回の打ち上げを期待していた チャレンジャー号の事故の後にはこの打ち上げ頻度は複数の理由により非現実的である事が明らかになった シャトルは無人であるので高い打ち上げ頻度でも整備費が安く安全性に関する要求水準が低いと考えられた はのビジョン フォー スペース エクスプロレーションで提案されたアレスとアレスの代替案として提案された 元のシャトル派生打ち上げ機ではジュピターと称され より野心的なプロジェクトで重量物打ち上げロケットのレビタリアン 軌道周回支援ステーションオリンピア ガロン重量貨物宇宙船 宇宙ステーションアルゴとヘリオスと乗員貨物船アルテミスから構成され年に打ち上げる計画だった チームは人のメンバーで構成されるとされ の技術者 コンステレーション計画でと契約した技術者とマネージャー人から構成され グループの刊行物によると少数のには属さないメンバーもいる 計画の名称であるはスペースシャトル計画のハードウェアと施設を直接移行する事によって最大限流用する哲学に由来する にはつの派生機種があり年月に最新の 版が発表された 年月日にワシントンで開催された有人宇宙飛行計画委員会の公聴会で明らかになった ジュピターシリーズは現在計画中のスペースシャトル派生ロケットの一つである がコンステレーション計画のために開発していたアレスとアレスの代替として企図された 出来るだけスペースシャトルの構成要素や施設を流用する事が予定される かごめかごめは こどもの遊びの一つ または その時に歌う歌 細取 小間取 こまどり 子捕り 子取り こどり 子をとろ子とろ とも言う 目隠し鬼 などと同じく 大人の宗教的儀礼を子供が真似たものとされる か ご め か ご め か ご の な か の と り ー は い つ い つ で や ー る よ あ け の ば ん に つ る と か め と す べ っ た う し ろ の しょう めん だ ー れ 鬼は目を隠して中央に座り その周りを他の子が輪になって歌を歌いながら回る 歌が終わった時に鬼は自分の真後ろ つまり後ろの正面 に誰がいるのかを当てる 各地方で異なった歌詞が伝わっていたが 昭和初期に山中直治によって記録された千葉県野田市の歌が全国へと伝わり現在に至った 野田市が発祥地といわれることから 東武野田線の清水公園駅の前に かごめの唄の碑 が建立されている 被差別部落を扱っている歌だとされるため 東京では放送できるが大阪では放送できず排除される形となっている 地方により歌詞が異なる なお 文献では このかごめかごめは江戸中期以降に現れる 後ろの正面 という表現は 明治末期以前の文献では確認されていない さらに 鶴と亀 滑った についても 明治以前の文献で確認されていない この歌の歌詞が表現する一風変わった ある意味神秘的な 光景に関しては その意味を巡って様な解釈がある ただ 鶴と亀 以降の表現は明治期以降に成立したと思われるため それらの解釈に古い起源などを求めることは困難である また この歌の発祥の地についても不詳である 姑によって後ろから突き飛ばされ流産する妊婦や 監視された環境から抜け出せない遊女 徳川埋蔵金の所在を謡ったものとする俗説などがある 解釈に際しては 歌詞を文節毎に区切り それぞれを何かの例えであると推定し その後で全体像を論じる形をとっているものが多い 以下に一部を紹介する 特殊相対性理論 とくしゅそうたいせいりろん とは 慣性運動する観測者が電磁気学的現象および力学的現象をどのように観測するかを記述する 物理学上の理論である アルベルト アインシュタインが年に発表した論文に端を発する 特殊相対論と呼ばれる事もある 最も端的に述べると 重力のない状態での慣性系を取り扱った理論である ニュートンは力学を記述するに当たって以下のような いわゆる 絶対時間と絶対空間 を仮定した ニュートン力学 つまり時間と空間はそこにある物体の存在や運動に何ら影響を受けないと仮定したのである これは我が抱いている時間や空間に対する漠然とした感覚を明確化したものであった ニュートン力学の一つの帰結として すべての慣性座標系が本質的に等価であり 同一点上にあるつの慣性座標系 が という変換 ガリレイ変換 によって結ばれる事が示されている ここで は慣性系における時刻と位置であり は慣性系における時刻と位置であり はから見たの速度である ニュートン力学においてすべての慣性座標系は本質的に等価なものであるので ニュートン力学においては空間に対して 絶対的に静止している座標系 といった概念は意味をなさず あくまで 慣性系が慣性系に対して相対的に静止している という概念のみが意味を持つ このことから 力学の法則はすべての慣性座標系で同一であることが結論付けられ この事実を ガリレイの相対性原理と呼ぶ 一方 世紀後半になると 当時知られていた電磁気学に関する基礎方程式がジェームズ クラーク マクスウェルにより マクスウェル方程式として整備された そしてマクスウェル方程式を解くことにより 電磁波の速度を計算したところ これが光速度 と一致したため 光の正体は電磁波であると考えられるようになった そしてそれは正しかった 光学の学問分野でも光の回折を説明するため 光を波だとみなす波動説が広まり 光を伝えるための媒質であるエーテルで宇宙が満たされているという仮説がホイヘンスにより提案された これは後に特殊相対性理論により否定される こうした知見から マクスウェル方程式はエーテルに対して静止している理想的な座標系において電磁気学を記述する方程式とみなされたが エーテルに対して運動する基準系から見た電磁気現象についての理解は未だ不充分であった 今日の目から見ると これは電磁気学とニュートン力学の間に明確な齟齬があった事に起因する まず マクスウェル方程式はガリレイ変換の下で不変ではない すなわち ある慣性系でマクスウェル方程式が成り立つものとすると そこからガリレイ変換で移った別の基準系ではマクスウェル方程式は成り立たず 別の変形された方程式が成り立つことになるのである 実際 ヘルツはこの変形された方程式を運動座標系における電磁場の振る舞いを表す方程式として提案したが や の実験によって否定された またエーテルの存在を仮定することは エーテルに対して静止している 絶対静止系 が存在する事を意味するが 前述のようにニュートン力学におけるガリレイの相対性原理は 絶対静止系 のようなものを認めておらず これは 静止座標系 を認めずガリレイの相対性原理を前提とするニュートン力学の描像とは明確な齟齬をきたしていた 両者の齟齬が特に先鋭化したのは 光の速度に関する解釈である ガリレイの相対性原理を前提とした場合 光の速度は慣性系に依存するはずであるので 光の速度を異なる慣性系で計測すれば マクスウェル方程式が成立するただ一つの 静止基準系 を見つけることができるはずである この発想からマイケルソン モーリーの実験が行われたが 後述のようにどれもが 静止基準系 であるかのような結果が得られてしまった 以上のように 特殊相対性理論以前の物理学はガリレイの相対性原理を認める立場と絶対静止系を認める立場が混然としていたが 両者には上述したような矛盾があるので どちらかを修正もしくは放棄する必要がある 特殊相対性理論以前の理論であるエーテル仮説は エーテルに対する静止系 という絶対静止系を採用する代わりにガリレイの相対性原理を放棄する立場に立っていたのである しかしながらその後 エーテル仮説に対する重大な反証が得られた マイケルソン モーリーの実験 エーテル仮説が正しいとすれば 地球はその公転によりエーテルに対して動いているので 地球上では公転方向に エーテルの風 が感じられ その影響により公転方向とそれ以外では光の速度が異なるはずであるが 実験によりそのような速度差は生じず エーテルの風 の風速はほぼであることが結論付けられたのである これをうけてヘルツ フィッツジェラルド ローレンツ ポアンカレなどの学者がいくつかの理論を提唱したが いずれもエーテル仮説の域を出ず 既存のエーテル仮説にアド ホックな仮定を加えることで整合性を取ろうとする内容だった 例えばローレンツはで 運動する物体が エーテルの風 を受けて収縮する フィッツジェラルド ローレンツ収縮 をフィッツジェラルドと独立に提案し これが原因で マイケルソン モーリーの実験の実験では エーテルの風 の効果がキャンセルされたのだと説明し 収縮度合いを記述した変換式 ローレンツ変換 を定式化したが 検証可能性を欠いていた またローレンツとポアンカレは時間の流れが観測者によって異なるとするとする 局所時間 という相対性理論の萌芽ともいうべき考えを提案し や の実験に合致する電磁場の方程式を導出した 彼らはアインシュタインの重要な先駆者であり 彼らの理論は数式上は相対性理論のそれと一致している しかし彼らの理論はあくまでエーテル仮説に基づいており エーテル仮説の立場を取らない相対性理論とはその物理的解釈が根本的に異なり 下記のような大きな不満が残るものであった こうしたローレンツやポアンカレ等の成果とはほぼ独立にアインシュタインは自身の論文において特殊相対性理論を確立した 特殊相対性理論では エーテルの存在を仮定せず 代わりに理論の基盤として以下の二つの原理を採用した 光速度原理は前述したマイケルソン モーリーの実験の結果から帰結される 実際 この実験の結果によれば 地球から見た光速度は季節によらず同一であった 地球の運動方向や速度は季節によって異なるので この実験の結果は 光速度が系の運動方向や速度によらないことを意味し これはすなわちどの慣性系から見ても光速度が不変である事を強く示唆しているのである 一方 相対性原理はガリレイの相対性原理を緩和したもので 全ての慣性座標系が等価であることは仮定するが 慣性座標系の間の変換則がガリレイ変換であるとは仮定しない この原理は 光速度不変の原理から示唆される 光速度不変の原理によれば どの慣性座標系でも同一であるのだから 絶対静止座標系のような 特別な 座標系は存在せず 全ての慣性座標系は等価であると思われるのである エーテル仮説は エーテルによる 絶対静止座標系 が存在するという仮定を採用し 全ての慣性系は等価であるというガリレイの相対性原理を捨て去ったものであった それに対し特殊相対性理論では ガリレイの相対性原理を緩和した相対性原理を仮定し 代わりに 絶対静止座標 とその基盤であるエーテル仮定とを放棄したのである なお 相対性原理理論の成果はそれまでのニュートン力学と次の意味で両立していなければならない なおアインシュタインは特殊相対性理論の構築において前述した指導原理のみならず 空間の等質性や等方性を暗に仮定していた事をのちに認めている 以上の指導原理をもとに つの慣性系の間の変換則を導く まずはそのための準備として 変換則がどのようなものでなければならないかについて考察する 以下 を光速度とし 計算を簡単にするため 時間の単位として時刻 のかわりに を用いることとする の単位は距離の単位と一致するので これは時間と距離に同一の単位を用いた事を意味する 今 慣性運動する人の観測者 すなわち何ら外力のかかっていない観測者 がある一点ですれ違ったとする の慣性系における位置と時刻を表す座標系を とし の慣性系における位置と時刻を表す座標系を とする なお 両者の座標系で同一の光速度 を用いることができるのは 光速度不変の原理 による ここで注意しなければならないのは つの慣性系における時刻 が同一であるとは仮定していない事である すなわちここで ニュートン力学の前提であった絶対時間の概念が放棄されているのである 必要なら位置と時刻の起点を取り直すことで がすれ違った位置と時刻がどちらの座標系でもであるとしてよい このとき これらつの座標系の間の変換則をテイラー展開したものを考えると 何らかの定数ベクトル と行列 ラムダ とを用いて と表記できる しかし がすれ違った位置と時刻がどちらの座標系でもであるとしたことから でなければならない また二次以上の項もゼロでなければならない なぜなら もし二次以上の項があるのであれば の系で外力が加わっていないにも関わらず は に対して加速度運動していることになってしまうからである よって と線形変換でなければならない すなわち 特殊相対性理論は次元のベクトル空間で記述され 慣性系はそのベクトル空間の基底であり 慣性系の間の変換は線形写像である事がわかる 前述した考察により 特殊相対性理論では時空間は次元のベクトル空間で記述される事がわかった このベクトル空間の点を世界点と呼ぶ 慣性座標系から見てある時刻 に 次元空間上の を光が通過し この光が時刻 に位置 まで伝播したとする 光速度は であったので これは すなわち である事を意味する 世界点 と世界点 の間に定義される量 を世界間隔もしくは世界距離と呼ぶことにすると ある慣性系において が成り立つならば 他の任意の慣性系でも が成り立つことになる よって 微小世界間隔 は同次微少量であることから という関係式が成り立つはずである ここで 時空の均質性からこの係数 は慣性系間の相対速度の絶対値にのみ依存することが要請される 三つの慣性系 の間の相対速度を などとすると それぞれの慣性系における微小世界間隔 および係数 についての関係式として が得られるが 後者の左辺は の絶対値にのみ依存するのに対して右辺は向きにも依存するので この関係式が成り立つのは のときのみである したがって 微小世界間隔はあらゆる慣性系間で保存されることになるので 有限の世界間隔についても慣性系間での保存量となる 世界距離の定義から 以下の内積風の二項演算子 を考えると 世界距離の二乗は に一致する このような二項演算子 をミンコフスキー内積もしくはミンコフスキー計量と呼び ミンコフスキー内積の定義されたベクトル空間をミンコフスキー空間と呼ぶ ミンコフスキー空間上の点を世界点もしくは事象と呼び ミンコフスキー空間のベクトルは通常の次元のベクトルと区別する為 元ベクトルという なお 世界点 は と原点 とを結ぶ元ベクトル と自然に同一視できるので 以下 表現に紛れがなければ世界点を元ベクトルとして表現する 特殊相対性理論は 時空間をミンコフスキー空間として記述する理論である をミンコフスキー ノルムといい 世界点 に対し が非負であれば の平方根を の世界距離という なお 世界 距離 という名称ではあるが といった点から数学的な距離の公理を満たさない また は常に定義できるとは限らないばかりかミンコフスキー ノルムが定義できる値に対しても三角不等式の逆向きの不等式 が成り立つ事から ミンコフスキー ノルムも数学で通常使われるノルムの定義を満たさない 本項では ミンコフスキー内積を としたが 書籍によっては符号を逆にした をミンコフスキー内積としているものもあるので注意が必要である 本項と同じ符号づけを時間的規約 本項とは反対の符号づけを空間的規約と呼んで両者を区別する また本項ではミンコフスキー内積を で表したが で表したり 両者を混用したりするものもある 例えばでは 特殊相対性理論の場合は を用いているのに一般相対性理論では を用いている またではミンコフスキー内積には を用いているのにその行列表示は で表している を 次元実ベクトル空間とし を 上の対称二次形式とする このとき の基底 と非負整数 が存在し が成立する事が知られている しかも は のみに依存し 基底 には依存しない シルヴェスターの慣性法則 となる二次形式 をミンコフスキー計量と呼び 組 を 次元ミンコフスキー空間という 特殊相対性理論で用いるのは 次元がの場合なので 以下特に断りがない限り とする 空間方向の次元をに落としたミンコフスキー空間を図示した 図では何らかの慣性系から見たミンコフスキー空間が描かれており この慣性系に対して静止している観測者 が原点にいる この観測系における座標の成分表示を とする この観測者にとっての時間軸 は図で 時間 と書かれた軸であり この観測者にとって時間は時間軸にそって流れる 従って図の上方が未来であり 下方が過去である 観測者が慣性系に対して静止している事を仮定したので 時間が 秒経つと 観測者のミンコフスキー空間上の位置は に移る 一方 この観測者にとって現在にある世界点の集まり すなわちこの観測者にとっての空間方向 は図の 現在 と書かれた平面であり この観測者からみた空間方向の座標軸 が空間と書かれた二本の軸である 世界距離の定義から 原点を通る光の軌跡は を満たす この方程式を満たす世界点の集合はつの円錐として描かれ これを光円錐という 図の上にある逆さまの円錐が未来の光円錐 であり 図の下にある円錐が過去の光円錐 である 原点を通る光の軌跡は 光円錐上にある直線である 観測者は光を使って物をみるので 過去の光円錐の上にある世界点が観測者に見える もちろん 他の物体に遮られなければ ミンコフスキー空間上の元ベクトル の終点が 未来もしくは過去の 光円錐の内側にあるとき は時間的であるといい 終点が光円錐の外側にあるとき は空間的であるといい 光円錐上にあるとき は光的であるという 定義より明らかに 以下が成り立つ 光円錐上の点 は という座標系と無関係な値の符号で特徴づけられるので 元ベクトルが時間的か 空間的か 光的かは原点を起点するどの慣性座標系からみても不変である事がわかる 特に 光円錐は原点を起点するどの慣性座標系からみても同一である 原点を通る観測者から見た慣性座標系を一つ固定すると 前述のようにその慣性系座標系における二つの位置ベクトル間のミンコフスキー内積は と書ける このような座標系で と定義すると はあきらかにミンコフスキー空間の基底であり しかも を満たす ユークリッド空間の類似から式を満たす基底 を正規直交基底と呼ぶ事にすると 慣性座標系から正規直交基底がつ定まった事になる をこの基底の時間成分といい をこの基底の空間成分という 逆に式の意味で正規直交基底である を一つ任意に選び この基底における座標の成分表示を と書くことにすると ミンコフスキー内積が式を満たすことを簡単に確認できる 以上の議論から 原点にいる観測者の慣性座標系と正規直交基底は対に対応する事がわかる 従って以下両者を同一視する ただし 正規直交基底の中には するものもあるので このようなものは以下除外して考えるものとする 運動している質点がミンコフスキー空間内に描く軌跡を世界線と言う 今 世界線が原点を通る直線となる質点があったとし その直線の 元 方向ベクトルを とする 長さは問わない この質点の運動を慣性座標系 にいる観測者 が原点で眺めたする この慣性座標系における の成分表示を とすると 次元ベクトル は から見た質点の速度ベクトルであると解釈できる 次に の速度を光速と比較してみる の速度が光を下回る必要十分条件は となることであるので これを書き換えると となる ミンコフスキー計量の定義より この式は と慣性座標系によらない形で表現できる 従って であれば どの慣性系から見ても光速度を下回り 逆に であれば どの慣性系から見ても光速度を上回る 前述のように の正負によって を時間的もしくは空間的と呼ぶので まとめると以下が結論づけられる 最後のものは光速度不変の原理からの直接の帰結でもある なお 上の議論では 質点の世界線が直線である事を仮定したが そうでない場合も原点での接線を として同様の議論をする事で同じ結論が得られる ローレンツ変換とは ミンコフスキー空間 上の線形変換 でミンコフスキー計量を変えないもの すなわち任意の元ベクトル に対し が成立するものの事である ユークリッド空間で内積を変えない線形変換は合同変換であるので ローレンツ変換とは ミンコフスキー空間における合同変換の対応物である ただし正規直交基底の場合と同様 ローレンツ変換にも が存在するのでこのようなものは以下除外して考える なお 空間方向の向き 時間方向の向きの両方を保つローレンツ変換を正規ローレンツ変換という事があるが 本項では以下 特に断りがない限り 単にローレンツ変換と言ったならば正規ローレンツ変換を指すものとする ローレンツ変換 と元ベクトル を使って の形に書ける線形変換をポアンカレ変換という 特殊相対性理論では 人の観測者が原点で出会ったケースにおいてローレンツ変換に関して議論する事が多いが これは出会った場所を原点に平行移動した上で議論しているという事なので 実質的にはポアンカレ変換に関する議論である事が多い この定理はユークリッド空間におけるつの正規直交基底が直交変換により写りあう事の類似である 前述のように 正規直交基底は慣性座標系と対応している よって上の定理は 以下を意味する ローレンツ変換の具体的な形を求める為 まずは基底をより解析がしやすいものに置き換える 基底 の 空間部分 である の張るミンコフスキー空間上の部分空間を とし 同様に基底 の空間部分である の張るミンコフスキー空間上の部分空間を とすると これらはそれぞれの慣性座標系における空間方向を表している を 内で回転した別の正規直交基底に取り替えても と実質的に同じ慣性系を表しているとみなしてよい そこで をそれぞれ 内 内で回転することで ローレンツ変換 の行列表示 を簡単な形で表すことを試みる と の共通部分 を とすると は次元ベクトル空間上のつの次元部分ベクトル空間の共通部分なので は次元 以上 のベクトル空間である 従って 内で を回転することで としてよく 同様に 内の回転により とできる 最後に 内で を回転することで としてよい これらの基底に対し 式を満たすローレンツ変換 の行列表現を とする これはすなわち を満たすという事であり これらつの基底における座標の成分表示をそれぞれ とすると が成立するという事でもある であったので ローレンツ変換の行列表示は という形であり ローレンツ変換がミンコフスキー空間における 回転 であったことを利用すれば 上の行列の の部分が という形であることがわかる これを導く厳密な方法はいくつかあるが 簡便な方法としては虚数単位 を用いて時間軸を と置く事で通常のユークリッド空間の回転とみなせる ウィック回転 という事実を使うものがある 最終的につの基底における座標の成分表示の関係式は以下のように書ける事がわかる この値 は正規直交基底の取り方に依存せず ローレンツ変換 の固有値のみによって決まることが知られており を のラピディティという なお は と具体的に求めることもできる 慣性座標系 にいる観測者 は 原点を通過した後 という直線 世界線 にそって進んでいく この様子を別の観測者 の慣性座標系 で記述した式は式に を代入した によって表現できる この世界線の 傾き は人の観測者の相対速度と解釈できるので 観測者 から見た観測者 の相対速度を とすると となる よって チェンバロ は 弦をプレクトラムで弾いて発音する鍵盤楽器である 英語ではハープシコード フランス語ではクラヴサン という 狭義にはグランド ピアノのような翼形の楽器を指すが 広義には同様の発音機構を持つヴァージナルやスピネット等を含めた撥弦鍵盤楽器を広く指す チェンバロはルネサンス音楽やバロック音楽で広く使用されたが 世紀後半からピアノの興隆と共に徐に音楽演奏の場から姿を消した しかし世紀には古楽の歴史考証的な演奏のために復興され 現代音楽やポピュラー音楽でも用いられている 撥弦鍵盤楽器の大きさや外形は多様であるが 発音機構の基本は共通している 鍵を押し下げると 鍵の他端に立てられているジャックと呼ばれる板状の棒が持ち上がり ジャックの側面に装着されたプレクトラムが弦を下から上に弾いて音を出す 鍵から手を放すとジャックが下がる このときプレクトラムは回転するタングに取り付けられているため弦を回り込んで下に戻る ジャックが元の位置に戻るとジャック上部のダンパーによって弦の振動が止められる 以下では上記の基本原理をより詳細に説明する 鍵 は単純な梃子で 鍵にあけられた穴に差し込まれたバランスピン を支点として動く ジャック は 木製の平たく細長い棒で 鍵の端に垂直に立てられ 上下のジャックガイド レジスターとも で支えられている ジャックガイドは スパイン 左側の長い側板 側からチーク 鍵盤右の短いまっすぐな側板部分 側まで走るギャップの中に設置される ほぞ穴のある細長い枚の板で このほぞ穴の中をジャックが上下に動く アッパー ガイドはしばしば可動である イタリアのチェンバロでは ボックス スライドと呼ばれる厚みのある単一のジャックガイドが用いられる ジャックにはタング 図 という木製の可動の部品が取り付けられており タングにはプレクトラム 図 が取り付けられる タングはプレクトラムに上から力がかかる場合は動かないが 下から力がかかる場合は回転してプレクトラムをそらすように動作する これによってプレクトラムが下から上に弦を弾いた後 上から下へは弦を弾かずに戻ることができる タングはイノシシの毛や薄い真鍮板などで作られたバネによって保持されており 動いた後はバネの弾力により元の位置に戻る プレクトラムは通常ごく僅かに上方向に角度をつけて取り付けられ 弦の下ぎりぎりの位置に設置される 歴史的にはプレクトラムはワタリガラス などの鳥の羽軸で作られていたが 現代では保守が容易なデルリン製のプレクトラムを用いる場合も多い プレクトラムが弾く弦の箇所 プラッキング ポイント は音質を決定する重要な要素であり ナット 図 手前側にあるブリッジと共に弦の振動長を決定する構造 からの距離で示される ナットに近い位置で弦を弾くと倍音が強調され 鼻にかかった 音色となる 一般にプラッキング ポイントの距離は低音域に向かって漸増するが 弦の振動長 ナット ブリッジ間距離 に対する比率は減少する ジャックの上部にはフェルト製のダンパーが付けられており ジャックが持ち上がっていないときにはダンパーが弦の上に乗り消音するようになっている 操作されていない状態のジャック ジャックの一番上にはフェルト製のダンパー 図 が突き出ており 鍵が押されていないときには弦の振動を止めている 鍵を押すことでジャックが上がり始めた状態 ジャックが上昇するにつれ弦に押し当てられたプレクトラムは徐にたわんでいく プレクトラムは湾曲の限界点を超えて 弦を弾き 振動を起こす 音の発生 ジャックの垂直に跳ね上がる動きはジャックレール 図 によって止められる ジャックレールの内側はジャックの衝撃を和らげるために柔らかいフェルト 図 がつけられている 鍵から手を離すと 鍵のもう一方の端は自重で元の位置に戻り それに従ってジャックも下に降りる この際プレクトラムは再び弦に接触するが タング 図 の働きによって ほとんど音を生じさせることなく弦の下に戻る ジャックが元の位置まで降りるとダンパーが弦の上に乗り消音する 弦の素材には真鍮 鉄 丹銅などが使われる 一般にスケールの短いタイプの楽器では全域で真鍮弦が用いられるが 長いスケールの楽器では高音域に鉄弦を用い 低音域に真鍮弦 さらに最低音域では丹銅弦が用いられる 弦の一端 鍵盤から遠い側 は小さな輪を作りねじって止めたものを ヒッチピン 図 にかける ヒッチピンはライナー に打ち込まれている もう一方はチューニングピン 図 に巻き取り 適切な音高となるように調整する チューニングピンは堅い木で作られたレストプランク ピンブロックとも 図 にねじ込まれている 近代的なピアノのような金属フレームを持たないチェンバロは 湿度の変化に弱く 調律が変動しやすいため 演奏者は演奏のみならず 自ら調律する技術も要求される 弦はブリッジ 図 を介して響板 サウンドボードとも 図 を振動させる 響板とケースの構造体は 弦の振動を効率良く空気の振動へ変換し 音量を拡大する 響板は一般的にトウヒやモミあるいはイトスギなどの針葉樹の木材の 程度の薄い板である イタリアのチェンバロの響板は 裏側全体がリブで補強されている物が多くあるが フランドルのルッカース一族 及びその影響を受けた様式のチェンバロの響板は リブがあるのは低音側手前の領域のみで ブリッジの下にはリブを持たない 通常 響板の低音側の手前の部分には リュートやギターのように穴が開けられ 木や羊皮紙 または金属の装飾が嵌め込まれる これをローズと呼ぶ イタリアのチェンバロのケースは 底板を基礎とした構造で側板は薄い 製作は底板に次に部品を取り付けていく方法で行われる まず底板が用意され その上に縁に沿って側板やライナーを支えるための三角形の板 ニー が数枚立てた形で取り付けられる 数本の補強材 ボトム ブレース とローワー ベリーレールが底板を横切って取り付けられ アッパー ベリーレールがローワー ベリーレールの上に取り付けられる ニーの上部にライナーが取り付けられ ベントサイド側のライナーは さらに底板にかけて斜めに補強材 アッパー ブレース が数本取り付けられる そうしてできた骨格の周囲に側板が貼られる これに対し フランドルのルッカース一族 及びその影響を受けた様式のチェンバロでは 厚い側板の枠組みがケースの構造の基礎となっている まず側板とレストプランク ベリーレール ブレースを組んで外枠が作られ 響板を取り付けた後 最後に底板が取り付けられる 以下の画像の楽器は世紀フランス様式のものであり 後者に属する チェンバロの音量は打鍵の強弱には殆ど依存しない しかしチェンバロは音量 音色を段階的に切り替える仕組みを備えているものが多い 音色の選択機構および音色単位そのものを オルガンの用語と同様に レジスター もしくはストップと呼ぶ 音量の増加と音色の変化を得る方法として 複数の弦列を備えて それらを共に鳴らすことが挙げられる ピッチの異なる弦列を共に鳴らすことも行われる 複数の弦列を共に用いる場合 プレクトラムが同時に弦を弾くようになっていると タッチが重くなり演奏に支障を生じる そのため各弦列の間で発音に僅かな時差が生じるように調節される これをスタガリングと呼ぶ またスタガリングにより 鍵盤を押す速さによって発音の集中の度合いが変化するため タッチによる表現がより豊かになる 音色の違いは プラッキング ポイントの違いによっても得られる ナットに近い位置で弾くほど 倍音が強調され 鼻にかかった 明るく細い音になる 同じピッチでプラッキング ポイントの異なるレジスターを持つ場合 相対的にナットに近いところを弾くものを フロント と呼び ナットから遠いところを弾くものを バック と呼ぶ 特にナットに近い位置を弾くレジスターとしてナザールがある その他 弦のナット近くに革やフェルトを接触させて振動を抑えることでピッツィカート的な音にするバフ ストップ プレクトラムに揉み革を用いて柔らかい音を出すポー ド ビュフル などがある レジスターの選択は 上のジャックガイドを少し横に動かし プレクトラムが弦に触らないようにして 除音 の状態にすることで実現される バフ ストップの場合は 革やフェルトの小片の並んだレールを横に動かして接触を切り替える レジスターの操作は 一般に直接あるいはレバーを介してジャックガイドを手で動かして行うため レジスターを切り替えるためには鍵盤から手を移動させなければならないが 世紀後期には膝レバーやペダルでレジスターを操作する機構を持つ楽器も作られた 楽器に複数の鍵盤を備えることで 鍵盤ごとに異なる音量 音色を持たせ それらを対比して用いる演奏が可能となる 複数の鍵盤を持つ場合 上下鍵盤のレジスターを結合する機構を備えることが一般的である これには主に種類あり 一つは 引き出し型カプラーで 上鍵盤が前後にスライドするようになっている 上鍵盤を奥に入れることによって 下の段の鍵盤に取り付けられた垂直方向のクサビ状の突起が上の段の鍵盤の端の下に入る この状態で下段鍵盤を操作すると同時に対応する上段鍵盤が連動する 逆に上段を操作しても下段鍵盤は連動しない 鍵盤とカプラーの位置の選択によって 奏者は図におけるジャック と およびつ全てという選択肢を得る もう一つは ドッグレッグ ジャック 英 と呼ばれるもので 上鍵盤は 犬の足 ドッグレッグ 型のジャック 図 のくぼみにもぐりこんでおり 下鍵盤を操作しても上鍵盤を操作してもジャックは動く カプラー式のように下鍵盤からジャックを使用する際に上鍵盤を介する必要がないが ジャックの使用を上鍵盤に限定することは出来ない これらの機構により 下鍵盤の強音と上鍵盤の弱音の対比を効果的に行うことができる ルッカース一族の楽器にみられる二段鍵盤は 上述のような対比型二段鍵盤とは異なり 上下鍵盤が四度ずれた配置で同一の弦を弾くもので 移調に使われたと考えられている イタリアやフランドルのチェンバロの鍵盤は 現代のピアノと同じくナチュラル キーが白ないし明るい木材の色でシャープ キーが黒いが フランスでは逆にナチュラル キーが黒くシャープ キーが白い鍵盤が好まれた ドイツのチェンバロやモダン チェンバロにも白黒の逆転した配色の鍵盤が見られる チェンバロの鍵盤は一般に現代のピアノの鍵盤よりも奥行きが短い これは当時の親指をくぐらせない運指に関係している 鍵の横幅はイタリアやフランドルのチェンバロではオクターヴで約程度で現代のピアノに近いが フランスのチェンバロの鍵は横幅が狭く 世紀フランスの典型例はオクターヴで約である ルッカースの一段鍵盤のチェンバロの音域は殆どが であるが ショート オクターヴではない半音階の低音を持つものもわずかながら製作された 二段鍵盤の楽器は一般に下鍵盤に 上鍵盤に の鍵盤を有し 両鍵盤は最高音で揃えられて同一の弦を共有している したがって上鍵盤に対して下鍵盤のピッチは四度低い より音域の広い 下鍵盤が 上鍵盤が で 同様に両鍵盤を最高音で揃えた二段鍵盤の楽器も作られた この場合は逆に下鍵盤に対し上鍵盤のピッチが四度低い ヴァージナル スピネットなども チェンバロと同様の発音原理による鍵盤楽器である ただし チェンバロ ヴァージナル スピネットといった名称は 歴史的には曖昧に用いられており 厳密に区別することは難しい ヴァージナル は小型の撥弦鍵盤楽器で 弦が楽器の長辺および鍵盤と平行に張られているものを指す 特に長方形の楽器を指すこともある 一般に弦は一組のみで 手前に低音 奥に高音の弦が張られる そのため鍵の全長は低音で短く 高音で長い ヴァージナルという語は年頃のプラハのパウルス パウリリヌスによる記述に最初に見られる 語源に関しては様な説があるが確かなことはわからない ヴァージナルという語の指し示す範囲はしばしば曖昧である エリザベス朝の頃のイギリスでは という語は撥弦鍵盤楽器全般を指していた イタリアの多角形のヴァージナルはスピネットと呼ぶことが多い イタリア語には本来ヴァージナルという語は存在せず や と呼ばれていた イタリアのヴァージナル あるいはスピネット は 長方形 あるいは多角形のケースで 突き出た形の鍵盤を持つものが多い フランドルのヴァージナルは 鍵盤が本体の左側に位置するスピネット型と 右側に位置するミュゼラー型 に分けられる どちらも一般に長方形で鍵盤が窪んだ場所に位置し本体から突き出ない イタリアのヴァージナルやフランドルのスピネット型のヴァージナルでは弦を弾く位置が通常のチェンバロに近いが ミュゼラーでは全域で弦の中央に近い所で弾かれる このことにより 基音が強く倍音の弱い 独特の太くて暖かい音質を持つ しばしば倍音を補うためにアルピコルドゥムという金属片によってざわざわした音を付加する装置がテノールからバスの音域に付けられる ミュゼラーでは中低音域のアクションは楽器の響板の真ん中に置かれるため この音域を弾くときの打鍵音が増幅される問題がある 加えて 弦の中央付近で弾くために まだ響いている弦の動きがプレクトラムが再度弦に触れることを難しくしてしまい 低音部の連打が難しい このようなことから ミュゼラーは複雑な左手のパートを持たない 旋律と和声の組合わせのような曲に向いているとされる ミュゼラーは 世紀には人気があったが 世紀にはあまり使われなくなった 世紀のある評論家は ミュゼラーは 低音部では若い豚のようにブーブー言う と評している フランドルでは大小台のヴァージナルを組み合わせたダブル ヴァージナルも作られた スピネット は小型の撥弦鍵盤楽器で 弦が鍵盤に対して斜めに張られているものを指す 一般に弦は一組のみで鍵盤も一段のみである 典型的にはおおよそ三角形の形状で右側板が湾曲している ベントサイド スピネット を指す ベントサイド スピネットは特に世紀のイギリスでヴァージナルに代わる家庭用鍵盤楽器として普及した ヴァージナルと同じくスピネットという語の指し示す範囲もしばしば曖昧である イタリアでは小型の撥弦鍵盤楽器全般を指して という語が使われた フランスでは という語はイギリスにおける と同様に撥弦鍵盤楽器全般に対して用いられた クラヴィツィテリウム は響板と弦が垂直に 奏者の顔の前にくるように立てられた楽器である 同様の省スペース原理は 後のアップライトピアノでも用いられることとなった 興味深いことに 現存最古のチェンバロはクラヴィツィテリウムである クラヴィツィテリウムはチェンバロの主流とはならなかったが その後も散発的に製作され続けており 世紀にはフランドルのアルベルトゥス ドゥランによって優れたクラヴィツィテリウムが製作されている クラヴィオルガヌム はチェンバロやヴァージナルをオルガンと組み合わせ 両方の音を同時に鳴らすことのできる複合楽器であり ヨーロッパ各地で製作された 現存する最古のチェンバロは 年頃おそらくドイツのウルムで作られたクラヴィツィテリウムで ロンドンの王立音楽大学に保存されている 製作者名と製作年代の分かる最古のチェンバロは 年から年にフィレンツェのヴィンチェンティウスによって作られたものであり 次に年のボローニャのヒエロニムスによるものが続く イタリアのチェンバロの側板は薄く ケースの外形は細長い イタリアでは多少の変化がありながらも 世紀末まで独自の様式のチェンバロ製作の伝統が維持された 年頃イタリアのバルトロメオ クリストフォリがピアノを発明したが ピアノは当時のイタリアでは大きな影響を与えることがなかった アルプスから北では年にライプツィヒのミュラーによる作例が存在する 薄い側板のケースはイタリアの楽器と同様であるが ずんぐりとした外形や ボックス スライドではない枚構成のジャックガイドはイタリアの楽器に見られない特徴である このような北ヨーロッパの初期のチェンバロは かつてはイタリアの楽器から派生したものと考えられたが 現在はむしろイタリアのチェンバロ製作の伝統が北ヨーロッパに起源を持つ可能性が高いと考えられている フランドルでは世紀末から世紀前半にかけてアントウェルペンのルッカース一族がチェンバロの製作において成功を収めた ルッカースのチェンバロはイタリアのものより厚い側板が用いられている ルッカースの楽器は高く評価され 後にしばしば改造を施されながらも各地で使われ続けた そして他の地域のチェンバロ製作にも大きな影響を与えた ルッカースのチェンバロが各地に輸出される一方で 北ヨーロッパの他の地域ではルッカース以前からの北ヨーロッパの在来の様式によるチェンバロが製作されていたが その後 世紀のフランスでは ルッカースに倣ったチェンバロが作られるようになり 世紀フランス様式のチェンバロはフランドル様式の構造を受け継ぎながら より広い音域と優美な音色を持つことになった 有名な製作者としてはブランシェ一族やパスカル タスカンなどが挙げられる チェンバロは世紀後半から より強弱表現に長けるピアノに徐に人気を奪われ 世紀中は殆ど演奏されることがなくなり 楽器製作の伝統も途絶えた プレイエル社もタスカンの楽器を研究し 両社とも年のパリ万国博覧会にチェンバロを出品した ドイツでは通称 バッハ チェンバロ と呼ばれる楽器 がチェンバロ復興の参考にされた この楽器の 下鍵盤に と 上鍵盤に と という歴史的なチェンバロでは特殊なレジスター構成が理想的なものとされ モダン チェンバロに大きな影響を与えた 年にベルリンのヴィルヘルム ヒールによってこの楽器に基づいたチェンバロが製作されている この楽器は 鉄製のフレームを持ち 太い弦が高い張力で張られ 響板の補強法はグランド ピアノとほぼ同じで ケースも頑丈に作られていた 下鍵盤に 上鍵盤に の構成で レジスターは本のペダルで操作された プレイエル社の楽器はドイツのチェンバロ製作にも影響を及ぼし 幾つかのメーカーはプレイエル型のレジスター構成や鉄製フレームを採用した ノイペルト ヴィトマイヤー シュペアハーケ アンマー ザスマンなどのメーカーにより製造されたモダン チェンバロは世界各地に輸出され 演奏家や聴衆の一般的なチェンバロのイメージとなった 一方で世紀半ば頃からフランク ハバード ウィリアム ダウド マルティン スコヴロネックなどの製作家により歴史的なチェンバロの研究がなされ 伝統的製法の再現が試みられた 彼らの作る楽器は高い人気を博し 他の多くの製作家たちも歴史考証的な楽器の製作に転じた 現在では歴史考証的な楽器が主流となり ルネサンス バロック期の音楽を演奏する際に モダン チェンバロを用いることは殆ど無い 一方 モダン チェンバロを前提とした音楽作品 例えば フランシス プーランクの クラヴサンと管弦楽のための田園のコンセール などはモダン チェンバロで演奏するのが妥当とされる イタリアのチェンバロは 底板を基礎として支持材を組み 約 程度の薄い側板を貼り合わせた構造をとっている ケースの素材には主にイトスギ材が用いられた 一般にこの薄手の本体は より頑丈なアウターケースに収納された 後に単一の厚手のケースを持つ楽器も現れたが 外見上は従来通りアウターケースの中にインナーケースが納められているかのように装飾がほどこされた これを フォルス インナー アウター 偽インナー アウター と呼ぶ 弦長は全音域の 程度までオクターヴごとに倍になる自然な比率に従っている そのためベントサイドは深く窪み 外形は細長い 鍵盤は一段鍵盤が一般的である 弦列は世紀には または の構成が一般的であったが 世紀以降は が主流となった これは通奏低音の演奏に適応したものと考えられる 世紀の楽器や文献は 高音域で鉄弦が使用されたことを示唆しているが 世紀以降は全域で真鍮弦を使用することが一般的となった ジャックガイドは上下枚構成ではなく ボックス スライドと呼ばれる単一の厚みのあるものが用いられる レストプランクの幅は高音域で狭く ジャックの列は斜めに並ぶ 響板の裏側は 数本のリブがブリッジの下を横切って取り付けられることが多い イタリアのチェンバロの音質は 減衰が早く 歯切れの良い音が特徴である フランドルのチェンバロ製作では アントウェルペンのルッカース一族が重要な役割を果たした ルッカース一族の工房は ハンス ルッカースが年にアントウェルペンの聖ルカのギルドに加入してから 約世紀に渡ってアントウェルペンのチェンバロ製作を支配した ルッカースのチェンバロは 厚い側板を上下の内部補強材によって連結した枠組が構造の基礎となっており 底板は後から取り付けられた ケースの素材にはポプラ材が用いられ 側板は約程度の厚さを持っている 高音域の弦長が長めで 低音域の弦長は抑えられており イタリアのチェンバロよりもずんぐりとした外形をしている 高音域は鉄弦 低音域は真鍮弦が使われた 標準的な弦列構成は で にはバフ ストップを備える 音域は通常ショート オクターヴの からまでのオクターヴである プラッキング ポイントはナットに近く 一段鍵盤のルッカースのチェンバロの のプラッキング ポイントは ほぼ世紀フランスのチェンバロのフロント に相当する ブリッジはイタリアの楽器のものよりも大きく 響板のブリッジの下にはリブを持たない のブリッジと のブリッジの間の響板の裏側には のヒッチピンにかかる張力に耐えるための補強として ヒッチピン レールがある のブリッジの手前の裏側には斜めにカットオフ バーと呼ばれる細長い棒が取り付けられ カットオフ バーによって区切られた三角形の領域がリブで補強されている ルッカースのチェンバロの音質は イタリアのものとは明らかに異なり 響きが長く持続する ルッカースは二段鍵盤のチェンバロも製作したが これは上下で四度ずれた配置の鍵盤で同一の弦を弾くものであり 四度の移調を容易にするためのものであったと考えられている 通常 の下鍵盤が の上鍵盤と最高音で揃えられており 下鍵盤では上鍵盤より四度低い音が鳴る また下鍵盤のプラッキング ポイントは上鍵盤よりナットから遠い ルッカースのチェンバロは規格化された幾つかのサイズで製作され 装飾も規格化されている 外装は大理石を模した柄や鉄帯模様が描かれ 内装は文様を印刷した紙が貼られた 響板およびレストプランク表面は 花や果物 鳥 昆虫 エビなどがテンペラ画によって描かれた このような響板装飾はイタリアの楽器には見られない特徴である ローズは鉛と錫の合金で鋳造され金箔が貼られた ローズの意匠はハープを弾く天使で 製作者のイニシャルが左右に配される 蓋の内側は文様紙が貼られ ラテン語の格言が書かれるのが標準的だが 高級なものは画家により絵画が描かれた ルッカースのチェンバロは合理的な製法により量産され 近隣諸国に大量に輸出されたが 後に時代の要請に従って多くのルッカースのチェンバロは改造され 現存する楽器でオリジナルの状態にあるものは極めて少ない 音域の拡大 弦の増設 一段鍵盤や移調二段鍵盤の楽器の対比二段鍵盤化などが行われ 時には響板及びケースを拡張する大規模な改造も行われた このような改造はフランス語でラヴァルマン と呼ばれる 改造が盛んに行われた背景にはルッカースの楽器が高額で取引されたことがある 改造されたルッカースの楽器は他の新しい楽器の数倍の値段で取引されたため ルッカースの改造楽器を装った贋作も作られた ヨハン ダニエル ドゥルケンの年の楽器をモデルとして 現代の製作家マルティン スコヴロネックが年に製作したチェンバロは グスタフ レオンハルトが多くの録音に使用したことで有名である フランスでは 世紀半ばから組の 弦を独立して演奏できるカプラー式二段鍵盤のチェンバロが発達していた フランスに典型的な技法である右手と左手で同じ音域を重ねて弾くピエス クロワゼはこれによって可能となる 世紀には下鍵盤をスライドさせる形式のカプラーが用いられていたが 世紀になるまでには上鍵盤をスライドさせるようになった ドイツでは古くからチェンバロの存在が確認できるが 世紀までのドイツで製作されたチェンバロは僅かな数しか現存していない 世紀のチェンバロもイタリア フランス イギリスなどに比べると現存するものは少ない 世紀ドイツのチェンバロ製作には幾つかの流派が存在したが その中でハンブルクの楽器が比較的多く現存している ハンブルクで活躍したチェンバロ製作者としてはフライシャー一族とハス一族が有名である ハンブルクのチェンバロの構造は フランドルの楽器の様に底板の上面に側板が接合されているが アッパー ブレースは無く 底板からライナーまでの深さがあるブレースがベントサイドからスパインにかけて横切っている 外見は字型のベントサイドが特徴的である ハス一族のチェンバロには や のレジスターを備えたものも現存している ベルリンのミヒャエル ミートケのチェンバロは ヨハン ゼバスティアン バッハがケーテン宮廷で使用したチェンバロがミートケのものであることから 現代のチェンバロ製作のモデル楽器として人気が高い 一般にモダン チェンバロは 近代的なピアノのように底が開放された構造をとっている ケースや響板は厚く頑丈に作られており 中には金属製のフレームを用いるものもある プレクトラムには主に革が用いられ ジャックには調整用のネジが備えられている レジスターはペダルにより操作され 演奏中に自在に切り替えることが可能である また歴史的なチェンバロでは稀な の弦列を備えているものが多い 初期の鍵盤楽器音楽は楽器の指定が無いことが普通で チェンバロ クラヴィコード オルガンなどで演奏される 現存する最古の鍵盤楽器音楽とされるのは 世紀のである ルネサンス時代には イベリア半島でアントニオ デ カベソンをはじめとする作曲家により ティエントやディフェレンシアスなどの鍵盤楽器音楽が栄えた ディエゴ オルティスは 変奏論 でヴィオラ ダ ガンバとチェンバロの合奏について述べている イギリスではウィリアム バードやジョン ブルなどの作曲家達により多くのチェンバロ曲が書かれ フィッツウィリアム ヴァージナル ブック などの手稿で残されている バロック時代には イタリアで劇的な感情の表出を重視したモノディ様式が生まれ チェンバロは通奏低音のための楽器として重要な役割を担った 鍵盤楽器音楽においても劇的な表現が追求され ジローラモ フレスコバルディは トッカータ集 第巻 の序文において 厳格な拍子にとらわれない 情感に応じた自由な演奏を要求している 一方 ルイ世時代のフランスではジャック シャンピオン ド シャンボニエールやルイ クープランをはじめとする作曲家によって リュート音楽の延長上にチェンバロ クラヴサン 音楽が栄え スティル ブリゼと呼ばれる分散奏法や 繊細な装飾音を多用した 優美な作品が多く生み出された 中心となるのはアルマンドやクーラントといった舞曲であり これらを組み合わせた組曲はバロック時代のチェンバロ音楽を代表するジャンルの一つとなった フランスのクラヴサン音楽は世紀前半 フランソワ クープランやジャン フィリップ ラモーらの時代に繁栄の頂点に達する 彼らの作品においては 古典的な舞曲に代わって 描写的な標題を持つ作品が主体となっていった その後 ジャック デュフリやクロード ベニーニュ バルバトルらを輩出するものの フランス革命の勃発により打撃を受けて フランスのクラヴサン音楽は終焉を迎える ドイツのチェンバロ音楽は イタリアとフランス双方の影響を受け さらに北ドイツ オルガン楽派の伝統が加わる ヨハン ゼバスティアン バッハの作品には それらの様式の高度な総合が見られる バッハの息子や弟子の時代にはクラヴィコードが流行し さらにピアノがそれに取って代わっていった 通奏低音にチェンバロを用いることはオペラにおいては世紀まで残存したが 世紀を通じて チェンバロは実質的にピアノに地位を奪われていた しかし世紀に入って 古楽復興運動により 再びチェンバロが演奏されるようになると さまざまな音色を求めるなかで チェンバロに目を向ける作曲家も登場した アーノルド ドルメッチの影響の下 ヴァイオレット ゴードン ウッドハウス およびフランスではワンダ ランドフスカがチェンバロ再興の最前線で演奏を行った チェンバロ協奏曲がプーランク ファリャ ベルトルト フンメル グレツキ グラス ロベルト カルネヴァーレなどによって作曲され マルティヌーはチェンバロのために協奏曲とソナタを作曲し カーターの二重協奏曲はチェンバロ ピアノとつの室内オーケストラのために書かれている 室内楽の分野では リゲティがいくつかの独奏曲 など を作曲しているほか デュティユーの 年 はチェンバロ オーボエ タブルバスとパーカッションのために書かれている その他 ショスタコーヴィチは ハムレット 年 でチェンバロを用いている シュニトケはオーケストラ用作品でしばしばチェンバロを用いている 日本の作曲家が取り組みはじめたのは戦後になってからであり その数も多いとはいえないが 武満徹の 夢見る雨 独奏曲 などが生まれている チェンバロ奏者でもあるヘンドリク ボウマンは世紀 世紀の様式に基づいたチェンバロ独奏曲 チェンバロ協奏曲などを作曲している 現代では チェンバロ もしくはシンセサイザーによる類似の音色がポピュラー音楽でも用いられている 代表的な例としては ビージーズ ローリング ストーンズの イエスタデイズ ペイパー や の アルバム アウト オブ タイム 年 収録 エマーソン レイク アンド パーマーの タンク があげられる また イージー リスニングにおいては ポール モーリアがチェンバロ の音色 を好んで用いたことで知られる 恋はみずいろ オリーブの首飾り が代表的 ドラゴンクエスト そして伝説へ ドラゴンクエストスリー そしてでんせつへ は 年月日にエニックス 現 スクウェア エニックス より発売されたファミリーコンピュータ用ロールプレイングゲーム ドラゴンクエストシリーズ の第弾である 亡き父 オルテガ の遺志を継いだ主人公の勇者を操作し 魔王バラモス を倒し世界を救出する事を目的としたゲーム 本作よりパーティの編成人数が人となり 仲間を任意で選択できる他 職業を選択するシステムや昼と夜の変化による時間の概念が導入された その他 移動手段として前作より登場した船の他に空中を飛行できる ラーミア が追加された 開発はチュンソフトが行い 前作に引き続きゲーム デザインとシナリオは堀井雄二 プロデューサーは千田幸信 ディレクターは中村光一 音楽はすぎやまこういち キャラクターデザインは鳥山明が担当している パッケージなどに記載されているタイトルロゴは ロゴ全体が剣の鍔と持ち手を模したものであるため ナンバリングタイトルで唯一 の が剣の形になっていない リメイク版は剣の形になっている また ドラゴンクエスト 幻の大地 までの作品の中では唯一数字と重なっていない作品でもある リメイク版では重なっている その後 リメイクとして年に スーパーファミコン ドラゴンクエスト そして伝説へ 年に ゲームボーイ ドラゴンクエスト そして伝説へ ゲームボーイカラー専用 が発売されているほか 年より携帯アプリ版も配信されている 年月日発売の ドラゴンクエスト周年記念 ファミコンスーパーファミコン ドラゴンクエスト に 版および版が第作 ドラゴンクエスト や ドラゴンクエスト 悪霊の神 と共に収録された 年月日からは ニンテンドー版が 年月日からは 版がダウンロードで配信されている 北米では として版と版が発売されている ファミリーコンピュータ版とスーパーファミコン版はゲーム誌 ファミコン通信 の クロスレビュー にてプラチナ殿堂入りを獲得 またゲームボーイカラー版はシルバー殿堂入りを獲得した その他 ファミリーコンピュータ版はゲーム誌 ファミリーコンピュータ の ゲーム通信簿 にてキャラクタ位 音楽位 熱中度位 操作性位 お買い得度位 総合評価位を獲得した 以降 特記が無い限りはオリジナル版であるファミリーコンピュータ版について述べる ドラゴンクエストシリーズの第作 堀井雄二の脚本 ゲームデザイン 鳥山明のキャラクターデザイン すぎやまこういちのヒロイックな音楽などにより爆発的な人気を博し 発売日には量販店の前に数キロメートルの行列ができるなどの社会現象を巻き起こした 後述 キャッチコピーは 触れたら最後 日本全土がハルマゲドン スーパーファミコン 版は 究極のドラクエ ゲームボーイカラー 版は 一番愛されたドラゴンクエスト 物語は ロトシリーズ部作の完結篇と位置づけられており 前作 ドラゴンクエスト ドラゴンクエスト 悪霊の神 の物語中に名が登場した伝説の勇者 ロト および舞台となった世界 アレフガルド の秘密が本作で判明する ただし 堀井雄二は 製作時は まで想定しておらず 後付ながらストーリーがうまく繋がったのはよかったと述べている は前作の倍であるメガビット キロバイト を使用 バッテリーバックアップのセーブファイル容量はキロビットとなっている ゲームシステム面では 仲間キャラクターの名前 職業 キャラクタークラス 性別を自由に選び パーティーを自由に編成して冒険できるという キャラクターメイキングのシステムを取り入れている ドラゴンクエスト で削ぎ落とされた要素が ドラゴンクエスト になって実現した形で これはバッテリーバックアップの採用が大きい また シリーズで初めて 複数のフィールドマップが登場するようになった そのため容量が不足し 製品版では一部の町やダンジョン モンスターなどのいくつかの要素がカットされている またオープニングもなく タイトル画面は真っ黒な無音の画面に と表示されるのみとなった 日本における売上本数は万本を記録 この数字は年 平成年 月頃まで他社の作品を含めた日本の歴代ゲーム売上本数でも十傑に入っている 年 平成年 現在 この記録はドラゴンクエストシリーズでは ドラゴンクエスト 星空の守り人 ドラゴンクエスト エデンの戦士たち に続き位 ゲーム雑誌 ファミ通 の周年 周年読者投票企画ではドラゴンクエストシリーズ中では最上位だった 発売後には ゲームブック化や小説化 ドラマ シアター 化も行われている 小説ドラゴンクエスト ゲームブックドラゴンクエスト シアター ドラゴンクエストを参照 エニックスの出版事業で最初に手がけたのが本作 ファミコン版 の公式ガイドブックである 別冊宝島には年のサブカル 流行のつとしてこの作品が紹介されている リメイク版については後述のリメイクの節を参照 本作ではシリーズ初のキャラクターメイキングが採用されており プレイヤーの扱うパーティーとなるキャラクターに固有設定を持った人物が存在せず プレイヤーの分身である主人公以外のパーティーキャラクターを任意で選んだ最大人までのパーティーを作ることができる また パーティーキャラクターを使用せずに主人公だけで冒険に出発することが可能である このゲームに登場するプレイヤーの扱うパーティーキャラクターは必ず一つの 職業 キャラクタークラス を持っており 装備できる武器や防具 レベル上昇時のステータス成長の傾向などは就いている職業によって決定される また 今作では各パーティーキャラクターの性別が設定される 男女どちらの性別を選んでも能力には影響しないが 移動画面でのグラフィックが男女で異なるほか 女性専用の武器 防具などが複数存在し またリメイク版以降は逆に男性専用の武具 防具も登場するがつしかない 性別は 主人公であれば新しくゲームを始める際にそれ以外のキャラクターであれば登録する際に決定する 呪文の数は前作の種類から倍以上の種類に増えるとともに 呪文が系統別に整理され 以後のシリーズにおける呪文体系が本作で確立された 解説文中の呪文についての詳細はドラゴンクエストシリーズの呪文体系を参照 出発点となるアリアハンに ルイーダの酒場 があり パーティーの編成はここで行う 主人公以外のキャラクターはこの神殿で別の職業へ 転職 させることができる 転職資格は主人公以外のレベル以上のキャラクター 転職後はレベルがに戻るが ステータス値が転職前の半分となるだけで それまでに覚えた呪文はそのまま使える 例えば 魔法使いが戦士に転職すると 重い武器と呪文の両方を扱える戦士となる また 僧侶が魔法使いに転職すると 回復呪文と攻撃呪文の両方が使える魔法使いが誕生する ただし あくまでも職業によって装備品や特性が異なるため 転職の際には以下の点に注意する必要がある なお 呪文の使えるキャラクターが特殊能力のある職業に転職した場合はその職業の能力を得ることができるため 武闘家の能力と呪文の両方を扱える武闘家や 商人の能力と呪文の両方を扱える商人を作ることができる 上記の職業の一部を除いた服装が ドラゴンクエスト で容姿を模した装備品として登場する ただし 僧侶のみ服と帽子にある十字架は若干違うマークに変更されている 本作においては 従来からの ちから すばやさ に加え たいりょく かしこさ うんのよさ のステータスが新たに加えられている ちから すばやさ と下記の各ステータスの最大値はとなっている レベルアップのときのステータスの上昇幅は 前作のように固定されておらずランダムとなっており 同じ職業 レベルであっても個人差が発生する ランダム成長 キャラクターのレベルの最大値はで 以降の作品でも一部の仲間モンスターなどを除いてほとんどのキャラクターの最大レベルがとなる キャラクターのステータスを数ポイント上昇させることができる ちからのたね いのちのきのみ などのアイテムが新たに登場した コマンド体系などは前作からおおむね受け継がれている 本作では 昼 夜 という時間の概念が取り入れられた フィールドマップ上を一定歩数歩くと 時間が昼から夜へ 夜から昼へと移り変わる 昼と夜では城や町などの様子が異なる 夜は王様も寝てしまい城に入ることができなくなるので一部を除きセーブができず 町にある店も多くが閉まるが 酒場など夜に限り賑わう場所もある 夜は昼間よりもフィールドでのモンスターの出現率が高く モンスターのパーティーも手強くなるほか 地方によっては夜にならないと登場しないモンスターもいる 宿屋に泊まることにより昼にすることができるほか 昼と夜を入れ替えるアイテムや呪文も登場した 夜間はボス戦など イベントにより 終了後昼になるものもある 本作に限り 移動の呪文 ルーラ または道具 キメラのつばさ を使用したときにも昼になる 前作の ターン制 システムを引き継いでいる 本作ではキャラクターの すばやさ のステータスが ターン内での行動の順番に影響する また パーティーの隊列の順番が影響するようになり 前列にいるキャラクターほど敵から攻撃を受けやすくなっている ただし 敵の種類によっては 後列のキャラクターを狙う敵もいる 隊列の並べ替えは移動中に可能となっている このほか 自分たちのレベルが敵に設定されたレベルよりもかなり高い場合は 強制エンカウントである場合を除いて確実に逃げられるようになった 麻痺 と 混乱 のステータス異常も新たに登場した ドラゴンクエストシリーズの項を参照 敵を攻撃したり 敵から攻撃を受けたり 呪文を唱えた際のメッセージがある程度簡略化されており それらは本作以降のシリーズでも継承されている 本作では戦闘中に味方を攻撃 パーティーアタック したり 敵に回復呪文を使ったりすることができる 混乱に陥った仲間に ラリホー の呪文をかけて眠らせることで ダメージを防ぐといった戦略が取れる 敵を無視して味方同士を対戦させることも可能である 本作では 生き残っているパーティーの人数に応じて経験値を分けあうシステムが導入されている つまり 人で戦うとリスクは大きくなるが 得られる経験値は人パーティーのときの約倍となる 版の ではモンスターのという概念がなく 全てのモンスターが無限に呪文を使えたが 本作より設定されるようになり 一定の回数しか使えなくなった また 一部のモンスターはターン終了時に一定量のが自動回復する 回復量はモンスターにより異なり ゲーム中のメッセージには表示されない 前作では 復活の呪文 と呼ばれるパスワード方式を採用していたが 本作は保存するデータの量が膨大となった そこで本作からは データ保存方式が 従来のパスワード方式から 内蔵電池によるバッテリーバックアップ方式に切り替えられ 最大つまでの 冒険の書 データファイル としてロムカセット内部に進行状況を記録できるようになった これによって パスワードの書き写しや入力を行う手間がなくなり 短時間でゲームを中断 再開することが可能となった この方式が導入されたことにより 従来の復活の呪文では記録することができなかった 現在の やステータス異常 また取得済みの宝箱などの情報が記録されるようになり 一度宝箱を開けて中身を取得するとその宝箱の中身は二度と取得することができなくなった しかし 内蔵電池の消耗 接触不良などによってバックアップデータが消失したり 実際には問題ないデータがチェックプログラムに異常と判定されて自動消去されるという事態も度起きた データ消失の際には真っ黒の画面に おきのどくですがぼうけんのしょ 数字 ばんはきえてしまいました という冒険の書が消えたことを示すメッセージが表示され 同時に呪いの武具を装備した時の音楽が流れる演出が発生する この演出は次作以降にも踏襲されている まれに この演出すら発生しないまま商品購入状態の初期画面にされる場合もある 北米で発売された版 では 様な変更点がある 以下に列挙する 勇名を馳せたアリアハンの 勇者オルテガ は 初子を授かった直後より世界の支配を企む 魔王バラモス を倒すべく旅立ち そしてそのまま消息を絶った 伝聞に寄れば 旅の途中で魔物に襲われ 戦闘の最中に火山に落ちて命を落とした とされた オルテガの子供 主人公 は 自身の歳の誕生日をきっかけにして父の遺志を継ぐために アリアハン王に願い出て仲間とともに冒険へと旅立つ 旅の扉からアリアハンの外へと旅立ったあと 主人公は世界各地で起きる不思議な事件を解決していくことになり 船を手に入れると 冒険の舞台はさらに広がっていく こうして世界中を旅するうちに主人公たちは 世界に散らばっていた つのオーブ を手に入れる これらのオーブは 不死鳥ラーミア を復活させるためのもので この不死鳥がバラモスのもとに到達する鍵になるのだった 復活した不死鳥ラーミアに乗って空を飛ぶことで 宿敵バラモスの居城へと乗り込んだ主人公は ついにバラモスを退治する だが 真の黒幕である 闇の支配者ゾーマ と もうひとつの世界 アレフガルド の存在が明らかになり 主人公は再び冒険の旅に赴く 主人公はアレフガルドの世界でゾーマの城に入るための にじのしずく を手に入れ ゾーマとの最終決戦にのぞむ 第作 ドラゴンクエスト 第作 ドラゴンクエスト 悪霊の神 と本作は 共通して アレフガルド という大陸が登場するなど 密接なストーリーの関連があり この作は ロトシリーズ ロト三部作 とも と呼ばれる その中でも本作は第作よりもさらに昔の時代の物語となっており 本作の数百年後の物語が第作 さらにその年後が となる 魔王バラモスを倒すまでは 前作と異なる世界が舞台となる しかしストーリー終盤では 前作で登場した アレフガルド のある別の世界が舞台となる 本作の世界は層構造となっており ここでは主人公たちが生まれ育った世界を 上の世界 アレフガルドのある世界を 下の世界 と呼ぶこととする 両世界間は呪文 ルーラ などで行き来することができる 前述のとおり 上の世界は 現実の地球の地形が元になっており 地名を似せたり 実際の地理 歴史へのオマージュがふんだんに取り入れられている 関連書籍における堀井雄二の発言によれば ロマリア はローマとイタリア エジンベア はイギリス スコットランド の地名エディンバラ地方 シャンパーニ はフランスの地名シャンパーニュ地方 ノアニール はノルウェー アッサラーム はアラビア語の挨拶 イシス はエジプト神話の女神イシス ポルトガ はポルトガル スー はスー族 ネイティブ アメリカンの部族のひとつ グリンラッド はグリーンランド レイアムランド は南極大陸の一角グレイアムランド グレアムランド がそれぞれ由来となっており ネクロゴンド の名称は語感から名づけたとされている 堀井雄二は本作のデザインに先立って ヨーロッパの歴史的城郭などを取材していた 内は相当する実在の地球上の国 地域を表す 精霊ルビスによって創られた地 大魔王ゾーマによって闇に閉ざされており朝が来ることがなく 闇の世界 と呼ばれている 町やダンジョンなどは 一部を除いて ドラゴンクエスト 第作と同じ位置にあるが 第作ではすべての島 大陸同士が橋やトンネルでつながっていたのに対して 本作では島や大陸の間を結ぶ橋 トンネルの一部がないため 船を使わなければ行けない場所もある 町やダンジョンの構造も第作と基本的に同じである なおルビスは第作では登場していないが では主人公たちに重要アイテムを授ける役として登場している 物語を進めるために必要な道具のうち ストーリー上特に重要なものについて簡潔に説明する この節では ゲーム本編内で語られる設定を中心に記述する ルイーダの酒場で仲間になるキャラクターについては別記参照 ここでは ボスキャラクターとして主人公たちと戦うことになる 魔王やその配下の魔物たちを挙げる 前作のリメイク作品 ドラゴンクエスト に次ぐ シリーズ例目のリメイク作品 版の発売から年後の年月日にエニックスから発売された エニックス最後のスーパーファミコン用ソフトであった タイトルロゴにはロトの紋章が描かれている ストーリーは版に基づいているが 大幅な要素の追加 変更が行われている 後述の 性格 や すごろく場 が追加されたほか アイテムが多数増加し 中には ルーズソックス など発売当時の流行を反映したアイテムも登場した 版では女性キャラクター専用装備品しかなかったが 版では ステテコパンツといった男性キャラクター専用装備品も追加された 店の品揃え ボスモンスターのステータス モンスターから得られるアイテムなどの変更も行われている 版では 武器は全て単体攻撃武器のみだったが 版では単体攻撃武器のほかにブーメランやムチといったグループ攻撃武器や全体攻撃武器が追加された さらに オープニング ダーマ神殿での 遊び人 への転職 隠しダンジョンが追加されている 画面仕様やキャラクター操作 コマンド操作は 前年に発売された 版 ドラゴンクエスト をベースとし 同作から以下の要素が継承された と同様に井戸に入ることも可能になった 戦闘画面も のものとほぼ同様の画面でモンスターグラフィックも 調だが モンスターが動く際の効果音を発するようになった 本作では ふくろ の中にあるアイテムは 移動中に限りふくろから出さずに使うこともできるようになった また アイテムを仲間に渡す際にその位置も指定できるようになり 所持しているアイテムの位置を選ぶことで渡す側と交換することもできるようになったほか 装備可能なアイテムについては渡した時点で装備するかどうかを選択できるようになった ただし にあった ふくろ の枝コマンド だす いれる みる は廃止された しかし 普通にふくろに渡す ふくろから渡すなどしても全ウィンドウが閉じることはなくなり 連続操作はしやすくなった これは 回復呪文などを使用する際にも同様で その都度ウィンドウが閉じるようなことはなくなった これらの要素は本作で初めて導入され 以降の作品 リメイク含む でも踏襲されている また これに伴い 全てのウィンドウを閉じる ボタンも設定された 本作ではボタン ちいさなメダルに関しては メダルを収集しているのがアリアハンのメダルおじさんとなり 獲得したメダルの累計によってアイテムを獲得する方式である ゲームスタート時に主人公の性格を決定する際 プレイヤー自身の名前を入力する必要がある この時入力した名前 必ずしも本名である必要はない は エンディングの最後 スタッフロールの後 に プレイヤーの名前のローマ字表記 として紹介され ロールプレイング 役割を演じる ゲームの名の通りプレイヤー自身が主人公であることを実感させる演出となっている 新職業として 盗賊 が追加されている また勇者 商人 遊び人 盗賊は ドラゴンクエスト 幻の大地 と同様に移動中の特技を じゅもん として使用することができるが 効果は補助的なもので数も少ない 遊び人は版では演出の域を出なかった 遊び の効果が改良され 依然ランダム要素ではあるものの独自の使い勝手を持つキャラクターになっている また 版では不可能だった他の職業から遊び人への転職も可能となった 女勇者専用のグラフィックと台詞も追加された 版では性別によるステータスの上がり方の違いは無かったが 版以降では男はちからやたいりょく 女はすばやさが上昇しやすくなっている たいりょく と かしこさ のステータスのシステムが版と異なり リメイク版ではたいりょく値の約倍がさいだいとなり かしこさ値の約倍がさいだいとなる 各キャラクターに 性格 が設定され 同じ職業やレベルでもこの 性格 によってレベルアップ時のステータスの上がり方が異なってくる 性格は全種類が存在し ステータス画面で確認することができる 性格 には きれもの ロマンチスト みえっぱり でんこうせっかといった男女共通の性格 むっつりスケベ ラッキーマンといった男性キャラクター専用の性格 おてんば おとこまさり セクシーギャルといった女性キャラクター専用の性格のタイプがある 初期の性格は 主人公であればゲームスタート時に出される質問に対する答え方により 仲間キャラクターであれば登録時のステータスのバランスによって決定される 冒険中は 装飾品やアイテム 本 で性格を変えることもできる 装飾品は装備中のみ性格が変化 本 は恒久的に性格が変化する また 性格システムに関連した会話イベントも追加され その会話内容によって性格が変化することもある すごろく場で性格が変わることもある ゲーム中の全か所に 旅人のすごろく場 というミニゲームが登場した 挑戦には すごろくけん が必要である 無視してもゲームの進行には全く影響がないが ここでしか手に入らないアイテムもある すごろくけんは一部の例外を除き非売品で 町などで拾ったり魔物との戦闘で獲得しなければならない 回につき枚消費する 無限にすごろくができるアイテムも存在し 持っている場合はそちらが優先される 先頭のキャラクターがすごろくの駒となり 一定回数以内のサイコロでゴールを目指す ゴールすれば宝箱からアイテムが入手できるほか コースの途中やよろず屋でもアイテムを入手できる ただしコース上では戦闘が発生したり 落とし穴などの罠が仕掛けられていたりすることもある 落とし穴でコースアウトしたり や所持金がになったりした場合は サイコロの残回数があってもその場で終了となる 戦闘で得た経験値は 戦闘に参加した つまり すごろくの駒となっていた キャラクターのみが獲得する これは通常の冒険でパーティーを組んでいない状態と同じで 最大で人パーティ時の約倍獲得できる 詳しくは上記 経験値 参照 ゲームボーイカラー専用ソフトとして年に移植された 版のゲームシステムやストーリーを継承しているが 通信機能を生かした後述の モンスターメダル などのオリジナル要素が追加されている 戦闘画面では背景は表示されないが 呪文などの演出効果やモンスターのアニメーションを版から受け継いている いつでもゲーム途中の状態をセーブして中断することができる 中断の書 機能が追加された にあったボタン全押しリセットは では不可能になった 街 背景 世界観などは版をもとにしているが 使用できるカラーの仕様上 色になっている は一部除いて版をベースにしている ストーリーは シャンパーニの塔のイベントをクリアしていないと ノルドの洞窟 アッサラーム東の洞窟 を通れず バハラタの町へ行くことができないように変更された モンスターを倒すと時落とす モンスターメダル のコレクションを行うことができる メダルは各モンスターごとに金 銀 銅があるが 最初は銅メダルしか入手できず 銅を入手することで銀を また銀を入手することで金を入手できるようになる モンスターメダルはゲーム本編のメモリーとは別のメモリーに記録されている 通信ケーブルを使い 一度に枚までモンスターメダルを交換することもできる このモンスターメダルに関連し 第の隠しダンジョン 氷の洞窟 が追加された このダンジョンでは 一定のモンスターメダルを集めないと先に進めないようになっている このダンジョン用の新たなモンスターと隠しボス 隠しアイテムも追加された 中断機能が追加され 一部のセリフが変更されている 第作のはバロック音楽調であるのに対して 本作のはヒロイックな響きを求めロマン派音楽調となっている アレフガルドのフィールド上は第作とは異なり連符に改変されている ピラミッドとジパングには専用のが存在する これ以外に開発当初はヨーデル風の専用のあるスイス風の村があったが 容量の関係で開発段階で村もも削除されたという 版では戦闘時のはゾーマのみが専用 勇者の挑戦 で 他はバラモスも含めすべて同じである すぎやまによれば 版でもバラモスとの戦闘時の専用が製作されたが 何らかの理由によりなくなったという また すぎやまはオルテガの戦闘シーンはレクイエムにすべきだったと後悔 反省していると語っている 交響楽団によって演奏された 交響組曲 ドラゴンクエスト そして伝説へ は年の第回日本レコード大賞の特別企画賞に選ばれた これはゲームミュージックとしては初 不死鳥ラーミアで飛行する時の曲 おおぞらを とぶ は のちに高中正義がカバーした また同曲は ドラゴンクエスト ドラゴンクエスト でも使用されている フィールドの曲 冒険の旅 や戦闘時の曲 戦闘のテーマ などはバラエティ番組の 高校野球での応援ファンファーレとして使用されることがある 街 海を越えて アレフガルドの街 町の人 には 女性デュオ ルーラ が歌う歌詞付きの曲がある また 冒険の旅 と そして伝説へ にも歌詞が存在する これはラジオ番組 鴻上尚史のオールナイトニッポン の企画から生まれた なお鴻上は アッサラームの劇場にいる座長キャラクターのモデルでもある 日本での本作の発売日は平日 水曜日 であったにもかかわらず 発売日前日には販売店の前に徹夜の行列ができた ビックカメラ池袋東口店 現 ビックカメラアウトレット池袋東口店 では前日から並んだ行列が最終的に万人を超える長大な規模になり マスコミのみならず 後に学習歴史漫画にも取り上げられた 徹夜したり 学校を無断欠席してまでソフトを買いに来る児童 生徒もおり その補導が多発したほか 品切れで買えなかった少年らによる窃盗や恐喝などの犯罪も多発した この対策として 次作 ドラゴンクエスト 以降のシリーズ本編については 発売日を学校の休みの日にしている ただし 移植版を除く また 一部の小売店が本作と人気のないソフトとの抱き合わせ販売を行ったことが問題化した さらに 光文社が写真週刊誌 にエンディングの画面を掲載してエニックスから著作権侵害で訴えられるという事件が発生し 改めて テレビゲームの画面は著作物になるのか という問題がクローズアップされることになった 発売当時 ゲーム雑誌などにおいて 終盤の展開に関する情報はほとんど伏せられていた これは後に発売された 公式ガイドブック でも同様で 終盤に登場する要素は 回転する床 を除いてほとんどが非掲載となっており 勇者たちが倒すべき最後の敵も バラモス とされていて リメイク版の公式ガイドでも同様に掲載されていない要素があった リメイク版発売時の雑誌記事 書籍などでは 終盤の画面写真やアイテム モンスターも掲載されるようになっている 版 公式ガイドブック にはバグである防御キャンセル技が掲載されている 後期ロット 敵が出てこなくなる技が追加されているなど でも修正されず そのまま残されていた ヒャダインとマヒャドの習得レベルが逆になっている誤表記があり 重版でもそのままにされていた ドラゴンクエストシリーズ は 年月日に発売された ドラゴンクエスト を第一作とする 日本製コンピュータのシリーズ作品 主にゲームデザイナーの堀井雄二を中心として製作され スクウェア エニックス 旧エニックス が発売している 年月時点で 全シリーズ累計出荷数と配信数は 万本を超える ドラゴンクエスト というタイトルは 堀井が劇画村塾時代に小池一夫から学んだ 印象的なタイトルを作るには やさしい言葉と難しい言葉の組み合わせがいい タ行を濁音に変える ダ行にする と印象が残りやすい という教えをもとに作られた 略称はドラクエ また シリーズ内のほぼ全作品のタイトルロゴ等で 英字表記の が使われているが その頭文字を取った も略称として用いられる 第一作 ドラゴンクエスト から まではファミリーコンピュータ と はスーパーファミコンソフトとして発売された はでの発売となり 以降 ニンテンドー ニンテンドー 製作発表時に最もポピュラーなゲーム機用ソフトとして開発 製作されている ナンバリングタイトル と呼ばれる本編作品のほか 以外のジャンルでのスピンオフ作品や番外編も数多く作られ その多くもシリーズ化している 旧作は その時代ごとの主流の据え置きハードや 携帯ゲーム機用ソフト 携帯電話ゲーム 携帯アプリ などで度リメイクや移植がなされている 年月 最も長く続いている日本の でギネスブックに掲載された モバイルに関してはドコモを主軸にしており クラウドゲーム版 やコラボレーション携帯などで連携を強めている ドコモがを扱うようになった後は アップル の両プラットフォームでリメイク版やアプリゲームをリリースしている 米国に既に同名のテーブルトーク が存在していたため 商標上の問題で までは ドラゴンウォーリア というタイトルで発売されていた 年月にこの問題は解決され 以降の作品 版 以降のリメイクを含む は のタイトルとなった 米国市場ではがさほど人気のあるジャンルではないという事情に加え シリーズの肝である 堀井節 とも呼ばれる台詞回しの絶妙さが翻訳の過程で消えてしまうために 単に 難易度の低い日本の と看做されて大きなヒットはなかった しかし 年に にて キャラクターボイスに世界中の訛ったアクセントの英語をあてることにより注目され 北米版に ファイナルファンタジー 体験版が同梱 旧作の日本国外向け作品中では キャラクター名や十字架など 特定の宗教を連想させる表現などが大幅に変更 ローカライズ されていたが 近年の作品では日本国外版へのローカライズを前提に 日本国内版開発時から図案のデザインに対する配慮が行なわれている 機種 基本的には それぞれが過去作との繋がりはない単独作品となっているが 一部 旧作との関連が示唆されている作品も存在する 入るたびに構造の変わる 不思議のダンジョン を舞台にしたローグライク 年に の登場人物 トルネコを主役にした第一作がヒットしたため シリーズ化された 年には の登場人物 ヤンガスを主役にした作品も登場した ドラゴンクエストシリーズに登場するモンスターを捕獲し 育成 配合しながら冒険を行うモンスター育成 ナンバリングタイトルのパロディ的な要素を含んでいるタイトルもある 堀井雄二がゲームデザインを手掛けるボードゲーム いただきストリート に ドラゴンクエストシリーズのキャラクターが客演 万歩計機能を搭載した たまごっち風携帯ゲーム機 スライムが成長していく スライムを操作して仲間を助けていくアクションアドベンチャーゲーム に登場した モンスター バトルロード を舞台にしたトレーディングカードアーケードゲーム 稼働終了直前 カードの意味がなくならないようにに移植された ウェアで専用のスキャナーを使えばカードを転用できる バトルスキャナー スキャンバトラーズ はバトルロードの流れを組む作品 今作はチケットを使用する リアルタイムのアクション操作によって戦っていくアクション のアリーナやクリフト のテリー のゼシカなど歴代シリーズの仲間キャラクター達が登場し 個に切り替えながら操作できる ドラゴンクエスト周年の記念作品となる ヒーローズ ではオンラインでのマルチプレイにも対応 ゲームシリーズ作品群では 審査 チェック異例の指定 歳以上対象 に区分された ドラクエの要素に建物や街を作るサンドボックス要素を追加した ブロックメイク 主人公はモノづくりの力を持つビルダーである 基本プレイ無料の対戦型デジタルカードゲーム 異なるプラットフォーム間であってもデータ連携が可能 漫画作品である ドラゴンクエスト ダイの大冒険 を題材にしたゲーム作品 剣神 と ソード は実際に剣を振る操作を行う体感型ゲーム ウォーズ は戦略シミュレーション シアトリズム は音楽ゲーム は体感型のアクティビティで戦士 僧侶 魔法使いでパーティーを組んで冒険する 製品タイトルと同一の内容のものはそれぞれの項にて記載 と版 では北米版と欧州版のタイトルを併記 ナンバリングの無いものが欧州版のタイトル より以前の作品は それ以降は 名義で発売されている ドラゴンクエストシリーズの各作品の発売 および対応ハードウェアの発売年との関連を下図に示した なおここでの発売年は日本でのものであり 印はその後日本国外でも発売されたもの 凡例 開発にあたっては 旧エニックスはプロデュースのみを行い 実際のソフト製作作業は他メーカーに委託していた 旧エニックスは主に財務上の戦略から自社内に開発要員を持たなかったため こういった委託は本シリーズに限らず 同社から発売されたタイトルでは一般的な形態であった スクウェア エニックス発足後は自社内に開発要員を抱えることになったため このような状況に変化が生じ では引き続き外部委託が行われたが プランナーは自社要員で賄われた ではシリーズで初めて 自社内でプログラムやグラフィックも含めて内製となった ただし一部業務の外部委託は引き続き行われている でもコアスタッフは社内で賄われているが 外部協力会社の協力も仰いでいる なお派生タイトルなどは引き続き外部委託が基本であるが ビルダーズ のように 企画の経緯から内製となる場合もある エニックスのプロデューサー 千田幸信は 年に ドアドア でファミコン参入後 パソコンで発売されていた堀井雄二のアドベンチャーゲーム作品 ポートピア連続殺人事件 のファミコンへの移植を決め 堀井と チュンソフトのプログラマ中村光一に移植作業を依頼する 堀井と中村は 年のエニックスの第回ゲーム ホビープログラムコンテストの授賞式で知り合った仲でもあり 製作中に意気投合し パソコンで流行していたについて熱く語り合う仲になっていった この際にファミコンでのの製作が可能となる重要なアイディア ふっかつのじゅもん の構想が生まれ 製作の前準備としてファミコンユーザーにコマンド入力に慣れてもらうため 同作の版は文章入力方式だったが 一転しコマンド入力式に切り替えた この移植作業が堀井と中村にとって楽しいものであったことから 二人はこの組み合わせでの仕事をもっとやりたがり 堀井は千田にファミコンでのの製作を提案する 当時のファミコンはシューティングゲーム アクションゲームが主流でありは皆無だったため エニックス社内では反対の声もあったが 最終的に千田がゴーサインを出し ファミコン初の本格的の開発 製作が始まった 二人が熱中したパソコンの ウルティマ ウィザードリィ の強い影響下に 少数のスタッフで開発 製作が行われた 基本構造は ウルティマ 型のフィールドと ウィザードリィ 型の戦闘システムだが 当時はビジネス用のソフトにしか使われていなかったマルチウインドウを導入することで独自色を打ち出した なお 堀井はジャンプのゲーム紹介記事 ファミコン神拳 の連載と並行しながらをドラクエを製作していた 同記事での面白さを説明しつつ 最終的に自分がを出したことに関して 後に 今でいうとステマ とも述解している なお ファミコン神拳のスタッフは 同誌の読者コーナー ジャンプ放送局 の主要スタッフ なおかつ堀井とは友人 が兼任しており 初作のロゴデザインは ジャンプ放送局 の榎本一夫が手がけた また 土居孝幸も漫画やイラストなどを描いている 堀井が仕事仲間でもあり 週刊少年ジャンプ 集英社 で ドラゴンボール を担当していた編集者鳥嶋和彦に相談を持ちかけた際 鳥嶋の提案によりキャラクターデザインとして鳥山明を起用することが決まった 鳥嶋は鳥山明が ポートピア連続殺人事件 に興味を持っており ゲームの仕事をやりたがっている という嘘をついた 鳥山と堀井との対談によれば ゲームの仕事をやりたがっている という発言は騙しであり 自身はゲームに関してはてんで無知だったと鳥山は語っている 鳥嶋の騙しの意図は明らかではない 堀井らは 刺激を与えたかったのではないか 等と推測している が この決定により ドラゴンクエスト は 週刊少年ジャンプ と蜜月関係となり 同誌上で開発中の ドラゴンクエスト の画像を初披露する体制がとられることになった この体制は エニックスが年に 月刊少年ガンガン を創刊した以降も変わっていない いったん完成に近づいたものの 内部スタッフが作ったが ずっと聴いていると飽きてしまう という事態が発生 そこに急遽 ゲーム好きが昂じてエニックスと繋がりができていた作曲家のすぎやまこういちが参加し 聴き減りのしない音楽 という方針のもと 週間で楽曲を製作した なお 千田幸信は鳥山やすぎやまを引き入れた理由について アマチュアの空気で作られている現場に プロを入れたかった としている 堀井雄二 中村光一 鳥山明 すぎやまこういちらの手によって ドラゴンクエスト は完成し 年月に発売された 当初は売り上げが芳しくなかったが 完成直後から ドラゴンクエスト 悪霊の神 の製作にとりかかっている なお は口コミによりじわじわと売れ始め 最終的に万本を売り上げるヒット作品となった ファミコン時代は容量との戦いでもあり 徹底的な容量削減のため 数多くの企画 演出が泣く泣くカットされることになった また 作数を重ねるたびにスタッフが激増するなど 製作環境が大幅に変わり それらに伴い プログラマ間での諍いが絶えなくなってしまったことから 中村光一はプログラマの仲裁や管理をするディレクター作業がメインになり スーパーファミコンで発売された を最後に 割に合わなくなった としてチュンソフトごと開発から手を引くことになった はチュンソフトの退社組による山名学率いるハートビートが担当 は ダーククロニクル に惚れ込んだ堀井の依頼によりレベルファイブが担当 では初めて自社での開発となっている これはネットワーク対応ということでインフラ構築などの運営の都合上から内製のほうが好ましいと判断されたためである なお オルカなど外部の開発会社の協力は得ている シリーズが進むにつれ容量の問題はメディアの進化により解決するようになったが それに伴い開発期間が長期間化するようになっている ドラゴンクエストシリーズは プレイヤー自身がゲームの主人公になりきり ゲーム内の世界の出来事を体験する ことが一貫して主なコンセプトとなっており プレイヤーが主人公に感情移入することを妨げないようにするため 主人公はわずかな例外 ギャグシーンや戦闘中にシステム上喋る 特技 など を除いて言葉を発しない はい いいえ の選択を強制される場面が数多くあるが 文脈的におかしい場面でもこの選択肢が出ることが多ある この設定は任天堂製作の ポケットモンスター などでも使われており 現在でも国内などの定番となっている ソード や海外版および版 では主人公以外のキャラクターにボイスが採用されるなどのシリーズの会話テキストは作品を追うごとに増える傾向にあり ヒーローズ では初めて主人公にもボイスが実装された その一方 ヒーローズ に歴代主人公は登場するのかという問いに対して 堀井は プレイヤー自身でもある主人公達が 新たに声を得て登場するのは違和感がある と述べている などのプレイヤーキャラクターの移り変わりがある作品においては対象キャラが非操作状態時では喋ることがあるが 操作状態となった途端に喋らなくなる 第作製作時 初めてに触れるユーザーに対して ユーザーが参考材料にするであろう海外のはハードルが高すぎるという判断から 堀井自ら ファミコン神拳 でというゲームの説明をするなど 間口を広げる方針を取った これはシリーズ全体の方針ともなり 実際に 第作から までの通称 ロト三部作 は ファミコンで初めてに触れるユーザーに対して の面白さ 奥深さを理解してもらえるように 実際にプレイしながらのリテラシーを習得できるように意識して作られている ロトシリーズ以降もこの方針は貫かれ 製作後には今更方針を変えることもないだろうと判断したこと 万人向けに作っているため 難しすぎる謎は全部ボツにしていることを表明している でオンライン化が決まった際にも いかに敷居を低くするか が最初のテーマになっている 堀井雄二のフリーライター時代の経験を生かしたと言われる 端的に物事を表現しつつもどことなくユーモラスな感じのする台詞回しやネーミングセンスは時に 堀井節 とも呼ばれ ドラゴンクエストシリーズ全体の世界観を印象付けている 名越稔洋は自著 ゲーム屋人生 名越武芸帖 でおとぎ話を読んでいるような感覚とも表現している のギャグ ぱふぱふ をシリーズ全編に渡って使用しているのも特徴で ファミコン時代 容量不足で困っていた時代にもこれを削らずに通した ちなみに 無料の ぱふぱふ は相手が親父だったり 女装であったりなどのオチが採用されていたりもする までのチュンソフト 中村光一 時代 視覚面での演出はほぼチュンソフトに任されていた ルーラで飛ぶ演出はプログラマ同士のお喋りから生まれたものである ではファミコンでは実現不可能と目されていた表現を多数披露 当時 発売前の スーパーファミコンの売りの一つであった機能をファミコン上でさりげなく行うなどしている 当時中村光一は 技術は表現のための手段 という方針を貫き 技術を前面に出した勘違い作品を作らないように苦心していると語っている なお ではハートビートの山名学 元チュンソフト所属 がロード時間短縮という独自技術を開発した 漫画家 鳥山明によるキャラクターデザインは 堀井雄二によるラフ絵に基づいて描いた物であるが 堀井のラフ絵と全く異なる場合も少なくなく 特にドラゴンクエストの象徴的モンスターとも言える スライム は堀井のラフ絵が一般的なスライムだったのに対し 鳥山はこれを水滴型のものとしてデザインし これが採用された なお 堀井のラフ絵は全てが堀井のアイデアというわけではなく では宮岡寛が関わっている また 以降は一部のキャラクターデザイン モンスターデザインに中鶴勝祥ら他のスタッフが参加している 鳥山のデザインに関しての内部評価は 鳥山以外の漫画家を起用していたらおそらくその漫画家のキャラゲーになっていた 鳥山のデザインだからこそドラクエの世界観が成り立っている というものである ドラゴンクエストシリーズは楽曲の美しさ 多彩さでも知られる すぎやまこういち作曲による音楽は ゲーム中で何度も聴かざるをえない音楽ゆえに何度聴いても飽きない 聴き減りのしない音楽 を作るというポリシーに基づいて製作されている また ファミコン時代の使えるトラックが少ない時代での制作体制を経ていることから シンプルであることをモットーにしている なお テストプレイをして世界観を把握してから楽曲制作に入るのを常としており ソードは 当初はすぎやまこういちが楽曲を担当する予定だったが 高齢によりテストプレイが出来ない 同作は剣型のコントローラーを振り回してプレイする ことを理由に担当を辞退している ゲーム音楽ということもあり 企画物以外で楽曲をカバーされることは少ないが 年に政治家の愛知和男が この道わが旅 年に高中正義が おおぞらをとぶ を真面目にカバーしている ドラゴンクエストシリーズでは 主人公は プレイヤーの分身 という位置付けとなっている このため 主人公にデフォルトの名前設定は存在せず 名前はゲーム開始時にプレイヤー自身が自分で付ける では性別も選択できるほか では外見も詳細に設定できるようになった 主人公とその仲間がパーティ 集団 を組んで モンスターを倒しながら世界を冒険する パーティの人数は 第作は人 は最大人 は最大人である では最大で人または人のパーティを組むことができるが 戦闘に参加できる上限人数は人または人である は基本は人までだが クエストによってはパーティつが同盟を組んだり を加えた人で戦うことがある 最終的には世界の平和を脅かす敵の親玉 作品によって呼称が異なるが 魔王 と呼ばれることが多い と決戦する 移動画面では 主人公たちを動かし 目的地へと移動する 移動の途中にコマンドウィンドウを開くことにより 人と はなす 足元や目の前のものを しらべる どうぐ アイテム や じゅもん 呪文 を使用する つよさ でステータスを見る さくせん で作戦や設定を変更する などといったことができる スーパーファミコン以降の作品では べんりボタン が導入され はなす しらべる がボタンひとつで可能となっている マップによっては移動中に敵モンスターとの戦闘が発生することがある までの作品では 一部の例外を除き 移動画面で敵の姿が見えず 移動中に突然画面が切り替わり戦闘が始まるランダムエンカウントシステムである モンスターズジョーカー や とリメイク版 ではマップ上を徘徊するモンスターに接触すると戦闘が始まるシンボルエンカウントシステムを採用している 主人公たちが移動する空間 マップ は 世界地図の形をした フィールドマップ と 城 町 村 ほこら ダンジョンとに分けられる プレイヤーキャラクターと敵キャラクターとの戦闘は ターン とよばれる区切りの中で 自軍 敵軍の各キャラクターが一回ずつ行動していく 中には複数回連続行動するキャラクターもいる いわゆるターン制 第作は対 それ以外の作品では敵側 プレイヤー側とも体から複数のキャラクターが参加する プレイヤーキャラクターの行動は基本的に コマンド選択により命令を与えることによって決定する プレイヤー側全員の行動が決定した時点で ターンが始まり そして敵かプレイヤー側のどちらかが全滅するまでターンが繰り返される 敵が倒されるか逃げ出して敵全員がいなくなるとプレイヤー側の勝利となり 倒した敵の分の経験値とゴールドが得られる 逃げた敵の分は手に入らない さらに 以降は確率によって敵の所持アイテムを入手できることもある プレイヤーキャラクターが全員倒されれば全滅となり 所持金が半分となり 前回セーブした場所に戻されるが ゲームオーバーとはならず 全滅時点での状態のままプレイを続けることができる 一部のイベントで登場するボスキャラクターにおいては 通常のプレイを行う限り 必ず全滅し 全滅後もそのままストーリーが進行する場合がある 場合によっては プレイヤー側のキャラクターがまだ生き残っていても全滅扱いになることもある 敵から逃げることに成功した場合も戦闘終了となるが この場合は何も得られない 以降の作品と携帯アプリ版のリメイク では 主人公を除くキャラクターにあらかじめ 作戦 を与えておくことにより コンピュータが 人工知能 によって各自の行動を自動的に決定する オリジナル版の ではパーティ全体に 以降および のリメイク版ではキャラクターごとに設定する リアルタイムで適切な行動を取ることなどが強みだが 必ずしも望んだような最適な行動をするとは限らない 本シリーズの戦闘画面は 以前では 画面内にプレイヤーキャラクターの姿は映らず 現れた敵キャラクターの姿のみが映し出される ただし 以降では化に伴いプレイヤーキャラクターの姿も映し出されるようになった では戦闘中に自由な移動が可能であり 敵のブレスや範囲攻撃魔法を離れて回避したり 敵キャラクターを押すこともできる 敵を倒すことによって得られる経験値 の略 が一定値に達することによってキャラクターのレベル の略 が段階上昇し それと同時にキャラクターのステータス 強さを表す能力値 も上昇する また 所定のレベルになると呪文や特技を新たに覚える 得られる経験値は基本的に強い敵ほど多く また 主人公側のレベルの数値が高くなるほどレベルアップに必要な経験値も多くなっていく その他 では職業熟練度 以降 モンスターズも ジョーカー 以降 ではスキルといった成長システムもある キャラクターのステータスには主に以下のようなものがある これらのステータスはレベルアップ時だけでなく 種や木の実などのアイテムの使用や特定の武器 防具 装飾品などの装備によって上昇させることもできる これらのステータスはモンスターにも設定されていて 攻撃側のステータスと攻撃を受ける側のステータスの差により ダメージポイントなどが決定される このほか かしこさ のように作品ごとに役割の異なるステータスや たいりょく うんのよさ かっこよさ といった一部の作品にのみ登場するステータスがある モンスターの攻撃などによって 主人公たちが以下のような異常な状態に陥る場合がある 逆に敵に対して状態異常を起こさせることも可能 呪文を唱えることで様な魔法の力を行使できる 使用の際にはを消費し 使用することによって敵へのダメージ 味方の回復 瞬間移動など様な効果が現れる 攻撃呪文 攻撃補助呪文 補助呪文 回復呪文 移動中専用の呪文などに分類され 以降の作品では系統別に整理されている 特技とは 炎や吹雪を吐く 踊りを踊る 特殊な剣技や武術などといった 呪文以外の特殊行動のことを指す 特技には を消費するものと を消費せずに使用できるものとがある 作品によっても異なる アイテム 道具 は イベントで入手する 店でゴールドを払って買う 宝箱や壷 箪笥 足元を調べる 戦闘に勝利したときに敵の落とした宝箱から などの方法で入手することができる 入手するとパーティのキャラクターの持ち物 または ふくろ にそのアイテムが加わる 不要になったアイテムは 店で売ってゴールドに変えるか すてる コマンドでその場に捨てるといった方法で手放すことができる ただし ストーリー進行にかかわる重要アイテムなど 売ろうとしても店で買い取りを拒否され売ることができず 捨てようとしても捨てられないアイテムもある また 呪いの武器防具を自由に外せない作品では 呪いの武器防具を装備している場合 それを売ったり捨てたりすることはできない このほか使わないアイテムを預けるための 預かり所 や ふくろ が登場する作品もある 本シリーズに登場するアイテムは 主に次のように分類される ゲーム内ではいずれも どうぐ として総称される シリーズは全般を通して中世ヨーロッパファンタジー風のいわゆる 剣と魔法の世界 をベースとした世界観になっている 各作品間で世界自体が異なっていても 登場するアイテムや呪文体系 主要なモンスターはほぼ共通である なお では の存在と同名である精霊ルビスが登場しており ロト三部作 と 天空三部作 それぞれの世界が繋がりを持つ可能性も示唆されている さらにリメイク版 には に登場した王の名を冠する 天空城と同一構造のゼニス城が登場 では の存在と同一であることをほのめかす神鳥レティスがおり サブゲームの闘技場には のキャラクターであるライアン トルネコも登場している では 宿屋にスペシャルゲストとして歴代キャラクターが訪れるほか 歴代ボスが宝の地図のダンジョンに登場する では 魔法の迷宮に過去作のキャラクターやボスの一部が登場 また ドラゴンクエストモンスターズ などの外伝的作品では のキャラクターであるテリーや のキーファがロトシリーズの世界を訪れる場面がある 敵キャラクターは ほとんどがモンスター 作中では主に 魔物 と呼ばれる であり これらは魔王の手先である 作品によっては 主人公たちの仲間となったり 現実世界においての普通の動物のような存在 ペットや友人 手下など として描かれたりする場合もある 同種のモンスターは主に色違いにより外見の差異を表しているが 第作の時点で上位種のみ武器を持っていたりする で表現されるようになってからは異なる部位のものも登場している 攻撃時にモンスターが動く作品と動かない作品がある ドラゴンクエストシリーズにおいて メインシリーズ作品のうち作品以上に登場している代表的なモンスターについて解説する 同じ名前でも 作品によって攻撃 弱点特性が異なる場合がある の公式ガイドブックを皮切りに 公式ガイドブック ゲームブック 小説 コママンガ劇場などの書籍を次と発行 また キーホルダーやぬいぐるみ マグカップ タオルやハンカチなどの小物 雑貨や日用品 鉛筆やサインペンなどの文房具 カードダスやカードゲームなどの子供向け玩具 更には原寸大の宝箱や スケールの剣といったマニアックなグッズも次と発売された コミカライズされた一部の作品はアニメ化や映画化される程の人気を博し その他にもドラクエの世界観を活かしたオリジナルストーリーのミュージカル 年 主演 やバレエ 年初演 スターダンサーズ バレエ団 ロト部作をベースにしたオリジナルストーリーのアクロバティックショー 年 ドラゴンクエスト ライブスペクタクルツアー製作委員会主催 などが上演された 編 の まで 旧エニックス スクウェア エニックス刊 戦闘やサブゲーム モンスター分布 アイテム 町の人や登場人物 台詞などゲーム中のさまざまなものを徹底検証 解析した結果のレポートが書かれている スクウェア エニックス刊 旧エニックスおよびスクウェア エニックス刊 各ゲームソフトのストーリーに基づいた小説作品 第作から まで 第作 は著 高屋敷英夫 精霊ルビス伝説 は著 久美沙織 は著 土門弘幸 トルネコの大冒険 も小説化されており 著 とまとあき塚本裕美子 ゲームに登場したキャラクターやモンスター アイテムに関する ゲーム本編では語られなかったエピソードが綴られている 映画のストーリーに基づいたノベライズ作品 ドラゴンクエスト ユア ストーリー はダッシュエックス文庫版 みらい文庫版共に原作 堀井雄二 脚本 山崎貴 著 宮本深礼 各ゲームソフトのストーリーに基づいたゲームブック 双葉社発売のものと 旧エニックス発売のものがある 本シリーズ各作品のゲーム内容を元ネタとした 複数の作家によるコマ漫画アンソロジー 同シリーズからは衛藤ヒロユキ 柴田亜美などが人気作家になっている 一般読者から募集した コマクラブ 会員からの投稿作品を集めた番外編も存在し その中から多数の漫画家を輩出している 月刊少年ガンガン で ガンガン編 も連載 また姉妹版として コミック劇場 が 月刊少年ギャグ王 で連載され いずれも単行本化されている コママンガ劇場シリーズは年から年まで発行され続け 総巻数は冊を超えた 年を最後にドラゴンクエストシリーズのコマは途絶えていたが 年に年ぶりに のコマ劇場が発行されたほか 年から年にかけて のコマ劇場がヤングガンガンとガンガンにて連載された と のタイトル以外は 作品単体でのコマ漫画劇場が発行されている ただし は過去の作品の再録 ドラゴンクエストの音楽に歌詞を付けて歌った物 各ゲームソフトのストーリーに基づいて音声ドラマ化したもの 第作から と トルネコの大冒険 が発売されている ゲーム機 ゲームき とは コンシューマーゲーム機 テレビゲーム機 携帯型ゲーム機 アーケードゲーム機などといった コンピュータゲームを動作させるためのハードウェア機器の総称である ここではゲーム機と呼ばれているものがどのようにして確立したかを年代順に簡略に述べる ゲーム機が誕生した年頃には コンピューターと言えばメインフレームや せいぜいミニコンであり 大企業や大学や それらあるいは軍の研究所で使われる高価なシステムしかなかった 初期のコンピューターゲームで最も有名なものとしては ミニコン上で書かれ不特定多数の大学生に遊ばれた宇宙戦ゲーム スペースウォー が挙げられる その後 ゲームはつの道を通って発展した 第世代 年代前半 年代中盤 では エレクトロニクス技術の進歩によって テレビゲーム機にも簡略化 低価格化を施されたスプライト機能とハードウエアスクロール機能が追加されていった 任天堂のファミリーコンピュータは サードパーティーによるソフトウェアの製造をライセンス ゲーム機メーカがサードパーティーにゲームソフトウエア開発 販売を許諾する 形式にし ゲームソフトメーカからのライセンス収入を見込むことでゲーム機のハードウェア自体を低価格で販売することができ それによりゲーム機所有者数が増えることでゲームソフトメーカも恩恵を得ることができた なお 年代以降のゲーム機では再び据置機 テレビゲーム機 携帯機 アーケードゲーム パソコンゲームの区別が曖昧となるが 下記で詳しく述べる ゲームハードの世代分けについては 英語版ウィキペディアにおける を参照 にだいたい相当するもの すなわち コンシューマーゲーム機 家庭用ゲーム機 ゲーム専用機 等と呼ばれているものに関しての話題を主として扱う マイナーなものまで含めれば多種多様のさまざまな形態があるものの この項ではひとまず各機種を据置機 いわゆるテレビゲーム機 と 携帯型ゲーム機の二つに分類している 世代については 英語版ウィキペディアが から まで分類しているためそれに沿っているが おそらく独自研究であり ここで見られる世代分けは日本のゲーム研究等ではあまり見られず また英語による資料においても異同が見られる ゲーミングは対象外です テレゲームズ カラーテレビゲーム ポンクローン ブレイクアウトクローン その他 アタリショック後 北米と欧州ではゲーム機能に加えてプログラミング機能をそなえたゲームパソコンが勢力を増し 多くのゲームメーカーがゲームリリースを家庭用機からパソコン主力に移した ゲームパソコンとして北米ではコモドールが 欧州では が成功を収めた 日本でも同様の機種 ぴゅう太 など が登場したが 最終的にはゲーム機能に特化し 第 第世代より優れたゲーム性能を実現した機種が成功を収めた 特に任天堂のファミリーコンピュータ 以下ファミコン は日本における家庭用ゲーム機の本格的普及を担った 年にはアメリカで海外版ファミコンである が発売され大成功を収めた や対戦型格闘ゲーム アクションゲームなどの今日に繋がるゲームシステムの原型もこの時期に出来上がった これまでは に由来する仕様と呼ばれるジョイスティック型のコントローラーが一般的であったが ファミコンのパッド型コントローラー ゲームパッド はコンパクトだが汎用性に優れ 以後のほとんど全てのゲーム機における入力機器の基礎となった ゲームパソコン 従来機種より高度なスプライト機能を搭載し グラフィックスの表現力が格段にアップした ステレオサウンドが標準になり 表現も工夫された ゲームの複雑化 高度化も進み 対応するコントローラーも多ボタン化が進んだ 他方 複雑で表現力豊かなゲームをカートリッジに詰め込むのには 容量不足による限界が見え始めてきた ゲームソフトの大容量化によりコストも高騰し 円以上のソフトが続出した このような情勢から 従来のカートリッジに代わり世界初の をゲーム媒体に使用した が現れ 対応タイトルは 大容量を活かしたものとなっており 後の光ディスクによるソフト供給の基礎となった 主なハードは エンジン メガドライブ スーパーファミコンの機種である スーパーファミコンは他の種よりも大幅に発売が遅れたが 日本ではファミリーコンピュータからの圧倒的シェアを受け継いで移行することに成功した 一方の北米市場では任天堂の 日本国外版スーパーファミコン とセガの 同メガドライブ が市場競争を展開し がシェア の万台を売り上げ一定の成功を収めた アーケード市場において対戦型格闘ゲームなどで絶大な人気を得ていたが アーケードのシステムをそのまま家庭用機に流用したでゲーム機市場に参入した 家庭用ゲーム機の高性能化によりアーケードゲームやパソコンゲームとの性能差は縮まった 海外市場ではホビーパソコンの とがリリースされ ゲームパソコンとして拮抗した人気を得た 日本でもや などのホビーパソコンが発売されたが 据置機とソフトに恵まれた日本ではパソコンゲームは家庭用ゲーム機で扱えないアダルトゲームを除いて衰退した 第世代ゲーム機はドット絵とスプライトによるゲームの成熟 完成期に当たる 第世代機ではネットワークサービスを利用して 当時のゲームや ドット絵を利用した 当時のハードウェア環境そのままでの新作 が配信された セガサターン バーチャルボーイ プレイディア この世代では 従来のカセットに代わって光ディスクがコンテンツ販売パッケージの主力となった 光ディスクは読み込みに時間がかかるという難点があるものの データ容量が大きくさらに生産性が高いため 安価にゲーム媒体を量産可能になった これに伴いゲームの規模は拡大し 副次的にも音質の向上やムービー再生による演出が広がるなどのメリットがあった 本格的なグラフィックス機能が搭載されたゲーム機が現れ ゲーム内での映像表現の幅が劇的に広がった 振動機能やアナログスティックを備えたコントローラも登場した ドット絵とポリゴンでは製作ノウハウが違い 中小の新しいソフトハウスも台頭した この世代から第世代にかけて ゲーム機戦争 と呼ばれるハードウェア同士の性能競争が最高潮に達し 各社とも自社製ゲーム機の高性能ぶりを盛んにアピールした 主要な機種は セガサターン の機種である この世代でゲーム機市場に新規に参入したソニー コンピュータエンタテインメント 現 ソニー インタラクティブエンタテインメント のは 安価で開発のしやすいシステムと サードパーティーの高い支持による充実したソフト群を背景に首位に立った セガのセガサターンは より早く万台を売り上げるなど 発売直後は好調さを見せたが コストカットしにくいハード構成であることからとの値下げ競争で苦境に立たされた また 北米では米セガがスーパーを先行して投入するなど 販売戦略において日本セガ側との食い違いが見られ 結果的にユーザー側の混乱を招いて共倒れする形となってしまい 海外市場で不評を買った 任天堂が発売したは ビットの高性能をその名でアピールする象徴的な存在を目指したが 他社に比べて発売が大きく出遅れた上 サードパーティーが少なく 旧来的なカセットを採用したためソフトウェアの価格は高めであり価格競争力も低く 北米では成功したが主流となることはなかった 日本でもに大きな遅れをとることとなった 北米最大のコンシューマゲーム会社であるエレクトロニック アーツの創設者が 社を設立してゲーム機市場に参入した ゲーム機やゲームパソコンのメーカーとして黎明期から長らくゲーム業界を支えたアタリがこの世代を最後にハード事業において四半世紀に渡る長い休眠期間に突入し コモドールが倒産した それによって ゲーム用途で使われるパソコンとしては 互換機がほとんどとなった の登場後もしばらくゲーム用途では が主流であったが の登場以後は次第にゲーム用途としてもがメイン環境となった マイクロソフトはパソコン用ゲームの開発スタジオを多数抱える大手ゲームメーカーとなり 続く第世代でついにコンシューマ機に参入した パソコンにおけるブロードバンドの普及期に当たり ネット対応が不十分な家庭用ゲーム機に先行して パソコン用のオンラインゲームが充実した 中国や韓国などアジアの新興国においても自国製ゲームの普及が見られ始めるが 据置型ゲームは多大な開発コストなどの参入障壁が大きかったことや アジア諸国における海賊版の横行のためコンテンツ販売では利益を得にくかったなどの理由から 課金制のパソコンオンラインゲームが開発の主流となっていき これらの国の作品が世界に輸出されるのも多く見られ始めた 任天堂のは リモコンという体感型のコントローラを搭載し ハイデフィニション に対応したと も やを発売した いずれの機種もかつてのハードで発売されたソフトの公式エミュレータを用意しコンテンツのダウンロード販売も行われるようになった ビデオ オン デマンドなど海外では がスマートテレビのデファクトともいわれた ソフトメーカーにとってはシェアの先行き不透明な状況が続き 前世代以上にマルチプラットフォームが増加した とは売れ行きは鈍く 人気ゲームの続編 リメイク 対応版の発売が多くなった は今までのゲーム機の常識を変え体感型として出したため 新しくて面白さが分かりやすく普及に時間がかからず 同世代のハードに比べ非常に速いペースでシェアを伸ばし世代振りにハードシェアでのトップなったものの 他のハードとは異なり入力デバイスが特殊である事や同世代のハード中で唯一画質が画質に対応していない事等からマルチプラットフォームリリースの対象から外れる事が多かった 特に画質面において 年に地上デジタル放送の完全移行を控え 高画質テレビ 主にテレビ の普及率が大きく上がった事がの長期展開にとって大きなミスとなってしまった また 後年は専用タイトルの数も大きく減少した 結果的に やのラインナップが充実していく中 逆には新作ソフトが不足するようになっていった 南米やアジアなどの新興国ではネットワーク対応や体感型などを盛り込みながらも安価で低性能なゲーム機が盛んにリリースされており ブラジルで長らくセガの代理店として活動していた社が年に独自にリリースしたドリームキャストの後継機や 中国におけるセガの代理店であるがリリースしたおよびそのバリエーションである が代表的な製品である 先進国ではハードから撤退したセガは新興国ではやなどを介してハード事業を継続しており からはメガドライブのモデルチェンジ版であるメガドライブも年発売された が年月 と が年月で 共に北米地域のホリデーシーズンに合わせて発売された 機種全てで北米地域での発売が優先されている や のように各クラウドのサービス プラットフォームが台頭し やクラスタ などはにも使用された スーパーコンピューターゲーミングを目指していたシンラ テクノロジーは解散したが 主要メンバーは を立ち上げた コンシューマーゲーム機 マイクロコンソール クラウドゲーム機 搭載 任天堂は前世代の が販売不振で短命となり 他社に先行する形で年月に 据置機としても携帯機としても遊べるハイブリッドゲーム機として を発売 ゲームボーイ発売以降分離していた据置機と携帯機のプラットフォームが統合された また年月に の携帯専用機 および廉価版としての位置付けで も発売された は年月 初のスタンドアローン型ゲーム機である を発売 アタリは 以来約四半世紀ぶりに家庭用ゲーム機業界に復帰し を発表した また マテルもインテレビジョンの権利を買い戻し を発表した さらに は マイクロソフトは を年月にそれぞれ発売している この世代ではクラウドゲームサービス プラットフォームも注目を集めており アップル が参入した コンシューマーゲーム機 クラウドゲーム機 サービス 据置型ゲーム機が第世代となり ブームとなっていた年 アメリカの大手玩具メーカーであるミルトン ブラッドリー社から史上初のカートリッジ交換式携帯型ゲーム機がリリースされた はがカートリッジ側についているなど 後のゲーム機とはずいぶん異なっていた 画面が壊れやすいなど技術的な制約のため 商業的にほとんど成功せずに終わった カートリッジをハードに差し込む形式ではなく ハードにつきゲームという形式の電子ゲームが登場した 当時の電子ゲームはモノクロすら搭載できず 表示によるものが主だったが マテルが年に世界初の携帯型電子ゲーム機となる をリリースして以降 各社から続とゲームが発売され 大きなブームとなった 電子ゲーム ボール カートリッジ交換型の携帯型ゲーム機が実用的なスペックを獲得し 多彩なゲームが楽しめるようになった最初の世代である ゲームギアのスペックは第世代の据置ハードとほぼ同等であり エンジンは据置機第世代のエンジンと互換性があった モノクロ液晶を採用したゲームボーイは 当時としては卓越した性能と画質を持つ他機種に大きく劣っていたが 当時の液晶技術は未熟で消費電力も大きく カラー液晶機種はさらに高価でバッテリー 単三乾電池 消費も激しかったなかで コンパクトで長時間駆動できるゲームボーイは携帯型ゲーム機で最も人気を集めた ゲームギアは日本では商業的に苦戦したが 北米ではゲームボーイに対して善戦した 実用的な携帯型ゲーム機の登場によって電子ゲームのブームはこの世代で終了したが 電子ゲームは販売されつづけて一定の市場を維持しており 時にたまごっち バンダイ 年 のような大ヒットとなるものもあった 電子ゲーム スペックは据置ハードの第世代と同等か やや上回る程度であり 携帯ハードの第世代から大きく向上してはいないが 携帯性に優れた薄く小さいボディを実現した 液晶技術の発達により カラー液晶を採用した機種でも 長時間の運用に耐えられるようになった 赤外線通信機能などを搭載し 通信機能を生かしたゲームが流行した ビジュアルメモリとポケットステーションは 据置機の外部記憶媒体 メモリーカード にゲーム機能を付加するものだったが 普及には至らず 後世代機においては採用されなかった メガドライブと互換性のあるセガ ノーマッドや この時代にあえてモノクロで挑んだワンダースワンなどの意欲的な機種が出たものの この世代ではカラー化を果たした任天堂のゲームボーイシリーズが一人勝ち状態であった 据置機の外部記憶媒体 電子ゲーム 反射型液晶や反射型液晶を採用したカラー液晶のゲーム機が主流となった スペック的には据え置きハードの第世代を上回る程度の機能を搭載し 携帯型ゲーム機における表現の幅が飛躍的に拡大した 前世代と同様に任天堂以外の機種は振るわない結果となり 携帯型ゲーム機において任天堂の独占状態が確立した この頃から携帯電話の普及率が激増したため それを使った携帯電話ゲームが登場し始めた のようにや携帯電話機能を搭載したゲーム機も出始めた はを搭載し 年にはアプリケーション プラットフォーム化した とによって二分された 前世代までの乾電池に代わりエネルギー密度が高いリチウムイオン電池を採用し 明るいバックライト付き液晶となった 据置機同様にグラフィックの化が進み ネットワークを介したデータのダウンロードやオンラインプレイが可能となった はブルー オーシャン戦略でライト層もターゲットに据え はコア層を主なターゲットに据えた はネットへのハードルを下げたニンテンドー コネクションや タッチパネルの採用は携帯型ゲーム機としては史上初であり 特徴的な画面による のヒットによってユーザー層が広がり が教育にも取り入れられた は大型液晶画面と光学ドライブ 高性能マイクロプロセッサを搭載した は日本市場においては モンスターハンター ポータブル シリーズに恵まれたこともあり 任天堂のハードが一人勝ち状態であった前世代までとは違い善戦した 搭載 が携帯ゲーム機から撤退し 任天堂も据置 携帯両対応の を出すことで厳密な意味での携帯ゲーム機が出されなくなった中 新たに がを発表した 任天堂からは年にファミコンシステムが発売 セガからはアメリカ市場においてセガ マスターシステムでと複数の対応ソフトが発売された 年にはアタリから と のわずかタイトルだったが ヘッドセットが発売された ドラゴンクエスト 悪霊の神 ドラゴンクエストツー あくりょうのかみがみ は 年月日に株式会社エニックス 現 株式会社スクウェア エニックス より発売されたファミリーコンピュータ用ロールプレイングゲーム 開発はチュンソフトが行い ゲーム デザインとシナリオは堀井雄二 プロデューサーは千田幸信 ディレクターは中村光一 音楽はすぎやまこういち キャラクターデザインは鳥山明が担当している ゲーム内容は前作 ドラゴンクエスト の年後を舞台としており 邪教の教祖大神官ハーゴンによる侵略から自国を救出するためにローレシア城の王子 サマルトリア城の王子 ムーンブルク城の王女がハーゴンを討伐する事を目的としている ゲームシステムは画面上に表示されるコマンドを選択する事で主人公たちの行動を決めるコマンド選択式となっている 日本では翌年に にも移植された その後 リメイク版としてスーパーファミコン 以下 用ソフト ドラゴンクエスト 年 ゲームボーイ 以下 用ソフト ゲームボーイ ドラゴンクエスト 年 に収録されている 年代後半に入ると携帯電話用アプリ アプリ アプリ アプリ スマートフォンアプリ としての配信も行われるようになった その後専用ソフトとして年月日発売の ドラゴンクエスト周年記念 ファミコンスーパーファミコン ドラゴンクエスト に ファミリーコンピュータ版 以下 が版 ドラゴンクエスト などと共に収録された 年月日には ニンテンドー版が 年月日には 版がダウンロード配信されている 北米では 年ににて として発売され 後に版 にも収録されている ファミリーコンピュータ版はゲーム誌 ファミコン通信 の クロスレビュー にてプラチナ殿堂入りを獲得 また ファミリーコンピュータ の ゲーム通信簿 にてキャラクタ位 音楽位 熱中度位 操作性位 オリジナリティ位 お買い得度位 総合評価位を獲得した 以降 特記が無い限りはオリジナルである版について述べる ドラゴンクエストシリーズの第作 徐に高まった前作の人気を受け 発売直後から方で品切れ 最終的に大ヒットとなり後に ドラゴンクエスト現象 といわれる基礎を作った キャッチコピーは 勇者の伝説が再びよみがえる タイトルロゴの のデザインは 盾を模したものとなっている 本作の時代設定は前作 ドラゴンクエスト 年 から年後である 本作の主人公たち人は勇者ロトの血を引く前作の主人公の子孫たちであり 主人公 ローレシアの王子は まず仲間のサマルトリアの王子とムーンブルクの王女を見つけ そして人で力をあわせて悪の大神官ハーゴンに立ち向かう 前作と本作 後に発売された ドラゴンクエスト そして伝説へ 年 の作はストーリーの関連があることから 後に登場する英雄 ロト の名を取って ロトシリーズ ロト三部作 などと呼ばれるようになった 容量は前作の倍のメガビット 約キロバイト となり 既存システムの整理やパーティー制などの新システムが追加され 本作で取り入れられたシステムの大部分は後の作品にも受け継がれている フィールドマップの広さは 前作 の倍以上 となっており 冒険できる範囲が広がり 徒歩だけでなく 船に乗ったり 旅の扉 で遠隔地へ瞬時に移動したりすることも可能となった ビジュアル面では海岸線や壁などに代表されるグラフィックが強化されたほか 使用している楽曲数も増加されている 社会現象を巻き起こした続編 ドラゴンクエスト そして伝説へ の発売後には 本作のゲームブック化や小説化 ドラマ シアター 化も行われている 小説ドラゴンクエスト ゲームブックドラゴンクエスト シアター ドラゴンクエストを参照 なお 年 平成年 に発売されたスピンオフ作品 ドラゴンクエストモンスターズ キャラバンハート は 本作の世界よりさらに未来という設定になっており 本作とほぼ同様の世界地図が登場している 移植版 リメイク版については移植 リメイクの節を参照 前作は主人公人だけで冒険をするシステムであったが 本作では複数人のキャラクターが集団で行動するパーティーシステムを採用し 最終的には人パーティーとなる 人は能力の成長の仕方 覚える呪文 装備できる武器などが異なる ただし 前作を経験していないプレイヤーへの配慮として いきなり人以上のパーティーで始まるのではなく ゲームスタート時は人だけでゲームを進めていくようになっている 本作に登場する人のプレイヤーキャラクターのうち あなた と呼ばれているのは ローレシアの王子 であり その名前はゲームスタート時にプレイヤー自身が付ける 後に仲間になる サマルトリアの王子 と ムーンブルクの王女 の名前は ローレシアの王子 の名前によって自動的に決定されるが 隠しコマンドを使うことによって自分の好きなように名前を付けることもできる 貨幣のゴールドは全員共有だが 経験値や などのステータスは各キャラクターで別となっている アイテムも各キャラクターごと個別に管理され それぞれ装備品を含めて個まで持つことができる まとめ持ちはできない 仲間がいるときは 移動中にアイテムをほかのキャラクターに渡したり 回復用のアイテムや呪文を他のメンバーに対して使ったりすることもできる ダンジョンとして前作の 洞窟 のほかに 塔 が登場しており 地下に降りていく洞窟ダンジョンと 上層へ登っていく塔ダンジョンに分かれている 本作における塔は 外縁または吹き抜けから落ちることで地上に脱出したり 下階に移動したりできる 洞窟の場合 脱出の呪文が使えなければ 来た道を最初まで戻って脱出する必要がある あるアイテムを装備していると塔から落ちた際にやや離れたところに着地し これを使わなければ行けない場所がある また 前作では洞窟ダンジョン内は真っ暗で アイテム たいまつ や呪文 レミーラ で明かりを灯す必要があり どちらも使えない場合は全くの手探りで移動しなくてはならなくなるという演出であったが 本作では大幅に演出を変え たいまつ レミーラ が廃止され 主人公から見通せる範囲だけ表示されるような演出となり 前作に比べて こういった演出であれば当時のハードウェア性能を最大限に生かすことができた すなわち テレビ画面全体を使いつつも 主人公たちからは見えるはずのない壁の向こうの空間などは表示されず 広い部屋に入れば部屋全体が見渡せる 壁の間にある通路の先が暗闇となっており この暗闇部分に入ることで画面が切り替わり 隣のエリアに進む しかし 画面を切り替えた瞬間は 視界の外に潜んでいたモンスターが現れるため 通常より高い確率で敵と遭遇する これらの演出方法は本作から数作にわたって採用された 移動画面でのメニューコマンドはつに整理され つのコマンドに複数の役割を持たせたり 無駄なコマンドをそぎ落とすなどの整理が行われている また 階段は上に乗ることで自動的に昇降するようになったため 前作の かいだん コマンドは廃止された 城や町などに置かれた店は 武具を買える武器と防具の店 使用する道具を買える道具屋 を全回復する宿屋 新しく登場した教会のつが存在する 前作に登場した聖水屋は道具屋で聖水が販売され 鍵屋は鍵が何度でも使えるようになったため それぞれ廃止されている 教会では 寄付金を払うことにより 死んだキャラクターの蘇生 毒の治療 呪いの解除が可能である また 本作限りの店として福引所が用意されている ふくびきけん 枚につき回福引 スロットマシン形式 に挑戦でき 絵柄が揃えばアイテムが手に入る ふくびきけん は主に 道具屋で買い物をした時に たまにおまけとしてもらうことができる 本作では移動手段が徒歩 と城へ帰還する呪文やアイテム だけでなくなり ほかの移動手段が追加された シリーズで初めての乗り物として 水上 海 川 湖 を移動することができる船が登場した フィールド上から主人公たちが乗り込むことによって 水上を移動することができる ただし浅瀬は通れない 上陸の際は 歩いて通ることのできる地形であればどこにでも上陸できる 地上同様 水上でもモンスターとの戦闘が発生し 水上のみ出現するモンスターもいる 瞬間移動の呪文 ルーラ や道具 キメラのつばさ を使ったときは 最後に復活の呪文を聞いた城や町に瞬間移動するようになった 主人公たちと同時に船も移動先の城や町の近くへ移動する また 旅の扉という青い渦巻状の物体が各地の城 町やほこらなどに用意されており 飛び込むと 遠く離れた場所に一瞬で移動することができる これを使わないと行くことのできない場所もある 旅の扉の多くは鍵が無いと利用できない 前作同様 フィールド上 ダンジョン内などでランダムエンカウントでモンスターとの戦闘となる 本作ではフィールド画面に戦闘ウィンドウが開くのではなく 背景が黒一色の戦闘専用の画面に移行する形式となっている コマンド選択時の コマンド のメッセージは削除された 本作ではパーティーを組んでいる主人公一行に対して 敵も徒党を組んで襲い掛かってくる 同じ敵モンスターが複数集まりグループを組んでいる場合もあり 同じモンスターの集団に対しては通常攻撃 たたかう では通常一体ずつしか攻撃できず 攻撃呪文にはグループ全員や敵全員を攻撃する効果を持つものもある 何匹いるのかはコマンド入力時のメッセージとともにグラフィックでも表示される 前作での主人公と敵とが交互に行動する戦闘システムから 最初に味方全員の行動をコマンド選択で一度に指示し ラウンド内に敵 味方各キャラクターが回ずつ 複数回連続攻撃する敵もいる 味方も装備により回連続攻撃することも 各自の素早さにランダム要素を加味して計算された順番で行動するというシステムへと変化した ただし 戦闘の最初のラウンドでプレイヤー側から一方的に攻撃できる場合 先制攻撃 や 逆に敵から一方的に攻撃を受ける場合 不意打ち もある 複数のキャラクターが入り乱れるようになったことで戦闘は一気に戦略性が向上し 後のドラゴンクエストシリーズ作品の戦闘システムの基礎を築いた 呪文には 攻撃や回復 状態異常を及ぼすものの他 命中率や防御力などの能力値に影響を与える補助呪文が追加された また状態異常には この 死亡 やコマンド入力が行えない 眠り 呪文が使えない マホトーン に加えて 移動画面に戻ったときに歩くごとにが減っていく 毒 と 通常攻撃の命中率が低下する マヌーサ が新たに追加された 戦闘コマンドには 何もせず身を守ることにより敵からの攻撃のダメージを減少させるコマンド ぼうぎょ が追加された キャラクターが選べる戦闘コマンドはつで ローレシアの王子は じゅもん を選択することができない代わりに にげる を選択でき 他のメンバーは にげる を選択できない ローレシアの王子が眠ったり死亡したりしていてコマンド入力できない状態の場合は コマンド入力可能な最前のキャラクターの ぼうぎょ コマンドが にげる に変わる プレイヤーキャラクターのがになると死亡扱いとなり そのキャラクターは一切の行動ができなくなる 全員が死ぬと全滅となり 所持金が半減し ローレシアの王子のみ生き返り 直前に 復活の呪文 を聞いた場所に戻される 現れた敵をすべて倒すと勝利になり 経験値はとどめを刺したキャラクターと関係なく全員平等に手に入る ただし死んでいるキャラクターは経験値を得ることはできない 本作ではモンスターが体以上出現した場合のみ その匹数により獲得した経験値が割増になるシステムがあり 倒したモンスターの経験値合計 出現匹数 小数点以下切り捨て が実際の獲得経験値となる 敵の中にはザオリクを唱え 生き返らせるモンスターもいる 本作ではザオリクで生き返ったモンスターを倒すと その分多くの敵を倒したものとして 戦闘終了後に入る経験値が加算される 途中で逃げたり 味方が メガンテ の呪文を使った場合は 一部の敵を倒していても経験値やゴールド 貨幣 は手に入らない 本作からは 戦闘に勝利したときに敵モンスターが一定確率で宝箱を落とすことがあり 中には敵の宝箱からしか手に入らないアイテムもある 前作同様 本作にはセーブ用のメモリが搭載されていないため ゲームの中断と再開には ふっかつのじゅもん 復活の呪文 とよばれるパスワードを利用する 本作では最大文字と前作の文字より長いが パーティーの人数や所持品の数などによってパスワードの長さが異なる可変長方式となっている パスワード入力画面で流れる楽曲は 探して 前作ではパスワードは ラダトームの城 か所でしか聞けなかったが マップの広くなった本作では複数の場所でパスワードを聞くことができ ゲームを再開するときの出発地点はそのパスワードを聞いた場所となる 前作で城に帰る呪文 道具だった ルーラ キメラのつばさ は今作では最後にパスワードを聞いた場所に移動する 前作と同じくパスワードには現在のやの値が記録されないため パスワードを入力してゲームを再開した時点で は必ず最大値となる 死亡状態でも復活した状態で再開するが この場合は復活に必要なゴールドが差し引かれた状態のパスワードが発行される 不足の場合はゴールドがとなる 本作発売後には 語呂合わせによっていきなり高レベルからスタートできるなど さまざまなパスワードが雑誌などに掲載された もっとも有名な語呂合わせパスワードである ゆうていみやおうきむこうほりいゆうじとりやまあきらぺぺぺ 以降最後まで ぺ については 元裏技として仕込まれたものではなく偶然ユーザーによって発見されたものだと堀井雄二が語っている なお 本作のふっかつのじゅもんは ドラゴンクエスト 過ぎ去りし時を求めて でも使用可能となっており ゲームをある程度有利な状態から始めることができるようになっている 当初はオープニングのエピソードは絵物語形式で進行する予定だったが 容量の都合により削除され 使用される予定だったドット絵 正確には線を引いて内部を塗りつぶすプログラムとそれを指定するデータにより描画しており これを担当した専任のプログラマがいた は取扱説明書のページに枚だけ採用されている また他にもストーリーの途中で紙芝居的な演出を行う予定があったがそれも削除された アイテムでは あぶないみずぎ が版で使用可能なアイテムとして収録される予定だった 後述するように版以降では収録が実現している 他にも 耳せん 死のオルゴール などのアイテムがカットされ その影響でダンジョン内のからっぽの宝箱が増えた 次作 ドラゴンクエスト から登場するだいおうイカを始めとするイカのモンスターは当初は本作で登場予定であった これに関する出典はファミリーコンピュータの ドラゴンクエスト の記事にて登場モンスターの一体として写真付きで掲載されている 北米で発売された版 は 内容は日本版とほぼ同じだが 日本版には無かったプロローグ ムーンブルク城が襲われるシーン が追加されている また データの保存にバッテリーバックアップ方式が採用され 日本版での教会の十字架が五芒星のマークに 棺桶が幽霊のグラフィックに変更されている 本作では次のようなバグが確認された これらは雑誌などでは 裏技 として紹介された 一部はゲームブック版 エニックス刊 でも採用された 以上はリメイク版では解消されているが 版については別のバグがいくつか発覚している 後の版以降で修正された ドラゴンクエスト において アレフガルドを恐怖に陥れた竜王は 勇者ロトの血を引く勇者によって倒され それ以降 世界は平和な時代が続いた 勇者は ラダトームの姫であったローラとともに新たな地を訪れ 国を築く 国号は妻の名を採って ローレシア とされた その後 国はローレシア サマルトリア ムーンブルクというつの王国に分割され 勇者とローラがもうけた人の子供とその子孫が各国を治めていった 本作はそれから年が経ち 平和が破られた後の物語である ムーンブルク王国の城が邪教の教祖大神官ハーゴンの手先によって滅ぼされ ムーンブルクから脱出した人の兵士がローレシアにたどり着く 兵士はハーゴンのことをローレシア王に伝えるとその場で息絶える サマルトリアやローレシアがハーゴンの手に落ちてしまうのを阻止するため ロトの末裔であるローレシアの王子 主人公 が ハーゴン討伐のためローレシアを旅立つ アレフガルド一国のみが舞台だった前作だが 本作ではそのアレフガルドを含んだ世界すべてが舞台となる 世界地図の北端と南端 東端と西端はそれぞれ繋がっており 例えば世界地図の北西に位置するルプガナから北方へ向かうと南西のベラヌールに 西方へ向かうと北東のローレシア大陸に着く これは以降のドラゴンクエスト作品すべてについていえることである 物理的なマップの広さは前作の倍以上となったが アレフガルドのみにマップ全域を充てていた前作に比べればアレフガルドそのものは縮小され アレフガルドではラダトーム城 竜王の城 沼地の洞窟 聖なるほこらのみを残し 前作で登場したそれ以外の町 村や洞窟は省略された 物語を進めるうえで特に重要な道具について解説する この節ではゲーム内で語られる設定を中心に述べる 年後ということにより 前作の登場人物の子孫が主要キャラクターとして登場している 前作から年後という設定を考慮し キャラクターのコスチュームアレンジが中近世的なものからスチームパンク作品的なものとなった それぞれの盾 服 頭巾にロトの紋章が施されている 同盟国同士でもあるが 物語開始時点ではプレイヤーキャラクター人に互いの面識はない 双葉社のゲームブックも同様 ただし リメイク版ではサマルトリア王子 ムーンブルク王女が幼少時にローレシア城を訪れていることが明らかになっている 小説やエニックスのゲームブック シアターでは物語開始時点で人とも顔見知りである 最高レベルは 版での値 携帯電話版では人ともに統一されている 解説文中の呪文の詳細はドラゴンクエストシリーズの呪文体系を参照 版の約一年後に発売されており 内容は版とほぼ同じだが ロムの容量が増えたことでオリジナルアイテムとしてムーンブルクの王女のみが装備できる防具 あぶないみずぎ のアイテム並びにイベントの追加や あくましんかん 匹など版では無かった敵のフォーメーションが登場し 全体的に敵が強く設定されているなどの変更が行われている 音源が異なるため メロディーラインが全てデューティ比 の矩形波になっている他 にアレンジが施されており 特にパスワードを入力する際の 探して はポルタメントを多用し 歌 を強く意識したアレンジとなっている ほぼ全曲において版より長度低く 例えばハ長調の王宮のテーマは変ロ長調になる コマンド画面でのアイテム表示が 個一列ではなく個二列に変更されている 版では 単色スプライトでないと複数個のキャラクターの横並びが困難で が横ドット毎に色までしか表現できないために スプライトとを組み合わせてキャラクターを表示している そのためにキャラクターの背景が黒く表示されるが でもファミコン版に近い色使いのキャラクターを実現し 主人公人の行進が可能になった が横ドット毎に色までしか表示できないために敵の色や背景の模様がの版と一部異なる 効果音が鳴っている間はのパートが一部欠けるなどの違いもある あぶないみずぎ 入手時のイベントで 露出度の高い水着を着たムーンブルクの王女 鳥山明のデザインとは別物 のグラフィックが画面全体に表示される 画面スクロールはドット毎 版は版と同程度の速さがある 版は版に忠実なグラフィックを実現している 戦闘突入時のフェードアウトが版と違い 版はパレットが固定なので直接に戦闘画面 版はパレットを暗くしていく フェードイン フェードアウト 方式となる あぶないみずぎ のグラフィック表示はカットされているが 台詞など イベントそのものは同一である 画面のスクロールにおいて 版の速度は版よりも遅い 版のストーリーを基に 操作性やグラフィック面など多くの点を改良したリメイク作品 版発売から年後の年 平成年 に第作 ドラゴンクエスト と合わせて本のソフト ドラゴンクエスト として発売された 町の人の台詞なども一部が変更 追加されたほか 版に追加されていたプロローグ ムーンブルク城が襲われるシーン とゲーム中盤でのシナリオの追加も行われた グラフィックは版 を サウンドはゲームボーイ版 をベースとしたものになっているが 音楽の長さが一部短縮されている 版相当 ものもある また プロローグでは パストラール カタストロフ は使用されず 王城 と 戦い に変更されている 版同様 中断の書 機能が搭載されている このほかには レベルや必要経験値 呪文習得レベルの設定の変更や 攻撃呪文 ギラ ベギラマ の対象範囲の変更 瞬間移動呪文 ルーラ および瞬間移動アイテム キメラの翼 の仕様変更 ドラゴンクエスト 以降のように行先の選択が可能に 出現するモンスターの一部変更 命の紋章 の入手場所の変更 紋章を全て揃えないとロンダルキアの洞窟に入れない仕様に変更された 最高レベルが人ともまでに変更 版 版 版では ローレシアの王子が サマルトリアの王子が ムーンブルクの王女が などが行われている すぎやまこういちは本作の用として前作でベースにしていたバロック音楽を踏襲しつつ 前作から年後の未来と言う世界設定に合わせ ポップス寄りの曲も作曲した エンディング曲 この道わが旅 は アニメ ダイの大冒険 およびアーケードゲーム ドラゴンクエスト モンスターバトルロード でもエンディング曲として採用された ゲーム中の名前 パスワード入力時に使用されている楽曲には 牧野アンナが歌う 探して が使用されている 牧野はゲーム中に アンナ の名前でゲスト出演しており 話しかけるとが同曲に変化するというサービスがある リメイク版ではこの演出は無くなっている この曲もアニメ ダイの大冒険 ので使用されている 本作は 特にゲーム後半で重要アイテムを持つ人物 ラゴス の発見が難解とされたこと 序盤から雑魚敵が強い ダンジョン ロンダルキアへの洞窟 のトラップの多さ ルビスのほこらの発見が困難 最終ダンジョンの階へ行くヒントが無い 最終ボスのシドーが完全回復呪文 ベホマ を使用する リメイク版は使用しないかわりにが多くなっている ことなどから 最高難度のドラゴンクエスト と評されることもある 製作者の中村光一はテレビ番組でのクリエイターインタビューにおいて ロンダルキアへの洞窟について 迷路を抜ける古典的なテクニックである 壁を右手伝いで辿って行けば 穴に落ちずに抜けられるように作ってあるので あんなに反響が多いとは思わなかった とコメントしていた さらに 終盤のテストプレイに十分な時間をかけられなかったせいで 洞窟に挑む際は多分これくらいのレベルだろう との想定で行われたバランスを読み誤り 高い難易度のまま確定してしまったことも明かしている 本作のゲーム画面の雑誌への掲載が著作権侵害とされた裁判の判決 地裁 と解説が判例百選に掲載されている 中村光一によると 最終的に容量はバイトほど余ったため 当時の開発用基板についていたランプを順番に点灯させるお遊びが仕込まれている 当然一般ユーザーは発見することができないものだったが 遠藤雅伸はこの仕掛けに気付いたという グレゴリオ暦 グレゴリオれき は ローマ教皇グレゴリウス世がユリウス暦の改良を命じ 年月日 グレゴリオ暦 から行用されている暦法である グレゴリオ暦は 現行太陽暦として世界各国で用いられており グレゴリオ暦を導入した地域では ユリウス暦 旧暦 に対比して新暦 と呼ばれる場合もある 紀年法はキリスト紀元 西暦 を用いる グレゴリオ暦の本質は 平年では年を日とするが 年間に 回ではなく 回の閏年を置いてその年を日とすることにより 年間における年の平均日数を 日 日 日 日時間分秒 とすることである この平均日数日は 実際に観測で求められる平均太陽年 回帰年 の日 年年央値 に比べて 秒長いだけであり ユリウス暦に比べると格段に精度が向上した 日本では年 ほぼ明治年に当たる に採用され 明治年月日 旧暦 の翌日を 明治年月日 新暦 グレゴリオ暦の年月日 とした グレゴリオ暦の前は ユリウス暦が採用されていた これは紀元前年にユリウス カエサルによって制定されて以降 キリスト教文化圏を中心に使用されてきたもので その暦法では 暦年の平均日数を日としている しかし 実際の太陽年は約日であるので ユリウス暦日と実際の太陽年から得られる暦日とのずれは毎年蓄積される この問題は ユリウス暦を用いるローマ帝国領にキリスト教が広まると 思わぬ形で表面化することになっていく 新約聖書において イエス キリストの処刑と復活の記事は ユリウス暦ではなく太陰太陽暦であるユダヤ暦に基づいて記述されており イエスの処刑日は ユダヤ教の過越しの日の前日すなわちニサン月日 ヨハネによる福音書 または過越祭第一日目の同月日 共観福音書 とある このユダヤ暦ニサン月は春分の頃に来る太陰月であり メソポタミア文明の暦においては伝統的に正月 新年 とされていたものである このような状況において ローマ帝国領に住むキリスト教徒としては その最大の祝祭日の一つである復活祭をどの期日に祝うのかが問題となった この点につき 初期の教会ではさまざまな方法が採用されていた 聖書の記述通りに ユダヤ暦をそのまま持ち込んでニサン月日に祝う教会もあった しかしこの日は基本的に月齢で決まるので曜日は一定しない そのため曜日の問題を重視して ニサン月日の満月の日の直後の日曜日を復活日とする教会もあった 他方で エジプト暦の伝統を持つアレクサンドリアの教会では ディオクレティアヌス紀元 コプト暦およびメトン周期を用いて季節 太陽年 と月齢 太陰月日 を独自に計算し 春分後最初の太陰月日のすぐ後の日曜日を復活日とする方法を採用した 季節と月齢を合わせる基準日を設け そこからメトン周期を用いて太陰年と太陽年の差を修正しながら各年の ほぼ同じ季節に該当する太陰月日 同じ月齢の日 を計算していけば 擬似的な太陰太陽暦を編纂するのと実質的に同じことができるからである この方法をコンプトゥスという この方法を実行するためには メトン周期の知識を理解し 季節と月齢を揃えるための太陽暦上の基準日を定めればよい 幸いなことにユリウス暦は太陽暦である そしてユダヤ暦ニサン月は春分頃に訪れる太陰月である 当然 基準日は春分ということになる 太陽暦であるユリウス暦では 春分日は毎年ほぼ同じ日になるはずである この点 ローマ帝国ではカエサルによるユリウス暦施行間もない頃から 春分日をユリウス暦月日とする考え方が広まっており 聖書のユダヤ暦の記述を無視してユリウス暦の同日に復活祭を祝ってしまう教会もあった しかしすでに世紀の段階で天文学的な春分日は月日頃となっており アレキサンドリア教会はこの事実を正確に把握していた そこで 第一次ニケーア公会議では ユリウス暦の期日を太陽暦上の準拠日としつつ アレキサンドリア教会によって用いられてきた擬似的な太陰太陽暦の作成手法を用いて 春分日であるユリウス暦月日直後の太陰月日の直後の日曜日を以て 復活祭期日とすることとした このような経緯で決められた復活祭日であったが このように キリスト教上の春分日 をユリウス暦上に固定してしまった以上 実際の天文学的春分日とユリウス暦上に定められた春分日すなわち月日との差は 年を追うごとに蓄積されていき これが直ちに復活祭の期日の不正確さに直結することとなった ユリウス暦のほうが太陽年より長いため ユリウス暦月日は天文学的春分日より日単位で徐に遅れていく ところが復活祭の期日は太陰月日 月齢 に準拠する方法で定められたため 差異が太陰月 朔望月 分に増幅されてしまい 復活祭がまるまるか月遅れるケースが徐に増えていく イングランドの教会博士であったベーダ ヴェネラビリスは 年にはユリウス暦にはずれがあり それはすでに日間以上になっていること またさらにこのずれは今後拡大するだろう と指摘している さらに問題だったのは メトン周期の側も わずかに朔望月 太陰月 とずれていることで このため年ごとに日の誤差が蓄積されていた 世紀のロジャー ベーコンは ずれは日間から日間に及んでいると推定し ダンテ アリギエーリもユリウス暦の改定の必要性を説いている しかし 平均太陽年 つまり実際に地球が太陽の周りを周する平均日数は 日時間分 秒 秒 約日 年年央 である したがって ユリウス暦の年は 実際の太陽年に比べて 日 約 日 約日 約分秒 長い このずれは下記の計算のとおり 約年で日になる ユリウス暦は その制定当時の天文観測水準を考えればかなりの精度だったが 千数百年も暦の運用が続くと 天文現象の発生日時と暦の上の日付の乖離は無視できないものとなった 世紀末に日ものずれが生じていたのは このためである なお 上記の計算は年時点での計算であり グレゴリオ改暦が議論されていた世紀中頃の計算とは少し差異がある ユリウス暦による春分日のずれを ローマ カトリック教会としても無視できなくなり 第ラテラン公会議 において改暦が検討された このときフォッソンブローネ司教のミデルブルフのパウル は コペルニクスを含めてヨーロッパ中の学者に意見を求めた しかし コペルニクスは 太陽年の長さの精度は不十分であり 改暦は時期尚早である と返答した コペルニクスは彼の主著 天球の回転について の序文でこのことを明記している 次に トリエント公会議 年 年 において 実際の春分日を第ニカイア公会議の頃の月日 つまり修正すべきユリウス暦のずれの蓄積は公会議開催の年からの約年間分にあたる約 日間で これを日のずれと見做した に戻すため 教皇庁に暦法改正を委託した 時の教皇グレゴリウス世は これを受けて年にシルレト枢機卿を中心とする改暦委員会を発足させ 暦法の研究を始めさせた この委員会のメンバーには 最初の改暦案を考案した天文学者のアロイシウス リリウスの弟であるアントニウス リリウスや数学者クリストファー クラヴィウスらが含まれていた 委員会が年に刊行した 暦改正の新しい原理の大要 というページの冊子によると アロイシウスは年に書かれたアルフォンソ天文表における日時間分秒 日を採用し 改暦案を考案した しかし アロイシウスは年に死亡しており その年に実際に案を委員会に提出したのは弟のアントニウスである ユリウス暦の約年間の運用により蓄積された約日間のずれをどのように修正するかについては 次の案が委員会に提出された 結局 委員会は 第案を採用したのである 改暦委員会の作業の末に完成した新しい暦は年月日に発布され ユリウス暦年月日木曜日の翌日を 曜日を連続させながら グレゴリオ暦年月日金曜日とすることを定め その通りに実施された ただし 上記の日付通りに改暦を実施したのは イタリア スペイン ポルトガルなどごく少数の国に過ぎず その他のヨーロッパの国での導入は遅れた なおグレゴリオ暦を年以前に遡って適用すると 年月日から年月日までは ユリウス暦と同じ日付となる ユリウス通日も参照 これは上述のように第ニカイア公会議開催の年が基準年として採用されていることに起因している グレゴリオ改暦が議論され始めていた年頃には 平均太陽年は 約 日であることが知られていた 日 日 年 日 年 であるから ユリウス暦における置閏法 年間で回の閏年 に比べて年間に回の閏年を省けば かなりよい近似となることが分かる このため グレゴリオ暦では 年間に 回 の閏年を置くこととして 年の平均日数を 日 日時間分秒 正確に秒 とした なお 年間の日数は 日であり これはで割り切れる 週 ので グレゴリオ暦は 曜日も含めて年周期の暦である 平年および閏年のそれぞれにおける各月の日数は グレゴリオ暦でもユリウス暦と同じである すなわち 月 月 月 月 月 月 月は日 月 月 月 月は日 月は平年が日 閏年は日である 下記のようにグレゴリオ暦での平均の年 日 は 実際に観測される平均太陽年 年年央 に比べて 秒 約 日 だけ長い このずれは約年かけて日に達する 以上のように ユリウス暦では日のずれが生じるまでに約年しかかからなかったのに対して グレゴリオ暦では同じく日のずれが生じるまでに約年を要するまでに精度が高まった によると 年時点では 年以来の誤差が累積して すでに約時間分秒だけ進んでいる なお 上記の計算は平均太陽年が不変であるとした場合のものである 実際には平均太陽年は年 正確にはユリウス世紀 ごとに 秒ずつ短くなっている 太陽年の項を参照 このため 年後には 約秒ほど平均太陽年が短くなっていることを考慮すると グレゴリオ暦との日のずれはもっと早い時点で起こることになる 太陽年 また 春分日時の間隔に着目した誤差は歳差などの影響により上記の計算とは異なり 西暦年時点で年に日 日本で明治改暦が行われた年の時点で年に日となる 月日を導く暦法そのものと年数を数える紀元 紀年法 は別の概念であるが 上述のように グレゴリオ暦はその置閏法をキリスト紀元の年数に基づいて定めるものとして制定されているので キリスト紀元と不可分一体の関係にある ところで キリスト紀元の正式名称は グレゴリオ暦改暦勅書 末尾の日付にもある通り すなわち 主 イエス キリスト の受肉 受胎 から数えた年数 である この点からすれば キリスト紀元年をつ繰り上げるべき日すなわち新年は イエスが受胎した日すなわち受胎告知日の月日が正当となるはずである 実際 改暦直前のローマ教皇庁自身が 月日を年初とするユリウス暦を使用していた しかしグレゴリオ暦は ユリウス カエサルがユリウス暦を制定した当時の新年すなわち月日をその年初とする方法を採用した したがってグレゴリオ暦では常に月日にキリスト紀元年数がつ増える なお グレゴリオ暦月日の年数として記されていても ローマ教皇庁の公文書に記されていた教皇在位年数や イギリスおよび英連邦王国諸国の公文書で近年まで使われていた国王在位年数 などは 日本の元号と異なり即位日をもって年数が一つ増加する ユリウス暦と太陽年 実際の季節 とのずれは 世紀の哲学者ロジャー ベーコンが指摘してから年もの間顧みられず 世紀になって宗教上の問題が顕著になるまで放置された このずれを修正し新たにグレゴリオ暦を制定した後も それがローマ教皇による発令だったので その導入時期は国 地域によってまちまちであった カトリックの国は比較的早く導入したが 一方でそうでない国では宗派上の対立もあって 導入までに少なくとも年以上かかった 正教会の大半は現在も改暦せずユリウス暦を使用し続けている 非キリスト教国においては 年の日本 後述 を皮切りに 徐にグレゴリオ暦を導入する国家が増加していった グレゴリオ暦の制定後 実施日である年月日に即座にこの暦を導入したのは カトリックを奉じるイタリア諸国 スペイン スペインに併合されていたポルトガル ポーランドである フランスはか月ほど遅れたものの 年中に導入を果たした 年には神聖ローマ帝国のカトリック諸邦で 年にはスイスのカトリック諸州で導入され カトリック諸国の改暦は数年を経ずして完了した プロテスタント諸国は グレゴリオ暦への改暦に消極的だった その理由の一つとして 復活祭の日付の決定がある 自らの祭事の日付をカトリックが定めた暦によって決められることを嫌ったのである しかし ユリウス暦の日付がずれており ずれた日付を基に祭日を決めることに問題があることは プロテスタントの宗教家も認識はしていた したがって グレゴリオ暦はプロテスタントにも徐に浸透した 最も早くグレゴリオ暦を導入したのは ドイツのプロテスタント諸国であった 年のレーゲンスブルク帝国議会において 日付の決定のみグレゴリオ暦を使用するが 復活祭の日付の計算にはプロテスタントのドイツ人天文学者ヨハネス ケプラーが作成したルドルフ星表を使うということで妥協した この暦は改良帝国暦と呼ばれた しかし ケプラーはグレゴリオ暦の方が優れていることを知っていたので 日付計算はすべてグレゴリオ暦で行っていた このため 実質的には改良暦はグレゴリオ暦で計算するのとほぼ同じだった この妥協はうまくいき 年に実施された際には隣国デンマークもこれに倣い 周辺のプロテスタント諸国も徐にこれに追随していった 正教会が優勢な東欧では 導入までにより長い時間がかかった 世紀に コンスタンディヌーポリ全地総主教イェレミアス世はグレゴリオ暦を否認し 他の正教会でもグレゴリオ暦を承認する教会はなかった このことはブレスト合同が不完全なものに終わる結果にも影響があった グレゴリオ暦を使用するフィンランド正教会を除き エルサレム総主教庁 グルジア正教会 ロシア正教会 セルビア正教会 日本正教会を含む正教会は 現在でもユリウス暦を使用している ロシアで最も強い影響力をもつロシア正教会は正教会に属しており 現在でもユリウス暦を使用している 同国で年グレゴリオ暦月に起きた革命を 月革命 同月に起きた革命を 月革命 と呼称するのは ロシア革命が起きた年までユリウス暦を使用していたからである ロシア革命後のコンスタンディヌーポリ教会が年に採用した暦は修正ユリウス暦 通称 ロシア暦 と呼ばれるものであり 厳密にはグレゴリオ暦ではないが グレゴリオ暦とユリウス暦の月日の修正が行われ 年までは二つの暦の間にずれが出ないようになっている なお 年以降は再びずれが生じる 現在ロシア国内では 正教会を除きグレゴリオ暦を使用している したがって ユリウス暦月日の降誕祭は ロシアのカレンダーでは 月日 と表示されている 他方 復活大祭の算出にはすべての正教会がユリウス暦を使用するので 復活祭およびそれに伴う祭日 斎日はフィンランド正教会以外の正教会が一致して祝っている ただし これはユダヤ教の祭日が決まった後でキリスト教の祭日を決定するという 初期のキリスト教の祭日決定法に従っているからであり グレゴリオ暦を導入していないことによるものではない ユダヤ教では年の長さがユリウス暦とほぼ同じユダヤ暦を基準にして祭日を決定するので 正教会では完全にグレゴリオ暦に移行できないだけである 日本では ほぼ西暦年に当たる明治年 とする改暦ノ布告 明治年太政官布告第号 を布告した この布告では 明治年月日 年月日 をもって太陰太陽暦 天保暦 を廃止し 翌 明治年 年 から太陽暦を採用すること 來ル十二月三日ヲ以テ明治六年一月一日ト被定候事 として グレゴリオ暦年月日に当たる明治年月日を改めて明治年月日とすることなどを定めた したがって 明治年まで使用されていた天保暦は 明治年以降は旧暦となった これが明治改暦である 改暦ノ布告は年も押し迫った明治年月日 グレゴリオ暦年月日 に公布され 社会的な混乱をきたした 暦の販売権をもつ弘暦者 明治年には頒暦商社が結成された は 例年月日に翌年の暦の販売を始めることとしており この年もすでに翌年の暦が発売されていた 急な改暦によって従来の暦は返本され また急遽新しい暦を作ることになり 弘暦者は甚大な損害をこうむることになった 一方 福澤諭吉は 太陽暦改暦の決定を聞くと直ちに 改暦弁 を著して 改暦の正当性を論じた 太陽暦施行と同時の年 明治年 月日付けで慶應義塾蔵版で刊行されたこの書は大いに売れて 内務官僚の松田道之に宛てた福澤の書簡 年 明治年 月日付 には この出来事を回想して 忽ち万部が売れた と記している これほど急な新暦導入が行われた理由として 明治政府の財政状況が逼迫していたことが挙げられる 当時参議であった大隈重信の回顧録 大隈伯昔日譚 によれば 旧暦のままでは明治年は閏月があるため か月となる すると 当時支払いが月給制に移行したばかりの官吏への報酬を 年間に回支給しなければならない これに対して 新暦を導入してしまえば閏月はなくなり か月分の支給で済む また 明治年月は日しかないことを理由に支給を免れ 結局月給の支給はか月分で済ますことができる 当時は のつく日を休業とする習わしがあり これに節句などの休業を加えると年間の約割は休業日となる計算であったが 新暦導入を機に週休制に改めることで 休業日を年間日余りに減らすことができる 改暦ノ布告は 施行までか月に満たない期間の中で慌てて布告されたためか 置閏法に不備があった それはグレゴリオ暦の肝心な要素である 西暦年数がで割り切れるがで割り切れない年 年間に回ある を 閏年としない 旨の規定が欠落していたことである このままでは導入された 新しい太陽暦 はグレゴリオ暦ではなく さりとて日付が日ずれているためユリウス暦そのものでもなく ユリウス暦と同じ置閏法を採用した日本独自の暦 となってしまう また 布告の前文にある文面もおかしく グレゴリオ暦で実際に日の誤差が蓄積されるのに要する年数は約年であるにもかかわらず 七千年ノ後僅ニ一日ノ差ヲ生スルニ過キス としていた これは 起草者が参考にした天文書 遠西観象図説 の誤りと考えられている そこで 西暦年 皇紀年 明治年 月日に 改めて勅令 明治年勅令第号 を出して 置閏法をグレゴリオ暦に合わせたものに改めた この勅令では 神武天皇即位紀元 皇紀 年数を用いて閏年か平年かを判別している ただし皇紀自体からを引いた値 すなわち同年のキリスト紀元と全く同じ数を引数として計算するため グレゴリオ暦と全く同じ置閏法を実現できる この置閏法の誤りを修正する勅令が公布された時には 日本で太陽暦を導入してから初めての 紀元年數ヨリ六百六十ヲ減シテ百ヲ以テ整除シ得ヘキモノノ中更ニ四ヲ以テ商ヲ整除シ得サル年 である皇紀年 すなわち西暦年 明治年 は年半後に迫っていた 国立天文台暦計算室の暦の記事も参照のこと ただし 国立天文台は 毎年月に 暦要項 を官報に告示し 翌年の 二十四節気および雑節 朔弦望 を計算 提示しているため 旧暦の 日の大月 日の小月 の設定 置閏の基準である 中気 の提示に相当するものが 公的 に行われていることになる グレゴリオ暦は ユリウス暦に比べはるかに精度が高くなっているが それでも上記のとおり誤差は完全に解消されたわけではない そもそも地球の自転周期と公転周期の比は整数の比になっていない以上 この誤差は必然的に生ずるものである また年初の日付が 天文学的な現象とは関係がない日付であることや 各月の日数が不規則であること 年の日数が週の倍数になっていないため 暦日と曜日が一致しないことなどの問題点が指摘され しばしば改暦運動が盛り上がった こうした改暦運動で実施されたものは 年にフランスで施行されたフランス革命暦のみであるが 合理性に徹するあまりそれまでの週や七曜の廃止を行うなどして大混乱を招き 年にはグレゴリオ暦に復帰した しかしその後も 世界暦への改暦提案などがしばしばなされている 仮想記憶 かそうきおく バーチャルメモリ とは コンピュータ分野におけるメモリ管理の仮想化技法の一種であり オペレーティングシステムなどが物理的なメモリを アプリケーション ソフトウェア プロセスなど に対して 専用の連続した主記憶装置に見えるように提供する この技術により 物理的な主記憶装置に加えてハードディスク装置等の補助記憶装置を併用すれば 物理的な主記憶装置よりも大きな仮想メモリを提供する事ができる またアプリケーション プログラム側は 物理メモリ上のアドレスを意識しなくて良いため マルチタスクの実現が容易である このため現代のオペレーティングシステムの多くが仮想記憶をサポートしている 仮想的に与えられたアドレスを仮想アドレス または論理アドレス 実記憶上で有効なアドレスを物理アドレス または実アドレス という 仮想アドレスの範囲を仮想アドレス空間 物理アドレスの範囲を物理アドレス空間という 仮想記憶の実装 仮想記憶方式 には 大きく分けてセグメント方式とページング方式の二種類がある ちなみにシステムでは セグメント方式 と ページング方式 のメモリ管理ユニット が準備されていた 一般にページング方式の方がよく使われている これにより メモリスワッピング あるいは匿名メモリページング と仮想記憶が結びつけられる メモリスワッピングとは 一次記憶装置内のメモリページを二次記憶装置 のスワップファイルあるいはスワップパーティションと呼ばれる場所 に書き出して より高速な一次記憶装置を他のプロセスが使えるように解放することである 仮想記憶 という用語は メモリスワッピング と混同されることが多い これは系のオペレーティングシステム がメモリスワッピングの可 不可を設定する項目を と称していることも一因と考えられる 実際 はその を不可としても ページング方式と仮想記憶を使用している 日本語版では システムのプロパティ 詳細設定 パフォーマンスオプション 仮想メモリのことである 系システムでもスワップファイルやスワップパーティションなしで仮想記憶を使用することが可能である 従って主記憶装置以上の大きな記憶領域を仮想的に使用できるようにすることは仮想記憶の主な目的ではあるが 本質ではないとも言える 本質は 不連続な物理メモリ領域を連続な仮想メモリ領域にマッピングすることであり 複数のプロセスがそれぞれ固有の連続な仮想メモリ領域を割り当てられる点である これによって他のプロセスのことを気にせずに動作できる環境が提供されている そういった意味で 仮想機械がゲストに対して提供していることと 仮想記憶がユーザープロセスに提供していることは等価である 仮想記憶は物理メモリのフラグメンテーションを隠蔽することでアプリケーションのプログラミングを容易にする すなわちカーネルに記憶階層の管理を委任することで プログラムが明示的なオーバーレイの制御を行う必要性を排除している 技術的には 仮想記憶を使うことにより ソフトウェアが動作するメモリアドレス空間のサイズとアドレス範囲は当該コンピュータの物理メモリ領域には必ずしも縛られなくなる 仮想記憶を適切に実装するには あるいはそれに付随するデバイス がに対して仮想メモリを物理メモリにマップする 対応付ける 手段を提供し 主記憶 物理メモリ に対応していない仮想アドレスにアクセスしたことを検出する手段を提供して必要なデータをスワップインできるようにしなければならない の支援なしで仮想記憶を提供することも可能だが その場合は上述の機能を提供するをエミュレートするだけであって 本質的には同じことである アドビの一部のアプリケーションのように アプリケーションプログラムが自前で仮想記憶機構を持つ例もある ソフトウエアによって仮想記憶を実現する事は 本来ハードウエアで実現できる機能をあえてソフトウエアで行おうとしているので一見非効率に思える場合がある しかし この見方は場合によっては誤りである なぜならページ方式やセグメント方式では仮想アドレス空間に対する広がりを持たせているので 例えば画像などを扱う場合には単にアドレス空間方向への広がり すなわち水平方向への広がりしか持たない だが画像に対する操作は 特定の次元空間 面的な広がりを持っている ここにソフトウエアで仮想記憶を実施するに当たって 面的な広がりをメモリ参照の局在性としてみなすと 単なる仮想記憶よりも性能の向上が期待できる まず 以下の議論の前提とする 簡略化した典型的な記憶装置の階層構造のモデルを述べる 主記憶装置とキャッシュメモリのどちらを使用するかは 一般にハードウェアに任せられているため プログラマからはどちらも同じ物理メモリとしてしか見えない しかし性能への影響は大きいので 高性能計算など キャッシュヒット率を考慮してコードを書くこともある ハードウェアの動作としては まずキャッシュメモリをアクセスし さらに必要ならキャッシュメモリと主記憶とのやり取りを行う 多くのアプリケーションは 情報 実行ファイルの命令列やデータ がなるべく物理メモリ上に格納された状態でアクセスできることを要求する これは特に見かけ上並列に複数のプロセス アプリケーションを同時実行するオペレーティングシステムでは重要となる 全実行中プログラムが必要とする物理メモリ量が実装されている物理メモリ量より大きい場合 当然の結果として情報の一部をディスクに退避し 必要に応じてその内容を物理メモリに戻して使用することになる しかし これを実現する手法は様である ひとつの方法として アプリケーション自身が物理メモリ上に置くべき情報の範囲を決定し 補助記憶装置との情報のやりとりも制御することが考えられる プログラマはプログラム およびデータ のどの部分が現時点で必要か不必要かを判断し それらの領域の物理メモリへのロード あるいはアンロード を必要に応じて行わなければならないだろう この手法の欠点は 各アプリケーションのプログラマがそのような設計 実装 デバッグに時間を費やす必要がある点であり アプリケーションそのものに集中できなくなってプログラミング効率が低下する また あるプログラマがある時点で物理メモリ上に置くべきデータなどを決定しても それが例えば どうしても全物理メモリが必要となった場合など 他のプログラマの決定と衝突してしまう危険がある 仮想記憶が普及する以前のオーバーレイ方式がほぼこれに相当する 別の方法として データの参照をポインタではなく何らかのハンドルで行う方式である はそのようなハンドルと対応するデータを物理メモリにロードしたり 逆に補助記憶装置に移したりする この方式の欠点は アプリケーションのコードが非常に複雑になる点 アプリケーションがうまく振舞わなければならない点 必要なデータを物理メモリにロックする機能が必要になるだろう 標準ライブラリが大きなメモリを確保しておいてアプリケーションのメモリ確保要求に応えるという機能を使えなくなる点などが上げられる この方式の既存の例としては が有名である 現代の解決策は仮想記憶方式の使用である 特別なハードウェアとの組合せにより 主記憶容量が大きくなったように見せ 各プログラムが自由気ままに空間を広げて使用することを可能にする 動作中の他のソフトウェアからは 仮想記憶機構の内部の動きは見えない 一般に仮想的な主記憶容量はほとんどどんな大きさにもできる ただし アドレスそのもののサイズによる制限がある ビットシステムでは 仮想アドレス空間サイズは全体で バイト つまりギガバイトである ビットの場合 アドレスはビットやビットといったさらに大きなものになっている 多くのオペレーティングシステムは仮想アドレス空間全体をアプリケーションに使わせることはなく 一部をカーネル空間にすることでカーネルからユーザ空間に容易にアクセスできるようにしている ただし これは絶対必要な機能ではなく によっては仮想空間全体をユーザー空間としている 仮想記憶によってアプリケーションプログラマの仕事はずっと単純になる アプリケーションが必要とするメモリ容量を気にする必要はなく 必要なサイズの主記憶が使えるように見え 仮想アドレス空間全体の好きな場所にデータを配置することができる プログラマは主記憶と補助記憶の間でデータをやりとりするのを気にしなくてもよい もちろん プログラマが大量のデータを扱う際の性能を考慮しなければならない場合 アクセスするデータがなるべく近いアドレスに配置されるよう注意して ある時点で必要なメモリ量を減らし不要なスワッピングを回避しなければならない 仮想記憶はコンピュータ アーキテクチャの重要な部分であり その実装にはハードウェア的サポートがほぼ必須である メモリ管理ユニット と呼ばれる部分であり 性能の都合もありに組込まれることも多い 年代までのメインフレームの大部分は 基本的には仮想記憶をサポートしていなかった 年代のメインフレームで例外といえるものを以下に挙げる 仮想記憶技術が開発される以前 年代から年代のプログラマはレベルの記憶装置 主記憶あるいはと 磁気ディスク装置あるいは磁気ドラムメモリといった二次記憶 を直接管理する必要があり 大規模プログラムではオーバーレイなどの技法が使われていた 従って仮想記憶は 主記憶を拡張するためだけでなく そのような拡張をプログラマが可能な限り容易に扱えるように導入された マルチプログラミングやマルチタスクを実装した初期のシステムは メモリを複数のプログラムに分割するのに仮想記憶を使っていない 例えば初期の はレジスタを使ってマルチタスクを実現していた ページング方式はマンチェスター大学の上で開発された 万千ワードの磁気コアメモリの一次記憶と万千ワードの磁気ドラムメモリによる二次記憶を制御するものである 最初のは年に稼働開始したが ページングのプロトタイプは年に開発されている なお ドイツの初期の情報工学者 後に というメインフレームを開発 は 年の博士論文 複数非同期ドラム装置と自動高速メモリモードを持つデジタル計算機の論理概念 で仮想記憶のコンセプトを発明していたと言われている コンピュータ史上の多くの技術と同様 仮想記憶にも様な曲折があった 安定した技術と見なされるまで 仮想記憶の様な問題点を解決しようとするモデルや理論が開発され実験がなされた 仮想アドレスを物理アドレスに変換するハードウェア機構の開発も必然的だったが 初期の実装ではそれによってメモリアクセスが若干遅くなった システム全体を対象とするアルゴリズム 仮想記憶 は従来のアプリケーション単位のアルゴリズム オーバーレイ よりも非効率ではないかという懸念もあった 年 商用コンピュータでの仮想記憶に関する論争は事実上終結した 率いるの研究チームが仮想記憶システムが手動制御システムよりも優位にあることを示したのである ミニコンピュータで初めて仮想記憶を導入したのは ノルウェーのである 年 年 のミニコンピュータ シリーズのであるで仮想記憶をサポートした しかし 年代の初期のパーソナルコンピュータでは仮想記憶は採用されていない これは当時のマイクロプロセッサの性能や機能の問題もあるし 個人用のコンピュータに仮想記憶が必要になると見なされていなかったという面もある 当時の主流はバンク切り換えによるメモリ増設だった アーキテクチャで仮想記憶が導入されたのは によるプロテクトモードが最初だが セグメント単位のスワッピングはセグメントが大きくなると性能が悪くなるという問題があった では既存のセグメント方式の下層にページング方式を実装し ページフォールトによるページングが可能となった しかしセグメントディスクリプタのロードは時間のかかる処理だったため 設計者はセグメントを使わずページングだけを使うようになっていった 仮想記憶が導入されたのは 年 年 の 年 カーネル 年 などが最初である 仮想記憶は 必須ではないものの通常ページング方式を使って実装される ページングでは仮想アドレスを表すビット列の下位ビット列部分はそのまま物理アドレスの下位ビット列部分として使われる 上位ビット列部分はアドレス変換テーブル 群 のキーとして使用され それによって実際の物理アドレスの上位ビット部分を得る このため サイズがの冪乗の仮想アドレス空間の連続したアドレス範囲が 対応する連続な物理アドレス範囲に変換される そのような範囲で参照されるメモリをページと呼ぶ ページサイズはバイトからバイトが一般的であり 特にバイトが最もよく使われるが 特殊用途としてバイトやそれ以上のサイズのページも使われることがある オペレーティングシステムは ページテーブルと呼ばれるデータ構造にアドレス変換テーブル つまり仮想ページ番号と物理ページ番号のマッピング情報を格納する あるページが使用不可とされている場合 物理メモリに対応しておらず スワップ領域に内容がある場合など がそのページ内のメモリ位置を参照しようとしたとき ハードウェアの機構がオペレーティングシステムに 一般にページフォールトと呼ばれる例外を通知する これにより実行コンテキストはオペレーティングシステム内の例外処理ルーチンにジャンプする そのページがスワップ領域にあるなら そのルーチンは ページスワップ と呼ばれる処理を実行して必要なページの内容を物理メモリに読み込む ページスワップ操作には一連の段階がある まず メモリ上のページを選択する 例えば 最近アクセスされておらず なるべくならスワップ領域を含む何らかのディスクから読み込まれたままで変更されていないページを選択する 詳細はページ置換アルゴリズムを参照 そのページが変更されている場合 その内容をスワップ領域に書き出す 次に必要とされている 例外発生時に参照しようとしていた仮想アドレスに対応するページの情報を読み込む ページの読み込みが完了したら その物理メモリの内容更新に応じて仮想アドレスから物理アドレスへの変換テーブルを更新する ページスワップが完了すると 例外処理を完了し 元のプログラムの実行が例外発生箇所から再開されて何事もなかったかのように処理が続行される 仮想ページに何も割り当てられていないために使用不可となっている可能性もある そのような場合 未使用 あるいはスワップアウトして未使用にした物理ページを割り当て によってはその内容をゼロクリアする ページテーブルはそれに対応して更新され 上述の場合と同様にプログラムが再開される バロース などのシステムは ページング方式ではなくセグメント方式を使い 仮想アドレス空間を可変長のセグメントに分割する その場合 仮想アドレスはセグメント番号とセグメント内オフセットから成る の保護モードにもそのようなセグメント方式があったが ほとんど使われなかった セグメントとページは セグメントをページに分割するという形で同時に使用できる そのようなメモリ構成のシステムとして や がある その場合の基本はページングであり セグメントはメモリ保護に使われる とその後の プロセッサでは セグメントをページ化されたビットのリニアなアドレス空間に置く セグメントによる管理と ページ単位による管理の 段階のシステムとなっている しかし 複数のセグメントを活用しているは少なく ただし 研究レベルまで含めればそんなに少なくない 単純にベースアドレスを全てゼロとして 範囲のみ指定した最小限必要なだけのセグメントと ページングのみを使っていることが多い これは やののような機構とは異なる 等ではファイルは任意の位置にマッピングされる可能性があるため ファイル間のポインタは使えないためである では ファイル 複セグメントファイルの場合はセグメント はセグメント機構を通してアドレス空間にマッピングされる そのためファイルは常にセグメント境界にマッピングされる ファイルのリンク部分にはポインタが並んでおり そのポインタをレジスタにロードしたり間接参照したりするとトラップが発生する 未解決のポインタにはセグメント名を示す値とセグメント内オフセットがある トラップハンドラは対応するセグメントをアドレス空間にマッピングし ポインタのセグメント識別子部分をセグメント番号に書き換えるので 度目以降はそのポインタにアクセスしてもトラップが発生しなくなる この方式ではリンケージエディタが不要であり 同じファイルを複数のプロセスが異なる位置にマッピングしても問題なく機能する 仮想アドレスから物理アドレスへの変換はメモリ管理ユニット というハードウェア装置によって実装されている これはに内蔵されたモジュールの場合もあるし 外付けでに密結合された別のチップの場合もある これを動的アドレス変換機構 と呼ぶ は プログラムの仮想アドレス空間のどの部分を物理メモリに保持するかを決定する は が使用する仮想アドレスから物理アドレスへの変換テーブルも管理する さらに仮想メモリ例外が発生したら はそれを解決するために物理メモリ領域を確保し 必要なら元の内容をディスクに追い出した上で新たに必要とされている情報をディスクから持ってきて 変換テーブルを更新し 例外発生したソフトウェアの実行を再開する 多くのコンピュータでは この変換テーブルは物理メモリに格納されている 従って仮想メモリを参照すると 本来の参照以外に変換テーブルの参照が 変換テーブルの構成によっては複数回 発生する このアドレス変換による性能低下を低減するため ほとんどのはよく使われる仮想ページに高速にアクセスできるよう 最近使われた仮想アドレスとそれに対応する物理アドレスを保持しておくテーブルを持っている これをトランスレーション ルックアサイド バッファ と呼ぶ 参照アドレスが内に格納された変換テーブルでカバーされていれば 余分な変換テーブルの参照をせずに 高速に変換を行うことができる ただし は高価な装置のためテーブルの大きさが限られており 目標の仮想アドレスが見当たらない場合は物理メモリ上の変換テーブルを参照してアドレス変換が行われる プロセッサによっては この一連の処理がハードウェア内で行われる は物理メモリ上の変換テーブルから必要な変換内容を持ってくるので ソフトウェア側は余分な処理を必要としない 別の種類のプロセッサでは オペレーティングシステムの介在が必須である に必要な変換内容がない場合 例外が発生し オペレーティングシステムが内のつのエントリを必要な変換テーブルの内容と置き換え 当初のメモリ参照を行った命令から実行が再開され 再度を参照して変換を行う 仮想記憶をサポートするハードウェアの多くはメモリ保護もサポートしている はメモリ参照の種類 リード ライト 実行 やメモリ参照時のモードによって扱いを変える機能を持っていることもある これによってオペレーティングシステムは自身のコードとデータ 例えばアドレス変換テーブルなど を問題のあるアプリケーションプログラムの不正なメモリアクセスから保護したり アプリケーションを相互に保護したり アプリケーション自身の不正動作 例えば自身のコード部分に書き込もうとするなどの動作 から保護したりする 各プロセスの仮想アドレス空間には そのプロセスが使用するコードやデータが配置される ページング方式であれ セグメント方式であれ 仮想アドレス空間内で使用している範囲の管理と制御が仮想記憶機構として必須である 例えば 実行ファイルの内容を仮想メモリ上に配置する領域 スタックを配置する領域などがある このような領域をセグメントと呼ぶ セグメント方式のセグメントと似ているが 純粋に仮想的なオブジェクトである 実行ファイルを配置する領域は必ずしも連続ではない プログラムのコード部分とデータ部分を分離して配置するのが一般的で 前者をテキストセグメントもしくはコードセグメント 後者をデータセグメントと呼ぶ 系システムや では 一般的にデータセグメントの一部としてセクションとヒープ領域を含む セクションにはプロセス起動時にに初期化される静的変数を配置する 初期値がの静的変数を別扱いしているのは 読み書きが発生するまでで初期化するのを後回しに出来るようにするための高速化のテクニックである 系システムではヒープ領域はデータセグメントの末尾に配置され 関数などでデータセグメントのサイズを変えることでヒープ領域のサイズを変えられるようにする 各セグメントはマッピングしているオブジェクトが何であるか その領域へのアクセス権などを属性情報として保持する テキストセグメントはファイルシステム上の実行ファイルの一部と完全に対応しており 書き換えられることもない 従って マッピングしているオブジェクトは実行ファイルであり アクセス属性は リードオンリー となる データセグメントやスタックは一時的な存在であるため何かをマッピングしているわけではない そこでこれらは匿名ファイル をマッピングしているものとして管理される 匿名ファイルをマッピングしているセグメントに対応するページを匿名ページと呼び これがスワッピングの際にスワップ領域に書き出される データセグメントは当初は実行ファイルの一部と対応しているが 書き込み可能な属性が設定されている ページング方式の場合 データセグメント内の内容が更新されたページはページ単位で匿名ページへと属性変更される システムコールなどで新たにプロセスの仮想アドレス空間を設定した当初は 基本的にこのような仮想アドレス空間を管理するデータ構造がカーネル内に作成されるだけで 実際の実行ファイルの内容はロードされない 系システムでは システムコールからユーザ空間に制御が戻された瞬間にページフォールトが発生し そこで初めてページ単位に実行ファイルの内容がロードされる ただし 性能向上目的で事前にマッピングを作成する場合もある 各プロセスの仮想アドレス空間のアドレス範囲は同じでありオーバーラップしているのが一般的である これを多重仮想記憶と呼ぶ は現に実行中のプロセスの仮想空間のみを認識する コンテキストスイッチでプロセスを切り替える際 に対して仮想アドレス空間の切り替えも指示する必要があるが その方式はアーキテクチャによって様である 同じプログラムを実行するプロセスが複数存在する場合 多重仮想記憶ではそれぞれが同じ仮想アドレスに実行ファイルをマッピングしていながら それぞれ独立した仮想空間を使用する このため 実行ファイルを配置する仮想アドレスはどのプロセスでも同じにすることができ 実行ファイル自体に配置すべきアドレスを格納しておくようになっているのが一般的である また それぞれのプロセスが実行ファイルのテキストセグメントをマッピングするのに使う物理メモリは共有することができる 他にも でファイルをマッピングする場合や共有メモリ機能でプロセス間の通信を行う場合 マッピングされる物理メモリが共有される なお アーキテクチャによっては 多重仮想記憶がオーバーラップしていると捉えず 全仮想空間がフラットに並んだ巨大な仮想空間を想定することもある この場合 仮想空間識別番号が巨大な仮想空間のアドレスの一部と考えられる もっとも これは単にモデル化の手法が違うだけで実装に大きな違いがあるわけではない 実際 各ユーザープロセスが自分の仮想空間識別番号以外の仮想空間にアクセスすることはできない では 年の から仮想記憶をサポートしている マイクロソフトは と での失敗を受け へのリソース要求を削減するために仮想記憶を導入した 全てのプロセスは固定の変更不可能な仮想記憶空間を持っている ビットの場合 一般に には隠しファイルとして または があり それらがスワップファイルとして使われる 通常 ルートディレクトリにあるが など他のディレクトリに置くこともある そのサイズはコントロールパネルで設定される 仮想メモリ サイズで決定される ユーザーがこのファイルを削除したり移動させたりすると 次回を起動したときにブルースクリーンが表示され エラーメッセージが表示される 英語では でも同様の仕組みになっている スワップファイルの大きさはデフォルトでは物理メモリ量の 倍であり 最大で物理メモリの倍まで拡張できる 系の などは というファイルを使用する このファイルのデフォルトの位置はをインストールしたパーティションのルートディレクトリである は任意のドライブの空き領域をページファイルとして使用できる までのではシステムクラッシュ時にカーネルまたは全メモリをダンプする設定にしている場合 ブートパーティション がインストールされたドライブ にこのファイルを置く必要があった ダンプ先として使用するため リブートすると システムがダンプを通常のファイルに移す ページングファイルのサイズには初期サイズと最大サイズがあり ページングファイルが不足するとページングファイルは最大サイズまで拡張される 拡張されたページングファイルは再起動するまで小さくならない ページングファイルがあると 積極的なクリーニングにより物理メモリで足りる場合であってもページファイルへの書き出しが行われる 積極的なクリーニングは仮想記憶を実装するページ置換アルゴリズムの一つで の余剰時間を使ってページ内容をディスクに書き出しクリーンな状態にしておき ページが必要になった時に短時間でページを再利用する手法である 勿論クリーンな状態のページ内容そのものが必要になった時には ページファイル上のページ内容を無視するだけで良いので オーバーヘッドは発生しない 以降ではページファイルを使用しないオプションが選択できる もちろんこれは物理メモリの容量が十分に足りている場合 かつ ページファイル必須アプリケーション運用を必要としない場合 にのみ選択すべきオプションである ページファイルを使用しない場合 ほとんど使用されない常駐ソフトなどのデータをスワップアウトすることができなくなるので キャッシュとして使える物理メモリの空き領域が減ってパフォーマンスが低下することがある しかし ファイルを読み書きするアクセスが起こらない為 パフォーマンスを落とさないというメリットがある ページングファイルのサイズには初期サイズと最大サイズがあり ページングファイルが不足するとページングファイルは最大サイズまで拡張される 徐に拡張された場合 フラグメンテーションが起き 性能に悪影響を与えることがある これに対する助言としては ページファイルのサイズを固定することでがそのサイズを変更できないようにするという対策がある ただし ページファイルが拡張されるのは全部を使い切ったときで デフォルト設定では物理メモリの の量になっている したがって ページファイルに対応した仮想記憶の要求が物理メモリの を越えないと ページファイルは拡張されない ページファイルの拡張によるフラグメンテーションは一時的なものである 拡張された領域が使われなくなれば 遅くとも次回の再起動時には 追加で確保されたディスク領域は解放され ページファイルは本来の状態に戻る ページファイルの大きさを固定にすると 物理メモリとページファイルを合わせた以上のメモリを要求するアプリケーションがある場合に問題となる その場合 メモリ確保要求が失敗し アプリケーションやシステムプロセスが異常終了する可能性がある ページファイルを拡張可能にすべきだという根拠として ページファイルが先頭から順にシーケンシャルにアクセスされることはなく ページファイルが連続領域になっていること性能上の利点はほとんどないという見方もある いずれにしても メモリを大量に使うアプリケーションを使用するならページファイルは大きい方がよく ページファイルを大きくしてもディスク容量がそれに割かれる以外のペナルティはない 現代的な仕様のシステムでは余分にディスク領域を使用しても問題はない 例えば メモリがのシステムでの固定スワップファイルを使用するとしても がなら問題はないし メモリが スワップファイルが がなら これも問題はない どちらの場合もスワップファイルとして使用する領域はの に満たない ページファイルは任意のドライブに作成する事ができる これは同様スワップ専用のパーティション割り当てが行えるのに等しい またページファイルはストライピングが行われるので複数のハードディスクドライブに小分けにしてページファイルを作成すると ページング速度が向上する 物理メモリ以上のメモリを常に使うような使い方をする場合 ページファイルのデフラグメンテーションをすることで性能が改善する可能性もある しかし 根本的には物理メモリを追加する方が性能改善に役立つ は から 仮想メモリ として実装される 当時はコントロールパネルでメモリサイズ メインメモリのサイズを加算した値 を指定し機能を入にすることで使用できるようになる すると起動ディスクに隠しファイルとしてスワップファイルが作成される スワップファイルは指定したメモリサイズの大きさとなり これ以上は増えない この頃の仮想メモリは使用しているかどうかでプログラムの動作が不安定になることがあった そのため プログラムのパッケージや説明書には仮想メモリの設定を確認させる記述が見られる および系では ハードディスクのパーティションを丸ごとスワップに使用することが多く そのようなパーティションをスワップパーティションと呼ぶ ドライブを個丸ごとスワップパーティションとすることもある そのようなドライブをスワップドライブなどと呼ぶ スワップパーティションしかサポートしないシステムもあるが ファイルへのスワッピングもサポートするシステムもある フラグメンテーション問題を回避して性能を維持するためにもパーティションの使用が推奨されている また スワップパーティションを使うと スワップ領域をディスク内の最も高速アクセス可能な場所に配置できる 最近のハードディスクでは 先頭の方がよいとされている のユーザプロセスから見れば 大局的にはメモリはキャッシュ メインメモリ ファイルの順に階層化されており 上位 により近い メモリは下位メモリのキャッシュに過ぎない 実行可能なファイルや共有ライブラリのテキストセグメントやで明示的にマップされる名前付きファイルに対して スワップエリアはスタックやヒープを保持する名無しファイルである データセグメントやセグメントは読み出し専用の実行可能ファイルや共有ライブラリファイルからプロセス固有の読み書き可能な無名ファイルに展開 コピーされると考えられる もちろん 実際にはカーネルは性能維持のためにスワップエリアの使用とアクセスを最小限にするような最適化の努力を払う メインメモリに余裕があればスワップエリアには書き出さず キャッシュ メインメモリ だけにしか情報が保持されない は事実上無制限な個数のスワップデバイスをサポートし それぞれに優先度を設定できる オペレーティングシステムが物理メモリをスワップアウトする場合 最高優先度のデバイスの空き領域から使っていく 同じ優先度に複数のデバイスがある場合 それらは と同様の使い方をされる これによって並列的に複数のデバイスにアクセスするので性能が向上する 従って優先度の設定には注意が必要である 例えば 同じドライブ上の複数のスワップ領域を同じ優先度にするのは得策ではない また 高速なデバイスを高優先度に設定するのが性能的に有利である システムでスワップを追加するには その前にスワップ領域を作成しなければならない パーティションならば一般のパーティション作成ツールが使用できる 通常ファイルの場合 コマンドと を使って内容がゼロのファイルを作ることができる 作成したスワップ領域は でフォーマットし およびコマンドで を制御する とは違い 物理メモリに入りきらない場合のみ スワップが利用される これは積極的なクリーニングが実装されていないためで ページングが開始された時システムは著しい速度低下を起こす スラッシング しかし これは物理メモリが飽和状態を続けている場合さほど深刻では無い メモリが飽和すればあまり利用されないページは自ずとハードディスクに追い出され 物理メモリには有用なページが残される様になる では系をベースとしたことで仮想メモリは常に使用するようになっており 複数のスワップファイルを使用できる デフォルト かつアップルの推奨 ではルートパーティションに配置されるが 他のパーティションやデバイスに置くこともできる コンピュータの起動時からのスワップファイルがつ作成されている 場所は 以下で という名前がつけられている はからの数字 容量が不足するとスワップファイルは自動的に追加される までは 以降のスワップファイルのサイズは との倍数で増えるのが基本だが メモリの最大容量 ハードディスクの空き容量の のいずれか小さい方を選択し容量が決定する ひとつのスワップファイルが大きくなるのではなく複数のファイルが作成される すなわちスワップファイルがつなら で合計となる スワップファイルの場所はコマンドライン操作などで他のデバイスに変更できる スワップファイルを削除するアプリケーションも存在し これを用いなくとも削除できる ただし 削除後は再起動するのが望ましい また 一旦ログアウトしてからログインしなおすと再起動することなく削除できる では多重仮想記憶がサポートされ 仮想空間はプロセス毎に資源が分離されている この違いが とでの仮想記憶に対する信頼性の違いとなって現れている グラフ理論 グラフりろん は ノード 節点 頂点 の集合とエッジ 枝 辺 の集合で構成されるグラフに関する数学の理論である グラフ データ構造 などの応用がある グラフによって 様なものの関連を表すことができる 例えば 鉄道や路線バス等の路線図を考える際には 駅 節点 がどのように路線 辺 で結ばれているかが問題となる一方 線路が具体的にどのような曲線を描いているかは本質的な問題とならないことが多い したがって 路線図では駅間の距離や微妙な配置 路線の形状などがしばしば地理上の実際とは異なって描かれている つまり 路線図の利用者にとっては 駅と駅の つながり方 が主に重要な情報なのである このように つながり方 に着目して抽象化された 点とそれらをむすぶ線 の概念がグラフであり グラフがもつ様な性質を探求するのがグラフ理論である つながり方だけではなく どちらからどちらにつながっているか をも問題にする場合 エッジに矢印をつける このようなグラフを有向グラフ または ダイグラフという 矢印のないグラフは 無向グラフという グラフを表現するのに 図ではなく 隣接行列を用いることがある 無向グラフの隣接行列は 対称行列になる 例えば 上のグラフは 次の隣接行列で表現できる 日常的な問題や工学的問題の多くをグラフとして考えることができる グラフ理論は 年に ケーニヒスベルクの問題 と呼ばれるパズルに対してオイラーが解法を示したのが起源のひとつとされる この問題は 一筆書きと深く関連している 集合 と の元 げん 要素 に 二つの を元の対で対応させる写像 の三つ組 を有向グラフという の元を の頂点またはノード の元を の辺または弧と呼ぶ となる はループに対応し となる は多重辺に対応する を の冪集合とする の元に の 部分集合を対応させる写像 があって の任意の元 について の像 の濃度がまたはであるとき 三つ組 を無向グラフという の元を の頂点 の元を の辺と呼ぶ の濃度がとなる はループに対応し となる は多重辺に対応する 単純グラフに限って言えば を最初からある集合の部分集合と考え 写像を用いずにグラフを定義することもできる 有向グラフでは を の部分集合 無向グラフでは を の部分集合で つの元の集合だけからなるものとすればよい 以下では単にグラフといった時には無向グラフを指す 頂点の集合は 辺の集合はで表す グラフが先に与えられている場合には 頂点集合を 辺集合を と表すこともある 数学以外の分野では 頂点を節点 辺を枝と呼ぶことが多い 辺を弧やリンクと呼ぶこともある グラフの辺に重み コスト が付いているグラフを 重み付きグラフと呼ぶ 乗換案内図の場合 駅間の所要時間が 重み にあたる 重み付きグラフはネットワークとも呼ばれる フローネットワーク ベイジアンネットワーク ニューラルネットワークなど 辺の両端の点を端点といい 端点は辺に接合 または接続 しているという また 辺と辺がある頂点を共有しているとき その辺どうしは隣接しているという ある辺の両端点が等しいとき ループ 自己ループ という また 頂点間に複数の辺があるとき 多重辺という ループも多重辺も含まないグラフのことを単純グラフといい ループや多重辺を含むグラフのことを多重グラフという なお 誘導部分グラフの 誘導 はの訳語である の訳としてはこの 誘導する の他に 生成する がある このため 誘導部分グラフのことを生成部分グラフということもある 一方 生成部分グラフは全域部分グラフのことを指すこともある このため 生成部分グラフという語を使う際は 混乱がないか気を付ける必要がある 頂点 に接続する枝の数を次数といい で表す 有向グラフにおいては に入ってくる辺数のことを入次数 から出て行く辺数のことを出次数という すべての頂点が同数の隣接点 つまり次数をもつグラフを正則グラフと呼ぶ 任意の頂点 について が成り立つとき 正則という 正則なグラフのことを 正則グラフという グラフ が持つ頂点の次数の最小値を 最大値を で表す また 次数 の頂点のことを孤立点という 隣接している頂点同士をたどった の系列を長さ の歩道 鎖 ウォーク という 辺の重複を許さない歩道を路 小径 トレイル という 頂点の重複を許さない場合 つまり 両端の頂点の次数が それ以外のすべての頂点の次数がであるグラフを 道 パス 開いた歩道をパスという場合は単純パスという また 始点と終点が同じ路のことを閉路 回路 循環 サーキット サイクル 始点と終点が同じ道 つまりという路でが相異なるもの のことを閉道 サイクル という 任意の 頂点間に枝があるグラフのことを完全グラフ 完備グラフ という 頂点の完全グラフは で表す は三角形と呼ばれる また 完全グラフになる誘導部分グラフのことをクリークという 大きさ サイズ のクリークを含むグラフは クリークである という 辺をもつグラフは必ず頂点の完全グラフを含むので クリークである また クリークであって 直径が 未満となるグラフを クランという グラフは物理学的 生物学的 社会的 および情報システムにおける多くの種類の関係と過程をモデル化するために使うことができる 多くの現実的問題はグラフによって表わすことができる 現実世界のシステムへの応用を強調する時には ネットワーク という用語がグラフを意味するために定義されることがある このグラフでは 属性 例えば名前 が頂点および辺と関連付けられる 現実世界のシステムをネットワークとして表現し理解する主題はと呼ばれる 計算機科学において グラフはコミュニケーション データ編成 計算装置 計算の流れ等のネットワークを表わすために使われる 例えば ウェブサイトのリンク構造は有向グラフとして表わすことができる ここでは 頂点がウェブページを表わし 有向辺があるページから別のページへのリンクを表わす 同様のアプローチを ソーシャルメディア 旅行 生物学 コンピュータチップ設計 神経変性疾患の進行のマッピング そしてその他多くの分野における課題について取ることができる したがって グラフを取り扱うためのアルゴリズムの開発が計算機科学における主要な興味である はグラフ書換え系によってしばしば定式化され 表現される グラフ変換系と相補的なグラフの規則に基づくメモリー内操作に注目したシステムが グラフ構造を持つデータのトランザクションセーフで永続的な格納と問い合わせに対応したである 様な形式のグラフ理論的手法は言語学において特に有用であることが証明されている これは 自然言語がしばしば離散構造へとよく適しているためである 伝統的に 統語論と合成意味論は木構造に従い それらの表現力は 階層的グラフによってモデル化されるに密接に関係する 主辞駆動句構造文法といったより現代的な手法は型付き素性構造 これは有向非巡回グラフである を用いて自然言語の構文をモデル化する 語彙意味論内 特に計算機へ応用としては 単語の意味のモデル化は 与えられた単語が関連する単語の観点から理解される時により容易である したがって意味ネットワークは計算言語学において重要である 今で 哲学 例えば を用いる最適性理論 や形態論 例えばを用いる有限状態形態論 におけるその他の手法は グラフとしての言語の解析において一般的である 実際 この数学の分野の言語学への有用性は やといった様な プロジェクトのような組織を生んできた グラフ理論は化学および物理学において分子を研究するためにも使われる 凝縮系物理学では シミュレーションした複雑な原子構造の次元構造は 原子のトポロジーに関連したグラフ理論的性質に関する統計量を集めることによって定量的に研究することができる また ファインマンの計算のグラフと規則は 理解したい実験的数字と密接に関係した形式で量子場理論を要約する 化学では グラフは分子についての自然な模型を作り ここでは頂点が原子 辺が結合を表わす このアプローチは分子構造の計算処理 分子エディタからデータベース探索まで において特に使われる 統計物理学では グラフは系の相互作用している部位間の局所的つながりや こういった系における物理的過程のダイナミクスを表わすことができる 同様に 計算論的神経科学では グラフは様な認知過程を生じさせるために相互作用する脳領域間の機能的結合を表わすために使うことができる ここでは 頂点が脳の異なる領域を表わし 辺がそれらの領域間の結合を表わす グラフ理論は電気回路網の電気的モデリングにおいて重要な役割を果たす ここで 重みはネットワーク構造の電気的性質を得るために有線部分の抵抗と関連付けられる グラフは多孔質材料のミクロスケールチャネルを表わすらために使うこともできる ここでは 頂点が孔を表わし 辺が孔間をつなぐより小さなチャネルを表わす 化学グラフ理論は分子をモデル化する手段として分子グラフを使用する の 年 グラフ理論は社会学においても 例えば 特にソフトウェアを使って うわさの広がりを調査したりする手段として広く使われている 社会ネットワークの傘の下に 多くの異なる種類のグラフがある 知り合い関係グラフと友情関係グラフは人が知り合いかどうかを記述する 影響グラフは特定の人が他者の振る舞いに影響するかどうかをモデル化する 最後に 協調グラフは人の人物が 映画で一緒に演技するといったある特定のやり方で協力するかどうかをモデル化する 同じく グラフ理論は生物学および保全の取り組みにおいて有用である ここでは 頂点が特定の種が存在 または生息 する地域を表わすことができ 辺は地域間の移動経路または移動を表わす この情報は 繁殖パターンを見る時や 病気や寄生虫の広がり 移動が他の種にどのように影響しうるかを追跡するために重要である グラフ理論はコネクトミクスでも使われる 神経系はグラフとして見ることができる ここで 節点はニューロンであり 辺はニューロン間のつながりである 数学では グラフは幾何学ならびに結び目理論といったトポロジーの特定の分野において有用である 代数的グラフ理論は群論と密接なつながりを持つ 代数的グラフ理論は動的系や複雑性を含む多くの分野に応用されている グラフ構造は グラフのそれぞれの辺に重みを割り当てることによって拡張することができる 重み付きグラフは 対ごとのつながりが何らかの数値を持つ構造を表わすために使われる 例えば グラフが道路網を表わすとすると 重みは各道路の長さを表わすことができるだろう それぞれの辺に関連した複数の重み 距離 旅行時間 金銭的コストなど が存在するかもしれない このような重み付きグラフはおよび飛行時間と費用を比較する旅行計画探索エンジンをプログラムするために一般的に使われる パイソン はインタープリタ型の高水準汎用プログラミング言語である グイド ヴァン ロッサムにより創り出され 年に最初にリリースされたの設計哲学は 有意なホワイトスペース オフサイドルール の顕著な使用によってコードの可読性を重視している その言語構成とオブジェクト指向のアプローチは プログラマが小規模なプロジェクトから大規模なプロジェクトまで 明確で論理的なコードを書くのを支援することを目的としている は動的に型付けされていて ガベージコレクションされている 構造化 特に手続き型 オブジェクト指向 関数型プログラミングを含む複数のプログラミングパラダイムをサポートしている は その包括的な標準ライブラリのため しばしば バッテリーを含む 言語と表現される は年代後半に言語の後継として考案された 年にリリースされた では リスト内包表記や参照カウントによるガベージコレクションシステムなどの機能が導入された 言語は年に正式に廃止され 当初は年予定 は の最後のリリースであり したがって の最後のリリースである とされている これ以上のセキュリティパッチやその他の改善はリリースされない が終了したことで サポートされるのは 以降のみとなる のインタプリタは多くのに対応している プログラマーのグローバルコミュニティは 無料のオープンソース リファレンス実装であるを開発および保守している 非営利団体であるソフトウェア財団は との開発のためのリソースを管理 指導している はインタプリタ上で実行することを前提に設計している 以下の特徴をもっている の最初のバージョンは上で開発された のちに多くの計算機環境上で動作するようになった のリリースは全てオープンソースであり として配布されている これは互換であるが と異なり 変更したバージョンを配布する際に変更をオープンソースにしなくてもよい には 読みやすく それでいて効率もよいコードをなるべく簡単に書けるようにするという思想が浸透しており コミュニティでも単純で簡潔なコードをよしとする傾向が強い の本体は ユーザがいつも必要とする最小限の機能のみを提供する 基本機能以外の専門機能や拡張プログラムはインターネット上にライブラリとして提供されており 別途ダウンロードして保存し 必要なツールはこのツールキットからその都度呼び出して使用する またでは の やり方は一つじゃない という哲学とは逆に ある動作をさせる方法は 基本的に通りしかないように作られている そのためのプログラムは 誰が書いてもだいたいどれも同じようなコードになり 作成者以外が見ても動作を把握しやすい また ではプログラムの文書化 ソフトウェアドキュメンテーション が重視されており 言語の基本機能の一部となっている 機械学習や開発 自動化ツールの作成やスクレイピングも可能な言語である インデントが意味を持つ オフサイドルール が特徴的である 以下に 階乗 関数名 を題材に言語と比較した例を示す この例では と整形された言語とでは プログラムコードの間に違いがほとんど見られない しかし 言語のインデントは構文規則上のルールではなく 単なる読みやすさを向上させるコーディングスタイルでしかない そのため言語では全く同じプログラムを以下のように書くこともできる わかりにくい ではインデントは構文規則として決められているため こうした書き方は不可能である ではこのように強制することによって ソースコードのスタイルがその書き手にかかわらずほぼ統一したものになり その結果読みやすくなるという考え方が取り入れられている これについては賛否両論があり 批判的立場の人からは これはプログラマがスタイルを選ぶ自由を制限するものだ という意見も出されている インデントによる整形は 単に 見かけ だけではなく品質そのものにも関係する 例として次のコードを示す 間違えた このコードは言語の構文規則上は問題無いが インデントによる見かけのの範囲と 言語仕様によるの実際の範囲とが異なっているため プログラマの意図が曖昧になる 前者は が文に包含され 後者は がないため が文に包含されない この曖昧さは 検知しにくいバグを生む原因になる 例としては が挙げられる ソースコードを読む際 多くの人はインデントのような空白を元に整列されたコードを読み コンパイラのように構文解析しながらソースを読むものではない その結果 一見しただけでは原因を見つけられないバグを作成する危険がある ではインデントをルールとすることにより 人間が目視するソースコードの理解とコンパイラの構文解析の間の差を少なくすることで より正確に意図した通りにコーディングすることができると主張されている のデータは動的に型付けされる 値自身が型を持っており 変数はすべて値への参照である 基本的なデータ型として 整数型 多倍長整数型 浮動小数点数型 複素数型 文字列型 文字列型 論理型 そして関数型がある 多倍長整数型は メモリの許す限り 無制限の桁数で整数計算が可能である 浮動小数点数型を整数型にキャストすると 小数点以下が切り捨てられる さらに組み込みのコンテナ型として リスト型 タプル型 辞書型 連想配列 のほか 値の重複を許さない集合型 以降 がある 以降では 整数型が多倍長整数型と統合され 従来の文字列型と文字列型に代わり バイト列型と文字列型が導入された リスト型および辞書型は内部の値をあとから変えられる 変更可能 が タプル型は一度構築したら内部の値は変わらない 変更不能 タプル型とリスト型は 多くのプログラミング言語では配列と呼ばれるものに類似している しかし ではタプル型は辞書のキーとして使うことができるが リスト型は内容が変わるため辞書のキーとして使うことはできないという理由から これらつの型を区別している 集合型には変更可能なものと変更不能なものの種類がある 多くのオブジェクト指向プログラミング言語と同様 ではユーザが新しく自分の型を定義することも可能である この場合 組み込み型を含む既存の型を継承して新たな型 クラス を定義する事も ゼロから全く新しい型を作り出す事も出来る は基本的にメソッドや関数の引数に型を指定する必要がない そのため ダック タイピングという 内部で必要とする演算子やメソッドに対応していれば 関数やオブジェクトの設計時点で意図していなかったオブジェクトを引き渡すことも可能である などのクラスを継承しなければコンパイルエラーとなる しかしではそのような型のチェック機構が存在しないため 新たなクラスをつくり そこにや など既存のファイル型に対して行うであろう操作と同じメソッドを提供してさえやれば そのクラスをファイルとして扱うことができるのである このような型の拡張方法はダック タイピング と呼ばれる なお この方法では型の安全性を静的にチェックできないため ダック タイピングを用いたプログラムは実行時に型エラー 多くの場合これは メソッドが定義されていない というエラーとなって現れる が発生する危険性がある したがって新しい型を設計する際には プログラマは などよりも 多少は注意深くなる必要がある はガベージコレクションを内蔵しており 参照されなくなったオブジェクトは自動的にメモリから破棄される では ガベージコレクションの方式として参照カウント方式とマーク アンド スイープ方式を併用している マーク アンド スイープ方式のみに頼っている言語では オブジェクトがいつ回収されるか保証されないので ファイルのクローズなどをデストラクタに任せることができない は参照カウント方式を併用することで 循環参照が発生しない限り オブジェクトはスコープアウトした時点で必ずデストラクトされることを保証している なおおよびではマーク アンド スイープ方式を採用しているため スコープアウトした時点で必ずデストラクトされることが前提のコードだとやでは正しく動かない イテレータを実装するためのジェネレータが言語仕様に組み込まれており では多くの場面でイテレータを使うように設計されている イテレータの使用は全体に普及していて プログラミングスタイルの統一性をもたらしている では扱えるデータの全てがオブジェクトである 単純な数値といった基本的なデータ型をはじめ 組み込みのコンテナ型 組み込み関数など これらは全て統一的な継承関係をもつオブジェクトであり 型 をもっている これらの組み込み型とユーザ定義型は区別されず 組み込み型を継承したクラスを定義できる 上の データ型 の項で述べたように は静的な型チェックを持たないため のようなインターフェイスという言語上の仕組みは必要とされない クラスの継承 メカニズムでは 複数の基底クラスを持つことができ 多重継承 導出されたクラスでは基底クラスの任意のメソッドをオーバライド 上書き することが可能である また オブジェクトには任意のデータを入れることができる これらのメソッドやデータは 基本的に すべてであり 仮想 である ただし 先頭にアンダースコアをもつメンバをとすることができる これは単なるマナーであるが アンダースコアをつもつ場合は クラスの外部からメンバの名前を隠された状態 難号化 とすることでカプセル化を実現できる また 利用者定義演算子が機能として用意されておりほとんどの組み込み演算子 算術演算子 や添字表記 はクラスインスタンスで使うために再定義することが可能となっている には 電池付属 という思想があり プログラマがすぐに使えるようなライブラリや統合環境をあらかじめディストリビューションに含めるようにしている このため標準ライブラリは非常に充実している サードパーティによるライブラリも豊富に存在する マイナーなものまで含めると多すぎて収拾がつかない と呼ぶ公式のパッケージリポジトリを導入した 当初ではバイト単位での文字列型のみ扱い ひらがな 全角 カタカナおよび漢字のようなマルチバイト文字をサポートしていなかったが からは文字型が新たに導入された では 文字列型がバイト列型に 文字列型が文字列型に変更された これにより 文字列を で扱う際には後述の変換処理を必ず行う必要がある ファイル入出力などエンコードを明示しなければ 標準エンコードを用いて暗黙に行われる場合も多い これにより多言語の扱いを一貫したものにしている では文字のエンコードとの内部表現を明確に区別している 文字はメモリ中に保持される抽象的なオブジェクトであり 画面表示やファイルへの入出力の際には変換ルーチン コーデック を介して特定のエンコーディングのバイト列表現との間で相互に変換する また ソースコード中の文字コードを認識する機能があり これによって異なる文字コードで書かれたプログラムの動きが異なるという危険を解消している では変換ルーチンをモジュールとして追加することで さまざまなエンコーディングに対応できるようになっている 日本語の文字コード に対応したコーデックも作成されている からは 日中韓国語用のコーデックが標準でディストリビューションに含まれるようになったため 現在では日本語の処理に問題はほとんどなくなった ただしライブラリであるや統合開発環境のは プラットフォームにもよるが まだ日本語にきちんと対応していないものもある ソースコードの文字コードは と互換性があり が対応しているものを使用する ソースコードのデフォルトエンコーディングは では ソースコード以外の のデフォルトエンコーディングは複雑になっている ではであるが デフォルトエンコーディング以外の文字コードを使う場合は ソースファイルの行目か行目に一定の書式でコメントとして記述することになっており しばしば以下のようにやなどのテキストエディタにも認識可能な書式で記述される 次の例は が認識できる書式 日本語の文字列 はパッケージ管理ソフト レポジトリなどからなるエコシステムを形成している のパッケージ管理は などのパッケージ管理システムによっておこなわれる バイナリパッケージのフォーマットにはがあり これをインタフェースとしてビルドシステムとパッケージ管理システムの分離が可能になっている は全世界で使われているが 欧米の企業でもよく使われている 大企業ではマイクロソフトやアップルなどのパッケージソフトウェア企業をはじめ などの企業も利用している また携帯電話メーカーのノキアでは シリーズでアプリケーションが動く 研究機関では や日本の高エネルギー加速器研究機構でが使われている 適応範囲はデータサイエンス プログラミング ベースのアプリケーション モデリング 数式処理など幅広い分野に及ぶ などの高速な数値計算ライブラリの存在により データサイエンスや科学技術コンピューティングにもよく用いられる の内部は言語で書かれているので 動的スクリプト言語の欠点の一つである動作速度の遅さを補っている を使うと のコードが に コンパイルして利用可能であり 非常に高速な計算ができる などのライブラリにより 上で高速に計算するライブラリも充実している とソフトウェア財団による共同調査によると 年月現在 最も主要な用途は何かというアンケートで 用途の がデータサイエンス そのうち がデータ解析 が機械学習 である や といったアプリケーションフレームワークが充実しているため アプリケーション開発用途にも多く使われている とソフトウェア財団による共同調査によると 年月現在 の人が最も主要な用途として開発を選んだ スクリプト言語としての特性から 従来やシェルスクリプトが用いられることの多かったシステム管理用のスクリプトとして採用しているも複数ある また 多くの異なる言語で書かれたモジュールをまとめるグルー言語としての利用例も多い 実際 多くの商用アプリケーションで は組み込みのスクリプト言語として採用されている とソフトウェア財団による共同調査によると 年月現在 の人が最も主要な用途として システム管理 自動化スクリプトを上げた は教育用の目的で設計されたわけではないが その単純さから子供が最初に学ぶプログラミングにおける教育用の言語としても利用が増えている グイド ヴァンロッサムは設計以前に教育用言語であるの開発にかかわり 教育用としての利用について期待感を示したこともあり 方針として非技術者向けといった利用を視野に入れているとされることもある 私の大好きな利用法は 騒ぎ立てずに 言語教育でプログラミングの原理を教えること それを考えてくれ 次の世代の話だね 情報処理推進機構 は国家試験の基本情報技術者試験で年の春期試験より を廃止して を追加した 日本の高等学校情報科 情報 の教員向け研修教材の中で プログラミング用言語としてが使われている 元はの使用言語である言語に例外処理やオブジェクト指向を対応させるために作られた言語である バージョン では にある機能とよく似たキーワード引数を導入した また簡易ながら名前修飾を用いたカプセル化も実装した 開発初期には 西暦年に公開予定の理想のとして と呼んでいた と略すこともある しかし との後方互換性が損なわれている 当初は に比べて が利用できるライブラリ等が著しく少ないという問題点があったが など徐に に対応したフレームワークやライブラリなどが増えていったこともあり 年時点においては新規のプロジェクトについて で開発することが多くなっている とソフトウェア財団による共同調査では の と がどっちがメインであるかというアンケートで がメインであると答えた人が 年月は だったが 年月は になった とよりは高速とされる 認識論 にんしきろん は 認識 知識や真理の性質 起源 範囲 人が理解できる限界など について考察する 哲学の一部門である 存在論ないし形而上学と並ぶ哲学の主要な一部門とされ 知識論 とも呼ばれる 日本語の 認識論 は独語の訳語であり 日本ではヒト 人間を考慮した場合を主に扱う 英語と仏語の語源は 知 合理的な言説 フランスでは エピステモロジー という分野があるが 世紀にフランスで生まれた科学哲学の一つの方法論ないし理論であり 日本語では 科学認識論 と訳される 哲学はアリストテレス以来その領域を諸科学によって置き換えられていったが 最後に狭い領域が残り それが大きく認識論と存在論に大別され 現在もこの分類が生きている 認識論ではヒトの外の世界を諸の感覚を通じていかに認識していくかが問題視される 認識という行為は 人間のあらゆる日常的 あるいは知的活動の根源にあり 認識の成立根拠と普遍妥当性を論ずることが存在論である しかし 哲学における方法論は思弁に尽きるため 仮説を立て実験によって検証するという科学的方法論は長年取り入れられることはなかった 哲学論は基本的に仮説の羅列に過ぎず 単に主観的な主張であった 客観性の保証が全くない内観法が哲学者の主たる武器であった 世紀末ごろ 認識論の一部が哲学の外に出て心理学という学問を成立させるが 初期にはもっぱら内観や内省を方法論とし 思弁哲学と大差はなかったため のちにアームチェア心理学と呼ばれた やがて 思弁を排し客観的 科学的方法論をもとに実験心理学が登場し 認識の一部は 心理学に取り込まれていった 錯覚現象などがその研究対象になった 実験心理学では データの統計的処理では科学的であったが なぜ錯覚が生まれるかというメカニズムの解明では 仮説を立て実験データとの照合を論じてはいたものの その仮説自体はやはり思弁に過ぎなかった それを嫌い人間の主観を排し 実験動物を用いた観察可能な行動のみを研究対象とする一派も存在したが 人間の認識は研究対象から外された このため 認識論の問題は比較的最近まで客観科学化されずに哲学の領域にとどまり続けた しかし 脳科学の進歩によって急速に 認識論と存在論のつの世界は大きく浸食されつつある 多義的な語なので注意が必要である 日本語の 認識論 は の訳語である ドイツで初めてこの語を用いたのはドイツの哲学者 ラインホールトであると言われているが もちろん認識論的な問題そのものは古代ギリシアから存在した 英語の と仏語の の語源は ギリシア語の 知 エピステーメー と 合理的な言説 ロゴス を合成したものであり スコットランドの哲学者 フェリエが年に出版した 形而上学概論 で初めて使用したとされる 英語の は と互換的な意味あいがあるが 仏語の はそのような意味合いはなく あくまで科学哲学の一つの方法論ないし理論であり 日本語では 科学認識論 と訳される フランス語の は とも呼ばれる 認識論で扱われる問いには次のようなものがある 認識論は 今日 哲学的認識論 と 世紀にフランスで生まれた 科学的認識論 の二つに大別され 哲学的認識論についても古典的認識論と現代的認識論の区別が必要であるとされる そこで 以下に まずは歴史の流れに沿って哲学的認識論について解説する 今日でいうところの認識論的な問題の原典は プラトンの テアイテトス にまで遡ることができる 本対話篇では 知識とは何か という問いに対し 知識とは常に存在し 疑いなきものであるとの対話者間の共通の前提から テアイテトスはまず知識とは知覚であると主張する これに対して ソクラテスは 知覚は人それぞれによって異なるものであるとした上で 人間は万物の尺度である と主張して相対主義を唱えたプロタゴラスを引き合いに出し 彼が自らの思いが真であると固執すれば 自らの思いが偽であると認めざるを得なくなるとしてその主張を論難する テアイテトスは引き続き知識とは真なる意見であると主張し 更に真なる意見に説明を加えたものであるとも主張するが いずれもソクラテスによって論難され 結局のところ 本対話篇では 知識とは何かに対する回答は示されず アポリアに終わる しかしながら そこでは 知識とは 正当化された真なる確信であるという定式を既に見出すことができる プラトンにとって知識とは常に存在する普遍的なものでなければならないが それは実体であるイデアの世界にあり この現実の世界は仮象の生成流転する世界であって永遠に存在するものはなにもない したがって 知識も決して師や賢者が一方的に教授できるものではなく 弁論術による対話を通じてようやく到達できるものである プラトンの著作が対話篇という形をとり その結末がアポリアを呈示する形で終わっているのは このようなプラトンの思想を反映したものである プラトンによれば 物の本質は 感覚によって把握することはできず 物のイデアを 心の眼 で直視し 想起 することによって認識することができるる プラトンは 知識とは正当化された真なる確信であるという定式を否定したのだが その理由は ある事 を確信しているということは その正当化の理由となる ある事 を既に知っているからであるという循環論法を疑ったからである これに対して アリストテレスは 知には常に何らかの前提が存在していることを否定せず ある事を確信している場合 その前提となっている理由はその都度問われても良いと考えた また プラトンは感覚を五感に制限せず 精神の目 と呼ばれる内的感覚を認めていたが アリストテレスはこれを否定し 広い意味での経験によって得られるもののみを知と見て 知の諸形式を知覚 記憶 経験 学問に分類した さらに アリストテレスは その学問体系を 論理学 をあらゆる学問成果を手に入れるための 道具 であるとした上で 理論 テオリア 実践 プラクシス 制作 ポイエーシス に三分し 理論学を 自然学 と 形而上学 実践学を 政治学 と 倫理学 制作学を 詩学 に分類した アリストテレスによれば 形而上学は存在するものについての 第一哲学 であり 始まりの原理についての知である また 彼は その著書 形而上学 において 有を無 無を有と論証するのが虚偽であり 有を有 無を無と論証するのが真であるとした そこでは 有 無 という 存在論 が基礎にあり これを 論証する という 判断 が支えている そこでは 存在論が真理論と認識論とに分かちがたく結び付けられている アリストテレスの学問体系は その後 トマス アクィナスらを介して古代 中世の学問体系を規定することとなったが そこでは 認識論的 真理論的な問題は常に存在論と分かちがたく結び付いていた そのため 形而上学の中心的な問題は存在論であった アウグスティヌスの認識論は プラトンのイデア思想の流れをくむものであり 存在論と幸福論とが一体となっている 彼によれば 人間は魂と身体の複合体であり 両者は共に独立した実体であり 魂は わたし という意思である 魂は自律するゆえに 探求するが 彼を探求に導くものは愛であり 愛は最後の憩いの場として万有の根源である神を求める 神は存在である 神が自己自身を認識することによって われわれの認識が始まる したがって 神は認識の原理であるとともに真理である 人は真理を認識するためには 感覚 外的人間 に頼るのではなく 理性 内的人間 によらなければならない 創世記には 神は人間を神の似姿として創ったとあり 神に似るのは動物にはない人間のみが有する理性部分だからである 理性は外に向かうのではなく 内部に向い それを超えた果てに真理を見る 内的人間と真理との一致に霊的な最高の喜びがある トマス アクィナスの認識論は アリストテレスの思想の流れをくむ トマス アクィナスは アリストテレスの存在論を承継しつつも その上でキリスト教神学と調和し難い部分については 新たな考えを付け加えて彼を乗り越えようとした トマスにとって 神は 万物の根源であるが アリステレスの説くように純粋形相ではあり得なかった 旧約聖書の 出エジプト記 第章第節で 神は 私は在りて在るものである との啓示をモーセに与えているからである そこで 彼は アリストテレスの存在に修正を加え 存在 本質 を加えた 彼によれば 存在 は 本質 を存在者とするため 現実態 であり 本質 はそれだけで現実に存在できないため 可能態 である 存在 はいかなるときにおいても 現実態 である 神は 自存する 存在そのもの であり 純粋現実態である 人間は 理性によって神の存在を認識できる いわゆる宇宙論的証明 しかし 有限である人間は無限である神の本質を認識することはできず 理性には限界がある もっとも 人間は神から 恩寵の光 と 栄光の光 を与えられることによって知性は成長し神を認識できるようになるが 生きている間は 恩寵の光 のみ与えられるので 人には教会による信仰 愛 希望の導きが必要になる 人は死して初めて 栄光の光 を得て神の本質を完全に認識するものであり 真の幸福が得られる トマスは 存在論に基づく神中心主義と 理性と信仰に基づく人間中心主義の統合を図り 後世の存在論に多大な影響を与えることになった スコラ学は彼によって体系化されたのだが その世界観はやがて独断的で権威主義的なものへと変質していった プラトン アリストテレス伝統においては観念と対象と一致することが真であると考えられていたが 当時そのような考え方に対する権威が失墜し 人は果たして物事を正しく知ることができるのかという知に対する根本的な疑いが生じるようになっていた 時代背景としては コロンブスによる新大陸発見 エラスムスの痴愚礼賛に象徴されるスコラ哲学の権威失墜 人文主義者の台頭 そして何より宗教改革があった カトリックとプロテスタントはお互いに いかにして 教義についての宗教的な 正しい認識は可能なのか 信頼に足る真理の基準は何かということを問答し やがてお互いに向けられた懐疑主義は自らの信頼の基盤をも突き崩していった そのような中で モンテーニュの主著エセーにみられるように およそ人間たるもの物事を正しく知ることはできず ただ神の啓示を待つほかなく それまでは判断を留保し 自然と慣習に従って慎ましく生活するという全面的な懐疑主義 新ピュロン主義 が通俗化していった 近代的な意味での認識論を成立させたのは ルネ デカルトである デカルトは 数学 幾何学の研究によって得られた概念は疑い得ない明証的なものと考え これを基礎付けるための哲学体系を確立しようと欲した デカルトは 合理的な学問的知識さえを疑う全面的な懐疑主義に対して方法的懐疑論を唱え 肉体を含む全ての外的事物が懐疑にかけられた後に どれだけ疑っても疑いえないものとして純化された精神だけが残ると主張した そこでは 存在について語る前にどのようにして存在を認識するのかを論じなければならないとされ 形而上学はもはや存在についての第一哲学ではなく 存在の認識についての第一哲学となった このようなデカルトの革命的な主張は 形而上学の中心的な課題を存在論から認識論へ転回させただけでなく 認識に関する様な物議を醸すきっかけとなった 既に述べたとおりアリストテレス的学問伝統の下においては 認識論と真理論は存在論と分かちがたく結び付いていたが 認識論を存在論に優位させることにより 問題は大きく三つに分かれることとなった 以下に分説する 哲学的認識論の第一の問題は 人はどのようにして物事を正しく知ることができるのか 人はどのようにして物事について誤った考え方を抱くのか という認識の起源の問題である おおむね四つの立場がある ルネ デカルトは認識の起源は理性であるとした デカルトは アリストテレスがその著書 霊魂論 において述べた経験主義的原則 すなわち 知覚によって対象から受け取った表象なしに人は思考することはできないという立場に反対し 精神を独立した実体と見て 精神自身の内に生得的な観念があり 理性の力によって精神自身が 観念を演繹して展開していくことが可能であるとした このような考え方の背景には 当時の飛躍的な数学 幾何学 自然学の発展があり 当時の人は 誰がどのように考えても同一の結論に到達するというイデア的な観念の源泉を理性 つまり動物とは区別された人間の本性のうちに見た このような人間の思考には経験内容から独立した概念が用いられているという考え方を生得説という デカルトは 結論としては 精神 物体を有限の実体であるとした上で 無限の実体である神の三つが実体であるとした 精神と物体の二元論において 主観と客観の一致を保証するため 神の存在を必要とした デカルトを引き継ぐニコラ ド マルブランシュ バールーフ デ スピノザ ゴットフリート ライプニッツなどの大陸合理主義者は 生得説を擁護しつつも 様な点でデカルトと対立し これを乗り越えようとした デカルトの革命的な主張は その直後から様な立場から厳しい批判を浴びることとなった 特に デカルトの提出した神の概念は 自然法則を証明するための条件にすぎず キリスト教的伝統に基づく人格神ではなく 実質は無神論ではないかとの疑惑も根強いものがあった このような状況下において デカルト哲学とアウグスティヌス神学との総合を企図したのがニコラ ド マルブランシュである 彼は 認識論的にはアウグスティヌスのイデア説を継承し 神は万象の原因であり われわれは万物を神のうちに観るとの思想を基本に デカルト的な心身問題の解決を図ろうとし 精神や身体の変化のみならず 物体相互の接触や運動は神の作用の機会にすぎないという 機会原因論 を主唱し その上に壮大な形而上学体系を構築した スピノザは デカルトを批判し 神のみが実体であるとし そこからすべてを理性によって演繹するという方法をとった スピノザによれば 神が唯一の実体である以上 精神も身体も その二つの異なる属性に他ならないことになる スピノザは その著書 エチカ において 表象を 第一種の認識 理性を 第二種の認識 直観を 第三種の認識 と三分類した 彼によれば 人間は自然の一部であるから 外部から様な影響を受けるが 人間の精神はまず自分の身体の変状についての観念を持たざるを得ないが これが第一種の認識である この観念は人間の身体と外部の本性を共に部分的に持つものであるがゆえに 認識の欠如 の観念を含む したがって 第一種の認識に基づくデカルト流の方法的懐疑は認識の欠如を含むゆえ決して明証性 確実性を有するに至ることはない しかし 人間の身体と外部の本性を共に部分的に持つということは 本性を共通にする部分についての普遍的な認識をすることはでき これを第二種の認識と呼ぶ さらに 個物の本性に関する認識を第三種の認識と呼び 真と偽の区別は第二種ないし第三の認識に基づきなされる ライプニッツの認識論は 多元的で最小の実体であるモナドを基礎にする モナドは万物の数に応じて多数ある分割不能な実体であるが モナドは鏡であり 表象能力を有し 自発的に世界全体を自己の内部に映し出し 世界全体を認識する また 彼は モナドは窓がなく 独立した別個の実体であるから 相互に影響を与えることはできないので 神の創造による予定調和によって他のモナドと協調して表象を展開することができるとした このような立場から 決定論 汎神論に陥ったスピノザと異なり 自由意思 人格神を認めることができ また いちいち神が機械人形を操るように世界に介在しなければならないとしたマルブランシュの機械原因論を否定した上で デカルト的な心身問題を解決することができるようになる いわば対立するすべての合理論を調停した上で 伝統的なキリスト教的神学を擁護しようとしたのがライプニッツ哲学といえる 合理主義は概念による理性認識に従って普遍必然性を有する知識 最終的には神の存在証明に至ることができると信じたが ひとたび数学や自然学の問題を離れ 形而上学上の問題を論じるや否や合理主義内部においてさえその対立はとどまるところを知らず 徒らに概念をもてあそび内容空虚な思弁を弄することになり 独断論化していった カントが師のクヌッツェンから学んだのは 当時のドイツの講壇哲学において支配的であったライプニッツ ヴォルフ派の壮大な形而上学で 彼は 自身が批判哲学を確立する前に 自身がかつて所属していた当該学派における状態をその著書 プロレゴメナ において 独断論のまどろみ と比喩的に呼んだ ジョン ロックは認識の起源は経験であるとした 時代背景としては ピューリタン革命や内乱のため年に高等宗務裁判所が廃止されたことがあり 当時 英国国教会とカトリック教徒やクエーカー教徒との対立が激化しただけではなく 民衆にはヘルメス主義などが流行し 自分の目も感覚も明らかな証拠も信用せず 自分の経験すら偽りとしてまで自らの教義に一致しないものを認めようとしない頑固な人びとが多くおり 独断主義との対立が迫られるというような社会情勢にあった ロックと彼を引き継ぐジョージ バークリーやデイヴィッド ヒュームなどのイギリス経験論者は 経験に先立って何らかの観念が存在することはなく 人間は 白紙状態 タブラ ラサ として生まれてくるものと考えて生得説を批判した ロックは 観念は感覚 もしくは反省 から発生すると考えた 彼によれば 観念には単純観念と単純観念が合わさって形成した複合観念があるが このような観念の結合 一致 不一致 背反の知覚が知識である したがって 全ての観念と知識は人間が経験を通じて形成するものだということになる ロックは デカルトと同様 精神 物体 神の三つが実体であるとしており 数学に関しても論証的知識に属するとしてその確実性を否定したわけではなかった ロックは 反省によって生成された観念を理性によって演繹すること認めるので その限りで ロックはデカルト主義者であるということもできる ただし 自然学については その知識は確実なものではなく 蓋然性を得るにとどまるとした ロックによれば 物体の性質は 固性 延長性 形状等の外物に由来する客観的な 第一性質 と 色 味 香等の主観的な 第二性質 に分かれるが 我が知ることはできるのは後者のみで それすらも経験によって全てを知ることはできず その蓋然性を得るにすぎない ジョージ バークリーは ロックの経験論を承継しつつ ロックが物体を実体とした上で 物体の第一性質と第二性質を区別したことを批判した 彼は 両者の区別を否定し 実体とは同時的なる観念の束 に他ならないと考えた このような考え方から 彼は 物体が実体であることを否定し 知覚する精神と 神のみを実体と認めた このことを端的に表す有名な言葉として 存在とは知覚されてあることである がある バークリは 主観的観念論 独我論と批判されることになったが 彼は聖職者であり 神を実体としていたことから その思想はむしろマルブランシュに近いものであったとされている ロックの経験論は独我論と懐疑論の中道を目指す経験的実在論を基礎にしていたが バークリはデカルト主義的なロックの観念論を承継していた デビット ヒュームは 主著 人間本性論 において あらゆる観念の理性による基礎付けを否定し 当時の自然科学の知見に基づき 観念の形成過程を分析した ヒュームによれば 人間の 知覚 は印象 と そこから創出される観念 の二種類に分けられるが 全ての観念は印象から生まれる 印象は人の意識に強く迫ってくるいきいきとしたものであるが なぜそれが生じるのか説明のつかないものであり 観念は印象の色あせた映像にすぎない この観念が結合することによって知識が成立するが 知識には数学や論理学のように確実な知識と蓋然的な知識の二種がある 観念の結合について 自然的関係 と 哲学的関係 の種があり 前者は 類似 時空的近接 因果関係 があり 後者は量 質 類似 反対および時空 同一性 因果がある その上で ヒュームは 因果関係の特徴は必然性にあるとしたが 一般に因果関係といわれるとのつながりは 人間が繰り返し経験する中で 習慣 によって心の中に生じた蓋然性でしかないと論じ 理性による因果関係の認識の限界を示した この因果関係に関するヒュームの考えは後にカントに決定的な影響を与えた カントは その著書 プロレゴメナ において ヒュームが自分を独断論のまどろみから眼覚めさせたと後に明らかにした 認識のための道具は理性であり もしこの道具に限界があるのであれば なによりも先に その可能性と根拠について問われなければならない カントは後に認識の可能性と根拠を問う哲学を超越論哲学と呼び これを展開していくことになる イマヌエル カントは このように合理主義と経験主義が激しく対立する時代に 観念の発生が経験と共にあることは明らかであるとして合理主義を批判し 逆に すべての観念が経験に由来するわけでないとして経験主義を批判し 二派の対立を統合したとする見方が今日広く受け入れられている カントの立場は このように経験的実在論から出発し 超越論的観念論に至るというパラドキシカルなものである デカルトは 外界にある対象を知覚することによって得る内的な対象を意味する語として の語を充てていたが このような構造に関しては経験主義に立つロックも同様の見解をとっていた カントは これらの受動的に与えられる内的対象と観念ないし概念を短絡させる見方を批判し 表象 を自己の認識論体系の中心に置いた カントは 表象それ自体は説明不能な概念であるとした上で 表象一般はその下位カテゴリーに意識を伴う表象があり その下位には二種の知覚 主観的知覚 感覚と 客観的知覚 認識があるとした 人間の認識能力には感性と悟性の二種の認識形式がアプリオリにそなわっているが これが主観的知覚と客観的知覚にそれぞれ対応する 感覚は直感によりいわば受動的に与えられるものであるが 認識は悟性の作用によって自発的に思考する 意識は感性と悟性の綜合により初めて ある対象 を表象するが これが現象を構成する このような考え方を彼は自ら コペルニクス的転回 と呼んだ カントによれば 時間 と 空間 因果関係 など限られた少数の概念は人間の思考にあらかじめ備わったものであり そうした概念を用いつつ 経験を通じて与えられた認識内容を処理して更に概念や知識を獲得していくのが人間の思考のあり方だということになる 当時は アインシュタインの相対性理論を始めに 量子力学を含め理論物理学が飛躍的に発展し デカルトやカントが前提としていたニュートン力学に対する重大な疑義が出された時代であり 改めて学問の基礎付けが問題となった フッサールは 数 自己 時間 世界などの諸事象についての 確実な知見を得るべく 通常採用している物事についての諸前提を一旦保留状態にし 物事が心に立ち現れる様態について慎重に省察することで イデア的な意味を直観し 明証を得ることで諸学問の基礎付けを行うことができると考えた 哲学的認識論の第二の問題は 人間にとって不可知の領域はあるか あるとしたら どのような形で存在するのかという問題である これは認識主体たる意識と認識客体という対立するいずれの項に基本を置いて認識の本質を規定するのかという問題でもあり 観念論と実在論が対立した 実在論は 素朴実在論を批判して 物体の第一性質と第二性質を分けるロックの主張があり 科学的実在論と呼ばれる 観念論は 主観的観念論の立場に立つものとしてバークリが挙げられることが多いが その主張は複雑である カントにおいては 現象は 物自体と対比され 物自体と主観との共同作業によって構成される 別の言い方をすると 現象というのは物自体に主観の構成が加わった結果であるとし 人は現象が構成される以前の物自体を認識することはできない とした 年に出版した 純粋理性批判 の中で カントは人間の持つ理性がどのようなものであるかを 分析した そしてその分析を通じて 人間の理性は どんな問題でも扱える万能の装置ではなく 扱える問題について一定の制約 限界を持ったものであることを論じた そして人間の理性によって扱えないような問題の例として カントは純粋理性のアンチノミーという四つの命題の組を例示し ライプニッツが行ったような形而上学的 神学的な議論は 原理的に答えを出せない問題であり 哲学者が真剣に議論すべきものではない と斥けた カントは純粋理性批判の中で 次の四つのアンチノミーを例示した アンチノミー 二律背反 とは ある命題 テーゼ 定立 と その否定命題 アンチテーゼ 反定立 が 同時に成立してしまうような場合を言う つまり である と でない が 同時に成り立つような場合を言う この四つの命題の組は そのどちらを正しいとしても矛盾が生じるものであり このどちらかが正しいという事を 理性によって結論付けることは不可能 つまり議論しても仕方のない問題だ とカントは論じた それぞれについて簡単に内容を説明しておくと 第一のものは時間に始まりはあるか 空間に果てはあるか という問題 第二のものは原子や素粒子といったこれ以上分割できない最小の構成要素があるかどうかの問題 第三のものは自由意志と決定論の問題 そして第四のものは世界の第一原因と神の存在の問題である カントによる形而上学批判は 以降の西洋の哲学に大きい影響を与えることとなり 神の存在証明や宇宙の始まりなどの形而上学的な問題は 哲学の中心的なテーマとして議論される傾向は抑制されていった 哲学的認識論の第三の問題は ある考え方が正しいかどうかを確かめる方法があるか という真理論の問題である 古典的な哲学的認識論としての真理の問題に関する見解はおおまかに以下の四つに分類することができる 古典的認識論は 既に述べたとおり認識主体がどのようにして認識客体を認識するのかという二項対立図式において認識をとらえようとしたが この難問が認識論の危機を招くこととなった カントは 二項対立図式を前提としつつ 現象と物自体を厳密に区別したが ショーペンハウアーは 理性によっては認識できない物自体という概念を維持しつつ 現象とは私の表象であり 物自体とはただ生きんとする盲目的な意思そのものにほかならないとして理性を批判した このような図式を引き継いだニーチェの思想はやがて生の哲学と呼ばれる潮流を作り ドイツ フランスで多くの哲学者に影響を与えたが やがて実存主義に吸収されていった フィヒテに始まり ヘーゲルによって完成を見たドイツ観念論は 理性によって現象と物自体の区別を乗り越えるような形で発展した ヘーゲルによれば カントの認識論は 認識の限界を認識するという循環論法的な議論であって それはあたかも水に入る前に水泳を習うようなものであって 本来的に不可能である ヘーゲルの批判は認識論にとって本質的な異議であったが ヘーゲルの死後 ヘーゲル学派は分裂 対立を繰り返して崩壊し かえって哲学の危機の時代を招いた その後 さまざまなバリエーションがあるものの 二項対立図式そのものが放棄されるべきではないかが議論されるようになった まず 当時の自然科学 とりわけ物理学の飛躍的な発展に背景にした二項対立図式の乗り越えがある エルンスト マッハは ニュートン力学の絶対空間の概念に形而上学の残滓が残っていると考え 自然科学は形而上学概念を排した思考以前の純粋要素である感覚からすべて説明されるべきであり 概念や法則は思考を経済化するためものにすぎないとした このような感覚を 純粋経験 とよび 主観と客観の対立を原理的に同格とみなした マッハの哲学は アメリカのプラグマティズムやウィーン学団の論理実証主義に多大な影響を与えた ウィーン学団は マッハの他にも ウィトゲンシュタインの論理哲学論考から多大な影響を受けているが そのメンバーの多くがユダヤ人であったことから ナチスの弾圧を受け これから逃れるために参加者の多くはアメリカに亡命し 学団自体は立ち消えになったが その考えが米英に広まり 英米系の現代的認識論に多大な影響を及ぼすことになった 次いで フッサールは 志向性という概念を用いてデカルト的な主観 客観図式を乗り越えようとしたが 生物学や心理学によって学問を基礎付けようとする考え方については逆に心理主義と呼んで厳しく批判した フッサールは ノエシス ノエマ構造を本質とする志向性意識についての認識論的考察と 志向対象としての存在者への考察を現象学的還元を介して批判的に記述することにより 限定的ながらも存在論への道を開いたが 現象学は ドイツでは フッサールの意図を超えた展開を見せ マルティン ハイデッガー ニコライ ハルトマンらによって存在論の復権の方向へと発展していった 他方で 現象学は その後フランスで受容され フランスの現代的認識論に多大な影響を与えることになった 英米では 論理実証主義運動を契機に 科学哲学や分析哲学が発展し 古典的経験論の失敗に学び スコットランド常識学派の成果を吸収した上で いわば現代的経験論ともいう立場を打ち立てて フランスやドイツとも異なる独自の発展を見た 英米の現代的認識論では 知識とは何か とは何か 懐疑主義とどう向き合うかといった問題を軸に活発な議論が行われてきた 英米の現代認識論で扱われるその他のテーマとしては 知覚の認識論 徳認識論 認識論の社会化 アプリオリな知識の可能性などがある また 近年では 知識の価値とは何か 知識の実践的 社会的機能とは何か 合理的な不一致はありうるか などの多様なテーマが論じられるようにもなっている 知識の概念分析においては 知識とは正当化された真なる信念である というプラトン由来の知識の古典的定義をどう修正していくかということが一つの焦点となってきた これはゲティア問題のために 古典的定義が文字どおりには正しくないと考えられるようになったためである ただし ゲティア問題のこのような含意を否定する論者も存在する この文脈では 以下のような立場がさまざまな哲学者によって展開されてきた 基礎付け主義 とは 認識主体が何かを信じるための正当化を持つかどうかは その認識主体のなんらかの基礎的な信念 またはそれに類似する心的状態に最終的に依拠するという立場 これらの信念ないし心的状態は 他の信念 心的状態を正当化するものでありながら それら自体は 他の信念 心的状態によっては 正当化されないため 基礎的と呼ばれる 基礎付け主義は 伝統的にはセンス データ論の形をとって展開された ウィルフリッド セラーズは センス データ論を 所与の神話 の典型的な形態として批判する センス データ論では 非言語的な所与としてのセンス データが 命題内容をもつ信念を最終的に正当化すると考える しかし もしセンスデータが非言語的なものであり 正当化がある種の推論関係と捉えられるならば 非言語的であり命題内容を持たないセンス データが どうやって命題内容をもつ信念と推論 正当化関係に立つのかが謎になる 整合説 とは ある認識主体の持つ信念がお互いに調和しあっていることをもって 個の信念が正当化されるとする考え方 調和 整合ということで 論理的な整合性 以上のことが意味されるかどうかは 整合説論者でも意見が分かれる 内在主義と外在主義を端的に区別するような基準を特徴づけることは非常に難しい これは個の論者が これらの語で異なることを意味している場合が多いためである また 内在主義 外在主義という区分は 知識に対して適用される場合と正当化に対して適用される場合があり 両者を区別する必要がある 典型的なヴァージョンの内在主義 は アクセス内在主義と呼ばれるものである 正当化に関するアクセス内在主義とは 認識主体が何かを信じるための正当化を持つかどうかを決定する要素は 全て あるいは少なくとも 主要なものは その認知主体が反省のみによってアクセスすることができるものだけだという考え方 知識に関するアクセス内在主義とは 同様の条件を 認識主体が知識を持つかどうかを決定する要素に対して課す立場である ゲティア問題を知識に関するアクセス内在主義で切り抜けるのは非常に困難である 外在主義を内在主義の否定と解するならば アクセス内在主義の否定としての外在主義 も 正当化に関する外在主義 と 知識に関する外在主義 に区別される 前者は 認識主体が何かを信じるための正当化を持つ際に 当の認識主体の反省的アクセスの対象ではない要素が介在するという立場である 後者は 同様の条件を 認識主体が知識を持つための条件とする ウィラード ヴァン オーマン クワインによって提案された 自然化された認識論 は外在主義と結びついた形をとることが多い 信頼性主義 と呼ばれる立場で 最も有名なものは プロセス信頼性主義であり 正当化に関する外在主義の中心的な立場である プロセス信頼性主義によれば ある信念が正当化されるためには その信念が信頼のおける認知プロセスによって形成されることが必要である 類似する立場として 知識に関する信頼性主義があり によって提唱された 知識の因果説 とは ある信念が知識かどうかは その信念が 因果的に適切な仕方で生じたかどうかによって決まるという立場 アルヴィン ゴールドマンによって提唱された 決定的理由 はフレッド ドレツキの提案した概念で その信念が間違いであるならば その理由がえられることはないであろうような理由 ドレツキはある人の信念が知識であるのは その信念が その正しさを保証する決定的理由に基づいて信じられているときであるという考え方をとる これは知識に関する外在主義の一種となる 懐疑主義 特にデカルトの 欺く神 にどう対処するかということも近現代を通じて認識論の大きな課題である これについてもいろいろな立場が提案されてきた すでに見た外在主義は 知識ないし正当化の条件として 認識主体本人が反省的アクセスを持たない要素を認める 従って われわれがデカルトの欺く神に騙されているのでないということを認識主体が証明できなくとも 現実世界のあり方や 認識主体の認知プロセスが実際に信頼可能であるという事実によって 知ることができるという可能性が開ける 閉包原理 とは ある仕方で解釈された デカルトの懐疑論が依存しているとされる原理の一つで 認識主体がを知っており かつ からが論理的に導けるということを知っているならば その認識主体はを知っている という原理である 言い換えれば 知識は既知の論理的含意のもとで閉じている 閉包原理を否定するならば 欺く神に騙されているかどうかを知らないことは 様なことを知っているということと両立可能である 閉包原理と呼ばれるものはこれ以外にも幾つかあり どの原理が正しいかを巡る議論が行われている 認識論における広義の文脈主義 とは 極めて大まかに言えば 何が正当化されているか 何が知識かは文脈によって変化する という立場 欺く神について考える文脈と より日常的な問題について考える文脈を区別することで デカルト的懐疑が日常の思考にも影響することを食い止めることができる ジョン オースティンが提唱者の一人である フランスには デカルトに端を発し 実証主義の祖オーギュスト コントらが引き継いだ大陸合理主義 啓蒙主義の哲学的伝統がある これらは 知識 信念 科学とは何か 合理的に知識を得る事とは という認識論を中心とした問題意識を有するが イギリス経験論を拒否するとともに 抽象的な定義から始まり これを演繹するというドイツ哲学のような態度をも拒否し 理性について歴史的に考察する ミシェル フーコーによれば フランスの哲学的伝統は ドイツ発祥の現象学をフランスにおいて受容するに際して ガストン バシュラール ジョルジュ カンギレムらによって代表される 知識 理性 概念の哲学 と サルトル メルロ ポンティらによって代表される 経験 感覚 主体の哲学 の二派に分かれた フランスの現代思想において サルトルらの実存主義の流行後 年代に入って構造主義が台頭し 更にこれに対する反動としてポスト構造主義が台頭してくる歴史もそのような大きな流れの中で理解されるべきであるとされる 現代のフランスの科学的認識論は エピステモロジー とよばれ 科学哲学と分野が一部競合している様相を示している エピステモロジーの歴史的に重要な人物としては 上で挙げたバシュラール カンギレムらがいる エピステモロジーは 科学史と哲学の密着な結びつきを重視するが 他方でイギリス経験論を拒否し コント以来の実証主義的伝統を受け継ぐという特徴を有しているが 科学哲学とはその発展の歴史が異なるだけでなく 科学哲学が有する総括的な意図 論争的な調子とは一線を画しているという特徴も有している ポストモダニズム ポスト構造主義と呼ばれる人文 社会科学上の潮流は構造主義にあり 構造主義的認識論を基礎にしている 非本質主義 相対主義などと形容されることが多いポストモダニズムの典型的な議論 認識論として 次のような特徴が挙げられる こうした認識論上の主張は フリードリヒ ニーチェ ミシェル フーコー ジャン フランソワ リオタール リチャード ローティなどの哲学的な著作に基づいてなされることが多い ドイツには フリードリヒ シュライアマハーに始まる解釈学の哲学的伝統があり 英米系の言語哲学が歴史を軽視していることが このような哲学的伝統に反するものと考えられてきた 第二次世界大戦後しばらくの間はマルティン ハイデッガーによる認識論批判 存在論の復権の影響が大きく フランスのエピステモロジーの影響はあったものの哲学的には停滞していた時期が続いた もっとも このような流れの中にあっても ハンス ゲオルク ガダマーのようにあくまでドイツの哲学的伝統に足場を置き研究を続けるものも多数いる その意味で科学的認識論の重要性は増したものの 現代においても哲学的認識論の問題が古くなってしまったわけではないと考えられている ウィラード ヴァン オーマン クワインによって提案された は 自然科学的な方法論によって認識論を行おうという立場であり クワイン以降 様な形で展開されている クワインは まず 古典的な経験主義には二つのドグマがあり ドクマなき新たな経験主義を確立する必要があると主張する 彼によれば 経験主義には 事実に基づく総合的真理と事実問題と独立な意味に基づく分析的真理の間には根本的な相違があるという信念と 有意味な言明は直接的経験を指示する諸名辞からの論理的構成物と同値であるという信念の二つのドグマがあり この二つのドグマは同じ根を持つ 経験主義の伝統においては 真理とは 観念と実在の対応であり その場合の観念とは 一つの名辞を単位に考えられていたが カルナップらの論理実証主義は この単位を一つの言明に置き換えた つまり ここでは 直接的経験によるセンス データ 感覚所与 言語に翻訳可能であれば この言明は有意味であると考えられた しかしながら クワインによれば このように実在と観念の対応を一つの名辞 一つの言明に分解していく還元主義は不可能であり われわれの認識は一つの言語体系であり したがって とある信念を検証するにあたっては 一つの理論の全体との関係で 経験の審判を仰がねばならず そのコロラリーとして 分析的真理と総合的真理は区別することはできない クワインは これを 全体論 と呼んだが これによれば 経験による改訂の可能性を原理的に免責されている信念はなく もし対立する二つの理論があるときは どのような経験によっても そのどちらかが完全に否定されることはなく どのような信念でも保持しつづけることができることになる ジャン ピアジェは 心理学者として とりわけ発達心理学で著名であるが もともとは古典的認識論の諸問題を解決する糸口を生物学 心理学に求め を提唱した 彼は 多数の実験により幼児の認識の発達段階を解明した上で 認識は対象から独立しており 決して対象に到達することはないが 同時に対象によって支えられているという点で構成的なものであるとする また 発生的認識論は哲学ではなく 科学であり 極めて専門的 集団的なものであるとの考えから 年 発生的認識論国際センターをジュネーヴに設立し 世界中のさまざまな分野の研究者たちとの共同研究を晩年まで精力的に行ない 現在も多くの学者が共同で研究を続けている コンラート ローレンツは 動物行動学で著名であるが 哲学者のカール ポパーと共に 人間の認識の起源の問題を個人ではなく 生物種としての人の認知構造に求め 知識の変化を進化とみて通時的なアプローチを試みる を主張した 近時は社会科学に属する社会学を認識論に応用することはできないかが議論されている 地震のマグニチュード とは 地震が発するエネルギーの大きさを対数で表した指標値である 揺れの大きさを表す震度とは異なる 日本の地震学者和達清夫の最大震度と震央までの距離を書き込んだ地図に着想を得て アメリカの地震学者チャールズ リヒターが考案した この最初に考案されたマグニチュードはローカル マグニチュード と呼ばれており リヒターの名からリヒター スケール 読 リクター スケール とも呼称される マグニチュードは地震のエネルギーをの平方根を底とした対数で表した数値で マグニチュードが 増えると地震のエネルギーは約 倍になり マグニチュードが 増えると地震のエネルギーは倍になる 地震学ではモーメント マグニチュード が広く使われる 日本では気象庁マグニチュード が広く使われるが 長周期の波が観測できるような規模の地震 以上 ではモーメント マグニチュードも解析 公表されている 一般的にマグニチュードは の形の式で表される ここで はある観測点の振幅 は震央距離や震源の深さによる補正項である 地震が発するエネルギーの大きさを 単位 ジュール マグニチュードを とすると 次の関係がある この式からマグニチュード が 大きくなると左辺の が だけ増加するからエネルギーは約倍大きくなることが分かる 同様にマグニチュードが 大きくなると地震のエネルギーは倍になる また マグニチュードで の差はエネルギーでは約倍の差となる 一般に使われる他の各種のマグニチュードでは 概ね 表面波マグニチュードで 実体波マグニチュードでは程度 を超えると数値が頭打ち傾向になる これを マグニチュードの飽和 と呼ぶ 例えばローカル マグニチュード は約 あたりから飽和しはじめ 約が最大値となる 短周期の地震波ほど減衰しやすく その影響を受ける地震波の周期はおよそ 断層の長さ 断層破壊の伝播速度 程度以下 すなわち断層の破壊に要した時間程度以下の周期である 従って断層破壊に要する時間が長い巨大地震では地震の発生を瞬時の破壊と見なせなくなり 例えば周期秒の地震波の振幅に着目する表面波マグニチュードは断層破壊に秒程度かかる約 より長い断層では 地震の規模が大きくなっても地震波の振幅が頭打ちとなる マグニチュードを決めるために用いる地震波の周波数とエネルギーのモデルから地震波によるマグニチュードは高周波 かつ規模の小さな地震ほど飽和が起こりにくいことが示される このモデルでは実体波マグニチュード は約 から飽和しはじめで飽和となり 表面波マグニチュード では から飽和しはじめで飽和となるが 飽和となる数値は観測される地震により異なり の報告例も多数あるためモデルがあらゆる地震に当てはまるわけではない エネルギーが大きく 長周期 低周波 の地震動が卓越した巨大地震においても飽和がなく より正確に地震の規模を表す指標として 無限大の長周期地震波に基づくと見做されるモーメント マグニチュードが考案され 地震学では広く使われている 地震学では各種のマグニチュードを区別するために に続けて区別の記号を付ける 地震学ではモーメント マグニチュード を単に と表記することが多い アメリカ地質調査所 など 日本では気象庁マグニチュード を単に と表記することが多い 各種のマグニチュードの値の間では差異を持つので注意が必要である 以下 振幅という場合は片振幅 中心値からの振幅 を意味する リヒター スケールとも リヒターは ウッド アンダーソン型地震計 倍 の最大振幅 単位 を震央からの距離 のところの値に換算したものの常用対数をマグニチュードとした 従って 地震波の振幅が倍大きくなるごとに マグニチュードがずつあがる ベノー グーテンベルグは 表面波マグニチュードを で定義した ここで は表面波水平成分の最大振幅 は震央距離 角度 は観測点ごとの補正値である これとほぼ同じであるが 国際地震学地球内部物理学協会の勧告 年 では としている は表面波水平成分の最大振幅 は周期 秒 である 周期約秒の地震動に着目して求められている より長周期の例えば周期秒の表面波に基づいてその振幅からマグニチュードを算出すれば 巨大な地震の規模もある程度適切に表される様になる 例えば周期秒の表面波マグニチュードではほとんど差が見られない年三陸地震 年チリ地震 年アラスカ地震の周期秒表面波マグニチュード は それぞれ となる グーテンベルクおよびリヒターは 実体波マグニチュードを で定義した は実体波 波 波 の最大振幅 はその周期 は震源の深さ と震央距離 の関数である 経験的に が成り立つ 周期約秒の地震動に着目して求められている は震源断層面積 は平均変位量 は剛性率である これまでに観測された地震のモーメント マグニチュードの最大値は 年に発生したチリ地震の である 気象庁マグニチュードは 日本で国としての地震情報として使用されており 年の約年前まで遡って一貫した方法で決定され モーメント マグニチュードともよく一致している 略称として 或いはが使われる 気象庁マグニチュードは周期秒までの強い揺れを観測する強震計で記録された地震波形の最大振幅の値を用いて計算する方式で 地震発生から分程で計算可能という点から速報性に優れている 一方 マグニチュードがを超える巨大地震の場合はより長い周期の地震波は大きくなるが 周期秒程度までの地震波の大きさはほとんど変わらないため マグニチュードの飽和が起き正確な数値を推定できない欠点がある 東北地方太平洋沖地震では気象庁マグニチュードを発生当日に速報値で 暫定値で と発表したが 発生日後に地震情報として発表されたモーメント マグニチュードは であった は最大振幅 は地震計特性補正項 変位マグニチュードは 系統的にモーメント マグニチュードとずれることがわかってきたため 差異が小さくなるよう 年月日からは計算方法を改訂し 一部は先行して年月日に改訂 あわせて過去の地震についてもマグニチュードの見直しを行った ここで は震央距離と震源深度の関数 距離減衰項 であり が小さい場合には坪井の式に整合する は補正係数 ここで は と連続しながら 深さ 震央距離 までを定義した距離減衰項である は補正係数 マグニチュードを厳密に区別すると その種類は種類以上に及ぶが ここでは特徴的なものを記載する 地震記象上で振動が継続する時間 はマグニチュードとともに長くなる傾向がある そこで一般に の式が成り立つ は定数 は震央距離である は小さいため 第項を省略することもある 過去には河角の式地震計に対しての式 などが提案されている 地震波記録の回収や解析に多大な労力を要した年代頃までは つの地震計記録からマグニチュードを概算する方法として 気象台 観測所などで利用された ただし各定数は地震計の特性に大きく依存するため 短時間で多くの地震波記録を扱うことができる現在ではこの式はほとんど用いられない グーテンベルクとリヒターは 南カリフォルニアの地震について 有感半径 を用いて の式を得ている 日本でも市川が日本の浅発地震に対して を与えている なお は飛び離れた有感地点を除く最大有感半径 である 気象庁の震度で 以上 以上 以上の区域の面積 をそれぞれ とするとき 勝又護と徳永規一は という実験式を 村松郁栄は という実験式を得ている 河角廣は震央からの距離 における平均震度を と定義し リヒタースケールとの間に の関係があるとした また震央距離と震度 マグニチュードの間には以下の関係があるとした これらは地震計による記録がなかった歴史地震のマグニチュードを推定する際に有効である 家屋被害に関する文献記録から各地域の震度を求め それをもとにマグニチュードを推定する 微小地震については上記の などでは正確な規模の評価ができない そこで たとえば渡辺は上下方向の最大速度振幅 と震源距離 を用いて の式を示している なおこの式は が 未満のときに限られる マグニチュードがマイナス値を示す場合にもある程度有効であるため ごくごく微小な人工地震のマグニチュードを求める際にも利用される 低周波地震では を用いると地震の規模が実際よりも小さく評価される そこで阿部勝征によって 津波を用いたマグニチュード が考案された ここで は津波の高さ は伝播距離 は がモーメントマグニチュード と近い値を取るように定められた定数である は日本において観測されたデータを用いると となる また 震央より 以上離れた 遠隔地で発生した地震による津波における は を が と近い値を取るように定められた定数とすれば 言語 シーげんご は 年にベル研究所のデニス リッチーが主体となって開発した汎用プログラミング言語である 英語圏では または単に と呼ばれることが多い 日本でも文書や文脈によっては同様に と呼ぶことがある 制御構文などに高水準言語の特徴を持ちながら ハードウェア寄りの記述も可能な低水準言語の特徴も併せ持つ 基幹系システムや 動作環境の資源制約が厳しい あるいは実行速度性能が要求されるソフトウェアの開発に用いられることが多い 後発の や のようになるので 配列アクセスそのものは ポインタ演算および間接参照と同等 ではありません しかし ウィキペディアにそう書いてあるのを信じて 多くのプログラマがそれに基づくバグを書いたのでしょう 確かに は と同等であるというシンタクティックシュガーや 配列を関数の実引数として渡そうとすると 配列が渡されるのではなく その先頭要素を指すポインタが渡される という仕様がありますが ちゃんと理解していればそれを 配列アクセスそのものは ポインタ演算および間接参照と同等 とは表現しないでしょう 処理系の簡素化のため 以下のように安全性を犠牲にした仕様が多い なお ホスト環境やプログラムの内容によっては 以下に対して脆弱性対策を施したとしても実行速度の低下が無視できる程度であることも多く 言語仕様側の欠点とみなされることも少なくない 言語の プログラムは ホスト環境を前提とするか フリースタンディング環境を前提とするかで 方向性が異なる ホスト環境を前提とする場合には 標準入出力の利用により 動作をすぐに確かめることができる 以下では 標準ライブラリのヘッダ にて宣言されている 関数あるいは関数を利用したものを例示する 上記サンプルソース中の はエスケープ文字 による改行を表す なお 関数は書式文字列とそれに対応する可変個引数を受け取り 書式化された文字列として表示できる高機能な標準出力関数であるが 序盤から例示に使用している入門書もある また 関数は引数のないバージョンと コマンドライン引数をポインタ配列として受け取るバージョンどちらを使ってもよい 関数と関数は いずれも入門者や初学者にとっては最初の鬼門となる難解な関数であり 言語によるプログラミングのハードルを高くしている一因でもある 言語は ベル研究所のケン トンプソンが開発した言語の改良として誕生した ちなみに を開発するために言語が作り出された と言われることがあるが によると これは正しくなく 経緯は以下の通りである 言語は 当初はあくまでも上で動くユーティリティを作成する目的で作り出されたものであり のカーネルを記述するために使われるようになるのは後の展開である アセンブラとの親和性が高いために ハードウェアに密着したコーディングがやりやすかったこと 言語仕様が小さいためコンパイラの開発が楽だったこと 小さな資源で動く実行プログラムを作りやすかったこと 環境での実績があり 後述のといった解説文書が存在していたことなど さまざまな要因から言語は業務開発や情報処理研究での利用者を増やしていった 特にメーカー間でオペレーティングシステムやなどのアーキテクチャが違う環境では再移植の必要性がしばしば生じて プログラムを言語で書いてソースレベル互換を確保することが標準となった 言語の開発当初に使われた入力端末はであったことが知られている は年制定の旧 にもとづいており および の入力を行うことができたが 当時は一般的に使われていた入力端末ではなかった 当時 の入力端末として広く使われていたのは であるが これは年制定の旧である に準拠しており や の入力を行うことはできなかった 年 を出版 その後標準ができるまで実質的な言語の標準として参照 言語は発展可能な言語で この本の記述も発展の可能性のある部分は厳密な記述をしておらず 曖昧な部分が存在していた 言語が普及するとともに 互換性のない処理系が数多く誕生した これはプログラミング言語でしばしば起こる現象であり 言語固有の現象ではない そこで とは協同で言語の規格の標準化を進め 年月にが を 年月にが を発行した 規格のほうが章立てを追加しており その後も 規格にならって章立てを追加した それぞれ および という通称で呼ぶことがある 日本では これを翻訳したものを プログラム言語 として 年月に制定した 最大の特徴は と同様の関数プロトタイプを導入して引数の型チェックを強化したことと やなどの新しい型を導入したことである 一方 処理系に依存するものとする に留めた部分も幾つかある 型のビット幅 型の符号 ビットフィールドのエンディアン シフト演算の挙動 構造体などへのパディング等 規格では以下の種類の自由を認めている部分がいくつかある これにより プラットフォームやプロセッサアーキテクチャとの相性による有利不利が生じないような仕様になっている 規格上には や 形式の行コメント は無いが オプションで対応した処理系も多く やは拡張 でサポートしている コンパイラ や では または もしくは をつけることにより 拡張を使わない規格に準拠したコンパイルを行うことができる 加えて をつければ診断結果が出る 商用のコンパイラでは コンパイラが規格適合の比率が高いと言われていた 現在 として公開している には 下記の追加の訂正と追加を行った 日本では 日本産業規格 プログラム言語 がある 主な追加機能 は下記の訂正がある は文字列 の各符号化方式 に標準で対応している そのほか 式 と同様の無名構造体 無名共用体 排他的アクセスによるファイルオープン方法 などのいくつかの標準関数などを追加した また 関数指示子を追加した は従来処理系ごとに独自に付加していた属性情報 たとえばでは を標準化したもので 呼び出し元に戻ることがない という特殊な関数についてその特性を示すためにある 文を持たない関数という意味ではなく 規格では文を持たなくとも 関数の最後の文の実行が終われば制御は呼び出し元に戻る この指示が意味するものは 当該の関数 ないしその内部から呼び出している関数の実行中に 必ず やを実行したり 例外などで終了する あるいは による大域ジャンプで抜け出す 継続渡しスタイル変換されたコードである などのために 絶対に制御が呼び出し元に戻らない という関数を指示するためにある そのような関数は スタックに戻りアドレスを積む通常の呼び出しではなく スタックを消費しないジャンプによって実行できる アラインメント機能 型や言語ネイティブの原始的なスレッド機能などを省略可能な機能として規格に組み込んだ また では規格上必須要件とされていた機能のうち 複素数型と可変長配列を省略可能なものに変更した これらの省略可能な機能は規格合致の必須要件ではないので 仮に完全に規格合致の処理系であっても 対応していないかもしれない 規格では 省略可能な機能のうちコンパイラがどれを提供しているかを判別するために利用できる テスト用のマクロを用意している これにより 関数は廃止されている 大抵の処理系は言語と 両方をサポートしている 言語と の共通部分を明確にし 二つの言語の違いに矛盾が生じないようにすることが課題になっている その他にも シェーダー言語である シェーダー言語である カーネル記述言語である など 言語の文法的特徴を取り入れた派生言語やが多数存在する ルビー は まつもとゆきひろ 通称 により開発されたオブジェクト指向スクリプト言語 スクリプト言語とはプログラミング言語の一分類 日本で開発されたプログラミング言語としては初めて国際電気標準会議 で国際規格に認証された事例となった は年月日に生まれ 年月に上で発表された 名称の は プログラミング言語 が月の誕生石である 真珠 と同じ発音をし に続く という意味で 月の次の誕生石 月 のルビーから名付けられた 競合言語として の他に があり まつもと が に満足していれば は生まれなかったであろう と公式のリファレンスの用語集で言及されている 機能として クラス定義 ガベージコレクション 強力な正規表現処理 マルチスレッド 例外処理 イテレータ クロージャ 利用者定義演算子などがある を代替可能であることが初期の段階から重視されている と同様にグルー言語としての使い方が可能で 言語プログラムやライブラリを呼び出す拡張モジュールを組み込むことができる 処理系は 主にインタプリタとして実装されている 詳しくは 可読性を重視した構文となっている においては整数や文字列なども含めデータ型はすべてがオブジェクトであり 純粋なオブジェクト指向言語といえる 長らく言語仕様が明文化されず まつもとによる実装が言語仕様に準ずるものとして扱われて来たが 年月現在 や といった互換実装の作者を中心に機械実行可能な形で明文化する という試みが行われている 公的規格としては年月日に規格 が制定され その後年月日に日本発のプログラム言語では初めて 規格 として承認された フリーソフトウェアとしてバージョン までは ライセンス や と表記されることもある かに似た独自ライセンスを選択するデュアルライセンス で配布されていたが バージョン 以降は とのデュアルライセンスで配布されている は日本の国産言語として知られており 特にと所縁のある地域はの聖地と呼ばれている 開発者のまつもとゆきひろは の言語仕様策定において最も重視しているのはストレスなくプログラミングを楽しむことである と述べている ただし まつもとによる明文化された言語仕様は存在しない のモットー やり方はいろいろある は 多様性は善 というスローガンで に引き継がれてはいるものの最重要なものではないとも述べており 非推奨な手法も可能にするとともに そのような手法を言語仕様により使いにくくすることによって自粛を促している の公式な実装には 以下の二種類が存在する 基本的なコード 配列の作成と使用法 は ドナルド クヌース が開発し 広く有志による拡張などが続けられている組版処理システムである ドナルド クヌースが 年に自身の著書 の改訂版の準備中に 鉛版により組版された 旧版の職人仕事による美しさが 改訂版の当時の写植では再現できていないことに憤慨し 自分自身が心ゆくまで組版を制御するために開発を決意した クヌースはまず 伝統的な組版およびその関連技術に対する広範囲にわたる調査を行い その調査結果を取り入れることで 商業品質の組版ができる 柔軟で強力な組版システムを開発した それは技術と同時に芸術をも意味する言葉である テクネ から採られ と名付けられた 当初の開発は本業である研究や教育の合間仕事であったが クヌースには年に年間のサバティカルがあったことから その年間の全てをこれに集中して完成させるという見込みであった しかし実際には 同年に初版をリリースしたものの その後も改訂を続けることとなった 最終的に 後述する 完成版 の系列であるバージョンの最初のリリースは 実に年のことであった を他人が改造したり拡張したりした場合について それを直接配布することをクヌースは許しておらず というメカニズムを利用して差分を添付する という形で行わなければならない これは当時まだ と が一般的に広く使われていなかったことから これもクヌースが開発したものである この制限はいわゆる バザールモデル であるとは多少言い難い所があるが オープンソースの定義 では そのような制限との妥協の産物である 第項により 差分等を添付した再配布を許しているならば 派生物の配布にそのような制限があってもよい ということになっているため オープンソースの定義 には合致している 前述のような開発期間の長さの理由の一つに クヌースが徹底的にバグを探して潰していたから ということも挙げられる どのようなバグを修正したか ということも記録しており ある時期までのものについて解説と一覧が 文芸的プログラミング の第章と第章に収録されている そのため 残っているバグは少ないだろうとして ジョーク好きのクヌースが バグ発見者に対しては前回のバグ発見者の倍の懸賞金を掛けている この賞金は小切手 クヌース賞金小切手 で払われるが 貰っても記念に取っておくばかりなので 結局クヌースの出費はほとんどないという とはいえやはりジョークかもしれないが やめておけば良かった というように取れることも書いている クヌースは のバージョン を開発した際に これ以上の機能拡張はしないことを宣言した その後は不具合の修正のみがなされ バージョン番号は というように付けられている これは更新の度に値が円周率に近づいていくようになっていて クヌースの死の時点をもってバージョン として バージョンアップを打ち切るとのことである クヌースは の開発と同時に で利用するフォントを作成するためのシステムである も開発した こちらのバージョン番号は というように 更新の度に値がネイピア数に近づいていくようになっている さらにクヌースは を使って 欧文フォント も設計 デザイン した と略されることもある にはクヌース自身の欧文フォントに対する美的感覚が反映され 全くのプレーンな ではデフォルトのフォントであるが 現在の多くの利用者は など伝統的な定番フォントを使うよう設定していることも多い および はまた 同様にクヌース自身が提唱する文芸的プログラミング の ドキュメンテーションを主とし コードはそれに付随する スタイルによる大規模なプロジェクトの一例でもある やはりクヌースによる文芸的プログラミングのためのシステム の により そのようにして書かれている文芸的な プログラム の中から で書かれているコード部分が取り出され コンパイルできるように編集し直されて何らかの の実装により処理される 大規模なコードのため 多くの 実装において個以上のバグを見つけている ともいわれる 同様にして の を通して得られるドキュメントを書籍にしたものが と である が使われているのは開発にとりかかったのが古く 言語が広く一般的になるより前だったこともあるが 近年では言語をターゲットとした である が使われることも多い 製作者のドナルド クヌースにより以下のように要請されている は 技術 芸術 に由来し ギリシア文字の タウ イプシロン カイ である を少し下げて 字間を詰めて書く プレーンテキストなどそれができない場合には と表記する や と表記するのは誤り 英語のアルファベット エックス として読むのではなく ギリシア語風に無声軟口蓋摩擦音 ドイツ語の の で と発音するのが本来である では そのように正しく発音するとコンピュータの端末 のディスプレイ が 呼気でちょっと曇る と冗談が書かれている ディスプレイが曇るという冗談はともかく その発音が呼気を伴うものであるのは確か 英語においては 多くの方言で音素 が存在せず代わりに が使われること に由来する が と読むことから と読まれる ドイツ語では が前舌母音であることから の発音になり である 日本ではどれもカタカナで表現するのが難しいため テック ないし テフ と書かれる ドイツ語の をハ行で表現することもあるので間違いとは言い切れないものの あえてローマ字で書くなら であり 日本語の ファ行のフ である無声両唇摩擦音 ローマ字で ではない の邦訳出版など 日本での普及に大きく関与したアスキーで 編集者だった鈴木嘉平によれば アスキー社内では テック と読んでいたが 先輩編集者によれば で発音する テフ ではないとはっきり書いておかなかったのが原因で 日本には テフ が広まってしまった という はマークアップ言語のスタイルをとっている すなわち 文章そのもの テキスト と文章の構造を指定する命令 コントロールシーケンス が記述されたテキストファイルを読み込み そこに書かれた命令により文章を組版し 組版結果を 形式のファイルに書き出す 形式とは 装置に依存しない 中間形式のことである 処理系は多機能で チューリング完全である ファイルには紙面のどの位置にどの文字を配置するかといった情報が書き込まれている 実際に紙に印刷したりディスプレイ上に表示したりするためには ファイルを解釈する別のソフトウェアが用いられる ファイルを扱うソフトウェアとして 各種のビューワや など他のページ記述言語へのトランスレータ プリンタドライバなどが利用されている 組版処理については 行分割およびページ分割位置の判別 ハイフネーション リガチャ およびカーニングなどを自動で処理でき その自動処理の内容も種のパラメータを変更することによりカスタマイズできる 数式組版についても 多くの機能が盛り込まれている が文字などを配置する分解能は 約 である の扱う命令文の中には 組版に直接係わる命令文の他に 新しい命令文を定義するための命令文もある こうした命令文はマクロと呼ばれ ユーザー独自の改良により 種のマクロパッケージが配布されている 比較的よく知られている 上のマクロパッケージには クヌース自身による 一般的な文書記述に優れた 数学的文書用の などがある 一般の使用者は を直接使うよりも に何らかのマクロパッケージを読み込ませたものを使うことの方が多い の用途を拡張したマクロパッケージとして 他に次のようなものがある とそれに関連するプログラム および のマクロパッケージなどは 包括 アーカイブネットワーク からダウンロードできる たとえば スタックは コンピュータで用いられる基本的なデータ構造のつで データを後入れ先出し の構造で保持するものである 抽象データ型としてのそれを指すこともあれば その具象を指すこともある 特にその具象としては 割込みやサブルーチンを支援するために極めて有用であることから 年代以降に新しく設計された ある規模以上のコンピュータは スタックポインタによるコールスタックをメモリ上に持っていることが多い 抽象データ型としてのスタックは ノード 何らかのデータを持ち 別のノードを指し示すことができる構造 のコンテナ データを集めて格納する抽象データ型の総称 であり つの基本操作プッシュ とポップ を持つ は指定されたノードをスタックの先頭 トップ に追加し 既存のノードはその下にそのまま置いておく はスタックの現在のトップのノードを外してそれを返す よく使われる比喩として 食堂にあるバネが仕込まれた台に皿や盆を積み重ねておく様子がある そのようなスタックでは利用者は一番上 トップ の皿だけにアクセスすることができ それ以外の皿は隠されている 新たに皿が追加される される と その新しい皿がスタックのトップとなり 下にある皿を隠してしまう 皿をスタックから取る する と それを使うことができ 二番目の皿がスタックのトップとなる 二つの重要な原則がこの比喩で示されている 第一は後入れ先出し の原則である 第二はスタックの中身が隠されているという点である トップの皿だけが見えているため 三番目の皿がどういうものかを見るには一番目と二番目の皿を取り除かなければならない 多くのスタック実装では と 以外の操作をサポートしている スタックの大きさ 長さ 現在のスタックのトップのノードを返すが それをスタックから取り除かない 操作 トップではなく番目の参照 操作 入れ替え等も実装されることもある 連結リストでは だが配列による実装では その逆 等色な場合がある 個の要素のスタックが必要とするメモリ容量は つまりスタック長に比例する 個の操作が一定時間 で完了する実装は配列や連結リストを使っても簡単に実現できる 実装の詳細については別に議論する 先入れ先出し の原則を持つデータ構造または抽象データ型はキューである スタックとキューの操作を組み合わせて提供するものは両端キュー と呼ぶ 例えば 探索アルゴリズムでスタックを使うかキューを使うかによって 深さ優先探索 スタック使用 か幅優先探索 キュー使用 になる ハードウェアによるスタックの実装法には 主に次のつがある 前者は たとえばの 段のスタック がそのようなものである 後者は多くのコンピュータが持っている 以下これについて述べる 典型的なスタックはコンピュータのメモリ上に固定の基点と可変のサイズを持つ領域である 初期状態ではスタックのサイズはゼロである スタックポインタ 一般にハードウェアのレジスタが使われる はスタック内で最も後で参照された位置を指している スタック長がゼロのとき スタックポインタはスタックの基点を指す あらゆるスタックで実施可能なつの操作は以下の通りである スタック操作の基本原則には様なバリエーションがある スタックは初期状態ではメモリ上の固定の位置に配置される データがスタックに追加されると スタックポインタはデータ追加に伴うスタックの領域拡張に従って変更される そのときのスタックの延びていく方向は特に規則は無く 実装によってアドレスの小さくなる方向だったり 大きくなる方向だったりする 昔のコンピュータで ヒープ領域をアドレスの小さいほうから大きいほうへ伸ばし スタックを大きいほうから小さいほうへ伸ばす そのようにすると メモリが足りない場合はどちらを伸ばす余裕もなく 完全にメモリを使い切って計算続行不可能となる という設計にした名残りから アドレスの大きいほうから小さいほうへ伸びるものが多いが は逆である 例えば あるスタックが番地から開始して アドレスの小さい方向に延びていくとする その場合 データは番地よりも小さい番地に格納され スタックポインタはそれに伴って小さな番地を格納するようになる そのスタックからデータをすると スタックポインタに格納されているアドレスは大きくなる 初期状態の スタックポインタはスタックの基点そのものではなく その少し上か下 スタック成長方向に依存 の限界アドレスを指している場合もある しかし スタックポインタは基点を超えていくことはできない 換言すれば スタックの基点が番地でスタックがアドレスの小さい方向 番地 番地など に成長する場合 スタックポインタは決して番地を超えてはならない 番地や番地は不可 操作によってスタックポインタが基点を超えると スタック アンダーフロー が発生する 逆に操作がスタックの最大許容範囲を超えてスタックポインタを操作することになるなら スタック オーバーフロー が発生する スタックに強く依存している環境では 追加の操作を備えている場合がある 以下に例をあげる スタックは上に成長するようにイメージされることもあるし 左から右に成長するようにイメージされることもあり トップという言い方ではなく右端と言ったりもする このようなイメージはメモリ上のスタックの実際の構造とはあまり関係ない と言ったとき 一番目の要素を三番目の位置に置き 二番目を一番目 三番目を二番目の位置に置く これを二種類のイメージで表すと次のようになる スタックはコンピュータ内では通常 メモリセルのブロックで構成される そのブロックの 底 は固定の位置にあり スタックポインタが トップ のセルのアドレスを格納している 底 とか トップ という用語はスタックがアドレスの大きくなる方向に成長するか 小さくなる方向に成長するかに関係なく使われる スタックへのアイテムの により そのアイテムのサイズのぶんだけスタックポインタがずらされ 増減はメモリ空間内のスタックの成長方向に依存する 次のセルを指すようにして 新たなトップとなるアイテムをスタック領域にコピーする 詳細な実装に依存するが 操作を完了したときのスタックポインタの値はスタック上の次の未使用領域を指しているかもしれないし 現在のトップのアイテムを指しているかもしれない スタックポインタが現在のトップのアイテムを指している場合 次回の のときには最初にスタックポインタをずらさなければならない 逆にスタックポインタが次の未使用領域を指しているなら 次回の のときには最後にスタックポインタをずらすことになる スタックの 操作は の逆となる とは逆の順番でスタックのトップのアイテムが取り出され スタックポインタが更新される 以上のようなスタックは 特にコールスタックに使われる 多くのプロセッサはスタックポインタとして使用可能なレジスタを持っている のようなプロセッサは専用のスタックポインタレジスタを持っている 他の やファミリなどは アドレッシングモードによって任意のレジスタをソフトウェア的にスタックポインタとして使用できるようになっているが 普通は割込みや命令が操作するレジスタやレジスタを使う の多くはそのように特別扱いされるようなレジスタを持たず どのレジスタをスタックポインタとして使うかは通常で決めており ソフトウェアでスタック処理をおこなう シリーズの数値演算コプロセッサはスタックアーキテクチャである 一部のマイクロコントローラ 例えばいくつかの は固定サイズのスタックを内蔵しており その任意の位置に直接アクセスすることはできない 以上のようなスタックポインタによるスタックではなく 直接ハードウェアで実現したスタックを持つコンピュータもある なお 以上のようなスタックがあるコンピュータをスタックマシンとするのは間違いである 詳細は後述のスタックマシンについての記述を参照すること この節では 抽象データ型としてのスタックのソフトウェアによる実装について述べる 高水準言語では スタックは配列や線形リストを使って効率的に実装可能である では任意のリストに対して や に相当する関数 が がである を使用可能なので スタックを実装する必要は無い 逆ポーランド記法を使用している電卓 の関数電卓など は 値を保持するためにスタック構造を使う 式は 前置記法 中置記法 後置記法のいずれかで表現される ある記法から別の記法への変換にはスタックが必要となる 多くのコンパイラは低レベルな言語に翻訳する前の構文解析のためにスタックを使用する 多くのプログラミング言語は文脈自由言語であり スタックベースの機械で構文解析することができる ちなみに自然言語は文脈依存言語であり スタックだけではその意味を解釈することはできない 例えば という計算は 交換法則と括弧を優先するという前提で 次のように後置記法 逆ポーランド記法 に変換できる この式はスタックを使って左から右に以下のように評価できる 具体的には以下のようになる スタック は 操作 した後の状態を示している 最終的な演算結果は で 終了時にスタックのトップに置かれている 探索問題を解くとき 総当り的か最適化されているかに関わらず スタックを多大に必要とすることが多い 総当り探索の例としては 力まかせ探索やバックトラッキングがある 最適探索の例としては 分枝限定法 やヒューリスティックによる解法がある いずれのアルゴリズムでも 発見してはいるが探索していない探索ノードを覚えておくのにスタックが必要となる スタックを使う以外の手法としては再帰を使う方法があるが これはコンパイラが生成するコードが内部的に使用するスタックで代替しているだけである スタックを使った探索は幅広く使われており 木構造の単純な幅優先探索や深さ優先探索から クロスワードパズルを自動的に解くプログラムやコンピュータチェスゲームでも使われている ある種の問題はキューなどの別のデータ構造を使って解くこともでき 探索順を変えたいときに有効である ほとんどのコンパイルされたプログラムは実行時 ランタイム 環境においてコールスタックを使用し プロシージャ 関数呼び出しに関する情報を格納するのに使っている そして 呼び出し時のコンテキスト切り替えや呼び出し元への復帰の際に使用して 呼び出しの入れ子を可能としている そのとき 呼び出される側と呼び出し側の間には引数や返り値をスタックにどう格納するかという規則が存在する スタックは関数呼び出しの入れ子や再帰呼び出しを実現するための重要な要素となっている この種のスタックはコンパイラが内部的に使用するもので プログラマがこれを直接操作することはほとんど無い コールスタック内に関数の呼び出し毎に作られるフレームをスタックフレームと言い それをたどって トレースして 得られる呼び出しの情報をスタックトレースと言う プログラミング言語によっては プロシージャ内のローカルなデータをスタックに格納する ローカルなデータの スタック上の 領域はプロシージャに入ってきたときに割り当てられ 出て行くときに解放される 言語はこのような手法で実装されている典型例である データとプロシージャ呼び出しに同じスタックを使うことは重大なセキュリティ問題を引き起こす可能性があり プログラマはそのようなバグを作りこんで深刻なセキュリティ問題を発生させないように気をつける必要がある たいていの場合 プロシージャ内のローカルなデータとプロシージャ呼び出しに関する情報は共通のスタックに格納されている つまりプログラムは プロシージャ呼び出しのリターンアドレスという極めて重要な情報を保持しているスタックに対して データを出したり入れたりしているのである データをスタック上の間違った領域に書き込んだり 大きすぎるデータをスタックに書き込んだりして リターンアドレスが壊されると プログラムが異常動作することになる バッファオーバーラン攻撃 悪意ある者がこの種の実装を逆手にとって 入力データのサイズをチェックしていないプログラムに大きすぎるデータを入力したりする そのようなプログラムはデータをスタック上に格納しようとしてリターンアドレスを壊してしまう 攻撃者は実験を繰り返し リターンアドレスがスタック領域内 特に攻撃者の入力データが書き込まれた領域内 を指すようになる入力データのパターンを見つけ出し 許可されていない操作をするような命令列を入力データに含ませることでセキュリティを破る こうした攻撃に対してプログラマはスタックの扱いに注意する必要がある いくつかのプログラミング言語はスタック指向である スタック指向言語は 基本操作 二つの数の加算 一文字表示など でスタックから引数を取ってくるようになっていて 結果をスタックに返すようになっている言語である たいていは複数のスタックを使うよう設計されており 典型的なは 引数受け渡しのためのスタックとサブルーチンのリターンアドレスのためのスタックを持つ はリターンスタックとオペランドスタックを持ち グラフィックス状態スタックと辞書スタックも持っている 日本語プログラミング言語のもベースである 機械語命令の体系がスタック指向プログラミング言語に類似している すなわち 命令のオペランドがスタックであるマシンをスタックマシンと言う 最も有名なものとしてバロース がある は 高水準言語 のサポートを目的として 前述のコールスタックもアーキテクチャでサポートしているが コールスタックをアーキテクチャでサポートしている という意味では スタックマシン の語は使わない また等でも スタックポインタ間接参照によってスタックマシンのように使うことはできるが 普通あまりスタックマシンとはしない 多くの仮想機械もスタックマシンであり 例えば コードマシンや仮想マシンなどがある の命令もスタックマシン的である これに対し オペランドがレジスタのマシンをレジスタマシンと言う 多くの実機がレジスタマシンであるため実機に対してこの語が使われることは少ない 仮想機械では の仮想機械がレジスタマシンである スタックを使った式評価方法を最初に提案したのはドイツの初期のコンピュータ科学者フリードリッヒ バウアーであり その業績により年 からコンピュータパイオニア賞を受賞した 地震 じしん という語句は 以下のつの意味で用いられる 地震を専門とした学問を地震学という 地震学は地球物理学の一分野である 地下の岩盤には様な要因により力 ひずみ がかかっており 急激な変形によってこれを解消する現象が地震である 地球の内部で起こる地質現象 地質活動 の一種 地震に対して 地殻が非常にゆっくりとずれ動く現象を地殻変動と呼ぶ 地震によって変形した岩石の断面を断層といい 地下数 から数十 の深さにあって地表までは達しないことが多いが 大きな地震の時にはその末端が地表にも現れて地表地震断層となる場合がある 一度断層となった面は強度が低下するため繰り返し地震を引き起こすと考えられている 特にカリフォルニアにあるサンアンドレアス断層は 以上に及ぶ長大なもので繰り返し地震を起こしており 日本の地震学者に地震と断層の結びつきを知らせたことで有名で 日本では兵庫県南部地震の野島断層 濃尾地震の根尾谷断層 北伊豆地震の丹那断層などが有名である 地震によって生じる振動は高速の地震波となって地中を伝わり 人間が生活している地表でも地震動として感じられる 地震波は波の一種であり 地中を伝わる波 実体波 と地表を伝わる波 表面波 に大別される 実体波はさらに 速度が速い波 たて波 疎密波 と 速度が遅い波 横波 ねじれ波 に分けられる 地震のはじめに感じられることが多い細かい震動 初期微動 は波 地震の激しい震動 主要動 は主に波による 波と波は伝わる速度が違うので 波と波の到達時間の差である初期微動の時間が震央と観測地点との間の距離に比例する 初期微動が長いほど震源は遠い 初期微動が長くかつ主要動が大きい場合は 震源が遠いにも関わらず振幅が大きいので 大地震の可能性が考えられる また 波は波よりも速いので 波を検知したときに警報を出せば被害が軽減できることから 緊急地震速報や緊急停止システムで応用されている 地下で断層が動いた時 最初に動いた地点を震源と呼び 地上における震源の真上の地点を震央と呼ぶ テレビや新聞などで一般的に使用される震源は震央の位置を示している 震源が動いた後もまわりに面状にずれが生じ 震源域と呼ばれるずれた部分全体が地震波を発する 地震波の速度はほぼ一定であり上記のように異種の波がある性質を利用して 地震計で地震波を観測することにより 地点以上の観測で観測地点から震央までの距離 地点以上の観測で震央の位置 地点以上の観測で震源の深さを求めることができる この算出式は大森房吉が年に発表したので 震源の 大森公式 と呼ばれている このほかに地震を含めた地下の諸現象の解明や 核実験の監視などに有用であることから世界的に地震観測網が整備されている 日本は地震災害が多いことから地震計や震度計が数千か所の規模で高密度に設置され 気象庁による迅速な地震情報発表や緊急地震速報などに活用されている なお 一つの地震の地震波にはいろいろな周期 周波数 の成分が含まれており その違いによって被害が異なるほか 近隣の地域でも表層地盤の構造や建物の大きさ 形状によって揺れ方が大きく異なることが知られている 詳細は後述参照 また地震は 震源の深さによって 浅発地震 稍 やや 深発地震 深発地震のつに分類される 前者の境界は または とされる場合が多く 後者の境界は または とされる場合が多いが 統一した定義はない 震源が深い地震は同じ規模の浅い地震に比べて地表での揺れは小さい ただし 地下構造の影響により震央から離れた地点で大きく揺れる異常震域が現れることがある このほかに地震を特徴付けるものとして 発震機構とよばれる断層の動き方 後述 や地震の大きさなどがある 地震の大きさを表現する指標は主に系統あり それぞれいくつかの種類がある は指数関数 震度は非線形関数であり 数字の大きさと実際の物理量は比例関係ではない 詳細は後述参照 比較的大きな地震は 地震活動に時間的 空間的なまとまりがあり その中で最も規模が大きな地震を本震と呼ぶ ただし 本震の区別が容易でない地震もあり 断層のずれの程度や前後に起こる地震の経過 断層の過去の活動などを考慮して判断される 本震に対して その前に起こるものを前震 その後に起こるものを余震という 被害をもたらすような大地震ではほぼ例外なく余震が発生し 余震により被害が拡大する例も多い 大きな地震であるほど 本震の後に起こる余震の回数 規模が大きくなるが 余震の 改良大森公式 に従って次第に減少する この公式から余震の発生確率を予測したり 活動度の低下から大きな余震の発生を予測する研究も行われている 余震の発生する範囲は震源域とほぼ重なる なお 大地震の地殻変動の影響で震源域の外で地震活動が活発になる場合があり これを誘発地震という 本震と呼べるようなひとまわり規模の大きな地震がなく 同規模の地震が多発するものを群発地震という また年代以降普及した呼称だが 同じ断層で数十年から数万年以上の間隔で繰り返し発生するものを固有地震 相似地震 といい 大地震と呼ばれるような複数の固有地震が同時または短い間隔で発生 主に隣接するセグメントを破壊 するものを連動型地震という また 地震のメカニズム解明の過程でプレートのテクトニクス 動き との対応関係から地震は種類に大別されており それぞれ発生地域 揺れの大きさや被害の傾向が異なる 詳細は後述参照 大きな地震はしばしば建造物を破壊して家財を散乱させ 火災 土砂災害などを引き起こし 人的被害をもたらす 典型的な自然災害のつである 地震予知の研究も行われているが 天気予報のような科学的な予報 予知が確立されておらず 前触れもなく突然やってくる そのため 建造物や地盤の強度を調べて補強する 震災時の生活物資を備蓄する 避難計画を立てるなど 災害に備える 防災 や災害を軽減する 減災 の考え方から対策をとり いつ来てもいいように 備えるのが一般的である また 海域で発生する大規模な地震は津波を発生させ 震源から遠く揺れを感じなかったところにも災害をもたらすことがある そのため 学術的な研究などの目的に加えて 津波の発生を速報する目的で 各国の行政機関や大学等によって地震の発生状況が日監視されている 年チリ地震以降 初めて太平洋全域の津波警報システムが整備され 年のスマトラ島沖地震以降はその態勢も大きく強化され インド洋でも整備されている 地球の表層はプレートと呼ばれる硬い板のような岩盤でできており そのプレートは移動し プレート同士で押し合いを続けている そのため プレート内部やプレート間の境界部には 力が加わり歪みが蓄積している これら岩盤内では 岩盤の密度が低くもろい 温度 粘性 が高い 大きな摩擦力が掛かっているなどの理由で歪みが溜まりやすい部分がある ここで応力 ストレス が局所的に高まり 岩体 岩盤 の剪断破壊強度を超えて 断層が生じあるいは既存の断層が動くことが地震であると考えられている 断層はいわば過去の地震で生じた古傷であり 地殻に対する応力が集中しやすいことから 断層では繰り返し同じような周期 再来間隔 で地震が発生する 断層の大きさは数百 から数千 まであり またその断層の再来間隔も数年から数十万年とさまざまである 断層の中でも 数億年から数百万年前まで動いていて現在は動いていないような断層があり そのようなものは古断層といって地震を起こさない 一方 現在も動いている断層を活断層という 日本だけでも約 の活断層がある ただし 活動の有無を判別するのが難しい断層や大規模探査を行わなければ発見できない断層もあって 古断層といわれていた断層や知られていなかった断層が動いて地震を起こした例もあるため 防災上注意しなければならない 岩盤内で蓄積される応力は 押し合う力だけではなく 引っ張り合う力や すれ違う力など様な向きのものが存在し それによって断層のずれる方向が変わる 押し合う応力は断層面の上側が盛り上がる逆断層 引っ張り合う応力は断層面の下側が盛り上がる正断層 すれ違う応力はほぼ垂直な断層面の両側が互い違いに動く横ずれ断層を形成する 多くの断層は 正断層型 逆断層型のずれ方と 横ずれ断層型のずれ方のどちらかがメインとなり もう一方のずれ方も多少合わさった形となる よくテレビ番組でプレート境界が瞬間的にずれて跳ね上がり その動き自体が地震の揺れ 地震動 地震波 と同一であるかのような説明があるが 短周期の揺れは ずれるときの摩擦の振動であり 断層型地震等の最終的な揺れの主因は 地上での岩石の破壊実験で生じる振動からも 摩擦面で起きる破壊とされている 震源域が広くずれが生じている時間が長ければ それだけ長く揺れ続ける 津波は 海底のずれの動きそのものが海水に伝わって起きる 地震の始まりは 岩盤内部の一点から破壊が始まり 急激に岩盤がずれて歪みを解放し始めることである 破壊が始まった一点が震源であり 破壊されてずれた部分が断層となる このずれた部分は 地震波を解析する段階では便宜的に平面 断層面または破壊面と呼ぶ と仮定し 断層面の向き 走向 や断層面の鉛直方向に対する角度 傾斜 震源の位置 地震の規模などを推定する 震源断層が曲がったり複数あったりする場合は 後の解析や余震の解析により推定される 以下は実際の例である このようにして破壊が終結すると 一つの地震が終わることになる この断層面の広さとずれの大きさは 地震の規模と関連している 多くの場合 断層面が広く ずれが大きくなれば大地震となり 逆に小さな地震では破壊は小規模である こうして一つの地震が終結しても 大地震の場合は断層面にはまだ破壊されずに残っていて 歪みをため込んでいる部分がある それらの岩盤も 余震によって次第に破壊が進む 本震の前に発生することがある前震は 本震を誘発するものだという説 本震に先駆けて起こる小規模な破壊だという説などがあるが はっきりと解明されていない 本震の後に余震が多数発生する 本震 余震型 や それに加えて前震も発生する 前震 本震 余震型 の場合は 応力が一気に増加することで発生すると考えられている 一方で群発地震の場合は 応力が比較的緩やかなスピードで増加することで地震が多数発生すると考えられている 地震発生までのメカニズムは徐に明らかになっているが 地盤や岩盤に溜まった応力の解放を促している引き金が何であるかはほとんどが謎のままになっていて はっきりとした特定はなされておらず 様な説が展開されている この引き金に関しては 相関性の比較により統計学的に相関を見出すことは可能であるが それが因果関係であるかを同定するのは地震学的な研究に頼るもので 分野が少し異なる 一般的に 地震の規模を表す指標としては エネルギー量を示すマグニチュードを用い と表記する マグニチュードには算定方法によっていくつかの種類があり 地震学では各種のマグニチュードを区別するために に続けて区別の記号を付ける 地震学ではモーメントマグニチュード が広く使われる 日本では気象庁マグニチュード が広く使われる 他にもそれぞれの観測機関によって使用されるマグニチュードのタイプが異なる場合もあるが その値は差異ができるだけ小さくなるように定められている これらは最初にマグニチュードを定義したチャールズ リヒターのものの改良版であり 基本的に地震動の最大振幅の常用対数を基礎とする モーメントマグニチュードを除き いずれのタイプも 程度以上の巨大地震や超巨大地震ではその値が頭打ちになる傾向を持つ この弱点を改善するために 地震学では地震モーメントから算出されるモーメントマグニチュード が地震の規模を表す指標として用いられることが多く これを単に と表記することも多い アメリカ地質調査所 など 日本では 気象庁が独自の定義による気象庁マグニチュード を発表しており 日本ではこれを単に と表記することも多い これに対し 多くの国では表面波マグニチュード や実体波マグニチュード のことを 単にマグニチュードと呼ぶことが多い が大きくなるとエネルギーは約 倍 大きくなるとちょうど 倍となる 人類の観測史上最も大きな地震 つまりマグニチュード が最も大きかったのは 年のチリ地震 である ある地震のマグニチュードであっても 機関によって異なったり 複数の値を発表する場合がある 例えば東北地方太平洋沖地震のマグニチュードは とされているが これはモーメント マグニチュードであり 従来の気象庁マグニチュードでは である なお発生直後から数度訂正されていて 気象庁マグニチュードで と速報したが 後に と修正し さらにモーメントマグニチュードで と発表し 最終的に とした アメリカ地質調査所 は独自にモーメントマグニチュード と発表している 地震動の大きさを表す数値として 速度や加速度 変位などがある 建築物や土木構造物の設計の分野では 応答スペクトルや値という指標も 地震動の大きさを表す方法として広く用いられている 一般的には 人体感覚 周囲の物体 建造物の被害の大きさなどを考慮して 地震動の大きさを客観的に段階付けた震度という指標が用いられる 震度については 日本では気象庁震度階級 通称 震度 アメリカ合衆国では改正メルカリ震度階級 ヨーロッパではヨーロッパ震度階級 諸国やイスラエル インドなどでは震度階級が現在使用されているほか ほかにもいくつかの指標がある 地震の規模が大きいほど震度は大きくなる傾向にあるが 震源域からの距離や断層のずれの方向 断層の破壊伝播速度 地盤の構造や性質 地震波の特性などによって地上の揺れは大きく異なる 水や空気が多く含まれ土壌粒子の固結が弱い柔らかい地層ほど また新しい地層であるほど揺れが増幅され 一般的には軟弱地盤と呼ばれるような平野部や河川沿いや埋め立て地が揺れやすい傾向にあるが 地盤改良や基礎方式によって揺れを低減することが可能である 例えば東北地方太平洋沖地震は震度とされているが 震度は最大震度であって 公式に観測されたのは宮城県栗原市だけであり 例えば島嶼部を除く東京都では震度強 千代田区大手町など地点 震度 奥多摩町など地点 であった 各市町村の震度 各地域の震度 はその市町村 地域内に設置されている複数の観測点のうち最も揺れが大きかった値である また 震度はその地域を代表する地点に設置された震度計が示す目安値であり 実際の土地に当てはめれば地盤の状態によって近傍の観測点に比べ最大程度の差が生じるので 必ずしも被害状況と地点震度が一致しない場合がある 地震の揺れの速度を表す単位として カイン センチメートル毎秒 がある また 地震の揺れによる加速度を表す単位として ガル センチメートル毎秒毎秒 がある 秒間にカインの加速度がガルである 重力加速度を超えることもありどんな重いものでも 固定していなければ床に対して動く プレートテクトニクスの観点から地震を分類することができ 大きく分けて通りの分け方がある つは断層で起こるもの 構造地震 とそうでないものに分けるやり方で もうつは複数のプレートの間で起こるもの プレート間地震あるいはプレート境界地震 とプレート内部で起こるもの プレート内地震 に分けるやり方である 後者はよく使われており さらに細かい分類もされている 以下に分類と主な日本語呼称を挙げる 上の分類とは別に 火山体周辺で起こるもの 火山性地震 を特別に分ける場合がある マグマや火山ガスの移動が地震を起こすほか 周囲よりも地殻が破砕されて弱いために応力が集中して地震が起こるなど いくつかのメカニズムが知られている また 人工的な発破の振動などにより発生する人工地震も存在する これに対して 自然に発生する地震を自然地震と呼ぶことがある なお ダムなど人工的な要因により引き起こされる自然地震もあり 誘発地震と呼ぶ場合がある 防災上の観点では これらとは別に直下型地震 内陸地震 という分類を用いることがある 居住地域の直下で起こる浅発地震を指し 地域によってはプレート内地震だけではなくプレート間地震も起こる 南関東直下地震などの 都市で発生する直下型地震はリスクが大きいことから重要視されている また 地震動が小さい割に大きな津波が起こる地震を津波地震といい 顕著な例として年の明治三陸地震がある 地震に関連するものとして 振動を起こさないスリップあるいは滑りと呼ばれる現象がある 全く振動を伴わないものもあれば 付随して弱い低周波の振動を伴う低周波地震や 低周波微動などがあることが知られている プレート同士の境界は 収束型 海溝と衝突型境界に細分される 発散型 すれ違い型 トランスフォーム断層 の種類に分けられる 発散型やすれ違い型は 地震が起こる範囲がプレート境界の周辺だけに限られ 震源の深さもあまり深くない 一方 収束型のうち海溝はしばしば規模の大きな地震を発生させ 衝突型は地震が起こる範囲が広く震源が深いことも多い 海洋プレートが沈み込んでいる大陸プレートの端の部分では 海溝から数百 離れた部分まで含む広い範囲に海洋プレートの押す力が及ぶ その力はプレートの内部や表層部にも現れるため プレートの表層部ではあちこちでひび割れができる このひび割れが断層である 周囲から押されている断層では 押された力を上下に逃がす形で山が高く 谷が深くなるように岩盤が動く 逆断層 また 大陸プレートの一部分では 火山活動によってマグマがプレート内を上昇し プレートを押し広げているような部分がある また 周囲から引っ張られている断層でも 引っ張られた力を上下に逃がす形で山が高く 谷が深くなるように岩盤が動く 正断層 また 押される断層 引っ張られる断層であっても 場所によっては断層が水平にずれ 岩盤が上下に動かないこともある 横ずれ断層 このようなタイプの地震を内陸地殻内地震あるいは大陸プレート内地震と呼ぶ 伊豆半島やニュージーランドなどは海洋プレート上に位置しているが これらの場所で起こる内陸地殻内の地震もこのタイプの地震として扱われることがある このタイプの地震では地表に断層が出現しやすいため 断層型地震 活断層型地震などとも呼ぶが プレート間 大陸プレート内 海洋プレート内地震は全て断層運動によって発生することに注意する必要がある 内陸の断層は都市の直下や周辺にあることも少なくなく 直下型地震とも呼ぶが 関東地震のように陸地の直下を震源とする海溝型地震もあるため それと区別する意味で 陸域の浅い場所を震源とする地震 のような言い方もされる 地震の規模は活断層の大きさによるが 多くの断層は 大きいものではに達する 海溝型地震と同じように 長い断層はいくつかの領域に分かれ 別に活動する 同一の活断層での大きな地震の発生は 数百年から数十万年に回の頻度とされている 都市の直下で発生すると甚大な被害をもたらすことがあるが 大きな揺れに見舞われる範囲は海溝型地震と比べると狭い領域に限られる 初期微動を検知するという原理上 緊急地震速報が間に合わないこともある アメリカ西海岸 ニュージーランド 日本 中国 台湾 フィリピン インドネシア アフガニスタン イラン トルコ ギリシャ イタリア スイスなどに活断層が密集しており 大きな断層型地震が頻発する このタイプの地震はしばしば甚大な被害をもたらすため 将来の地震発生予測を目的に 年以後日本全土の活断層が調査され 危険な断層を順次評価している 兵庫県南部地震の前に公表された活断層の地図には他の大断層類と同時に 危ない断層 として有馬 高槻 六甲断層帯が危険と表示されていた この調査は以後も継続して続けられている 一方 ヨーロッパ中部 北部 アメリカ中部 オーストラリアなどには 過去の造山運動に伴ってできた断層があるが その中には現在も動いている活断層がある このような断層は 時動いて最大で 程度の地震を起こし 稀に被害が出ることもある また そのような地域でもニューマドリッド断層帯のように活断層が存在し 頻繁に活動している場合がある 沈み込みの運動をしている海洋プレートでも地震が発生する このようなタイプの地震を海洋プレート内地震あるいはプレート内地震と呼ぶ 単にプレート内地震と呼ぶときはほとんどの場合このタイプを指し 大陸プレート内地震は含まれない プレート間地震と合わせて海溝型地震と呼ぶこともある 海洋プレートにおける地震は大きく以下の種類に分けられる 沈み込んだ海洋プレート では震源が深くなる傾向にあり これから沈み込む海洋プレート では浅くなることが多い 海溝の周辺の火山弧 ホットスポット 海嶺 ホットプリュームの噴出地域では マグマの移動や熱せられた水蒸気の圧力 火山活動に伴う地面の隆起や沈降が原因となって地震が発生する これらの地震を火山性地震という 火山性地震は断層の動きだけでは説明できない部分があるので 上記の分類とは分けて考えることが多い 地震動も上記の地震とは異なる場合がある 火山性地震は地震動の性質からつのタイプに分けられる 波と波が明瞭で 一般的な断層破壊による地震と大差がない型地震 および紡錘型の波形を持つ型地震である 型地震はさらに周期の違いによって型地震と型地震に分けられる 広義では火山性微動も地震に含む また 火道の圧縮やマグマの爆発 爆縮によって 一般的な断層破壊では見られない特殊な発震機構 メカニズム を持つ地震も起こりうる 主に人為的な原因や人工物の影響で引き起こされる地震 なお 人為的によらない外部的な要因としては 様な自然現象などが地震の引き金になっている可能性も指摘されている 詳細は後節の 地震とは異なり 断層のずれを伴わずに地表に揺れを引き起こす発震現象 日本 大和民族 では古来より 地中深くに大ナマズが存在し その大ナマズが暴れることにより大地震が起きる という俗説が信じられていた 現代においてもよく知られた俗説だが ナマズが地震を予知できる根拠は見つかっていない 江戸時代には安政の大地震を期に鯰絵と呼ばれる錦絵が流行するなど 日本人にとって地震とナマズが身近な関係にあったことが伺える また 鹿島神宮にはこの大ナマズを抑えるという要石があり 地震の守り神として信仰されている 地震避けの呪歌に 万葉集の歌を使った ゆるぐともよもや抜けじの要石鹿島の神のあらむ限りは 要石は動きはしても まさか抜けることはないだろう 武甕槌神がいる限りは というものがある 北海道のアイヌには 地下には巨大なアメマスが住んでいる これが暴れて地震が起きる という 日本 大和民族 とよく似た伝承があった そこで地震が発生すれば 地震鎮めの呪いとして囲炉裏の灰に小刀や火箸を刺し アメマスを押さえつけるまねごとをした 鵡川町から平取地方では 地震が発生した際に イッケアトウエ エイタカシュ アエオマ おとなしくしないと腰を突き刺すぞ などの呪文の文言を叫び舞う儀式の記録が保存されている 台湾では 地中深くに牛が存在し その牛が寝返りをうつと地震を起こすという伝説がある 中国では古来から 陰陽説の考え方を背景にして 地震とは陰の性質を持った大地から陽の性質を持った大気が出てくるときに起こるものという説明があった また福建省では 地震を起こすのはネズミであると言う神話上の伝承が存在する 北欧神話においては地底に幽閉されたロキが 頭上から降り注ぐ蛇の毒液を浴びたときに震えて地震が起きるとされている 詳細はロキを参照のこと ギリシア神話ではポセイドンが地震の神とされた フィンランドの先住民族は 地震が起こるのは大地の下で 大地を支える死の国の老人の手が震えるからとされている 北アメリカでは クジラが地震や津波を起こすとされ 海に棲むウンセギラという巨大な雌水蛇が大津波をおこす メキシコ マヤ民族のツォツィル語系インディオでは 大地の本または本の支柱が揺れ動くと地震がおこるとされている 古代エジプトでは 大地の神ゲブの笑い またはヌトと離れた悲しみが地震をおこすという 仏教では 地震は傲慢と不平が原因で起こされる自然災害であり 自然災害が起きるのを防ぐには戒 定 慧を勤修し 三毒を息滅することが必要だと教えている 古代ギリシアでは 自然哲学者アナクシメネスが土が大地の窪みにずり落ちることが原因だと考えた アナクサゴラスは地下で激しく水が流れ落ちることを原因と考えた その後 アリストテレスは四元素説を基に 地震は地中から蒸気のようなプネウマ 気 空気 が噴出することで起こると説明した これらを受けて セネカは地下での蒸気の噴出によって空洞ができ そこの地面が陥没するときに地震が起こるという説を立てた 時は変わって アラビアではイブン スィーナーが 地面が隆起することが原因だとする考えを示した また世紀に入って リチャード ディクソン オールダムが地球の核 コア を発見 ベノー グーテンベルグがグーテンベルク不連続面を発見するなどし 地球物理学が次第に進展するとともに アルフレート ヴェーゲナーの大陸移動説から発展したマントル対流説や海洋底拡大説がプレートテクトニクスにまとめられ 地震の原因として断層地震説と弾性反発説が定着した ただ 断層地震説と弾性反発説によって一度否定された岩漿貫入などは 説を補完する説として考える学者もいる また 地球空洞説に原因を求めるなど これらとはまったく異なる説を展開する学者や思想も 少数ながら存在している 地表では 波による揺れが始まってから波が到達するまでは 初期微動と呼ばれる比較的小さい揺れに見舞われる その後 波が到達した後は主要動と呼ばれる比較的大きい揺れとなる 震源から数十 以上と離れている場合にはこのような揺れの変化が感じられるが 震源が近い場合は波と波がほぼ同時に到達するため分からない また震源から近い場所では 波が到達する前後にレイリー波も到達し 同じく揺れを引き起こす 波は液体中を伝播しないため 海上の船などでは 波のみによって発生する海震と呼ばれる揺れに見舞われる 被害を引き起こすような揺れのもとは主に波だが レイリー波 ラブ波 波も振幅や周期によっては被害を引き起こすような揺れとなる また 揺れの大きさは震源からの距離に比例すると思われがちであるが 厳密には 震源域からの距離 に比例する 一方で 地盤の特性により思わぬところで揺れが大きくなる場合がある 例えば 阪神 淡路大震災を引き起こした兵庫県南部地震では 震度の被害地域が 震災の帯 と呼ばれる帯状に生じた これは震源域である断層直上であることが原因のつだったほか 地盤の柔らかい大阪平野が阪神間に帯状に伸びていたこと 六甲山地と大阪平野の境界部で地震波の干渉や増幅が発生したことが原因とされていて 震災の帯 は震源から約 離れた地域まで延びている 地震波 地震動の周期は 被害を受ける構造物と一定の関係性がある 構造物にはそれぞれ 固有振動周期の地震波に共振しやすい 周波数が違うと曲げ ねじれ 伸縮などの変形の 型 も変わるといった 地震動を受けた際の振動特性があり 地震工学や建築工学においては重要視される 構造計算においては さまざまな固有振動周期や減衰定数をもつ構造物の応答スペクトルを解析して 地震動に対する構造物の特性をみる 例えば 日本家屋のような木造住宅は周期秒前後の短周期地震動が固有振動周期にあたるため 周期秒前後の地震動によって共振が発生し非常に強く建物が揺さぶられ 壊れやすく被害が拡大しやすい この周期の地震波はキラーパルスと呼ばれており 兵庫県南部地震の波形がそうであった 一方 高層建築物は周期秒以上の長周期地震動が固有振動であり 地震波が堆積盆地を伝わる過程で増幅しやすい長周期地震動によって 平野部の高層建築物の高層階では大きな被害が発生する 一般的に規模の大きな地震ほど周期が長い地震動の大きさ 振幅 も増す傾向にあり 周期が長いほど低減衰のため遠くまで到達して被害をもたらす このほかに を超えるような巨大地震の際に観測される 超長周期地震動または地球の自由振動と呼ばれる周期数百秒以上の地震動がある この超長周期地震動の中には地球の固有振動周期に当たる地震動もあり 地球全体が非常に長い周期で揺れることもある なお 地震波 地震動の周期は地震の規模や震源距離に関係が深い 大地震と称される程度までは短周期が卓越し それ以上になると規模が大きいほど長周期が卓越する傾向にあり 海溝型の巨大地震では長周期地震動が大きくなると考えられている また 周期が長いほど減衰しにくいため 震源から遠いほどゆっくりとした揺れを感じやすい傾向にある 規模の大きな地震では 短周期の振幅が規模と比例しないため 長周期の波形から モーメント マグニチュードを算出する 地下の構造 特に地面に近い表層地盤の構造 表層地盤増幅率 や地下のプレートの構造によって 地震動全般に対する揺れやすさ 揺れやすい周期 あるいは地震波の伝わり方が異なる そのため地震の際 震度が震央からの距離に完全に相関して きれいに同心円状に分布することはほぼない 稀に震央と異なる地域で揺れが最も大きくなることがあり 異常震域と呼ばれる 一般的に 地表の含水率や間隙率が高い泥質地盤が最も揺れやすく 礫が多くなり岩盤に近くなるほど揺れにくくなる また 完新世 万年前以降 に堆積した沖積層など新しい層に厚く覆われていると揺れやすく 洪積層 更新世 万年 万年前 やそれ以前 新第三紀かそれ以前 の層に覆われていると揺れにくい傾向にあるが 一概には言えず 厳密には地盤調査による値や基盤岩深度などから推定する また表層が砂質地盤で地下水位が高い場合は揺れに伴って液状化現象や側方流動が起こる また 多くの地震計は周期 秒前後の地震動を感知しやすいため 周期 秒で大きく周期秒で小さい地震では震度に比べて被害が軽かったり 逆に 周期 秒で小さく周期秒で大きい地震では震度に比べて被害が甚大だったりといったことが起こる ただし これには地震計の設置場所と地下構造の問題もあるとされる 主な地震の震源を地図にして地球の表面を概観すると プレートテクトニクス理論における 環太平洋造山帯 や アルプス ヒマラヤ造山帯 の周辺は地震が特に多い地域があることが分かる 前述のつの造山帯も含めた新期造山帯で最も地震が多く世界の地震活動の大部分を占める このほか ヨーロッパ西部やアジア北部などの古期造山帯でも比較的多く地震が発生する これらの地域は造山帯または地震帯 火山に着目した場合火山帯とも呼ぶ と呼ばれ 地殻や地面の活動 移動 が活発で 地震も活発である しかし この地図はあくまで一定期間に発生した地震を集計したものであり 地震の起こりやすさ を表したものだが この地図で地震が少ない国 地域 カナダ ロシア ブラジル アフリカ大陸など でも絶対に地震が発生しない とはいいきれず どの陸地でも地震は発生しうる ただし 地震の多い地域と 地震による被害が大きい地域は異なる 地盤の揺れやすさ 人口密度の大小 建造物の強度 社会情勢などによって被害や救助復旧の様子が異なるためである 一方 同じ地域においても 地震が発生する時間や時期などによっても被害は異なり 例えば調理を行う食事時間前や暖房を多く使う時間帯においては火災の多発 大都市では平日昼間における帰宅困難者の発生などが挙げられる また 地震の規模が大きくなるほど断層の長さが長くなり 被害地域が広くなる傾向にある 津波が発生した場合は 揺れが小さい沿岸部や揺れが全くなかった遠隔地に津波が押し寄せ被害をもたらす ハワイ諸島などは太平洋の中心にあって周囲に島が少ないため 環太平洋各地の遠隔地津波を受けやすいことで知られる 地球上で年間に現行のネットワークで現行の機器で観測される地震回数は約万回と推定されており その内万回が有感地震である 年間に以上の地震が平均約 回 以上の地震が平均万回発生している 数の上では 世界で発生する地震の割程度が日本付近で発生しているといわれ また年から年の期間では世界で発生した以上の地震の割が日本で発生しているとの統計があり 客観的に見ても日本は地震の多い国と考えられる 地震の発生の頻度が過去と比べて増加したかどうかということは 局地的に見ることはできても 全世界的に見ることは現状では難しい 地震の発生数のデータは 地震計の精度の向上や観測点のネットワークの状況などに左右される 世界的に見ても目が細かい日本の高感度地震観測網でも年代後半以降のデータであり 世界を見ても微小地震 極微小地震を捉えられるような観測網は少なく 海底となればその傾向は顕著である 防災上 地震を引き起こす可能性の高い活断層の存在は注目される 日本では主要な数百の活断層の位置と再来間隔や規模などが調査 発表されている 活断層と同様に活褶曲も地震を発生させうるほか 活断層が無い地域に新たに断層が発生する可能性も否定できない そのため 活断層の調査を中心とした地震防災に対する批判も存在している 地球上の活断層 地溝 海溝 海盆などを含む のうち 主なものを挙げる これらは周期的に大地震を発生させると考えられている このほか 地震活動が活発で多くの活断層を擁する歪集中帯と呼ばれる地域がある 地層や地磁気反転等の観測から 数百年を超えるような長期的な視点ではプレートや地表の動きは平均されて一定になるというのが地質学の定説であり それぞれのプレートの境界や断層で起こる地震は 一定の速度で蓄積される歪みが一定の周期で解放されて起こると説明できる 実際に観測や歴史地震でも プレート境界型地震である南海地震 東南海地震 東海地震 宮城県沖地震などでは周期性が確認されているほか 内陸プレート内地震である北アナトリア断層の諸地震などでも確認されている 周期性のある地震を地震学では固有地震 相似地震 といい 現在のところマグニチュード程度以上 再来周期数年以上の地震で発見されている くらいの海溝型地震においては 年程度 後述の連動型地震においては年程度 地表付近の断層においては数百年 数十万年と 地震の周期はそれぞれ異なる この番目の部分をアスペリティといい プレート境界や断層の面内には大きさやお互いの間隔がさまざまなアスペリティが存在していることが観測により推定されている アスペリティモデルでは くらいの 単独型 海溝型地震はつの大きなアスペリティまたは小さなものが少数同時に破壊して発生するもの 連動型地震は複数の大きなアスペリティが同時に破壊して発生するものと解釈されている 地震発生間隔のずれは 現在の長期的地震予知における大きな課題のつとなっている これに対処する方法としてアスペリティの推定や 発生間隔のずれを求めるためのすべり欠損の推定を行う研究者がいるが 精密地震観測が必要で 精度を高めるためには断層近傍で観測を行う必要があり 海溝型地震では海溝軸付近の海底に地震計を設置する必要があることから費用や労力が大きいという問題がある 一方 一連の周期の中で生じる現象で実際に観測された例がある 本震発生前の前駆的地震活動 前震など 静穏化 空白域の形成 などから地震予知を行おうとしている研究者もいる また 海溝型地震の前の歪の蓄積は内陸の地震活動に影響を与えるため西日本 西南日本 が南海地震や東南海地 の前段階の地震活動期に入っているとの学説もあるが 判断するための資料が少ないといった反論もある 日本では 主な海溝型地震や断層において調査された活動履歴から 主に繰り返し間隔と前回からの経過時間の推定によって 現在の活動確率を論じる 長期的地震予知 が行われている しかし このような長期的な予知を目安にした地震研究に対して 被害軽減への効果を疑問視し防災 減災により地震に強い社会を構築することの重要性を説く専門家もいる 大規模な地震が発生した場合 その災害を震災 しんさい と呼ぶ 特に激甚な震災は大震災と呼んで 地震とは別に固有の名称が付けられることがある 例えば関東大震災 阪神 淡路大震災 東日本大震災などである しかし 関東大震災 の命名者ははっきりしておらず 阪神 淡路大震災 東日本大震災 は報道機関が使用し始めたものを元に閣議で決められたもので 震災名 を付ける制度は作られていない 地震名は気象庁が命名する 新潟県中越地震では 新潟県が独自に 新潟県中越大震災 という呼称をつけている 長期的に見て 地震による被害は縮小する傾向にある これは 耐震基準の改正や 地震に強い社会基盤の形成 さらに地震に関する知識や防災意識の浸透によるものが大きい 日本でも地震の被害は年に発生した福井地震の頃まで 人口の増加と産業の発展に比例して増加した部分もあったが その後は住宅の耐震性 耐火性の向上とともに揺れに起因する被害は減少してきている 世界的にも 地震被害の多い地域では耐震化や防災体制の構築により被害が減少している地域もあるが 途上国を中心にいまだに有効な対策がとられていない地域も多く存在する 地震は自然現象であり 人類の力では押しとどめることはできないが 事前に耐震基準の厳格化などで備えておけば被害を小さくすることは可能であるため 地震による災害を一種の 人災 とする考え方もある この 努力と事前対策により 想定される被害を可能な限り減らす 減災 の考え方を広めようという運動が年頃から行なわれている 大規模な地震が発生したときには 自分たちのできる範囲で避難 救助 救援を行うことが救命率向上につながる その際には 組織化されノウハウを蓄積している消防団や自治会などのコミュニティが大きな担い手となる これは 公設の機関である消防 警察 軍隊 日本ならば海上保安庁 自衛隊 なども救助 救援を行うがその能力は限られ 一刻を争う避難誘導や救急の人員が不足するためである 地震災害の規模が大きければ大きい程 救助 救援が到達するのが遅くなる傾向にある また通信が途絶したり夜間であったりといった 救助 救援を必要とする場所の把握が困難になる事態が発生することもあり 捜索に時間がかかる場合もある このような大震災が発生した場合は 国内の被災していない地域や国外より救援が来る場合もある 常備軍を有する国家ならそれが投入され 不足があれば予備役が召集動員され 併せて 水上 警察 消防 救急組織なども投入されるがこれ等は軍と異なり余剰能力が限られているのが常である 国連機関であるや 国際である国境なき医師団 国家単位では各国の赤十字や日本における国際緊急援助隊などの救助隊 救援隊が 人的 物的 資金面での人道支援を行う 世紀後半からは先進国を中心に災害ボランティアによる救助 救援活動が目立ってきている 救助活動や安否確認 医療のほか 避難生活の支援 復旧活動などに 物資や金銭を送ったり 実際に出向いたりといった形で支援が行われる 日本では ボランティア元年 と呼ばれた阪神 淡路大震災の際に社会的運動として広がりを見せた後 新潟県中越地震 東日本大震災などで活発化した ボランティアの受け入れ態勢不備やトラブルなどが発生したこともあるが 次第に改善されてきている ヘリコプターが普及しマスコミが地震取材報道に使用するようになって インパクトのある中継録画はボランティアの喚起には有用だが 倒壊建物の下敷きになった生存者の救難を求める音を 取材ヘリコプターの騒音で妨害する事が度指摘されている 地震災害の際の特徴として 余震により救助 救援が妨げられることが挙げられる また 建物の中に人が閉じ込められることが多い地震被災地において 災害救助犬も多く活動している 救助以外の行政の役割として 避難所や仮設住宅の確保 物資の提供や仕分け 情報の提供などが挙げられる また 復興に際しては住宅再建の補助金提供などの役割を担う 大震災に伴う地すべりや津波による浸水などによって集落単位で壊滅的な被害が発生した場合 その地域を居住に適さない危険な地域として規制し 残った住民の集団移転を行う場合がある 年アンカシュ地震のユンガイ 年明治三陸地震 年昭和三陸地震の際の岩手 宮城沿岸の一部集落などが例であるが 生活との折り合いや費用の問題等で紛糾する場合がある また 都市型震災の後に多くみられるが 大震災の原因が住居環境によるものであった場合 区画整理などの大型事業によって地震に強い防災まちづくりを実施することがある 被害の拡大を防ぐために 地震や津波の情報を迅速に伝達することも重要とされる 日本では 国内 地点以上に網羅された観測網により微小地震や震度を自動収集していて 気象庁が発生後数分以内での速報を行い と民間放送事業者がテレビ ラジオで国民に広く伝えている 観測された震度の大きさによって報道体制を変えており 受け取る側でも 警察 消防 内閣などの公的機関が震度の大きさによって対応を決める なお を中心とした一部のテレビ ラジオでは津波警報発表時に受信機を強制起動する緊急警報放送を行っているが 普及率は低い それ以外にも 同報系市町村防災行政無線により屋外スピーカーで津波情報や地震に対する警戒を広域に呼びかける手法も 屋外にいる者に発する主要な警告手段として広く用いられる 特に早急な避難が必要な津波の場合には 消防 消防団 警察などが地域を巡回しながら緊急車両のサイレンや拡声器などで避難を呼びかける また 感震計により強い揺れを観測した際に自動的に警告を発する手法もある なお 観測網が整備されている場合に可能な地震の揺れが到達する前の対策 地震警報システム として 日本では鉄道でのユレダス テレビ 携帯電話 専用受信機などでの緊急地震速報が運用されている これと似たシステムが アメリカ カリフォルニア州南部やメキシコ メキシコシティ周辺部でも運用されている また 常時インターネット環境にある場合に効果が高い地震情報などもある 大地震直後の電話などの通信の混雑への対策として災害用伝言ダイヤルの設置などが行われている 携帯電話等においても災害用伝言板サービス等の同様のウェブ上サービスがある 自治体や民間が協力して臨時災害放送局を設置し 被災者への情報提供が行われた例もある また年代から普及したメール 掲示板 年代に普及したリアルタイム ウェブ やブログ ミニブログなどの 誰もが即時発信即時共有できる情報 は生活情報や被災情報のやり取りに活用されていて 情報伝達の高速化をもたらした しかし 震災後には情報が錯綜したりデマ 流言が発生しやすく 一定の社会的信頼を有する報道機関に比べると口承 インターネットの信頼性は低いため 災害時においては各人が情報の真偽を見分けるメディア リテラシーの必要性が高まる 東日本大震災の教訓から 津波避難の一助としてスマートフォン カーナビゲーション デジタルサイネージなどに避難経路を表示し オフライン利用を目指す取り組みもある 地震被害を防ぐ最も重要な対策のつが 建造物の耐震性を高めることである 各国は建築関連法規により建築物の耐震性を規定しているが 地震経験の多寡によりその厳しさは異なる 日本では建築基準法とその関連法令による耐震基準がこれに該当する 大地震の被害を考慮するなどして強化改定されてきた経緯があり 年 昭和年 月施行の 新耐震基準 が現行であって 想定される地震動に対し概ね妥当な強度を保持できると考えられている 新築建造物は現行基準を満たして建設しなければならない ただし既存の建物は 建てた時に適法でも後の法改正により既存不適格となったものがあり これは一部を除いて耐震補強を行うのは任意である また 消防法や都市計画法にも地震防災に関係する規定が含まれる また 原子力発電所など揺れによる災害の危険性が高い建造物については 建設の前の環境アセスメントの段階で 地盤の強度や周囲の断層の位置 活動度などを調査し なるべくリスクの低い場所に立地するような対策が取られている これについては 調査が十分に行われない可能性 未知の断層や新たな断層が発生する可能性があるほか 日本では東日本大震災による福島原発事故後に津波に対する耐性が問題となって休止 再稼働停止する原発が相次いでいる 企業では リスクマネジメントや事業継続マネジメント などを通じた業務継続のための対策や経済的影響への対策も必要となる 保険業界や企業を中心に 被害リスクを予め算定する地震という手法も普及している 市民が行う対策としては 防災訓練や防災用品 非常食や非常袋など の準備などが代表的なものとして挙げられる また 過去の災害の例を学んだり体験談を聴いたりすることも有用であるとされ 教育や地域において講演会として行われたり 書籍となったり インターネット上で公開されたりしている 地震への防災や備えの目安として 避難場所や経路を記した防災地図 地盤の揺れやすさや地震動に見舞われる確率の地図なども自治体により作成されており 活用が可能である 地震被害からの復旧のために地震保険も用意されている 江戸時代には地震の間と呼ばれる耐震構造が施された物もあり 彦根城の楽園などに現存する 危険性の高い製品を作っている企業は 製品マニュアルに地震時の対策が記載されているので地震の前に読んでおき 従う必要がある 一例だと星野楽器の製品に添付されている 安全にお使いいただくために には地震時にはドラムセットから離れることを記載している 有史以来 世界各地で無数の地震が発生している その中で 多くの被害を出した地震も多数発生している 日本では 年以降に気象庁が正式に命名した地震が 現在約個あるほか それ以前にも多数の被害地震が発生している また世界では 年から年までの年間で 年当たり平均約 人 うち日本は人 が地震により亡くなっている 日本およびその周辺の地震 震災など古地震として多く取り上げられる地震として 年の関東地震 関東大震災 がある この地震では 日本の歴史上最多となる万人以上の死者を出し 首都東京を含む広い範囲に被害を与え 火災の被害も大きかった また世界的には 津波により多くの死者を出した年のスマトラ島沖地震などがある 人類史上 死者が最も多かった地震は 年月日に中国 陝西省で発生した華県地震で 約万人が死亡した これは番目に多い唐山地震の公式統計による死者数の倍以上である また 人類史上 最も規模が大きかった地震は 年月日にチリ西岸で発生したチリ地震で マグニチュードはモーメントマグニチュード で だった 地震波 地震動を観測する地震計には 観測対象とする揺れの周期 感度 振幅 などにあわせてさまざまな種類のものがあり 担当機関でもいくつかの種類の地震計を使い分けている 日本では気象庁や防災科学技術研究所が地震計を多数設置していて観測網を作っている これらは震度を算出したり 震源の位置や規模を推定することに利用されている 地震の発生を事前に予知することで 被害を軽減する試みも 古くから行われてきた 従来の地震学の知識をもとにした 数十年から数百年単位での長期的な発生予測は公式に大掛かりなものが行われている 一方 数ヶ月から数時間単位で正確に予知する短期予測は 従来の知識からでは難しく 一般的にも困難とされている 地震の予知と言っても さまざまな範囲や形式があり 大きく長期予測と短期予測に分けられる 存在が判明している断層やプレートの沈み込み帯等においては 地質調査と文献の被害資料等から長期的な発生確率やその規模などを予測する手法が確立されている 期間が長いため精度の保証はできないが ある程度の精度はあると考えられている ただ これを実際の地震対策に結び付けられる点はあまり多くない 一方 短期予測に関しては 多種多様な手法が試みられている 有名なものでは ギリシャの法 前震の検知 中国の海城地震で成功した などがあるが 常に利用できる手法ではない また 東海地震発生直前に発生すると予想されているプレスリップ 前兆すべり を検出する方法もある 一方で 現時点では科学的根拠に乏しい宏観異常現象による地震予知も試みられている また 仮に地震予知の手法が確立された場合 それを誰がどのように行い いつどのように発表するかということも 現状では東海地震における地震防災対策強化地域など限られた地震 地域においてしか定まっておらず 混乱が発生する事態も考えられる 地球以外の天体においても 地球の地震に相当する 地殻の振動現象が発見されている 月で発生する地震は月震と呼ばれ 年から年までの通算年余りの間観測が行われた 日本語 英語 フォース は スタック指向のプログラミング言語およびそのプログラミング環境である はしばしば かつての習慣に従ってすべて大文字で綴られることもあるが 頭字語ではない はスタック指向であり 逆ポーランド記法 と同様の後置記法による記述が一番の特徴である その他の特徴としては 手続き型 命令型であり 言語としては全ての値は型としての区別なく扱われること 型システムが無いこと 制御構造などもプログラム可能であること リフレクション といったものがある 典型的な の実装には における に対応する 入力されたワードを即座に実行する対話型のインタプリタモードと これは 正規のオペレーティングシステムがないシステム向けのシェルにも適している 後の実行のために一連のワードをコンパイルするモードのふたつのモードがある 後者にはコロン というワードにより遷移しセミコロン というワードで脱する 初期の実装や移植性を目的とした実装にはスレッデッドコードを生成するものもあるが 近年の実装では他の言語のコンパイラのように最適化された目的コードを生成するものもある 他の言語のシステムほどは人気はないが 商用においても はいくつもの言語のベンダを引き止めるだけの十分なサポートを持っている は現在 のようなブートローダや宇宙開発 組込みシステム ロボット制御などに使われている プロジェクトによる実装であるは活発にメンテナンスされている の環境はコンパイラと対話形式のシェルが一体化している 実行時環境に似ている仮想マシンにおいて ユーザは対話的に定義し ワード ともサブルーチンを実行する ソースコードとしてテスト 再定義 デバッグされることができるワードは プログラム全体を再コンパイルしたり再起動することなく組み込まれる 変数 基本的な演算子など すべての構文要素はプロシージャのように見える たとえ特定のワードが最適化されても サブルーチンの呼び出しを必要とするといけないので これもまた依然としてサブルーチンとして有効である 言い換えれば シェルは対話的に入力されたコマンドをそれが実行される前にマシンコードにコンパイルする この振る舞いは一般的だが 必須ではない どのように結果のプログラムが格納されるかは 環境によってさまざまだが 理想的には手動でそのコードが再入力されたときとプログラムの実行は同じ影響を持つ コンパイルされる関数はプログラムオブジェクトの特殊なクラスで対話的コマンドは厳密にインタープレットされる 言語とシェルの組み合わせとは対照的である ほとんどの のユニークな性質はこの原理の結果である 対話性 スクリプティング コンパイレーションがあることにより は や シリーズのようなリソースが限られたコンピュータでよく使われ ファームウェアや小さなマイクロコントローラなどのアプリケーションで生き残っている コンパイラがよりコンパクトで効率的なコードを生成しようとしている今まさにそのときでも の対話性における優位は保たれているのである 再帰的なサブルーチンを持つすべてのプログラミング環境は制御フローのためにスタック を実装している この構造は典型的にはローカル変数やサブルーチンの引数も格納する 言語のようなシステムにおける にはしばしばローカル変数がないこともあるが でもない 代わりに 中間的な値は第二のスタックにおいて保持される ワードはスタックの最も上にある値を直接操作する それゆえ これは パラメータ または データ スタックと呼ばれたりもするが ほとんどの場合は単に スタック である それから 関数呼び出しスタックは リンケージ もしくは リターン スタックと呼ばれ とも略される カーネルから提供された特殊な 操作関数はそれがワード内で一時的なストレージとして使われることを可能にするが その一方でこれは引数や操作データを渡すことに使うことはできない はスタックの概念をうまく利用しており 演算は逆ポーランド記法により記述される このため構文解析が極めて単純となり プログラムおよび処理系が小さくて済む これは 機器組み込み用プログラムでは有利な特徴である また ルーチンは ワード 単位で記述され コンパイルされる これらの ワード を集積して ディクショナリ を形成する 一般的な処理系におけるプログラミングは インタプリタ上でのワード作成の積み重ねであり 対話的に行える 開発中でも部分的な処理を動かしてのテストがやりやすく それらを適宜組み合わせてのテストも容易である ほとんどのワードはスタック上でのその効果の観点から定義される 典型的には 引数はワードが実行される前にスタックの一番上に置かれる 実行後は引数は消去され 何らかの返り値で置き換えられている 数学的な操作をするためには これを逆ポーランド記法のルールに従う スタックの使用法を図解した以下の例を参照すること は単純だが拡張性のある言語である そのモジュール性と拡張性はシステムのような高度なプログラミングをも可能にする しかしながら 拡張性は未熟なプログラマがわかりにくいコードを書くのも促すため このことは に 記述専用言語 との評判ももたらしている 大規模で複雑なプロジェクトでも成功裏に使われてきていて 有能でよく訓練されたプロフェッショナルによって開発されたアプリケーションが 何十年にもわたって発展していくハードウェアプラットフォーム上でも容易に保守されることを証明している は天文学分野や宇宙開発分野という得意分野も持っている その移植性 効率的なメモリ使用 短い開発期間および高速な実行スピードのため は今日でもいまだ多くの組み込みシステム 小さなコンピュータ化されたデバイス で使われている これは近代的なプロセッサ上で効率的に実装されてきており マシン語としてのの利用も生み出されてきている 他の の用途としてはアップル サン マイクロシステムズ に使われる ブートロムが含まれる また オペレーティングシステムの もある はチャールズ ムーアの年から絶え間なく開発されていた個人的なプログラミングシステムから考案された 年 家具と絨毯を扱う企業に雇われた際 このソフトウェアをミニコン上でを使って書き直したものがの原型である という が他のプログラマに最初に公開されたのは年代で アメリカ国立電波天文台 にいたアメリカの によって始められたものである 年にの制御用ソフト作成において ムーアはを完成させた このにいた彼らの仕事のあと チャールズ ムーアと は を年に設立し その後の 年でさらに磨きをかけるとともにいくつものプラットフォームに システムを移植した チャールズ ムーアはたびたび仕事を渡り歩いていたため 初期の言語開発の困難は異なるコンピュータアーキテクチャへの移植の容易さであった システムはしばしば新しいハードウェアを育てるために使われていた たとえば は年の新しい チップ上の最初の常駐ソフトウェアで は年の最初のアップルの最初の常駐開発システムであった の は年に始まった マイクロプロセッサ向けに開発された は後に 年の のような他のアーキテクチャ向けの システムを生成するのにホビーストたちにも使われた 広い普及は最終的に言語の標準化を誘導することとなった 共通の慣習は事実上の標準である および にそれぞれ年 年に成文化された これらの標準は年に によって統合され 通常これは のベースとなった と呼ぶ は年代にはとてもよく使われるようになったが これは小さくかつ移植性が高いとして当時の小さなマイクロコンピュータにとてもよく適していたからである すくなくともひとつのホームコンピュータ 英国の はその常駐オペレーティングシステムに を持っていた キヤノン キャットもまた そのシステムプログラミングのために を使っていた さらに も常駐 カーネルを持つ と のシングルチップマイクロコンピュータを製造していた の後置記法は データスタック オペランドスタック 以下単にスタックと呼ぶ を意識的に操作しなければならないというの特徴と密接に結びついている すなわち オペランドはそのままスタックに積まれ 後から現れる演算子などはスタックからそれを取り出して演算し 結果をスタックに積む といったように動作する 多くの言語と違い バッカス ナウア記法で構文が定義されているわけでもなく 伝統的にはコンパイラは スレッデッドコードと呼ばれるシンプルな構造の目的コードを直接生成するだけである また 文法の修正のような 多くの言語では実装の内部に手を入れる変更が必要なことが ではそのようなワードを定義することで可能である これは のマクロに少し似ている なお データスタックの他にリターンスタックがあり そちらはワードの呼出しの後で手続きを再開するアドレス等が積まれるスタックである のいわゆるスタックに似ている たとえば は 次のように入力して計算する は 改行の入力 は処理系が結果の出力の後に付けるプロンプト まず最初に数値 と がこの順でスタックに積まれる ワード がスタックの一番上にあるふたつの数を乗算し その積に置き換える それから数値 をスタックに積む ワード がこれに先ほどの積を加算する 最後に コマンドがスタックのトップを取り出して それを ユーザの端末に結果として出力する これは スタックにを積み さらにを積み スタック上のつの値を取り出して加算 その結果をスタックに戻し スタックの値を表示する操作を示している 上記のように入力してエンター リターン を打鍵すると 画面上には下記のように結果が表示される の構造化機能でさえもスタックベースである たとえば このコードは 次のコマンドを使うことによって が呼ばれる新しいワード 繰り返すが ワード という単語はサブルーチンとして使われている を定義する はスタックの数値を複製する がスタックの一番上に を配置する ワード はスタックの一番上の二つの数 と で複製された入力の値 を比較し 真偽値で置き換える は真偽値をとり その直後のコマンドを実行するか までスキップするかを選択する はスタックの上の値を放棄する そして は条件分岐の終端である 括弧に囲まれたテキストは このワードが期待するスタックの数と値を返すかどうかを説明するコメントである ワード は言語で書かれた次の関数に相当する この関数はより簡潔につぎのように書かれる このワードは次のように実行できる 最初にインタプリタは数値 もしくは をスタックにプッシュし それからこの数値を再びポップし結果をプッシュする を呼び出す 最後に の呼び出しは値をポップし ユーザの端末にそれを表示する の構文解析は明確な文法がないので単純である インタプリタはユーザ入力デバイスから入力された行を読み それから区切り文字としての空白を使って単語に構文解析される 他の空白文字を認識するシステムもある インタプリタがワードを見つけると ディクショナリ からそのワードの検索を試みる もしそのワードが見つかれば インタプリタはワードに関連付けられたコードを実行し それから入力システムの残りを構文解析するために復帰する もしワードを発見することができないなら ワードを数だと仮定して数値への変換を試み それをスタックにプッシュする これが成功すれば インタプリタは入力システムからの構文解析を継続する 辞書の参照と数値への変換の両方が失敗した場合 インタプリタはそのワードが認識できないというエラーメッセージに続けてそのワードを表示し 入力ストリームをフラッシュし ユーザからの新しい入力を待機する 新規ワードの定義は ワード コロン から始まり セミコロン で終了する たとえば のコードはワード をコンパイルし 辞書にこの名前が発見できるようにする コンパイルと言っても 文頭にコロン その後にワードの名称を置き そこから一連の式を並べておいて 文末にセミコロンを付加するだけでよい をコンソールに入力して実行すると が表示されるようになるだろう 例えば 前述の式をという語 ワード としてコンパイルするには 以下の通り記述する 記述法はコロン記号で始まりセミコロン記号で終わるので コロン定義 と呼ばれる コンパイルすることにより の辞書 ディクショナリ に この語 ワード が登録されることになる この場合はが登録される 実のところ では や などの演算子や出力機能などの全てがワードである こういった組み込み済みのワードと ユーザが後からコロン定義 コンパイラ で追加したワードと つの間に本質的な差異はない コンパイルしたワードはただちに環境に組み込まれ インタプリタより単独で実行できるようになる つまり その処理系を拡張するのである このような点より は自己拡張性が高いと云われる プログラムの開発においては 処理毎に区切ってワードとして順次構築していくので 注意深く進めていけば自然ときれいに構造化されることになる ワードは単独で実行できるため 部分に分けてのデバッグも容易である また それらのワードを使ってテスト用の処理 ワード を気軽に作成して実行 テストできる 多くの システムは実行可能なワードを生成する特殊化されたアセンブリ言語を含む このアセンブラはコンパイラの特殊な方言である アセンブラはしばしば命令の前に引数がくる逆ポーランド記法を使う アセンブラの普通の設計では命令をスタック上に構築し それからこれを最後の段階でメモリにコピーする システムでは 番号 実際のオペレーションコードとして使われる 付けされるかその目的に応じて名づけられた 製作者によって使われる名前でレジスタは参照されることもある たとえば スタックポインタとして使われるレジスタは など 古典的な システムでは伝統的にオペレーティングシステムもファイルシステムも使われない コードはファイルに格納される代わりに ソースコードは物理的なディスクアドレスに書かれたディスクブロックに格納される ワード はディスクスペースのキロバイトサイズのブロックの数値からデータを格納しているバッファのアドレスへの変換に割り当てられ システムによって自動的に管理される 固定されたディスクブロック範囲にファイルが配置されるときには システムのディスクアクセスが使われる実装もある たいていはこれらはディスクブロックごとのレコードの整数をつかって 固定長バイナリレコードして実装される 高速な検索はキーデータ上のハッシュアクセスによって実現される ふつうは なラウンドロビンスケジューリングであるマルチタスクは 通常利用可能である ただし マルチタスキング ワードとサポートは 規格ではカバーされていない ワード は 次のタスクの配置や実行コンテキストのリストアための現在のタスクの実行コンテキストの保存に使われる どちらのタスクも自分自身のスタックやいくつかのコントロール変数のコピー スクラッチエリアを持っている タスクのスワップは単純で 効率的である その結果 マルチタスクは のような非常に単純なマイクロコントローラでさえ有効である その一方で や のようなホストオペレーティングシステムのもとで実行され ソースやデータのファイルのためにホストオペレーティングシステムのファイルシステムを利用する システムもある 規格では のために使われたワードについて書かれている 他の標準的でない機能はホスト やウィンドウシステムへのシステムコールを発行するためのメカニズムも含み 多くはオペレーティングシステムから提供されるスケジューリングを採用する拡張を提供する 典型的には タスク作成 一時停止 解体 および優先順位の変更のために スタンドアロンのの ワードとは大きくて異なったワードのセットを持っている すべてのソースコードとともに十分な機能を有する システムは自身をコンパイルすることができ プログラマはこのようなテクニックを普通メタ コンピレーション と呼ぶ ただし この用語は普通の定義であるメタコンピレーションとは厳密には一致しない 通常の方法はコンパイルされたビットをメモリに配置する一握りのワードの再定義である コンパイラのワードはメモリ内のバッファエリアにリダイレクトされることができるフェッチとストアの 特別に命名されたバージョンを使う このバッファエリアはコードバッファというより異なるアドレスから始まるメモリ領域へのシミュレートやアクセスをする このコンパイラは対象のコンピュータのメモリとホストの コンパイルする コンピュータのメモリの両方にアクセスするワードを定義する フェッチやストア操作がコード空間に再定義されたあと コンパイラやアセンブラなどはフェッチやストアの新たな定義を使って再コンパイルされる これはコンパイラとインタプリタのすべてのコードの効果的な再利用である それから システムのコードはコンパイルされるが このバージョンはバッファに格納される このメモリ内のバッファはディスクに書きこまれ これをテストのために一時的にメモリにロードする方法が提供される 新たなバージョンがきちんと機能するようなら これは以前のバージョンに上書きされる 異なる環境のためのバリエーションが多数存在する 組み込みシステム向けには 代わりに他のコンピュータのためにコードが書かれることになるが このテクニックはクロスコンピレーションとして知られ シリアルポートや単独の ビット越しでさえ その上オリジナルのコンパイルするコンピュータのワード名やディクショナリの他の実行されない部分も維持する このようなコンパイラのための最小の定義はバイト単位のフェッチやストアをするワードと 実行される ワード を命令するワードである しばしばもっとも多くの時間のかかるリモートのポートへの書き込みの部分は フェッチやストア 実行を実装するための初期化プログラムの構築であるが 多くの現代的なマイクロプロセッサ など は このタスクを排除する統合されたデバッグ機能を持っている の基本的なデータ構造は ワード を実行可能なコードや名前のつけられたデータ構造を対応させる ディクショナリ である このディクショナリは 門番 通常は ポインタ が発見されるまで最も新しく定義されたワードから最も古いワードまで進むリンクを用いた連結リストのツリーとして メモリに展開される コンテキストスイッチは異なる葉で開始するためにリスト検索を引き起こす 首位のメインの幹への枝のマージは最終的にルートの門番へ戻ってくるので 連結リスト検索は継続する そこはさまざまなディクショナリになることができる メタコンピレーションのような稀なケースでは ディクショナリは隔離されスタンドアロンである この効果は名前空間のネストのそれに似ていて コンテキストに依存するキーワードのオーバーロードが可能である 定義されたワードは一般的にヘッドとボディからなり ヘッドは名前フィールド とリンクフィールド からなり ボディはコードフィールド とパラメータフィールド からなる ディクショナリのエントリのヘッドとボディは 隣接していないかもしれないので別に扱われる たとえば プログラムが新しいプラットフォームのために再コンパイルされたとき ヘッドはコンパイルするコンピュータに残るかもしれないが ボディは新しいプラットフォームに行ってしまっている 組み込みシステムのようないくつかの環境によっては ヘッドは不必要にメモリを占有する しかしながら もしターゲット自身が対話的なをサポートすることを期待されるなら クロスコンパイラによってはヘッドをターゲット内に配置するかもしれない ディクショナリの厳密なフォーマットは規定されず 実装に依存する しかしながら いくつかのコンポーネントはほとんどいつも提示しており しかし 厳密なサイズと順序は変わるかもしれない 記述された構造 ディクショナリエントリはこのように見えるかもしれない この名前フィールドはワードの名前の長さ 典型的にはバイト を与えるプリフィックスで開始し 何ビットかはフラグ用である それからワードの名前の文字表現がプリフィックスのあとに続く 特定の実装に依存するが アラインメントのためひとつ以上の バイトがあるかもしれない リンクフィールドは以前に定義されたワードへのポインタを含む このポインタは次に古い隣接するワードへの 相対的な変位かもしれないし 絶対的なアドレスかもしれない このコードフィールドポインタはコードを実行するワードのアドレスか パラメータフィールド内のデータか プロセッサ直接実行するであろうマシンコードの開始のいずれかになるだろう ワードを定義するコロンでは コードフィールドポインタはリターンスタック上の現在の 命令ポインタ を保存し ワードを実行継続するための新たなアドレスを用いて をロードするワードを指し示す これはプロセッサの 命令が行っているのと同様である コンパイラ自身はモノリシックなプログラムではない これは システムから可視な ワードとプログラマから利用可能なものとからなっている このことはプログラマが特殊な目的のためにコンパイラのワードを変更することを可能にする 名前フィールド内の コンパイル時 フラグは コンパイル時 の振る舞いのワードのセットである ほとんどの単純なワードは それがコマンドライン上で入力されたかコードに埋め込まれたかにかかわらず 同じコードが実行される そのようにコンパイルされるとき コンパイラはコードかワードへのスレッデッドポインタを単に配置する コンパイル時ワードの古典的な例は といった制御構造である のすべての制御構造とほとんどすべてのコンパイラはコンパイル時ワードとして実装される すべての 制御フローワードは プリミティブなワードや もしなら分岐する の各種の組み合わせをコンパイルするために コンパイルの間に実行される コンパイルの間 データスタックは制御構造のバランシング ネスティング ブランチアドレスのバックパッチングをサポートするのに使われる コード断片 のあとの数のは相対的なジャンプアドレスを表している は リテラル 数値をデータスタックにプッシュするためのプリミティブなワードである ワード コロン は名前を引数として構文解析し 辞書にヘッダを作り 記述法はコロン記号で始まりセミコロン記号で終わるので コロン定義 コンパイル状態に突入する コンパイラは後続のワードをコンパイルしていく このときワードが後述する即時ワードである場合は実行し そうでない場合は実行時に呼び出されるようにコンパイルする ワード セミコロン は現在の定義を終了し 実行状態へと復帰する システムの状態はワード 左大括弧 及び 右大括弧 を用いて手動で変更させることができ それぞれ実行状態とコンパイル状態に突入する では 現在のインタプリタの状態はフラグ から読み取ることができ コンピレーションステート状態 そうでなければ の値がこいる をこのインタプリタの現在の状態による振る舞いコンパイル時ステートスマートワード の実装を可能にする ワードは 直近のコロン定義を 即時ワードにする 即時ワードは通常はコンパイル後ではなくコンピレーションの間に実行されるが どちらのステートにおいてもプログラマにオーバーライドされることができる は即時ワードの一例である では ワードがイミディエイトとしてマークされていても ワード は名前を引つけられたワードのコンピを強制的にコンパイルする では ワード を用いて 次の セミコロン までの後続のワードをコンパイルし 実行トークン をデータスタック上に残す 無名のワードが定義できる ワード はデータスタックから実行トークンを取り出し 関連づけられたセマンティクスを実行することができる またワード コンマ は データスタックから実行トークンを取り出し コンパイルする ワード は ワード名を引数としてとりデータスタック上のワードに関連づけられた実行トークンを返す ワード と は データスタックの代わりにユーザからの入力からそれらの引数をとる構文解析ワード の例である 別の例では コロン定義において 次の右括弧を含む後続のワードを読み込んで無視し コメントを配置するのに使われる 左括弧 がある 同様に ワード バックスラッシュ は現在の行の終端まで続くコメントのために使われる ほとんどの システムにおいて コード定義のボディはマシン語といくつかの形式のスレッデッドコードからなる 非公式の 規格 に従っているオリジナルの は である これは 間接スレッディング とも呼ばれ 直接スレッディング と サブルーチン スレッディング も現在はよく使われるようになってきた 最初期のモダンな はサブルーチン スレッディングを使っており マクロとしてシンプルなワードを挿入し より小さく速いコードを生成するために のぞき穴的最適化 や他の最適化戦略を実行した ワードが変数や他のデータオブジェクトであるとき はそれを作成した定義ワードに関連付けられたランタイムコードを指している 定義ワードは特徴的な ディクショナリエントリの作成に加え もしかしたらアロケートとデータ領域の初期化をする を持っており この定義しているワードによって構築されたワードのクラスのインスタンスの振る舞いの定義もする たとえは は カスタム定義の振る舞いとインスタンスの振る舞いを指定する 新しいアプリケーション特有の定義ワードをプログラマが定義できる機能もまた提供する 円形バッファ ポート上で命名されたビット 自動的にインデックス化された配列などの例がある これらに定義されたデータオブジェクトと同様のワードはスコープにおいてグローバルである 他の言語でローカル変数から提供された関数は ではデータスタックから提供される しかし も真のローカル変数は持っている のプログラミングスタイルは他の言語に比べ ごく少数の名付けられたデータオブジェクトを使う 典型的にはこのようなデータオブジェクトは たくさんのワードやタスク マルチタスクの実装においては によって使われるデータを格納するのに使われる は型システムを持たない したがって値の操作は全てプログラマの責任で行われる で書かれたワードは実行可能な形式にコンパイルされる 古典的実装は 順に実行されるワードのアドレスのリストをコンパイルする 多くの現代的なシステムは実際のマシンコードを生成する いくつかの外部ワードの呼び出しと 適当な場所に展開された他者のためのコードを含む 最適化コンパイラをもつシステムもある 一般的な場合 プログラムは実行可能形式としてロードされたとき実行されるコマンド を含めた プログラムのコンパイル済みコードのメモリイメージとして保存されている 開発中 プログラマは小さなコード片を開発したときに実行およびテストするためにインタプリタを使う そのため ほとんどの プログラマは緩やかなトップダウン設計と 単体テストと統合の繰り返しによるボトムアップ開発を支持している トップダウン設計では 普通まずプログラムを 語彙 へのプログラムを分割し それらを最終的に必要なプログラムを書くための 高レベルなツールセットとして利用する よく設計された プログラムは自然言語のように読むことができ 単一の目的を達成するために用いられるだけでなく 関連する問題を解くプログラムを書くのに利用することができる 実装の一つとしては ワード は後続の出力を新しい行の上に表示するようにする 構文解析ワード はダブルクオートで区切られた文字列を読み 構文解析された文字列が実行時に表示されるように現在の定義にコードを追加する 文字列 からこの空白文字で区切っているワード は 文字列には含まれていない これは構文解析器が を ワードとして認識するために必要である 標準的な システムはインタプリタでもあり 同じ出力は次のコード片を コンソールに入力することで得ることができる は括弧で囲まれた文字列を構文解析し これを表示するイミディエイトワードである と同様に から空白文字で区切られた は文字列の一部ではない ワード は表示する文字列の前にくる 慣例的に インタプリタは新規行に出力を開始しない また 慣例により インタプリタは直前の行の終端 プロンプトの後で入力を待つ 他のプログラミング言語で時そうであるような の にはバッファをフラッシュする暗黙の動作はない ここに 実行されると単一の文字 を発行するワード の定義がある この定義は の値 を直接を使うことで書かれている 括弧の間の文字列はコメントで コンパイラに無視される ワード はデータスタックから値をとり 対応する文字を表示する 次の の再定義は ワード 左大括弧 右大括弧 をインタプリタステートを一時的に切り替えるために使っており 文字 の値を計算し コンピレーションステートを返し 計算した値を現在のコロン定義に追加する 構文解析ワード は空白で区切られたワードをパラメータとしてとり データスタック上のその最初の文字の値を置く ワード は のイミディエイトバージョンである を使って の定義例は次のように書くことができる この定義はコメントを書くために バックスラッシュ を使っている と の両方は では事前に定義される と と使って はこのように定義することができる それぞれすべて値の異なった バイトの配列がある 訳注 これが暗号ストリームの状態であり 鍵で適当に初期化する この配列が使われるときはいつも つのバイトが交換されることによって変更される この交換はカウンタ および によって制御され どちらも最初は である 新しい を取得するには を加算する 新しい を取得するには 新しい の位置にある配列のバイトを加算する と の位置にある配列の値を交換する このコード 訳注 後のに使う値 は と の位置にある配列のバイトの和の位置にある配列のバイトである 平文を暗号化したり暗号文を復号するためには このバイトを される 配列は最初の設定によって から にかけて初期化される 訳注 手順の途中に書いてあるが これは最初に行う それから と を使う の位置にある配列のバイトを に加算による新しい とキーのバイトの取得 と のバイトの交換と手順は進んでいく 最後に と は にセットされる すべての加算は を法とするモジュラ演算である 以下の標準の バージョンはコアのワードのみを使っている 仮想マシンは実装が単純で規格のリファレンス実装を持たないため 大量の言語実装が存在する 標準的な各種デスクトップコンピュータシステム をサポートしていることに加え これらの多くの システムは各種の組み込みシステムもまた対象としている 年の 規格に準拠するさらに有名ないくつかのシステムが列挙する アーバンネットワーク は 西日本旅客鉄道 西日本 が年月日より使用を開始した 京阪神都市近郊区間を指す愛称である アーバンネットワーク の定義と 旅客営業規則に規定される大都市近郊区間としての 大阪近郊区間 新幹線を除く や が便宜的に呼称する 近畿エリア とは完全には一致していなかった 本項では 特に正式名称で記述する必要がある場合を除いて 路線愛称名がある場合はそれを用いて記述する 関東地方に広大な通勤路線を持つ東日本旅客鉄道 東日本 や 東海道新幹線を持つ東海旅客鉄道 東海 には及ばないものの 安定した収益力を持つ 日本国有鉄道 国鉄 からの経営移管時には 山陽新幹線および大阪近郊の沿線の発展が著しい路線に経営資源を集中し 経営基盤を強化する方針が立てられた また 私鉄王国 と称される関西圏において 利用距離が長くなるほど利用の可能性が高くなるその特性や 東海道 山陽新幹線のフィーダーとしての役割とアドバンテージを一層強化するため 直通運転の拡大や 新快速を中心とした新型車両の導入 速度向上による所要時間の短縮を積極的に進めていくこととなった 各種路線図や駅の案内 アーバンネットワーク内の駅名標や 化後に登場した電車の種別幕には基本的にラインカラーと路線記号が使われている 国鉄型車両については一時期ラインカラーに準じた塗装変更も検討されたが見送られている 主な報道機関 マスコミ においては 朝日新聞および神戸新聞で路線愛称名が使用されている 朝日新聞は 愛称名の定着を踏まえ 年月日付けの紙面から愛称表記を原則としている 年月日に発生した福知山線脱線事故の際も多くの報道機関が 福知山線 を用いた中 この社は 宝塚線 を用いた 一方国鉄時代に天王寺鉄道管理局管内だった路線 その大部分が私鉄買収路線 を中心に当時から使われている車両も比較的多く 現在も国鉄型車両は大和路線 奈良線 更に化後に開業したおおさか東線では系 系 系 草津線 湖西線では京都発着の列車を中心に系 系が使用されている これらには接客設備を中心にリニューアルされた車両も含まれているが 車齢も高く騒音が大きい機器類や 乗り心地の比較的劣る台車を引き続き使用している 年に入ってから阪和線に系 系の置き換え用として系番台が 大阪環状線に系 系の置き換え用として系が新製配置された 年から万葉まほろば線 和歌山線 と直通運転を行うきのくに線の一部 に系 系 系の置き換え用として系番台が新製配置された 年度にかけて 系の追加投入による系の転用により 系の運用を終了する予定である 大阪環状線 関西本線間の快速電車や 新快速の湖西線乗り入れ等 国鉄時代から実施されていた直通運転を 化後はそのネットワークを活用して一層拡大することとなり 特急列車の直通運転が開始された 年のなら シルクロード博覧会を機に梅田貨物線の旅客使用を開始し 翌年月日の関西本線と阪和線を結ぶ連絡線の開通に伴って 紀勢本線の特急 くろしお や一部の阪和線 きのくに線 快速が新大阪駅まで乗り入れを開始した 年月には関西空港線の開業に合わせて京都駅 関西空港駅間に関空特急 はるか の運転を開始した 運転系統の充実 既存線相互の直通運転に加え 年月日には東西線が開業 年月日にはおおさか東線の南部分が開業し 大和路線からの直通列車も登場した このおおさか東線は北部区間が年月日に開業 さらに北梅田駅 仮称 への乗り入れを目指し建設中であり 上記私鉄各線と相互に利用が可能なエリアの拡大を含めた利便性の向上とネットワークの拡大は今後も続く予定である 所要時間短縮を意識しすぎた余裕の少ない運行ダイヤは わずかの事象で大きなダイヤの乱れにつながることとなった また 直通運転の拡大はダイヤの乱れの影響を広範囲に及ぼすこととなった 年月日 塚本駅 尼崎駅間で鉄道人身障害事故 消防隊員の死傷事故 が発生した際 安全の確認より列車運行を優先させたとして批判があった さらに年月日の福知山線列車脱線事故では 余裕のないダイヤが乗務員に過度のプレッシャーをかけているのではないかと大きく批判を浴びることになったため その後のダイヤ改正で余裕時間や駅停車時間が見直され 所要時間が増加している 特に翌年月日のダイヤ改正では新快速の所要時間が運転開始以来初めて延びることとなった 天王寺駅構内の阪和短絡線の複線化 年月日完成 などダイヤの安定性を高める施策や 保安装置の拡充などが今後も引き続いて進められることになっている 列車指令所による列車制御の一元化に合わせて 旅客案内の拡充なども進めている アーバンネットワーク内の各路線では 年月日のダイヤ改正以降 駅の発車標 列車の行先表示や放送などで方面と行先を併記した 方面 姫路方面網干 宝塚方面新三田 など と案内される これは新幹線からの乗り継ぎ客など 地名に馴染みのない利用客に配慮したもので 東海との共同使用駅となっている米原駅でも 同社の東海道本線 米原駅以東 で運転される列車のうち名古屋駅以東へ運転される列車に対して 名古屋方面 と案内している また 京都駅以東の敦賀方面や東西線を介する直通運転など経路が複数存在する場合は 経由路線を明記した 線経由 湖西線経由敦賀 東西線経由宝塚 など といった表記も用いられている 東西線関連以外の本格実施は年月日以降 また 各駅から京都 大阪 神戸など主要駅への先着列車の表示や放送を行っている 発車標は発光ダイオード 式を標準とし 一部プラズマディスプレイ式が採用され ほとんどの駅に設置されている 発車標には一部の駅と特急 急行列車を除き 乗車位置が表示される ホームには目安となる印 など と数字が書かれている 例 扉数や編成数などで乗車位置が変わるので 乗客はこれに表示された位置に並ぶ方式となっている 表示形式の例 白 列車が接近すると 到着 通過を知らせる接近表示が点滅するものもある なお 運行管理システム導入線区や自動進路制御装置 区間など一部の駅では 列車に遅延が発生した場合には遅延時間 遅れ約 分 時間以上の遅れの場合は 遅れ分以上 が表示される 大幅なダイヤ乱れ時には次の列車が到着するまでの時間が表示 到着まで約 分 されることもある 阪和線 羽衣線区間を除く 琵琶湖線 京都線 神戸線 赤穂線 相生駅 播州赤穂駅間 大阪環状線 ゆめ咲線 大和路線 おおさか東線 学研都市線 東西線 宝塚線 尼崎駅 新三田駅間 湖西線 山科駅 近江今津駅間 ではアーバンネットワーク運行管理システムと連動した表示となっている また 次に到着する列車の現在位置表示も行われている なお 京都 神戸線で運用される系両について 年度までに式案内装置への交換が進められる予定である 駅の利便性向上にも重点が置かれており 年の東西線開業を機に京阪神エリア全駅で自動改札機および磁気券の本格導入を開始した 年にはスルーカード ストアードフェアシステム を導入 年からはカード を導入している さらに年から との相互利用を開始するなど他社カードとの相互利用も行い 利便性向上を進めている なおの普及に伴い スルーカードは年月日をもって自動改札機および自動精算機での利用を終了し 自動券売機での支払いにのみ使用可能となった アーバンネットワークとの利用可能駅は完全に一致しておらず 一部の駅 関西本線柘植駅 加茂駅 和歌山線五条駅 和歌山駅 紀勢本線海南駅以南の特急停車駅を除く全駅 山陽本線相生駅 上郡駅など では利用できない また 大阪近郊区間とも完全に一致していない 年月からは 昼間特割きっぷ に代わるサービスとして 利用回数や時間帯に応じて運賃割引が受けられる ポイントサービス が開始された なお についてはアーバンネットワーク外 近畿エリア外でも順次導入されている 主に痴漢などの車内での迷惑行為を防止するために 年から関西で初めて女性専用車を導入している 指定の車両および乗車位置に黄緑色を用いた案内ステッカーが ドア窓に小型の鏡ステッカー ガラス貼付面は青色 が貼付されていたが 年春から案内ステッカーが大型化され ピンク色が用いられるようになった 当初は扉車のみに導入されていたが 年以降は扉車にも女性専用車が設定されるようになった なお ダイヤ乱れ等の理由で 女性専用車の設定が解除される場合がある 旅客の転落防止のため 一部の駅にホーム柵として通過線ホーム柵 可動式ホーム柵 昇降式ホーム柵が設置されている 通過線ホーム柵は 京都線 神戸線 阪和線の一部の駅ホームにおいて 通常は列車が停車しないのりばに設置されている 異常時など臨時停車を行う際には 駅係員の操作により手動でホーム柵を開閉できる 可動式ホーム柵は 全列車扉車で運転される東西線の北新地駅 大阪天満宮駅での設置を皮切りに 京都線や大阪環状線など停車する車両の扉数が統一されているホームへの設置が進められている また 扉の数や位置の異なる様な車両に対応できるホーム柵として 年月日から年月まで桜島駅において昇降式ホーム柵が試行された これは ロープが支柱に固定されて支柱そのものが昇降する仕組みで 年月日から六甲道駅で試験が行われた このホーム柵は高槻駅の新設ホームに設置され 年月日のダイヤ改正から使用を開始した 夜間での客扱い中に 最後尾の車掌から最前部付近の乗降が確認しづらい状況を解消するため 一部の駅において 夜間視認性向上装置 が設置されている 乗降客が装置からの光源を遮ることにより 車掌に旅客の存在が分かる仕組みとなっている アーバンネットワークの高密度線区を対象に 従来より高度な信号保安方式である 型の整備を進めている なお 導入はすべての信号機に 形の地上子を設ける全線方式と 場内信号機 出発信号機および一部の閉塞信号機のみ 形の地上子を設けることで簡素化した拠点方式のつがある アーバンネットワークでは 和歌山線 万葉まほろば線 赤穂線 北陸本線 和田岬線 関西本線 紀勢本線以外の線区に 型が整備されている 利便性の向上および複数路線を利用可能とすることによる鉄道の利用機会創出のため 新駅の設置を進めている 以下 年以降のアーバンネットワークでの新駅開業状況を記す 学研都市線京橋駅から宝塚線尼崎駅までの を結ぶ東西線が年月日に開通し 同線を介して関西文化学術研究都市のある京阪奈丘陵と三ノ宮 神戸方面や神戸三田国際公園都市がある北摂 北神地域の直通運転が開始された 梅田貨物駅周辺の大阪駅北地区は 都心に残された最後の一等地 として大規模な再開発が進んでおり これに合わせて大阪駅の改良工事が進められた 工事は 橋上駅舎とホームを覆うドームの新設 コンコースとホームの改良などによるバリアフリー施設の整備 新北ビル メインテナントは三越伊勢丹 の建設 アクティ大阪の増床などで 年月日に 大阪ステーションシティ としてグランドオープンした 大阪年問題も参照 また年月には桜橋口の駅ナカ施設のリニューアル エキマルシェ大阪 が完成している 新大阪駅ではおおさか東線整備事業に伴って改良工事が行われており 在来線改札口 コンコースの改良などが行われている 年月にはコンコース内に大規模な駅ナカ施設 エキマルシェ新大阪 が一部完成した 天王寺駅では関西国際空港開港前後を境に改良工事が進み 阪和短絡線の新設 後述 と大和路線ホームの拡張 天王寺ミオの建設やステーションプラザてんのうじ 現在の天王寺ミオプラザ館 の改装 増床 駅ナカの充実などの工事が行われた 年以降も あべのハルカスなど駅周辺の再開発事業と連携する形で中央口を中心に改良工事を行い 年月にはコンコース内にコンビニとスイーツ販売との複合店舗 アントレマルシェ天王寺 が開業 天王寺ミオプラザ館の再改装工事も年月に終了し 同月リニューアルオープンした 年以降は東口の橋上通路の耐震リニューアル工事も行われている 京都駅でも駅ビルの完成に合わせて年までに大規模な改良工事を行い 嵯峨野線 関空特急 はるか 奈良線用のホーム増設 近鉄京都駅との改札分離 駅舎橋上化に伴う自由通路の新設などを行った 年以降もさらなる改良工事が行われ 年には駅西側にビックカメラ京都店を開業させている また年月には自由通路の西側に スバコ ジェイアール京都伊勢丹 が開業し 大規模な駅ナカが完成した そのほかの駅でも 駅ナカの充実など駅自体の集客能力の向上を進めている ユニバーサル スタジオ ジャパン を核とした土地区画整理事業により安治川口駅 桜島駅間の線路移設工事を年月に完了し 同時にユニバーサルシティ駅を開業させるとともに 公募により ゆめ咲線 の愛称が付けられた また 一部を除き線内折り返しのみの運転から大阪環状線への直通運転を大幅に増発するなどアクセスとしての輸送改善を行った 沿線人口の増加や 東海の そうだ 京都 行こう キャンペーン 年の代目京都駅ビル開業の効果による利用増加が著しく 大規模な輸送改善が行われた 年月に京都駅 藤森駅間 宇治駅 新田駅の複線化および小倉駅の開業 駅 分岐器 信号設備改良などの工事が完成 列車の速達化や増発 ラッシュ時の快速設定が実現した これらの一連の輸送改善の資金は京都府の負担のウェイトが高い なお 残る単線区間のうち 藤森駅 宇治駅間 新田駅 城陽駅間 山城多賀駅 玉水駅間 の区間 合計約が年春に複線化される予定で 複線化率は から に向上する 一方環境省が年 平成年 に国土交通大臣に提出した 奈良線の複線化事業に係る環境影響評価における 沿線環境対策についての指摘項目では 適切な環境保全措置を講じ 転動音 車両機器音及び構造物音の低減を図ること として ロングレール化や鉄橋におけるコンクリート床版化の極力導入と並び 系からの代替による低騒音型機器搭載車両の導入推進 が求められており 阪和線で運用を終えた系が転属し 年月日のダイヤ改正から営業運転を開始した 関西文化学術研究都市へのアクセス改善のため高速化と各種改良工事が行われた 松井山手駅 京田辺駅間の高速化工事では 大住駅 京田辺駅の構内改良 三山木駅付近の線路移設および高架化が行われ 列車の増発と京田辺駅までの両編成での運行が可能になった さらに京田辺駅 木津駅間の輸送改善工事で 同志社前駅 木津駅間でホーム延伸工事が行われ 年月日以降 全線で両編成での運行となり 京田辺駅での増解結作業を解消している 奈良線同様に利用が急増し 年に二条駅 花園駅間の高架化 年に二条駅 花園駅間を複線化するなど 線路移設や部分的な複線化によって輸送改善を行ってきたが 年からはさらなる輸送力増強のため 京都駅 園部駅間の全線複線化工事および嵯峨嵐山駅 亀岡駅の改良工事と 周辺道路の混雑解消と安全確保のため花園駅 嵯峨嵐山駅間の高架化工事が行われた おおさか東線は 大阪外環状鉄道を事業主体とし 京都線新大阪駅 大和路線久宝寺駅間約 を 城東貨物線を活用して旅客化する事業で 年月日に大和路線久宝寺駅 学研都市線放出駅間 が部分開業し 途中に駅が新設された これにより 奈良駅 尼崎駅間におおさか東線 東西線経由の直通快速の運転を開始した その後 長瀬駅 新加美駅間に新駅を設置することが決定し 衣摺加美北駅として年月日に開業した 当初新大阪駅 放出駅間 は年春開業の予定であったが 新大阪駅から梅田貨物線を経由し 再開発が進められている梅田北ヤード地区に設けられる新駅 仮称 北梅田駅 に乗り入れる計画に変更された影響で開業時期に遅れが生じた 同区間は年月日に開業し 途中に駅が新設され 先述の直通快速は新大阪駅発着となった 新大阪駅 北梅田駅間は年春の開業予定で 開業にあわせて大阪駅改札内に地下連絡通路を整備し 北梅田駅を大阪駅として扱うことが発表されている 天王寺駅構内の関西本線と阪和線を結ぶ短絡線は年月の完成以来 単線運転を行っていたが 関西本線との平面交差の解消と大阪環状線 阪和線間の直通列車増発を目的に複線化工事が行われ 年月日のダイヤ改正より使用を開始した 阪和線 関西空港線 きのくに線方面への直通列車は天王寺駅番のりばから番のりば発着に変更 あわせて新今宮駅でも配線の変更が行われ 大阪環状線方面への直通列車を一部番のりば発着としている 踏切の廃止による交通渋滞の解消や 鉄道線路による市街地分断の弊害をなくすため 連続立体交差事業および限度額立体交差事業が沿線自治体とともに進められている 以下にその供用開始時期を記す 運転本数の高密度化により 各駅で行っていた進路制御を大阪総合指令所にて一元管理し 列車の進路を自動制御する運行管理機能と 旅客に対して運転状況を自動的に案内する機能をもつ 関西空港線開業を控えた阪和線が年月日に導入したのを皮切りに アーバンネットワークの一部線区で導入している 導入線区は以下の通り 東北地方 とうほくちほう は 日本の地域のひとつであり 本州東北部に位置している 奥羽地方 おううちほう ともいう 最大都市は仙台市である その範囲に法律上の明確な定義はないものの 一般には青森県 岩手県 宮城県 秋田県 山形県 福島県の県を指す これら県は 本州の約割の面積を占める 東北地方は東日本に位置するが 気象や歴史地理学などでは北海道と一緒に北日本とされる プレート理論では 東北地方は北海道とともに北アメリカプレート上に存在し 東側から太平洋プレートが日本海溝で潜り込んでいる そのため 海溝型を中心に地震が多く ときには東北地方太平洋沖地震 東日本大震災 のようにマグニチュードを超える大規模な地震が起こることもある 東北地方の中央には 日本海溝と平行に南北に那須火山帯が走っている この火山帯の上には 下北半島の恐山山地 および 南北に長く奥羽山脈が連なっており 北から恐山 八甲田山 八幡平 岩手山 栗駒山 蔵王連峰 吾妻連峰 安達太良山 那須岳などの火山が多くある 那須火山帯 奥羽山脈 の上には十和田湖 田沢湖 鬼首カルデラ 蔵王の御釜周辺などのカルデラ地形が見られ 火山の恩恵である温泉も多い なお 猪苗代湖は断層湖である 日本海側には ユーラシアプレートと北アメリカプレートの境界が南北に走っているため 那須火山帯と平行に鳥海火山帯が南北に走っている この火山帯の上には 白神山地 出羽山地 太平山地 朝日山地 飯豊山地 越後山脈が連なっており 岩木山 鳥海山 月山などの美しい稜線を持った火山が見られる 山地が海に接する部分では 海岸沿いに温泉が湧いており 海を眺めながら入浴することができる 太平洋側には北上山地と阿武隈高地がある これらは 隆起地形が侵食され 現在は老年期地形となった なだらかで低い山地である 残丘として標高の早池峰山があるが 基本的になだらかな山地で 奥羽山脈より日本海側と比べると積雪も少ないためスキー場が少なく 火山帯ではないため温泉も少ない ただし昔 海底にあって隆起した証拠である鍾乳洞などの石灰岩地形が多く見られる 北上山地が海にせり出しているリアス式海岸の三陸海岸では 石灰岩が波に洗われてつくりだされた複雑な海岸線や真っ白な砂浜が見られ 親潮のコバルトブルーの海とコントラストを作り出している 阿武隈高地と太平洋の間は離水海岸となっており リアス式海岸の間の海が埋め立てられたような小規模な沖積平野が小高い山地と交互に存在しながら延と続く これら連の南北に連なる山脈 山地の間には 北上川 阿武隈川 雄物川 最上川などの河川が流れ 多くの盆地や平野を作り出している 気候は 小地形による修飾があるが 大きく日本海沿岸 那須火山帯山麓と西側 盆地 那須火山帯山麓を除く東側 盆地 太平洋沿岸 のつのグループに分かれており それぞれ異なった傾向を持っている また それぞれのグループごとに 北と南で微妙な違いもある 宮城県 福島県の太平洋沿岸を除いて全域が豪雪地帯で 一部特別豪雪地帯もある 日本海沿岸と那須火山帯山麓と西側 盆地 の 日本海側グループ は 日本海側気候となっており 夏季はフェーン現象により 晴天が多く 非常な高温になることがある 山形市で 度を記録 しかし 昼間の高温の割りに夜間は気温が下がって過ごし易い 冬季は 日照時間が少なく 豪雪地帯となっているところが多いが 特に奥羽山脈西側の盆地の降雪量が多い 太平洋側の那須火山帯山麓を除く東側 盆地 は 太平洋側気候と内陸性気候を併せ持つ 夏季は フェーン現象により高温となる日と 太平洋沿岸地域のような曇天で気温が低い日との両方がある 冬季も 寒気団や北風 西風などの諸要因が強いと日本海側のように雪が降る場合がある一方 太平洋沿岸地域のように 晴天になる日も多い 太平洋沿岸は 太平洋側気候と海洋性気候を併せ持つ 夏季は 北部 中部は通常曇天で気温が上がらず 数年毎にやませの流入により 低温で悪天候の冷夏となる年がある 南部 福島県浜通り の夏季は 太平洋高気圧の影響下に入り易く 高温で晴天の日が多い 中部 南部は 冬季の積雪量は少なく 晴れて空気は乾燥する 主な都市の冬 平年値 日本海沿岸 那須火山帯山麓と西側 那須火山帯山麓を除く東側 太平洋沿岸 のグループに色分けしてある 主な都市の夏 月 の平年値 日本海沿岸 那須火山帯山麓と西側 那須火山帯山麓を除く東側 太平洋沿岸 のグループに色分けしてある 古代の東北地方において 多賀城が設置されて早くから畿内に本拠地を置く政権の勢力が及んだ南東北 畿内政権の影響力が弱く 俘囚や奥州藤原氏の本拠となっていた北東北 といった古代からの南北区分と 陸奥国の 内陸国 政治勢力の地盤 出羽国の 沿岸国 経済勢力の地盤 の境界であった奥羽山脈による東西区分が 意味を変えながらも現代の東北地方内の区分と似た状況になっている ただし 文化的には戦国時代の大名の支配圏や 江戸時代の藩による区分の方が影響を残しており また 新幹線 高速道路 空港から遠い三陸沿岸や下北半島も 少なくとも意識の上では他の都市圏から独立した独自の地域圏を形成している 東北地方は 太平洋側 と 日本海側 のつに区分されることがある 両者の境界は 那須火山帯上にある恐山 奥羽山脈の線 または中央分水嶺による竜飛岬 津軽半島 奥羽山脈とする線などがある この分類は 気候 による区分でよく用いられ 日本海側は脊梁山脈である奥羽山脈の西側にあるため 特に日本海側盆地 国道号 国道号 国道号沿線 は冬の降雪量が多く 日本海沿岸 国道号沿線 は風が強い地域である 一方 太平洋側は奥羽山脈の東側にあり 太平洋側盆地 国道号沿線 は内陸性気候であるが降雪量は奥羽山脈西側ほど多くなく 太平洋沿岸 国道号 国道号沿線 は冬でも晴れが多くて雪がめったに降らない 夏の気候では 日本海沿岸はフェーン現象のために晴天で気温が上昇し易いが 太平洋沿岸はやませの影響で気温が低い年がある また 海流の面で 太平洋側は親潮と黒潮 日本海側は対馬海流 とリマン海流 の影響を受けるため 海運 の面でも 太平洋側 と 日本海側 に区分する 前近代においては 太平洋岸は波が荒く 航海が危険であるため 日本海側と比較して海運は活発ではなかった 現在は 動力を積んだ大型船の時代であり また 太平洋ベルトに近い利点から 太平洋側の海運が活発である 陸奥国の国府が仙台平野の多賀城に置かれ 出羽国の国府が庄内平野の酒田に置かれた事で解るように 陸奥は 内陸国 の 出羽は 沿岸国 の傾向が見られる 陸奥国 盆地 太平洋沿岸 は 沿岸平野がいわき市周辺 特徴的海岸 四倉 相馬市周辺 特徴的海岸 松川浦 仙台平野 特徴的海岸 松島 八戸市周辺 特徴的海岸 蕪島 と乏しく 波も荒く海流も強いため 陸上交通による関東地方との関わりが深い 内陸国 であった みちのく 一方 出羽国 日本海沿岸 は 沿岸に庄内平野 秋田平野 能代平野 津軽平野と 内陸部につながる沿岸平野がほぼ均等な間隔で存在し 北前船に代表されるように 古代から明治時代まで 海運による近畿地方との関わりが深い 沿岸国 であった 越後国の先にある地域 江戸時代には おおむね日本海沿岸の地域は銀遣い 太平洋沿岸の地域は金遣いであり その境界線はおおよそ下北半島の東岸であった 戊辰戦争終結の直後 明治元年旧暦月日 年月日 に 陸奥国は分割され 陸奥国 陸中国 陸前国 岩代国 磐城国が設置され 同じく出羽国も羽前国 羽後国に分割された 羽前と羽後の総称として 両羽 陸奥 陸中 陸前の総称として 三陸 という地域名が使われることもある 東北地方は 主要都市の間に東北新幹線 山形新幹線 秋田新幹線が通っている また 東北地方内陸を南北に貫く東北自動車道の他 太平洋側と日本海側を結ぶ高速道路がいくつも整備され 運行本数が少なく割高な在来線よりも 安価で速く便利に移動できる高速バスが 各都市間で運行されるようになった すると それまで空路で東京とつながってバラバラだった主要都市間の関係が 新幹線によるつながりや高速道路 高速バス によるつながりによって再編成されることになった 北東北三県は 各県知事の政治主導で 三県連合 の枠組みがつくられたが 元各県都間の地理的距離があり うち青森市や秋田市の場合 陸路では東京からの所要時間が長いため 新幹線が開通しても空路から陸路への旅客シフトが劇的には起きなかった その結果 新幹線の結節点である盛岡市を中心とした相互交流や 高速バスの低廉化 高頻度化などはあまり発生しなかった 一方 南東北三県においては 各県の県庁所在地や中心都市が元近接していたこともあり 仙台市との経済的結び付きが強い地域が 仙台経済圏 を形成している 南東北三県都 仙台市 山形市 福島市 がある中枢部は 南東北中枢広域都市圏という名称の協議会を結成して 人口万人を抱える大都市圏行政を行っている他 三県都連合 が経済後追いの形で形成されている 青森や下北半島などの地方では 青函トンネルや津軽海峡フェリー 青函フェリーを通じて函館など北海道道南地方との繋がりが深い 青森と函館との間では 青函都市圏 構想が練られている 福島県中通りは 栃木県と隣接しており 自家用車による交流は盛んだが 鉄道を介した繋がりは浅い 東北新幹線 この地方の名称は 歴史的に変遷している まず 古代には 畿内から始まる海道 後の東海道 と山道 後の東山道 の各の道の奥にあることから みちのおく みちのく とされ 当地方南部 南東北 に 道奥国 みちのおくのくに が設置された 後に陸奥国と出羽国が設置されると 両者から字ずつ取った 奥羽 奥羽両国 奥羽州 と呼ばれた また 両者を一括して実効支配を敷いた奥州藤原氏や奥州探題などの例から 単に 奥州 ともといわれた 東北 と称する文献例は 主に江戸時代 天保期以降の幕末になってから散見されるようになり この場合 東北国 と称する例もある 地方名としての 東北 の称が公的な史料で初見されるのは 慶応年 年 に佐竹義堯 秋田藩主 に下賜された内勅とされる ただし この場合の 東北 は五畿七道の内の 東北道 東海道 東山道 北陸道 すなわち 天皇の在所である畿内からみて東あるいは北東側にある全ての地域を指しており 西南道 山陰道 山陽道 南海道 西海道 と対比される または 東国と北陸の合成語とも考えられる 明治元年月日 西暦年月日 奥羽越列藩同盟諸藩に対する戊辰戦争の戦後処理の一環として 陸奥国が分割 磐城 岩代 陸前 陸中 陸奥 出羽国が分割 羽前 羽後 されると 陸羽 または 三陸両羽 との呼称が生まれた この場合 現在の福島県全域と宮城県南端に相当する磐城 岩代の国を除いた 残りの 陸 と 羽 が付く国の地域を指し 奥羽 とは指し示す領域が異なっているが 分割前の 陸奥国 と 出羽国 と見ることもできるため 混同されて使用される例も見られる 明治前半に奥羽両国は 明治元年成立の旧国の数から 奥羽州 東北州 あるいは 新設の県の数から 東北県 とも言われるようになる 廃藩置県が実施されて全国が政府直轄となると 当地方から北海道が切り離され 仙台県宮城郡仙台 後の宮城県仙台市 に国家の出先機関などが置かれていった これらの管轄範囲が公的には 奥羽 と呼ばれる一方 在野の民権派は 奥羽 奥羽越 あるいは 奥羽および北海道 の範囲を指す美称として 東北 を 西南 と対比して 用いるようになった 明治の後半になると民間でも 奥羽 の範囲を 東北 と呼ぶのが通例となり 公的にも 東北 が用いられるようになった 結果 東北 は日本の地域の中で唯一 民間由来の地方名として定着し 明治以降年以上に渡って 東北地方の主要企業 国家の出先機関 大学などの名称に多く用いられてきた そのため 現在は雅称の 奥羽 よりも美称の 東北 の方が当地方の呼称として一般的である かつては東北県よりも多くの地域が含まれていたこともあり 年に行われた 東北 対象の自由民権運動集会には新潟県 長野県 富山県 石川県 福井県が参加していた 現在でも 法的 経済的に新潟県が東北地方に区分される場合がある それは 明治時代から始まった水力発電との関係が強い 当地での電源開発の最重要地域のつに阿賀野川 只見川 があるが これは新潟県下越地方と福島県会津地方 両地域とも分水嶺である奥羽山脈の西側 を流域としており 電力において下越地方と会津地方は不可分であった このため 東北県 を供給範囲とする電力会社として 戦中の年 昭和年 には配電統制令により東北配電株式会社が設立された 戦後占領期になると進駐軍により 東北県 のくくりで統治が行われ 年 昭和年 には電気事業再編成令により東北電力が設立された 年 昭和年 のサンフランシスコ講和条約発効後になると 東北県 を対象範囲とする地域開発の法律がつくられた 昭和年代後半から始まる全国総合開発計画と国土形成計画でも これらの法律に則って 東北県 を以って 東北地方 としている 年月日から施行された国土形成計画法施行令以降は 東北圏 と称す また 北海道と 東北県 で 北海道東北地方知事会議が開催されている 経済においては これら法律の 東北県 の枠組みにしたがって東北経済連合会が構成され 関連する産 学 官連携シンクタンク 現在の名称は 東北開発研究センター 研究開発機構 東北インテリジェント コスモス構想など 地域ベンチャーキャピタルや地域投資ファンド 観光事業などでも新潟県が含まれている 東北経済連合会では 東京都より北に本社を置く企業で最大である東北電力がリーダーシップをとっており その経済力を背景に 同社提供のブロックネットのローカル番組が複数制作されて 東北県 番組内では 東北県と新潟県 という に放送されたり 同社が関係して 東北県 の地方紙で連携企画が掲載されたりしている 河北新報 以上のように 東北電力関連や経済政策の面においては 東北県 を以って 東北地方 とする例が見られるが 電力関連以外では東北県の方が一般的であり仙台に立地する機関が新潟県を管轄して 東北県 とする例は限定的である 東北史研究者の河西英通はその理由として 東北地方が凶作に見舞われたのと対象的に 新潟は大陸航路の拠点として開発が進んだことが原因と見ている 新潟県は 明治初期において日本で最も人口の多い道府県であり 都道府県の人口一覧 年の統計で新潟県県の工業生産額が南東北県合計とほぼ同じであるなど経済背景も異なる そのため 新潟県を東北地方に区分する場合は 東北地方 との呼称を用いずに 東北県 東北県と新潟県 東北地方と新潟県 東北圏 などと言って区別する例が多い 新潟県 新潟県の県庁所在地である新潟市と東北諸地域を結ぶ陸上交通網では 年に磐越西線 年に羽越本線 年に磐越自動車道が全通したが 関東方面や長野 北陸方面へ向かう交通網と比べると高速化が進んでいないうえ 新潟空港から東北地方への定期航空路線も存在しない 仙台空港 新潟空港間の定期航空便は長らく休止路線となっている 畿内政権の律令制 中央集権体制下では 出羽国は越国 北陸道 の先にある沿岸国 船で到達できて畿内に近い 陸奥国は東山道を徒歩で行くために 道奥 みちのおく みちのく すなわち内陸国と見なされていた そのため 現在のような測量された地図がなかった時代には 出羽は日本海沿岸の政治勢力の版図 陸奥は本州奥地の政治勢力の版図とされ その境界は在地の政治勢力の盛衰にしたがって変化し 必ずしも奥羽山脈できれいに東西に分かれていたわけではない 蝦夷 俘囚 勢力が後退した鎌倉時代以降は 政権のある鎌倉からは陸奥国の方が近くなり また 鎌倉と出羽国とは船での繋がりをもてなかったために出羽の沿岸国としての意味合いが薄れ 奥羽両国を一括して 奥州 とするようになった 奥州 東北地方 は 近畿地方の諸政権 平氏政権 室町幕府 豊臣政権 が支配した時代には 政権所在地からは遠いため 半独立的な政治勢力が生まれていた しかし 関東地方の諸政権 鎌倉幕府 江戸幕府 明治政府 には近いため 政権への従属的傾向が強くなる 明治以降は 北海道や東京への移住で知識層である武士階級を大量に失い 野蒜築港が台風のために年で閉港となったため 開港場が近くにない唯一の地方となって資本主義経済に乗り遅れた また 地租改正が行われた明治初期までは 他の地方に比べて貨幣経済の浸透が遅れており 国内市場としての重要度も低かった 現在は人口も増え 高速道路の整備も進んだため 東北地方内における陸上交通の再編と経済圏の形成が進んでいる 一方で 人口の仙台都市圏への集中 その他の地域の過疎化も進んでいる 旧石器時代は氷期の影響を受け 現在よりも寒冷であった そのため 当時の海岸線は現在よりも沖合いにあり 現在は海底に沈んでいるため 海岸線での生活についてはほとんどわかっていない 内陸の生活については 東北地方でも富沢遺跡や金取遺跡などでわかるが 他のいくつかの前期旧石器時代の遺跡が旧石器捏造事件によって研究が振り出しに戻ってしまったため 現在検証作業中である 縄文時代には気候が温暖化して 東北地方も縄文中期には現在より暖かかったと考えられている 当時の採集 狩猟 漁労を中心とした生活では 西日本よりも東日本の方が生活に適しており 東北地方は関東地方や中央高地とともに縄文時代の遺跡が高密度に分布する地域として知られる 最も人口密度が低かった近畿地方 中国地方 四国地方と比べて 人口密度が最も高かった関東は倍以上 東北も倍 倍程度の人が住んでいたと見られている そのため 年も続いた巨大集落である三内丸山遺跡などが存在し 栗栽培など原始的な縄文農耕も始まり 関東や中央高地などと共に縄文文化の中心を担った 縄文文化は縄文後期の寒冷化により衰退し 縄文末期には大陸から水田稲作が伝来し 北部九州や畿内など西日本を中心に弥生文化が発達する 東北においても比較的早い時期に弥生文化が伝播しており 水田稲作は弥生前期に伝来したと考えられているが 一般的には紀元前後と見られる弥生中期後半前後まで水稲農耕は完全に受容されたとはいえず 北部においては続縄文文化であったとする見方もある また 南部においても稲作の放棄と続縄文文化の南下が見られる 古墳時代には畿内から古墳文化が到達し 東北地方でも古墳が造られた 古墳が集中している地域は仙台平野や会津地方 山形県内陸部などの東北地方南部となっている また 奈良盆地に起源があるとみられる前方後円墳も造られ ヤマト王権との交流がすでに始まっていたと考えられている 東北地方最大の前方後円墳は 宮城県名取市にある雷神山古墳である 宮城県北部 秋田県以北 山形県庄内地方が含まれるとする説もある では末期古墳が分布する なお 東北北部の青森県域では続縄文文化が持続し 古墳は小規模な終末期古墳に限られている 古代に入ると ヤマト王権と奥羽越地域 東北地方と新潟県 の諸勢力との関係は 古墳時代までの緩い地域連合のレベルから 徐に中央集権的な都と地方という関係に移行していく 畿内政権側から見た古代の東北地方と 現新潟県の米山峠以東 中越地方 下越地方 佐渡島 は 未征服地 であり 畿内政権に服従しない異民族 蝦夷 えみし が住んでいるとされた 蝦夷の住んでいた範囲には諸説ある 以降 古代から中世にかけて 畿内政権側の征服戦争と 東北地方 特に奥六郡 の独立や半独立の動きの中で 征夷軍と蝦夷軍が衝突し 東北地方の歴史は作られていった この流れの中で 世紀半ばに 太平洋側の現在の福島県から宮城県中部辺りまでと 山形県の南部 置賜郡 と中部 最上郡 が畿内政権側に服従し 常陸国から分離される形で道奥国 みちのく 後に陸奥国 が設置された この地域は 古墳時代に前方後円墳が幾つも造られた地域である 世紀の内に 宮城県内は平定された 日本海側では すでに新潟県上越地方 頸城郡 まで征服したヤマト王権と越国 こしのくに の連合軍が 柵 き と呼ばれる前線基地を築きながら北進する まず 大化年 年 に渟足柵 現在の新潟市中心部 さらに大化年 年 に磐舟柵 現在の岩船郡 村上辺り を設置し 日本海沿岸を次と越国に組み入れていった 斉明天皇年 年 になると 越国守であった阿倍比羅夫が 艘の軍船を率いてさらに日本海沿岸を北上し 鰐田 あぎた の浦 現在の秋田市周辺 から津軽地方へと到った 日本書紀 これが蝦夷征討なのか武装交易船団なのかは定説がない 少なくともこの阿倍水軍は斉明天皇年 年 斉明天皇年 年 の間に度来航し 交易をして帰っている その後 畿内政権と同盟関係にあった百済が新羅の侵攻を受けたため 阿倍水軍もその戦列に加わり東北日本海側への遠征は中断された 律令制整備が進み 中央集権国家として確立してくると さらに地方の支配体制の整備も進んだ 朝廷軍は 北進して庄内地方に達し 現在の酒田 の最上川河口部辺りに出羽柵を設置 越国 こしのくに が越前国 越中国 越後国のヶ国に分割されると 和銅元年月日 年月日 庄内地方に出羽郡が設置され 越後国に組み入れられた この出羽郡は 和銅年月日 年月日 に越後国から分立して出羽国になり 後に陸奥国から置賜郡と最上郡を譲られて 沿岸国だった出羽国は内陸部を得る 国府は現在の酒田市の北東部にある城輪柵遺跡に設置されたと考えられている 養老年 年 に発生した蝦夷の反乱 征夷将軍 多治比縣守により鎮圧 後 養老年 神亀元年 年 東北太平洋側に多賀城が築かれ 南東北は朝廷側の支配体制に完全に組み込まれた さらに北進した朝廷軍は 天平年 年 に出羽柵を秋田高清水岡 現在の秋田城跡 に移した ただし 現在の秋田県の領域では 沿岸部のみが支配下に入っただけで 内陸部はやや緩い支配だった 年 天平年 大野東人により多賀城から出羽柵への連絡通路が開削された 北東北では 北上山地で 平洋と隔絶され 多賀城からも離れている現在の岩手県内の北上川流域 奥六郡 日高見国 および 秋田県の横手盆地などが蝦夷の勢力域として残り その後の朝廷 多賀城 との抗争に続いていく 宝亀年 年 の光仁天皇の時に伊治呰麻呂が反乱を起こし 多賀城を奪った 平安時代の桓武天皇は 回に渡る蝦夷平定を行い 坂上田村麻呂が征夷大将軍となって 蝦夷軍のアテルイと戦って勝利し 奥六郡に胆沢城を築いた 敗れた蝦夷軍は朝廷への服従を誓って俘囚となり 一部は日本各地に集団で強制移住させられた 朝廷の支配が確立すると 関東地方や北陸地方から多数の入植者 柵戸 が入り 東北地方の内地化が進んだ 俘囚の中から安倍氏が勢力を伸ばして 奥六郡を本拠地に糠部 現在の青森県東部 から亘理 伊具 現在の宮城県南部 にいたる広大な地域に影響力を持ったが 源頼義と対立し滅ぼされた 前九年の役 その後清原氏が勢力を張ったがこれも源義家に滅ぼされた 後三年の役 この両役を通じて それまで陸奥国 東の奥 と出羽国 北の端 と認識されていた両地域を一まとめする認識が生じたとする見解がある 日本六十余州と呼ばれたうち 東北の広大な領域に僅かカ国しか設置されていないという不均衡な状態は実に明治維新期までの長きに及ぶが これは政権が武家に移行して分国制度が完全に形骸化したためでもあり 東北の人口密度や生産力がずっと低かったわけではない 太閤検地では既に陸奥国は他国平均の倍以上 出羽国も倍程度の石高となっている 平安時代末期から中世初期には 北上川流域 奥六郡 を中心として奥州藤原氏が栄え 平泉が平安京に次ぐ日本第二の都市になるまで発展する 奥州藤原氏は陸奥 出羽両国の院領や摂関家荘園の租税を徴することで財力を蓄えたとみられる しかし 源義経を匿ったかどで鎌倉政権側より軍事攻撃を受け 源頼朝によって滅ぼされた その後坂東出身を中心とする武士団が多く配置されるとともに 北条氏の所領が広く設定されたが 一部には津軽地方の安藤氏のように在地領主と見られる豪族も勢力を維持した 安藤氏は北条得宗家から蝦夷代官に任命され 北東北から北海道を支配したといわれている 安藤氏の本拠地十三湊は交易で栄え 日本有数の都市となった しかし 室町時代には安藤氏は南部氏との抗争により津軽を追われ秋田地方に移り 十三湊の繁栄は失われた 鎌倉幕府滅亡後の後醍醐天皇の建武の新政では 奥州平定のために北畠顕家が派遣され 陸奥国府を支配した 南北朝時代に入ると南朝の北畠顕家 北畠顕信と北朝の石塔氏 吉良氏 畠山氏 斯波氏が激しく争い 最終的に北朝の斯波家兼が奥州管領として勝利した その後斯波氏が奥羽両国に勢力を扶植するが次第に衰退したため 関東を統治した鎌倉府に統合された 鎌倉府は統治能力の強化のため奥州南部に篠川公方 稲村公方を配置するが 室町幕府と鎌倉府の対立の中で 斯波氏 大崎氏 最上氏 は室町幕府から奥州探題や羽州探題に補任される さらに有力国人は鎌倉府と対立するため 室町幕府直属の京都扶持衆となる例も多く見られた 戦国時代には山形の最上氏 伊達の伊達氏 秋田の秋田氏 三戸の南部氏 会津若松の蘆名氏などが割拠した 関ヶ原の戦いの後 常陸国水戸の佐竹氏が安東氏の後裔の秋田氏と入れ替わりに秋田に転封された 特に伊達政宗は戦国末期に急速に勢力を拡大し 奥羽六十余郡の半分を影響下に置いた なお 出羽国の内陸部 奥羽山脈の西側に連なるいくつもの盆地群 は盆地を中心とする領域支配を確立し 東北地方の戦国時代の主役を担った それは 職業歩兵 軍人 である足軽が兵農分離されていなかった戦国初期においては 組織できる兵力に限界があり 盆地程度の広さが領国支配に適していたためで 出羽国内陸部の盆地の諸勢力は 陸奥国領域にも積極的に攻勢に出た 近世 江戸時代の有力な大名としては 上越市から会津若松 さらに米沢に移った上杉氏 保科正之を家祖とする会津松平氏 米沢から仙台へ移った伊達氏 水戸から秋田へ移った佐竹氏 盛岡の南部氏などがある 山形の最上氏はお家騒動で後に改易され 近江で五千石の旗本となる 江戸時代後期には地球的な気象変動などにより飢饉が頻発するようになり 天明の大飢饉に至っては万人以上の餓死者 疫病者が出るだけでなく 住民の多くが無宿者となり江戸へ流入する事態となった そのような中 藩財政の再建を行って飢饉に抗した米沢藩主上杉鷹山などの例は有ったものの 気象予報の難しさなどに阻まれて全体に状況は好転せず 天保の大飢饉でも東北地方は多くの死者を出した 江戸幕府が大政奉還を行って後 幕末の慶応年 明治元年 年 には北陸地方東部の北越戦争から続く会津戦争など戊辰戦争の舞台となり 東北や北陸東部の諸藩は奥羽越列藩同盟と呼ばれる軍事同盟を結んで新政府軍より身を守ろうとした しかし戦いに敗れてしまったため 同盟参加の藩はいずれも所領を大幅に減らされる処罰を受け 経済は壊滅同然にまで追い詰められた そうした状況の中 俸禄の支払いが困難となった家臣団 武士階級 知識階級 などを北海道へ移住させ 札幌などの諸都市を開拓して北海道の歴史に名を遺す例が相次いだ 新政府側につき 奥羽越列藩同盟を離脱した秋田藩 弘前藩などもまた 戊辰戦争で多くの犠牲を払い莫大な出費をしたため困窮は避けられず 同様に北海道に多くの移住者を出した 一方で庄内藩は最後まで幕府側として戦ったものの 西郷隆盛の意向もあり比較的軽い処分で済んでおり 米沢藩もまた維新後に積極的に新政府に協力することで軽い処分となった 明治元年月日 年月日 戊辰戦争に敗けた奥羽越列藩同盟諸藩に対する処分が行われた 同日 陸奥国は 磐城 岩代 陸前 陸中 陸奥国に 出羽国は 羽前国 羽後国に分割された この分割によりできた 陸前 陸中 陸奥 は 三陸 とも呼ばれ リアス式海岸の 三陸海岸 や 世界三大漁場のひとつ 三陸沖 などの語に用いられている 明治年月日 年月日 の廃藩置県などを経て 現在の東北県が作られた この時期 戊辰戦争の勝利によって明治政府はその権力基盤を確立し 幕藩体制に則った伝統的な社会秩序はその権威を完全に失った また西南諸藩に比べもともと経済基盤が弱かったこともあり 秩禄処分によって経済的な困窮へと追い込まれた各地の領主と家臣の間で 窮余の策として 北海道移住 と 帰農 が広く行われた また東北地方では専売制度により収入増を図る藩が多かったため 土地の産物がそのまま税として支払いを求められる例が多く 農民などの庶民が産物を現金化できるシステムとしての市場は存在しないに等しかった しかし明治維新の後は 市場の存在する他の地方と同様に税を現金で払うよう政府から命ぜられたため 産物の現金化に不慣れな人が相次いで破産するなど 地域全体が大規模な経済的混乱に陥った 明治時代に入り 富国強兵 殖産興業が日本各地で本格化した時代を迎えても 郡山盆地における安積疏水 宮城県の野蒜築港 東北帝国大学設置 岩手県の釜石製鉄所などの例外を除き 東北地方では政府による大規模な投資や開発は見られなかった 野蒜築港が台風によって破壊された後も修復や代わりの港の建設はされず 鉄道のうち最初に敷設された東北本線は官営による国家計画としては行われなかった 大蔵卿 松方正義による松方デフレは 農産物の価格下落をもたらし 全国的に小作農の比率を上昇 小作農率の全国平均 させた その影響によって 全国的には富裕層による地主所有の寡占化が進み また産業化 生糸産業 造船業など が進んでいた関東の都市部などは経済が好調となった一方 常磐炭田周辺などを除き工業化の遅れていた東北地方は更なる経済的ダメージを蒙ることとなった そのため多くの者が女工や各種労働者として都市部などへと働きに出ざるを得なかった さらに 日清 日露戦争後に顕著となった日本の対外進出指向は 日本内地の開発の軽視につながり 地方の近代化を遅らせる結果を招いた 特に年 明治年 の韓国併合後は 朝鮮半島から廉価な米が流入したために米価の低下を招き 東北地方にとっては大きな痛手となった また昭和になってからは 農家の次男 三男などを中心に旧満州国などへの移民が活発化した 年 昭和年 には昭和東北大凶作が発生し 身売りや欠食児童が続出 二 二六事件を起こす要因の一つとなった 第二次世界大戦後は農地改革により 従来の封建的な地主小作関係は過去のものとなった 東北地方でもようやく工業化が進み始め その生活水準は顕著な向上を見せたが 一方では再投資の進む太平洋ベルト地域の著しい発展に取り残され 経済力の弱さがより目立つ形ともなった 高度経済成長時代に入ってもそれは変わることなく インフラ整備の遅れ 東京方面への出稼ぎや集団就職などによる人材流出 それに伴う深刻な過疎化といった新たな問題が認識されるようになった 東北地方の方言 いわゆる東北弁は 方言学では東日本方言に区分されている 太平洋側では関東方言 特に東関東方言 との共通点が多くみられるほか 日本海側では近世の北前船の交易による関西方言の影響もみられる アクセントは 太平洋側南部 宮城県南部 山形県内陸と福島県 の無アクセント 南部日本海側から北部の大半にかけて分布する北奥羽式アクセント 外輪東京式アクセントの亜種 三陸海岸北部の外輪東京式アクセントに大きく分かれる かつては聞き取りにくい 理解しにくい方言の代表として鹿児島弁とともに挙げられることが多く 他の地方と比べて開発が遅れていたこともあり暗いイメージや否定的な印象を持たれることもあったが 現代においては 温かい人情や素朴さの象徴とする肯定的な見方も生まれた しかし 方言話者自身にとっては 勝手なイメージ付け に過ぎない点で従来の否定的な評価と何ら変わらず 必ずしも好意的に受け取られるとは限らない 現代では東北地方でも若い世代では共通語化が進んでいる一方 従来の古いイメージに最初から囚われない人も増えてきている なお 一般的に東北弁と思われている特徴 としては などがある しかし これらの特徴が当てはまる方言と当てはまらない方言がそれぞれ存在する 東北地方以外で東北方言を聞ける場所の代表として かつては上野駅 厳密には東日本 旧国鉄の上野駅 特に長距離列車が多く発着した地上ホーム がよくいわれた 実際に石川啄木の短歌や 高度成長期の望郷ものの流行歌にも登場していたが 東北新幹線の東京駅への乗り入れ 年 などによって上野駅と東北地方との結びつきは劇的に弱まり すでに過去のイメージとなりつつある 東北地方全体としての人口動向を見てみると 戦後は自然増 第一次ベビーブーム を中心に人口増の時代となり 年には東北地方全体で約万人に達した 年代の高度経済成長時代には 金の卵 の名の下に 主に京浜方面に集団就職したり出稼ぎに出たりするようになり 民族移動にも似た人口減 社会減 の時代に入る この流れは年初頭まで続き 第二次ベビーブームによる大幅な自然増があったにも関わらず 年には万人にまで人口が減った その後 ニクソンショックとオイルショックによって低成長時代に入った東京への流出が減少し 東北地方は再び人口増の時代に入る ベビーブーム終了後は 万人を越える市場性と第三次産業への産業転換により地方中核都市の社会増が起き 日本全体の長寿化 死亡率低下 も手伝って堅調に人口は増え続けた バブル景気期には 一時 東京圏から転入超過ともなり 世紀末に約万人に達した 世紀に入り 東北地方全体の景気低迷と 高度情報化や金融の東京一極集中のために 人口は再び社会減による減少に転じている 今後は 長寿化の限界と団塊の世代の高齢化による死亡率の増加 及び少子化の影響で自然減になり 人口は引き続き減少していくと見られている 明治時代 世紀末 の東北地方の人口 順位は全国順位 現在は 都市化が進んでおり 東北地方全体の都市部の人口 県別の人口順位も面積順位 東北地方 なお東日本大震災以降 福島第一原子力発電所事故の影響で一時的に郡山市やいわき市の人口が人規模で減少した一方 内陸部の被害がほとんど無かった仙台市や被害が皆無だった盛岡市では津波被災地域からの転入で人口が人規模で増加していた 東北地方は 白河の関から本州最北端の大間崎まで道なりに以上あり 東京から姫路間の道のりより距離がある そのため 東北地方の陸上交通路は 東京までの到達時間短縮が第一に重視され 街道 鉄道 道路の整備は まず南北を結ぶ交通路が整備された また 太平洋側の交通の整備が先に進み 日本海側については概してその後に整備された 以下は主要駅間の路線距離の毎概数 東北地方の諸都市の間隔に近い太平洋ベルトの都市を示す 現在 南北陸上交通においては 主に東北新幹線 東北自動車道により関東地方と連結され 旅客では新幹線が優位に立っている 東京への到達時間短縮のために高速交通機関が発達したが 一方で東北地方内の旅客移動も活性化させ 特に太平洋側は 距離に関わらず南北間の都市間交流が盛んとなっている また 本州 北のターミナルである青森県は 津軽海峡を挟んだ北海道との間に青函トンネルが開通し 諸都市間の関係が深まっている 以前は青森 函館間に青函連絡船が運航されていたが トンネル開通でフェリー航路が設定され 東北道 八戸道と連動したトラック流通に対応している なお 近年 南東北と東京との間に都市間ツアーバスが格安で参入し 高速バスと熾烈な旅客獲得競争を繰り広げている 他方 東西の交通については 山脈 山地などに阻まれながらも明治時代から鉄道や国道が整備されてきたが 高速交通への対応は遅れた 東西高速交通は 幹 である東北新幹線や東北自動車道と接続する 枝 のように整備され 世紀末に秋田新幹線や連絡線の高速道路が整備された この結果 郡山と会津若松 仙台と山形 盛岡と秋田となどとの間で 自然障壁を越えた地域圏や経済圏の形成が進んでいる 東西交通の高速化により 現在の東北地方は 交通インフラの利便性の違いによりつの地域に分類される 東京との交通上の関係で見ると 太平洋側から奥羽山脈西側に隣接する盆地群までがいわば 新幹線派地域 それ以外の日本海沿岸地域が 航空機派地域 に分けることができる 両者の東西の境界はほぼ出羽山地である 新幹線派地域 にある仙台空港 仙台都市圏内の名取市 岩沼市 は 多数の国内線や国際線が就航していて 国際線に至っては利用者の半分以上が宮城県居住者以外となっており 新幹線派地域 の拠点空港となっている 日本海沿岸地域 津軽平野 秋田平野 庄内平野 は 東北新幹線に接続するまでに時間がかかるため 東京とは空路需要が多く 航空機派地域 となっている 現在 東北地方の各空港同士を結ぶ路線は存在しないが かつて仙台空港からは直線距離が程度まででも東北地方内を含めて路線が定期路線として就航していた その他にも新幹線の開通で空港の旅客数が顕著に減少する例が多い 参考として 空港に近い主要都市からの平成年月日ダイヤ改正時点での最速所要時間を併記する 江戸時代には 北前船によって日本海側の港町が 東回り航路によって太平洋側の港町が栄えた また 大小さまざまな漁港があり 遠洋漁業が盛んだった時代には大いに賑わった 現在は 地場の魚 沿岸漁業 沖合漁業 の特産化や高級化で活気がある漁港が数多く存在する 工業港 貿易港としては 仙台 小名浜 石巻 八戸 秋田が 旅客港として青森 八戸 仙台が重要な港湾となっている 東京へは主に東北新幹線が主力となって輸送している 年に東北本線黒磯 郡山 仙台間が開業 その後年に仙台 一ノ関 盛岡間 年には盛岡 青森間が開業し 幹 である東北本線が開通した 年に東北新幹線大宮 盛岡が開業し また年には盛岡 秋田を新幹線直通列車が結ぶ秋田新幹線 年には福島 山形を新幹線直通列車が結ぶ山形新幹線が開業 山形新幹線は年に新庄まで延伸 し 県庁所在地対東京は本の新幹線によって結ばれた その一方 酒田 鶴岡対東京は上越新幹線と特急いなほが優位 他にも新庄経由ルートも存在する いわき対東京は特急ひたちなど 幹 である東北新幹線を利用しない最短ルートも存在する これらの地域は 枝 である東西連絡路線が後発であったことが影響している 東北地方は 医師の数が人口比で全国水準より低い上 無医地区も広いため 高速道路や国道体系と医療体制との関係が深い 高速道路 国道は 都市部にある高度医療を行う病院や救急救命センターへの搬送路として機能し 救急車緊急退出路も整備されている また 都市部に偏る常勤医を郡部へ非常勤医として送る供給路としても利用されている アメリカ航空宇宙局 アメリカこうくううちゅうきょく 或いは米国国家航空宇宙局 べいこくこっかこうくううちゅうきょく に基づき 先行の国家航空宇宙諮問委員会 を発展的に解消する形で設立された 正式に活動を始めたのは年月日のことであった はアメリカの宇宙開発における国家的努力をそれ以前よりもさらに充実させ アポロ計画における人類初の月面着陸 スカイラブ計画における長期宇宙滞在 さらに宇宙往還機スペースシャトルなどを実現させた 現在は国際宇宙ステーション の運用支援 オリオン宇宙船 スペース ローンチ システム 商業乗員輸送などの開発と監督を行なっている 宇宙開発に加えてが帯びている重要な任務は 宇宙空間の平和目的あるいは軍事目的における長期間の探査である 人工衛星を使用した地球自体への探査 無人探査機を使用した太陽系の探査 進行中の冥王星探査機ニュー ホライズンズ のような太陽系外縁部の探査 さらにはハッブル宇宙望遠鏡などを使用した ビッグ バンを初めとする宇宙全体への探査などが主な役割となっている 年月に発表されたの到達目標は 宇宙空間の開拓 科学的発見 そして最新鋭機の開発において 常に先駆者たれ であった これを受け アイゼンハワー大統領およびその側近は対応策を慎重に検討し 数ヶ月にわたって討議を重ねた結果 非軍事目的の宇宙活動を実施するためには 陸海空軍などが独自に宇宙開発を進める状態を改め 指揮系統を一元化するべきだ との結論に達し 国防高等研究計画局 も同時に 創設されることとなった 同年月アイゼンハワーは議会で演説し 民間主導の宇宙開発機関を新設する意向と アメリカ航空宇宙局設立のための予算案を述べた のそれまでの役割は たとえば調査活動ひとつを取ってみても その規模や進展 管理 運営などの点において変革がなされるべきであった 月日 議会は予算案を承認し 同時に設立のための具体的な根拠となった 国家航空宇宙決議 についても若干の言及をした そのわずか日後 フォン ブラウン率いる作業グループは予備報告書を提出し その中で現状のアメリカの宇宙開発には様な機関が割り当てられ 相互の連携が欠落し国家的労力が重複していることを痛烈に批判した スティーヴァーの宇宙開発委員会はブラウンらのグループの批判に同意し 月には最終的な草案が提出された フォン ブラウン博士が所属していた陸軍弾道ミサイル局と 海軍調査研究所もまたに併合された がソ連との宇宙開発競争に参入するにあたって重要な貢献をなしたのは かつて第二次大戦下のドイツにおいて フォン ブラウンに率いられたロケット計画で開発された技術であった そこにはロバート ゴダード博士の初期の研究の成果も取り入れられている 空軍および国防高等研究計画局が行っていた初期段階の研究も に引き継がれた 年月には カリフォルニア工科大学が運営するジェット推進研究所もの指揮下に入った が最初に行ったのは 冷戦下におけるソ連との熾烈な宇宙開発競争の中で実施された有人宇宙飛行計画であった 年に開始されたマーキュリー計画はまだほとんど手探りの状態で そもそも人間は宇宙空間で生存できるのかという初歩的なことを調べることから開始された また陸 海 空軍からも代表者が送り込まれ を支援した 飛行士の選抜は すでにいる選び抜かれた軍のテスト パイロットの中から候補を絞り込めばよいだけなので 比較的容易であった マーキュリー計画の終了後 月飛行に必要な種の問題を解決し実験を行うためのジェミニ計画が始まった 飛行士を搭乗させての初飛行は年月日のジェミニ号で ガス グリソムとジョン ヤングが地球を周した 続く回の有人飛行で 長期間の宇宙滞在や 他の衛星とのランデブーやドッキングが可能なことが証明され 無重力が人体に及ぼす医学的データが集められた またこれと平行して は太陽系探査のための様な宇宙機を打ち上げた 史上初の有人飛行 ボストーク号 と同様 月の裏側の写真を初めて撮影したのはソ連の探査機だったが 地球以外の惑星 金星 を初めて探査したのはのマリナー号だった アポロ計画は 人間を月面に着陸させかつ安全に地球に帰還させることを目的に構想された しかしながらアポロ号では 地上での訓練中に火災事故が発生し 飛行士名が犠牲になった これにより アポロ宇宙船は人間を搭乗させる前に数回の無人試験飛行を行うことを余儀なくされた 号と号は月を周回し 多数の写真を持ち帰った 年月日 アポロ号が月面に着陸し ニール アームストロングとバズ オルドリン両飛行士が人類として また地球上に誕生した生物として 初めて 地球以外の天体の上に降り立った 号では月に向かう途中で宇宙船の酸素タンクが爆発する事故が発生したが 名の飛行士は無事地球に帰還することに成功した アポロでは計回の月面着陸が行われ 貴重な科学的データと近い岩石のサンプルを持ち帰った また土質力学 流星物質 地震学 伝熱 レーザー光線を使用した地球と月の間の正確な距離の測定 磁場 太陽風など 多数の科学的実験が行われた スカイラブはアメリカが地球周回軌道上に打ち上げた初の宇宙ステーションである トン近く 正確にはトン もある機体は年から年まで地球を周回し続け 年と年に回にわたって飛行士が搭乗した スカイラブでは当初は太陽系の他の惑星が及ぼす重力の変位の調査が行われる予定だったが 国民が宇宙開発に関心を失い予算が削減されたことにより任務が縮小された 実験の中には 微少重力が及ぼす影響を調べることや 搭載された望遠鏡で太陽の活動を観測することも含まれていた 当初はスペース シャトルとドッキングさせ より高い安全な軌道に移行させることが計画されていたが シャトルが初飛行に成功する前の年に大気圏に再突入して消滅した 回目の搭乗員 が年月に下船した後 太陽の活動が活発になり その結果地球の大気が暖められて大気圏が膨張し 機体にかかる空気抵抗が増大したため再突入の時期が早まったのである スカイラブは年月日 ごろに再突入し オーストラリア西部からインド洋にかけて破片が散らばったが いくつかの残骸が回収された アポロ ソユーズテスト計画は 年月にアメリカとソビエト連邦の間で初めて行われた共同飛行計画である アメリカにとってはこれがアポロ宇宙船の最後の飛行であり また年月にスペース シャトルが打ち上げられるまで 有人宇宙飛行は中断された シャトルのニュースは にとって必ずしも明るいものばかりではなかった 打ち上げにかかるコストは当初に予想していたものよりもはるかに高くつき 発射が日常化されるにつれ国民は宇宙開発に対する関心を失っていった そんな中で年に起こったチャレンジャー号爆発事故は 宇宙飛行にともなう危険性を再認識させることとなった そんな中で 後に国際宇宙ステーション へと発展するフリーダム宇宙ステーション計画が 有人宇宙飛行の焦点として開始されたが このような計画はボイジャー計画のような無人惑星探査に比べ 費用がかかりすぎるのではないかという議論が内部にさえもあった その一方で シャトルはハッブル宇宙望遠鏡 のような画期的な計画も成功させた はとヨーロッパ宇宙機関 の共同開発によって行われたもので この成功によって他国の宇宙機関との協力という新たな道が開かれた に費やした予算は億ドル以下で 年に稼働して以来 数多くの鮮明な天体写真を送り続けている その中でも 草分けとなった ハッブル ディープ フィールド は特に有名である は 主な機材の運搬はすべてシャトルに頼っている 年のチャレンジャー号と年のコロンビア号の事故で シャトルは機の機体と名の飛行士を失った 年の事故では新たにエンデバー号が製造され喪失した機体の埋め合わせがなされたが 年の事故ではそのような補強はされず 新型宇宙船オリオンへの移行が決定された や日本の宇宙航空研究開発機構 など ステーション建設に投資した他の国はの完成に懸念を表明したが これに対し宇宙運用局長のウィリアム ガーステンマイヤー は 計画には柔軟性がありシャトルは年にはヶ月で回の飛行を成功させていること は危機的な日程にも対応できる能力があることなどを説明した は世紀初頭までにの有人宇宙飛行を含む多数の宇宙計画を成功させてきた 中でも著名なのは 号による史上初の月面着陸を含む 一連のアポロ計画である スペース シャトルはチャレンジャー号とコロンビア号の事故により 名の搭乗員全員の命が失われるという大きな障害に見舞われた シャトルはロシアの宇宙ステーションミールとのドッキングを果たし 現在はロシア 日本 カナダ 欧州宇宙機関など世界の多数の国が共同参加している国際宇宙ステーションへのドッキングが可能である 無人飛行計画もまた多数行われており 太陽系のつの惑星 水星 金星 火星 木星 土星 天王星 海王星 はいずれも少なくとも一度は探査機が訪れ 年に打ち上げられたカッシーニ 探査機は年の半ばに土星の周回軌道に乗り 土星表面やその衛星を探査している カッシーニはのジェット推進研究所と欧州宇宙機関による 年以上におよぶ国際協力のたまものであった またパイオニア 号およびボイジャー 号の機は太陽系を離れた は現在の所 小惑星帯を越えて太陽系の外側へ探査機を送り込んだ唯一の宇宙機関である いくつかの小惑星や彗星にも探査機が接近し シューメーカーは史上初の小惑星への着陸を行った 火星に対しては 水や生命の存在や地質や気候についてを観察をする目的で多数の探査計画が行われてきた 火星探査機はすべてカリフォルニア州パサデナのジェット推進研究所で作成されている マリナー計画やバイキング計画に続き 年に打ち上げられた マーズ パスファインダー は翌年に火星に年ぶりに着陸し 同時期に打ち上げられた マーズ グローバル サーベイヤー は上空から火星を観測した また初の世界的規模の測量は 年にゴダード宇宙研究所の科学者たちにより ニンバス 号を使用して行われた 国家的規模の自然復旧計画の中の一つとして は南サンフランシスコ湾の平方キロメートルにおよぶ政府による塩湖の干拓事業が 周辺の環境にどのような影響を及ぼしているのかを衛星を使用して観察している または 環境破壊の予防とエネルギーの削減および水資源の確保に直結する計画に 全機関をあげて取り組んでいる これらの事実により アメリカ政府の環境問題に関わる専門機関はであることは明らかである 地球科学事業 の主目的は 自然に対する理解を深め人間が地球環境に与えた変化を知ることである そのためは その目的を達成するために関係諸機関と長年にわたり協力してきた 年代末までに同事業が行ってきた計画は 以下のとおりである は国立再生可能エネルギー研究所 と協力して 世界的規模の太陽資源地図を作成している また重非水液による水質汚染を除去するための 革新的な技術を評価する取り組みも続けている 年月日 はアメリカ合衆国環境保護庁 アメリカ合衆国エネルギー省および空軍との間で 自然酸化膜除去および重非水液の酸化還元反応を矯正する二つの革新的な技術についての合意書を取り交わし ケネディ宇宙センターにおいてその実験に協力することを約束した 国立宇宙局は軍およびアメリカ国防契約管理局と協力して 汚染予防のための共同グループ を結成し 汚染物質を除去するための取り組みを続けている 現在の 宇宙開発における合衆国の指針 の中で は 宇宙の探査および開発 獲得に 有人あるいは無人機を使用した継続的で実行可能な計画を実施し 地球 太陽系 宇宙に関する根本的な科学的知識をより広げるために民間の宇宙機を使用する と述べている 現在は火星 土星といった深宇宙への探査計画 および地球や太陽に関する研究計画が進行中である また水星や冥王星へと向かう探査機もすでに打ち上げられている 計画中の木星への探査計画が実現されれば 太陽系の半分以上の惑星を網羅することになる より発展した大型の移動探査機 マーズ サイエンス ラボラトリー は現在進行中で 当初は年月に発射の予定だったが 技術的な問題により若干の遅れが生じ 年月に打ち上げられた 冥王星探査機 ニュー ホライズンズ は年に打ち上げられ 年に冥王星を観測した 水星探査機 メッセンジャー は水星への接近を繰り返しながら減速し 年月に水星の周回軌道に乗った その他 小惑星帯の探査を目的とする ドーン や 複数の彗星探査機が飛行中である 現在準備中の計画には 火星の大気を研究するための マーズ スカウト計画 の一環としての メイヴン がある 我が住むこの惑星を理解し 保護すること 宇宙を探査し 生命の起源を探ること 次の世代の探求心を鼓舞すること それができるのはだけである 上院の 国土安全保障 政府問題委員会 幹部は年月日にグリフィン長官を招致し この変更に対する懸念を表明した はこの年 いくつかの地球探査計画を中止していた この計画を奨励するために は年に 年間の挑戦 と称する 非政府組織による科学賞を設立した この中では たとえば船外活動の時により効率よく作業できる宇宙服の手袋など 宇宙開発の展望 計画のために有益な発明が表彰されている しかし この計画は年にバラク オバマ大統領により中止された 長官は同機関における最高責任者であり また大統領の宇宙科学に関する最高顧問でもある の本部はワシントン にあり ここからすべての支局に指示を出している ミシシッピー州セントルイス近郊のジョン ステニス宇宙センターの敷地内には 共同サービスセンターがある 共同センターの建設は年に起工し 年に竣工した またケネディ宇宙センターではロケットの部品を輸送するための鉄道も運営されていた 各分野ごとの研究施設の一覧は 下記のとおりである これらのうちのいくつかは 歴史的あるいは管理上の理由から複数の設備を持っている 施設に付いている人名は宇宙飛行士や宇宙開発に功績のあった関係者を記念したもの では科学調査や宇宙飛行士の訓練などに使用する航空機を多数運用しており これらの機材を運用する人員も多数雇用している 機体はアメリカ軍の払い下げなどを民間機として再登録したものが多いが 新規取得やプレーンなどの実験機の新規開発 改造も行っている 施設の多くは飛行場に隣接しているため 貨物や研究者の移送も自前で行っている パイロット出身の宇宙飛行士は引退後 のパイロットとして雇用される者もいる は現在 数多くのメダルや勲章を飛行士や功績のあった職員に授与している そのうちのいくつかは 現役の軍の制服組を表彰するものである 中でも最も権威が高いのは 宇宙名誉勲章 で 年までに人が叙勲され うち人は追贈 自身の義務を遂行した宇宙飛行士の中で 国家と人類の福祉に対する非凡で賞賛に値する努力と貢献が特に傑出していた と認められている 次に権威が高いのは 殊勲賞 で 軍人パイロットから文官の職員にいたるまで すべての政府関係者が受賞する資格を持っている 例年の表彰は フロリダ州オーランド の国立航空宇宙協会の施設で行われている 京浜急行電鉄株式会社 けいひんきゅうこうでんてつ は 神奈川県横浜市に本社を置く鉄道会社である 略称は 京急 けいきゅう 京急電鉄 けいきゅうでんてつ 日本の大手私鉄の一つである 東証一部に上場し 芙蓉グループを構成する企業の一つで 京急グループの中核企業である 東京都港区から品川区 大田区 神奈川県川崎市 横浜市 逗子市 横須賀市 三浦市へ至る鉄道路線を運営しており それに京浜急行バスを加えた交通事業のほか グループ各社と連携して流通事業 サービス事業 不動産事業なども経営している これらは直接の収益確保のほかに 京急線沿線地域の定住 交流人口の減少を防ぐことも意識している 今後は通勤利用者の減少や羽田空港アクセスの競合激化が予測されることから 戦略として 外国人を含む観光客の三浦半島や城ヶ島への誘致を重視している 年月には日本旅行と提携した その他 年月には 京急沿線に営業網を持つ湘南信用金庫及び日本保証と提携 同年月には 神奈川県横須賀市および同市に二軍拠点を持つプロ野球球団の横浜ベイスターズと三者連携協定を結んでいる かつては 京浜急行 けいひんきゅうこう を公式通称 を英文社名としていたが 年 平成年 月日よりポスター チラシ類などにおいて 京急電鉄 けいきゅうでんてつ の名称および新ロゴマーク 年 平成年 月日より の英文社名を使用開始し 順次変更している 過去の略称は前身である京浜電気鉄道時代の 京浜 が使われており 年 昭和年 には湘南電気鉄道時代の一部の駅名であった 湘南 を 京浜 に統一させた しかし 昭和年代前半から子会社の名前などに 京急 を使うようになり 一時は 京浜 と 京急 の略称が混在していた 次第に 京急 の方が定着していったことから 年 昭和年 月日には同年に民営化した東日本旅客鉄道 東日本 との差別化も意識し コーポレートアイデンティティ の一環として それまで 京浜 としていた駅の駅名を 京急 に改め 略称を 京急 に統一した なお 京急 という名称は京浜急行電鉄の登録商標になっている 大師電気鉄道時代は本線で円を作ることで川崎 その中に 大 をつで ダイシ 大師 とする社紋を使用し 京浜電気鉄道となった後も継続して使用していた その後 大東急時代を経て京浜急行電鉄として再出発する際に用意されたのが先代社紋で 社員への募集 会社組合双方からの選考委員による選定の後 杉浦非水による修正によって出来上がった 翅 車輪 からなる図案はそれぞれが京浜 急行 電鉄を表している 現在の社紋は経営の多角化によって従来の社紋が相応しくなくなってきたため 年 昭和年 の創立周年を契機に変更が検討され 年 昭和年 月に制定されたものである 図案は社内候補と東急エージェンシーに依頼したものから案が選定され これらをアレンジした数種から再検討 選定された 円が会社の主な事業である交通 鉄道 バス を表し 中央の図形は京浜の および ケ をスピーディかつ安定感を持った形に図案化したものである また この図形を円を突き破るように配置することで 困難を突破していく力強さを表している ロゴマークは形電車の登場やウイング高輪のオープンといった節目があった年 昭和年 頃から使われだした 当時は現在と違い水色が地色で の文字は白抜きだった上 ロゴ下部の文字が斜体で 京浜急行 と書かれていた コーポレートスローガンは創業周年を迎えた年 昭和年 に初めて制定され 当時は めざす未来へ ふれあい京急 だった 年 平成年 の創業周年と空港線羽田空港駅 現在の羽田空港第 第ターミナル駅 開業という大きな節目を前に 新しい出会いに夢のせて に変わり 現在のコーポレートスローガンである あんしんを羽ばたく力に は 年 平成年 の創業周年に合わせて導入された代目である 代目まではロゴマークにもコーポレートスローガンを掲出していたが 年に色を反転した現行のロゴに変わった際 コーポレートスローガンは外された また ロゴ下部の文字には 京急電鉄 と 京急グループ のバリエーションがある 社紋 京浜急行電鉄社紋 先代 京浜急行電鉄社紋 現行 ロゴマーク 代目 現在の京浜急行電鉄の元となったのは 年に旧東海道川崎宿に近い川崎駅 後の六郷橋駅 から川崎大師近くの大師駅 現在の川崎大師駅 までのの標準軌で開通した大師電気鉄道である 現在の大師線の一部 同社は日本で三番目 関東では最初の電気鉄道会社であった 創立時には安田財閥が人的 資金で援助したこともあり そのため現在でも安田財閥の流れを組む芙蓉グループの一員となっている 同年 京浜電気鉄道と社名を改めた 東京市電との相互乗り入れを目論み 軌間を開業時の標準軌から一旦の馬車軌間へ改軌を行うが 後に子会社となる湘南電気鉄道による三浦半島方面の延伸線への乗り入れを行うために 再度標準軌に改軌された 太平洋戦争中の年には陸上交通事業調整法に基づく戦時統合により東京急行電鉄 いわゆる大東急 に併合されるが 年に京浜急行電鉄 小田急電鉄 京王帝都電鉄 現在の京王電鉄 の社が分離 独立し 現在に至る 京急の路線全体 もしくは特に本線を指して京急線と呼ばれる 以下は前身の京浜電気鉄道や湘南電気鉄道などの路線も含む 総延長キロ数 京浜急行電鉄の前身の一つである湘南電気鉄道にも 予定線 として以下の計画線が存在した 日ノ出町駅 桜木町駅間の建設予定地には 予定地に沿って道路や住宅が並んでいる 京浜急行電鉄は 東京都内に路線がありながら 関東の大手私鉄では相模鉄道とともに東京メトロとの乗換駅がない 都営地下鉄とは泉岳寺駅で浅草線に乗り入れている は 右欄の乗降人員と比較して増 減 を表す 駅長所在駅は品川 平和島 京急蒲田 羽田空港第 第ターミナル 京急川崎 川崎大師 京急鶴見 神奈川新町 横浜 日ノ出町 上大岡 金沢文庫 追浜 横須賀中央 京急久里浜 三浦海岸の駅 駅長所在駅ごとに管区が置かれ 泉岳寺駅とここに挙げた駅以外の駅は いずれかの駅長に属する被管理駅となっている なお 京急ステーションサービスへの委託時代は駅長もその他の駅係員同様 同社の社員であった 都営地下鉄浅草線 泉岳寺以北 京成電鉄押上線 本線 青砥以東 東成田線 成田スカイアクセス線 北総鉄道北総線 芝山鉄道芝山鉄道線と直通運転を実施している 乗り入れ車両は両編成のため 普通列車の停車駅の有効長の関係で空港線と逗子線以外は普通としては運転されず 京急線内ではエアポート急行 特急 快特 エアポート快特として運転される おおよその目安として 品川駅 浦賀駅間の普通 空港線系統 本線系統の快特と羽田空港第 第ターミナル駅 逗子 葉山駅間のエアポート急行が それぞれ分間隔で運行されている そのほかに 普通が品川駅 京急蒲田駅間で分間隔 エアポート快特が京成線方面 羽田空港間に分間隔で運行されている 基本的に信号は駅の信号室で取り扱う そのため事故などでダイヤが乱れた場合は各信号室の判断による運行が行われ 運転再開は他社に比べて早いが 運行中に種別 行先 接続列車等が変更される場合もある また通常ダイヤ以外に 貸切イベント列車を運行することがある 年までも企業からの申し込みに対応してサイクルトレインなどを走らせていたが 個人の同窓会や結婚式などの受け付けも年月から始めた 実施は最短でか月後 土 日曜日のみで 午前中の品川駅発 浦賀駅または三浦海岸駅着か 夕方の大師線往復 京急川崎駅発着 が利用できる 品川駅と三崎口駅を結ぶ長い路線でありながら 乗車に際して座席指定券が必要となる モーニング ウィング号 イブニング ウィング号 のほかは 別料金を徴収する優等列車はない 京急の現有車両は沿線の金沢八景駅山側に立地する東急車輛製造 およびその後身の総合車両製作所と川崎重工業 旧 川崎車輛 のメーカー製で 総合車両製作所 東急車輛製造を含む と川崎重工業でそれぞれほぼ半の割合で製造されている なお東急車輛が無かった戦前は 汽車製造 汽車会社 現 川崎重工業 に多く発注されていたほか 終戦直後には当時鉄道車両の生産経験がなかった三井造船 現 三井マシナリー に発注した例もあった 経営 技術面など多方面から範としたアメリカのパシフィック電鉄の影響から 創業以来の伝統として車体広告車などの例外を除いて車体は赤く塗装されており 会社のイメージカラーにもなっている 塗色のパターンは幾度か変遷があり 現在では 窓下に白帯が入るもの 窓周りが白く塗られているもの 形で初めて採用され 現在では形 形 新形で採用している がある 年月に登場した京急初のステンレス車両 新形次車より 車体幕板と腰板に赤色のラッピングを施し さらに窓下に白帯を入れアクセントとした外装となり 年度製造の次車の両編成まで継続された 同年度製造の次車両編成 番台 以降は 赤色に窓周り白色のラッピングが窓枠及び客室扉と乗務員室扉の周りを除いた車体側面全体に拡大され さらに年度に導入された次車からはラッピングではなく ステンレス車体に全面塗装が施されることになり 次車以来となる全面塗装車体で導入されることになった 視認性の問題から行先表示に色表示器は導入しなかったが フルカラー 白色が実用化され視認性に特に問題なかったこと 多くの色を表現でき種別案内が色で可能になったこと 行先の増加や運転系統の変化に伴い幕交換が多数発生している現状を踏まえ 年 平成年 以降製造車両から本格採用した 年月頃より東急系列に類似したフルカラー 白色行先表示 日本語 英語を交互表示 が搭載されるようになり 装備車全車の表示内容を収めた変更が完了している また 列車無線装置の機器スペースの都合で 前面のみをフルカラーに交換した編成が出現しており 新形や形 形 形などが該当する 形の全車化に伴って地下鉄直通用の京急車は全車となった 相互直通運転を行っている京成電鉄とは異なり 駅名の 京急 は省略しない 京急川崎 など 以前は 京急 年までは 京浜 を省略していたが 神奈川新町などを正式駅名表記とするようになった頃から省略しなくなった 方向幕搭載車は 以前は黒地に白抜き文字の表示 さらにそれ以前は白地のローマ字無し であったが 現在では白地のローマ字入り幕に交換が進んでいる かつては行先板を使用していた名残りから 新町 神奈川新町 文庫 金沢文庫 など省略駅名を表示していたが 現在は羽田空港第 第ターミナル駅行を 羽田空港 と表示するのを唯一の例外として 京急線内の駅についてはすべての車両が正式な駅名を表示するようになっている 特殊な表示形態として以下のものがある 新形の方向幕 快特三崎口行 旧仕様 新形の方向幕 快特浦賀行 現行仕様 日本語表記 新形の方向幕 快特浦賀行 現行仕様 英語表記 形の ウィング号 の方向幕 ウィング号京急久里浜行 エアポート急行の種別 行先表示 エアポート急行羽田空港国内線ターミナル行 形アクセス特急の方向幕 アクセス特急羽田空港国内線ターミナル行 新形のフルカラー行先表示機 エアポート快特成田空港行 形式呼称は 京成電鉄や東京都交通局および小田急電鉄と同様に 系 ではなく 形 を使用し 相互乗り入れを行う各事業者の車両と形式番号が重複しないように番台より若い数字を用いる 京成車は番台 都営車は番台 北総車は番台 千葉ニュータウン鉄道車は番台 なお 大東急時代は元京浜電鉄 湘南電鉄の車両に番台が振られていたが 京急の分離独立時にを引いて一斉に改番した また 京急では必ずしも編成を固定しておらず 形を中心に現在でも編成替えが多く行われていることから編成を表す 編成 を意味する英単語の頭文字 などの呼称は用いられていない さらに 京急線内では車両形式と編成を表す記号も使用されており 一例を挙げると 代目形の両編成では などと呼称されている 出典 京急ダイヤ年史 都営地下鉄線に乗り入れる列車は 片側扉で 貫通扉を備え 火災などの非常時に運転室正面から脱出可能な編成に限定される 現在 この条件を満たすのは形 形 新形とその派生型である なお形は貫通扉を備え 非常時には正面から避難できるつくりだが 片側扉という直通規格を満たしていないため 京急 都営線共同利用の泉岳寺駅までの運用 快特または特急が該当 となっている 形などの片側扉車両は 品川駅以南の運用であった 先頭車両 制御車 は事業用車両クト形が廃車された年度以降は全て電動車となっており 他社局からの乗り入れ車両についても原則的に先頭台車は重量の重く安定している電動台車に限定している これは国鉄三河島事故 鶴見事故以降 京急線内では脱線事故などの際に転覆事故へと被害を拡大させないこと 車輪とレールの半 導体膜が破壊され短絡感度が良くなり 軌道回路の正確な検知を行うことで素早く確実な分岐器の転換 信号の開通 踏切の動作が求められているためである ただし 過去には京成の形や旧系列 形 形 などの先頭付随台車 車 の車両 改造前に 主に夏季の海水浴や正月の初詣臨時列車で使用された や 当時先頭車が電動車でなかった北総形 北総 公団線 現 北総線 の期線開通直後の一時期 が例外的に入線した時期もあった ボルスタレス台車は走行安定性の観点から現在に至るまで採用されておらず ダイレクトマウント式のボルスタ 枕ばり 付き台車を採用している 軸箱支持装置についても円筒案内式が多くを占めており これ以外の採用例は代目形のペデスタル式や代目形の軸梁式程度である ドイツの電気機器メーカー シーメンス 社製制御装置やノルウェー製座席 スウェーデン製座席カバーを使用するなど 日本以外からの技術導入も積極的である 起動加速度は全車両で と高めに設定されている一方 直流モーターを使用する車両は弱め界磁制御の領域を広く取るなどして高速性能も確保している かつて運行していた週末座席指定特急では禁煙プレートに号車札を差し込み 灰皿を置いて喫煙可能にしていた名残で 代目形まで独特の形をしていた禁煙プレートを採用していた なお総合車両製作所製の電車の製造銘板には 同社の対外通称である のロゴを記載することを大手私鉄中唯一認めておらず 漢字で 総合車両製作所 とだけ記されている 地下鉄乗り入れを行う連は全てアクセス特急に対応している 京浜急行電鉄分離独立後に在籍した過去の車両は以下の通り いずれも廃車時の形式 東急統合時と年 年に改番が実施され 製造時とは形式名が変更されている車両が多い 開業期から京浜急行電鉄成立以前までに下記形式の木造車両が在籍した 形式はいずれも製造時のもの 一部は京急分離独立後にも在籍していた このほか 大師電気鉄道開業時から大正時代まで木造軸電車が在籍していた 廃車後の地方私鉄への譲渡先は 東京急行電鉄や西武鉄道と比べると多くないが 特筆すべき譲渡先としては高松琴平電気鉄道が挙げられ 木造車時代から平成に入って引退した車両まで 多くが譲渡されている 特に近年の琴平線と長尾線はほとんどが元京急車である 運転保安装置は全線で乗り入れ先各線と共通の号型を採用していたが 年 平成年 月日より に更新した 検車区は久里浜の車両管理区を中心に金沢検車区と新町検車区を加え計か所を有する 路線はかつての軌道線や地方鉄道に由来するため地上を走行する区間が多かったが 各地で立体交差化が進んでいる 近年は弘明寺駅 上大岡駅間の高架化や空港線の一部地下化 京急蒲田駅付近の高架化が行われた 特に京急蒲田駅周辺では第一京浜や環状八号線に跨るため慢性的な交通渋滞の要因となっていたことから 早急な高架化を実現するために大部分で直接高架工法を導入して連続立体交差事業が行われ 年 平成年 月には事業区間全線が高架化 年 平成年 月に事業全体が完了した 待避駅では列車衝突の防止および信号現示の効率化のため 待避線に安全側線を設けることを基本としている これにより 待避列車に対し現示 警戒 でなく現示 注意 で進入させることができ また後続列車に対しても場内信号機に現示 進行 を早く出すことができる 大規模な駅では発車時刻や行先などを表示する発車標の式表示装置 液晶式表示装置への更新も行われているが 依然主要駅でも反転フラップ式案内表示機が使われている駅もある また品川駅 京急蒲田駅 羽田空港第ターミナル駅 羽田空港第 第ターミナル駅 横浜駅はどでは外国人の利用客を意識して日本語 英語のみならず中国語 韓国語の表示にも対応している 品川駅番線 京急蒲田駅 番線 羽田空港第ターミナル駅 羽田空港第 第ターミナル駅 京急川崎駅番線 横浜駅では自動放送装置も導入されている ドア数や車両数の違いや分割 併合の多さ 先着などの案内が複雑なため主要駅への自動放送装置導入には消極的だったが 詳細なアナウンスができるシステムが構築され 駅員によるアナウンスと遜色のない細やかな情報が提供されることが特徴である その他 接近する列車の種別が表示される簡易案内装置が多くの駅で導入されている あくまで接近列車の種別を示すもので の東京圏輸送管理システム のように次発列車の時刻 種別を案内するものではない 当初は機械式だったが 現在は式となっている また 併せて列車接近自動放送 通過 停車別 が導入されている駅も多いが 内容は非常に簡易的である 例 まもなく 上り 快特が 到着致します 危険ですから 黄色い線の内側に 下がって お待ちください また 年 平成年 月日より 京急駅メロディ大募集 として同年月に一般公募により決定したご当地ソングが京急線内主要駅 品川 青物横丁 立会川 平和島 京急蒲田 羽田空港 現 羽田空港第 第ターミナル 京急川崎 横浜 上大岡 金沢文庫 金沢八景 新逗子 現 逗子 葉山 横須賀中央 堀ノ内 浦賀 京急久里浜 三崎口の各駅 で 接近メロディとして使用が開始されている 後に生麦 羽田空港第ターミナル 港町 井土ヶ谷 追浜 三浦海岸の各駅や 期間限定で梅屋敷 川崎大師の両駅でも採用された それぞれの駅の採用曲は 発車メロディ ホームで駅員が監視業務をしていない駅では車掌がワイヤレスマイクを通じて駅ホームスピーカーを使い 一部の京成車は車外スピーカーで直接 種別 行先 ドア閉めの告知をしており 笛や発車ブザーによる発車案内は主要駅を除き省略されている 通過待ちをする列車の乗務員はホームに立ち通過監視を行うのが慣習になっているほか 車掌による発車時のホーム監視は両編成以下の場合乗務員室扉を開けて行っていたが ホームドア設置駅を除く 近年は安全のため乗務員扉を閉め窓から監視するようになっている また監視に集中することから 車掌と駅員の間での敬礼は行われない また 車両は羽田空港 浦賀 逗子 葉山 三崎口寄りを号車とし 品川寄りを大きい数字 両編成の場合号車 両編成の場合号車 としている 自動券売機は現在すべてがタッチパネル式多機能券売機となっているが の導入に合わせて対応への改造が行われた 一部には定期券発行機能 新規含む が搭載され 利便性向上を図っている 年月下旬から品川駅を皮切りに 自動券売機が順次更新されている 年 平成年 月日には独自のストアードフェアシステムを導入し 対応するルトランカードの販売 利用が開始された 一方でパスネットの利用開始は機器更新が間に合わず 年 平成年 月日のサービス開始時には導入せず年 平成年 以降の予定としていたが 羽田空港駅 現 羽田空港第 第ターミナル駅 開業に伴う乗客増加に対応すべく 年月日に前倒しで導入した ただし導入当時は対応自動改札機が限定されていた 全駅にの公衆無線設備が設置されており フレッツスポットのサービスが利用できる また コミュニケーションズの公衆無線設備も設置されており の公衆無線サービスも利用できる 大人普通旅客運賃 小児半額 カードの場合は円未満の端数切り捨て 切符利用の場合は円未満の端数切り上げ 年月日改定 このほかにも有人改札口で硬券による入場券および初乗り運賃の乗車券を発売していたが 年月現在は京急線全線で硬券の発売は終了している 東京モノレールと同様に 羽田空港への路線が就航している空港にも券売機が設置されており 羽田空港からの乗車券を購入することができる 年月日から 全日本空輸 が運営するマイレージクラブと連携し 全国の空港に設置されている京急の券売機できっぷを買うとのマイルが貯まる 京急のマイルきっぷ の発売を開始した 京急線は 沿線に三浦半島 横浜といった観光地や羽田空港を擁し 観光客を始めとする利用者に向けて様な割引乗車券を発売している なお ここでは単に 羽田空港駅 と記した場合 羽田空港第ターミナル駅と羽田空港第 第ターミナル駅の両方が含まれる 本社階に 京急ミュージアム が年月日に開館した 空港線の羽田空港延長後は 地方からの羽田空港到着便利用者を対象として 京急沿線とつながりのない中国地方など遠隔地の放送局の番組に複数社提供社として名を連ねたり スポットを出稿したりした例があり 過去に札幌テレビでは ズームイン 朝 の時半以降のローカルセールス枠のスポンサー 複数社のうちの一つ となったことがある 京急本体やグループ各社と グループ外企業と連携するオープンイノベーションを推進するため ベンチャー企業への出資枠を新設した 初年度の年度は億円 アポロ計画 アポロけいかく は アメリカ航空宇宙局 による人類初の月への有人宇宙飛行計画である 年から年にかけて実施され 全回の有人月面着陸に成功した アポロ計画 特に月面着陸 は 人類が初めて有人宇宙船により地球以外の天体に到達した事業である これは宇宙開発史において画期的な出来事であっただけではなく 人類史における科学技術の偉大な業績としてもしばしば引用される 冷戦下の米ソ宇宙開発競争のさなかの年月 アメリカ合衆国大統領ジョン ケネディは 年代中に人間を月に到達させるとの声明を発表した 年月日 宇宙飛行士ニール アームストロングおよびバズ オルドリンがアポロ号で月面に着陸したことにより その公約は実現される アポロ計画ではその後回の月面着陸が行われ 年にすべての月飛行計画は終了した アポロ計画は によるマーキュリー計画 ジェミニ計画に続く三度目の有人宇宙飛行計画であり そこで使用されたアポロ宇宙船やサターンロケットは 後のスカイラブ計画やアポロ ソユーズテスト計画で使用された そのため これらの後続計画も しばしばアポロ計画の一環であると見なされている アポロ計画では 人間を月に送り 安全に帰還させるという当初の目的を達成するにあたり 途中で二つの大きな事故があった 一つは アポロ号における予行演習中の発射台上での火災事故で ガス グリソム エドワード ホワイト ロジャー チャフィーの名の飛行士が死亡している もう一つは アポロ号において 月に向かう軌道上で機械船の酸素タンクが爆発した事故である これにより月面着陸は断念せざるを得なくなったが 乗組員たちは地上の管制官や技術者たちの援助と そして何よりも彼ら自身の優れた危機管理能力により 無事に地球に帰還することができた アポロ号で人間は初めて地球以外の天体の周囲を周回し 号は現在までのところ 人類が他の天体の上に降り立った最後の事例となっている アポロ計画は ロケットや有人宇宙船の開発にともなう関連技術の発展に拍車をかけ 特に電子工学や遠隔通信 コンピュータなどの分野において大きく貢献した またいくつもの部分から構成された複雑な機器の信頼性を検査するために 統計的な手段を用いる手法を開拓するなど 多くの工学の分野の発展にも繋がった 有人宇宙飛行のために必要不可欠な構成物であった事物や機器は 文明 技術 電子工学の表章として今も残されている 計画で使用された多くの事物や遺物が 国立航空宇宙博物館をはじめとする世界各地の様な場所で展示されている アポロ計画は 年初頭アイゼンハワー政権下において マーキュリー計画の後継のプロジェクトとして着想された マーキュリー宇宙船は 一人の飛行士を乗せて低軌道を周回させることしかできなかったものの アポロ宇宙船では三人の飛行士を乗せ月を周回し さらに月面に着陸することが目標とされた 計画名は当時の長官が ギリシャ神話の太陽神アポロンにちなんで名づけたものである 後に彼は まるで自分の子供に命名するような気持ちで名づけた と語っている しかし が立案を開始した時点では予算の見通しは立っておらず 特にアイゼンハワー大統領の有人宇宙飛行に対する態度もあいまいなものであった しかし この言葉とは裏腹に 大統領に選出された後もケネディはアポロ計画について直ちに決定を下すことはなかった 彼は宇宙開発技術の詳細についてよく知らず また有人月面着陸に必要とされる莫大な予算に対し二の足を踏んでいたのである の長官ジェイムズ ウェッブがパーセントの予算増額を要求した際 ケネディはの大型ロケットの開発促進は支持したものの より大きなレベルでの決断は先延ばしにしていた しかし ここでもケネディは慎重な反応を示しソ連に対するアメリカの対応については明確にすることはなかった ケネディがこの演説をした時点では アメリカは そのわずか一ヶ月前に一人の飛行士を宇宙に送ったばかりであり しかもそれは 砲弾のように単に上昇して下降してくる弾道飛行にすぎず 地球を周回する衛星軌道に乗ったものではなかった の関係者の中にさえ ケネディのこの公約の実現性を疑う者がいた ケネディがアポロ計画の到達点を明確に定義したことにより 技術者たちはこの設定された目標に対し 生命への危険やコスト あるいは技術や飛行士の能力への要求を最小限に抑えるための飛行方式を決定する必要に迫られることになり その結果以下の四つの案が検討された そんな中で シーマンズが年月にゴロヴィン 委員会を立ち上げたことが 計画の方針を決定するひとつの転機となった この特別委員会にはアポロ計画で使用すべきロケットが推薦されることになっていたが その判断をするためには まず月着陸の方式を決定することが重要な要素であると考えられた 委員会は当初 地球周回方式と月周回方式の混成案を推薦していたが フーボルトらの陰の働きかけもあり 方式の検討が 着陸方式の実現可能性を公表する際の重要な役割を果たすようになった 年の終わりから年のはじめにかけ ヒューストン有人宇宙センター内の宇宙任務グループ 年に創設された 技術者たちの集団からなる有人宇宙飛行計画の内部研究グループ も支持に意見を変えはじめ マーシャル宇宙飛行センターの技術者たちもやがて月周回ランデブー方式のメリットを確信するようになり 彼らの方針転換は年月に ウェルナー フォン ブラウン博士によって非公式に発表された が方式採用を正式に表明したのは 同年月のことであった これについて宇宙開発史研究家のジェームズ ハンセンは もし年に頑迷ながこのささやかな変更を受け入れなかったとしても アメリカは月面に到達していただろうが ケネディが公約した 年代中に月に到達させる という目標はほぼ確実に達成されることはなかっただろう と述べている ちなみに方式への変更は ずっと後になってアポロ号が月軌道の途中で酸素タンクの爆発事故を発生させた時 吉と出ることとなった もしこの時 独自の生命維持装置を持つ月着陸船が存在していなければ 飛行士たちは確実に命を落としていたところであった 月周回ランデブー方式 が採用されたことにより アポロ宇宙船の基本的なデザインも決定された 宇宙船は全体として二つの大きな部分から構成されている 飛行士はそのうちの司令 機械船 で飛行中の大部分の時間を過ごし 月着陸船 で月面に降下し また戻ってくる 司令船 は円錐形をしており 三人の宇宙飛行士を月軌道に乗せ また宇宙から帰還させ海上に着水するように設計されている に搭載されている主なものは 反動姿勢制御装置 ドッキング用トンネル 航法装置 誘導コンピューターなどである の下部には メイン ロケットや姿勢制御用ロケットおよびその燃料 燃料電池 通信用アンテナ 水や酸素のタンクなどを搭載した機械船 が接続されている アポロ 号では各種科学測定装置なども搭載されていた 機械船は飛行中のほとんどの時間を司令船に接続された状態にあり 大気圏に再突入する直前に投棄される 司令船底部には再突入時の激しい高温から機体および乗員を保護する耐熱シールドが貼られており 再突入時にはパラシュートを展開して十分に速度を落とした後 安全に海洋上に着水する 開発の契約は宇宙工学者をリーダーとするノース アメリカン航空が獲得した 同社との関係はアポロ計画の進行中 特に飛行士三人を犠牲にしたアポロ号の火災事故が発生したことなどにより 緊張したものになった 事故の原因は司令船内の電気配線のショートによるものであると断定されたが責任の所在は混沌としており 調査委員会は 司令船の設計 技術 品質管理において欠陥が存在した と結論づけている 月着陸船 は 月面への着陸と司令 機械船が待機する月周回軌道までの帰還のみを目的に設計されている 地球の重力圏では運用しないことが前提であるため 耐熱板は限定的なものであり また徹底して軽量化が図られている 定員は二名で 上昇段と下降段の二つの部分から構成されている 下降段には アポロ月面実験装置群や月面車などを搭載するスペースが設けられている 開発契約はグラマン社が獲得し トム ケリーが計画全体を監督するが 着陸船は開発の遅れという個別のトラブルを抱えることとなる 各種試験の遅延のためにアポロ計画全体の進行にも深刻な影響を与えはじめ は お荷物 とさえ呼ばれることとなった このためは 当初は号で行われるはずだった有人試験飛行を号に延期せざるを得なくなった フォン ブラウン博士に率いられる技術者たちのチームがアポロ計画を立ち上げた当初 ロケットはどのようなものを使用すべきかという点については不透明であった このうち直接降下方式を採用するためには 計画中のノヴァのような巨大なペイロードを持つロケットが必要だった やがてが月周回ランデブー方式の採用を決定したことにより マーシャル宇宙飛行センターはサターンおよびサターンの開発へと向かうこととなった これらのロケットはノヴァと比較すれば小型であったが同時期の他のロケットより遥かに大型であり 特にサターンは初打ち上げから年以上が経過した年現在においても 実用化に至った最大のロケットの座を保持し続けている サターンは 段のロケットおよびその段目最上部 ペイロードを含まない サターン単体としての最頂部 に搭載された自動飛行制御装置によって構成されている 第段 は十字型に配置された基の ロケットエンジンを搭載し 全体で約 トンの推力を発生する 燃焼はわずか分秒で終了し 機体を時速約 秒速 にまで加速する 開発期間中 はずっと燃焼の不具合に見舞われてきた エンジンへの燃料の供給がスムーズに行われなければ推力のゆらぎが発生し やがてそれは大きな振動となってエンジン自体を破壊してしまう この問題は 燃焼中のエンジンの内部で小規模な爆発を発生させて燃焼のばらつきを相殺するなどの数多くの実験を行い 試行錯誤を積み重ねた結果 最終的には解決された 第段 は基の ロケットエンジンを搭載し およそ分間の燃焼で機体を時速約 秒速 高度にまで到達させる その後は第段 が引き継ぎ 宇宙船を地球周回軌道に乗せる には エンジンが基だけ搭載されていて 軌道上で再点火して月へと向かう軌道に乗る サターンは 初期のサターン サターン型ロケット の発展型である 第段は基の ロケットエンジンを搭載し 第段にはサターンの第段と同じ ロケットが使用される 第段の推力はトンしかないが アポロ司令 機械船および月着陸船を地球周回軌道に乗せる能力を持っている サターンは各種の試験飛行および宇宙ステーションスカイラブへの人員の搬送 そしてアポロ ソユーズテスト計画で使用された 年には を改造したスカイラブが サターンによって打ち上げられた 後にはこれらに加え 短期間の滞在のうちに度の月面船外活動を行うミッション が追加され さらに より長い日間月面に滞在し 月面車を使用して度の船外活動を行うミッション がこれに続くこととなった ミッション はアポロ号から号において実施されたものの 続く号から号までは計画自体がキャンセルされた またこれに先立ち 機械船に科学測定装置を搭載し 軌道滞在中に各種観測を行うミッション も計画されていたが 号以降のフライトがキャンセルされたことにより 案に吸収され 号から号において実行された アポロ計画のための準備は 有人飛行が行われる以前に始まっていた サターン の試験発射は年月に始まり 年月まで続けられた このうちの回の飛行では 模擬の司令 機械船を搭載していた また年と年には 宇宙船の緊急離脱用ロケットの発射実験がホワイト サンズミサイル基地において行われた 公式に アポロ の名が冠されているものの中で 無人試験飛行が行われたのは 号のみである アポロ号はサターンの初の試験飛行で 年月日に行われた これはジョージ ミューラーが提唱した 全段一斉試験方式 を例証するものであった それまでは開発中の多段式ロケットの発射試験をする場合は 各段を別に行うのが通例だったが サターンでは初めて全段を一度にまとめて発射した 実験はきわめて上首尾に終わった およそ離れた地点からその様子を中継していたキャスターのウォルター クロンカイトによると あまりにも強烈な騒音と振動で天井のタイルがはがれ落ち 窓が激しく揺さぶられたため 窓ガラスが割れないように手で抑えながら中継を続けなければならなかったという この実験により サターンの発射時には近辺にある構造物を振動から保護するための対策が必要であることが明らかになった これ以降は発射台に直接緩衝機構を設置するようになり これによって騒音と振動は大幅に低減された アポロ計画最後の無人試験飛行は号で 年月日に発射され 約時間後の に地球に帰還した 有人飛行は すべて船長 司令船操縦士 月着陸船操縦士の三名によって行われた 月面着陸をする際には 船長と着陸船操縦士のみが降下し 司令船操縦士はその間月周回軌道上で待機していた アポロ計画における最初の有人飛行は 年月日に発射されたアポロ号であった 計画の目的は アポロ号の死亡火災事故を受けて全面的に再設計された司令船を 地球周回軌道上で日間にわたって試験することであった サターンロケットが人を乗せて打ち上げられるのも またアメリカの宇宙開発において三人の飛行士が同時に宇宙に行くのも この飛行が初めてであった 続くアポロ号で 人類は地球の歴史上初めて地球以外の天体の上に降り立ち 船長ニール アームストロングは有名な以下の言葉を残した また次の号は成功したものの 号では機械船の酸素タンクが爆発するという事故が発生した これにより月面着陸は中止せざるを得なくなったが 三人の飛行士は無事に地球に帰還することができた その後の号から号までの飛行はすべて成功し 特に最後の三回では月面車を利用して広範囲に月面を探索する 前述のミッション が実行された 最後の号は年月日に発射され 月日 無事地球に帰還した 船長ユージン サーナンは年現在 最後に月を離れた人間である アポロ計画の成功を受け およびその関連企業はアポロのハードウェアを利用した月飛行後の応用計画について いくつかの案を検討した アポロ拡張計画 後に アポロ応用計画 と改称された と呼ばれたこの計画では 地球周回軌道を回る種類の案が提示されていた そのうちの多くは サターン ロケットの月着陸船が搭載されていたスペースに 科学機器を乗せて打ち上げるというものであった これらのうち 実現されたのはスカイラブ計画 年月 年月 とアポロ ソユーズテスト計画 年月 だけであった スカイラブの機体はサターンの第二段を改造して作られ 月着陸船をベースにした太陽望遠鏡が設置されていた 本体は一部を改造されたサターンによって軌道上に打ち上げられ 三名の乗組員はサターンに搭載された司令 機械船で地上とラブの間を往復した 最後の飛行士が機体を離れたのは年月日のことで スカイラブはその後年に 予定よりも早く大気圏に再突入して分解した アポロ計画に関わった物体としては その時点においてこれが最も古いものであった アポロ ソユーズテスト計画は アポロの司令 機械船および今回のために特別に開発されたドッキング モジュールが 地球周回軌道上でソ連のソユーズ宇宙船とドッキングするというものであった 計画は年月日から日にかけて行われたが ソ連はこの飛行の後もソユーズや宇宙ステーションサリュートなどを使って有人宇宙飛行を継続したのに対し アメリカは年月日にスペース シャトルコロンビア号が初飛行を行うまで 人間が宇宙に行くことは中断されていた アポロ計画では総量で の岩石その他の物質が月面から持ち帰られ そのほとんどは現在はヒューストンにある月資料研究所に保管されている 放射年代測定によれば 月面で採集された岩石は地球上のものと比較して全体的にきわめて古い その範囲は約億年前 月の海の部分で採取された玄武岩 から億年前 高地で採取された地殻のサンプル まで確認されている したがって これらは現在の地球上ではほとんど失われてしまった太陽系誕生初期の試料であると見られている アポロ計画全体を通して採取された岩石の中で重要なものの一つに 号でジェームズ アーウィン飛行士とデヴィッド スコット飛行士が持ち帰った ジェネシス ロック 創世記の石 と呼ばれているものがある 斜長石と呼ばれるこの石は カルシウムを豊富に含んだ長石によってほとんどの部分を構成されている灰長石の鉱石で 月面の高地の地殻のサンプルであると考えられている この中からは地球化学で と呼ばれる 地球上には存在しない物質が発見された や斜長岩などのサンプルは 月の外殻表面がかつてドロドロに溶けた状態 マグマ オーシャン であったという仮説の根拠となっている 採取された岩石の大部分は衝突にさらされた痕跡を有していた たとえば多くのサンプルの表面には微少隕石が衝突したことによる極小のクレーターが確認されている これは厚い大気の層に阻まれた地球上の岩石には見られないものである また多くのものには隕石が衝突した際に発生した高圧の衝撃波にさらされた形跡が残されており 中には すなわちクレーター周辺で衝撃により融解した物質から構成されたものもあった そして月面から持ち帰られたすべてのサンプルは 繰り返し衝突の衝撃に曝されることによる角礫化が進行していた こうした月の岩石の分析結果は 月が誕生した原因を地球に火星程度の天体が衝突したことに求める ジャイアント インパクト説 の論旨と合致するものである の歴史に関するウェブサイトを管理するスティーブ ガーバーによれば 最終的にアポロ計画にかかった費用は年当時で億ドルから億ドル 年現在の貨幣価値に換算すると およそ億ドル になるという またアポロ宇宙船およびサターン ロケットにかかった費用は年度換算で億ドルで このうち宇宙船が億ドル 司令 機械船億ドル 月着陸船億ドル サターン ロケット が億ドルであった 当初の予定ではアポロ計画は号まで行われるはずだったが の大幅な予算削減およびサターンシリーズの後続生産が打ち切られたことにより 号の飛行はキャンセルされ それらの予算はスペース シャトルの開発およびスカイラブ計画に回されることとなった 残ったサターンは 機が年にスカイラブを打ち上げるために使用され 残りの機はフロリダ州ケープ カナベラルのジョン ケネディ宇宙センター アラバマ州ハンツビルのマーシャル宇宙飛行センター ルイジアナ州ニューオリンズのミシャウド組立施設 テキサス州ヒューストンのリンドン ジョンソン宇宙センターなどに分割して現在も展示されている アポロ計画は 多くの技術分野を刺激した アポロ誘導コンピュータは ミニットマン ミサイルの開発共 初期の集積回路研究の推進力となった 当時の大型コンピュータでは まだ小型化の要求は低く などではまだチップ上に集積したを採用していない また燃料電池はこの計画によって初めて実用化され コンピュータ数値制御 による機械工作もアポロの構造部品製作に際して開拓された分野であった いくつかの国ではすでに有人月飛行が計画され また月面基地の建設を目指す宇宙機関もある 史上初の月面着陸を成功させたアポロ号の船長ニール アームストロングは しばしばマスコミから将来の宇宙開発の展望について質問されている 年にはそうした質問に対して 様な課題はあるかもしれないが 年のアポロ計画スタート時に我が直面したほど困難で かつ大量の問題にはならないのではないか と応え 火星への有人飛行は年代の月面着陸よりは容易になるであろうとの見解を述べた 計画では 年に退役する現行のスペース シャトルの後継としてオリオン宇宙船があげられており その空力的な形状はアポロの司令船にきわめて近い の前長官マイケル グリフィンは オリオンを 増強版アポロ と表現し 雑誌 ニュー サイエンティスト は オリオン計画はアポロ時代の技術に先祖返りした程度のもの との批判がある と伝えているが 一方でオリオンの操縦席の計器板や熱遮蔽板などでは新技術が使用される予定だった コンステレーション計画のうちアポロ計画の設計に最も似通っていたのは オリオンを軌道に乗せるために設計されたアレス の上段ロケットである このロケットのエンジンには サターン シリーズで使用された を改良した の使用が計画されていた を開発するにあたり の技術者らは博物館でアポロ時代の資料を研究し また実際にアポロ計画に従事した技術者たちに意見を求めた コンステレーション計画の責任者ジェフ ハンレイは 月面への着陸およびそこからの離陸に関する技術的問題は 相当程度にわたってすでに解決されている これらはアポロ計画が我に残してくれた遺産である と述べた アポロと同様 オリオンは月周回ランデブー方式をとるが 月着陸船アルタイルはアレスロケットによって別個に打ち上げられる予定だった このアレスはスペース シャトルやアポロ計画の技術を元にして開発される予定だったロケットである そしてスカイラブ計画で行われたように地球周回低軌道上でオリオンとドッキングする アポロ計画からの変化としては オリオンではすべての飛行士が月面に降下し 軌道上には無人の宇宙船が待機するという点がある また探索する地域はアポロ計画ではもっぱら赤道付近が中心だったのに対し コンステレーション計画では極地方に重点が置かれ アポロ計画では用いられなかった地球周回ランデブー方式も使用が検討されていた 日本で総合テレビが年月日 から分間放送した報道特別番組 アポロ号発射 は の またイーグルの月面着陸を報じた日 からの 朝のワイドニュース は の視聴率 ビデオリサーチ 関東地区調べ を記録 日 時台の総視聴率は 時台のそれは ビデオリサーチ 関東地区調べ の調査では 日本では昼間となったアポロ号による人類初の月面着陸をテレビ同時中継で見た人は 日中に他の番組で見た人を含めると に達した アポロ計画周年の記念事業の一環として はアポロ号の月面着陸時の放送データ復元を実施している アポロ計画に続く時期 では磁気テープが不足したため アメリカ国立公文書記録管理局から大量のテープを持ち出して新しい衛星のデータを記録しており テープの捜索にはのテレビ担当者ディック ナフツガー や月面カメラの設計をしたスタン リーバー なども加わったが 結局 アームストロングが月面に足を降ろした瞬間を記録した元テープは失われたと結論された 一方 月面着陸の様子を撮影した特別仕様のカメラとテレビ中継映像の規格の違いから テレビ放送用に変換された映像がテープに記録されていたため 号について現存する放映時のデータが万ドルをかけて収集 編集されることとなった このデジタル復元作業はナフツガーおよび修復を専門とするロウリー デジタル 社が担当し ノイズやカメラぶれなどを歴史性を損なわずに除去するなどの作業が年月の完了を目指して実施される ロウリー デジタル社が修復作業をしている映像は オーストラリアやニュースの保管庫 ジョンソン宇宙センター内で記録されたキネスコープ キネコ 映像などから収集されたものである 復元される映像は一定のデジタル処理を施した白黒映像であり 音声に関しては手を加えられない 多くの飛行士が 遠く離れた宇宙空間から地球を見るという経験から深甚な心理的影響を受けたと語っている アポロが残した最も重要な遺産の一つは 地球が壊れやすい小さな惑星にすぎないという 陳腐とはなっても未だ普遍的とは言い難い認識である これは月面上から撮影された写真を通じて伝えられ なかでも号の飛行士が撮影した 地球の出 アースライズ 左 と 号の飛行士が撮影した ザ ブルー マーブル と呼ばれるもの 右 が有名である これらの写真は 多くの人にとって環境保護への動機付けになったと指摘される とは アメリカ合衆国の文学 及びそれらの作品や作家を研究する学問のこと 米国文学 べいこくぶんがく とも言う また イギリス文学と合わせて英米文学と呼ぶこともある の場合 英国や合衆国に限らず英語による各地域の文学を含むことがある しかし現代ではアメリカ人の特異な性格と作品の幅広さによって イギリス文学とは別の系統と伝統が出来てきたと考えられることが多い 英語によるアメリカ文学の歴史は 年に独立してから本格的に始まった それ以前の文学史は ある程度かつての宗主国イギリスに求めることになるが 現在では移民の記録や日記 詩なども アメリカ文学の一部として認められており アメリカ文学の発生点は単純には決めがたい アメリカ文学の最も初期形態はヨーロッパ人と植民地の読者双方に対して植民地の良さを褒め称える小冊子や書き物だった 移民の記録をアメリカ文学の発生点とみなすのであれば 年以降のバージニア州移民の記録が重要になってくる ディズニー映画 ポカホンタス で一躍有名になった ジョン スミス 年 年 による一連の著作などであり 現在ではアメリカ文学の一部として考えられている このような部類の著者としては ダニエル デントン 年頃 年 トマス アッシュ ウィリアム ペン 年 年 ジョージ パーシー 年 年 ウィリアム ストレーチー 年 年 ダニエル コックス 年 年 ガブリエル トーマスおよびジョン ローソン 年 年 がいた アメリカの開拓を促進することになった宗教紛争も初期著作の話題になった ジョン ウィンスロップ 年あるいは年 年 が書いた日記はマサチューセッツ湾植民地の宗教的基盤を論じていた ジョン ウィンスロー 年 年 もメイフラワー号でアメリカに到着した最初の年間の日記を残した その他宗教的に影響力のあった著者としては インクリーズ マザー 年 年 や プリマス植民地の歴史 年 年 として出版された日記の著者ウィリアム ブラッドフォード 年 年 がいた ロジャー ウィリアムズ 年 年 やナサニエル ウォード 年 年 のような者達は国と教会の分離を激しく論じた この時代には詩人も幾人かいた エドワード テイラー 年頃 年 も著名になった マイケル ウィグルスワース 年 年 は最後の審判の日のことを書いた詩 運命の日 がベストセラーになった ニコラス ノイズは韻律がそろっていない詩を書いたことで知られている 特筆すべきなのは 世紀の女性詩人 アン ブラッドストリート 年 年 であり 宗教色の強いその作品はフェミニズム批評の発展もあいまって 現在注目を浴びている その他インディアンとの紛争や交流を後日談として書いたものでは ダニエル グッキン 年 年 アレクサンダー ウィタカー 年 年 ジョン メイソン 年頃 年 ベンジャミン チャーチ 年 年 およびメアリー ローランソン 年 年 がいた 伝道師ジョン エリオット 年 年 はアルゴンキン語に聖書を翻訳した ジョナサン エドワーズ 神学者 年 年 やジョージ ホウィットフィールド 年 年 は 世紀初期に厳格なカルヴァン主義を主張した宗教的リバイバルである第一次大覚醒を言葉で表現した その他のピューリタンや宗教的著作家としては トマス フッカー 年 年 トマス シェパード 年 年 ジョン ワイズ 年 年 およびサミュエル ウィラード 年 年 がいた それほど厳格でも深刻でもない著作家としては サミュエル シューワル 年 年 サラ ケンブル ナイト 年 年 およびウィリアム バード 年 年 がいた アメリカ独立戦争の時代にはサミュエル アダムズ 年 年 ジョサイア クィンジー 年 年 ジョン ディキンソン 年 年 および王党派だったジョセフ ギャロウェイ 年 年 など植民地人の政治的な著作もあった この時の重要な著作家はベンジャミン フランクリン 年 年 とトマス ペイン 年 年 の人だった フランクリンの 貧しいリチャードの暦 と フランクリン自伝 は 芽を出し掛けたアメリカ人の独自性の形成に向けてそのウィットと影響力のあった作品と見られている ペインの小冊子 コモン センス と アメリカの危機 は この時期の政治的風潮に影響する重要な役割を演じたと見られている 革命そのものが進行している間 ヤンキードゥードゥル や ネイサン ヘイル のような詩や歌が流行った 主要な風刺作家としては ジョン トランブル 年 年 やフランシス ホプキンソン 年 年 がいた アメリカ独立の詩人と呼ばれることもあるフィリップ モーリン フレノー 年 年 は戦争の進行について詩を書いた 独立戦争が終わると アレクサンダー ハミルトン 年あるいは年 年 ジェームズ マディソン 年 年 およびジョン ジェイ 年 年 による ザ フェデラリスト の随筆がアメリカ政府の組織と共和制の価値について重要で歴史的な議論を著した トーマス ジェファーソン 年 年 が書いたアメリカ独立宣言 またアメリカ合衆国憲法に対する影響力 その自叙伝 バージニア州に関する注釈 および多くの手紙などは初期アメリカの最も才能ある著作家の一人としてその評価を固めている フィッシャー エイムズ 年 年 ジェイムズ オーティス 年 年 およびパトリック ヘンリー 年 年 も その政治的著作物や演説で重きを置かれている 新しく誕生したばかりの国の初期文学の大半は既存の文学ジャンルの中でアメリカの声を独自に見出すために奮闘し この傾向は小説にも反映された ヨーロッパの形式とスタイルがアメリカに移されることが多く 批評家はそれらを劣っているものとみなすことが多かった 米英戦争と共にアメリカ固有の文学や文化を生み出したいという願望が増し 多くの新しい文学界の重要な人物が現れた その中でもワシントン アーヴィング 年 年 ウィリアム カレン ブライアント 年 年 ジェイムズ フェニモア クーパー 年 年 およびエドガー アラン ポー 年 年 が特筆される アーヴィングはアメリカ固有のスタイルを開発した最初の作家と考えられることが多く ただし異論が出ている サルマガンディー や良く知られた風刺 ディートリヒ ニッカーボッカーによるニューヨークの歴史 年 でユーモアある作品を著した ブライアントはロマンチックで自然に触発された初期の詩人であり ヨーロッパの影響から離れた 年 ポーは短編小説を書き始めた その中には 赤死病の仮面 年 落とし穴と振り子 年 アッシャー家の崩壊 年 および モルグ街の殺人 年 があり 人間心理の以前は隠されていた面を探求し 小説の範囲を推理小説やファンタジーにまで拡げた クーパーのナッティ バンポーに関する レザーストッキング テイルズ モヒカン族の最後 はその第作 は国内でも海外でも好評を博した この時代に人気のあったユーモア作家としては ニューイングランドのセバ スミス 年 年 とベンジャミン シラバー 年 年 がおり 南部のデイヴィッド クロケット 年 年 オーガスタス ボールドウィン ロングストリート 年 年 ジョンソン フーパー 年 年 トマス バングス ソープ 年 およびジョージ ワシントン ハリス 年 年 はアメリカのフロンティアについて書いた ニューイングランド ブラーマンズはハーバード大学とそれがあるマサチューセッツ州ケンブリッジを繋がりとする作家の集団だった その中心となったのは ジェイムズ ラッセル ローウェル 年 年 ヘンリー ワーズワース ロングフェロー 年 年 およびオリバー ウェンデル ホームズ 年 年 だった エマーソンの共鳴者で最も才能豊かだったのは恐らく革新的反逆児だったヘンリー デイヴィッド ソロー 年 年 だった ソローは森の中の池端にあった丸太小屋で年間ほとんど一人で暮らした後で ウォールデン 森の生活 年 を書いた これは本冊分にのぼる回顧録であり 組織化された社会のお節介な指図に反抗することを奨励している その過激な書き方はアメリカ人の性格にある個人主義に向かう深く根ざした傾向を表現している 超絶主義に影響されたその他の作家としては ブロンソン オルコット 年 年 マーガレット フラー 年 年 ジョージ リプリー 年 年 オレステス ブラウンソン 年 年 およびジョーンズ ベリー 年 年 がいた 奴隷制度廃止運動に関わる政治紛争によって ウィリアム ロイド ガリソン 年 年 とその新聞 リベレーター における作品に刺激を与え また詩人ジョン グリーンリーフ ホイッティアや 世界的に有名になった アンクル トムの小屋 年 を書いたハリエット ビーチャー ストウ 年 年 が続いた ホーソーンの小説はその友人であるハーマン メルヴィル 年 年 に大きな影響を与えた メルヴィルはその船乗り時代の経験を風変わりでセンセーショナルな海洋説話小説に変えることでその名前を残した メルヴィルはホーソーンの主題である寓話や暗い心理描写に影響を受けて 淡たる思索の豊富なロマンを書くようになった 白鯨 では 冒険的捕鯨の旅が強迫観念 悪の性質 および原理に対する人間の戦いというような主題を掘り下げる舞台になった 他にも短編の傑作 ビリー バッド 年の死後出版 では 戦時の艦船上における義務と同情心の葛藤をドラマ化した メルヴィルの豊富な作品は存命中にほとんど売れず 死後も暫くは忘れられた存在だった 死後年を経た年に再評価の動きがおこった メルヴィル ホーソーンおよびポーによる反超絶主義的作品は当時の文学界の小ジャンル 暗黒ロマン主義を構成するものである ホイットマンはまた自分で 電気の身体 と呼んだように肉体の詩人でもあった イギリスの小説家 ローレンスはその アメリカ文学古典の研究 の中で ホイットマンは 精神の男が肉体の男よりも幾らか 優れて 上に あるという古い道徳観に最初に打撃を与えた と記した 一方 エミリー ディキンソン 年 年 は マサチューセッツ州の小さな町アマーストで上品な未婚の女性として 保護された人生を送った その詩は形式的構造の中で独創的で機知に富み 優美に練り上げられ 心理的な洞察力がある その作品は当時としては型破りであり 生前はほとんど出版されることも無かった ディキンソンの詩の多くは意地の悪いひねりを伴う死について論じている 例えば 私は死について考えるのを止められないから は 彼が親切にも私を止めさせた で始まっている ディキンソンの別の詩の冒頭は男性が支配する社会に生きる女性 かつ認められていない詩人としてのその立場を 私は誰でもない 貴方は誰 貴方も誰でもないの と弄んでいる アメリカの詩は世紀初期から半ばにそのピークを迎えたと考えられるが その著名な詩人としては ウォレス スティーブンス 年 年 シルヴィア プラス 年 年 アン セクストン 年 年 エズラ パウンド 年 年 エリオット 年 年 ウィリアム カルロス ウィリアムズ 年 年 スティーブン ビンセント ベネット 年 年 ロバート フロスト 年 年 カール サンドバーグ 年 年 ロビンソン ジェファーズ 年 年 ハート クレイン 年 年 カミングス 年 年 ジョン ベリーマン 年 年 アレン ギンズバーグ 年 年 ロバート ローウェル 年 年 エドナ ミレイ 年 年 など多くいる マーク トウェイン 年 年 本名はサミュエル ラングホーン クレメンズ はアメリカ東海岸とは離れて ミズーリ州の州境 生まれたアメリカ人作家としては初めての重要人物だった その土地を舞台にする傑作は自伝 ミシシッピの生活 と小説 ハックルベリー フィンの冒険 である トウェインのスタイルはジャーナリズムの影響を受け 方言を取り入れ 直接的で飾り気が無いが高度に感情に訴えるものがあって不敬にもユーモラスである これがアメリカ人の言語を書く方法を変えた その登場人物は方言と新しく発明した言葉や地域のアクセントまで使って実在の人物のように話し 明らかにアメリカ人のように聞こえる その他地域的な違いや方言で興味ある作家としては ジョージ ケーブル 年 年 トマス ネルソン ペイジ 年 年 ジョーエル チャンドラー ハリス 年 年 メアリー ノアイユ マーフリー 年 年 筆名チャールズ エグバート クラドック サラ オーン ジューエット 年 年 メアリー ウィルキンス フリーマン 年 年 ヘンリー カイラー バナー 年 年 およびウィリアム シドニー ポーター 年 年 筆名オー ヘンリー がいる ウィリアム ディーン ハウェルズも サイラス ラパムの出世 のような小説や アトランティック マンスリー の編集者としての仕事を通じてリアリストの伝統を代表する者である ヘンリー ジェイムズ 年 年 は旧世界と新世界について直接書くことでそのジレンマに直面した ジェイムズはニューヨーク市で生まれたが成人してからの大半はイングランドで過ごした その小説の多くはヨーロッパに住んでいるか旅しているアメリカ人を描いている ジェイムズの小説は その錯綜し高度に抑えられた文章と感情と心理のあやに対する分析とで 人を怯えさせるものがある ヨーロッパに来た魅力的なアメリカ人少女を描いた小説 デイジー ミラー や謎のような怪談 ねじの回転 がまだとっつきやすい作品である さらに直接に政治的な書物が社会問題と企業の力を論じた エドワード ベラミー 年 年 の 顧みれば のような作品では別に考えられる政治や社会の枠組みを描いた アプトン シンクレア 年 年 は食肉加工業を題材にした小説 ジャングル で最も有名になったが社会主義を提唱した その他この時代の政治的作家としては エドウィン マーカハム 年 年 ウィリアム ボーン ムーディ 年 年 がいた イーダ ターベル 年 年 やリンカン ステフェンス 年 年 などジャーナリスト批評家はマクレイカー 醜聞を暴く人 と渾名された ヘンリー ブルックス アダムズ 年 年 も教育制度と現代生活を辛辣な表現で描いた スタイルや形態における実験が主題における新しい自由さに加わってきた 年 ガートルード スタイン 年 年 はパリの海外居住者となっていたが キュビスム ジャズなど当時の美術と音楽の動きに親しんだことで影響された革新的小説である 人の女 を出版した スタインは年代と年代をパリで暮らしたアメリカ文学の著名人集団を 失われた世代 と名付けた 詩人のエズラ パウンド 年 年 はアイダホ州で生まれたが 成人してからの生涯の大半をヨーロッパで過ごした その作品は複雑であり ときには曖昧で 西洋と東洋両方の他の芸術形態や広い範囲の文学に何度も言及している パウンドは他の多くの詩人 特にもう一人の海外居住者だった エリオット 年 年 に影響を与えた エリオットは 象徴の濃密な構造で進められる簡潔で知性に訴える詩を書いた その作品 荒地 では 第一次世界大戦後の社会の僻んだ考え方を崩壊し悪夢に付きまとわれたイメージに表現した パウンドの作品に似てエリオットの詩は高度に暗示的であり 荒地 のある版は詩人その人によって補われた脚注が備えられた 年 エリオットはノーベル文学賞を受賞した アメリカの作家は第一次世界大戦後の幻滅も表現した スコット フィッツジェラルド 年 年 の短編や小説は年代の落ち着けない 喜びに飢えた反抗的なムードを捕らえていた フィッツジェラルドの特徴的主題は グレート ギャツビー で痛烈に表現されており 若者の金色の夢が失敗と失望の中で消えていく風潮である フィッツジェラルドはまた 世紀初期の社会の圧力で酷く脅威を与えられている側面である自由 社会の統合 良い政府と平和などアメリカ独立宣言に盛り込まれていたアメリカの重要な理想の幾つかが崩壊したことも示した シンクレア ルイス 年 年 年ノーベル文学賞 とシャーウッド アンダーソン 年 年 もアメリカ人の生活を批評的に表現した小説を書いた ジョン ドス パソス 年 年 は戦争について書き 世界恐慌にまで伸びた アメリカ合衆国三部作 も書いた パール バック 年 年 は生後間もなく中国に渡った女性作家で 中国農村が舞台の大地 年 でピューリツァー賞 年 とノーベル賞 年 を受賞した アーネスト ヘミングウェイ 年 年 は第一次世界大戦の救急車運転手として暴力と死を身近に体験し 大虐殺によって抽象的な言葉が最も空虚で人を惑わすものだと確信させられた その著作から不要な言葉を削り 文章構造を単純化し 具体的な対象と行動に集中させた 圧力の下での優美さを強調する道徳律に固執し その主人公は強く寡黙な男だが女性の扱いはぎこちないことが多い 日はまた昇る と 武器よさらば が一般にその傑作と考えられている ヘミングウェイは年にノーベル文学賞を受賞した ヘミングウェイよりも年早い年に ウィリアム フォークナー 年 年 がノーベル文学賞を受賞していた フォークナーは彼が創作したミシシッピ州のヨクナパトーファ郡における非常に大きな範囲の人物模様を描き出した 意識の流れ と呼ばれる手法で 心理状態を表現するために長ったらしくてまとまりのないように見える登場人物の話を記録した 実際にこれらの文章は丁寧に組み立てられ その混乱したような構造は多層の意味を隠している フォークナーは時間の流れもごちゃ混ぜにし 過去である奴隷を所有していた時代のディープサウスが現在にどう繋がっているかを示している 響きと怒り アブサロム アブサロム 行け モーセ および 征服されざる人 が著名である 世界恐慌時代の文学はその社会批判において無遠慮で直接的だった ジョン スタインベック 年 年 はカリフォルニア州サリナスで生まれ そこを小説の多くの舞台にした そのスタイルは単純で示唆に富み 読者の共感を呼んだが批評家はそうではなかった スタインベックはしばしば貧しい労働者階級とまともで正直な生活を送るための奮闘を書いた おそらく当時の最も社会的に目覚めた作家だった 傑作と考えられている 怒りの葡萄 は オクラホマ州出身でより良い生活を求めてカリフォルニア州に旅する貧しい家族であるジョード家の話を語る強く社会指向の小説である その他にも おけら部落 二十日鼠と人間 キャナリー ロウ および エデンの東 などを書いた スタインベックは年にノーベル賞を受賞した プロレタリアート派の一部と考えられるその他の小説家として ナサニエル ウェスト 年 年 オリーブ ティルフォード ダーガン 年 年 トム クロマー 年 年 ロバート キャントウェル 年 年 およびエドワード アンダーソンがいた ヘンリー ミラー 年 年 は パリで書いて出版した半自叙伝的小説がアメリカ合衆国で発禁になった時に 年代のアメリカ文学界で特異な存在となった 主要作品である 北回帰線 と 暗い春 は年までアメリカ国内での販売と出版が認められなかったが この時点で既にその主題とスタイルの革新性はアメリカの次の世代の作家達に大きな影響を残していた 第二次世界大戦が終わり おおまかに年代後半や年代前半までの時代は アメリカ史の中でも最も人気ある作品の幾つかが出版された時だった より現実的なモダニズム文学の最後の数人と共に幅広くロマンティックなビートニクスがこの時代を支配し アメリカが第二次世界大戦に関わったことへの直接の反応が彼らに注目すべき影響を与えた カナダで生まれシカゴで育ったソール ベロー 年 年 が第二次世界大戦後の数十年間で最も影響力あるアメリカの小説家になった オーギー マーチの冒険 や 雨の王ヘンダソン といった作品で ベローはアメリカの都市の生き生きとした肖像とそこに住む典型的な人を描いた ベローは年にノーベル文学賞を受賞することになった サリンジャー 年 年 の ナイン ストーリーズ と ライ麦畑でつかまえて から シルヴィア プラス 年 年 の ベル ジャー まで アメリカの狂気は国民の文学表現の前線にまで置かれた ロリータ を書いたウラジーミル ナボコフ 年 年 のような移民作家がその主題で台頭し ほとんど同じ頃にビートニクスはその失われた世代の先達から離れて申し合わせたような一歩を踏み出した ビート ジェネレーションの詩や小説は 大半がニューヨーク市のコロンビア大学周辺に形成された知識人のサークルから生まれ 幾らか後にサンフランシスコで明確に確立され 時代のものとなった ビート という言葉は全く同時にジャズシーンの反体制文化的リズムにも使われ 戦後社会の保守的ストレスに関する反逆の意味で またドラッグ アルコール 哲学および宗教 特に 禅 を通じた新しい形の精神的な体験における興味にも使われた アレン ギンズバーグ 年 年 はホイットマン流の作品であるその詩 吠える で 私は狂気によって破壊された私の世代の最良の心を見た で始め この動きの調子を定めた これと同時にその親友であるジャック ケルアック 年 年 はビートのはしゃぎ回り おおらかで気まぐれな生活様式を 多くの作品の中でも傑作で最も人気のあった小説 路上 で祝した 具体的に戦争小説に関して 第二次世界大戦後の時代にアメリカでは文学的な爆発があった ノーマン メイラー 年 年 の 裸者と死者 年 ジョゼフ ヘラー 年 年 の キャッチ 年 およびカート ヴォネガット 年 年 の スローターハウス 年 などの作品が良く知られたものである バーバラ ガーソン 年 が書いた マクバード は戦争の愚かさを白日に曝したもう一つの作品として受け入れられた 対照的にジョン アップダイク 年 はアメリカ人の生活のより牧歌的な側面と呼べるものを出し 静かにだが破壊的でもある文体で迫った その年に出した 走れウサギ は その性格描写とアメリカ中流階級の詳細によってその発売と同時に新しい地平を切り開いた その叙述に現在時制を用いたことでは最初の小説の一つとされてもいる ラルフ エリソン 年 年 の年の小説 見えない人間 は終戦直後の最も力にあふれ世間をあっと言わせる作品の中にあると即座に認められた この小説は北の都会における黒人の話であり 国内でまで一般的だった抑圧されることの多かった人種問題をむき出しにし 実存的な性格描写としても成功している フラナリー オコナー 年 年 もマーク トウェインやアメリカ文学史の中で他の指導的作家にとって大切だったアメリカ文学における 南部 という主題を開拓し発展させた その作品は 賢い血 年 烈しく攻むる者はこれを奪う 年 や最も良く知られた短編である すべて上昇するものは一点に集まる さらに死後の年に出版されたオコナー短編集がある おおまかに言って年代初めから現在まで 最も良く知られた文学の分野は ポストモダニズムであろうが その呼び方には様に異論がある 時代の知識人に受け入れられた 必ずしもポストモダンではない 作家としては トマス ピンチョン 年 ティム オブライエン 年 ロバート ストーン 年 ドン デリーロ 年 ポール オースター 年 トニ モリスン 年 フィリップ ロス 年 コーマック マッカーシー 年 レイモンド カーヴァー 年 年 ジョン チーバー 年 年 ジョイス キャロル オーツ 年 アニー ディラード 年 ポール オースター 年 リチャード パワーズ 年 らが挙げられる 一般的にポストモダニズムとされる作家達は 大衆文化とマスメディアが平均的アメリカ人の世界に冠する概念と経験に影響を与えた多くの方法を扱い また今日でも直接扱っている それはアメリカ政府さらには多くの場合アメリカ史であるが 特に平均的アメリカ人自身の歴史感と共に批判されることが大変多い 多くのポストモダン作家は郊外あるいはショッピングセンターのファストフード レストランを舞台とすることでも知られている 彼らはドラッグ 美容整形手術およびテレビのコマーシャルについて書いている ときにはこれらの表現がほとんど称賛のようにも見える しかし同時にこの派の作家達はその主題に対して知ったかぶり 自意識過剰 当て擦り および ある批評家に拠れば へりくだった態度を取る このような傾向にある者のなかでおそらく最も知られているのは ブレット イーストン エリス 年 デイブ エッガーズ 年 チャック パラニューク 年 およびデヴィッド フォスター ウォレス 年 年 であろう フォートラン は 年にのジョン バッカスによって考案された コンピュータにおいて広く使われた世界最初の高水準言語である は科学技術計算に向いた手続き型プログラミング言語であり その長い歴史の間に開発された非常に多くの数学関数やサブルーチンを数値解析ソフトウェアの形で持っている また 並列計算の並列性を明示的に書くことができ最適化が行いやすく そのため他の言語より高速である等の理由から 数値予報および気候モデル 構造力学における有限要素法 計算流体力学 計算物理学 計算機化学 計量経済学 動物と植物の品種改良などの大規模な計算を行う分野において スーパーコンピュータで使われている また ちょうど言語に対する 言語のように の言語仕様は の頃と比べればかなり拡張され進歩したものとなっている 最新のソースコードは初期のものと比較すると ほとんど別の言語のように見える 初期の頃は 変数名が大文字文字までで 動的な記憶領域の確保ができないなど多くの制約があったが それらの制限は無くなり から構造化プログラミングが からモジュラープログラミング 配列演算とユーザー定義総称関数が から が からオブジェクト指向が からはコンカレント コンピューティング 並行計算 が導入された なお 大文字でと表記した場合 以前のを指し と表記した場合 以降を指すことがある の特徴は 以下のように要約される 広く使われていた の特徴は 以下のように要約される ジョン バッカスは年末 メインフレームコンピュータ のプログラムを開発するにあたり アセンブリ言語に代わるものを開発することをの上司に提案した 歴史的な開発チームは というメンバーで構成された のドラフト仕様は年中旬に作成された 年月にの最初のマニュアルが作成され コンパイラは年月に完成した 顧客はアセンブリ言語で記述されたコードに匹敵するパフォーマンスが得られない限り高級言語を採用しないので 最初から最適化コンパイラが開発された この新しい方法がハンドアセンブルより高速に動作するかどうかには疑いの目があったが プログラム中の命令数を に削減できるので急速に受け入れられていった の社内誌であるに掲載された年のインタビューでバッカスは 私がこの仕事をしたのは面倒くさがりだったからです 私はプログラムを書くことが好きではなかったので でミサイルの軌道計算プログラムを開発したときに プログラムの開発を簡単にするためにプログラミングシステムを作り始めました と語っている は科学者の間で数学を応用したプログラムの記述に広く用いられたことから より高速で効率的なコードを出力しようとする原動力となった またライブラリでなく言語として複素数型をサポートしたことは 電気電子工学における動的特性の計算などに代表される科学や工学分野のプログラムを書きやすくした 開発の歴史は 初期のコンパイラ技術の歴史そのものといえる で効率的なコードを出力したいという強い要求からコンパイラによる最適化技術が大きく進歩した 用に開発された最初のはの命令をもっていた 版は革新的なパスのコンパイラであり わずか語の磁気コアメモリで動作する コアに記録されたプログラムが段階的に実行可能なコードへと変換されて上書きされる 変換されたコードは機械語ではなく のコードが生まれるよりも年も前ながら 中間コードを利用していた の は年に開発された 主な改良点は手続き型プログラミングのサポートであり サブルーチンや関数を定義できるようになった その後 のデータ型として 倍精度型 と 複素数型 が追加された は年に を開発していた いくつかの新機能に加えインラインアセンブラが可能であった しかしながらこのバージョンは販売されなかった や と同様に にも移植の妨げになるような機種依存の機能があった 他のベンダーから販売されていたも初期は同様の問題を抱えていた は年に顧客の要望を受け の開発を開始した のような の機種依存部分を削除したほか 論理型 論理演算 算術文の代替となる論理文が加えられた この時のターゲットマシンはビットのワードマシンだったので 整数値はの大きさの範囲で定義されていた また 実数の精度は 倍精度実数の精度はまでだった は年に 通称ストレッチ 用がリリースされ 後に 版と 版がリリースされた 現 がの米国規格を委員会で制定するようになったことはの歴史の要である 年につの異なる言語が制定された 一つは当時既にデファクトスタンダードであった を基にしたであり もう一つは を基にして機種依存部分を取り除いた である 最初に制定されたの規格は後に と呼ばれた 規格のリリース後 コンパイラ ベンダーは多くの拡張を標準に導入し の規格の改訂を始めるようにを促した この改訂は年に制定され 最終的な改訂案は年月に新しい標準として承認された この新しい標準は として知られ 後の多くの変更を追加し 多くの重要な機能を加えた この規格の改訂において 多くの機能は除去されるか変えられて 以前の標準に合致していたプログラムの多くはおそらく無効になった この時点で除去はの代替だけが許容された だからコンセプト 不賛成は標準においては利用できなかった しかし コンフリクトリストのアイテム を見よ ループホールスとパスロジカルケースは以前の標準規格から許容されたが しかし滅多に使用されない 少数の機能は慎重に除去された 一般に として知られている規格は 大幅に発表が遅れたものの の正当な継承者であり 最終的に年に規格 年に規格としてリリースされた この抜本的な改訂では年の 規格制定からのプログラミング技術における大幅な変化を反映するために 以下の多くの新しい機能が加えられた 以前のバージョンとは異なり は 何の機能も削除しなかった には この規格の 削除した機能のリストは空である と記載されている つまり に準拠したプログラムは にもまた準拠している そして 両方の規格で その動作が定義づけられた項目は使用可能でなければならない 一部の機能は で 削除 され また機能の小さな部分は 時代遅れ と認定されて将来の規格で除去されることが予定された は マイナーな改訂版である ほとんどは 規格の いくつかの大きな問題を解決するためのものである それにも係わらず もまた年号を付加されている それは の拡張として定義される並列言語 ハイ パフォーマンス の一部導入によることは明白である なお 本格的なは 地球シミュレータ等で使用されている 多くの内部関数は拡張された 一例として 内部関数に引数が追加された で時代遅れとされた いくつかの機能は から削除された への重要な追加は 一般には として知られる である この仕様は 準拠の コンパイラより前に アレイの強化した用法を定義した そのような用法は プロセジャーのダミー引数リストとしての派生タイプコンポーネントアレイと 関数の返し値を含む アレイは ベース アレイより好ましいものである なぜなら アレイは スコープから抜けたとき による自動的なを保証しメモリリークの可能性をなくすからである エイリアシングはの参照において最適化の障害にならず コンパイラがポインタ ベース アレイより高速なコードを生成することを可能にする 他の重要な への追加は 浮動小数点例外ハンドリングである 一般には として知られており この仕様は 浮動小数点演算と例外ハンドリングを定義する 必須のベース言語 に定義 以外に 言語も以下のつのオプショナルなモジュールを含む 両者は マルチパート国際標準を構成する 規格の開発者は オプショナル パートは必要なものを完備した機能を記述している それは多くのコンパイラ インプリメンターとユーザーから要求されてきたものである しかし それらは 全ての標準に合致するコンパイラは十分な一般性を持たないと考えられていた それにも係わらず もし標準に合致したがそのようなオプションを提供するなら それらの機能は 標準規格の適切なパートに記述に従って提供されなければならない と述べている はメジャーな改訂であり たくさんの新しい機能を導入した における新しい機能の包括的なサマリーは のオフィシャルサイトから得ることができる この記事によれば このバージョンが含む大幅な強化は以下の通りである への重要な追加は である におけるモジュール機能の強化 このレポートは を提供する これは のモジュールをより 言語のモジュールに近づける これらは 言語のプライベート チャイルド サブユニットに似ている これは分離したプログラムユニットとして表現すべきモジュールの仕様と実装を可能にし 大規模なライブラリのパッケージ化を改善し インターフェース定義を公開しても企業秘密を保持することを可能にし コンパイレーション カスケードを防ぐ 最新の規格であり一般には として知られている は年月に承認された と同様に これはマイナー アップグレードである の明確化と訂正と共に 新しい特長も導入された 新しい特長は 以下を含む ファイナル ドラフト スタンダード は ドキュメントとして利用できる における重要な追加は テクニカルスペシフィケーション のにおける言語とのより高いインターオペラビリティであり 年月のの承認に向けてまとめられた 言語の配列へのアクセスに関してタイプとランクを無視する仕様が加えられた の最新版は 以前は と呼ばれていた 大きな改訂が行われ 年月日にリリースされた には それ以前に公開された以下のつの技術仕様が含まれている 追加の変更と新機能には 年時点の浮動小数点数仕様の最新版 のサポート 進の入出力 拡張など 様な変更が含まれている 以降 で仕様が制定されている の言語仕様は 年代によってかなり変化して来ている 他のプログラミング言語で実装された構造化プログラミングの機能などがどんどん取り入れられて来ているからである なお 年に若干の改訂がなされている 国際標準化機構 は 米国規格協会 の が作成した の規格 を として定めた 基本水準 と上位水準 の種類の水準からなっていた これを基にして 同じく水準の が制定された なお 年に の分類が変更になり この規格は となった 内容には変更はない を基に他の言語の特徴を組み込み 言語仕様を近代化しようとしたが そのため仕様がなかなか決まらず 年に として制定された ではそれを受け が制定された では と通称される規格が引用されている 該規格は一部例外を除き の上位互換拡張である 年現在の最新改正版 では と通称される規格が引用されている 該規格は一部例外を除き の上位互換拡張である は 情報処理分野で広く使われていたため 学校や会社の教育 情報処理技術者向け教育 で利用された 教育向けには より詳細なエラー情報を出すための拡張が大学で 後に コンパイラとして実装された この実装は日本の大学でも使われた は科学技術計算用の言語なので スーパーコンピュータでのプログラミング言語としてよく用いられる 実際 多くのスーパーコンピュータでベンダーが主に注力して提供されている言語は およびである 言語と比較すると はスタック等を使わずに コンパイル時に静的に記憶領域を確保するのが基本であった そのため 自由度が高くあらゆる状況を想定しなければならない言語と比べるとコンパイラはコードを最適化しやすいという利点がある の主な用途である科学と技術用の計算では配列を用いた演算が基本であり ベクトル型スーパーコンピュータは を使ったプログラムで使用することが多い そこで スーパーコンピュータの高速演算機能を有効に使うための工夫がなされた そのつの例としては 自動ベクトル化機能である ベクトル型のスーパーコンピュータは 多くの演算を同時に行うベクトル演算機能がハードウェアで提供されている この機能を有効に使うために のループをベクトル演算装置で演算させるために 自動的にベクトル命令にする機能が提供された また ループ内のベクトル演算に適さないものをループ外に追い出す機能などもある たとえば のような構文は ほとんどの場合 から数個のベクトル演算命令にコンパイルされる そのほかにもループの中に文を含むような例 たとえば のようなものもベクトル化できる場合がある これは いったんの各要素が以下かどうかを示すマスクベクトルを作成して という配列 ベクトル に 変数の値を乗じるとき マスクベクトルを参照するベクトル演算を行うことで ループをベクトル化する このような作業は すべてコンパイラが行い 利用者にできるだけ負担をかけないようにしている しかし より高度なベクトル化を行うために 最適化を行う支援ツールが用意されている場合もある コンピュータ上で日本語の文字を扱えるようになると でも日本語を扱う需要が出てきた そのため 各社 メインフレームを作成していたメーカ では 独自に言語仕様に日本語の文字を扱えるように拡張した そのため 各社で日本語の扱い方が異なる事態になった そこで では年に で日本語を策定した で日本語の文字を扱う場合 識別子である変数名 仮引数名 プログラム名 関数名 サブルーチン名 共通ブロック名等には日本語の文字は使えず データとしての日本語の文字列を扱うための専用の型 日本語型 日本語の文字列を入出力するための文の編集子の拡張が行われた が登場する前にいろいろと作られたプリプロセッサはをベースとしてよりプログラムが読みやすく書きやすい言語の形式を提供するために広く使われた プリプロセッサで処理されたコードは 標準のコンパイラを備えた任意のマシンに対してコンパイルすることができる利点を持つ これらのプリプロセッサは通常 構造化プログラミング 文字よりも長い変数名 追加のデータ型 条件付きコンパイル さらにはマクロ機能をなどをサポートしていた ポピュラーなプリプロセッサとしてと があった 例えば とはライクな言語を実装して 標準的な コードを出力した は ローレンス放射線研究所で ベクトル演算および動的な記憶 システムのプログラミングをサポートする他の拡張機能を提供するために開発され ディストリビューションにはオペレーティングシステムが含まれていた 規格は 任意の条件付きコンパイルの機能を定義するオプションパートを備えている この機能は しばしば と呼ばれている は 大規模な離散システムのモデリングとシミュレーションのためのアプリケーションに特化したのプリプロセッサである また多くのコンパイラは プリプロセッサのサブセットを取り込んだ 言語の進歩にもかかわらず プリプロセッサは条件付きコンパイルとマクロ置換のために使用され続けている プログラミング言語は の文などの 冗長 非構造化 非推奨な機能を削除した のクリーンなサブセットとして設計された 言語は で追加された配列演算の機能を使い と で追加された制御文を用い 構造化プログラミングのために廃止された制御文を削除した 設計者は言語を 特に教育や科学技術計算に適した 構造化された配列プログラミング言語である と述べている しかしサブセット言語であるから 旧来のあるいはで除かれた機能を含むのソースコードは受け付けないため 実務用には普及しなかった という拡張系の言語もあるが これもほぼ廃れた フリービーエスディー は をベースにした に由来する フリーでオープンソースの 風のオペレーティングシステムである の最初のバージョンは 年にリリースされた 年には は最も人気のあるオープンソースの オペレーティングシステムとなり 単純に寛容にライセンスされた システムのインストール数の 分の 以上を占めていた は と似ているが 範囲とライセンスにつの大きな違いがある すなわち はカーネルとデバイスドライバのみを提供し システムソフトウェアをサードパーティーに頼っているのに対し はカーネル デバイスドライバ ユーザーランドユーティリティ およびドキュメントといった完全なシステムを維持している また のソースコードは通常 寛容なライセンスでリリースされており で使われているコピーレフトの とは対照的である プロジェクトには ベースディストリビューションに含まれるすべてのソフトウェアを監督するセキュリティチームが含まれている 広範囲のサードパーティ製アプリケーションを追加するには パッケージ管理システムや を使ったり ソースコードをコンパイルしたりしてインストールすることができる 系譜的には本流ともいえるであり 過去にはなどのサーバとして利用されていた実績を有するが 現在では多くがに置き換えられている 現在の利用状況に関しては デスクトップのシェアは 以下で計測不能であり その存在意義や将来的継続性にすら疑問を呈される事態に陥っている の開発者達は サイトにて安定していて高速 高性能でなおかつ安全 先進的な機能や多くのセキュリティ機能を提供していると語っていた 等の機能もレンタルサーバ等に適したシステムであるといえる と異なりカーネルとユーザランドを含めて一つのであり そして側にのものを含まないようにしていることも特徴の一つである そして 堅牢性の高いカーネルの設計が最大の特徴として認知されている しかし公開後の開発が停滞したため のユーザらは を製作し バグの対応などを行っていた その後は ほぼ年にわたって放っておかれ やがてパッチキットの量は膨大になってしまった そこで のユーザらは の開発の手助けのため パッチキットを適用した状態の クリーンナップ スナップショットの製作プロジェクトを進めた しかし がこのプロジェクトの受け入れを拒否したことにより プロジェクトは路線変更を余儀なくされた 結局 パッチキットの最後の取りまとめ役であった ジョーダン ハバードらは 自分達で新しいの開発を行う事を決意し 年にプロジェクトをスタートさせた という名前は によって考案されたものである 年月日 ジョーダン ハバード および は の開発開始をアナウンスした は をベースに開発が行われ 年月には最初のリリースである が そして 年月には がリリースされた しかしこの後 当時のソースコードの権利をもっていたノベルとカリフォルニア大学バークレー校との長期に渡った訴訟の和解が成立し にのライセンスに抵触する部分があることが正式に認められた そのため はそのまま開発を続けることが不可能となり 年月にリリースされた を最後に をベースにした開発を停止した プロジェクトは のライセンスに抵触していないことが公式に宣言された を基にしての開発を再開した 再開後の最初のリリースである は年月に発表され その後 は順調に発展を続けている なお については 当初を標準として採用していたが からは を標準とするように移行した のパッケージ管理システムは ビルド済みパッケージをインストールする とソースをビルドするスタイルのがある 以外でのインストールしたものは原則として 以下と 以下に入る つまり部分とほぼ分離されているので明示的な管理やバックアップもしやすいが 基本的にライブラリを共用する発想で構成されているので等でアプリごとにライブラリを用意することに慣れている人には使い辛いと感じることもある 系から系等 メジャーバージョンアップの際には使用ライブラリの互換性がなくなるが一部 を使うものなど を除いて を入れることにより動作する はビルド済みのバイナリをシステムにインストールする仕組みでからインストールされたものも含めてバージョンやファイル構成が記録される サーバは本家の他日本など各地にある 自分でもを作る事が出来るので複数台同一環境のを管理している場合にも使うことができる 単独のの個別インストールもできるが コマンドで上位にあるを指定することにより依存もインストールされる しかしとの等依存ツールやライブラリのバージョンが異なる場合 手動で修正が必要である等の問題があったり 版では最新のを取得するために環境変数 を指定しなくてはいけない他 上の情報では はビルドするのが当たり前 という風潮がかつては多かったため新規インストール以外にはあまり使われないように見受けられる 基本的には更新後一週間後程度には版に最新のがアップロードされているようだ のバージョンアップ用のサポートツールとして 等がある は半自動的にソースコードからのビルド及びインストールを行う方法である 特殊なパッチを当てる当てないの選択肢ダイアログ等が表示される場合もあるが 基本的にはソースコードのダウンロードからコンパイル 生成 インストールまでの一連の流れを自動的に行うことができる ただ 実際にはシェルスクリプトだけのものやフォント 等メーカー品バイナリや等ビルド不要のものも多い に比べると作業領域を明示的に指定できる長所がある 基本的には に置かれる の最新情報への更新は というコマンドを用いる事で最小限の更新だけで済ませられる あるいはないしを用いてツリーを更新することも可能 については次項参照のこと に登録されているソフトウェアが新バージョンへ更新した時に一時的にビルドできなくなるなどの問題が発生することもあるので 等の重要なの更新時には一定期間 週間程度 様子を見る必要がある に登録されているソフトウェアは年月日の時点で を超えるが日増加している そのメンテナンス状況はメンテナと呼ばれる管理者の能力や意欲に左右される面がある そのため 常時メンテナンスされて高い品質を維持しているも多いが 逆にソースファイルのサイトが閉じていたり ビルドできなかったりあるいは古いバージョンのまま放置されていたりするものがあるという問題点も指摘されている 日本人メンテナの活動により 日本語環境に関するは他言語に比べ比較的良く整備されており 特に日本語版は完全な環境が容易かつ安定してインストールできることは特徴的である 無駄なを増やさないために で使わないカテゴリを指定できるがあくまでディレクトリ単位でのカテゴリ指定しかできない 安直にメタポートと呼ばれるものをビルドしようとすると依存するものを全てビルドしてしまうのでファイル構成を把握したらベーシックなライブラリから更新するとストレージ使用効率が良い からインストールしたものは たとえ生成を行わないように指定したとしても からインストールしたものと同等に扱われる サポートツールとして の他と依存の等が使われる に起因するの依存記述には問題がありしばしインストールの妨げになることがある は 用の次世代のパッケージ管理システム として開発されてきたものである 従来のバイナリベースパッケージ管理システムである よりも 手軽なバイナリアップデート リモートパッケージ検索 依存関係の管理等の機能が強化されている は これまでのものとはパッケージのデータベースの管理方法が異なるため現時点では までのバージョンでは の使用がデフォルト設定にはなっておらず 手動で 管理システムに移行しなければならない からデフォルトのパッケージ管理システムとして採用されている では安定版である の他 と のつの開発ブランチが存在する はまさに最新ののバージョンの開発ブランチで 作業進行中のソースがならび 開発途上のソフトウェアや過渡的な機能などが含まれている しかし これがリリース版に採用されるとは限らない は主に開発が終わった開発ブランチに対して 分枝されてリリース版 安定版 を作成する開発ブランチである こちらに移ってからは全ての修正はこの開発ブランチで行われる つのバージョン系列の開発が終わるとこのブランチからも外れ 以後一定期間は必要に応じてセキュリティアップデート等の修正が行われる 修正はパッチをあてることで行われ などと最後尾に修正が行われた回数 は のこと が示される なお いったんとして扱われると つ上の開発バージョンがとして扱われることになる 例外として 系では多くの改善や機能追加が行われたために の間はリリース版が出ているのにも関わらずとして扱われない状態が続いていたが がリリースされてからは元の体制に戻った の版と版は を使ってソースコードレベルでのバージョン管理を行う ソースコードの更新にはかつては というコマンドが用いられたが はの主要な機能を言語で再実装したものである これは がプログラム言語として一般的でない で実装されており これが理由ではベースシステムに含まれるがはから導入する による配布は年月一杯で終了し 以降はが用いられている 以下に展開されたソースコードをすることにより メジャーバージョンの更新も含めて全体のバージョンアップができる バイナリで配布された版に対しては というコマンドが用いられ定期的なセキュリティパッチ等のバージョンアップができる カーネルであればカーネルのアップデートも可能である 通常はセキュリティパッチが入るとカーネルの名称に 等とバージョンがつくがカーネル以外だけの更新の場合カーネル名称は変わらない の版及び版については リリース後一定期間 セキュリティに関する問題が発生した場合に必要なアドバイザリ及びアップデートがリリースされる保証期間が設けられる 保証期間については以下のつの区分が存在する なお版についてはあくまで開発版という扱いのため セキュリティアップデートやアドバイザリは提供されない ただし実際には 各版に対し及びのどちらを選択するか その時点での版のコード品質等を考慮して個別に定められることが多く 時には 古いの方が新しいよりも保証期間が長い という逆転現象が起こることがある 例 の保証期間が年月末までなのに対し の保証期間は年月末まで また過去には と の間でも同様の逆転現象が発生した ただし の保守終了予定日は 同様年月末まで延長されている このため 特にサーバ等で長期に運用する予定の機器では 保証期間の終了時期を踏まえたバージョン選択を行う必要がある 現在 セキュリティアップデートなどがサポートされている安定リリース版 及び開発ブランチは以下の通りである は を基にして年月に開発された はのライセンスに抵触していないことが公式に宣言された を基にして年月日に発表された バージョンの最終版の は年月日に発表された は 由来のソースコードの著作権者ノベルの法的請求権から 将来に渡って 公的に解放された最初ののバージョンである また インターネットサーバー拡大期の始まりにおいて 広く使われた最初のバージョンでもある は年月日に発表された バージョンの最終版の は年月日に発表された はジャイアントロックを用いてシステムをサポートできる最初のブランチである からはをサポートし からギガビット イーサネットカードをサポートした は年月日に発表された 年月日に出た最終版の は年月日までサポートされていた バージョンは その安定性を賞賛され 最初のインターネット バブルの時期にプロバイダとホスティングサーバから好まれたオペレーティングシステムであり 系では最も安定した高いパフォーマンスのオペレーティングシステムの一つと広く見なされている バージョンの新機能では より 後にやのシステムの一部となる のシステムコールを導入した は年月日に 最新開発版 として発表された バージョンの最初の安定版のリリースは 年月日に発表された である は として一般ユーザの利用は勧められていなかった バージョンの最終安定版は年月日に出た であった バージョンの最初のブランチとして登場した は 先進的なマルチプロセッサとアプリケーションスレッディング と のプラットフォーム対応等のサポートといった注目度の高い機能を手広く先取りしていた は年月日にリリースされた バージョンの最終版の は年月日にリリースされた これらのバージョンは と先進的な の機能性の更なる開発の他に下記のようなものがある その他 プリエンプティブカーネル タスクの置き換え とハードウェアパフォーマンス測定ドライバ のサポート等が挙げられる は年月日にリリースされた バージョンの最終版の は年月日にリリースされた 新機能は下記の通り多彩に渡る ベンチマークは だけでなくの以前のバージョンに比べても著しい速度の向上を示している より対応していた アーキテクチャへの対応は より中止となった は年月日にリリースされた 年月にトランクからバージョンはブランチした バージョンの最新版は で年月日にリリースされた 主な機能は 対応 の ドメイン への対応 ネットワークスタックの仮想化 スタックスマッシュプロテクション 新しいレイヤへの置き換え 大幅に更新され 改善されたへの対応 で追加された とそのホストコントローラの規格であるへの対応 を含むマルチキャストのアップデート で追加された インテル対応のとのアクセラレータを導入しているのクライアント サーバの書き換えである 改良されたデバイスの の拡張機能によって プラットフォーム用のビットディスプレイドライバが実装可能となった プラグイン対応の輻輳制御フレームワークと のエミュレーション下で実行されるアプリケーションのシステム情報を取得するを使用可能とする機能は で追加された は年月日にリリースされた は年月日にリリースされた で をサポートなどである カーネルとベースシステムはを使用して構築することができるようになったが はまだデフォルトで を使用している は年月日にリリースされた は年月日にリリースされた は年月日にリリースされた 準仮想化 ドライバがに対応 の実装などである に実装された ハイパーバイザ は まだ実験的なハイパーバイザであるが 仮想マシン内でゲストを稼働できる 仮想数 ゲストメモリ コネクティビティなどなどもコマンドラインパラメータで指定できる より システムにおける インストールに対応した は年月日にリリースされた は新しいサポートモデルの下で 少なくとも年月日までの年間の長期サポートが行われるとしている のリリースエンジニアリングの終盤での脆弱性が公開されたため リリースエンジニアリングチームはこれを修正した を新しくビルドして公開した 今回のリリース対象はこのパッチレベルが対象となっている アップグレードする際に がインストールされている場合 早期に 以降へアップグレードすることが望まれるとしている は予定通り年月日リリースされた は年月日にリリースされた 安定版ブランチ単位で年間のサポートを提供することについてビジネスモデルを再評価する必要が出てきたとして 年月日まで新しいサポートモデルに関して意見を募るとしている は年月日にリリースされた では 年現在は対応アーキテクチャを までの段階で管理している 最新の版について 公式サイトにてインストールイメージが配布されているアーキテクチャ いわゆる フルサポートアーキテクチャ であり ドキュメントなどもまずはこの層に属するアーキテクチャ向けに整備される 開発 サポートプロジェクトが継続しているアーキテクチャ 公式サイトでインストールイメージも配布されているが 熟成度が低いとされて部分的なサポートのみとなっている 試験的に開発が行われているアーキテクチャ 開発状況によっては予告なくのソースツリーから外される可能性がある 完全にサポート外のアーキテクチャ 長年 のロゴはとも呼ばれる通常のデーモンであった しかしながら は に特有のものではなかった 最初に現れたのは年のベル研究所によるシャツであり 最も人気のあるデーモンのバージョンはアニメ監督のジョン ラセターによって年に描かれ始めたものである いくつかのに特有のバージョンは 細川達己によって後に描かれたものである プロジェクトは ベースの 環境を提供している 旧 プロジェクトは ベースの ベースでの操作を可能としたファイルサーバ用環境を提供している プロジェクトは プロジェクトから分離したファイルサーバ用環境プロジェクトである 旧 プロジェクトは をデスクトップ サーバと両方に対応したディストリビューションを提供している は セキュリティ対策を拡充するため年にフォークしたディストリビューション 生成文法 せいせいぶんぽう は ノーム チョムスキーの 言語理論の論理構造 文法の構造 といった著作や同時期の発表を契機として起こった言語学の理論である チョムスキーの示したドグマ ドクトリンとしては 脳の言語野に損傷を持たない人間は幼児期に触れる言語が何であるかにかかわらず驚くほどの短期間に言語獲得に成功するが これは言語の初期状態である普遍文法 を生得的に備えているためであると考える 生成文法の目標は 定常状態としての個別言語の妥当な理論を構築し 記述的妥当性 第一次言語獲得における個別言語の獲得が成功する源泉としての初期状態であるの特定とそこからの可能な遷移を明らかにする 説明的妥当性 ことである そして言語を司る 器官 を心 脳のモジュールとし 言語学を心理学 生物学の下位領域とする しかし 以上のような考えが根底にはあるが テクニカルには主として句構造規則からの 生成 数学における 生成 に由来しており むしろ 定義 の意味に近い による文法 句構造文法を主として言語 もっぱら自然言語だが 次に述べるように形式言語にも波及した を扱うことを特徴とする言語学である またチョムスキーによれば 生成 という語は明示的であるということを意味する ただし 生成 の意味には変化があるとしてジェームズ マコーレーの批判がある チョムスキーはそれを否定しており 変化は無いとしている 言語学的には自然言語を対象として広がった分野であるが 前述のテクニカルな面は形式言語との親和性もあり チョムスキー階層 などは 形式言語とオートマトンの理論 と呼ばれる数理の分野における基本概念となっている 生成文法は音韻論 形態論 意味論 言語獲得など一般に扱うが統語論が主となっている 以下では統語論に話題を絞り 他の領域に関してはそれぞれ関連記事を参照されたい 生成文法のうち 変換を含む言語理論は計算上非現実的として変換を含まない生成文法があり 区別して非変換 論的 生成文法ということがある 生成文法以前にアメリカで主流であった言語学は構造主義言語学であった ヨーロッパにおける構造主義言語学と区別してアメリカ構造主義と呼ばれることもある ヨーロッパにおける構造主義言語学は 一般にソシュールが祖とされ いわゆる 近代言語学 とも なお 単に 構造主義 で特にヨーロッパの側のほうを指すことも多い アメリカ構造主義言語学は 与えられた音声データから一定の手続きに従って音韻論 形態論 統語論と記述を進めるというものであるが 音素や形態素の分類が行われれば一応の目的達成とされるものであった これはヨーロッパの言語とは系統的に無関係で ア プリオリに分析の方法が与えられていないネイティブ アメリカンの言語を記述するための方法論として発展してきたことをひとつの大きな契機としている 詳細は構造主義言語学の記事を参照 関連事項として 当時の心理学は行動主義心理学の全盛期であり 人間の行動をすべて刺激とそれへの反応が一般化したものと捉え 直接観察可能でない心的現象行動についても観察可能な行動に還元する傾向にあったことがあげられる 心的現象に関わる意味論は心理学のこのような傾向に歩調を合わせる形で優先順位を後にされ 生成文法の萌芽期と時期的に重なる成分分析まで延期されていた また アメリカ構造主義は 科学的方法 を看板としていたが 科学哲学としては論理実証主義を背景として検証可能なもののみを言語学の対象としていたが その対象を自ら狭め また音素 形態素の認定に意味が果たす役割には無自覚であるか あえて不問に付していた その結果 アメリカ構造主義においては多くの言語を対象としたデータの膨大な蓄積をもたらしたが その一方で伝統的言語研究とは断絶状態となって多くの重要な設問は禁止された状態にあり データの蓄積が言語に対する洞察を深めることにはならなかった 生成文法は合理論に与し アメリカ構造主義の経験論に対立する 生得的な知識に関しては古代ギリシアの哲学者プラトンの対話篇 メノン に現れる数理的知識の議論がある 文法としては古代インドのパーニニによる文典が最古の 生成文法 とされる チョムスキーが生成文法をデカルト的 と冠していることからわかるように ルネ デカルトの思想は生成文法に大きな影響を与えている また アメリカ構造主義の重要な言語学者とされるレナード ブルームフィールド エドワード サピアの研究に 生成文法 を先取りする考えが含まれており また伝統的研究に属すると言えるオットー イェスペルセンの英語の分析は現在においても重要な影響を与え続けている 非本質的な要因の関与を排除して理想化をほどこした 個別言語の話者の脳に内在する言語機能を言語能力と呼び それを利用した 注意力 記憶力の限界 発話意図の変更 物理的制約などの要因の影響を受ける言語使用の側面を言語運用と呼んで区別した 言語能力と言語運用の区別はしばしばソシュールのラングとパロールの区別と対比されるが これらは社会的側面と個人における実現という区別であり 全く異質なものである 生成文法は 言語現象のあらゆる現われをデータとするが そこで重要なのは母語話者の判断である 母語話者の判断は その人が持つ言語の直観を反映するが そこには様な要因が組み合わさって現象する その直観を反映した判断を容認性と呼ぶ 上で述べたような事情から 容認性判断は言語能力を直接反映したものとは言えない 研究の過程で非本質的な要因を除外していくと 最終的に目的としている文法にたどり着くと考えられる この文法に照らし合わせた構造記述の適格性をと呼ぶ 究極的には 真の文法が得られた場合に限り文法性の評価が可能となる なお 言語学の慣用として 容認不可能なデータの前に アステリスク 星印 を 容認不可能とは言えないが許容度のかなり下がるデータの前に を付すことになっている 生成文法は言語獲得を説明することも課題として掲げている 乳幼児は第一次言語獲得において 生後半年ほどでまわりの大人の話す個別言語の弁別素性 例えば音素 を特定し 一年ほどで多くの音と意味の結びつきを覚える さらに一語文の時期を経て二語以上の語からなる構造を持った発話を産出するころには 基本的な統語構造をほぼ獲得しているものと見られる 言語獲得は生得的な初期状態である 普遍文法 から定常状態である個別言語への遷移と理解され 生成文法は 自然言語であればどのような個別言語の状態へも遷移可能なだけ豊かで 第一次言語獲得が短期間になされること 自然言語としてあり得ない言語へと遷移できないことを保障するだけ十分に制限されたを特定することを課題の一つとする この課題を達成する理論を説明的妥当性を備えた理論という 生成文法以前には 生得的構造を仮定せずに類推によって言語は獲得されると考えられることも多かったが 類推の基礎になるデータがないにも関わらず 自由に構造が生成されるという事実がある これはプラトンの問題 言語獲得についての論理的な問題などと呼ばれる また 幼児はどのようなものが正しいかという情報を得ることができないこと 否定証拠の欠如 も指摘される 説明的妥当性を持つ理論は初期状態である普遍文法 の性質を記述する ではの性質を知るにはどのようにしたらよいのであろうか 以下は黒田成幸の説明に基づく 子供は 自分の周りの大人が話す個別言語のデータを基にして を獲得する その際の データを入力として個別言語を出力とするものを言語獲得装置 ということがある を関数とし そこに入力されるデータをとすると 言語獲得を次のように定式化することができる 例えば日本語 の獲得 英語 の獲得 アラビア語 の獲得 言語の獲得を次のように表すことができる ここで 言語学者には言語獲得に決定的となる情報の総体 関数への入力 データ がどのようなものかを知ることはできない しかし記述的妥当性を備えた文法は出力としての個別言語を知っている このようなことから 言語獲得において関数とそれへの入力は未知であるが その出力である個別言語を既知として連立方程式を立てることができ はその連立方程式を解くことで求めることができる は の定数である原理と 変数であるパラメータ 及びパラメータの指定方法によって構成されると考えることができる 生成文法は年代の発足当初から理論の積み重ねを経て今日に至っているが その積み重ねは小さな修正の集積だけではなく 非常に大きな枠組みの変革も含まれている 巨視的に見ると 生成文法はこれまでに度の大規模な理論的変革を経験している 概念的 思想的な側面では一貫しているが 議論を進める上での技術的な側面では非常に大きな変更がなされており 変革を期に生成文法の研究を離れる研究者が現れたり また 変革が起こるたびに 一貫性のない理論である という批判を受けるなどしてきた こうした大幅な理論の変革は生成文法の特徴の一つとなっている しかし 新たに提示される枠組みは 以前の枠組みで説明されてきたものをメタ的に説明できるようになっており 道具立て自体は破棄されても それまでの理論的蓄積はより一般化された形で説明される つまり 生成文法では新たな理論がまったく恣意的に作り出されるのではなく 従来の理論をより一般化するように理論が発展してきている 生成文法の枠組みの変革は以下のようにまとめられる この理論的変遷を歴史的に見ると以下のようになる すなわち 当初は考えられる規則を網羅的に記述していたが 規則が増えるに従い体系が煩雑になったため 年代の終わりごろから年代の終わりにかけて 可能な規則を規定するメタ規則や誤った文を排除する制約が考えられた これは原理とパラメターのアプローチと呼ばれ 言語は普遍的な有限の原理と個別言語ごとに規定されたパラメターから成ると仮定されている 年代の終わりからは 言語を計算とみなし 経済性や最適性に着目した極小主義プログラム ミニマリスト プログラム が提唱された チョムスキーの著書 文法理論の諸相 年 では アメリカ構造主義言語学の分析と呼ばれる文の分析方法が句構造規則によって改めて捉えなおされた 例えば という文には という分析が与えられ 次のような 連続し順序付けられた構成素に分析していく書き換え規則によって導出される 括弧 で括られた要素は任意要素である は範疇の結合を表すものとする 句構造規則は順序付けがなされていない 個別言語はの集合と見なされる は文 を示唆しており 句構造の派生の端緒となるため始発記号と呼ばれる は名詞句 は動詞句 は名詞 は動詞 である は限定詞 と呼ばれ 伝統文法でいう冠詞のほか などの要素を含む 終端記号は のような語彙項目である 書き換え規則の適用は終端記号にたどり着くまで再帰的に適用される 句構造の派生は非終端記号のみからなる記号列 非終端記号と終端記号非終端記号からなる記号列 終端記号のみ非終端記号のみからなる記号列となり 上の文の派生を集合論的に示すと となる 再帰性はしばしば人間言語のもっとも根本的な性質として挙げられる ところで ではこのように句構造規則を定式化した後 このようなタイプの規則だけでは派生できない構造が指摘された そのような構造を派生するために 新たに導入されたタイプの規則が変換規則である 変換規則の例として受動変換がある 受動変換はおおむね次のように述べられる 矢印の前の部分を構造分析 後の部分を構造変化という 構造分析は変換に関わる要素だけが示される その要素以外の部分 で示される部分 にも様な要素が存在するので 構造分析は連続しない要素同士の関係に言及している 変換によってもたらされた構造は非連続構成素 を含んでいる このような構造は文脈自由文法では導けないとされる またこの点を無視したとしても 能動文と それに対応する受動文をそれぞれ別の句構造規則によって導出することにした場合 重要な一般性を失うことになる これら二つの問題を解決する装置として導入されたのが変換規則である なお変換規則を含む文法はチョムスキー階層におけるタイプ 文法 文脈自由文法 より強力でなければならない しかしながら 変換規則なしには自然言語を記述できないとされた 上の例に受動化変換を適用すると次のようになる これに次のような接辞を動詞に添加する変換が適用される 標準理論はチョムスキーの 文法理論の諸相 において 以降の発展が整理された理論である カッツ ポスタルの仮説に基づき 意味は句構造規則で生成された深層構造と呼ばれる表示からのみ解釈され この深層構造に受動化変形などの変形規則を適用して表層構造が与えられ この表示が音声への出力となる すなわち 変形規則で文の意味は変わらないとされた 標準理論までの研究では記述的妥当性の達成が当面の課題とされ その過程で様な変形規則が提案された この時期までは伝統文法との親和性も高かったと言える しかし いくつかの点で大幅な転換が必要となっていった まず 変形規則の適用を受けた表示で意味解釈をすると考えなければならない現象が出てきたことが上げられる このような経験的基盤からカッツ ポスタルの仮説は棄却された また 無制限に変形規則が提案される中で その中に一般性が見出されるものがあること あり得る変形規則というのは極めて制限されていることなどがわかってきた バー理論はこのような流れの中で提案された理論である 例えば 名詞句 は必ずその 主要部 としてを含み 動詞句 はを含むといった内心構造に注目し 任意の範疇は中間投射 を経てに投射される という次のようなスキーマにまとめ 句構造規則の中の一般性を抽出した それと同時に というを というから派生する変形規則は語彙論者の仮説に基づいて棄却しながらそれらの構造のある共通性を捉えることができるようにした 年代後半になると 句構造規則を完全に一般化し 文を補文標識 を主要部とする投射とし その補部には屈折辞 を主要部とする投射があり 名詞句も を主要部とする投射と考えられるようになった 上に挙げた構造はバー理論の一般化によって次のような構造に捉えなおされる も 可能な変形規則を制限する方向を進めていった この帰結として変形規則は 任意の要素を任意の位置へ移動させる を移動せよ というただ一つの変形規則に収斂した 例として移動を取り上げて考えてみよう 次の構造ではが極めて近い 局所的 位置である指定部 が要素に占められていることを必要とする しかし要素は要求された位置ではなく 平叙文で動詞に要求される位置と同じ位置に留まっている この構造は不適格となる それを避けるためには要素がのの位置に移動すればよい この際 要素があった位置には痕跡 が残され この痕跡が動詞との関係を満たす ただし 必要に応じてつねに移動できる というわけではなく 境界理論によって制限される 次の例は移動によって が要求する位置を占めているものの 移動が別の要素を越えて適用されている 要素は島という規則適用に対する不透明領域 を形成するため このような規則適用は適格性の度合いを低くする このような枠組みでは 移動 という変換規則を立ててその性質を詳しく述べるのではなく が必要に応じて かつ様な制限に抵触しないように適用される というように捉えなおされる このような進展に伴い 説明的妥当性を満たす理論の構築が研究課題として浮上してきた ここに説明的妥当性 すなわち第一次言語獲得における重要な事実を捉えられるだけ十分に制限された理論が必要であるという要請と 記述的妥当性 すなわちそれまでの研究で明らかになった個別言語の多様性を捉えるに足る変異幅を持った理論が必要であるという要請の間に強い緊張関係が生まれた これを捉えようとして年代末以降整備されてきた枠組みが 理論 であり より一般的には原理とパラメターのアプローチである 理論における文法の構成は次の 表層構造が と呼ばれる音声表示とと呼ばれる意味表示に結びついている というモデルに変更された また深層心理などの連想で誤解を呼んだ深層構造 表層構造といった用語が避けられ 位置づけの変更に伴って構造 構造という名称が与えられた この枠組みにおいて統語論における比較研究 対照研究が加速した ミニマリスト プログラム 極小主義プログラム 最小主義プログラムともいう は 原理とパラメターのアプローチの中でチョムスキーの年代末の講義及び論文から徐に形成されていった研究の方針である 極小主義者のテーゼ 自然法則は無駄がない に照らし合わせ 言語機能独自の装置と考えられるものを限りなくそぎ落としていき 必要最低限のものしか残さなかった場合 言語とはどのようなものになるか ということを考えようという問題意識である まず音声の聴覚像 手話の視覚像 意味の三者をなくすと研究が不可能になるため 感覚 運動系と概念 意図系へのインターフェースに関わる条件は最低限必要である これ以外に何が必要か 計算対象となる要素同士を結合する操作 併合 は必要であるが それ以外はどうしても必要だという根拠がないかぎり採用しない という原則をとる さらに従来から理論の 評価尺度 として取り入れられていた 経済性 の概念を明確化し それが言語のどのような側面にどのように関わるか ということを考察対象とする また 計算の 最適性 ということも明確な問題とされ その性質が考察されている このような流れの中で 最適な言語のデザイン という考え方が生まれ これを帰無仮説として 決定的な経験的基盤なしにはいかなる装置も棄却されるようになった このようなプログラム遂行の中で今まで用いていた概念が大部分省略されることになった 例えばバー理論は余分な句構造標識を記法として含んでいたが 主要部の選択関係と句構造構築の経過だけ見れば十分という素句構造 のもと 表示の経済性という観点から 余剰的となった といった投射を表すための記号はすべて取り除かれた また 統率 束縛 という理論を特徴付けていた概念も 徹底的な検証によって別のものに置き換えられるか 取り除かれるかされている レクシコンと統語部門のインターフェイスとして派生の端緒を成していた構造も解体され 派生の端緒としてはかつてのサイクルに相当するフェイズ 相 毎に語彙の小分けがなされた 語彙配列 あるいはそれを行わないニューマレーションに置き換えられた このような問題意識の中で説明的妥当性ということに初めて着手できるようになったとされる そしてこのことは言語の計算体系を他の認知体系や生物学的特性の中に位置づけうる見通しが立ちはじめている 生成文法は他のいくつかの理論と対立してきた 生成意味論との論争はその最大のものである しかし 対立した理論を常に完全に否定するわけではなく 対峙する理論の優れた点を自己の理論に取り込むということもしばしば行われている たとえば 原理とパラメターのアプローチにおける原理の一つである理論は フィルモアの提示する格文法における深層格 意味役割 を参考にしている また ミニマリスト プログラムにおいて ますます重要性を増すも その元となるアイディアは生成意味論が多く寄与している その他 併合と素句構造は範疇文法やに見られる単一化 に相当する 生成文法には 基底となる構造に対して変換を用いて表層的な構造を得るという多層的アプローチ と 変換を用いず同一の構造内での計算によって構造を得るという単層的アプローチ というつのタイプがある チョムスキーのアプローチは前者に相当する 多層的アプローチで変換規則を用いる文法は少なく見積もってチョムスキー階層においてタイプ 文法 文脈自由文法 より強力である 現実のコンピュータに対応するのは制限されたチューリングマシンである線状有界オートマトンであり これが扱いうるのはタイプ 文法 文脈依存文法 までである 実際に現在のコンピュータに変換規則を実装しようとすると 可能な組み合わせが指数関数的に増加し 組み合わせ的爆発 計算論的爆発 を起こす場合がある そこで 年代前後より コンピュータへの実装という観点でより現実的な タイプ 文法よりやや強力であるところに押さえた単層的アプローチとしての非変換論的生成文法が提案されている 中でも一般化句構造文法 とその発展である主辞駆動句構造文法 などがコンピュータ科学においては変換論的生成文法よりも集中的に研究されている 主辞駆動句構造文法 はカール ポラードとアイヴァン サグが唱える生成文法の一種である この理論は一般化句構造文法の直接の継承である コンピュータ科学 データ型理論と知識表現 のような生成文法外の分野やフェルディナン ド ソシュールの記号の概念も採用している 並列処理を配慮した文法構成をしているため 自然言語処理の分野によく用いられる の理論は原理群 文法規則群と通常は文法に属するとはみなされていないレクシコンから構成されている 形式化は語彙主義に基づいて行われる このことはレクシコンが単なる語彙項目の羅列である ということ以上のことを意味しており レクシコン内部が豊かな構成を持っている 各語彙項目に階層構造を成す タイプ を立て記号を基本的なタイプとする 語 は 音声情報 と 統語情報と意味情報 という二つの素性を持ち これらはさらに下位素性から構成される 記号と規則はタイプ付けされた素性構造として形式化される の形式化に基づくさまざまな構文解析器 パーザ が設計され その最適化が最近研究されている ドイツ語の文を解析するシステムの一例がブレーメン大学から公開されている 木接合文法 は計算言語学や自然言語処理でよく用いられているアラヴィンド ジョーシの案出した形式言語である 文脈自由文法に類似しているが 書き換えの基本単位は記号ではなく樹である 文脈自由文法はある記号を他の記号列に書き換える規則を持つが は樹の節点を他の樹に書き換える規則を立てる 木 数学 及びツリーデータ構造を参照 における規則 補助樹 として知られる は 脚節点 という特殊な節点を葉とする樹状図で表される 根の節点と脚節点は同じ記号でなければならない 始発樹 文脈自由文法の始発記号と同じ から始まる 書き換え操作は補助樹を 典型的には葉ではない 節点に付加 接合 することによって実行される 補助樹の根 脚のラベルは付加する節点のラベルと一致し この操作で付加対象となる節点を上下に分割する 上方では付加している樹の根と結合し 下方では付加している脚と結合する これがのもっとも基本となるものである もっとも一般的なの変異形ではさらに 代入 と呼ばれる書き換え操作が加えられるし また他の変異形では樹に複数の脚節点を持つ部分樹やさらなる拡張を許している は 弱生成能力に関してそれ自体を文脈自由文法よりやや強力にするような一定の特徴を備えているが チョムスキー階層に定義されている文脈依存文法よりは弱いために よく やや文脈依存的な 文法であると特徴付けられる やや文脈依存的な文法は 一般的な場合においてパーザを効率的に保ったまま自然言語のモデル構築としては十分強力である という予想が提示されている 認知言語学の分野から 比喩を含む語用論的な現象や他の様な要因が 統語現象に大きな影響を及ぼしているとして 言語の自律性の仮説に批判がなされている 言語現象を 人間のあらゆる知的活動との関係の中で捉えるべきである としている また認知言語学は 生成文法の合理論についても 経験基盤主義的立場から批判している 個別言語を記述する立場からは 生成文法が英語圏で理論化を始めた後 その理論に都合の良い 顕在主語不可欠の英語中心に 言語や言語データを恣意的に選択していると批判される また 生成文法の扱う構文が極めて限定的で 個別言語の体系的記述にたどり着かないという批判がある さらに データとして扱われる文の許容度に対する内省判断が恣意的であるとする批判もある ただし これは研究者の立場がやや記述寄りであるか理論寄りであるかによっても若干傾向が異なる 前者の場合は文の許容度を根拠にある程度帰納的に理論を展開するが 後者は理論から演繹的に文の許容度を示す場合もあり 計算上は矛盾が無くとも一般的な言語直観からはかけ離れたデータが示される場合がある アニメは アニメーション の日本語における略語である アニメーションを用いて構成された映像作品全般を指す 当記事では主に日本の一般向け商業アニメーション テレビアニメ 劇場アニメ など について記述する 日本では アニメーション の用語は時代にもより以下の訳語も使用された アニメ は本来は アニメーション の略語であり アニメーション とはコマ撮りによる錯覚を利用した映像技法 映像表現全般を指し 実写作品の特殊効果や抽象映像などの実験的映像も含まれる しかし アニメ と省略した場合 通俗的には一般に商業作品として普及しているテレビアニメ 劇場アニメ などを連想する人も多い これらの特徴は 基本は商業作品であり 多くは絵で描かれたキャラクター作品であり ある程度のストーリー作品である 更には これら商業作品の強い影響を受けた自主制作作品も含まれる また制作技法では分業のためにセルアニメが主流であったが 一部では人形アニメ等も使用され 近年コンピュータ グラフィックによるアニメーション アニメ も普及している 単に アニメ という場合は セルアニメーション セルアニメ のことを指していることが多い 当記事では主に日本で製作された商業用セルアニメーションなど通俗的 一般的な意味での アニメ について記載する デジタル化とについては本記事内で後述 主な作品は アニメ作品一覧 を参照 文化芸術基本法 ではメディア芸術 関連法の コンテンツの創造 保護及び活用の促進に関する法律 によるとコンテンツの一つと定義されており いずれにおいても アニメ と略されてはおらず アニメーション と正式表記されている 別定義として 多角的芸術分類観点において 美術 映像を含まない 映像 音楽 文学 芸能の総合芸術とされるときもある 作品制作数の増加に伴い分業化が進み プリプロダクションの企画 製作会社と プロダクションの作画 動画スタジオ 美術スタジオなどと ポストプロダクションの撮影会社 音源制作など制作工程別に作業を請け負う専門スタジオと分業化されている また グロス請けと呼ばれる 話単位で制作作業を一括受注し制作業務全般を行う制作会社もある テレビアニメ 大きく分けるとつの工程に別れる なお 制作資金調達に関しては多種多様な方法があるので本項では取り上げない さらに詳細な工程を経て制作される 制作会社 作品に投入される各部門のスタッフ数 技術の進歩などにより役職名や工程の違いもあるが 企画から完成までの基本的な工程は以下の通りである 複数にわたるシリーズ作品の場合 諸事情により主要スタッフや担当アニメ制作会社などが途中で変更されることも珍しくない ただし諸事情により企画段階 もしくは制作途中で中止になることもあり 中にはアフレコも終えた段階でお蔵入りになったケースもある 稀に一度は中止にされた作品が時を経て再起動するケースもある アニメ産業と呼べるほどの規模はなく 映像制作の一分野に留まり 業界の構造としては建設業の下請け制度に類似する構造を持っているとされ 大手制作プロダクション 元請け 中堅制作プロ 子請け 零細制作プロ 孫請け と段階ごとに 制作費の 中抜き ピンハネ が存在するといわれている 現像するまで撮影結果の分からないフィルム アニメーションから 現場で即時に撮影結果が分かるアニメーション撮影は 撮影現場の撮影期間短縮による製作コストの軽減 画質の保持 映像メディアのコンパクト化とリテイクによる経済的損失からの解放となった アニメーション作品以外にも広く活用され 映画やカラオケの字幕 スーパーインポーズ 映像編集 やデパートやメーカーなどの映像カタログ制作にも使用されるようになった また 画質を落とさずに大量複製が可能になったことからが普及する契機ともなった また 映像表現においては塗料による使用色数の制限がなくなり 精密なグラデーション表現が可能となった 撮影時にセルの重ね合わせによる明るさの減少がなく カメラワークの自由度が広がる他 エアブラシによる特殊効果や透過光などが簡単に施せるなどの利点がある ただ ビデオ出力されるため フィルムとビデオでは映像の質感が異なり フィルムは柔らかい質感 ビデオはクリアな映像が特徴があり クリアで明るすぎる発色に違和感もあったが改善されてセルアニメを凌ぐ美しさを持つ作品もみられる 国外ではディズニー映画を多く手掛けるピクサー アニメーション スタジオなどでフルアニメーションが制作されているが 日本国内では自動車などの機械類や魔法のエフェクトなどを描写する補完的な利用からスタートした 完成したは作画崩壊することなく自由なアングルで描写でき 完成後もソフトウェアで変形 変色が可能であるなど品質安定と省力化に貢献した 一方で単にを配置しただけでは手描きとの質感の差から違和感があるため 色調などを調整し違和感を軽減する手法やフル作品に手描きの表現手法を再現するなど 双方の技術を融合する試みが行われている 実際の業務を行うのはアニメ制作会社の一部門や関連業務のみを受託する小規模なスタジオが多いが ポリゴン ピクチュアズのようなの専門会社がアニメ制作に参入する例もある ラテン文字のの の次は であり が含まれていないので と略すことは出来ない アニメーションをアニメと略せる言語は日本語に限られるため 日本国外の英語圏などで という場合は日本のアニメや日本風の表現様式のアニメに対して用いられる 日本国内では 製作国や作風に関わりなくが使用される 英語ではと綴った場合の発音は エイニム あるいは アニーム のようになるが 日本語と同じ アニメ と発音している 英 アニメーション 日 アニメ 日 英 として逆輸入されたものである 日本での アニメ 読みが名詞として辞書に掲載される例もある フランス語には 動く の過去分詞形の アニメ 動いた 動かれた があり 同用途で英語でも と綴られるため フランス語由来説も存在する 主に 年代に使用された日本製アニメーションを指す語 日本で用いられるようになった年代には 現地では既にほぼ死語と化していた 音節的に から の略語であるが 日本人の蔑称 の とも読めるため 日本人と文化に対する差別 偏見と アニメーションへの偏見から 日本製アニメーションを指して くだらないもの あるいは 子供の教育上良くないもの の意味を含めていた可能性もある 当時 北米に輸出された作品は 文化 習慣 表現規制の違いから 日本的 性的 暴力的な表現は削除されていた アニメはまだアメリカではと呼ばれています また 長期に渡り連続する複数の作品を作品として編集し 制作者の意向と掛け離れた独自改変された作品を示すこともある 年代以降 一部のアニメーション関連のオンラインショップ で使用される場合もある 前述の北米での発祥を受け 海外 日本の外 で視聴される 人気を呼び且つ評判になっている日本製のアニメーション という意味で年代に 攻殻機動隊 の原作漫画出版元である講談社をはじめメディア上で度使用されていたが 年代以降は減っている 年には同名のアメリカの人気テレビドラマをアニメ化したシリーズ スーパーナチュラル ジ アニメーション において 海外ドラマを日本のアニメ制作会社マッドハウスがアニメ化し世界で発売されたということでジャパニメーションと銘打たれていた テレビ放送時の宣伝でも使用された 世界で通用する日本のアニメ など 世界を意識した視点で作品を紹介する際に使用されている 日本におけるアニメーション業界の意思統一 関連団体との連携 アニメーション産業の持続的発展を目的とした一般社団法人 声優のマネージメントを行うプロダクションなど事業者が加盟する 声優事業社で組織 テレビ局や制作会社に対して立場が弱い俳優が 一方的で不利な出演契約を解消を目的として結成された 声優の多くも加盟している メディア芸術の創造と発展を図ることを目的に 文化庁と 協会が主催の祭典 年以降 毎年実施されている 日本政府が行っている対外文化宣伝 輸出政策で使用されている用語で クールジャパン戦略担当大臣や海外需要開拓支援機構 通称 クールジャパン機構 が設立されており アニメ 漫画 ゲーム アイドルなどのポップカルチャー サブカルチャーも含まれている 文化庁の若手アニメーターなど人材育成事業の委託をうけ 日本アニメーター 演出協会 が年 平成年 より実施しているアニメーターの人材育成事業 漫画やアニメ作品のセル画やフィルム 原画を展示する博物館 美術館 ミュージアムショップを設置したりアニメの様なイベントや国際アニメーション映画協会公認の映画祭 インディーズのアニメーション映画祭などを開催している所もある ドラえもん の作者が生活していた川崎市の藤子 不二雄ミュージアムや 名探偵コナン の作者ゆかりの地鳥取県東伯郡北栄町の青山剛昌ふるさと館など著名なアニメ作品やマンガの原作者の生誕地などに 地域おこしの観光拠点としても整備されることも多い ほとんどの博物館は特定の作家 クリエイターに特化した施設になっているが 杉並アニメーションミュージアムや秋葉原内の東京アニメセンターでは制作会社や出版社などの垣根を超えた様な企画展が行われ アニメーションに使われる原画などの展示やグッズが販売されている 東京都と日本動画協会などのアニメーション事業者団体で構成される 東京国際アニメフェア実行委員会 が主催の国内アニメ業界最大の見本市であった 年から年まで月末頃に東京ビッグサイトで開催されていた展示会 アニメ作品や関係者を表彰する 東京アニメアワード の表彰式が行われた 併設で世界最大規模のアニメーション見本市 が行われている 映画祭開催期間中の日間で 世界約か国のアニメ関係者が参加している 広島国際アニメーションフェスティバル オタワ国際アニメーションフェスティバル ザグレブ国際アニメーション映画祭は 上記アヌシーを含めて世界大アニメーションフェスティバルと称されている アニメ映画では 映画倫理委員会 テレビアニメでは 放送事業者が自主的に放送基準 番組基準 放送コード を定めて運用することが電波法 放送法で規定され 民放連加盟会員各社による任意団体 放送倫理 番組向上機構 による自主規制がある やアニメには 自主規制に関する法的規定や任意団体などは存在しないが 放送権販売の為にテレビアニメ 映画と同等程度の自主規制が行われている アダルトビデオに類するアダルトアニメ作品は 日本ビデオ倫理協会 の審査を受けている テレビアニメのパッケージ化販売には自主規制が無い為 お色気や流血など刺激の強い表現をテレビ放送で規制したものを本来の状態に戻したり より過激な映像の追加や差し替えなどが行われているものもある アメリカではレイティングなどの規制が厳しいこともあり 子供向けの解りやすい物語を元にしたコミカル 喜劇的 な動画を楽しませる作品が多いが 日本では 鉄腕アトム 頃から子供向けではあるが アンダーグラウンド 文化 の影響を受けていた漫画などと密接な影響を受けていたこともあり 単純に ヒーローが必ず勝つ という勧善懲悪の話では無く 社会風刺など含んだ多様で複雑な物語で 主人公に内在する様な感情や心理を描く作品が多い リミテッド アニメーションが主流で ウォルト ディズニー カンパニーなどのアニメ作品に見られるフル アニメーションはあまり使われない 映画などと同様にコマ 秒で撮影されるが 動画は 同一画でコマ 秒の撮影となる 静止場面では 同一画でコマ 秒の撮影となる テレビ放送用の作品は演出により 話ごとにセル画の使用量が決められている ウォルト ディズニー カンパニーの販売戦略を真似たとも言われるが それとは別の道を歩むことになった テレビ番組の場合 スポンサーから提示される予算の範囲で請け負うのが通常であるが 明らかに不足する制作費で請け負い 不足部分は本業の漫画の原稿料 海外への輸出と再放送 玩具 文具 菓子メーカーにアニメキャラクターの商品化権 版権 販売による制作資金の回収システムが誕生し 後まで続くことになる 日本での商業用アニメーションのテレビ放送と同時に 制作費を短期間で回収するため 安価で多くの国へ輸出する販売戦略がとられた 国内で流通を前提に制作されていたものを輸出するため 輸出先の国内法や文化的事情で内容に大きな改変が行われる場合が多い また 作品名 登場人物名やスタッフ名などは輸出先の各国に合わせて書き換えられたり 視聴者が日本製であることを知らない場合もある また著作権ごと 放棄した の契約で販売された作品もある アメリカで 超時空要塞マクロス 超時空騎団サザンクロス 機甲創世記モスピーダ の作品をハーモニーゴールド 社 が翻案した ロボテック が制作され さらに他国に輸出された事例も存在する 世界的な多チャンネル化でソフト不足の中 日本アニメは安さで世界各地に広がった 現在では 北米 南米 ヨーロッパ 南アジア 東アジア ロシア オーストラリアなど全世界に及び 総務省の調査 年度 によるテレビアニメの輸出額は 国内のテレビ放送権料の億円の分の程度 億円から億円の規模である 輸出金額では過半数を北米向けが占めるとも言われる 日本貿易振興機構は 地域 国別にコンテンツ調査しており その中にアニメに関する統計や傾向などのレポートがある セクシャルと暴力 と認識されることが多い 文化の違いとして ドラえもん など日本の生活風景が出るものや ベルサイユのばら など特定の国を扱ったものは 受け入れられるかどうかは国によって大きく異なる ドラえもん は ヒーロー的な男性を尊ぶ北米では受け入れられず年まで放送されなかったが 東南アジア圏では人気がある 東南アジア圏では性的な表現を除き 日本文化的な表現も受容されつつあり 再評価されている 好まれる作品は日本とあまり変わらない また 超電磁マシーン ボルテス のように 特定の国で一部の人物の間 ファン の中でヒットする作品も存在する またキャラクターの人気も国によって異なる フランスでは 年にジャック ラング文化相が文化侵略だと公言し 自国のアニメーション製作者へ助成金を出すことになった 年には キン肉マン 北斗の拳 が残酷だとバッシングされ放送中止となった 聖闘士星矢 は暴力シーンをカットし世界中で放映されヒットし アメリカを除き ヨーロッパやメキシコ 南米で根強い人気がある また 欧州製の番組を割以上放送することを放送局に義務付けたクォータ制度があり 残りの割の中でアメリカと日本のアニメが放送されている 加盟国では 年に理事会が ヨーロッパ製の番組が放送時間の 以上になるように放送局に義務付けた 国境なきテレビ指令 を出してから外国製アニメの新規放送が難しくなっている ニュージーランドでは ぷにぷに ぽえみぃ は 登場するキャラクターの容姿が幼児に見え 幼児性愛好者を増長させているとされ 政府機関により発売禁止処分を受け 所持が確認された場合 児童ポルノ禁止法違反により罪に問われる 北米やオーストラリアなど多くの国でそれに準じた処分が行われている アメリカでは 日本のアニメは古くから名前を変えたりストーリーを編集したり改変されてアメリカ化され 非アメリカ的な発言は取り除かれるのと同時に元の日本の製作チームに関する言及は最低限しか残されなかった 年代にアメリカで起きた子供向けテレビ浄化運動で 増加していた日本のアニメの暴力描写と性的内容は問題視され アメリカのテレビネットワークはアニメ放送を平日のゴールデンタイムから土曜朝に移行するが 各種保護者団体はネットワークに圧力をかけてアニメの一層の浄化を求め 日本のアニメは流せなくなった 年には 東映が 銀河鉄道 をアメリカのニューワールド ピクチャーズに売ったが アメリカに合わせて大幅に改変され ストーリーも破壊されたため東映はアメリカ事務所をたたんで撤退している 近年でも未だにアメリカ式に改変されることはあり 作品の舞台を日本ではなくアメリカの架空の場所に変えたり 人物も日本人名からアメリカ風に変えてアメリカの文化 生活が反映されたり 日本円もドル紙幣に変えられるなど アメリカローカライズ化が行われている アメリカでは 子供向け番組のアニメでも 健康的な食生活を推進すること が放送基準の一つであり 食に関する表現も規制され日本版からアメリカ風に編集されたり加工 変更されている 中華人民共和国では 年に海外アニメの輸入 放送に関して 国産アニメの放送がアニメの放送全体の割を下回ってはならない 国産アニメを制作した機関は国産アニメを制作した時間と同じ分まで海外アニメを輸入できる 時から時まで外国アニメーションの放送を禁止などいくつかの規定を定めた 日本作品の放送シェアが割を超えるのは ダンピングによる日本の文化侵略であるとして締め出しを行った 同時に 自国のアニメーション産業の保護と育成に乗り出した 大韓民国 韓国 では かつて韓国での日本大衆文化の流入制限があったが 年に解禁された 解禁以前から日本のアニメは放送されていたが 制限をかいくぐるため前述 輸出の節参照 のように地理の実在架空を問わず舞台 人物などの韓国仕様への改変版が放送されていた 解禁後は 以前から放送されていたものはそのままだが 日本の実在地理や登場人物の日本人など日本のオリジナルのまま放送されている 聖地巡礼を意識していない架空の舞台 人物などは未だに韓国ローカライズ化されているものもある インドでは 日本でも問題視された子供への悪影響を中心とした社会現象が起きており クレヨンしんちゃん を放送禁止処分にする動きもある 以上のような事例から 全ての日本のアニメが世界的に受け入れられているとは必ずしも言えないとする見解もある 批評と研究を中心とした専門誌には 年創刊の 動画王 年創刊の アニメ批評 年創刊の アニメスタイル などがあったが短命に終わり アニメスタイル はインターネットに活動の場を移した 月刊ニュータイプ が登場した年代半ば以降 アニメ雑誌はクリエイターや作品研究などの記事から キャラクターやグラビアを重視した作りに軸足を移していき アニメ評論を積極的に掲載するアニメ雑誌は基本的に存在しなくなっている その一方 宮崎駿や押井守の活躍 新世紀エヴァンゲリオン がビジネスとして話題になるようになった年代から 人気作品や人気クリエイターを中心にした研究本は 継続的に発行されるようになった アニメラジオの略称 アニメ ゲーム 漫画 ライトノベル 声優等のオタが主な聴取対象のラジオ番組 年月 ラジオ大阪 アニメトピア を皮切りに 多くは深夜放送番組として放送されているが ネット環境の普及と共にインターネットラジオ番組も増えている 黎明期にはアニメ雑誌やレコード会社による総合情報番組が多かったが アニメやゲーム 漫画 小説 ライトノベル などを原作にしたラジオドラマ番組 人気声優のパーソナリティ番組 アニメソングやゲームミュージック専門のリクエスト番組 アニメに関する話題をリスナーから募集して討論する番組など多岐にわたるようになっている 劇中で使用される音楽の主題歌 テーマソング 挿入歌 イメージソング インスト曲 などサウンドトラックの他 ドラマやアニメの世界観を背景としたドラマ音声などを録音した ソノシートなどのレコード盤やカセットテープや 現在はなどで販売頒布されているほか ほかインターネット配信も増加している かつては 映像媒体は極めて高価だったこともあり ドラマなどの音声を記録した ソノシートレコード盤 カセットテープ などの音声媒体が普通の愛好家の手の届く範囲であった インターネットの普及と共に ほとんどのアニメ作品は公式サイトを設置し宣伝をする形態をとっている 内容は作品 あらすじの紹介 予告編やなどの宣伝素材の無料配信 関連商品のなど デスクトップ 携帯電話用コンテンツを提供している場合もある 特に深夜アニメの場合視聴者はほぼ限られるため インターネットでの宣伝に頼っている場合が多い またでの宣伝は安価で リツイート機能により時に数万人へ作品情報を発信できるという強みがある 制作テレビ局や制作会社のウェブサイトの一部としての場合が多かったが 最近では作品 シリーズ毎に独自のドメイン名を取得し制作会社が管理する独立サイトとして設置するケースも多くなっている ブロードバンド環境の普及により 本編や公式ラジオの配信を行っているケースもある テレビアニメの開始時から深い関係にあり 基本的に児童向けアニメのほとんどが玩具展開をすることが前提になっており 子供の興味を引く可動 合体 変形などの仕掛けがある手に取って遊べる玩具になる物を 主役として登場させることがスポンサー要望であり作品設定に影響を与えていた 素材は年代によりブリキ製 ソフトビニール製や超合金 玩具 などの違いがある また 消しゴムとして用をさないキャラクター消しゴムなどのカプセルトイ ガシャガシャ ガチャポンなど による商品も展開され 年代のスーパーカーブームに乗った サーキットの狼 などヒットにより一大ブームとなったスーパーカー消しゴムやキン肉マン消しゴム 通称 キン消し などが登場した 深夜アニメ作品のフィギュアは どれだけ精巧に作られているかに重点が置かれ そのため価格も高騰している 玩具商品のアニメ化作品 玩具の商品企画が原案 原作 でアニメ化された例では トランスフォーマー ゾイド 超特急ヒカリアン などがある アーケードゲーム コンシューマーゲーム 家庭用ゲーム機 用のプログラムを記録した物理的メディア 媒体 詳細はゲームソフトも参照 オンラインソフトウェアで提供されるコンピュータゲームのソフトウェア 後に ロールプレイングゲーム アドベンチャーゲームが原作でアニメ化される作品も登場する ダンガンロンパ 希望の学園と絶望の高校生 のような推理ゲームから恋愛シミュレーションゲーム 果てにはアダルトゲームを才未満でも視聴できるように脚本を改編したものまでアニメ化され 作品の幅は広くなっている また 近年では の麻枝准や 天体のメソッド の久弥直樹などゲーム会社のシナリオライターがアニメの脚本を手掛ける場合が増えている 携帯電話の機能が拡大し インターネットが簡単に利用できるようになってからやのような基本料金無料の携帯電話向けゲームサイトがヒットするようになった 様なアニメ作品も携帯電話ゲームとなった アイドルマスター シンデレラガールズでは携帯電話ゲームに登場するキャラクターを元にアニメ化し 大きな話題を収めた またスマートフォンが普及すると今までのゲームサイトに代わってアプリケーションでのゲームがヒットするようになった 特にラブライブ スクールアイドルフェスティバルはアニメ放映中のカ月間で登録者数が万人も増え 異例の登録者数増加となった 年月現在で登録者数は国内万人 全世界で万人を突破している このようにアニメ作品を題材とした携帯電話ゲームがヒットすると知名度も上がることから 深夜アニメを中心にゲームアプリ開発が激化しつつある 作品に関してはゲームソフトのアニメ化作品一覧を参照 ゲーム 鑑賞用のコレクションカード 年代末 年代初頭に発生した社会現象のトレーディングカードブームで普及し トレカ と略されることも多い アニメ 漫画などの関連商品として古くから存在し めんこと呼ばれる時代から存在する ゲーム専用カードを用いたカードゲームはトレーディングカードゲーム 略称 と呼ばれる 通常は対戦形式の人プレイのものが多い 子供向けアニメのキャラクターが描かれた文房具や衣類 駄菓子などの食品類など スーパーやショッピングセンター コンビニなどで気軽に買える商品がほとんどであるが 一部のアニメショップやイベント会場などでは生産量が少ないグッズも販売され 希少価値の高い商品は中古市場やネットオークションで高値で取引されている 当初 アニメーションは子どものものであり アニメを好んで見る成人がいることは知られていなかった 年月 映画版 宇宙戦艦ヤマト 公開日に徹夜で並ぶファンの特異な行動をきっかけに新聞等が話題として取り上げ 成人にアニメを好んで見る趣味者がいることが一般にも知られ始めた 多くは中高生 成人であった 宇宙戦艦ヤマト 公開の翌年にアニメ雑誌が創刊され 雑誌の文通コーナーなどを通じて連絡が可能になると 多数のファンクラブが誕生した 現在でも上の世代では アニメは子どものものと言う印象が残っているが時代が進むにつれてその印象は薄れつつある 本来は子供 児童 を対象としたアニメ 漫画 特撮ヒーロー番組などに夢中になっている大人のファン 法的には 著作物をたとえパロディとして改変したものであっても 権利者に許可を得ず 不特定多数に無償配布や販売するのは著作権法に反する行為である ただ 著作権侵害は親告罪で 違法行為を行っている者を告訴して訴訟にまで持ち込むまでには費用がかかり 勝訴しても賠償金の支払い能力の無い場合もあり 著作側が泣き寝入り またはファンによる応援行為として黙認しているのが現状である ファンクラブの誕生にあわせて会報の発行や またファンブックを自作するという趣味を持つ者の自費出版が始まり アニメとの繋がりの深い漫画や 他の様な文化を巻き込み成長する が コミックマーケット コミケ などの同人誌即売会や 専門書店等の委託販売で商品化が進んでいる 詳細は 同人誌 同人誌で見られるイラストの代表的な手法として 輪郭や境界線をはっきり線で描き 色や影のグラデーションを単純化させ段階的に表現するアニメ絵 萌え絵 がある 仮装 とも呼ばれる 服や化粧により空想上のキャラクターなどに扮する行為 コスチューム プレイを語源とする和製英語で 行う人をコスプレイヤー 略してレイヤーと呼ぶ 単独イベントも開催され 自主制作のコスプレ写真集がコミックマーケットや 同人誌専門店で販売されている しかし 近年は著作権の侵害としてコスプレ衣装販売業者が警察に摘発される例もある 萌車 とも呼ばれる 萌えアニメのキャラクターや関連する製作会社 ブランド名のロゴのステッカーを貼り付けや塗装を行ったファンの自動車 バイクは 痛単車 いたんしゃ 自転車は 痛チャリ いたチャリ 電車の場合は痛電と呼ばれる 年 青島文化教材社がプラモデルの発売と商標登録に出願 同年月日に登録された 痛車オーナーの増加に伴いコミュニティも形成された 近年では企業の宣伝目的でアニメ絵調のキャラクターが描かれたイラストの電車やバスが運行されることも多くなったが それも痛車の部類に入ることが多い アニメ作品の舞台となった地域では アニメファンをターゲットとした観光客誘致のために電車やバスにアニメのラッピングを施す会社も出ている 車内にはアニメのイラストやスタッフのサイン 声優による車内アナウンスを実施している所もある 詳細な現地ロケ ロケーション ハンティング による 映像演出と世界観を設定する作品の登場と共に始まった小説 映画 ドラマなどの舞台を巡るロケ地巡り 舞台探訪などと同様の行為であるが 異なる点としてキャラクターのコスプレやアニメ作品のキャラクターが描かれた痛車で現地を訪れるファンがいることが上げられる ロケ地 聖地 を特定したファンがその場所を訪問 巡礼 し 現地の写真と劇中の場面 コスプレの場合 劇中の登場人物と同じポーズ と比較する形でインターネットのファンサイトなどで公開 また同人誌形式のガイドブックが制作され同人誌即売会で頒布されるなどの形で広まった 実写の映画やドラマなどと異なり 映像作品として使用された認識のない地元住民の一般住宅や学校などが含まれることも多く 日常生活に不安や迷惑を発生させる可能性を否定出来ないため 作品の発売元が聖地巡礼の自粛のお願いをした例や 口蹄疫防止のため舞台となった牧場などに訪れることを自粛することをお願いをした例もある 一方で 君の名は の舞台となった飛騨市では 作品を見た観光客が飛騨市へ殺到し ニュースなどで大きく取り上げられたことから年の新語 流行語大賞トップに聖地巡礼が選出されるなど注目を浴びた 作品に付随し広告費が不要で 観光需要が上がるため観光振興の一助として期待も大きい そのためアニメ 漫画のロケ地の誘致活動に力をいれる自治体や萌えキャラを製作する地域もある しかし ほとんどのアニメ作品のブームは一過性であり しかも作品が話題になるかどうかも分からないことから自治体が見込んだアニメファンの観光客数を大きく下回った所もある 詳細は巡礼 通俗 を参照 エドガー ダイクストラ 年月日 年月日 は オランダ人の計算機科学者 年 プログラミング言語の基礎研究への貢献に対してチューリング賞を受賞 構造化プログラミングの提唱者 年から年に亡くなるまでテキサス大学オースティン校の計算機科学の を務めた エズガー ダイクストラと表記されることもある オランダ語での発音は 表記で で エツハー ウィベ デイクストラに近い ロッテルダム生まれ ライデン大学で理論物理学を学んだが コンピュータ科学の方に興味があることに気が付くのに時間はかからなかった 最初にアムステルダムの国立数学研究所 に職を得たが オランダのアイントホーフェン工科大学で教授職を得る 年代初期にはバロースのフェローとしても働いた その後 アメリカのテキサス大学オースティン校に移り 年に引退した 彼のコンピュータ科学に関する貢献としては グラフ理論の最短経路問題におけるダイクストラ法 逆ポーランド記法とそれに関連する操車場アルゴリズム 初期の階層型システムの例であるマルチプログラミングシステム 銀行家のアルゴリズム 排他制御のためのセマフォの考案などがある 分散コンピューティング分野ではというシステムの信頼性を保証する手法を提案した ダイクストラ法は で使われており それがや といったルーティングプロトコルで使われている 操車場アルゴリズムやセマフォ 鉄道でかつて使われた腕木式信号機 に代表されるが 鉄道を使用した説明でも知られる しかしその主張は 文除去運動 といったように単純化されて捉えられることも多く クヌースによれば年には 情報処理国際連合 の国際会議で会った後藤英一 が いつも 除去 されて困るとジョークを言っていた という ほどに 単純化された解釈が広まっていた ということ 前述の はコンピュータ科学の国際学会に投稿され 文は有害とみなされる という刺激的な題名で学会誌 にレターとして掲載された この出来事は やはりクヌースによれば 文除去の話の二番目の場面は 多くの人たちが第一幕だと思っている事実 となった 刺激的な題名はダイクストラ本人が付けたものではなく 当時編集を担当していたニクラウス ヴィルトが付けたもので すぐに掲載できるレター扱いを決めたのもヴィルトである これは後に というフレーズが業界の定番となった原点でもある 年には アントニー ホーアとオーレ ヨハン ダールとの共著で という題名の書籍に 人のそれぞれの主要分野 ホーアはホーア論理が著名なように形式手法 ダールはの設計者の一人であり データ抽象 後のオブジェクト指向につながる に関して解説した に基づく よりよいプログラミングについてまとめた 以上のような立場から を教育に使うことにも強く反対し マイコン普及以前の年の時点で既に 回復の望みがないほどに精神をダメにされる といった強い調子で否定する言葉を残している ほぼ同じことをマイコン普及初期の年にも述べている これも 当時に少年期を過ごし を使っていた現代のコンピュータ科学者などが 私は無事だったようです 等とネタにすることがある ダイクストラは のファンとしても知られ 最初のコンパイラを実装したチームにも参加していた そのコンパイラ開発に関わった とダイクストラはプロジェクトが完了するまで髭を剃らないという誓いを立てた それは 世界初の再帰をサポートしたコンパイラのつである 現代では戻り番地や引数をスタックに積む という再帰できるようにするための処理は 空気のように当たり前のことになっているので特記事項である意味がわからないかもしれないが それ以前にあったコンパイラ 例えば 世界最初のコンパイラ と言われることのあるひとつである によるコンパイラは 理由あって最適化等は追求していたものの 実行時に関数を再帰呼出しすることはサポートしていなかった ダイクストラは分散コンピューティングの先駆者の人でもある 例えば 彼の という論文はというサブフィールドを創始した コンピュータ科学やプログラミングについての彼の意見は広範囲に及んだ 例えば あるデータ構造の複数のインスタンスを処理している場合 経験則としてそのロジックをループ内にカプセル化すべきだと示唆し また プログラミングが本来非常に難しく複雑であり プログラマはその複雑性をうまく管理するために可能な限り技巧と抽象化を利用する必要がある という主張をした コンピュータ科学 という用語が 情報理論などといった 実際には必要な抽象的性質について当を得ていない とする以下のような発言もあった なお日本では 情報科学 など ある程度それを補うような語が併用されている 訳 コンピュータを操作するという 仕事は実のところ当時の電子工学技術の域を超えていて 物理的装置を動作可能にしてその状態を保つことが当初は何にも増して重要な課題だった 結果として特にアメリカでは コンピュータ科学 という用語が時期尚早な形で使われるようになり 実際 それは外科を ナイフ科学 と呼ぶようなものである それが計算機と周辺機器についての科学であるという概念が人の心に強く植えつけられた ラテン語で それは正しくない 長年の癌との戦いの末 年月日 オランダのニューネンで亡くなった 以下の言葉は ダイクストラの箴言 として引用されることが多い 彼はまた 万年筆で慎重に原稿を書く習慣があることでも知られていた ダイクストラは原稿に自分のイニシャルである という記号と番号を付与したため 彼の原稿は一般に と呼ばれている ダイクストラ自身によれば アムステルダムの数学研究所を離れてアイントホーフェン工科大学に移った後 この習慣が始まったという アイントホーフェンに移った後 ダイクストラは年以上何も書けない状態が続いた 自分を省みたダイクストラは 数学研究所の元同僚が理解するようなことを書けばアイントホーフェンの同僚には理解されず アイントホーフェンの同僚が望むようなことを書けば数学研究所の元同僚に軽蔑されるという懸念があることを発見する そこで彼は自分自身のためだけに書くことを決め が生まれた ダイクストラは新たに を書き上げると そのコピーを同僚に配布した それがさらにコピーされて世界中に配布されていき 計算機科学界全体に広がったのである 主題は計算機科学か数学であるが 一部は旅行記だったり 手紙だったり 講演記録だったりする 以上のが電子化され テキサス大学のダイクストラのアーカイブで検索 入手可能である ダイクストラの空想上の副業として 空想上の企業 の会長という仕事があった この企業はコンピュータのプログラム製造を商業化したソフトウェア企業のように 数学の定理を製造することを商業化した会社である 彼は の様な活動や課題を考案し それをシリーズのいくつかの文書で発表している この空想上の企業はリーマン予想の証明を製造したが リーマン予想が正しいと仮定して様な証明を行ってきた数学者たちからロイヤルティーを徴収するという難題に直面する 証明そのものは企業秘密である 同社の証明の多くは急いで生産され 同社はそれらの保守に追われることになった より成功した成果として ピタゴラスの定理の標準的証明があり 以上存在した既存の証明群を置換した ダイクストラは について これまでに考案された最もエキサイティングで最もみじめなビジネス と評した では彼の想像した会社が世界の のシェアを獲得したとされている ダイクストラはソフトウェアについて様な発明をしたが 自分のコンピュータを所有したのは比較的遅く しかもめったに使わなかった 年以降のはほとんどが手書きである 講義の際は黒板にチョークで書き オーバーヘッドプロジェクタも滅多に使わなかった アップルのを購入してからも 電子メールとブラウザ以外には使わなかった 以下のような賞と栄誉を受けている 関数型言語 は 関数型プログラミングのスタイルまたはパラダイムを扱うプログラミング言語の総称である 関数型プログラミングは関数定義と関数適用を基礎にした宣言型プログラミングの一形態であり 関数は引数への適用から先行式の評価を後続式の適用につなげて終端の評価を導き出す式のツリー構造として定義される 式の評価に伴う副作用の発生には大きな注意が払われる 関数は引数ないし返り値として渡せる第一級オブジェクトとして扱われる 関数型プログラミングは数理論理学と代数系をルーツにし ラムダ計算とコンビネータ論理を幹にして構築され 言語が実装面の先駆になっている 関数の数学的な純粋性を指向したものは純粋関数型言語と個別に定義されている 命令型プログラミング言語では単に有用な構文スタイルとして扱われている事が多い 高階関数 第一級関数 カリー化 クロージャ 継続 イテレータ ジェネレータ 再帰 型推論 パターンマッチング 名前渡し 遅延評価 コンス 代数的データ型 型の多相 イミュータブル モナドなどが 最も身近な関数型プログラミングとは データ集合に対する反復作用であり リスト処理などと呼ばれているものである 手続き型言語やオブジェクト指向言語において いわゆる関数型と呼ばれる構文が多用されるのもリスト処理の分野である 関数型思想の原点は であるが その実用性を知らしめた最初の言語は表計算処理に効率性を発揮した であった リストを走査して各要素を順に取り出すプロセスと 各要素に作用するプロセスを別の関数にまとめて 前者に後者を渡すようにした仕組みが一般に言われる関数型の基本例である 他の関数を引数として受け取る事ができる関数は高階関数と呼ばれ 引数として渡す事ができる関数は第一級関数と呼ばれる この二つの機能が関数型の支柱である そのようなスタイルとしての意味での関数型プログラミングにおける代表的な機能または構文には以下のようなものが挙げられる ラムダ式 無名関数 クロージャ 名前渡し 遅延評価 型推論 ここでは関数型プログラミング本来の考え方 パラダイム に基づいて説明する ステートメントを基本文にする命令型言語と 式を基本文にする関数型言語はどちらも最終的には命令型パラダイムに沿った機械コードに落とし込まれる事になるが 双方の間にはプログラミングに対する考え方に比較的大きな隔たりがあると言える 関数型プログラムの基本文は式 である 式は個体 である値 と写像 である関数 の二つから構成される 関数の定義には演算子 も含まれている 値は基本データ型 プリミティブ とおよびラムダ計算で言われる変数 を意味する 変数は束縛変数と自由変数を指す 評価 される前の式は ラムダ計算で言われるネーム と同義になる ネームは数学上の数式または代数式に相当するものである 式内の変数部分が確定される前の式はラムダ抽象 と同義になる 式内の変数部分を確定するのはラムダ適用 と同義になる この式 ネームが評価されると値になり これはラムダ計算で言われる簡約 と同義になる 式は値と同一視されるのですなわち式と値は相互再帰の関係にある 式内の値は他の式の評価値である事があり その式内にもまた他の値があるといった具合である この解釈は高階述語論理と呼ばれる 高階述語論理 高階関数の解釈下で引数または返り値として扱われる関数は第一級関数と呼ばれる 関数型プログラミングの関数は 関数の型 で分類される存在量の値である プログラム的には式に引数を結び付ける機能であり これは関数を引数に適用する とされる 関数の式内の仮引数 箇所に渡された実引数 がパターンマッチング手法で当てはめられ 先行 その時 または遅延 その後 タイミングで評価されて結果値が導出される この仮引数箇所は束縛変数と呼ばれる 関数呼び出し時とは異なるタイミングで内容が決定される変数箇所は自由変数と呼ばれる とで特定の式に向けて定義される変数はその式への束縛変数になる なお関数型パラダイムでの自由変数の意味合いは他の宣言型パラダイムとはやや異なっている 関数適用時に用いられるパターンマッチング手法は 仮引数パターンの選言的な列挙を可能にしている このパターンマッチングは 関数の型 に沿った等値性 で仮引数と実引数を照合する 更にそれにガードと呼ばれる値の比較照合と範囲照合を加えることもできる 仮引数が非交和型の場合はその中で列挙されている型との等価性 でも仮引数と実引数を照合できる 渡される実引数によってはボトム型になる関数もありこれは部分関数 と呼ばれる ボトム型は式ないし関数の評価の失敗した終着点を意味する 演算子はデフォルトの式内容を持ち その引数が単項演算子なら個 二項演算子なら個に限定された関数と同義である 関数は名前付きと名前無しの二通りある 名前無しの関数は専らラムダ抽象を模した構文で定義される 式内に自由変数を内包しない方は単に無名関数と呼ばれ 自由変数を内包する方はそれを囲い込むという意味でクロージャと呼ばれる 自由変数は外部データへの接点になる 無名関数は引数をピュアマッピングする純粋関数である クロージャの引数のマッピングは式内の自由変数に影響され またその自由変数に作用する事もあるという副作用要素を閉包した非純粋関数である リスト処理時にリストの各要素への作用子として渡される無名関数またはクロージャはイテレータと呼ばれる 同様にリスト処理時に渡されて各要素を参照しながらそれらの総和値または選別リストまたは更新リストを生成する方はジェネレータと呼ばれる これはイミュータブル重視時に多用される 関数の名前は それに結び付けられた式または式ツリーの不動点の表現になる 自式の不動点を式内に置いて新たな引数と共に高階述語論理の式として評価する手法は再帰と呼ばれる 関数の終端式での再帰は実引数の更新 先端式へのアドレスジャンプと同等に見なせるのでもっぱらそちらに最適化されてこれは末尾再帰と呼ばれる 末尾再帰は論理性を損なわずにスタックフリーの無制限ループを可能にする実装概念として重視されている 関数型プログラミングの値 は型 で分類される定数または全称量の変数である これは基本データ型 プリミティブ とのいずれかで表現される プリミティブは数値 論理値 文字値 文字列を指す 様なプリミティブを様な形式で組み合わせたものがコンポジットであり その例は言語の構造体や共用体などである その組み合わせ方に焦点を当てた用語がデータストラクチャ である データストラクチャという概念には再帰構造 アノテーション付き構造 ガード付き構造 操作的意味付き構造といった様な暗黙情報を含められるので コンポジットの具体的形式といった意味で用いられる 関数型言語で用いられるデータストラクチャの代表は代数的データ型と式である 双方ともデータ構築子 から構築される まず プリミティブがデータ構築子によってまとめられる 正確ではないがデータ構築子は言語の構造体または共用体と同じものと見てよい データ構築子は入れ子にできるので データ構築子をまとめたデータ構築子も定義できる他 同名データ構築子を入れ子にした再帰構造も定義できる プリミティブとデータ構築子を任意に組み合わせて代数的データ型や式といったデータストラクチャが構築される データストラクチャ内のプリミティブとデータ構築子の組み合わせ方はパターン と呼ばれる そのパターンが型になり パターンの構築が型付けになり パターンを量化 すると型付け値になり これはターム と呼ばれる タームは冒頭の値 を指す データ構築子のパターンの末端は必ずプリミティブになるので パターン内の全てのプリミティブの値を決定することが量化になる お互いのパターンがマッチするターム同士は等価 とされる この等価は同じ型と読み替えてもよい 等価性はあらゆる計算の可否 計算可能性 を決定する 計算とは関数適用または演算子適用を指し それらが求める仮引数と実引数にするタームが等価であればその計算は成立する事になる データストラクチャのパターンは基礎パターンに分解されて解釈される 基礎パターンは型理論に従って直積型 非交和型 ユニオン型 オプション型 帰納型 ユニット型などに分類されている 式は二分木構造のデータストラクチャである これはコンス と呼ばれる二項のデータ構築子の連結で形成される コンスは二つの要素を持つタプルであり 要素はプリミティブまたは他のコンスのどちらかである 式はコンスを実行時に連結して任意のパターンを構築する動的型付けの値である コンスは要素二つの直積型 であり コンスの連結による要素の並びはリストと呼ばれる コンスの要素は形式化されていない非交和型 でもあり 要素の識別はプログラマ側の裁量に委ねられている コンスの組み合わせによるパターンは任意の識別名に結び付けられる 代数的データ型はのデータストラクチャである これは直積型 または非交和型 を表現する多項のデータ構築子の組み合わせで形成される データ構築子は任意個数の要素を持つものであり 要素はプリミティブまたは他のデータ構築子のどちらかである 代数的データ型はデータ構築子を事前に組成定義して任意のパターンを構築する静的型付けの値である 直積型はタプルまたはレコードのパターンを表わす レコードは指定フィールド取得用関数を随伴させたものである 非交和型は列挙型またはタグ共用体のパターンを表わす 前者は等値性 で識別される非交和である 後者は等価性 で識別される非交和であり こちらはユニオン型 とも呼ばれる ユニット型 は空集合のパターンを表わし 実装面ではまたはの表現になる ユニット型とそうでない型の二択の非交和型はオプション型 とされ 実装面では値の表現になる データ構築子を再帰的にネスティングするパターンは帰納型 とされる 非交和型と帰納型とユニット型の組み合わせは連結リストや二分木のパターンを表わす データ構築子の組み合わせによるパターンは任意の型構築子 に結び付けられて同時にそれが識別名義になる データ構築子がパターンの表現に用いられるのに対して 型構築子はパターン内の要素 プリミティブないしデータ構築子 の多相化に用いられる 多相化はパターン内の要素を型変数 に置き換え 型構築子への型引数 で要素の型を決定するという形で行われる 型構築子が必要とする型引数の個数および形態によるパターンはカインド と呼ばれる 型構築子はカインドによって分類される 代数的データ型は識別名義と構成内容を分離して双方を自由に組み合わせるという意味でしばしば抽象化される これは型構築子名に他の型構築子名を結び付ける仕組みで実現され 型シノニムまたは型エイリアスと呼ばれる 関数型プログラミングの評価戦略 は 関数を値にする評価タイミングと 引数欄内関数の評価タイミング の二つを定義している 関数を値にする評価タイミングは 正格評価 と非正格評価 の二つに大別されている 正格評価の関数は引数確定と同時に評価されて値になる この評価タイミングに注目した方は先行評価 と呼ばれる 引数確定と同時にボトム型 評価失敗 が発生することも包括した呼称が正格評価である 非正格評価の関数は 引数確定されても未評価のまま保留状態にされる 後続式で改めて他の関数 演算子の引数にされた時に初めて評価されて値になり または改めて変数に束縛された時に初めて評価されて値になる この評価タイミングに注目した方は遅延評価 と呼ばれる 評価されるまでボトム型の発生が保留されることも包括した呼称が非正格評価である これが遅延評価のデフォルトタイミングであるが 好きなタイミングで遅延評価できる無名関数 クロージャもあり それは継続 と呼ばれる その任意タイミングの評価値導出は 現行継続呼出 と呼ばれる 遅延評価は必要以外の評価をスキップして処理を高速化するが 評価値と未評価関数の区別が難しくなるというジレンマがある 引数欄内関数の評価タイミング には 値渡し と名前渡し がある 値渡しは先行評価に相当するものであり 関数の評価値が引数として渡される 名前渡しは遅延評価に相当するものであり 未評価のまま保留された関数が引数として渡される なお 双方ともに引数確定されていない場合はただの第一級関数 関数の型の値 として渡されることになる また名前渡しの亜流に必要渡し があり これは一度名前渡しされた関数 引数はその評価値をメモ化されて 同じ関数 引数が再度名前渡しされた時はそのメモ化評価値の方を渡すという仕組みである 必要渡しは純粋関数型言語で実装されている データストラクチャでも遅延評価の概念は扱われており 帰納 再帰 無限 極限といった代数表現の実装手段になっている 代数的データ型ではタグ共用体 連結リスト 再帰データ型は遅延評価対象である 連結リストは無限リストと構造上同義であり遅延評価が無限性質の実装を可能にしている 参照透過性 とは 関数は同じ引数値に対する同じ評価値を恒久的に導出し その評価過程において現行計算枠外の情報資源に一切の影響を及ぼさないというプロセス上の枠組みを意味する 現行計算枠外のいずれかの情報資源が変化するのと同時にいずれかの関数の評価過程も変化してしまう現象が副作用 と呼ばれる 参照透過性 副作用の排除でもある 副作用を持たない関数を純粋関数 と呼ぶ 副作用の代表例は値の再代入と入出力処理である 参照透過性が完全順守されたプログラムでは あらゆる個体 値 と写像 関数 のつながりが初期宣言値まで遡れるようになる 宣言値からのあらゆる値をつなぐ写像の履歴の図表であるプロセス有向グラフの解析と模型化は プロセス代数と呼ばれ並行プログラミングなどの支柱になる 関数型プログラミングの世界で値の再代入がタブーとされるのは それが写像の履歴の改ざんになってプロセス有向グラフの整合性を崩壊させるからである 従ってある時点の値をただ書き留めておく束縛変数と 旧値の更新を新値の産出で代替したイミュータブルが重視される ループは関数の再帰で表現され 分岐は選言パターンマッチングなどで表現される 参照透過性を維持しながら入出力処理を行うための機能には 派生構造型システム とモナド がある 参照透過性が保証されたプロセス有向グラフは によるプログラム正当性の形式的検証および数学的証明を可能にする 参照透過性を完全順守するには 各種入出力に伴う副作用の論理的排除も必要なので専用のランタイム環境上での動作が必須になる ランタイム環境は コンテキスト を走行プログラムとの仲介にする プログラムは専用を内包するコンテキストに作用するという形式で各種入出力を行う コンテキストへの仮想的入出力は ランタイム環境側によって実際に実行される その入出力で変化したランタイム環境が反映された新生を内包するコンテキストがプログラム側に渡される コンテキストが毎時ユニーク生成される仕組みは 派生構造型システムのライナ 型 と呼ばれる コンテキストに対象値を注入する仕組みはアフィン型 コンテキストから対象値を抽出する仕組みは関連型 と呼ばれる 毎時ユニーク生成されるライナー型は 各種入出力に伴う副作用によって実際には変化しているランタイム環境の時系列状態を完全に抽象化して それらを理論上各個照会可能にしているマッピングキーである これによってランタイム環境の変化もプロセス有向グラフで論理的に辿れることになるので同時に参照透過性も維持されていることになる 派生構造型システムの実装例にユニークネス型 がある ライナー型 アフィン型 関連型を組み合わせての特にその応用コーディングは煩雑なボイラープレートコードになりがちだったので それらを圏論視点の関手の合成といった仕組みでより平易かつ簡潔にした手法がモナドである 関数型プログラミングの型システム は 型付けラムダ計算準拠の型理論に基づいて構築されている ここでは型システム上の対比に沿った形で記述する 関数型言語の二大系統の内 系は静的型付けベースであり 系は動的型付けベースである 静的型付け 関数型言語の静的型付けでは 性質や役割による意味づけによって値を分類する明示的型付け よりも 計算可能性に基づく等価性によって値を分類する推論的型付け が主流である 前者の意味づけとはプログラマによる型定義 型宣言 型注釈を指しており人間寄りの視点である 後者の等価性とは値を関数 演算子の引数にできるかどうかの判別を指し 値への関心がそこで計算可能かどうかに絞られているので計算機寄りの視点である 明示的型付けではソースコード上の型宣言と型注釈から値の型が特定されるのに対し 推論的型付けでは型推論機能で特定される 型推論とはソースコードの解析によって値それぞれの等価性を導き出す機能である 数値や文字列といったリテラルはそのまま特定され 変数などのシンボルはその扱われ方や 任意の等式を並べて定義した法則からの分析によって型 等価性 が特定されるといった具合である 推論的型付けでは値への関心をその計算可能性に絞っているので 型宣言と型注釈は必要とされなくなる 例として型を型シノニムで金額型と数量型にした場合 明示的型付けではこの両者は区別されるが 推論的型付けでは区別されない ソースコードの解析でどちらも型準拠の等価と見られるからである 推論的型付けで値の意味づけ性も表現する場合は データ構築子で値を包むボックス化が用いられる データ構築子 は与えられた要素を直積または非交和でまとめるのと同時に型理論で言われる文脈 を各要素の等価性に上乗せ付加するものでもある 静的型付けにおけるデータストラクチャのパターン 型 はコンパイル前ないし実行前に全て事前形成される その実装例である代数的データ型はデータ構築子の組み合わせでパターンを構築し パラメトリック多相に基づいて総称化したパターン内の要素 型変数を 型構築子への型引数の組み合わせで特定した 型体系はこのパラメトリック多相に対応した型推論機能を提供している 型構築子 は必要とする型引数の個数によって分類され これはカインド と呼ばれる カインドは総称記号である の写像で型構築子の型種を表現する 型引数を必要としない型構築子と必要な型引数を全て付与された型構築子はプロパータイプと呼ばれ と表現される プロパータイプは全称量の型である 型引数を個必要とするものは になり 個必要なら になる これらは存在量の型になる に型引数がつ付与されると になり更につ付与すると のプロパータイプになる 全称量の型付け値 ターム は普通に扱えるが 存在量の型付け値はその一部分が抽象化 大抵は環境依存値と同義 されたままの特別な値と見なされて一定の制限下で扱われる 推論的型付け下の関数の扱いでは 人為的表記による意味づけを重視した記名的型付け が取り入れられており これで推論的型付けの枠組み内での関数オーバーロードが表現されている ここでの人為的表記による意味づけとは 型構築子 データ構築子 関数の型 それぞれのパターン内の型変数に 型理論で言われる文脈 を付加することを指している 文脈の付加は制約 と呼ばれる 文脈の付加はアドホック多相と考えられており 代表的な実装例はそれとジェネリックプログラミングを組み合わせた型クラスである 型クラスは 引数 計算値 評価値などを総称型化したジェネリック関数群の 関数の型 と式内容を定義できる機能であり 同時に推論的型付けと共存する関数オーバーロードの実装と 特定の意味づけ型を扱うための関数モジュールを定義するための手段になっている 型クラスの定義構文では上述のジェネリック関数群が定義され その型クラス名が文脈記号になる 型構築子の定義に文脈を付加すると その型クラスのジェネリック関数群にその型構築子 型を当てはめた関数群がコンパイル時に自動生成される また文脈を付加して当てはめ関数群を自動生成 した上で その型構築子 型のための当てはめ関数の式内容を個別定義 できる構文もある この双方がジェネリック関数の特有インスタンス化になる 明示的型付けでは型注釈を付けた引数パターンの列挙というシンプルな手段で関数オーバーロードを表現できるが 推論的型付けでは等価性に上乗せした文脈という二段階の手段が必要になる 記名的型付けと併せた推論的型付けでのオーバーローディング関数の選択決定は 始めに仮引数と実引数の型クラスのみに注目した照合が行われ 次にその型クラスの制約内での型推論照合が行われるという形になる 動的型付け 動的型付けにおけるデータストラクチャのパターン 型 はコンパイル前ないし実行前の事前形成に加えて 実行中の随時にも事後形成できる その実装例である式は 二項データ構築子 コンス の実行時の連結で形式化されていないパターンを構築し プログラマの裁量による任意の実行時チェックでパターンの意味づけと計算に用いるための等価性を判別するといったものである パターンの組み合わせが明確に形式化されておらずその識別をプログラマの裁量に委ねており またチェックタイミングも委ねられている事から これは潜在的型付け と呼ばれている 潜在的型付けは動的型付けの原型的位置づけである もう一つの実装例として動的なレコード がある この動的レコードは内部的には動的配列と同じものであり 配列の各スロットに任意の値の参照が納められて そのスロットは構造体のフィールドと同じものになる スロットは増設削減可能である レコードのタグ名はそのまま型名になる レコードを量化した値 インスタンス には システム側が別途用意する型情報が結び付けられており 変数への束縛ないし代入および関数 演算子への引数代入時に毎回自動的に型判別される 型情報と型判別タイミングが形式化されているのでこれは動的型付けとなる 動的型付けのインスタンスを関数の引数にすることは動的な関数オーバーロードを自然表現し これはオブジェクト指向に倣って多重ディスパッチとも呼ばれる レコード フィールドのアクセスは フィールド名関数をインスタンスに適用するという方法で行われる オブジェクト指向の が関数型では のようになる 同じフィールド名関数から得られる値の型は 適用するインスタンスの型構造による実行時多態になる この仕組みは構造的型付け に沿ったものである モナド の説明でよく引用されるこの文言はその特徴を明快に表したヒントと言われる モナドは圏論由来の自己関手の合成の仕組みで参照透過性を維持しつつ 代数的構造由来のモノイドの仕組みで非純粋関数の連結体を平易に表現する機能である 非純粋関数の連結体がそのまま一連の副作用内包プロセスになりそれを参照透過性の枠内で実行できる モナドはプログラム的には 関数の量化を扱う二階述語論理の実装であるカリー化の活用形態である関数合成と部分適用の応用手法であり 参照透過性欄で説明した派生構造型システムのライナー型の役割を圏に見立てたデータ構築子に持たせている またデザインパターン的には 関数を引数値に適用する 通常の関数とは正反対に モナドでは値を関数に適用する 形態を取っており 値を同名関数に反復適用しての特殊な再帰を表現できる モナドでは値に特殊な演算子を適用することでそれを関数に適用できるようにしている モナドの世界では 基本値から導出されるモナド値をモナド関数に次と適用して状態遷移を表現する モナド値 とは値 例外発生 入出力環境 システムコール クロージャ 継続といったあらゆる副作用プロセスを扱うためのオブジェクトである モナド関数 とはそのオブジェクトのメソッドと考えてよいものである モナド値とモナド関数は合成演算子を通した表裏一体の存在であり これがモノイドを指している 合成演算子をモナド値に適用したものをモナド関数に適用して導出されたモナド値を また同じ手順でモナド関数に適用するといった繰り返しになる これはモナド合成体 と呼ばれる モナド値はのように型表現され は基本値 は基本値を包むコンテキストまたはコンテナである モナド関数は を基本とする関数の型の値であり 与えられた基本値からモナド値を操作して新たなモナド値を返す モナド値はの型を基本とし 対象内容によって といった型の値または関数の型の値にリフト される これはモナド変換子 と呼ばれる また モナド値ののを空データにして事実上のにしモナド関数も事実上の にした恒等モナド もあるがこれは全くの便宜目的である モナド値は状態遷移の記録媒体であり 自然変換演算子を基本値に適用することで導出される 基本値 から成るモナド値または基本値を包含するモナド値はデータ構築子として表現されて自己関手の圏の枠組みとなり そのデータ構築子を束縛した型構築子への型引数でモナド値内の型決定がなされる モナドは大まかに言うと以下の六つの要素から実装されている モナド値は付加モナドと自由モナド 例外 有限リストモナドなど 以外では 実質的に存在量の値になるので普通の値のように扱うことは出来ない ただし付加 自由モナドでも参照透過性を維持するためには存在量と同等に扱う必要が出てくる を基本値に適用してモナド値を表現することからモナド処理は始まる 基本値とは扱うモナドに合わせた任意の値である そのモナド値は圏としてのユニークを持つことになる ここで基本値をとしそのモナド値をとする にを適用して という写像を導出する その写像は先のと同じ圏を備えたものになる その写像をモナド関数 に適用すると そのモナド関数内では渡されたやその他の値などにを適用して表現されるモナド値の圏はのもので共通化される モナド関数内においてのは基本値をモナド値に代入する機能と見てよい は用途別関数にそれぞれラッピングされて使われるのが普通である 空引数からモナド値を表現するもありこれはモナドプリミティブ と呼ばれ この場合はモナド値の圏が暗黙引数になっている モナド値はファイルハンドルのようなものと考えると分かりやすくなり モナド値を直接引数にできる専用関数も存在する モナド関数内ではモナド値から基本値を取り出す演算子が有効になる それは のように表現されてコモナド と呼ばれる機能になる 抽出した基本値からの処理の中で再度が行われる モナド関数は自己関手内容に見立てられているので その中ではの繰り返しによる事実上の再代入処理が許されている その論理的な辻褄合わせの要点になるの正当性および計算可能性を表現するためにファンクタ則とモナド則の等式がプログラム内で定義されている ここでいわゆる圏論の知識が必要になるがその説明は先送りする モナド関数はモナド値を返しそれに再度を適用できるのでこれがモノイドを意味している モナド関数の外でのは毎時ユニークな圏のモナド値を表現するので同じ基本値でもその都度異なる圏が表現される事になり これが自然変換 関手圏の射 演算子の呼称由来になっている モナドはファンクタ の派生文脈にされることが多いが これはを形成するクライスリ射との合成の持ち上げ 関手 にが使われるからである ファンクタ文脈は関手を持つ そのままファンクタの機能名で呼ばれることが多いは 関数 から関数 を導出する関手 関数である この関数はに適用できてを導出できる は基本値を包むコンテキストまたはコンテナでありその代表例はリストである 基本値に対する作用をコンテキストで拡張解釈できるのがファンクタの利点である 例えば基本値への という作用をリストのコンテキストで拡張解釈するのはリストの全要素に するという意味になる これはリストをそのまま計算対象にできる利便性に繋がる ファンクタの派生文脈にアプリカティブ がある アプリカティブは ファンクタのコンテキストに包まれた関数を コンテキストに包まれた先頭引数 コンテキストに包まれた残り引数 評価値 という引数の関数に変換する演算子を持つ は から を導出する演算子である はコンテキスト は元の関数 は引数の関数である このは多相であり実際は値 関数 関数 などになっているのでそれにを再び適用できる アプリカティブは 個以上の引数の関数をファンクタするための機能と考えてよい 個以上の引数の関数はでそのまま持ち上げられないのでアプリカティブ関手のが用いられる これは と表現されが関数 がコンテキストである によって好きな引数個数の関数をコンテキストで包みをそれに適用して導出された関数をに適用できる アプリカティブ関手 とモナドの自然変換演算子 は同じ働きに見えるが 前者は関数 関数の型の値 を純粋に持ち上げるだけの関手なのに対して 後者は持ち上げる関手を毎時垂直合成していく関手圏の射の自然変換であるという性質上の違いがある 初の関数型プログラミング言語とされる は 年にマサチューセッツ工科大学の計算機科学者ジョン マッカーシーによって開発された の関数はラムダ計算の形式を元に定義され再帰可能に拡張されており 式のリスト化とその遅延評価および高階評価など幾つかの関数型的特徴を備えていた は数多くの 方言 を生み出しているが その中でも は関数型の特徴を明確にした言語である 年に公開された の方が先駆であるが こちらはアセンブリベースの低水準言語なので前段階扱いである が備えていたニーモニックコードのリストをオペランドにできるジェネレータ機能はに影響を与えたと言われる 高階オペランド演算は高階関数と同じ働きをし メモリ一括処理のストリング命令の効率を高めるなどした スタンフォード大学とエディンバラ大学で実施された対話型自動定理証明プロジェクト の中で年に導入された は代数的データ型 パラメトリック多相 型推論などを備えた関数型言語であり 計算機科学者ロビン ミルナーによって開発された また 年に人工知能研究所の計算機科学者ガイ スティールと工学者ジェラルド サスマンが設計してリサーチ用に導入された は任意タイミング評価 可能な継続とガーベジコレクションを備え レキシカルスコープで構造化が図られており末尾再帰を最適化していた と双方の登場は関数型プログラミングのマイルストーンになった 同年代に代数的データ型を初めて導入しクリーネの再帰定理を証明実装した と 関数の数学的純粋性を初めて重視した も発表されている 年 記法と開発の功績でこの年のチューリング賞を受けた計算機科学者ジョン バッカスは と題した記念講演を行い 一説にはこれを境にして関数型 というパラダイム名が定着したと言われているが 同時に発表された は関数水準 言語として紹介されている ノイマン型からの脱却を題目に掲げたバッカスは のプログラムをアトム 関数 フォーム 高階関数 の階層構造と定義し 代数を用いるフォームの結合で構築されると提唱した の開発者ミルナーが発表していた型推論アルゴリズムが年に証明されると パラメトリック多相に対応した型推論機能を眼目にした 型体系が確立されて代数的データ型の実用性が高められた 年代に入ると共に方言が多様化していたとの両コミュニティで一定の標準化が求められるようになり 年に 型体系を導入した が発表された それに対して年に発表された では手続き型パラダイムが強調されて関数型の枠組みからやや外れた方向性を示したので 関数型言語の枢軸はに置かれた 年には方言の代表格となる が公開された 同じく年にの後継として発表された は 遅延評価を標準にしながら関数の数学的純粋性を追求した言語であり 関数型プログラミング研究用オープンスタンダードのコンセンサスで年から策定が開始されたのモデルになりその進捗を大きく後押しした それと前後しては年公開の純粋関数型言語 にも大きな影響を与えている は後発のをも叩き台にして改良を続けた また関数型と並行計算の適性が認識される中で年の通信業界で開発された は並行プログラミング指向の面で特に注目を集めている言語である 年公開の はスタイルのデータ集合処理に機能を豊富にしたパターンマッチングやイテレーションを加えた言語で年代を通して改良が続けられていた ハスケル は非正格な評価を特徴とする純粋関数型プログラミング言語である 名称は数学者であり論理学者であるハスケル カリーに由来する は高階関数や静的多相型付け 定義可能な演算子 例外処理といった多くの言語で採用されている現代的な機能に加え パターンマッチングやカリー化 リスト内包表記 ガードといった多くの特徴的な機能を持っている また 遅延評価や再帰的な関数や代数的データ型もサポートしているほか 独自の概念として圏論のアイデアを利用し参照透過性を壊すことなく副作用のある操作 例えば 代入 入出力 配列など を実現するモナドを含む このような機能の組み合わせにより 手続き型プログラミング言語では記述が複雑になるような処理がしばしば簡潔になるばかりではなく 必要に応じて手続き型プログラミングを利用できる は関数型プログラミングの研究対象として人気が高い あわせて と呼ばれるマサチューセッツ工科大学やグラスゴー大学によるものをはじめ 他にも や といった分散バージョン と呼ばれる投機的実行バージョン や といったオブジェクト指向バージョンも複数存在しているなど いくつもの派生形が開発されてきている 開発向けサポートの新しい方法を提供する と呼ばれる に似た言語もある と の最大の違いは モナドを代用する一意型の採用である は比較的小規模なユーザコミュニティを持つが オードリー タングによる は のインタプリタとコンパイラの実装で 現在は開発停止 はさまざまな革新的な機能を含むリビジョンコントロールシステムである の急速な進化は今も継続しており は現在の事実上の標準の処理系であるといえる では年 年 年に最優秀賞に選ばれている は 用のビルドおよびパッケージングシステムである を利用して ライブラリのアーカイブである を参照して 新たなパッケージを簡単にインストールすることもできる しばしばパッケージのが発生しがちだが それらを解決するため という環境も有志によって提供されている 最初の版の は年に作成された 委員会の活動は一連の言語仕様を結果に残し 年後半にそのシリーズは 安定しており小さく可搬なバージョンの言語仕様と 学習用および将来の拡張の基礎としての基本ライブラリなどを定義した に到達した 実験的な機能の付加や統合を通じて の拡張や派生物を作成することを 委員会ははっきりと歓迎した は他のプログラミング言語とのバインディングを可能にする を に追加し いくつかの構文上の問題を修正する 正式な構文を変更する パターン と呼ばれる構文を削除し というような形式の定義はもはや許されない に のソースかどうかや いくつかの必要な拡張の指定を可能にする言語プラグマ構文拡張を導入する に導入された拡張の名前は 階層化ライブラリ である ここでは以降の解説を読む上で必要な の文法規則を簡単に説明する の構文は数学で用いられるものによく似せられていることに注意されたい の型名は先頭が大文字でなければならない 標準で存在する単純なデータ型としては 真偽値 型 整数 型 単精度浮動小数点数 型 文字 型 文字列 型などが予め定義されている 任意の式の型を定義するには 式と型の間に 記号をおく また 変数などのシンボルを定義する際に変数名を式に指定して書くことで その変数の型を指定することができる 例えば 次は円周率およびネイピア数を定数として定義し さらにその型も浮動小数点型として指定している 式の中でその型を指定している 関数の型は 各引数の間を 記号で区切って表記する 関数は引数をひとつ適用するたびに その型は で区切られたうちの一番左が消えた型となると考えればよい 例えば ふたつの整数を引数にとりその最大公約数を返す関数 の型は次のように定義される 関数名 引数の型 引数の型 返り値の型 型変数を使い 型を抽象化することもできる これは のテンプレートや のジェネリクスに相当するが 様な種 型の型 に適用できるためより柔軟である 例えば 型の値をとり それをそのまま返す恒等関数 を型の指定とともに定義すると以下のようになる ここで任意の型を示す型名 が定義に使われているが このように先頭が小文字で始まっている型名は具体的な型名ではなく型変数である この関数はあらゆる型の値を引数にとることができる また データ型はパラメータとして型変数を持つことができる 例えば スタックやハッシュテーブルなどのデータ型は その要素の型を型変数として定義する ハッシュテーブルを実装するデータ型 があり キーに文字列 値に整数 を持つハッシュテーブル の型は次のようになる そのほか 特殊な表記を持つ型としてリストとタプル 文字列がある リストは で極めて頻繁に用いられるため 特別な構文が用意されている リストは要素の型を角括弧で囲む 次は 文字 のリストを束縛する変数 の定義である 文字のリストは文字列と等価である 行目にあるように 文字列は殆どのプログラミング言語と同じように二重引用符で囲む コメントにでのリストの表記を添えた 最後にデシュガー 糖衣構文を元の表記に戻すこと したリストの表記法を示した もも等価である の糖衣構文 タプルは要素の型をカンマで区切り 括弧で囲む 次は 浮動小数点数 の値をもつ次元座標のタプルが束縛される変数 の定義である タプルは以上ならいくつでも要素を持つことができる 要素のタプルは優先順位の括弧と表記が衝突し また用途がないので存在しない 要素数がゼロのタプルは特に ユニット と呼ばれ 有効な値を持たないなどの時に使われる キーワードを用いて 型に別名をつけることができる 次は の型は型構築子 型コンストラクタ から構築される 型構築子に型変数 を与え型式 として評価することで型が構築される 型構築子の例には以下が挙げられる 例えば型構築子に型変数を渡し とすることで型が構築される 関数名は先頭が小文字でなければならず 記号を含むことはできない 演算子名は記号のみで構成されていなければならない 関数の定義では言語のような引数を囲む括弧や区切りのカンマは使われず 単に引数を空白文字で区切って表記する 次は先程示した恒等関数 に 型の定義に加えて本体の定義もした例である 関数名 仮引数 仮引数 関数本体の式 関数の適用も同様で 単に関数に続いて空白文字で区切った引数を並べればよい 以下では上記の恒等関数 を ここでは使う必要はないが 適用して 別の変数を定義した例である となる 引数がつねに個であることや引数の間に演算子をおくことなどを除けば 演算子についても関数の定義や適用と同様である 標準で定義されている算術演算子を使って を計算する関数 を定義してみる この定義では を引数にとり で結果を返すが この関数では を引数に使うことはできない どの浮動小数点数型でも扱えるような関数にするには 次のように型変数を使えばよい このバージョンの関数 では引数や返り値の型が とされているが これにさらに は であるとの制約をつけている は や を抽象化する型クラスであり や といった演算子を適用できるので の定義においてこれらの演算子を使うことができている また 整数などの値は引数に取れないし 返り値は引数に与えた型で戻ってくる 関数と演算子は新たに定義し直さなくても相互に変換可能である 関数を演算子として使うには 関数を バッククォート で囲む 逆に 演算子を関数として使うには括弧で囲む 例えば 整数を除算する関数 はよく演算子として使われる なお 関数適用の優先順位はすべての演算子の優先順位よりも高い ここではあまり他の言語では見られない 特有の機能を中心に解説する ここでは説明していないが 現代的な実用言語では常識となっているガーベジコレクション 例外処理 モジュール 外部関数の呼び出し 正規表現ライブラリなどの機能は にも当然存在している は遅延評価を基本的な評価戦略とする ほとんどの言語では関数の呼び出しにおいて引数に与えられたすべての式を評価してから呼び出された関数に渡す先行評価を評価戦略とするが これに対し ではあらゆる式はそれが必要になるまで評価されない 次の定数 は評価すると常に を返すが その定義には未定義の式を含む ここで は常に第引数を返す定数関数である また は整数の除算を行う演算子であり は に相当し この値は未定義であり この部分を評価すればエラーになる 正格評価をする言語でこのような式を評価しようとすると ゼロ除算によるエラーになるであろう しかし 上記の定数 を評価してもエラーにはならない は第引数をつねに返すので第引数を評価する必要はなく 第引数に与えられた式 は無視されるので評価されないからである 遅延評価がデフォルトで行われることにより 不要な計算は省かれ 参照透過性により同じ式を複数回評価する必要もなくなるため では最適化によって計算効率の向上が期待できる場合がある ただし 頻繁に新たな値を計算する場合は正格評価のほうが効率がよく 必要に応じて関数や拡張による明示により正格評価もできる では関数のデータ型を明示しなくても処理系が自動的に型を推論する 以下は型の宣言を省略し 本体のみを宣言した引数の平方を返す関数 である この場合 の型は型推論され 次のように明示的に型を宣言したのと同じになる この宣言は のインスタンスである の型の値を引数にとり の型の値を返す と読める ここでは 演算子が適用可能な最も広い型である が選択されており 整数や浮動小数点数 有理数のような のインスタンスであるあらゆる型の値を渡すことができる 外部に公開するような関数を定義するときは 型推論によって自動的に選択される最も広い型では適用可能な範囲が広すぎる場合もある のみを渡せるように制限する場合は 次のように明示的に型を宣言すればよい 型推論のため は型安全でありながらほとんどの部分で型宣言を省略できる なお 次のコードは型宣言が必要な例である は文字列をその文字列があらわすデータ型に変換する抽象化された関数である コンパイルエラー このコードはコンパイルエラーになる は複数のインスタンスで実装されており 数値なら数値型に変換する リストならリストに変換する というように型ごとに実装が存在する の型は総て静的に決定されなければならない このコード場合 プログラマは という型をもつ実装の が選択されると期待しているであろうが これはコンパイラによる静的な型検査では決定できない つまり コンパイラは の返り値を受け取っている関数 の型を検査し多数の実装の中から適切な を選択しようとするが は のインスタンスが存在するあらゆる型を引数にとるため 型推論によっても の型を一意に決定できない これを解消するひとつの方法は によって型を明示することである コンパイル成功 の返り値を と明示している また そもそも の返り値を整数型しか取らない関数に与えていればあいまいさは生じず 型推論は成功する コンパイル成功 他の言語 たとえば でこのような抽象的な関数を書こうとしても では返り値の値の型によって関数を選択するようなことはできない 引数の型によって選択するメソッドのオーバーロードは存在する そのため 関数の実装ごとに別の名前をつけてプログラマに明示的に選択させて解決させることになる この方法は簡潔でわかりやすいが 抽象性の高さに基づく再利用性という点では のような多相には劣ってしまう のデータ型には代数的データ型と呼ばれる 言語などでいう構造体や列挙体の性質を兼ね備えたものが用いられる 次の例は二つの型の値をフィールドに持つ二次元の座標 型を定義したもので これは代数的データ型の構造体的な性質を示す 先頭のトークン は代数的データ型の宣言であることを示す予約語である ここで最初の はデータ型名を表し 次の はデータコンストラクタ名を示す データコンストラクタは関数のように適用できる データコンストラクタは値を定義するための特殊な関数といえる データコンストラクタは後述するパターンマッチによって値を取り出す際にも用いられる 次の例はトランプのつのスーツを示す 型を定義したものである のつのデータコンストラクタが定義されており 型の式は のいずれかの値をとる は第一級関数をサポートしており 高階関数を定義することができる つまり 関数の引数として関数を与えたり 返り値として関数を返すことができる 無名関数は バックスラッシュ から始まり それに続いて引数となる変数 引数と本体のあいだに 記号をおく モジュールに定義されているリストのソートを行う関数 は 二つの要素に大小関係を与える関数を引数にとるが 無名関数を使うと例えばリストをその長さの短い順にソートする関数 は次のように定義できる において つの引数を持つ関数は つの引数をとり つの引数をとる関数 を返す関数と同義である このように 関数を返すことで全ての関数をつの引数の関数として表現することをカリー化という あえてタプルを使うことで複数の引数を渡すような見かけにすることもできるが 次の例はつの引数をとり そのうち値が大きい値を返す関数 である この関数は無名関数を用いて次のように書き換えることができる 先ほどの表現とまったく同様に動作するが この表現では関数を返す様子がより明らかになっている さらに 次のようにも書き換えることができる あるいは は の糖衣構文であるとも言える このため の定義は変数に束縛するのが定数であるか関数であるかにかかわらず 変数 値 という一貫した形でも定義できる カリー化によって のあらゆる関数は引数を部分適用することができる つまり 関数の引数の一部だけを渡すことで 一部の変数だけが適用された別の関数を作り出すことができる また では演算子を部分適用することすら可能であり 演算子の部分適用をとくにセクションと呼ぶ 任意のリストをとり その要素から条件にあう要素のみを取り出す関数 が標準ライブラリに定義されている この関数では第一引数に残す要素を判定する関数をとるが このときに部分適用を使えばそのような関数を簡潔に書くことができる 整数のリストから正の値のみを取り出す関数 は次のように定義できる ここで および の第引数はソースコード上に現れずに記述できているが このように単純に書けるのもカリー化の恩恵によるものである では関数の引数を様な形で受け取ることができる 次は整数の要素をもつリストの全要素の合計を返す関数 である の関数本体の定義がふたつあるが このうち引数の実行時の値と適合する本体が選択され呼び出される 上の本体定義では 引数が空のリストであるときのみ適合し 呼び出される 下の本体定義では 引数が少なくともひとつの要素を持つとき適合し に先頭の要素が束縛され に残りのリストが束縛される この例の場合はパターンに漏れはないが もし適合するパターンが見つからない場合はエラーになる 複数の返り値を扱うのもタプルなどを利用して極めて簡明に書くことができる このとき 定義される変数は および で それぞれ は に は に定義される で順序付けられた複数の値を扱うのにもっとも柔軟で簡潔な方法はリストを用いることである 次は四季の名前のリストである 次は初項 公差の等差数列のリストである このリストは無限リストであり その長さは無限大である 次の式は先ほどの数列の先頭項を要素に持つリストである はリスト の先頭 個の項を要素に持つリストを返す関数である もし正格な動作を持つ言語でこのような定義をしようとすると関数 に値を渡す前に無限リストを生成することになるが 長さが無限のため無限リストの生成が終わることはなく関数 がいつまでも呼び出されなくなってしまう は遅延評価されるため このようなリストを定義しても必要になるまで必要な項の値の生成は遅延される このように無限リストを扱えるのは の大きな強みである 次は素数列をリスト内包表記を用いて定義した一例である リストはその柔軟性から再帰的な関数での値の受け渡しに向いているが 任意の位置の要素にアクセスするためには参照を先頭からたどる必要があるのでランダムアクセスが遅い 要素を変更するたびにリストの一部を作り直さなければならないなどの欠点がある このため にも配列が用意されており 高速な参照や更新が必要なプログラムではリストの代わりに配列を用いることでパフォーマンスを改善できる可能性がある 型クラスは相異なるデータ型に共通したインターフェイスを持つ関数を定義する 例えば 順序づけることができる要素をもつリストをソートできる関数 を定義することを考える リストの要素のデータ型は関数 を定義するときには不明であり その要素をどのように順序付けるかを予め決定しておくことはできない 数値型も文字列型もそれぞれのデータを順序付けることができるであろうが 共通してデータの順序を返す抽象的な関数 を定義することができれば それを用いてソートすることができる まず型クラス を定義して 順序付ける関数 の形式を定義する 値の順序を調べる関数 は が昇順のときは負の値 降順の時は正の値 と が等しいときは を返すものとする ここで は型クラスの宣言であることを示す予約語である 型クラスを実装するには 対象のデータ型に対してインスタンス宣言を行う 次は型 の型クラス に対するインスタンスを宣言したものである このインスタンス宣言により のインスタンスである任意の型のリストを辞書順に比較できる 例えば 文字列 は のインスタンスの のリストであり このインスタンス定義により を適用することができるようになる ここで関数 は文字 を数値に変換する関数である のインスタンスを定義する型 を および のインスタンスを持つものに限定しているので の部分 インスタンス定義の内部で の関数である や の関数である を使うことができている 次にリストをクイックソートする関数 を示す 型クラスを用いて順序付ける関数 を抽象化したため このように型クラス のインスタンスを持つ全ての型の値に適用できる一般化されたソート関数を定義できるのである この関数 は次のように使う と出力される と出力される のインスタンス宣言は複数の型に共通する操作を定義するという点で や の インターフェイス と似ているが では既存の任意の型についてもインスタンスを定義できる点でもインターフェイスに比べて柔軟である すべての式が参照透過である においては 副作用を式の評価そのものでは表現できない そのため では圏論のアイデアを利用したモナドによって入出力が表現されており でも最も特徴的な部分となっている 次は による の一例である 実際に単独で実行可能形式にコンパイルできる 小さいが完全なプログラムの一例にもなっている は純粋関数型言語であり もやはり参照透過である 副作用はない しかし処理系は として定義された 型の値をそのプログラムの動作を示す値として特別に扱う は標準出力に文字列を出力する動作を表す 型の値を返す関数であり 実行すると引数として渡された を出力する 次に標準入力から一行読み込み そのまま標準出力に出力するエコープログラムを考える 次のような 言語などのような表記はできない 関数は標準入力から一行読み取る関数である コンパイルエラー と はそれぞれ次のような型を持っている 純粋関数型である では もやはり副作用はなく は一行読み込むという動作を表す値を常に返す このように入出力の動作を表す値をアクションと呼ぶ が返すのは そのものではなくあくまで という型を持ったアクションであって それを の引数に与えることはできない 正しいエコープログラムの一例は次のようになる ここでは演算子 によってふたつのアクションを連結している このとき は一行読み込みそれを出力するというアクションとなり このプログラムを実行すると処理系は が持つアクションの内容を実行する このアクションを実行すると は一行読み込み それを に渡す このとき 読み込まれたデータにこれらのアクションの外側からアクセスすることはできない このため この式は参照透過性を保つことができる モナドは モナド モナドと呼ばれる構造により より単純なデータ型から導出することもできる これにより 非常に強力な依存性の注入が実現できる 以下の単純な例は関数型言語としての構文の実例にしばしば用いられるもので で示された階乗関数である 階乗を単一の条件による終端を伴う再帰的関数として表現している これは数学の教科書でみられる階乗の表現に似ている コードの大半は その簡潔さと構文において基本的な数学的記法と似通っている この階乗関数の行目は関数の型を示すもので 省略可能である これは 関数 は から へ の型を持つ と読める これは整数を引数としてとり 別の整数を返す もしプログラマが型注釈を与えない場合 この定義の型は自動的に推測される ガードは階乗が定義されない負の値から行目を保護している このガードが無ければこの関数はの終端条件に達することなく 再帰してすべての負の値を経由してしまう 実際 このパターンマッチングは完全ではない もし関数に負の整数が引数として渡されると このプログラムは実行時エラーとともに落ちるであろう のように定義を追加すれば適切なエラーメッセージを出力することができる は基本ライブラリであり 小規模な関数群を提供する を用いて変数を利用しないポイントフリースタイルで書くと 先ほどの関数は次のようになる 完全な プログラムを書いてコンパイルせずに インタプリタでこのようなテストを簡単に行う方法は 節を用いることである 関数名とパラメータに続けて とこの関数定義を入力する 上記は 関数合成を参照 のような数学的な定義に近く 変数への値の割り当てとはまったく異なる 引数 を伴う高階関数で表現された単純な逆ポーランド記法評価器が パターンマッチングと型クラス を用いた 節で定義されている 空リストを初期状態とし を使って一語ずつ文字列を解釈していく は 注目している語が演算子ならばその演算を実行し それ以外ならば浮動小数点として計算スタックに積んでいる 次はフィボナッチ数列のリストである ある値に対する は一回しか計算しないようになっており その点ではナイーブなフィボナッチと異なる効率の良いコードとなっている 無限リストは 余再帰 リストの後ろの値は要求があったときに と の二つの初期要素から開始され算出される によって実現される このような定義は遅延評価の実例で プログラミングでも重要な部分である ただし フィボナッチ数列の生成の場合は ある要素の値が必要であれば その要素より前にある要素の値は全て必要である 従って 遅延させた上で結局は後から全てその値を求めることになり むしろ無駄であるので この場合は遅延させない組込関数を使用したほうが効率は良くなり といったような値を計算するような場合には差が見えてくる あるいはリストの先に出る値から順番に計算させるとそのほうが速い といったことが起きる さらに フィボナッチ数はに対してと大きな値になるので そのようなの加算のコストも掛かり 以前にこの場所に書かれていたような 線形時間でのフィボナッチ数列の生成 は 大きい値では不可能である どのように評価が進行するかの例示のために 次はつの要素の計算の後の と の値と どのように がつの要素を生成し 次の値を生成し続けるかを図示したものである 次はで使える言語拡張で リスト内包表記を並列的な生成を記述できるよう拡張するを用いて書いた同様の式である の拡張は特別なコマンドラインフラグ またはプラグマによって有効にしなければならない 詳しくはのマニュアルを参照のこと 先に見た階乗の定義は 次のように関数の列を内包表記で生成して書く事もできる 特に簡潔に書ける例として ハミング数が順番に並ぶリストを返す以下のような関数がある 上に示されたさまざまな の定義のように これはオンデマンドに数のリストを実現するために無限リストを使っており という先頭要素から後続の要素を生成している ここでは 後続要素の構築関数は 節内の記号 各 は 等号の前半の条件部分と 後半の定義部分からなるガード節を構成する は で書かれたパーサコンビネータである パーサの一種であるがコンパイラコンパイラとは異なり はパーサのソースコードを出力するのではなく 純粋に の関数としてパーサを構成する のようにプログラミング言語と異なる言語を新たに習得する必要がなく 高速でかつ堅牢で 型安全で 演算子の結合性や優先順位を考慮したパーサを自動的に構成したり 動的にパーサを変更することすらできる 派生として 大幅に高速なパースが可能な 高機能でより洗練されたがある は のメタプログラミングを可能にする拡張である ソースコードの構文木を直接 から操作することができ のマクロやテンプレートを上回る極めて柔軟なプログラミングを行うことができる はデータ駆動型のテストを行うモジュールである 自動的にテストデータを作成してプログラムの正当性をテストすることができる はアクセサの概念を一般化するライブラリであり 様なデータ構造に対して共通のインタフェースを与える は一つの関数として表現されており それらを合成することもできる やや や以外の処理にも応用できる は他のプログラミング言語には見られない多くの先進的機能を持っているが これらの機能のいくつかは言語を複雑にしすぎており 理解が困難であると批判されてきた とりわけ 関数型プログラミング言語と主流でないプログラミング言語に対する批判は にもあてはまる 加えて の潔癖さとその理論中心の起源に起因する不満がある 以下は 仕様を完全に満たす または仕様に非常に近く オープンソースライセンスの下で配布されているものである ここには現在のところ商用の実装は含まれない アタリショックとは 年のアメリカ合衆国においての年末商戦を発端とする家庭用ゲーム機の売上不振 のことである この崩壊には 以外のゲーム機の家庭用ゲーム市場も含まれる パソコンゲーム市場や 欧州や日本など北米以外のゲーム市場は含まれない 北米における家庭用ゲームの売上高は年の時点で約億ドル 同年末の日本円で約億円 に達していたが 年にはわずか億ドル 同年末の日本円で約億円 にまで減少した 北米の家庭用ゲーム市場は崩壊し ゲーム機やホビーパソコンを販売していた大手メーカーのいくつかが破産に追い込まれた ゲーム市場最大手であったアタリ社も崩壊 分割された この年から年にかけての北米家庭用ゲーム市場の崩壊を と呼ぶ 日本ではアタリショックと呼ばれる その背景について 年に当時の任天堂社長山内博は講演会で 新型ゲーム機の出現による の陳腐化 アーケード ゲームの劣化移植 サード パーティーが大量に駄作を投入したことから 消費者がゲーム機に失望 新しいカートリッジを買う意欲を失ったため と語っている また 年にはファミコンのサード パーティーに対して 米国ゲーム市場の教訓から 粗悪なソフトが氾濫しないように任天堂の承認を受けたものだけを作るように注文している と経済誌のインタビューに答えている また 山内博は 年にも海外紙において サードパーティによる低品質ゲームソフト 俗に言う クソゲー の乱発がアタリの市場崩壊を招いた という趣旨でその原因に対する自身の認識を述べている これは後世まで業界の共通認識となっており 年当時の任天堂社長である岩田聡は 粗悪なソフトが粗製濫造されたことで お客さんからの信頼を失ってしまった と定義している ここから転じて ハードやジャンルに関わらずゲームソフトの供給過剰や粗製濫造により ユーザーがゲームに対する興味を急速に失い 市場需要および市場規模が急激に縮退する現象を アタリショックの再来 または単に アタリショック と呼ぶこともある 日本では年にで放送された 新 電子立国 で取り上げられて広く知られるようになった ただし 番組で述べられたように年のクリスマス商戦でいきなり市場が崩壊したわけではなく 以下に示すように年から年にかけて複雑な経過をたどった なお アタリショック という言葉そのものは米国最大の玩具小売業者トイザらスの副社長だったハワード ムーア 発言時は同社役員 の発言として年の 日経エレクトロニクス に初めて登場した その後 経済誌やゲーム業界本を中心に急速に広まったが 任天堂社長の山内溥が アタリショック という言葉を使っているのが確認されるのは年になってからのことである また アタリショック後に売れ残った大量の不良在庫を埋葬したとされる ビデオゲームの墓場 が存在するという都市伝説があったが これは年に真実であったことが証明された 以下に とその関連商品の市場が辿った状況を 順を追って示す アタリ社は 外部からソフトウェアを入れ替えられる を年に発売 当初はさっぱり売れなかったが 年よりキラーソフトとして スペースインベーダー パックマン などの人気ゲームが アーケードゲームから数多く移植され 人気に火が付いた アタリ社の上層部と対立して独立したゲーム製作者たちが興したアクティビジョン社が年に設立され 家庭用ゲーム史上初のサードパーティとして用のソフトをリリースした アタリは当初サードパーティを認めず アクティビジョンに対して販売差し止めの裁判を起こしたが ロイヤリティを支払うことで年に和解 サードパーティ製ソフトの制作が合法であると認められ それをきっかけに多数のサードパーティーメーカーが参入した これにより売り上げはさらに急加速 アタリに対してロイヤリティさえ払えば基本的に何処の誰でも 自由に アタリ社に関係なく 同機で動作するソフトウェアを開発し 販売する事が可能になった このため 市場には様なゲームソフトが流通し 様なゲームメーカーが勃興 多くの人に楽しまれるゲームソフトを発売していったのである それらゲームソフトを再生するためのゲーム機本体の売上も華しく 出荷台数は最終的に万台を超えた 当時をはじめ 各ハードのプログラム仕様などは公開されていなかったが 各サードパーティはファーストパーティから開発者を引き抜いたり リバースエンジニアリングなどをしてゲームを開発していた アタリ自身も競合ゲーム機であるマテル インテレビジョンの開発者を引き抜いて雇用していたほどである そのためマテルから産業スパイの疑いで訴えられた しかし年頃より 家庭用ゲーム市場の急激な拡大に釣られて ゲームを作ったこともない他業種のメーカーがのサードパーティとして参入した それらのメーカーの雇った開発者は アタリやアクティビジョンなどの開発者とは違ってまともにゲームを作る能力がないことから 非常に質の低いソフトまでもが市場に溢れ返った 極端な例として に参入したクエーカーオーツ 朝食シリアルのメーカー やピュリナ ペットフードのメーカー などが知られる それらのメーカーは低品質ゲームソフトに大きな宣伝を打ち 家庭用ゲーム市場全体の信用を損なわせた この当時 アタリ社は発売されているゲームの内容は一切把握していなかった また ユーザーサイドに立ったゲームレビュー雑誌も発達しておらず 基本的にユーザーは玩具店の店頭で ゲームソフトのパッケージから 中身の質を推察するしかなかった こうして ユーザーは 買って自宅のに挿し込むまで 本当に面白いかどうか判らない ような状況にまでなり ユーザーの購買意欲減退を招いた この一方で ゲームを製造 販売していた弱小の製作会社が勃興と衰退を繰り返し その激しい新陳代謝の中で 開発企業の倒産 在庫の捨て値処分 市場にそれらが流れて ゲームソフト定価ラインを崩壊させる といった現象を多発させる事となった つまり 倒産流れのソフトが安価に販売されている隣にあって 新作ソフトの販売価格はいかにも高価に映り ユーザーの買い控えを招いたのである それに加えて アタリ社が発売したビッグタイトルにも大きな失敗作があった たとえばアーケードの大人気タイトル パックマン の移植版は良い出来ではなく 映画 を題材としたゲームは非常に評判が悪かった 年に発売されたこれらのビッグタイトルはそれなりの売り上げがあったものの 極端な生産過剰であったため アタリ社にとって大きな損失になっただけでなく ユーザーの信用を失う結果にもなった 生産過剰の背景には 年月当時 売上の増大に生産が追いつかないことを問題視していたアタリが 各販売代理店に対し翌年分の一括発注を求めたことがある 代理店は在庫切れを避けるために大量の水増し発注を行い アタリはそれを鵜呑みにして需要予測を誤ったまま生産を行った そしていざ年になると発注の多くがキャンセルされてしまい 大量の売れ残りを抱える羽目になったのである なお 後にアタリショック最大の戦犯にしてクソゲーの象徴ともされることになる は アタリショック後の年月に台のトラックに満載されてニューメキシコ州アラモゴルド市の砂漠に埋められた ビデオゲームの墓場 と当時ニューヨーク タイムズで報道されている この ビデオゲームの墓場 はアタリショックとクソゲーの象徴として半ば都市伝説化して後世に語られていたが 年月に当該の地域で 発掘調査 が行われ 実際に が発掘されたことにより実在したことが確認された 詳細については当該項目の記載を参照 に限って言うと 発売から年目に入ったは既に旧世代機になりつつあるとともに 北米で普及しきっており ハード的にはこれ以上シェアを伸ばすのは難しかった 既に市場は飽和しており 北米市場の限られたパイを各ハードで奪い合う状態となっていた これらのホームコンピュータは よりも多くのメモリを搭載し グラフィックやサウンド機能でもを凌駕していたため より高度なゲームが実現できた 加えて ワープロや会計処理といった ゲーム以外の用途にも使用可能であった また これらのパソコンの多くは カートリッジによるソフトウェア流通を広く用いていたものの フロッピーディスクやカセットテープのゲームも流通され これらのゲームはカートリッジのゲームに比べてずっと容易にコピーできた ホームコンピュータを販売した各社の中でも コモドール社はゲームユーザーを狙ったマーケッティング戦略を採り 広告において コモドールの購入の際に 他のホームコンピュータやゲーム機の下取りを行なうことや 大学進学を目指す子供はゲーム機よりホームコンピュータを購入すべき と謳った アタリ社やマテル社の調査では この広告戦略により 両社の家庭用ゲーム機のイメージや販売に大きなダメージがあったことが確認されている 下取り戦略は年になってからである点には注意 また コモドール社は 他のホームコンピュータ メーカーとは異なり ホームコンピュータを ディスカウント ストアやデパート 玩具店など 家庭用ゲーム機と同様の流通ルートで販売した モステクノロジー社という半導体企業を傘下に収め を始めとする同社製半導体を数多くコモドール社製ホームコンピュータに採用するという垂直統合戦略により 大胆な低価格化が実現できていた こうして迎えた年のクリスマス商戦では かつてないほどの莫大な数のゲーム ゲーム機が販売されることとなり 流通 販売側も強気な在庫確保に奔走した 業界では年度のゲーム業界の市場規模は億ドルに達するとの市場予測で 極めて楽観的であった しかし現実は前述のような状態で 北米ゲーム市場を握っていたアタリは自社の極めて楽観的な業績予測を満たせる見込みが月の時点でなくなったため 月日 アタリは年度の第半期の業績予測を下方修正 これは投資家に衝撃を与え 当時のアタリ社の親会社であるワーナー コミュニケーションズまで巻き込み 月日から翌月日にかけて 株価の大幅下落を誘発している マテル コレコなどの競合他社 コモドールなどのホビーパソコンメーカー 小売りのトイザらスなどの関連銘柄も煽りを食って軒並み株価を下げた 一方 供給過剰の状態であった小売店では 店頭に並べられなくなったゲームを販売元に返品しようとしたが 経営の苦しい販売元にはその対価として小売店に返金するキャッシュがなかった 年のクリスマス商戦が終わった直後に 後に スペランカー を制作するティム マーティンが在籍した 社や クエーカーオーツ傘下として低品質ソフトウェアを乱発した 社を含む 複数の中小メーカーが倒産 この年のクリスマスがアタリショックの発端とされている ただし年度の市場規模は億ドルを超えるなど市場は依然大きく この時点ではまだ市場崩壊と言える状態ではなかった ともあれ年が明けた年には 全米の小売店の多くは不良在庫のゲームソフトを大量に抱えていた 倒産した弱小メーカーのソフトはメーカーに返品することができなかったため 小売店は在庫処分価格でこれらのソフトを販売した 在庫処分ではない正規のソフトの価格もそれにつられて下げざるを得なくなり アタリも値下げに追随 業界は値下げラッシュに入った それまで大体ドル 約千円 だったソフトの販売価格は一気にドル 約 円 にまで下がり ドル 約円 で販売されるゲームすら登場した 販売価格が下がったうえにゲームの売り上げが一気に落ち 各ゲームメーカーの経営は一気に悪化したが 特にアタリを直撃した アタリの経営は年の第四半期には極端に悪化していた 赤字の止まらないアタリのコンシューマ部門は年に分割 売却された 買収したのはアタリを崩壊させた一因であるコモドールの創業者 ジャック トラミエルである さらに 影響はアタリ社以外のゲーム関連企業にも広く及び アタリ社のゲーム機に競合するゲーム機を製造していたマグナボックス社及びコレコ社は 本業がゲームではないこともあり 市場崩壊に巻き込まれるのを恐れてゲーム事業から撤退した また 大手ゲームソフトメーカーである社は 新規株式公開を断念せざるを得ず この何年か後には倒産に追い込まれた 最大手のゲームソフトメーカーであったアクティビジョン社は パソコンゲーム市場での成功などにより生き残ることに成功したものの に参入していたほとんどの中小ゲームソフトメーカーは倒産してしまった ゲーム機の時代は終わった と考えた北米の小売業者も ゲーム機の取り扱いをやめてしまった そしてこの後 後述のアメリカ版ファミリーコンピュータ が発売されるまで アメリカの家庭用ゲーム機市場は最悪の氷河期を迎える 一方 アタリショックによって倒産したゲームメーカーの開発者がホビーパソコン用ゲーム市場に参入 北米でがブームとなる年ごろまで北米ホビーパソコン用ゲーム市場は隆盛を迎える事となった マテルやコレコのゲーム機にはサードパーティを防止するプロテクトが施してあった一方で アタリはプロテクトが施されておらず ハードメーカーの許認可を得なくてもサードパーティが合法的に低品質ゲームソフトをリリース出来たり また違法な海賊版が野放しになったことは業界の教訓となった アタリでは 低品質ではあっても一応は合法的な クソゲー の他にも 例えば カスターズ リベンジ エロゲー などといった違法なゲームが販売され 全米でニュースとなったためにアタリにまで大量の苦情が来て これもの評判を落とした一因となった アタリショックの再来を防ぐため ではハードウェアプロテクトが厳しくなり カートリッジにロックアウトチップが搭載されるようになった アタリショック以前に発売された日本のファミコンには搭載されていなかったため 日本では ダビング機 現代でいうマジコン などと呼ばれる違法な機器が出回り 違法なエロゲーも出た また 品質的にも厳しく管理されており ではサードパーティ製ソフトに対して任天堂社内で ロットチェック と呼ばれる工程が行われ 任天堂の制作ガイドラインに適合しないソフトウェアの販売はできなくなっている のゲームのパッケージには 正規版であることと 高品質であることを証明する と書かれたシールが貼られている 高品質なゲームを保証するためにサードパーティが年間にリリースできるソフトの数を制限する のシステムは それでもクソゲーがリリースされたり ダミー会社を作って作品をリリースする会社が現れるなどの回避例が一部にあったものの 有名な例では 原作者が クソ と言い切った版 メタルギア と これをリリースしたコナミのダミー会社 ウルトラゲームズ 結果としてはでは低品質ソフトウェアによる市場崩壊は起こらなかった 一方 海賊版ゲームソフトは 年代後半から年代にかけて東南アジアや南米で大きな問題となったが 日本やアメリカでは年代には著作権法が整備されていたこともあり プロテクトチップが搭載されていない日本版ファミコンや北米版アタリでも懸念されたほどの被害はなく 違法なエロゲーもすぐに販売が禁止されている ここまでが 今日言われている アタリショック の概要である この名称は ニクソン ショック をもじったものである ただし アタリショックの評価については 神話 が含まれていることを ファミコンの設計者である上村雅之が指摘している ファミコン において低品質ゲームソフトの氾濫 アタリショックの再来を防ぐためとの名目で任天堂の取った強権的なサードパーティ管理方式は 成功したと考えられ や など その後に任天堂が発売した全てのゲーム機でおおむね踏襲されている しかし エレクトロニック アーツやテンゲンといった大手サードパーティとの確執を生み 特にテンゲンとは親会社のアタリをも巻き込んで裁判沙汰となった 年にはこれらのメーカーの支持を受けたセガ メガドライブがやに代わって北米市場シェアを握る結果となった その後もソニー プレイステーションなどが北米市場を握ったため 任天堂のゲーム機が再び北米市場でトップシェアを得るのは年のを待たねばならない アタリはゲーム機市場でのような人気を得られないまま アタリ ジャガーを最後に年にゲーム機市場から撤退した の成功以降 北米のゲーム市場は長らく日本製ゲーム機が席巻し 北米のゲーム機市場で人気を得る北米発のゲーム機は年のを待たねばならない 欧州へのアタリショックの影響はほとんどなかった 市場の崩壊によって一時的に北米ゲーム市場の覇者となったアタリやコモドールのホビーパソコンは 北米ではが普及する年代後半から年にかけて急激に人気を減らしていったが 一方で北米ゲーム市場での成功を足掛かりに欧州で人気を博し 欧州で ゲームパソコン として年代中頃まで生きながらえることが出来たのが ある意味で間接的な影響である 日本へのアタリショックの影響もほとんどなかった 当時の日本ははおろかゲーム機自体が一般に広くは普及していなかった アタリショック後に北米でホビーパソコンのブームが起こった結果 その層の厚さからを筆頭とする日本のパソコンメーカーによる北米ホビーパソコン市場への進出が阻まれたのがある意味で間接的な影響である 北米でアタリショックが起こっていた年には ちょうど日本では家庭用ゲーム機の発売ブームとなり 各社から多数の家庭用ゲーム機が発売されている 最終的にファミコンが人気を独占するが この時点ではスーパーカセットビジョンやセガ なども日本でそこそこ売れていた 北米では年から年にかけて家庭用ゲーム市場が急激に縮小しているが 日本では年にファミコンでキラーソフトとなる スーパーマリオブラザーズ が発売され 逆に家庭用ゲーム市場が爆発的に拡大している しかし当時の任天堂内部ではアタリショックの再来を非常に恐れていたことを当時の任天堂経理部長の今西紘史が証言しており 年には確立されるファミコンの厳しいライセンス制度の背景となっている 北米ではアタリ以外の各社が既にゲーム機から撤退した年から年にかけて 逆に任天堂とセガは北米に進出し 中でも任天堂がアタリショック後の北米家庭用ゲーム機市場をほぼ独占した アタリショックを経験しなかった日本では欧米ほどホビーパソコンは普及しなかったが パソコン用ゲーム市場ではロールプレイングゲーム シミュレーションゲーム テキストアドベンチャーゲームのジャンルを中心に多数の作品が生まれ それらのソフトがゲーム機に移植されることでゲーム機用ソフトの多様性が高まり ゲーム機の価値が一層増すことになった それ以外の地域への影響もほとんどなかった アタリショック後 年には北米の家庭用ゲーム機市場が底を打ち 年よりの普及が始まるが 一方年には の廉価版 通称 が発売され アジアや南米では逆にこの頃より の普及期に入る 日本では アタリショック と呼ばれ この呼び名から の失敗によるアタリ社の没落と それに巻き込まれた多数ののサードパーティの没落 倒産 という印象が強いが アメリカ国内での同現象は 実質的に の市場に関係していたメーカー以外にも 競合ゲーム機メーカー またゲーム機と事実上競合するホビーパソコンのメーカー ホビーパソコン用ゲームソフトメーカー あるいは の後釜に収まった任天堂やセガと言った日本のゲーム機メーカー それと同時に北米に進出してきた日本のゲームソフトメーカー などにも複雑に関連してくるため ゲーム業界全体の総合的な現象として扱われている 上記のように アタリショックの実態は複雑であり クソゲーによってアタリの市場が崩壊した あるいは アタリの株価が暴落して会社が分割 売却された などと端的に語ることはできない また 細部に関しても研究者によって複数の説がある また それとは別に 電子立国日本の自叙伝 で 年に家庭用ゲーム市場が突然崩壊した と語られたように 無知や 研究が進んでいなかった時代であるなどの理由で 誤解による不正確な分析もある まず といわれる現象自体が存在しないという指摘がある 実際 の販売台数を見ると 年から万台 年 万台 年 万台 年 万台 年 万台 年 万台 年 年以降は減少 このように 年 年の年間が非常に売れており 年の年末に突然売れなくなったわけではない さらに の生産が終了したのは年であり すなわち年までは売れ続けていた よって 年末での市場が崩壊したという事実はない は発売から年目となる年以降も売れ続け 年に会社が崩壊 分割 売却されてもは売れ続け 年には市場規模が全盛期の になりながらもまだ売れ続け 発売から年目となる年には次世代機 が発売されるもは廉価版を発売してまだ売れ続け 年には市場の割以上をに奪われながらも売れ続け 北米では発売から年目となる年まで売れ続けた 公式には発売から年目となる年月日をもって販売終了としている 加えて言うと アタリの市場崩壊に巻き込まれるのを恐れてマテルからの販売が終了した競合機のインテレビジョンすら 別会社の に切り離されて販売が継続され 数字は少ないながらも年まで売れ続けている 総販売台数は約万台 もちろん新作ソフトも制作され 売れている がブームとなった年 年の時点ではまだ家庭用ゲーム市場と呼ばれるほどしっかりとした市場はなく ゲームもまだ玩具市場のいち商品に過ぎないと見なされており そのため 玩具産業の中で一時的なブームとしてアタリなどのゲーム機が売れたに過ぎないとも北米の玩具業界では思われていた ホームコンピュータがブームとなった年 年頃には やはり玩具であるゲーム機など本格的なホームコンピュータへと続く商品に過ぎなかった と玩具業界では思われており マテルやコレコなど ゲーム機部門を打ち切ってホビーパソコン部門に重点を置いたメーカーも多い 玩具メーカーにおいては 当時は単に 玩具としての家庭用ゲーム機のブームが終了した との認識で 家庭用ゲーム機の市場が崩壊した との認識はなかった すなわち 市場崩壊 との認識がゲーム業界全体でなされるのは アタリ コープとニンテンドー オブ アメリカ とが の独占禁止法違反をめぐって年より年にかけて争った裁判 の過程において のハワード リンカーンが提示した資料に基づいてのことである それまで業界においては 市場崩壊 と言う認識はなかった ただし 任天堂内部では クソゲーによる の市場崩壊 アタリショック の認識が年の北米展開当時よりあったことを 山内や岩田などの関係者は証言している アタリの親会社であるワーナー コミュニケーションズ社の年の月日から翌月日にかけての株価大暴落にも 子会社のアタリがクソゲーの乱発で市場の信用を無くした 以外にも様な要因が関係している アタリショックはアメリカの経済学上で重要な事件として捉えられている という話がしばしば上がるが アタリショックを単体の事件として経済学上で捉えているということは見られない 年代以降で 家庭用ゲーム市場の消費の一例として取り上げられることはあるが そこでもゲームの質が下がったので崩壊したというような指摘はない ただし 粗悪品の乱造販売が行なわれていた事は確かであり 結果としてユーザーの不信感を招いていた事がアタリショックに繋がった事は確かである ただしここで注意すべきは アタリ社自身の失敗だったのか 楽観的に旧式なハードウェアを供給し続けるよう指示していたワーナー コミュニケーションズ側の経営戦略的な失敗だったのかという点である この辺りに関する評価は資料によりまちまちである ただ アタリショックの直接の原因は先に述べたソフトウェア側の質の低下が要因にあり ハードウェアには直接起因していない 更に注意すべきは ワーナー コミュニケーションズは音楽映像の経営戦略において 流通を握る者が成功するという基本方針があったが アタリについてはハンドリング出来ないのが常態化していた点にある これは当時のゲーム市場の全米の販売チャンネルが特約代理店に握られていたこともある ワーナーがタイムと統合され世界最大のメディア帝国が誕生した際 シナジー効果として流通機構の発展を目的としたのと無関係ではない ワーナーの苦境は会長だったスティーブ ロスにとを手放させたが を手に入れたケーブル ネットワークが巨大メディア帝国 バイアコムの発展に繋がったのは神話となった ユニックス は コンピュータ用のマルチタスク マルチユーザーのオペレーティングシステムの一種である 公式な商標は だが 商標以外の意味として またはスモールキャピタルを使用して などとも書かれる は年 のベル研究所にて ケン トンプソン デニス リッチーらが開発を開始した 現代的なの始祖であり あらゆる後発がで発明 実証された設計を参考にしている 開発開始から半世紀以上に渡る技術の進歩やプロジェクトの変遷により オリジナルののソースコードは既に使われなくなったが 現在でも派生の開発は続けられており 特にシステムのバックエンドで動くスーパーコンピュータやサーバ向けの市場では圧倒的な存在感を示している 当初はアセンブリ言語のみで開発されたが 年にほぼ全体を言語で書き直した このため は歴史上 初めて高水準言語で書かれたであると言われることがある 現在では多く使われているとしては などがある いずれも商用 また認証を受けていない系としては 派生に他 や の派生 など がある オペレーティングシステムは サーバやワークステーションだけでなく 携帯機器でも広く使われている また環境とクライアントサーバモデルは 個のコンピュータによるコンピュータ処理を コンピュータネットワークで連係されたコンピュータ処理に変革し インターネット構築の重要な要素ともなった もともとはベル研究所内部の開発プロジェクトであった 年のに関するシンポジウム以降 このはベル研究所外部にも知られるようになる 特に年代には 教育機関等でが広がり ユーザーが自前のツールをその上で作り それを同僚などと共有する形が定着した は当初は のようなマルチタスクではなく 一度に一つのプログラムしか動かせないシングルタスクであった 当初はパイプの概念もなかった その後の発展の中で 徐に パイプ マルチタスク などが実装されていった また は当初は移植性は低かったが 徐に特定のプラットフォームへの依存性を減少させ 年には 以外のプラットフォームで動作するようになった その後移植が徐に進み が動作するプラットフォームが増えていった で用いられていたコンピュータである は約のメモリを有していたが 最初にが動作したコンピュータである は約のメモリしか有していなかった このため の実装にあたっては メモリ上に載せられる機能は制限され 当初で予定されていた多くの機能を諦めざるをえなかった また メモリ上でのカーネルが占める領域を除くと 各種のユーティリティやアプリケーションが使えるメモリは数しか残っていなかった このため 高機能でサイズの大きいアプリケーションを動かすことは不可能であり 単機能で小さいアプリケーションを作成し それらを順につないでいく方法をとらざるをえなかった このような 簡単なプログラムをコマンドラインインタプリタのパイプ等を使ってつないでいくという方法は 単一の多機能プログラムで同等機能を実装するのとは逆の発想である これらのコンセプトは哲学という言葉で表現されることがある しかしながら の開発者であるトンプソンやリッチーは の開発にあたって何らかの 哲学 や 開発理念 があったとは語っていない むしろ 理念が先にあったのではなく メモリ制約等の現実的問題があり それに適合するために そのような方法にならざるをえなかったという側面が強い また 商用の中には 単一で多機能なアプリケーションも見られ 哲学が一貫してに関するすべての関係者で共有 実現されていたわけでもない その後 メモリの低価格化 大容量化によって は多くの機能を実現することが可能となった 今日のは移植性 マルチタスク タイムシェアリング方式によるマルチユーザなどを重視して設計されている では オペレーティングシステム は主となる制御プログラムであるカーネルと 多数のユーティリティより構成される カーネルは プログラムの開始や停止 ファイルシステムの取り扱い 他の多くのプログラムが共用する共通的な 低レベル のタスク そして重要なスケジューリングなどのサービスを提供する これらのアクセスを調停するために カーネルはシステムへの特権を持ち システムは ユーザー領域 と カーネル領域 に分けられる カーネルの肥大化の潮流を逆転させ より少ないユーティリティで最大のタスクを実行できるシステムに戻る目的で マイクロカーネルのコンセプトが登場した またコンピュータがつのハードディスクと入出力用の端末から構成されていた時代には のファイルモデル ストリーミングデータ は最適な入出力として働いた しかし現代のシステムではネットワークや新しい装置が求められ グラフィカルユーザインタフェースが開発され ファイルモデルはマウスなどが発生させる非同期イベントの取り扱いのタスクには不適当と判明し 年代には非同期入出力やのメカニズムに加えて ソケット 共有メモリ メッセージキュー セマフォなどが追加された また通信プロトコルなどの機能はカーネルの外に移動した は現在では サーバーやパーソナルコンピュータの一部に加え 携帯電話などの組み込みシステムから メインフレームやスーパーコンピュータなどの一部にも使われている の歴史は 年代中ごろに マサチューセッツ工科大学 ベル研究所 がのメインフレームコンピュータ 用にと呼ばれるタイムシェアリングオペレーティングシステムを共同開発していたことにさかのぼる は多くの革新的技術を導入したが 同時に 多くの問題を抱えてもいた の目指すものに賛同しても 巨大で複雑なものになっていくことに嫌気がさしたベル研究所は プロジェクトから徐に距離をおくようになった 最後までに関与して いたケン トンプソン等はファイルシステムを担当していたが 設計が行われただけで実装されていない段階であった トンプソン等は 実際にファイルシステムを実装してみたいと考えた この作業は 当時ベル研究所内に使われない状態でおいてあった を借りて行われた ファイルシステムが完成すると それを活用するためのユーティリティを作成していった こうして おおむねの機能を有するものができあがった この時点では の開発はベル研究所に認知されたものではなく 彼らの私的な活動であった 研究所からの資金提供はなく には名前も付けられていなかった できあがったは のようなマルチタスクではなく 後の のような 一度に一つのプログラムしか動かせないシングルタスクのであった この特徴から 新しいは ブライアン カーニハンによって の 多数の を 単一の に変えてと名付けられた 後につづりがと変更された このつづりの変更の経緯について カーニハンは 思い出せない と言っているが 当時の開発グループ内では比較的年長者であったピーター ノイマンは 法務上の理由であろう と語っている は古いマシンであり問題が多かった このため 開発グループでは 当時の最新機種であった を購入し その上でが動作するようになった バージョンまでのはアセンブリ言語で開発された 年に公開されたバージョンにおいて は言語で書き直された この時点でのは に依存したコードが多く含まれており 移植性は低かった が 以外のコンピュータに移植されるまでには年間を要し ベル研究所ではその後もの改良が続けられ パイプやマルチタスクなどの機能が追加されていった これらの ベル研究所で開発された初期のは 現在では と呼ばれている 今日 はサーバー ワークステーション モバイル機器などで広く使われている 系オペレーティングシステム 特に におけるディレクトリ構成の標準としては がある システムは複数のコンポーネントから成っている カーネルに加えて 開発環境 ライブラリ群 文書 ソースコードなどが含まれる は自己完結的ソフトウェアシステムだった そのため重要な学習ツールとして頭角を現し 幅広い影響を及ぼすことになった 各種コンポーネントを含めても初期のシステムは大きくはなかった の場合 全バイナリと全ソースにマニュアルなどの文書を含めても以下であり トラックの磁気テープ一本で事足りた 文書を印刷したものも巻にまとまっていた コンポーネントの名前やファイルシステム上の位置は歴史と共に変化している それでもの実装は多くの場合初期の正規な構造と見なされている システムは他のオペレーティングシステムに大きな影響を及ぼした 成功の要因は以下の通りである 初期の実装では必須とされていたアセンブリ言語ではなく高水準言語で書かれている 先例として や バロース があるが このアイデアを一般化したのはである 当時の他のに比べて大幅に単純化したファイルモデルを採用しており あらゆるファイルを単純なバイト列として扱っている ファイルシステムの階層にサービスやデバイス プリンター 端末 ディスクドライブなど が含まれており 一様なインタフェースを提供しているが 単純なバイトストリームモデルに適さないハードウェア機能にアクセスする場合は とモードフラグなどの追加機構を必要とすることがある なお ではこのモデルをさらに推し進め 追加機構を不要にしている はまた で導入された階層型ファイルシステムを一般化させた 当時の主要なでもストレージを複数のディレクトリやセクションに分割していたが その階層レベルは固定で レベルということが多かった いくつかの主要もにならってサブディレクトリを再帰的に追加する機能を備えるようになった の は 型階層を採用し それがのディレクトリに進化した ではボリューム単位であってディレクトリ階層がなかったが 以降でサブディレクトリが利用可能となった のにおける 型階層や のや のライブラリシステムもある それらシステムがまとめられ より広範囲なのファイルシステム仕様となった はまた コマンドラインインタプリタを通常のユーザーレベルのプログラムとし追加コマンドを個別のプログラムで提供したが がその方式を一般化させた シェルはコマンドの対話的使用にもスクリプト言語としても使える シェルスクリプト ののようなジョブ制御専用言語は存在しない シェルもコマンド群もそれぞれ独立したプログラムなので ユーザーはシェルを選べるし 自分で書くこともできる 新たなコマンドを追加してもシェルを修正する必要はない また の独創的なコマンドライン構文により パイプでコマンド同士を連結して使用することが可能となった 後のコマンドラインインタプリタの多くはシェルに触発されている の根本的な単純化想定は ほぼあらゆるファイルフォーマットに改行コードで分割されたテキストを採用した点である 初期のにはバイナリエディタはなく システムの設定は全てシェルスクリプトというテキストファイルで行われていた 入出力もバイト単位が基本であり とは異なる ほとんどあらゆるものをテキストで表したことでパイプの有効性が高まり 単純で汎用的なツール群を開発するだけで それらを連結して複雑な処理が可能となった テキストとバイトに集中したことで 他のシステムよりもスケーラビリティと移植性が遥かに向上した その後 テキストに基づくインタフェースは様に応用可能と判明し 印刷言語 や やインターネット プロトコル スイート上のアプリケーション層のプロトコル など に採用されている は正規表現を一般化させるのにも一役買っており 今では様な場面で正規表現が見られる 言語は以上に広がり 今ではシステムプログラミングやアプリケーションプログラミングで広く使われている 初期の開発者らは モジュール性と再利用性の概念をソフトウェア工学に導入する重要な役目を果たし ソフトウェアツール という考え方を生み出すことになった は比較的安価なコンピュータに プロトコルをもたらし それがインターネットの爆発的な広がりに貢献するとともに 他のプラットフォームへの 実装の手本となった これによりネットワークの実装における多数のセキュリティホールが明らかとなった 当初からがオンライン文書を揃え ソースコードへのアクセスを可能にしていたことは プログラマの期待を高めることにつながり 年のフリーソフトウェア運動立ち上げに貢献した の主要な開発者ら および上で開発されたプログラム群 は ソフトウェア開発の文化的規範を徐に確立していき その規範群がのテクノロジー自体と同じくらい重要で有力なものとなっていった それを哲学と呼ぶ が商用の 閉じた となっていく中で 現在につながるフリーソフトウェア オープンソースのムーブメントが勃興し 同様の操作性と機能を提供するフリーなが生み出された 多くの系がオープンソースで開発されているが 以下に挙げるは ライセンスなどの問題からとは公称しない なおという名称は本来カーネルのみの名称にすぎず として完成させるための他のシステムの多くはプロジェクトの産物である そのため側ではとしての名称は とすべきだと主張しており この名称を採用した最も有名かつ完全にフリーなディストリビューションのひとつとして およびそこから派生した などがある ただし そのようなディストリビューションの多くは の唱えるフリーソフトウェアの精神と相容れない仕様を含むものが多いため からは 不自由 なディストリビューションと見なされている カーネルを利用した派生に他がある との和解以降これら系はライセンス問題を排除した をベースに移行し いずれもフリーなとなっている オープンソース系をベースとした商用としてはアップルの が知られており 中核部分を としてソース公開している では システム時刻の値を年月日の午前時分秒からの秒数で表しており これを時間と呼ぶ この値のデータ型は で 歴史的に 符号つき と定義されている ビットのシステムでは 年月日にこの値が個のに個のが続く最大値 となり 秒後には個のと個のが続く値 となる するとシステム時刻は 実装によって 符号ビットを無視するか否かによって 年または年にリセットされる この問題に対処しているバージョンもある 例えば やのビット版では はビットとなっており 自身もビットのアプリケーション群も約億年間正しく動作する ビット版で既存のビットアプリケーションを動作させることもできるが その場合は問題が残ったままである 一部ベンダーは標準の はそのままにして ビットの代替データ型とそれを使用するを別途用意している では 次のメジャーバージョンである でビット版でも をビットに拡張することを決定した 従来のビットの を使用しているアプリケーションは バイナリ互換性レイヤーを作って対応する その中で特に長所とされたのは 以下の点である アメリカなどで 登録商標としてのは が保有している 現在 日本における という商標は複数の区分で登録されており 電子計算機関連においてアメリカン テレフォン アンド テレグラム カムパニーやエックス オープン カンパニー リミテッドの登録もある 日本では 日本マランツ 現在は合併してディーアンドエムホールディングス が 電気機器分野でという名前で先行して商標登録を行なっていたため という商標の権利関係がはっきりしていなかったことがあった このことから 書籍などでの商品名などの登録商標についての断り書き一覧などで オペレーティングシステムは のベル研究所が開発し がライセンスしています 邦訳版での例 などのように書かれたことがあった 現在も日本マランツは音響機器用に を使用している 他の国でも同様に分野を限定して同じ商標を別の意味で登録することができ 本棚 インクペン 瓶詰めの膠 にかわ おむつ ヘアドライヤー 食品コンテナなどで登録された例がある に完全に準拠していると に認められたシステムだけがを名乗ることができる そのため認証を受けていないシステムは 系 と呼ばれる は を特定の実装ではなく のクラスを指すものと定義している すなわち に準拠していると に認められたシステムのみが や といった登録商標を付けることを許されており そのためにベンダーは認証料と毎年のロイヤルティを支払わなければならない 認証を受けたとしては かつての の一部などがある 認証を受けていないシステムを表すため また ジャーゴンファイルの の項目によれば 商標であることを標示するための を避けるために のようにグロブ記法を使って表記されることがある ジャーゴンファイルの記述によれば 法的にはと書いてもを付けることは強制されないのだが この記法は広く使われてしまっている ジャーゴンファイル訳本の ハッカーズ大辞典 初版にある 逆にアスタリスクを使うと権利侵害になるらしい という記述は誤訳なので注意 は商標の普通名称化を防ぐため という語には常に システム などの語をつけて使って欲しいとしている 本来の形は なのだが という形もよく使われている これについてデニス リッチーは の開催した第回シンポジウムにの論文を送る際 と新たな組版システムを開発したばかりでスモールキャピタルを印字できることに興奮して それを使ってしまったため だとしている 当時の多くのは大文字のみで名称を記述するのが一般的だったため 多くの人は習慣的に大文字のみで と記述した や系の複数のブランドを総称するため の複数形が時折使われることがある 最も一般的な複数形は だが をラテン語の名詞の第格変化として扱い複数形を とする例もよく見られる 古英語的に とする例はまれだが ときおり見かける ではないが に相当する環境を提供するソフトウェア クラシック マック オーエス マック オーエス システム は アップルが開発 販売していたオペレーティングシステム 年 と共に登場し グラフィカルユーザインタフェースの普及に大きく貢献した これまで と称されてきたが アップルは までを と総称している 商品化されたやは のコンセプトをベースにしているが メニューバー プルダウンメニュー ドラッグアンドドロップ ドラッグによるウィンドウサイズ変更などの直感的な操作など グラフィカルユーザーインターフェイスの要素の大半はアップルが開発した には起動テスト や基本入出力システム のためにのが搭載されていたが のはとかなり大きく のコアとなるコードを格納していた オリジナルの の大半は 開発初期メンバーの人であるアンディ ハーツフェルドが開発した 天才的なプログラミングのトリックとハッキングにより最適化されたプログラムをアセンブリ言語で記述し 貴重なスペースを節約した 彼は以外にも カーネル 複数のデスクトップアクセサリ も開発した フォルダやアプリケーションのアイコンは 後にマイクロソフトで のアイコンをデザインしたスーザン ケアがデザインした ブルース ホーンとスティーブ キャップスは の他にも たくさんのシステムユーティリティを開発した アップルはこのマシンを積極的に売り込んだ 発売されるとニューズウィーク誌の年月 月号でページ全ての広告スペースを買い切った 洗練されているが高額な前期種のを売り上げですぐに超えた はすぐにを開発した これは用のエミュレーターで として販売されて開発が終了するまでに までのアプリケーションを使用できた のに含まれていた先進的な機能の多くはのが になるまで実現されなかった の初期バージョンは モトローラ系のでのみ動作した はハードウェアを搭載したコンピュータを開発し もに移植された はプロセッサ で動作する最後のバージョンだった ベースのシステムより前は システムのコア部分がマザーボード上の物理に格納されていた 初代に搭載されていたはわずかだけで がこれを使い切ってしまわないようにすることがを実装した元の目的だった またテキストオンリーのコンソールやコマンドラインがなくてもグラフィカルユーザーインターフェイスだけで低レベルな操作ができるように設計されていた ディスクドライブが見つからないなどのエラーが起動時に生じると アイコン ビットマップフォントの チャイム音 ビープ音などでユーザーに通知した 対照的に 機や 機では黒地の等幅フォントでメッセージが表示され 入力としてマウスではなくキーボードが求められた このような優れた機能をハードに近い低レベルのレイヤーから利用するため 初期の はマザーボードに搭載されたに含まれるシステムソフトウェアに依存する形になっており これはまたアップル純正のコンピュータや アップルの著作物であるを用いた正規の互換機のみで が動作することを保障するのにも役立った 複数の互換機メーカーが を実行できる互換機を数年にわたり開発した 年から年にアップルは を モトローラなどの企業へライセンス供与した これらのマシンでは通常はカスタム版の が動作した スティーブ ジョブズが年にアップルへ復帰すると互換ライセンスの提供は終了した 互換機のサポートは で最初に発表され オリジナルの起動アイコンである をもとにした のロゴが初めて使われた からは名称をから に変更した この名称変更はがアップル純正の専用ではないことを示すために実施された が最初に採用した はサブフォルダのないフラットなファイルシステムだった 発売直後の年にはきちんとディレクトリに対応した に置き換えられた 両者には互換性があった 改良版である または が年に発表されて年に提供された などのほとんどのファイルシステムにはフォークがつだけしかない 一方やにはファイルにフォークがつある データフォークには ドキュメントのテキストや画像ファイルのビットマップなど 他のファイルシステムのファイル内容にあたる情報が含まれる リソースフォークには メニュー定義 グラフィック サウンド 他のシステムのファイル形式に組み込まれるコードセグメントなど 構造化されたデータが含まれる 実行可能ファイルは空のデータフォークを持つリソースのみ データファイルはリソースフォークのないデータフォークのみとなる場合がある ワードプロセッサのファイルは データフォークにテキストを リソースフォークにスタイリング情報を含めることができるため スタイリング情報を読めないアプリケーションでもテキストデータを読むことができる 一方でこのようなフォークを使った仕組みは他のとのデータ共有に問題が生じた のファイルを以外のにコピーすると デフォルトではファイルからリソースフォークが失われる 大半のデータファイルは ウィンドウのサイズや位置など欠落しても大きな支障がない情報しかリソースフォークに保存していないが 実行ファイルはリソースフォークが失われると動作しなくなる やなどのエンコード処理により ユーザーは複数のフォークをつのデータにしたり 逆につのデータから複数のフォークに展開して で使えるようにしたりできた 技術の進歩に伴い も様な変化を遂げている その系譜は概ね までと および のつの時期に分かれる アップルは家電製品のようなシンプルなコンピュータを開発することを目指しており とハードを明確に区別していなかった このための初期バージョンには明確な名前がなかった ソフトウェアはユーザーから見て システムファイルと デスクトップの表示も担うファイル管理ツールのファインダーのつで構成されているように見える このつのファイルはシステムフォルダというラベルが付いたディレクトリに入っている このディレクトリにはプリンタドライバなどシステムの操作に必要なリソースファイルが含まれている のバージョンナンバーはこれらつのファイルのバージョンナンバーに基づいている 画面は白黒ベースで基本的にシングルタスクのであり の採用により ハードウェアによるアクセラレーションなしで 環境を実用的な速度で動作させることができた ファイルシステムは 初期では であったが やに搭載された の および よりを採用した 今から見れば非常に貧弱な機能しか持たないが それでも驚くべきことに初代 の はわずかにおさめられ のメインメモリ上ですべての機能が動作した もっともでは実用上厳しいほどメモリが不足していたため すぐに モデルへのアップデートが行われた 当時の限られたハードウェア上で動作させるため性能的には多くの制約があり メモリを節約するために完全なシングルタスクを前提として設計された は後の の発展の足枷となることになる これらのバージョンではデスクアクセサリーを除き度につのアプリケーションしか実行できない やなどの特別なアプリケーションシェルを使えば複数のアプリを走らせることが可能だった 見た目が進化している場合はのバージョンナンバーも変更されており などのメジャーバージョンアップ時に大きな差がみられた アップルは年代後半になってこれらの古いリリースにバージョンナンバーを遡及して割り当てた の最も大きな変更点は複数のプログラムを同時に実行できる機能拡張のを搭載したことだった はノンプリエンプティブな設計だった この設計ではフォアグラウンドアプリケーションが制御を返した時だけバックグラウンドアプリケーションが動作できた アプリケーションはイベントを処理するためにの関数を呼び出しており の関数が勝手に制御を返すようにすることで 既存のアプリケーションの大半は修正せずとも自動的にバックグラウンドのアプリケーションと時間を共有できた を使用しない選択も可能だった この場合は複数のアプリケーションを同時に実行できなかった 年に誌が実施したテストでは とでつのマルチタスク処理をテストし を高く評価したが 一方で 上のを使わないシングルタスク構成と比べてファイルの転送や印刷の速度が半分になったことを指摘した 商品パッケージ名称の のバージョン表記と ファイルのバージョンが 日本語版は漢字 のバージョンも 同一になった までと同じく 画面は白黒ベースで基本的にシングルタスクのだが が用意され 疑似マルチタスク環境が利用できるようになる ビットの登場により ビットフルカラーが扱えるようになる が採用され の登場によりマルチメディアデータを扱う環境が整う ちなみに というバージョンはない これは において と自体のメジャーバージョンを統一するという方針によるものであった 年にはシステムクロックの表示がリセットされてしまう コードネーム システム全般が大幅に改良 強化され は本格的なマルチメディア時代に踏み出した システムが ビットクリーンになった 機能拡張 ファイル等にはビットアドレッシングが残ったものもあった ビットやの疑似マルチタスク機能がシステムに全面統合され も標準で付属するようになった 画面のデザインがカラー化され ラベル機能など色を生かしたインタフェースが搭載された 仮想メモリの搭載により最大 のメモリ空間にアクセスできるようになり 巨大な画像データや動画ファイルを扱う条件が整う の採用によりアプリケーション間通信の機構が整備され による自動操作を実現した ファイル共有やドラッグ アンド ドロップの標準化も行われ その後の の原型となったバージョンである への橋渡しの役割を担ったバージョンであり アプリケーションパッケージや など との互換性を意識した機能が盛り込まれた 最後のバージョンとなった は 直系の到達点として高い完成度を持っている なお は までアップデートできる 年月現在 日本語版の へのアップデータは入手可能だが それ以外はダウンロードページへのリンクが正常に機能しなくなっていて入手不可能になっている 当初は 年から年までは は アップルの年月時点の用であり 年に の後継として登場した のバージョンとして宣伝されていたが とは全く別のである の設計を引き継いだ後継は であり そのさらなる後継は存在しない と異なりベースので アップルが社を買収してスティーブ ジョブズがアップルのに復帰した際に 年代後半から年までに開発されたがを経てからになった はのコードやカーネルも利用しており そのコア部分はのオープンソースプロジェクトであるのがベースになっている 最初はサーバ用の として年にリリースされた このバージョンから初めてユーザーインターフェイスが採用された一方で のプラチナスタイルも残されており 部分的にはの名残もあった デスクトップ版の が続けて年月日にリリースされ ユーザーインターフェイスがサポートされた これ以来複数のバージョンがリリースされている は年に に 年にに改名された 従来のユーザーの多くが へアップグレードしたが ユーザーフレンドリーではない部分がある 旧 の機能が完全に再現されていない 同じハード 特に旧機種 で遅い 旧との互換性が不完全など 最初の数年は批判に晒された 旧 用のドライバ プリンタ スキャナ タブレットなど は と互換性がなく で古い用のプログラムを動かすための がきちんとサポートされず 年以前のマシンをサポートしておらず ユーザーの一部は がリリースされた後も数年間にわたり を使い続けた スティーブ ジョブズは年ので の葬式を開催して へのアップグレードを人に促した の版は旧のアプリを動かす互換レイヤーである を までサポートしていた 元はブルーボックスのコードネームで開発され のアプリケーションとして動作し のバージョン 以降の実行環境をほぼ再現していた の に移植されていないアプリケーションを で実行できた ほぼシームレスに動作したが アプリケーションは の見た目のままで のな外観にはならなかった を搭載したベースのは当初 に加えて を同梱した 以降からは旧がプリインストールされなくなり 旧を使いたいユーザーは を別途手動でインストールする必要があった 用に書かれたアプリケーションで行儀のよいものは新でもほぼ動作し ハードウェアに依存した処理がなく 全てを通してハードを操作するソフトウェアだけが互換性を保証された はで動作しないため ベースのでは環境を使用できない グヌー とはオペレーティングシステム であり かつコンピュータソフトウェアの広範囲に渡るコレクションである は完全にフリーソフトウェアから構成されている は はではない の再帰的頭字語である この名称が選ばれたのは は系の設計ではあるがとは違いフリーソフトウェアでありに由来するソースコードを全く使っていないことを示すためである の正式な発音は グヌー である 一般的な英語では は ヌー と発音し ウシカモシカまたはヌーと呼ばれる動物をさす言葉である プロジェクトは自らの名称の呼び方について と要請している プロジェクトには 元フリーソフトウェア財団が焦点を当てていたオペレーティングシステムのカーネルである が含まれている しかしながら 以外のカーネルもソフトウェアと共に利用できる そのようなカーネルとして最も有名なものはカーネルである のカーネルにカーネルを用いるのが一般的な理由は のカーネルがの中で最も成熟していない部分のためである ソフトウェアとカーネルを組み合わせたものが一般的に知られるである あまり一般的ではないが と呼ばれることがある この呼称については 名称論争を参照すること には人間が容易にコンピュータにインストールして利用可能な完全なオペレーティングシステムとするためのコンポーネントである 完全な機能を持ったカーネルが未だに欠けたままである 実際には 使用可能なベースオペレーティングシステムのほとんどがディストリビューションである ディストリビューションにはカーネル コンポーネント およびプロジェクト以外のフリーソフトウェアプロジェクトによるソフトウェアが多く含まれている プロジェクトの創設者であるリチャード ストールマンは を 社会的目的のための技術的手段 として考えている オペレーティングシステムの開発はマサチューセッツ工科大学 人工知能研究所でリチャード ストールマンによりプロジェクトとして開始され 年月日に および というニュースグループで彼が公式に発表した ソフトウェア開発が始まったのは年月日であり この日はそれまでストールマンが勤務していた人工知能研究所が の所有権を主張することやフリーソフトウェアとしての配布へ干渉することを阻止するために彼が同研究所を辞めた日でもある ストールマンが選んだという名称には様な言葉遊びが含まれており その中にはという歌も含まれている の目標は 完全にフリーソフトウェアで構成されるオペレーティングシステムを実現することであった ストールマンは年代や年代のコンピュータユーザーのように ユーザーを自由にしたいと考えていた その自由とは 使っているソフトウェアのソースコードを使って研究できる自由であり ソフトウェアを他の人と共有できる自由であり ソフトウェアを修正できる自由であり 修正版を配布できる自由である この哲学は後に宣言として年月に公表された 宣言の中でストールマンは 基本的カーネルは存在するが をエミュレートするにはより多くの機能が必要だ としている ここでストールマンが想定したカーネルは マサチューセッツ工科大学が開発した型カーネルである これは作者がフリーソフトウェアとして配布しており と互換性があった そして年月 開発者らはこのカーネルに修正を加える作業を開始しようとした しかし 開発者らはこれが出発点としてはふさわしくないと判断した 何故ならは 不明確で高価なマシン でしか動作せず 使用するにはまず他のアーキテクチャへの移植が必須だったからである ストールマンは に関わっていた は コンピュータアーキテクチャ用にアセンブリ言語で書かれた初期のオペレーティングシステムだが 自体が開発 製造されなくなったために消えていった このためストールマンは移植性のあるソフトウェアが必要だと考えていた そのため の開発にはシステムプログラミング言語としてとを使用し さらにを互換にする決定がなされた 当時は既にプロプライエタリなオペレーティングシステムとして広く使われていた の設計はモジュール性が高く 部分ごとに再実装することが可能だった に必要なソフトウェアの大部分は一から書かれたが 組版システムや さらにマイクロカーネルといった共有可能なサードパーティーフリーソフトウェアコンポーネントは既存のものを流用した なおは の公式カーネルである の コアの基礎を形成している 前述したサードパーティーコンポーネントを除くのコードの大部分はボランティアが書いたものであり 具体的には個人が余暇時間内や会社の業務内で書いた部分 および教育機関や非営利団体が書いた部分で構成されている 年月 ストールマンはフリーソフトウェア財団 を創設した 年代後半から年代にはがソフトウェア開発者を雇い で必要となるソフトウェア作成を行わせた プロジェクトの初期の計画では のカーネルを採用することになっていた しかし バークレーのプログラマの協力が得られなかったため ストールマンは年にカーネギーメロン大学が開発したカーネルを採用することにした ただし には由来のコードが使われていたため それを取り除いてフリーソフトウェアとして使えるようになったのは年である のアーキテクトだった は後に カーネルの採用を見送ったことでプロジェクトは大きく後退しており そういう意味でもカーネルを採用すべきだったと述べている カーネルの設計は の中でもから最も大きく異なる部分である のカーネルはマルチサーバ型マイクロカーネルであり 従来のカーネルの持つ機能をサーバと呼ばれる複数のプログラムで構成している のマイクロカーネルは非常に低レベルのカーネル機能しか提供していないため プロジェクトではカーネルの上位レベルの部分を一種のユーザープログラムの集合体として開発しなければならなかった この集合体を当初と呼んでいたが はと呼ぶことを好み の名はそのサブコンポーネントに移され 最終的には使われなくなった その後 の開発は技術的問題がいくつも発生し なかなか進展しない状況になった が有名になるにつれて に興味を持つ企業が現れはじめた それらの企業は開発援助をしたり のソフトウェアや技術サポートを組み合わせて商売するようになっていった その中で最も成功した企業としてはシグナスソリューションズが知られている 同社は現在 レッドハットの一部となっている システムの基本コンポーネントにはコンパイラコレクション ライブラリ および だけでなく デバッガ シェル およびデスクトップ環境も含まれる の開発者はアプリケーションやユーティリティのへの移植に貢献しており それらのアプリケーションやユーティリティはの派生 そしてといった以外のオペレーティングシステムでも広く利用されている のプログラムの多くは やといったプロプライエタリプラットフォームを含む他のオペレーティングシステムに移植されている のプログラムはプロプライエタリ上の相当するソフトウェアよりも信頼性が高いことが示されている プロジェクトの公式カーネルは マイクロカーネルである しかしながら 年の時点でカーネルが という形で公式にプロジェクトの一部となった は カーネルから全てのプロプライエタリコンポーネントを削除した派生物である のカーネルのような以外のカーネルも 実用的なオペレーティングシステムを構成するソフトウェアと連携して機能する はツールやユーティリティと共に利用されるはの派生とみなすべきであると主張しており そのようなシステムを という用語で表現するよう奨励している なおこのことが 名称論争の原因となっている プロジェクトは および といったを用いた派生を支持している カーネルとしてを使用しない派生で以外のカーネルを用いるものとしては カーネル上にの初期計画を実現した や がある さらにをやなどのカーネルで動作させる移植プロジェクトもある フリーソフトウェア財団は既存のプロジェクトへの小規模な変更のリリースをパブリックドメインとすることが無難だと考えているが プロジェクトでは その貢献者に対してパッケージの著作権をフリーソフトウェア財団に譲渡することを推奨している ただしこれは必須ではない パッケージのメンテナは自身が維持するパッケージの著作権を維持することができるが 使用される のような ライセンスは著作権保持者しか強制させることができないので この場合はフリーソフトウェア財団ではなく著作権保持者がライセンスを強制する に必要なソフトウェアの開発のため ストールマンはユーザーがフリーソフトウェアを共有し変更する自由を保障することを目的とした と呼ばれるライセンスを書いた 最初は と呼ばれた 彼はジェームズ ゴスリンとのと呼ばれるプログラムに対する プログラムにおけるソフトウェアコードの使用についての論争をめぐる経験をふまえてこのライセンスを書いた 年代のほとんどの期間において や のようにパッケージごとに個別のライセンスが存在した 年にはプロジェクトのソフトウェアだけでなく全てのソフトウェアに使用できる単一のライセンスである を発表した 現在はソフトウェアのほとんどで使われており プロジェクトとは関係のないフリーソフトウェアでもよく使われている は最も一般的に使用されるフリーソフトウェアライセンスである では 著作物の受領者はそれを実行し 複製し 修正し 再配布できるが その再配布物のライセンスに制限を加えることを許さない この思想はコピーレフトと呼ばれることが多い プロジェクトのライセンスは 独自のソフトウェアパッケージだけではなく が直接的には作成していないソフトウェアプロジェクト あるいはパッケージ でも使用されている ソフトウェアと組み合わせて使用されることが多いソフトウェア 例えば カーネルなどがその代表である 一方 対照的に 系の環境を構築する は ディストリビューションでも標準的に使用されてきたソフトウェアパッケージであるが こちらはライセンスではなく パーミッシブ ライセンスに基づいてライセンスされる 前者が多数派であり 後者は少数派である のロゴはヌーの頭である 元は によって描かれ 現在では がデザインした大胆でシンプルなバージョンが好まれている これはソフトウェアや印刷されたり電子化されたプロジェクトの文書に表示され フリーソフトウェア財団のマテリアルにも使われる なお本章で示した周年記念ロゴは公式ロゴの修正バージョンであり 年月にプロジェクト周年記念としてフリーソフトウェア財団によって作成されたものである カーネル は 階層型に設計されたオペレーティングシステム の中核となる部分である アプリケーションとハードウェアレベルでの実際のデータ処理との間の架け橋である システムのリソースを管理し ハードウェアとソフトウェアコンポーネントのやりとりを管理する オペレーティングシステムの基本コンポーネントとして カーネルはメモリ 入出力を中心としたハードウェアを抽象化し ハードウェアとソフトウェアがやり取りできるようにする また ユーザープログラムのための機能として プロセスの抽象化 プロセス間通信 システムコールなどを提供する これらのタスクはカーネルによって方式が異なり 設計も実装も異なる モノリシックカーネルは全てを一つの仮想アドレス空間に格納されたコードで実行して性能を向上させようとする マイクロカーネルはサービスの大部分をユーザー空間で実行し コードの保守性とモジュール性を向上させようとする 多くのカーネルはこの二つのカテゴリのいずれか あるいは中間である 全てではないが 多くのオペレーティングシステム はカーネルを内包する ハードウェアとソフトウェアの間の通信を管理するソフトウェアとしてのカーネルは 性能 メモリ効率 セキュリティ プロセッサのアーキテクチャなどが複雑に絡んだ問題への妥協的解答である 多くの場合 ブートローダーがカーネルを特権モードのプロセスとして起動する しかし 初期化が完了すると カーネルはいわゆるプロセスとしては存在せず ディスクアクセスなどの高い特権レベルを必要とする処理を必要としたときにユーザプログラムから呼び出される機能の集合体として存在することになる カーネルの処理の流れはユーザープロセスの処理の流れの延長上にあり システムコールによってカーネルに処理が渡り 終了するとユーザーに戻っていく 初期化時のコンテキストはそのまま消えるようにする設計もあるが アイドルプロセス とか と呼ばれる プロセッサが何もすることがない時に実行されるコードに流用される設計とすることもある 省電力のため プロセッサが 休む ような命令を繰り返すようなコードとすることも多い カーネル開発はプログラミングの中でも複雑で難しいタスクのひとつと考えられる オペレーティングシステムの中核部であるということは 高い性能を要求される最重要なソフトウェアであり 正しく設計し実装することは難しい カーネルはユーザプログラムの互換性や移植性を考慮する必要などから 設計が制限されることもあり そのことがさらに開発を難しくしている カーネルの仕事はコンピュータのリソースを管理し 他のプログラムがそれらのリソースを使って動作できるようにすることである 典型的なリソースとしては以下のものがある リソース管理に必要な重要な観点は 実行領域 アドレス空間 の定義とその領域内のリソースへのアクセスを調停する保護機構である カーネルはまた 一般にプロセス同士の同期と通信の手段も提供しており プロセス間通信 と呼ぶ カーネルは自前でそれらの機能を実装していることもあるし 何らかのプロセスに委任していることもあるが 後者の場合はプロセス間で機能へのアクセスを可能にするを提供する必要がある 最後に カーネルはそれら機能群へのアクセスを要求する手段をプログラムに提供しなければならない カーネルの主な仕事はアプリケーションの実行を許可し ハードウェア抽象化などの機能によってそれをサポートすることである プロセスは アプリケーションがアクセスできるメモリの範囲を定義する カーネルのプロセス管理は ハードウェアの持つメモリ保護機構を考慮しなければならない カーネルはアプリケーションを実行するためアドレス空間を設定し アプリケーションのコードを含むファイルをメモリにロードし プログラムのためのコールスタックを設定し そのプログラムの所定の位置に制御を渡すことで実行を開始する マルチタスク可能なカーネルは ユーザーから見て実際にそのコンピュータが同時実行できるプロセス数よりも 多数のプロセスが同時並行して実行されているかのように見せかける 一般にシステムが同時並行して実行できるプロセス数は そのシステムの持つ数に等しい 同時マルチスレッディングをサポートしている場合はその限りではない プリエンプティブ マルチタスクシステムでは カーネルは各プログラムにタイムスライス そのプログラムが上で実行される連続時間 を与え プロセスからプロセスへと高速に切り換えていくので ユーザーから見ればそれらのプロセスが同時並行して実行されているように見えるのである カーネルは次に実行すべきプロセスを決定し タイムスライスの長さを決定するスケジューリングアルゴリズムを持つ 一般にプロセスには優先度が設定される カーネルはそれらのプロセス間の通信手段も提供する これはプロセス間通信 と呼ばれ パイプ 共有メモリ メッセージ ソフトウェア割り込みなどがある 他に協調型マルチタスクもあり 各プロセスは自らカーネルに制御を戻すまで割り込まれずに実行を続けることができる 制御をカーネルに戻すことを と呼び プロセス間通信の際や何らかのイベントを待つ際に行われ そのときにカーネルが別のプロセスを動作させる 古い や はこの方式だったが コンピュータの性能向上に伴ってプリエンプティブ方式に切り換えた 多くのシステムで あるプログラムの仮想アドレスはメモリ上にないデータを指していることがある 仮想アドレッシングによるインダイレクション層は 本来なら主記憶 になければならないデータをハードディスクなどの補助記憶装置に退避させることを可能にする 結果としては物理的な容量以上のメモリをプログラム群に提供可能となる にないデータがあるプログラムで必要になった場合 はカーネルにそれを知らせ ページフォールト 必要なら カーネルが使われていないメモリブロックの内容をディスクに退避させ 必要なデータをそのメモリブロックに復帰させる ページ置換アルゴリズム すると プログラムは要求を行った時点から処理を再開させることができる これをデマンドページングと呼ぶ 仮想アドレッシング方式では 仮想空間をカーネル用の部分 カーネル空間 とアプリケーション用の部分 ユーザー空間 に分けることが出来る アプリケーションはカーネル用メモリにアクセスできないので アプリケーションにバグがあったとしてもカーネルにダメージを与えることはない この根本的な分離は多くの汎用カーネルで実際に使われているが 別な方式を採用したカーネルの研究も行われている 例えば メモリ管理のもうひとつの機能として カーネル内の各モジュールやデバイスドライバが使用するメモリの割り当てがある 動的メモリアロケーション 実際に何らかの作業をするには はコンピュータに接続された周辺機器にアクセスする必要があり 周辺機器はその開発元などが書いたデバイスドライバを通して制御される デバイスドライバはがハードウェアデバイスとやりとりするためのプログラムであり に対して何らかのハードウェアを制御 通信するための情報を提供する ドライバはアプリケーションにとっても重要で不可欠である ドライバの設計目標は抽象化である ドライバの機能はの定めたインタフェースからデバイス固有のインタフェースに変換することである 理論上 デバイスは適当なドライバがあれば正しく動作する デバイスドライバは ビデオカード サウンドカード プリンター スキャナー モデム カードなどに対応して存在する 一般的なデバイスドライバの抽象化レベルを次に示す 例えば ユーザー向けに何かを画面に表示する場合 アプリケーションがカーネルに要求し その要求がディスプレイドライバに送られ ディスプレイドライバが実際の文字やピクセルの描画を行う カーネルは使用可能なデバイスの一覧を保持しなければならない この一覧は 事前に知られている場合 例えば 組み込みシステムでは利用可能なハードウェアが変われば カーネルを書き換える ユーザーが設定する場合 古いや個人用に設計されていないシステムなど が実行時に検出する場合 プラグアンドプレイ がある プラグアンドプレイのシステムでは デバイス管理は最初に様なバス や 上をスキャンして実装されたデバイスを検出し 対応するドライバを探す デバイス管理は各固有の部分であり カーネルの設計によってドライバの扱い方は異なるが 一般にカーネルはドライバが物理的にデバイスにアクセスするための入出力ポートやメモリ空間を用意する必要がある デバイスへのアクセスはコンテキストスイッチを引き起こしたり を浪費したりすることになり易く 性能オーバヘッドの元となるため デバイス管理の設計は重要である 意味のある作業を実行するには ユーザプログラムはカーネルの提供する全サービスにアクセスできなければならない これはカーネルによって実装が異なるが 多くは標準ライブラリやが提供され そこから対応するカーネル機能が呼び出される カーネル機能を呼び出す方法は主にがどのような機能を提供しているかに依存する カーネル空間とユーザー空間が分離されている場合 ユーザープロセスが直接カーネルを呼び出すことはできない 例えば以下のような技法を採用する カーネル設計において重要な観点として 障害 フォールトトレラント性 と悪意ある動作 セキュリティ からの保護 プロテクション サポートがある このつは通常明確には区別されず 明確に区別しようとするとリングプロテクションでは対応できなくなる カーネルが提供する機構または方針は いくつかの基準で分類できる などである 階層型プロテクションは 一般に モード でサポートされる ハードウェアサポートによる単純で効率的な方法は にメモリアクセスの度にその妥当性をチェックさせるもので その機構をと呼ぶ ただし 多くの商用コンピュータアーキテクチャではがケイパビリティをサポートしていない 代替手法は 階層型プロテクションでケイパビリティをシミュレートするものである この場合 保護されたオブジェクトはアプリケーションがアクセスできないアドレス空間になければならない カーネルもそのようなメモリ空間のケイパビリティのリストを保持する ケイパビリティによって保護されたオブジェクトにアプリケーションがアクセスしたい場合 システムコールを行い カーネルが実際のアクセスを代行する これにはアドレス空間の切り替えを必要とするため オブジェクト間で複雑なやりとりが必要なシステムでは性能が低下するが 現代のはアクセス頻度が低いオブジェクトや性能を要求されないオブジェクトについてはこの方式を採用している 保護機構をより高い階層でシミュレートする方式も可能だが 例えば 直接サポートされていないハードウェアについてのページテーブルを操作してケイパビリティをシミュレートするなど 性能上の問題がある 言語ベースの保護を選択するシステムでは ハードウェアサポートがなくても問題にならない カーネル設計における重要な点として セキュリティの機構と方針を実装する抽象化レベルの選択がある カーネルのセキュリティ機構は 高度なセキュリティをサポートする上で重要である 現代の主流のの多くは重要なセキュリティ機構が欠如しているため アプリケーションの抽象化レベルでの適切なセキュリティ方針実装ができないことがある 一般にカーネルサポートがどうであれ アプリケーションで任意のセキュリティ方針を実装可能だとされているが 間違いである 現代の一般的コンピュータは ハードウェアが強制した規則を使ってプログラムのデータへのアクセスを許可している プロセッサは動作を監視し 規則に違反したプログラムを停止させる 例えば カーネル空間のメモリを読み書きしようとしたユーザプロセスを停止させるなど ケイパビリティをサポートしていないシステムでは プロセスは相互に隔離されたアドレス空間で動作する ユーザプロセスがカーネルを呼び出すことは 上述したシステムコールの技法を使って統制されている 代替手法として言語ベースの保護 プロテクション がある 言語ベースのプロテクションシステムでは カーネルは信頼されている言語コンパイラが生成したコードのみ実行を許可する そしてその言語は セキュリティに違反するようなコードをプログラマが書けないように設計されている この方式には次のような長所がある 一方 次のような短所がある 言語ベースのプロテクションを採用したシステムとしては やマイクロソフトのがある エドガー ダイクストラは論理的観点から バイナリセマフォにおける不可分なロックとアンロック操作だけで プロセス間の任意の協調作動を実現できることを証明した しかしそのような方式は一般に安全性や効率性が欠如しており メッセージパッシング方式の方が柔軟性が高い 他の方式もいくつかあり 現代のカーネルでは共有メモリやなどのシステムをサポートしていることが多い 入出力デバイスを並行して協調作動する他のプロセス群から一様に扱えるようにするというカーネルの考え方は が提唱し実装したのが最初である 似たような考え方は年にも示唆されていた はその説明で 共通の プロセス群を 内部プロセス 入出力デバイスを 外部プロセス と呼んでいる 物理メモリと同様 アプリケーションがコントローラのポートやレジスタに直接アクセスすることを許可すると コントローラが不正作動したり システムがクラッシュすることになる それに加えて デバイスの複雑さに応じて対応するプログラムは非常に複雑化することがあり しかも複数の異なるコントローラを使うことがある そのため デバイスを管理するためのより抽象化されたインタフェースを提供することが重要である この抽象化を提供するのは一般にデバイスドライバや である アプリケーションは必要なら頻繁にデバイスへのアクセスを要求する カーネルはシステムに接続されたデバイスの一覧を何らかの方法で保持しなければならない これはや各種システムバスの機能 や を使ってなされる あるアプリケーションがあるデバイス操作を要求すると 例えばディスプレイに文字を表示する カーネルは対応するドライバ 例えばビデオドライバ に要求を送らなければならない するとそのドライバがデバイスに対して必要な処理を行う マイクロカーネルの場合 この際にプロセス間通信 が使われる もちろん 上述したタスク群や機能群の提供方法は設計や実装の面で様である 機構と方針の分離 の原則は マイクロカーネルとモノリシックカーネルの哲学の間でかなり大きな相違がある ここで 機構 は様な 方針 の実装を可能とするものであり 方針 は特定の 操作のモード である 例えば 機構 面では ユーザーがログインしようとしたとき認証サーバを呼び出してアクセスを認めるべきか否かを決定するということが考えられる 一方 方針 面では 認証サーバがパスワードを要求し データベース内の暗号化されたパスワードと照合するかもしれない 機構が汎用的であれば 機構と方針が同一モジュールに統合されている場合よりも方針の変更 例えば パスワードの代わりにセキュリティトークンを使うなど がより容易になる 最小のマイクロカーネルでは非常に基本的な方針のみが含まれ その機構はカーネル上で動作させるもの の残りの部分やアプリケーション群 自身がどのような方針 メモリ管理 高度なプロセススケジューリング ファイルシステム管理など を採用するか決定することを可能にする 一方モノリシックカーネルは方針の大部分をカーネル内に含む傾向があり 結果としてその上の部分の自由度は制限される は機構と方針の分離のための主張を展開した すなわち この分離が不適切であることが既存ので本質的技術革新が見られないことの主要因だとし コンピュータアーキテクチャにおける共通課題だとした モノリシック設計は 従来の商用システムで一般的な保護技法である カーネルモード と ユーザーモード に分離するアーキテクチャ いわゆるリングプロテクション から生まれた そのアーキテクチャでは 保護 プロテクション を必要とするモジュールを可能な限りカーネルに含めようとする このようなモノリシック設計と特権モードの関係が機構と方針の分離における重要な問題として再注目されている 実際 特権モード のアーキテクチャ技法は保護機構とセキュリティ方針を融合させる傾向があるが これとは大きく異なるアーキテクチャ技法であるではそのつを明確に区別し 自然にマイクロカーネル設計が可能となる モノリシックカーネルはカーネルの全コードを同じアドレス空間 カーネル空間 で実行するが マイクロカーネルでは多くのサービスをユーザー空間で実行しようとし コードベースの保守性とモジュール性を向上させようとしている 多くのカーネルは明確にどちらかに分類できるわけではなく その中間の実装とも言うべきハイブリッドカーネルになっている さらに特殊な設計としてナノカーネルやエクソカーネルが研究されているが 広く使われるまでには至っていない エクソカーネルの例としてハイパーバイザがある モノリシックカーネルでは 全サービスはひとつのカーネル空間内に存在し カーネルスレッド上で実行される この手法は強力なハードウェアアクセスを提供する の開発者ケン トンプソンは モノリシックカーネルの方がマイクロカーネルより実装が容易だとしている 主な欠点はシステム構成要素間の依存関係の複雑さである 例えば デバイスドライバにバグがあっただけでシステム全体がクラッシュするし 大きなカーネルは保守が非常に困難である 系が伝統的に採用してきたモノリシックカーネルは 中核機能とデバイスドライバを全て含んでいた デバイスドライバ スケジューラ メモリ管理 ファイルシステム ネットワークのプロトコルスタックなど 多くのプログラムが必要とするがライブラリとしてユーザー空間で実行することができない機能は 全てカーネル空間に置かれた それら全サービスへのアクセスを可能にするため 数多くのシステムコールがアプリケーションに対して提供されている 必要とされないサブシステムを伴って最初からロードされるモノリシックカーネルは より汎用的な意味ではあるが 特定ハードウェア向けに設計されたものよりもチューニングが可能である やなどの現代のモノリシックカーネルは系であり 実行時にモジュールをロードする機能を備えており 必要に応じて容易に機能を拡張でき 同時にカーネル空間で動作するコード量をなるべく最小に抑えることができる モノリシックカーネルには次のような長所がある モノリシックカーネルはシステムコールの延長で動作する部分がほとんどである システムコールは一般にテーブル構造で保持されるインタフェースであり ディスク操作などのカーネル内サブシステムへのアクセスを行う プログラム内でライブラリルーチンを呼び出すと その中で要求をチェックしてコピーし システムコールに渡す したがって それほど重い呼び出しではない カーネルはモノリシックだがかなり小さくできる これは ローダブル カーネル モジュール機能と カスタマイズが容易なためである 実際 フロッピーディスク枚にカーネルだけでなく多数のユーティリティを搭載し それだけで完動するとすることもできる 最も有名な例として がある このカーネルを小型化できる能力があるため は組み込みシステムで急速に採用が増えている 組み込み このようなカーネルはの中核機能とデバイスドライバから成り 実行時にモジュールをロードする機能を備えている それらによって 下層のハードウェアについての豊富で強力な抽象化を提供する それらは単純なハードウェア抽象化の小さなセットを提供し サーバと呼ばれるアプリケーションを使ってさらなる機能を提供する この特定の手法でハードウェア上の高度な仮想インタフェースを定義し プロセス管理 並行性管理 メモリ管理といったスーパーバイザモードで動作するいくつかのモジュールでサービスを実装し システムコールでそれらを呼び出せるようにしている しかし このような設計には以下のような短所や制約がある マイクロカーネルとは 伝統的な カーネル から サーバ 群に機能を移転する設計方針を意味し 最小化したカーネルだけをカーネル空間に残し サーバ群を可能な限りユーザ空間で動作させる マイクロカーネルでは ハードウェアの単純な抽象化と最小のプリミティブ システムコール で最小のサービスを実装する メモリ管理 マルチタスク プロセス間通信など 他の全てのサービス ネットワークなど は サーバ としてユーザ空間に実装される マイクロカーネルはモノリシックカーネルよりも保守が容易だが システムコール回数やコンテキストスイッチ回数が増大するために性能が低下する傾向がある どうしても特権モードでなければならない部分だけがカーネル空間に置かれる それは プロセス間通信 基本スケジューラ スケジューリング プリミティブ 基本メモリハンドラ 基本 プリミティブなどである スケジューラ本体やメモリ管理 ファイルシステム ネットワークスタックといった大部分はユーザ空間で動作する マイクロカーネルは システム機能全体がプロセッサのシステムモードで動作するつのプログラムになっているモノリシックカーネルの設計方針への反発から生まれた マイクロカーネルを採用したとしては や がある マイクロカーネルは基本的に次のような長所を持つ 多くのマイクロカーネルは 何らかのメッセージパッシングシステムを採用しており サーバからサーバへの要求の転送を行う 一般にマイクロカーネルがそのためのポートを用意している 例えばメモリ追加要求を送ると マイクロカーネルのあるポートが開き そこを通して要求が転送される マイクロカーネルにメッセージが受信されると その後はシステムコールのように処理される これによってシステムアーキテクチャのモジュール性が高まり システムがより整理され デバッグや動的変更が容易になり ユーザーのニーズに従ったカスタマイズが可能となる といったは多かれ少なかれマイクロカーネルの設計方針を取り入れている マイクロカーネル自体は非常に小さいが システム機能全体を構成するコードを全て集めると モノリシックカーネルよりも大きいことが多い モノリシックカーネル支持派はまた マイクロカーネル方式の層構造によりの大部分がハードウェアと直接相互作用できなくなるため 決して小さくないコストが上乗せされ システムの効率を低下させると主張している マイクロカーネルは通常 アドレス空間定義部 プロセス間通信 プロセス管理といった最小限のサービスだけを提供する ハードウェア処理といった他の機能はマイクロカーネルで直接扱うことはない マイクロカーネル支持派は モノリシックカーネルでのエラー バグ がシステム全体のクラッシュを引き起こすという欠点を指摘する しかしマイクロカーネルでは サーバがクラッシュしてもそのサービスを再起動することでシステム全体のクラッシュを防ぐ可能性がある しかし 現になどのモノリシックカーネルは年単位で安定動作している実績があり このようなマイクロカーネルの利点がどれほど重要かは疑わしい ネットワーキングなどのカーネルサービスは サーバ と呼ばれるユーザ空間のプログラムとして実装される サーバを停止 再起動するだけでを更新可能である 例えばネットワークをサポートしていないマシンで ネットワークサーバは起動する必要がない サーバ群やカーネルの間でデータをやり取りする作業があるため モノリシックカーネルにはないオーバヘッドが生じ 効率が低下する マイクロカーネルの短所は例えば次のようなものがある マイクロカーネル方式では の他の部分を通常のアプリケーションのように高水準言語で書くことができ 同一のカーネル上で異なる のインタフェース を使用することもできる また動的にを切り換えたり 複数のを同時に使用することもできる カーネルが巨大化するにつれて 様な問題が明らかになってきた 最も明らかな問題はカーネルの大きさ メモリ使用量 の増大である これは仮想記憶をカーネル空間にも適用することである程度まで和らげられるが 全てのコンピュータ アーキテクチャが仮想記憶をサポートできるわけではない カーネルのサイズを削減するため 不要なコードを削除するなどの改善が必要となるが これはカーネルの各モジュール間の明らかにされていない依存関係があるために非常に困難である マイクロカーネルと比較したときのモノリシックカーネルの様な欠点から 年代の初期までにモノリシックカーネルは時代遅れと考えられるに至った 結果としてがモノリシックカーネルを採用したことでリーナス トーバルズとアンドリュー タネンバウムの間で有名な論争が発生した アンドリュー タネンバウムとリーナス トーバルズの議論 この議論では 両者の言い分にそれぞれメリットがある モノリシックカーネルは設計が容易で マイクロカーネルよりも迅速に成長することが期待できる しかし モノリシックカーネル内のバグは一般にシステムクラッシュを引き起こすのに対して マイクロカーネルでは一部のサーバに問題が限定される モノリシックカーネルの支持者は 不正なコードがカーネルに無ければマイクロカーネルの利点はほとんどないと論じる どちらの側にも成功例がある マイクロカーネルはロボットや医療用システムで使われており 各コンポーネントが別の保護されたメモリ空間で動作する これは最新のモジュールロード方式であってもモノリシックカーネルには不可能であろう モノリシックカーネルは共有型カーネルメモリを使用するよう最適化されていて マイクロカーネルのような低速なメッセージ渡しとは異なる モノリシックカーネルはコード全体を同じアドレス空間 カーネル空間 に置くよう設計されており 一部の開発者はシステム性能向上に必須の特徴だとしている 一部の開発者はうまく書けばモノリシックカーネルは極めて高効率になるとしている そして年 マイクロカーネルの性能が低い原因として以下のことが推測されている この時点でマイクロカーネルを効率化する方法はまだ研究途上であり 正しい技法の構築が求められていた 一方でモノリシックカーネルの設計の基盤となっている階層型プロテクションでも プロテクションの階層間でのやりとりには値 メッセージ のコピーが必要であり そのやりとりが増えるほど性能が低下することがわかっていた 近年 やといった新世代のマイクロカーネルが登場し 上述の性能問題をある程度解決している 系などの商用でよく見られる アップルの も カーネギーメロン大学のとのモノリシックカーネルのコードをベースとしたというハイブリッドカーネルを採用している マイクロカーネルの性能オーバヘッドを削減するため一部のサービス 通信プロトコルスタックやファイルシステム をカーネル空間で動作させるが 一部のカーネルコード デバイスドライバなど はサーバとしてユーザ空間で実行する これは 純粋なマイクロカーネルが高性能を提供できると示される以前 妥協的に考案された技法であり マイクロカーネルにモノリシックカーネルの特性を一部取り入れて拡張したものと言える ハイブリッドカーネルではカーネルがモジュール化されているが モジュールの大部分は同じカーネル空間内にロードされる そのため バグを含むモジュールをロードするとカーネルの動作が不安定になる可能性がある マイクロカーネルの場合 カーネルとは全く別の空間でモジュールを動作させることができ 安全に評価することができる モノリシックカーネルと比較したハイブリッドカーネルの長所を以下に挙げる モジュール群は何らかのモジュールインタフェースを使ってカーネルとやりとりする そのインタフェースは固有ではあるが汎用化されており 常にモジュールとして分離実装できるわけではない デバイスドライバにはモジュールインタフェース以上の柔軟性が必要なことが多い 基本的にモノリシックカーネルではカーネルとの呼び出しが回で済むところを ハイブリッドカーネルでは回呼び出す必要がある モジュール化の短所として次の事柄が挙げられる ナノカーネルは全てのサービスをデバイスドライバとして分離する これには例えば最も基本的な割り込みコントローラやタイマーの制御も含まれる これによりカーネルメモリはマイクロカーネルよりもさらに小さくなる エクソカーネル はまだ実験段階の設計技法である 他のカーネルとの違いは 物理ハードウェアのプロテクションと多重化に機能を限定している点で アプリケーションに対して全くハードウェアの抽象化を提供しない このようにハードウェアのプロテクションをハードウェア管理から分離することで 利用可能なハードウェアを最大限に生かすように個のプログラムを開発できるという利点が生じる エクソカーネル自体は非常に小さい しかし 通常のの持つ機能をアプリケーション開発者に提供するためのライブラリ型を伴う エクソカーネル型システムの最大の利点は このライブラリ型機能を複数用意できるという点で それぞれが異なるを提供できる 例えば同じシステム上で 高度なを持つアプリケーションを開発し 同時にリアルタイムシステム制御を行うアプリケーションも開発できる 厳密に言えば オペレーティングシステム とカーネル はコンピュータを動作させるのに必須ではない プログラムはマシン上に直接ロードされ実行されることも可能であり そのようなプログラムはのサービスや抽象化なしで記述しなければならない 多くの初期のコンピュータではそのような手法が一般的であり プログラムを入れ替えるときにリセットとリロードが必要だった その後 プログラムローダーやデバッガといった補助的な小さなプログラムがメモリに常駐したり からロードされるようになった これらが初期のオペレーティングシステムのカーネルの元となった 直接実行の手法は今日でもゲーム機や組み込みシステムで使われているが 一般に最近のコンピュータではオペレーティングシステムとカーネルが使われている 以前の年間 コンピュータは劇的に能力を向上させ マシンの未使用時間を使う手法が求められた この期間の主な開発のひとつがタイムシェアリングシステム である は何人かのユーザーがのタイムスライスをそれぞれ割り当てられる タイムシェアリングシステムの開発は多くの問題を発生させた ひとつの問題は大学のユーザーは時間が欲しいというよりもシステムをハックしたがっているという点である このためセキュリティやアクセス制御が年のプロジェクトの重要な課題となった もうひとつの問題は計算リソースの正しい扱い方である ユーザーは計算リソースを使わずに画面を凝視することにほとんどの時間を費やしており タイムシェアリング方式ではそのような時間を他のユーザーに与えるべきと考えられた 最終的に メモリ階層の多層化が進み リソースの分割が仮想記憶システムの開発へと繋がっていったのである の設計段階で 全ての高レベルのデバイスをファイルとして抽象化することが決定された 何故なら設計者は情報処理の目的をデータの変換であると考えていたからである 例えば プリンターもファイルとして抽象化され データをそのファイルにコピーすると印字が行われる 他のシステムでは同様の機能を提供するにあたって デバイスを低レベルに抽象化する傾向があった デバイスもファイルも何らかの低レベルの概念の実体化である システムをファイルのレベルで仮想化したことにより ユーザは既存のファイル管理機能と概念で全てを扱うことができるようになり 操作が大幅に簡略化された 同じパラダイムを拡張して はファイルを複数の小さなプログラムで操作するパイプの概念を可能とした 最終的な結果は同じであっても このような小さなプログラム群を使うことで柔軟性が劇的に向上しただけでなく 開発も利用も容易になった では オペレーティングシステムはつの部分で構成される 様な操作を実行するユーティリティプログラム群とカーネルである プログラミングの観点から見ると両者の違いは小さい カーネルは特権モードで動作するプログラムであり プログラムローダーとしての役割とシステムの残りの部分を構成するユーティリティプログラム群を監督する役割を持つ そして それらプログラムにロックと入出力サービスを提供する つまり カーネルはあらゆる場面に介在しているわけではなかった その後 計算モデルが変化し の何でもファイルで表す手法が常に適用可能な方法ではなくなってきた 端末はファイルで表せるが どちらも文字列を読み書きできる はそのように扱うことはできない コンピュータネットワークは別の問題を提起した ネットワーク経由の通信はファイルアクセスに対応させることができるが 低レベルのパケット指向アーキテクチャはファイルというよりも離散的なデータの塊として扱う必要がある コンピュータの機能が拡大するにつれ のコードは増大していった それはまた カーネルのモジュール性が非常にスケーラブルなためでもあった 初期のカーネルのソースは万行ほどだったが カーネルなどでは万行にもなっている 現代の系は モノリシックカーネルにモジュールローディング機能を加えたものとなっている 例えば カーネルを採用した各種ディストリビューションや の子孫である などがある アップルは年 最初の を同社のパーソナルコンピュータに同梱して発売した 後継のはをベースとしており ユーザーランドとカーネルを統合したと呼ばれるハイブリッドカーネルを採用している は年 へのアドオンとしてリリースされた 他のに依存していたため までのリリースはではなくオペレーティング環境とみなされている その製品ラインは発展して 系となり ビット化やプリエンプティブ マルチタスクといった強化を経て 最終的に年に がリリースされた マイクロソフトはまた ハイエンド向けに のラインも年の からスタートさせ こちらは年以降も続いている 汎用マイクロカーネルとしてはカーネギーメロン大学が年から年まで開発したが有名だが 特定用途向けにもいくつかのマイクロカーネルが開発された はマイクロカーネルの性能が悪くないことを実証するために作られた ここから派生した新たな実装の や はをその上で動作させることができる はマイクロカーネル設計を採用したリアルタイムオペレーティングシステムであり 年代初期に開発され よりも遥かに成功している ソフトウェアが不正作動することが致命的な状況で使われることが多く スペースシャトルのロボットアームの制御やガラスを精密に磨く機械の制御で使われている 声優 せいゆう とは 映像作品や音声作品に 自身の姿を見せずに声だけで出演する俳優 広義にはナレーターも含まれる 職業を示す意味で使われる場合と映像作品の役割という意味がある 英語では一般的に男性を 女性を といい 日本語でもボイスアクターという場合がある 声のみで演技する実演家であり 日本の声優の多くは日本俳優連合に加盟しているが 俳優とは異なり声に特化した役者と見なされている またニュースで原稿を読み上げるキャスターやアナウンサーなど放送 報道分野の業務に携わる者とも区別される アニメーション作品ではしばしばキャラクターボイス 略してという和製英語が使われる これは年代後半にアニメ雑誌 アニメック で副編集長だった井上伸一郎が提唱した用語で その後 井上が角川書店で創刊した 月刊ニュータイプ でも用いられている また 昭和時代の作品では おもにエンディングのクレジットでは 声の出演 と表記されることが多かったが 平成から令和にかけての現在では キャスト ないし キャラクターボイス と表記されることが多い 後述のフィックス制度により性格俳優として側面もある 日本では歴史的な経緯から声優を専業とする例が多い 海外では 俳優の仕事の一部という側面が大きいが アメリカでも声優専業の役者が増え 演技学校で声優コースを設けているところもある 日本で声優の専業化が進んだ理由は などが考えられる 音声メディアの可能性を早くに指摘した人物には 日本の近代批評文学の先駆者である小林秀雄の存在が認められる 戦後 年齢 を発表して 話し言葉 を重視する言語観を表明 民間放送開始の年 雲の会の雑誌 演劇 の企画で福田恆存と対談し 岸田國士が提唱した 語られる言葉の美 を拡張している アニメでは 年には日本初のトーキーの短編アニメーション映画 力と女の世の中 が公開 アニメキャラクターに声をあてたのは 喜劇役者の古川ロッパをはじめとする映画俳優達だった 年には中国の長編アニメーション映画 西遊記 鉄扇姫の巻 鉄扇公主 が日本で公開され 活動弁士出身の徳川夢声 山野一郎などが声をあてた 第二次世界大戦後に発足した東映動画により日本でもコンスタントにアニメ映画が製作されるようになると 映画俳優 コメディアン 放送劇団員が使われた また 洋画の吹き替えはテレビ時代になってから本格的に行われるようになった 民放テレビの草創期には 年の五社協定でテレビ局への日本映画の供給停止が決まったことなどによるソフト不足から 海外ドラマや洋画などのいわゆる外画の日本語吹き替え版が数多く放送された 当初 は基本的に字幕スーパーで日本国外の作品を放送していたため 日本語吹き替え版は民放が中心となっていた 以後 日本国外の作品は年代前半をピークとして放送された これらを背景として声優人気が高まっていったという ブームの中心人物はアラン ドロンを持ち役とした野沢那智で 追っかけまでいたという テレビや映画の俳優は五社協定とギャラの問題で吹き替えをしなかったため テレビでの吹き替えは ラジオ時代からの放送劇団出身者や新劇の舞台役者が多く行った 放送劇団出身の若山弦蔵は当時の吹き替えに参入してきた新劇俳優について 大部分の連中にとっては片手間の仕事でしかなかった 日本語として不自然な台詞でも疑問も持たず 台本どおりにしか喋らない連中が多くて 僕はそれがすごく腹立たしかった と語っている また この時期には役者論 演技論としてのアテレコ論争が展開されている 海外アニメにおいては 落語家や浅草出身のコメディアンなどもキャラクターの声をあてたという例がある 労働環境や待遇は恵まれていなかったことから権利向上のために結束しようという動きがあり 久松保夫は清水昭の太平洋テレビジョンに参加するが同社で労働争議が発生 これを受けて東京俳優生活協同組合 俳協 が誕生したが 前述の若山弦蔵のように所属せず独立した者もいた のちに俳協から分かれて多くの声優プロダクションが結成された この時代にはまだ声優という言葉は一般には認知されておらず 別称として 吹き替えを主にしたことから吹き替えタレント 声をあてることからアテ師というものがあった テレビの日本語吹き替え作品第号はの前身であるテレビが年月日より放送開始したアメリカのアニメ スーパーマン であると言われる 実写では年にの前身であるテレビで放送された カウボーイメン と記録されている これらテレビでの放送はいずれも生放送による吹き替えで あらかじめ録音したアフレコによる作品第号は アニメでは年月日に日本テレビが 番町スタジオの安井治兵衛に依頼して放送した海外アニメ テレビ坊やの冒険 である この時代はアニメ雑誌が創刊され始めた時代であり アニメージュ の創刊編集長である尾形英夫は 声優のアイドル化を編集方針のひとつとして打ち出した アニメージュ 以外のアニメ誌も同様に誌面に声優コーナーを設けて 定期的に声優の情報を発信した 人材の供給 育成面では 声優専門プロダクションが分裂することによって次第に数が増え始め 各プロダクションにより声優養成所が設けられた これらにより 放送劇団出身者や舞台役者などの俳優活動の一環や余技としての声優業ではなく 最初からアニメ声優を目指した声優が登場し始めた このブームはおおむね年代前半ごろまでとされている 一方 年代になって 吹き替え作品が 地上波放送のほかにも などのパッケージや放送などさまざまな形態で発信されるようになると 同じ作品でも複数の吹き替えが作られる例が増加した このため 従来の持ち役制度はほぼなくなったとする指摘もあるが 森川智之のトム クルーズのように同一の声優が同じ役者を吹き替え続ける慣習は残っている 用語として おおむね年代半ばから後半にかけて 頻繁に用いられていたが 明確な定義は存在していない 第次 第次という使い方も この用語から逆算的に使用されたもので こちらも明確な定義は存在していない この時期の特徴として 声優のマルチ活動化や歌手活動への進出によるアイドル化 声優の音声入りのテレビゲームやパソコンゲームの登場による仕事の増加 声優がパーソナリティを務めるラジオ番組の普及 などが挙げられる このことから 声の演技力のほかにも 特にアニメ ゲームで活躍するには容姿のよさや歌唱力などといったようなことも声優に求められるようになったとされる 清水香里や坂本真綾など 当時中学生でテレビアニメの主人公に抜擢される例もあり アイドル的な注目を受けた 年には椎名へきるが声優として初めて日本武道館で単独コンサートを開催した ラブライブ や アイドルマスター けいおん あんさんぶるスターズ など ゲームやアニメ番組から派生した企画による声優ユニットが男女を問わず人気を博すことも多くなっており 特に ラブライブ の は 東京ドーム公演や紅白歌合戦への出場するなど人気を獲得した このため 現在の声優は 演技だけではなく ルックスや歌唱力にダンススキルも求められるようになってきている その一方で 仲谷明香 元 や前島亜美 元 など アイドルから声優に転身する例も増えているとされている アニメ オリジナルビデオアニメ ラジオドラマ ドラマ ゲーム テレビ 映画 洋画や海外ドラマの日本語吹き替え ボイスドラマ ナレーション アナウンス 番組内の語り手 朗読などがある 声による演技以外にも 出演作の関連イベントや宣伝など付随して顔出し出演があるが 事前契約はせずその都度の協議で決定することが多いなど 俳優とは出演料のシステムが異なる 仕事の取り方はオーディションによる選考か指名 出資によるキャスティング権の確保であるが 仕事の種類ごとに異なる 画面を見ながら台詞を吹き込むアフレコと 事前に台詞を収録し それに合わせて後から動画を制作するプレスコの種類の方法がある 日本ではアフレコが主流である 近年のアニメ制作のデジタル化により アフレコ後に絵を修正する例も多い なお 声をあてることからアテレコとも言う 収録はスタジオに声優を集めて一度に行うのが主流だが 芸人や歌手などの非声優を起用する場合は 個別に別録りすることが多い 出演料はランク制の適用を受ける 役は原作者や制作サイドからイメージに適合した声 声質 や演技力を持つ人物が指名されることもあるが 選考オーディションを受けて得るというシステムが主流である 通常は制作会社などから声優の事務所庶務にオーディションのお知らせが通達され 事務所は役柄に合うと判断した所属声優を数人選び その選ばれた者だけがオーディションを受けられるというのが通例である そのため大人数の声優を抱える大手事務所では まず事務所内での競争を勝ち抜かないとオーディションを受ける機会すらない そして たとえオーディションを受けられたとしても 本に本受かればいいというほどの競争率と言われる 古川登志夫は ポプテピピック に出演した際 大御所なんだから仕事選べ という一部視聴者の声が出たことに対して 冗談ではない アニメのキャラ声は本職だ 第一仕事を選べるほど偉い立場にない 一本の仕事を取るのにマネージャーさんが何度頭を下げるかご存知か と反論している 公募形式とする例もあり 年の ではヒロイン役を公募オーディションとしたが 第次 第次審査で絞り込んでからウェブの一般投票も加味される形式で行われた 新人の真堂圭が選ばれた 年 テレビアニメ ふたりはミルキィホームズ の主人公役を公募オーディションが行われた 新人の伊藤彩沙が選ばれた 年放送のからくりサーカスでは主役の人をプロアマ不問の公募オーディションにより決定すると発表したが 応募総数は 人超だったという 新人の植田千尋が選ばれた 昨今はアニメに対する出資会社によって出演枠を確保する方法がとられることもあり オーディションによる出演ではない者も混在している 海外ドラマ 外国映画などの登場人物の声を俳優に代わって演じる アニメ同様 ランク制の対象となる フィックス制度により役が固定されていることもあるが 放送版とセル版では異なる声優となる例もある ニュースやドキュメンタリーなどのボイスオーバーもランク制の対象である アニメとは異なりオーディションはほとんど行われず プロデューサーやディレクターなどが声優を指名して決めることがほとんどとされる ただし ディズニー作品 スティーヴン スピルバーグ作品 ジョージ ルーカス作品などでは指名ではなく アニメ同様オーディションが行われるという 基本的に かけ合いではなく一人ずつ個別に収録する の普及し始めた年代末から増えた仕事である 年代に などの高性能なゲーム機が登場し 声優が起用されることが一般的になった 出演料については 当初は明確な基準がなかったが 年に日本俳優連合 日俳連 と社団法人コンピュータエンターテインメント協会 の間で協議が持たれてからは 一般向けのゲームでは アニメと同様にランク制が適用されるようになった アニメと同じく オーディションや指名によって選出される ラジオドラマ ドラマなど音声のみのドラマ作品でキャラクターの声を演じる ドラマの場合 売上を考慮して すでに知名度のある声優を起用することが多い 逆に新人やアマチュアをオーディションによって選ぶ例もある アニメ ゲーム ドラマ 玩具などメディアミックスが行われる作品では 同一の声優が同じ役に固定されるが さまざまな理由により変わることもある テレビ番組 テレビやラジオの ビデオなどの朗読 イベントのアナウンスやリングアナウンサー 番号案内の録音されたメッセージ デパートやスーパーマーケットなどでの録音案内 駅や路線バスなどの公共交通機関のアナウンス 自動放送 など ランク制の対象外の仕事で ギャラはアニメ 日本語吹き替え ゲームよりもはるかに高額とされ 特にテレビが高額とされている ただし基本的に単発かつ不定期の仕事であり 安定した収入にはなりにくい 日本語吹き替え同様 オーディションはほとんど行われず 指名で決まることがほとんどとされる 前述のように 舞台俳優が声優を兼ねる例は創成期から多い 劇団に所属しながら並行して活動するほか 関智一などのように劇団を主宰する者もいる 山田康雄 戸田恵子 山寺宏一など 映画やテレビドラマ バラエティ番組などに出演している声優もいる また 関俊彦 花江夏樹 豊口めぐみなど 子ども向け番組 教育番組を含む に顔出し出演をしていたり 水樹奈 内田真礼 竹達彩奈などのように で顔出し出演をする声優もいる 特撮番組では 顔出し出演のほかにもスーツアクターが演じる怪人などの声を担当するという仕事もある 音楽を発売したり コンサートを開催したりするなど 歌手として活動をおこなう 逆に アイドル歌手が声優に転身することもある アニメ ゲームにおいては 出演声優が 個人またはユニットとして その作品の主題歌を歌うことがある また キャラクターが歌っているという設定にして 声優本人の名義ではなく キャラクター名義でキャラクターソングをリリースすることがある 林原めぐみが声優として初めてキングレコードスターチャイルドレーベルと専属契約を結んだ年月以後 声優がレコード会社との専属契約を結び 本格的に歌手活動をする例が一般化している 数名の声優が音楽ユニットを結成して 歌手 音楽 活動をすることもあり これは声優ユニットと称されることが多い アイドルマスター や ラブライブ などのように ドーム球場でライブを行う人気作品もある オリコンなどのヒットチャートにおいては かつてアニメソングは児童向けの曲として別に集計されていた また アニメ専門店や家電量販店は集計の対象外だった これらが修正された年代半ばごろから 声優の歌のがランキング上位になることが増えた アニメソングが一般層にも浸透するにつれ 声優が音楽テレビ番組に出演して歌を歌うことも増えている 年には椎名へきるが ミュージックステーション に 年には 水樹奈が紅白歌合戦 第回紅白歌合戦 に それぞれ声優として初めて出演している 水樹奈や茅原実里 蒼井翔太のように 元来歌手を志望していた人物が声優となり のちに歌手としてもデビューするということもある 声優によるラジオ番組のパーソナリティは 古くから存在するが 年代以降は文化放送やラジオ大阪 ラジオ関西がアニラジ専門の放送枠を設けるなど 番組数が急増した 年代以降は 地上波放送だけでなくインターネットラジオ番組も増えている アダルトゲーム エロゲー アダルトアニメなどの年齢制限のある作品に声をあてる この場合 声優名を非公表とするか 別の芸名を使うことがほとんどである 石田彰や一条和矢 大野まりな こおろぎさとみなど 一般作と同じ名義で出演する声優もいる ダイナマイト亜美や静木亜美 長崎みなみなど アダルト作品を専門としている声優もおり ゲームのアニメ化に合わせて一般作での活動を行なう例も多い アニメでは成人向けの描写をカットした一般向けと すべての描写を入れた完全版の種類を用意しており それぞれ声優も異なっている 人形劇はキャラクターの演技とタイミングを合わせながらセリフを言うか 事前に収録した映像を見ながらアフレコする の人形劇はプレスコ形式が多い また人で複数役を兼任するスタイルが多く 連続人形活劇 新 三銃士では人近い役を名で演じており 人形劇 三国志ではメインキャラクターを演じる役者は名以上の役を兼任している 着ぐるみショーでは生で声を合わせることもあるが 基本的には事前に声を収録してそれに合わせて着ぐるみの演者 スーツアクター が演技を行う 長期シリーズを中心に 担当声優の引退や逝去 降板以外に 諸般の事情による交代も時折起こる また同じく病気や産休 事故などによる療養や 海外留学などによる休業により 一時的に 別の声優が代役を担当する例も多く見られる 男性と女性とでは声質が違うということもあり アニメのアフレコや洋画の吹き替えなどで 女性声優が男性 特に変声前の少年 幼い男の子 の声を演じるという例はよくあるが 蒼井翔太や村瀬歩のように男性声優が女性 特に少女 幼い女の子 の声を演じるという例は少ない 子供の役に子役を起用するのは演技指導などで難しい面があり 台詞の多い主要キャラクターとしての例はばらかもんなど少数である ハリウッド映画で子供が主人公の映画が流行した年代には 日本で吹き替え版でも少年役を子役に演じさせようとする時期が重なり 浪川大輔のように児童劇団に所属していた子役が抜擢された 日本以外では子供の役は子供に担当させることが主流である 脚本家のは歳のころにプロデューサーだった父親の手伝いとしてスターリング ホロウェイらとともに子供の役を演じていたが 変声により解雇されている 諸外国では日本のように専業の声優が確立している国は少ないとも言われる アメリカでは代表的な人物だけでも人以上おり 近年では日本アニメの吹き替えや音声入りゲームの増加により 声優業がメインの役者も増えている 韓国では 放送局が放送劇団 声優劇会 を持っている 劉セイラ ジェーニャ 天城サリーのように 海外の出身で日本語が母語ではないが 日本語を習得して日本国内で声優として活動している例もある 声優の経歴としては 以下のような例がある と民放が組織した劇団で 局のアナウンサーとは別個に 芸能を担当するために放送局で養成され おもにラジオドラマを担当した放送タレントである 彼らを指す言葉として 声優 が生まれた 芸能事務所などの台頭で現在ではすべて解散している の東京放送劇団からは 巖金四郎 加藤道子 中村紀子子 大木民夫など 札幌放送劇団出身の若山弦蔵 九州放送劇団出身の内海賢二など多数 民放ではのちのにあたるラジオ東京放送劇団からは大平透 中村正 滝口順平 田中信夫 朝戸鉄也 向井真理子など 地方局では 中部日本放送劇団出身の中江真司 毎日放送劇団出身の八奈見乗児など 地方局で活動していたのはラジオドラマ時代までで テレビ時代になると海外作品の日本語吹き替えなどの声優の仕事は東京に集中していった 声優プロダクション付属の声優養成所 養成所 声優になるためのレッスン指導を主とする養成所 声優養成学科がある専門学校 などの出身 声優になることを目指すには 声優の養成所や専門学校に通うのがもっとも一般的である 養成期間はおおむね年から年で 養成期間修了後に行われる所属オーディションに合格するとプロダクション所属となる この時点では 新人 ジュニア 仮所属 などと称される見習い期間となる 見習い期間が終了し 内部審査を経て 認められた者だけが正所属 正規に所属する となる 学生時代のうちから養成所に通う人間もいれば 社会人になってから養成所に通う人間もいる 多くは前者の例だが たとえば茅野愛衣や金田朋子は社会人経験を経て養成所に通うようになり その後に声優デビューを叶えた 大塚明夫は 自著 声優魂 の中で 養成所や専門学校は生徒の将来や給与の保証をする必要がなく 声優学校や養成所というのは非常に儲かる商売です 売れなければ お前のせいだ でおしまい うまいことスターが出れば ありゃあ俺んとこで育てたんだ と言えばいい それを広告塔に次の声優志望者たちがやってくる はっきり言って ローリスク ハイリターンです と述べている また 安全策 として学校という道を選ぶ人は その時点である種のステレオタイプを選んでいるということ そしてこと芸能の世界においてステレオタイプほどすぐさま使い捨てられる存在はない と指摘している おもに舞台演劇やミュージカルなどをやる舞台役者が声優として長く活動するようになる例は 声優という職業が成立する時期から多く存在しており 納谷悟朗などがこれに該当する また吹き替えを中心に 俳優として活動してきた役者が声優としても長く活動するようになる例もあり 津嘉山正種 磯部勉などがこれに該当する タカラジェンヌ出身の声優としては太田淑子 葛城七穂 水城レナ 涼風真世 七海ひろきなどがいる 児童劇団などに所属する子役が 声優の仕事をするようになったことがきっかけで そのまま声優業を中心に活躍する例は 声優という職業が成立する時期から多く存在しており 古谷徹 古川登志夫などがこれに該当する 近年では 宮野真守 内山昂輝 木村良平 入野自由 飯田里穂 悠木碧 花澤香菜 小倉唯 諸星すみれ 黒沢ともよなどがこれに該当する アイドル グラビアアイドル 歌手 モデル 特撮番組系俳優 お笑いタレント レポーター コスプレイヤーなどといった経歴のタレントが 声優の仕事をするようになったことがきっかけで そのまま声優業を中心に活躍する例 また 声優になるための足がかりとしてアイドルをしていた例や 歌手になるための足がかりとして声優を目指す例 あるいは 各種コンテストで入選したことがきっかけで声優として活動するようになった例もこれに該当する 一例として 仲谷明香 元 前島亜美 元 などが挙げられる 特に年代になって以後は アイドルから声優への転身者や 現役アイドルのまま声優としても活動する人間が登場 増加するようになっている ナレーションやアナウンスも声優の仕事の一部であり アナウンサー出身という肩書きで活動する者はいない 黎明期には局のアナウンサーが声をあてた事例もあるが 現代では演技を行わないアナウンサーと声優は別な職業としてとらえられている 俳優 歌手 音楽家 アイドル グラビアアイドル モデル お笑いタレント スポーツ選手 著名人が 声優活動をすることがある もともと 専業の声優が確立されていなかった時代 東映動画の長編作品のころから 長編アニメーション映画において ほかの芸能人 著名人などを声優に起用することは珍しくない 年代以降のスタジオジブリ制作作品 年代以降のスタジオ地図制作作品に至るまで こうした傾向は現在でも続いている 作品の質よりも話題性を狙って芸能人 著名人などを声優に起用するということも多いため 芸能人 著名人などの声優起用に批判が出ることもある ターミネーター や のように 劇場公開版では芸能人が吹き替えを担当したが ソフト版では声優に差し替えて収録する場合もある また フューチャー パスト のように 新規バージョンをソフト化する際に収録し直す例もある オリコンスタイルで タレント 芸能人や著名人など を声優に起用するべきか それともしないべきか というアンケート調査を年に行ったところ ほぼ半に意見が分かれた 一方で年に大ヒットを記録した 劇場版 鬼滅の刃 無限列車編 では 新登場したキャラクターも含め全員を声優で固めており 話題性のためにタレントを起用する流れが変わるという予測もある テレビ人形劇では声優の仕事が確立される以前から放送されたこともあり 俳優や劇団員が起用された その後も俳優が選ばれることが多く 年に放送されたシャーロック ホームズでは俳優と声優が混在して起用された アニメ監督の原恵一は 他の芸能人や劇団の子役 俳優を声優に起用している 同じくアニメ監督の富野由悠季は 声優の演技は型にはまっていると批判したことがあり 主役に劇団出身者や新人声優を多く起用している 同じくアニメ監督の押井守は 存在感と新鮮さが声優に勝ることがあるとして 複数の作品に俳優の竹中直人を起用しており スカイ クロラ ではメインキャラクターに俳優を起用した ノブナガ ザ フール では原作 シリーズ構成の河森正治が宝塚歌劇団を取材した際 現役タカラジェンヌである七海ひろきの舞台を見て抜擢した 七海は宝塚退団後も俳優兼声優として活動している では監督の伊藤智彦が有名声優を使うことよりも作品のオリジナリティを重視したことや 大富豪である主人公の存在感を際立たせるため イメージに合う声としてダンサー兼俳優の大貫勇輔を抜擢した 上述の俳優が声優に起用されることに関して アニメを多く手がける脚本家の首藤剛志は マイクの前で声を出しているだけの声優よりも 声優としての技量が劣っても 実際に観客の前で芝居をする俳優が買われているのではないか と述べている 声優の難波圭一は いいですよね ぼくは声優という小さな世界がなくなることを望んでいます と肯定的な考えを持っている 俳優などを多く起用するゲームシリーズ 龍が如く では ある有名俳優を起用したが事前準備もされずに収録に臨まれ 演技がなかなか上達せず横山昌義の指示で何度もリテイクが行われ 時間をかけてその場面の距離感や感情を説明して及第点といえるところまで収録できたが 同じ苦労をした別の役者に申し訳ない 妥協はしたくない として仕方なく降板してもらったという事例もある 劇中でテレビニュースが映る場合は リアリティを重視して放送局に所属する本業のアナウンサーを起用する例があり フリーアナウンサーの松澤千晶はアナウンサーやレポーター役としてのみ出演している 東映の特撮変身ヒーロー作品 とりわけ 仮面ライダーシリーズ の 昭和ライダー 最終作にあたる 仮面ライダー および スーパー戦隊シリーズ では 炎神戦隊ゴーオンジャー に至るまで長きにわたりオールアフレコで制作されてきた いわゆる 平成ライダー 第作にあたる 仮面ライダークウガ および 侍戦隊シンケンジャー から 俳優が顔出しで演じるシーンは基本的に一般的なドラマと同様の撮影同時録音方式に切り替えられたものの 現在でもスーツアクターが演じる変身後のシーンなど番組制作の各所でアフレコが多用されているため 特撮番組に出演経験のある俳優は 声優としての演技経験を事実上しているとも言える そのためか 特撮番組で出演経験のある俳優がアニメなどの声あてをすることもあり 中には声優を本業として転向した者もいる 市道真央など 声優がほかの分野での芸能活動をする例のひとつとして 俳優活動が挙げられる 理由として 声優さんには ああ あの声の人だ という知名度ならぬ 知声度 があるので 仮に顔がいまいちわからなくても 声 がわかったときの感動や話題性があるから が挙げられる 特に俳優活動の中でも 舞台での活動と両立する声優が少なくないが 理由として 舞台はやり直しができず 実際にその芝居や息づかいが観客に見られていることで それが声の芝居に生きるから などが挙げられている また 声優が歌手などの活動と両立させる例が 特に年代以後に顕著になっているが これについては下記の節にて述べる 歌手などの活動と両立させる声優について アイドル声優 あるいは 声優アーティスト と表現する例が多い アイドル声優とは 第次声優ブームと称されていた年代半ばごろから出てきた俗称 このころにはボイスアイドルとも呼ばれた 本業にとどまらず 歌を通してそのを発売 ライブを開催するなど歌手活動をする 声優専門誌や漫画雑誌などのグラビアに登場する 写真集やイメージビデオを発売する に出演する これはいわゆる を含む などといったアイドル的活動を行う声優を指すことが多い 本業を蔑ろにしているという批判的なニュアンスも含んでおり 実際にベテラン声優を中心に否定的 悲観的にとらえることが少なくない 一例として桑島法子は アイドル声優は旬を過ぎたら使ってもらえなくなる と述べている 声優アーティストとは 上記のアイドル声優に代わって年代半ばごろから出てきた俗称であり おもに声優業と歌手業を両立させている声優を指すことが多い アイドル声優 声優アーティスト のいずれの場合も 日本の女性声優に特に多いといわれる 近年では歌手としての独立した活動までには至らずとも アニメに出演する場合 主題歌などを担当したり 各種関連番組 アニラジ ニコニコ生放送など やイベントへの出演など タレント活動を求められる例が一般的になっている さらには アイドル主体のアニメ ゲーム作品における担当アイドル キャラクター を そのまま実際のライブで再現する声優ユニットも登場し 専業のアイドルと比べても遜色のない例も存在する 実際 などのように 声優とアイドルの両立を謳うグループ が増加するようになっている アイドル声優 声優アーティスト のいずれであれ 声優の顔出しでの活動が増えた理由として 声優の社会的地位の向上のほかに 声優の役割やイメージの変化 裏方的な仕事 とされてきたのが ルックスや若さが重視される ように変化した が背景としてあると指摘されている 声優プロダクションは 声優から手数料を徴収し 音響制作会社や放送局などに対して アニメ 日本語吹替 ナレーションなど得意分野ごとに配置されたマネージャーが営業活動や声優の売り込みなどを行う 専門の養成所を持ったり専門学校と提携して新人の育成も行う もともと制作会社の関連会社に位置していて連携の強いプロダクションが存在し 特に年代は特に新たに創業される例が見られたが 年代以降は制作会社の一部門として直営され より連携が強固なプロダクションも存在する 特定の制作会社との連携が強くとも ほかの制作会社が手がける仕事も請ける また もともと音楽系のプロダクションでも声優のマネージメントを行う例が近年あり この場合は本業を生かして歌手活動も積極的に行われることが多い 他分野中心の芸能プロダクションが声優部門に力を入れるようになる例も見られる 声優は所属事務所からの基本給というものは存在せず 各人の仕事実績によるギャランティ 報酬金 が収入となる個人事業者である 所属事務所とは通常年更新のマネジメント契約を締結し 売込みやマネジメントの対価として業界平均で出演料の約 から を事務手数料として事務所へ支払い 源泉徴収も 引かれ この残りが声優の手取りの報酬となる 歌手や俳優など ほかの芸能の世界と何ら変わりない厳しい競争社会であり 経済的に自立できずに脱落していく者も多い 日本語吹き替えが始まった年代には 声の仕事は顔出し出演の割の出演料 顔出しの七掛け とされ 低い位置にある仕事とみなされ 舞台俳優がアルバイトのような形でやっていた ただし 実写の仕事と比較して 吹き替えの仕事は拘束時間が少なくかけ持ち出演が可能だったため 低収入とは言えなかった 声優の賃金待遇改善については 声優の多くが日本俳優連合 日俳連 に所属しており 日俳連は音響制作会社の集合体である日本音楽制作者連盟 音声連 声優のマネージメントを行う事業者で組織する日本芸能マネージメント事業者協会 マネ協 と 三団体実務小委員会 を設けて 出演ルールの改定や待遇の改善を申し入れて来た ときにはストライキ 年月日 や街頭デモ活動を行うなどして 年には報酬が約倍アップ 年には再放送での利用料の認定 年には報酬が約 倍上昇するなどの成果を勝ち取ってきた 業界に対してのみならず 年と年にはデモ行進 年には永井一郎が オール讀物 文藝春秋 において 磯野波平ただいま年収万円 と題して アニメ出演料の安さを訴える記事を寄せて 世間一般への理解を求める行動を起こしている 日俳連 マネ協 音声連による協議の結果 外画動画出演規定 新人登録制度 番組に関する特別規定 ゲーム出演規定などを締結した アニメでは 放送局と アニメ制作会社で組織される日本動画製作者連盟も加わって 団体協約が締結されている これにより 仕事作品あたりの報酬は作品のジャンル 放送時間帯 放送回数 ソフト化などによる次利用 そして経験実績などの条件によって受け取る額が算出される方法を取られており 音響制作会社の一方的な言い値で手取りを決定されるということはない 以上の協定は 声優 マネジメント事業者 音声製作事業者がそれぞれの団体に所属しなければ縛られることはない たとえば 石原裕次郎は映画 わが青春のアルカディア の出演料が 万円だったと言われている そのため組織率を高めるために 音声連が製作する作品に出演する人数について 日俳連に属さない出演者の数は全体の 以内 とし 日俳連に属さない出演者については加盟を推奨することが音声連には課せられている 逆にマネ協 日俳連側は 音声連に入っていない製作会社へ音声連への加盟を奨めることとなっている これらの協定を嫌う日本アドシステムズなどの製作者側もあり 日俳連に所属しない声優を起用する例が年代半ばより増加したが 東映アカデミーやラムズのように事業を停止した例もある 音声連に属していない事業者としては神南スタジオや脱退した音響映像システム 現 サンオンキョー などがあり マネ協に属していない事業者としてはネルケプランニングなどがある 日俳連に所属する声優が アニメと日本語吹き替え作品に声をあてる際の出演料についての規定で この制度では報酬は ランクと拘束時間によって算出され 演じる役のセリフ量にかかわらない また 社団法人コンピュータエンターテインメント協会 に加盟するゲーム会社との間にも同様のランク制が設けられている ランクの設定は毎年月に更新され 人気が上がったりキャリアを重ねると マネ協や音声連との協議のうえ ランクが上がっていく ランクがつ上がるごとに出演料が 円ずつアップする 例外として 歳以上の者はランクを上げることはできても下げることはできない 年に出演料が約 倍アップしたこともあり 予算の限られたアニメや吹き替えにはランクの高い 出演料が高い ベテラン声優が起用されなくなる弊害が生じるようになった それにより 年から年の期間限定でランク下げを認める特例期間が設けられた 声優学校や声優養成所を卒業して 日本芸能マネージメント事業者協会 マネ協 加盟の声優事務所のオーディションに合格した新人声優は まず 預かり という身分から声優業をスタートする この時点ではまだ声優個人としての日本俳優連合 日俳連 への加盟はできない 預かりは声優業の最初のステップとして ランク制の事実上の番外とでもいうべき存在である 預かり期間修了後はジュニアランクとなり ジュニアランクでいられる期間は年間ないし所定の起用率に到達するまでで それを終了したあとは日俳連へ加盟し通常のランクの声優になる 出演料が安すぎるという理由で年に一度新人 ジュニア ランクを撤廃したことがあったが 年から新たな形で再び導入された 預かりとジュニアランクの声優の出演料は万 円で ランクがついた声優とは違い 上述の 目的使用料 予告編のセリフ代 時間割増料 転用料 は支払われない 声優としてベテランになり日俳連のランクが高くなると 予算の関係からアニメ ゲーム 吹き替えの仕事は自然とできなくなっていく そういったことを補うのが やテレビ番組などでのナレーションの仕事である ナレーションは日俳連の協定によるランクの縛りがなく また ギャラはアニメ ゲーム 吹き替えよりもはるかに高額とされる そのためか 新人 若手声優だったころはアニメに多く出演していたが のちに中堅 ベテラン格になるにつれてアニメの仕事が徐に減っていき ナレーションが中心になるという傾向にある なおベテラン声優を回のみ登場 台詞が少ないなど収録時間が短い役に起用する例もあり アニメやゲームの出演が無くなる訳ではない ベテラン声優の中には収入の少なさを補うために本業の傍ら 声優事務所の経営 声優の養成所や専門学校の講師 カルチャースクールの喋り方教室の講師 音響監督などといった副業をしている者もいる また ベテランになると 経済的にはむしろそのような副業のほうが本業という声優も珍しくないといわれている 声優を目指す人は増加傾向にあるが 職業としての声優として第一線で活躍できる者は少ない オーディションでほかの声優との競争に勝てず 仕事がもらえずに無名のまま脱落し 経済的に自立できずにわずかな期間でやめる またはプロダクションから 今後 第一線級の声優として売れる見込みがない と判断されて契約を解除されるという新人 若手声優が多いという 実際 一例として内田彩は 年月のインタビューにて 声優の仕事一本で食べていけるようになる 年くらい前まで 声優の仕事が空いているときは派遣のアルバイトをやっていました と打ち明けている 内山夕実のように 家の都合で 一度引退後に復帰する例もある ある程度の知名度 出演本数 活動年数があったにもかかわらず 声優業で生計を立てていくことが難しいという理由で引退した者も少なくなく 継続して仕事を維持するのも厳しい世界である 奈良線 ならせん は 京都府木津川市の木津駅から京都府京都市下京区の京都駅に至る西日本旅客鉄道 西日本 の鉄道路線 幹線 である 正式な起点は木津駅であるが 京都駅から木津駅へ向かう列車を 下り としている 以下特記なければ 京都駅から木津駅 および奈良駅 へ向かう方向に記述する 西日本のアーバンネットワークの路線の一つであり 京都駅で東海道新幹線と東海道本線 琵琶湖線 京都線 山陰本線 嵯峨野線 に 木津駅で関西本線 大和路線 と片町線 学研都市線 に接続し 関西本線奈良駅方面との直通運転により 観光都市である京都 奈良間の都市間輸送を担う 京都への通勤 通学路線であると同時に京都と奈良へ向かう観光路線でもある 線路名称としての奈良線は京都駅 木津駅間であり 奈良線と称しながら全区間が京都府内にあり 奈良県内にはまったく路線がない もともと本路線は京都駅と奈良駅を結ぶ路線として奈良鉄道により開業したものの 鉄道国有化後に木津駅以南が関西本線に編入された経緯がある なお 関西本線の平城山駅 奈良駅でも旅客案内上は京都駅発着の列車は 奈良線 と案内され 木津駅に乗り入れる列車は全列車が関西本線に乗り入れて奈良駅発着で運転される ラインカラーは茶色 であり 選定理由は 日本の古都を結ぶクラシックな落ち着いたイメージ としている 路線記号は 全線にわたって近畿日本鉄道 近鉄 の京都線と競合しているが 全線複線の近鉄の方が運転本数が多く の奈良駅の位置が近鉄奈良駅に比べて奈良市の中心部からやや離れているため 近鉄京都線が優位な状況となっている 西日本はかつて全線単線であった当路線の一部区間を複線化し 快速列車の増発やスピードアップを行うことで近鉄に対抗している ただ 外国人観光客に関しては ジャパンレールパスが近鉄では利用できないため を使うケースも多い また 京都駅 宇治駅間は京阪本線 宇治線の東福寺駅 中書島駅 宇治駅間とも並行している 全線が大都市近郊区間の 大阪近郊区間 および乗車カード エリアに含まれている なお長池駅 上狛駅間では無人駅も混在するため簡易型自動改札機が設置されている 電車特定区間とはなっておらず幹線運賃が適用されるが 特定運賃が京都駅 城陽駅 奈良駅間などに設定されている 全区間を近畿統括本部が管轄している 京都駅では 奈良線の列車は東海道新幹線に隣接した 番のりばから発車する 東海道本線 琵琶湖線 とわずかに並走し 南進するためにカーブを進みながら東海道新幹線をくぐり 鴨川 琵琶湖疏水に架かるトラス橋梁を渡ると京阪電気鉄道 京阪 との共同使用駅である東福寺駅である その先の稲荷駅は伏見稲荷大社の最寄り駅で 国鉄最古のランプ小屋 準鉄道記念物 が現存している 稲荷駅を出て左にカーブすると直線が続き その先で右にカーブするが かつてはこの付近からまっすぐ東海道本線旧線が続いていた 名神高速道路をくぐると掘割駅の藤森駅に到着し ここから単線になる 伏見桃山陵への参拝客で賑わいを見せた桃山駅には 自動信号化万達成の記念標識がホームに置かれている ここからは進路を一度東に変えて山科川を渡って京都市から宇治市に入り 京都市営地下鉄東西線との接続駅である六地蔵駅に至る 木幡駅 黄檗駅と続き 京阪宇治線と並走するが ほどなくして別れて京滋バイパスを越え 京阪宇治駅が右手に見えると宇治川を渡り 宇治駅に到着する 宇治駅では改良工事により 上下共に緩急接続ができるようになり 一部は京都方面から折り返し運転もしている 宇治駅から複線となり 奈良線で一番新しい駅である小倉駅 続いて新田駅と続く 新田駅からは再び単線となり 城陽市に入って城陽駅に着く 城陽駅からは田園地帯が開ける 長池駅周辺は 京都へ五里 奈良へ五里の奈良街道の中間地点で 宿場町として栄えていた地域である 長池駅以南は丘陵部から木津川の河谷にできた低地を横断して木津川に流れ込むため天井川が多く 奈良線でもつの天井川と交差する このうち 山城青谷駅 山城多賀駅間の青谷川と 玉水駅 棚倉駅間の不動川は短い単線トンネルをくぐって交差しており 形状は通常の山岳トンネルと同様である 山城青谷駅は京都府内でも一番を誇る青谷梅林の最寄り駅で 奈良線では最も利用の少ない山城多賀駅と続き 快速停車駅である玉水駅に到着する 玉水駅のホームには 年月日に発生した南山城水害で駅の南東約先の玉川から押し流された岩石と記念碑が水難記念としてホームに置かれている 玉水駅を発車すると 桜の名所で平成の名水百選に選定された玉川の天井川をくぐり 駅周辺がタケノコの産地である棚倉駅を通過し 椿井大塚山古墳の中を抜けて上狛駅と続き 木津川を渡ると片町線 学研都市線 関西本線 大和路線 との分岐駅である木津駅に到着する 同駅に発着する奈良線の列車はすべて関西本線 大和路線 の奈良駅まで直通運転を行っている 沿線にある京都市の伏見稲荷大社 宇治市の平等院などへの観光や 城陽市など京都府南部地域からの通勤 通学路線としての性格が強くなっている しかし桃山駅 新田駅間は東側に大きく迂回する線形であり これは奈良鉄道敷設当時 この一帯にあった巨椋池の周囲を迂回したためである また城陽以南は町の中心部から外れた場所を走っており 西日本発足後に一部区間の複線化や快速の増発などの輸送改善が図られているものの 並行する近鉄京都線とは京奈間 地域輸送ともにまだ格差がある みやこ路快速 快速 区間快速 普通の種別の列車が運転されている 朝には大和路線の難波駅からの直通列車があり 平日は難波駅 奈良駅間を普通 奈良駅 京都駅間を快速または区間快速で運転する列車が本 土休日は難波駅 奈良駅間を快速 奈良駅 京都駅間をみやこ路快速で運転する列車が本設定されている 両者とも難波駅の時点で京都行きとして案内される 逆のパターンである京都駅から奈良駅を経由して難波駅に直通する列車は年末年始の終夜運転時やダイヤ乱れ時を除きない このほかにも運用上の都合で朝や夕方以降に 大和路線王寺方面と直通する列車がある 前述の早朝に難波駅から直通する列車のみ 難波 王寺方面からの直通列車として時刻表に掲載されている 年月日改正前の時刻表には掲載されていなかった この種別は近鉄京都線の急行のライバル的存在となっている みやこ路快速の種別名は運転開始前に一般公募により決定した 通の応募があり このうち 古都 古都路 などが使われたものは通で位 みやこ が使われたものも通で位であったが 通であった みやこ路快速 が採用された 基本的に時間に本 分間隔 の運転で 宇治駅で普通電車と相互接続を行っている また 京都行きは 土休日ダイヤの本をのぞいて 城陽駅でも普通電車と接続している 観光地である京都と奈良を結ぶ列車として 日本人だけでなく国外からの観光客の利用も多い また 京都市から宇治市 城陽市などへの通勤通学列車 近郊列車としての役割も担う 車両は全列車系で 平日日中と土休日の全列車が両編成で運転されている 運転開始当初はすべて両編成であった なお ダイヤ乱れ時は系または系で運転される場合もある 京都行きは棚倉駅 一部は上狛駅 で分ほど運転停車して奈良行きのみやこ路快速と行き違うため 下りと上りとで所要時間に若干差があり 標準所要時間は京都駅から奈良駅へが約分 奈良駅から京都駅へが約分である 正月三が日と月日や多客時には伏見稲荷大社への参詣客のため稲荷駅に臨時停車する 奈良歴史キャンペーンに伴い 年および年の月 月の土休日ダイヤでは みやこ路レジャー号 として京都駅 桜井駅間 京都駅 奈良駅間は定期のみやこ路快速 で運転されていた 朝夕ラッシュ時に運転されており 朝ラッシュは上りのみ本 夕ラッシュは下りが分に本 上りが時間に本運転される 全区間で快速運転を行うが みやこ路快速が通過する小倉駅 新田駅にも停車し 前述のみやこ路快速と同様に大和路線の快速が停車する平城山駅は通過する 上下ともすべての列車が宇治駅で普通と緩急接続を行う 車両は全列車系で運転され 両または両編成で運転されている みやこ路快速が設定される前の年月日までの途中停車駅は 六地蔵駅 宇治駅 城陽駅 木津駅で これに加えて正月ダイヤ時は稲荷駅と東福寺駅に停車していた 車両には系が使用されていたが みやこ路快速設定以後は奈良線では使用されていない また設定当初は六地蔵駅と城陽駅を通過していた 京都駅 宇治駅間でのみ快速運転を行い 宇治駅 奈良駅間では各駅に停車する 朝夕を中心にすべて系の両または両で運転されているが かつては系での運用もあった 当初は平日ダイヤのみだったが 年月日のダイヤ改正から土休日ダイヤにも運転されるようになった 基本的に途中駅で普通を追い抜くことはないが 京都行きの上りは全列車宇治駅で普通電車と接続する 奈良線の区間快速は大和路線の区間快速との誤乗防止を図るため ラインカラーが入った種別幕が使用されている 種別幕の 区間快速 の文字色についても大和路線の緑色とは異なり橙色となっている 年月日から月日までの期間は 系用に新調された種別幕では奈良線区間快速用の表示が用意されておらず 大和路線同様の緑ラインカラー 緑文字の区間快速表示で運行されていた 全区間で各駅に停車し 基本的に京都駅 城陽駅 奈良駅間で運転されている 日中時間帯は時間に本 城陽駅 奈良駅間は本 が運転されている 朝夕ラッシュ時には 京都駅 宇治駅間の列車も運転されている 過去には桜井線との直通列車もあり 年頃には土曜 休日を中心に桜井線への直通列車が定期快速を延長する形で天理駅まで時間に本運転されていたが 年月日のダイヤ改正で奈良線と桜井線は系統分割された 車両は基本的に系 系の両編成 系の両または両編成で運転される 年月日のダイヤ改正で平日の系による運用が大幅に増えた 系の廃車進行に伴い行われた年月の運用変更で 平日 土休日とも全体の約分のが系で運用されている 基本的に京都駅 奈良駅間直通列車が宇治駅でみやこ路快速もしくは快速の接続待ちを行い 京都駅 城陽駅間の区間列車が全区間先着するダイヤになっているが 朝晩には京都駅 奈良駅間直通列車でも全区間先着する列車がある また城陽始発の上り本は宇治駅で後発の区間快速の接続待ちを行う 臨時列車として特急列車が運転されたことがある 年から年にかけて ふれ愛紀州路 年から年まで しらはま の愛称で系電車を用いて京都駅 白浜駅間に関西本線 阪和貨物線 現在は廃止 阪和線 紀勢本線経由で運転された 沿線には東福寺や伏見稲荷大社といった大きな社寺があるため 大晦日深夜から元日午前時頃かけて 奈良線では京都駅 城陽駅間において 普通のみ約分間隔で臨時列車が増発されている かつては元旦にかけて全線で終夜運転が実施されており 年度までは京都駅から先 大阪方面とも直通運転を行い 西明石駅 大阪駅 京都駅 木津駅 奈良駅間で普通のみ分間隔で運転されていたこともあった その後は城陽駅 奈良駅間においては普通のみ約分間隔の運転となり 中には京都発奈良線 大和路線経由難波行き 大和路線内は定期列車 が本設定されたこともあった 年度 が 同区間の終夜運転は年度をもって取り止めとなった 京都駅 城陽駅間においては年度も普通のみ約 分間隔で終夜運転を実施したが 年度からは午前時頃で運行を打ち切っており 終夜運転ではなくなっている かつては正月三が日は臨時ダイヤとなり 快速が京都駅 宇治駅間各駅に停車するほか 宇治駅までは本数を増やして運転されていた 年によっては桃山駅折り返し列車の設定もあった 年正月期頃までは日中を中心に正月特別ダイヤを組んでいた 当時は みやこ路快速 は稲荷駅のほか東福寺駅にも臨時停車していた が 現在は通常時の運転本数が増加したこともあり特別な増発は行われず 正月三が日と月日に稲荷駅に みやこ路快速 が臨時停車するのみとなっている 東福寺駅が紅葉の名所である東福寺の最寄り駅であること さらに東福寺駅から京阪本線への乗換利用客が増加していることから 年以降 月下旬の土日祝日に 京都駅 桃山駅間の臨時普通列車が設定されることがあった 年は月 日の午後に往復設定 が 年より複線化工事の一環として桃山駅構内の工事が開始されたことにより 年以降は設定されなくなった 代わりに伏見稲荷大社への参詣者の増加に伴い 年以降は月下旬の土日祝日の日中のみ みやこ路快速 が稲荷駅に臨時停車している 奈良線には 日本各地からの団体臨時列車が乗り入れることがある 毎年月上旬から月下旬にかけて 姫路市の小学校が利用している修学旅行列車が姫路駅などから奈良駅まで運転されており この列車にはキハ系気動車が使用されている 年度までは キハ系気動車が使用されており 同列車の老朽化に伴って 年度を最後に運転を終了するとしていた また 天理教の行事で特に月下旬から月上旬にかけてのこどもおぢばがえりや月日の大祭時には 天理臨 と呼ばれる列車が天理駅まで運転されている 関東地方からの列車については系 系電車により運転されていたが 新幹線利用への移行が進んだこともあり 年月を最後に運転を終了している かつては牽引の客車列車 系や系座席車など で運転されることが多かった すべて吹田総合車両所に所属し 奈良支所に配置されている扉車の系および扉車の系 系 番台 番台 電車が使用されている 編成は系 系は両 系は両が基本となっている 年月日から年月日まで 両編成の系が朝ラッシュ時に運用されていた 快速列車は全列車が系で運転されている 普通列車は系での運用が中心であったが 近年系での運用が増えてきており 年月日のダイヤ改正からは吹田総合車両所日根野支所から転属した系が営業運転を開始している なお 系の帯色については 奈良線転属前まで配置されていた阪和線のスカイブルー色 青号 のまま奈良線に転属されており 奈良線の系が纏っているウグイス色 黄緑号 には変更されていない 気動車や気動車導入前は定期旅客列車にも客車が使用されていた 旅客列車に使用された気動車は以下のとおり すべて電車が使用されている 並行する京阪宇治線や近鉄京都線は以前から多数の列車が運行されていたのに対し 奈良線は国鉄末期の年月日に電化されるまで気動車による運行で 電化後も年月日までは系電車の両編成の運用が多かった しかし西日本の発足後 列車の両編成化 一部は両編成 部分複線化 みやこ路快速 などの快速列車を始めとする列車の増発など 急速に輸送改善が図られた しかし 年に発生した阪神 淡路大震災により西日本も大きな被害を受け また株式上場を控えており奈良線の輸送改善について心配されていたが 西日本は京都府の要望通り段階的に整備を行うと回答し 整備計画は全区間の複線化を将来の目標としながらも次の期に分けて工事を進めることになり 年の完成を目指して年月に着工を開始した 工事費は 億円で 西日本と沿線自治体で折半した これに先立って 長年地元から要望があった稲荷駅 桃山駅間に新駅設置工事が行われ 年月に藤森駅が開業した 一連の輸送改善は当初の計画通りに進み 年月日のダイヤ改正により系を投入して快速が増発されることになり 所要時間が大きく短縮されることになった また 年の近畿交通審議会答申第号で 輸送力の強化等によるサービス向上に資する事業 として 未だに単線区間が残る藤森駅 宇治駅間と新田駅 木津駅間の複線化が盛り込まれている 西日本と京都府は 山陰本線 嵯峨野線 京都駅 園部駅間が全線複線化が年月に完成したことから 奈良線複線化の協議開始で合意し 年月以降に西日本や沿線市町と費用負担や整備方法をめぐる協議を始める予定と同年月に報じられた 京都府は年月の京都府議会において 整備計画策定費万円を補正予算に計上した ただし 自治体の財政状況や西日本の経営状態から 全線複線化ではなく限定的になる可能性が高く 年に着手したとしても 山陰本線と同様の工期と想定した場合 複線化工事が完了するのは早くても年になる見通しと報じられた 残る単線区間も 第二期事業に城陽駅以南を含んだことで今後の複線化対象とみなされているが 具体化はしていない 近畿地方交通審議会で 将来 東海道本線 京都線 と相互直通列車の運転を図る案が検討されている 奈良鉄道によって京都駅 木津駅 奈良駅間が開通したが この区間のうち京都駅 桃山駅間は当初現在の近鉄京都線のルートを通っていた 東海道本線の馬場駅 現在の膳所駅 京都駅間が東山トンネル経由の現在線に切り替えられた年のその日に 京都駅 稲荷駅間の旧東海道本線と稲荷駅 桃山駅間の新線が奈良線となり 京都駅 伏見駅間が廃止 伏見駅 桃山駅間が貨物線化された のちに京都駅 丹波橋駅間は近鉄京都線の前身である奈良電気鉄道に払い下げられた 奈良電気鉄道の路線が年に開業した後は 運行頻度や所要時間で劣るため直通需要を大きく奪われる 戦後 年代にいち早く旅客列車を気動車化し また駅の増設が行われるなどしたが それ以降は特に目立った投資はなされず 年になってようやく電化が完成するといったように 完全なローカル線と化していた 国鉄時代は天王寺鉄道管理局が奈良線全線を管轄していた 本格的な活性化策がとられるようになったのは 国鉄分割民営化に伴い西日本の所属路線となってからである 西日本の奈良線に対する投資を報じた年の朝日新聞記事には 投資の背景として 前年の 即位の礼の一連の行事で関西を訪問された天皇 皇后両陛下は東海の東海道新幹線で京都駅に着くと そのまま近鉄で奈良方面へ向かわれ 地元西日本の列車はまったく利用されなかった こんな 屈辱感 や 関西文化学術研究都市の開発などで沿線人口が増えていることが 西日本の投資意欲を駆り立てているようだ との記述が見られる しかし その後も皇族の奈良方面への移動には主に近鉄が利用されており 当路線の利用は実現していない 括弧内は京都駅起点の営業キロ 京都駅 八条仮信号所 東寺仮停車場 伏見駅 桃山駅 ネクスト は アメリカ合衆国カリフォルニア州レッドウッドシティを本拠地としたコンピュータ企業で 高等教育やビジネス市場向けのワークステーションを開発製造していた アップルの創業者の人スティーブ ジョブズがアップルを辞め 年に創業 最初の製品を年に発売し 小型化したは年に発売 売り上げはそれほど大きくはなく 全部で万台ほどを販売したと見積もられている とはいうものの その革新的なオブジェクト指向型オペレーティングシステムと開発環境は次世代を求めていた社に買収され やと言ったヒット商品に活かされている の主要なは 後にとして標準化された は年にハードウェア事業から撤退し いくつかのへの仕様販売と自社製の実装の販売に注力するようになった はまた 世界初の企業向けアプリケーションフレームワークの開発でも知られている は万ドルと高価だったために広く普及することはなかったが ページの動的生成に基づいた初期のサーバとして特筆すべき例であった アップルは年月日 億万ドルでを買収し 現行のの大部分はを基盤として開発された は かつて およびの付属ソフトであった 会長として ジョブズはを売り込むために各地の大学や研究者をしばしば訪問していた 当時のフランス共和国大統領フランソワ ミッテランを迎えた午餐会で ジョブズはノーベル化学賞を受賞したポール バーグと出会った バーグは実験室で実際に実験しないで 教科書だけで遺伝子組み換えを学生に教えるにはどうしたらよいかで悩んでいた 遺伝子組み合えの実験にはかなり費用がかかり 当時のパーソナルコンピュータ でシミュレートするには複雑すぎた バーグはジョブズに 彼のアップルへの影響力を行使して 高等教育用の ワークステーションを作ってくれないかと持ちかけた とは メガバイト以上の メガピクセルレベルのディスプレイ メガレベルの性能を意味する つの メガ で などを指した用語 ジョブズはバーグの描いたワークステーションに好奇心をそそられ 高等教育向けコンピュータ企業を年秋に立ち上げることを考えたが 当時アップル社内では内紛が大きくなっていた ジョブズの部門はの新製品をリリースできず の大部分もリリースが遅れていた 結果として売り上げが急落し アップルは売れ残り在庫の償却に数百万ドルを費やした アップルの最高経営責任者 ジョン スカリーはジョブズのアップルにおける権限を奪い取り 年にはジャン ルイ ガセーを後釜に据えた その後ジョブズはアップルの経営権を取り戻すべく闘争を開始した ジョブズが社用で西ヨーロッパとソビエト連邦に出張している間に スカリーは取締役会の協力をとりつけた 数カ月間アップル社内で邪魔者扱いされた末 ジョブズは年月日 金曜日 に辞任した 彼は取締役会に 退職後に新たなコンピュータ会社を立ち上げることと スーパーマイクロ部門から数人の従業員を連れて行くことを明らかにした また その会社はアップルとは直接競合することはないし 新会社で設計したものをブランドでマーケティングするべくライセンス提供することもありうると表明していた ジョブズはアップルコンピュータの株式売却で得た万ドルを出資し アップル元従業員のバッド トリブル スーザン ケア と共に新会社 を創業 各地の教育関係の業者と相談し ポール バーグとも再び会合を行った ワークステーションの仮の仕様が出来上がった それは 遺伝子実験シミュレーションを実行できるほど強力で 大学生が自分の部屋で使える程度に安価になるよう設計された しかし仕様が確定する以前に アップルはが創業者のインサイダー情報を利用しているとして訴えた ジョブズはこれについて 名以上を抱える億ドル企業がブルージーンズをはいた人に太刀打ちできないとは想像しにくい と述べた この訴えは裁判になる前に取り下げられた 当初は アドビシステムズと後に となる技術の開発を行っていたが これを実装できそうなオペレーティングシステムがその時点では存在しなかったことから 年中ごろ会社の方針を転換 単なるローエンドのワークステーションだけでなく これを搭載できるオペレーティングシステムならびにコンピュータを総合的に開発することとなった これを受けて社名は に変更された カーネギーメロン大学でカーネルを開発していたアビー テバニアンが同社に参加してチームを率い オペレーティングシステムを開発した ハードウェア部門を率いたのは創業当時からのメンバーである で かつて開発チームの責任者だった ハードウェアの設計開発を行った の最初の工場は年 カリフォルニア州フリーモントに設けられた この工場は年間万台のマシンを製造する能力があった の最初のワークステーションは公式には と名付けられたが マグネシウム合金製のマットブラックの一辺が約フィートの正立方体という特異な形状から 一般に と呼ばれた このデザインは をデザインしたハルトムット エスリンガー率いる フロッグデザイン に依頼したものである このワークステーションのプロトタイプは年月日に披露され 喝采を持って迎えられた 号機は年に評価され その後ベータ版のオペレーティングシステムをインストールしたごく少数のマシンが大学などに販売された 当初 はアメリカ国内の高等教育機関向けに限定販売され 基本価格はドルとされていた このマシンは主にそのハードウェアを中心に各種雑誌で広くレビューされた デビューが数カ月遅れたことについて聞かれたジョブズは 遅れた このコンピュータは年先を行っているよ と答えた 非常に斬新なソフトウェア構成に加えて 光磁気ディスク 本体とデザインを統一したモニタ のレーザープリンター プリンター 本体 ディスプレイ キーボードへそれぞれへの配線が最小になる接続方式などを採用した はのをベースとしている 当初 方式のも検討したが 十分な量が確保できないということで取りやめた はから の光磁気ディスク を備え スワップ専用 のハードディスクドライブ イーサネット ピクセルのグレースケール ディスプレイ を備えている 年当時の一般的なでは はから は ディスプレイは色 かモノクロ ハードディスクはから ネットワーク機能はほとんどなかった 光磁気ディスク装置はキヤノンが製造したもので 主な記憶媒体としてコンピュータに採用したのは日本以外ではが初めてだった ハードディスクよりも安価だが 特に未使用媒体は安価で 元キヤノンが枚当たりドルを得ることになっていたが ジョブズは交渉でそれをドルに値引きした 低速である 平均シーク時間は 設計上 装置は にはつしかなく システムをシャットダウンせずに媒体を取り出すことができないため コンピュータ間でファイルをやり取りするにはネットワークを介するしかなかった ストレージは初代の にとっては弱点だった 光磁気ディスク媒体は比較的高価であり フロッピーディスクドライブよりも高速だが性能と信頼性に問題を抱えていた それは一次媒体としてを動作させるには容量的にも性能的にも不十分だった 初代の製コンピュータは年 一般市場でドルで発売された なお 最初の出資者だったロス ペローはテキサス州プレイノに創業したシステムインテグレータ に専念するため 年月にの取締役を辞任した 何人かの開発者がのプラットフォーム上で先駆的なプログラムを書いている 年 ティム バーナーズ リーは を使って世界初のブラウザとサーバを生み出した 年代初めにはジョン カーマックがを使って とというゲームを作った 製コンピュータ向けに発売された商用ソフトウェアとしては 表計算ソフトの やがある また システムに同梱された小型アプリケーションとしては オックスフォード引用句辞典 ウィリアム シェイクスピア作品集 そしてこれらにアクセスするための検索エンジン があった は年にハードウェア事業から手を引き 社名を に変えた そして名いた従業員のうち名を解雇した はフリーモントの工場も含めてハードウェア事業をキヤノンに売却する交渉を行った ハード関連事業を買い取ったキヤノンは 社を設立したが 最終的にはモトローラに売却した マシンの開発も含め 全てのハードウェアの製造がストップした サン マイクロシステムズのスコット マクネリは年 に万ドルを出資し のソフトウェアをサンのシステムに将来採用する計画を発表した はサンと共同でのカーネル部分を除いたを開発した また は当初の事業計画に戻り 各種オペレーティングシステム向けに開発ツールキットを販売するようになった 新製品としては 上で動作するである などがあった また 大規模な動的アプリケーション構築用プラットフォームであるも開発した にはデル ディズニー ワールドコム といった大手企業の顧客がついた 後にを買収したアップル自身も など同社のサイトの多くでを使っている アップルコンピュータは年月日 買収の意思があることを発表した 億万ドルが各出資者に支払われ スティーブ ジョブズにはアップルの株式万株が支払われた ジョブズは買収交渉に直接対応した関係で 現金の受け取りを意図的に避けた この買収は第一に の開発に失敗し 時代遅れになってしまったのの代わりとしてを採用するためだった 他に の買収という案もあったが 側はを見くびって買収選考でプレゼンの手を抜いたため不採用となり 最終的にが買収された この際にキヤノンは出資を引揚げて清算した 買収によりの業績は回復し の技術を基盤としたを開発し 搭載したやや等のヒット商品を連発するようになった の技術は に引き継がれ アップルのソフトウェア技術の中核になった 人材面でも 出身のエンジニアがアップルの主要メンバーとして活躍している 現在のアップルの担当上級副社長クレイグ フェデリギ 前任者スコット フォーストール バートランド サーレイやアビー テバニアンも らはの経歴を持つ 買収後 のへの移植が行われ それと同期するようにインテル版と版の ツールキットにも改良が加えられていった このオペレーティングシステムはというコード名で呼ばれ 全プラットフォーム共通の開発ツールキットは と呼ばれた 従来との互換性を保つため 用アプリケーションが動作する という環境が追加された のプロセッサに依存しない機能はにも残った 各バージョンはとアーキテクチャの両方でコンパイルできるよう保持されていたが 年までは版だけが公にリリースされていた 年月日 アップルはインテルのプロセッサに移行する計画を発表した さらにや向けにはとして 向けののサブセットといえるものが使われている ワークステーションは 米国では大学とともに金融機関が主な販売先であり 日本では大阪大学や広島大学 神奈川大学に数百台規模で導入された しかし 独自のハードウェアだったため オープン標準で作られる 互換機の高性能化と低価格化に追随できなかった ワークステーション向けに作られた は を採用し 独自の洗練されたグラフィカルユーザインタフェースを備え ソフトウェア開発環境には言語にオブジェクト指向的な拡張を施し 本格的なオブジェクト指向開発を可能にした を採用 後にカーネル依存部分を切り離したを経ての礎となった 後期には画面表示のための と共に 現在のあるいはに相当すると呼ばれる表示フレームワークにを搭載し の バージョン古いものがデモとして がバンドルされ を標準で使用することができた のシーン記述ファイルは 次元表示のための とも呼ばれる アップルコンピュータのが有名になってくると と呼ばれる互換モジュールも発表し ムービーを上で見られるようになった 先進的で洗練された仕様には熱狂的なヘビーユーザを生み出した また アップルののであるのクラス名には からの名残で とプレフィックスが付けられる ジョブズはアップルの会社組織が自分が辞めることになった原因だと感じていたため 官僚的内部抗争のない企業にしようと考えていた ジョブズはの企業文化をアップルとは異なったものにするべく 設備や給料や福利厚生など様な面で違ったやり方を採用した ジョブズはアップルでも企業構造の改革を何度か行っているが では一般的な企業の組織構造は採用せず 従業員ではなく メンバー による コミュニティ を作るようにした は商業的に成功したとは言えないが コンピュータ業界に与えた影響は大きい とがリリースされた年以降 他社はのオブジェクト指向システムをエミュレートし始め オブジェクト指向プログラミングとグラフィカルユーザインタフェースがより一般化していった アップルは年 次世代パソコン向けに同様オブジェクト指向の開発 実効環境のを構築するプロジェクトをやと共同で開始した シャープの矢板事業部はシリーズに続く次のプラットフォームとして試作機を製作しており その仕様においてはを強く意識したものであったとされる 一部の層に対して一定のヒヤリングも秘密裏に行われたが 結局日の目を見ることは無かった マイクロソフトは年にを発表 の仕様にも同様のオブジェクト指向ユーザインタフェースが含まれていた プロジェクト自体は最終的に中止されたが 一部の要素はその後のプロジェクトに受け継がれた 年 マイクロソフトとは共同でを 上に移植する作業を開始し 年月 としてリリースされた は当初万ドルという高価格で発売されたためもあり 広く使われることはなかったが 動的ページ生成が可能な初期のサーバとして歴史的に重要であると言えよう は年以降アップルの製品リストから外れており かつてのようにに付属されなくなりバージョンアップも停止しているが や 等のアップルの各種サービスを支えるベースシステムとして利用されている オブジェクティブ シー は プログラミング言語の一種 言語をベースに型のオブジェクト指向機能を持たせた上位互換言語である は のに標準付属する公式開発言語である のパッケージ版に開発環境がで付属するほか ユーザ登録をすれば無償でダウンロードできる の項目参照 現在では主にアップルのや上で動作するアプリケーションの開発で利用される はを拡張してオブジェクト指向を可能にしたというよりは で書かれたオブジェクト指向システムを制御しやすいようにマクロ的な拡張を施した言語である したがって に進んだ とは異なり という考え方であり ある意味つの言語が混在した状態にある 関数 メソッド の定義と呼び出し方が独特であるため のコードは一見 以上にとはかけ離れた独特の記述となる しかし 言語仕様はの完全上位互換であり などの制御文や などのスカラー型 関数記法 宣言 代入といった基本的な文法はに準拠する 一方オブジェクトシステムはの概念をほぼそのまま借用したもので 動的型のクラス型オブジェクト指向ランタイムを持ち メッセージパッシングにより動作する このことからしばしば インラインでの書ける または インラインでの書ける などと呼ばれる とは異なる に特有の部分は で始まるコンパイラディレクティブで明示され オブジェクトのメソッド呼び出しは で囲まれたメッセージ式で行われる 最大の特徴はオブジェクトシステムが完全に動的という点で 実行時のクラス拡張 オブジェクト汎用型の導入により型によらない動的配列 辞書など インタプリタに近い記述力をもつことである 実際にコードそのものはネイティブコンパイルされるものの 動作原理はほぼインタプリタに近く コンパイラ型言語としてはまれな柔軟性を発揮する したがって 側から見れば一種のスクリプトインタプリタが乗っているような状態であり 逆にオブジェクトシステムからは機能や膨大な言語資源を直接利用可能なインターフェースが備わっているといえる また仮想マシンを持たずに済むため 取り回しも良い パフォーマンスはのような中間コード型言語よりも良好で や のようなネイティブコンパイル言語には劣るとされる 特有のこの形態は双方のメリット デメリットが明確で 実際的な使い勝手が非常に優れている この特性に着目したのがで との互換性と先進的なオブジェクト指向環境の両立に成功し その後の設計に大きな影響を与えることとなった 後続言語への影響としては 特にの基礎設計にその姿を見ることができる サン マイクロシステムズがに関わっていたことと関係がある は 年にと によって開発され そのコンパイラやライブラリを支援するために社を創立した 社は に力を注いだが それはマイナーな存在であった が認知され始めるきっかけは 年 アップルコンピュータを去ったスティーブ ジョブズが 機であるコンピュータとオペレーティングシステムの開発を行う 社を創立したことに始まる そのマシンのユーザインタフェースは と で書かれた により提供され はコンピュータの主力言語となった その後の歴史は 主に社とともにあり をベースにした サポートが行われ プロトコルの導入など文法の拡張なども行われている 社による多くの成果は に還元されている コンパイラおよび言語仕様は完全に公開されているものの 長らくおよびその後継であるとの専用言語に近い状態にある 年に 現 のが公開されて以降 習得者の人口が増える傾向にあるが アップルの開発環境は 徐にベースにシフトし 版は事実上の専用と化している とは異なり オブジェクトのメソッド呼びだしにはのメッセージ式を模した新たな構文が導入されている ではこれをメッセージ式と呼び メソッド呼びだしはメッセージ送信と呼ぶ メッセージ送信は実行時のメッセージパッシングであり その時渡されるメッセージ値をセレクタという 特徴的なのは同様キーワード引数形式をとることで セレクタ名と引数値が交互に並んだ形態になる なおにはあるカスケード式 一つのオブジェクトに続けてメッセージを送る はない メソッドにはクラスメソッドとインスタンスメソッドがあり それぞれ接頭辞 及び により区別される クラスメソッドはクラスオブジェクトの操作に インスタンスメソッドはインスタンスオブジェクトの操作に使用される クラスメソッドは特にインスタンスオブジェクトの生成にも使用される事が多い インスタンスメソッドは インスタンスオブジェクトにメッセージを送信した際に起動され クラスメソッドはクラスオブジェクトにメッセージを送信した際に起動する なお インスタンスメソッドとクラスメソッドは全く同じ名前のセレクタを指定して定義できる いわゆるコンストラクタは存在しない 慣習として新規オブジェクトの生成は で 初期化は で行われるが プログラマが自由に別の特殊化したメソッドを定義することが可能であり 初期化中に別の初期化メソッドを呼びだす場合もある 一方デストラクタ ファイナライザ に相当するものは またはガベージコレクション使用時の で これらのメソッドはオブジェクトの破壊時に必ず呼び出される は特殊な変数で メソッドの実行時に自動的にレシーバが代入される 再代入も可能であり 等でスーパークラスの実装で自分自身を初期化し 正しい値が返った時のみ継続して初期化を行なうなどに利用される オブジェクトの型はオブジェクトを特定のクラスに制限したい時に用いられる ただしこれはソースコードでのみ意味を持ち 実行レベルでは全てとして扱われる また型付きのオブジェクトはインスタンス変数を構造体互換でアクセスできる 保護レベルは フリー 継承クラスのみ 同一クラスのみ があり デフォルトはである ただメモリ管理の一貫性などの理由から ほとんどの場合アクセサを用いる のオブジェクトは全て自分自身に関する定義情報を保持しており 実行時に利用することができる 実装系によるが 存在しないメソッドを呼びだした際 例外を発生する前にそれを他のオブジェクトに転送するチャンスが与えられる と呼ばれる のランタイムでは セレクタに対応する引数情報と転送処理の二つの過程を経て行われる プロトコルはクラスのメソッドインターフェースを規定する機構である 元はワークステーション上で分散オブジェクトシステムを構成する際 リモートオブジェクトの通信効率を上げるために導入された プロ カテゴリは クラス定義をグループに分割したり 既存のクラスにメソッドを追加したりするための言語機能 が統合開発環境上でクラスとメソッドの表示を整理するために使っているクラスカテゴリーとメソッドカテゴリー プロトコルとも言う をそのまま取り込んだ クラスの実装を関連するメソッド群毎に別の場所に分割して記述することを可能とする目的で作られた このほか カテゴリに宣言したメソッドが実行時にカテゴリがロードされたタイミングでクラスへ追加される という性質を応用して ソースコードを直接修正できないクラスに対してサブクラスを定義せずにメソッドを追加する といった用途や プロトコルの定義等にも用いられる カテゴリメソッドで既存のメソッドをオーバーライドすることも可能であるが 推奨されていない オブジェクトシステム自体がで書かれていることに加え 哲学である プログラマにできることを制限しない を良くも悪くも受け継いでいるため にはさまざまな超言語的技法が存在している これらの機能は非常に強力であるため乱用を避けるべきだが この柔軟性こそが の魅力と評する向きもある と が混在したもの 両者はからの拡張部分がほぼ干渉しないため お互いをただのポインタ値と見なすことで表記が混在できる したがってクラスシステムの互換性はなく 単純な になる 拡張子は 関数や メソッドの内部では と 両方の機能を任意に組み合わせて利用することができる 例えば オブジェクトの寿命を管理するスマートポインタを の機能を用いて作成するようなことが可能である 他方 クラスの階層は と で完全に分かれており 一方が他方を継承することは全く不可能である また 伝統的な の例外処理と のそれは互換性がなく プログラマが両者を逐一捕捉 変換しなければ メモリリークやクラッシュにつながる 主な用途は のライブラリを からアクセスするためのラッパー記述で 実例としての ベース などがある コンパイル速度が非常に遅くなることもあって積極的に用いられることは少ない 上述のように ランタイムシステムの実体は言語関数群そのものである このライブラリの内部でリフレクションやメッセージ送信の機構が全て閉じているため これらに対するラッパーを用意することで 外部言語からシステムの完全制御が可能になる 現在言語ブリッジが確立している言語には などがある 初期の プログラムは同様単純な割当と解放を行なっていたが 現在は標準ライブラリに実装された参照カウント方式の を利用するのが標準的である 参照カウント方式ではあるがガベージコレクションとは異なり 半自動で行なわれる 方法としてはクラスをインスタンス化し ここに解放されるべきオブジェクトを メッセージを用いて登録する 登録した全てのオブジェクトが不要になったらメッセージでのインスタンスを解放する すると登録されていたオブジェクトもすべて一斉に解放されるというものである ほかにもオブジェクト 仮にとする のイニシャライザ 初期化メソッド を呼び出すと その時点で自分をするオブジェクトを定義できる そのようなオブジェクトをインスタンス化したユーザは に対して明示的にせずとも のインスタンスをするだけでを解放できることになる 例としてクラスがある で初期化するとされた状態になる バイオインフォマティクス 英語 とは 生命科学と情報科学の融合分野のひとつであり や タンパク質をはじめとする 生命が持つ様な 情報 を対象に 情報科学や統計学などのアルゴリズムを用いた方法論やソフトウェアを開発し またそれらを用いた分析から生命現象を解き明かしていく 解析 ことを目的とした学問分野である そのためバイオインフォマティクスは広義には 生物学 コンピュータサイエンス 情報工学 数学 統計学といった様な学問分野が組み合わさった学際分野自体を指す 日本語では生命情報科学や生物情報学 情報生命科学などと表記される ゲノミクス研究の初期においては 遺伝子予測等のゲノミクスに関する分野がバイオインフォマティクスの主要な対象であった 近年ではゲノムを超えて ゲノムからの転写物の総体であるトランスクリプトームや トランスクリプトーム の一部 が翻訳されたタンパク質の総体であるプロテオーム タンパク質の二次産物として合成される糖鎖の総体であるグライコーム 更にはゲノムからの直接的に転写 翻訳された実体だけではなく 代謝ネットワーク 代謝マップ によって生じた代謝産物をも含めた総体を考えるメタボローム 生物個体の表現形の総体であるフェノームなど バイオインフォマティクスが対象とする研究分野は生物学全体に拡大 発展しつつある ゲノムシーケンシング技術の登場と発展により 多くの生物を対象にゲノム解析プロジェクトが進められ それに伴い大量のゲノム配列情報が得られるようになった ところが 得られる大量の配列情報から人力で生物学的な意味を抽出することは極めて困難であり 情報処理による解析の必要性が高まっている 遺伝子情報は という塩基で記述できる 核酸配列というデジタル情報に近い性格を持っているために コンピュータとの親和性が高い さらにマイクロアレイなどの網羅的な解析技術の発展に伴って 遺伝子発現のプロファイリングやクラスタリング アノテーション 大量のデータを視覚的に表現する手法などが重要になってきている これらの理由により バイオインフォマティクスはその重要性が注目されるようになり 特に年代半ばのヒトゲノムプロジェクトやシーケンステクノロジーの急速な進歩によって爆発的に成長し 発展してきた バイオインフォマティクスの主な研究対象としては 遺伝子予測 遺伝子機能予測 遺伝子分類 配列アラインメント ゲノムアセンブリ タンパク質構造アラインメント タンパク質構造予測 遺伝子発現解析 タンパク質間相互作用の予測 進化モデリング ドラッグデザイン 創薬 等の 様なコンピュータープログラミングを使用した各種の生物学研究分野が挙げられる また 特にゲノミクスの分野で繰り返し使用されるような特定の解析パイプラインを開発するといった 方法論の開発に関する研究も含まれる バイオインフォマティクスを活用した研究の一例として 疾患の遺伝的根拠や生物の環境適応 特に農業分野における 植物や動物の特性解析 個体群間の差異などをよりよく理解するための候補遺伝子や一塩基多型 の探索 などがある さらに プロテオミクスと呼ばれるタンパク質を対象としたデータをゲノム配列と組み合わせたバイオインフォマティクス研究も進められている データ解析を中心としたバイオインフォマティクスでは ハイスループットな実験手法によって蓄積された大量のデータを目的に応じて加工 標準化し データマイニングや可視化 その他統計的手法による分析などを通じて解析する という流れをとることが多い いずれの段階でもコンピュータは使用され その形態はパーソナルコンピュータ を利用したスクリプトによる小規模なシーケンスデータ加工から 産業技術総合研究所生命情報工学研究センターなどによる のようなのスーパーコンピュータや大規模なコンピュータ クラスター グリッド コンピューティング等を用いたタンパク質の立体構造解析 タンパク質構造予測 まで様である 今日 バイオインフォマティクスは 生物学の多くの分野で重要な役割を果たしている 例えば分子生物学研究では 画像処理や信号処理などのバイオインフォマティクス技術を利用して 大量の生データから有用な結果を抽出することが行われている 遺伝学の分野では ゲノム配列や突然変異した配列の決定と注釈付け アノテーション に活用される 生物学的文献のテキストマイニングや 生物学的な遺伝子オントロジーの開発を通じて 膨大に蓄積された生物学的データを利用しやすい形で整理する役割も果たしている また 遺伝子やタンパク質の発現調節の解析にも 深く関与している バイオインフォマティクスツールは 遺伝子やゲノムのデータ比較と分析 解釈を支援し 分子生物学の進化的な理解にも貢献している より統合的なレベルでは 個の遺伝子やタンパク質の解析から一歩進み 生命を遺伝子やタンパク質のネットワークとして捉え その総体をシステムとして理解しようとする システム生物学という分野も生まれている バイオインフォマティクスは生物学的代謝経路とネットワークの分析やカタログ化に役立ち システム生物学を支えている 構造生物学の分野においては 生体分子の相互作用だけでなく タンパク質等のシミュレーションとモデリングにも役立っている また 機械学習による遺伝子領域予測や タンパク質構造予測 次世代シーケンサーを利用したゲノム解析など 大きな計算能力を要求される課題が多く存在するため スーパーコンピュータの重要な応用領域の一つとしても認識されている バイオインフォマティクスという用語は と によって 年に生物システムの情報処理の研究に言及するために作られた用語である この定義では 生化学 生物学的システムにおける化学プロセスの研究 と平行した研究分野の概念としてバイオインフォマティクスを位置づけており 今日使われているものとは意味が異なっている 生物学におけるバイオインフォマティクスの主な目的は 他の生物学派生分野と同様に 生物学的プロセスの理解をより深めることにある ただし 他のアプローチとの違いは より計算集約的な手法の開発と適用に重点を置いている点である 用いられる技術の例としては パターン認識 データマイニング 機械学習アルゴリズム などが挙げられる また 例えば疾患研究の分野において 正常な細胞活動がさまざまな病状でどのように変化するかを明らかにするためには 生物学的データを組み合わせて これらの活動の包括的な構造を理解する必要がある そのため さまざまなタイプのデータを組み合わせた分析と解釈を行えるように バイオインフォマティクスの分野は進化してきた これには 塩基およびアミノ酸配列の他 タンパク質ドメインやタンパク質構造が含まれる データを分析および解釈する実際のプロセスは 計算生物学と呼ばれる バイオインフォマティクスおよび計算生物学の重要な研究目標の一つに 大規模なデータセットにおいてメンバー間の関係を評価する新しいアルゴリズムと統計的尺度の開発がある 例えば ゲノム配列内から遺伝子領域を予測したり タンパク質の構造や機能を予測したり タンパク質配列を関連配列のファミリーにクラスター化する方法など に関する研究が進められている また さまざまな種類の生物学的情報リソースを整理し 管理し 効率的なアクセスと利用を可能にするコンピュータプログラムやシステムの開発と実装も また重要な課題である すなわちバイオインフォマティクスでは データベースの作成と進歩 アルゴリズム 計算技術と統計技術 そして生物学的データの管理と分析から生じる形式的で実用的な問題を解決するための理論 が必要とされている 過去数十年にわたり ゲノムおよびその他の分子研究技術の急速な発展と情報技術の発展が相まって 分子生物学に関連する膨大な量の情報が生み出されている バイオインフォマティクスは 生物学的プロセスの理解を深めるために使用されるこれらの数学的および計算機科学的なアプローチを表す言葉でもある バイオインフォマティクスは生物計算機学 と一見似ているが これは異なる科学分野である 生物計算機学は生物工学と生物学を使用して生物学的なコンピュータを設計することが主眼であるが バイオインフォマティクスは逆にコンピュータを用いた計算を使用して生物学をよりよく理解することが主眼である バイオインフォマティクスと生物計算機学の分野には共に 生物学的データ 特に タンパク質配列の分析が含まれる 生物学的データを分析して意味のある情報を生成するには グラフ理論 人工知能 ソフトコンピューティング データマイニング 画像処理 コンピューターシミュレーション 等のアルゴリズムを使用するソフトウェアプログラム実行し また必要に応じて作成する必要がある またこのようなアルゴリズムは 離散数学 制御理論 システム理論 情報理論 統計などの理論的基盤に依存する ファージの一種であるが年に配列決定されて以来 数千の生物の配列が解読され データベースに保存されている この配列情報は タンパク質 遺伝子 調節配列 構造モチーフ 反復配列をコードする遺伝子を決定するために分析されている 例えば 種内や種間で遺伝子配列を比較することで タンパク質機能間の類似性を評価したり あるいは系統樹を構築することで種間の分子系統学的関係を示すことができる データ量の増加に伴い 配列を手作業で分析することはすでに非現実的である 今日ではなどの相同性検索を行うコンピュータプログラムを用いて 例えばに登録された億以上のヌクレオチドを含む を超える生物から配列を検索することが日常的に行われている 数字は年のもの これらのプログラムは シーケンスの変異 塩基の置換 欠失 挿入など を補正して 類似するが同一ではない配列を検索できる 検索結果は クローニングした遺伝子の部分情報から遺伝子全体の配列を予測したり 構造が未知のタンパク質の二次構造を予測したり 解読されたゲノムの中から遺伝子を検出してその機能を予測するなどの研究の基盤となる また配列情報から由来する生物種の系統学的分類を推定するという問題を解くために のような最新の ベースのソフトウェアも作成されており アライメント手法では到達できない実行高速性を実現している シーケンサーから出力される生データには多量のノイズや弱信号が含まれており 下流の解析に悪影響を与える可能性がある さまざまな実験プロトコルや環境におけるシーケンシングデータからの塩基決定 ベースコール を行うアルゴリズムが開発されている 多くのシーケンス技術は 短い配列フラグメントを生成する そのため 完全な遺伝子や全ゲノム配列を取得するためには この配列フラグメントをアセンブルして再構築する必要がある ヒトゲノム計画では ある配列断片から順番に配列を解読する手法が考えられていたが クレイグ ベンターらによるショットガン法により遥かに高効率で解読が進められるようになった いわゆるショットガンシーケンステクニック たとえば による最初の細菌ゲノム のゲノム決定でも使用された は ゲノム配列をバラバラな短い断片に分断してそれぞれを解読し シーケンシング技術に応じて ヌクレオチド長 その後同一の配列を重複する領域として並べ替えることによってゲノム配列を再現する これらのフラグメントの両端は重なり合っており ゲノムアセンブリプログラムによって適切に整列されることで 完全なゲノムを再構築することができる 配列アセンブリング しかしながら 多くの断片がある中で正しい並び方を決定することはコンピュータの計算能力がなければ不可能である そして このフラグメントをアセンブルするタスクは 特に大きなゲノムにおいては非常に複雑になる可能性がある 例えばヒトゲノムは約のサイズがあるが この程度のゲノムの場合 大容量メモリのマルチプロセッサコンピューターであってもショットガン配列をアセンブリするのには何日もの時間を要する場合があり また結果として生じるアセンブリには通常 多数のギャップが残っている しかしながら ショットガンシーケンスは事実上 あらゆる生物種の全ゲノムを決定する上で現実的に最適な方法となっている そのため 高速 高性能なゲノムアセンブリアルゴリズムを開発することは バイオインフォマティクスの重要な研究領域の一つとなっている ゲノミクスの文脈においてアノテーションとは 配列内の遺伝子領域やその機能 そしてその他の生物学的特徴をマークするプロセスである ほとんどのゲノムは大きすぎるため 手動で注釈を付けることができない そのため このプロセスは自動化する必要がある さらに次世代シーケンシング技術の登場によって大量のデータが高速に得られるようになっており 大量のゲノムに対して高速にアノテーションを付けたいという研究上の要望は高まっている 包括的なゲノムアノテーションシステムは 自由生活生物である細菌 のゲノムの最初の完全な配列決定と分析を行った のチームによって 年に初めて報告された は タンパク質をコードするすべての遺伝子と およびその他のサイトを特定し またその生物学的機能を推定する初期のソフトウェアシステムを構築した 現在でも ほとんどのゲノムアノテーションシステムは当時と同様な機能を持っているが 例えば でタンパク質をコードする遺伝子を見つけるために使用されたプログラムなどのように ゲノムの分析に利用される個のプログラムの多くは常に更新されており 機能改善の模索が続けられている ヒトゲノムプロジェクトが年に完了したが 残された様な課題や新たな目標の達成のために アメリカ国立衛生研究所内の国立ヒトゲノム研究所によって新たにプロジェクトが発足した このプロジェクトでは 次世代シーケンス技術とゲノムタイリングアレイを使用して ヒトゲノムの機能的な要素に関するデータを共同でコレクションすることが行われた 次世代シーケンシング技術は 塩基あたりのコストを大幅に削減して大量のデータを生成できる技術であり しかも従来と同じ誤差精度 ベースコールエラー と信頼性度 アセンブリエラー を持っていることが特徴である 進化生物学とは 種の起源と分化 そして系統の経時的な変化を明らかにする学問分野である バイオインフォマティクスは進化生物学分野においても重要な役割を果たしている より複雑な課題としては 生命の木を再構築する研究も進められている なお 遺伝的アルゴリズムを使用するコンピューターサイエンスの研究領域は 計算進化生物学と混同されることがあるが このつの領域は必ずしも関連しているわけではない 比較ゲノム解析の目的の一つは 異なる生物における遺伝子 オルソログ遺伝子 や他のゲノム上の特徴の対応関係を明らかにすることである また例えば つのゲノムが系統上で分岐した際の進化過程は 両ゲノム間の対応関係を取ることで 例えばどのゲノム領域が欠失したり重複したのかを明らかにし 進化過程を追跡することができる 現実的には 様な組織レベルで作用する多数の進化イベントが組み合わさって ゲノム進化が形作られる 最も最小レベルでの変化は 個のヌクレオチドが影響してくる点変異である 一方でより高いレベルでは 大きな染色体セグメントが複製 移動 逆位 転位 欠失 および挿入を受けることがある 最も大きなレベルでは ゲノム全体のハイブリダイゼーションや倍数化 そして細胞内共生過程といったイベントに関与し しばしば急速な種分化を引き起こす このようなゲノム進化の複雑さは 数学モデルやアルゴリズム開発を行う上でもチャレンジングな課題となっている そのため 正確なヒューリスティックやパラメーター固定 節約モデルに基づく問題の近似アルゴリズムや 確率モデルに基づくベイズ分析のためのマルコフチェーンモンテカルロアルゴリズムの利用に至るまで アルゴリズム 統計 および数学的な様な手法の利用が研究されている これらの研究の多くにおいては 事前に遺伝子配列を配列相同性に基づいてタンパク質ファミリーに割り当てている 環境中には多様で大量の原核微生物系統が生息しており その生理生態を理解することは 地球上の物質循環やその環境における生態系を理解する上で重要である そのためには どのような生理学的機能を持つ微生物が どのような割合でそこに存在するのか を理解することが必要である メタゲノム解析は 環境中に存在する細菌叢サンプルからゲノムを直接回収し 主にショットガンシーケンスを行ってバイオインフォマティクス解析を行うことで それらに関して解析する 微生物学 ウイルス学の研究分野である パンゲノム解析 は年にとによって導入された概念であり 特定の分類群において保持されている遺伝子の網羅的な遺伝子レパートリーを表す 最初は種レベルの近縁系統に適用されましたが 属や門といったより大きな分類群にも適用できる パンゲノムはコアゲノムとフレキシブルゲノムのつの群から構成されている コアゲノムは全ゲノムに共通した遺伝子セットを指し 多くの場合 これらの遺伝子は生存に不可欠なハウスキーピング遺伝子である 一方でフレキシブルゲノム は つ以上のゲノムにおいて存在しない一連の遺伝子を指す 例えばバイオインフォマティクスツールであるを使用して 細菌種のパンゲノムを特徴付けることができる 次世代シーケンシングの登場により 不妊症や乳がん アルツハイマー病といった複雑な遺伝性疾患の関連遺伝子をマッピングする研究が進められている ゲノムワイド関連研究 は このような複雑な疾患の原因となる変異を特定するための有用なアプローチである これらの研究により 類似の疾患や形質に関連する何千もの変異体が特定されている さらに 遺伝子情報を予後の推定や診断 治療方針の決定に利用するための研究も進められている そのために 使用する遺伝子を選択する手法や 疾患の存在または予後を予測するために遺伝子を使用することの問題点の両方について 多くの研究において議論がすすめられている 悪性腫瘍 癌 においては 癌細胞のゲノムは非常に複雑 予測不可能 な形で組み換えが起きることが知られている 大規模なシーケンシング研究により 癌細胞に見られるさまざまな遺伝子上の点突然変異の特定が進められてきた このような研究においては 膨大な量の配列データを管理するための専用の自動化システムや新しいアルゴリズムとソフトウェアの作成を通じて シーケンシングの結果をヒトゲノム配列や生殖系列多型のコレクションと比較するバイオインフォマティクス解析が進められている また 染色体の増減を比較するオリゴヌクレオチドマイクロアレイ 比較ゲノムハイブリダイゼーション や 既知の点変異を検出する一塩基多型アレイなど 新しい物理的検出技術が採用されています これらの検出方法は ゲノム全体で数十万のサイトを同時に測定することができ ハイスループットで数千のサンプルを測定する場合 実験ごとに数テラバイトものデータを生成する そのため この膨大なデータ量を処理するための新しい手法に関する研究も進められている また データにはかなりの変動性またはノイズが含まれているため 実際のコピー数の変化を推測するために 隠れマルコフモデルに基づく変化点分析法が開発されている また エクソソームの突然変異の同定では 癌は遺伝子に蓄積された体細胞変異の疾患であり がんには疾患発症に関係する ドライバー 変異と無関係な パッセンジャー 変異の区別される種類が含まれている というつの重要な原則があり 生物情報学的解析を行う上でも重要になっている シーケンシング技術のさらなる進歩により 癌のゲノミクスは劇的に変化する可能性がある 新しい方法とソフトウェアにより より多くの癌ゲノムをより迅速かつ手頃な価格でシーケンスできるようになれば がんによるゲノム内変異の分析とがんの種類の分類がさらに発展する可能性がある さらに 癌サンプルのシーケンスからがんの進行状況を追跡できるようになる可能性も指摘されている 多くの場合 遺伝子の発現はマイクロアレイ 発現シーケンスタグ シーケンス 遺伝子発現連続分析 タグシーケンス 超並列シグネチャシーケンス または マルチプレックス ハイブリダイゼーション などの手法でレベルを測定することで決定する これらの手法はすべて ノイズが非常に発生しやすく 生物学的な測定バイアスがかかってくるため ハイスループットの遺伝子発現研究においてこのようなノイズを除去して信頼できる信号を分離する統計ツールの開発が計算生物学の研究分野で重要になっている このような遺伝子発現研究は 疾患に関与する遺伝子を特定するためによく使用される 例えば癌性上皮細胞のマイクロアレイデータを非癌性細胞のデータと比較して 特定の癌細胞集団で発現上昇あるいは発現抑制される転写産物を決定することができる タンパク質マイクロアレイとハイスループット 質量分析 は 生体サンプルに存在するタンパク質のスナップショットを提供する 得られるタンパク質マイクロアレイとデータの解析には バイオインフォマティクスは重要である 前者のアプローチはをターゲットとするマイクロアレイと同様の問題に直面し 後者は大量の質量データをタンパク質配列データベースからの予測質量と照合し 不完全なペプチドを除くための複雑な統計分析が必要になる 組織における細胞タンパク質の空間局在は 免疫染色や組織マイクロアレイに基づいたアフィニティプロテオミクスによって解析することができる 遺伝子転写調節は ホルモンなどを含む細胞内外のシグナルによって つ以上のタンパク質の活性の増加 減少が駆動される 複雑な調節システムである このプロセスの各ステップを検証する 様なバイオインフォマティクス技術が適用されている たとえば 遺伝子発現は プロモーターのような ゲノム内で遺伝子に近接した要素によって調節される プロモーター分析ではまず 遺伝子コード領域に近接している配列中から 特定の配列モチーフを検出する これらのモチーフは その領域がに転写される際に影響を与える 一方で プロモーターから離れたエンハンサー要素は 次元的な相互作用を通じて遺伝子発現を調節することもある このような相互作用は 染色体コンフォメーションキャプチャ 法による実験と得られたデータのバイオインフォマティクス解析から決定される また 遺伝子発現データから 遺伝子転写調節の要因を推測する研究もある さまざまな状態の組織から得られたマイクロアレイデータを比較して 各状態に関与する遺伝子の挙動を推測することができる 例えば単細胞生物では 細胞周期の段階におけるストレス条件 熱ショック 飢餓など を比較できる あるいはクラスタリングアルゴリズムを発現データに適用することで 遺伝子の共発現を解析できる たとえば 共発現する遺伝子の上流領域 プロモーター を探索することで 過剰発現を引き起こす調節要素を調べることができる 遺伝子クラスタリングに適用されるクラスタリングアルゴリズムの例には 平均クラスタリング 自己組織化マップ 階層的クラスタリング コンセンサスクラスタリング などの手法がある 細胞内のオルガネラや遺伝子 タンパク質 およびその他のコンポーネントの位置を分析するために 様なアプローチが開発されている これらのコンポーネントの位置は細胞内のイベントに影響を与えるため その分布や局在を調べることは生物系の挙動を予測するのに役立つ 遺伝子オントロジーのカテゴリーである 細胞コンパートメント は 細胞内局在を捉えるために考案され 多くの生物学的データベースで採用されている 顕微鏡写真から オルガネラや分子を検出することができる また がんなどの異常な細胞と正常細胞を区別することにも利用される タンパク質の局在化は そのタンパク質の役割を評価するのに役立つ たとえば タンパク質が核で見つかった場合 それは遺伝子調節やスプライシングに関与している可能性がある 対照的に タンパク質がミトコンドリアで見つかった場合 それは呼吸や他の代謝プロセスに関与している可能性がある したがって タンパク質の局在化は タンパク質機能を予測する上で重要な情報源となる タンパク質の細胞内位置に関するデータベースや予測ツールといったリソースが構築されている や などのハイスループット染色体コンフォメーションキャプチャー実験からのデータは 遺伝子座の空間的近接性 すなわち核内で安定的に構造化されている立体的な折りたたみ構造によって ゲノム配列上のどことどこの領域が近接して存在しているのか に関する情報を提供する そのためこれらの実験の分析から クロマチンの三次元構造を決定することができると考えられる ゲノムを次元空間でまとめて構成されたトポロジカル関連ドメイン といったドメイン分割に関する研究が この分野のバイオインフォマティクスの課題となっている タンパク質のアミノ酸配列からその高次 次 次 及び次 構造を予測することは バイオインフォマティクスの大きな課題の一つである タンパク質のアミノ酸配列 一次構造 は それをコードする遺伝子の配列情報から 比較的簡単に決定できる そして多くの場合 この次構造は実際の細胞内における高次構造を一意に決定する つまり 同じアミノ酸配列を持つタンパク質はずべて同じように細胞内でコンフォメーションをとて折りたたまれ 同じ次構造や次構造を立体構造を作り出す ということである ただし例外としては 牛海綿状脳症 狂牛病 を引き起こすプリオンなどがある 高次構造の知識は タンパク質の機能を理解する上で不可欠である しかしながら 一次配列からそのような高次構造を予測する一般的な手法は無く 未解決の問題となっている 現在までの多くのこれに関する研究は ほとんどの場合 ヒューリスティックに焦点が向けられてきた バイオインフォマティクスの重要なアイデアのつは 配列類似性 の概念である バイオインフォマティクスのゲノム解析では 配列の類似性を利用して その遺伝子の機能を予測する 具体的には 例えば機能がわかっている遺伝子の配列が 機能が不明な遺伝子の配列とある程度類似している場合 がの機能を共有することが予想される バイオインフォマティクスの構造分野では この配列類似性を使用して タンパク質のどの部分が構造を作り どの部分が他のタンパク質との相互作用に重要であるか 等を推測する ホモロジーモデリングと呼ばれる手法では 配列的に類似なタンパク質の構造がわかっていれば その情報を使用して任意のタンパク質の高次構造を予測する この手法は タンパク質構造を予測する有用な手法の一つである この手法が効果的な例の一つは ヒトのヘモグロビンと豆類のヘモグロビン レグヘモグロビン である これらは同じタンパク質スーパーファミリーではあるが 遠い親戚関係のタンパク質である どちらも生体内で酸素を輸送するという同じ目的を果たし 両者で完全に異なるアミノ酸配列を持っているが 構造的には実質的に同一であるため ほぼ同一の目的を持り かつ同一の祖先を共有していると考えられている タンパク質構造を予測するための他の手法としては タンパク質のスレッディングや 物理学ベースでゼロからモデリングを行う の手法が提案されている 構造バイオインフォマティクスの別の側面としては 定量的な構造と活性の相関に関するモデルや タンパク化学モデル といった 仮想スクリーニングモデルへ利用することが挙げられる さらに タンパク質の結晶構造は 例えばリガンド結合研究のシミュレーションやインシリコ変異誘発研究に利用されている ネットワーク分析は 代謝ネットワークやタンパク質間相互作用ネットワークなどの生物学的ネットワークの関係を理解することを目的としている 生物学的ネットワークは単一のタイプの分子またはエンティティ 遺伝子など から構築される また ネットワーク生物学においてはしばしば タンパク質や小分子 遺伝子発現データなど 物理的 機能的に関連する様な異なるデータタイプを統合的に解析することがある システム生物学では 細胞内における複雑なプロセスの関係性を分析し視覚化するために 代謝プロセスを担う代謝産物や酵素のネットワークやシグナル伝達経路 遺伝子調節ネットワークといった細胞システムをコンピューターシミュレーションを用いて解析する研究が進められている 人工生命や仮想進化といった単純な 人工 生命体のコンピューターシミュレーションを介して 進化の過程を理解する試みもなされている また タンパク質同士の相互作用を超えて 例えばタンパク質 リガンド 薬物を含む やタンパク質 ペプチドの相互作用を予測することも重要な課題である 原子結合の回転を考慮した分子動力学シミュレーション も広く行われており これは分子相互作用を研究するためのドッキングアルゴリズムと呼ばれる計算アルゴリズムが基本原理となっている 今日までに 膨大な数の学術論文が発表されてきており その数はますます増加している そのため すべての論文を読むことは事実上不可能であり 研究の領域は細分化されていく傾向がある 計算言語学による文献分析では 計算と統計に基づく言語学的解析を通じて 増大するテキストリソースからマイニングすることを目的としている 例えば 略語認識 生物学用語の正式名称とその略語を特定する 名前付きエンティティの認識 遺伝子名などの生物学的用語を認識して特定する タンパク質間相互作用 どのタンパク質がどのタンパク質と相互作用するかをテキストから特定する などに関して研究が進められている 大量の情報量の多い生物医学画像の処理や定量化 分析を加速または完全に自動化するために計算技術を利用する研究も進められている 画像解析システムにおいては 大規模で複雑な画像セットから測定を行うための精度や客観性 そして処理速度の向上が重要になってくる 理想的には 分析システムの発達により 様なケースにおいて人が画像や動画の判断をする必要がなくなる このような画像処理システム自体は生物医学分野に固有のものではないが 例えば疾患の診断や研究においてはそれらの分野に特化した画像解析技術が重要になる 具体的な応用分野としては 以下のものが挙げられる バイオインフォマティクス研究には それぞれの目的に応じたプログラムの作成が欠かせない プログラミング言語としては一般的な科学分野と同じように いわゆる 重い 計算 タンパク質の二次構造 三次構造の予測 タンパク質構造予測などはその一例 を行なうときには等の比較的低レベルな処理を書ける高級言語も用いられるが 塩基配列と言う巨大な 文字列 を扱う局面が多いため テキスト処理を得意とする言語であるの利用が盛んである は 正規表現等の強力な文字列処理機能を持っているため配列解析に有効なだけでなく プログラミングのトレーニングを積んでいないことが多い生物学出身の研究者にも比較的容易に習得できるという長所を有する 更に 早い時期から生物学的データの加工に用いることのできるなどのライブラリが整備されたため いっそう有用となった ある配列の公開配列データベース など からの取得 フォーマットやフォーマットで記述されたファイルからの情報抽出 の自動化等はきわめて容易に行える環境が整っている 研究用プログラムの開発に使われる言語としては他に以下のようなものがあげられる これらの殆どにそれぞれバイオインフォマティクス用のライブラリが開発されている データベースは バイオインフォマティクスの研究と応用に不可欠である やタンパク質の配列 分子構造 表現型 生物多様性など さまざまな情報タイプをカバーする多くのデータベースが構築されている データベースには 実験的に取得される実験データと 分析から取得される予測データの片方または両方が含まれる データベースはしばしば 特定の生物や代謝経路 目的分子に特化して構築される また一方で 他の複数のデータベースからコンパイルされたデータを組み込むこともある バイオインフォマティクスで扱うデータは 一次元の文字列 シーケンス全般 から 三次元構造のマトリクス 計算機科学におけるグラフ ネットワークデータ全般 遺伝子オントロジーのような有向非巡回グラフ といった非常に多岐にわたるデータ構造を持つ 各種のデータベースは ファイル形式やアクセスメカニズム パブリックかどうか などの様な点で差異がある 生物学研究に用いられる主なデータベースは 以下のようなものが挙げられる カッコ内は具体例 データはフラットファイル 一般的なテキストファイル に比較的単純な形で保存されているケースも多いが 研究が本格化してデータ量が増大してくると より効率的な利用を図るために関係データベース管理システム やなどを利用したより高度な管理が図られることが多い 生物学の研究においては 複数の公共データベースからのデータを使ったデータマイニングが非常に重要度を増しているため データの相互利用と言う観点からも サービスなどの標準的技術の利用は今後も進んで行くと思われる この考えを更に進め セマンティック ウェブ関連の技術 やなど を利用した コンピュータによるデータの相互利用を模索する動きもあり プロジェクトなどはその一例である バイオインフォマティクス用のソフトウェアツール 英語版 は 単純なコマンドラインツールから さまざまなバイオインフォマティクス企業や公的機関が提供するより複雑なグラフィカルプログラム スタンドアロンのサービスなど 多岐に渡り 非常に多くのバイオインフォマティクスソフトウェアが開発され公開されている 多くのソフトウェアがオープンソースとされており 研究者は自由に利用することができる場合が多いが 有償のものもある データベースを基盤とするソフトウェアは 開発元がブラウザから利用できるウェブアプリケーションとして公開している場合も多い オープンソース ソフトウェア パッケージには などのソフトウェア類が挙げられる また この伝統を維持し さらなる機会を創出するために 非営利の は 年以来毎年開催される を支援してきている パブリックなバイオインフォマティクスデータベースを構築する方法としては 拡張機能を備えたエンジンを使用する方法もある このシステムでは その分野の研究者が各自でデータベースにアクセスして更新することができる およびベースのインターフェースが さまざまなバイオインフォマティクスアプリケーション向けに開発されている このようなシステムの元では サーバー上に保管されているアルゴリズムやデータ コンピューティングリソースに対して 世界中のコンピューター上からアクセスしてアプリケーションを実行することができる エンドユーザーがソフトウェアやデータベースのメンテナンスのオーバーヘッドに対処する必要がないという利点がある 基本的なバイオインフォマティクスサービスは によるつのカテゴリに分類できる シーケンス検索サービス シーケンスアライメント 生物学的シーケンス分析 である これらのバイオインフォマティクスリソースの可用性は ベースのバイオインフォマティクスソリューションの適用性の広さを示している このようなサービスは スタンドアロンの各種ツール類から 統合型の分散型で拡張可能なバイオインフォマティクスのワークフロー管理システム まで 幅広く存在する バイオインフォマティクスワークフロー管理システムは バイオインフォマティクスアプリケーションにおける一連の計算やデータ操作のステップ つまりワークフローを構成し実行するために設計された ワークフロー管理システムの特殊な形式である 下記の様な特徴があり 例としては などが挙げられる この会議によりは バイオインフォマティクスプロトコルの再現性 複製 レビュー 再利用を可能にするデジタル ラボノートブック 形式のパラダイムを決定した これは グループ間のアイデアの交換を促進しながら 通常の人員流動の過程で研究グループ内のより大きな継続性を可能にするために提案されて バイオインフォマティクスの概念と方法を教育するために 様なプラットフォームが設計されている たとえば スイスのバイオインフォマティクス研究所トレーニングポータルを通じて提供されるのオンラインコースが挙げられる カナダのバイオインフォマティクスワークショップは クリエイティブ コモンズライセンスに基づいて ウェブサイトのトレーニングワークショップのビデオとスライドを提供している またはプロジェクトも オープンソースの教育資料を無料で提供している このコースは低コストの コンピュータを利用し 大人や学校の生徒を教えるために使用されている は コンピューターとオペレーティングシステムを使用して 研究レベルのバイオインフォマティクスを利用している研究者や研究スタッフによるコンソーシアムによって積極的に開発されている バイオインフォマティクス分野の国内学会および国際学会として 日本バイオインフォマティクス学会およびがある また国際会議として などがある 仮面ライダークウガ かめんライダークウガ は 年 平成年 月日から年 平成年 月日まで テレビ朝日系列で毎週日曜 に全話が放映された 東映制作の特撮テレビドラマ作品 キャッチコピーは 新しい英雄 新しい伝説 で オープニング最後のタイトルで左上と右下に表示される テレビシリーズでは 仮面ライダー 終了から年ヶ月ぶり テレビシリーズを除けば 仮面ライダー から年ぶりとなる 仮面ライダー 作品であり 同時に 平成仮面ライダーシリーズ 第作目に当たる クウガ 漢字表記では 空我 の名は 漢字で書ける名前 という提案を受けて 石森プロ社長の小野寺章によりクワガタの語感から命名された 昭和仮面ライダーシリーズ 以下 昭和ライダー から世界観が一新されているが 一方で昭和ライダーへのオマージュも台詞や設定の随所に盛り込まれている 昭和ライダーとの大きな違いには 仮面ライダー および敵対する怪人は改造人間 世界征服を企む悪の秘密結社 戦闘員 などの設定がなくなったこと 劇中で 仮面ライダー という名称が用いられないことがある 特に 改造人間 に関しては 医療技術の進歩によって臓器移植手術などが多く行われるようになったことが考慮され 以前のように 改造人間 という表現を用いるのには抵抗があり 東映も 改造人間による影を持った主人公にしたくない ということで撤廃され 以降の平成ライダーシリーズにも引き継がれることとなった また 本作品には従来の特撮ヒーロー番組にはなかった新たな試みが随所に見られる 身近な恐怖を演出するための現実感と 特撮ヒーロー番組にありがちだった矛盾点を解消させるための整合性を重視し グロンギ族は独自の言語と文化を持つ クウガと警察が協力する 技名を叫ばない などの設定が生まれた 作劇においては 従来ではスポットの当たりにくかった 回を追うごとの周囲の人の変化 や 社会におけるヒーローと悪の存在の認知の過程 が描かれるなど ヒーロードラマの視点だけではなく 一般ドラマの視点も重視している このため 話分以内ではエピソードを満足に描き切れないということで 基本的に前後編の 話でエピソード というスタイルを取っている このスタイルは以降の作品にも引き継がれた 商業面では変身ベルトなどの人気で好成績を記録したが ドラマ重視の作劇によって戦闘シーンが極めて短い回が多く 月に発売されていたクウガの最終形態アルティメットフォームが 雄介の見た幻影を除き翌年月の最終回直前まで作中に登場しない 出番もわずかだった という展開となったほか 逆にスポンサーの玩具会社の担当者も知らなかった新形態 アメイジングマイティ が登場し 急遽その商品が開発 発売されるなど 販促番組としても異例づくめとなった また 最終回 第話 ではパートとパートの間にを挟まずにまで放送し 変身後の主役ヒーローの登場や戦闘シーンが存在せず 主人公 五代雄介の出番もわずかであった 本作品以降 クロスプログラム 放送開始直前に挿入される映像 が頻繁に変更されるようになった また 提供テロップのナレーションは出演者が交代で担当している 従来のシリーズとは異なり ナレーションは次回予告と総集編のみに留まった 東映の鈴木武幸は クールで終わるような中途半端なライダーを作るべきではない 機が熟した時に再開すべきとして 復活の声はあったものの長いあいだ仮面ライダーテレビシリーズの再開を中断していた 仮面ライダーのテレビシリーズ再開は年ごろから企画が進められており 当初はウルトラシリーズを放映していた毎日放送制作 系の土曜時台での放送を目指していた時期もあった 初期タイトルは 仮面ライダー クロスブイ と 仮面ライダーカワカミ であり ここで提示された複数の仮面ライダーを登場させる案が 人数を人に集約することでフォームチェンジという発想につながっている また別の企画タイトルの一つに 仮面ライダーガイア があり ウルトラマンガイア と競合したと言われている 毎日放送での放送は決まりかけていたが その後毎日放送がゾイドやウルトラマンのほうを選び断ったため系での放送は実現に至らず 東映の特撮番組 燃えろ ロボコン を放映中という縁で制作局をテレビ朝日に変更することとなった しかしテレビシリーズが中断して久しい 仮面ライダー は 当時の感覚からするとすでに過去のブランドであり テレビ朝日も ネタがないから と渋引き受けた風だった 追い風となったのは せがた三四郎 である 仮面ライダー で本郷猛 仮面ライダー号 を演じた藤岡弘 が演じる同キャラクターは仮面ライダーの人気再燃を盛り上げた 鈴木武幸によると こうした盛り上がりが本作品の誕生につながったとのことである またプロデューサーの髙寺成紀は プライズゲームで仮面ライダーシリーズの景品が売上を伸ばしていたこともきっかけになったと証言している 当時は漠然と 好反応 とだけ認識されていたが これはゲームセンターに来る年齢層がライダーに興味を示すようになった表れであり 旧作の視聴者が父親になって 親子世代 ファンを形成する端緒であった 髙寺成紀の企画案 仮面ライダーガーディアン はヒーロー色の強い明快な作風で 雄介のキャラクター設定にその名残がある この時点での髙寺は 関係各社の期待を裏切らないように従来のヒーロー番組の路線に沿ったものを構想していた その後 石森プロが提出した企画案 仮面ライダーオーティス がホラー色や悲劇性の強いものだったために方向性の再検討を求められ 髙寺は抜本的な見直しを決意した なお他の仮題には 漢字での表記が提案された後の 王者 という案も存在した まったく新しい仮面ライダーを作ろうとする髙寺の意気込みは強かったが 初期案のファンタジックで型破りな主人公像を実現するには インディ ジョーンズ 並の予算が必要だとか 地球人と宇宙人とのハーフ という設定はライダーのイメージから離れすぎているという指摘を受けて 従来のライダーに新味を加えていく方法を模索することになった 髙寺が考えた 仮面ライダーらしさ とは ライダーという異形のヒーローの隣に滝和也や立花藤兵衛のような生身の人物が並び立つ 男と男 の構図だった これは雄介と一条薫のバディという形で実際の作品に活かされている 一方 旧作の基本設定だった 改造人間 という要素は 必須のものではないと見なされて排除された この時期の仮面ライダーというブランドには 世代ヒーロー 以外に売り込む要素がなかったため 新世代を意識した旧作との差別化が図られている 制作には昭和ライダー以上に期間を設け 極力ご都合主義や設定破綻を避けるため 主に脚本づくりに時間をかけていた 特に本作品ではシリーズ構成や文芸部といった 東映作品としては珍しいポジションが設置されており ストーリーや設定の統一がなされている こうした手法に関し 髙寺はドキュメンタリー風のドラマ 緊急救命室 から受けた衝撃の大きさについて語っている 全編が で撮影されており 当時としては異例の の画面比率 レターボックスサイズ で放映された ただし 当時は撮影のみがハイビジョンで行われ ポストプロダクション 完パケ 本放送はで行われた そして 従来のアフレコ形式より同録形式に改められ ビデオ撮影に対応した技術会社やクルーが参加することになった しかし 長年に渡ってフィルムとアフレコ撮影で制作を続けてきた現場スタッフは ビデオと同録での撮影方法に慣れていないことから現場の進行が滞り 撮影開始週間でカメラクルーからスケジュール通りに予定カット数を撮影できないと苦情が発生 東映上層部で元のアフレコ撮影に戻そうという会議が行われたが それを耳にした録音部のスタッフが撮影技師 いのくままさおに頭を下げて尽力することを訴え出たことで スタッフ一丸となって同録が継続されるに至った 劇中のシーンが変わるごとに 劇中の時間と場所を表示する形式になっている 劇中の描写と時間の経過は整合性を取るために綿密に計算されているが 交通機関でのシーンでは劇中の時間を現実の時刻表に合わせるための調整が必要になるなど 苦労も多かったという 第話の教会炎上シーンには莫大な予算がかかり 本作品の予算を逼迫させたとも伝えられているが これについて高寺は こっちで勝手に盛り上がった 絶対に予算の許可は下りないと思ったんですね でも制作担当は簡単に許可してくれた 多分 初めてパイロットを撮る石田秀範監督を男にしよう と思ってくれたんだと思う と語っている ただし 教会炎上については過剰に言われている部分もあり 高寺は 教会よりも遺跡のシーンのほうが予算がかかっている と述べている オートバイスタントにトライアル元全日本チャンピオン 成田匠が参加 旧作では室町レーシングやスリーチェイスなどのカースタントチームが参加していたが 本物のオートバイ競技のアクションを取り入れたらどうか とのスタッフの意向で成田に打診された トライアルのアクションを取り入れる動きは 仮面ライダーストロンガー の時代にも試みられたが 事故で断念されており 年ぶりの試みとなった 車種の選定も成田によって行われ 初のスペイン車によるライダーマシンが完成した 車種の詳細は後述 成田の初登場となる第話では様な段差や障害物を越えて縦横無尽に駆け回る姿が描かれ 従来のアクションとは違うことが強調された その後もウィリーによる 前輪パンチ やジャックナイフによる 後輪キック など トライアル技の応用によるダイナミックなアクションが展開された また 第 話で 成田匠の弟の成田亮がバイクを操る怪人ゴ バダー バを演じた バダーのマシンであるバギブソンは トライチェイサーと同じパンペーラを使用した 人のプロ選手による湘南海岸での戦いは多くのトライアル技術が披露され 従来描かれていた土煙を上げて交錯するうちに敵が倒れていくオートバイ戦とはまったく違った画面が完成した 本作品もヒーローと怪人の戦いを描いているが 同時に 怪人出現という事件の起きた時代を捉えたドキュメンタリー の様相も帯びている 怪人への恐怖が社会に蔓延する中で こんな時代に子供を産んでいいのか という不安を抱く保育士 仕事に追われて息子の授業参観に行けず涙する研究者 批判を口にする教師など ヒーロードラマという枠の内では解決しきれない問題を視聴者に投げかけている 分番組の中で実社会を描くことには限界があるため こうした個人の描写に社会の反応を集約させている 刑事ドラマとしての側面が強いが これは 機動警察パトレイバー から平成ガメラ 平成ウルトラマンシリーズ さらに 踊る大捜査線 を経て発展してきた官僚機構としての警察を描く手法を取り入れたものである 特撮作品にありがちな 超技術を保有しているのにやられ役を演じる防衛組織とは異なり 本作品での警察は連携する医師や研究者なども含めて超能力を持たない普通の人間であり 勇気と責任感で超常現象に立ち向かう 警察組織の描写のリアリティを追求するため 脚本の荒川稔久は もし本当に怪人が出たら どの部署が対応するのか と埼玉県警察に問い合わせた 回答によれば 殺人課は人間の起こした犯罪事件を取り締まるものなので違う 出動するのはおそらく警備部の野生動物を管轄するところだろう とのことであり 一条薫は長野県警警備部所属と設定された ほかにも通信の場面で当初使われていた 本部より を 本部から に改めたり パトカーの出入りに使う扉の方向を決めるなど 細かな事象でも現実の警察を意識している ただし すべてを現実に合わせているわけではない たとえば 本部長 という呼称は実在しないが 対策本部の統率者と理解しやすいため劇中で使われている 自衛隊の出動にまで至ると パニック物という別ジャンルの作品になってしまうため 劇中での事件対処はあくまで警察の域に留まっている 後の平成仮面ライダーシリーズ 以下 平成ライダー に比べると 勧善懲悪的と言われる 劇中の悪はグロンギだけで 人間は善として描かれている 悪と言ってもグロンギは ショッカーのようなピラミッド型の敵組織ではない これは当時まだ年までにオウム真理教が引き起こした一連の事件の記憶が鮮明であり 連想させかねないようなモチーフを使えなかったことが一因である また 元は怪獣好きとして知られる髙寺が怪獣映画の人間サイズ版を志向したのだろうと 切通理作は推測している 普段の外見は人間と変わらない存在でありながら まったく理解できない理由で殺人を繰り返すグロンギは 怪物ではなく人間 もしかしたら隣人こそが恐ろしい という現実の社会の恐怖を 子供向けに翻訳したものであると虚淵玄は解釈している 放送当時に凶悪化していた未成年者の犯罪への対策が叫ばれ 加害少年を保護する少年法の改正案が国会に提出されたその時期に 第 話が制作された ゴ ジャラジ ダ 人間態も少年 は快楽的に高校生を次と惨殺 ジャラジに狙われて怯える生田和也少年に 雄介と一条はジャラジから守ることを誓う そして 怒りに震えるクウガはジャラジに凄まじい暴力を振るってとどめを刺した 白倉伸一郎は 殺人者は未成年者であっても厳罰に処する というメッセージを読み取っている 殺害事件と対比する形で わかば保育園での社広之と寺島周斗の喧嘩が描かれている 広之から傲慢な態度を非難された周斗は素直にそれを認め 人は和解した 雄介は 人間だからわかり合える と信じていた これを観た國分功一郎は 懲悪の側に強く同一化した大人の作為というものを感じざるを得ませんでした と語り 白倉に賛同している それに対し切通は グロンギを同じ人間の中の異分子と捉える見方に異論を唱えている 切通は クトゥルフ神話 が世代を超えて書き継がれるように 闇の恐怖や未知の怪物への畏敬を失うまいとする流れがあり その怪人版がグロンギだったと解釈している しかし 後の平成ライダーでは人間同士の争いにテーマが変遷したため 未知なる存在と人間の戦いを描いた本作品の感覚がわかりづらくなったのだろうとも述べている ヒーローが担う正義について 管理秩序社会を志向していると白倉は指摘する 第 話ではゴ ブウロ グ出現と同時に 雄介の小学校時代の恩師 神崎昭二の現在の教え子である霧島拓が 栃木から人で東京にやってきた 拓は未来に悩んだ末 昔よく遊んだ思い出の場所を訪れる 神崎から連絡を受けて拓を捜索した雄介は 拓に もっと悩め と激励する 白倉はこれを 子供が規定された生活圏から逸脱するのは ヒーローに出動が要請されるほどの大事なのだ という感覚の発露としている また 宇野常寛は 正義が虚構となった時代だからこそ あえて正義を語るのだ という物語回帰性を指摘 暴力の持つ欺瞞を あえて 引き受け さらに少年少女を教導する役も負う 市民道徳の体現者として主人公を見ている この件についても切通は別解釈を提示しており 教師から相談された主人公が ヒーローではなく人の人間として少年に接し 問題を解決しようとする姿を描いたのだと捉えている 海老原豊は 後半になって敵が強力になっていくほど 逆に戦闘描写が減少する傾向に注目し 暴力制止のために暴力を振るうという正義の矛盾に解を示さないまま その矛盾を引き受けた主人公を画面からフェイドアウトさせることで むしろ正義の困難性というメタメッセージを発信しているとする いずれにせよ 子供たちに正しい大人の生き方を示そうとする髙寺と 価値観の一元化こそが諸悪の根源とする白倉では 正義の考え方がまったく相容れないのは明白である しかし この大プロデューサーの相克が のちに続く平成ライダーを進化させていく原動力となったと 井上伸一郎は述べている 仮面ライダー玩具の定番である変身ベルトは ソニックウェーブ変身ベルト の商品名で発売された ひとつの商品で長く遊んでもらうためと 劇中のアークルが唯一無二の存在だったことから 仮面ライダー のようにフォーム毎でベルトを変えるのは止め 多色発光によってフォームチェンジを表現している しかし当時まだ多色が普及していなかったため 赤色以外はムギ球で光らせている ステレオ音声が一般的になったテレビ事情に合わせて ベルトにも左右バックルに大型スピーカーを搭載し 左右で異なる音声が鳴ることで立体的な音響空間を創出している 開発陣はアクション監督の金田治 スーツアクターの富永研司とともにスイッチの操作方法がわざとらしくならないような変身ポーズを考案し 以後のシリーズでポーズと玩具ギミックが連動する流れを作る ドラゴンロッドなどの武器玩具もそれなりに売れたが キックが決め技の仮面ライダーらしさを意識して合体武器路線を避け の経験を生かして新たな効果音と発光を仕込んだ強化パーツ ライジングパワーセット を発売 以後の年末商戦における仕掛けの基本となった パーツを換装することでフォームチェンジを再現できるフィギュア 装着変身 シリーズも好評だったが 劇中での出番が多くないグロンギ怪人のソフビ人形まで売れたことはバンダイの想定外であり 商品化においては露出時間の長さではなくキャラクター性の強さが重要だという認識を促した 最終回のバンダイ玩具では ファンに向けて 五代雄介と一条刑事をいつまでも忘れないでね という特別メッセージが表示された 放送開始当初は視聴率が前作 燃えろ ロボコン から低下しており やはり仮面ライダーは過去のものか と思われていたが クールから脚本に参加した井上敏樹は 視聴率は悪くなくファンも付いていたと述べている 支持者の年齢層は 前半は代の男女が圧倒的に多く 次第に高校生前後の少年が増えていった 本作品は元大人の視点を意識して作られているが これは 父と子の世代が一緒に視聴する という意味である しかし 実際にはオダギリをはじめとするイケメン俳優目当ての母親層や 雄介と一条の関係に着目する腐女子ファンまで流入した オダギリ効果 インターネットが普及中だった時代に開設された公式ホームページに対する反響は大きく 最終回放映日のヒット数は万に達した 西暦年 長野県山中の九郎ヶ岳で謎の遺跡が発掘されたが 棺の蓋を開けたことで目覚めた謎の存在によって 夏目幸吉教授らの調査団は全滅させられてしまう 捜査に当たった長野県警刑事 一条薫は五代雄介と名乗る冒険家の青年と出会う 雄介はそこで見せてもらった証拠品のベルト状の遺物から 戦士のイメージを感じ取る ズ グムン バに遭遇した雄介は 咄嗟の判断でベルトを装着して戦士クウガに変身した そして 人の笑顔を守るために怪人たちと戦うことを決意する 以後 クウガと怪人たち グロンギは 未確認生命体 と呼ばれ 人に認知されていく 本作品における敵 人間とほぼ同じ身体 血液構造を持つ 人類に極めて近い超古代の好戦的な先住民族 のちにその体は人間と自分たちは等しいと述べている 残虐かつ闘争心旺盛であり 超古代にクウガによって封印されていた 九郎ヶ岳遺跡発掘に伴い 体余りが現代に復活 警察や世間からは 未確認生命体 と呼ばれている 普段の外見は人間と変わりないが その肉体に動植物や昆虫の能力を宿しており 体のどこかに怪人体のもととなる動植物や昆虫の刺青がある 腹部にアマダムと同質の物体魔石 ゲブロンが埋め込まれており 拳銃で武装した警官隊も一掃できる怪力と 胸を撃ち抜かれても死なない脅威的な再生 回復能力を持ち全員が動植物や昆虫の力を持った怪人体に変身する クウガとグロンギは基本的に同じ力を有している ゴ集団やズ ゴオマ グのように より強力になるほど体が黒く変化していく クウガの技で死亡する場合 ほとんどは体に打ち込まれた封印エネルギーが腹部の核に伝達することで 封印 のリント文字が体に浮かび上がり爆発する ン ダグバ ゼバを頂点とし ゴ集団 メ集団 ズ集団の階級が存在し 階級ごとに怪人体時に装着しているベルト ゲドルード のバックルやプロテクターなど 装飾品の色や種類が異なる リント 現代人をリントの末裔と見なしている を標的とする殺人ゲーム ゲゲル を 進行役のラ集団のもとで行う 登場時期が後になるほど強さが増していき ゴ集団の終盤の体はクウガのフォームチェンジに当たる形態変化が可能 強さはゲブロンの強さに比例し 爆発した際の被害も甚大になる 特にライジングマイティキックで倒すと 爆発規模は半径キロメートルに及ぶ ゴ ガメゴ レやゴ バダー バなど 他に ダグバのゲドルードの修復など裏方仕事を担当していたヌ ザジオ レ 登場したのは人間体のみ や ゴ ジャーザ ギの台詞で存在が示唆されただけのベ集団もいた 独自の言語 グロンギ語 を話し 位取り記数法として九進法を用いる 個体差はあるが日本語や自動車 バイクの運転 インターネットなどを短期間でマスターするほど知能は高い ゴ集団の中には人類の文化 芸術に興味を示して熟達する者もいた 人類はあくまでもゲゲルの標的 リントであり クウガすらゲゲルの難度を上げる障害物かやや強い標的としか見ていない 人間社会との文化の違いのためか 服装のセンスも一部の者を除いて通常の人類とは大きくかけ離れたものとなっている場合が多い 倉庫 廃墟 植物園 水族館 飲食店など営業していない複数の施設をアジトとして使い 彼らの文化に合わせたかのようにマネキンや鎖などで個性的な装飾を施すか 最初から神秘的な内装をされている店内などを好んで使っている 九郎ヶ岳遺跡のある長野県を皮切りに山形県から岐阜県まで広い範囲で行われたが 主に人口の多い東京都を中心とする関東地方周辺に集中していた グロンギが関係すると思われる殺人 窃盗などの事件は 未確認生命体関連事件 として広域指定事件とされ 警視庁に置かれた合同捜査本部によって捜査される グロンギは毎回体ずつ登場するということがなく ストーリーの節目となる回ごとに数名がバルバのもとに人間体で現れ 自分がゲゲルを行う順番を待っていた 初登場から怪人体になるまで数週かかった者も多い 怪人体が出現した順に 未確認生命体第 号 と呼称されるが 前述した事情に加えて設定のみでテレビシリーズ未登場のグロンギも多いため 必ずしもテレビシリーズでの登場順とは一致しない なお 人間体しか目撃されていていなくても未確認生命体と判断される場合は 未確認生命体群 として分類される 名称の末尾の語は もとの生物の種別を表している 最強のグロンギに与えられるグロンギの最高位の階級で 究極の闇をもたらす者 と呼ばれている グロンギの中でも桁違いの戦闘力を持つ存在であり 身体能力は無論 特殊能力も他のグロンギと大きく差がある 頂点ゆえに テレビシリーズに登場したのはダグバのみ バックルの色は黄金であるほか 他の階級のグロンギよりも派手な形状となっている ゲゲルに参加資格を有する階級集団 すべてのグロンギが参加資格がある訳ではなく 各集団の実力者が参加資格を有する ゲゲルに参加できないが裏方として ゲゲルの運営を担当 ラ ドルド グはゴ ガドル バと互角に戦った 定められた期間内に定められた人数の人間を殺すゲーム ズ集団のゲゲルではバルバが制限時間と人数を定め メ集団では自己申告で目標を決め 一定の殺害数カウント後の中間報告が義務付けられている 一度にゲゲルを行う ムセギジャジャ プレイヤー は名のみで ムセギジャジャ プレイヤー 以外のグロンギはゲゲル中は殺人を禁じられており 開始前に殺人を行った者や他のプレイヤーのゲゲル中に殺人を行った者は参加資格を永遠に剥奪されてしまう ゲゲルの進行によっては下位集団のゲゲルが停止させられる場合もあり それに不満を覚えた者が暴走 反抗に出たこともある 殺害人数のカウントは ドドゾ ボード とグセパ 腕輪 でそれぞれ行う ドドゾが警察に押収されてからは バグンダダが代用されている ゲゲルに成功した者は上位ランクに昇格する 劇中ではガルメがズ集団からメ集団に昇格 ゴ集団が行うゲゲルで 意味は セミファイナル ゲーム 超古代語対訳版では黒き闇のゲーム メ集団壊滅からヵ月後に開始された 通常のゲゲルと異なり 殺害方法に武器の使用が義務付けられ 各が定めた条件を満たす相手だけを殺す 殺害人数のカウントも本人ではなくドルドが行う ゲリザギバス ゲゲルに成功すれば ダグバと対で戦う ザギバス ゲゲル ファイナル ゲーム 超古代語対訳版で 白き闇のゲーム に臨み ダグバを倒せば彼の変身ベルトを受け継いで強大な力を手に入れ 究極の闇 とよばれるリントの大量虐殺を実行する グロンギの人間体は 予算の都合からスーツでのアクションを減らすために考案された その一方で 怪人のスーツはアップ用とアクション用の種類が用意されている ハイビジョン撮影ではスーツの材質や造りがそのまま映ってしまうため 従来とは異なる工夫がなされた スーツにはゴム素材を用いており スーツをスーツアクターに密着させることでしわをなくすため造型時には毎回スーツアクターのフィッティングを行っていた 腰布などの衣装は股関節などのシワになりやすい部分を隠すためにデザインされ 次作 仮面ライダーアギト のアンノウンでも引き継がれている 日中や屋内の撮影でも筋肉の隆起などのコントラストを強調するため 着色したラテックスを重ね塗りして陰影を表現している 世間ではヒーロー像の固定観念ができあがっており オーディション出場者の多くが 何かにつけて ゴルゴムの仕業だ と力んでいた 仮面ライダー の南光太郎のように大仰な芝居をしたため 主人公の五代雄介役の選出は難航した その中で 最後のオーディションに出たオダギリジョーはまさにハマリ役だった オダギリはイメージや価値観が凝り固まった特撮ヒーロー作品に強い抵抗感を抱いていたが それを隠そうとしない裏表のなさがむしろ五代役に最適と判断された オーディション終了後もオダギリは出演を断るつもりでいたが 髙寺プロデューサーに あの仮面ライダーではなく むしろ違うものにしたいと思っているから 力を貸してほしい と説得されて 引き受けることにしたという 元は 葛山が五代役をやる予定であったが 一条のキャラクター設定を読んだ葛山が一条に惚れ込んだことで 一条役に変更となった オダギリと一条を演じる葛山の人気は男性アイドル雑誌にも露出するなど異例の注目を集め イケメンヒーロー と呼ばれる 従来特撮に関心がなかった層を新たに取り込んだムーブメントを生み出した スーパー戦隊シリーズでアクション監督を務めていた竹田道弘は 第話 第話で福沢博文が担当したズ グムン バの演技を高く評価しており そのことが翌年 百獣戦隊ガオレンジャー での福沢のガオレッド起用につながった 髙寺プロデューサーと付き合いが長いということで荒川稔久が前番組から続投 メインライターになり 前述のとおり井上敏樹がサブとして参加した また髙寺の知己で 特撮雑誌 宇宙船 の編集者であり また チャンピオン ヒーロー王選手権 の連続王者でもあった大石真司が文芸担当として迎えられ 緻密なヒーロー像やストーリーラインを構築した 他にも 当時はまだ武蔵野美術大学の学生だった阿部卓也が企画検討段階からデザイナーとして抜擢されるなど 斬新なスタッフワークが採られた 阿部は完璧な意味を持つ古代文字を構築した他 グロンギ怪人のベースデザインを作った 阿部は学業との両立が困難になって途中から作品を離れるが 後をプレックスなどに属する職人デザイナーたちに託し 劇中最後の敵 ン ダグバ ゼバのデザイナーとして復帰した 大石 阿部 そして特撮ヒーローを大胆に解釈した作風で 演劇ファンから人気があった劇作家 演出家のきだつよしら 本作品で実質 髙寺プロデューサーに 一本釣り されたことで本格的に商業特撮作品に携わったスタッフたちは 後に同じ髙寺プロデューサーが手がけた 仮面ライダー響鬼 時にも招聘され 高寺が同作品を去るまでの間深く関わっていくことになる 演出陣では 石田秀範が初のメイン監督を担当した また 戦隊サイドにいた渡辺勝也 長石多可男といった髙寺プロデューサー縁の演出家も集結している ちなみに当初は石田がメインを務める予定ではなく 別の監督がパイロットを撮り石田は第 話を撮る予定であった しかし髙寺とその監督の意見が衝突し監督が降板 急遽石田にパイロットのお鉢が回ってきたとのことである その皺寄せがありハードスケジュールが祟ったせいか石田は撮影中に倒れてしまい パイロット作品ではチーフ助監督の鈴村展弘が演出を代行した箇所もあるという 仮面ライダーアギト 以降の作品で劇場版が連年制作される中 テレビシリーズ放映当時から署名サイトが開設されるなど 本作品の映画化に向けた活発な署名 要望活動が行われた これに対し 番組終了後に発売された 超全集 最終巻でオダギリ 髙寺から映画化の約束のコメントが載るなど 当初はスタッフ キャストも映画化に前向きな姿勢を見せていた 劇場版 クウガ こそ実現しなかったが 仮面ライダークウガ というキャラクター自体は年公開の 劇場版 仮面ライダーディケイド オールライダー対大ショッカー において 初めて映画作品へ登場している 劇中の音楽は佐橋俊彦が担当した 佐橋は高寺からオーケストラ編成が基本のスーパー戦隊シリーズとは変えてほしいとの要望を受け 佐橋サウンドの持ち味だったオーケストラの使用を避け アクションテーマはバンド編成による激しいロック 怪人襲撃 暗躍を表現する音楽はシンセサイザーによる音色で 洋画ホラー物のような雰囲気を演出しており それまでに佐橋が手掛けた作品とは全く異なる音楽世界を確立している 本人もインタビューなどで 普段の自分のスタイルとは違ったことを試みた という主旨の発言をしている 当初 最終回の音楽を完成したマスターに合わせて録る話があったが 間に合わず結局不可能となった これを実現していたならば 佐橋はスケジュールに追われて楽曲制作の質が落ちることを防ぐため 次作 仮面ライダーアギト の音楽担当を辞退するつもりだったという 究極の闇 の曲以外は全て放送時シングルでそれぞれリリースされ 後に 仮面ライダークウガ ソングコレクション 仮面ライダークウガ ソングコレクション に収録された 究極の闇 は 仮面ライダークウガ ソングコレクション が初出 は 名義のアルバム には収録されたが クウガ関連のアルバムには収録されていない 全曲とも作中未使用 全編通してサブタイトルは漢字文字で統一 放送回数は と表記 アバンタイトル前と各話終了時にはリント文字が表示され 終了時の背景には一部を除き その回で活躍したフォームの色が使われるといった演出がなされている いずれの作品にも仮面ライダークウガが登場 前述の事情から 本作品単独での映画作品は存在しない ジャヴァ は 汎用プログラミング言語とソフトウェアプラットフォームの双方を指している総称ブランドである オラクル社 およびその関連会社の登録商標である 年にサン マイクロシステムズ 社によって市場リリースされ 年に同社がオラクル社に吸収合併された事により の版権もそちらに移行した プログラミング言語は に類似の構文 クラスベースのオブジェクト指向 マルチスレッド ガーベジコレクション コンポーネント指向 分散コンピューティングといった特徴を持ち 平易性重視のプログラム書式による堅牢性と 仮想マシン上での実行によるセキュリティ性およびプラットフォーム非依存性が理念とされている プラットフォームは プログラムの実行環境または 実行環境と開発環境の双方を統合したソフトウェアであり ビジネスサーバ モバイル機器 組み込みシステム スマートカードといった様なハードウェア環境に対応したソフトウェア形態で提供されている その中枢技術である仮想マシンは各プラットフォーム環境間の違いを吸収しながら プログラムの適切な共通動作を実現する機能を備えている このテクノロジは と標榜されていた 開発元の を買収し 開発を引き継いだによる公式な主張は下記である 企業内システムの開発に最適であるとしている また全世界では 億のデバイスで動作し 万人が開発で使用し 億の アプリケーションが動作するスマートカード が購入されていると発表している プログラムの構文は 言語または によく似たものである オブジェクト指向言語としての一面が強調されがちだが 幾つかの構文ルールの違いを除いては 言語とほぼ同様にシンプルな手続き型プログラミングのスタイルでもプログラミングできる はオブジェクト指向のプログラミングスタイルをそれほど強制しない の主要パラダイムはクラスベースのオブジェクト指向である クラスはフィールド メンバ変数 とメソッド メンバ関数 をひとまとめにしたものである クラスの構成要素はフィールド メソッド 静的フィールド 静的メソッド 定数 内部クラス 入れ子クラス の六種類である プログラムは個以上のクラス定義文から形成される のクラス機構はカプセル化 継承 多態性をサポートしている のカプセル化は フィールドとメソッドの可視性を定める四つの修飾子 でサポートされている は同クラス内限定 は同クラス内と同パッケージ内限定 は同クラス内と同パッケージ内と派生クラス内限定 は制限なしを意味する パッケージはプログラム全体を任意に分割したソースファイルの個以上のまとまりである のデフォルト可視性はファイル単位のなので隠蔽性よりも利便性が重視されている の継承は スーパークラスが一つに限られる単一継承をサポートしており多重継承は除外されている 既存クラスを元にして任意のフィールドとメソッドを追加した新しいクラスを作成できる の全クラスはクラスをデフォルト継承する 全クラスの派生元になるクラスが持つロック機能はオブジェクト指向とマルチスレッド同期を調和させている の多態性は 仮想関数とインターフェースと実行時ダウンキャストとリフレクションでサポートされている 親クラスのメソッドが仮想関数の抽象メソッドになり 子クラスの同名オーバーライドメソッドが仮想関数の実装メソッドになる インターフェースは抽象メソッドだけで構成される純粋抽象クラスであり 構文によって任意の数だけクラスに実装できる 実行時ダウンキャストは演算子による実行時型チェックで事前確認でき ダウンキャスト失敗時は例外発生によってフォローできる リフレクションはクラスの構造内容を操作できる機能で動的ディスパッチ メソッドミッシング モンキーパッチなどの実装に活用できる ただし安易な使用は推奨されていない プラットフォーム非依存とは プログラムが特定のハードウェアおよびオペレーティングシステムの機能に依存する事なく 実行環境が導入されたあらゆるコンピューター環境上において共通した動作を見せる事を意味する 一度プログラムを書いてしまえば どのコンピューターでも動くよ がそのスローガンとされていた のプラットフォーム非依存性は次のようにして実現されている 公開初期のインタプリタ式のみで走行されるプログラムの実行速度は遅かったが 仮想マシンへの実行時コンパイラ技術と動的再コンパイル技術 の導入によって速度問題はほぼ解決した 実行時コンパイラとは一定範囲のバイトコードをまとめて機械語コードにコンパイルして継続的に実行させる技術である 仮想マシンはメモリ境界とバッファオーバーフローに対するチェックを随時行いながらプログラムを走行させるので実行時の堅牢性も実現している また クラスロード時にそのバイトコードを検証して一定のニーモニック整列基準を満たしているか判定する機能も備えており あからさまなコード暴走や致命的エラーの頻発を事前に抑止するという安全性も実現している プログラムは複数のスレッドを同時に走らせる事ができる 多数のスレッドを扱う大規模システムにも対応できる各種設計を備えており その一つであるスレッドグループは 各スレッドを役割や性質でグループ化して様な一括操作を可能にしている これはクライアント サーバーシステムの実装でよく用いられる また膨大な数の断続的トランザクションをさばくシステムにおいて発生しがちなスレッド生成と破棄の繰り返しによる負荷増大を解決する為の スレッドプールとタスクキューを併せたいわゆるモニタの技法を提供するも用意されている マルチスレッド 同期 の特徴としては 前述のクラスの基底継承強制により全てのインスタンスにロック機能を持たせている事が挙げられる このロックはキーワードで示される標準同期構文で使用される 標準同期は仮想マシン内包仕様であり 機能的にはミューテックスに相当する 修飾子の各メソッドはその全体が排他制御エリアになり その呼び出し時はインスタンスからロックをデフォルト取得するので イメージ的にインスタンス単位になる排他制御を自然に表現している このロック普遍化はオブジェクト指向との調和を実現する設計と言える 静的メソッドの方は システム内に暗黙的に存在するクラスオブジェクトからロック取得を試みるので これもイメージ的に同型インスタンス共通単位の排他制御を表現している また 定義子の波括弧でくくられた任意のコードブロックは 以外のインスタンスもロックオブジェクトにできる排他制御エリアになるので きめ細かな同期も表現できる このミューテックス相当の標準同期は様なロック手法にも応用可能であるが 実際にカウントセマフォやバリアや読み書きロックなどを再現しようとすると余計なワンステップを必要としがちなので それらのロック手法は専用ので用意されている プログラムのメモリ管理は 仮想マシンに備えられたガベージコレクション機能によって行われる ガベージコレクションとは すでにどこからも参照されていないオブジェクトを自動的に特定して破棄し その占有メモリ領域を自動的に解放する機能である 人の手によるオブジェクトの生成と破棄を正確に対応させるメモリ管理作業は煩雑化するのが常であり メモリリークやその反対の不正解放によるプログラムエラーを引き起こしやすくバグの温床の代表格と見なされていた 自動化されたガベージコレクションによってプログラマは複雑なメモリ管理作業から解放される 一つのシステムスレッドに乗って未参照のオブジェクトを探し続ける実行プロセスはガベージコレクタと呼ばれる ガベージコレクタはどこかの末端だけが途切れている参照の連鎖のかたまりも正確に特定して参照の孤島に例えられたメモリ領域を一気に解放する事もできる ではガベージコレクションの機能に並ならぬ力が入れられており その技術更新は現在も進行中である 世代別ガベージコレクタ 応答時間短縮化ガーベジコレクタ 休止時間短縮化ガーベジコレクタなどが導入されて更に改訂を重ねている の分散コンピューティングプログラミングはオブジェクト要求ブローカーの機構に基づいている これはネットワーク上に存在する様なプラットフォームの間で 互いに異なる環境を意識せずにリクエストとレスポンスを送りあい任意のタスクを遂行する分散システムの構築をサポートする 各プラットフォーム上で稼働されるサーバーアプリケーションとクライアントアプリケーションはそれぞれオブジェクトを内包しており 業界共通規格のまたは独自規格のが提供する運用アーキテクチャと通信プロトコルを通して他のオブジェクトと相互にコミュニケーションする それらは分散オブジェクトと呼ばれている 業務用システムではすでにが普及していたので 高パフォーマンスだがプラットフォーム間の限定になるはその後追いであった そのためはと連携できるように などの様な技術が実装されている の通信プロトコルは の方はである 分散オブジェクトを実装するためのとクラスライブラリの多くはエンタープライズ版 に属している 分散オブジェクトの中でサーバー機能に特化されたものは と呼ばれている は クライアントと同期通信を行いトランザクションを管理するセッションビーン データベースとリンクして永続データを管理するエンティティビーン 様なイベントからの非同期通信を管理するメッセージドリブンビーンの三種に大別される これらのは コンテナと呼ばれる業務用サーバアプリケーションに内包されて運用される 同士を含む他の分散オブジェクトと通信する際のプロトコルはかが使われる 与えられた識別名から分散オブジェクトと各種リソースのネットワーク上の位置を特定してアクセスさせる機能がである コンテナはコンテナと連携して運用されるのが普通である コンテナはコンテナを一般的なクライアント窓口として使用することが多い コンテナはサーブレットと を内包している用サーバーアプリケーションであり プロトコルを通して一般的なブラウザとの同期通信を行う 方面の分散オブジェクトは コンポーネントと呼ばれる はいわゆるサイトの表示に特化したコンポーネントである サーブレットはサイトへのリクエストを処理し 場合によってはセッションビーンにトランザクションを委譲するコンポーネントである コンテナではやなどが有名である コンテナはコンテナと統合されて提供されている事が多い コンテナではが有名である 分散ネットワークシステムプログラミングを重視しているは サンドボックスモデルに基づいたセキュリティ機構を備えている これは遠隔ダウンロードされた追加プログラム バイトコード による実行環境への予期せぬ操作やユーザー資源への好ましくないアクセスを防止するためのものである 分散 指向のプログラムでは必要に応じてクラスを追加ロードする機会が多いので サンドボックス実行は必須である サンドボックス機能は 仮想マシン上の実行が同時にモニタリングを兼ねているので無理なく実現されている 大抵は以下の手順になる 実際には上記に加えて 各クラスを同一操作 同一セキュリティレベルでまとめるドメイン機構 認証と承認によるユーザーパーミッション機構 バイトコード送受信時の署名付き証明書機構などが組み合わされて実装運用される 家電向けプロジェクトの立ち上げ 年月 の歴史は 年月にサン マイクロシステムズ社が 次世代の家電製品が内蔵するマイクロコントローラ向けのプログラミング言語を開発するための水面下プロジェクトをリサーチ段階を兼ねて試験的に立ち上げた事から始まる サン社はこの分野が今後の重要市場になると予測していた サン社のエンジニアであるジェームズ ゴスリンとパトリック ノートンの参加により 現実味を帯びたプロジェクトの名称は正式に グリーンプロジェクト と定められた 彼らはカリフォルニア州メンローパーク市サンドヒルロードに用意された比較的小さなオフィスで開発を始めた 言語と の誕生 年 グリーンチーム内では当時のメインストリームであったオブジェクト指向を採用する事で一致していた 彼らはそのモデル言語である に白羽の矢を立て 当初はその移植版を検討していたが プロジェクトの対象が家電製品の組み込みシステムであったために自然と却下された の複雑な言語仕様はコンピュータ資源の浪費とプログラムエラーの発生率を高めがちであり 堅牢性と安全性が最重要の家電製品の制御装置には不向きであると判断されたためだった 加えて では移植性に対応できない点も指摘されており プロジェクトの中でプラットフォーム非依存が特に重要な議題として上がった 彼らは に代わる言語の開発と同時に あらゆる機器に容易に移植できるプラットフォームの必要性も認識するようになった こうして新言語プログラムの動作環境になる の開発も始められた 一方で 言語と言語の長所を理想にしていたサン社エンジニアのビル ジョイは をモデルにした新しいオブジェクト指向言語の開発を提案するワーキングペーパーに 彼方へ という題名を付けて自社に上申した それを受けてまずジェームズ ゴスリンが の拡張言語を提出した ゴスリンはこれを と名付けたがすぐに取り下げ 改めて一から設計しなおしたプログラミング言語を年秋に誕生させた オフィスの側に立つオークの木を眺めながら開発を進めていたゴスリンはこの新しい言語に という名前をつけた これがの前身である 携帯端末 テレビ機器市場への参入と撤退 年 年月 年夏には を実際の機器に載せてプログラムを実行できるようになっていた この頃になるとより広範囲な可能性を秘めるようになったグリーンプロジェクトの対象は当初の家電機器から 当時のトレンドであった携帯情報端末 へとシフトされていた 年月日に最初のデモンストレーションが開催され という名の機器がプログラムの初のお披露目舞台になった こののユーザーインターフェース上で後のマスコットキャラ が初登場している 年月 サン社はファーストパーソン社を設立しグリーンチームをそちらに所属させた 次世代のインタラクティブ機器に関心を持つファーストパーソン社は ケーブルテレビ用セットトップボックス事業への参入を決めて タイムワーナー社と社にそれぞれテクノロジを提示したが その高度な柔軟さが逆に倦厭されて契約実現には到らなかった サン本社はファーストパーソン社の解散を決め グリーンチームも本社に戻された ワールドワイドウェブ参入 年月年月 の始動 年月 年月 の基本言語仕様は種類程度に抑えたキーワードによって比較的コンパクトにまとめられている の構文は 言語によく似たものであり それよりも比較的平易化されている 従って以下のキーワードを眺めるだけでもプログラミングの大まかなスタイルを掴むことができる プラットフォーム は プログラムを開発または実行する為のソフトウェア群の総称である プラットフォームは対象環境に合わせて 実行環境および開発環境の構成内容と テクノロジの追加内容を変えたエディションに編集されて公開されている テクノロジは権利元ベンダーだけでなくサードパーティ側からも提供されており その標準化はコミュニティプロセス が管理している 実行環境と開発環境はオープンソース化されているので各企業 各団体 開発者各自が営利または非営利で様なソフトウェアと関連技術を公開しており 巨大なエコシステムを構築している 実行環境 は アプリケーションを実行するために必要なソフトウェアである 仮想マシン のスターターを含めた各種実行サポートツール クラスライブラリで構成される 実行環境の中核は仮想マシンである エディション毎に仮想マシンの仕様と性能は異なっており また実行時は複数の動作モードを持つ 仮想マシンはスターターを通して稼働されるのが普通である 様な使用状況に対応したスターターが最初に実行されて そこから仮想マシンが呼び出されてプログラムの実行を移譲される 仮想マシンはクラスライブラリを逐次読み込みながらプログラムを実行する 実行環境のツール内容とクラスライブラリ構成は エディション毎に違いがある クラスライブラリは 普遍的に呼び出される特定の機能を実装したクラスの集合体である プログラムはライブラリ内のクラスを逐次呼び出しながら処理を実行する なお それぞれのクラスライブラリ内部からプログラマの利用に向けて外部公開されている部分を と呼ぶ 実行環境に用意されている特定のクラスライブラリを利用する事でプログラムは結果的に 以下の四種類のアプリケーション形態に派生する 開発キット は プログラムを開発するために必要なソフトウェアである 実行環境も内包している コンパイラなどの基本開発ツール 各種開発サポートツール で構成されている 前述のエディションによって開発ツール内容と構成に違いがある 開発キットの呼称はこれまでに何度か変更されている は アプリケーション プログラミング インタフェースの頭字語であり クラスライブラリ内部からプログラマに向けて外部公開されているクラス インタフェース メソッド フィールド 定数の集合である プログラマはこれを用いて各種ソフトウェアの開発を行う は基本的にクラスライブラリの所属に沿って パッケージ と呼ばれる名前空間で分類されて提供されている パッケージは各ワードをピリオトで連結して階層化されている 先頭ワードのは開発元提供の純正基礎版を意味する 他に純正拡張版の 任意団体提供の 企業提供のがある 統合開発環境 は を中核にしてビジュアルエディターやビルドマネジャーなどの様な開発支援機能を備えたソフトウェアである のみだと メモ帳でプログラムを書きコマンドラインでコンパイルしコンソールでデバッグをするという極めて原始的な作業になるが を使用する事で多機能エディタコーディングとビルド過程の自動化と視覚的なデバッグが可能になる 開発用のは様な企業と任意団体から公開されている 開発サポートツールは プロジェクト管理 自動ビルド デバッグ モニタリングを容易にする 下記の他にも多くの支援ツールが存在する テクノロジは個人を含む各種組織から様な形態で公開されている 開発元から提示された技術は コミュニティプロセス による審査を合格した後にテクノロジの一つとして認証される これを標準化 と言う テクノロジが準拠すべき規範仕様は 管理下で発行される数の にて定義されている テクノロジは様な分野に導入されている その一例を以下に列挙する サン マイクロシステムズ社は年のリリース当初から実行環境と開発環境をオープンソース化しており サードパーティにテクノロジ開発への参入をアピールしていた ただし普及に一定のコントロールをかける為にソースコードの改変までは認めていなかった 年になると社が業界の優位性を活かしてオープンソースプロジェクトの主導権を握るようになった コミュニティプロセスを取り巻く業界の変化を悟ったサン社は社との本格的な提携を承認し 年に を として一般公開ライセンスの下でリリースした ではソースコードの改変も認められた プロジェクトは コンパイラコレクションの 互換クラスライブラリの を公開した 用 は と併せての環境上でも実行できた やなどのメジャーでは オラクル社 社 社 プロジェクト などによるプラットフォームが公開されている また ソースコードをそのまま用実行ファイルに変換する やただし これらのツールには最新のでコンパイルされたファイルには対応していないなどの欠点もある上 の にはほとんどにがインストールされているため あまり普及していない オラクルは複数の認定資格を主催している のバージョンアップに伴って資格も変更されることがある ただし 変更前に取得した資格は変更後も有効である 認定試験に不合格だった場合 その試験日を含めて日以内は同一試験を受験することができない エフエムタウンズ とは パソコン御三家のつといわれていた富士通が年月日に発表したアーキテクチャのパーソナルコンピュータである は日本で初めて ドライブを標準搭載したビットマルチメディアパソコンである シリーズのオーディオ ビジュアル 機能の充実という流れを汲んだ後継機で 西和彦の提案で全モデルに ドライブを標準搭載した また ビジネス向けの シリーズと上位互換性を持っていた 名称は初代 の開発コードネームのからを取ってそのまま商品名にしたとも 当初予定していたの商標を他の家電メーカーが先に登録したために止むなくを付けたともされる タウンズ ウンズ等と略された シリーズと合わせて シリーズとも称されることもあった 当時としては画期的な万色中色発色機能や音源を標準搭載し 強力なグラフィック機能やオーディオ機能を誇っていた また 当時の家庭用ゲーム機では一般的なスプライト機能も搭載されており ゲーム用プラットフォームとしても当時の人気機種だったシャープのに劣らぬ能力を持っていた 全ユーザが以上を使用していることを前提にできること エクステンダを標準としたことから 当時はビット機でもリアルモードで単なる高速なビット機として使われていることが多かった他機種と比べ ではほとんどのアプリケーションがビットプロテクトモードを利用していたため 動作速度やメモリ使用効率での大きなアドバンテージが有った その高スペックを生かして富士通は ハイパーメディアパソコン のキャッチコピーでマーケティングを展開した 富士通は元シリーズなどで教育機関において一定のシェアを持っていたこともあり マルチメディア機能を生かした 教育分野向けのソフトウェアや ゲームソフトが充実していた また 廉価版のマーティー も発売された と のようにハイフン入りで表記されることもあるが とハイフンなし表記が正しい 説明書やパンフレットなどでは ロゴと同じように と を小さく書く表記が用いられた 一般にはシリーズをベースに開発されたとされ 型番の機種と一定の互換性を備えている と インチ 電源スイッチ 音量のレベルメータなどを正面に配した縦型のプラスチック成型の独特の筐体に を搭載し マウスによると ゲームパッドによる操作を基本とした その他にも音源ステレオ音 音源ステレオ音を標準搭載した による独自のシェルを標準搭載したが専用である 内容的には をエクステンダと呼ばれるモジュールで拡張しプロテクトモードでの動作を可能にしたもので 各種マルチメディアに対応していた メモリ使用上の制約は より大幅に改善されたが セグメントを跨ぐアクセスに関しては問題も多く後述のように論議の的となる シリーズとはメモリー マッピングや等が異なったが 専用版 で起動することによりシリーズ用のアプリケーションやフリーウェアの多くが動作した 筐体のサイドパネルはスライド式のロックを解除すると容易に外すことができ メモリ の増設などが簡単に行えた また 筐体上部にはキャリングハンドルとメモリカード 電池でバックアップされたディスク 用のメモリカード カード スロットを装備していた 専用モニタは主にトリニトロンを使用し これらはソニーの品であった これらのモニタは当初 複合同期や のつの水平同期周波数に対応していたが 後期の機種ではコストダウンのため 本体側で信号をに変換出力可能として 互換機用モニタの流用が図られるようになっている が発売されると モトローラのシリーズの搭載を期待していた旧来のビット時代のユーザや 先にシャープから発売されていた 同じくマルチメディア指向と目されるのユーザを中心として賛否両論が沸き起こった 現代から技術的に評価すれば 後に と呼ばれ長く主流の座にあったアーキテクチャの始祖であるを存分に活用することを前提としているなど それなりに思い切ったコンセプトではあったのだが それまでのや のネガティブイメージを持ち出すなど その類の業界メディアによって賛否の両方が煽られていたというのが その実態という所ではあろう また 本体同時発売のゲーム アフターバーナー において潜在的なポテンシャルの高さを誇示したものの プログラムの完成度の低さが特に初期には目立った などが当時の主な指摘点である 後年の の記事によると やが採用されたのはアスキーの西和彦の影響があったということである その出航ではいろいろと物議を醸し 発売当初の専用ソフトウェアラインアップもあまり冴えない状況であったが 時間とともに優秀なソフトウェアやサードパーティーからの支援に恵まれるようになる また ソフトウェアコンテストを旺文社と共同で実施し そのために本体と開発環境など一式を学校法人向けに無償で提供したほか フリーソフトウェアをユーザから集めて で実費配布する試みなどの営業施策が功を奏し 若年層やクリエイターを中心に根強いユーザを掴むに至った なお 逸話として には当時大人気だったイースシリーズのゲームソフトウェアが一作も発売されていない 当時 日本メーカーから発売されていたパソコン及び据え置き型コンシューマー機にはもれなく移植されていたタイトルであったが なぜか には 最後まで遂に移植 発売されることはなかった 宣伝や展開は富士通の総力を結集するような大規模なもので 南野陽子 宮沢りえ 観月ありさら当時のトップアイドルを起用してのの連打 年回全国での一斉イベント開催のイベントなどが行われた 特に東京地区においては 東京ドームを貸し切って 電脳遊園地 の題名で複数回イベントが行われた を取り出す際 その回転が止まらないまま出てくるなどの不具合は年 平成元年 月の二代目モデルで改良され 初代モデルでもメーカーによる の交換サービスにより の読み出し速度が改良された その一方では年 平成年 月の三代目 シリーズで落ち着くまで本体の拡張スロットの構成を毎回変更するなどの不安要素もあった 三代目ではのメモリウェイトも 操作で少なくすることができるようになった や なども本体が発売されるたびに少しずつ改良された この頃から 互換機の流行を受け 富士通でも 互換機であるの販売が開始されている が発売された当時の液晶ディスプレイでは のアーキテクチャ全てを満たすことは不可能で は全期間を通じて ノート ラップトップ形態の本体は機種しかない これはにが存在し また新規ユーザをめぐっては少なからず シリーズやその互換機である シリーズとも対抗しなければならなかった にとっては マーケティング上の大きなハンデとなった 互換機の汎用性を併せ持った反面 独自性が薄れることにもつながった また ベースとなったが当初製 チップセットを搭載し 搭載でも 搭載機にさえ劣る程度の性能しか出ない機種であったことから マシンとしても互換機としても額面通りの性能が出ないことで大きな不評を買った 富士通専門誌 も 年月号をもって休刊 代わって ファミリー が創刊され 年に休刊するまで刊行されたが 文面での の扱いは あったとしても僅かなコーナーに限られた このためユーザは情報源をニフティサーブのフォーラム 草の根といったパソコン通信や 同じ年にを中心とした有志によって創刊された同人誌 年 年 全号 に頼ることとなった またユーザは 互換機以外に 一部はにも流れていった 当初相当だった拡張ボードの機能は モデルを追うごとにシリーズ相当に近づいていくなどしたが 年夏の モデルを最後に に統合される形でシリーズは終了した なお 専用拡張カードはカード形態であるが その動作にはバス以外にも幾つか信号線が必要で カードだけを外して普通の 互換機に搭載しても動作しない ただし チップセット構成が と同様であるか 特定の機能を持ったチップセットを搭載したマザーボードであれば マザーボード上に一部改造を施すことで動作可能である 日本の 純正オプション として などの 互換機で動作する用の アプリケーションカードが年 平成年 月末に発売されている このカードに加え ドライブを準備するとスロット搭載の 互換機でソフトを動作させることができた このため 富士通は市場シェアの確保を目指し ビット以上のを搭載する高性能個人向けパソコンの展開を模索していた はこの流れを汲み 折りしもシャープから発売され ホビーパソコン市場でによる対抗機種 に事実上圧勝していたから刺激を受け を始めとした強化されたマルチメディア機能とビットの処理能力という新機軸を武器に 個人向け市場において シリーズでは開拓できない分野の需要を掘り起こし 結果的に個人向け用途において シリーズのシェアと拮抗する存在となるべく企画されたと伝えられる プロジェクトが発足すると共に 富士通社内で専用部署が設置され 特別に社内公募にてその構成メンバーが集められた これは当時の富士通が に並ならぬ期待と熱意をかけていたことの証左である 発売にあたっては広告戦略やイメージ戦略を重視し 意図的に先行情報を流したと伝えられている そして が 富士通が戦略的ビットパソコンを開発中 とニュースで報じたり 週刊文春で へ挑戦する富士通 との主旨の記事が掲載されたりした結果 人の注目を集めた 発売後はパーソナルコンピュータの拡販イベントとしては前例を見ない大規模な 東京ドームを借り切ったイベント 電脳遊園地 が開催され話題となる 開催は年月日 日 総経費は約億円 総入場者数は当初目標の万人を上回ったとされる イメージキャラクタは 南野陽子 宮沢りえ 観月ありさなど人気女性アイドルが代起用された これによりポスターやノベルティ類も好評で 商品名の浸透と拡販に貢献した 後期にはタッチおじさんとなった コマーシャルの楽曲として ストラヴィンスキーの 春の祭典 やデビュー間もない の が使用されたことも当時としては斬新で注目を集めた ちなみにの購買層の移行と取り込みも眼中に置かれ の発売とともにはを最後に販売が打ち切られた のシステム価格帯は万円台だったが 当時 まだ高価なパソコンにしか採用されていなかったを搭載した では 発表時の最廉価モデルのシステム価格は万円を越えた その価格差から の販売に併せて旧来の購買層を取り込もうとする目論見は失敗に終わった は当初 シリーズとは商品コンセプトが異なり マーケティングでメインターゲットとするユーザ層も異なっていたため 直接市場で競合することは少なかった だが富士通は シリーズと シリーズに対して事実上の敗退を繰り返してきた日本国内のビジネス用途向けパソコン市場における自社製品の浸透 占有率の向上を図るべく ビジネスパソコンとして性能と競合製品に対する価格競争力の点で充分な力を持つこの を一種の戦略商品として取り扱い 既存のシリーズ用ソフトウェアやハードウェアとの互換性を確保 更にはジャストシステムの 一太郎 など人気実用ソフトウェアの移植も積極的に推進する戦略を取った またシリーズ開始当時の段階ではマルチメディア対応が皆無であった シリーズに対するニッチ市場適合策として マルチメディアや教育関連用途向けに の機能を活かした展開も同時になされ 一定の成功を収めていた ところが その後 年代に入ると マイクロソフトによる認定などのマルチメディア環境の一般化が始まり は シリーズをそれに適合させるための開発を本格化させることになる その第陣となったのは 年 平成年 に発売された である この機種では シリーズの基本機能に加えて球面スクロールなど高度なグラフィックス機能やによるチャネル出力に対応するサウンド機能が標準で搭載され ビデオデジタイザにオプションで対応 ハードディスクドライブや 上位機種に ドライブを内蔵 更にへの対応を視野に入れて シリーズでは初となる 相当のグラフィック解像度 ドット ライン がサポートされるなど に近いかあるいはそれを凌駕する機能がサポートされた ただし これはオーサリング用として開発 発売された一種の実験機で ドライブ非搭載の でさえ本体の定価が 円と極端に高価で一般向けのものではなく と市場で直接競合する商品ではなかった もっとも 年 平成年 よりは自社の主力商品であった シリーズの上位 後継機種として この での試行錯誤の結果をフィードバックし より普遍的な形に機能を再編した上で開発された シリーズを大的に展開するようになる 標準搭載されるグラフィックスやサウンド機能については を搭載するなど贅沢な設計であった が高価になりすぎた反省もあって大幅に簡略化され 単体と比べれば幾分見劣りした だが 従来の シリーズに対してハードウェア ソフトウェア双方について上位互換性を備え 膨大な既存資産をほぼそのまま持ち越せたこと それにがを快適に動作させるための高速グラフィックアクセラレータへの対応を積極的に推進したことなどから この シリーズはユーザ層の強い支持を集めた また が長い時間をかけて良好な関係を築き上げてきたサードパーティー各社の支持を背景として 多彩な周辺機器や拡張機能が提供され 加えて日本国内シェア位だった寡占状態から生まれる利点から そして とインテルによる発表から間髪入れずに次に搭載された最新による基本性能の向上もあって が得意としたマルチメディア領域は次第に そして急速に脅かされていくことになった 登場当初 先行していたシャープ製パソコン陣営は少なからず脅威を感じていたが 実機が登場した段階では まだ周辺環境が未整備であったことから それは杞憂に終わった さらに の周辺環境が整備されて行くにつれ その方向性の相違が明らかとなっていったため 直接のライバルというよりもそれぞれ独自の道を歩んでいくことになる 同じホビーパソコンでありながらも 最終的に は一般的なユーザを獲得し は先鋭的なユーザを獲得するに至った においてはコンピュータ専業メーカーである富士通の威信をかけた部分もあり 数多くの派生機種が発表され 広告戦略も比較的大規模なものであった 加えて商品寿命も 互換機の台頭のスピードから考えるとかなり長寿であったと見なせる また 光ディスクをメインのメディアとして用い 高精細多色表示でと高い融合性を持つという 年代もなおの基本形となっているスタイルを先駆したという歴史的役割も大きい ちなみに ほとんど活用されずに終わったが 存在すら知らないユーザすら多かった メモリーカードスロットも初代機より搭載されている 対しては家電メーカーのテレビ事業部門が単独で展開していたこともあり 基礎体力の違いから思うように派生機種の展開ができず 広告戦略もごく小規模なものに留まり 最終的にはシャープ本体から疎外され 終焉を迎えた そんな中 は に先行して様なホビー利用形態を提案し 実質上はその質において よりも先行しており 非常に健闘し 結果的に の新用途を開拓し 牽引した側面もあった また 当時ようやく一般の事務所や制御用途に 使える ようになったことから パソコンの用途がホビーから実務へと大きくシフトし始めた時代において 旧来の慣習的なホビー市場は縮小の方向に向かっていた シャープ側では 当初計画されていたビットパソコンにおいても開発から発売までに その資金面 仕様においてかなり迷走したと伝えられている 結果 登場したのは より高速の であるに留まり それはシリーズのその後の運命を決定づけた 一方 は一般ユーザを主なターゲットに捉えたことから 自ずとより安価でかつ高性能な家庭用ゲーム機や 互換機にその座を譲ることになる この流れはの普及の始まりによって確定的となり マーティーを投入しても抗らうことはできなかった 富士通とシャープ メーカーレベルで見れば対等に見えたこの機種の関係も 実質上の事業規模で見るならば まさに巨人と小人の関係であった 当時 パソコンにおいて雑誌メディアが主体だった頃 よくこの二機種の比較が取り上げられることが多かったが その多くは単にパソコンの単体スペックのみを争う内容であり 年代時点でのパソコンが を除けば つのアーキテクチャで統一された時代から見れば特異なものであった しかしながら その背景にあったライバル意識は 結果的に優れたフリーウェアの充実という形で結実した側面もあり これもまたその時代ならではの特異なものであった 初代モデルからビットアーキテクチャのインテル製が搭載されていた 純正のオプションとして のも提供されていた 初代機はをサブボードにさしこむ形態のためがソケットになっているが他は機と以外はマザーボード上にソケットやスロットがあるため にソケットを使用していない ただし代目 は例外的にソケット仕様である なお 機は インテル以外の相当品の場合もある の交換については 機が登場後には 用の の価格が暴落しを で我慢して使っていたユーザを喜ばせた 日替わり目玉商品として定価の 程度で投げ売りされていたこともある ベンチマークテストでは といった程度であったため サードパーティー製の を搭載した製品の方が高速であった ただし 値段は格安で 純正品というステータスがあった を搭載し 動作クロックも倍になっているため 例えば におけるカーネル再構築や 浮動小数点演算を多用するレイ トレーシングといった長時間の作業において劇的な速度アップがあった でサポートしている主なモード スクロール付きの独立した画面を合成表示して使用可能 画面をスプライト画面にすることも可能 色モードと色モードを画面ずつ使うことも可能 後期に発売されたシリーズ シリーズの高解像度 フルカラー対応モデルのみ では 画面別に 整数倍単位でのドットの拡大と アスペクト比の切りかえの設定ができる このためを直接操作すると で設定できる 上記以外の画面モードを ある程度自由に作ることができた 縦解像度を ラインにすることもできた についてはでもサポートされている 走査線 ラスタ 検出機能はあるが これを割り込み要因とすることはできない などの理由により ハード的なラスタースクロールはできないとされていた はデュアルポートとなっていて メモリ空間と 空間それぞれに割り付けられ 同時にアクセスすることができる 容量は 後期のフルカラー対応機では また 色モード時は標準のパックドピクセル方式ではなく 互換のプレーンごとににアクセスするモードがサポートされていた もっとも にあるテキストは実装されておらず などではでテキストをエミュレーションし グラフィック面にテキストを描画表示した 俗に フレームバッファ方式 と呼ばれる セガのアーケードゲームの大型筐体でも使われていたのと同様の方法で実装されていた このため や ファミコンなどの ラインバッファ方式 と違い その構造上 横方向への表示枚数制限がない デビュー当時は この方法について色な議論があり 擬似スプライト と呼ばれることもあったものの シリーズや シリーズ向けソフトで用いられる プログラムによる擬似スプライトとは技術的に異なり ポリゴンによる描画が主流となる以前はアーケードゲーム基板でもよく用いられた方法であった なお この方式はその後家庭用ゲーム機でもポリゴン処理の応用によって 類似した形で実装され 主流になっている 仕様のポートがつ標準搭載されている ゲームパッドをつ使う場合はマウスを外す マウスはのものとほぼ同仕様で のものと互換性がある 添付されるマウスは本体と同色で デザインは丸型 初代 角型 卵型 と 毎年のように変更された 以降に付属の最終版は 初期の付属のものと同様の形状で 旧バージョンのを高速モードで動作させたときのマウスカーソルの挙動が改善されている なお 解像度は丸型 初代 のみ 二代目以降はである またペンタブレット ワコムの もオプションで用意された なお マウスを利用することができるという非常に珍しい特徴を持つ シリーズ仕様のマウスポートがついているキーボードもあるが この仕様のマウスに対応するソフトは限られる ゲームパッドは仕様に準拠しているが 上下 左右の入力を同時にすることで実装した独自の がついている他 ポートの一部の出力が可変などの違いがあり 初期のゲームタイトルでは他機種向けのパッドが動作しないものもある 灰色の シリーズと白の シリーズのものではデザインが違い 灰色の方はボタンが固い 斜めに入れにくいなどの問題があったが 白の方は問題が解決されて使いやすくなっている 他にも対戦格闘ゲーム向けにボタンパッドが発売された 向けのパッドは白の シリーズのものに似ているが ボタンが追加されていて 画面をハードで拡大表示するモードのために使われた キーボードは配列 親指シフト配列が用意され キーロールオーバーのものとキーロールオーバーのもの テンキーのあるものとないものが用意された 白からはデザインが変更された 向けのキーボード キーボード形状 もあり シリーズでも使用できた 背面の拡張スロットは 初代ではカード モデムカード ビデオカード 代目はモデムカード カード ビデオカードのそれぞれ専用のスロット構成だった は代目から内蔵された フルピッチ 相当 初代機及び二代目機の本体カバーの中には拡張スロット増設ボックス 拡張ユニット 用のコネクタが設けられていた この 拡張ユニットは本体の左側面に直接取り付けるというユニークな形状となっている 初代機及び二代目機用の 拡張ユニットは新旧二タイプあり 旧タイプの 拡張ユニット は 用の拡張カード ただし公式にサポートされていた富士通純正の拡張カードはカードと カードのみ を枚 新タイプの 拡張ユニット は シリーズと同じ信号の拡張カードを枚取り付けることができる シリーズではグラフィックアクセラレータ専用のスロットも用意され 本体内蔵のものと交換するチップ搭載のカードが用意されていた 初代から用意されたビデオカードは最大の特徴と言われ ビデオ入力端子 または端子 から動画の取り込みが行えた カードは後に音源を搭載したものもあった カードも存在した で使用可能なグラフィックアクセラレータもある 初代機からモニタ プリンタ 増設フロッピィディスクのコネクタがあった また 代目モデルからはコネクタが標準搭載された シリーズ 白シリーズでは増設フロッピィディスクコネクタが廃止されている 年月号 表記上は 月合併号 のアンケートの集計結果によると ユーザーのオプションハードの所有率は以下の通りであった ビデオカード カード モデム イメージスキャナ には標準のオペレーティングシステムとしてが用意された ビットシングルタスク と称しており 当時の他機種ではなどビットマイクロプロセッサを積んでいても活用されていることが少なかったビットモードを エクステンダで活用するものだった などではユーザが各自に環境を設定するものであったためトラブルなども多かった点で 標準として用意し安定して活用できるものとした点に大きな意義があった には大きく分けて初代からの から付属した の系統のバージョンがあった には には のマイナーバージョン はレベル があり 毎年のようにアップデートされていた の基本構造は 化して本体に内蔵された 本体および ドライバの それにビットプロテクトモードでアプリケーションを起動させる を組み合わせたものだった また や各種デバイスドライバに相当する により グラフィック系機能 サウンド機能 アクセス 音再生機能 マウス ジョイスティックなど のハードウェアまわりの機能が利用できた また ゲームソフトの組み込み用として 互換の などがあった なおで内蔵の には に相当するシェルプログラムが内蔵されているがテキスト表示はサポートされておらず コマンドプロンプトなどを使用するには 専用版の を購入するか や などに付属するコンソール表示ソフト もしくはフリーソフトを使用する必要があった この点は において標準でテキスト表示がサポートされたことで解消された にはと呼ばれるファイラとランチャを兼ね備えたメニューアプリケーションが搭載され ここからアプリケーションの起動やシステムの設定などの多くの操作を行うことができた から本体の電源を自動的に切断することも可能 当初の ではドライブごとに分かれたタブ型のメニューだったが ではマルチウィンドウタイプに大きく変更され またからはによりノンプリエンプティブなマルチタスクにも対応した マルチタスクアプリの拡張子は は一部の機能 システムの設定など を省いたサブセット版が アプリケーションなどの に組み込まれていることが多かった この場合 から直接の起動ができるため フロッピーディスクやハードディスクなしでアプリケーションの利用が可能だった の以降では にインストールした 別売 をのベースとすることが可能になった これにより 圧縮ドライブなどの機能も利用できるようになった やアプリケーションなどの操作環境の多くはだった 初期の段階では アプリケーションごとの仕様は統一されておらず開発者任せであったが 後に標準的なの仕様ができ 純正のライブラリも発売された と 管理ユーティリティ アプリケーションなどからなる基本的なセットは システムソフトウェアという形態で販売または本体に添付されていた ほぼすべてのユーティリティやアプリケーションは統一されたで構成されており マウスを使ったわかりやすい操作を行うことが可能 日本語入力には オアシスかな漢字変換システム というかな漢字変換が付属した 付属しているアプリケーションは システムソフトウェアのバージョンによって異なった や のほかに 専用の も発売されていた 特に までは マシンの適合性が高いこともあって 他の国内に先行していた にやを搭載した白色のモデルでは のほかに もプリインストールしたモデルも登場した なお のアンケートの集計結果によると 年月号調査で ユーザー中 の所有率は 年月号調査で ユーザー中 を週に時間以上使用する率は であった の移植もいちはやく行われている 店頭販売はされず 富士通プラザ ショールーム での申し込みという形での販売のみでの発売だったが以上の白 用 でも動作は一応可能 向けに 相当 も作られた 但し は販売されなかった また 一部の 用ソフトウェアでは 正常動作しないことがあった この他 一般向けモデルをベースにした 一部を除く 教育市場向けのモデルが存在した 基本的にはシステム販売のみの取り扱いであったが ごく一部が一般市場に流通した については 既に富士通のデスクトップパソコンの主力が シリーズになっていた関係で という形態ではないが ドラマ ストーカー 誘う女 で室町医師の診察室に が置かれ ドラマ各回の最後のクレジットに と明記されることでの宣伝がなされている フォーミュラ フォーァミュラ ワン は モータースポーツのカテゴリのつであり その世界選手権を指す場合もある 略称は エフ ワン 世界選手権 は 国際自動車連盟 が主催する自動車レースの最高峰であり 現在は輪の人乗りフォーミュラカーで行われている フォーミュラにおける フォーミュラ とは 全参加者および参加車両が準拠しなければならない一連の 規定 を意味している に出場する車両には タイヤ シャシー エンジン等 あらゆる部分に技術的な規定 テクニカルレギュレーション があり これに反する車両は出走が認められない また 走行中のマナーなどの取り決め スポーティングレギュレーション もあり 違反した場合にはレース中のピットレーン通過強制やスターティンググリッド降格などのペナルティを課せられる ヨーロッパ アジア 南アメリカ大陸 北アメリカ大陸を中心に世界各国を転戦し 各レース毎の順位によって与えられる点数 チャンピオンシップ ポイント の総計によってチャンピオンを決定する は戦間期にヨーロッパ各地で盛んに行われていたグランプリ モーターレーシングをその起源とする 世界選手権の歴史 世界選手権はグランプリ フランス語で 大賞 を意味する と呼ばれる複数のレースによって構成されるシリーズである 初年度である年シーズンには 全戦のうち戦がヨーロッパで開催された その後年まで大半がヨーロッパ地域のレースであった ヨーロッパ地域以外で初めて国名を冠したグランプリは年のアルゼンチンであり それまでの間 唯一の域外のレースはアメリカでのインディであったが これは世界選手権としての体裁を整えるためにシーズンに組み込まれていた面が強かった からアメリカも並行開催され 年をもってインディはから除外され アメリカに一本化された 国を転戦する興行一座という例えから は グランプリ サーカス の異名で呼ばれることもある 初年度のカレンダーに含まれていたイギリスグランプリとイタリアグランプリのレースは 年から年現在まで毎年継続して開催され 同じく含まれていたフランスとベルギーも休止を挟みつつも 年も開催されている また ハンガリーグランプリは ハンガロリンク自体のコースレイアウトの変更はあったものの 年の初開催から休止やコース変更もなく年以上継続開催されている稀有な例となっている にマレーシアが新規開催されると それに続く形でいくつかの国家がの誘致に動き 年以降新規開催国でのレースが増加した しかし 年に史上初のナイトレースとして開催されたシンガポール のように長期開催国のつになった例もあった一方 長期開催の契約を結びながらも中途での休止や打ち切りを強いられたレースもあった 年初開催の韓国は年までの開催契約を結んでいたものの 資金難を克服できず年のレースをもって撤退した 同様に 年初開催のインドにも金銭的問題が浮上し 年間の開催契約を残したまま年を最後に休止され 以後復活していない エンジンがハイブリッドターボとなった年以降の時代には 権威主義的政治体制を有する国家 アゼルバイジャン ロシア ベトナム等 の政府が潤沢な公的資金でレースを誘致 開催する例が多く見られる また はアジア地域への関心を高めており その背景としてアジアではレース開催料が高額となり多くの収入が得られることや 未開拓のファン層が存在することなどが指摘されている だが ハイブリッドターボの時代に長期開催していた国が中止や開催継続が危ぶまれる例が出現している 全体での観客動員数が増加傾向にある一方で が要求するレース開催料が依然として高額であるため 一部の主催者は財政的に苦しんでいる その動きの象徴となったのがイギリスであり 年と年に日間で約万人を集客したにも関わらず サーキット側が公的援助なしで高額の開催費用を負担する必要があり存続の危機に立たされていた そのため 年シーズン中にイギリスとイタリアは開催料の減額を求める姿勢の一貫として契約破棄条項を発動し 再交渉が不発に終われば 年を以て両国での開催が終了する予定にまで追い込まれていた 最終的にはイギリス シルバーストン 側の利益を保護する内容の契約が成立したため 継続となったが この時の運営者であるリバティメディアはロンドンでの市街地コースとしての開催や新規開催国の存在を根拠に契約の終了も辞さない構えであったため 一時はイギリス終了が最も現実的になった時期でもあった 一方でかつて国でつのを開催するほどの人気を博していたドイツでは 資金難であったうえ 外部からの支援を得られなかったため 年と年にが開催されない事態に陥った また 開催数ではイギリスとイタリアに次ぐフランスグランプリ も年を最後に開催が中止され その後年まで復活しなかった このうち から継続開催され 長期開催国の一つとなっていたマレーシアは 年をもって開催を終了した また 契約更新を何年するかの交渉や判断の予定を念頭に開催しているも少なくない 実際に に復活したドイツは同年月の時点では後述のマイアミが開催される予定であったため 開催に関する交渉が失敗したことも影響し 年の開催は行われない予定 となっていたが マイアミが年は開催されないこととなったため 再交渉を経て月に年のみの開催契約が結ばれることとなった その一方でコース運営者の負担が仮に解決したとしても 年などの全戦という数字はすでに限界というチームの声も少なくなく むしろ開催数の方に課題が生じつつある 年代には年間戦前後だった世界選手権レースの開催数は 年代には平均で年間戦前後に増加 年代から年代にかけては年間戦前後で安定して推移した 世紀に入るとレース開催数は徐に増加 特に年には史上最多の年間戦に達し 年こそ全戦だったが 年は全戦開催となり 年も戦開催が承認された リバティメディアは今後年間戦にまでカレンダーを拡大する意向を示しているものの レース開催数の増加に伴う様な負担増にドライバーを含む関係者は懸念を表明しており 年間 戦程度の開催に回帰することを望む声 や年間戦以上の開催には懸念を示す声も多い そのため 当面の間は最大戦で推移すると思われていたが 年月にベトナム開催が決定 さらに年月にはオランダの復活も決定したため 年は戦以上の開催の可能性が浮上した 当初年までの開催契約を結んでいたのうちつが終了することが濃厚であったため 新規開催国はあるものの戦以下で収まると思われていた だが 結果的に消滅するのはつのみとなり 年の全戦につ追加される形となった それでも 参戦中のチームは開催数変更について合意 その結果 年は全戦開催となった 開催数増加を受け 年についてはプレシーズンテストの実施日の変更と日程削減 さらにインシーズンテスト廃止を決定した 各レース毎の順位によって与えられる点数 チャンピオンシップ ポイント の総計によってチャンピオンが決定される 獲得ポイントの最も多い選手が ドライバーズ ワールド チャンピオン となる 過去には有効ポイント制を採用していた事もあった 車体製造者 コンストラクター には台までポイントが与えられその合計で コンストラクターズ ワールド チャンピオン が与えられる 強力なターボ エンジンと自然吸気 エンジンが混走した年には自然吸気エンジン搭載車のみでのチャンピオンシップが制定され それぞれドライバーに与えられる ジム クラーク カップ コンストラクターに与えられる コーリン チャップマン カップ と呼ばれたが 翌年 ターボ エンジンの燃費規制が厳しくなり自然吸気エンジンとの戦力差が縮小され 年限りで廃止された その後 ターボ エンジンは禁止になったが 年からパワーユニットにターボ エンジンが内包される形で復活した 金曜 モナコグランプリのみ木曜 に午前 午後の回 土曜午前に回 計回の練習走行が設けられる 各マシンは過去のセッティングデータに基づいて開催サーキットの特性にある程度合わせて持ち込まれるが 実際に走行することによってドライバーの意見を反映させて微調整を繰り返す また 参戦初年度のドライバーが過去に未体験のサーキットを走る場合 コースの習熟の意味も含まれている 近年ではマシンテストの回数を制限されているため その代わりにフリー走行をマシンテストの場として利用したり 新しいパーツの評価を行ったりする場として活用せざるを得ない傾向にある 土曜午後に行われる 各車が一定時間内で自由に走行を行い 周の最速タイムを競い合う からは ノックアウト方式 でスターティンググリッドを決定する は 台が参加し以下のように進行する で最速タイムを記録した者はポールポジションとなり 以降は各セッションのノックアウト順で整列する事になる ただし フリー走行等でのトラブルにより予選に出走しない車両がある場合は 強制的にの最下位扱いとして進行し 台数に応じてのノックアウト者を減らす また 以下のような理由でペナルティを課されグリッド降格になる場合があるため 必ずしも予選結果順にスタートするとは限らない また 予選後にセッティング変更などを行うと予選の結果に関わらずピットレーンスタートとなる さらに年からは ルールが再導入されており 予選のトップタイムに対し自身のベストラップが より遅いドライバーは審議対象になり 出走許可が出なければ予選落ちとなる ものの 例外的な状況 という名目でグリッドに並ぶケースが多く 出走不可になったケースは年オーストラリアグランプリにおけるの例が最後となっている なお タイムはマシンに搭載された無線装置により 秒単位まで計測される まれに 秒まで同タイムのケースが見られるが その場合には先にタイムを出したドライバーから上位グリッドに着く だが ノックアウト方式が導入された影響で 中下位チームが自力でフロントロー入りすることが難しくなり グリッドペナルティの影響で結果的にフロントローになることが稀にあるものの 年シーズンは中下位チームのフロントローはないまま シーズンを終えている 日曜午後に行われる決勝は 原則的に距離を超える最も少ない周回数で争われる また レースが時間を超えた場合は その周回で打ち切られる また レース自体の時間が時間を超えなくても途中赤旗中断があった場合 レーススタートから中断時間を含めて時間を超えた場合 その周回で打ち切られる 例外として モナコグランプリは市街地コースで行われることによる体力的 精神的負担などを考慮し また平均速度が極端に遅く 他コースより ほど遅い 競技時間が長くなってしまうことから 年から約で争われている また ドライコンディション時に時間を超えて終了したコースについては翌年から周回数を減らして行われる 全車静止した状態からスタートを切り スタンディングスタート 規定の周回数を最初に走破したドライバーが優勝となる その後の順位は走破した周回数とその時間により決まる すなわち優勝者と同じ周回を走りきったドライバー その次に周遅れのドライバー 周遅れ という順で それぞれの中で先にゴールしたドライバーから順位がつけられる 途中リタイヤして 最後まで走り切れなかったドライバーも 全体の割以上の周回を走っていれば 周回遅れとして完走扱いになる 例 周で行われるレースなら周以上走っていたら完走扱い そのため 年モナコグランプリのように チェッカーを受けなかったのに入賞というケースも出ることがある レース後のリザルトによって チーム ドライバーにはチャンピオンシップポイントが加算される 現在のルールでは上位台にポイントが順位に応じて加算され 位以上は 入賞 となる また 同年からはファステストラップ記録者が位以内に入賞した場合に限り 同じくポイントが加算される よりファンとの関わりを増やすために 決勝レース中のインターネット投票による この日最も印象的であった ドライバーを選出するシステムが導入された これはチャンピオンシップには直接関係はしないが 選出されたドライバーはレース後に賞を受け取ることになる レース中はタイヤ交換などのためにピットに入る ピットイン ピットで可能な作業は時代によって異なり タイヤ交換の他にマシン微調整や破損したウイングの交換などを行うことができる かつては給油も可能だったが 年からレース中にピットに入り給油することは禁止となっている タイヤに関しても年からはレース中に種類のドライタイヤを使用することが義務づけられたため レース中のタイヤ交換が最低回は必要となり タイヤ無交換作戦は事実上禁止されたが 悪天候によりウェットコンディションが宣言され決勝レース中にレインタイヤ インターミディエイトタイヤまたはウェットタイヤ を使用した場合にはこの制限はない セッション中に規定違反の行為 フライング アンフェアなブロック行為 ピットレーンでの速度違反等 を犯したドライバーにはスチュワード 競技審査委員会 からペナルティが与えられる 決勝レース中の違反に対する一般的なペナルティは 秒間もしくは秒間の タイムペナルティ 時速の制限速度でピットレーンを通過しなければならない ドライブスルーペナルティ 約秒 秒程度のタイムロス ピットに戻り秒間静止してからコースへ復帰することが義務付けられる ストップ ゴーペナルティー 約秒 秒程度のタイムロス となり 先頭のペナルティからだんだんと重くなっていく形となる 深刻な違反と判断された場合 レース中なら黒旗失格 レース旗 タイムペナルティを与えられた場合 レース中にピットで静止してペナルティを消化する例もあるが それはストップ ゴーペナルティーとは異なる 後者は レース中にペナルティを消化してコースへ戻ることが義務付けられる罰則 であり無視した場合は失格の対象となる 一方で 前者は ペナルティ裁定が下ってからレース終了までの間に一度もピットストップを行わない場合は レース結果に該当タイムを加算 とされている 年以降 レース中のタイヤ交換が最低回必要 な関係上 スタート時のタイヤで走行中にタイムペナルティを受けた場合 事実上タイヤ交換時にその消化が義務付けられる形となる また 回目のタイヤ交換後にタイムペナルティを受けた場合 再びタイヤ交換を行う場合はその消化が義務付けられる形となるが 規定のタイヤ交換の義務は終えているため そのままレースを終えても失格にはならないが その場合 レース後のタイムに加算される形 となるため 各ドライバーのタイム差次第では順位の変動が起きる可能性が高い ただし 残り周を切る時点またはレース終了後に前述の裁定が下った場合 レース終了後のタイム加算という形でペナルティを消化する形となる そのうえで 違反を犯したドライバーにはスチュワードの判断で ペナルティ ポイント が与えられる場合もあり 累積ポイントに達した場合には戦の出場停止となる 一方で ペナルティの運用に対しては一貫性がないという批判も存在する 自動車に関する技術の進歩とマシンの高速化による危険性の増加にともない のレギュレーションは大小さまざまな変更がなされている 特に年サンマリノグランプリで起きた件の死亡事故以後は 安全性向上のためのレギュレーションが多く施行された この流れのレギュレーション変更には 主にスピードの低下を狙ったものと安全設備の設置を義務付けるものとがある また 年代に入ってからは高騰したマシン開発費を抑制するための改定がたびたび施行されている 現代のマシンはカーボンファイバー製シャシーに 内燃機関 エンジン とエネルギー回生システム を組み合わせた パワーユニット を搭載する 年の規定ではマシンの重量は最低 タイヤ ドライバー込み 燃料は除く とされており 最低重量を下回った場合には失格となる のエンジンは排気量 リッターの型気筒シングルターボエンジンと規定されており によるパワー追加は最大 約 に制限されている 年月時点の推定では エンジンとの合計最高出力は約に到達していた マシンはダウンフォースを利用してタイヤを路面に押し付けることでコーナリング速度を高めており コーナリング時の横方向のフォースは に達する 現代のマシンが生み出すダウンフォース全体の約パーセントがフロントウィングとリアウィングによって生じるが 残りのダウンフォースの大部分はフロア 車体底面 で生じる 年の新規定導入以降はダウンフォースが大幅に増加し 多くのサーキットでそれまでの最速ラップタイム記録が更新されたが 乱気流 タービュランス の増加により後続車が前を走るマシンに接近するのが困難となり レース中の追い抜きが減少した マシンはカーボンファイバー複合材のブレーキディスクを使用しており 制動距離は非常に短い 年には 急減速の多いモンツァ サーキットでの減速は平均で に達していた 年以降はのエネルギー回生を行うためにブレーキ バイ ワイヤ が導入され ブレーキング時に電子制御が介入している 一方で 現行規定ではアンチロック ブレーキ システム やトラクションコントロールシステム 等のドライバー補助を目的とした制御装置は禁止されている 追い抜きを容易にするため 年からはドラッグリダクションシステム と呼ばれる可変リアウィング機構が全車に導入されている また 年シーズンからは全マシンに と呼ばれる頭部保護デバイスの装着が義務付けられている 現在ではマシンは輪のオープンホイール カーでなければならないと規定されているが 過去に出走したマシンにはタイヤがフェンダーで覆われている車両 メルセデス ベンツ や輪の車両 ティレル も存在した かつては他のカテゴリー同様 社のシャシーを複数のチームが使用することもあったが 現在ではコンコルド協定において 知的所有権を含め 過去年のうちに参戦した他チームのシャシーを使用できないよう規定された そのため はフォーミュラカーの選手権としては唯一 全チームがオリジナルのシャシーを使用している 独自にシャシーを開発 製造するためには莫大な費用がかかり 年シーズンには中位チームでも年間億万ドルを出費していた ケータハムチームやマノーチームのように近年新規参入したものの数年以内に破産に追い込まれたコンストラクターも存在している 参戦中のチームも財政的な問題を抱えており 年のフォース インディアは課題となっていたチームの資金問題が遂に限界に達し 同年月に破産申請され 年第戦ベルギー以降の参戦が不可能という状況になった チームは投資家により救済され いくつかの交渉を経て第戦以降も参戦可能となった 開発予算の格差を背景として ハイブリッドターボ時代になってからは 上位チームと中位以下のチームのマシンの性能差が非常に大きくなってしまい 特に年シーズン以降は上位チーム 所属のドライバーが表彰台を独占することが慣例化してしまっている の運営陣も 中小規模チームのマシンに上位進出のチャンスがなく レース結果が容易に予測できるものになっている現状を改善する必要があることは認めている レースに出走するためには が発給するモータースポーツライセンスの最上位クラスである スーパーライセンス を所持していなければならない 発給を受けるためには 各レースカテゴリでの成績に応じて与えられる スーパーライセンスポイント を過去年間で点以上獲得していること 近年のマシンで以上の距離を走行した経験があること 自動車運転免許を所持していること 年齢が歳以上であること など多くの条件に該当している必要がある 各チームはシーズン人までのドライバーをレースで起用することができる 最大人のレースドライバーに加え グランプリ週末金曜日の練習走行 では各セッション人までの追加ドライバーを出走させることができるが それらの追加ドライバーは最低でも フリー走行限定スーパーライセンス を所持している必要がある 多くのチームはレギュラードライバーが参戦できない場合の代役 およびマシン開発の担当者として リザーブドライバー や テストドライバー を任命しているが のテスト制限が進んだ現在では彼らの主な役割はドライビングシミュレーター上での作業となっている に参戦するドライバーは自らのカーナンバーをからまでの数字 永久欠番であるを除く から自由に選択することができ 選択された数字はそのドライバーのキャリアを通して固定されたカーナンバーとなる カーナンバーは専用ナンバーとして現役のドライバーズチャンピオンに与えられるが チャンピオンは自分が選択した固定ナンバーを使い続けることも可能である シーズン中 各ドライバーのヘルメットは同一のデザインを使用し続けなくてはならないが ドライバーのホームレース もしくはチームのホームレース やモナコなど 特別な戦でのみはそれに合わせた特別仕様のデザインが許されている ただし 基本回限りとされているヘルメットのデザイン変更だが これには抜け穴があり シーズン中のデザイン変更が許可される回数は回限り だが ドライバー側が 無許可でデザイン変更した場合 であっても それを理由に罰せられたことはなく 厳密には形骸化している 実際 年のベッテルはすべてのレースにてロゴの位置や文字のフォントの変更などの外見が変わらないレベルのデザイン変更を加えて出走した そのため デザイン変更の規定に矛盾が生じつつあったが 年ロシアにてトロロッソのダニール クビアトがヘルメットのデザイン変更を申請したのだが その権利をイタリアで使用していたことを理由に却下された件をきっかけに批判が殺到 ただ擁護するなら 時のレギュレーションに従っては却下したのだが いわゆる規定の矛盾が問題視された その結果 年からはドライバーヘルメットのデザイン変更の回数制限が撤廃されることとなった ペイドライバーとは 資金の持ち込みと引き換えにチームとの契約を確保するドライバーの俗称である 金でシートを買った などと悪名高い存在と言われることも多く 後述のランス ストロールのようにペイドライバーが主因の接触事故を起こしたりすると批判が集まりやすく ペイドライバーというだけで正当に評価されないことも少なくない そもそも 古くからこの種のドライバーはまったく珍しくなかったが 資金の高額化によりパストール マルドナドやストロールなど数十億円にも及ぶ資金 後述 でシートを用意されるドライバーも存在する 井上隆智穂はかつて はビジネスだから ボクみたいな技術でも金さえ払えばドライバーになれる と発言している ペイドライバーがシートを獲得し続けている余波で 近年はパスカル ウェーレインやエステバン オコンなどの参戦し続けるだけの結果を出したドライバーであっても解雇が迫る問題もあり 懸念の声が挙がっている ただ 実際のところ ほぼすべてのドライバーが 金額の差はあるが 自身のスポンサーをチーム加入時に持ち込んでおり 他にもドライバーの活躍を受け その母国の企業が後から支援してくれるケースもある そのため 個人スポンサーに限れば レーシングスーツやヘルメットに掲載しており マシンにも小口スポンサーとして何らかのロゴが掲載されていることが主流である 逆にスポンサーも資金も持たずに契約したドライバーは非常に少数で ヘイキ コバライネンやロベルト メリなど数えるほどしかいない 現に日本人でも片山右京がデビューから引退まで日本たばこ産業から個人スポンサーとして や 名義で支援され 少なからずチームに資金を持ち込んでいた経歴がある また 育成契約であっても 育成しているチームが自前でシートを用意できない際 資金と引き換えに他チームのシートを買ったケースもそれなりにある そのため 近年は本来の意味である 持参金を持ち込む ドライバーという意味合いより 目立った実力 実績を持っておらず知名度が低い のに 資金的に苦しいチームへ 極端に高額な資金を持ち込んで契約する ドライバーが ペイドライバー として扱われることが多い 近年ではレギュラードライバーにはある程度実績 実力のあるドライバーを起用しつつ ペイドライバーはテストまたはリザーブドライバーとして契約することで戦績と資金調達を両立するチームも多く見られており この種のペイドライバーはテストやフリー走行にだけ出現する事が多い またには ペイドライバーが より高額な資金を持つ別のペイドライバーにシートを奪われる という事態も発生した これはザウバーに契約を破棄されたギド ヴァン デル ガルデの告訴により発覚したものである ガルデは度は契約を結んだにも関わらず ザウバーがマーカス エリクソン フェリペ ナッセと契約を結んだため 押し出される形で失ったシートの返還を求め告訴し 裁判で勝訴した 最終的にはガルデがザウバーからの違約金を条件に出走を諦めることで和解したが 一時はつの枠に人のドライバー ヴァン デル ガルデ エリクソン ナッセ が存在するという混乱を生んだ 更には前年からの契約期間が残っていたエイドリアン スーティルも似た経緯で同年のシートを喪失していたことが判明し スーティルの場合は賠償金の支払いのみを求めて裁判で勝訴している なお この人がどのような順番及び内容で契約していたのかは不明であり 一説ではエステバン グティエレス ジュール ビアンキとも契約を結んでいたとされる 詳細は ザウバー また 下位カテゴリーのに目を向ければ 持参金でシートが左右されるのは有名な話である 一例を挙げるなら アレクサンダー アルボンは資金不足により年の参戦を断念しかかっていたが と交渉して戦毎の契約を条件に参戦することに成功 アルボン側も第戦バクーで初優勝して実力をアピールしつつ 後押しとして資金をかき集めてフル参戦の契約に切り替える交渉をして その結果 フル参戦の契約が成立してそのまま最終戦まで戦った経歴を持つ ただし 必ずしも 能力の低いドライバー ペイドライバー ということはなく 実力があっても本人の意にそぐわない形で資金を持ち込んでシートを得るドライバーは新人 ベテランに限らず多い こうしたことはだけに限ったことではなく 道具に金のかかるモータースポーツという業界においては普遍的なことであるが の場合は 世界最高峰のモータースポーツ という一般認識があるため 実力ではなく資金でシートが左右されるという状況について感情的な批判の対象になることが多い またチーム自体が存続の危機で ペイドライバーがいないと参戦できないため やむを得ずペイドライバーを起用しているという事例も少なくない 一方で持ち込み資金の不足やスポンサーの経営状況によりシートが左右されるケースもあり 実際の例としては年に参戦予定だったマルドナドは自身のスポンサーであるが ベネズエラの石油価格の下落による経済 政治情勢が不安定なことによりシート料を払うことができず チームとの契約が破談しマルドナドはシートを喪失した 逆に大怪我が原因でを去ったロバート クビサは かつての実力は評価されていたものの それだけではシートを得ることができず 持参金を確保したことで資金難のウィリアムズのシートを得ることに成功した 実際にペイドライバーとして扱われながらも好走を見せたドライバーも少なからずおり 以下は活躍したペイドライバーの一例 ヨーロッパで始まった最高峰自動車レースのは ヨーロッパにおいては非常に大きな関心を集めるスポーツの一つである 視聴者が最も多い国として南米のブラジルがイタリアと並んで挙げられるなど はヨーロッパのみならず世界的に見ても人気のあるスポーツと言える その一方で 世界最大級の市場であるアメリカではインディカーや等が台頭していることもあり 人気は長年低迷していることが知られている 世界的な中継の有料放送化を背景に 年には過去年間での視聴者総数が 減少したことが報道されており 他にも一部の強豪チームが勝利を独占している状態が近年のの人気低下につながっているとの指摘もある 現にハイブリッドターボ時代になってから表彰台入りしているのは シーズンを通して上位チーム 所属のドライバーが独占することが慣例化しており 年から年までの間はチーム以外のドライバーが表彰台に上がったレースが各シーズンで数戦あったが 年と年に限っては 上位チーム以外の表彰台入りしたのは計戦中戦だけという状況であった 年以降は上位チーム以外のドライバーが上がったレースが数度あるようになったが そのレースは上位チームのリタイアやトラブルが発生した波乱のレースによる混戦の結果であり そのチーム以外が自力でそのチームを打ち破って表彰台に上がるというのは非常に困難となっており ゴールまでにある程度の結果が予測できる状況になってしまっている また エンジン使用制限に伴うペナルティの影響で予選の価値が低下している面 もあり レギュレーションの問題がの人気低下を招いている面もある そのため この状況にドライバーからも不満の声が上がっており チャンピオン経験者で言えば フェルナンド アロンソが デビュー時に比べコース上での戦いが非常に少なくなった とコメントし 年月に時のフェラーリのドライバーであったセバスチャン ベッテルが メルセデスが圧勝を続ける現在のは退屈でつまらない と皮肉交じりのコメント をしている また 前述のペイドライバーの一人 セルジオ ペレスは年月に 現状は単なるチームのチャンピオンシップとなってしまっている ドライバーの腕よりマシンの性能でレースが確定する と言い切っており ドライバーたちも不満を抱えている状況である 日本国内の人気だが 年からホンダがへ復帰したことをきっかけに関心が集まり 年に中嶋悟が日本人初のフルタイムドライバーとしてデビューすると 鈴鹿サーキットで初開催された年日本や年のマクラーレン ホンダの誕生 さらにはバブル経済で多数のジャパンマネーがに流れたことをきっかけにの人気は熱狂ともいえる時代迎えることとなった だが 年にホンダが撤退したことや年にその人気の中核を担っていたアイルトン セナの死 さらにはバブル崩壊により その熱気は終わりを告げた 一方でその時期に生まれたのファン層は厚く フジテレビジョンによる地上波中継 いわゆる無料放送 がその動向に左右されることなく継続していたこともあり ある程度の人気は維持しており 現に日本の総入場者数は高い値をキープし 年には歴代最高の入場者数を記録することとなった しかし 年に人気の柱の一つとなっていたミハエル シューマッハの引退により 来場者数は下降線を辿り始め 年の日本グランプリの総入場者数が鈴鹿サーキットで初開催された年の総入場者数を下回り ただし 年と年は富士スピードウェイでの日本開催なため 一概に比較できない面もある 目に見える形で人気にも陰りが出始めた それに追い打ちをかけるように日本の冠スポンサーだったフジテレビが年を以て降板したうえ 地上波中継も年を以て打ち切られ 人気を維持する基盤が弱くなってしまい また経済の悪化から トヨタやホンダも次とから撤退し それにともない日本人ドライバーや企業が年を最後に事実上消滅したため へ関心を集める要素が減ってしまったことも日本国内の人気低迷に拍車をかけた その影響は サーキットの運営状況にも影響しており 鈴鹿サーキットが事実上日本のコースとなっているが 年から冠スポンサーが不在となり 年のみエミレーツ航空が冠スポンサーとなった 資金面でも厳しい状況となったが 年にホンダが冠スポンサーとなったこともあり 減少傾向に歯止めを掛ける事に成功した 年は令和元年東日本台風 台風号 の影響で土曜の開催を見合わせたため過去最低の万人に減少したが この年レッドブル ホンダの活躍や山本尚貴がフリー走行回目に出走したこともあり 金曜 日曜ともに観客数は増加し 人気向上に期待が掛かっている 各年毎の結果は下記囲み内のリンクを参照 また 各グランプリの年別の勝者などについては 選手権レースの一覧から各グランプリ別の記事を参照 原則としてつの国で開催されるグランプリ はシーズン中回だけ 国開催 と定められている 通常開催名は 国名 グランプリ で表されるため これらの例外では以下のような 別名 を使用していた 極端な例としては 年にアメリカで アメリカ西 ロング ビーチ アメリカ東 デトロイト ラスベガス ラスベガス という国開催が行われた しかしながら は年以降は国開催の原則を徹底する方針を示しており 同年から年までドイツはニュルブルクリンク 年 年 年 年 とホッケンハイム 年 年 年 年 で交互開催されたが 年はニュルブルクリンクの財政難により中止となった 年からスペインのバレンシアで行われたヨーロッパも年で終了し 年よりスペインでの開催はカタロニアのみとなった 年にヨーロッパがアゼルバイジャンで初開催されて復活したが 翌年からはアゼルバイジャンに名称を変更する また 年の日本が富士スピードウェイで開催されることが決まると鈴鹿サーキットが別名称での開催継続を要請したものの 原則もあってカレンダーから外れた なお 鈴鹿サーキットに限らず イモラでのサンマリノも年からは開催されていない のバーニー エクレストンは 年および年は富士スピードウェイで日本を開催し 年以降は鈴鹿と富士で隔年開催することを発表していたが 富士の撤退に伴い 年も鈴鹿で開催されることとなった 年までは鈴鹿サーキットでの日本開催の契約は結ばれていたものの 観客減少の影響 で年以降の開催は厳しい状況であった そんななか 年からリバティメディアにの運営権が代わったことに伴い再交渉が実施され その結果 年月日に 年までの開催継続が決定したと発表された リバティメディアによりそのものが買収されてから配信体制が一新されたことに伴い 一国一開催も破棄することを以前から公言していた 実現性が高いのはアメリカでのレース開催であり テキサス州オースティンでのに加えてマイアミ市街地レースが新規開催されるものと見られていた その後 現地のマイアミ市が開催を承認し交渉が始まったため 早ければ年月にマイアミグランプリが開催され その方針が実現する可能性があった だが 地元住民からの反対もあり年からの開催は断念 そのため 年以降の開催を目指していたが マイアミ市委員会が当初の計画案を否決してしまったため 計画を一から見直すこととなった また 年は新規開催国が増えた ように 国複数グランプリ開催を実行するためのハードルが上がりつつある しかし 計画の見直しにより 開催地をマイアミ ドルフィンズの本拠地ハードロック スタジアム周辺に変更され マイアミ開催を促進する同チームの経営陣とリバティメディアとの交渉が進展し 同地での開催に原則合意した 年のアメリカの開催はオースティンで行う意向であったものの 政治的支援や市議会の承認が必要だが 年からマイアミが開催される実現性が高まった ただし 新型コロナウイルス感染症の世界的流行によってこの計画自体が中断された その一方でコロナウイルスの影響で当初計画されていた年の開催スケジュールが事実上破綻 その関係で当初の計画の年月からのシーズン開幕ができなくなり スケジュール見直しの過程で国複数グランプリ開催の案が浮上 同年月にコロナウイルスに対応した新スケジュールが発表され 月に開幕戦が行われることや国複数グランプリ開催が含まれたスケジュールであることが発表され 最終的にはか国での全戦のスケジュールのうちか国で国での複数グランプリが開催されることとなった また も当初年月に発表された暫定スケジュールの内容が承認され 国複数グランプリ開催が組み込まれていなかったため 年のみの限定版という位置づけになる思われていた ところが 年もコロナウイルスの影響を受け それに伴うスケジュール変更が行われたため 年も国複数グランプリ開催のスケジュールが実施されることとなった 今後 選手権に追加されることが決定しているレース 選手権への追加の検討が一度でもなされたレースイベントは以下 を代表するグランプリのつであり毎年世界中のセレブリティーが訪れることでも有名なモナコグランプリをはじめ 各グランプリに と呼ばれる特別観戦エリアが設定されている は 各国の有力者や文化人などのいわゆる セレブリティー が訪れるなど 単なるスポーツ観戦の枠を超えた社交場のつとして提供されている この事は がヨーロッパの文化や社交に根付いていることを象徴しているのみならず 高い入場料金が設定されている上 その多くがに多額の資金を注入している自動車メーカーやスポンサー向けに提供されていることから 多額の資金が投下され 商業化が進む近年のを象徴している という指摘もある フジテレビ で全戦生中継 金曜フリー走行 土曜フリー走行 予選 決勝 で放送している 今宮純や川井一仁が現地のスタジオで フジテレビのスタジオにいる実況アナウンサーともう人の解説者 森脇基恭や熊倉重春など と共に中継を行っている スポーツライブ配信サービス で全戦生中継 金曜フリー走行 土曜フリー走行 予選 決勝 を行っており さらにオンボードカメラ映像や下位カテゴリのやの各セッションと決勝の生中継配信と関連番組の配信も含めて 小倉茂徳や中野信治などの実況 解説で日本語で中継を行っている なお やスマートフォンのみならず テレビでの観戦も可能である なお 年の日本は日曜日の時からというゴールデンタイムにテレビ放送された バブル景気下における未曾有のブームの上に 日本人初のレギュラードライバーの中嶋悟の最後の日本 セナとマンセルのタイトル争いといった要素が影響し すでにレース終了から時間以上が経ってからの録画中継という形にもかかわらず 中部地域では の高視聴率をマークした 海外グランプリではカナダやブラジルなど南北アメリカで開催されるレースが時差の関係から生中継されていたが 年のメキシコとカナダは生中継ではなく 月曜朝 録画放送 月曜深夜 ダイジェスト の回放送されていた また 年と年のオーストラリアが生中継で放送されている 年は残り周あたりから生中継 ヨーロッパにおいて開催されるレースは レース時間が日本におけるゴールデンタイム プライムタイムと重なり その時間帯に相応しい高い視聴率が望めないために地上波での生中継は行われることはなかった 放送は全戦生中継 金曜フリー走行 土曜フリー走行 予選 決勝 で 地上波とは別の実況 解説者にて放送という形態をとった 今宮純や川井一仁が現地のスタジオで フジテレビのスタジオにいる実況アナウンサーともう一人の解説者 森脇基恭 熊倉重春 小倉茂徳など と共に中継を行った 年現在では一部のグランプリ以外は現地でなくフジテレビのスタジオに実況アナ 全ての解説者が揃うという形態 なお音声切り替えにより 解説 実況のない現地の音声のみで楽しむことができる インターネットでの中継配信は年にソフトバンク傘下のバンクとイギリスの が としてパソコン及び向けに年月よりサービスを開始 国際映像だけでなくオンボードカメラやピットレーンの映像も切り換えられる形で提供していたが 年シーズン限りでサービスを終了した 年までは フジテレビ 単独契約でも試聴可能だったが 年からは前述の放映権の変更に伴い 契約者のみがネットでも見られる形に変更されている デジタル バ ヴァ ーサタイル ディスク デジタル多用途ディスク デジタル多目的ディスク ディー ブイ ディー は デジタルデータの記録媒体である第世代光ディスクの一種である 媒体の形状や記録 読取方式は コンパクトディスク とほぼ同じだが記録容量がに対してはるかに大きく 通常ので比較するとおよそ倍になるため では不可能だった長時間映像の記録ができることが特長である 開発にあたっては ハリウッド映画業界からの要求で 現在のメディアを上回る高画質 高音質で 枚につき片面分以上の収録時間 を目指すこととされ 枚あたりの記録容量は当時の技術水準との兼ね合いから ビデオテープ方式と同等の画質で分の録画が可能となる 片面一層の場合 のディスクとして開発された 従来のビデオテープ など がそうであったように 映像記録の主要メディアに位置づけられており 映画やドキュメンタリー ドラマなど 様な映像ソフトが市販されている また 民生用カムコーダやノンリニア編集対応パソコンなどの普及に伴い 自主編集した映像をに保存することも可能になった フォーラムの記載によれば 厚 直径のポリカーボネート製の円板を枚 張り合わせたもの サイズは コンパクトディスク と同サイズであり だけでなくコンピュータ用のデータ ストレージ 保存媒体 としても使用される 読み取りには の赤色レーザー光を使用 プレーヤーやドライブは や の再生にも兼用できるものが一般的である 家庭用のプレーヤーの販売は年に開始された 年月日にから出されたゲーム機 にもの視聴が出来る機能が搭載されていた 年には プレーヤーの国内出荷台数がを上回った パソコン分野でも光学メディアの中心はからに移行したと言える オーディオ分野では 一部愛好者向けに留まり 普及しなかった 参照 メディアの製造コストは のつあたり円程度に対し は枚当たり円程度と著しく低い 取扱いも容易なので パブリッシャー側からすれば収益が上げやすい このため 映像を取り扱う産業では セルを 副ではなく 主な収益源として活用している企業が増え 業界の状況を一変させている の規格には ディスクの物理構造による違いとデータの書き込み方の形式 論理フォーマット による違いがある さらに ビデオ用途ではアプリケーションフォーマットによる違いもあり それぞれの組み合わせでさらに多くの種類が存在する トラックに沿って ピットと呼ばれる凹みを作ることで 記録することができる 読み取る際は レーザー光線を当て 凹み有無による反射の違いを利用する なお のトラック形状は同心円型ではなく と同様の渦巻き型である 記録型規格として 回だけ書き込み可能 と 複数回の書き込みが可能 がフォーラムによって制定されている これに対抗するものとして アライアンスの策定した や がある なお各ディスクについては の種類 で詳しく記す 記録型について 一部海外メーカーのものに品質に重大な問題がある場合がある 品質の悪いディスクは動画の再生時にブロックノイズが入る 再生が止まる 保存したデータが消える ドライブやレコーダの寿命が縮むといった問題を引き起こす可能性が高い しかし ドライブの性能や相性によって書き込み品質が下がることもあるため 一概に国産メディアを使えば大丈夫という保証はない 国内ブランドでも海外製メディアを採用していることがある 安心して使うためには これから利用するメディアを枚買って書き込みテストを行い 問題がないことを確認してから利用することが望ましい また 発売当初は年程度もつといわれていた書き込みメディア耐久性であるが これはあくまで良質なメディアの加速試験 実際に年間試験するのではなく 代わりに紫外線の照射強度などを変えて年間相当の環境にするもの における結果であって 現実には数年程度でデータが消えてしまう品質の悪いディスクも存在する 逆に言えば年を超えても使えるメディアも存在する 長持ちさせるためには 紫外線の当たる場所や高温多湿な場所を避けることが重要である また と比較してテープが絡まって故障する心配は無いものの ディスクが傷つくと読み込み不可能になる場合もある フォーラムは は デジタルヴァーサタイルディスク を意味するとしているが ディスクの正式名称は である 第世代光ディスクであるに対し は動画を収録可能な第世代光ディスク として企画された 当初はの置き換え需要などが主に想定されていたが 用途はビデオだけに限定されないこと が指摘されるようになると この名称には疑問の声も出てきた そこで の代わりに 多用途 の意味がある ヴァーサタイル を用いることで へと変更になった経緯がある 上記の理由から を の略称とするのは誤りだが 正式名称を にしたことと 先の映像記憶媒体であるビデオテープから と言えば を連想すること 開発に至った経緯などから も俗称として限定的に使用されている 登場以前の年代初頭 より高密度の第世代光ディスク媒体の規格として 当初は青色レーザーによる光ディスクを開発していたが ハリウッド映画業界の早期に商品化してほしいという要望により 年末には東芝 タイム ワーナー 松下電器産業 現 パナソニック 日立 パイオニア トムソン 日本ビクター 現 ケンウッド の連合による赤色レーザーを使った の開発がされていた 一方で フィリップス ソニー陣営による も同時期に開発されており 年代の対ベータ戦争の再来が危惧されていた そこで のルー ガースナー が仲介に入り フィリップスとソニーは規格の採用を諦めることと引き替えに 規格のサーボトラッキング機構に関する項目の修正を認めることで フィリップスとソニーも東芝主導の規格につき 両陣営は合意に至った この統合により 規格の乱立は避けられると一旦は思われたが その後各家電メーカーや映画会社から多数の注文をつけられ ランダムアクセス 時間収録 ドルビーデジタル収録など 後述の や など 多数の派生規格が生まれた メディア及びプレイヤーの初の商用化は日本では年月 米国では年月 欧州では年月 豪州では年月になされた 世界で初めての市販 ソフトは カストラート であり 年月日に発売された ちなみに 初の サラウンド音響は ツイスター サラウンドは インデペンデンス デイ が初である は 大容量の記録を目指したディスクであり ではレーベル面に当たる面にも記録できるよう 両面記録の規格が存在する しかし レーザーディスクのように一面の読み込みが終わった際に裏返すのは手間がかかる そこで 片面に二層構造を持たせれば 一層構造より多くの容量を確保することができ 裏返す手間もなくなる ユーザ記録型の が市場に登場したのは年月で が年月である 光学ドライブによっては 相性や仕様で読み取れない場合もある また 単層方式に比べレーベル面の取り扱いに注意しないと のように記録層が破損する等のトラブルに見舞われる 二層構造の場合 全反射をする層をつ持たせると奥にある層の読み込みができなくなる それゆえ 片面 両面 二層ディスクの第層目 レイヤー あるいは略して と呼ぶ が薄い金属膜でできており 第層目 レイヤー または と呼ぶ は全反射をする構造になっている レイヤーは薄膜であるのでレイヤーよりも読み取りのための反射光の検出率が悪くなるが 記録密度を下げることで読み取り性能を確保している したがって 二層ディスクの容量は単層ディスクの倍よりも少ない レイヤーは と同じで 内周側から外周側に向かって記録 読み込みを行う方式であるが レイヤーの記録方式には以下の二通りがある これらの情報は の管理情報としてレイヤーの最内側に記録されている ちなみに ではオポジット方式のみとなっている 二層ディスクのを再生していると 途中で読み込むレイヤーを切り替えるときが来る を再生している場合 一部の再生機ではレイヤーの切り替えの際に時間がかかってビデオ再生が一瞬停止したような状態になることがある 連続再生時にレイヤーが切り替わる際の読み取りピックアップの移動はオポジット方式であればパラレル方式よりも少なくて済む利点がある 二層方式のは と略して呼ばれることが多いが 正式名称は では で は で それぞれ異なる データの転送速度は等倍速で である これはの転送速度を倍速 として 倍速程度に相当する 規格上定められている最大転送速度は倍速 の場合 であるが これは に相当する に使用される論理フォーマットは主に以下の二つである 時代から使用されている に加えて より拡張性の高いに対応している 映像用途では が デジタル放送の録画で使われる には が使用されている 向けのデータでは上記のどのフォーマットでも使用できるが のドライブとが対応していないければ読み込むことができない は古い規格で拡張性に乏しいのでそれだけ互換性には優れているため と の両方に対応した も使用される のフォーマットおよびロゴのライセンスは が管理している 自体は 主にデジタルビデオ映像を記録するためのの記憶容量を超えるメディアとして開発された 実際には その他の各種デジタルデータも記録できるようになっている デジタルビデオといえばと認知されるほど広く定着したが 正確には数種類あるデジタルビデオの中の一つにすぎない デジタルビデオ映像が記録されたのことを世間的に総称で ビデオ と表現することが多いがそれとは別にへのデジタルビデオ映像データの記録方法のつに があり 両者は同義ではなく全く別のものである は にデジタルビデオ映像のデータを フォーマット で記録したものに限定される 一方 ビデオ という総称はにデジタルビデオ映像のデータが記録されたもの全て などビデオ専用アプリケーションフォーマットで記録したもの ビデオ専用フォーマットを用いずにファイルやファイルを直接記録したものなど が対象になる ビデオカメラの撮影記録メディアとして記録されたものも一般的にここに包含される コンピュータ補助記憶メディアとしても用いられる などのデータの保存 退避 バックアップなどとしても利用可能で が とも言われるのはそのためである ただし の登場当初に比べると フラッシュメモリの容量当たり単価は著しく下がっており メディアの最大容量では の次の世代の光ディスク規格 を超えている メディアの容量当たり単価こそ を下回ってはいないものの メモリなどの堅牢性 融通性から などでの単なるデータの受け渡し用途としては フラッシュメモリにその座を明け渡している 機器でのフラッシュメモリ媒体の採用は 据え置き型映像レコーダーの分野においては 著作権保護 の絡みもあり 限定的である ディスクの物理構造の違いにより以下のものが提供されている にコンピュータ用の読み取りファイルを記録したもの 容量は一層タイプが片面 両面 層タイプが片面 両面 論理フォーマットは である フォーラムにより標準化されており パソコンやゲーム機データ配布用媒体として定着している ゲーム機としては がソフト用の媒体に採用しており ニンテンドーゲームキューブとは独自規格を採用 パソコンではアップルのが媒体に採用し 以降のがサポートしている 市販のビデオソフトは この の物理フォーマットのディスクに映像データが のアプリケーションフォーマットで記録されたもの ゲームやビデオソフトなども含めた はあくまで読み取り専用であり 書き込み型としては機能しない したがって 他の書き込み型やレンタルも含む市販ビデオテープソフトなどのように その作成時には記録媒体にデータを直接記録して作成されているわけではない データ記録面に読み取り用のピットを形成したマスター原盤 スタンパー を作成後 それを元にしたプレスと張り合わせの工程による物理的な工法によって量産されている そのため 書き込み型に比べてはるかに経年化学変化の影響は受けにくい 物理的な形状破損や読み取りレーザー光反射層の金属素材の劣化がない限りは基本的に読み取り可能 以下 全てのメディアに データ用 と ビデオ録画用 の種類があり 違いは後者には に対応している 地上デジタル放送移行前は私的録音録画補償金制度により補償金が上乗せされていたが 移行後は コピー制限があるという理由で補償金が上乗せずに販売されている 私的録音録画補償金制度 なお の は本来ハイフンであるが との区別のために マイナス と読まれる場合 を プラス と読む も多い 一方 の もハイフンであるが が存在しないので マイナス とは殆ど読まれない 一度だけの書き込みが可能 ファイナライズ前なら削除や追記も可能 なタイプとして以下のものがある の通称 ライトワンス型の記録型フォーマットである 容量は片面で 両面で である で記録されたディスクは 一般的な や ドライブで再生出来る可能性 互換性 が最も高いが かなり古い初期 年代 のプレーヤーだと再生できない場合が多い この原因は 機器とメディアの相性 や データを読み取る反射率の相違 による問題もあるが ディスクへの書き込み方式を工夫することで 再生できない問題 を回避することができる可能性も高い 初期のプレーヤーでは正しく 目次 を読み込めないため 再生できない問題 が発生することもある この場合 初期のプレーヤーでも再生できるようにディスクアットワンスの書き込み方式でディスクをファイナライズする手法を試してみると良い また 対応と謳われている機器同士でもメディアの相性問題もあり絶対再生できるとは限らない データの記録は ディスクの基板上に連続した線上に存在するランド 丘 に挟まれたグルーブ 溝 に強いレーザー光を当てることでピット くぼみ を焼付け形成することで行なわれる ピットを形成する皮膜の記録材料には有機色素材料を使用しておりレーザー光照射による色素の分解という化学変化を利用しているため 素材コストの関係で比較的に価格を安価にできる一方で一度しかその場所にはデータを書き込めない また 当初の 規格では だったが 規格で に容量を増加した また 規格では業務用の と一般向けの のつに規格が分かれており 一般向けの にはコピー防止機能が組み込まれている 量産効果により価格が最も低く パーソナルコンピュータ用としては や といった両対応ドライブが登場し に代わるものとして広く普及している 家庭用レコーダーにおいてもパナソニックとソニー以外の企業は ドライブを採用している またパナソニックも年春以降のモデルは への書き込みに対応している また 記録面皮膜材料に有機色素材料を使用していることで光の中でも特に紫外線の影響を受けやすく 太陽光を長時間当てた場合など記録情報が失われることがあることが実験で示されている や は皮膜材料に有機色素材料とは異なるものを用いているので光の影響による経年変化はほとんどないとされているが代わりに熱に弱いと言われ アメリカ国立標準技術研究所 では 書き換え可能な や は熱に敏感に反応する素材を使っているために より長期保存には使えない としている いずれにせよ 保存環境やディスクの質によって寿命は大きく変化する コピーワンスの制限がかかった地上デジタルテレビ放送 デジタル放送の場合 への録画は出来なかったが年に録画が可能な対応 への対応は フォーマット時のみ可能 が登場した での記録の場合 テレビ放送 の各音声方式の違いによる影響のためレコーダーでテレビ放送の二ヶ国語放送 解説放送が記録出来る市販レコーダーは年現在製造されていない ステレオ放送は可能 ただし後年は フォーマットでの記録が可能な製品も販売されており の場合は二ヶ国語放送 解説放送の記録も可能 また フォーマットでの記録の場合でも マルチ音声トラック機能を用いて二ヶ国語以上の音声の ディスクを作成することは可能 での記録も での二ヶ国語切り替えディスクの作成もその可 不可は録画機器や作成ソフトなどのツール側の機能による また 東芝やパイオニア シャープ等の一部メーカーのレコーダーでは追記型記録が可能であるがファイナライズ処理を行わないと他のプレーヤー等で再生はできない また メディアの初期状態は フォーマットだが でフォーマットをすると フォーマットには戻せない は層タイプの を発展させたもので 片面に層記録が可能 容量は片面で である 両面のものは市販されていない 初期は に比べて記録速度が遅くシェアも低かったが 現在では速度では に並びほとんどのドライブで対応している 年月に三菱化学メディアより対応の が発売された 削除や再フォーマットにより 繰り返し記録できるタイプとして以下のものがある はパイオニアが開発した の通称 容量は片面 両面 なお日本ビクター 現 ケンウッド が層の 容量 を開発し 年月のフォーラムの承認後 同月に発売予定だったが 対応ドライブが製品化されないまま年月に発売の凍結が発表された データの記録は 基本的には と同じ方式 ただし記録マークを形成する皮膜の記録材料には のような有機色素材料ではなくアモルファス金属材料を使用しており 色素材料のように光による化学変化で分解するわけではなくレーザー光照射による加熱でのアモルファス金属の結晶化 非結晶化を利用している 結晶化することでその場所の反射率が変化する 結晶化した場所に再びレーザーを当てて結晶状態を溶かして急激に冷やすことで非結晶化が可能であり データの消去や再利用 同じ場所へのデータ書き込み が可能となっている 又 に比べてデータ記録後の光による経年変化の影響を受けにくいのもこの使用材料の違いによるもの この方式でデータが書き込まれた場合 読み取り時のレーザー光の反射率が や に比べて若干弱いという弱点がありドライブによっては に比べて再生互換性が若干劣るのはその理由による ただし 新しい製品では対応改善がされているものがほとんど またこの点については後述の も同様の特性があるが の場合は読み取りドライブの互換性が高い関係で の書き換え型として使用されるため 直接の比較対象になる場合が多い 記録型として最初に登場した は や とのフォーマットの互換性が低かったため は互換性を重視 主に動画の記録編集用として開発された そのため で記録されたディスクは読み取り専用の ドライブでも読み出すことが可能であることが多い 書き換え可能回数は 回以上で万回以上書き換え可能な と比べるとこの点は劣るが 一般的な使用では問題ない バックアップとして週間に回消去と再書き込みを行うと回 週 回で 年弱かかる 他の書き込み型との違いはビデオ用途で使用する場合 買ってそのままではデータの書き込みができないことである モードとモード両方で使えるメリットがある一方でフォーマット形式が異なるため どちらで使用するかを選択してフォーマットすることが避けられない 約分程度を要する 再生機との互換性を確保するためファイナライズ処理が可能で ファイナライズを解除し再び追記することも基本的には可能である レコーダーによっては不可 の通称 読み書き可能なフォーマットであり 規格を提案したことがあるパナソニックが中心となって開発された 内部でさらに細かい仕様の分類があり 容量は片面 両面 層タイプは製品化されていない データの記録面の材料には とは異なり アモルファス金属材料を用いているがレーザー光照射による加熱での結晶化を利用している 結晶化することで反射率が変化する 点では同じなので 書換え可能な点や光による経年変化の影響を受けにくい点の理由も同じである ただし や のようにランド 丘 グルーブ 溝 のグルーブにだけではなくランドにも記録マークを記録している点が大きく異なるほか ディスク面への位置情報の書き込み方式やディスクの回転制御の方式も大きく異なるなど他のディスク とは物理的記録方式に異なる点が多いため読み取り装置 ドライブ の互換性が全くなく そのため専用の対応ドライブが必要になる 当初はデータ用として普及したが後にビデオ録画用にも普及した 民生機では書き込みの高速性を利用して録画を行いながら別番組を再生することなども可能 また 録画した を別の機器で再生させる場合にファイナライズ処理が不要である データの記録に優れたメディアといえる デメリットは前述の構造上の特徴から との互換性が無い点であり 再生専用プレイヤーや再生対応ゲーム機などで対応機種が少ない点である また カートリッジ付メディアの挿入は出来ないドライブが多い 現在 カートリッジ型対応のドライブを生産しているのはパナソニックほか少数である ただし後年は読み取りドライブのマルチ化が進んでおり 未対応ドライブを除いて実用上の互換性は大きな問題にはならなくなりつつある 最近の傾向としてパイオニア など今まで に対応していなかった複数のメーカーから 対応のドライブ パイオニアの場合は 録再対応のレコーダーも登場 ただし 年月以降の新機種から が発売された ランダムアクセスが可能でありデータの書き込みに専用ライティングソフトが不要である これらの規格はフォーラムの規格外のため厳密にはとは呼べず ロゴは付いていない また正式名称に の文字はない このように本来のとは似て非なるものである しかし年現在では関連ライセンス団体であるがこれらの規格のライセンスを管理するようになるなどフォーラムとの規格争いが過去のものになっており 既に規格の一種として認知された感は否めない アライアンス参加企業以外は印刷物で という表現をせずに と表記し 脚注に は と表現されることがあります と書くことが多い と同様 データ用 とビデオ録画用 が存在する 陣営 以下 フォーラム陣営 と 陣営 以下 アライアンス陣営 が対ベータマックスのような規格争いを行って消費者に混乱を招くことが懸念されたが 現在はレコーダーでは にほぼ落ち着き パソコン向けドライブでは両対応のスーパーマルチドライブ 後述 が普及したためそれほど混乱は生じていない では と呼ばれる規格がサポートされている これはパケットライト方式で書き込む際に有効でフォーマットを必要最小限の領域にとどめ 残りの領域のフォーマットは書き込みドライブが未使用のときに実行することでフォーマット時間を大幅に短縮できるというものである 記録速度や層メディアの登場など開発スピードがフォーラム陣営に比べて速いことが特長だった しかしデジタル放送のコピーガードへの対応が未だに実現していないことや フォーラム陣営側も開発速度を上げたことから 日本では役割をほぼ終えた存在となった 著作権保護技術としてではなく を採用しているが日本で市販されているレコーダーでを採用しているものは全くなく これも家電向け需要が少ない一因ともいえる 一度だけの書き込みが可能 ファイナライズ前なら削除や追記も可能 なタイプとして以下のものがある ライトワンス型の記録型フォーマットで 正式名称は プラス アール で記録されたディスクは一般的な や ドライブで再生が可能とされるが 実際にはメディア ブックタイプ が であるため再生できないケースもまれにある ただし ファイルシステムの構造が に比べ に近いため化 後述 を行った場合 よりも互換性は高くなる 記録面材料は と同様に有機色素系材料である 当初 アライアンス陣営は書き換え型のみを想定して 規格を策定したが既存のプレイヤーでの再生互換性が想定より低いことがわかり その対策として 規格を追加する形になった この際 初期の 専用ドライブはファームウェアの更新により にも対応できるとされたが結局ハードウェアの問題で棚上げとなり一部のユーザーに混乱を招いた 現在はソニーの スゴ録 共に生産終了 ブルーレイディスクレコーダーに での録画に対応するレコーダーが存在する パイオニア等も対応レコーダー デジタルチューナー非搭載機 を販売していたことがある パソコンでもスーパーマルチドライブにより と全く同じように記録できる がたとえバイトのデータを記録する際でもダミーデータを上乗せして にしてしまうのに対し ではダミーデータの上乗せを行わないこと も後に制限が解除された 高速化が容易なこと メディア ブックタイプ が と同じものに変更可能 メディアをに変えることを化という であるため互換性が向上することなど利便性という点で を上回っていた 反面 フォーラムによって策定されたわけではないこと 再生時に振動の影響を受けやすいこと ディスク品質にシビアにならなければならないこと デジタル放送で採用されているに対応できていないこと 書き込み速度が に追いつかれたといった理由から日本国内では の販売シェアの後塵を拝している は を発展させたもので 片面に層記録が可能 よりも先行して一般市場に出回った ディスクのメディアを化することによりプレーヤーでの再生互換性が一般的には高まることが知られている 削除や再フォーマットにより 繰り返し記録できるタイプとして以下のものがある パナソニックの に対抗する規格として アライアンスが策定した 正式名称は との互換性のある独自の書き換え可能方式を策定している 書き込み可能回数は 回以上 世界三大経済圏の有力電機メーカーである日本のソニー オランダのフィリップス アメリカのヒューレット パッカードの社が提唱しているだけに有力視されていたが 日本の大手電機メーカーでレコーダーにこの方式を採用しているのはソニーのみである 一時は日立製作所とパイオニア いずれもデジタルチューナー非搭載モデル に対応機種があったが現在は生産終了している 高速記録が特長の一つであり登場時は 倍速 は倍速 年月時点で は倍速 は倍速 である メディアの書き換えも可能であり 互換性が高まるとされる また の片面層化された が開発中だったが日本では 同様 年月現在 対応ドライブもメディアも発売されていない 記録面の使用材料は と同じようにアモルファス金属材料を用いている 位置情報の記録方法が 系と決定的に異なる ただし 録画用メディアとしては の仕様として つのファイルは連続した領域のみに記録される 仕様のため 上での編集により生じた空き領域は使用できない そのため カットしても実質空き時間が増えないという欠点がある いったんハードディスクドライブに移し変え 再記録することでは可能である よりも先に規格が制定され 当初は と記録型の書き込みのみに対応したドライブが発売された 片面に音楽 もう片面にを貼り合わせた両面の再生専用ディスク 年に米国の大手レコード会社が発売した フォーラムが定めた規格ではない 面は正式な音楽規格 レッドブック に準拠していないためロゴは付いておらず メーカーは 音楽専用面 非面 など遠回しな呼び方をしている 機器によっては正常に再生できなかったり故障の原因となる可能性がある 片面に と の両規格を収録した多層構造のディスク 映像ソフトで製品化されている ディスクに書き込むビデオデータ形式の違いにより以下のものが存在する この節ではフォーラムが策定したとしての正式な規格を記述する フォーラム以外の規格はその他で記述する に複数の映像 音声 字幕を記録するフォーマット マルチアングルでの記録も可能 複製防止技術 厳密には 再生技術である として という暗号化をすることが可能 論理フォーマットは 本来は市販ビデオソフトの製作用 読み出し専用 に策定された規格であるが 家庭用レコーダーや パソコンで専用ソフトウェアを使っての記録 追記 書き込み前の編集などが可能になった の規格上は両面層まで可能 富士フイルムから両面式の が発売されている であるが パッケージソフトとして販売される性格から片面層とし裏面に絵やロゴ等 レーベル を印刷する場合がほとんどである なおディスクを返すことなく 両面自動連続再生可能なプレーヤーが存在しない そのため 枚組でも両面層でも入れ替える必要性がある点は同様なのでユーザの利便性にとっては大差がないと言える ちなみに では両面再生対応機種が存在した プレーヤーのほか とのコンパチブルプレーヤー 年月現在 生産中 との複合機などで再生できる またディスクサイズがと小型であるためラジカセやカーオーディオ 付ポータブルプレーヤーなど様な対応機器が存在する 用のドライブでも利用可能であるため ドライブを搭載したでは の視聴が可能であることが多い 世界をいくつかの地域に分け リージョンコード 地域コード を割り当てることで地域限定のリリースやリリース日をずらすということができる プレーヤーと ディスクの地域コードが一致しないと再生できない 一致してもテレビ方式が合わないと再生できない に海外のリージョンコードの入ったを入れると勝手にリージョンが変更されることがある 映像は で記録され音声は標準で ドルビーデジタル オプションで デジタル シアター システムズ が利用可能である 地域によって その他の音声フォーマットにも対応する 正式には 一部では とも表記されているがいずれも同じものであり 登場時からの時間の経過と共に としての記述に収束方向にある 論理フォーマットは フォーマット規格を元に 家庭用レコーダーで記録するためにより適した規格に改良したもの 技術的な内容は近似しているので レコーダーの設計者が両方式間のコンバート機能を設計する際には便利ではあるが 記録されたディスクとしては フォーマットとの間に互換性があるわけではない 搭載のレコーダーの多くは実質的には レコーダーの性格で企画開発されたものが多いため 録画物を内に記録する場合は の規格に応じた形式が用いられる場合が多い ごく一部の機種ではへの記録でも フォーマットで行うものがある コンパクトディスク に比べ高音質で 著作権保護など複製されにくい特徴を備えた 通称 次世代 規格としてフォーラムが年に策定を完了させたオーディオ専用のアプリケーションフォーマット リニア 最大 ステレオ時のみ 最大 最大 サラウンド に対応する 可逆圧縮音声データを収録することも可能 論理フォーマットは 読み取り専用の音楽ソフトだけでなく パーソナルコンピュータ用の音楽制作アプリケーションと記録型を用いて作成することも可能 次世代 規格としては日本ビクター 現 ケンウッド パナソニック 東芝 パイオニア等が推進したオーディオ と ソニー フィリップス等が推進するスーパーオーディオ のつの規格がある これらの間に互換性はない オーディオの再生にはオーディオ対応のプレーヤーが必要である ただしソフト 録音媒体 によっては に準拠したデータを併せて収録しており その場合はプレーヤーでも再生ができる ただし音質は 相当となる また 音楽コンテンツ向けの付加機能として映像コンテンツを収録することもできる ユーザーが録ったハイサンプリングレートによる音源を記録する用途にはオーディオ方式の方がスーパーオーディオの方式よりも有利であると言える ダイレクトストリームデジタルでは録音レベルを調整するためのイコライザですらかけられない上に レコーダーを用いた録音はファイル形式が異なるので市販のスーパーオーディオプレイヤーでは再生ができる対応機種はほとんど存在しないからである オーディオではその点 専用ソフトを用いれば書き込みに対応した光学ドライブを用いてオーディオ規格のディスク媒体の作成が自由に可能であった スーパーオーディオの項目にあるように 高音質 サラウンドへの需要は盛り上がらず それよりもむしろ利便性に優れているや音楽配信などが普及し 年代に入るとオーディオと同等のリニア 音源やスーパーオーディオと同等以上の音源も配信されているため オーディオもスーパーオーディオも共に普及のペースは非常に鈍いので将来が危ぶまれる スーパーオーディオはオーディオ愛好者から一定の支持を得てまだ専用プレーヤーも発売されているが オーディオの方は既に自然消滅に近い状態である 日本の業界団体 は年月をもってホームページを事実上閉鎖した 年現在ではマルチ対応のユニバーサルプレーヤーが対応する また 年以前まではパソコン用のビデオ再生アプリケーションの一部もオーディオの再生をサポートしていた 正式には に対する に相当する規格である 年現在は規格として存在するのみで 適応製品としては開発されていない 正式には 論理フォーマットは デジタル放送の放送信号 ストリーム信号 をそのまま丸ごと記録するための方式 ハイビジョンをに録画できるが 可能記録容量の関係でへの適応は年現在は行なわれていない と一部共通性があるので 同一のディスクに記録して利用できるメリットもある の派生規格のが登場以降はそちらが主流である のアプリケーションフォーマットに準拠したハイビジョン映像を記録型に記録する規格 フォーラムが年に策定した 東芝が対応レコーダーを年末に発売 正式には 他のアプリケーションフォーマットと異なり その名の示すように アライアンス陣営が策定した 向けの フォーマット 論理フォーマットは が との再生互換性が全くない一方で との再生互換性を目指して策定された規格 論理的には ドライブや プレーヤーでの再生可能なフォーマット と異なりは規格上存在しないため 回だけ録画 のデジタル放送を記録することはできない 上記のビデオとしてのアプリケーションフォーマット以外にも のメモリ上で認識可能な各種データも書き込み可能である ゲームソフトのプログラムやビデオの規格では許容されていない各種画像 映像データファイルも書き込み可能で 読み取り機器側さえ対応していればそれらのデータファイルの表示 動作も可能となる 用語としての定義とは別に が ではなく という名称であるのはこれによるものである 前述した各種デジタルデータファイルの書き込みの延長線上にあるものでもあるが 既存のビデオの各種規格とは別にハイビジョン動画ビデオの記録と再生を目的にした次世代規格として年にの規格が登場した ソニーとパナソニックが策定したもので フォーラムとは無関係 書き込みも読み出しも専用対応機器が必要である が策定した と同様のハイビジョン映像記録用規格 従来のレコーダーで採用されている 規格はハイビジョン規格の映像信号を 標準画質 にダウンコンバートしなければならない メディアにハイビジョンを記録するにはビデオ規格 にハイビジョン規格の解像度を新たに加える規格変更が必要になるが規格変更の必要性の他にも大きな問題があり 規格で映像圧縮技術に採用されている ではメディアには層メディアでも時間以下 層メディアでは分以下となり特にテレビ番組の録画を目的にした場合の実用性に乏しいためメディアにハイビジョン映像を のままで記録する規格は当初から考案 策定されていない ただし映像を記録する際の圧縮技術に従来の の約倍の圧縮効率を持つ を採用した やにより ハイビジョンのままで や と同程度の時間をメディアに記録できる 年月に松下 現 パナソニック が対応レコーダーを発売した との間に互換性はないが 各社から発売された対応のレコーダー プレイヤーが市場を席巻している は事実上東芝のみで終焉を迎え 同社も対応へとシフトした 最初に ドライブが開発されたのは年である 初期の搭載製品としては年月日に発表され 月日に発売されたパナソニックの などがある が搭載したのは接続の 読み出し等倍速 読み出し倍速のドライブだった 同日には同様の仕様である内蔵型の がブランドの製品として発売された 製品の内訳はドライブ品番 と再生用ボード 用 である ドライブ登場時はパソコンのパフォーマンスが低く 再生の際はソフトウェアのみではスムーズな再生ができなかった しかし 年頃からソフトウェアのみでの再生が行えるようなパソコンが普及してきたため 以上のプロセッサー 再生用ボードが不要になった パソコン用記録ドライブでは の記録も可能である ドライブの大きさの分類はデスクトップ及びレコーダー向けとノート型向け スリムドライブ があり 接続方式がパラレルとシリアルに分類されている 近年はシリアル接続が主流になっており それぞれ読み書きの方式によって以下のつに分類できる 各ディスクが登場した当初はそれぞれのディスクに専用のドライブが必要だったが現在のドライブは 規格を含めた複数対応機器がほとんどであり や 規格を使用すれば互換性の問題はほとんどない 名称は正式に策定されたものではなく通称であり メーカーによって名称が異なる場合がある なお ほとんど全ての書き込み型ドライブで への書き込みも可能である に対応していることが当たり前になると 種類の書き込み規格に対応したドライブでも 単に ドライブ と表現されることが多い 書き込み速度が規格の上限の倍速に達すると 種類の書き込み規格に対応しつつ メディアへの 倍速書き込みができるドライブが登場した 主に映像ソフトやデジタルテレビ放送の映像記録用途を主眼としておりソニー パナソニックなどの陣営と東芝 の 陣営は規格統一を模索していたが 年交渉が決裂 年に分裂した状態で製品化され ハリウッドの映画産業などを巻き込んだ激しい規格争いが勃発した しかし年月 製品の発売から年を経ずして東芝が 事業からの撤退を発表し第世代光ディスクのデファクトスタンダードはに一本化された の規格策定時にもソニーと東芝は ソニーフィリップス陣営のと東芝 パナソニック陣営ののどちらを選ぶかで対立した 結果的には規格延長を目論むより と異なり枚の板の貼り合せ構造を採用し大容量化を実現したを基に規格は作られた 一方 同じ陣営に属するソニーとパナソニックも書き換え可能型で激しく対立した間柄だった ソニーはと似て非なる を作り出している またパイオニアやシャープも陣営だが こちらも書き換え型では 陣営としてパナソニックと敵対関係である しかしデータ記録 搬送用途では従来型があり 大量のデータ容量が必要な場合でもハードディスクがある 映像分野でもビデオの画像を並の映像画質に補正補完するアップスケール技術 逆に 圧縮により記録型に映像の長時間録画を可能にする技術などを搭載したレコーダーもある 京都線 ジェイアールきょうとせん は 西日本旅客鉄道 西日本 が管轄する東海道本線のうち 京都府京都市下京区の京都駅から大阪府大阪市北区の大阪駅までの区間に付けられた愛称である この愛称は年月日から使用されている ほぼ全区間で阪急電鉄の京都線とも呼ばれる京都本線と並行し 近畿日本鉄道 近鉄 にも京都線があり それぞれ大阪駅 大阪梅田駅 京都駅で接続しているため それらと区別するために と付けている 西日本のアーバンネットワーク 京阪神エリア の路線のひとつである 東海道新幹線 阪急京都本線に並行して淀川右岸を走り 京都市と大阪市を結んでいる ラインカラーは青 であり 神戸線とともにアーバンネットワークの主要路線という位置づけから 西日本のコーポレートカラー自体がそのままラインカラーとして使われている 路線記号は また 新快速を中心に多くの列車が神戸線 琵琶湖線 湖西線に直通運転を行なっている 当該区間での旅客案内での路線表記も基本的には 東海道線 ではなく 京都線 で統一されているが 例外として新大阪駅では 高槻 京都方面のみ 京都線 と案内され 大阪方面は 神戸線 及び 宝塚線 といった 大阪駅以西の直通先の愛称で案内されている 神戸線の尼崎駅 琵琶湖線の山科駅でも同様の対応が取られている なお 駅備え付けの運賃表や一部の路線図では 括弧書きで 東海道線 と併記される 京都駅 大阪駅間を新快速が最短分で結んでいる 全区間が方向別複線であり 緩急分離運転が行われている 阪急京都本線と並行する区間が長く また淀川を挟んで京阪電気鉄道京阪本線が存在するが それぞれターミナルの位置で棲み分けがなされており 直接的な競合は存在しない 大阪駅から日本海側を縦貫して青森駅まで結ぶ路線の総称 日本海縦貫線 の一部となっており 日本海縦貫線の列車が多く乗り入れる 全区間が西日本近畿統括本部の管轄であり 乗車カード のエリアに含まれているとともに 旅客営業規則の定める大都市近郊区間の 大阪近郊区間 および 電車特定区間に含まれ 区間外よりも割安な旅客運賃が適用されている 京都駅 向日町駅間は上下内外側線を構成する複線と貨物線線を加えた線区間で 向日町駅 茨木駅は複線となるが 茨木駅からは再び貨物線が分岐する 茨木駅 吹田貨物ターミナル駅間は線 上下内外側線と貨物線 吹田貨物ターミナル駅から新大阪駅にかけては上下内外側線に梅田貨物線と北方貨物線の複線を加えた線区間となっている 隣接する琵琶湖線や神戸線と一体的に運行されており 湖西線や福知山線 宝塚線 との直通列車も設定されている 乗車券のみで利用できる列車は停車駅の少ない順に新快速 快速 普通 緩行電車 の種別があり このほかに北陸 関西国際空港 南紀 山陰方面などへの特急列車が加わり 複線を有効活用したパターンダイヤが組まれている ほぼ全線にわたり線形はきわめてよく 外側線は一部の曲線区間を除いて 運転が可能である 内側線も 運転に対応している 基本的に分サイクルで運転されており 時 土曜 休日は時 を過ぎると分サイクルになる 朝通勤時間帯下り 大阪方面 は分サイクルが基本となっている 基本的にサイクルに新快速が本 快速が本 京都駅あるいはそれ以遠始発の普通が本 高槻駅発の普通が本である 昼間時間帯は 基本的に分サイクルに新快速本 快速本 高槻駅発着の普通本 京都駅発着の普通本である 曜日 時間帯によって高槻駅 京都駅の普通列車の本数は変わる 夕ラッシュ時間帯の上り 京都方面 は昼間時間帯と同様のダイヤであるが 最ラッシュ時間帯において大阪駅始発の新快速が本設定されており その時間帯については新快速の運行が 分間隔となる 夜間は分サイクルとなる 発足後 天王寺発着だった南紀方面の特急や 智頭急行線開業で運行を開始した山陰地方への特急 スーパーはくと などが新たに京都駅まで直通運転されるようになり この区間の特急の列車本数は増えた 特に関西国際空港開港と同時に運転を開始した特急 はるか は その年後にはすべての列車が京都駅まで定期列車で入るようになり 新大阪駅 京都駅間は北陸方面との特急 サンダーバード など ほかの列車と合わせ時間に本程度が運転される特急街道になっている 阪和線に直通する特急 はるか や くろしお は 下り列車が吹田貨物ターミナル駅から大阪環状線の西九条駅まで 上り列車が西九条駅から新大阪駅まで それぞれ梅田貨物線を走行し 大阪駅を経由しない 京都駅番のりば発の下り列車は京都貨物駅構内を通り 向日町駅構内で下り外側線に合流するため この区間を外側線で走る特急や新快速より若干所要時間が余計にかかる この区間を走行する優等列車は年月日改正時点では以下のとおり 特急 急行列車以外では最も停車駅の少ない速達列車である 京都線内の停車駅は 京都駅 高槻駅 新大阪駅 大阪駅 特に京都駅 高槻駅間 は無停車となる 神戸線姫路駅 山陽本線網干駅 上郡駅 赤穂線播州赤穂駅から京都線を経由し琵琶湖線長浜駅 北陸本線近江塩津駅 敦賀駅まで直通運転している 日中時間帯は大阪駅 京都駅間で時間に本運転されており このうち本が琵琶湖線野洲駅 長浜駅発着および北陸本線経由近江塩津駅発着 本は湖西線経由敦賀駅発着である この時間帯の下り列車は京都駅を また上り列車は大阪駅を それぞれ毎時 分の分間隔で発車し 京都駅 大阪駅間を 分で結んでいる 夕方ラッシュ時から時台までは大阪駅 京都駅間で基本本であるが 時台は大阪始発の列車本が入るため本 分半間隔 で運行されている 大阪発時台の敦賀行きが京都駅から湖西線経由の 快速 おごと温泉駅にも停車 として運転する以外は すべて琵琶湖線に直通する このため 大阪発 時台の分発は米原経由敦賀行きとして運転されている 全列車が全区間で外側線を走行する かつては新大阪駅 大阪駅間のみ内側線を走行していたが 新大阪駅配線改良により 現在の形になった 全列車網干総合車両所所属の系番台 番台 系番台 番台が使用されており 両編成 平日夕方の大阪始発は両編成 で運転されている 土曜 休日は年月日のダイヤ改正から 平日は年月日のダイヤ改正から一部を除いて 姫路駅 米原駅間を終日両編成として混雑緩和を図っている 快速は京都駅を越え琵琶湖線や一部は湖西線と直通し 大阪駅からは朝ラッシュ時の一部を除き神戸線へと直通している 宝塚線とは直通しない 京都線内の停車駅は京都駅 長岡京駅 高槻駅 茨木駅 新大阪駅 大阪駅 京都線の全区間を快速運転する列車は 下りは京都発基準で朝時台から時過ぎまでの本 土曜 休日は 時台の本 上りは大阪発基準で朝 時台の本 土曜 休日は 時台の本 のみで 日中以降の京都線での快速運転区間は高槻駅 大阪駅間であり 京都駅 高槻駅間は各駅に停車する 普通 として運転している 年月日までは全区間で快速運転する列車に須磨駅 垂水駅 舞子駅を通過する設定があった 平日朝は高槻駅 大阪駅間で外側線を走行しており 系 番台と系番台 番台を用いて で走行する 朝ラッシュ時間帯大阪方面行きはおおむね分間隔の運転である 日中から夜時台にかけては大阪駅 京都駅間で時間に本が運転されており この時間帯の高槻駅 京都駅間の各駅での停車本数は 本 時間帯によって変動する である この時間帯の下り列車は京都駅を毎時 分 また上り列車は大阪駅を毎時 分の分間隔で発車し 京都駅 大阪駅間を分で結んでいる 平日の日中以降および土曜 休日ダイヤでは内側線を走行する 年月日までは全区間で快速運転を行い 外側線を走行する大阪発時台の快速野洲行きが運行されていた 年月日までは 時台の分発で 野洲駅 草津線柘植駅 湖西線近江今津駅にそれぞれ直通していた 車両は網干総合車両所所属の系 系番台 番台 番台および系番台 番台が使用されており 両編成で運転されている 普通 は各駅に停車する列車であるが ここでは京都線内の全区間で 普通 として運転される列車について解説する 高槻以東のみ各駅に停車する列車については前節を参照 国鉄時代の通称である京阪神緩行線 緩行電車 と呼ばれることがある 全区間で内側線を走行する 日中から時台までは時間に本運転されている 日中は本とも高槻駅発着であるが 夕方ラッシュ時から時台までは高槻駅 京都駅発着が本ずつ運転されている 土曜 休日ダイヤの 時台では高槻駅 京都駅発着が本ずつの運行である 大阪駅以西は半数が神戸線須磨 西明石方面 半数が宝塚線新三田方面 年月日のダイヤ改正より 概ね下り 時台 上り 時台は宝塚駅発着に短縮された と直通する 朝ラッシュ時以外は大阪駅 京都駅間で後続の快速より先着し 朝ラッシュ時も高槻駅 京都駅間は後続の快速より先着する 大阪発で平日ダイヤの朝時台に琵琶湖線直通草津行きが本設定されている また 平日朝時台の高槻発本と京都発本は神戸線加古川行きとして運行されている 区間列車として 高槻発時と平日時台に京都行き 京都発時台の最終で高槻行きの設定がある また 毎日朝には大阪駅 吹田駅間の列車が往復設定されている 車両は 網干総合車両所所属の系 系電車が使用され すべて両編成で運転されている 京都駅ビル開業の年月日の改正で日中の高槻駅発着の半数が京都駅発着に延長され 年月日改正で神戸線直通系統が京都駅発着 宝塚線発着系統は高槻駅発着に統一された 平日 休日にかかわらず毎日 始発から終電まで 系の加古川 西明石 須磨側から両目と系の号車に女性専用車が設定されている なお ダイヤが乱れた際などに女性専用車の設定が解除されることがある 京都線では年月日から女性専用車を導入し 始発から時分と時分から時分まで設定されていたが 年月日からは平日 休日にかかわらず毎日 始発から終電まで女性専用車が設定されるようになった なお 京都駅を越えて京都線と琵琶湖線を直通および京都駅発の琵琶湖線内のみ運転する系 系による列車についても列車の運転全区間において女性専用車の設定は維持される 大晦日深夜から元旦にかけて 京都線では全線 運転区間は京都駅 神戸線西明石駅間 で普通のみ約分間隔で終夜運転が実施されている かつては奈良線にも乗り入れ 奈良駅 奈良線経由 京都駅 大阪駅 西明石駅間で運転されていたこともあったが 奈良線への乗り入れは年度限りで終了している 貨物列車は全列車 大阪駅を経由せずに茨木駅構内で分岐し 吹田貨物ターミナル駅へと向かう貨物線を運転している 山陽本線に直通する貨物列車は 吹田貨物ターミナル駅 宮原操車場 尼崎駅間の通称北方貨物線を経由する 桜島線安治川口駅への貨物列車は吹田貨物ターミナル駅から梅田信号場を通り 大阪環状線西九条駅に至る梅田貨物線を通る 国鉄分割民営化後の使用車両を記述する このほか 大阪駅 向日町操車場間では回送列車として はまかぜ や サンダーバード の一部列車が運転されている サンダーバード は 大阪駅到着後そのまま神戸方面へ発車し 塚本駅から北方貨物線に入り 茨木駅構内で京都線 外側線 に合流する 出区のときはこの逆ルート この場合 京都線内は編成の向きが逆向きになる すべて電車で運転されている 国鉄分割民営化以降は すべて電車が使用されていた 以下では 京都線内にある各停車場 駅 信号場 の営業キロ 停車列車 接続路線を一覧表で示す 廃駅 廃止信号場については 東海道本線 高槻市は 高槻駅 島本駅間の新駅設置を検討している 摂津富田駅付近 区間は 総持寺駅東付近から川西中学校東付近まで において 連続立体交差事業 鉄道高架化 の事業化を進める計画がある コンパイラ は コンピュータ プログラミング言語の処理系 言語処理系 の一種で 高水準言語によるソースコードから 機械語あるいは元のプログラムよりも低い水準のコードに変換 コンパイル するプログラムである プログラミング言語 人間が理解しやすい言語や数式でプログラムを記述可能な人工言語 で書かれたプログラムを コンピュータのプロセッサが直接的に実行できる機械語 バイナリコード あるいは元のプログラムよりも低いレベルのコード 例えばバイトコードなどの仮想機械向け中間言語あるいは中間表現 に変換することを 英語の動詞で コンパイル と呼ぶ コンパイラとは コンパイルを行なうコンピュータプログラムのことである インタプリタとよく対比される コンパイラによって変換される前のプログラムを ソースコード と呼び 変換後の機械語あるいは中間言語のプログラムなどを オブジェクトコード と呼ぶ ただし 厳密には コンパイル は ビルド の一工程である 直接機械語を出力する場合もあるが コンパイラ自体はアセンブリ言語によるコードを出力するにとどまり 該当アセンブリ言語を機械語に変換する作業 アセンブル をアセンブラに任せているものも多い はもともと 編集する 編纂する という意味の英語であり というのは 編集者 という意味の英語である なお 日本語による解説書などには コンパイラー という名称は日本語では 翻訳者という意味を持ち ソフトウェアとしてのコンパイラーは翻訳機という意味を持っている などという解説がある コンパイラでは ひとつのプログラムとして動作する全てのコードをいっぺんにコンパイルするのではなく モジュール毎などに分けてコンパイルし 分割コンパイル ライブラリなどはあらかじめコンパイルされているものと合わせて 実行するようにすることが多い この場合 コンパイラはリロケータブルバイナリを出力し 実行可能ファイルの生成にはリンケージエディタが必要であり さらに動的リンクで実行する場合はダイナミックリンカ ローダ ローダの一種 も必要である 開発環境などでは コンパイルした後に実行するというような手続きをコマンドで行えるものも増えている そして インタプリタでも実行時コンパイラなどの技術の利用がさかんになってきており 古典的な意味での コンパイラ と インタプリタ の中間的な性質のツール プログラム も増えてきているので コンパイラ言語 インタプリタ言語 という 以前よく行われた対比は あまり意味を持たない場合も増えてきている 初期のコンピュータのプログラミングは機械語で直接行なわれていた プログラムを指して コード 英語では暗号を意味する と呼ぶのは 知らない人間には機械語は全く意味のわからない数値の羅列だからである しかし 人間にとって比較的理解のしやすい 十進法の数字で書かれたアドレスを内部表現の二進法に変換する といったごく単純なアセンブリ言語の機能を持ったプログラムはにおいて既に存在していた 機械語でのプログラミングは言うに及ばず アセンブリ言語を用いても プログラミングというのは面倒な作業である そういった低水準言語から 人間がより扱いやすい高水準言語が徐に求められるようになった また 機械の詳細が抽象化されることにより 高水準なプログラミング言語で書かれた同一のソースコードを元に 詳細仕様が異なる機械でも動くプログラムを生成できる という利点もあった 様なアプリケーション領域で 高水準言語というアイデアは素早く浸透していった 機能が拡張されたプログラミング言語が次と提案され コンピュータのアーキテクチャそのものも複雑化していったため コンパイラはどんどん複雑化していった 初期のコンパイラはアセンブリ言語で書かれていた 世界初の セルフホスティングコンパイラ は 年にマサチューセッツ工科大学の と が開発したである 年代には 特にや言語などにおいて コンパイル対象言語でコンパイラを書くことが一般化した さらにより高水準の言語のコンパイラは や言語で実装することも多い セルフホスティング コンパイラの構築には ブートストラップ問題がつきまとう すなわち コンパイル対象言語で書かれたコンパイラを最初にコンパイルするには 別の言語で書かれたコンパイラが必要になる と の コンパイラではコンパイラをインタプリタ上で動作させてコンパイルを行なった コンパイラ構築とコンパイラ最適化は 大学での計算機科学や情報工学のカリキュラムの一部となっている そのようなコースでは適当な言語のコンパイラを実際に作らせることが多い 文書が豊富な例としてはニクラウス ヴィルトが年代に教育用に設計し 教科書中で示した がある は単純だが 教育目的にかなった基本が学べるようになっている はで書かれていた ヴィルトによる教科書は何度か改訂されており 年の版ではでのサブセット を実装している 機械語にコンパイルするコンパイラもあれば そうでないコンパイラ 後述 もある 機械語コードのことを ハードウェアであるプロセッサの生のコード というような意味でネイティブコードなどと言うことがあり 機械語にコンパイルするコンパイラのことをネイティブコンパイラと言うことがある コンパイラに限らず 入力と出力を持つあらゆる変換系は 入力の種類が種類 出力の種類が種類あるとすると 種類があることになる コンパイラの場合 プログラミング言語が種類 コード生成の対象となる命令セットアーキテクチャが種類 といったような感じになるわけであり 入力側をフロントエンド 出力側をバックエンドと言うが 中間表現の設計いかんでは 残りの中間処理の部分 特に重要な部分であるコンパイラ最適化を共有できるため 年代以降に基本設計が為されたややなどでは そのようにして多言語 多ターゲットに対応している 汎用など 開発環境と同じ環境で目的プログラムも動作させるような開発を セルフ開発 と言い セルフ開発のコンパイラを セルフコンパイラ という それに対し 開発環境とは別の環境で実行するような開発を クロス開発 といい そのためのコンパイラをクロスコンパイラという カーネル自身のコンパイルなどは カーネル自身の実行環境は そのではなくベアメタルであるという意味ではある種のクロスコンパイルのようなものであるし 新しいコンピュータシステムのための環境を最初に作るにはクロス開発の必要がある あるいは 組み込みシステムやなど それ自体が開発環境を動作させるだけの機能や性能を持たない場合 といったものもある いわゆるネイティブコードではなく中間コードを生成し さらに別のコンパイラに処理を任せたり 別のインタプリタによって実行したりするものもある これを中間コードコンパイラ バイトコードコンパイラなどと呼ぶ またそのバイトコードを解釈実行する処理系をバイトコードインタプリタなどと呼ぶ コンパイラは様な処理の集合体であり 初期のコンピュータではメモリ容量が不十分であったため 一度に全ての処理を行うことができなかった このためコンパイラを複数に分割し ソースコードや何らかの中間的な表現に何度も処理を施すことで解析や変換を行っていた 一回でコンパイルが可能なものをワンパスコンパイラと呼び 一般にマルチパスコンパイラよりも高速で扱いやすい など 多くの言語はワンパスでコンパイルできるよう意図して設計されている 言語の設計によっては コンパイラがソースコードを複数回読み込む必要がある たとえば 行目に出現する宣言文が行目の文の変換に影響を与える場合がある この場合 一回目のパス 読み込み で影響を受ける文の後にある宣言に関する情報を集め 二回目のパスで実際の変換を行う ワンパスの欠点は 高品質のコードに欠かせない最適化を行いにくいという点が挙げられる 最適化コンパイラが何回読み込みを行うかというのは決まっていないが 最適化の各フェーズで同じ式や文を何度も解析することもあるし 一回しか解析しない箇所もある コンパイラを小さなプログラムに分割する手法は 研究レベルでよく行われる プログラムの正当性の判定は 対象プログラムが小さいほど簡単なためである ネイティブコンパイラの他にも以下のような ネイティブの機械語 以外をターゲットとするコンパイラ ないしトランスレータ がある もっぱらその言語の処理系がコンパイラとして実装される言語を コンパイラ言語 などと言い インタプリタとして実装される言語を インタプリタ言語 などと言うこともあるが 実験的な実装まで含めればどちらもある言語も多い に付属する など言語によっては 仕様にコンパイラの存在を前提とした項目があるものもある また インタプリタの実装が容易でコンパイラの実装が困難な言語もある など メタプログラミングの利用 特に文字列をすることは インタプリタ方式では造作ないことだが コンパイラ方式では実行環境にコンパイラ自体が必要となる 動的プログラミング言語も参照 ハードウェア記述言語の処理系 合成系 を ハードウェアコンパイラとかシリコンコンパイラなどと呼ぶことがある コンパイルをアプリケーションの実行時に行うか 実行前に行うかでつに分かれる もともとは コンパイラはしばしばインタプリタと対比されてきたものである コンパイラは 生成された機械語プログラムなどの実行は行わないが 一度コンパイルすればコンパイラを使わずに何度も実行できるという利点がある しかし インタプリタは バイナリの実行ファイルは生成せず 実行するときに常に必要だが プログラムを作ったらすぐに実行できるという利点がある コンパイラは 一般に次のような部分から成る 字句規則から字句解析器を生成する 構文規則から構文解析器を生成するパーサジェネレータというプログラムがあり 広く実用に使われている コンパイラ全体を生成するコンパイラジェネレータも研究されているものの 広く実用に使われるには至っていない コンパイラ設計手法は処理の複雑さ 設計者の経験 利用可能なリソース 人間やツール に影響される コンパイル処理の分割を採用したのはカーネギーメロン大学での であった このプロジェクトでは フロントエンド ミドルエンド 今日では滅多に使われない バックエンド という用語が生み出された 非常に小さなコンパイラ以外 今日では段階 フェーズ 以上に分割されている しかし どういったフェーズ分けをしようとも それらフェーズはフロントエンドかバックエンドの一部と見なすことができる フロントエンドとバックエンドの分割点はどこかというのは論争の種にもなっている フロントエンドでは主に文法的な処理と意味論的な処理が行われ ソースコードよりも低レベルな表現に変換する処理が行われる ミドルエンドはソースコードでも機械語でもない形式に対して最適化を施すフェーズとされる ソースコードや機械語と独立しているため 汎用的な最適化が可能とされ 各種言語や各種プロセッサに共通の処理を行う バックエンドはミドルエンドの結果を受けて処理を行う ここでさらなる解析 変換 最適化を特定のプラットフォーム向けに行う場合もある そして 特定のプロセッサや向けにコードを生成する このフロントエンド ミドルエンド バックエンドという分割法を採用することにより 異なるプログラミング言語向けのフロントエンドを結合したり 異なる向けのバックエンドを結合したりできる この手法の具体例としてはコンパイラコレクションや がある これらは複数のフロントエンドと複数のバックエンドがあり 解析部を共有している フロントエンドはソースコードを分析して 中間表現または と呼ばれるプログラムの内部表現を構築する また シンボルテーブルを管理し ソースコード内の各シンボルに対応したデータ構造に位置情報 型情報 スコープなどの情報を格納する このような処理はいくつかのフェーズで実施される たとえば以下のようなフェーズがある バックエンド という用語は コード生成 という用語と混同されることが多い アセンブリ言語コードを生成するという意味で機能的にも類似しているためである 書籍によっては バックエンドの汎用解析フェーズと最適化フェーズを ミドルエンド と称してマシン依存のコード生成部と区別することがある バックエンドに含まれる主なフェーズは以下の通りである コンパイラ解析とは コンパイラ最適化の前に行われる処理で 両者は密接な関係がある たとえば依存関係解析はループ変換実施に重要な意味を持つ さらに コンパイラ解析と最適化の範囲は様であり 基本的なブロック単位の場合からプロシージャや関数レベル さらにはプロシージャの垣根を超えてプログラム全体を対象とすることもある 広範囲を考慮するコンパイラほど最適化に用いることができる ヒント が増え 結果としてより良いコードを生成する可能性がある しかし 広範囲を考慮する解析や最適化はコンパイル時間やメモリ消費のコストが大きい これは特にプロシージャ間の解析や最適化を行う場合に顕著である 最近の商用コンパイラはプロシージャ間解析 最適化を備えているのが普通である インテル マイクロソフト サン マイクロシステムズなど オープンソースのはプロシージャ間最適化を持たない点が弱点だったが これも改善されつつある 他のオープンソースのコンパイラで完全な最適化を行うものとしてがある コンパイラ解析と最適化には時間と空間が必要となるため コンパイラによってはデフォルトでこれらのフェーズを省略するものもある この場合 ユーザーはオプションを指定して明示的に最適化を指示しなければならない 以下のプログラムは中置記法で入力された四則演算を逆ポーランド記法を経て 独自の中間表現にコンパイルする言語で書かれた非常に単純なワンパス コンパイラである このコンパイラは中置記法を逆ポーランド記法にコンパイルすると共に ある種のアセンブリ言語にもコンパイルする 再帰下降型の戦略を採用している このため 各関数が文法における各非終端記号に対応している ウサギ 兎 兔 英 は 最も広義にはウサギ目 狭義にはウサギ科 さらに狭義にはウサギ亜科もしくはノウサギ亜科 の総称である ここでは主にウサギ亜科について記述する ウサギ目 ウサギ科についてはそれぞれを参照 現在の分類では ウサギ亜科には全ての現生ウサギ科を含めるが かつては一部を含めない分類もあった ウサギ目はウサギ科以外に トピック科と絶滅したプロラグスなどを含む 全身が柔らかい体毛で覆われている小型獣である 最大種はヤブノウサギで体長 毛色は品種改良もあって色も長さも多彩である 多くの種の体毛の色彩は 背面は褐色 灰色 黒 白 茶色 赤茶色 ぶち模様などで 腹面は淡褐色や白である 他の獣と比しての特徴としては 耳介が大型なことが挙げられる ウサギ目内では耳介があまり発達していない種でも 他の哺乳綱の分類群との比較においては耳介比率が大きいといえる 音や風のするほうへ耳の正面が向くよう 耳介を動かすことができる また 毛細血管が透けて見えるこの大きな耳介を風にあてることで体温調節に役立てるともいう 眼は頭部の上部側面にあり広い視野を確保することができ 夜間や薄明薄暮時の活動に適している 鼻には縦に割れ目があり 上部の皮膚を可動させることで鼻孔を開閉することができる 門歯は発達し 一生伸びつづける かつてはこの門歯の特徴をもってネズミと同じ齧歯目の中に位置づけられていた しかし 上顎の門歯の裏側に楔形の門歯があるものをウサギ目として独立した目分類がなされるようになった 齧歯目と近縁の仲間ではある 歯列は 順に 門歯 犬歯 小臼歯 大臼歯 上下は上下顎 で 計本の歯を持つ かつてネズミの仲間と分類されていたように 肉食であるネコやイヌとは異なる点が多く 多くの種のウサギの足の裏には肉球はなく 厚く柔らかい体毛が生えている 前肢よりも後肢が長く 跳躍走に適している 前肢の指は本 後肢の趾は本で 指趾には爪が発達する 体全体は丸みを帯び 尻尾は短い 盲腸は長い ストレスには非常に弱く 絶えず周囲を警戒している ウサギは一匹だけでいると寂しくて死ぬ という言葉を耳にする人が多いがこれは間違い ウサギは寂しいという感情で死ぬことはない 年の ひとつ屋根の下 のドラマのセリフで うさぎって寂しいと死んじゃう という言い回しが劇中ヒロインによって使われたことから広まってしまった は世界最大規模のウサギ協会 純血種を保護するため毎年ブリーダーや一般の飼い主が持ち寄ったウサギを品種ごとに基準を定め品評会を行っている 草原や半砂漠地帯 雪原 森林 湿原などに生息する アナウサギは地中に複雑な巣穴を掘って集団で生活する 縄張り意識は比較的強く 顎下の臭腺をこすりつける事で臭いをつけてテリトリーを主張する ノウサギは穴での生活はしない 食性は植物食で 草や木の葉 樹皮 果実などを食べる 一部の野生種は昆虫なども食べるという カイウサギであれば 屋外のアリなども舐めながら食べる 胎生 ネコなどと同じく 交尾により排卵が誘発される交尾排卵動物 妊娠期間は最長がユキウサギの約日で 多くの種は 日 一度の出産で 頭 ないしそれ以上 を出産する アナウサギは周年繁殖動物 繁殖期を持たない動物 に分類され 年中繁殖することが可能であり 多産で繁殖力が高い動物である ノウサギは春先から秋まで 長期的なゆるい繁殖期を持っている 天敵はキツネをはじめ小 中型の肉食獣 猛禽類 種類にもよるが 時速 で走ることができるという 声帯を持たないため滅多に鳴く事はないが 代わりに非言語コミュニケーションを用いる 代表的なものは発達した後脚を地面に強く打ち付けるスタンピングで その主な動機は天敵が接近した場合に仲間に警戒を促すためであるが 不快な感情を表す際にもこの行動をとる事がある ウサギの唾液には 衛生状態を保つ成分が含まれている 顔を前脚で覆うように撫でたり耳を撫でる仕草をみかけるが 前脚に予め付着させておいた自らの唾液を目的の部位全体に行き渡らせる事で衛生状態を保っているのである 特徴的な長い耳に代表されるように秀でた聴力を持つ一方で 視力には劣り 食物を食べる時に安全性を確認する場合も 視覚より嗅覚を駆使する ニンジンなどの根菜を食べるイメージがあるが 糖分が高く自然界では食べない 飼育環境下で少量与えられる程度である 主に食べるのはチモシーなどの牧草であるが チモシーにアレルギーを起こす人が居るので 時飼育で問題になる 時折 背を丸めて直接肛門に口を持っていき 口をモグモグとする行動を観察できるが これは 食糞行動 といい 未消化になった植物繊維等を含んだ糞を再度食べて消化と栄養の再吸収を促す行為であり 異常行動ではない 捕食される側である草食動物のため 家飼いする場合もその本能が残存しており 部屋の目立った場所に出ず カーテンの裏側 机の下 部屋の隅っこなどに陣取る事が多い ウサギはデリケートな生き物でもあり ペット飼育されているウサギにはストレスを感じた時に稀に自分の体毛を毟り取る行動が見られるが ほかのペット動物でもありうる事である 前歯が伸び続ける事も手伝い 家飼いする時 屋内のコードというコードを片っ端からかじってしまうことも多い 畳 木材家具に至ってはそのものを食べてしまうこともある 特に家電製品のコード類は感電の恐れもあるので なるべく手の届かないところに設置すべきである 排泄場所は きれい好きのため きちんとしつければ 特定の場所で排泄を行うようになる 隅で隠れられる場所に排泄場所を置くとよい 南極大陸や一部の離島を除く世界中の陸地に分布している ペットとして持ち込まれたものも多く オーストラリア大陸やマダガスカル島には元は生息していなかった 日本では 各地の縄文時代の貝塚からウサギの骨が出土することや 古事記の 因幡の白兎 などに登場することなどから そのころには既にかなりの数が棲息していたものと考えられる 灰色や褐色等の毛色を有し 積雪地帯では冬には白毛に生え変わる在来種ニホンノウサギは 日本の固有種として知られている また 絶滅危惧種であり国の特別天然記念物アマミノクロウサギは 世界でも奄美群島の一部のみに生息する 現生属のうち属 アマミノクロウサギ属 アカウサギ属 メキシコウサギ属 を ムカシウサギ属に含める説があった しかしこれは や の古い定義にもとづく措置で や からは異なる定義が使われており その新しい定義ではウサギ亜科に含まれる 実際 この属は分子系統の中でまとまった系統位置にない 野ウサギは昔から食料や毛皮 遊興などの目的で狩猟の対象とされている 特に欧米では ウサギのハンティングは文化的なスポーツとして扱われている 狩猟の際にウサギを追いかけるときは必ず斜面の上から追いかけると有利 逆に斜面を登る形で追いかけると不利とされている なぜならウサギの身体的特徴として後ろ足が長く前足が短いため ウサギは上り坂では体の傾き具合が水平になるため坂を上るのに強く 下り坂では前かがみのようになってしまうため坂を下るのは苦手だからである 上野公園にある西郷隆盛像は 愛犬 ツン をつれて趣味の兎狩りをしているときの姿である 狩猟や養殖によって得られたウサギの肉は 食用として利用されてきた 古代 マンモスなどの大型の獲物が少なくなるにつれ ウサギを始めとする小型ですばしっこい動物は 人類にとって重要な獲物となっていった ネアンデルタール人は このような小さな獲物を狩るための適応が出来なかったため 滅んだとの説がある ウサギは柔らかい食肉となる ウサギのフィレ ステーキという料理もあるが 頭のフィレ部分はホタテ貝の貝柱程度の寸法しかなく数頭分のフィレ肉を使うことになる 挽肉にすると粘着性が高いので ソーセージやプレスハムに結着剤として使われることがある 日本でも 古来より狩猟対象であり 食用とされてきた 縄文時代の貝塚から骨が見つかることはそれを示唆するものであると考えられ 江戸時代徳川将軍家では 正月の三が日にウサギ汁を食べる風習があったという 秋田県の一部地域では 日の丸肉 と呼ばれ 旅館料理として出されることがある この日の丸肉という名称は 一説によると 明治期に日本で品種改良されて定着した白毛に赤目の日本白色種が あたかも日の丸の色彩を具現化したような動物であったことによるともいわれる 明治期に入り 兎の輸入が始まる 兎の種類は肉用 ベルジアン バタゴニアン 毛用 アンゴラ 毛皮用 ヒマラヤン シベリヤン 愛玩用 ロップイヤー ポーリッシュ ダッチ がある ロップイヤーの平均体重は斤 である また秋田県の一部のマタギには ウサギの消化器を内容物と共に料理して食べる スカ料理 が伝わっている 欧州各地でも古来より食用とされ フランス料理では 伝統的に一般的な料理に使用するラパン とリエーヴル という区別で食肉として愛好されてきた ラパンはしばしば鶏などと同様に家禽類として扱われる 背肉から腿肉までが主要部位で 内臓肉としては腎臓 レバーなどを食べる 北米では ウサギ肉はフライ用 ロースト用 内臓 の等級に分類されている 生後週まで 体重 ポンドの肉はフライ用 体重 ポンド 月齢ヵ月までの肉をロースト用と定めている ロースト用はフライ用よりも肉が硬いとされている 肝臓や心臓なども食用にする ユダヤ教では ウサギは 清くない動物 すなわち非カーシェール とされ 食べてはならない動物に定められている 日本でも一部の地域 埼玉県 群馬県など 後述 において 妊婦が兎肉を食べることを禁忌とする考え方がある 倉林正次 日本の民俗 埼玉 第一法規 年 武藤典 群馬のたべもの みやま文庫 年 群馬県の俗信では 妊婦が食すとミツ口 兎口の赤子が生まれる とされ 食べさせない 狩猟や養殖によって得られたウサギの毛皮は 服飾品としても利用されてきた 防寒用として世界各地でその毛皮が用いられてきたほか 一種の装飾用としても用いられる また 毛皮としてではなく毛足の長いウサギの毛を羊毛のように刈り取って織物用の繊維として利用することも行われてきた アジア原産のアンゴラ山羊やアンゴラ兎をつかったモヘヤが知られているが 欧州ではアンゴラウサギという繊維利用専用の品種も作られた 日本でも 明治から太平洋戦争の時代にかけて軍需毛皮を生産する目的からウサギの飼育が盛んになり 日本アンゴラ種という品種が作られた 西洋では ウサギの足や尾は幸運のシンボルとして剥製化されて使用される ウサギの革を煮込んで得られる膠は テンペラ画の地塗りに用いられてきた アクリル絵具が発達した世紀初頭でもなお 古い絵画の修復に欠くことのできない材料である 家畜化されたアナウサギ カイウサギ が 実験動物として広く使われる ドレイズ試験 明治時代のウサギブーム ウサギバブル も参照 日本では明治時代に入り ウサギの売買や飼育が盛んになったことから 年 明治年 に東京府より 兎取締ノ儀 が布達された ウサギ一頭につき 円を科せられ 無許可で飼育すると円の罰金を科せられた ウサギの一種であるアナウサギを家畜化したものはカイウサギと呼ばれ 広く利用されている ペットとして人気の高いネザーランド ドワーフやロップイヤー 毛皮用にも使われるレッキス 日本で実験用によく使われるジャパニーズホワイトなど多くの品種があるが 分類学的にはアナウサギと同種とみなされ 学名も同じである 利用目的は毛用 肉用 愛玩用など多岐にわたる ペット用に品種改良されたものはしばしばイエウサギと呼ばれ 一般家庭での飼育も可能である 実験動物としては 薬品や化粧品の安全性試験や 医学研究のモデル生物として使われるが動物実験の結果をそのまま人間には適用できない事例もあるだけでなく 論理上の観点からも問題視されており 徐に動物実験を廃止する動きが広まりつつある 日本の大久野島 前島やニュージーランド オーストラリアでは逸出したカイウサギの野生化が起こっている オーストラリアでは 野生化したカイウサギが生態系や農業に与える悪影響が問題視されている 明治時代 その愛くるしさからウサギを飼う事が大流行し ウサギの価格が高騰 闇取引することが多く政府が取り締まるほどの一大ムーブメントが起きていた ウサギは生息域が広く昼行性で繁殖率も高く人の目にふれやすいため 親しみやすく 擬人化されて童話や説話のモチーフとして使われている 漫画やマスコット等のキャラクターとして登場する ピーター ラビットの作者ビアトリクス ポターは 自らが飼っていたウサギを詳細にデッサン スケッチして解剖学的にも研究して描いている 西洋東洋を問わず 子ども向け用品を扱う企業のマスコットやシンボルマークにウサギを使用している 日本から見た月面の模様は古くから餅つきをするウサギに見えていた事から日本には古来より ウサギが月に棲むという説話が仏教 道教説話あるいは民間説話として伝わっている たとえば 仏教的説話を多く題材にとる 今昔物語集 第五巻第十三話 三の獣 菩薩の道を行じ 兎身を焼く語 には 次のような捨身慈悲 滅私献身の象徴としてウサギが描かれる 以上が 今は昔 天竺に兎 狐 猿 三 みつ の獣ありて 共に誠の心を発 おこ して菩薩の道 どう を行ひけり に始まり 万 よろづ の人 月を見むごとに此の兎の事思ひいづべし で終わる説話のあらすじである 平安時代末期ごろに原型が成立したとされ 江戸時代には広く読まれていた 今昔物語集 に採録されたこの仏教説話は 釈尊の前世エピソードを集めた古いインドの物語ジャータカや中国の 大唐西域記 などの影響をうけているとみられる この仏教説話がいつごろ日本に伝わり各地に広まったかは定かではないが 奈良時代以前に作られた法隆寺玉虫厨子の台座絵背後の須弥山図では 帝釈天宮の右上に月 中におそらくウサギか蟾蜍 ひきがえる と 左上に真っ赤な太陽 中に三本脚の烏 がすでに描かれている また そのころに作られたとされる中宮寺天寿国繍帳にも 月を意味する円の中に 不老不死の薬壺と月桂樹の枝とともにウサギが刺しゅうされている なお 中国由来の道教の神仙思想において 月は西王母という仙女が治める世界であり そこでは永久に枯れない木 月桂樹 のもとで不老不死の薬をウサギが作っているとされ そこを訪れた美女がに変えられ月にとどめられているという説話がある 平安時代の 延喜式 には 三本足の烏 日之精也 白兎 月之精也 という記述がすでにみられ ウサギは月の象徴として為政者や日本の寺社でも認識されていたことがうかがえる 他にも 金烏玉兎 きんうぎょくと という言葉があるが 日本では江戸時代までは 太陽と月 すなわち全宇宙を天皇が統べるという意識のもと 朝廷のハレの儀式のときには日月を表す幟 のぼり を必ず立てることとしていた この幟には金烏と玉兎がそれぞれ太陽と月の象徴として描かれていたとされる また 続日本紀 天平年 年 正月の条に 御大極殿受朝 天皇始服冕服 とある この年の正月に聖武天皇は大極殿で朝賀を受けたが 天皇が 袞冕 こんべん という礼服を着用したのはこの時が初めてであるという内容であるが 以後 天皇の礼服となるこの袞冕 べん には 赤地の衣の左肩の部分に金糸の円 その中に黒の烏 右肩の部分に銀糸の円 その中にウサギと蟾蜍 を刺しゅうしてある 中国皇帝が黒地に左肩に月 右肩に太陽の礼服を用いていたことの影響と考えられる こうした月の象徴としてのウサギは 仏教 道教的背景を持つ意匠にとどまらず 日本の素朴な民間神事にもあらわれている 日本 中国 インド アイヌ 東南アジア アフリカなど各地に伝わる 射日神話 と呼ばれるものがある 本来なら 一つであるはずの太陽の数が増えすぎて猛暑大旱魃となり 困った人間たちは知恵を絞り 増えすぎた偽の太陽を射落とすというものである 日本でも各地で奉射祭 オビシャ オコナイなどともいう と呼ばれる弓神事が民間で行われてきた 現在でも 滋賀県や利根川下流域の茨城南部から千葉県などで広く行われているが 太陽に擬した的と月に擬した的を用意し 太陽に擬した的だけを 弓矢で射抜く行事である 太陽の的には三本足の烏が描かれ 月の的にはウサギが描かれることが多い ウサギは月の化身であり神聖なシンボルとして広く用いられてきたのである ウサギを 山の神 と同一視 あるいは 山の神の使い 神使 や乗り物とする伝承も日本各地に広くみられる 滋賀県高島郡では 山の神の祭日には山の神は白いウサギに乗って山を巡る 山の神は白ウサギの姿をしているとされ 京都府愛宕郡では氏神三輪神社境内に祭られる山の神の月の祭日には白ウサギが稲の種を蒔き 月の祭日には白ウサギが稲の落穂を拾うというので 白ウサギは決して獲ってはならないとされている また 福井県三方郡ではウサギは山の神の使いとされ山の神の祭日に山に入ることの戒めとともに伝わっている また 福島県では吾妻山の斜面の雪解け模様 溶け残った雪が白くある部分 を白いウサギの形に見立て 雪うさぎ あるいは 種まきウサギ と呼んで これを苗代の種まきの合図とした 福島市には 吾妻小富士の下の残雪がうさぎ形に見られる頃になると晩霜の心配がない という天気ことわざもあり また 日照りの際にトンビにさらわれたウサギが山の神となったという説話が伝わっている こうしてウサギが各地で山の神と同一視されてきたのは 人間の暮らす里と神や動物のいる山とを身軽に行き来することからの境界を超えるものとしての崇拝 多産で繁殖力に富むことから豊穣をつかさどる意味 そして東日本のノウサギは冬には毛皮が真っ白に変化することから白い動物を神性視する考え方 白鳥などを神性視する古来からの白への信仰 西日本のノウサギは白くはないのであるが突然変異で白くなった動物を瑞兆とした考え方 白蛇 白鹿 白亀などが朝廷に献上された例などにも見られる希少な白への信仰 などさまざまな背景があると考えられる また 月読命 豊産祈願 や大己貴命 大国主命 御食津神 五穀豊穣 などを祭神とする寺社ではその祭神の性格からウサギを神の使いとするところも多い 古事記 には大国主命に助けられるウサギの話として 因幡の素兎 の話が伝わっている ウサギは道教 陰陽思想の影響を受けた十二支の生肖のつでもあり 卯 う として暦時方角をもあらわしてきた ただし東南アジアではネコが取って代わる アングロ サクソンの多産と豊穣をつかさどる春の女神は その化身あるいは使いがウサギである ウサギは 冬に失われた生命が復活し草木が芽吹き花が咲く再生の春のシンボルである 卵は宇宙の根源のシンボルであり 宇宙は卵から生まれ 殻の上半分が天になり 下の部分が地になったことをあらわす 絵画等でも女神は必ずといっていいほどウサギを伴った姿で描かれ このウサギが良い子に卵をもたらすとされる 卵のほうは絵画にはあらわれないが ウサギと卵の関係について このウサギは女神が冬に翼の凍ってしまった鳥をウサギに変えたものなので 特別に鳥のように卵を産めるのであるとする話や ウサギが春色に塗り分けたきれいな卵をプレゼントしたところ女神が大変に喜び 皆にも配るよう命じたという話 ウサギが子どもたちを喜ばせるためにニワトリの卵を庭に隠して探させてみようとしたところ そのうしろ姿を子どもたちにみられてしまった話などが伝わっている 欧米では現在も春の祭りの日の余興として 子供たちや招かれた客があらかじめ招待主の隠しておいた庭の卵探しをすることがあるという 同様の話は オスタラ アスタルテー イシュタル イナンナ などの女神の名で欧州各地の神話伝説にあり さかのぼれば ギリシャのアフロディーテやローマのビーナスなどにも通じ 古代エジプト ペルシャ ローマなどでは春の祭りに卵に着色して食べる習慣が既にあったという のちに キリスト教が入ってきたときに キリストの復活と春を祝う女神信仰が 生命への希望 という共通点で結びつき エオストレ は復活祭 の名前の由来となった こうした経緯から キリスト教会で行われる復活祭 イースター では 生命と復活の象徴を卵とウサギに求めて イースターエッグやイースターバニーの名で行事にシンボルモチーフとして登場させる ただし 正教会においてはイースターエッグのみであり 異教の女神と色濃く結びつくイースターバニーのほうは排除されてしまった こうした背景の中で 米英を中心とする西欧世界ではイソップ物語や不思議の国のアリスなどに登場するウサギのように 秩序からはずれた存在をあらわす役目をあてがわれ あわて者 怠け者 異界へ誘う者 トリックスターとして描かれることも多い 天敵の多いアナウサギは生き残りのために発情期をなくして年中生殖行為が可能である 年中発情している獣はヒトとウサギ アナウサギ くらいであるというイメージから 性的誘惑のシンボルとしてウサギが選ばれ 大人の世界のディズニーランドというコンセプトを目指した米国の高級ナイトクラブであるプレイボーイクラブのウェイトレスの正式なコスチュームとして年に採用され カジノやバーなどで女性コスチュームに広く採用されるようになった 成人誌 でも 連動して年からオスのウサギの頭をデザインした ラビットヘッド がキャラクターとして用いられている ラビットフット 兎の足 という魔除けのお守りが 年代にアメリカのヒッチハイカーなどの間で局地的に流行したとされる その起源はケルトの一族が身に付けていた幸運のお守りであり ウサギの繁殖力を神聖視していた一族が ウサギの男根を象徴しているウサギの足のミイラを身に付けて繁栄を願ったものであったとされている このように古来からウサギは多産豊穣 繁栄のシンボルとして 洋の東西を問わず女性や子どもと関わりの深い動物であり 年代ごろから男性成人向けのキャラクターとしても用いられるようになった 今日の日本では 卯月が四月の春であること 月見をするのが現在は秋であることから イメージとしては春とも秋とも結び付けられている 俳句においては 野兎や雪兔は冬の季語とされている 動きの速いものの象徴として使われることもままある 種類によっても違うが ノウサギは 天敵から逃げ切るために時速 キロほどのスピードで走ることができる 人間の場合 走の世界記録保持者であっても時速にすればキロにも達しない しかも最高速が出るのは一瞬だけ ことを考えると いかにウサギが俊足であるかが分かる アナウサギの場合には 隠れる穴を用意してあるためそこまで早い速度で逃げる能力が発達しておらず 時速キロほどいわれている 変速機構において の意味でウサギとカメの絵が描かれる例は多く存在する 例えば建設機械の変速機構操作には規格としてウサギとカメの絵が描かれているほか ミシンの速度調節としてもウサギとカメが用いられている また日産自動車のブランド ダットサン の ダット の部分に関して 関係者のイニシャルとともに速く走ることのたとえである 脱兎 が由来になっているとされる 仏教世界においては献身のシンボルとされる これは仏教説話集ジャータカ の中に ウサギが身を火に投じて仙人に布施する物語 ササジャータカ があるためである ちなみに日本におけるモチーフとしてのウサギのところで前述したように 月面の模様をウサギに見立てることも ここからきている 神道世界においては神の使いとされることがある 大阪の住吉大社 埼玉の調神社 京都の岡崎神社などの神使として知られている 調神社や岡崎神社には狛犬ではなく狛ウサギがある 縁起の良い動物として 企業や団体のシンボルマークに用いられることも多い わらべうたとして うさぎ うさぎ 何見て跳ねる 十五夜お月様 見て跳ねる 成立年作詞作曲不詳 と古くから歌われてきたし ウサギは昔話にもよく登場する身近な動物であった 日本の昔話としては ウサギが機智を働かせて悪の象徴であるタヌキを懲らしめる かちかち山 型の説話がよく知られており そこではウサギは知恵のあるもの あるいは悪を懲罰するものとして存在している 一方 タヌキとウサギとキツネのぼた餅分け という民話では ウサギはタヌキとともに 狡猾なキツネに騙される役柄となっている 西欧のイソップ物語を原型して明治以降に広められた ウサギとカメ の説話では 得意分野で相手を侮って破れた愚か者として描かれる そのほか 月への民間信仰との関わりもあってか その愛らしい姿をデザインしたものは古くから安産 女性や子供の守り神として広く受け入れられ 郷土玩具その他さまざまな道具の意匠に用いられてきた 他にも 謡曲 能 で 竹生島 ちくぶじま で 月海上に浮かんでは 兎も波を奔るか 面白の島の景色や と謡われたことなどから 江戸時代には波の上を跳ねるウサギが瑞祥文様として庶民の着物文様や建築意匠に使われている 兎の異体字 兔 を表す コードはであり バイトめが すなわちバイト文字における あるいは に該当する通称 ダメ文字 の一つである バイト文字には しばしば特殊な機能が割り当てられているため マルチバイト文字が入力されることを想定していない または想定していても対応に不備がある プログラムは マルチバイト文字に含まれているを誤認識し適切に動作しない可能性がある ウサギの日本語における助数詞は かつて羽 羽と鳥と同様の 羽 わ を使用していた この由来には諸説あるが おもに以下のようなものがある 羽 は哺乳類ではなく鳥類を数えるときの助数詞であり 頭 は人間よりも大きな動物 匹 は人間よりも小さな動物に使うという傾向からすれば うさぎは 匹 と数えるのが自然であり 放送のことばハンドブック では 文学や食肉として扱う場合を除き 生きたウサギは 匹 を用いるのがふさわしいとしている 愛玩用のウサギは日常的には 匹 または 羽 であるが 商取引では 頭 が使われる場合もある なお 自然科学の分野では 動物全般について 動物の大きさで区別せず画一的に頭を使用するのが原則であり 鳥類や小さな昆虫でも 一頭二頭と数える のニュースにおいても生物学的な話題として報道する場合には 奄美大島に生息するクロウサギは 現在ではわずか頭が確認されているに過ぎない のように表現する場合がある ウサギを連想するような 白くて丸い形をした動植物に ウサギの名前が冠せられることがある たとえば 貝の中でも丸くて白っぽい貝はウミウサギガイ科と名付けられており ウサギを含んだ名がつけられている ウミウサギ マメウサギ ウサギアシカワボタンガイなど これらの貝殻はその外観の美しさから海のジュエリーとしてダイバーや貝殻愛好家からの人気も高い 月兎耳 つきとじ という植物の名は 白い毛で覆われた長楕円形の葉がウサギの耳を思わせることによる ウサギゴケという食虫植物の名は その白い花が見事に耳をぴんとたてたウサギの形をしていることによる バニーカクタスというサボテンの仲間の名は 新芽を出したときにそれが白いウサギのように見えることによる ウサギギクの名は 長楕円形の葉がウサギの耳を思わせることによる また 兎馬 ウサギウマ はロバを意味するが これはロバの大きな耳がウサギを思わせることからきていると考えられる 動植物の名づけをする際に既知の概念としてウサギが用いられたということは それだけウサギが親しまれておりその特徴とともによく知られた存在であることの証左である 彗星 すいせい は 太陽系小天体のうち おもに氷や塵などでできており 太陽に近づいて一時的な大気であるコマや コマの物質が流出した尾 テイル を生じるものを指す 彗星は 尾が伸びた姿から日本語では箒星 ほうきぼし 彗星 帚星 とも呼ばれる 英語ではコメット と呼ばれる 天体写真が似るため流星と混同されがちであるが 天体観望における見かけの移動速度は大きく異なり 肉眼による彗星の見かけ移動は日周運動にほぼ等しいため 流星と違い尾を引いたまま天空に留まって見える 彗星と小惑星とは コマや尾の有無で形態的に区別するため 太陽から遠方にあるうちは 彗星は小惑星と区別がつかない 彗星は 太陽からおおよそ 天文単位 以内の距離に近づいてから コマや尾が観測されることが多い その位置は火星軌道と木星軌道のほぼ中間にあたる 太陽に近づく周期 公転周期 は 約年から数百万年以上まで大きな幅があり 中には二度と近づかないものもある 軌道による分類の節を参照のこと 彗星が太陽に近づいた時に放出された塵は流星の元となる塵の供給源となっている 彗星の中には肉眼でもはっきり見えるほど明るくなるものもあり 不吉なことの前兆と考えられるなど 古くから人類の関心の的となってきた いくつかの明るい彗星の出現の記録は古文献などに残っている 古代ギリシアの時代から長い間 彗星は大気圏内の現象だと考えられてきたが 世紀になって 宇宙空間にあることが証明された 彗星の性質などにはいまだに不明な点も多く また近年は太陽系生成論の方面からも大きな関心が寄せられ 彗星の核に探査機が送り込まれるなど 研究 観測が活発に続けられている 彗星には 発見報告順に最大人まで発見者 個人またはチーム プロジェクト の名前がつけられる 彗星を熱心に捜索する コメットハンター と呼ばれる天文家もいるが 世紀末以降は多くの彗星が自動捜索プロジェクトによって発見されるようになっている 彗星の本体は核と呼ばれる 核は純粋な氷ではなく 岩石質および有機質の塵を含んでいる このことから 彗星の核はよく 汚れた雪玉 に例えられる 核の標準的な直径は キロ程度で 小さく暗いものでは数十メートル 非常に大きいものでは稀にキロほどに達する 質量は 大きさによってかなり異なってくるが 直径キロ程度の彗星で数十億トン単位 キロ程度の彗星で数兆トン単位であると考えられる これは 地球の山つ分ほどに相当する 自らの重力で球形になるには質量が足りないため 彗星の核は不規則な形をしている 氷の構成成分を分子数で見ると たとえばハレー彗星の場合 近くは水 で 以下量の多い順に一酸化炭素 二酸化炭素 アンモニア メタン と続き 微量成分としてメタノール シアン化水素 ホルムアルデヒド エタノール エタン などが含まれる さらに鎖の長い炭化水素やアミノ酸などのより複雑な分子が含まれる可能性もある 双眼鏡や望遠鏡で見たときに青緑色に見えるのは これらの微量成分が太陽光で解離してできる 炭素がつつながったもの やなどのラジカルの輝線スペクトルが強いためである 年には の探査機スターダストによるミッションで回収された彗星の塵から アミノ酸のグリシンが発見されたことが確認された 塵の成分はケイ酸塩や有機物を始めとする炭素質である ケイ酸塩は結晶質と非晶質の両方を含む 通常 ケイ酸塩が結晶化するには数百度の高温が必要であり 彗星は 低温でできる氷と高温でできるケイ酸塩結晶が混じり合っている点で珍しい 彗星の核は 太陽系に存在する物体の中でもっとも黒い天体である 探査機ジオットは年にハレー彗星の核に接近し 核の光のアルベド 反射能 が しかないことを発見した また探査機ディープ スペース号も年にボレリー彗星に接近して観測を行い 核の表面のアルベドが から 程度しかないことを発見した これは 月やアスファルトの光のアルベドが なのと比較するとかなり小さい値である 複雑な有機化合物がこのような暗い表面を構成していると考えられている 太陽によって表面が熱せられると揮発性の化合物が 特に黒っぽい傾向のある長鎖の化合物を残して蒸発して飛び去ってしまい 石炭や原油のように黒くなる 彗星の表面が非常に黒いため 熱を吸収して外層のガスが流出する 太陽から遠いところでは 低温のため核はすべて凍りついており 地球上から見てもただの恒星状の天体にしか見えない しかし 彗星が太陽に近づいていくと 太陽から放射される熱によってその表面が蒸発し始める それにともなって発生したガスや塵は非常に大きく きわめて希薄な大気となって核の周りを球状に覆う これはコマと呼ばれる これは 髪 という意味であり 実際に古くは日本語訳されて 髪 と呼ばれることもあった コマの最外層は水素のガス雲となっており 水素コロナと呼ばれる そして 太陽からの放射圧と太陽風により 太陽と反対側の方向に尾が形成される 尾には ダストテイル 塵の尾 という 塵や金属から構成された白っぽい尾と イオンテイル イオンの尾 またはプラズマテイルという イオン化されたガスで構成される青っぽい尾がある ダストテイルは曲線状となる これには 核から放出された塵が独自の軌道で公転するようになり 徐に核本体から遅れていくため また 太陽の自転により太陽風が渦巻いていたり 太陽の光の圧力 光圧 の影響なども受けていたりするためなどの理由がある 年のマックノート彗星や歴史上の大彗星のいくつかでは 何本もに枝分かれしたダストテイルが扇状に広がって見えた これに対しイオンテイルは ガスが塵より強く太陽風の影響を受け 太陽の引力よりも磁場に従って運動するため 太陽のほぼ反対側に直線状に伸びていく ただし 太陽風の乱れによって 時には折れ曲がったりちぎれたりするなど 激しい変化を見せることもある なお 地球が彗星の軌道面を通過するとき 彗星の曲がった塵の尾と地球との位置の関係で 尾の一部が見かけ上太陽の方向に伸びているように見えることがあり アンチテイルと呼ばれる アラン ローラン彗星 のアンチテイルは殊に有名である 実際には太陽に向かって尾が伸びているわけではなく あくまでも視覚上の錯覚である アンチテイルの観測は太陽風の発見に大きく貢献した コマや尾は 核に比べて非常に規模が大きくなる コマは水素コロナを含めると 時には太陽 直径約万キロ よりも大きくなることがある また 尾も天文単位以上の長さになることがある 年春に明るくなり 観測史上もっとも尾が長く伸びた百武彗星では 尾の実長は実に 天文単位 億 万キロ にも達した コマと尾はどちらも太陽に照らされ 太陽系の内側に入り込んでくると地球から肉眼で見えるようになることもある 塵は太陽の光を直接反射し ガスはイオン化されるため明るく輝く ほとんどの彗星は暗すぎて望遠鏡がなければ見ることができないが 年に数個ほどは 肉眼でも充分見えるほどに明るくなる 彗星は 太陽を焦点のひとつとする楕円 放物線あるいは双曲線の軌道をとり 軌道によって分類される 離心率がより小さい楕円軌道を持つ彗星は 太陽を周期的に周回するもので 周期彗星と呼ばれる 周期彗星が太陽の近くへ戻ってくることを 回帰 という 離心率がである放物線軌道 あるいは離心率がより大きい双曲線軌道を持つ彗星は 二度と戻ってこないと考えられ 非周期彗星と呼ばれる ただ 惑星や近傍恒星の重力や 非重力効果により 実際の彗星の軌道は不安定である 特に 周期数百年以上の彗星の楕円軌道は わずかな軌道の変化で周期が大きく変わるため 周期どおりに戻ってくるとは限らない また後述する通り 起源や特性からも 周期の長い周期彗星は非周期彗星に近い このような理由により 彗星を 周期彗星と非周期彗星ではなく 公転周期年未満の短周期彗星と 年以上の長周期彗星に分けることが多い その場合 周期彗星 という言葉は 短周期彗星と長周期彗星の両方を指す場合もあるが 特に短周期彗星のみを指して用いられる場合もある 周期彗星 長周期彗星 非周期彗星のつに分けることもある 短周期彗星はエッジワース カイパーベルト またはそれに隣接する散乱円盤天体を起源に持つと考えられ ハレー彗星以外に大型の彗星は少ない 一方 長周期彗星の起源はオールトの雲にあると考えられ 大彗星になるものが多い 特に 以前の観測記録がない大型の彗星は 太陽系の起源を知る上で重要な手がかりとなると考えられている 小惑星は比較的円に近い楕円軌道を描いているものが多いのに対して 彗星は非常に細長い楕円や放物線 双曲線の軌道をとるものが多い 軌道の離心率の値が大きい 彗星がなぜ極端な楕円軌道になるような摂動を受けるのかを説明するために さまざまな説が提唱されてきた 有名なものとして 銀河系の中の恒星が太陽の近くを通過したことにより オールトの雲を含む太陽系外縁天体の軌道がかき乱され その一部が太陽へと落下してくるとする説や ネメシスという太陽の連星 あるいは未知の惑星の存在を仮定して その重力的影響によるものだとする説などがある オールトの雲とエッジワース カイパーベルトはいずれも 太陽系の形成と進化の過程において原始惑星系円盤で形成された微惑星 または微惑星が集まった原始惑星が残っていると考えられている領域である 太陽から以遠では比較的凝固点の高い物質がすべて凍り 岩石質の物質の総量を上回るため 微惑星の主成分は氷になる オールトの雲は 主として木星や土星が形成される付近の軌道にあった氷小天体が 形成後の木星や土星に弾き飛ばされたものと考えられ 太陽系を球殻状に取り巻いている エッジワース カイパーベルトは太陽系外縁部の氷小天体が惑星にまで成長できずに残ったものと考えられており 黄道面を取り巻くようにして環状に広がっている したがって オールト雲起源の彗星の方がエッジワース カイパーベルト起源のものより形成温度が高いと考えられている 彗星は質量が小さく 軌道が楕円であるため 周期的に巨大な惑星に接近し その度に彗星の軌道は摂動を受け変わる 短周期彗星は 遠日点までの距離が 巨大な惑星の軌道半径と同じになるような強い傾向が見られる これらはその惑星の名を取って木星族 土星族 天王星族 海王星族の彗星などと呼ばれる その中でも 木星の軌道付近に遠日点を持つ木星族の彗星が特に多い オールトの雲からやってきた彗星は しばしば巨大な惑星に接近し 重力の強い影響を受ける 特に木星は ほかの惑星をすべて合計したより倍以上大きな質量を持っているため 非常に大きな摂動を彗星に与える なお もし木星や土星のような巨大惑星がなければ 現実より多くの彗星が太陽系中心部に侵入し 一部は地球と衝突していただろうという説がある 惑星の居住可能性 また 重力的な相互作用により軌道が変わったため 過去数十年や数世紀の間に発見された周期彗星のうち その彗星が将来どこに現れるか予測できるほどよく軌道が定まっていなかったいくつかが見失われている しかし時折 新 彗星の過去の軌道をさかのぼることにより 古い 見失われた 彗星と同一だと判明することがある その例として テンペル スイフト 彗星 が挙げられる この彗星は年に発見され テンペル スイフト彗星 と命名されたが 木星の摂動により軌道が変わり 年以降見失われていた しかし年 が偶然発見した 彗星 が 発見後しばらくしてテンペル スイフト彗星と同一の天体だと判明し 年ぶりの再発見が認定されるとともに 名前がテンペル スイフト 彗星に変更されることとなった 彗星の軌道に関する特徴のひとつとして 軌道面の傾き 軌道傾斜角 が非常に大きいものが多いということが挙げられる 太陽系の惑星は 軌道傾斜角はおおむね数度程度 大きくても度以内に収まっている また小惑星も 度から度程度まで傾いているものは多いが 軌道傾斜角がある程度小さいものが多い傾向はある 短周期彗星も 惑星の摂動により軌道を変えられた影響もあって 軌道傾斜角が小さいものが大半を占める しかし 長周期彗星は 黄道面とほとんど垂直な軌道を持ったもの 軌道傾斜角が度前後 や 惑星や大半の彗星 小惑星と逆向きに公転しているもの 軌道傾斜角が度であるとも見なせる も多く ほとんどランダムに空のどこからでも現れるように見える これは オールトの雲の分布が球殻状であると推定する根拠になっている 彗星の明るさ すなわち光度は 恒星と同じように等級を単位として表される しかし 彗星は恒星と違って核 コマ 尾などの構造があり それぞれ明るさがあるため すべての部分を含んだ明るさを全光度 核だけの明るさを核光度と呼び区別する したがって コマや尾がほとんど発達していない状態の彗星では全光度と核光度は等しく 逆に大きく発達している場合は核光度より全光度のほうが明るくなることになる 彗星には 中心核が特に明るい すなわち中央集光が強いものも 逆に特に明るい部分がなく非常に拡散しているものもある 彗星の明るさを測定するには 近くにある恒星と比較することになる コマや尾が発達していない恒星状の彗星では 変光星や小惑星の場合と同じように 比例法と光階法という方法を用いる しかし コマや尾が発達している場合 同じ明るさでも点光源と面光源では明るさが違って見えてくるため 単純に比較することはできない このため 彗星の明るさを憶えてからピントをずらして基準星が同じ大きさに見えるようにし 明るさを比較するシジウィック法 法 法 わざとピントをずらし 彗星と比較星が同じ大きさに見えるようにしてから明るさを比較するボブロフニコフ法 法 法 彗星が均一な明るさに見える程度にピントをずらしてから明るさと大きさを憶え 基準星が同じ大きさに見えるまでぼかしてから覚えた彗星の明るさと比較するモーリス法 法 法 などの方法が用いられる 核光度も 全光度と同様に測定する 測定された彗星の光度は 観測者の熟練の程度やその日の体調 観測器材の状態 観測状況 基準星の明るさの誤差など さまざまな要因により 観測者によって 等級以上ばらつく場合がほとんどである また カメラなどで写真を撮影し 近くの基準星を用いて専用ソフトで明るさを測定することもできる 肉眼で見た光度 眼視光度 と 写真で測定した光度 写真光度 は数等級ずれることもある 彗星の光度を正確に予測するのは非常に難しい 小惑星などの天体は通常 地球までの距離 地心距離 と太陽までの距離 日心距離 の乗に反比例して明るくなるが 彗星の場合は太陽に近づくと塵やガスが噴出し コマができたり尾が伸びたりするため 太陽までの距離の乗から 場合によっては乗以上に反比例して明るくなっていく 彗星の光度の予測には 一般に以下のような式 光度式 が使用される ここで は彗星の光度である は標準光度 または絶対光度と呼ばれ 彗星が太陽からも地球からも天文単位の距離にある時の明るさを表す また は地心距離 は日心距離をそれぞれ天文単位で表したものである また は光度係数と呼ばれる値で この値が大きいと光度変化は激しくなり 小さいと光度変化は穏やかになる 観測期間が長くなり観測データが多数集まってくると 専用ソフトウェアなどを用い 最小二乗法などの方法で標準光度と光度係数を求めることができる 発見からまもないなど 観測期間が短くデータも少ない場合は 光度係数をと仮定して明るさを予測することが一般的である 標準光度は彗星の規模によって大きく違うが 光度係数は から程度の間に収まるものが大半である しかし 核が分裂するなどの要因で活動が活発化し急激な増光 アウトバースト が起こった場合は光度係数がを越える場合もあるし アウトバーストが終わるなどで活動が衰えた場合や核が崩壊して消滅していく場合などは 光度係数が大きく負の値を取る場合もある ある本の光度式に常によく当てはまる光度変化をする彗星もあるが 活動の規模が途中で変化すれば当てはまる標準光度や光度係数の値も変化する しかし いつどのように活動が変化するかを予測することは非常に難しい 何回か回帰している彗星は 以前の記録を基にある程度予測が可能だが 初出現の彗星についてはほぼ不可能である また初出現の彗星は しばらく観測しないとどんな光度式が当てはまるのかも分からない 彗星の光度予想が難しいと言われるのはこのような理由による 彗星の軌道速度が速い場合 太陽系の内部に入ってきてそのまま太陽系の外部へ出ていく場合がある 大部分の非周期彗星がこの例にあたる また 木星など太陽系内のほかの天体による重力的摂動によって加速され 太陽系の外へ放出される場合もある 太陽への接近を繰り返すうちに徐に揮発性の成分が脱落していくが 崩壊 消失に至ることなく小惑星のようになる場合があり これを彗星 小惑星遷移天体や枯渇彗星核と呼ぶ そのような過程を経たと思われる天体や その過渡期にある天体もいくつか見つかっている 小惑星は彗星とは起源が異なり 太陽系の外側ではなく内側で形成されたと考えられているが ヴィルト第彗星からのサンプルリターンにより得られたサンプルが小惑星のものと似ていたことから 世紀初頭では彗星と小惑星の境界はやや曖昧になっている もっとも早期に発見された周期彗星のひとつであるビエラ彗星 は年の回帰時につに分裂し 次の回帰である年には双子の彗星となって現れたが その後は二度と出現しなかった その代わり 本来彗星が回帰するはずであった年と年に 時間あたりの出現数が数万個にも達する壮大な流星雨が観測された この流星群はアンドロメダ座流星群と呼ばれ 毎年月日前後に地球がビエラ彗星の軌道に突入するために起こる 世紀初頭ではほとんど出現はないが 稀に突発的な時間あたり数十個の出現が観測されることがある ビエラ彗星以降も 太陽からの輻射熱や物理的作用により 分裂あるいは崩壊 消失した彗星は 多数観測されている 彗星のさまざまな様相変化の予想は難しく 彗星核の崩壊や消失に関する理論的な研究はあまりなされていない しかし 国立天文台の福島英雄らの観測 研究グループによれば 近日点通過前の彗星頭部の崩壊前にきわめて特異なコマ形状を共通して示していることや 光度観測により色指数 の変化が特異であることが報告された 年春季天文学会 実際には彗星の頭部が字や字型からおむすびのような形に変化していき 集光も薄れ消失するのだという このモデルに合致した彗星としては たとえば彗星 が挙げられ 普通の彗星のコマと違い三角形の形状をしているという報告がなされた また ヘーニッヒ彗星 も同様な消滅過程だと報告された また 年のアトラス彗星も月下旬に分裂したと考えられる 分裂以前に考えられていた 月より明るい光度は 可能性としてはほぼ無に等しい 彗星の中には 太陽に飛び込む あるいは惑星やその他の天体に衝突するなど より劇的な最後を迎えるものもある 彗星と惑星や衛星との衝突は太陽系の形成と進化の初期にはありふれた出来事だったと考えられている たとえば地球の衛星である月の膨大なクレーターの一部は 彗星が衝突したことで形成されたと考えられている 地球にも約億年前の後期重爆撃期には数多くの彗星や小惑星が衝突した 多くの科学者は 後期重爆撃期に地球に衝突した彗星によって 地球の海を満たしている膨大な量の水のほとんど 少なくともかなりの割合がもたらされたと考えている しかし その理論を疑う研究者もいる 彗星に含まれる有機分子を探すことで 彗星や隕石が生命の前駆物質 あるいは生命自体さえも運んできたのではないかと推測されてきた 彗星の名前は 過去世紀にわたって いくつかの異なる慣習に従って決められてきた 系統的な慣習が採用されていなかった時代には 彗星の命名はさまざまな方法によってされていた 最初の周期彗星 であるハレー彗星は 彗星の軌道を決定したエドモンド ハレーの名前からとられた 同じように 番目の周期彗星 として知られているエンケ彗星は 最初の彗星の発見者ピエール メシャンではなく 軌道を決定した天文学者であるヨハン フランツ エンケの名前がつけられている クロンメリン彗星 も 同様に軌道計算をしたアンドリュー クロンメリンの名がつけられている 同じ発見者が複数の彗星を発見しても 名前で区別はされない そのため たとえば 彗星 という名前の彗星は を超える 彗星を一意に示すには 後述する符号を使う必要がある ただし 第彗星 第彗星などを末尾につけて区別することもある また 過去に出現した彗星が再発見された場合 彗星自体の発見が公表されたあとに過去の彗星と同定された場合には過去の彗星の名に再発見者の名前がつけられることもある 例としては バーナード ボアッティーニ彗星 などがある なお 発見の公表前に過去の彗星と同定された場合には再発見者の名前はつかない 例としては 年に板垣公一と金田宏が再発見し 発見の公表前に同定されたジャコビニ彗星 前述のようにジャコビニ彗星の名のある彗星は個あり そのうちのひとつ がある なお キロン など少数の彗星が 小惑星として発見され 小惑星の命名規則に基づいて命名されたあとに彗星であることが判明している 逆に見失われていた彗星が小惑星として再発見された例もあり 彗星としての名前のまま小惑星としても登録されている 彗星 小惑星遷移天体を参照 彗星の発見数が増加してくると この方法の運用に綻びが生じてきた 観測技術の進歩により年の発見数がを超え 仮符号に使うアルファベットが足りなくなり また近日点通過から年以上経って発見されるものも出てきて 確定符号の近日点通過順という原則も崩れてきた そこで年に国際天文学連合は新しい命名方法を採用し 年から実施された 符号は発見が報告された年 月 発見報告順を元にしてつけられる たとえば ヘール ボップ彗星の場合は シー オー と記載される なお 従来は発見者が発見した順に テンペル第彗星 ヴィルト第彗星 というように番号 接尾数字 がつけられていた 接尾数字と 公式通し番号の順とは一致しない が 年頭より新発見の彗星には接尾数字がつけられなくなり 年には過去の彗星からも接尾数字が廃止された 望遠鏡が発明される以前 彗星は夜空の何もないところから突然現れ ゆっくりと消えていくように観測された そのため 流星群や日食と同様に王の死や国の滅亡 災害 疫病といった出来事を予告する凶兆と信じられ 果ては地球の住人に対する天からの攻撃であると解釈されることすらあり 人はその出現を恐れた 世界各地で古代より彗星についての記録が残っている 紀元前年のバビロニアや ギルガメシュ叙事詩 ヨハネの黙示録 エノク書 といった書物で 落ちる星 として言及されているが これらは彗星もしくは火球について言及したものだと解釈されている 中国では特に多くの記録が残っており 紀元前よりハレー彗星の回帰が度記録されている 紀元前年ごろ 殷代末期の甲骨文に彗星と思われる記述が残されているが 確実な最古と言える記録は紀元前年の 春秋 に記されたものとされている ほか紀元前年 秦の始皇帝がハレー彗星を見たとする記録が 史記 に残されている ヨーロッパでは彗星は気象現象の一種だと考えられていたため 古い記録は中国ほど多くはないが 有名な例として年 イングランドのハロルド世が即位して間もない頃に 火の星 が現れ 従臣たちを怯えさせたことが アングロサクソン年代記 やバイユーのタペストリーに記録されており その直後に戦役が発生 王は戦死し国は征服された 日本では 年のハレー彗星の回帰に関する記述が 日本書紀 にみられる アリストテレスは 彼が著した最初の気象学の本 気象論 で彗星に対する見解を示し それが西洋の思想を年近くにわたって支配することになった 彼は 彗星は惑星であるか少なくとも惑星に関係する現象であるという それまでの学者の説を否定し天文現象ではなく気象現象と考えた その根拠は 惑星の動く範囲は黄道帯の中に限られるが 彗星は空のあらゆるところに現れるというものであった その代わり 彼は彗星を大気の上層部で起こる現象だととらえ そこは温度が高く 乾いた蒸気が集まり時勢いよく炎が燃え上がるのだと考えた 彼はこの仕組みは彗星だけでなく 流星や オーロラ そして天の川の成因にさえなっていると考えた その後 この彗星に対する見方に反論する古代の学者が少数だがいた ルキウス アンナエウス セネカは 彼の著書 自然研究 において 彗星は空を規則的に動き 風に邪魔されることがなく 大気中の現象よりは天体に典型的な運動をすることを述べていた 彼はほかの惑星が黄道帯の外に現れることがないことを認めつつも 天球上のものに関する人間の知識は限られているため 惑星のような物体が空のあらゆるところに現れる可能性を否定する理由はないとした しかし アリストテレスの立場のほうが影響力が大きく 彗星が地球の大気圏外にあるということが証明されたのは世紀のことであった 彗星が宇宙空間にあるということは証明されたが 彗星がどうやって空を移動しているのかという疑問は その後 数世紀にわたって議論の中心になるように思われた ヨハネス ケプラーが年に 惑星の軌道は楕円軌道であると決着をつけたあとでさえ 彼は惑星の運動を支配している法則 ケプラーの法則 がほかの天体にも影響を与えていると信じるのを躊躇した 彼は彗星は惑星の間を直線軌道で運行していると信じていた ガリレオ ガリレイは 地動説を唱えたニコラウス コペルニクスの擁護者であったにもかかわらず ティコによる彗星の視差の測定結果を受け入れず 彗星は地球大気の上層を直線状に動くというアリストテレスの考えを支持し続けた ただし ケプラーの師ミヒャエル メストリンは彗星の軌道が直線からわずかにずれることを観測で確認しており ケプラーも自身の説を発表するにあたって師のデータを改竄せず その理由について 地球の運動のため との 誤った 考察を与えている ケプラーの惑星の運動の法則が彗星にも適用されるべきだと初めて提案したのはウィリアム ローワーで 年のことであった その後 数十年間 ピエール プティ ジョヴァンニ ボレリ アドリアン オーズー ロバート フック そしてジョヴァンニ カッシーニなどを含むほかの天文学者たちは 彗星は太陽の周りを曲線状の軌道 楕円軌道か放物線軌道を描いて運行しているという説を唱えたが その一方 クリスティアーン ホイヘンスやヨハネス ヘヴェリウスは 彗星は直線運動をしているという説を支持した この問題は 年月日にゴットフリート キルヒが発見したキルヒ彗星によって解決された ヨーロッパのいたるところで 天文学者たちはこの彗星の位置を観測し続けた 年 アイザック ニュートンは彼の著書 自然哲学の数学的諸原理 プリンキピア において 万有引力の逆乗の法則の影響下で運動する物体は 軌道の形が円錐曲線の一種になるということを証明し 天空における彗星の運動が放物線軌道とどのように適合するかを 年の彗星を例にして具体的に説明した 短い周期を持ち 歴史上の記録に何度も登場するような彗星の中で ハレー彗星はどの出現でも肉眼で見えるほどの明るさになったという点で特異である ハレー彗星の出現の周期性が確立して以降 数多くの周期彗星が望遠鏡を使って発見されてきた 番目に発見された周期彗星はエンケ彗星 公式な符号は である 年から年までの期間中 ドイツの数学者 物理学者のヨハン フランツ エンケは 年 年 年 年に観測された一連の彗星の出現から軌道を計算し これらは同一の彗星であるという結論を下し 年の出現を予言するのに成功した 年までに 個の彗星について回以上の近日点通過が観測され 周期彗星として確認された 年までに 個以上の彗星について周期彗星としての識別に成功しているが そのうちのいくつかは消滅したり見失われたりしている アイザック ニュートンは 彗星を固く締まった頑丈な固体だとした つまり非常に長い楕円軌道を描き その軌道と方向がかなり自由な惑星の種であって その尾は 太陽熱で着火または加熱された頭部 つまり彗星の核から放出された非常に希薄な蒸気だと考えていたのである また ニュートンにとっては彗星は 惑星の水分と湿気を維持するために不可欠なものだと思われた つまり 彗星の蒸気と放出ガスが凝縮したものから 植物が生まれ腐敗し乾燥した土になるために使われるすべての水分が再供給 補充されるとした ニュートンは すべての植物は液体から増え それが腐敗して土になると考えていたためである だとすると乾いた土の量は絶えず増加するため その惑星の水分は絶えず供給されていない限り絶えず減っていき ついにはなくなるはずだと考えたのである ニュートンは われわれの空気のもっとも精妙で最上の部分を構成する 生命とすべての存在に絶対不可欠な精気が 彗星によってもたらされるのではないかと考えた また 彼の推測によると 彗星は太陽に新しい燃料を補充しており その発光体からすべての方向に絶えず送られる流れによって太陽の光を回復させているとした しかし 彗星に関連したほかの発見により 世紀近くこれらの説はほとんど忘れ去られていた 年から年の期間中 イタリアの天文学者ジョヴァンニ スキアパレッリはペルセウス座流星群の軌道を計算し 軌道の類似性から スイフト タットル彗星の塵がペルセウス座流星群の原因であるという仮説を立てた 彗星と流星群との関連は 年に劇的な形で示されることとなった ビエラ彗星を原因とする 激しい流星群の活動が観察されたのである ビエラ彗星は 年の回帰でつに分裂したのが観察され 次の年の回帰以降はまったく観測されなくなっていた彗星である これを基にして 彗星は表面を覆う氷の層と 緩く堆積した小さな岩石のような物体から構成されているとする 彗星の構成の 砂利の堆積 モデルが現れた アメリカ航空宇宙局 の打ち上げた は 当初のミッションを終えたあとにと改名されて地球の重力圏を離れ 年にジャコビニ ツィナー彗星に接近し 彗星への近接探査を行った最初の宇宙探査機となった 翌年には 日本の宇宙科学研究所 欧州宇宙機関 ソ連 東欧宇宙連合 が打ち上げた計機の探査機にを加えた機 通称ハレー艦隊が連携してハレー彗星の核を観測した のジオットが核を撮影したところ 蒸発する物質の流れが観測され ハレー彗星は氷と塵の集まりであることが確かめられ ホイップルの説が実証された ジオットは年にもグリッグ シェレルップ彗星に接近 観測を行った その後の宇宙飛行ミッションは 彗星を構成している物質についての詳細を明らかにすることを目標に進められている 年月日に打ち上げられた探査機スターダストは 年月日にはヴィルト第彗星に接近して核を撮影するとともにコマの粒子を採取し 年月日に標本を入れたカプセルを地球に投下した 標本の分析により 彗星を構成する主要元素の構成比から 彗星は太陽や惑星などの原材料物質であることを示すとともに 高温下で形成されるカンラン石やなどが発見された 高温下で形成される物質は従来の説で彗星が生まれたとされる領域で形成されたとは考えにくく 太陽に近い場所で形成された物質が彗星が形成された太陽系外縁部まで運ばれてきた可能性や 従来の説よりも彗星が形成された場所が太陽に近い場所であった可能性など 彗星の形成理論の再構築が必要となる可能性がある 望遠鏡がなかった時代 彗星の発見はもっぱら肉眼によるものであった 年に望遠鏡が発明されると それによって 肉眼では見えないような暗い彗星を発見することができるようになった やがて 望遠鏡や双眼鏡を駆使して 彗星の捜索を精力的に行う コメットハンター と呼ばれる天文家が現れた 後述のような自動探査プロジェクトが 電子機器の発達などによって 技術的に可能になった世紀最末期に至るまで 彗星や小惑星の新発見はこうしたアマチュア天文家に深く依存していた 地球近傍天体捜索プロジェクトなど 以下のプロジェクト名の中には定訳がないものもあるのに注意 毎年数百個の小彗星が太陽系の内側を通過していくが そのうち世間一般の話題となるような彗星はきわめて少数である 大体年に個前後 あまり夜空に関心がない人でも気づくほど明るくなるような彗星が現れる そのような彗星はよく大彗星と呼ばれる 過去には 明るい彗星はしばしば一般市民にパニックやヒステリーを引き起こし 何か悪いことの前兆と考えられた 世紀に入ってからも ハレー彗星の年の回帰の際に 彗星が地球と太陽の間を通ることから 彗星の尾によって人類は滅亡する というような風説が広まった この当時 すでにスペクトル分析によって 先述の通り 彗星の尾には猛毒の青酸が含まれていることが知られており また天文学者で作家でもあったカミーユ フラマリオンは 尾に含まれる水素が地球の大気中の酸素と結合して地上の人が窒息死する可能性があると発表した これらが世界各国の新聞で報道され さらに尾ひれがついて一般人がパニックに陥ったと言われる 日本では 空気がなくなっても大丈夫なようにと 自転車のタイヤのチューブが高値でも飛ぶように売れ 貧しくて買えないものは水に頭を突っ込んで息を止める練習をするなどの騒動が起きたとされているが 世界の終わりを信じた人はごく一部だったと受け取れるような記録もある いずれにせよ 実際には彗星の尾は地球の大気に影響を及ぼすにはあまりに希薄だった その後も 年にはオウム真理教の麻原彰晃がオースチン彗星 の地球接近によって天変地異が起ると喧伝したり 石垣島セミナー 年のヘール ボップ彗星 の出現時にはカルト団体ヘヴンズ ゲートが集団自殺事件を起こした しかし ほとんどの人にとっては 大彗星の出現は単に素晴らしい天体ショーである さまざまな要素により 彗星の明るさは予測から大きく外れるため 彗星が大彗星になるか否かを予測するのは難しいということはよく知られている 大まかに言うと もし彗星の核が大きく活発で 太陽の近くを通る軌道で もっとも明るいときに地球から見て太陽により不鮮明になっていなければ 大彗星になる可能性が高い しかし年のコホーテク彗星 は これらすべての条件を満たしており 壮大な彗星になると期待されたにもかかわらず 実際はあまり明るくならなかった その年後に現れたウェスト彗星 は ほとんど期待されていなかった コホーテク彗星の予報が大きく外れたあとだったため 科学者が慎重になっていた可能性もある が 実際は非常に印象的な大彗星となった 知られている数千もの彗星の中には とても変わったものもある エンケ彗星は木星の内側から水星の内側にまで入る軌道を回っているし シュワスマン ワハマン第彗星 は木星と土星の軌道の間に収まった軌道を回っている 土星と天王星の間を不安定な軌道で回っているキロンは 最初は小惑星に分類されていたが のちに希薄なコマが発見されたため 現在では彗星と小惑星の両方に分類されている 同様に シューメーカー レヴィ第彗星 も小惑星として発見された 近日点 遠日点がともに小惑星帯内にある彗星も複数見つかっており メインベルト彗星と呼ばれている 上記のキロンやシューメーカー レヴィ第彗星のように 最初は小惑星として発見された天体がのちに彗星だと判明する例が世紀末以降は増えている 逆に 発見時はわずかながらコマや尾が観測されたが のちの回帰の際は尾がまったく見られなくなっているアラン リゴー彗星 やウィルソン ハリントン彗星 彗星としての活動が観測されたことはまったくないが 流星群の母天体となっている小惑星ファエトンやオルヤトなどのような例もあり これらは揮発成分を使い果たした枯渇彗星核だと見られている その他の小惑星や 惑星の衛星の中にも 軌道や成分などから元は彗星だったと考えられるものがある 彗星によっては 短時間の間に急激な増光 アウトバースト を起こすことがある 特にホームズ彗星が年月下旬に起こした大増光は印象深い 日足らずの間に等から等級まで 約万倍 明るくなり 肉眼でも 明るい星 として容易に見ることができた その後 この増光で放出されたと思われるダストが球状に広がり その直径は太陽よりも大きく広がった ホームズ彗星は一時的に太陽系最大の天体となったのである 年に接近したハレー彗星も 後に突然増光が確認されている これもアウトバーストが原因ではないかと言われている 記録に残されたもの 残されていないもの問わず 多くの彗星の核が分裂するのが観測されてきた 年の回帰の際につに分裂し のちに流星群だけを残して消滅したビエラ彗星 参照 が有名な例である また シュワスマン ワハマン第彗星 は年の回帰時に個に分裂し その後さらに分裂 いくつかは消滅 して年には個以上の破片になっていた このほかにもウェスト彗星 池谷 関彗星 ブルックス第彗星 など 彗星核の分裂が観測された彗星は数多い 崩壊 消滅した彗星としては 年月に木星に衝突したシューメーカー レヴィ第彗星も有名である 参照 彗星自体が変わった性質を持っているものも多い 年に観測されたヒューメイソン彗星 は 近日点が約天文単位と遠かったため それほど明るい彗星ではなかったが また核の直径自体もおよそキロと 当時としてはかなり大きい部類に入る彗星でもあった 彗星は作家や映画製作者には人気のある題材であるが 氷の天体と言うよりも燃えている天体のように誤って描写されることも多い フィクションの中のハレー彗星については ハレー彗星 の項を参照 また 彗星が地球へ衝突する または衝突しそうになる という状況を描いた作品も多数存在する 西洋美術史 せいようびじゅつし では 西洋における美術の歴史について概説する 旧石器時代後期に入った頃より 実生活において有用に機能するとは考えにくい遺物 遺構が見られるようになり これらを総称して一般的に原始美術 先史美術などと呼称し 西洋美術史においては洞窟絵画や 獣骨などに刻まれた刻線画などがこれに該当する また 実用品からも動物や魚の骨などを原材料とした器物や石器類などに動物や魚類 木の葉などを写実的に模様化したものが残されており 美術の目覚めを感じさせる ただし これらを原始美術と分類し その地位が確立されたのは世紀に入ってからである 古いものはオーリニャック期に生み出されたとされ フランスの に描かれた山羊の洞窟絵画 スペインのに描かれた鹿の洞窟絵画などが知られている 動産美術としてはブラッサンプイで出土した象牙彫りの女性頭部像がある 人間を表した作品はたいていの場合裸体女性であり 子孫繁殖を祈念した宗教的意味合いが込められていたと推察される この時代の美術的特徴としては 単純な輪郭線による写実的な表現や生殖機能を強調した表現が挙げられる ソリュトレ期の洞窟絵画は発見されていないが マドレーヌ期 に入ると動物の体毛に応じた明暗の使い分けや 肥痩のある輪郭線を使用した表現力の増した洞窟絵画が出現するようになっている 有名なものとしてはラスコー洞窟やアルタミラ洞窟のものが挙げられる これらの洞窟絵画では野牛 トナカイ 馬 マンモス 鹿などの狩猟対象となった動物のモチーフが主となっていた このため これらの遺例はヨーロッパ大陸を拠点に生活を営んでいた狩猟採集民族の手によって作成されたものであり 彼らにとって重要 貴重なものを対象として造形的に再現したに過ぎず 後年の美術が獲得していった社会的機能は持っていなかったのではないか あるいは誰かに見せるために描いたものでは無いのではないかと考えられている 中石器時代には東スペインで興った様な動物と人間を描いた岩陰絵画 レバント美術 やスカンジナビア半島からロシアにかけて発達した岩陰線刻画 極北美術 が登場した 初期のものには写実的な表現でもって実物大に近い大きさを有しているものも見られるが 時代を追うごとに形像は小型化し 簡略化 形式化が進んでいる 新石器時代に入ると人類は土器の製作を始め 線状模様が土器表面に描かれるようになった この時代に洞窟絵画に見られるような絵画的美術が創出されたのかどうかは今となっては不明であるが 西洋美術史要説 では制作そのものが少なかったのではないかと推察している また 土地土地によって建設されたであろう木造住居は残されておらず 美術史的な立場からこの時代の建築遺物としては メンヒル ドルメン ストーンヘンジなどといった宗教的な意味を持っていたと考えられる石製構造物のみである 後世 世紀あたりになって 原始美術に影響されに繋がる ティグリス ユーフラテス川水域で開花したメソポタミア文明では 原始農耕社会の中で様な器形とユーモアな装飾モチーフを特徴とする彩文土器の出現が見られた 特にサーマッラー期やハラフ期の彩文土器は従来の幾何学文様に加えて特徴を極端に誇張した動物文様や人物文様などが加わり 社会の広がりと異なる文化との交流を示している 地域的な事情から石材が乏しかったことから大型の彫刻は制作されず 建築文化も煉瓦の使用やアーチ式建築の技法発達が見られた ここで誕生したメソポタミア美術は エジプト美術と並んで西洋美術史における始祖とも言える 紀元前年期に入る頃にはシュメール人たちによって神殿を中心とした都市が形成されるようになり 商業の活発化とともに絵文字などの伝達手段が登場するようになった 特にウルク期の中心的役割を担ったエアンナでは陶片によって壁面や柱がモザイク装飾された神殿が登場し 大理石を素材にした丸彫彫刻が数多く制作された 大理石が持つ白い肌触りと柔らかな質感は人間の肉感を表現するのにうってつけであり 素材に大理石を使用するという手段はギリシア美術へと継承された に入ると礼拝者や聖職者を象ったと思われる立像が制作されるようになり 同時に 政治的指導者の出現によって都市国家としての発展が見られるようになった 制作される美術品は写実的な表現が大きく発達し 素材も多様化して金 銀 ラピスラズリ 貝殻などが用いられるようになった また 叙述的な表現技法も見られ 戦争などの国家的な出来事も作品モチーフとして取り入れられるようになっている この時代の彫刻は エビー イルの像 に代表されるように 強調された大きな目を有していることに特徴があり エジプト美術にも影響を与えている セム人の侵攻によってアッカド王朝が樹立すると 自然主義的な傾向を有した作品が制作されるようになり 同時に 権力者を称えるような王権美術とでも形容すべき様式の確立がなされた アッカド王朝滅亡後 ウルクによるシュメール都市国家の統合がなされた頃には都市の再建に伴ってジッグラト 聖塔 が各地に建設され 宗教観の発展とともに建築分野の美術が大きく発達した ジッグラトは後に続くエジプト美術で建設されたピラミッドの原形となった 一方 メソポタミア北部のアッシリアでは バビロニアの占領支配によって固有の文化的発展を遂げ 美術作品においても他の地域にない独自性を有するようになった トゥクルティ ニヌルタ世の時代に入った頃から丸彫彫刻や浮彫彫刻などが数多く制作されるようになり 躍動感のある表現が見られるようになった また 地理的な環境と版図の拡がりから不透明ながらもアッシリアの美術はフェニキア美術やギリシア美術に一定の影響を与えたと考えられている アッシリア帝国滅亡後に誕生した新バビロニア帝国ではネブカドネザル世の手によって都市整備が進展し イシュタル門に代表される彩釉煉瓦で装飾された建造物が登場した その後 アカイメネス朝によって各地が統治されるようになるとメソポタミア エジプト ウラルトゥなどの美術様式を統合したが開花した 特に工芸の分野でその特質は顕著で 金銀象嵌などを駆使した精微な作品が数多く制作されている ナイル川流域で興ったエジプト文明は肥沃な大地を背景に大いに発展し 初期王朝時代にはエジプト美術の原型が誕生した エジプト美術の初期は の影響を受けたと考えられている 初期は蛇王の碑などに代表される浮彫彫刻や丸彫彫刻がさかんに制作され 既に技術 様式においてエジプト美術の独自性の原形が垣間見える ファラオの神権的権力が確立する古王国時代には葬祭複合体として古代史においても重要な建築物であるピラミッドがギザなどに建立された なお 従来の墳墓 マスタバ の概念を取り払い ピラミッドとして確立を見たのはジェセル王の時代であり 宰相イムヘテプによってサッカラに建立された階段ピラミッドがその嚆矢とされている 壁画においてはなど 動植物には写実的で精微な表現を有したものが数多く制作されているのに対し 人像表現は極めて形式的かつ概念的で 上半身は正面向き 下半身は真横からといった形態で表現されていることが多い これは 魚や鳥は死者の食料としての役割を担っており 生きの良さが重要だったのに対し 表された人は王侯に奉仕する労働力として永遠不動の形を要求するというエジプト独特の信仰から来る表現の違いであると推察されている 中央集権が瓦解し 中王国時代に入るとアメンエムハト世の時代に入るまで巨大建造物の造営は見られなくなり 代わってオシリス柱やハトホル柱など 独創的な形式を有する葬祭殿や神殿が出現した 彫刻においては第王朝期ごろから個性を写実的に捉える傾向を持った新しいテーベ様式が出現し 従来の伝統的なメンフィス様式とともに二大潮流を形成した しかしながら経済の停滞とともに制作傾向は大型石像彫刻から木製の小像へと変化している 新王国時代に入ると王権の強化とともにエジプト美術は絶頂期を迎え アモン大神殿やルクソール神殿など テーベを中心に各地で大型の造営事業が推進された とりわけ 第王朝期には従来の二大潮流の中に豪華な装飾性と色彩主義が加えられ 宮廷美術の新境地を切り開いた また アマルナの地に都を移したアメンホテプ世が唯一神アトンへの信仰に没頭したことから この時代に制作された美術作品は自然主義的な傾向が色濃く反映されており エジプト美術のなかでは異彩を放っている 宮廷美術として型にはめられ 厳格な形式性から解放されたことから リアリズム表現の技法が大いに伸張した 王女に口付けをするアメンホテプ世の彫刻画など 人間の感情や情愛をモチーフとした構図が採用され 表情や姿態に誇張的な表現がとられた この時代の美術をそれ以外の時代のエジプト美術と区別し と呼称する アマルナ美術は後世のエジプト美術にも大きな影響を与え ツタンカーメンの黄金マスクなどにおいても アマルナ美術の内観的な表現様式の名残が見て取れる エジプト美術の最大の特徴はその様式の不変性で 三千年に及ぶ悠久の時を経てもほぼ変わることなく一貫していることが挙げられる こうして連綿と継承された技術はその洗練性を高め 後期には沈浮彫りなどの高度に発達した特殊な技法が誕生している 一方でこうした不変性は社会的 歴史的基盤があって初めて成立する特殊な美術であったこともまた事実であり ギリシア美術のような影響力を他の美術に与えることはなかった しかし 末期王朝時代に入ると王国の衰退とともにエジプト美術も因襲的な模倣に終始し 他国からの影響を受けながらその独自性すら失っていった 紀元前年 アレクサンドロス世によってエジプト征服がなされると エジプト美術は形骸化し ギリシア美術の影響の中に消えていった アーサー エヴァンズのクノッソス発掘によって 地中海域で最初に開花したとされるクレタ美術 の解明がなされた 新石器時代末期から青銅器時代初頭にかけて キュクラデス諸島などで人体の特徴を簡潔に捉えた石偶や彩色土器 金属器などが制作されている 旧宮殿時代に入ると農業と海上貿易によって都市は経済的に大きく発展し マリア クノッソス アヤ トリアダなど各地に荘厳な宮殿が造営された 工芸品も数多く制作され カマレス陶器のような豪華なものも出現している 紀元前年頃に発生した大地震により一時は壊滅の危機に陥るが 新宮殿時代に入るとより複雑で豪華な装飾を持つ宮殿や離宮が建立された 自然と人類を見事に調和させ 自由闊達に描いた壁画が残されており こうした作風はペロポネソス半島で隆昌したミュケナイ美術へ受容 継承された 紀元前年頃に入ってミュケナイ人がクレタ島を征服すると ミュケナイ美術は最盛期を迎え 後のギリシア建築に大きな影響を与える建造物が複数建築された ミュケナイ美術は時代を経るに従って豊かな自然主義的作品から簡素化された装飾モチーフを用いた形式主義的作品へと変遷しており その理由については明らかになっていない その後 紀元前世紀頃のドーリス人大移動を境に衰退期へと移行し ミュケナイ美術はその幕を閉じることとなった 紀元前世紀中ごろ アテネのケラメイコスからミュケナイ陶器とは異なる特徴を持った陶器が出現した 黒線や水平帯によって区分した装飾帯に波状線や同心円文を配した構築的な装飾を持ったこれらの様式は原幾何学様式と呼ばれ ミュケナイ美術とは明確に区別されるようになった 紀元前年頃になるとこの傾向はより顕著に現れるようになり 紀元前世紀前半に登場したディピュロン式陶器はメアンダー文 ジグザグ文 鋸歯文 菱形文などを複雑に組み合わせた装飾が配されている こうした幾何学的な構想は陶器の文様に限らず テラコッタや青銅小彫刻などにおいても同様の傾向が見られ 動物や人間などの各部位を幾何学的形態に置き換えた後に全体を再構築するという過程を経て制作されており 有機的形態の分析による認識法や 部分均衡と全体調和によるギリシア美術固有の造形理念が見られる 以上のような経緯を経てギリシア美術は確立に至るが ヨハン ヨアヒム ヴィンケルマンが記した 古代美術史 に代表されるように ギリシア美術こそが西洋美術のはじまりであるとする言説も存在している その後 エジプト アッシリア シリアの東方から持ち込まれた工芸品を通じて ギリシア美術における装飾モチーフの表現領域が大きく拡大し ロータス ロゼットなどの植物文やスフィンクスなどの空想動物が用いられるようになった プロト コリントス式陶器やコリントス式陶器など こうした装飾モチーフを利用して制作された作品はギリシア美術の中でも特に東方化様式と呼称し 区別されている 一方 アテネでは叙事詩や物語への関心が高まったことによりこれらをモチーフとした陶器や彫刻が制作され これらはやがて神話表現へと昇華していくこととなった 紀元前世紀に入るとエジプト彫刻の影響で大掛かりな彫刻が制作されるようになり この頃作られた男性裸体像 は既に両足を前後させて体重を均等に支えるポーズをとっており ギリシア彫刻としての特徴が見て取れる ここまでに培われた表現基盤と技術的要素を背景として紀元前世紀中盤ごろよりギリシア美術において最も創造力に満ちたアルカイック美術が展開された 人体彫刻はより自然な骨格と筋肉をまとったものへと発展し 神殿建築分野ではこれまでの日干煉瓦や材木に代わって石材が使用されるようになり に代表される周柱式神殿が誕生した 紀元前世紀にはサモスのヘラ神殿やエフェソスのアルテミス神殿など イオニア式オーダーによるより巨大な神殿が建立されるに至り これに伴う建築装飾技法が大いに発達した 浮彫彫刻では静止像に動性を 運動像に瞬間の静止を表現できるよう試行錯誤が繰り返されるようになり その過程でアルカイックスマイルなどの立体表現が生み出された なお ギリシア美術で好んで使用された素材である大理石の色によってギリシア彫刻の特徴としてその 白さ が取り上げられることがあるが 制作当時はエジプトから輸入された顔料などを用いて鮮やかな彩色が施されていたことが近年の研究によって明らかになっている 陶器画の分野ではアッティカがコリントス式陶器の技法を吸収して黒絵式技法を確立し フランソワの壺に代表されるような 神や英雄の神話的場面を描出した作品が制作された アマシスやエクセキアスはこの技法をさらに洗練させ 前者は人間味溢れる神の姿を 後者は重厚な筆致で崇高な神の姿を描き出し 神人同形 アントロポモルフィズム という観念を確かなものとしている その後 黒絵式陶器画は赤絵式陶器画へと転換していき より細部にこだわった絵画的な表現がなされるようになった こうした技法発展の背景は 板絵や壁画といった新しい芸術表現に対する絵画的探究の表れだったのではないかと考えられている 紀元前世紀初頭に入ると やといった画家によって トロイアの陥落 マラトンの戦い などの神話歴史画が描かれ 大絵画というジャンルが確立するに至った 四色主義 テトラクロミズム という制約の下 形像の重複や短縮法といった技法を駆使することによって絵画上に奥行きのある空間表現を試みており 絵画 彫刻におけるギリシア美術の進むべき方向性を示したという意味で特筆すべき存在となった 彫刻分野の作品においては それまでの直立不動の姿態から支脚 遊脚の概念を取り入れたコントラポストへと変化しており やなどが制作された この時代 ペルシアを撃退し ギリシア世界の覇権を獲得したアテネは最盛期を迎え ギリシア美術もそれにあわせてクラシック時代という新しい領域へと突入することとなった ペリクレスによってアクロポリスの整備が推進され オリンピアのゼウス神殿やパエストゥムのポセイドン神殿で培った技術にイオニア的な優美さを付加したパルテノン神殿が建立される 彫刻分野ではパルテノン神殿の造営を指揮したフェイディアスによってアテナ パルテノスの黄金象牙像が制作された他 ポリュクレイトスによって体中線を字に湾曲させるなどの技法が生み出され コントラポストの極致が確立された 絵画の分野ではアポロドロスによって空間表現に不可欠な幾何学的遠近法 空気遠近法の融合化を図った作品が制作された その他 明暗技法に優れた才能を発揮したゼウクシス 性格表現と寓意的表現に優れていたパラシオスなどがギリシア美術における絵画の発展を牽引している クラシック時代後期に入ると個人主義が台頭し 美術界においても多大な影響を与えた 彫刻分野ではプラクシテレス スコパス リュシッポスが静像に内面性を付加させた表現技法を生み出すとともに 裸体女性像の価値を大きく引き上げることに貢献した アレクサンドロス世の宮廷彫刻家としても知られるリュシッポスは肖像彫刻の分野でも優れた作品を残しており 後世やローマ美術の彫刻家達に大きな影響を与えた 同じく宮廷画家であったアペレスは明暗法 ハイライト 遠近法を駆使した大絵画を創出し 古代最大の画家と評価されている アレクサンドロス世の死後 ヘレニズム諸王国が出現し経済活動 人口流動が活発化すると美術の産業化が顕著となった 富裕層の市民が住宅を壁画で装飾して彫刻で彩ることが流行化し 古典主義美術の伝統が一時的に途絶えることとなった こうした現象についてローマ時代の文筆家大プリニウスは 美術は紀元前世紀第四半期に滅亡し 紀元前世紀中頃に復興した としている 一方 イタリア中部に定着したエトルリア人は ギリシア美術の影響を受けつつも 独自の宗教観や社会制度を背景に独特の美術文化を形成した 一般には東方化様式期 アルカイック期 古典期 中間期 ヘレニズム期のつに分類されるが もっとも繁栄を見たのが紀元前世紀初頭から紀元前世紀前半にかけてのアルカイック期年間である 都市や建築の遺構は少ないが ギリシア美術で頻繁にモチーフとされた神話を描いた陶器などが出土している他 墓室壁画においては葬儀宴会 舞踏 競技 狩猟など日常生活に密着したモチーフが好んで選択されており エトルリア人独自の来世観を保持していたことが伺える 紀元前世紀から顕現したこうした兆候はヘレニズム期まで継続していた 彫刻分野も遺例が少ないものの 紀元前世紀末に活躍したはエトルリア人彫刻家として名が知られている特筆すべき人物で ヴェイオから出土した アポロン など イオニア彫刻の影響を強く受けたテラコッタ像を制作している 紀元前世紀初頭の古典期に突入すると政治 経済の衰退と共に美術的活動も新鮮味と活力が失われ 様式的にも停滞した しかし ヘレニズム期に入ると来世観に進展が見られ やといった魔神が墓室壁画のモチーフとして選択されることが多くなった 肖像彫刻においては写実性溢れる作品が好んで制作されるようになった 紀元前年 エトルリアに従属していた都市国家のひとつであったローマは 共和制を樹立し 周辺都市国家を征服しつつ紀元前世紀にはエトルリアをもその支配下に置いた その過程でエトルリア美術の影響は次第に薄れてはいったが 独自の美術を生み出すには至っていなかった 紀元前世紀に入るとサムニウム戦争や第一次ポエニ戦争などの影響により 戦利品として南イタリアのギリシア植民都市から大量の美術品が持ち込まれると その成熟された美しさに魅了され 第二次ポエニ戦争以降 ローマ下においてギリシア美術ブームが起こった これによりローマでは従来の伝統的なエトルリア美術と 外来 のギリシア美術がそれぞれ潮流を成し 社会に氾濫することとなった ローマ人の需要に応えるべく 創造性には欠けるが様な様式の彫刻を注文に合わせて制作すると呼ばれる一派が形成され アウグストゥスの庇護を受けて伸張した この影響で アウグストゥスの平和の祭壇 や プリマポルタのアウグストゥス といった高度な写実性を有する 洗練された古典主義的な美術品が数多く制作されている 建築分野では紀元前世紀前半ごろより ヘレニズム期のエトルリア美術を基盤としてローマ固有の建築様式を生み出していった 厳格な左右対称性やコリントス式柱頭の多用 内部空間の重視などがローマ建築の特徴として挙げられる 紀元前世紀前半に建設されたバシリカや紀元前世紀前半に建築されたコロッセウムなどは 新しい建築ジャンルとしてローマ美術における代表的な建造物としてしばしば取り上げられる また 建造物の壁面に描かれた装飾物についてもヘレニズム期の影響を受けるポンペイ第一様式からポンペイ第二様式と呼ばれる装飾法へ移行を果たし 神話的風景画などがさかんに制作された 帝政期に入ると歴代皇帝の事跡を誇示するかのような歴史浮彫が多数制作され 現代ではトラヤヌス帝の記念柱やコンスタンティヌス帝の凱旋門などがその遺構として知られている 同時に神話的な情景を主たるモチーフとしていた古典主義は衰退し 現実の情景を記した写実主義がもてはやされるようになった さらに 世紀中ごろからは主要人物をより強調して表現する傾向が顕著となり その影響は肖像彫刻などの他ジャンルへも波及した こうした自然主義の放棄と表現主義の台頭という変遷は この後のローマ美術がキリスト教美術へと変質化していく過程における重要な転換点として挙げられる 紀元世紀末から世紀はじめにかけて地中海沿岸の各地にローマ美術の流れを汲んだキリスト教美術が誕生した 以降キリスト教美術は年以上に渡って東西ヨーロッパにおける美術の中核を担っていったが キリスト教の誕生から世紀後半までの美術を初期キリスト教美術と呼称している 年に公布されたミラノ寛容令まではキリスト教に対して弾圧が繰り返されていたこともあり遺跡 遺品ともに残されているものが少ないが カタコンベ 地下墓所 の壁画や石棺彫刻といった葬礼美術にその特徴を垣間見ることが出来る 火葬と土葬が併用されていた古代ローマ時代からヘレニズム文化の影響を受けて土葬へと急激に転換したことが こうした葬礼美術が制作されるようになった要因の一つとされている キリスト教では偶像崇拝が禁じられていたことから 死後の魂の救済を願って描かれた初期の壁画は 構図やモチーフに異教美術からの積極的な借用が見られるものの 十字架の形を象徴する物やイエス キリストを意味する魚 よき羊飼いや祈る人といった寓意的な人物など 間接的または暗示的な信仰の表明が示されている 教義が出来上がり 教会体制が整うにつれて新約聖書や旧約聖書に語られている物語がモチーフとして選択されるようになった カロリング朝の時代に入るとカール大帝の手によって学問や芸術の奨励が始まり 美術史的観点において大きな躍進を遂げた 特に彫刻分野においては 北イタリアを中心に発達した組紐文を象徴的に用いた浮彫が各地へ伝播し 後のロマネスク美術の基礎を築いた 写本装飾の分野においてはメロヴィング朝時代に一時衰退した古典的な人像表現が復活し 装飾モチーフとして積極的に使用された その後 オットー世によって神聖ローマ帝国が築かれると 西欧文化の主導権を掌握し 文化的傾向の方向性を確たるものとした 建築分野におけるロマネスク美術の特徴は 重厚な石壁と暗い内部空間に表され 古代バシリカ式建築を基本に添えつつ 東西への方向軸を持った建造物が増加した これは 聖地巡礼を行う礼拝客の動線を配慮した結果発展した形態であると考えられている こうした形態を保持する教会堂を巡礼路聖堂と呼び トゥールーズのなどがその代表的建造物として挙げられる この時代 修道院は学問と美術の中心的存在を担っており 各会派は信仰の普及手段として教会堂の建設を推進した その表現手段は多様で シトー会派が図像を否定し 質素な美術を奨励したのに対し ベネディクト会派は豪華な素材を用いて美術の荘厳化に注力した 地方によって同じロマネスク美術建築でも特徴が大きく異なるのは 地域に対する会派の影響度の違いを示している また 後年のゴシック美術の建築と比較して壁面が多く 教会堂の天井や側壁には聖書や聖人伝を題材とした説話的な壁画が描かれた 地方によって細微な違いがあり もっとも西方的な様式を確立したのはフランスで その他の地域は大なり小なり東方的なビザンティン美術の要素を取り込んだ壁画が制作されている イタリアではカロリング朝の伝統を継承しつつも ビザンティン美術の範例を手本としながら力強い筆致で描かれているのが特徴で イタロ ビザンティン様式と呼ばれるこうした大構図壁画は やなどに残されている スペインでは東方的な色彩との影響によって カタルーニャ地方に独特のロマネスク美術が開花した また オットー朝の写本工房の影響力がドイツ南部 オーストリア スイス北部などではイタリア経由でもたらされたビザンティン美術の要素と融合を果たしたロマネスク美術が確立されている 工芸分野では十字架 装幀板 燭台 聖遺物箱 祭具といった宗教用具がさかんに作成され 古代の浮彫や彫刻技法を復活させたことに大きな意義を見出すことが出来る こうした丸彫像ではコンクの聖女フォワの遺物像がその先駆けとなった その他オットー朝の伝統を汲むドイツや北イタリアの諸工房では 象牙や金を素材とした工芸細工が数多く制作され フランスのリムーザン地方ではエマイユ工芸が発達し 聖遺物箱や装幀などが制作された また バイユーのタペストリーに代表される刺繍工芸が盛んになったのもロマネスク美術の特徴といえる ロマネスク美術の延長線上に位置付けられるゴシック美術は世紀半ばごろより始まり 人間的 写実的な表現を特徴とし ロマネスク美術の象徴的 抽象的な表現とは対照的な様相を呈している この変革の背景には社会環境の変化が大きな影響を与えたと考えられている 前時代は修道士や聖職者など 限られた人が文化の担い手であったのに対し 裕福な市民層や大学を拠点とする知識人などの台頭によってその範囲が拡大していったことが 美術の性格を変革させた一つの要因となっている こうした精神を如実に物語っているのが建築分野であり その先鞭はシュジェールによって行われた年のサン ドニ大聖堂改修工事である シュジェールは信仰を導く手段として 光 の重要性を謳い 尖頭アーチを用いた肋骨交差穹窿とステンドグラスを嵌め込んだ大窓を組織的に活用することで 新しい建築意匠を創出した この動きはすぐにサンス サンリス パリ ランなどフランスの周辺都市へ伝播し 同様の意匠を保持する大聖堂が相次いで建立された さらにはフランス人工匠の手によって国外へも波及し イギリスのカンタベリー大聖堂など 新規建築や改修時にゴシック建築の様式を取り入れたものが登場している また ロマネスク建築の重厚な石造天井は重量的な問題から 自ずと 高さ に対して限界が見えるようになり これを解消することを目的とした建築方式が誕生し 広く受け入れられることは必然であったとも言える 装飾彫刻もこうした動きと連動し 円柱人像などの新しい要素が誕生した これによって古来以降途絶していた塑像性が復活し 自然な丸みを帯びた人像表現へと発展していく嚆矢となった また 個の彫像が採用したモチーフを連関させ 全体としての合理性を持たせるといったことも試行されている こうした特徴もつ装飾彫刻の代表的なものとしては シャルトル大聖堂の 王の扉口 西側正門 などが挙げられる 連関思想は 次第に金属細工や彩色写本といった小型の美術品にも傾向として現出するようになった 並行して円柱人像の技法も発展し 世紀に入ると扉口浮彫から丸彫像への移行が見られるようになった 同時にゴシック彫刻の特長とも言える字型に捻った姿態 柔和な相貌 流麗な衣襞といった表現が確立し 古典主義的な思想を孕んだ作品が数多く制作された さらには世紀初頭にドイツで制作されたピエタの彫像のような凄惨な場面を主題とした彫刻作品も登場し 表現領域の拡張に大きな足跡を残した また 色彩芸術の分野ではステンドグラスによる主題表現が代表的で シャルトル大聖堂の 美しきステンドグラスの聖母 など 世紀から世紀にかけて制作された傑作が多数残されている 写本絵画では個人向けの聖書 詩篇集の制作がフランスやイギリスで活発化し 多くの写本画家がパリを拠点に活動を行っている 中でも ベルヴィル家の聖務日課書 を制作したは フランスの優雅な人物表現とイタリアの空間表現を融合させ パリ派写本と呼ばれる写本の新しい基準様式を確立させたことで知られる イタリアではビザンティン美術の影響が根強く ゴシック美術の浸透が遅れていたが やピエトロ カヴァリーニといった大構図壁画家によってビザンティン美術からの脱却が図られるようになり これを継承したチマブーエやジョット ディ ボンドーネ シモーネ マルティーニといった画家たちによって段階的に成し遂げられ 後世におけるルネサンスの礎が築かれた こうした画家の登場した時代を切り出してプロト ルネッサンス時代と呼称する場合もある また 絵画は世紀の後半から芸術において主導的な立場へ昇華した 西欧各地の宮廷に展開された絵画芸術は国際ゴシック様式と呼ばれ アヴィニョンで興ったシエナ派の流れを汲む 自然観察に基づく正確な細部の描写と豪奢な宮廷趣味を特徴としている イタリアのピサネロは国際ゴシック様式の代表的な画家であり エステ家の姫君の肖像 など 幻想性豊かな作品を制作している フランスではパリ ブルージュ アンジェ ディジョンなどで国際ゴシック様式が開花し 年頃に描かれたとされる フランス国王ジャン善良王の肖像 は俗人を描いた単身肖像画としては最古のものとして知られている ディジョンにはフランドル出身の画家や工人が多く住み着き メルキオール ブルーデルラム ジャン マヌエル アンリ ベルショーズといった宮廷画家がフランコ フラマン派の作品を数多く生み出した その他 装飾写本の分野ではネーデルラント出身で写実的な自然描写と精妙な装飾性を有した写本の制作を得意とするランブール兄弟が知られており ベリー公のいとも豪華なる時祷書 はこの時代の写本芸術の最高峰とされている ランブール兄弟の作品は世紀のパリ派写本工房へ大きな影響を与えた ルネサンスは 再生 を意味するイタリア語 から派生した呼称であり 古典古代文化の復興という思想のもと ギリシア美術やローマ美術の復活と自然の美や現実世界の価値が再発見され 人間の尊厳が再認識された時代を指す言葉となった イタリアの建築家で人文主義者であったレオン バッティスタ アルベルティは 意思さえあれば人間は何事も為し得る という 人間の可能性に絶大な信頼をよせた言葉を残しており ルネサンス美術の根底に流れる人間中心主義という世界観を見事に表現している こうした思想は世紀前半 市民階級がいち早く台頭した都市フィレンツェで芽生えた 建築分野ではサンタ マリア デル フィオーレ大聖堂の円蓋設計を手がけたフィリッポ ブルネレスキの名が挙げられる ブルネレスキの設計した聖堂は ゴシック様式の建築からの明確な離脱を示し バシリカ式聖堂のエッセンスを取り入れつつも調和と秩序を重要視した人間中心的世界観を体現しており 世紀にフィレンツェで確立されたルネサンス建築の代表的な作例となった こうした理念はアルベルティへ継承され その理念を元に執筆された三大著作 絵画論 彫像論 建築論 は同時代を含む後世の芸術家たちに絶大な影響を与えることとなった また 古代ローマ建築の実測を行うことで 科学的遠近法を発見したことでも後世に大きな影響を残している ブルネレスキの死後はアルベルティが台頭することとなる フィレンツェから追放された商人の息子であったアルベルティはローマ教皇庁や諸侯の顧問として西欧各地を歴訪しており こうしたルネサンス様式がヨーロッパ全土に伝播する間接的な貢献をしていたとも言える 世紀半ばに入り 共和制の理想が鳴りを潜め 豪商が町の政治を取り仕切るようになると 大富豪の市内邸宅 パラッツォ の建築が相次ぐようになった ミケロッツォ ミケロッツィが建設したメディチ家の市内邸宅 パラッツォ メディチ リッカルディ は秩序と安定を志向するルネサンス建築の思想が表現されたパラッツォの代表的な作例である 彫刻分野は古代思想の復活という理念が色濃く示された分野であり ブルネレスキの アブラハムの犠牲 など 優雅なゴシック彫刻の伝統を打破する力強い人体の把握や細微な写実性を有した作品が数多く登場した この分野において 国際ゴシック様式からの脱却を試みた最初の彫刻家はの 人の聖者 などで知られるであると言われている 古代ローマ以降で初めてコントラポストを採用し オルサンミケーレ聖堂の 聖ゲオルギウス を発表して頭角を現したドナテッロは 預言者ハバクク ダヴィデ など古代ローマの作風の復活に心血を注ぎ ルネサンス彫刻の方向性を決定付けた 特に ダヴィデ は二本足で立つ孤立像というジャンルで裸体表現を取り入れたという点において特筆すべき作品となっている ドナテッロの確立したルネサンス彫刻の様式はその後ヴェロッキオやミケランジェロへ受け継がれていくこととなる その他 サンタ マリア デル フィオーレ大聖堂の カントリア を制作したルカ デッラ ロッビア 後期ゴシック様式を学びながらも 天国の扉 に見られる透視図法を確立したロレンツォ ギベルティ 墓碑彫刻や写実的な胸像で新境地を開拓したロッセリーノ兄弟 ベルナルド ロッセリーノ などが代表的な彫刻家として知られている 建築や彫刻分野と比較して絵画分野における革新性の確立は若干遅く年代前半ごろであり これは古典古代における手本とすべき遺品がこの当時ほとんど知られていなかったことが影響していると考えられている 年にフィレンツェへ移住してきた国際ゴシック様式の画家ジェンティーレ ダ ファブリアーノが制作した マギの礼拝 に僅かながらその片鱗を見ることができるものの 空間に対する配慮は乏しく 目新しさはあまり無い状態であった しかし マサッチオの登場により 情勢は一変した ジョット ディ ボンドーネがかつて確立した僅かばかりの空間表現に 光の明暗によって量感を表現する手法が融合され より奥深い空間を手に入れることに成功したのである さらに ブルネレスキやアルベルティによって合理的な透視図法の理論が構築されると 多くの画家がその刺激を受けて次と実験的な作品が誕生した 彩色や光の扱い方が拙いながらも透視図法の研究に没頭し ジョン ホークウッド騎馬像 や サン ロマーノの戦い などの作品を発表した国際ゴシック様式の画家パオロ ウッチェロはその最たる例である その後 修道僧画家のフィリッポ リッピ フラ アンジェリコらによってマサッチオの様式が取り入れられる リッピは日常的室内に聖母子を配置したネーデルラント風の絵画を制作した他 人間中心主義を根底に世俗的かつ官能的な聖母や肉感的なイエスなどを描き出している 受胎告知 などの作品で知られるフラ アンジェリコは年代以降においてマサッチオの空間表現や明暗描写を積極的に取り入れた宗教画を多数制作した 正確な一点透視図法を採用し 聖会話形式 サクラ コンヴェルティオーネ の表題を確立したもマサッチオの影響を受けた画家の一人である 一方 絵画 彫刻双方の主題に 動勢 が取り入れられるようになり アントニオ デル ポッライオーロによる力を孕んだ写実的な筋肉の描写や ヴェロッキオの キリストの洗礼 に代表される解剖学的知識を導入した生しい人体表現を持った作品が登場するようになったのも世紀後半の出来事であった また 富の蓄積とこれに伴う趣味の贅沢化によって優美で装飾的な様式を持った作品が流行を来し サンドロ ボッティチェッリの ヴィーナスの誕生 に代表される恥美的世界観を表現した作品が生まれている その他 アンドレア マンテーニャやジョヴァンニ ベリーニもフィレンツェ以外に活動の拠点を置いた同時代の画家として知られ ルネサンスの波及を象徴している ブルゴーニュ公国に属していた世紀のネーデルラントでは 毛織物工業の発展と国際貿易の振興によって市民階級の台頭目覚しく 豊かな経済と文化が形成された 特に フランドル地方で発祥した油彩技法は発色に優れ 精緻な質感描写や視覚的世界のリアルな再現を可能とし 西欧全土へと伝播して今日までの揺ぎ無い地位を確立した ネーデルラントではこうした背景から初期の北方ルネサンスに該当するものは世紀の絵画に限定され 建築分野や彫刻分野はあくまでゴシック美術の枠内に留まっていたと考えられている さて この新しい油彩技法が採用された最初の作品として挙げられるのは 兄フーベルトが着手し 弟ヤンが完成させたファン エイク兄弟による ヘントの祭壇画 である ヤンはフィリップ世の宮廷画家としてその後も精力的な活動を続け 数の宗教画や肖像画を制作している 中でも ニコラ ロランの聖母 は 室内に視点を設定しつつもテラスの向こう側に透視図法に従った精微な風景を描くことによって 不自然さを感じさせること無く室内と外景の統合に成功した画期的な作品として特筆される ヤンの空気遠近法を駆使した奥行き感の描写は以後のネーデルラント画派へ受け継がれていき 北方ルネサンスの大きな特徴として取り上げられるまでになった 同じ頃 トゥルネーで活躍していたロベルト カンピンは写実的な技法で描かれた日用品の多くにキリスト教の象徴的意味を秘めさせた作品を制作し こうしたテクニックがカンピンを師事したロヒール ファン デル ウェイデンによって継承された ウェイデンは肖像画においても卓越した手腕を見せ 年に訪れたイタリアでも賞賛を受けている その後はヤンやロヒールの技法様式に色濃く影響を受けたディルク ボウツ フーゴー ファン デル グース ハンス メムリンクらがルーヴァン ヘント ブルッヘなどを中心に活躍した 特にファン デル グースが作成した羊飼いたちの写実的表現と細微な風景の装飾的な配置が施された ポルティナーリ祭壇画 は 後にフィレンツェに持ち込まれ フィレンツェの画家たちに大きな影響を与えた 一方 ヒエロニムス ボスは同時代の異色の画家として知られ 人間の悪徳とその懲罰という中世的な思想背景をもとに生み出された数多くの怪物や地獄の描写は やがて到来するシュールレアリスムを予告しているかのように見られている 同時代のフランスは百年戦争終結後も市民階級の台頭が見られず 宮廷周辺のごく限られた範囲での芸術活動に留まっていた そのような中 シャルル世の宮廷画家をしていたジャン フーケが 聖母子 など イタリア初期ルネサンスの影響を受けた作品を制作している しかし など 少数の例外を除いてこうした作品は浸透せず ミニアチュールの制作が主流を占めていた 対してドイツの美術はネーデルラント絵画の影響下にあり シュテファン ロッホナーやコンラート ヴィッツなどが活躍した 特に ヴィッツの 奇蹟の漁獲 は特定可能な現実の景観を描いた最初の作例として良く知られている 世紀後半に入ると によって雄渾な絵画や細微な彫刻祭壇が制作された また 新しい分野として版画美術が伸張し マルティン ションガウアーの登場で技法はさらに洗練され 後世の巨匠アルブレヒト デューラーの芸術を育んだ土壌を形成している イタリアルネサンスのうち 世紀末から世紀初頭にかけての約年間は特に盛期ルネサンスと呼称し 区別される これは世紀に定まった芸術観を背景として この時代を古代ギリシア ローマと並ぶ西洋美術の完成期と見做し それ以前を完成に至る準備段階として軽視していた考え方が根付いたためである しかし 今日では 初期ルネサンス 盛期ルネサンス を比較し どちらが優れているかといった考え方は改められ それぞれに特質や魅力が備わっている別個の美術として理解されてきており その違いを区別するための名称として使用されるようになっている 主たる舞台はユリウス世の庇護のもとで活気を取り戻したローマと 東方とヨーロッパ諸国を結ぶ貿易で巨万の富を築いたヴェネツィアである 絵画では 最後の晩餐 や モナ リザ などを制作しており 特に モナ リザ に使用された新しい技法であるスフマート ぼかし は 画面に新たな統一感をもたらし 人物に精気と神秘的雰囲気を与える技法として西洋絵画の様相を一変させるほどの影響を与えた また 自然科学の分野では 鋭い観察力と的確な描画力で解剖学や水力学などの研究に先駆的な業績を残したことも特筆すべき事項である 一方 ギルランダイオに師事したミケランジェロ ブオナローティは人体における新しい表現様式を確立させ 彫刻 絵画の分野において突出した作品を生み出した ミケランジェロが制作した ダヴィデ はルネサンス全体を通して代表的な作品として知られている ローマに赴いた後 ミケランジェロはシスティーナ礼拝堂の天井画を手がけ 創世記 の諸場面やキリストの祖先たちの姿を描き出している 特に アダムの創造 では超越者と人間アダムの邂逅が印象的なタッチで描かれ アダムの姿は盛期ルネサンスにおける理想的人間像として高い評価を獲得した 従来 ミケランジェロは色彩の乏しい画家との評価がなされてきたが アダムの創造 が洗浄され その色使いが露になったことで その評価を覆した作品としても名高い また 同じシスティーナ礼拝堂に描かれた 最後の審判 では 悲劇的な装いの中にもヘレニズム彫刻的な逞しさを身に纏ったキリストらの肉体を描き出している 年にドナト ブラマンテの後を継いでサン ピエトロ大聖堂建築の総監督に任じられるとブラマンテの構想を継承しつつ 新たに円蓋および建物後方部の設計を行っており 古代建築の本質を体現させた ペルジーノに師事したラファエロ サンティは レオナルドやミケランジェロの業績を巧みに取り入れ 代半ばの若さで独自の人物表現と画面構成の形式美を確立させ アテナイの学堂 に代表されるバチカン宮殿の壁画を制作している ラファエロが確立した形式美は盛期ルネサンス以降の代表的規範として世紀から世紀にかけての多くの画家に影響を与え続けた この時代 教会や公共施設による注文以外にも富裕層からの注文による美術品の制作が盛んに行われ ジョルジョーネの 嵐 に代表されるような周知の物語主題から逸脱した 絵画の感覚的魅力を優先する作品が数多く登場したのも 盛期ルネサンスの特色のひとつと言える こうした市場ニーズに呼応してヴェネツィアでは色彩と絵具の塗り方が重要な地位を占めるようになり デッサンに彩色するフィレンツェの技法に対して色彩で造形するという新しい技法が誕生した レオナルドのスフマートを取り入れつつ この技法を確立させたのがジョルジョーネであり 早世したジョルジョーネの後を受け継いで油彩技法のあらゆる可能性を探究したティツィアーノ ヴェチェッリオであった 宗教画家 肖像画家としても絶大な人気を誇っていたティツィアーノであるが 芸術家列伝 を著したジョルジョ ヴァザーリは ティツィアーノが描いた エウロペの掠奪 について 近くから見るとわけがわからないが 離れて見ると完璧な絵が浮かび上がってくる と評しており 近代油彩画の創始者としてしばしば名が挙げられるようになっている 同時に 静的な伝統を持つヴェネツィア絵画にダイナミズムを導入したこともティツィアーノの功績として知られている マニエリスムという言葉は 様式 や 手法 を意味するイタリア語 から来た言葉で ヴァザーリはこれを 自然を凌駕する高度の芸術的手法 と定義付けた しかし 世紀に入った頃より 生み出される芸術は創造性を失い 盛期ルネサンス時代の巨匠たちの模倣に過ぎないと見做されるようになり 否定的呼称として用いられるようになる その後 世紀に入って対比評価と切り離され 盛期ルネサンスの特徴であった自然らしさと自然ばなれの調和が崩れ 自然を超えた洗練 芸術的技巧 観念性が存在する作品が登場した盛期ルネサンス後の芸術的動向を指し示す時代様式名として用いられるようになった 最初にマニエリスムの名が冠されたのは ルネサンスの古典的調和への意識的反逆と解釈されたヤコポ ダ ポントルモやロッソ フィオレンティーノの作品であった しかしながら ミケランジェロの後半期作品をマニエリスムに含める見方や アーニョロ ブロンズィーノ ベンヴェヌート チェッリーニ ジャンボローニャのような社会に享受された奇想を指してマニエリスムと呼称する解釈もあり その範囲や定義は今日なお流動的である 一方 パルマではコレッジョがマンテーニャの試みを発展させた 感覚的魅力に溢れた作品を制作しており その中で導入された明暗対比の強調や 天井画におけるダイナミックな上昇表現などは 後世のバロック美術の到来を予告しているかのような雰囲気を醸している その他 盛期ルネサンスとバロック美術の橋渡し的な存在となった画家としてはパオロ ヴェロネーゼがいる ヴェロネーゼが制作した レヴィ家の饗宴 は当初 最後の晩餐 と題していたが 主題と無関係な人物を多数描き込んだ事で異端尋問にかけられ 美しい絵を作る画家の自由 を主張し タイトルの変更を余儀なくされた作品として知られている 建築分野では 建築四書 を著したアンドレーア パッラーディオの名が挙げられる パッラーディオが設計したヴィラ アルメリコ カプラは古典主義建築の規範を示す作品として世紀に至るまで国際的影響力を固持した 世紀後半にはジャコモ バロッツィ ダ ヴィニョーラ ジャコモ デッラ ポルタによってイエズス会の母教会 イル ジェズ聖堂 が建てられ 外観正面のデザインや身廊と円蓋下の明暗対比などの構成要素が バロック美術における聖堂建築の原形となった ドイツのデューラーは 世紀末から世紀初頭にかけて行った二度のイタリア旅行を通してルネサンス美術の様式と理念を習得し 人体表現 空間表現において理想とされる技法様式をドイツ絵画へ移入しようと試みた この成果は木版画の分野において ドイツの伝統的な表出性とイタリアの記念碑性を融合させて制作された 黙示録連作 で体現されている 銅版画の分野ではエングレービング技法を極め メランコリア や アダムとエヴァ といった人文主義的内容の作品 理想的裸体像を持った作品を制作し ルネサンスの母国イタリアへも大きな影響を与えた また 油彩画では 人の使徒 が代表的な作品として知られている その他 人体均衡論 などの著述にも注力し 後世の芸術家に大きな影響を与えた 線描主体であったデューラーとは対照的に 色彩表現に長けていたマティアス グリューネヴァルトは イーゼンハイム祭壇画 などを制作し ゴシック末期美術の幻想性を継承した特徴を内包している また クラーナハ 父 はドイツの森を舞台として古代神話の主題を表現したことで知られている ドナウ風景 は西洋美術史上初めて具体的な実景を人間存在抜きで描いた画期的な作品として特筆される フランスでは年のイタリア遠征でルネサンスの美術に触れたシャルル世によって多くの建築家が招聘され 王室主導の下建築を中心としたフランスルネサンスが開花する フランソワ世の時代にはロワール川流域の城館改修が実施され ゴシック建築の伝統とイタリアルネサンスの特色が融合された建築物が多数登場した また 年代末にはフォンテーヌブロー城館の改装が始められ ロッソ フィオレンティーノ フランチェスコ プリマティッチオらを招いて内部装飾を手がけさせた ここから誕生したイタリアのマニエリスムを体現したロッソらの作品は フォンテーヌブロー派と呼ばれる宮廷美術様式を生み出す契機になった その他 ドイツのホルバイン 子 に共通する精緻な様式を確立させた フランソワ クルーエ父子や チェッリーニの影響を受けつつもフランス独自のルネサンス彫刻を誕生させたなどがいる 他方 ネーデルラントの絵画美術は世紀の段階で成熟し 油彩技法や写実的表現においてイタリアに影響を与える側であったが 盛期ルネサンスを迎えて以降は立場が逆転し イタリアの美術や古典古代の美術を手本として仰ぐようになった 世紀初頭に活動したクエンティン マサイスの画風にはレオナルドのスフマートの影響が見て取れ ヤン ホッサールトは古代彫刻風裸体像を描き出している また ベルナールト ファン オルレイは数学的遠近法 短縮法 複雑な運動表現をネーデルラント美術に取り入れた画家として重要である こうした 世紀ネーデルラントの精緻な様式からの脱却と ルネサンスの壮大な様式への推進を行う者を総じて ロマニスト と呼び こうした傾向自体が世紀ネーデルラント絵画の特徴のひとつとして挙げられる 肖像画においてはアントニス モルが国際的な活躍を果たしたと同時に ネーデルラント北部の美術活動の活性化に大きく貢献した デューラーの影響を受けつつも精緻な銅版画を制作したルーカス ファン レイデンなどは北部で活躍した代表的な美術家の一人である さらに 年にローマからユトレヒトに戻ったヤン ファン スコーレルの影響によってロマニストの活動は北部へも浸透していった 世紀後半にはプロテスタントの聖像破壊運動などによる宗教的 政治的騒乱が美術活動の発展を妨げたが 世紀末に登場したコルネリス ファン ハールレム ヘンドリック ホルツィウスらの活躍により プラハと並んでハールレムが国際マニエリスムの中心地として栄えた 異論はあるものの世紀の西洋美術時代様式を一般にバロック美術と称する バロックという言葉の意味については諸説あるが 規範からの逸脱 を示す形容詞として世紀末ごろより使用されはじめ 建築を中心とした世紀の美術に対して否定的な意味で適用された また 狭義には世紀美術の傾向の一つという意味で使用され 劇的で奔放な特徴を持つ世紀の作品に対してのみ適用される場合もある この時代 盛期ルネサンスの伝統を受け継ぎつつも より現実に即した表現が強調されるようになり 時間の概念を取り入れた風俗画 風景画 静物画など 実社会により密着したテーマを選定する様式が確立する 活動の舞台はローマを中心に展開されていたが 世紀初頭にかけてルイ世の治世には フランスが政治面とともに文化面でも中心的役割を果たすようになる カラッチの影響を受け 宗教画の人物を現実的な庶民の姿で描き出したミケランジェロ メリージ ダ カラヴァッジオの作品は その斬新な主題の描き方で大きな議論を巻き起こした 冒涜的とみなされ 聖母の死 の例のように教会に引き取りを拒否される場合もあれば カラヴァジェスキと呼ばれる狂信的な追従者を生み出す結果にも繋がっており 西欧絵画全体に大きな影響を及ぼした人物の一人であったことは疑いが無い 彫刻および建築の分野ではジャン ロレンツォ ベルニーニがこの時代の代表的な美術家として名が挙げられる 若くして名声を確立したベリニーニは 聖テレジアの法悦 で現実の光を巧みに取り入れた彫刻と建築を組み合わせた作品を制作している その他 多くの噴水彫刻の設計にも携わり ローマの景観を作り変えたと言われるほどの影響を残した ベルニーニに師事し 終生のライバルでもあったフランチェスコ ボッロミーニも 独創的な建築表現で名を残した一人である 代表的な建築物としてはサン カルロ アッレ クワトロ フォンターネ聖堂があり 絵画や浮彫による装飾を必要最低限に抑え 波打つようなカーブや圧力で歪んでいる様な緊張を感じさせる 特異な壁面構成の効果を引き出すことに成功している フランドルではリュベンスの登場により新しい絵画の様式が確立される 年近くの間イタリアに滞在し 盛期ルネサンスの美術を習得したリュベンスは ネーデルラントに帰国した後に制作した キリスト昇架 によって ヘレニズム彫刻やミケランジェロを想起させる人体表現とカラヴァッジオに見られる明暗法を見事に融合させ 壮麗で活力漲る独自の方式を完成させた リュベンスはカトリック復興の気運高まる当時の社会背景から多数の祭壇画を制作する一方で各国宮廷に向けた大規模な建築装飾画を創出し 国際的な評価を獲得した また 晩年にはブリューゲルの伝統を発展させたフランドルの自然を描き出し 風景画の新たな局面を生み出した その他 フランドルを代表する画家としてはアンソニー ヴァン ダイク ヤーコブ ヨルダーンスなどがいる リュベンスの助手として出発し チャールズ世の宮廷画家として半生をイングランドで全うしたヴァン ダイクは 優雅で細線な自身の特徴を活かして肖像画の分野において独自性を発揮し 貴族的肖像画の規範を築き上げた ヨルダーンスは宗教画や神話画を風俗画的観点で描き出すことを得意とし 庶民的な活力溢れる作品を残している また 世紀の美術愛好家の蒐集を描き出した 画廊画 という画種も フランドルの特徴のひとつとして取り上げられる 他方 写実的傾向が強まった世紀のスペインでは黄金時代と呼ばれるほどの美術繁栄がもたらされ ディエゴ ベラスケスやフランシスコ デ スルバラン バルトロメ エステバン ムリーリョといった巨匠が登場した ベラスケスはカラヴァッジオの影響著しい活動初期を経てヴェネツィア絵画やリュベンスとの接触によって自身の技法と様式を洗練させ 視覚的印象を的確に捉える新しい描法を編み出し ラス メニーナス を始めとする多くの作品を誕生させた スルバランも同じくカラヴァッジオに強く影響を受けたセビーリャの画家であるが 素朴で神秘主義的な様式を確立させ 静物画や宗教画を厳格な筆致で描き上げた ムリーリョはフランドル絵画に影響を受けた画家で 華麗な色彩で甘美な宗教画を制作するとともに 風俗画においても人気を博した 写実的傾向の推進は下地となったイスラム美術の影響と相俟ってバロック美術が内包する装飾性の強化に繋がり この時代のスペイン美術の特徴として表されるようになった スペイン黄金時代美術 フランス絵画では終生をローマで活動したニコラ プッサン クロード ロランが代表的な画家として取り上げられる ラファエロとカラッチの影響を強く受け 厳格な古典主義様式を確立させたプッサンは アルカディアの牧人 を筆頭に 古典や神話 聖書の主題を考古学的時代考証を交えて描き出すという理知的な作品の創出に注力した また ロランは古典主義的風景画の展開に大きな足跡を残した人物として知られ ローマ郊外の田園やナポリ湾の風景を理想化して古代の情景として登場させ 過去への郷愁を想起させる詩的風景画を誕生させた 両名の芸術はイタリア フランスの上流階級層に広く受け入れられ ルイ世が設立した王立アカデミーにおいてはラファエロやカラッチとともに規範として仰がれるまでの影響を与えた 一方で建築分野においてはイタリア起源のバロック建築に対して古典主義建築がフランスの様式であるとする考えが広まり クロード ペローのルーヴル宮殿を筆頭に古代風様式に基づく建設が各地で行われた また ジュール アルドゥアン マンサール ルイ ル ヴォー アンドレ ル ノートルらによって造営されたヴェルサイユ宮殿は宮殿建築の範例として大きな影響を与えた この時代の美術史を概観すると 建築 絵画において特徴的な発展が見られる らによって建造されたは 白地に金の装飾が施された壮麗な室内はロココ建築の特徴を現す代表的な作例である 世紀後半にはギリシア美術 ローマ美術への関心が高まり アンジュ ジャック ガブリエルによって古代風の柱を採用した小トリアノン宮殿が建設された その他 イタリアの建築家ジョヴァンニ バッティスタ ピラネージはローマ古代遺跡の壮大さを現し 後世新古典主義やロマン主義に大きな影響を与えたことで知られている 工芸分野が黄金時代に達したのはロココ美術の大きな特徴で 家具 金工 服飾 陶器などの各分野で質の高い作品が生み出された ドイツのマイセンが飛躍的進歩を遂げたのもこの時代である 彫刻分野では ジャン アントワーヌ ウードンらが活躍したが 主要な領域たりえるには至らなかった 絵画におけるロココ美術の始祖はアントワーヌ ヴァトーであると言われている フランドル地方出身のヴァトーは パリでの修行過程において様なテーマ 様式の美術と接触することで才能が開花した 中期の代表作 キュテラ島の巡礼 に示された戸外での男女の戯れを表現する画題は 雅な宴 フェート ギャラント と呼ばれ ロココ美術を語る際に不可欠な要素へと昇華し やジャン バティスト パテルなどによって追随する形で同様の画題作品が発表されるなど 同年代を含む後世の画家に多大な影響を与えた フェート ギャラントはポンパドゥール夫人の庇護を受けたフランソワ ブーシェによって官能性を帯びた雰囲気を醸し出すようになり ヨーロッパ中へ広まった こうした画風はロココ美術最期の画家とされたジャン オノレ フラゴナールへと受け継がれていくこととなる 一方で市民的な感性では家族的テーマが好まれる時代となり ジャン シメオン シャルダンやジャン バティスト グルーズに代表されるような市井の人の様子を描いた人物画や 中産階級の家庭の一端を描いた静物画などが数多く生み出された また 世紀中ごろより定期的にサロンが開かれるようになり 芸術品が不特定多数の目に触れる機会を持つようになった これによってドゥニ ディドロに代表される美術批評の誕生 画商の増加といった社会的傾向が発生し 芸術家とパトロンの関係性に変化が見られるようになったのも時代の特徴を示す出来事として挙げられる 一方 イタリアではアレッサンドロ マニャスコ らによって新しい方向性を持った絵画が生み出された 世紀に入るとジョヴァンニ バッティスタ ティエポロが登場し 白を基調とした明るい天井画や壁画を制作し 重量感を取り去った自由な装飾作品が生まれている また イギリスでは大陸美術の輸入により絵画技法が飛躍的に向上したのが世紀で 世紀に到来する黄金期の準備段階のような時代となった 代表的な画家としてはトマス ゲインズバラ ジョシュア レノルズなどがいる フランス革命から第二帝政期に至る世紀から世紀にかけてのフランスを中心とした美術様式は 一般に新古典主義 ロマン主義 写実主義の期に分けて考えられている 世紀前半に火山噴火によって埋没したローマの古代都市ヘルクラネウム ポンペイが発見されたことにより 古典 古代の美術を自身の規範としようという機運が高まり ヨハン ヨアヒム ヴィンケルマンの思想的支柱を得たことでギリシア美術の模倣を尊ぶ志向がヨーロッパ中を席巻する これは 享楽主義的なロココ美術に反感思想を持つ人の運動であったとも言われている その後 ナポレオンの帝政期を経ることでフランスでは帝国の栄光を誇示する美術様式へと変容していき 各国に対する影響力を衰退させる事となった ナポレオンは絵画を重要なプロパガンダ手段として捉えていたこともあり 皇族の儀式を描いた作品や家族や側近の肖像がなどが大量に制作された しかし こうした動きは若い芸術家を中心に焦燥感をもたらす結果となり 主観的な激情に溢れ 社会的矛盾を糾弾するリアリスティックな作品が登場する素地を形成した 同時に フランス美術の影響力から脱却した周辺各国は国の歴史や風土に根ざした美術の開花を促進させ 普遍的な古典 古代美術の模倣から国の特殊性へと関心が移行することとなった これにより 古典的様式が最良とする考え方は捨て去られ 時と場合に応じた適切な美術様式が選択される折衷主義とも呼べる様式が到来することになった 世紀中ごろには支配層への不満を募らせた市民社会に対応するかのごとく 社会の現実に目を向け 身の回りの自然を描いた風景画が制作されるようになり フランス文学とも連動して近代芸術の基調を形成する一大潮流が形作られた 建築分野では古代建築遺構の本格的な調査によって建築部位の比例や柱式の決定が討議され 世紀後半に入ると古代建築を規範とした建物の造営が本格化した パリのサント ジュヌヴィエーヴ修道院を建設したは コリント式の列柱廊を採用し 古代美術の端正で素朴な様式を取り込むことに成功している また 古典古代建築への関心から幾何学的比例を重視し ラ ヴィレットの関門やアル ケ スナンの王立製塩所を創出したクロード ニコラ ルドゥーやアイザック ニュートン記念碑を設計したエティエンヌ ルイ ブーレーは 空想的建築という新境地を開拓した 考古学的関心が薄れ 帝国の威信表現が横行するようになると特定の建築様式が重視されることが無くなり 過去の様な様式の応用によって建築がなされた マドレーヌ聖堂 カルーゼル凱旋門 マルメゾン城 ウェストミンスター宮殿などが代表的な建築物として知られている 新古典主義時代の彫刻分野は規範とする古典古代の作例が充実していたこともあり 重要な美術分野として位置付けられた イタリアのアントニオ カノーヴァは代表的な彫刻家のひとりで 古代志向の特徴を忠実に再現した上で近代彫刻の複雑な構成を融合させることに成功し アモールとプシケー などを制作した カノーヴァと双璧をなしたデンマークのベルテル トルバルセンはヘレニズム時代の彫刻に強い影響を受け 端正で典雅な作品を発表した その他 イギリスのは形態把握と構成を古代彫刻に倣いつつもゴシック美術を彷彿とさせる流麗な作品を発表している 新古典主義以降は材質の変化があらわれ 大理石以外の石材や青銅が好んで用いられるようになった また 表題も裸体に代わって時代考証を経た服装を纏うようになった しかし 美術全体で見ると新古典主義以降は絵画の影響強く低調に推移し エトワール凱旋門の浮彫装飾を制作したフランソワ リュード 肖像彫刻を数多く制作したダヴィッド ダンジェ 動物彫刻という異質性が話題となったら若干名の活躍に留まった 絵画分野において フランスでは年代に登場したジョゼフ マリー ヴィアンがロココ風のテーマの絵に古代の構図やポーズを借用した作品を発表して人気を博し 新古典主義時代の口火を切った その後 ドゥニ ディドロの影響を受けたジャン バティスト グルーズによってローマ史を主題とした作品が制作され 年代に入るとヴィアンに師事したジャック ルイ ダヴィッドが登場して 新古典主義の栄華は頂点に達する ナポレオン革命期において 皇帝の主席画家 の称号を得たダヴィッドが残した数多くの作品は後世の多方面に大きな影響を与えた ホラティウス兄弟の誓い ソクラテスの死 といった物語画はプッサンの影響が強く表われた作品に仕上がっており テニスコートの誓い マラーの死 などは革命期の視覚的記録として重要な意味を持つ作品として位置付けられている 次代には優美なタッチで古代の叙情を再現したピエール ポール プリュードン 劇的な表現描法を特徴としたピエール ナルシス ゲランらが登場し 新古典主義の作風に影響を受けつつもその変容を見ることが出来る また フランソワ ルネ ド シャトーブリアンの小説挿絵を担当したは 古典的な形態に強い明暗を加えたことでロマン主義的な要素の萌芽を示した 一方 同時代のナポレオンの肖像画や遠征絵画を制作していたアントワーヌ ジャン グロ ドミニク アングルらは新古典主義の正当後継者として 色彩に対する線の優位性 静的な構図といった新古典主義の綱領を最後まで保持した画家として知られている その他 アングルの弟子からはテオドール シャセリオーが頭角を現し 東洋的主題の作品を制作してロマン主義的資質を示した 以上に挙げたように 世紀前半のフランスでは文学的 歴史的テーマを描き出した作品が主流となっていたが バルビゾン派の画家によって自然を的確に捉えた風景画作品が登場したのもこの時代であった 古典主義的端正さを保ちつつ ロマン主義的な自然愛好的な心情に溢れたテオドール ルソー ジャン バティスト カミーユ コローらの風景画は年代ごろより写実主義絵画として新たな局面を開くこととなった 年前後に入るとオノレ ドーミエ ジャン フランソワ ミレー ギュスターヴ クールベが登場し 写実主義絵画を代表する画家として知られるようになった 年 パリの万国博覧会において 私費で個展を開いたクールベは世間に対して攻撃的に写実主義絵画の存在を知らしめ 世紀後半に誕生する印象主義への潮流を築いた 他方 イギリスのロンドンでは 年代にベンジャミン ウエストによって新古典主義的絵画が持ち込まれると ロイヤル アカデミーの設立やフラックスマンの活躍などもあり ローマやパリと並ぶ新古典主義絵画の中心地として栄えた しかし 古典絵画を規範としつつも伝統に縛られない表現は比較的早くから実践され ヨハン ハインリヒ フュースリー ウィリアム ブレイクといった 個性豊かな画家の輩出に成功している そういった意味では 主題面における絵画の近代化はフランスに先駆けてイギリスで起こったと言って良い 世紀前半に入るとジョゼフ マロード ウィリアム ターナーの登場によってイギリス絵画は風景画黄金時代を迎えることとなった 世紀に流行した地誌的水彩画から出発したターナーは光の表現を追究して油彩 水彩 素描を問わず多数の幻想的な風景画を世に送り出した ターナーとは対照的に 空と雲の移り変わりを気象学に基づいた知識で精緻に描き出したジョン コンスタブルの作品は風景画の進むべき方向性を決定的なものとし 世紀後半の印象主義絵画に大きな影響を与えた ドイツにおける新古典主義は年 アントン ラファエル メングスによって制作された パルナッソス にその影響を見ることができるものの その後は代表的といえる程の画家は輩出されなかった 世紀初頭に入るとラテン的な形態把握とゲルマン的な内省性を融合させた作品が登場し 他国に無い特異な美術運動が展開された この運動はカスパー ダーヴィト フリードリヒ フィリップ オットー ルンゲらによる風景画の発展とフランツ プフォル ヨハン フリードリヒ オーファーベックらによる人間表現の深化に大別することができる 特にローマに移住した後 ラファエロやデューラーを規範としてキリスト教的作品の創出に注力したオーファーベックらの活動はナザレ派と呼ばれ 後のラファエロ前派に大きな影響を与えた その他 スペインに登場したフランシスコ デ ゴヤもこの時代を代表する画家の一人である 年に主席宮廷画家の地位に着いたゴヤは その卓越した画力で戦争や侵略への憎悪を訴えた作品を多数発表した 主観的な情熱を画題とし 作品に託したという点ではロマン主義美術の先駆者であると言える一方 人生の課題を作品に反映させたという点では近代芸術のあり方を示した最初の一人であると言える 建築分野では シャルル ガルニエによるパリのオペラ座に見られるような 古典主義を軸としながらも各種建築様式を折衷した建物の造営が主流となり フランスを中心として高い芸術性を持った建物が各地に作られた ウジェーヌ エマニュエル ヴィオレ ル デュクはこの奔流に抗い 機能主義理論を唱えたが 世紀中には受け入れられず アール ヌーヴォーの建築分野において部分的に取り入れられたにすぎなかった 世紀後半に入ると鉄 ガラス コンクリート 鉄筋コンクリートといった新しい建材が柱や壁などに大掛かりに用いられるようになった ジョセフ パクストンの水晶宮は 初めて大量にガラスを用いた建造物として知られている また シカゴ派と呼ばれるアメリカ高層建築の流入も 西洋の建築に大きな影響を与えた シカゴ派を代表する建築家としてはシュレジンガー マイヤー百貨店などを設計したルイス サリヴァンが挙げられる 彫刻分野では世紀後半に入り 民族統一や自由を称える記念碑が公共記念物という形で数多く制作された 特に有名なものとしてはフレデリク バルトルディの 自由の女神像 の 共和国の勝利 の 死者の記念碑 などが挙げられる 第二帝政期に入るとジャン バティスト カルポーが登場し ウゴリーノと息子 ダンス フローラの勝利 など ロココ美術から受け継いだ優雅な形態とカルポー独自の動態表現を見事に融合させた作品を多数制作し 近代彫刻の父と言われるオーギュスト ロダンに大きな影響を与えた に師事したロダンは イタリアでドナテッロやミケランジェロの作品に触れた後 年に 青銅時代 を発表した 青銅時代 は発表当時 あまりの自然的形態から モデルから直接型取りしたのではないかと批判を浴びるほどであった 注文彫刻として制作した カレーの市民たち では 注文という型にはめられた表現からの脱却を試みている ロダンは写実表現と劇的な内面表現を融合させることを追究し 終生の大作として 地獄の門 を制作した その他 世紀末に活動したドイツのマックス クリンガーは 年のウィーン分離派展で素材の多様性を追求した作品 ベートーヴェン を発表して大きな成功を収めている ドイツのアドルフ フォン メンツェルによって写実的に描かれた 圧延工場 はきわめて珍しい工場労働者を主題とした作品として知られている メンツェルの例にあるように 農民や労働者といった現実的主題を優れた絵画才能によって描き出す画家が登場し始める 草上の昼食 で一大騒動を巻き起こした後も 明るい色調と軽快なタッチで現代生活を主題にした数の名作を生み出したエドゥアール マネはそうした若い画家たちの中心的存在として躍動し 年にサロンへ出品した オランピア で 古典的伝統を近代絵画へリンクさせる役割を担った こうしたマネの姿勢や表現方法は印象派の画家に重要な指針を与えることとなった また エドガー ドガは オペラ座に集う貴族から底辺社会で生活を営む洗濯女まであらゆる階層の人の現代生活を深く広く探求して得た主題を 知的な構図と優れたデッサン力で描き出した 特に 引き締まった肉体を持つ女性たちが様な姿態を提供してくれるバレエの世界に共感を覚え バレエを主題とした多くの作品を残している その他 日本の芸術がジャポニスムと呼ばれ 西洋絵画に影響を与えたのも世紀の出来事のひとつであった 印象派画家は 絵具を用いて光を表現することを追究し 筆触分割や視覚混合といった科学的技法を作品に導入し 日本の浮世絵や写真などからヒントを得た構図の切り取りや大胆な俯瞰といった斬新な発想を取り入れた こうして制作された多くの作品は西洋絵画を新たな局面へ誘う重要な革新として後年高く評価される一因となった また 印象派の活動を受けて その理論をさらに発展させようと年代から年代にかけて活躍したポール ゴーギャン フィンセント ファン ゴッホらは後期印象派と呼ばれ こちらも美術史における重要な働きを残した 他方 芸術の卑俗化を嫌悪した芸術家たちによって内的な思考や精神世界 夢の世界を表現することが追究されるようになり 印象主義と並んで世紀後半における芸術の重要な流れを形作ったのが象徴主義であった その嚆矢とも言えるのがイギリスで起こったラファエル前派の運動である ダンテ ゲイブリエル ロセッティ ジョン エヴァレット ミレー ウィリアム ホルマン ハントらによって結成された ラファエル前派兄弟団 は ラファエロ以後の絵画を退廃芸術とみなし それ以前の誠実で理想的な芸術への回帰を主張し 初期ルネサンス時代の絵画に倣った画風で神秘と象徴の世界を描き上げた その他 象徴主義を代表する画家としてはアルノルト ベックリン ピエール ピュヴィス ド シャヴァンヌ ギュスターヴ モロー オディロン ルドンなどが挙げられる こうした動きは世紀末にはベルギー オランダ スイス オーストリアなど全ヨーロッパに拡充し ユーゲント シュティール アール ヌーヴォーといった世紀末運動と密接な関係を保ちながら世紀の芸術へと受け継がれていった ベル エポック 良き時代 とは 年から第一次世界大戦までの華やかで享楽的な時代を指すフランス語で 静かに忍び寄る戦乱の気配に耳を塞ぎ 束の間の繁栄と平和を享受した時代であった 芸術分野においてはアール ヌーヴォー 新しい時代 ユーゲント シュティール 青春様式 モダニズム スタイル 近代様式 といった多彩な芸術運動がヨーロッパ中を席巻し 広い分野で相互交流による美術の追究が行われた 世紀末芸術運動とも称されるこの運動は広範囲に及び それぞれが独自色を保ちつつも新しさを求めようという共通認識の下に活動を展開していた 代表的な活動グループとしてはウィリアム モリスを中心としたアーツ アンド クラフツ運動 ルヴュ ブランシュ を中心としたフランス芸術家たち ベルギーの前衛芸術グループ ユーゲント パン を舞台としたドイツ画家グループ ミュンヘン ベルリン ウィーンで相次いで結成された分離派グループなどが挙げられる 中でもグスタフ クリムトを中心としたウィーン分離派の影響力は強く オスカー ココシュカ エゴン シーレといった表現主義的傾向を強烈に表した尖鋭画家や アドルフ ロースのような 装飾は犯罪である といった思想を持った芸術家の誕生を促す結果となった また 表現主義の原点とも言えるエドヴァルド ムンクやジェームズ アンソール フェルディナント ホドラーといった画家が躍動したのもこの時代である 現代美術のはじまりは こうした豊かで多様な世紀末芸術の成果を受け継ぎ 乗り越えることによって展開されていった オーギュスト ペレによる鉄筋コンクリートを用いた建築技法の導入は 構造体としての抵抗力の強さを獲得するとともに自由な造形性を得ることに成功し 世紀の建築美術は新たな局面を迎えることとなった 新しい建材の特性理解が浸透していくとともに コンクリートの持つ可能性を引き出した自由な造形性を持った建築物が誕生した ゆるやかな局面と巨大な屋根を持ったル コルビュジエのロンシャンの礼拝堂 何の支えも無い部屋が空中に突出しているかのようなフランク ロイド ライトの落水荘などは その代表的な作例として取り上げられる 建築家の社会的役割が変化したのも世紀の特色のひとつで 建物の完成のみならず 都市社会における機能性や存在意義についてこれまで以上に配慮が必要となった ヴァルター グロピウスが幅広いデザイン教育の機関としてバウハウスを設立したのも こうした社会的要請を背景にしたものであった ル コルビュジエはそうした機能主義を追究した建築家の一人でもあり こうした流れがミース ファン デル ローエやヴァルター グロピウスといった機能主義を標榜する建築家の誕生を促した 機能主義建築は合理的形態 規格化 プレファブリケーションを推進し 大量生産と結びつくことで現代的な性格を持つに至った 一方でこうした機能主義建築に機械的な冷徹さを感じ取った建築家は有機的建築を推進した 先に挙げたサリヴァンやライトの他 世紀末建築の巨匠アントニ ガウディなどもこの流れに含むことができる 第二次世界大戦によって芸術活動は空白の時間を迎えるが 多くの芸術家がアメリカに亡命したこともあり 戦後はアメリカを中心とした建築活動が展開された グロピウスやローエをはじめとするバウハウス系の建築家がアメリカで建築教育や設計活動に従事し 現代建築の実験場と揶揄されるほど様な建築物がアメリカに誕生した 年代までは 画一的な建築の普及を目指すバウハウス系建築家がアメリカで大きく活動することによって 彼らの国際様式 モダニズム建築 が世界的なスタンダードとされていたが 次第にこれに反発する動向が見られるようになり 近代建築国際会議 の解散も相俟って地域や用途 建築家の感性によってふさわしい造形を決定する個性化の流れが生まれ 大胆な形態の組み合わせを見せるポストモダン建築が登場した 一方でキュビスムの彫刻は人体の統一性からの脱却を図り 自由奔放な新しい造形表現の獲得に成功している 代表的な彫刻家としてはパブロ ピカソ オシップ ザッキンなどが挙げられる こうした流れを受けてさらにダイナミックな形態のリズムを追究したレイモン デュシャン ヴィヨン ウンベルト ボッチョーニらが登場し 根源的な形態を追い求めたコンスタンティン ブランクーシがその後に続いた ブランクーシはロダンからその才能を見初められ 助手へと誘われた彫刻家のひとりであったが 自身の追い求める表現を実現させるため あえてその誘いを断っている 他方で マックス エルンスト ジャン アルプ アルベルト ジャコメッティらによって生み出された作品は 後のダダイスムやシュルレアリスムや幻想絵画 幻想的表現主義 へとつながっていくこととなった ブールデルから彫刻を学んだジャコメッティはその後 自身もシュルレアリストのグループに参加し シュルレアリスム的なテーブル などの作品を発表した 第二次大戦後 現実との乖離に挫折を覚えたジャコメッティはその作風を大きく変え 戦後のフランス彫刻界において もっとも高い評価を受けた彫刻家のひとりとなった フォーヴィスムが誕生した同じ年にエルンスト ルートヴィヒ キルヒナー マックス ペヒシュタイン エミール ノルデらを中心として前衛絵画グループブリュッケがドレスデンで結成された ドイツ表現主義の第一波とされるこのグループは 強烈な色彩表現を特徴とする点においてはフォーヴィスムと共通していたが より濃密な絵画を発表している その他 年にミュンヘンで結成された新芸術家同盟は 初期メンバーのフランツ マルク アウグスト マッケ ワシリー カンディンスキーらにパウル クレーが加わることで青騎士へと発展を遂げ 戦後の抽象表現主義につながる大胆な絵画表現を試みる活動を実施している その後 ピカソやブラックによって形態と構成における絵画革命キュビスムが推進され フアン グリスを加えてモンマルトルを中心に活動を展開した 特にピカソは 年に渡る長い生涯のなかで絶え間なく絵画の革新と実験を試み 世紀芸術の方向性に大きな影響を与え続けた 年に発表したキュビスムの出発点とも言うべき アビニヨンの娘たち では アフリカの仮面彫刻のようなプリミティブ芸術に影響を受けた大胆なデフォルメと セザンヌに学んだ知的構成が融合し それまでになかった新しい絵画世界の実現に成功している キュビスムは対象を解体して 画面上で再構成するというピカソやブラックが推進した手法もさることながら 同時に創出された新聞などの実物を直接画面に貼付するコラージュという技法が生み出された点も 絵画のあり方を一変させたという点において 後世の芸術家に多大な影響を与えている ピカソ ブラック グリスの他 キュビスムの代表的な画家としてはフェルナン レジェ ロベール ドローネーらがいる キュビスムよりやや遅れて結成された未来派は 詩人フィリッポ トンマーゾ マリネッティを中心に活動を展開し 機械文明におけるダイナミズムとスピード感を賛美し 積極的な運動表現を作品に取り入れることを探究した 主なメンバーとしてはジャコモ バッラ ジーノ セヴェリーニ カルロ カッラなどがいる 未来派の活動は絵画のみならず 音楽 建築 彫刻など多方面に及び 先に紹介したボッチョーニもその影響を受けた彫刻家として知られている また マリネッティがロシアを訪れたことでロシアの前衛芸術の形成にも大きな影響を与えた ミハイル ラリオーノフ ナタリア ゴンチャロワらによるレイヨニスム カジミール マレーヴィチらによるシュプレマティスムといった抽象主義的絵画は こうした影響の中で誕生していった シュプレマティスムを推進していたウラディミール タトリン アントワーヌ ペヴスネル ナウム ガボらはその後 シュプレマティスムが見出した幾何学的形態の極地から さらに推し進めた構成主義を推進している オランダのピエト モンドリアンが創始した新造形主義も幾何学的な抽象表現を極めた様式のひとつで モンドリアンはキュビスムの影響を受け 自然風景を垂直と水平の要素にまで還元し この単純な構図に色の三原色を組み合わせるという美学に到達せしめた またモンドリアンは テオ ファン ドースブルフとともにデ ステイル運動を推進し 絵画にとどまらない幅広い芸術分野に新造形主義の様式を拡大していった 他方 現代絵画のもうひとつの大きな流れとして 人間の心 未知の世界を探究し表現する幻想絵画がある 形而上絵画はその代表的様式で 中心的人物のジョルジョ デ キリコは 長く伸びた影や人気の無い町並みを主題として白昼夢のような郷愁を誘う神秘的かつ不気味な不安を感じさせる作品を生み出している その不安が現実となるかのように第一次世界大戦が勃発すると 厄災を生み出す社会や文化に対して強い批判を表明する芸術運動が同時多発的に持ち上がった こうした動きはやがてひとつの大きなうねりとなり あらゆる既成価値を否定するダダイスムが誕生した マルセル デュシャンが展覧会に出品した 泉 と称する便器やひげのあるモナ リザを描いた はその最たる例である 彼らはあらゆる方法で価値の転換を試み 過去の芸術や文化の徹底的な破壊と否定を推し進めた 代表的なメンバーとしてはハンス アルプ フランシス ピカビア マン レイなどがいる 第一次世界大戦後にはシュルレアリスムが登場し ダダイスムによる否定を受けて 非合理の世界を解放することによって新しい価値の創造を目論む動きが始まった シュルレアリスム運動は詩人アンドレア ブルトンが年に シュルレアリスム宣言 を発表したことによって定義の明確化が図られた 芸術分野においてマックス エルンスト サルバドール ダリ ルネ マグリット イヴ タンギーらを中心として展開されたシュルレアリスム運動は 各の想像力を糧に 夢と現実が矛盾無く世界を構築するような世界 超現実 の実現を目指した 作品制作にあたり 彼らはデペイズマン オートマティスム フロッタージュ デカルコマニーといった新しい技法を次と考案し 後世に無視できない多大な影響を残した こうした新しい芸術運動が様に展開される一方で アンリ ルソー ルイ ヴィヴァン アンドレ ボーシャン セラフィーヌ ルイといったいわゆる素朴派と呼ばれる素人画家が多く登場してきたことも 現代絵画の変革を伝える重要な要素のひとつである また エコール ド パリ 例 シャガール ユトリロ キスリング スーティン 藤田嗣治 に代表されるように 特定の運動に加わることなく 自己の世界を表現し続けた画家も数多く存在していたことは忘れてはならない 概説 入門書 画集 辞典 は つのチームが つのでできた四角形の環 回路 において得点を競い合う球技である フィールド 野球場 と呼ばれる屋外球技場 またはそれを模した屋内球技場 で行われる 野球は つのチームが攻撃と守備を交互に繰り返して得点を取り合い 得点数の多いか少ないかに基づいて勝敗を競う競技である 点数の多い方が勝利を手に入れる ベースボール という名称は つの ベース を使用するという特性を由来としている なお 日本語の 野球 という名称は 明治期に日本で中馬庚が作った和製漢語である 後述 なお 日本国内において称される 広義の 野球 で用いられているボールには 硬式球 軟式球 準硬式球の種類があり 使用するボールによってそれぞれ硬式野球 軟式野球 準硬式野球とも呼ばれ それぞれ異なった競技である なお 競技名 組織名 大会名などにおいて 単に 野球 と称する場合 いわゆる 硬式野球 を指すことがほとんどである メジャーリーグベースボール では硬式野球が競技されている他 日本でも プロ野球や社会人野球 大学野球 高校野球において硬式野球が競技されている 軟式野球と準硬式野球は共に日本で誕生した競技であり 主に日本国内のみで普及しており国際性はほとんどない 例として 野球発祥の地で本場とも呼ばれる米国において などと言っても通常一切通用しない 軟式野球は主に 日本国内の少年野球や公立中学校の部活動 レクリエーションなどとして行われる 準硬式野球は運営組織を分類する上で 多くの場合軟式野球の一種として扱われている 野球が変化して生まれたものとして フィンランドを中心に行われているペサパッロ フィンランド野球 や ソフトボールがある 特にソフトボールは女性や子供 高齢者にも楽しめるような競技として国際的に普及している 野球の起源は明確にはされていないが イギリスの球技である タウンボール がイギリス系移民によってアメリカに持ち込まれた後変化し 野球として形成されたと考える研究者が多い 年代から年代に原型が成立した後 主にアメリカの北部でさかんとなり 南北戦争 年 年 を機に南部にも伝えられたことでアメリカ全土において人気を博するようになった 世紀後半を通じてルールに大幅な改良が加えられ 現在の形となる 攻撃側は 相手チームの投手が投げたボールを打って 一塁 二塁 三塁 本塁をまわることで得点を得る 守備側は相手チームの走者が本塁に到達しないように打者や走者をアウトにする 相手チームの選手を人アウトにできれば 攻撃に移ることができる 攻撃と守備の一巡はイニングと呼ばれる 一試合はイニングからなり 得点の合計が多いチームが勝者となる 両者の得点が等しい場合は 延長戦を行う 引き分けとするなどルール体系によって対応が分かれる 各チームの目的は より多くの得点を得て 勝つこと であり 公認野球規則 には 各チームは 相手チームより多くの得点を記録して 勝つことを目的とする と明記されている 規則書に 勝つことを目的とする と明確に表記されていることは 野球ルールの際立った特徴の一つでもある 野球を行うにあたっては 様な用具が必要であるが 選手が野球を行う上で必要となる用具のうち 代表的なものについて述べる 詳しくは各項目を参照のこと 日本では野球で用いられているボールには硬式球 準硬式球 軟式球の種類がある バットは滑らかな円い棒であり 打者が投球を打ち返すための用具である 材質により木製バットとその他の素材のバットに分けられる 公認野球規則では最大直径以下かつ全長 以下とされているが 少年用や女性用を除くと実際の多くは全長 程度である グラブやミットは 投球 打球 送球を受けるための革で作られた用具である 形状によってミットは捕手用のキャッチャーミット 一塁手用のファーストミットの種類があり グラブには 投手用 二塁手用 三塁手用 遊撃手用 外野手用 ある程度まんべんなく使えるオールラウンド向け等 数種類に分類することができる そのそれぞれについて 右投げ用 左手に着用 左投げ用 右手に着用 両投げ用が存在する グラブはどの形状でもすべてのポジションで使用できるが ミットに関しては捕手と一塁手の使用についてのみ 公認野球規則の にそれぞれ規定されている 投手が着用するグラブについては グラブ全体が一色であり 商標 マーク類は白色 灰色以外であること グラブにグラブの色と異なるものをつけてはならないことといった制限がある 野球用の靴でスパイク部分は金属または樹脂を使用している 少年野球では危険なため 樹脂製スパイクを使用している場合が多い スパイク部分が取り外し可能なものもある また ピッチャーが利き足のシューズの先端に 保護革 革 をつけることがある これは投球時 ピッチャーが後ろ足 利き手と同じ側の足 でマウンドを蹴りシューズがすり減る事を防ぐため バッティングでも同じ現象が起きるためか 野手がこの保護革をつけることも多い 滑り止めの白い粉が入った袋 主にピッチャーが用い マウンドに置いてある 打者が使用する場合もあり ネクストバッタースボックスにも置いてある 同じチームの選手 監督 コーチなど競技に参加する者は 同色 同形 同意匠のユニフォームと野球帽を着用する 原則として全員 少なくとも選手 の背中には背番号をつける アンダーシャツ ストッキング ベルトは同色での着用が必要 スパイクもユニフォームの一部に相当するため チームで同色にそろえる必要がある プロ野球においてはプレイングマネージャーやベースコーチに立つ場合を除き監督がユニフォームを着ない場合がある ボールが胸部に当たると心臓に負担が掛かり倒れてしまう 死亡 重傷事故の例もある ことがあるので 胸部の部分にパッドを付けることを推奨する 野球に使われるグラウンドと付帯設備は野球場もしくは球場と称される つのベースを結ぶ正方形内は内野と呼ばれ またその形状から ダイヤモンド とも呼ばれる 内野とコーチスボックス ネクストバッタースボックスの距離は公認野球規則で決められているが グラウンドの大きさについては球場によって異なる 内野 は規則上は正方形内と定められているが 慣習的には内野手が普通の守備行為を行う守備範囲も含める 日本においては 硬式野球仕様かつプロ野球の試合で使用される野球場は 本塁より左右両翼およびセンターのフェンスまでの距離について 古い球場では両翼メートル 中堅メートル弱の球場が多いが 年代以降に建設された球場では両翼 メートル 中堅メートルを基準としている 野球場 規格の項参照 日本の野球場は 本塁から左右翼までの距離が等しい 左右対称 の野球場がほとんどであり 現在の球団の本拠地の中で左右対称でない野球場は スタジアム広島のみである それに対し の球団の本拠地となっている野球場は本塁から左翼 右翼までの距離が異なる 左右非対称 の野球場が多く 球場のうち球場が左右非対称である 野球における審判員は 試合の進行や 投手の投球 本塁における判定を主に担当する球審 英 と 各塁における判定を行う塁審 英 必要に応じて外野に外審 英 を配置する 一般には球審名と各塁の塁審名の人で審判団を作ることが多いが 重要な試合では外審名を加えて人で審判団を作ることもある 試合によっては塁審の人数が名 名になることもあるし 球審だけ 塁審なし で審判を行うこともある では年度より審判員に加え ニューヨークにある映像センターでのインスタントビデオ判定を採用している 監督は審判員の判定に異議がある場合 試合で回まで要求することができ 回以降は審判も要求することができる またでも 年度よりと同様にビデオ判定を行う リクエスト制度 が導入されている 野球には数多くの戦略と戦術が生み出された その一部を以下に記す 詳細はそれぞれの項を参照のこと 野球は 他のスポーツに比べて豊富な記録 統計が取られることから 数値化に適したスポーツであり 世紀以来 有力選手の各種記録が試合結果と同様にファンに楽しみを提供してきた さらに 世紀に入ると 軍事技術を応用したスタットキャストやトラックマンといった計測機材 システムが導入されたことにより より詳細で精緻なデータ計測 分析の他 選手やボールの動きを数値化することで選手のプレーや能力そのものの改善に繋げることが可能となっており 特ににおいてプレースタイルや戦術の傾向の変化に大きく影響を及ぼしている 第次大戦後 中堅の観客席から望遠鏡を用いて捕手のサインを盗み見 それをバッターに伝達するという手法が定着した その後 スコアボードに潜んだ職員がサインを盗み 何らかのシグナルを送り打者に伝える形が生まれ 年代のインディアンスでは球場に設置されたチームロゴである先住民の目が開けば直球 閉じればカーブ という形で伝達が行われていた 日本の高校野球などでもサイン盗みでトラブルになることがしばしばある 最近では メジャーリーグで アストロズによるサイン盗みが大問題となっている 球団史上初の世界一に輝いた年から翌年にかけてサイン盗みを行っていたとされており すでにが処分 球団はジェフ ルーノー前と ヒンチ前監督を解雇したものの 昨年もまだ不正行為を続けていたと他球団の選手が指摘するなど 騒動は収束する気配がない 捕手と走者の本塁突入をめぐるクロスプレーでは選手の安全のためコリジョンルールが採用されるようになった 国際野球連盟 を中心として 特に野球が盛んなアジア アメリカを始め ヨーロッパやアフリカにも地域単位での連盟 協会が存在する さらにその傘下に各国の連盟 協会が設置されており 各国内のリーグ運営や活動を統括している 世界では主に北米のアメリカ合衆国 カナダ 欧州ではオランダ イタリア 中南米のキューバ ドミニカ共和国 ベネズエラ メキシコ プエルトリコ ニカラグア パナマ オランダ領アンティル コロンビア 東アジアの日本 大韓民国 台湾などで盛んである とりわけパナマ キューバ ドミニカ共和国 ベネズエラ ニカラグア 台湾においては 事実上の国技として親しまれている 日本では 国技と呼ばれることは少ないものの非常に人気の高いスポーツであり 野球用語が一般社会でも使用される様がしばしば見受けられる 特に昭和末期までは集客力 放送量 合計視聴数などで他のスポーツの追随を許さない数字を誇る突出したコンテンツであり しかもその盛況ぶりが当時は世界中で米国とのヶ国のみに限られていた 米国は既にアメリカンフットボールに人気首位を譲っていたものの 相対的にはなお野球も日本を遥かに凌ぐ巨大産業である という点でも特異な存在であった アメリカ野球学会によると ジャッキー ロビンソンがデビューした年 アフリカ系米国人選手の割合は全体のわずか 徐に比率は増し 年には と初めて割を超えた 年には過去最高の に上った だが その後は伸び悩み 年には と割を切り 昨季は と過去年で最低に並ぶ数字となった メジャーリーグでは 有望選手でも多くは高校卒業後にマイナー契約からメジャー昇格を目指すのが基本線 低所得者層のアフリカ系も少なくない中で アメリカンドリーム をつかむには 安月給で移動も過酷な下積みを経験する道のりが待っている 日本へは 年 明治年 に来日した米国人ホーレス ウィルソンが当時の東京開成学校予科で教え その後全国的に広まった したがって 日本国内の野球の創成期の歴史は そのまま大学野球の創成期の歴史と重なっている 年に米 サンフランシスコで米 カリフォルニア大学バークレイ校名誉教授 小圃千浦 日本国瑞宝章受章者 らによって日系人野球チーム フジ クラブ が誕生し 日米野球交流の礎が作られることになる ベースボール を 初めて 野球 と日本語に訳したのは 第一高等中学校の野球部員であった中馬庚である この詳細な経緯は中馬の項も参考のこと 明治期の俳人で 年 明治年 に喀血してやめるまで捕手として好んで野球をプレイした正岡子規が翻訳したという俗説があるが 子規が自らの幼名である 升 のぼる にちなんで 野球 のぼーる という雅号を用いていたことが誤解されたものと考えられている ただし 子規が現在にまで残る野球用語を数多く翻訳したのも事実であり 年にはその功績によって野球殿堂入りを果たした 野球日本代表は世界大会で度好成績を残している 年のアトランタオリンピックでは準優勝 年と年のでは優勝した アマチュアレベルでもインターコンチネンタルカップで回の優勝と回の準優勝をしている メジャーリーグベースボールでは野茂英雄やイチロー 松井秀喜が活躍の道を開き 現在ではダルビッシュ有 田中将大 前田健太 大谷翔平らが活躍している なお 沖縄県出身のプロ野球選手の数は片手で数えられるくらいだった 年頃から徐に人数が増えた 日本では 社会人野球と学生野球 大学野球 高校野球 がそれぞれ独立して運営されている 年に全日本アマチュア野球連盟が発足し 社会人と学生との間で日本代表チームメンバーの派遣調整にあたるようになったが あくまで連絡機関であり上部組織ではない 硬式野球と軟式野球 準硬式野球も含む も互いに無関係な別組織の運営となっており かつ硬式 軟式それぞれにおいても 国内の全関連競技団体が統一的な組織にはなっていない 詳細についてはアマチュア野球界における関連団体の組織体系を参照 日本では 特に高校野球などのアマチュア野球においていわゆる ガラパゴス化 が起こっていると見られており それに伴う日本野球のレベル低下の可能性が問題視されている その要因としては トーナメント方式の大会様式 金属バットの普及 投手に対する 球数 登板間隔無制限 などが挙げられる 世界の青少年野球が リーグ戦中心 で 球数制限 登板間隔制限 を行い 木製バットや反発係数の低い金属バットで野球をしている中で 日本の高校野球だけが トーナメント中心 で 球数も登板間隔も無制限の 投げ放題 で 反発係数の高い金属バットを使用しているのである 例えば 台湾の高校野球は年から木製バットを使用している 韓国の高校野球では 以前は金属バットを使用していたものの年より木製バットへ変更された 日本と同様に金属バットが普及しているアメリカでも 年から反発係数が木製バットと同じ程度になるバット 規定 のみ使用が許可されている 韓国では青少年少女の人気スポーツとなっている 年のリーグは総観客数万人だったが 年には万人を突破し 年には観客動員数万人超えを記録 動員数は世界のプロスポーツリーグ上位位内に入っている また プロアマともに数の国際大会で好成績を残している その一方で 競技人口自体はさほど多くないのが特徴であり それはアマチュア野球の段階で行われる少数精鋭化が要因である ヨーロッパでは 各国でサッカー人気が根強いため野球がことさらに取り上げられることは少ないものの 欧州野球連盟にはヶ国が加盟しており その中でイタリアとオランダのか国ではプロリーグが存在している オランダ王立野球 ソフトボール協会は 野球の問題点を明らかにするためにアンケートを行い 他競技に比べ 運動量が少ない 専用のグラウンドが必要である ルールが複雑である 人数を集めるのが大変 など数多くの課題が上がり これらの課題を解決するために野球をより簡略化したスポーツ を考案した オーストラリアでは年代にアメリカ合衆国から金鉱に来た鉱夫により 野球がもたらされた 年に最初のオーストラリアン ベースボールリーグ が発足したが 年で終了した その後年から機構も支援する形でオーストラリアン ベースボールリーグが発足している アフリカでは オーストラリアと類似した沿革を持つ南アフリカで比較的早く野球がある程度の広がりを見せたが それ以外の地域については普及途上である 詳細はアフリカの野球を参照 アメリカでの野球人気は中長期的に低落傾向にある ギャラップの世論調査によると 年には最も人気のあるスポーツであったが 年にはアメリカンフットボールに抜かれ 番人気に転落した 年には番人気のアメリカンフットボールに対し 倍近いポイント差をつけられている 伝統的に 国民的娯楽 と見なされていたが 年のブルームバーグの世論調査によると アメリカ人の がアメリカンフットボールを国民的娯楽と見なしている一方 野球は に甘んじている ワールドシリーズの全米視聴率は年には史上最低の平均視聴率を記録したが 年は第戦から高視聴率を記録 第戦では視聴率 総視聴者数万人に達しており ここ年間で最高を記録している また 視聴率調査大手のニールセンによると 年時点での野球の視聴者は 歳以上の割合が であったが その年前の年は であったことからも高齢化は顕著である のポストシーズン ゲームの視聴者の歳から歳の若年層が占める割合はここ年で から まで落ち込んでいる の 若者が好きなスポーツ選手トップ にも 初めて野球選手が人もランクインしなかった の調査によれば年の歳から歳までの野球人口は万人であるのに対し 年では万人となっている また この調査によるとアメリカンフットボールやバスケットボールと言ったメジャースポーツも競技人口が減少しており ラグビーやラクロスといった 今までアメリカではマイナーとされてきた競技が競技人口を増やしている では観客動員が特定の球団では激減し 関係者は危機感を募らせている 近年は 北米大スポーツ の他の競技の人気向上 競技人口増加によってシェアを奪われつつある そんな中で は年には約万人 試合あたり万人 を動員 競争が厳しい中 何とか横ばいの数字を維持してきた 太平洋戦争前から年代前半まではプロ野球よりも東京六大学野球などに代表される学生野球の人気の方が高かった 年代後半に読売ジャイアンツの長嶋茂雄や王貞治といったプロ野球選手が国民的な人気を得ると プロ野球が六大学野球に代わり 年代前半までの野球人気を担った 年に近鉄バファローズ 当時 のエース投手だった野茂英雄がロサンゼルス ドジャースへ移籍してある一定の成功を収めると これに端を発して次と日本国内の人気プロ野球選手達がへと移籍し 本格的な日本人選手のメジャーリーグ挑戦が始まった それに伴い 主にの衛星放送などで盛んに日本人選手の出場するの試合が放送され始めた またワールドベースボールクラシックにおいて日本が第一回大会から連覇し 各試合で高視聴率を記録した 日本国内の主要な野球大会は 古くから国内の大手新聞社が主催者となっていることが多かった 例えば 選抜高等学校野球大会 社会人野球日本選手権大会 都市対抗野球大会は毎日新聞社の 全国高等学校野球選手権大会は朝日新聞社の主催である プロ野球の球団でも 読売ジャイアンツの親会社が読売新聞グループ本社 中日ドラゴンズの親会社が中日新聞社であるほか 東京ヤクルトスワローズは産経新聞社を保有するフジサンケイグループと密接な関係にある そのため 野球は他のスポーツ競技と比較してもマスメディアへの露出は群を抜く事となり 結果として日本国内における野球人気は飛躍的に向上した その反面 マスメディアやスポンサー企業からもたらされる放映権料やスポンサー料などによって 大会の主催団体や一部の球団は莫大な収入を得る事になったために各組織の肥大化を招き その事が他のスポーツ競技団体に見られる様なピラミッド型の統括組織を現在でも形成出来ないという状況の一因にもなっている 加えて 読売ジャイアンツをはじめ日本国内において絶大な人気と資金力を背景に持つ特定の球団が球界内で大きな発言権を持つ事となり 球界内の重要な方針や制度構築などにおいてそれらの球団の意向が大きく反映されてしまうなどの弊害も起きていた ただし 地上波でのプロ野球中継は年代中盤からは視聴率が低迷しており 地上波全国ネットでは放送の削減が進んでいる それに加え スポーツ嗜好の多様化 巨人自体の人気の低下 長嶋茂雄の脳梗塞発症などにより 巨人の発言力は相対的に低下している また 巨人戦のみならずオールスター戦や日本シリーズも放映権料が下落しており スポンサー収入の面でも大きな打撃となっている その一方 プロ野球チームを本拠地に持つ地域での地上波ローカル中継は増加傾向にあるほか 試合開始から終了まで放送する インターネットでの放送も増加傾向にある 日本の高校野球では 特に阪神甲子園球場で毎年月に行われる全国高校野球選手権大会が夏の風物詩として定着しており 時に荒木大輔 松坂大輔 斎藤佑樹などの社会的関心を浴びるまでの高校球児が出現する事もある また 選抜高等学校野球大会がや毎日放送で 全国高等学校野球選手権大会がや朝日放送で 地上波 放送により全国に中継されている 年は早稲田大学に進学した斎藤佑樹の効果もあってか 東京六大学野球の試合の放送が一時的に増加した 試合はイニング制を採用している サッカーやバスケットボールのような時間制ではないため 試合の展開により試合時間に大きな幅があるが 概ね試合時間 時間程度である では決着が付くまで無制限の延長する 年までの日本のプロ野球においては回で決着がつかなければ引き分けにしていた しかし 年に東日本大震災が発生しその影響により試合開始から時間分以内で決着がつかない場合は引き分けとなりこのルールは年シーズン終了まで採用された なお 年シーズンより元の 回で決着がつかなければ引き分ける のルールに戻った やなどのプロリーグでは年間試合を超える多数の公式戦を行うことで大きなビジネスとなっている アメリカでは ファウルボールが観客に直撃するアクシデントが立て続けに起こっている ファウルボール訴訟 が多発しているが 危険があることを予め承知してスタジアムに来る として 観客がケガしても球団側は免責されるケースが大半である 観客席以外でファウルボールによって負傷した場合は訴えが認められることがあるが 基本的には裁判しても勝ち目はない 日本プロ野球の観客動員数は年途中時点で読売ジャイアンツ以外の球団が前年比で増加した また同年オリックス バファローズ 広島東洋カープはシーズン途中時点で史上最多の観客動員数を記録した他 同年シーズンの総観客数がセ リーグが万人 パ リーグが万人と いずれも実数発表となった年以降で最多を記録 年にも交流戦の観客動員数において過去最多となる試合平均万人を記録する 以降もでは観客動員数の増加が見受けられており 地元密着を主眼とした各球団の企業努力の成果とする向きもある一方で その実態はあくまで 各フランチャイズ地域内でのリピーター増加を意味するものであり 球団がない地域 を含む全国的な野球人気向上には繋がっていない 新規のファンは増えていない とする調査 分析もある 野球観戦における日本独自の文化としては 応援団主導の楽器や応援歌を用いたいわゆる 鳴り物応援 がプロアマ問わず定着していることが挙げられる 起源については様な説があるが プロ野球においては年代の広島東洋カープが選手に対する個別応援歌を用いての応援を始めたとされる ただし 日本独自の文化として肯定的に取り上げられる一方で 妨害行為 迷惑行為である など否定的な意見も少なくない 台湾では年代後半から野球賭博や八百長が多発したことから 特にプロ野球 の人気が大きく低下 チーム数も年の球団をピークに減少し 年には創設時 年 と同じ球団となったが 年月日に味全ドラゴンズが加盟し 球団に拡大した 韓国では青少年少女の人気スポーツとなっている 年のリーグは総観客数万人だったが 年には万人を突破し 年には観客動員数万人超えを記録 動員数は世界のプロスポーツリーグ上位位内に入っている ただし その人気 実力に対して国内の競技人口は比較的少なく 日本が高校硬式野球部加盟校 校 部員数 人であるのに対し 韓国の高校野球部は校 部員数は約 人である もっとも この傾向は野球に限ったことではなく 韓国には日本のような趣味的要素を含む部活動がほぼ存在せず アマチュアの段階で少数精鋭化が行われるのが要因であるとされる 少数精鋭によるエリート教育はいわば韓国の文化であり 実際にプロアマともに数の国際大会で好成績を残しているなど一定の成果を上げていはいるものの 裾野を狭める メダル至上主義である といった批判もある 日本における野球は 実際に参加するスポーツというよりは 観戦スポーツとして楽しむ人が多い傾向にある レジャー白書によると 年時点の 野球 ソフトボール用品 に対する出費は 億円である 球技スポーツ用品 に対する出費億円の を占めている クラブ 同好会 の形で楽しむスポーツとしては一定の地位を占めている 内閣府による 体力 スポーツに関する世論調査 年月調査 では クラブ 同好会に加入している男性のうち が野球クラブ 同好会に加入しており 位のゴルフ 位テニスよりも多い ただし 女性は位までに含まれていなかった 文部科学省の 我が国の体育 スポーツ施設 平成年月 によると 職場スポーツ施設 カ所 においては全施設のうち 第位 を 野球場 ソフトボール場 が占め 内閣府の統計と合致する 日本では伝統的に野球が盛んだが 中学生の野球チームに所属する少年の数は年から年までに 減少したことが 公式統計で明らかになった 全日本軟式野球連盟の小学生の軟式野球登録チーム数を見ても 年に万チームから 年には万チームまで減少し 高校野球においても 硬式野球の全国の野球部員数は年の万人を底に一旦は増加に転じ年には史上最多となる万人に達するも 同年を頂点に再び漸減傾向にある 軟式に至っては 年度の万人を頂点に右肩下がりの減少を続け 年度の部員総数は年度のほぼ半数の人数にまで減少している パチンコやスマートボールに野球の要素を取り入れたボードゲームに野球盤がある 日本ではエポック社が年より生産 販売し続けている アメリカでは映画のジャンルとして野球映画が継続して制作されている 年公開の 邦題 打撃王 はアカデミー賞を受賞している この他には年公開の 邦題 ナチュラル と年公開の 邦題 フィールド オブ ドリームス もそれぞれアカデミー賞にノミネートされている アメリカン フィルム インスティチュート が アメリカ映画年シリーズ の一環として選定したスポーツ分野のアメリカ映画トップでは 邦題 打撃王 が位 邦題 さよならゲーム が位にそれぞれランクインしている 特に 邦題 がんばれ ベアーズ や 邦題 メジャーリーグ などは何度も続編やリメイクが制作されている 野球の試合結果を利用した 日本においては非合法な 賭博が一部の人間の間で行われている そのほとんどは野球界とは無関係な人間によるものだが 野球界自身の人間も関わっていることが判明した事件もある その一部を以下に記す ダイヤモンド は 炭素 すなわち の同素体のつであり 実験で確かめられている中では天然で最も硬い物質である 日本語で金剛石 こんごうせき ともいう ダイヤとも略される 結晶構造は多くが八面体で 十二面体や六面体もある 宝石や研磨材として利用されている ダイヤモンドの結晶の原子に不対電子が存在しないため 電気を通さない 地球内部の非常に高温高圧な環境で生成されるダイヤモンドは定まった形で産出されず また 角張っているわけではないが そのカットされた宝飾品の形から 菱形 トランプの絵柄 スート 野球の内野 記号 を指してダイヤモンドとも言われている ダイヤモンドという名前は ギリシア語の 征服し得ない 屈しない に由来する イタリア語 スペイン語 ポルトガル語では ディアマンテ フランス語では ディアマン ポーランド語では ディヤメント 漢語表現では金剛石という ロシア語では ヂヤマント というよりは アルマース という方が普通であるが これは特に磨かれていないダイヤモンド原石のことを指す場合がある 磨かれたものについては ブリリヤント で総称されるのが普通 月の誕生石である ダイヤモンドはマントル起源の火成岩であるキンバーライトに含まれる キンバーライトの貫入とともにマントルにおける高温 高圧状態の炭素 ダイヤモンド が地表近くまで一気に移動することでグラファイトへの相転移を起こさなかったと考えられている このため ダイヤモンドの産出地はキンバーライトの認められる地域 すなわち安定陸塊に偏っている ダイヤモンドの母岩であるキンバーライトは古い地質構造が保存されている場所にしか存在せず 地質構造の新しい日本においてダイヤモンドは産出されないというのが定説とされてきた しかし年 程度の極めて微小な結晶が日本の愛媛県四国中央市産出のかんらん岩から発見された 上位カ国 すなわちロシア ボツワナ コンゴ民主共和国 オーストラリア 南アフリカ共和国 カナダ だけで 世界シェアの を占める ダイヤモンドの採掘は 古くは鉱床の近くの河原などの二次鉱床で母岩から流れ出した鉱石を探し出す方式が主流であった 年にオレンジ自由国と英領ケープ植民地との国境付近でダイヤモンドが発見され その東隣にダイヤモンドの鉱床たる母岩があると地質学者が突き止めたことで方式が変わった その母岩のある地域はキンバリーと名付けられ 母岩を粉砕して大量の岩石を処理し その中からダイヤモンドの鉱石を探し出す方式が以後主流となった キンバリーの最初の鉱床には 現在ビッグ ホールと呼ばれる大穴が開いており 観光地となっている このキンバリーの鉱床の中からデ ビアス社が産声を上げ ダイヤモンドの世界市場を支配することとなった 年には独立したばかりのボツワナ共和国北部のオラパ鉱山において大鉱床が発見され その後も次と鉱床が発見されたことでボツワナが世界位のダイヤモンド生産国となり その利益によってボツワナは アフリカの奇跡 と呼ばれる経済成長を遂げることに成功した ダイヤモンドの屈折率は と高く 内部での全反射が起こりやすい またダイヤモンドのカットとしてよく用いられるブリリアントカットでは 光を当ててその反射を見る時 次の種類の輝きの相乗効果となり 美しく見える ダイヤモンドの硬さは古くからよく知られ 工業的にも研磨や切削など多くの用途に利用されている ダイヤモンドは 天然の物質の中 では最高クラスのモース硬度 摩擦やひっかき傷に対する強さ ヌープ硬度でも飛び抜けて硬いことが知られている ビッカース硬度は種類によって異なり である ただし ダイヤモンドより硬い物質はいくつか知られている 他の宝石や貴金属類と触れ合うような状態で持ち運んでいると それらを傷つけてしまう事があるので配慮が必要となる 宝石の耐久性の表し方は他にも靱性という割れや欠けに対する抵抗力などがある 靱性は水晶と同じ であり ルビーやサファイアのよりも低い よくダイヤモンドは耐衝撃性に優れているような印象があるが 鉱物としては靱性は大きくないので緩やかに加重されていく圧力に対しては高い強度を持つが 瞬時に与えられる力に対しては弱く 金鎚で上から叩けば粉に割れてしまう また 次元性の結晶構造なのでグラファイトなどに備わっている自己潤滑性はない ここで言う安定性とは薬品や光線などによる変化に対する強さの事である ダイヤモンドは硫酸や塩酸などにも変化せず 日光に長年さらされても変化は起きない 熱力学的には の下でエンタルピーで ギブス自由エネルギーで それぞれグラファイトより高く不安定であり では約 気圧以上の高圧下で安定となる ただし常温常圧において相互の転移速度は観測不能であるほど充分に遅く 常温常圧では準安定状態とされる ダイヤモンドの炭素原子が一部窒素原子に置換された立方晶窒化炭素は ダイヤモンド以上の硬度を持つ可能性があると予測されている さらに 六方晶ダイヤモンドとの別名を持つロンズデーライトは ダイヤモンドよりも 高い硬度を持つことが計算により予想されている 人工素材と含めると 年時点で存在するダイヤモンドより硬い物質は ハイパーダイヤモンドで市販の多結晶質ダイヤモンドの倍程度の硬さ また同程度の硬さの物質は超硬度ナノチューブがある ダイヤモンドの硬さは 炭素原子同士が作る共有結合に由来する ダイヤモンドではつの炭素原子が正四面体の中心にあるとすると 最近接の炭素原子はその四面体の頂点上に存在する 頂点上の炭素原子それぞれが混成軌道によって結合しており 幾何的に理想的な角度であるため全く歪みが無い その結合長は である この結晶構造を持つダイヤを立方晶ダイヤとよぶ 一方で 炭素の同素体であるグラファイト 石墨 は 層状の六方晶構造で 層内の炭素同士の結合は混成軌道を形成している この層内では共有結合を有し結合力は比較的強いが 層間はファンデルワールス結合であるため弱い 六方晶の構造を持つダイヤ ロンズデーライト も存在するが 不安定で地球上には隕石痕など非常に限られた場所でしかみつかっておらず を超える大きさの単結晶は存在しない 純粋なものはダイヤモンドよりも硬いことが予想されるが その性質はまだ分かっていないことも多い ダイヤモンドには一定の面に沿って割れやすい性質 劈開性 がある 方向に完全 ダイヤモンドは 普通の物質や道具では傷つけられないと思われているが 結晶方向に対する角度を考慮して瞬間的に大きな力を加える 燃焼などの化学反応を人為的に促進する などの方法で容易に壊すことができる また傷があれば カッターナイフを当てて軽く手で叩くだけで割れてしまう ダイヤの原石のカットはこの手法で行われる ダイヤモンドは熱伝導性が非常に高い これは原子の熱振動がフォノンとなって結晶中を伝わりやすいことによる 触ると冷たく感じるのはこのためである ダイヤモンドテスターはこの性質を利用して考案され ダイヤモンドの類似石から識別できる道具だが 合成モアッサナイトだけは識別できない とではフォノンの振動数が異なり混在はフォノンを散乱させて熱伝導の妨げとなるため だけで合成された人工ダイヤモンドは天然ダイヤモンドより熱伝導が高くなる 人工ダイヤモンドの薄板を手で持って氷を切ると すぱすぱと切れる それほどダイヤモンドが熱伝導性に優れるという バンドギャップは室温で であり 真性半導体として絶縁体だが 不純物を添加することによる不純物半導体化の試みがなされ ホウ素添加により形 リン添加により形が得られている その物性により 現在よりもはるかに高周波 高出力で動作する半導体素子や バンドギャップを反映した深紫外線が実現できるのではないかと期待されてきた 現在 自由励起子による波長 の発光がダイヤモンド接合により 物質 材料研究機構と産業技術総合研究所から報告されている バンドギャップの温度依存性については報告があるが 半経験則による計算式で用いられているデバイ温度については 負の値があてがわれたり 式自体を意味のあるデバイ温度を用いるために修正したりして報告されており 未解決になっている 形半導体ダイヤモンドでは ホウ素添加濃度が 以上で極低温で超伝導となることが報告され 半導体による超伝導現象として現在盛んに研究されている また 以上では電気伝導がバンド伝導からホッピング伝導 そして濃度の上昇とともに活性化エネルギーがほとんどない金属的伝導になることが知られている この不純物濃度と不純物準位との相関についても 不純物バンドやモットの金属 非金属転移と絡めて研究が進んでいる このような半導体としての基礎的な議論が可能となってきた現在のダイヤモンドの半導体としての品質はシリコンと互角であると言えるが 制御性は今後の研究開発がさらに必要である ダイヤモンドは油になじみやすい性質 親油性 があり この性質を利用してダイヤモンド原石とそうでないものを分ける作業もある ジュエリーとして身に付けているうちに皮脂などの汚れがつくと 油の膜によって光がダイヤモンド内部に入らなくなり 輝きが鈍くなる 中性洗剤や洗顔料などで洗うと油が取れて 輝きが戻る 逆に水には全くなじまず はじいてしまう ダイヤモンドは無色透明のものよりも 黄色みを帯びたものや褐色の場合が多い 結晶構造の歪みや 窒素 ホウ素 などの元素によって着色する場合もある 無色透明のものほど価値が高く 黄色や茶色など色のついたものは価値が落ちるとされるが ブルーやピンク グリーンなどは稀少であり 無色のものよりも高価で取引される 緑はドレスデン グリーンのように 放射線を長期にわたって受けたためである事が分かっている ピンクは結晶構造のひずみによる また 低級とされるイエロー ダイヤモンドでも 綺麗な黄色 カナリー イエローと呼ばれる物など であれば価値が高い 年に南アフリカで発見され サンドロップ と名付けられた カラットのイエロー ダイヤモンドに サザビーズは セイヨウナシの形をしており 装飾的で 光り輝くイエローダイヤとしては世界最大 と賞賛 最も希少で最も魅力的な ファンシー ビビッド イエロー の鑑定書を付けた このダイヤは年月 ジュネーブで行なわれた競売において 万スイス フラン 約億万円 で落札された 放射線処理により青や黒い色をつけた処理石も多い 最近ではアップルグリーン色のダイヤもあるがこれも高温高圧によって着色された処理石である また 無色の 目立った色のない ダイヤモンドに別の物質を蒸着することでコーティング処理した 安価な処理石もある ダイヤモンドの品質を知るための指標として アメリカ宝石学協会 が考案したもの 色 カラー 透明度 クラリティ カラット 重さ カット 研磨 によって品質を評価する ラウンドブリリアントカット 面体 に対してカット評価がされるので 他のカットの場合 カットの種類しか鑑定書に記載されない 詳しくはを参照 近年はダイヤモンド自体のスペックを測るではなく 見た目の美しさによって価値を見出す指標を考えるなど その存在価値が見直されている 例 カット カリナンは年に南アフリカで発見され カット前の原石は カラットもあり これをカットすることで合計 カラットの個の宝石が得られた これらは当時のイギリス国王であるエドワード世に献上されている 個のなかで最大のカリナンは カラットで 偉大なアフリカの星 の別名を持ち カットされたダイヤモンドとしては長らく世界最大の大きさを誇っていた カリナンはロンドン塔内に展示されており 見学することができる 現在 世界最大の研磨済みダイヤモンドは ザ ゴールデン ジュビリーである この石は カラットあり 国王ラーマ世の治世周年を記念して年にタイ王室に献上された その他 写真に示す有名なダイヤモンドについて記す さらには有名な宝石の一覧 紛争ダイヤモンドは 紛争地で採掘され密売されるダイヤモンド 年代に冷戦構造の崩壊とともに各地の反政府組織への東西両陣営からの武器援助が途絶え 新たな財源を求めた反政府組織がダイヤモンド利権に目を付けたことから大きな問題となった 反政府組織の財源となり紛争の拡大 長期化の原因となる シエラレオネ リベリア アンゴラ コンゴ民主共和国などで採掘されたものが特に問題となった これらの国で悲惨な内戦が激化するにしたがって国際的に取引を禁止する動きが起き 年のアンゴラからのダイヤモンド輸出を禁じる国連決議などを受け 年月日にはアントウェルペンで開催された世界ダイヤモンド会議によってダイヤモンド輸出入の認証制度が提案され 年月日から月日にはそのための新組織ワールド ダイヤモンド カウンシルが結成された そして 年月に 紛争地からのダイヤモンド輸出入の禁止を目的としたキンバリープロセス認証制度が制定された 高温高圧法 静的高温高圧法と動的高圧高温法がある は 炭素に 気圧の高温高圧をかけてダイヤモンドを合成する 静的高温高圧法では 鉄 ニッケル マンガン コバルト 塩化ナトリウムなどの触媒や窒素などの不純物 の混入などで黄 緑 黒やこれらの混合した色等の結晶として生成され 主に工業用ダイヤモンドとして研磨や切削加工 ルータービットやヤスリ ガラス切り に利用されている 高温高圧法は日程度の加圧加温で合成されるが 週間程度に加圧加温を延長して結晶の成長を促せば 宝飾品レベルのダイヤモンドは人工的に合成可能である 技術的な面では何も問題は無く 単純な採算性の問題となっている 大気圧近傍で合成が可能な化学気相成長法 熱法 プラズマ法 光法 燃焼炎法などがある によりプラズマ状にしたガス 例えば メタンと水素を混合させたもの その他にメタン 酸素やアセチレン 酸素などがある から結晶を基板上で成長させる方法などが知られている 化学気相成長法 法 によって という低速度での人工ダイヤモンド合成が年代に行なわれていたが 年頃に米カーネギー研究所が開発した 窒素を加える方法で の速度になってからは ボストンのアポロ社で宝飾用のダイヤモンドを製造して販売している 紫外線によるオレンジ色の発光や レーザーを使用したフォトルミネッセンスによる独特の吸収線 カソードルミネッセンスにおける成長模様などによってと天然ダイヤモンドの違いが検出できるようになってきている プラズマなどの気相合成法により他物質へのダイヤモンドのコーティングは可能であり 一部のドリルや音響機器で実用化されている 上述の高温高圧合成などによって合成された工業用ダイヤモンドはもはや高価な材料ではない 工業用ダイヤモンドにも多種あるが 金の分の程度の価格で取引されているものが多い ダイヤモンドを工業用途として使用する最大の特徴はその硬さである 工業用ダイヤモンドや宝飾用途に適さない色の天然の結晶を用いることで 電子材料 超硬合金 セラミック アルミニウム系合金 ガラスなどの高硬度材料 難削材料の研削 ダイヤモンドカッター 研磨 ダイヤモンドやすり ダイヤモンドペースト をはじめとして 切削用バイト 木材加工などオールラウンドな加工が可能である 工業用ダイヤモンドには用途により 数ナノメートルから数ミリメートルまでの粒径 形状 破砕性 表面状態などによる多くの品種がある また 前述のバイトは超硬合金を基板にダイヤモンドをコバルトなどと共に焼結することによって得られるダイヤモンド焼結体を指すこともある しかしながら ダイヤモンドは高温下で鉄 コバルト ニッケル と容易に化学反応を起こす などの性質のために 鋼など鉄基合金や耐熱合金の切削には適さない ダイヤモンドが使用できない分野では 代わりに立方晶窒化ホウ素 の焼結体 ボラゾン を用いる 大部分のダイヤモンドは不導体であるが ホウ素が微量含まれた型のダイヤモンド結晶は型半導体の特性を持ち 燐が微量含まれると型半導体となる これらを使用した 金属 半導体結合 型や 金属 半導体の間に絶縁体を挟む結合 型の 電界効果トランジスタ 半導体素子が研究されている 窒化ケイ素の基板上に微量ホウ素を含む型半導体のダイヤモンドを作ると の広い温度範囲に対して直線的に抵抗値が変化する高精度の温度センサーができる これは圧力センサーとしての利用も検討されている ダイヤモンドアンビルセル は 天然または人工合成のダイヤモンドを使って超高圧を実現するための機械 小さなダイヤモンドをつ用意し その間に試料を挟み込んで圧縮する 小型 手のひらサイズ で透明 リアルタイムで光学的な観測が可能 であり サブテラパスカル 数百万気圧 数百 までの加圧が可能である 鉱物学や物性物理学などで用いられる 一方 ダイヤモンドそのものが大型化できないので 試料は大変小さなものにしなければならない ダイヤモンド以外に サファイヤ 炭化ケイ素を使ったアンビルセルもあるが 加圧できる圧力はダイヤモンドよりも劣る なお アンビルとは金床のことである レコードプレーヤーのレコード針に使われる他 スピーカーの高域ユニットの振動板としても使用される チタンなどの軽金属で形成されたベースに化学気相成長法でダイヤモンドをコーティングした製品が多い 樹脂のベースに厚くダイヤ皮膜を形成し その後ベースを熔解除去し ダイヤモンドだけで形成される振動板も登場した 宝石用の人工ダイヤモンドも製造可能である 天然では貴重なカラーダイヤモンドも作製可能であるが その鑑定書を作成する公的機関では 決められた手順に沿って評価され その過程で天然 人工の区別も行われている 評価方法は 目視 顕微鏡観察から 赤外線および紫外線の吸収 反射 透過による測定 レーザーによるフォトルミネッセンス ラマン分光法 電気伝導度測定などあらゆる角度で進められる 天然ダイヤモンドを取扱う業界にとって 合成ダイヤモンドの宝石市場への進出は脅威になりつつある 天然ダイヤの流通企業らは 彼らが取得した全ての特許情報を開示し 宝石にシリアルナンバーをレーザーで刻む方法を行った 米国フロリダ州に本社を置くジェムシス社の公式サイトには シリアルナンバー付きの宝石が紹介され これらには とシリアルナンバーの前に という文字を付け加えている ナノダイヤモンド は毒性がないので化粧品 口腔内用品に利用可能である 例えばローション フェイスマスク 乳液 シャンプー 保湿クリーム 歯磨き粉 マウスウォッシュ液 皮膚の老廃細胞削剥 皮膚接合用テープ等 宝飾用のダイヤモンドの代用品 イミテーション としては ジルコニア 二酸化ジルコニウムの結晶 やガラスが用いられる ダイヤモンドとそのイミテーション 模造ダイヤモンドの見分け方として フェルトペンで結晶の上に線を書くというものがある ダイヤモンドは親油性の物体であり 油脂を弾かない 一方 ジルコニアなどのイミテーションや模造ダイヤモンドは油を弾く性質を持っている したがって 油性フェルトペンの筆跡が残らなければ偽物だと見分けることができる その他の方法としてはラインテストがある 黒い線の上にダイヤモンドをテーブル面を下にして乗せると 下の黒い線は見えないが キュービックジルコニアでは下の黒い線が透けて見える また 本物のダイヤより硬度に劣るため磨耗しやすい 宝石商などがルーペでダイヤを見て真贋を判定するシーンが映画 ドラマ等でよく見られるが あれはカットされた角の磨耗を見ており 本物のダイヤは当然磨耗で角が丸まることがない また水晶などダイヤモンドとは全く組成が異なる鉱物を指して ダイヤモンド には産地名などが入る などと呼ぶことがある こうした名称はフォールス ネーム またはフェイク ジェムストーン といい 販売業者が値を吊り上げるなど 手前の都合良いよう勝手にこじつけただけのものである 紛らわしいので 現在はまともな宝石店 ジュエリー ショップではその使用を避けている ダイヤモンドは その堅さと煌びやかさから 貴重なもの 高価なもの お金になるもの の比喩としてよく使われる また 色を冠して特定の商品を表すこともある 野球場のダイヤモンド など 単に菱形の物に対しても使われる ダイヤ シンボル 記念祭では 周年または周年のシンボルをダイヤモンドとする 例えば ダイヤモンド婚式 は結婚周年 ダイヤモンド ジュビリー は周年または周年の記念祭を意味する語である 宝石として登場する多くの作品以外に 以下では特徴的な取り上げられ方をされている このほか的なダイヤモンドの用途として 地球攻撃用のレーザー軍事衛星 映画 ダイヤモンドは永遠に や雹の核 パタリロ スターダスト計画 熱線の反射ミラー ゴジラビオランテ に登場するスーパー などがある ハイパーテキスト トランスファー プロトコル 略称 とは ブラウザがサーバと通信する際に主として使用する通信プロトコルであり インターネット プロトコル スイートのメンバである などのテキストによって記述されたページ等のコンテンツの送受信に用いられる や によって記述されたハイパーテキストの転送を主な目的としているが それ以外にも バイナリ形式の画像 音声を含め 様なデータを扱うことが可能である トランスポート プロトコルとしてを使用する はリクエスト レスポンス型のプロトコルであり クライアントがサーバにリクエストメッセージを送信する 基本的な考え方は非常に単純で 何を どうして 欲しいのかを伝える が 何を メソッドが どうして に当たる サーバはこれにレスポンスメッセージを返し 基本的にこの時点で初期状態に戻る つまり サーバはクライアントの状態を保存しない におけるページなどのリソースは によって指定される を使用してリソースにアクセスするときは が先頭についた を使用する 下に の例を挙げる 最初の ではを指定してコンテントをダウンロードするのみの簡単なやりとりであったが で改良された では複数データを効率よく転送するための持続的接続や プロキシの利用等も想定した仕様になった このほかの点を箇条書きで示す イギリスの物理学者ティム バーナーズ リーは年末 ロバート カイリューと共に初のブラウザとサーバを作成した ブラウザには通信をするためのプロトコルが必要だったので 二人はの最初期のバージョンを設計した 以来インターネットの大部分を通信が占めるようになり 年にはインターネット上の通信の がによるものになった 最初期の の仕様書は紙に印刷すれば枚で済むような非常に簡素なドキュメントであったが 度のバージョンアップを経た の仕様書は実にページ近くの分量に膨れあがった のリクエスト 名前ベースバーチャルホストをサポートした インターネット人気に伴い多くの企業がサイトを持ち始めたが 当時はまだまだ企業が自前のサーバを運用するのは人員 効率の問題で難しく のサーバでホスティングをしていた また 一社ごとに専用サーバを用意するほどのことでもないため 一台のサーバで複数のサイトを運用していた しかし アドレスのみで相手を特定する はこれに対応できなかった 例えば ある台のサーバに と という二つの仮想サーバがあり クライアントは にアクセスしたいとする この場合はサーバに のアドレスを問い合わせ 次にそのアドレスを使って該当サーバにアクセスし を要求することになる しかし同じサーバ上にある もアドレスは同じであり もし両方の仮想サーバに というファイルが存在すれば クライアントがどちらにアクセスしようとしているのか 判別できない 対策としてはそれぞれにアドレスを付与する方法もあるが の資源を無駄にすることになる この問題を解決するため ヘッダが追加された のリクエスト の目標は のトランザクション セマンティクスとの完全な後方互換性を維持したまま非同期な接続の多重化 ヘッダ圧縮 リクエストとレスポンスのパイプライン化を実現することである によって立ち上げられ のブラウザーであるだけではなく 他にも 等が対応している互換のプロトコルの人気が高まっていることに対応するために開発された としてが開発していた新たな通信プロトコルが へと改名される が策定を進めているはトランスポート層におけるプロトコルの名称であり アプリケーション層プロトコルである との区別を明確にするため このような名称変更に至った と比べ 多重化するストリームの取り扱いが下位層のへ移行したこと を回避するためのヘッダ圧縮の変更 用にが開発されている などの差異がある 他のプロトコル同様 クライアント側とサーバ側では役割が大きく異なる 通信を開始できるのはクライアント側のみである クライアント側がサーバにリクエストを送り サーバがクライアントにレスポンスを返すのが最も典型的なのやりとりである システム間でメッセージをやりとりするには接続を確立させる必要がある ではクライアントのリクエストごとに接続を確立させる必要があった これは当時のサイトがシンプルなテキストベースであることが多かったためである 近年ではやアニメーション画像など 多数のオブジェクトが埋め込まれたサイトが一般的となってきており これらのオブジェクトを取得するたびに接続を確立するのはサーバやネットワークに大きな負担を強いるため 回の接続で 複数のリクエスト レスポンスをやり取りする持続的接続が の拡張として導入された その後 では 持続的接続がデフォルトとなった すなわち 何も指定しなければ持続的接続となり 持続的接続を望まなければヘッダーフィールドに を追加する仕様となっている クライアントは前のリクエストに対するサーバの応答を待たずに別のリクエストを発行できる ではつのメソッドが定義されている ただし 実際の通信ではとメソッドだけで殆どを占める の仕様以外で定義しているメソッドは の で管理されている で使用するものや のなどがある 上記参照 別のに対して再度のメソッド実行を要求する機能である や などのリダイレクトを指示するステータスコードとを受け取り クライアントはこのに再度メソッドを実行する リクエストとレスポンスでやり取りされるデータは メッセージと呼ばれる クライアントからリクエストメッセージを送り サーバーからレスポンスメッセージを返す リクエストメッセージはリクエスト行 ヘッダーフィールド ボディで構成され レスポンスメッセージは ステータス行 ヘッダーフィールド ボディで構成される ヘッダーフィールドとボディは空となる場合もある 下にもっとも単純なクライアントとサーバ とのやり取りの例を挙げる クライアントのリクエスト この例では リクエスト行のみで ヘッダーフィールドとボディは空となっている リクエスト行はメソッド リクエストターゲット バージョンのつの要素から構成され それぞれスペースで区切られる メソッドは リクエストターゲットは バージョンは である はリソースを取得するためのメソッドであり リクエストターゲットの はのパス部分であってルートリソースを対象にしたリクエストであることを示している サーバのレスポンス 先頭のステータス行はバージョン ステータスコード メッセージから構成される ステータスコードの は処理の成功を表し これを補足するメッセージが である さらに空行を挟んで レスポンスボディとなる ヘッダの各要素はフィールド名 内容のペアで構成される ブラウザの情報を表す 使用候補言語を表す 他ページへのリンクを辿った場合にそのリンク元ページのを表すなどが代表的なフィールドである なお リクエスト時のヘッダは では必須であるが ではなくてもよい ただし サーバがバーチャルホストを利用している場合は ヘッダがないとリソース取得に失敗するので たとえ を使用していてもヘッダを付加しなければならない ステータスコードはサーバからのレスポンスで リクエストの結果を通知する 桁の数字から成り おおまかな分類として は 情報 は 成功 は リダイレクト は クライアントエラー は サーバエラー を示す いくつかの観点でセキュリティに関する追加機能が存在する セキュアな通信路で通信を行うことを通常と言う の中で認証を行う仕組みが用意されている で定義されている最も単純なセキュリティ技術である 基本認証を用いるくらいならなにも使わない方がまし と主張する人もいる 平文で認証情報を送信する仕組みであるため など安全を確保した通信路での利用が望ましい 通常サーバはステータスコードで応答する ラオス人民民主共和国 ラオスじんみんみんしゅきょうわこく 通称ラオスは 東南アジアのインドシナ半島に位置する社会主義共和制国家 東南アジア諸国連合 加盟国 通貨はキープ 人口約万人 年時のラオス政府発表による 首都はヴィエンチャンである ラオス人民革命党による一党独裁体制が敷かれている その政治体制はラオス人民革命党 パテト ラオの政党 による一党独裁体制である エコノミスト誌傘下の研究所エコノミスト インテリジェンス ユニットによる民主主義指数は 世界位と後順位で 独裁政治体制 に分類されている 年度 また国境なき記者団による世界報道自由度ランキングも位と後順位であり 最も深刻な国の一つに分類されている 年度 人権状況についてヒューマン ライツ ウォッチは 人民の基本的自由が著しく制約されていること 労働権が不在であること 薬物使用の疑いがある個人を起訴しないまま人権侵害が横行する薬物常用者拘留センターに拘禁していること 活動家を強制失踪させていることなどを問題視している 経済面では年以降社会主義計画経済のもとにあったが ソ連のペレストロイカやベトナムのドイモイの影響を受けて年から 新思考 チンタナカーン マイ 政策と呼ぶ国営企業の独立採算制 民営企業の復活など市場経済化への経済改革を行っている しかし経済状態は厳しく 国連が定める世界最貧国の一つである また近年は中華人民共和国が主導する経済圏 一帯一路 に強く依存した結果 その債務返済に苦しめられ 重要インフラの権利を中国に明け渡すという 債務のワナ に陥りつつある 外交面では王政時代の年に国連に加盟し 年に東南アジア諸国連合 に加盟 年に社会主義体制になって以降ベトナムとの外交を軸にしてきたが 近年は中華人民共和国への依存度を高めた結果 同国の強い影響下に置かれている 軍事面では徴兵制が敷かれており ラオス人民軍の兵力は 万人 年 ほどであり 軍事費は万ドル 年 ほどである 正規軍の他にも地方防衛用の民兵である自衛隊が万人いるといわれる 人口は年のラオス計画投資省の発表によれば万人 住民はタイ諸族の一つであるラオ人が半数以上を占め 最も多いが 他にも少数民族が多数暮らしており ベトナム人や中国人なども住んでいる 地理としては加盟カ国中唯一の内陸国で 面積は日本の約 に相当し 国土の約 は高原や山岳地帯である その間をメコン川とその支流が流れている 国土は南北に細長く 北は中国 東はベトナム 南はカンボジア 南西はタイ 北西はミャンマーと国境を接する 正式名称はラーオ語で ラテン文字転写 読み サーターラナラット パサーティパタイ パサーソン ラーオ サーターラナラットが 共和国 パサーティパタイが 民主主義 パサーソンが 人民 ラーオが ラーオ族 を意味する 公式の英語表記は ラウ ピープルズ デモクラティック リパブリック ビザなどでは と略される 通称は ラウス または ラオス 日本語表記はラオス人民民主共和国 通称はラオス 日本での漢字表記は羅宇 老檛 一方 中華人民共和国国内では 老撾 と表記し 老 と省略するが 台湾 香港 マレーシア シンガポールでは 寮國 と称し 寮 と省略する ラオス華人の間では 寮 が広く使われており ヴィエンチャン市内には中国語学校の名門 寮都学校 がある また 日寮 寮華などの略称を冠する団体 企業はラオス国内外を問わず多数存在する ラオスの歴史は 中国南西部 現在の雲南省中心 にあったナンチャオ王国 南詔国 の支配領域が南下し この地に定住者が現れた時代に始まる 王国滅亡後の年に ラーオ族による統一王朝ラーンサーン王国がにより建国 年に即位のセタティラート王の時代には 首都をヴィエンチャンに移し その勢力は現在のタイ北東部やカンボジア北部にまで及んだ ラーンサーンとは 万のゾウ という意味である 昔 ゾウは戦争の際に戦車のように戦象として使われていたので この国名は国の強大さを示し 近隣諸国を警戒させた 第二次世界大戦中は日本が仏ヴィシー政権との協定によりフランス領インドシナを占領した 仏印進駐 大戦末期の年月には日本がラオスの地に軍を入れてフランスの植民地支配を排除し ラオスは年月日に日本の協力下で 独立を宣言をした だが大戦後 フランスは仏領インドシナ連邦を復活させようとしたことが原因で 年に第一次インドシナ戦争が勃発 年 ラオスはフランス連合内のラオス王国として名目上独立した 東西冷戦と中ソ対立という国際情勢下で ラオス人民民主共和国は内政 外交両面でベトナムと それを支援するソビエト連邦の影響下に置かれた 憲法の前文で 人民民主主義 を謳い 第条では ラオス人民革命党を主軸とする政治制度 と規定されているなど マルクス レーニン主義を掲げるラオス人民革命党による社会主義国型の一党制が敷かれている 政府の政策決定は 人で構成される党の政治局と 人で構成される党の中央委員会において決定される 特に重要な政策に関しては さらに大臣の会議で審議される 国家主席を元首とする社会主義共和制国家であり 国家主席は国民議会で選出され 任期は年 職務の補佐 代行のために国家副主席がいる 行政府の長は首相である 国家主席に指名され 国民議会で承認を受ける 任期は年 副首相が 人 各省大臣 省と同格の機関の長により構成される 首相は 副大臣 県副知事 中央直轄市副市長 郡長を任免する権限を持つ 年月 首相と政府を補佐し 閣議を準備し 政府に資料を提供する機関として 政府書記局が設けられた 立法府は一院制の国民議会 議席で 民選 任期年 休会期間中は国民議会常務委員会が国政監視などの権限を代行する 議席数は 年選挙では 年選挙では 年選挙ではと増やされてきた 国防の中心はラオス人民軍が担う 他には民兵組織がある 年の国防予算は 万ドル 徴兵制で陸軍 人 空軍 人から成る 車輌 航空機等の装備は旧ソ連製のものを多く保有している 歴史的にベトナム人民軍と関係が深いが 近年は中国人民解放軍との交流が活発化してきている 地方に議会を設置しないで 県知事は国家主席が 郡長は首相が それぞれを任命するという中央集権的地方行政制度をとっている 首都のヴィエンチャン市を含む 広域ヴィエンチャン行政区であるヴィエンチャン都 ナコーンルアン ヴィエンチャン と県 クウェーン から構成される 以前はサイソムブーン特別区 ケートピセート サイソムブーン が治安上の理由から首相府の直轄下に設けられていたが 年に廃止された その後 サイソムブーン特別区は県に昇格して復活した ヴィエンチャン都と県の下には前後の村 バーン から成る郡 ムアン がある ムアンにはラオス語で 郡 の他に 街 という意味もあり 日本の市町村に相当するものだと考えられる ヴィエンチャン都を除き 全ての県には県庁所在地となる郡があり そこが県都とされている 県都とされる郡の名称は ポンサーリー郡 や ルアンナムター郡 のように県の名前と合致する場合 サイ郡 や サマッキーサイ郡 のように県の名前とは全く異なる場合があるが ラオス人の多くは他県のことであれば県の名称 県都 チャンパーサック県など一部例外はあるものの であり 一般人で県都の名称を全て正確に覚えている人は少ない ヴィエンチャン県 ヴィエンチャン県はヴィエンカム県に改称する決定がラオス国民議会で決議された ヴィエンチャン都 首都 ヴィエンチャン カムムアン県 ターケーク郡 サワンナケート県 サワンナケート 旧称 カンタブーリー郡 ラオス第二の街 サイソムブーン県 元特別区 ボーリカムサイ県 アッタプー県 ホーチミン ルート サーラワン県 セーコーン県 チャンパーサック県 パークセー郡 ラオス第二の街 ボーラウェン高原 シーパンドン ラオスの首都はヴィエンチャンで 主要都市にルアンパバーン サワンナケート パークセー パクセー などがある ラオスは 海と接しない内陸国である 国土の多くが山岳で占められており 隣国に比べて比較的森林資源が多く残っていた地域であるが 近年急激な森林破壊が問題となっている 国土面積の は二次林 年 そして この森林地帯でも多くの人が生活している 原生林は 国土面積の である ビア山 標高メートル が最高峰である メコン川周辺には小さく平地が広がっている メコン川はラオスを貫いて流れており ミャンマーと またタイとの国境をなしている タイとの国境線の分のはメコン川である また 国境として隔てるだけでなく 人や物が行き来する河川舟運にも利用されている 年 フランスは 雲南とサイゴンを結ぶ通商路としてメコン川を利用しようと探検隊を派遣した 探検隊は中国まで到達はしたが カンボジアとラオスとの国境にあるコーンパペンの滝が越えがたかったので 通商路としての可能性は否定された それでも今日 年代 ヴィエンチャンと雲南 景洪 中国とラオスの国境にある との間で物産を満載した船が行き来し 大切な交通路となっている メコン川の乾季と雨季の水位の差は ヴィエンチャンでメートルを超えることもある 乾季の終わりの月頃には最低の水位になり 小さな支流では水がほとんどなくなってしまい メコン川本流でも驚くほど水位が下がってしまう しかし 月の雨季とともに水量が増し 月には自然堤防を越えるほどの水量になり 低地を水で覆うほどになる メコン川は 栄養塩類が少ないが 雨季に洪水となる後背地 氾濫原の底土からの栄養塩類を受けられる そのため藻類やプランクトンなどが多く発生し 草食性 プランクトン食性の魚の藻場になっている このようなことから魚類が多く 周囲の人たちの漁場になっている ラオスの気候はモンスーンの影響で明瞭な雨季と乾季がある 都市部以外の幹線道路の多くが舗装されていない ラオス国営航空が首都ヴィエンチャンのワットタイ国際空港を拠点に国際線と国内線を運航している ラオ セントラル航空はラオス初の民間航空会社であり 年月に設立された ワットタイ国際空港にはタイ国際航空 中国南方航空などが海外から乗り入れている 主要産業は農業であり 人口の が従事しの を占める によると 年のラオスのは億ドル 一人当たりのは ドルであり 世界平均の に満たない水準である 国際連合による基準に基づき 後発開発途上国と位置づけられている 年にアジア開発銀行が公表した資料によると 日ドル未満で暮らす貧困層は国民の を超える万人と推定されている この間 ソ連やベトナムを中心とする東側諸国からの多大な援助に依存する経済構造であった そのため 年から年にかけて東欧諸国で起こった共産政権の瓦解は ラオスにとっても危機であった この時期に価格の自由化を行ったことによって 激しいインフレと通貨キープが大幅に下落するなど経済は混乱した 政府はのアドバイスの下 経済引き締め政策を実施した また 西側先進国との関係を改善し 国際機関や西側先進国からの援助が増大した結果 年には経済が安定した 国内ではタイバーツが自国通貨のキープと同じように流通し バーツ経済圏に取り込まれている 米ドルも通用するので ホテルやレストランから市場や街の雑貨屋まで このつのどの通貨でも支払いができる 中国国境近くでは 人民元も通用する 観光のほか 国土の約半分を占める森林から得られる木材 ナムグム ダムを始めとする水力発電の隣国タイへの売電 対外援助などが主な外貨源となっている この中でも特に水力発電によってラオスは東南アジアのバッテリーと呼ばれている とりわけ 隣の大国である中国の進出は目覚ましく 官民挙げて中国から業者や労働者がラオスに流入している 年には ビエンチャンに中国系の店舗が集まるショッピングモールが出来た また 首都には中国が建設した公園が完成し ダム工事など主に日本が行ってきたインフラ整備にも進出している 他にも ラオスが主催する東南アジア スポーツ大会のメインスタジアムも 中国政府系金融機関の約億円の援助により着工 完成するなど ラオス国民の間には中国に対する好感度が広がっている ラオスに中国が進出する理由は メコン川地域に豊富に眠っているとされるボーキサイトやカリウムといった資源を獲得するためだと言われている 少ない人口が満遍なく分散して暮らすラオスでは 大部分の人は稲作を基盤とする農業を営んでいる まず 自給米を確保して余剰分を販売し 現金収入とする ラオス人の主食はもち米である 自給農業を基盤とした分散型社会である ラオスでは 毎年約万 万トンのコメが生産されている 雨季は稲作 乾季は野菜等の栽培を行っている農家が多い 生産高は 年コメ万トン 野菜類 万トンである 労働人口の約割が農業に従事しており は低いが食料は豊富で 飢餓に陥ったり 物乞いが増えたりするといった状況にはない 貧しい国の豊かさ と言われるゆえんである 稲作は 平野部で行われる水田水稲作と山地の斜面を利用した焼畑陸稲作とに大きく分けられる 水田は 小規模な井堰で灌漑し 親から子へと相続し 人はそこに定着している 焼畑は太陽エネルギーと水循環がもたらす森林植生回復力に依存した農業であるため 土地への執着は少なく 集落内外での移住を人はいとわない 近年は 現金収入を得やすいパラゴムノキの栽培をする地域が現れている メコン川流域は降雨量に恵まれ 土壌が肥沃なため葉菜類の栽培も多い パクセー市郊外のボロベン高原は良質なコーヒー キャベツ ジャガイモの産地であり コーヒーはラオス最大の輸出農作物 また 近年まで農薬や肥料の使用がされてこなかったことから 無農薬栽培の作物を育てて輸出する動きもある ラオスの山林にはマホガニーやチークなどの木材が豊富だが 世紀からフランスが徹底的に伐採した 現在ではマツが主に日本に輸出されている ラオス高地のマツは樹齢数百年という巨大で良質なものが多く 年間万立方メートルの山林が伐採され日本へ送られる 級のクズ材はラオス及びベトナムのバイヤーに売られる マツとともに常緑森林が根こそぎ伐採されるため 保水機能が大きく損なわれ大きな問題となっている ラオスの鉱業資源は未開発な段階にある 例えば 肥料の原料などに利用できるカリ岩塩の大規模な鉱床が発見されており 面積はに及ぶ スズ鉱床の埋蔵量は億トンに及ぶと見積もられている アンチモン イオウ 金 タングステン 鉄 銅 鉛 マグネシウム マンガンの鉱床も発見されている しかしながら 険しい山脈が縦横に広がる国土 未整備な交通インフラなどのため 年時点では 石炭 万トン スズ トン 塩 トン に留まっている 唯一開発が進んでいるのは宝石であり 年にはサファイアの生産量が万カラットに達した ラオスは落差が大きい河川が多い割には人口が少なく 工業の発展が遅れている このため水力発電所の建設が相次ぎ タイなどに電力を輸出している ただ国内の送電網整備が遅れているため 売り先のタイから電力を輸入する矛盾も抱えている 内陸国であり外洋に面した港を持っていない メコン川は大型船も航行できる川幅はあるが ラオス南部にコーンパペンの滝群があるため 外海から遡上できない こうした物流面でのハンディは 外海に面した港湾を持つ周辺諸国との道路 鉄道整備により克服されつつある このため 賃金上昇や人手不足に直面しているタイに比べて労働力が豊富で人件費が安い タイ プラスワン の対象国として カンボジアやミャンマーともに注目されている ただ現状では製造業は発展途上で 市場に並ぶ工業製品の大半はタイ製か中国製である かつて近代的な設備を備えた大きな工場は ビールや清涼飲料水などを生産する国営のメーカー ビア ラオ が目立つ程度であった ラオスの酒といえば 米を原料とする焼酎ラオ ラーオがあるが 生産は家内制手工業レベルにとどまる 伝統的な織物も名高いが 多くは農家の女性たちの副業として手作業により作られている 人口密度は 辺り人 ちなみに ベトナムは人 タイは人 中国 雲南省は人 カンボジアは人 ミャンマーは人であり ラオスは人口が少ないことが分かる ラオスには 大きい人口を抱える広大な地域がない たとえばベトナムの紅河デルタ メコンデルタ タイのチャオオプタデルタ ミャンマーのイワラジデルタのような政治 経済の中心地になる地域がない 最大の人口を抱える首都ビエンチャン市でも人口万人である 一番多いのはラーオ族であり それに少数民族が続く しかし ラオス政府はラオス国籍を持つ者を一様にラオス人として定義しているため 公式には少数民族は存在しない ラオス政府の定義するラオス人は住む地域の高度により 低地ラーオ族 ラーオルム 国民の約割 ラオス北部の山間盆地 丘陵地ラーオ族 ラーオトゥン 国民の約割 山麓部に居住 水田水稲作と焼き畑の両者を組み合わせ 高地ラーオ族 ラーオスーン 国民の約割 山深くに居住 陸稲 トウモロコシを焼き畑で栽培 に分けられる 実際には フアパン県にカム族 タイデン族 タイダム族 モン族 青モン族 黒モン族 ヤオ族が ウドムサイ県にはモン族が ポンサーリー県にはアカ族とタイダム族が ルアンナムター県にはランテン族や黒タイ族 タイルー族 タイダム族 アカ族 イゴー族 ヤオ族 モン族が住んでいる このような標高による住み分け分布ができたのは 紀元前からモン クメール系の人がこの地域に暮らしていたが 世紀頃からタイ系の人が南下してきた その後 清代末期の世紀後半からモン ミエン系やチベット ビルマ系の人が中国南部から移住してきた 漢人の支配 干渉を嫌い移住してきたと言われている 言語はラーオ語が公用語である その他 各民族語が使われている 英語は ホテルなどで通じる ラーオ語とタイ語は同一言語に属する個別の地域変種の関係 平たく言えば ラーオ語とタイ語はそれぞれが互いに方言関係 にあるが ラオスではタイからの影響力を遮断するため ラーオ語の独立性を強調する傾向にある また 代以上でフランス式教育を受けた者や政府幹部 エリートなどはフランス語も通用する 宗教は上座部仏教が アニミズムやその他の宗教が であるが しばしば仏教とアニミズムが混同されて信仰されていることがある その他ラオス南部ではキリスト教も信仰されている ほとんどの女性が夫の姓に改姓する 夫婦同姓 が 改姓しない女性もいる 夫婦別姓 ラオス国内には ユネスコの世界遺産リストに登録された文化遺産が件存在する 詳細は ラオスの世界遺産を参照 ラオスの新聞は 英語新聞 ヴィエンチャン タイムズ 及びフランス語新聞 ル レノヴァテュール を含め全て政府機関発行である 更に 公認通信社カオサン パテート ラオ が同名の英仏語版新聞を発行している 主なラーオ語新聞としては パサション ヴィエンチャン マイ がある ラオスではラオス国営ラジオ の放送が中波 短波 にて行われている テレビはラオス国営テレビ がつのチャンネルで放送されている またタイからのテレビ放送を視聴している人も多い 一方で 国境無き記者団 が発表している世界報道自由ランキングの年版では 中華人民共和国に次いで低い位に選ばれている オーキャムル オーキャメル は フランスの が開発したプログラミング言語の方言とその実装である の各要素に加え オブジェクト指向的要素の追加が特長である かつては という名前で その略として と広く呼ばれていたが 正式に に改名されたとしている もとの処理系も配布され続けており という名前になっている 英語ではは ラクダ と同様に発音されており アイコン等にもラクダを使っている の特徴の他に 関数型とオブジェクト指向の両方を併せもつことが特徴的である ただしそのため オブジェクト指向を利用した破壊的操作を伴うプログラムがかなり容易に書けてしまう また 多相バリアント型という特殊なバリアント型により 通常のバリアント型については代数的データ型を参照のこと サブセットとスーパーセットの関係になっているバリアント型などを記述できるなどといった特徴もある 処理系としての特徴は 関数型言語としてはかなり高速に動作することが挙げられ でコンパイルされた言語と互角かやや遅い程度と言われる 関数型言語としては比較的アプリケーションの数が多く 例えばにおいての記述から および画像の数式を生成するプログラムもで記述されている は の前身であるの方言とその実装である 現在も という名前で配布され続けている は ペンシルベニア大学 当時 の住井英二郎がで実装した 似のの小型版である 同作者により コンパイラが 自身で書かれている は 年度の未踏ソフトウェア創造事業に採択された コンパイラは教育目的での利用を主眼としている わずか行前後のコードで書かれており 実装されている機能はのサブセットである バックエンドはとに対応しており ある程度の学習をすれば比較的容易に改造を行うことができる 実際 有志によって用に出力できるバージョンも提供されている バックエンドをに置き換えた例も報告されている および関数型言語の普及と理解に一定の役割を果たしている やのような方言ではなく の処理系の実装に 利用している 完全なを実装する など 研究用の改造のベースとして 規模の大きくなった ではなく を利用する例がみられる 以下の例は プログラム自体としてはと比べ特別なものでもないし オブジェクト指向を活用したものでもないが を含む では旧来のや からの記法や演算子や名前の変更が多く 簡単なプログラムでもそのままではエラーになるものが多いので ここでは のコードを示す 特徴として 型推論の活用により 多くの場合に型の宣言が必要なく 一部の静的型付き言語にありがちな煩雑さがないことが挙げられる の例を示す 以下のプログラム は クイックソートのコード例を示す は多くの関数型言語と同様 再帰処理に秀でる また などにも見られるパターンマッチの機能がここでも使われている 以下は ラムダ計算の教科書などに見られる 自然数のチャーチ符号化のコード例である チャーチ数は 高階関数として表され 関数と値を受け取りに回を適用する関数として定義されている チャーチ数を自然数に変換するには チャーチ数 実体は関数 に インクリメントする関数と初期値を渡せばよい は関数型言語であるため 数学的なプログラミングの理論そのままに 記述することができる アイフェル エッフェル は頑健なソフトウェアの生産に注力したオブジェクト指向プログラミング言語である 少し前 オブジェクト指向の教科書的言語といえば かか という状況で 手続き型言語でののような存在であった 多重継承 ガベージコレクションといった特徴があるが 設計者によってライブラリのメンテナンスが重視されており 契約による設計 契約プログラミング の概念が全面に打ち出されている 同じくオブジェクト指向を取り入れた言語であるほどは普及していない など が追いかけているところもあるが インタフェースによる継承 あり とかぶるところが多い また のようにネイティブコードを直接生成するのではなく 言語やのコードを生成する という特徴ももっている 言語名の由来は エッフェル塔ではなく その設計者ギュスターヴ エッフェルである は クラスとはオブジェクトの生成機である という考え方が徹底しており このため両者の概念を混同するようなクラス変数やクラスメソッドの機能は存在しない このことは クラスもオブジェクトの一種である と考える とは対照的である また クラス に対する考え方も独特で 例えば ではソースファイルをコンパイルすると クラスファイル というファイルを作るのを見てわかるように 一般的には ソースコード は クラスの設計図 という概念であるのに対し では クラス とは ソースコードそのものである という考え方である コンパイルして生成されるファイルは クラス ソースコード によって作られたインスタンス という考え方であり このため ではメインルーチンに相当する処理をコンストラクタで行う コンストラクタは下で宣言されたメンバ関数が使用される このメンバ関数はどんな名称でも構わないが慣例的にとする場合が多い 作成したクラスを使用する場合は クラス名 でインスタンスを作成する コンストラクタが指定されているクラスは上記の構文中で必ずコンストラクタを呼び出さなければならない クラスの継承を省略した場合は というクラスの継承クラスとして扱われる 入出力などのグローバルな機能は クラス内で定義されており 各 のクラスではこれらの機能の実装に関して考慮をする必要性がないようになっている なお はクラス名は全て大文字で書かなければならないという命名規則がある というコードがあるとする は標準入出力を扱うインスタンスで クラスのメンバである これは というクラスを継承した というクラスに同じ名前のメソッドがある場合である このとき というコードを実行したとき はおそらく で定義されたメソッドが動くと誰もが期待するだろうが で実行されるメソッドは と どちらで定義されたものだろうか この場合の処理は言語によって異なっており例えば の場合は で定義されたメソッドが実行され の場合は のメソッドが実行される すなわち言語によって動作が違うため作成者の勘違いなどによって混乱を招くおそれがある では実のところ どちらが実行されるか以前に上記のような例ではコンパイルすることができないことになっている すなわち のメソッドは全てデフォルトでは継承不可である しかしこれでは あまりに制約が強すぎるため 同名のメソッドを定義する必要性があるときは 継承クラスの作成者がどちらを実行するかを指定することが出来る 具体的には と という機能があり 上記の例では で定義されたメソッドを実行したい場合は とする この場合クラス では のメソッドを という名前に改名させて 名前の衝突を防いでいる のインスタンスでも クラス のインスタンスとして扱われた場合 上記の例のような場合 は の が実行され クラス のインスタンスとして扱われた場合は の が実行される のインスタンスとして扱われた状態で の を実行するには上記の例では とすればよい これらの改名による効果は継承先と継承元の他 多重継承時のメソッド同士の衝突にも使用できる 逆に のインスタンスとして扱われる場合でも の を実行したい場合は以下のようにする この場合 クラス はクラス の を継承時に破棄しクラス で再定義することを示している クラス のインスタンスは どちらで扱われても はクラス のものが実行され クラス の はもはや実行されることは無い なお再定義を宣言された は必ずクラス で再定義しなければならず 再定義していない場合はコンパイルエラーとなる このように ではクラスの継承時に継承クラスの作成者がメソッドの扱いを自由に設定することができる の特徴の一つとして多重継承をサポートしていることが挙げられる 多重継承時に問題となるものの一つとして 継承した二つの あるいはそれ以上 のクラスのどちらにもコンストラクタが定義されている場合 二つのクラスのどちらのコンストラクタが実行されるか というものがある の他に多重定義をサポートしている や では継承元のコンストラクタの実行順に複雑な規則が導入されている ではコンストラクタは継承されないことになっている このためコンストラクタの実行手順といったものは原理的に存在しない どうしても継承元のコンストラクタを使用する必要がある場合は 継承時に でコンストラクタとして宣言されているメソッドを改名し 改名したメソッドをコンストラクタ内で実行することで実装できる プロログ は論理プログラミング言語の一つであり 該当分野で最もよく知られている論理型言語の代表格である 主に人工知能研究や計算言語学との関連性を持つ 定理証明 エキスパートシステム 自動計画 自然言語処理とも繋がりが深い 一階述語論理と形式論理を基礎にして 事実群と規則群の表現および関係の観点に立った宣言型パラダイムに準拠しており その関係に則った質問によって計算が開始されるという性質を持つ は 年にマルセイユ大学のアラン カルメラウアーとフィリップ ルーセルによって開発された フランス語の がその名の由来である の誕生にはエディンバラ大学のロバート コワルスキが考案したホーン節が大きく寄与している カルメラウアーによる元祖版はマルセイユと呼ばれている その後 コワルスキの門弟のデービッド ウォレンが年に改訂開発したエディンバラ が標準になっては広く普及した 成立の事情から プログラムは論理式とみなされ その実行は述語論理によって述語が定義された環境における定理証明に擬して解釈されることが多い 利用者は論理プログラミングの枠組みを 取り分け述語論理を学習することで この枠組みに極めて忠実なこの言語の基礎的な構造のほとんどを理解できる その言語仕様はこの枠組み以外には考案者たちも含めてそれ以上の拡張をほとんど行っていないため 他のプログラム言語とは異なり 学習しなくてはならない概念や用語もまた 述語論理のものだけでこと足りる 基本的に計算機科学の新しい概念や新しい手法とは無縁である ただし 等の処理系では様な機能拡張の試みが行われている 一階述語論理は型理論や操作的意味論の研究論文で多数用いられており 今後 最注目される可能性がある のプログラムは一階述語論理に基づいてデータ間の関係を示す命題として記述され 処理系がそれらに単一化 ユニフィケーション と呼ばれるパターンマッチングを施しながら 与えられた命題が成立するか再帰的手続きによって探索している プログラムの実行は述語集合が定義された環境の元で 質問することによってなされるが これは反駁という述語論理的な証明過程を模して 処理系が用意する導出木と呼ばれるグラフをたどって解を得る過程である のもととなるこの演繹手法は導出と呼ばれ 自動定理証明の研究において 開発以前からよく知られていた は 導出において節を頭部が一つの命題からのみなるホーン節に限定したもので この場合の導出を導出 と呼ぶ ホーン節に限定しているということは つまり は任意の述語をそのまま扱えるわけではない が述語の形式をホーン節に限定した理由は もし頭部に項の連言を認めるならば 導出時の計算量が爆発的に増大して 全ての解を得ることの保証が難しくなることが必至だからである 述語論理を論理的な背景に持つことによって のプログラムはその正しさを確認することが比較的容易である 同時に プログラマは でプログラミングすることが何を意味するかを明確に理解した上で プログラムを書いていくことができる 上記は の一つの解釈である 一方 というプログラム言語を述語論理という枠にはめないで捉える立場もある 導出 単一化 非決定性 双方向性 関係データベースといったこの言語に独特の機能とその表現力 記述力に着目し そのプログラム言語としての可能性を率直に評価しようとするものだ 新たに を学びたいと思う人は 他のプログラム言語を全く知らなくても ソフトウェア科学的な予備知識や概念に不通であっても 単一化という単純なルールをほとんど唯一の基軸として パズル的な あるいはゲーム的な感覚にだけ導かれて プログラムを簡単に書き進むことができる さらに どの言語にも比して平坦で 平明な言語構造を持つ はラベル名 アトム 関数名 述語名 に適切な意味性を付与することにより 自然言語の領域にも接近したプログラミングが期待できるほとんど唯一の言語でもある 十分述語論理的な教養を持った上で を学び そのプログラムを書くならば 短期間で高度で安定したプログラムを書くことができる しかし それを前提としないでも は冒険的で 未知の領域に満ちたプログラム言語なのである 実はこれらの主張は 述語論理的な主張に隠れて これまであまり強調されたことがなかった このような立場や主張が生まれる背景には が期待されたほどにはソフトウェア革新の担い手になり得ていない理由が その後の数理論理学の学問的な評価をもって プログラム言語としての可能性を十分検証することを放棄して 定理証明といった狭い目的へ封じ込めようとする風潮を生んだことにある という反省がある そのことを踏まえて が述語論理から成立したことにこだわらず 実在するプログラム言語として自由な視点からこの言語を見直そうとするものである は の資産の多くを継承して間違いなく記号処理用の言語であるが 人工知能言語として分類されることも多い これは 人工知能の世界では述語論理が古くから理論的な柱の一つとなっているからである 述語論理を基礎とするトップ ダウン式の問題解決と同じく述語論理を基礎とする の駆動機構の相性は当然良いため 人工知能研究に広く利用されてきた 特にエキスパートシステムで多用されるプロダクションシステムにおいては ルールを自然に自ら動的に変更できる能力を持つことと 後ろ向き推論と呼ばれる推論が の導出過程そのものであることから その最も主要な記述言語の位置を占めてきた は一階の述語論理に対応することから論理型言語に分類される汎用言語であるが その主張の一行一行を独立して論理式とほとんど等価な表現で行うことから 最も代表的な宣言型言語と見なされている のプログラム単位である述語の各節の本体に現れる質問単位である副目標数は平均個以内と極めて少ない この副目標と各節の頭部に現れる引数の組み合わせによって得られる関係が述語の意味を構成している考えられる これが宣言型とされるゆえんである の節は頭部と本体によって構成される 述語定義は複数の節からなる 本体は幾つかの副目標からなる 副目標の全てが真となった時に節の宣言は成立する 節は真となる 述語名 引数 引数 述語名 引数 引数 単一化は年代の述語論理理論の発展の鍵となった概念であるが が述語論理に導かれて機械による自動証明を実現するためのプログラム言語として成立したことから 必然的にこの言語の必須の最も重要な機構となった 単一化は副目標 質問 と対応する定義節の頭部のパターンが完全に一致するか 調べることで 節の選択を可能にする さらに の実行順序等の制御は単一化のからくりを利用してプログラミングされる 簡単なからくりでかつ極めて強力な単一化であるが実行コストも大きい すなわち実行速度が遅くなる原因となる さらに パターンとして認識することと引き換えに 引数での関数評価は不可能になった 独立して節の本体で式評価を記述しなくてはならないため 数値計算ではやや冗長になる これらの点は 単一化の強力さとのトレードオフの関係になっている 型付けは動的型付けに分類できるが 言語仕様の中に型概念は登場しない 上記の単一化 バックトラッキング と論理変数の束縛においては独特のものがあり その実行は型推論の実行過程に酷似している 既に はその引数の引渡し時に単一化という厳密なパターンマッチングを施すことに多大なコストを掛けた 単一化だけでプログラムをコントロールできる言語が であるといっても過言ではない この単一化のみによる簡素で強力なプログラムコントロールの足を引っ張ることに成り兼ねない 型付けの強化は 言語とその支持者によって受け入れられることはないだろう は言語による思考をモデル化して主語 述語といった意味での文中の述語を特に重視して記述する系である この一点からも 対象物を中心に記述していくオブジェクト指向とは距離が大きい 述語論理以前にオブジェクトありきとする立場を一般には取らない いくつかの処理系では オブジェクト指向言語としての拡張が行なわれているが オブジェクトを中心に設計されることは 論理プログラミングを重視して記述される限りほとんどない 分類するならば 非オブジェクト指向言語に分類される オブジェクト指向に拡張された言語としては が存在する 後に述べるが の述語はその構造が頭部と本体と分かれていて 本体はルールを意味するため 全体として ルールを持ったデータベース 演繹データベースとして捉えることができる これはプログラム全体がデータベースであるということだから データベースの表現としては最強のクラスに属する 一方 事実を表す本体のない 強制的に真 頭部のみの定義節による述語は関係データベースとその集合論的な性質で一致する 収集した情報を一つの述語に対して多数の頭部のみを持った節の集まりとして定義することにより オンメモリ関係データベースを構築することが可能である しかし をデータベース管理システムとして捉えた場合 という組込述語を持つこと以外には 管理機構としての特別の組込述語が用意されている訳ではなく ディクショナリ管理などのための述語定義をユーザが追加する必要がある 関数型言語等 他のプログラミング言語と比較しての の特長は 上記 一階述語論理に基づくこと 単一化 データベース言語的性格の他に 非決定性と双方向性が挙げられる 非決定性は 解が唯一とは限らない場合 処理系側から見てひとつの解に決定できない場合 外部からの選択の余地を与える そういうことが当然可能なこととして述語は定義されていく インタプリタトップではなく 導出を繰り返すプログラム内部にあっては 処理系側とした所を述語と置き換えて考えると 非決定性の述語の解を決定するのは 前方または後方に連接する質問 副目標 である 前方の副目標群から引数経由で与えられる情報によって副目標は一つの解を作り出すが この解が真であるとするのは最終的に後方に連接する副目標である この後方に連接した副目標が全て真となった場合に限り副目標は真となる 後方に連接する副目標のどれかが真にならなかった場合は それが存在すればであるが別解を用意しなくてはならない ここでも非決定性の述語 ここでは副目標から見ての解の決定権は 外部にあるということになる 非決定性は導出の過程 取り分けバックトラックアルゴリズムと一体化しており プログラムの制御の根幹のひとつである ただ 非決定性述語実行時に見られる論理変数の 束縛 解放 再束縛という遷移 すなわち一度束縛されたものが別のものに再度束縛されるということを好ましくないとする見方もある 双方向性は 述語が実行された場合の返り値は真または偽だけであり その代わりとして引数内の変数で値の授受を終始するのだが このとき 入力として使われた変数が出力に 出力として使われていた変数が入力として使うことのできる述語となることがある この性質を双方向性という 多くの場合 双方向性を持つ述語はそれ自体多義性を持つ 例えば という引数の述語は第一引数と第二引数に具体的なリストが来て呼ばれた時は リストを結合する意味でよいが 第三引数がリストで第一引数と第二引数が変数の状態で呼ばれた場合その意味は リストを分解する がふさわしい 既に存在するリストを それが結合されて存在したものと考え それではどのように結合されていったか あるいは どのような組み合わせで結合されていったのかを 示していると解釈できる このような 双方向性は の述語自らがリバースエンジニアリング的開示能力を持ち それを示していると捉えることができる この性質は を含む論理型プログラム言語の持つ際立った特徴であり プログラム作成時はもちろん テスト デバッグなどの検証の各段階でプログラムコードに対する見通しを向上させる プログラマは引数の単一化 再帰 失敗駆動等のプログラムパターンの選択 非決定性 双方向性といった特長をできる限り生かすことなどに配慮しながら 述語の骨格を決めプログラミングを進める しかし これらの特長 性質は複合した場合には相当に複雑であり 制御上相反する部分も多ある では 述語論理を逸脱して計算量 資源量 制御の調整に当たる述語 カット を導入してこの問題に対処しているが プログラミングの難しさはこの調整部分に集中している の性格上 その歴史には定理の自動証明の研究が大きく関係している 年にジャック エルブランは自動定理証明やのベースとなる数理論理学上の基本定理であるエルブランの定理を発表した エルブランの論文には で必須の単一化アルゴリズムもすでに含まれていた 彼らグループに理論的な助言を与えていたエジンバラ大学のロバート コワルスキとデービッド ウォレンは汎用機 上にマルセイユ大学とはシンタックスが異なる処理系を作り上げた これは後に と呼ばれることになるが 標準規格を含む今日動作する 処理系はほとんどがこの系統のシンタックスに従っている コワルスキはその後 インペリアル カレッジ ロンドンに移り 年に集大成ともいえる を著し その後のこの言語と論理プログラミングの研究に決定的な影響を与えた コワルスキの活動と の存在によって 英国は 研究の中心地となった エジンバラ大学の クロックシンと メリシュの著わした は長く のバイブル本として利用された エジンバラ大学からインターナショナルに転じたディビッド ウォレンは年 の仮想マシンコードである を発表した この後の 処理系の実装は 一旦言語などでこの仮想マシンコードを実装して その上で のソースコードをこのマシンコードに変換するコンパイラを用意するという手順を踏むことによって 開発を簡素化し実装上の標準化を図ることが普通になった 日本の新世代コンピュータ技術開発機構の マシン は 年頃に開発された からこれを採用したし その後開発された 処理系の多くはこの方式に従った ここまで述べたように は によって持ち上げられた言語 との印象が強いが というプログラミング言語から見ての の影響は実は限定的だった 淵所長ら の主研究テーマは並列論理型言語にあり 研究後半では そのものからは離れて行くことになる に使用した電子基盤を利用して並列推論マシン が製作されて に基づく並列演算処理を追加した が設計された この環境に依存する形で 並列論理プログラム言語のは知識プログラミング全般の研究に利用された と を使った研究も続けられはしたが 割り当てられた研究員の数は極めて少なかった の活動を総括して 知識プログラミング各課題において準備不足からくる未消化を指摘する向きが強いのだが こと から見ての前半期の活動は 今日語られることも少ないが 極めて充実したものであったといえる の活動盛期の年京都大学の学生名が研究課題として製作した がその性能の高さとアセンブラで記述されたことからくる高速性で世界を驚かせた この処理系は 上で製品化されて の普及に大きく貢献した や末尾再帰の最適化など高い安定した性能で黎明期のパソコン上のビジネスソフトの基礎言語としての展開も期待されたが ビットの整数しか持たず 浮動小数点数も扱えない仕様であったため この分野への展開は起こらなかった この点はアセンブラで記述されて簡単には拡張できない点が裏目に出た 結果としてこの仕様の乏しさが 日本のビジネスソフトが知識プログラミングの水準との間に横たわる分水嶺を越えることができなかった原因の一つとなった の標準化作業は年頃から作業委員会 著 つの言語 つの世界 が出版され そのつの言語の一つとして が紹介されたことから 多くの人の関心を呼び起こし この言語は突然に息を吹き返した ダニエル ジャクソン著 抽象によるソフトウェア設計 も翻訳されて述語論理に基礎を持つ形式記述言語 が注目されるなど に極めて親近した領域での議論がようやく活発になった とは軸要素のことである 軸要素より小さい要素を整列 軸要素より大きい要素も整列 それを軸要素を挟んで結合したものが整列したリストだ 実行例はこうなる ハノイの塔は最も 向きの課題のひとつとして知られる ここでは 枚の円盤を三本の柱のうち 一番左の柱から右の柱に移すケースを示す 円盤は下から上に向かうほど小さくなるように積まれ 常にその状態が維持されなくてはならない ハノイの塔 移動履歴 ハノイの塔 左柱 中柱 右柱 移動履歴 ハノイの塔 左 中 右 左 から 右 へ ハノイの塔 左 中 右 移動履歴 ハノイの塔 左 右 中 移動履歴 ハノイの塔 中 左 右 移動履歴 移動履歴 左 から 右 へ 移動履歴 移動履歴 冒頭 から を中置演算子 へ を後置演算子として定義している それを使って 移動前の位置 から 移動後の位置 という項を表現して それを履歴として残している このプログラムは が宣言的であることを顕著に示す好例である この述語で述べられていることは 三回が一組となって同じパターンが繰り返されるということ さらに最も下の一枚が順に この課題では右柱に積まれるのだが 新しい最下層の円盤が右柱の最上位に積まれた時には それより上の塔は中柱 左柱と交互に完全に積み上がっている それを ハノイの塔述語の本体の二番目の副目標で どちらの柱を起点として以後の移動を開始するかを 引数の位置を入れ替えることだけによって 表現している このように全体の骨格と僅かな引数の置き換えだけによって 手続的動作の全てを暗示している このような表現力に対して 宣言的 と言うのである 実行例はこうなる ハノイの塔 クイーン問題も 向き問題の代表のひとつである チェス盤が であることから クイーンとして課題になることが多いが ここでは盤面の大きさを一般化したクイーンである チェスのクイーンは縦横斜め 盤面の自分の位置から盤面の端までが全て利き筋となる駒である この駒を各行に適宜ひとつずつ配置して 全てのクイーンの利き筋に他のクイーンがいないように 全ての列にクイーン配置せよという問題である 一つの解は列番号のリストで得られる クイーンの 定義は随分と工夫され 多くの作品がある ここでは最も一般的な戦略の解法を示す 駒の利き筋という概念を示すために 可能な限り説明的な をコードを試みている 途中に現れる という論理変数に 一つずつ解候補のクイーン位置が成長していく からまでの数リストを得る 縦横の利き筋検査はこれを行ごとに一つずつ選択することで回避される クイーン 数リスト クイーン 数リスト これは非決定的な述語である 上記の定義では 表示幅の制限から引数の途中で改行している部分があるが 引数の区切りである の前後であるならば これは構わない クイーンの場合の実行例を示す ここではつの解が得られたが クイーンだと解になる 多くの処理系は の基本機能以外に 制約プログラミングや並行プログラミングのための拡張機能や などの各種言語をライブラリとして含んでいる ベーシック は手続き型プログラミング言語のひとつ 名前は 初心者向け汎用記号命令コード を意味する のバクロニムである いくつかの点でに似ている 構文は の文法が基になっているとしばしば解説されている 初心者向けのプログラミング言語として 年代以降のコンピュータ 特にパソコン で広く使われた 標準規格である の仕様は よく知られているとは異なり構造化などがきちんとしており また の仕様はよく知られているとは全く異なりむしろ に近い 現代における有力な言語環境のひとつである 画面に次のように入力したとする 命令を入力すると それ以前に入力されたプログラムが実行される この場合の出力は次のとおり また プログラムに編集を加えたい場合 続いて例えば次のように入力する このように入力すると で始まる行が書き換えられ 行目と行目の間に行目が挿入される この場合の出力は次のとおり は との提携を経て 学外にも普及した ダートマス大学のオリジナルはコンパイラだったが ただし 完全オンメモリ動作 パスという きわめて軽く動作するものであり 言語仕様もそのような 軽い コンパイルのために設計されている パソコンなどの商用版では基本機能を最小限にしたうえでインタプリタとして実装されることが多く 独自の発展を遂げた 同時に メーカー製のターンキーシステムにインタプリタがの形で搭載されはじめ 一気に当時のマイコンにおける標準言語の立場を獲得した この時に搭載されたインタプリタはほとんどがマイクロソフト製で 同社躍進のきっかけとなった また マイクロソフト製は 中間コードを使用する構造になっており また汎用機を再現した極めてエミュレータに近いランタイム形式の実行環境だったため 当時の互換性が皆無なコンピュータ事情の中でも スクリプト自体の移植は容易だった その後 発表以前の パソコンに 操作を提供するのにも使われ しばしば としてハードウェアに組み込まれた 電源投入後にエディタ込みで利用できることから 現在における シェル インタフェースとしての役割ももち ローダなどの役割も担った 入力の効率化のため 省略形式での入力や 年代後半には 漢字の利用や ラベル インデントへの内部的な対応 言語への橋渡しなど 様な機種ごとの独自の発展を遂げた 他の言語の進化に伴いはあくまで初心者向けの言語でありプロにとっては論外のものということになった しかし一方でプログラミングの専門家以外の人がプログラミングをするのにが重宝されることも依然多い 例えばや十進はいずれも数学者が開発したものである また 当時のの処理速度から 処理の高速化が必要な部分はデータ形式でアセンブリ言語による処理を呼び出すなどの手法もとられた 各メーカーのパソコンに標準搭載されたは 機種ごとに画面操作や 直接操作などの独自拡張が行われた マイクロソフト製 の移植版 のものや その命令体系を引継ぎ実装したものである カタカナで表現する 前述のマイクロソフトの物とは異なる に由来する のベーシックカートリッジ を意識した など各社が独自にを開発し いわゆる 方言 が生まれた この結果 たとえのメーカーが同じでも あるパソコンで作ったプログラムは 他のパソコンではそのままでは動かすことができない ことの方がずっと多かった もっとも当時は群雄割拠の時代でもあり 特に市販ソフトが満足に出なくなったパソコンにおいては は重要な役割を果たした 初期の はともかくとしても 実装処理系のメイン メモリの制限により言語仕様が極めて制限された実装が存在した 処理プログラムの大きさや速度の制限を改善あるいは回避するテクニックを紹介する いくつかは ソースの読みやすさを犠牲にするようなテクニックでもあった 次のようなコンパイラがある しかし パソコンに内蔵または標準添付されていたインタプリタと違い コンパイラは別売であったり 高価であったり 実行にはランタイムライブラリを必要であったりする場合があった このことから インタプリタによる開発に習熟したユーザーは より高速で柔軟なプログラムを求めて 機械語 アセンブリ言語 や 言語などに移行していった また コンパイラと称していても 実際はインタプリタとソースコードを同梱した実行ファイルを作るだけ というものもある 中間表現と そのインタプリタ という構成のものもある 急速に広まっただが 構造化機能の無いは教育に使うな などとコンピュータサイエンティストの一部から酷評されたりもした 批判の急先鋒としてはエドガー ダイクストラの年の発言などが知られる などのパソコンが普及する以前の発言であることに注意 局所変数が無いことなど問題は多いが しばしばのような見た目にわかりやすい事柄ばかりが取り上げられがちである の標準化が望まれたが マイコンの急激な発展と 各メーカーの独自拡張が魅力であったという事情により 結局どの機種のでも変わりが無いようなごく基本的な機能に絞った仕様が標準として制定された は 日本では 電子計算機プログラム言語 基本 として規格化された 制定直後にの分類の再編があり 電気電子のから情報のに移動して となったが 次節の の化の際に改訂として同じ番号を使うという形で旧規格として消滅した 日本では年代後半から 高等学校や大学入試センター試験の数学に 標準化された基本の範囲で書かれたプログラミングが扱われるようになった ダートマスは 他の ケメニーらは ストリート と呼んだ とは異なって既に年代後半から構造化などが進んでおり では新しい規格の策定も進んでいたが これをパソコン向けにアレンジした が 年に開発された 日本ではクレオから発売 構造化の他 行列演算の機能など 学術的 特に数学的 な方面の拡張も特徴である そして とほぼ同一の構造化である が が年に によって は 電子計算機プログラム言語 が年に規格化された マイクロソフトは 規格の策定には参加しなかったが 年に に類した構造化や特徴を追加した独自規格のを発売した これは自社の 用の の上位互換で コンパイラ並に動作を高速にした上にコンパイルも出来るようにしたもので まで発売した後に年の へと繋がっていった との互換性を考慮したフリーなとしてやがある 構造化ということを意識していなかったパソコン用の 環境で 構造化プログラムを記述するために作られたプリプロセッサである アスキーの書籍の形 アスキー書籍編集部編著 構造化 のすすめ で 年に公開された これは 独自の構造化された構文で記述されたソースプログラムを処理し 行番号や文を使う に変換するプログラムで すべてで記述されていた という名前は構造化のなどに倣ったものである は スタンドアローンのプログラムと の外部コマンドとして作成されたサブセット版がある とは 年刊 の年号に掲載された で記述された風のオペレーティング環境である を拡張したものである 海外ではボーランドが独自に風の拡張を施した を発売した 近年ではマイクロソフトの独自拡張による環境 や などで動作するそのサブセット がにおける代表的なプログラミング言語のひとつとして広く利用されている もっとも は に特化した環境として大幅に拡張が施され 元の言語とは かけ離れてしまっている は依然として初心者向けの言語ではあるが パソコンに添付されることはなくなった プログラムの入門でもを使わず 最初から言語などで教える教育機関も多い 無料で使えるなどの 洗練された後発言語の普及により 開発環境としては選択肢の一つでしかなくなった また コンパイラで開発した場合 実行ファイルとは別に 巨大なランタイムライブラリが必要となる処理系が多い このため配布に必要なファイルのサイズが大きくなり 敬遠されることがある それでもは 依然として使われているのも事実である 現在 もオブジェクト指向化が見受けられる その代表例が ややや等で 四者とも既に完全なオブジェクト指向言語になっていると言える エイダ は 構造化 静的型付け 命令型 オブジェクト指向のパラダイムを持つ汎用プログラミング言語の一つである 構文は系である 史上初のプログラマとされるエイダ ラブレスの名前にちなんでと命名されている と表記するのは誤り フリーのコンパイラとしては などがある などがあった プログラム言語としての機能としては など 当時としては先進的な機能を意欲的に取り入れたため 米国国防総省は大きなものとなってしまった言語仕様をまとめるのに 初版の わら男 案山子の意味もある から 木男 ブリキ男 前述の案山子とともに オズの魔法使い に出てくる 鉄男 最終版の 鋼鉄男 に至るまでつのバージョンに分けて策定を行った 言語仕様の大きさや厳密さのため 当時のコンピュータが持っていた資源では 処理系の実装にミニコンやワークステーション程度を必要とし ビットパソコンには市場性といった事情もあり実装はほとんどない 実際にはは 大企業において 主として信頼性や保守性を要求されるシステムの開発でのみ普及した というよりも 実際にどの程度徹底されたかは不明だが 策定の主体であった米国国防総省が発注するようなもの 即ち兵器の開発において条件とされたと言われる この時期としては先進的であった その他の特徴としては などがあげられる 策定作業中に仕様が大きくなっていった際には 仕様が高度に巨大化した言語が 兵器のように高度な信頼性を要求される分野に 国防総省の お墨付き として使用されることを危ぶむ向きもあった たとえばアントニー ホーアは年度のチューリング賞受賞者だが その受賞記念講演 において 自身の やはり仕様の巨大化で知られる に関する経験などに触れたうえで への憂慮で締めくくっている 言語仕様は 最初に年に規格として規格化され エイダ ラブレスの生年である年に因んで と採番された この規格は標準 年に標準 として標準化された の 規格は その後 年と年にも改訂されている のソースコードは各パッケージの宣言部を ファイル に 実装部を ファイル に記述する リファレンスマニュアルなどでは慣例的にスペース 空白個 のインデントが使われている 大文字と小文字を区別しないが 識別子は慣例的に単語の先頭を大文字にして さらに単語間をアンダースコアでつなぐ キャメルケースとスネークケースの併用 の利用例としては 戦闘機や式魚雷などがある ただしこの分野でもの陳腐化が進んでおり 戦闘機以降は へ移行している 民生品ではあまり利用されていないが 信頼性を重視する航空機の制御ソフトウェアに利用されることがある 例としてはボーイングなど マイクロソフトによる謳い文句としては マルチパラダイムプログラミング言語 強い型付け 命令型 宣言型 手続き型 関数型 ジェネリック オブジェクト指向の要素を持つ などといった点が強調されている 共通言語基盤 といった周辺技術も含め マイクロソフトのフレームワーク の一部である他 で 非互換な をに持ち込もうとしたような以前のマイクロソフトとは異なり その多くの仕様を積極的に公開し標準化機構に託して自由な利用を許す など 同社の姿勢の変化があらわれている 開発にはボーランドの やを開発したアンダース ヘルスバーグを筆頭に多数の開発陣が参加している 自動ボックス化 デリゲート プロパティ インデクサ カスタム属性 ポインタ演算操作 構造体 値型オブジェクト 多次元配列 可変長引数 などの機能を持つ また と同様に大規模ライブラリ プロセッサ アーキテクチャに依存しない実行形態 ガベージコレクション コンパイルによる実行の高速化 などが実現されている もっともこれらは 構想における中心的な開発言語であり サービスや の記述にも使用される 他の 系の言語でも記述可能だが マイクロソフトの統合開発環境では 共通言語仕様のによって 他の準拠の言語 や など と相互に連携することができる さまざまな意味において 基盤であるの機能をもっとも反映している言語であるといえる 部分型 が導入された 以下のようにクラスや構造体の宣言に修飾子をつけることで その宣言を分割することができる これによって 巨大なクラスを分割したり 自動生成されたコードを分離したりすることができる 修飾子はすべての宣言につける必要がある ジェネリクスが導入された これは の機能である クラス 構造体 インターフェイス デリゲート メソッドに対して適用することができる のは のテンプレート あるいはにおけるそれとも異なるもので コンパイルによってではなく実行時にランタイムによって特殊化される これによって異なる言語間の運用を可能にし リフレクションによって型パラメーターに関する情報を取得することができる また 節によって型パラメーターに制約を与えることができる 一方 のように型パラメーターとして式を指定することはできない なお ジェネリックメソッドの呼び出し時に引数によって型パラメーターが推論できる場合 型パラメーターの指定は省略できる 静的クラスが導入された 属性をクラスの宣言につけることで クラスはインスタンス化できなくなり 静的なメンバーしか持つことができなくなる キーワードによるコルーチンを使うことで イテレータの生成を楽に実装できるようになった クロージャの機能を提供する匿名デリゲートが導入された プロパティの もしくは アクセサのどちらかにアクセス修飾子を指定することでアクセス制御が別個にできるようになった 次の例では アクセサは アクセサはである このメソッドは以下のように呼び出すことができる 拡張メソッドは糖衣構文の一種であり カプセル化の原則に違反するものではないが 必要な場合に限り注意して実装することがガイドラインとして推奨されている 部分メソッドが導入された 部分型 型 内で定義された で かつ戻り値が のメソッドに 修飾子をつけることでメソッドの宣言と定義を分離させることができる 定義されていない部分メソッドは何も行わず 何らエラーを発生させることもない 例えば ラムダ式は匿名メソッドと同様に扱えるが 式形式のラムダが型として扱われた場合のみ匿名メソッドとして扱われず コンパイラによって式木を構築するコードに変換される 匿名デリゲートが実行前にコンパイルされたを保持するのに対し 式木はに実行時コンパイル可能であるのような式の木構造そのものを保持する これはクエリをクエリなどに変換する際に役立つ 以下は つの任意の名前の変数 整数 括弧 及び四則演算子のみで構成された式を逆ポーランド記法に変換する汎用的なコードである ローカル変数の型をで修飾することで 参照を代入することができる 参照戻り値を参照変数で受け取る とは同じ値を参照する メソッドの戻り値として 型 型が認められた 型推論可能な場面では の型指定は省略可能となった 値型におけるパフォーマンス向上を意図した複数の機能が追加された 引数にを指定することで 読み取り専用参照渡しを指定できる また 戻り値に を指定することで 読み取り専用参照戻り値を指定できる これにより 構造体のコピーを避けると共に 意図しない値の変更を抑止できる 構造体宣言時にを指定することで 真の読み取り専用構造体を定義できる 構造体の全てのフィールドはでなければならず ポインタも読み取り専用となる これにより メンバーアクセス時の意図しない防御的コピーを抑止できる 構造体宣言時にを指定することで ヒープ領域へのコピーを防ぐ構造体がサポートされる 構造体では 化できない 配列を作成できない 型引数になることができない など ヒープ領域へのコピーを防ぐための厳しい制限がかかる この機能は のような構造体をサポートするために利用され 文脈以外でのの利用をも可能とする 同一アセンブリ内 かつ 継承先からのアクセス許可を表す アクセス修飾子が追加された 十六進リテラルの 二進リテラルのの直後のアンダースコアが認められた シープラスプラス は 汎用プログラミング言語のひとつである 日本語話者の間では シープラ 又は シープラプラ と通称される 派生元である言語の機能や特徴を継承しつつ 表現力と効率性の向上のために 手続き型プログラミング データ抽象 オブジェクト指向プログラミング ジェネリックプログラミングといった複数のプログラミングパラダイムが組み合わされている 言語のようにハードウェアを直接扱うような下位層向けの低水準言語としても 複雑なアプリケーションソフトウェアを開発するための上位層向け高水準言語としても使用可能である アセンブリ言語以外の低水準言語を必要としないこと 使わない機能に時間的 空間的コストを必要としないことが 言語設計の重要な原則となっている は 年に ベル研究所の計算機科学者ビャーネ ストロヴストルップによって公開された また様なプラットフォームでその開発環境が導入された 年からとの共同で言語仕様とテンプレートライブラリの標準化が行われるようになり その後年 年 年 年に標準規格が改訂されている 年現在の最新規格は 通称 である ストロヴストルップはプログラミング言語 クラス付きの言語 の開発を年に開始した 彼は大規模なソフトウェアの開発に有用な特徴をが備えていることに気がついたが は実行速度が遅く実用的ではなかった 一方では実行速度こそ速かったものの 大規模なソフトウェア開発を念頭に置いた場合にあまりにも低級だった これらの事情を鑑みて ストロヴストルップは当時既に汎用的な言語だった言語にの特徴を取り入れることを試みた この取り組みにあたっては や 等の言語の影響も受けている 最初はクラスと派生クラス 型検査機構の強化 インライン関数 デフォルト引数の機能を を介して言語に追加した 年月に最初の商用リリースがなされた が事実上の標準として使われた時代が続いたが 標準化が進んだ 言語の最初の標準は年に として承認された 年の改訂版を経て 年にメジャーアップデートとして制定されたのが 通称 である このバージョンは 元 非公式に と呼ばれていた 年代中に制定され 正式に と呼称されることを見越した仮称だったが 年代中には実現しなかった 年月日まで続いた最終国際投票で は全会一致で承認された これにより と呼ばれてきた の次期改正案はついに国際標準になり と呼べるようになった また 年には 通称 が策定された 年には 通称 が策定された 年には 通称 が策定される予定である 言語の進化に伴い 標準ライブラリもまた進化していった 標準ライブラリに最初に追加されたのは 従来の言語の や といった関数を置き換えるストリーム ライブラリである また における標準ライブラリへの追加で最も重要なものは である では 正規表現による検索 置換や複数スレッドでの同時実行 ハッシュテーブル ハッシュセットの追加などさらなる拡充が続いている 長年にわたる作業の後 との合同委員会はプログラミング言語 を年に標準化した 年の標準の公式なリリースから数年間にわたって委員会は不具合の報告を続け 年に訂正版を出版した 年月に制定された日本産業規格は の日本語訳である に対しては 今もなお要望が絶えない 特に ライブラリを開発しているコミュニティは の方向性の決定に大きく貢献し さらに 標準化委員会へ改良すべき点などを意見している 現在はマルチパラダイムプログラミングをより自然に行えるようにすることに力が注がれており たとえばでは の関数型プログラミングやメタプログラミングの可能性を模索している と呼ばれている新しいバージョンの 標準ではこれらの一部が取り込まれ 今後の でもさらなる追加が行われると見られている この名称は の功績で 最初に使用されたのは年の月である 初期の研究期間では 開発中の言語は と呼ばれていた 最終名は 変数の値を一つ加算する 言語の インクリメント 演算子からの派生である また一般的な命名規則での の使用は 機能強化されたコンピュータプログラムを意味する ストロヴストルップによれば この名前は 言語からの変更の革新的な本質を示している ということである は より初期の無関係なプログラミング言語の名前である ストロヴストルップは著書 の前文で名前の起源を語り ジョージ オーウェルの小説 年 の付録から が連想されるかもしれないと付け加えている ニュースピークという架空の言語の解説に宛てられたつの章の中に 科学技術に関する専門用語とジャーゴンの解説に宛てられた という章がある ニュースピークで ダブルプラス は最上級の修飾語である ゆえにニュースピークで は 最も極端な専門用語またはジャーゴン という意味になるだろう ビャーネ ストロヴストルップは著書 で を設計する際に用いたルールを述べている のコンパイラがどのようにコードを出力しメモリのレイアウトを決めるのかということについては に記載されている ただしコンパイラが出力するコードの仕様はコンパイラ制作者の裁量に任されている 標準ライブラリは 向けに若干の最適化が施された言語標準ライブラリを含んでいる 標準ライブラリの大部分はである コンテナ 可変長配列やリストなど コンテナを配列のように扱えるようにするイテレータ 検索やソートを行うアルゴリズムといった有用なツールが提供されている さらにやのような連想配列や やのようなソート済みコンテナも提供され これらは全てインターフェイスに互換性がある テンプレートを用いることにより あらゆるコンテナ またはイテレータで定義したシーケンス に適用できる汎用的なアルゴリズムを記述できる 言語と同様にライブラリの機能には は標準規格に採用される前は ヒューレット パッカードの 一時はシリコングラフィックスの 商用ライブラリだった は標準規格の単なる一部分に過ぎず規格書にという表記は見られないが 入出力ストリーム 国際化 デバッグ機能 言語標準ライブラリ等の 以外の部分と区別するために 今でも多くの人がという用語を使っている 大半の コンパイラはを含む 標準ライブラリの実装を提供している のようなコンパイラ非依存のも存在する 様な目的で 標準ライブラリを独自に実装しているプロジェクトは他にもある の標準ライブラリは大きく次のように分けられる 多種多様な実行環境が存在することを考慮して に関するライブラリは標準に含まれていない 以下に で広く使われているライブラリを挙げる 言語に オブジェクト指向プログラミングをはじめとする様なプログラミングパラダイムをサポートするための改良が加えられたものといえる ただし 他のプログラミング言語と違い 旧来のと同様に手続き型言語としても扱えるという特徴がある また 言語と比べて型チェックが厳しくなっており 型安全性が向上している このことから を というふうに呼ぶことがある すなわち 基本的に言語に対して上位互換性がある 初期の はへのトランスレータとして実装され プログラムを一旦プログラムに変換してからコンパイルしていた ただし という名称が定まった当初の時期から 言語と との間には厳密な互換性はない 当時 との互換性について議論の末 と の間には不正当な非互換性はない という合意が形成されることとなった そのため 正当な非互換性を巡って多くの議論が発生した ただし まだによる言語の標準規格も策定途中の時期である その後 先祖である言語のによる標準規格制定時には 関数のプロトタイプ宣言や修飾など の機能が言語に取り入れられることにもなった の出現により コメントなどの で使われていた便利な機能が加わってと の互換性が高まる一方 別に審議し 別の時期に発行していることと 開発対象が必ずしも同じでないために利害関係者が異なることによる違いもある 次のような多種多様な機能を持っており 言語仕様は大変複雑である ここから よりオブジェクト指向を強化し なんでもあり ではない代わりに分かりやすくスマートな設計を目指した新たな言語 言語など が作られることとなった は言語およびそのプリプロセッサの構文をほぼ継承している 以下のサンプルはビャーネ ストロヴストルップの書籍 の に記載されている標準 ライブラリのストリーム機能を用いて標準出力に出力する プログラムである 書籍でも明記されているが 関数で意図的に返り値を返さない手法が使用されている には四則演算 ビット演算 参照 比較 論理演算などのを超える演算子がある メンバーアクセス演算子 と のような一部の例外はあるが 大半の演算子はユーザー定義によるオーバーロードが可能である オーバーロード可能な演算子が豊富に揃えられているため を一種のドメイン固有言語として利用できる またオーバーロード可能な演算子はスマートポインタのような先進的な実装テクニックに欠かせないものとなっている 演算子をオーバーロードしても演算の優先順位は変化せず また演算子のオペランドの数も変化しない ただし指定したオペランドが無視される可能性はある には ジェネリックプログラミングを実現する機能としてテンプレートが存在する テンプレートにできる対象は 関数とクラスである 以降では変数もテンプレートの対象となった テンプレートはコード中の型および定数をパラメータ化できる テンプレートのパラメータ テンプレート仮引数 に 型 コンパイル時定数またはその他のテンプレート テンプレート実引数 を与えることで テンプレートはコンパイル時にインスタンス化 実体化 具現化などとも される コンパイラは関数やクラスをインスタンス化するために テンプレート仮引数をテンプレート実引数に置き換える テンプレートはジェネリックプログラミング テンプレートメタプログラミング コード最適化などのために利用される強力なツールであるが 一定のコストを伴う 各テンプレートのインスタンスはテンプレート仮引数毎にテンプレートコードのコピーを生成するためコードサイズが肥大化する これはコンパイル時に実型引数の情報を削除することで単一の型インスタンスを生成するランタイム型のジェネリクスを実装したなどの言語とは対照的である なお テンプレートとプリプロセッサマクロはいずれもコンパイル時に処理される言語機能であり 静的な条件に基づいたコンパイルが行われるが テンプレートは字句の置き換えに限定されない テンプレートは の構文と型を解析し 厳密な型チェックに基づいた高度なプログラムの流れの制御ができる マクロは条件コンパイルに利用できるが 新しい型の生成 再帰的定義 型の評価などは行えないため コンパイル前のテキストの置き換えや追加 削除といった用途に限定される つまりマクロは事前に定義されたシンボルに基づいてコンパイルの流れを制御できるものの テンプレートとは異なり独立して新しいシンボルを生成することはできない テンプレートは静的な多態 下記参照 とジェネリックプログラミングのためのツールである のテンプレートはコンパイル時におけるチューリング完全なメカニズムである これはテンプレートメタプログラミングを用いて実行する前にコンピュータが計算可能なあらゆる処理を表現できることを意味している 概略すれば テンプレートはコードの記述に本来必要な型や定数を明確にすることなく抽象的な記述ができる パラメータ化された関数またはクラスである テンプレート仮引数に実引数を与えてインスタンス化した結果は テンプレート仮引数に指定した型に特化した形で記述されたコードと全く等価になる これによりテンプレートは 汎用的かつおおまかに記述された関数およびクラス テンプレート と 特定の型に特化した実装 インスタンス化されたテンプレート の依存関係を解消し パフォーマンスを犠牲にすることなく抽象化できる手段を提供する は言語にオブジェクト指向プログラミングをサポートするための改良を加えたものといえる のクラスには オブジェクト指向言語で一般的な抽象化 カプセル化 継承 多態のつの機能がある オブジェクトは実行時に生成されるクラスの実体である クラスは実行時に生成される様なオブジェクトのひな形と考えることができる なお はなどに見られるメッセージ転送の概念によるオブジェクト指向を採用していない カプセル化とは データ構造を保証し 演算子が意図したとおりに動作し クラスの利用者が直感的に使い方を理解できるようにするためにデータを隠蔽することである クラスや関数は の基礎的なカプセル化のメカニズムである クラスのメンバは のいずれかとして宣言され明示的にカプセル化できる なメンバはどの関数からでもアクセスできる なメンバはクラスのメンバ関数から またはクラスが明示的にアクセス権を与えたフレンド関数からアクセスできる なメンバはクラスのメンバおよびフレンド関数に加えてその派生クラスのメンバからもアクセスできる オブジェクト指向では原則としてクラスのメンバ変数にアクセスする全ての関数はクラスの中にカプセル化されなければならない ではメンバ関数およびフレンド関数によりこれをサポートするが 強制はされない プログラマはメンバ変数の一部または全体をとして定義でき 型とは無関係な変数をな要素として定義できる このことから はオブジェクト指向だけでなく モジュール化のような機能分割のパラダイムもサポートしているといえる 一般的には 全てのデータをまたはにして クラスのユーザに必要最小限の関数のみをとして公開することがよい習慣であると考えられている このようにしてデータの実装の詳細を隠蔽することにより 設計者はインターフェイスを変更することなく後日実装を根本から変更できる 継承を使うと他のクラスの資産を流用できる 基底クラスからの継承は のいずれかとして宣言する このアクセス指定子により 派生クラスや全く無関係なクラスが基底クラスのおよびメンバにアクセスできるかどうかを決定できる 普通は継承のみがいわゆる派生に対応する 残りの二つの継承方法はあまり利用されない アクセス指定子を省略した場合 構造体は継承になるのに対し クラスでは継承になる 基底クラスをとして宣言することもできる これは仮想継承と呼ばれる 仮想継承は基底クラスのオブジェクトが一つだけ存在することを保証するものであり 多重継承の曖昧さの問題を避けることができる 多重継承は の中でもしばしば問題になる機能である 多重継承では複数の基底クラスから一つのクラスを派生できる これにより継承関係が複雑になる 例えばクラスはクラスとクラスから派生できる や 多態 ポリモーフィズム は様な場面で多用されている機能である 多態により 状況や文脈に応じてオブジェクトに異なる振る舞いをさせることができる 逆に言うと オブジェクト自身が振る舞いを決定することができる は静的な多態と動的な多態の両方をサポートする コンパイル時に解決される静的な多態は柔軟性に劣るもののパフォーマンス面で有利である 一方 実行時に解決される動的な多態は柔軟性に優れているもののパフォーマンス面で不利である 関数のオーバーロードは名称が同じ複数の関数を宣言できる機能である ただし引数は異なっていなければならない 個の関数は引数の数や型の順序で区別される 同名の関数はコードの文脈によってどの関数が呼ばれるのかが決まる 関数の戻り値の型で区別することはできない 関数を宣言する際にプログラマはデフォルト引数を指定できる 関数を呼び出すときに引数を省略した場合はデフォルト引数が適用される 関数を呼び出すときに宣言よりも引数の数が少ない場合は 左から右の順で引数の型が比較され 後半部分にデフォルト引数が適用される たいていの場合は一つの関数にデフォルト引数を指定するよりも 引数の数が異なる関数をオーバーロードする方が望ましい のテンプレートでは より洗練された汎用的な多態を実現できる 特ににより仮想関数のオーバーライドをシミュレートした静的な多態を実装できる のテンプレートは型安全かつチューリング完全であるため テンプレートメタプログラミングによりコンパイラに条件文を再帰的に解決させて実行コードを生成させることにも利用できる 基底クラスへのポインタおよび参照は 正確に型が一致するオブジェクトだけでなく その派生クラスのオブジェクトを指すことができる リスコフの置換原則 これにより 複数の異なる派生型を 同一の基底型で統一的に扱うことが可能となる また 基底型へのポインタの配列やコンテナは 複数の異なる派生型へのポインタを保持できる 派生オブジェクトから基底オブジェクトへの変換 アップキャスト では リスコフの置換原則により 明示的なキャストは必要ない は基底オブジェクトから派生オブジェクトへの変換 ダウンキャスト を実行時に安全に行うための演算子である この機能は実行時型情報 に依存している あるオブジェクトが特定の派生型のオブジェクトであることがあらかじめ分かっている場合は 演算子でキャストすることもできる は純粋にコンパイル時に解決されるため動作が速く またを必要としない また は従来の言語形式のキャスト構文と違い継承階層のナビゲーションをサポートするため 多重継承した場合もメモリレイアウトを考慮したダウンキャストを実行することができる ただし では多重継承において継承関係を持たない基底型同士のキャスト クロスキャスト を実行することはできず を用いる必要がある しかし ダウンキャストやクロスキャストが必要になった場合継承関係に問題があることを示していることが多い そのため 仮想関数のオーバーライドによる多態を用いるべきである クラスのメンバー関数をキーワードで修飾することにより 派生クラスでオーバーライド 再定義 することが可能な仮想関数 となる 仮想関数は メソッド と呼ばれることもある 派生クラスにて 基底クラスの仮想関数と名前および引数の数や型の順序が同じ関数を定義することでオーバーライドする 以降では キーワードにより修飾することでオーバーライドを明示することもできる 基底クラスの仮想関数を派生クラスでオーバーライドした場合 実際に呼び出される関数はオブジェクトの型によって決定される 基底クラスのポインタのみが与えられた場合 コンパイラはオブジェクトの型をコンパイル時に特定できず正しい関数を呼び出せないため 実行時にこれを特定する これをダイナミックディスパッチと呼ぶ 仮想関数により オブジェクトに割り当てられた実際の型に従って 最上位の派生クラスで実装した関数が呼び出される 一般的な コンパイラは仮想関数テーブルを用いる オブジェクトの型が判明している場合はスコープ解決演算子を利用して仮想関数テーブルを使わないようにバイパスすることもできるが 一般的には実行時に仮想関数の呼び出しを解決するのが普通である 通常のメンバー関数に加え オーバーロードした演算子やデストラクタも仮想関数にできる 原則的にはクラスが仮想関数を持つ場合はデストラクタも仮想関数にすべきである コンストラクタやその延長線上にあるコピーコンストラクタはコンパイルされた時点でオブジェクトの型が確定しないため仮想関数にできない しかし 派生オブジェクトへのポインタが基底オブジェクトへのポインタとして渡された場合に そのオブジェクトのコピーを作らなければならない場合は問題が生じる このような場合は 関数 またはそれに準じる物 を仮想関数として作成するのが一般的な解決方法である は派生クラスのコピーを生成して返す 型消去 と呼ばれる テンプレートを活用して動的な プログラム実行時の 多態性を実現する手法が存在する この手法は の標準ライブラリでも や の削除子で採用されている いずれも コンストラクタや代入演算子で 一定の条件を満たす 任意のオブジェクトを実引数として渡せるようにすることから多態性を実現している の制定前 言語と との分かりやすい差異として で始まり改行で終わる 単一行コメントの有無があった 単一行コメントはもともと 言語の祖先にあたるに含まれていた仕様である 現在の のコンパイラの多くが言語のコンパイラとしても使えるようになっているのと同様に 言語が生まれて間もない頃は 言語に加え言語やのコンパイルができるコンパイラが用いられていた それらコンパイラは 言語のソースであってもと同様に単一行コメントが使用できるよう独自の拡張がなされていたため によって単一行コメントが正式に規格として組み入れられた のような旧式のパースアルゴリズムを用いて のパーサを記述することは比較的難しい その理由の一つは の文法がではないことである このため コード分析ツールや 高度な修正を行うツール リファクタリングツールなど は非常に少ない この問題を取り扱う方法として でパースできるように改良された の亜種 を利用する方法がある パーサのようにより強力でシンプルなパーサもあるが処理が遅い パースは を処理するツールを作成する際の最も難しい問題ではない このようなツールはコンパイラと同じように識別子の意味を理解しなければならない 従って を処理する実用的なシステムはソースコードをパースするだけでなく 各識別子の定義を正確に適用し つまり の複雑なスコープのルールを正確に取り扱い 型を正しく特定できなければならない いずれにせよ ソースコード処理ツールが実用的であるためには や で使われているような 様な の方言を取り扱えなければならず 適切な分析処理やソース変換やソース出力などが実装できなければならない のような先進的なパースアルゴリズムとシンボルテーブルを組み合わせてソースコードを変換する方法を利用すればあらゆる ツールを開発できる その言語文法の複雑さゆえ 規格に準拠したコンパイラを開発するのは一般的に難しい 世紀末から何年にも渡り に部分的に準拠した様なコンパイラが作られ テンプレートの部分特殊化などの部分で実装にばらつきがあった 中でも テンプレートの宣言と実装を分離できるようにするためのは問題のキーワードの一つだった を定義した 規格がリリースされてから年後の年前半にが初めてを実装した 年に がを実装した これらのコンパイラはいずれものフロントエンドをベースにしていた 大半のコンパイラで実装されていないは多くの 関連書籍 例えば 著 にサンプルが記されているが が記載されていることによる問題は特に指摘されていない をはじめとするその他のコンパイラでは全くサポートしていない は の標準規格からを削除することを推奨していたが では最終的にこれを残す決定がなされた 結局 では実装の少なさ 困難さを理由に削除された コンパイラ開発者の裁量で決められる範囲を確保するため 標準化委員会は名前修飾や例外処理などの実装に依存する機能の実装方法を決定しないことに決めた この決定の問題は コンパイラが異なるとオブジェクトファイルの互換性が保証されない点である 特定の機種やでコンパイラの互換性を持たせ バイナリレベルでのコード再利用性を高めようとするのような非標準の規格もあり 一部のコンパイラではこうした準規格を採用している は基本的に言語の上位互換であるが 厳密には異なる 言語で記述された大半のプログラムは でコンパイルできるように簡単に修正できるが 言語では正当でも では不正になる部分や とは動作が異なる部分が若干存在する 例えば 言語では汎用ポインタ は他の型へのポインタに暗黙的に変換できるが ではキャスト演算子によって変換を明示する必要がある また ではやといった数多くの新しいキーワードが追加されたが 移植の際に元の言語のプログラムでそれらが識別子 例えば変数名 として使われていると 問題になる 言語の標準規格であるやその後継ではこうした非互換性の一部が解決されており 形式のコメントや宣言とコードの混在といった の機能が言語でサポートされている その一方ででは 可変長配列 複素数型の組み込み変数 指示初期化子 複合リテラルといった でサポートしていない数多くの新機能が追加された で追加された新機能の一部は に反映され に対してもやとの互換性を向上される提案が行われた また 可変長配列や複素数型などのに追加された機能の一部はでオプションとなった で書かれた関数を言語で書かれたプログラムから呼び出す あるいはその逆を行なう場合など 言語のコードと のコードを混在させるためにはリンケージを利用する必要があり 関数を で個別に修飾するか のブロックの中で宣言しなければならない また 関数引数や戻り値などのインターフェイスは言語互換形式に合わせる必要がある リンケージを利用した関数については 名前修飾がされず 名前修飾に依存している関数オーバーロード機能は利用できない の相互運用性が確保されていることで 慣れ親しんだ言語標準ライブラリ関数の大半を でもそのまま利用し続けることができるということは の大きなメリットのひとつである 
